アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:母語

 しばらく前に何かのドキュメンタリー番組でドイツのお巡りさんが一人紹介されていた。このお巡りさんは子供の頃両親に連れられてペルーから移住してきたので、ドイツ語とスペイン語のバイリンガルだそうだ。
 ある晩、同僚と二人組みでフランクフルトの中央駅周辺をパトロールしていたら、不案内そうな外国人が(たどたどしい)ドイツ語で道を尋ねて来た。そのお巡りさんは即座にそのドイツ語がスペイン語訛であることを見抜いてすぐスペイン語に切り替え、

「お客さん(違)、ひょっとしてスペイン語話すんじゃないですか?」

突然ドイツのお巡りさんから母語でそう話しかけられた時のその外国人の嬉しそうな顔といったら!
 その後の会話はスペイン語だったのでTVではドイツ語字幕が入った。

「そそそ、そうですよ。お巡りさん、スペイン語話すんですか?」
「話すも何も、母語ですよ。私はもともとペルーの出でね。そちらは?」
「えーっ、ラテンアメリカなの?! 私エクアドルですよー」
「えーっ、じゃあ、隣りじゃないですか」

ここで二人はポンポン肩を叩き合う。

「すごいなあ、ペルーから来てドイツ人になって公職に付く事なんて出来るんですか。」
「んなものは、出来ますよ、普通にやってれば。ところでここら辺は危ないし、道違うから早くあっちに行った方がいいですよ。」

その外国人が後ろを振り返り振り返り向こうに行ってしまうと、お巡りさんは隣の同僚と普通にドイツ語で話始めた。スペイン出身だとか親がスペイン人だからドイツ語とのバイリンガル、という人は時々見かけるが、ペルーからの移民というのはたしかにちょっと珍しい。

 そういえば、姉が中国現代文学の翻訳をしているのだが、その姉が以前送ってくれた雑誌に載っていた中国の短編の一つがこういう話だった: 中国吉林省出身の若者、つまり朝鮮民族の中国人が韓国に出稼ぎに来て休日に「とても気さくで親切な」老人と会い、話がはずんだ。老人の韓国語にどうも訛があるな、と思ったら韓国に住んでいる日本人だった。老人の方も老人の方で、この人の韓国語はどうも韓国の韓国人と違うな、と思っていたら中国出身だった。

 こういうちょっとした話が私は好きだ。

 ところで、「バイリンガル」という言葉をやたらと安直に使う人がいるが、実は何をもってバイリンガルと定義するか、というのは結構むずかしいのだ。「母語が二つある人」、つまり両方の言語を言語獲得年齢期にものにした人、と把握されることが多いが、大抵どちらかの言語が優勢で、完全にバランスの取れたバイリンガルというのはむしろ稀だ。たとえ子供のころにある言語を第一言語として獲得してもその後失ってしまった場合、その人はバイリンガルなのかモノリンガルなのか。いずれにせよ、単に「二言語話せる」程度の人などとてもバイリンガルではない。「俺は学校で英語を習ってしゃべれるからバイリンガル」と言っていた人がいるが、どんなにペラペラでも母語が固まってから学校などで習った言語は母語ではないからこの人は立派なモノリンガルなのではないか。
 私は簡単に「バイリンガル」という言葉を使われると強烈な違和感を感じるのだが、これは私だけの感覚ではない。知り合いにも生涯の半分(以上)を外国で過ごし、日常生活をすべて非日本語で送り、お子さんたちとも母語が違う人が結構いるが、その方たちも口を揃えて「私はバイリンガルとは程遠い」と言う。これが正常な言語感覚だと思うのだが。

 そもそも「何語が母語か」「何語を話すか」という問い自体が本当はすごく重いはずだ。例えばカタロニア語を母語とする人はスペイン語とのバイリンガルである場合がほとんどだが、「母語はスペイン語でなくあくまでカタロニア語」というアイデンティティを守りたがる人を見かける。以前もドイツのTV局の報道番組でバルセロナの人がインタビューされていたのだが、「スペイン語を使うくらいならドイツ語で話そう」といってレポーターに対して頑強にタドタドしいドイツ語で押し通していた。その人はスペイン語も母語なのにだ。
 かなり前の話になるが、私も大学のドイツ語クラスでバルセロナから来た学生といっしょになったことがあるが、この人は「どこから来たのか」という質問に唯の一度も「スペインです」とは答えず、常に「バルセロナです」と応答していた。「ああスペインですね」といわれると「いいえ、バルセロナです」と訂正さえしていたほどだ。
 さらに私が昔ロシア語を習った先生の一人がボルガ・ドイツ人で、ロシア語とドイツ語のバイリンガルだったが、「スターリン時代はドイツ語話者は徹底的に弾圧された。『一言でもドイツ語をしゃべってみろ、強制収容所に送ってやる』と脅された」と言っていた。スターリンなら本当にそういうことをやっていたのではないだろうか。
 つまり「バイリンガルであること」が命にかかわってくることだってあるのだ。

 言語というのは本来そのくらい重いものだと私は思っている。安易に「私は○○弁と共通語のバイリンガル」などとヘラヘラふざけている人を見ると正直ちょっと待てと思う。「方言」か「別言語」かは政治や民族のアイデンティティに関わってくる極めてデリケートな問題だからだ。逆にすぐ「○○語は××語の方言」という類のことをいいだすのも危険だ。
 これもまたカタロニア語がらみの話だが、あるとき授業中に「カタロニア語?スペイン語の方言じゃないんですか?」と堂々と言い放ったドイツ人の学生がいて、周り中に失笑が沸いた。ところが運悪く教室内にカタロニアから来た学生(上の人とは別の人である)がいたからたまらない。自分の誇り高い母語をノー天気な外部者に方言呼ばわりされたその人はものすごい顔をして発言者を睨みつけた。一瞬のことだったが、私は見てしまったのである。

 別に私はカタロニア語の回し者ではないが、やはり「スペイン語」という名称は不適当だと思っている。自分でも「スペイン語」という通称を使ってはいるが、これは本来「カスティーリャ語」というべきだろう。さらに、「カシューブ語はポーランド語の方言」、「アフリカーンス語はオランダ語の一変種」とかいわれると、全く自分とは関係がないことなのに腹が立つ。もちろん私如きにムカつかれても痛くも痒くもないだろうが、そういう人はいちどバルセロナの人に「カタロニア語はスペイン語の方言」、ベオグラードのど真ん中で「セルビア語はクロアチア語の方言」と大声で言ってみるといい。いいキモ試しになるのではないだろうか。


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 『16.一寸の虫にも五分の魂』の項でも述べたように私はアイザック・アシモフの自伝がとても面白いと思っている。例えば氏の家庭内言語についての述べられている箇所。氏のご両親はロシアの出身だったが、母語はイディッシュ語だったそうだ。ロシア語も出来たはずだとアシモフ氏は言っているが、自分では両親がロシア語を話すのを一度も見た、というか聞いたことがないと書いている。
 アシモフ氏自身は3歳の時にアメリカに渡り、言語は英語とイディッシュ語のバイリンガルだが、優勢言語は英語だった。面白いのはここからで、氏の妹さんはイディッシュ語はわずかに理解することは出来るが話せなかった、9歳下の弟さんに至っては完全に英語のモノリンガルでイディッシュ語を理解することさえ出来ないそうだ。つまり家庭内レベルでイディッシュ語から英語への言語変換が起こっているわけだ。
 移民の家庭などはこのパターンが多く、子供たちはたいてい現地の言語が優勢言語なのでそれがあまりできない両親に通訳や文法チェックプログラムや辞書代わりにコキ使われたりしている。もっとも「WORDの文法チェック代わり・グーグル翻訳代わりに子供をコキ使う」というのは親のほうもある程度現地の言語を習得していないとできない。元の文章がなければチェックして貰うもなにもないからだ。実際何年もその国に住んでいるのにほとんどその言語が話せないという人は決して珍しくない。こうなると子供は通訳というより「手足」あるいは「眼と耳」であり、子供同伴でないと医者にもいけないし、近所の人と立ち話もできないし、それよりTVで映画を見ることができないだろう。本国映画だって現地の言語に吹きかえられているのだから。それともDVDでしか映画を見ないのか?不便だろうなとは思う。

 言語学者のグロータース氏も家庭内言語事情が複雑だったらしい。氏はベルギー出身で家族の全員がフランス語(ワロン語)とオランダ語(フラマン語)のバイリンガルだったそうだが、優勢言語が一人一人微妙に違い、オランダ語優勢のお姉さんにうっかりフランス語でしゃべりかけたりするとムッとされる、また、フランス語が優勢の妹さんでも配偶者がオランダ語話者の人に優勢言語のフランス語で話しかけたりすると、自分の夫がないがしろにされたような気を起こされてやっぱりムッとされる。言語選択には非常に気を使ったそうだ。こういう日常生活を生まれた時から送っていれば、言語というものに敏感にもなるだろう。家庭内どころか、学校でも役所でも一言語だけで用が足りる日本人にはとても太刀打ち出来るような相手ではない。
 このグロータース氏は1980年代だったと思うが、一度専門雑誌の「月刊言語」にインタヴュー記事が載っていたのを覚えている。日本語で聞かれ、日本語での受け答えだったが、氏の発言が全部片仮名で書かれていた。私はなぜ月刊言語ともあろうものがこんなことをするのかわからなかった。普通に平仮名で氏の発言を書けばいいではないか。それとも外国人の話す日本語と日本人の話す日本語を区別したかったのか、氏の発言が日本語であったことを強調するつもりであったのか、いずれにせよベッタリ片仮名で書かれた記事はとても読みにくかった。
 私の知っている教授も、母語はクロアチア語だったがあるとき研究室で話をしていた際、ちょうど娘さんから電話がかかって来たことがある。「電話」である。当時はケータイなどというものはまだなかった。するといままで私とドイツ語でロシア語の話をしていた先生は受話器をとるとやにわにオランダ語で対応を始めたのである。ドイツに来る前はオランダで長く教鞭をとっていたため、お子さんの母語はオランダ語なんだそうだ。溜息が出た。

 もちろんヨーロッパにだってモノリンガルの立派な語学音痴はたくさんいるから「ヨーロッパ人は語学が得意」と一般化することなどできないが、バイリンガルが日本より格段に多いのは事実だ。移民の子供たちも両親の母語がまったくできなくなってしまうのはさすがにまれで、たいていバイリンガルになる。その際優勢言語が個々人で微妙に違っているのは当然だが、本国の言語そのものも両親のと微妙に違ってきてしまうことがある。現地の言語の影響を受けるからだ。私がリアルタイムで見聞きしたそういう例の一つがクロアチア語の「どうしてる、元気かい?」という挨拶だ。本国クロアチア語ではこれを

Kako si?    あるいは
Kako ste?

という。kakoは英語やドイツ語のそれぞれhowとwie、siはコピュラの2人称単数、steは本来2人称複数だが、ドイツ語やフランス語のように敬称である。ロシア語と同じくクロアチア語もコピュラや動詞がしっかりと人称変化するので人称代名詞は省いていい、というより人称代名詞をいちいち入れるとウザくなってむしろ不自然になる。だからこのセンテンスは英語のHow are you?と完全に平行しているのである。
 ところが、ドイツ生まれのクロアチア人にはその「元気かい?」を

Kako ti ide?

という人が非常に多い。これは明らかにドイツ語の「元気かい?」

Wie geht es dir?
how + goes + it + to you/for you

を直訳したもので、tiは人称代名詞tiの与格tebi(ドイツ語のdir、英語の to you)の短縮形(短縮形になると主格と同じ形になるから注意が必要)、 ideは「行く」という意味の動詞 ićiの現在形3人称単数である。ここでもシンタクス上の主語it(ドイツ語のes)は現れないが、構造的に完全にドイツ語と一致しているのである。この表現には両親の世代、いや年が若くても本国クロアチア語しか知らない人、いやそもそもバイリンガルの中にも違和感を持つ人がいる。私のクロアチア語の先生も「最近はね、Kako ti ide?とかいう変なクロアチア語をしゃべる人が多くて嫌になりますが、皆さんはきちんとKako si?と言ってくださいね」とボヤいていた。
 日本語の「会議が持たれます」の類の言い回しにも違和感を持つ人が大分いる。これは英語からの影響だろう。

 バイリンガルといえば、モノリンガルより語学が得意な人が多いというのが私の印象だが(きちんと統計を取ったり調査したりはしてはいない単なる「印象」である。念のため)、これは何故なのか時々考える。以前どこかで誰かが「あなたは記憶力がいいから語学をやれといつも薦めている」という趣旨のアドバイスをしているのを見て「こりゃダメだ」と思った。語学で一番大切なのは記憶力ではない、「母語を一旦忘れる能力、母語から自由になれる能力」である。いったん覚えたことがいつまでも頭から離れない人はずっと日本語に捕らわれて自由になれないから、生涯子音のあとに余計な母音を入れ続け、日本語をそのまま意味不明の英語にし続けるだろう。そういう人はむしろ語学に向いていないのである。母語を通さずに当該外国語の構造をそれ自体として受け入れるという発想ができにくいからだ。
 もちろんバイリンガルも母語にしがみつく人が大半という点では語学音痴のモノリンガルと同じである。が、バイリンガルには母語が二つあり、一方の言語を話しているときはもう一方の言語から自由になっている。言語というものはそれぞれ互いに独立した別構造体系である、ということを身にしみて知っている。だから異言語間の飛躍がうまいのではないか、とそんなことを考えてみたりしている。繰り返すが、これは披験者の脳波を調べて証拠を握ったりしたわけではない、単なる想像だ。

 ところで、こちらで外国人に「どこから来たんですか?」という聞き方する人には教養的に今ひとつな場合がある。気の利いた人は皆「あなたの母語は何ですか?」と聞いてくることが多い。例えば私など見た目は完璧に日中韓だが、旧ソ連かアメリカ出身で母語はロシア語か英語である可能性もなくはないからだ。またクルド人に出身国を聞いてもあまり意味がないし、ベルギーに数万人ほど住んでいるドイツ民族の人を「ベルギー人」と言い切るのも無理がある。教養があって見聞の広い人は「母語」、「所属民族」、「国籍」が本来バラバラであることを実感として知っているが、そうでない人はこの3つを自動的に一緒にしてしまうことが多いわけだ。逆にそれなら人にすぐ出身国を聞いてくる人は皆言葉については無教養とかというと、もちろんそんなことは絶対ないが、私は教養ある人に見せかけたいがために「どこから来たのですか?」という聞き方はせずにいつも母語を訊ねている。が、時々「リンガラ語です」とか「アルーマニア語とアルバニア語のバイリンガルです」とか答えられて、「は?それはどこで話されているんですか?」と結局国を聞いてしまったりしているからまあ私の見せかけの教養程度など所詮そのレベルだということだ。何をいまさらだが。


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 映画の脚本は絵で言うデッサン、建築で言う設計図のようなもので、普通はこれに合わせて配役が決められるのだろうが、時々逆に俳優に合わせて脚本が練られることがある。
 有名なのは『殺しが静かにやって来る』で、主役と決めたジャン・ルイ・トランティニャンが英語ができなかったため、唖という設定でセリフなしになった。もっとも「主役が言葉ができないから唖ということにする」という発想そのものは元々マルチェロ・マストロヤンニが言いだしっぺと聞いた。マストロヤンニがドゥッチョ・テッサリだかミケーレ・ルーポだかに「俺は英語ができないから唖ということにして西部劇の主役にしてくれないか」と話を持ちかけたのだそうだ。そのアイデアがどうしてトランティニャンとセルジオ・コルブッチに回ってきたのかわからないが、さすがマカロニウエスタン、ご都合主義の典型だ。
 コルブッチはこのご都合主義をさらに拡大させて、「なぜ主人公が唖になったのか」という設定にほとんど超自然的な理由をくっつけて論理的に破綻スレスレの脚本にしている。

「主人公は両親を無法者の賞金稼ぎたちに殺されたが、その際「顔を見られた」犯人達が、殺しの目撃者であるこの少年が将来証言することができないように声帯を切り取ってしまった。口封じである。」

 なんだこの無理のありすぎる設定は。第一に口封じしたかったら普通目撃者を殺すだろう。いくら口を利けなくしたって生かしておいて筆談でもされたら一巻の終わりではないか。第二に喉にナイフ入れられたら普通死ぬだろう。声帯は切り取るが死にはしない程度に正確に喉笛を切れるほどの技術があったら、賞金稼ぎなんてやっていないで外科医にでもなったほうが安定した人生が送れるというものだ。
 こんな無理のありすぎる理由をデッチ上げなくても「主人公は生まれたときから口がきけなかったが、そのおかげで両親が殺されるのを目撃した時も叫んだり声をあげたりすることができず、犯人に発見されずに生き残った」、これで十分だと思うのだが。
 その上そこまで無理矢理考え出した「口の利けない主人公」を監督・脚本のコルブッチは映画の中でおちょくっている。ちょっとこの映画を思い出して欲しい。主役のトランティニャンが雪の中で射撃練習に励むシーンがあるが、その音を聞きつけてフランク・ヴォルフ演ずる保安官が駆けつける。そしてトランティニャンに職務質問するが何を聞いても答えない。「そうやって頑強に黙っているつもりなら公務執行妨害で逮捕するぞ」とトランティニャンの襟首を摑んで脅すとヴォネッタ・マッギー演ずる寡婦が横から口を入れる。「保安官。彼は口が利けません。唖なんですよ」。そこでヴォルフ氏はトランティニャンになんと言ったか。「なんだ。それならそれで早く言ってくればよかったのに」。このセリフは完全にギャグである。私といっしょに見ていた者はここで全員ゲラゲラ笑った。

 この監督はいったい何を考えて映画を作っているのか、今ひとつわからない。

 もっともコルブッチばかりでなくセルジオ・レオーネにも「これは脚本のほうが後出しかな」と思える映画があった。『ウェスタン』だ。この映画は当時ヨーロッパで地獄のようにヒットした。レオーネ監督ばかりでなく、その前の『続・夕陽のガンマン』ですでにスター作曲家としての地位を確立していたエンニオ・モリコーネもこの主題曲で駄目押しと言ったらいいか「これでキマリ」といったらいいか、その名前を不動のものにした。『ウエスタン』のあのハーモニカのメロディは今でも四六時中TVなどから聞こえてくる。ギムナジウムの音楽の授業にこれを取り上げた例も知っている。演奏したのではなく、一つ一つは極めて単純なコンポネントを組み合わせて全体としては単なるコンポネントの総和以上の効果を上げている例、とかなんとかいう「話として」、つまり(もちろんギムナジウムのことだから初歩的・原始的なものであるが)音楽理論のテーマとして取り上げたそうだ。
 モリコーネ氏はちょっと前にシュツットガルトでコンサートを開いたが、そこのインタビューに答えて、あまりにあちこちでこの『ウエスタン』のメロディが流されるのでいいかげん聞き飽きているとボヤいたそうだ。作曲者自身が食傷するほど流されるメロディというのも珍しい。『続・夕陽のガンマン』のテーマ曲の方も有名で、以前やはりドイツの記者がインタビューしに出向く際、たまたま乗っていたタクシーの運転手にモリコーネと会うといったら運転手氏がやにわにそのテーマ曲をハミングし出したと記事に書いている。『続・夕陽のガンマン』はテーマ曲のほかにも最後のシーンで流れていたEcstasy of goldをメタリカがコンサートのオープニングに使っているのでこれも皆知っているだろう。映画ではソプラノで歌われていたあの美しい曲がどうやったらヘビメタになるのかと思ってメタリカのコンサート映像をちょっと覗いてみたことがあるが、ぴったりハマっていたので感心した。

 さてその『ウエスタン』だが、ここでクラウディア・カルディナーレ演ずる主人公がニュー・オーリーンズ出身という設定になっていた。どうしてそんな遠いところの地名を唐突に言い立てるのか一瞬あれ?と思ったが、これはひょっとしたらこの設定はカルディナーレに合わせたものではないだろうか。
 
 ニュー・オーリーンズが首都であるルイジアナ州は名前を見ても瞭然であるようにもともとフランス人の入植地で、日本人やアメリカ人が安直に「オーリーンズ」と発音している町は本来「オルレアン」というべきだ。今でもフランス語を使っている住民がいると聞いたが、西部開拓時代はこのフランス語地域がもっと広かったらしい。もしかしたらそのころは英語を話さない(話せない)フランス語住民も相当いたのではないだろうか。
 フランス語そのもののほかにフランス語系クレオール語も広く使われていたらしい。先日さるドキュメンタリー番組で、ルイジアナで最初の黒人と白人の結婚カップルとしてある老夫婦が紹介されていたが(奥さんの方が黒人)、いかに周りの偏見や揶揄と戦ってきたかを語っていく際、奥さんが「私の両親の母語はフランス語クレオールでした」と言っていた。アメリカの黒人にフランス語的な苗字や名前が目立つのも頷ける話だ。

18世紀のアメリカのフランス語地域。ルイジアナからケベックまでつながっている。(ウィキペディアから)
svg

現在(2011年ごろ)の状況。色のついている部分がフランス語(ケイジャンという特殊な方言も含めて)を話す住民がいる地域。ニューオーリーンズそのものはここでマークされていないところが興味深いといえば興味深い。(これもウィキペディア)
French_in_the_United_States

 クラウディア・カルディナーレはイタリア人だと思っている人が多いが、いや確かにイタリア人なのだが、実はチュニジア生まれで母語はフランス語とアラビア語だったそうだ。イタリア映画界に入ったときはロクにイタリア語がしゃべれなかったと聞いた。第一言語がアラビア語であるイタリア人の例は他にも時々耳にする。とにかくそのためかカルディナーレは確かにフランス映画に多く出演している。ジャック・ペランやアラン・ドロンなど、共演者もフランス人が多い。この人は語学が得意ですぐにその「しゃべれなかった」イタリア語も英語も覚えて国際女優にのし上がったが、もしかしたらその英語は聞く人が聞くとはっきりフランス語訛とわかったのかもしれない。それとの整合性をとるため、『ウェスタン』ではニュー・オーリーンズ出身ということにしたのではないか、と私は思っている。
 もし「ニューオーリーンズ出身」ということが最初から脚本にあり、映画の筋にも重要であればカルディナーレでなく本物の(?)フランス人女優を起用したはずである。ところがストーリー上この役は別にニューオーリーンズでなくとも、とにかく「どこか遠いところから来た女性」であれば十分であることに加え、レオーネ自身「他の俳優はアメリカ人にするにしても中心となるこの女性はイタリア人の女優にやらせたかった」と述べているから、「ニューオーリーンズ」はやはりカルディナーレのためにわざわざ考え出された設定と考えていいと思う。
 さらにひょっとすると、アメリカ人にとってもフランス語アクセントの英語はちょっと高級なヨーロッパの香りを漂わせていてむしろ歓迎だったのではないだろうか。カルディナーレのフランス語アクセントをむしろ強調したかったのかも知れない。そういえば『ウエスタン』のパロディ版ともいえるトニーノ・ヴァレリ監督の『ミスター・ノーボディ』では前者の主役俳優ヘンリー・フォンダを再び起用しているが、その役の苗字がボレガール(Beauregard)というフランス語の名前だった。


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 南西ドイツにGという町がある。結構こじんまりしたきれいな町なのだが、場所が辺鄙な上にやたらと小さな町なので、最初内心「なんでこんなところに人が住んでいるんだ」と馬鹿にしていたのだが(まことに申し訳ない)、なんとこの町はローマ帝国がゲルマニア侵略のための要塞として建設した町なんだそうだ。下手なドイツの町よりずっと古い。そこの中央駅(中央駅のくせに無人駅)の近くに池があっていつもアヒルが泳いでいるのだが、ある日私がその池のほとりのベンチに坐ってボーっとしていた時のことだ。

 隣のベンチの周りでどこかのおっちゃんたちが何人か真っ昼間から酔っ払ってワイワイ騒いでいる。そのうち一人がビールのカンを片手に私んとこにやってきてAlles klar?「すべてOKかい?」と話しかけてきた。実は私はそれまでについおっちゃんたちの会話に耳を傾けてしまっていて、その言語がロシア語だと気づいていたので、またしてもよせばいいのにズに乗って(『1.悲惨な戦い』参照)всё ясно(「すべてOKです」)とか答えたら、そのおっちゃんは「へっ、どうしてロシア語がしゃべれるんだい?」とか言いながら私の隣にドッカリと腰を下ろして勝手にしゃべり始めた。互いに「ドイツで何をしているのか、どこから来たのか」という身の上話の展開になったが、私のほうは時々ドイツ語が混じる、というよりドイツ語が主で時々ロシア語が混じるというヘタレロシア語だったのに、おっちゃんは酔っ払っているせいか私が聞き取れなくて馬鹿面をしようが、しゃべれなくて文法を間違えようが委細構わずロシア語でガンガン話を進める。
 しかし、ある意味では酔っている人というのは語学の練習の相手としては最高かもしれない。こちらが間違えても向こうはそもそも間違ったことに気がつかないから、馬鹿にしたり訂正したりしないので気兼ねなくロシア語で話せるし、またこちらがわかっていなくても手加減せずロシア語で来るからヒアリングの練習には最適だ。どうせ明日になれば向こうだって私のことなど忘れているだろうと思えば勇気を持ってというか恥を忘れて話しかけられる。酔って攻撃的になる人は論外だが、相手が気持ちよく酔っ払っているとこっちまで気持ちよく語学の練習が出来るのだ。

 ところがそこでそのおっちゃんが、「ドイツに来る前はバイコヌールで宇宙船の組み立てをしていた」と言い出したので絶句。酔いがいっぺんに冷めた感じだ(私は別に酔ってはいなかったが)。今まで気兼ねなく好き勝手な口を利いていた相手が実は水戸黄門だとわかったときのスッ町人の気分である。私の顔が尊敬の念と驚愕のあまり硬直したのを見て、おっちゃんは私を慰めてくれた。「いやいや、でもエンジニアとか学者じゃなくて単なる組立作業員だよ。でも私の組み立てた宇宙船はちゃんと宇宙に行ってる」。

 そんな人がどうしてGなどという辺鄙な町のアヒルの池のほとりにいるのか?

 東西ドイツが統一し、ソ連が崩壊した時、統一ドイツ政府はソ連領内に残っていたドイツ系住民にほぼ無条件でドイツ国籍を与え、難民としてドイツに迎え入れた。Russlanddeutsche、ロシア・ドイツ人と呼ばれる人たちで、先祖がドイツ人であることを文書で証明できたのである。そのおじさんもドイツ系ロシア人だったのではないだろうか。
 ソ連、あるいはロシア領内へのドイツ人の入植が盛んになったのはもちろんエカテリーナ2世(エカテリーナ2世はドイツ人)の時代からで、ボルガ川流域に多くのドイツ人居住地域ができた。それで彼らは「ボルガ・ドイツ人」と呼ばれた。プーシキンの『スペードの女王』にも(『4.荒野の大学通り』参照)、ドストエフスキーの『悪霊』にもそれぞれゲルマン、フォン・レンプケという名前のドイツ人が登場する。先の日露戦争終結時に全権委任されて小村寿太郎と交渉したロシアの政治家もWitte(ウィッテまたはヴィッテ)といってゲルマン語系の姓であるが、調べてみたらヴィッテはボルガ・ドイツ人ではなく、リトアニアの貴族であった。つまりドイツ人が東プロイセンに建てた騎士団領の貴族の子孫ということになる。ボルガ・ドイツ人より由緒のある家の出なのである。
 
 もっともドイツ語系の姓をもったロシア人・ソ連人にはドイツ人ばかりでなく、アシュケナージと呼ばれるユダヤ人が相当いる。
 映画監督のエイゼンシュテインЭйзенштейнも名前からみてもわかるように本来ユダヤ人なのだが先祖はとうにキリスト教正教に改宗しており、エイゼンシュテイン自身も自分をユダヤ人とは思っていなかったようだ。それに対して詩人のマンデルシュタームМандельщтамはアイデンティテイの面でもユダヤ人でワルシャワの生まれである。どちらもドイツではもとのドイツ語綴りにもどしてそれぞれEisenstein、 Mandelstamと書く。ロシア語を忠実にドイツ語に写していればsでなくschと書いていたはずだ。エイゼンシュテインは発音もドイツ語読みにされてアイゼンシュタイン。
 さらに演出家のメイエルホリドМейерхольдの名前ももとはMeyerholdというドイツ語で、ドイツではマイヤーホルトと呼ばれる。この人はアシュケナージではなくドイツ人でボルガ領域の町ペンザの出身である。本当の名前はМейерхольд でなくМайергольдといったそうだが、これはドイツ語や英語の h は普通ロシア語ではг (g)で写し取る(『4.荒野の大学通り』参照)からである。最近は h を г でなく х (ドイツ語の ch)と書くことが多いと教えてくれた人がいた。でもメイエルホリドなんてあまり「最近の人」ではないような気がするのだが。

 それより面白いのがMeyerhold→Мейерхольдと、ドイツ語の l がロシア語では ль、口蓋化音の l で表されていることだ。ドイツ人の名前で l が子音の前に立ったり語末に来たりするとロシア語では必ず ль になる。現首相の名メルケルMerkelはロシア語で書くとМеркельだし、ソユーズにも乗ったドイツ人の飛行士メルボルトMerboldの胸にもМербольдという名札がかかっているのを見た。時期的に一致しているからアヒルの池のほとりのおじさんはひょっとしたらメルボルト宇宙飛行士とバイコヌールで会っていたかもしれない。また地名もそうで、ハイデルベルクHeidelbergはГейдельберг、オルデンブルクOldenburgはОльденбург。
 ロシア人は l に関して「口蓋化・非口蓋化」の区別に非常に敏感で、以前ロシア語の授業でもドイツ人の学生がбыл(ブィル、「~だった」)というとロシア人にはбыль(ブィーリ、「実話」)に聞こえるらしく、何回もやり直しさせられていた。しかしドイツ人は単に発音できないのではなくてそもそもそれらの音の違いが感知できない、つまりどちらの音も同じに聞こえるわけだから、いくらロシア人が発音して聞かせてやっても無駄なのである。超音波が聞こえるコウモリ男が私にいくら「こんなものも聞き取れないのか、根性を出してもっとよく聞いてみろ」と言ったって無理なのと同じだ。さらにドイツ人には「箸」と「橋」、「お菓子」と「お貸し」と「岡氏」の区別が全くできない人がいる。私めがありがたくも高貴な東京型アクセントを聞かせてやっても、「全部同じに聞こえる」「高さの違いが全くわからない」。だから「あなたは昨日何をしましたか?」が「あなたは昨日ナニをしましたか?」という卑猥な質問に変形してしまうのである。もっともこの「ナニ」については双方同じ人間だから聴覚器官そのものは共通なわけで、訓練すれば区別できるようになる点がコウモリ男の超音波とは違うが。

 話が逸れたが、そのロシア語の先生によると当時ドイツで人気のあったオランダ人のTVコメンテーターが発音する l はまさににロシア語の硬音(非口蓋音)の л だから彼女の発音を真似しなさい、とのことであった。実際ドイツ語と違ってオランダ語の名前では l が軟音(口蓋化音)の ль でなく、 л で写し取られるのが普通である。ドイツ語の名前と比べてみて欲しい。

人名
Joost van den Vondel → Йост ван ден Бондел
Johan van Oldenbarnevelt → Йохан ван Олденбарневелт

地名
Tilburg → Тилбург
Almere → Алмере
Helmond → Хелмонт

BondelやOldenbarneveltという名前では l の現れる環境がそれぞれ上に挙げたドイツ語のMerkel 、Oldenburg、 Merboldとそっくりなのに硬音の л で表されている。稀にオランダ語の名前が軟音 ль になっていた例も見たが、全体としてはロシア語の先生の言ったとおりだ。ただ、これが本当にオランダ語の名前をロシア人が耳で聞いてキリル文字に写し取ったからなのか、単にドイツ語・ロシア語間の文字化の仕方がロシア語・オランダ語間のと慣習によって違った風になっているだけなのかはわからない。

 さて、そのボルガ・ドイツ人だが、第二次世界大戦時にはスターリンからスパイの疑いをかけられ、本国ドイツ人と接触することができないように中央アジア、特にカザフスタンに強制移住させられた。「ドイツ語を一言でもしゃべってみろ。シベリアの強制労働キャンプに送り込んでやる、銃殺してやる」とはっきり脅された、と知り合いから聞いたことがある。その人もロシア語が母語のドイツ人でカザフスタンからドイツに「帰国」してきた人だった。カザフスタン出身のドイツ人の知り合いはその他にも何人かいる。
 それらの「帰国ドイツ人」も二世代目になるとバイリンガルであることが多いが、ロシア・ドイツ人の人口が百万の単位、つまり大勢いることに加えてロシア・ドイツ人同士のつながりも密なので、ロシア語は比較的よく保たれている。今後もそう簡単にはドイツ語に完全移行はしないだろう。私の個人的な希望的憶測ではあるが。


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 うちではARTEというストラスブールに本拠がある独・仏二ヶ国語のTV放送局の番組が入るのだが、そこでJ.L.トランティニャンについてのドキュメンタリー番組を流してくれたことがある。私にとってはちょっと夜遅い時間だった。
 最初「年取ったなあ、この人も」とか思いながら眠い眼をこすりこすり見ていたのだが、氏が「パリの俳優養成所に進学したが、いつまでも南フランスのアクセントがとれなかったこともあって最初教官からは常に見込みがないという評価を受けていた」というフレーズでパッチリ目が覚めてしまった。つまりこの人の母語は俗に言う(正式にもそういう)オクシタン語(またはオック語)ということか、フランス語はL2だったのか、と気になったからだ。
 調べてみたら、トランティニャンはVaucluse県のPiolencという町の生まれで、学校時代は同県南部のAvignonで過ごし、パリに出てきたのはやっと20歳、つまり母語が完全に固まってからである。 
地図を見るとわかるが、トランティニャン氏はオクシタン語地域で生まれ育っている。
Vaucluse県:(ウィキペディアから)
svg

オクシタン語地域:(これもウィキペディアから)
Occitania_blanck_map

 このオクシタン語はすでにダンテが「フランス語とは全く別言語」であることを見抜いている。フランス政府はこの言語がフランス語でないことを(まだ)公式に認めてはいないが、カタロニアでは公式言語、イタリアでは公式に少数言語として認められているそうだ。
 私が日本で学生だった頃は「フランス人(移民とか後から来た人ではなく土着のフランス国民)でフランス語を母語としない者は全体の25%」といわれていたが、先日ちょっと言語学事典でしらべてみたら、オクシタン語を自由に話せる者は300万人ほど、1200万人ほどがPassiveな話者、つまり「聞いて理解できる」そうだ。相当減ってきている。しかし20世紀の初頭までは結構普通に話されていたそうだから、1930年生まれのトランティニャンはこの言語で育ったのかもしれない。ただ当地でも公用語はフランス語だから、もちろんバイリンガルではあったのだろうが。それともオクシタン語の方が優勢言語だったのか?職業上の言語が完全にフランス語になったあとも日常ではオクシタン語を話していたのか?そういうことを番組で報道してくれなかったのが残念だ。
 トランティニャンはそのL2フランス語で俳優業だけでなく、詩の朗読などの文化活動もしているそうだ。ジャック・プレヴェールの詩を朗読している姿が映されていた。文学・文化音痴の私だが、ジャック・プレヴェールの名前だけはかろうじてというか偶然知っていた。一つ彼の詩を覚えている:一人の男が恋人に送るために花市場でバラを買い、金物市場で重い鎖を買った。というストーリー(?)だった。なぜ「重い鎖」なんだ?と私がいぶかっていたらラストが

「それから奴隷の市場に行きました。恋人よ、君を探しに。でも君は見つからなかった」

というものでドキリとした。原文はこれだ。

Pour toi, mon amour

Je suis allé au marché aux oiseaux
Et j'ai acheté des oiseaux
Pour toi
Mon amour

Je suis allé au marché aux fleurs
Et j'ai acheté des fleurs
Pour toi
Mon amour

Je suis allé au marché à la ferraille
Et j'ai acheté des chaînes
De lourdes chaînes
Pour toi
Mon amour

Et je suis allé au marché aux esclaves
Et je t'ai cherchée
Mais je ne t'ai pas trouvée
Mon amour

(Jacques Prévert, Paroles, Éditions Gallimard, 1949, p. 41から引用)

トランティニャンがこれを朗読したのかどうかは知らないが。

 話を戻すが、上述のようにフランスは中央権威主義的な言語政策をとっていることで有名で、国内の土着の少数言語の保護に余り熱心ではなく、例のヨーロッパ言語憲章にも批准はおろか署名さえしていない。アカデミー・フランセーズはすでに1635年に創立されているから、フランスの中央集権的な言語政策は長い伝統があるのだ。一方だからといって積極的に少数言語の撲滅を図ったりしているわけではないから、土着の民族に英語を押し付け、うっかり自分たちの言葉を話した者の口に石鹸を押し込んだり(オーストラリア政府はアボリジニに対してこれをやった)、その土地の言葉をしゃべった生徒の首に方言札をかけて晒し者にしたり(日本人が沖縄の人に対してやった)、民族の言葉を口にしたらスパイと見なしてシベリアに送ったり(スターリンがボルガ・ドイツ人をそう言って威した。『44.母語の重み』参照)した国なんかとは同列に論じることはできない。
 もっともソ連にしても、スターリンの言動とは別に表向きの言語政策そのものは少数民族の言語にむしろ寛容だったと聞いている。特にソ連邦の初期、1920年代には、国歌にもあるようにДружба народов(ドゥルージバ・ナローダフ、「民族間の友情」)を旗印に(だけは)していたから、ロマニ語さえ保護の対象になっていたようだ(『36.007・ロシアより愛をこめて』参照)。フランスと同様、その中央主義的な言語政策の目的は国家言語を「押し付ける」ことではなくあくまで「普及させる」ことにあったようだ。土着の言語の撲滅ではなく、バイリンガルを目的としていたのだろう。

 外国人の語学学習者からすると、この中央主義的あるいは権威主義的な言語政策はむしろありがたい面もあるのだ。規範ががっちり決まっているからである。そういえば私がこちらでロシア語を学んだ時は教師から教科書からまだソビエト連邦の残滓が完全に残っていたが、まず文法だろなんだろに入る前に発音練習をさせられた。特にアクセントのない o を[ʌ]または[ə]で発音するように(『6.他人の血』『33.サインはV』参照)徹底的に仕込まれた。これはモスクワの発音である。これに対してドイツ語は地方分散性が強いから、学習者が舌先の[r]を口蓋垂の[ʀ]に矯正させられたりはしない。方言にも寛容で、TVのインタビューなどでも堂々と丸出し言葉をしゃべっているドイツ人を見かける。時とするとその、ドイツ人がしゃべっているドイツ語に標準ドイツ語の字幕がつく。実は私の住んでいる町で一度全国放送のドキュメンタリー番組が撮られたことがあるのだが、番組に登場する地元の人たちの発話にはすべて字幕がつけられていた。うちは皆ヨソ者なのでまあ標準ドイツ語話者だが、一瞬「げっ、これは恥かしい」と思ってしまった。しかし自分の話す言葉に標準語の字幕をつけられると恥かしい、という発想そのものが言語権威主義に染まっているいい証拠かもしれない、考えてみれば恥かしいことなど何もないのだとも思うが、ドイツ人の知り合いにこの話をしたらその人もやっぱり開口一番「うえー、それは恥ずかしい」と絶叫していたからまあ私だけが特に権威主義思想に侵されているわけでもないらしい。スイスのドイツ語だと字幕では間に合わず、吹き替えされることがある。フランス語などではこういうことはあまりないのではないだろうか。
 実はドイツ語にドイツ語の字幕をつけられるのは方言の話者ばかりではない。外国人が「字幕の刑」に処せられることもある。これもいつかTVで見た光景だが、さるアジア人の男性がインタビューに答えてドイツ語で受け答えしていたが、その発音があまりに悲惨だったためか、局のほうで「これはドイツ語としては通じまい」と判断されたらしく、字幕を出されていた。男性本人はドイツ語のつもりでしゃべっていたのだろうが、その得意げな(失礼)表情と字幕という現実との間の差に、見ているこちらのほうがいたたまれなくなった。局側としては、向こうが気持ちよく話しているのをやめさせては気の毒だから、それがドイツ人に通じるように手助けしたつもりなのだろうが、外国人・非母語者に対しては何か他にやりようがあるのではないだろうか。ネイティブ・スピーカーが字幕をつけられたのは見ても笑っていられるが、外国人が対象だと全然笑えない。


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 『111.方言か独立言語か』の項でも述べたように私は琉球語は独立言語だと思っている。古くはチェンバレンあたりがその立場だったと聞いたが、これは単純に氏が論文を英語で書いたからそう見えただけかもしれない。ドイツ語でも英語でも言語名称には形容詞を使うので○○語と○○方言とが表現上区別されないことがあるからだ。例えばザクセン方言はSächsischドイツ語はDeutschでどちらも形容詞が語源。形の上では同じである。
 しかしだからと言って琉球語を日本の方言とみなす立場の方が論拠で勝っているかというとそうではない、負けそうなのはむしろ方言組のほうだろう。「研究が進むにつれて琉球語と日本語間の音韻対応が印欧語レベルではっきりと確認され、日本語と同系であることがわかってきたので方言とみなすようになった」と説明してあるのを見かけた。まさかこれを真面目に方言説の根拠にしている人がいるとは思えないが、言語Aと言語Bが同源だからといって方言とみなしていいのなら「ドイツ語はヒンディー語の方言」という見方だって成り立つはずだ。

 琉球語は3母音体系であること、動詞・形容詞の活用・曲用が現在の日本語と著しく違うこと(連体形と終止形では形が異なる)、いわゆる古代のP音を未だに残していることなど構造そのものが十分日本語と離れている上、12世紀までにすでに独立言語として独自の発展をとげていたのをさらに1429年首里王国が統一して「標準語」まで持っていた。島津がドカドカ侵略して来た1609年以降も言語的統一性は崩れず、明治政府が1878年の琉球処分で日本に併合するまでの450年間、れっきとした一つの言語社会であったことなど考えても立派な独立言語である。明治政府が方言扱いして日本語を押し付ける言語政策をとったため、琉球語は衰退の道を辿った。『54.言語学者とヒューマニズム』でも述べたが、愚かな全体主義政府は言語学者の天敵である。ユネスコが2009年に発表した消滅の危機にある言語の調査では、八重山語、与那国語を「深刻な消滅の危険」、沖縄語、宮古語、奄美語、八丈語などを「危険」にある独立言語として分類しているそうだ。
 少し古い資料だが、加治工真市氏の『首里方言入門』(これはもちろん日本語首里方言という意味ではなく琉球語首里方言ということである)、野原三義氏の『琉球語初級会話』という論文をのぞいてみると、琉球標準語というのはだいたい以下のような言語である。下に日本語訳をつける。

ディッカ マヂュン ユマ
「さあ、いっしょに読もう」

あレー ユドーシガ やー ヤユマニ
「彼は読んでいるが、君は読まないか。」
*このヤユマニという動詞形は暗に「読んだほうがいいよ」という薦めの意味がある。また「あ」と「や」だけ平仮名で書き分けてあるのはこれが声門閉鎖を伴うからである。下記参照。

初級会話
ヤーヤ ンジ チイ
「お前は行ってきたか?」
マーカイヨー
「どこへだ?」
チヌー タヌデータシェー
「昨日頼んであったよ。」
ヌー ヤタガヤー
「何だったっけ」
トゥナインカイ ウリ ムッチ イキヨーンディ イチェータノー アラニ
「隣にそれ持って行けよと言ってあったじゃないか。」
ンチャ アン ヤタサヤー
「ああ、そうだったなあ」

 私はこの世界で日本語のたった一人の「親戚」である琉球語に絶対消滅してほしくない。是が非でも存続してさらに発展していってほしい。琉球語を保持していくにはどうしたらいいのか考えた。もちろんこれらはあくまで言語のことだけを考慮したもので、日本人の都合なんかはどうでもいいことはもちろんだが(とか言っている私も一応純粋なヤマト民族である)、現地の人の意向さえ無視した私個人の超勝手なシミュレーションである。いつものことながら無責任で申し訳ない。

 まず、言語存続のためには、日本とくっついているのが一番よくない。最大の理由は琉球語と日本語が下手に似ている、ということである。隣に同系の強力言語があると当該言語がそれに吸収されてしまう危険が常にあるからだ。だからたとえばカタロニア語のほうがバスク語よりカスティーリャ語に抵抗するために要するエネルギーは大きい。また少数言語側ばかりでなく、多数言語の側にも相当な努力がいる。スペイン語側もうっかりカタロニア語を方言扱いなどしてしまわないよう、常にリスペクトを持ち、気をひきしめていないといけない。少数言語についての感覚が超鈍感な日本政府なんかにそういう微妙な言語政策ができるとは思えない。万が一政府にその意志があっても一般の日本人からまた「なんで沖縄語ダケー。つくば市の方言も独立言語として認めろヨー」とかいう類のトンチンカンなイチャモンがついたりするのではないかという懸念がなくならない。
 ではといって沖縄をデンマークのフェロー諸島のように言語的差異に注目して「自治領」として認める、つまり金は出すが口は出さないことにする、などという技量が日本人にあるだろうか。
 言語を衰退させないために必要な措置とは何か。まず、当該言語が公用語として機能することだ。具体的に言うと学校で当該言語による授業が行われ、法廷でもその言語で裁判をする、ということである。書き言葉の存在も必須である。さらにその言語で文化活動が行われればなおいい。つまり少なくとも中学まで、できれば大学の授業も首里語で行い、米兵が当地で暴行すれば裁判は首里語で行う。義務教育の「国語」の時間にはもちろん源氏物語などでなくおもろそうしなど、つまり沖縄文学を習う。俳句・短歌などという外国文学などやらなくてもよろしい。琉歌をやったらいい。
 こんなことを方言札(『106.字幕の刑』参照)などという前科のある日本政府が「国内で」許すだろうか。日本領なんかに留まっていたら琉球語の未来は暗いといっていい。

 だから言語の面だけで見れば琉球が日本から独立するのが一番いいのである。が、そうなると通貨や経済問題など難しい部分もでてくる。それが理由でもあろう、現地の声は独立反対が多数派だと聞いた。また、これはヨーロッパでもコソボやマルタで見かける現象だが、小さな地域が独立した場合、やや排他的な氏族社会が政治レベルにまで影響してきてしまうことがある。
 そこで、独立を最良の選択肢としながらも、どこか日本以外の国の領土にしてもらうことが出来ないかどうか見てみると可能性は3つある。

 まず「中国領」で通貨は元。実はこっちの方が日本領よりまだマシなのだ。中国の言語政策が中央集権的なのは日本と同じだが、中国語、つまりマンダリンは琉球語と全く異質の言語だからである。吸収されてしまう危険が日本語より少ない。上で述べたスペイン語に似たカタロニア語の話者が700万人もいるのに今では全員スペイン語とのバイリンガルになってしまっているのに対し、数十万しかいないバスク語には主に老人層とはいえ、いまでもバスク語モノリンガルがいるのがいい例だ。
 ただ、中国政府の少数民族に対する扱いをみているとかなり不安が残る。日本での様に吸収の憂き目は見ないだろうが、そのかわりマンダリンに言語転換してしまう危険があるのではないだろうか。

 次の可能性は、私自身「いくらなんでもそれは…」と思うのだが、アメリカ領である。通貨はドル。中国の場合と同じく、英語という系統の違う言語が共通語なので吸収されてしまう心配は少ない。さらにアメリカは日本よりは少数言語や移民の言語に敏感だし、強力な中央政府支配形式でもないから、中国よりプラス点が多い。問題は、英語という言語が強力過ぎるということだ。たとえ政府に少数言語を保護しようとする意思があっても世界最強言語に琉球語が対抗していくのは難しいだろう。言語転換してしまうのではないだろうか。
 ただ、琉球をきちんと州に昇格させてもらえば独自にある程度有効な言語政策が取れる。基地問題にしても現在のように日本政府を通すから埒が明かないのであって、米国の一員、しかも州として中央政府にノーを突きつければ、今度は米国の法律が琉球市民を守ってくれるだろう。といいが。とにかく日本政府を通すより早いのではないだろうか。
 しかし一方あの過去の歴史の深い溝が簡単に埋まるとは思えない。確かに言語的に見れば日本領や中国領よりメリットがあるが、そのメリットが歴史の溝が埋められるほどのメリットかというと強い疑問が残る。

 そこで第3の可能性を考える。台湾領である。ここはまず第一の条件、つまり公用語が琉球語と十分離れているという条件をクリアしている。さらに国内に少数民族を抱えている点では中国と同じだが、こちらは1990年以降はっきりと少数言語の保護政策を打ち出しており、マレー系言語による学校の授業が行なえるようになっている。また台湾社会は同性婚承認に向けて動き出すなど、むしろ日本より国際社会に対して開かれている。言語政策の点でも日・米・中よりプラス点があるのだ。
 なので私は所属するなら台湾が一番いいと思うのだが、最大の懸念は、琉球が台湾領になると中国が怒り狂うのではないか、ということだ。角が立ちすぎるのである。

 そこでどこにも角の立たない選択肢はないかと探してみたら、あった。言語的にも言語政策的にも最もオススメだが、実現の可能性は残念ながら限りなくゼロに近い選択肢(それで上で述べた「3つの可能性」のうちには入っていない)としてEU領というのはいかがだろうか。
 EUは結構世界中に飛び地を持っている。まずアフリカのマダガスカルとタンザニアの半自治領ザンジバルの間にあるマヨットMayotteという島が、住人の希望によりフランス領、つまりEU領である。南米にある仏領ギアナもやはりフランス・EU領。カリブ海にもサン・マルタンSaint Martinというフランス領の島があり、先日台風に襲われた直後マクロン大統領がお見舞いに来た。これらは通貨もユーロだ。サン・マルタン島の南半分はオランダ領でスィント・マールテンSint Maartenといい、やはり台風の後アレクサンダー国王のお見舞いを受けた。その他にも結構点々とEU領は世界に広がっている。だから琉球もEU領になってしまえばいい、そうすれば私は琉球の人といっしょにEU市民だ。想像するとウキウキしてくる。
 が、残念ながら大きな壁がある。EU直轄領というものが存在しないので畢竟どこかの国に所属するしかない。この国の選択が結構難しいのである。ます、はじめに述べた、フェロー諸島やグリーンランドに自治権を与えているデンマーク。言語政策などの社会そのものはいいとしてもデンマークはユーロを使っていない。だから通貨はクローネということになるだろう。これはちょっと弱かろう。飛び地をいろいろ持っているフランスはユーロが通貨だが、この国は言語政策が中央集権的でいまだにヨーロッパ言語憲章を批准していない点に不安が残る。飛び地の経験もあり、言語憲章の批准もしているオランダは本国はユーロだが飛び地ではまだグルデンを通貨としている。そもそも琉球がオランダ領となる政治的・歴史的根拠がない。もっともそれを言うならEUのどの国にも根拠がないわけで、私としては非常に心残りなのだが、EU領はやはり無理だろう。

 やはり独立しかない。通貨はしばらくの間は円を使わせてもらえるといいが、日本人はダメと言い出しそうだから、アメリカ・台湾・中国と交渉してそのどれかの通貨を使わせてもらうことにすればいいのではないだろうか。

 さてそうやって目出度く日本からオサラバしたら、まず第一に標準琉球語(多分首里語)をきちんと制定してほしい。文字は日本語の片仮名・平仮名を使えばいい。その際日本語にはない弁別性があるから、少し改良して補助記号をマルや点々のほかに考案すればいい。たとえば声門閉鎖のあるなし、有気対無気喉頭でもやはり得弁別的対立があるそうだ。前者は[?ja:]「お前」対[ja:]「家」、後者は[phuni]「骨」対[p?uni]「船」がその例である。これを区別して表記しないといけないが、そんなに難しいことでもないだろう。日本にも国の都合なんかより言語の都合を優先させる非国民な学者がゴマンといるから喜んで協力してくれるだろうし、そもそも琉球側にすでに優秀な言語学者が大勢いるから、この点については全く問題は起こるまい。
 最後に言わずもがなだが、琉球の領土を「首里王国の領土」と規定した場合、奄美大島や喜界島まで入る。だから筋からいえば日本はこれらの島を琉球に返還すべきなのではないだろうか。日本がロシアから北方領土を返還してもらうことには異論がないが、自分たちもきちんと南方領土を返還することだ。

 琉球には世界でも貴重な琉球語を守り、偏狭な氏族社会に陥らず、領土は小さくても日本、アメリカ、中国、韓国、台湾間の力のバランスをとって互角にやりあっていける国際的な貿易国家になってもらいたい。ドイツから観光客がジャンジャン行くように私もこちらで宣伝させていただくから。

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