アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:日本文学

 ドイツの休日はほとんどキリスト教関係のものだが、10月3日は例外でキリスト教とは関係のないまさに国民の休日、「ドイツ統一の日」という祝日だ。 私がドイツに来たころはまだ住所も西ドイツで、この祝日は存在しなかった。

 東西ドイツ統一というと開放された(?)東ドイツが受けた恩恵が話にのぼることが多いが西ドイツにとっても立派に恩恵になっていると思う。一番得をしたのは旧西ドイツのスラブ語学者達かもしれない。 旧東ドイツの大学に備えてある垂涎もののロシア文学・ロシア語言語学の蔵書が自分達のものになったからだ。
 ドイツの大学は全部公立で、当時すでに全国の大学図書館はがっちりネット網で繋がれており、国内の大学のどこか一つにありさえすれば、欲しい本が自分の通っている大学の図書館を通して借りられた。手続きも全部オンラインだったからこちらもわざわざ大学に行ったりせずに自宅からログインして注文できる。本が送られてくるとメールで知らされるから(以前は葉書だった)、受け取るときだけ大学図書館へ出向けばいい。私も学生時代は時々コンスタンツやアーヘン大学など行ったこともない町の大学図書館から運ばれてきた本をM大学の図書館の貸し出し窓口で受け取った。私の時は一冊につき3マルク(後にユーロが導入されたので1ユーロ50セント)の手数料を払ったが、先日聞いてみたら20年以上経過した今でも手数料は1ユーロ50セントだそうだ。

 ついでに言えばドイツの大学は授業料が全部タダだった。私もなんだかんだで10年間くらいM大学にいたが、その間「入学金」の「授業料」のというケチなものはビタ1セント払っていない。一学期ごとに学生組合に80マルクだか90マルクだかを納めただけだ。
 何年か前、財政難を理由としていくつかの州で神聖たるべき大学が授業料などという下賤な金をとる暴挙に出たため、ドイツ中で議論が沸騰した。その授業料も一学期に600ユーロ、7万円という目の玉が飛び出るほどの大金だ。私の住んでいるBW州はドイツで2番目の金持ち州であるにもかかわらず授業料制を導入した一方、隣のRP州は貧乏でいつもピーピー言っているのに「大学はタダ」という原則を貫いた。もっともその金持ちBW州も何年か授業料をとってはいたものの、結局「教育の自由に反する」との批判が州内部からも起こって2年くらい前からまた無料に戻ってしまったが。
 実は授業料の話が持ち上がったのはかなり昔で、私がまだ学生だったころなのだが、一度あまり深く考えずに教室で「だって一学期500ユーロとかそんなもんでしょ?そのくらい払ったらいいじゃん」とうっかり口を滑らしたところ、周りから「君は教育の自由というものをどう考えているんだ」と総スカンを食らって驚いた経験がある。
 
 話がそれたが、その遠隔貸し出し制を利用して何冊か日本文学のロシア語訳を送ってもらったことがある。ソ連の本だ。あの、ソ連製の本特有の変な匂いのする紙の見開きに「ベルリン・フンボルト大学」とか「ドレスデン工科大学」とかいうハンコがボワーンと捺されていてすごい迫力。ドレスデン工科大学に至ってはその隣にбиблиотека №○○(図書館 番号○○)とかロシア語のスタンプがあるのはなぜだ?旧東ドイツでは大学の授業をロシア語でやっていたのか?それともこの本はモスクワ大学あたりから「いらねえやこんなもん」とか言われて東独に払い下げられて来たのだろうか?さすが東ドイツは「クレムリンの娘」とかなんとか呼ばれていただけはあるなとは思った。これらの本が出版された当時というとブレジネフとかチェルネンコ、アンドロポフが元気だったころではないか(中にはあまり元気でない人もいたが)。

 でも気にかかったのは見開きのハンコだけではなかった。内容というか訳そのものに「?」がついてしまったものがあるのだ。
 たとえば、井上靖の『おろしや国酔夢譚』のロシア語訳など、所々本文が一行抜かして訳してあったりするし、極めつけは以下の箇所。何年も何年もロシア国内を漂流しつづけた大黒屋光太夫が宰相ラックスマンの尽力でとうとう時の皇帝エカテリーナ2世に直接謁見して帰国嘆願し、事情を聞いた女帝が思わず「気の毒に」という言葉を洩らす、というちょっと感動的な場面だ。

日本語原文:

…すると女帝は、
「この書面に相違なきや」
と、書面をラックスマンの方に差し出した。ラックスマンは(…)
「まさしく、それに相違ございませぬ」
と言上した。
「可哀そうなこと」
そういう声が女帝の口から洩れた。
「可哀そうなこと、 ベドニャシカ」
女帝の口からは再び同じ声が洩れた。

ロシア語訳:

- Все в точности? - спросила императрица, протягивая бумагу Лаксману.
Лаксман ...
- Все в точности, ваше величество. - потвердил он.
- Бедняжка, бедняжка.- дважды прошептала императрица, гладя на Кодаю.


ロシア語訳の部分を日本語に再翻訳すると一応次のような意味になる。

「すべてこの通りなのですか?」
女帝はラックスマンに書面を差し出しながら聞いた。
「すべてこの通りです、陛下」
彼は繰り返した。
「可哀そうなこと、可哀そうなこと」
女帝は光太夫の方を見ながら二度つぶやいた。


ちょちょ、ちょっと「口から洩れた、もう一回洩れた」を「二度」とか勝手に足し算しないで欲しいのだが… それに、私は原文の日本語を読む限りでは「可哀そうに」と思わずつぶやいたとき、女帝は書面に目をやったままだったか、あるいは遠くに思いを馳せるかのように別の方を向いていたようなイメージなのだが、どうしてここで唐突に「光太夫の方を見ながら」とかいうト書きを創作するのだ?ひょっとして『おろしや国酔夢譚』には二種類バージョンがあるのか?まさか。この訳者は『おろしや国酔夢譚』の他にも井上靖の『闘牛』や『猟銃』を訳しているが、やはり所々省略や追加・変更が目立つ。
 もちろん変更の全てが悪いわけではない。例えば別の人が川端康成の『雪国』を訳しているが、しょっぱなの部分がこう変更されている。

日本語原文:

 国境の長いトンネルを越えると雪国だった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止った。

ロシア語訳:

 Поезд проехал длинный туннель на границе двух провинций и остановился на сигнальной станции. Отсюда начиналась снежная страна. Ночь посветлела.

汽車は二つの国の境のトンネルを通り抜け、信号所に止まった。そこから雪国が始まっていた。夜が明るい色になった。

上の例と違ってこちらはなぜ文章を変更したかわかる。ロシア語の言語構造、ディスコースの表現法に合わせたのだ。つまり自然なロシア語にするために必要だったのだろう。もっとも最初のセンテンスは英語訳のThe train came out of the long tunnel into the snow countryとそっくりだからひょっとしたら英語訳も参考にしたのかもしれない。

 しかし最初の例も決して「悪訳」とまでは言えまい。外国文学の日本語訳にはこれと比べ物にならないほどひどいのがある。
 
 それで思い出したが、昔森鴎外が訳したアンデルセンの『即興詩人』、あれを「原作よりも名文との評判が高い」と無責任に褒めているのを見たことがある。なぜ無責任かというと、比較の方法がはっきりしていないからだ。言語Aのテキストと言語Bのテキストを比較して文体とかスタイルの優劣を論じる資格があるのは、AB両言語が同等に話せ、書け、読めて評価出来る人だけ、つまり事実上バイリンガルだけではないのか?「原作よりも」というからにはこの人はきちんとデンマーク語の原文を読みこなして文体評価したんだろうな?まさか知り合いのデンマーク人にちょっとアンデルセンの原文テキストを見せ、「なかなかの名文だ」と言われたが、鴎外の日本語は「素晴らしい名文」である、「なかなか」と「素晴らしい」では「素晴らしい」のほうが程度が上だから鴎外の勝ち、とかそういういい加減な比較方法を取ったりはしなかったんだろうな?まさかのまさかでそもそもデンマーク語のほうに当たってさえ見なかった、比較検討さえしていない、なんてことはないですよね?
 翻訳というものを「原作の内容、ニュアンス、文体を出来るだけ忠実に当該言語に写し取ったもの」と定義すれば鴎外の訳は悪訳である。しかもドイツ語からの重訳という大きな減点がある。あれは翻訳ではない、リメーク、翻案である、というのならそれでいい。でもそれならそれでその原作でもない原作を比較に持ち出して「原作より名文」などと主張するのはアンデルセンに対して失礼だと思うのだが。


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 森鴎外の短編『舞姫』を知らないという人はさすがに日本にはいまい。読んでいない人はいるかもしれないが。鴎外のドイツ留学での経験をもとにしているといわれている作品で女主人公がエリスという名前だった。確か高校の現国でこれを読まされたが、私は当時高校で第二外国語としてドイツ語をやっていたので(『46.都立日比谷高校の思ひ出』参照)、エリスというのが全然ドイツ語の名前などではないことに気づいた。が、文学作品にそこまでつじつまを要求するのもアレだろうと思って見過ごした。
 するとそのあと、日本に帰った鴎外を追いかけてきたドイツ人の女性がいて、その人の名がエリーゼ・ヴィーゲルトElise Wiegertという事実が明らかになったと新聞で大きく報道された。そのためさらにエリスはエリーゼである、という解釈が定着してしまった。さらに私の見かけた資料によれば小金井喜美子までが随筆でその婦人の名前はエリスと言っているそうだ。確かにこの二つの名前は似ているので一瞬エリスはエリーゼの短縮形か愛称かと思うが、すでに私の中でモヤモヤしていたように、普通エリーゼの愛称として使われている形に「エリス」というものはない。言い換えるといくらエリーゼを変換してもエリスにはならないのである。エリーゼの愛称ならば、リースとかリーザとか「エ」が消えるはずだ。アクセントが「リー」にあるからである。ところが「エリス」はアクセントが「エ」にある。しかも「リー」の長母音が勝手に短縮されている。どうもおかしい、合わない、と感じてはいた。感じてはいたが私の考えすぎだろうとそれきり忘れてしまった。
 
 ところが、何十年もたってドイツでさる本を書いていた時(『お知らせ:本を出しました』参照。どさくさに紛れて自己宣伝失礼)、突然「エリスはエリーゼじゃない」という証拠を見つけたのである。このことは本の400ページから403ページにかけて書いておいた。一瞬論文にでもしてどこかの専門誌に投稿しようかと思ったくらいだ。しかし一方私は救いがたい文学音痴で、特に日本文学などは長い間島崎藤村を「ふじむらとうそん」と間違えて記憶していたし、二葉亭四迷も二葉・亭四迷かと思っていたくらいの馬鹿なのである。そんな馬鹿が気づくことくらいもうとっくに決着済みに違いない、今更大仰に論文なんて書いたら審査員の物笑いの種になりそうだという気がしたので特に発表することはしないで本の隅でチョチョっと言及するだけにしておいた。日本では誰でもわかっているのかもしれなくても、ドイツだったらさすがに「こんな既知のことをいまさら言うか」と嘲笑される確率は低かろうと思ったからである。それでもまあ全く発表しないのも惜しいなという気が最近してきたので、この場を借りて書くことにする。どうせこんなお笑いブログだし。

 鴎外が『舞姫』を出したのは1890年だが、同じ年の半年後にトゥルゲーネフの短編を翻訳して発表している。その短編の主人公の名がエリスなのだ。ロシア語の原題はПризраки(「幻」)というものだが、鴎外はこれをレクラム文庫のドイツ語翻訳から重訳。ドイツ語タイトルVisionen(「幻」)を『羅馬』として文語に訳している。その『羅馬』、Visionen/Призракиはストーリーというかモティーフが『舞姫』と微妙に並行しているのである。
 主人公(「私」)が女主人公とめぐり合って短い期間人生が交差するが、「私」の女主人公の人生に与えた影響のほうが女主人公が「私」の人生に与えた影響より格段に重い。「私」がもう取り返しがつかない後になってから女主人公との出会いを回想して悲しむというラストなど、舞姫を髣髴とさせる。
 もちろんこのころの女性描写というのは日本でもロシアでもこういう方向のものが多いし、モチーフがちょっとくらい似ているのをもって『舞姫』はトゥルゲーネフのパクリであるなど言い出すのはいくら何でも乱暴すぎることではある。私はただ『舞姫』の元を鴎外のドイツ留学中の実際の経験だけに求めるとピントがずれる可能性もあると言いたいだけだ。少なくともエリスという名前はドイツ人の知り合いの名前などではなくトゥルゲーネフから頂戴したことは確実だと思う。たしかに発表されたのは『羅馬』のほうが数か月遅いが、翻訳にかかる前に「ドイツ語の」原作 Visionenはすでに読んでいたはずだから、時間的にも矛盾しない。
 もっとも『舞姫』のストーリーが鴎外自身の経験に基づくとしている声が全部ではなく、鴎外はむしろ当時の日本からの留学生や政治家などに下半身の行儀が悪い人たちが目立ち、あちこちで現地妻を作ったりしているのを見て義憤を感じ同胞男性をネタにしてやった、という説があった。その手の素行の日本男性自身は当然反省などしておらず、鴎外はそれに抗議する意味で『舞姫』の主人公にはきちんと自分の素行について自省させたのであると。そうだとするとまさにその肝心な部分、鴎外が「文学的に」付け加えた部分がトゥルゲーネフとダブっていることになる。

 さてエリスという名前を原作では「英語の名前」と言っている。以下がその箇所である。

── Как тебя зовут ── или звали по крайней мере?
── Зови меия Эллис.
── Эллис! Это английское имя! Ты англичанка? Ты знала меня прежде?
── Нет.

「お名前は何というんですか? というよりせめて何といったんですか?」
「エリスと呼んでください」
「エリス!英語の名前じゃないですか!イギリス人なの?私の事を前から知っていたんですか?」
「いいえ」


これを鴎外当時のドイツ語のレクラム文庫ではこう訳してある。

„Wie heißest du? ── oder wie hast du einstmals geheißen?“
„Nenne mich Ellis.“
„Ellis! Das ist ein englischer Name. Bist du eine Engländerin? Hast du mich schon früher gekannt?“
„Nein“

「お名前は何というんですか? というより昔は何といったんですか?」
「エリスと呼んでください」
「エリス!英語の名前じゃないですか!イギリス人なの?私の事を前から知っていたんですか?」
「いいえ」


上の日本語訳ほとんどがそのまま使えるほどロシア語に忠実だ。それに対し、鴎外のほうはここをどう訳しているのかという質問自体が成り立たない。短編とはいえ、40ページ以上ある作品を鴎外はたった4ページで訳しているからである。当然この部分も完全にスッポぬけている。
 原文にしてもこの「英語」という説明は実は正しくない。エリスは英語あるいはイギリスの名前ではなくて本来ウェールズ、つまりケルト語の名前だからである。トゥルゲーネフにとってはイギリスもウェールズも要は大ブリテン島ということでどちらも同じ、つまり「英国の」という意味だったのかもしれない。さらにうがった見方をすれば最後の「いいえ」は「あなたは私を前から知っていたのか」という質問に対してではなく、「エリスは英語の名前じゃないですか!」に対して向けられていたのかもしれない。いずれにせよその、少なくとも「英語あるいは英国の」と断ってある名前をドイツ人の名前ということにした鴎外はイギリスとウェールズどころか、ドイツ語と英語の区別さえついていなかったということになる。形が一見似ているし、「西欧の名前」ということでドイツだろうがイギリスだろうが同じことだと思ったのか。でもEllisとlがダブっているのは決してダテではない、言語を決めるうえで非常に重要なポイントなのだが。
 面白いことに当のイギリス人はエリスを英語の名前と言われて黙ってはいなかった。ロシア文学の英語翻訳で有名なガーネットConstance Garnettは、この作品を英語訳するとき、Эллис を「アリス」Aliceと訂正している。

'What is your name, or, at least, what was it?'
' Call me Alice.'
' Alice ! That 's an English name ! Are you an Englishwoman ? Did you know me in
former days ?'
' No.'

Эллис がアリスでないことくらいガーネット氏だってわかっていたはずだ。確かに英語の[æ]はロシア語で э として写し取られることが多いが、それなら上でも述べたようにアリスは Элис になってlが一つであるはずだ。現にドイツの作家のハインリヒ・ベルHeinrich Böllはロシア語ではГенрих Бёлльでちゃんと原語通りlが二つある。さらに(しつこくてすみません)「不思議の国のアリス」はАлиса в Стране чудесであって、AがЭになっていない上にlが一つである。トゥルゲーネフがAliceをЭллис として写し取った可能性は低く、ガーネット氏の意図的な操作としか思えない。これを例えるに、どこかの人が書いた小説で「サンニョアイヌ」を「日本人の名前」としてあったのを日本人の翻訳家が「三田」あるいは「三村」に変えるようなものか。

  さて、鴎外の「翻訳」であるが、そもそも翻訳になっていないそのテキストにも珍しく原文が特定できる箇所がある。しかしそこでも以下のような意図不明のはしょりが見られる。まずロシア語の原作の部分が

Я задумался.
── Divus Cajus Julius Caesar!… ── воскликнул я вдруг, ── Divus Cajus Julius Caesar!  ── повторил я протяжно.  ── Caesar!

私は考え込んだ。
── ディヴス カユス ユリウス カエサル!… そして突然叫んだ、── ディヴス カユス ユリウス カエサル! それからゆっくりと繰り返した。── カエサル!

ドイツ語訳では忠実にこうなっている。

Ich überlegte einen Augenblick, dann rief ich: Divus Cajus Julius Cäsar! Divus Cajus Julius Cäsar! Wiederholte ich, den Ton dehnend.  Cäsar!

しかし鴎外はこれを勝手に足し算してこう訳している。

余はしばいたゆたひしが、声高くヂウス カユス ユリウス チエザルと三たびまで叫びぬ。

呼ばれた名前の発音表記はここでは不問にするが、この訳だと内容が原文と違ってくる。なぜなら主人公が3回叫んだのはカエサルだけでその他の部分ディウス カユス ユリウスは2回しか口に出していないからだ。そういえばこの手の「勝手な足し算」は『23.日本文学のロシア語訳』で述べた井上靖のロシア語訳にも見られる。まあ鴎外のこの翻訳は40ページを4ページに切り詰めたわけだから、この程度のチョン切り方は不思議でないが。

 とにかく鴎外を追いかけてきたエリーゼと『舞姫』のエリスとは名前の上では結びつかない。実は苗字のほうがよほど怪しい(?)。舞姫エリスの苗字「ワイゲルト」(Weigertと書くのだろう)と追っかけてきたエリーゼの苗字ヴィーゲルトWiegertは i と e を並べ替えただけの違いだからである。ではその追っかけエリーゼとは誰なのか。その人となりを鴎外の義弟(歳はこちらのほうが上だったが)の小金井良精が「ちっとも悪気のないまったくの善人。むしろ少し足りないくらいに思われる」と描写している。いわゆるナイーブで世間知らずな人だったようで、留学生たちが冗談で鴎外を追って日本に行けとそそのかしたらしい。それをマに受けて日本で手芸などで身を立てるつもりで来てしまったようだ。問題はその旅行費の出所で、良精の孫の星新一は「手芸や踊りで貯められる額ではない。鴎外がドイツで手切れ金を手渡していたのではないか。その際これは手切れ金であることを向こうに通じていなかったのでは」と推測している。
 このこととエリーゼという名前を踏まえて鴎外の『独逸日記』をみてみると候補者が二人見つかる。その一人だが、明治18年8月13日に鴎外はフォーゲルさんといううちの晩さん会に招かれるがそこで赤い服を着た女の子に会う。その子のことを鴎外は「性はなはだ温和なり。」と描写している。フォーゲル家に行儀見習いで住み込んでいたのだという。その次、9月12日にまたフォーゲル家に言ったとき家の者からその女の子が鴎外がまた来るのを楽しみにしてましたよと告げられる。この女の子の名前が「リイスヘン」Lieschenといって、これは代表的なエリーゼの愛称形の一つだ。ただ鴎外自身は名前を覚えておらず、「リイスヘンが待っていたんだよ」と言われて初めて誰かいなと思ってみてみたら先の赤い服の少女であったという。さらにその次の12月の24日にまたフォーゲル家に行ったらそのリイスヘンが「ドクターが来た!」と歓声をあげて喜んだ。この鴎外の描写をみた限りでは、鴎外のほうはリイスヘンを別に何とも思っていなかったようだ。もちろんその後もフォーゲルさんちに遊びにいった際リースヘンに会っていただろうが、単なる知り合いのレベルを超えたとは思えない。やはり日本の留学生が無責任にあることないこと吹き込んだのだろう。また渡航費の出所も別にエリーゼ自身が貯めたり鴎外から貰ったりしたのではなく、娘に大甘な裕福なパパが出してくれたのかもしれない。当時のフォーゲル家にはリイスヘンの他にも見習いや家事手伝いで富商の子供が住み込んでいたのだ。
 私はこの女の子がエリーゼ・ヴィーゲルトの第一候補だと思っているが、もう一人リイゼLiseという名前が出てくる。これもエリーゼの愛称形だ。明治19年10月31日に「家主シャウムベルヒSchaumbergの子オットオ、リイゼOtto、Lise等を伴ひて「パノプチイクム」Panoputicumを観る。蠟偶の見せ物なり」とある。 Schaumbergをシャウムベルヒと発音するのはベルリン訛だが、それよりこの名前は『舞姫』に出てくる狒狒爺、といっては言いすぎだがエリスを囲い者にしようとする座長の名前である。さらにオットーという名前を鴎外は自分の息子につけているくらいだから、リイゼのほうも鴎外にとっては重要な人だったのかな、と思えないこともない。このリイゼが第二候補である。

 いろいろ気になっていたのでこのエリスという名前の出所や鴎外へのトゥルゲーネフの影響について言及している研究論文でもあるかと思って検索してみたのだが見つからなかった。トゥルゲーネフについては鴎外自身、上述の『独逸日記』での明治20年5月28日にカフェでたむろしていた玄人筋の女性の一人が「魯人ツルゲエネフ」の小説を知っていたので驚いた、と書いている。鴎外がある意味トゥルゲーネフに私淑していたことがわかるし、ロシア文学は明治時代の日本文学に絶大な影響を与えたのだから鴎外に影響しないはずはないのにその辺が無視されているのはなぜなのか。
 天下の森鴎外・舞姫である。百の単位でいそうな研究者がこれだけ長い間研究し続けてきた中で鴎外が訳したトゥルゲーネフ作品にエリスという人物がいることに誰一人気づかなかったとなどということは100%ありえないのでその可能性は除外すると、『舞姫』とトゥルゲーネフとの文学的関連性について積極的に扱った著作が見つからなかった原因として考えられるのは次の3つである。可能性の高い順に並べてみる。
1.私の探し方が悪かった。
2.エリスの名がロシア文学から来ていることなど皆とっくに知っているので当たり前すぎてわざわざ言い立てる必要がなかった。
3.あくまでエリスはエリーゼであって鴎外の文学活動はトゥルゲーネフには影響されていないとすでに確認されていた。

2と3はまとめることができて、要するに「日本文学研究者の間では『舞姫』へのトゥルゲーネフの影響というテーマには研究する価値がないというコンセンサスがあった」ということだ。その価値なし・決着済みのテーマを何も知らない二葉・亭四迷なアホ部外者がほじくり返してしまった、ということなのだろうか。知っている人がいたらちょっと教えてほしい。

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