アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:語学の教科書

 カスティーリャ語(俗に言うスペイン語)とイタリア語は、フランス語、カタロニア語、ポルトガル語、レト・ロマン語、ルーマニア語と共にロマンス語の一派で大変よく似ているが、一つ大きな文法上の相違点がある。

 名詞の複数形を作る際、カスティーリャ語は -s を語尾に付け加えるのに、イタリア語はこれを-iまたは -e による母音交代によって行なうのだ。
Tabelle1-17
これはなぜなのか前から気になっている。語学書では時々こんな説明をみかけるが。

「俗ラテン語から現在のロマンス諸語が発展して来るに従い、複数名詞は格による変化形を失い、一つの形に統一されてしまったが、その際カスティーリャ語はラテン語の複数対格形を複数形の代表としてとりいれたのに対し、イタリア語はラテン語の主格をもって複数形とした。」

以下はラテン語の第一曲用、第二曲用の名詞変化だが、上と比べると、カスティーリャ語・イタリア語は確かに忠実にラテン語のそれぞれ対格・主格形をとり入れて名詞複数形を形成しているようだ。
Tabelle2-17
カスティーリャ語の他にフランス語、カタロニア語、ポルトガル語もラテン語対格系(-s)、イタリア語の他にはルーマニア語が母音交代による複数形成、つまりラテン語主格系だそうだ。

 しかしそもそもどうして一方は対格形で代表させ、他方は主格形をとるようになったのか。ちょっと検索してみたが直接こうだと言い切っているものはなかった。もっと語学書をきちんとあたればどこかで説明されていたのかもしれないので、これはあくまで現段階での私の勝手な発想だが、一つ思い当たることがある。現在、対格起源の複数形をとる言語の領域と、昔ローマ帝国の支配を受ける以前にケルト語が話されていた地域とが妙に重なっているのだ。

複数主格が -s になる地域と -i になる地域。境界線が北イタリアを横切っているのがわかる。この赤線は「ラ=スペツィア・リミニ線」と呼ばれているもの(下記参照)。ウィキペディアから。
By own work - La Spezia-Rimini LineGerhard Ernst - Romanische Sprachgeschichte[1][2][3], CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5221094
758px-Western_and_Eastern_Romania

これが昔ケルト人が住んでいた地域。北イタリアに走る居住地域の境界線が上の赤線と妙に重なっている。これもウィキペディアから。
Von QuartierLatin1968, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=638312
Celts_in_Europe
 面白いことに、北イタリアにはピエモント方言など複数を母音交代で作らず、-s で作る方言が散在するが、この北イタリアは、やはりローマ帝国以前、いやローマの支配が始まってからもラテン語でなく、ケルト語が話されていた地域である。現にMilanoという地名はイタリア語でもラテン語でもない。ケルト語だ。もともとMedio-lanum(中原)という大陸ケルト語であるとケルト語学の先生に教わった。話はそれるが、この先生は英国のマン島の言語が専門で、著作がいわゆる「言語事典」などにも重要参考文献として載っているほどの偉い先生だったのに、なんでよりによってドイツのM大などという地味な大学にいたのだろう。複数形の作り方なんかよりこっちの方がよほど不思議だ。

 話を戻して、つまり対格起源の複数形を作るようになったのはラテン語が大陸ケルト語と接した地域、ということになる。ではどうしてケルト語と接触すると複数形が -s になるのか、古代(大陸)ケルト語の曲用パラダイムはどうなっているのか調べようとしたら、これがなかなか見つからない。やっと出くわしたさる資料によれば、古代ケルト語の曲用・活用パラダイムは文献が少ないため、相当な苦労をして一部類推・再構築するしかない、とのことだ。その苦心作によれば古代ケルト語は大部分の名詞の複数主格に -s がつく。a-語幹でさえ -sで複数主格を作る。しかも複数対格も、主格と同じではないがとにかく後ろに -s をつける。例外的に o-語幹名詞だけは複数主格を -i で作るが、これも複数対格は -s だ。例をあげる。
Tabelle3N-17
つまりケルト語は複数主格でラテン語より -s が立ちやすい。だからその -s まみれのケルト語と接触したから西ロマンス諸語では「複数は -s で作る」という姿勢が浸透し、ラテン語の主格でなく -s がついている対格のほうを複数主格にしてしまった、という推論が成り立たないことはないが、どうもおかしい。第一に古代ケルト語でも o-語幹名詞は i で複数主格を作るのだし、第二にラテン語のほうも o-語幹、a-語幹以外の名詞には -s で複数主格をつくるものが結構ある。つまり曲用状況はケルト語でもラテン語でもそれほど決定的な差があるわけではないのだ。
 しかもさらに調べてみたら、本来の印欧語の名詞曲用では o-語幹名詞でも a-語幹名詞でも複数主格を -s で形成し、ラテン語、ギリシア語、バルト・スラブ諸語に見られる -i による複数形は「印欧語の代名詞の曲用パラダイムを o-語幹名詞に転用したため」、さらにラテン語では「その転用パラダイムを a-語幹名詞にまで広めたため」と説明されている。つまり古代ケルト語の a-語幹にも見られるような -s による主格形成のほうがむしろ本来の印欧語の形を保持しているのであって、ラテン語の -i による複数形のほうが新参者なのである。ギリシャ語もこの -i だったと聞いて、この形は当時のローマ社会のエリートがカッコつけてギリシャ風の活用をラテン語の書き言葉にとりいれたためなんじゃないかという疑いが拭い切れなくなったのだが、私は性格が悪いのか?書かれた資料としては amici タイプの形ばかり目に付くが、文字に現われない部分、周辺部や日常会話ではずっと本来の -s で複数を作っていたんじゃないのかという気がするのだが、考えすぎなのか?

 言い換えると大陸ケルト語と接触した地域は「ケルト語の影響で -s になった」というよりも、印欧語本来の形をラテン語よりも維持していたケルト語が周りで話されていたため、つまりケルト語にいわば守られてギリシャ語起源のナウい -i 形が今ひとつ浸透しなかったためか、あるいは単にケルト語が話されていた地域がラテン語の言語的周辺部と重なっていただけなのか、とにかく「印欧語の古い主格形が保持されて残った」ということであり、「カスティーリャ語はラテン語の複数対格形を複数形の代表としてとりいれたのに対し、イタリア語はラテン語の主格をもって複数形とした」という言い方は不正確、というか話が逆なのではないか。西ロマンス諸語はラテン語対格から「形をとりいれた」のではない、ラテン語の新しい主格形を「とりいれなかった」のでは。また対格を複数形の代表として取り入れたにしても、主格と対格がどちらも -s で終っていたために主格対格形が混同されやすく、対格を取り入れたという自覚があまりなかった、つまり話者本人は主格を使っているつもりだったとか。-i という形が圧倒的に有力だったらそれを放棄してわざわざ対格の -s に乗り換えるというのは相当意識的な努力(?)が要ると思う。
 
 どうもそういう解釈したからといって一概に荒唐無稽とは言いきれない気がするのだが。というのは当時ラテン語の他にもイタリア半島ではロマンス語系の言語がいくつか話されていたが、それら、たとえばウンブリア語にしてもオスク語にしても男性複数主格は主に -s で作るのだ。これらの言語は「ラテン語から発達してきた言語」ではない、ラテン語の兄弟、つまりラテン語と同様にそのまた祖語から形成されてきた言語だ。主格の -s はラテン語の対格「から」発展してきた、という説明はこれらの言語に関しては成り立たない。
 ギリシア語古典の『オデュッセイア』をラテン語に訳したリヴィウスやラテン語の詩を確立したエンニウスなど初期のラテン文学のテキストを当たればそこら辺の事情がはっきりするかもしれない。

 スペイン語・イタリア語の語学の授業などではこういうところをどう教わっているのだろうか。

 いずれにせよ、この複数形の作り方の差は現在のロマンス諸語をグループ分けする際に決定的な基準の一つだそうだ。ロマンス諸語は、大きく分けて西ロマンス諸語と東ロマンス諸語に二分されるが、その際東西の境界線はイタリア語のただ中を通り、イタリア半島北部を横切ってラ=スペツィア(La Spezia)からリミニ(Rimini)に引かれる。この線から北、たとえばイタリア語のピエモント方言ではイタリア語標準語のように-iでなく-sで複数を作るのだ。
 つまり、標準イタリア語はサルディニア語、コルシカ語、ルーマニア語、ダルマチア語と共に東ロマンス語、一部の北イタリアの方言はカスティーリャ語、フランス語、レト・ロマン語、プロヴァンス語などといっしょに西ロマンス語に属するわけで、イタリア語はまあ言ってみれば股裂き状態と言える。

 こういう、技あり一本的な重要な等語線の話が私は好きだ。ドイツ語領域でも「ベンラート線」という有名な等語線がドイツを東西に横切っている。この線から北では第二次子音推移が起こっておらず、「私」を標準ドイツ語のように ich(イッヒ)でなくik(イック)と発音する。同様に「する・作る」は標準ドイツ語では machen(マッヘン)だがこの線から北では maken(マーケン)だ。これはドイツ語だけでなくゲルマン諸語レベルの現象で、ゲルマン語族であるオランダ語や英語で「作る」を k で発音するのはこれらの言語がベンラート線より北にあるからだ。

この赤線がドイツ語の股を裂くベンラート線(Machen-maken線)。https://de-academic.com/dic.nsf/dewiki/904533から
Ligne_de_Benrath



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 うちに古いロシア語の教科書が何冊かあるのだが、その一つを何気なくまた覗いてみたら例文がレトロで感激した。ドイツのLangenscheit(ランゲンシャイト)社発行で、初版が1965年、私の手元にあるのは1992発行の第9刷である。そこの例文にこういうのがある。

Товарищ Щукин – рабочий. Сейчас он работает. Он работает хорошо, очень хорошо.

同志シチューキンは労働者です。彼は今働いています。彼はよく働きます、とてもよく働きます。

なんという感動的な文だろう。そう、この教科書が書かれた頃はソビエト連邦真っ盛りだったのだ。もう一冊、ドイツ発行でなくソ連で印刷された教科書(1991年発行)にはこういう会話例がのっている。

– Скажите, пожалуйста, коллега, когда был открыт Московский  университет?  – спрашивает Эдвард.
– В 1755 году, его основал великий русский учёный Михаил Васильевич Ломоносов.
– А сколько студентов учится в университете?
– Около 30 тысяч. И здесь работает почти 8 тысяч профессоров и преподавателей, среди них 126 академиков.

「教えてください、同僚の方、モスクワ大学はいつ開かれたのですか?」とエドワルドが尋ねる。
「1755年に偉大なるロシアの学者ミハイル・ワシリエビッチ・ロモノソフが創立しました。」
「ではどれだけの学生がこの大学で勉強しているのですか?」
「3万人くらいです。さらに、ここではほぼ8千人の教授と講師が働いています。そのうち126人がアカデミー会員です。」


こういうのを「シビれる会話」というのではないだろうか。「同僚の方」という呼びかけといい、「偉大なる」という形容詞といい、「ロモノソフ」と苗字だけ言えば済むところをわざわざ「ミハイル・ワシリエビッチ・ロモノソフ」とフルネームを持ち出すところといい、「126人のアカデミー会員」とか妙に正確な数字といい(単に「100人以上」とか言えば十分ではないか)、そしてそもそも会話の内容が完全にプロパガンダっているところといい、もうソ連の香気が充満していてゾクゾクする。

 もっとも言語学の専門論文にも面白い例文は多い。妙に時代を反映しているのだ。1960年代に書かれた論文の例文には「ケネディ」や「フルシチョフ」が時々使ってあったし、1990年ごろは「クリントン」が登場した。Enric VallduvíとElisabet  Engdahlと言う学者が1996年に共同執筆した論文にはGorbatschow ist verhaftet worden(ゴルバチョフが逮捕された)という例文が見える。

 日本人で例文の面白い言語学者というと、ハーバード大の久野暲教授ではないだろうか。私のお奨めはこれだ。以下の2文を比較せよ。

a. 強盗僕の家に入った。 その強盗僕にピストルをつきつけて、金を出せと言った。

b. 強盗とコソ泥僕の家に入った。強盗僕にピストルをつきつけて、金を出せと言った。コソ泥黙って、カメラを取って家から出て行った。

これはマサチューセッツ工科大学が発行している言語学の専門雑誌Linguistic Inquiryで1977年に発表されたものだ。だから原文は英語、そして日本語はローマ字で表記してある。ほとんどダーティ・ハリーの世界だが、後にSenko Maynardという学者が別の論文でこの例文をさらに次のようにバージョンアップしている。

強盗僕の家に入った。
その強盗僕にピストルをつきつけて、金を出せと言った。
その時友達の山中さん部屋に入ってきた。
山中さんドアのそばにあったライフルをつかむと、あたり構わず撃ち出した。

これも英語論文だが、論文本体はどちらも談話を分析、あるいはセンテンスの情報構造を論じている、理詰め理詰めの非常に堅い内容。その本体の堅さと例文のダーティ・ハリーぶりとの間に落差がありすぎて読んでいると脳が悶えだす。考えると学者というのは本論のデータ分析にギリギリの根をつめないといけないし、そこでは実証のできない単なる思弁や想像が許されない、つまり芸術性を発揮できる機会が少ないから、例文作成にここぞとばかり創造力をつぎ込むのではないだろうか。

 あと、外国人のための日本語の教科書にも次のような例文を見つけた。

A: きのう 映画を見ました。
B: どんな 映画ですか。
A: 『七人の 侍』です。 古いですが、とても おもしろい 映画です。

たしかにその通りなのだが、『七人の侍』では当たり前すぎてちょっとインパクトに欠けるきらいがありはしないか。私が日本語教師だったらこうやってやる。

A: きのう 映画を見ました。
B: どんな 映画ですか。
A: 『続・荒野の用心棒』です。 エグいですが、とても おもしろい 映画です。

『続・荒野の用心棒』の代わりに『修羅雪姫』でもよかったかもしれない。これなら一応日本映画だし。


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 人からちょっと聞かれたことがあって大学図書館から古教会スラブ語の教科書を借り出したことがある。何気なく筆者の名前を見たらアウグスト・レスキーン(A. Leskien)だったのでびっくりした。ドイツ青年文法学派(Junggrammatiker)の主要メンバーだった人だ。

 19世紀に比較文法理論が花開いてから1930年代のプラーグ学派活動期まで、言語学の中心はヨーロッパにあった。それも大陸部が強かった。ドイツ語の授業でも教わるが、「青年文法学派」というのはそこで1870年ごろドイツのライプチヒを中心としていた一派だ。つまりレスキーンはそのころの人。この教科書も初版は1905年、1910年の第五版へレスキーンが書いた「始めに」などもまだしっかり載っている。彼は生まれが1840年だから、この「始めに」はレスキーン70歳の時のものになるわけか。
 レスキーンの名はたいていの「言語学者事典」に載っている。たまたま家にある大修館の「言語学入門」の第八章「歴史・比較言語学」の10.「研究の歴史」にも出ていた。そういう本がいまだに学生の教科書として通用しているのが凄い。しかもこれを1990年に再出版したハイデルベルクの本屋(出版社)はなんと創業1822年だそうだ。

 さらについでに図書館内を見まわしてみたら音韻論で有名なニコライ・トゥルベツコイが『古教会スラブ語文法』という本を出している。出版は1954年ウィーンだが、原稿自体は1920年代にすでにトゥルベツコイがドイツ語で書いて脱稿してあったのだそうだ。夫人と氏の同僚たちが残された原稿を整理して死後出版した。トルベツコイは1938年にウィーンで亡くなっている。

 こういうのを見ると言語学の歴史を肌で感じているような気がして畏敬の念に打たれる。なんだかんだ言ってヨーロッパの学問文化は重みというか蓄積があるな、とヒシヒシと感じてしまうのはこんな時だ。

 トゥルベツコイや構造主義言語学のヤコブソンなどコスモポリタンな一般言語学者というイメージが定着しているので、トゥルベツコイが古教会スラブ語の本を書いているのを見たり、ヤコブソンが「ロシア語аканье(アーカニエ。ロシア語で母音oがアクセントのない位置でaと発音される現象。『6.他人の血』の項参照)について」などというタイトルの論文を書いてるの見たりするとむしろ「えっ、この人たちこんなローカルな話題の論文も書くの?!」とむしろ意外な気がする。さらにトゥルベツコイがロシア語で書いているのを見て「そうか、トゥルベツコイやヤコブソンってロシア語も出来るのか…」とか馬鹿なことで感動したり。話が逆だ。ロシア語のほうが彼らの母語である。
 トゥルベツコイは妥協を許さない、いい加減なことができない人物だったらしく、当時の言語学者のひとりから「言語学会一の石頭」と褒められた(?)という。レスキーンはどういう人だったのだろう。ヤコブソンもそうだが、ド・ソシュールやチョムスキーなど、言語学者はイメージとしてどうも厳しそう、というか怖そうな人が多い。日本の服部四郎博士には私の指導教官の先生が一度会ったことがあるそうだが、「物腰の柔らかい、親切な紳士だった」と言っていた。でも一方で、東大で博士の音声学の授業に参加した人は、氏が「音声学ができないのは耳が悪いからではなく頭が悪いからだ」と発言したと報告している。やっぱり怖いじゃないか。

 「言語学者」の範疇には入らないかもしれないが、ミュケーナイの線文字Bを解読したマイケル・ヴェントリスの人物に関しては次のような記述がある。線文字Bで書かれているのはギリシア言語の知られうる最も古い形、ホメロスのさらに700年も前に話されていた形だが、ヴェントリスはそれを解読した。その経歴はE. Doblhoferの書いたDie Entzifferung alter Schriften und Sprachen(古代の文字および言語の解読)という本に詳しいが、その人生の業績の頂点にあった時、交通事故によりわずか34歳の若さで世を去った氏を悼んだ同僚J.チャドウィックの言葉が述べられている(280-281ページ):

Es war bezeichnend für ihn, daß er keine Ehrungen suchte, und von denen, die er empfing (...) sprach er nicht gern. Er war stets bescheiden und anspruchslos, und sein gewinnendes Wesen, sein Witz und Humor machten ihn zu einem überaus angenehmen Gesellschafter und Gefährten. Er scheute keine Mühle für andere und stellte seine Zeit und Hilfe großzügig zur Verfügung. Vielleicht werden nur die, die ihn kannten, die Tragödie seines frühen Todes ganz ermessen können.

「彼の彼らしかった点は、世の賞賛を集めよう、などとはまったくしようとしなかったこと、そして受け取ってしまった賞賛の話を(…)するのは嫌がったことだ。常に謙虚で無欲で、人を魅了せずにはおかないその人となり、ウィットとユーモアで、本当に付き合うのが楽しい人だった。面倒な顔もせずにいつでも他人のために時間をさいてくれ、手助けをしてくれるのにやぶさかではなかった。ひょっとしたら、彼を知っていた者達だけが、その早い死が如何に大きな損失かを本当に理解できるのではなかろうか」

 ヴェントリスは本業が建築家で、言語学は趣味だった。チャドウィックはバリバリの本職言語学者だったが、「素人」のヴェントリスと互角の言語学者として付き合い、「解読の先鞭をつけたのはヴェントリス、私は歩兵のようなもので、単に地をならし、橋を架けて進みやすいようにしただけだ」と言っている。チャドウィックの謙遜・無欲も相当なものだ。
 すると言語学者が「怖い」のはいい加減に知ったかぶりでものをいう人に対してだけで、きちんとした知識のある研究者に対しては腰も低く親切だということか。やっぱり私にとっては怖いじゃないか。

 それにしても、私が死んだら私の友人は何と言ってくれるか、想像するだけでそれこそ怖い。

「彼女の彼女らしかった点は、目立ちたがりで、たまに誉められたりするとすぐ図に乗ってひけらかしたことだ。出しゃばりで、注文が多く、鼻をつままれるその人となり、下品なギャグと笑えない冗談で、できれば避けたい人だった。何か頼まれるとすぐ渋い顔をし、しつこく手助けの恩を着せたがった。ひょっとしたら、彼女を知っていた者は、本当に死んで良かったと胸をなで下ろしているのではなかろうか」

 ヴェントリスとは差がありすぎる…。

 ところで私はあの、泣く子も黙る大言語学者のフェルディナン・ド・ソシュールと誕生日が一日違いなのだが、この一日の差が死を招いてしまったのだと思っている。たとえばチンパンジーとホモ・サピエンスはたった1パーセントくらいしかDNAが違わないそうだが、後者が月まで行けたのに対し、前者はちょっと大きな川があるともう越えることができずにボノボという亜種を発生させてしまうほど差が開いてしまった。私とソシュールもたった一日の差で向こうは大言語学者に、こちらは言語学的サルになってしまったのだと思っている。そしてさすがサルだけあって私は長い間フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure)の名をフェルディナンド・ソシュールかと思っていたのであった。


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 いわゆる学校文法では「数詞」が独立した品詞として扱われることが多いが、この数詞というのは相当なクセ者だと思う。それ自体が形の点でもシンタクス上でも名詞と形容詞の間を揺れ動くので、勘定されるほうの名詞との結びつきも複雑になるからだ。
 例えば次のセンテンスだが、

Ten soldiers killed a hundred civilians with twenty guns.

この英語だけ見ると一見 soldiers、civilians、guns の深層格はそれぞれ主格、対格、前置詞格あるいは具格だと思う。 ところが soldiers、civilians などの名詞がここで主格や対格に立たない言語は印欧語族にはゴマンとある。ロシア語だと、

Десять солдат убило/убили сто гражданских людей двадцатью ружьями.
ten + soldiers + killed + hundred + civilian + people + twenty + guns

ここでは数詞の後の soldiers、civilian people(太字)が複数属格(ロシア語文法では「生格」)である。つまりдесять(「10」)、сто(「100」)は普通名詞的なのだ。名詞がもう一つの名詞を修飾する場合、一方が属格になる、つまり「山田さんの家」と同じ構造だ。一方対格と主格以外では数詞が名詞の格と一致する。まるで形容詞のように呼応するのである(下記参照)。いずれにせよロシア語ではこれらの「数詞」は立派に格変化を起こす:десять(主格・対格)→десяти(生・与・前置格)→десятью(造格)あるいはсто(主・対格)→ста(生・与・造・前置格)。実はこういう数詞・名詞の格構成はサンスクリットの昔から印欧語族ではむしろ一般的だ。

サンスクリットでは:
1.数詞1-19が形容詞的に用いられ、その関係する名詞の性・数・格と一致する(つまり数詞も立派に格変化する)。
2.20-99、100、1000等は名詞として扱われ、これの付随する名詞は同格に置かれるか、あるいは複数属格となる。

古教会スラブ語では:
1.1~4は形容詞的特性、つまり付加語扱い。「1」では名詞は単数同格、「2」とは双数(両数)同格、3~4で複数同格、5以上から複数属格。
2.数詞の活用は、1~2が代名詞活用、3が名詞i-活用、4が子音活用とi-活用の混同タイプ、5~9だと活用だけでなく品詞も形容詞でなく名詞扱いでi-活用統一。

ロシア語では上にもあるように、主格と対格で数詞の披修飾名詞が属格になり、その他の格では披修飾名詞と数詞が同格だ。それで最初の例文の中の двадцатью ружьями(下線部)は数詞と名詞のどちらも造格になっている。つまりサンスクリットと同じく名詞が数詞と同格におかれるか、あるいは名詞のほうは複数属格に立つという二つのパラダイムが共存しているわけだ。
 対してラテン語では数詞は不変化「形容詞」とみなされたそうで現在の英語やドイツ語といっしょだが、それでもさらに調べると tantum(たくさんの)、plus(より多くの)などの数量表現では披修飾名詞は複数あるいは単数属格になるというから、数詞も名詞的な特性を完全には失っていない。

plūs pecūniae
more + money(複数属格)

『30.あともう少しのドルのために その2』の項で出したイタリア語の例

un po' più di libri
a + few + more + of + books

も di が入るから属格表現の仲間だとみなしていいのではないだろうか。もっとも例えばラテン語のquīdam(「いくつかの」)は「dē または ex」という前置詞がその後に来た後名詞の奪格を取るそうなので、このdi libriも本来は奪格なのかなとは思う。いずれにせよここでラテン語の属格・奪格形がとろけて一緒になってしまい、格機能が統合されていった様子がよくわかる。
 さらにやっぱりそこの項で出したロシア語

На несколько дрлларов вольше
on/for + some + dollars(複数属格) + more
(For some dollars more)

の「ドル」も複数属格である。

 ドイツ語もよくみると結構面白いことになっていて、数量表現が名詞的特徴を示すことがある。たとえば「多くの私の学生」は

* viele meine Studenten
many + my(複数主格) + students

と「私の学生たち」を主格にすることはできず、披修飾名詞を属格にしないといけない:

viele meiner Studenten
many + my(複数属格) + students

イタリア語と同じくここで各変化による属格でなく前置詞のvon(英語のof)を使って

viele von meinen Studenten
many + of + my(複数与格) + students

ということもできるが、これは上の例と比べて「日常会話的」とのことである。

 英語ほどひどくはないとはいえ、ドイツ語も格変化を捨てまくって堕落したがやっぱりまだまだ印欧語なのである。もっとも日本語でも「私の学生の多く」と「学生」を属格にできるが。
 数詞でも同じことが言えて、

* zwei meine Studenten
two + my (複数主格) + students

zwei meiner Studenten
two + my (複数属格) + students

meine zwei Studenten
my (複数主格) + two + students

*のついた2例では数詞が形容詞としての特性を示すため、いわゆる determinator、つまり「私の学生」というDPを支配する所有代名詞 meine の前に出られないが、披修飾名詞が属格の構造では数詞はそれ自体が事実上名詞であるからそこにまたDP、つまり「私の学生」がくっ付くことができる、と純粋にシンタクスの問題として説明することができるが、もっと見ていくと(しつこいなあ)、実は事はそんなに簡単ではないことがわかる。なぜなら

alle meine Entchen
all(複数主格) + my(複数主格) + ducklings

というフレーズは数量表現がdeterminatorの前に来てしかもそのdeterminatorが主格なのに許されるからである。ネイティブに説明を求めたら「1.この表現は子供の歌だからそもそも俗語的だし、2.alleという表現で表現された数量は閉じられたものであるからdeterminatorの限定的な意味と衝突しないからなんじゃないの?」と言っていた。限定非限定の意味の差が決定権を持っている例は他にもあって、例えば

meine viele Studenten
my(複数主格) + many(主格) + students

ということはできるが、

*meine einige Studenten
my (複数主格) + some(主格) + students

とは言えない。meineの持つ限定的意味とeinige(「(不特定の)いくつかの」)の非限定的な意味合いが衝突するからだろう。viel(「たくさんの」)だと「いくつか」より非限定性がはっきりしていないから限定のdeterminator、所有代名詞と共存できるのだと思う。
 シンタクスだけで全てを説明するのはやはり無理があるようだ。

 さて本題だが、ロシア語学習者泣かせの問題として2、3、4では披修飾名詞が変な形をとる、ということがある。英語やドイツ語では2以上になると披修飾名詞は一律複数主格なので何も苦労がないのだが、ロシア語はそんなに甘くない。ちょっとくらべてみてほしい。比べやすいようにロシア語はローマ字にしてみた。
Tabelle1-58
数が2から4までだと名詞が特殊な形をしているのがわかるだろう。これを語学書などでは「ものがひとつの時は名詞は単数主格、2から4までは単数属格(太字)、5以上になると複数属格(下線)をとる。20までいくとまた1から繰り返すので21の机では名詞が単数主格である」、と説明してある。パラダイムをみてみると確かになるほどとは思う。
Tabelle2-58

私の語学の教科書にもそう書いてあったのだが、そのときのロシア人の教師が運悪く言語学系であったため(『34.言語学と語学の違い』参照)、そこで私たち向かって堂々とこういった。

「語学の入門書とか文法書には「2、3、4は名詞の単数属格をとる」と書いてあったりしますが、これはデタラメです。そう説明しないと初心者が混乱するからです。この形はロシア語では失われてしまった古い双数形が残ったものです。」

古教会スラブ語 plodъ(「果実」)のパラダイムを調べてみると、o-語幹では確かに双数主格と単数属格が同形に見える。
Tabelle3-58
それでは2、3、4、のあとに来る名詞の形が単数生格でなく双数主格だとどうしてわかるのか。実は「2」のあとに来る形と単数生格ではアクセントの位置が違うのである。たとえば、шаг(シャーク、「歩、歩調」)の単数生格はшагаで、アクセントは最初のаにあるから「シャーガ」。対して「二歩」はдва шагаだが、アクセントが2番目のаに来て「シャガー」となる。同じくчас(チャース、「1時間」)の単数生格は часа(チャーサ)だが「3時間」は три часа(トリー・チャサー)だ。つまり字に書くとアクセントが表せないから同じに見えるがこの二つは本来全然違う形なのだ。
 これを「単数生格」とデタラメな説明をする語学教師あるいは教科書を、イサチェンコという言語学者が著書の中で「言語事実を強姦するに等しい」とまで言って怒っていた。しかしたかがこれしきのことで強姦呼ばわりされていたら、そこら辺のいわゆる「よくわかる○○語」「楽しく学べる○○語」の類の語学書には強姦魔がいくらもいる。私もさるドイツ語の楽しい入門書で不規則動詞について「日頃よく使う道具はあまり使わない道具より消耗が激しいでしょう。それと同じく日頃よく使う動詞は形が崩れやすいんですよ」とわかりやすい説明をしているのを見たことがあるが、これなんか強姦殺人級の犯罪ではないだろうか。話が全く逆の上に、ドイツ語ばかりでなく、他の言語も不規則動詞は「規則動詞より変化が早かったため」と一般化されてしまいかねないからである。
 使用頻度の高い「基本動詞」が不規則動詞であることが多いのは変化に曝された度合いが規則動詞より強かったからではなくて、その逆、それらが頻繁に使われるため、古い形がそのまま引き継がれて変わらずに残ったからだ。言語が変化し、動詞のパラダイムが変わってしまった後もそれらがまさに頻繁に口に上るそのためにパラダイム変化を被らなかったからである。たとえばロシア語で take という意味の不規則動詞の不定形は взять だが、定形・現在時称だと возьму(一人称単数)、возьмёшь(2人称単数)などとなって突然鼻音の м (m) が現われ学習者はビビる。しかしこれは規則動詞より形が崩れたからではなくて、ロシア語の я が古い時代に鼻母音だった名残である。つまり不規則動詞のほうが古い形を保っているのであり、規則動詞がむしろ新参者なのだ。

 語学書やいいかげんな語学教師のデタラメな強姦罪に対して声を上げたロシア語の先生は勇気があるとは思うが(女の先生だった)、実は一つだけ疑問が残った。残念ながら私のほうに勇気が欠けていたのでその場で質問しそこねたためいまだに疑問のまま残っているのだが、

「2の後の名詞が双数主格なのはわかるが、どうして3と4まで双数になっているのか。」

この記事を書く機会にちょっと調べてみたのだがはっきりその点に言及しているものが見つからなかった。かろうじて次のような記述を見かけたが説明としてはやや弱い。

Под влиянием сочетаний с числительным два аналогичные формы появились у существительных в сочетаниях с числительными три и четыре

数詞の2との組み合わせに影響され、そこからの類推によって数詞の3と4と結合する場合も名詞が同様の形をとるようになった。

上の古教会スラブ語の説明にあるように、3と4は本来複数主格だったはずである。5からは複数属格だったから形が違いすぎて類推作用が及ばなかったのはわかるが、3と4で双数主格が複数主格を食ってしまったのはなぜなのかどうもわからない。やっぱりあの時勇気を出して先生に聞いておけばよかった。


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 すぐに「○ヶ国語できる」と話せる言語の数を言い立てる人がいるが、この手の発言はあまり鵜呑みにしないほうがいい。「○語ができる」と軽々しく言い立てる人に限って実はそれほどでもない場合が目立つ。何をもって「できる」と称するかが自己申告だからである。レストランで注文してみたら望みの物が出てきたとか、挨拶が外人に通じた、道を聞いたらちゃんと答えてもらった程度で「できる言語」に勘定する人がいる。前にもこの手の自称6ヶ国語だか7ヶ国語だかできる芸能人が堂々と「イラン語」という名称を使い、「日本語もできるが字は平仮名しか読めない」と言っていたが、そこですでにこの人の「できる」のレベルが明らかである。文字を持たない言語ならイザ知らず、当該言語でまともな文章が読み書きできないのに「できます」と言い切っていいのか。口だけの会話なら変化語尾もへったくれもなくバラバラと単語を羅列し、足りない部分はジェスチャーで補ったり笑って誤魔化すこともできるが、書くにはある程度正確に文法を知っていないとどうにもならない。笑っている場合ではないのである。

 ヨーロッパでは「○語ができます」などという玉虫色の言い方はあまりしない。Gemeinsamer Europäischer Referenzrahmen für Sprachen(ヨーロッパ言語共通参照枠、略してGER)という全ヨーロッパ共通のできる基準というか等級がきっちり決まっているからである。初心者のA1から準ネイティブC2まで語学の能力レベルが段階的に決められていて、ドイツ語ばかりでなく語学は全部この基準で判断する。こちらで出ている日本語の教科書も「日本語A1/A2」などとなっている。だから単に「○語ができます」などとは言わない。例えば「○語がBレベルです」というのである。
 そのGERは大体次のような内訳である。
 A(elementare Sprachverwendung)は初歩レベルで文法を一通りやった状態、B(selbständige Sprachverwendung)になるとその言語で社会生活が可能、C(kompetente Sprachverwendung)の人は当該言語で文化生活が営める。A,B,Cがまたそれぞれ2段階にわけられている。まずAだが:

A1:初心者
慣れ親しんだ日常生活上の表現ができ、具体的な必要事項を満たすためのごく簡単な文を理解して使える。自己紹介、他人の紹介ができ、他の人に、どこに住んでいるのか、どんな知り合いがいるか、どんな物をもっているかなどの個人情報が聞け、また自分のほうでもこれらの質問に答えられる。対話者がゆっくり明確な発音で話し手助けしてやれる用意があれば簡単な意志の疎通が可能である。

A2:基礎知識
その場に直接関連した範囲の意味ならば文や頻繁に使われる表現が理解できる(例えば個人情報や家族について、買い物、仕事、ごく身近な環境でのことなど)。簡単なルーチン的シチュエーション、つまり慣れ親しんだよく知っている事柄についての情報を簡単な言葉で直接交換するような状況でなら意志の疎通ができる。出身地のことや受けた教育、すぐ周りの環境やその場の必要事項のことを簡単に描写できる。

原文を見るとやたらと「簡単・単純」einfachという言葉が使われているのがわかる。レストランでの注文や道を尋ねるというのはせいぜいA2,多分A1レベル、いずれにせよこのAレベルであろう。
 Bに行くと本当の意味での会話がなりたつようになる。

B1:進んだ言語使用
明確な標準語が使われ、仕事、学校、レジャーなど慣れ親しんだ事柄が話題であれば要旨の把握ができる。当該言語地を旅行した際に出会う大抵の状況を処理できる。よく知っているテーマや個人的な興味関心事について簡単に筋の通った説明ができる。自分の経験、夢、希望や目標が描写でき、自分の計画、意図などについてはその根拠を手短に述べたり説明したりできる。

B2:自立した言語使用
具体的なテーマでも抽象的なテーマでも複雑なテキストの大意が理解できる;自分の専門分野では専門的なディスカッションができる。練習や準備をしなくてもよどみなく意志を伝えることができるので、どちらの側もさほど骨を折ることなくネイティブスピーカーと普通の会話が成り立つ。幅広いテーマについてわかりやすく詳細な表現ができる。目下の問題について自分の立場を説明し、考えうる様々な事柄についてメリットとデメリットを挙げることができる。

同じBレベルとしてくくられてはいるが、B1とB2の間には大きな差がある。B1ではまだ言語的に自立していない。
 またB1に旅行云々とあるのでみやげ物屋で値段を聞いたりホテルで交渉できたから私はB1ダーと思いそうになるが、よく考えて欲しい。「大抵の状況」である。ちゃんと現地の言葉で全てやっているか?ドイツで英語を使ったりしてズルをしていないか?例えば一目で旅行者とわかる人が血相を変えてお巡りさんに「財布!財布!」など現地の言葉をバラバラ連呼すれば向こうは「スリに会ったんだな」と察してそれなりの処置をしてくれるだろうし、外国人が駅で「○○ホテル!○○ホテル!」と叫んでいれば、話しかけられた人は道順を示してくれるだろう。でもそれは言葉が通じたのではなくて察してもらえただけである。「私は○広場で財布を盗まれました」と文法的に正しいセンテンスを現地の言葉でちゃんと言ったのとは根本的に違う。その正しいセンテンスも、空港かなんかで買ったピラピラの旅行会話集とやらをわけもわからず棒読みしていたら落第である。あくまで自分の力で表現できなければいけない。ちゃんと目的のホテルに連れて行ってもらえたからと言ってB1とは限らないのだ。
 大学でやっていくには基本的には次のC1が必要ということになっているが、自然科学など、学部によってはB2でもついていけるだろう。B2で大学に入ってC1あるいはC2になって大学を出る、というパターンも多いと思う。

C1:熟練した言語使用
程度の高い、比較的長いテキストを幅広く理解できる。また暗示されている意味を読みとれる。準備や練習なしでよどみなく自己表現ができ、言葉をさがしていることを頻繁に相手に気づかせることがない。社会生活、職業生活、職業教育の場や学業生活で言語を柔軟に使いこなせる。複雑な事象についても明晰で筋の通った詳細な説明ができる。その際文章と文章の論理的なつながりを示すため種々の言語表現を適切に使いこなせる。

C2:ネイティブスピーカーに近い言語知識
読んだり聞いたりしたことは事実上全て困難なく理解できる。目からのものでも耳からのでも様々なソースから得た情報を要点整理し、論の根拠や説明などを筋の通して再現できる。準備も助けもなく非常に流暢に正確に意志の疎通ができ、さらに複雑な事象に関しても、より微妙なニュアンスの違いをはっきり表現しわけることができる。

いちどこの基準をさるドイツ語ネイティブスピーカーに見せたら、溜息をついて「ネイティブだってC2まで行くのは少数派なんじゃないの?」と言っていた。日本語ネイティブにだってダラダラ量だけはしゃべったり書いたりするが論旨が全然進まず、結局何が言いたいのかわからない人などいくらもいるではないか(とか人のことが言えた立場ではないが)。言い換えるとCになると「語学は単なるツール」「コミュニケーションが成り立てばそれでいい」という枠から出ていわば当該言語がその人の精神活動全域にかかわってくるのである。言語の内在化が始まるのだ。
 またここで面白い、言語憲章を見てもわかるように小数言語に敏感なヨーロッパらしいと思うのは、言語能力を標準語だけに限っていないで、ある程度方言が聞いてわかる能力も求めていることである。C1のテストを見てみたことがあるが、スイスでの駅のアナウンスの聞き取りが課題の一つだった。こういうことは特にドイツ語圏では重要だろう。

 「できる」と言えるにはB2、少なくともB1くらいになっていないといけないだろうが、方言のほかにもそのあたりから重要になってくるのは場面によって様々なスタイルを使い分ける、社会言語学で言うレジスターregisterを区別する能力である。日本語で例えば「オレ」とか「アタシ」とかを公式の場で使ったり書き言葉で書いたらお里を疑われるだろう(文学的表現として小説などで使うのはまた別だが)。また「ニホンゴデキマス」という外国人から場面にふさわしくない妙にくだけたいい回しを使われてギョッとしたことのある日本人は多いのではないだろうか。さらにドイツ語やフランス語の教師が「下手に勉強の途中で留学とかさせると変にチャライ言い回しを覚えて得意げにそれを使い、語学が上達したような錯覚に陥って帰ってくるものが多い。でも語学自体は実は全然進歩していない」と言っていたのを何回も聞いた。耳学問だけで覚えた語学というのはある意味では危険だ。それあるに本人は「オレの語学は現地で鍛えた本物」とか思い込んでいる人がいるから始末が悪い。私も「てにをは」さえロクに使いこなせていない人がアニメで覚えた「メッチャ」という言葉を嬉しそうに連発したり「とゆ~」と得意げに書いているのをみると釈然としないものがある。いくら図々しい私だってマカロニウエスタンで覚えたイタリア語なんかをそのままイタリア人に使って見せて「生きたイタリア語を話せます」などと人に自慢する気にはなれない。耳学問で覚えられるのはせいぜいA1までだろうし、正規に習わないと自分がまだAであって、その後に長い長い道のりがあるのだという事がそもそもわからない。だからA1くらいをゴールだと思ってしまうのである。私はもちろん権威主義は大嫌いだが、やはり正規に習わない耳学問・独学オンリーでは限界があることは認めざるを得ない。

 語学に限らないがそもそも始めたばかりの時は上達が早く、自分でも日に日に上達していっているのがわかるが、レベルが上がるにつれて速度は鈍る。下手をすると後退しているような気にさえなることもある。私の勝手な印象だが、B2からC1に進むためには時間の点でも努力の点でもA1からB2、つまり今までに費やしたものと同じくらいの苦労がいるのではないだろうか。C1からC2に進むにはまたA1からC1までに費やしたのと同じくらいの努力と時間がいる。自分の限られた周辺だけに限っていたのではどうしても「上のレベル」というものがどれだけ遠いか見えてこない。
 例えば私にも長くアメリカに住んでいる知り合いが何人かいるが、皆現地の大学を出たり現地の会社で日本語を全く使わずに働いていたりする人たちである。英検一級を持っている人が多い。その一人が以前別の日本人から「英語がペラペラで羨ましい」といわれてものすごくムカついたという話をしていた。厭味をいわれたと思ったそうだ。つまりその人は自分は英語ができないつもりでいたのである。他の人たちも似たり寄ったりで、口を揃えて「英語が出来なくて困る」という。安易に英語ができると言っているのを聞いた事がない。家庭内でしか通じない言い回しをチョロチョロ覚えただけですぐできます宣言をする人とはいい対照である。
 私は最初、こちらでも現地に来て一年くらいにしかならない人たちが「日常生活にはなんとか困らなくなりました」と言っているのを見て、20年以上経っても困っている自分自身やそれらアメリカの知り合い(彼らもそのくらい住んでいる)と比べてみてどうしても信じられず、「この人たちがホラを吹いているか、私の方に徹底的に語学の才能がないかのどちらかだ」と思っていた。もちろん一日6時間くらい毎日教室に通ったというのなら一年も経てば相当話せるようになるだろうが、その人たちは正規に習いにもいかないでそういうことをいうのである。まあ私に才能がないというのはその通りだが、アメリカの大学を卒業した人が言葉で苦労しているのに全く文法も何もやらずにドイツに来て一年たってもう「困らない」と言われるとさすがに考え込む。
 しばらく考えて思い当たったのが、これらの人が「言葉に困っていない」というのはウソではない、本当の話なのではないかということだ。理屈は簡単、彼らのいう日常生活と英検一級持っていてもまだ英語に困る人たちの日常生活とは日常生活そのものが違うのである。家庭内しか生活の場がなく、せいぜいスーパーのレジの人に値段を聞くくらいしか現地語を使わなかったり日本人のいる職場で働いていたりすると現地語は限られたフレーズやアウンの呼吸で話が通じてしまう。助動詞でなく語形変化そのもので形成する接続法2式表現など知らなくていい。それこそ現地語の単語をバラバラ数珠繋ぎ発音するだけで生活全体が包括できるのである。大学のゼミのレポートをウンウンいいながら書き怖い教授に提出して見てもらったり日本人のいないところでプレゼンしたりが日常の人とは日常が違うのだ。言い換えれば彼らの言語生活は「日常生活」ではあっても「社会生活」にはなっていないのである。これなら一年もあれば困るまい。

 少しばかりの口語を覚え、それを現地で覚えた本物の言葉と定義し、そういう「本物の語学」をたくさん集めて○ヶ国語できると言い張っている人を見ると私はつい犬と電信柱の関係を連想してしまう。犬がちょっとクンクン嗅いでみただけで「この電信柱はオレのテリトリー」とオシッコをかけてマーキングするような感じだからだ。この手の語学を私は「犬のションベン語学」と呼んでいる。いかにも私らしい下品な名称で恐縮である。
 ただ、では逆にたくさん語学のできる人は自動的に犬のションベンとみなしていいかというともちろんそんなことはない。例えば渡辺照宏氏が著書で「私が一応文法書を一通り終え、辞書の引き方を知っている言語は20以上になるが、人様に多少ともやりましたといえるのはドイツ語とサンスクリットだけ。この二つはもう何十年も毎日欠かさず勉強している」と言っていた。この短い発言のうちにすでに上で述べた最重要な点が見て取れる。氏は当該言語をきちんと書ける、あるいは公式な場所で使えるような言葉が使えるという点、「できる」などという玉虫色の言い回しでなく、具体的にどの程度できるのか述べている点(「文法をやり、辞書の引き方を知っている」)、そして安易にできるできると言い出さない、言い換えると「できる」と宣言できるようになるまでの道のりの長さがわかっているという点だ。
 語学という電信柱はせめて少しくらいは苦労してよじ登るべきではないのか。それもせずに地上にいたまま小便だけひっかけて「○語ができる・○語をやった」と所有宣言するのは当該言語、いやそのネイティブ・スピーカーや苦労してその言語を学んだ人に対するある種の侮辱ではないのかと私は思っている。


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 こちら昔は「語学」というとラテン語か古典ギリシャ語のことだったから、当然その中心は読み書きにあった。そのうち「書き」をだんだんやらなくなった。ドイツ語やフランス語など自国語の書き言葉が発達して、ラテン語で書く必要がなくなったからである。それでも結構長い間普通高校を出た人ならばラテン語が読める(ことになっている)のが普通だったが、最近はまったく古典語はやらない高校も増えた。現代の言語、フランス語やスペイン語だけやれば卒業できるようになったのである。昔、と言っても私が現実に見聞きしているくらい割と最近までは英語の他に古典語一つ以上現代語二つ以上、合計3つの外国語、例えば英仏羅というのがスタンダードだったが、今は英仏だけで高校を卒業できるのだ。ただラテン語なしで高校は卒業できても入れる大学の学部が限られてはいたところが、その制限もだんだんなくなってきている。最近など英語しか外国語をやったことがない「外国語学部の学生」に会った事があるがさすがにこれは例外である。
 そうやって古典語をやらなくなるにつれて、外国語の授業のやりかたや教科書も変わった。見た目にやたらと子供っぽい教科書が増えたのだ。

 以前にもちょっと書いたが、私が若かりし頃通学していた都立高校には自由選択ではあったが第二外国語の授業があった。高校生用のドイツ語の教科書というのものがなかったので大学の教科書を使っていたが、これが無愛想というか無味乾燥な構成で、まず章の始めにちょっとした会話のテキストがあり、次に単語の説明があり、文法事項があり、最後に練習で〆る。これを延々と繰り返して螺旋階段のごとく次第に高度な文法に進んでいくというものだった。もちろん挿絵などというものはなかったし、当然全部が白黒印刷である。授業形式も学生と教師が面と向かうものであった。

 時が流れてドイツの大学で受けたクロアチア語の授業も教科書もまさにこれであった。表紙は黄土色の超地味な色、中は全て白黒印刷だ。

私たちの使ったクロアチア語の教科書。私の書き込み付きでご紹介。
Kroatisch_1

Kroatisch_2

 ところがロシア語の教科書は違った。全てカラー印刷で値段もそれに従って高い。表紙も派手だが、中身にもやたらとイラストだろ写真だろがあり一見子供の絵本である。絵を見ながらそれをロシア語で描写する練習のためというような意味のあるイラストもあるが、そうでない単なる挿絵、会話のパターンの練習のわきにわざとらしいロシア風の服を着たおじさんやらおねえさんやらが立っているものも多い。こんな要りもしない絵を全部除いたら制作代も節約できるし教科書も薄くてすむだろうにと思った。

書き込みが減ったロシア語の教科書
Most_1

 しかしそれよりド派手なのが日本語の教科書だ。表紙からして日本女性がにっこり微笑んでいる顔のアップ。中を見てもとにかく挿絵がデカい。課の頭には半ページくらい使って日本人のサラリーマンが大きなビルの前でお辞儀をしている写真とか、この年寄りの私でも見たことがないような古臭い日本の祭りの風景などとにかくステレオタイプなドイツ人の異国情緒にこれでもかと訴えるクサい写真のオンパレードである。
 だいたい私は語学の授業でいわゆる文化とか習慣を紹介するのは邪道だと思っている。語学の教科書は旅行案内ではないのだ。そもそも今はその手の異国情緒などインターネットでいくらでも見られる。語学の授業なんかで富士山の写真を見ている暇があったら「現代」と「原題」のアクセントの区別でも練習した方がいい。実際文法規則だろ発音だろ語学そのものでついて来られない者に限ってやたらと日本の正月とかキモノとかそういうことばかり知りたがる。語学そのものができないのに、いやできないからこそ言語外の情緒や憧れにしがみ付いて勉強した気にだけはなりたいのである。これは一種の自己欺瞞だ。私自身が昔よくこの欺瞞をやって語学から逃げていたからよくわかる。問題はそれが自己欺瞞であることにいつ気づくかである。

ここまでエキゾチック・ジャパンを強調する必要があるのか非常に疑問。
Japanisch_1

Japanisch_2

 さらに最近のドイツ語の教科書を見る機会があったが、これも上の日本語路線で総天然色。私のころと比べて隔世の感がある。私だったらこんな絵本みたいな教科書を見せられたらむしろ勉強する気が失せるかもしれない。
Deutsch_1

 しかし比べてみると同じ色つきでも上のロシア語の教科書と日本語・ドイツ語のとでは中身というかコンセプトそのものに違いがあることに気づく。ロシア語の教科書はまあ古い時代のものであるが、挿絵や表紙は派手で会話のテープ(CDやアプリでなくテープである!)がついていたりしても構成そのものは白黒のクロアチア語とさほど変わらない。文法説明があり、会話のパターンがあり、その後チョチョッとその練習をして課を終える。しかしある意味では内容が白黒のとあまり違わないからこそ一層カラー挿絵の無駄さが浮き彫りだ。
 それに比べて時代の下った日本語ドイツ語の学習書では絵が学習内容そのものに組み込まれているのがわかる。まさに上で述べた「絵を見ながらそれを当該言語で描写する練習」になっているわけだ。それなら別に無駄にはなっていないわけだからいいかとも思うが、私の感覚だとその練習部分があまりにもクド過ぎて、後で「文法の説明部分」をちょっと参照しようと思った時などやたらとパラパラ教科書をめくらないと見つからない。その練習課題にしても「楽しく遊びながら学べる」ことを最重要項目にしてあるらしく、クロスワードパズルだろなんだろがあって正直馬鹿にされているとしか思えない。
 語学を始める時は子供にかえったつもりになれとはよく言われることで、もちろんそのこと自体に反対はない。しかし学習者は白黒の無粋な教科書の第一課でdo-bar dan! などと練習させられる時すでに十分自分は子供であると感じているのだ。カラー挿絵やクロスワードでその上さらに子供感覚を強調する必要があるのか?理論物理で理学博士号を持っているが今度ドイツの大学にくることになったのでドイツ語もやっておきたい、という人に対してもこんな教科書をやらせるつもりか?教わる側は全員がその手の「遊びながら楽しく学べる○○語」の類の授業を望んでいるのか?またそういう授業はガチガチの授業に比べて万人に本当に効果的なのか?いろいろ考えてしまう。
 例えば講師は学習者を飽きさせないように30分ごとに授業形式を変えろと言われる。30分対面形式で授業をやったら形式を変え、グループ学習と称して学習者を分け、その中で学習者同士で会話の練習をさせる。その、「隣の人と会話をしてみましょう」という練習のパターン会話が教科書に書いてある。
 古い奴だと思われそうだが、実は私はこの「グループ学習」というのが大嫌いだ。学習者というのはつまり私と同レベルのヘタクソである。その自分レベルのヘタクソなんかと会話するなんて真っ平だ。向こうだってそう思っているはず。対話をするなら是非ネイティブ、つまり講師と練習させてもらいたい。そのための講師ではないのか?

 私はこういうクドい教科書・楽しい教科書は教わる側のためというより教える側をマニュアル化・規格化するためなのだろうと思えてならない。それが証拠に最近の教科書には必ずと言っていいほど「教師の皆様」に向けたアンチョコというか指導法マニュアルがついている。これこれの練習は学習者にこういう練習をさせ、こういうことをマスターさせるためのものです。教師側はその際これこれこういう教えかたをしてください、と詳しく「教科書使用法」が書いてある。その使用法に従ってやれば誰でも日本語やドイツ語が教えられますというわけだ。
 しかしその「教授法マニュアル」というのは市販されているから、学習者側も買えてしまうのである。もっともドイツ語の教科書は使用マニュアルもドイツ語だからまだいい。理屈としては現在そのドイツ語の初歩をやっている学習者が講師用マニュアルなど理解できないだろうから裏がバレる恐れはないが、日本語教育のマニュアルは日本語でなくドイツ語で書いてある。下手をすると講師より学習者の方に通じてしまうのではないだろうか。つまり教える側の手の内が教えられる側に丸見えになる可能性があるのだが、これで学習者はドッチラケないのだろうか?

 そのマニュアル教科書執筆者がさかんにいう。「文法なんて忘れさせなさい。Guten Tagという挨拶を覚える際、これが対格だなんて普通考えますか?語学の授業は言語学者じゃない、unverbildetな学習者のためにあるのです。また自分で説明などあまりしないで市販の教科書に素直に従いなさい。これらの教科書は経験のある言語学者が皆で執筆したもの。これに従っていれば安心です」。unverbildetというのは「学問をしたせいで駄目になったりしていない」という意味である。一瞬、語学屋が言語学専攻者に喧嘩を売っているのかと思うが、こういうことを言っている執筆者自身言語学者なのだからこの発言には裏がありそうだ。
 裏の一は、上でも書いたようにこの種の教科書が「ただネイティブというだけの人にも教えられるように」考案されたマニュアルであるということだ。そんな人に下手にいいかげんな文法説明をされたら困る、知らない事には口をつぐんでいなさい、というまあいわば素人に対する牽制。学習者でなく講師への牽制である。その際講師に「言語学をやってないあんたは所詮素人だから黙って私たちの指示に従え」などとあまり露骨に言ってしまうと相手が怒るから学習者のほうをunverbildetと呼ぶことで間接的に「私たち言語学者はverbildetでございます、余計な知識があって頭でっかちである」と暗示して卑下し語学教師に対して言語学者には抱いている人もいる内心の優越感を隠している。
 裏の二は一の点ともつながるが、最近の語学教授法では実際に理論→実践という昔のやり方はとられなくなって子供が第一言語を獲得するプロセスを真似るようになっていること。当該言語をまず理解するより、使ってみるほうを参考させ理論のほうは自分の内部で構築してもらう方式になってきていることだ。言語発達は心理言語学の分野で抽象度の高い理論が展開されている分野である。ポッと出のネイティブ語学教師なんかはあまりシャシャリ出ないで学者のいう事を素直に聞いていた方が無難といえば無難なのだ。
 裏の三は「文法」という観念である。『34.言語学と語学の違い』でも述べたように言語学で言う文法は記述文法である。ところが普通の学習者にとって文法というとまず規範文法が頭にあるだろう。小説家などにも文法=規範という捉え方をしている人が大勢いる。「文法を間違える」などという言い方をするのがそのいい証拠である。言語学者側もそのことは承知している。だから言語学者が学習者に「文法を気にするな」という時、それは「規範文法を気にするな」という意味なのである。普通の学習者や小説家はそもそも「記述文法」という観念を持たないのでそれでいいが、時々「文法なんて忘れろ」というのをマに受けすぎて言語学で言う記述文法的な文法観念まで「忘れろ」を拡大解釈してしまう人がいるから怖い。「言語には構造がある」という事実まで無視してしまうのである。彼らは「文法(言語の構造)なんて気にすることはない。とにかく単語を勝手にバラバラ発音して通じればいいんだ。これが本当の実践語学だ。とにかく勇気を持つことだ」と、言語の構造を無視して突進する。そして永久にブロークンレベル以上の言葉を話せるようにはならない。こういう本質的な誤解をする人は結構多い。

 さて、これらの裏、特に第二点に注目しつつ上記の日本語の教科書を見てみるとその効果にさらに疑問が湧いてくる。同じような構成のドイツ語の教科書と一つ決定的な違いがあるからだ。ドイツ語のほうはメタ言語というか説明する言語もドイツ語である。そしてこの教科書は現地で毎日毎日数時間勉強する集中的な授業形式を念頭に置いているものだ。学習の言語環境は実際に子供が第一言語を獲得する時のものと近い。すでに周りに当該言語が溢れているところをちょっとプッシュしてやろうというもの。上でコキ降ろしてはしまったが、これならば確かに理論物理学者に対しても有効かもしれない。
 日本語の教科書はそういう「擬似第一言語獲得方式」をなぞってはいるが、言語環境が全く違う。ドイツではあらゆる道端で日本語が聞こえてくるなどということはないし、授業も週に3回一コマずつというのならまだいいほう、下手をすると週に一コマというスッカスカな形式だ。そんな密度の学習環境でクロスワードパズルなんてやっても、遊びながら「学ぶ」ことなどできまい。遊んで終わりである。またドイツ語の教科書は説明もドイツ語だからさらに擬似ネイティブ性が強化されているが、日本語のは説明の方がドイツ語なのでスカスカ性のほうがアップしている。TPOを無視して安易にドイツ語の教科書を真似たのではないか、と思えてならない。

 もしかしたらこのように教科書をランダムに比較するのはフェアではないのかも知れない。いろいろな教科書の構成や挿絵の挿入具合の違いは昔と今の差ではなくて想定された学習者、大学対一般という差なのかもしれない。事実こちらの大学の外国語学部などではprinted in Japanの古典的な構成の教科書を使っている場合が多い。しかし一方そういう、大学で使っている教科書でもイラストが入り、無駄に高いカラー印刷になっていたりするのだから、やはりこれはある程度時代の流れなのだろう。
 私個人は、当該言語が話されていない地域で語学をやるにはある程度咀嚼困難でも「文法」を重点にして言語構造の骨組みをしっかり立て、その後の肉付けは現地に行って各自やってください、という古い方式のほうがむしろ効果的なような気がするのだが、実際どうなのだろうか?

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