アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:意味論

機種とブラウザによってはブランクが二つ以上続いた場合自動的に一つに縮められてしまい(余計なことするなバカタレ)せっかくの苦労が水の泡、レイアウトが崩れるので画像にしたりブランクの代わりにハイフンを使って直しました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 以前にも書いたが、構造主義を発達させたのは言語学、特に音韻論である。「音素」という観念がすでに大発見だと思うが、それをさらに分割した最小単位「弁別的素性(そせい)」というアプローチが構造主義が広がる出発点となった。ヤコブソン、トゥルベツコイなどがあくまで言語学用に確立したこの観念を人類学・民族学者などがちゃっかり(?)拝借して応用し、そこから一般に広まった。民族学などの本の方がギチギチの理論詰めで書かれている無味乾燥なトゥルベツコイの『音韻論概説』なんかよりよっぽど読みやすくて面白いからだ。
 しかしロシア語を勉強した者ならふと疑問に思う人も多かろう:構造主義の先頭を走っていたロシア・ソビエトの学者はその後どこへ行ってしまったんだ?フォルトゥナートフがモスクワで、ボドゥアン・ド・クルトネがカザンで構造主義の先鞭を付けていたはずだが、その鞭は今何処にあるんだ?ド・クルトネについてはスラブ語学者の千野栄一氏もエッセイで強調しているが、ソシュールより30年も前にすでに構造主義言語学の基本的な考えに到達していたのである。プラーグ学派がナチにつぶされ、ユダヤ人のヤコブソンがアメリカに亡命してそこでアメリカ構造主義の発展の一因になったことはまだわかる。しかしナチに打ち勝った本家ソビエト・ロシアの構造主義はどうなったんだ?と。実際私たちのように外部にいるものには、1930年ごろから1960年ごろまで、こちらで構造主義やらソシュール言語学やらが花開いていた時期のソ連の業績がほとんど伝わって来ない。
 幸い、といっていいのかどうか、今では少なくともその暗黒時代の原因については皆に知られている。スターリンの御用学者のマールという言語学者だ。この人が1925年あたりからソ連言語学を牛耳り、自身の死後もスターリンの後押しでその言語学は影響力を失わず1950年代まで君臨し続けたからである。その言語学は一言でいうとイデオロギーを完全優先させたもので、言語の発展や変化の過程を階級闘争の一環として把握しようとする。印欧語学も構造主義の言語学も「ブルジョア脳」が生み出したものとして排除された。どうしてスターリンが言語学などというマイナーな分野に口を入れたのかよくわからないが、マールがグルジア人だったので同胞のよしみということなのかもしれない。また構造主義言語学がブルジョア言語学に見えたのは、当時の学者はド・クルトネにしてもソシュールにしてもトゥルベツコイ侯爵にしても貴族や裕福な家庭の出、つまりええとこのボンが多かったので、その思想も階級の敵という扱いになったのではないだろうか。1950年代にスターリンが突然掌を返してマールの説を放棄し、50年代中ごろからソ連でも構造主義がリバイバルするが、30年近く発展を阻まれてた言語学者の被害は甚大、いわばせっかく自分たちで築き上げた成果を民族学にさらわれる前に自分たちで滅茶滅茶に踏みにじったのである。
 このブランクのため50年代後半に構造主義言語学にOKが出てもしばらくはもたついていたようだ。構造主義への批判もあった。「構造主義は言語という人間の営みを非人間化している」と言う声もあったそうだが、そういえば一見人間の実際の生活や文化から遊離しているかに見える抽象的な理論に対しすぐ生活の役に立つの立たないのとケチをつけだす小学生が『身体検査』というソログープの短編に出ていた。大人になっても言語理論が一見日常会話言語と乖離し、言語学をやっても全く語学には役立たない(『34.言語学と語学の違い』参照)、こんなアプローチをやって何になるのかという懐疑を持っている人は多い。
 しかし一方かつて世界をリードしていたロシアの伝統はさすがに消えはせず、土台は残っていたので(その土台に立っていた建物はマールが焼き払っていたにせよ)そこからまた言語学の建設が始まった。チョムスキーの Syntactic Structures などいち早く紹介され、そのモデルをロシア語に応用した独自の変形文法理論などもすぐに出た。その一人がS.K.シャウミャン Себастиан Константинович Шаумян である。1965年に Структурная  Лингвистика(『構造主義言語学』)というズバリなタイトルの本を出して独自の生成モデルを展開し、それを「適用文法」と名付けて1974年にАппликативная грамматика как семантическая теория естественных языков(『自然言語の意味理論としての適用文法』)という論文(本)で集大成している。前者は1971にさる言語学のシリーズの一巻としてドイツ語訳が出ていて、そのシリーズ全般を監修したのがコセリウである。後者は1978年に『適用文法入門』というタイトルで出た日本語訳がある。
 時期的にはチョムスキーの変形生成文法がいわゆる(拡大)標準理論だったころで、もちろんその影響を強く受けている、というよりこれはチョムスキー標準理論のロシア語版である。いわゆる「言語ユニバーサル」という考え方が前面に出ていて、あらゆる言語を共通のモデル、共通の公式化で文法記述できる、少なくともそういうユニバーサルな公式化を目ざすという姿勢が顕著だ。英語やロシア語はその手始めなのである。さらに文法というのは既に発話された言語データの説明記述ではなく、その生成のメカニズムの再現であるべきだという考え。演繹面の強調である。言語構造を認識するためには統計的な手法は役に立たないとはっきりと述べている、また言い間違いや言語状況に左右される不純物を除いた理想的な言語あるいは「潜在的な言語」という想定もチョムスキーそのままだ。さらに、小さなことだが、名詞に付加された形容詞は関係節文を圧縮した結果とする見方も懐かしいというか当時の変形生成文法そっくりだ。
 
シャウミャンの別の論文にはチョムスキー式の樹形図が出ている。Структурная  Лингвистикаのドイツ語訳から。
StLingu213
 違う点はシャウミャンではそもそもそのタイトルからもわかるように文の生成の出発点からすでに語の意味(特に格の意味)や動詞のバレンツ構造が大きな意味を持つことである。当時の変形生成文法ではシンタクスと意味部門は別モジュールになっていて、共起制限の発動や格の意味(後にΘ役割とか呼んでませんでしたか?)の添加はシンタクス構造がある程度固まってから、少なくともシンタクス構造生成の過程で行われていたが、適用文法では格や動詞の意味が文生成の出発点だ。言い換えると適用文法では統語と意味を区別しないのである。格変化のパラダイムを全てと言っていいほど失った英語と、それをまだ豊かに持っているロシア語との違いという他はない。
 21世紀も20年通過した今になってこういうものを出すと、昭和ノスタルジーに駆られてウルウルするおじさんおばさんがいそうだが、変形生成文法の最初の一歩はこんな感じではなかったろうか。

1. S →  NP + VP
2. NP → N
3. N → {John}
4. VP → NP + V
5. NP → N
6. N → {duck}
7.  V → {see}

もちろんこの他にも duck の不定冠詞の a がついたり動詞に三人称 -s が付け加えられる細かい作業があるが、最終的に John sees a duck という文が生成されることになる。1のNPは主語、4と5のNPは目的語だから格が違うが、それは不問にされる。英語では形が全く同じだからである。対してシャウミャンでは出発点から深層格が顔をだす。ごく簡単に一例を見てみよう。

Raplo T1 T2 T3 T4

Rは人称に応じて変化する形式的述語、まあ大雑把に動詞のことである。その後ろにくっ付いているa、p、l、oというのが動詞のバレンツだが、注意すべきはこれがいわば深層格であって表面上に出てくる(つまり辞書に載っている)動詞の支配する格構造とは違うということだ。あくまで抽象的な深層の格構造であって、実際に具体的な発話として実現される際は別個の格になったり前置詞がくっついて来たりする。シャウミャンは格を「状況関与成分が演じている役割の呼び名」と定義していて、「役割」という言葉がチョムスキーとよく似ている。a は奪格 аблатив、p は通格 пролатив、l は向格 аллатив、o は対象格 объектив といい、それぞれ運動の起点、運動の通過点、運動の終点、動いている点そのものを表わすが、その際純粋に物理的な運動ばかりでなく、例えば

Иван нанёс  рану Петру ножом
Ivan主格 + bore/carried + a wound対格 + to Peter 与格+ with a knife造格
イワンがピョートルにナイフで傷を与えた


では、イワンが a、傷が o、ピョートルが l、ナイフが p だ。さらに次のような文の成分も深層格は上と同じだが、表層格は全く違う。前置詞を伴ったりもする(太字)。

Нанесена Иваном ножом Петру рана
is born/carried + by Ivan造格 + with a knife造格 + to Peter与格 + a wound主格

Рана нанесена Петру Иваном с помощью ножа
a wound主格 + is born/carried + to Peter与格 + by Ivan造格 + with the help of a knife生格

また動詞がバレンツ項目を吸収して意味の圧縮が起こることもある。例えば

Иван ранил  Петру ножом
Ivan + wounded + Peter + with a knife
イワンがピョートルを傷つけた

ではRo が一つの動詞に圧縮されている。
 Tは深層格を担う成分で、数字の順番通りにa、p、l、oの格役割を割り振っていき、T が a、T2 が p、T3 が l、T4 が oとなる。ここら辺は当時のチョムスキーなら

T1 → Ta
T2 → Tp
T3 → Tl
T4  →  To


とか何とか書きそうだが、シャウミャンはこれを次のように表わしている。
Schema1-168
Tの番号を見れば深層格も自動的にわかるので必ずしも必要ではないが、語順変換規則を適用した後などこんがらがりやすい時は明確にしておくためTにさらに格記号をつけることもある。T1a、さらに最初の番号を取ってしまって Ta などと書いたりもする。最終的にはこの T にさらに具体的な語彙素が代入される。これが構造の具現化である。上で出した懐かしの公式にある { } のようなものだ。

Raplo Иван  нож  Пётр  рана

 話が前後するが、実はこの Raplo T1 T2 T3 T4 というの4項構造がそもそもさらにいくつかの2項からなる原初構造(シャウミャンは「公理の型」と呼んでいる)から派生されたもので、全くの出発点ではない。だから前述の Иван нанёс рану Петру ножом などの文も直接 Raplo T1 T2 T3 T4 から導き出されたのではないと言う理屈になる。Raplo T1 T2 T3 T4 が生成された過程は以下のように図示できる。

Rao T1 (Rpo T2 (Rlo TT4))
Rao Иван (Rpo  нож (Rlo  Пётр рана))

( )はちょうど掛け算より足し算を先にするときに使うようなもので、括弧内部の処理をしてから外の計算(?)をかけろという意味だ。これがいわば深層構造でここに様々な変形規則を適用する。ちょっとごく簡単な例をみてみよう。

Он обрабатывает деталь
he + is processing + a/the part
彼が部品を加工している。


という文の出発点は次のような公理であり、

Roa (Rlo T1l T2o) T3a

この文の意味の深層構造は

* Он каузирует, (чтобы) деталь была в обработке
* he + causes, +  (that) + a/the part + was + in + a/the process
 
となる。 he が T3a、a/the part が T2o、a/the process がT1l であることがわかる。この基本形に二段階の演算処理が施される。

1. Roa (Rlo T1l T2o) T3a ------- (A)
2. B Roa (Rlo T1l ) T2o T3a --- (B)
3. Poa  T2o T3a ------------------ 融合規則 1.8

2の頭についている B というのは「意味規則」と言われるものの一つで処理の優先順位を変える。Aは(私の理解した限りでは)「絶対的被演算子」と呼ばれる、つまり始めの一歩だ。意味規則の他に融合規則と言うのがあり(3)、その1.8は

B Roa (Rlo T1l ) →  Poa

と図式化され、Pは「基本的述語」、シャウミャンの言葉でいうと「任意の複合の度合いを持った辞項の代表」である。上で述べた「意味の圧縮」を念頭に置くとわかりやすいと思うが、ここでは (Rlo T1l )が独自にまとまって

находится в обработке
is situated + in a/the process
加工中である


という意味単位を作る。

 さてこの文の受動表現のほうは別の公理から出発し、4段階の演算を経て次のように生成される。

Деталь  обрабатывается им
a/the part + is being processed + by him
部品が彼によって加工されている


1. Rao T1a (Rlo T2l T3o) ------------- (A)
2. C Rao (Rlo T2l T3o) T1a ---------- (C)
3. B (CRao) (Rlo T2l) T3o T1a ------ (B)
4. C (B (CRao) (Rlo T2l)) T1a T3o -- (C)
5. Pao T1a T3o ------------------------- 融合規則 1.1

この文の公理は  Rao T1a (Rlo T2l T3o) だから、その深層意味構造は

* (То, что) деталь в обработке, каузируется им
that + a/the part + in a process + is caused + by him

である。融合規則 1.1というのは

C (B (C Rao) (Rlo T1)) → Pao

というもの。
 これらは単純な文だからまだ付き合えるが(付き合うついでに誤植ではないかと思われる部分があったので勝手に直しておいた)、埋め込み文だの関係節だのになるとこんなもんじゃなく文一つ作るのに延々と演算が続く。また最初の絶対的被演算子が同じでもそこにかます演算の種類や順番が違うと非常に異なったアウトプットになる。さらにここからまた形態素の変換規則、それをまた音韻に変換する規則がたくさん続くから、まだ実際の発話となって出てくるまで道は遠い。

 まあこのように変形生成文法標準理論のロシア語版なのだが、一つエラく気になった部分があった。いわゆる「主題(トピック)」という観念の把握だ。シャウミャンは絶対的被演算子 としての文構造の最後に来る基項を「意味的に一番重い」とし、これを「主題」と名付けている。表面層ではこの主題が文頭に立つのだが、この考え方はそれこそプラーグ学派のテーマ・レーマ議論から一歩も出ておらず、しかも一部混同している。プラーグ学派で「意味的に一番重い」、つまり「情報価が高い」とされたのはテーマでなくレーマのほうだ。いわゆる「新情報」だからである。しかし当該指示対象が既知か未知か、既知だったらどれほど既知かという度合いをreferential status 指示のステータスというが、これと主題・述部といった文の情報構造とは理論的には互いに独立、無関係であるということはチョムスキー側ではそれこそ既知となった。私の覚えている限りでは1981年にイスラエルの言語学者ターニャ・ラインハルトが(言葉は違うが)そういうことを言っているし、なによりチョムスキー側には1960年代から日本の言語学者が多数参加し、「主題」を表わす特別な形態素を持っている日本語を議論に加えたことが大きいと私は考えている。日本の言語学者が世界レベルで果たした貢献であると。
 つまりプラーグ学派のテーマ・レーマ理論は「古い」のである。もちろん1960代当時は英語学側でもまだ議論が進んでいなかったから、その後の発展と比較してシャウミャン側を云々するのはフェアではないし、未だに日本語の授業で助詞の「は」は既知の情報を表わすなどというアンポンタンな説明をする人もいるから、こちらもあまり大きな顔はできまい。

一般化された語彙的意味を持つ深層語形から具体的な語彙的意味を持つ深層語形への変換。『適用文法入門』から。
234


深層の名詞語形を表層の名詞語形に変換する規則。これも『適用文法入門』から。
240

名詞の語形変化をその音韻表示に変換する規則。同上
244

「与える」という意義を持つコミュニケーション動詞の断片的な転換意味の場の生成の例(のごく一部)。同上
252


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以前書いた記事の図表を画像に変更していっています(レイアウトが特にスマホではグチャグチャになるため)文章にも少し手を入れました。日本語の「てにをは」を説明するときドイツ語やラテン語・ロシア語の格用語(?)を使うとすんなりわかってくれる人が多いです。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 日本語では名詞の格を印欧諸語のような語形変化でなく助詞を後置して表す。この「助詞」という言葉だが、こちらでは普通「不変化詞」Partikelと呼んでいる。何度か「後置詞」Postpositionと呼んでいるのも見た。その種々の不変化詞の中で文法格を表すものを学校文法では格助詞というが、私はこれを格マーカーと言っている。
 日本語にはいくつ格があるのかとこちらでは頻繁に聞かれるが、正直返事に困る。はっきりした語形変化のパラダイムがなく格そのものの観念がユルいし、一つの助詞、例えば「に」など(『140.格融合』参照)、複数の格を担っているものがあったりするので、見る人によって格の数が違ってくるからだ。それでも「人によって違います」では答えにならないので私個人はドイツ人には一応日本語には次のような13の格があると説明している。
Tabelle152
「山田さんは鈴木さんより頭がいい」という場合の「より」は果たして「格」といっていいのがどうかやや不安な気もする。これは後述するように、名詞句で使うことができない上限定格の添加も許さない。だから括弧に入れておいた。
 最初にも述べたようにこれらの不変化詞は日本語でも助詞と呼ばれているのだから、日本語側でもこれらが当該名詞のセンテンス内でのシンタクス上の位置を表す機能を持っている(つまり格を表す)と把握されているわけで、私の説明の仕方もそれほどムチャクチャではなかろう。しかしこれらの助詞をじいっとみてみると、当該名詞の格を表すという基本的は働きそのものはいっしょだが、助詞自身のシンタクス上の現れ方によって大きく3つのグループに分類できることがわかる。「が、を、に」と「へ、から、で、と、まで」と「の」の3グループだ。(「より」は観察から除外)。
 まず第一グループ「が、に、を」と第二「へ、から、で、と、まで」はセンテンスの直接構成要素の名詞にしか付加できない、言い換えると当該名詞は動詞の直接の支配下でないといけない。ドイツ語や英語の前置詞と大きく違う点である。ドイツ語のin、an、 bei、nach、mit、英語の from、withなどの前置詞は動詞句VP内でも名詞句NP内でも使うことができる。

VP内
Meine Bekannte wohnt in Heidelberg.
my + acquaintance + is living + in + Heidelberg 
NP 内
meine Bekannte in Heidelberg
my + acquaintance + in Heidelberg

VP内
Er arbeitet bei Nintendo.                        
he + is working + at + Nintendo
NP 内
Angestellter bei Nintendo           
an employee + at + Nintendo
NP 内
die Arbeit bei Nintendo                    
the + work + at + Nintendo

VP内
Sie fährt nach Moskau.
she + is going to drive + to + Moscow
NP 内
der Weg nach Moskau
the + way + to + Moscow

VP内:My Friend came from Germany.
NP内:my friend from Germany               

VP内:I discussed the problem with Mr. Yamada.   
NP内:a discussion with Mr. Yamada                 

対応する日本語の構造では格助詞が名詞句NP内では使えない。動詞句VP内のみである。

VP内:私の知り合いはハイデルベルク住んでいる。
NP 内:*ハイデルベルク知り合い          

VP内:彼は任天堂働いている。
NP内:*任天堂社員
NP 内:*任天堂仕事

VP内:彼女はモスクワ行く。
NP 内:*モスクワ

VP内:私の友達はドイツから来た。
NP内:*ドイツから友だち

VP内:山田さんその問題について議論した。
NP内:*山田さん議論

*のついている構造はOKじゃないかと思う人がいるかもしれないが、それは当該構造を名詞句ではなくて省略文として解釈しているからである。そのことはちょっとつつくと見えてくる。例えば

任天堂で仕事は楽しかった。
任天堂で仕事はプログラミングだった。

を比べてみると、最初の文では

任天堂で仕事(をするの)は楽しかった。

と動詞が省略されているのがわかる。つまり「任天堂で」は名詞の「仕事」ではなく省略された動詞の「する」にかかっているから名詞句内ではないのだ。2番目の文もそう。「任天堂で」は「仕事」でなく「プログラミングだった」という述部にかかると解釈しない限り非文である。さらに

ドイツから友だちは先週のことでした。

という文は私の感覚ではおおまけにまけてギリチョンでOKだが(これを許容しない人も多かろう)、それは「ドイツから友だちが来たのは先週のことでした」という省略文解釈がギリチョンでできるからで、

*ドイツから友だちはシュミットさんといいます。

はオマケのしようがない非文である。さらに以下のセンテンスもオマケがしにくい。

モスクワへ道は遠い。
山田さんと議論はその問題についてだった。

前者はそれでもまだマシで上記の任天堂同様「モスクワへ」は「道が遠い」という述部全体にかかっているという解釈が成り立つが、後者はその解釈が成り立たないので非文度がアップする。
 このように日本語では「が、に、を」と「へ、から、で、と、まで」といった格マーカーは名詞句内では使えない。それではどうするのかというと第三のグループ(「グループ」と言ってもメンバーは一人しかいないが)の限定格マーカー「の」を付加するのだ。そうするとあら不思議(でもなんでもないが)上では非文だった構造が許容できるようになる。

任天堂で仕事はプログラミングだった。
ドイツから友だちはシュミットさんといいます。
モスクワへ道は遠い。
山田さんと議論はその問題についてだった。

だから助詞の「の」は単に属格というより連体格とか限定格とかいうべきだと思う。この「の」は常に名詞句NP内にしか現れず、センテンス、あるいは動詞句VP、またはCPとかという節で使うことができないし、他の格マーカーとの共存できる。使われるセンテンス内の位置が他のマーカーとはっきり異なっているのだ。その際私の感覚では

任天堂での社員

という名詞句は「の」がついているのに許容できないが、実はこれが最初の私が「に」と「で」を一括りに処格としないでそれぞれExistentiell-Lokativ(存在処格)とAktional-Lokativ(動作処格)とに分けた理由である。「に」は「アメリカにいる」とか「アメリカに住む」とかいうように、場所そのものが主体で、動詞は「いる」とか「ある」とか「住む」とか意味の薄いものである。「で」は「アメリカで働く」とか「図書館で本を読む」とか動詞がはっきりした「活動」を表し、処格が意味的にも完全に動詞の支配下にある場合に使われる。畢竟「AでのB」という構造ではBが何らかの活動を表す名詞でないとおかしい。「社員」は活動でなく人であるからいくら「の」をつけてシンタクス的にはNP構造にしても「で」の意味と被修飾語の「社員」が不適合だからはじかれるのである。他方「任天堂での仕事」は、「仕事」が活動を表すからOKとなる。

 さてNP内では使えないというのは第一グループ「が、に、を」と第二「へ、から、で、と、まで」に共通の性質だが、第二グループが「の」と共存できるのに第一グループの不変化詞は当該名詞句内でダブル非変化詞を許さないという大きな違いがある。「の」が付くと自身は削除されるのだ。

*アメリカの旅行は楽しかった。
アメリカの旅行は楽しかった。

*田中さんのお土産は日本で買ったパソコンだ。
田中さんのお土産は日本で買ったパソコンだ。

*映画の鑑賞は私の趣味だ。
映画の鑑賞は私の趣味だ。

*高橋さんの批判は辛らつだった。
高橋さんの批判は辛らつだった。

このうち「に」については与格、方向格は「へ」、奪格は「から」でそれぞれ代用できる。「へ」も「から」も「の」と両立するから名詞句内での両名詞のシンタクス関係または意味関係を表すことができる。

アメリカへの旅行は楽しかった。
田中さんへのお土産は日本で買ったパソコンだ。
モハメド・アリからのパンチは強烈だった。
(「モハメド・アリにパンチを食らった」と比較)

しかし存在処格、主格、対格の区別は表現しわけられない。「映画の鑑賞」ならまあ「映画」が対格だなとわかるが「高橋さんの批判」となると高橋さんが批判したのかそれともされたのか、つまり主格なのか対格なのかはどうやっても表すことができない。意味に頼るしかないのだ。
 この、二つの名詞からなる名詞句で修飾するほうがされるほうの主格なのか対格なのかというのはドイツ語でもよくわからないことがある。それについて個人的な思い出があるのだが、『85.怖い先生』で述べたドストエフスキーの『悪霊』のゼミの期末レポートで私は Mord Šatovs (「シャートフの殺人」)と書いた。小説ではシャートフという人が殺されるのである。そしたら教授が私のレポートについて批評してくれた際、これではシャートフが人を殺したことになってしまうから Mord an Šatov(「シャートフへの殺人」)か Ermordung Šatovs(「シャートフの殺害」)と書かないといけないと教えてくれた。提出前にネイティブチェックを通してはいたが、そのネイティブは『悪霊』を読んでいなかったので誰が被害者なのか知らず、これにOKを出していたのであった。
 逆に、日本語では単純に「AのB」という構造になっているのでそれ以上深くAとBとの意味関係について考えずにいたところ外国語に訳された形を見て初めて両者の格構造に思いが行く、ということもあった。安倍公房の小説『砂の女』のタイトルがロシア語で Женщина в песках となっていたのである。直訳すると the/a woman in sands、英語タイトルでは the woman in the dunes で、存在処格の「に」が削除された名詞句である。

 まあどこの言語でも名詞句内の名詞の関係(『150.二つの名詞』も参照)には苦労するようだが、とにかく私はこうやって日本語の格マーカーを3つのグループに分けて説明している。

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以前書いた記事の図表を画像に変更していっています(レイアウトが特にスマホではグチャグチャになるため)文章にも少し手を入れました。私は母語の日本語も、今まで勉強したことのある言語も全て主格・対格言語なので、能格言語に憧れます。

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内容はこの記事と同じです。

 中国とパキスタンを結び、途中標高4714mの高所を通る国道35線は俗にカラコルム・ハイウェイと呼ばれている。1980年代に開通した。この国道のほとりにフンザHunza渓谷という谷があるが、ここで話されているのがブルシャスキー語(アクセントは「ル」にあるそうだ)という言語である。

カラコルム・ハイウェイ。Hunza や Nager (Nagar)という地名が見える。
Karakoram_highway.svg

 谷の一方がフンザ、川を挟んだ向こう側がナゲルNager という地名で、いっしょにされてフンザ・ナゲルと呼ばれていることが多い。しかしこの二つはそれぞれ別の支配者(ブルシャスキー語でtham)に統治される独立国であった。両国間での戦争さえあったそうだ。1891年にイギリスの支配下に入り1947年に自主的にパキスタンへの併合の道を選んだ。長い間君主国としての独立性を保っていたが、ナゲルは1972年フンザは1974年に王国としての地位を失い単なるパキスタン領となった。フンザには約4万人、ナゲルにもほぼ同数のブルシャスキー語話者がいると見られる。両者間には方言差があるが相互理解には何ら支障がない。ナゲルの方が保守的だそうだ。例えばhe does it をナゲルではéću bái といってéću が動詞本体、báiはいわば助動詞だが、これがフンザでは合体してéćái または éćói という形になっている。同様にyou have done it はナゲルでétu báa、フンザでétáa または étóo となる。母音の上についている「´」はアクセント記号だが、フンザではこの短い単語にアクセントが二つある、ということは山が二つあることになるわけでいかにも元は二つの単語だったと思わせる。また本来同じ母音が二つ連続していたのがフンザでは一母音に短縮され、ナゲルで「一ヵ月」は hísa-an というのにフンザでは hísan と母音が縮まっている。語彙の点でもいろいろ相違があるらしい。
 このフンザとナゲルの他にもう一つブルシャスキー語地域がある。フンザ渓谷の北西約100kmのところにあるヤスィンYasinという辺境の谷がそれ。ここの方言はフンザ・ナゲルとはさらにはっきり差があり、フンザ/ナゲル対ヤスィンという図式になるそうだ。それでもやはり相互理解の邪魔にならない程度。このヤスィン方言の話者は昔ナゲルから移住してきた人たちの子孫、つまりヤスィン方言はナゲル方言から分かれたものらしい。いくつかの資料から分かれた時期は16世紀ごろと推定できる。南米スペイン語と本国スペイン語との違い同じようなものか。またヤスィン方言はフンザよりさらに語尾や助詞・助動詞の簡略化が進んでいるとのことだ。オランダ語とアフリカーンスを思い出してしまう。ブルシャスキー語の話者の総数はおよそ10万人だそうだから、単純計算でヤスィン方言の話者は2万人ということになる。でも「10万人」というその数字そのものがあまり正確でないようだから本当のところはわからない。
 ちょっとこの3つの方言を比べてみよう。
Tabelle1-144
「目」と「肝臓」の前にハイフンがついているのは、これらの語が単独では使われず、常に所有関係を表す前綴りが入るからだ(下記参照)。全体的にみると確かにナゲル→フンザ→ヤスィンの順に形が簡略化していっているのがわかる。また、フンザの「目」の複数形などちょっとした例外はあるにしてもヤスィンとフンザ・ナゲル間にはすでに「音韻対応」が成り立つほど離れているのも見える。しかし同時にこれらのバリアントが言語的に非常に近く、差異は単に「方言差」と呼んでもいいことも見て取れる。確かにこれなら相互理解に支障はあるまい。またナゲル→フンザ→ヤスィンの順に簡略化といっても一直線ではなく、例外現象(例えば下記の代名詞の語形変化など)も少なくないのは当然だ。

ブルシャスキー語の話されている地域。上がウィキペディアからだが、雑すぎてイメージがわかないのでhttp://www.proel.org/index.php?pagina=mundo/aisladas/burushaskiという処から別の地図を持ってきた(下)。
Burshaski-lang

burushaski

 ブルシャスキー語の研究は19世紀の半ばあたりから始まった。周りと全く異質な言葉だったため、当時植民地支配していたイギリス人の目に留まっていたのである。最初のころの研究書は量的にも不十分なものだったが、1935年から1938年にかけて出版されたD. L. R. Lorimer 大佐による全3巻の研究書はいまだに歴史的価値を失っていない。氏は英国人で植民地局の役人だった。しかし残念ながらこれもこんにちの目で見るとやはり音韻面の記述始め語彙の説明などでも不正確な面がいろいろあるそうだ。1930年代といえば今の構造主義の言語学が生まれたばかりの頃であるから仕方がないだろう。
 その後も研究者は輩出した。例えば Hermann Berger の業績である。ベルガー氏は1957年からブルシャスキー語に関心を寄せていたが、1959年、1961年、1966年、1983年、1987年の5回、現地でフィールドワークを行い、その結果をまとめて1998年に3巻からなる詳細なフンザ・ナゲル方言の研究書を出版した。一巻が文法、2巻がテキストとその翻訳、3巻が辞書だ。最後の5回目のフィールドワークの後1992年から1995年まで現地の研究者とコンタクトが取れ手紙のやり取りをして知識を深めたそうだ。その研究者はデータを集めたはいいが発表の きっかけがつかめずにいて、理論的な下地が出来ていたベルガー氏にその資料を使ってもらったとのことだ。ヤスィン方言についてはすでに1974年に研究を集大成して発表している。
 最初は氏はブルシャスキー語の親族関係、つまりどの語族に属するのかと模索していたようで、一時はバスク語との親族関係も考えていたらしいことは『72.流浪の民』でも紹介した通りであるが、その後自分からその説を破棄しブルシャスキー語は孤立語としてあくまで言語内部の共時的、また通時的構造そのものの解明に心を注ぐようになった。1966年の滞在の時にはすでにカラコルム・ハイウェイの建設が始まっていたので外国人は直接フンザ・ナガル渓谷には入れずラーワルピンディーというところまでしか行けなかったそうだが、そこでインフォーマントには会ってインタビュー調査をやっている。1983年にまた来たときはハイウェイがすでに通っていたわけだが、あたりの様子が全く様変わりしてしまっていたと氏は報告している。

 さてそのブルシャスキー語とはどんな言語なのか。大雑把にいうと膠着語的なSOVの能格言語であるが(大雑把すぎ)、特に面白いと思うのは次の点だ。

 まずさすがインド周辺の言語らしくそり舌音がある。[ʈ, ʈʰ,  ɖ,  ʂ, ʈ͡ʂ ,  ʈ͡ʂʰ,  ɖ͡ʐ , ɻ] の8つで、ベルガーはこれらをそれぞれ ṭ, ṭh, ḍ, ṣ, c̣, c̣h, j̣, ỵ と文字の下の点を打って表記している。それぞれの非そり舌バージョンは [t, tʰ, d, s, t͡s,  t͡sʰ, d͡ʑ , j]、ベルガーの表記では t, th, d, s, c, ch, j, y だ。最後の y、 ỵ の非そり舌バージョンは半母音(今は「接近音」と呼ばれることが多いが)だが、これは母音 i のアロフォンである。つまり ỵ は接近音をそり舌でやるのだ。そんな音が本当に発音できるのかと驚くが、この ỵ は半母音でなく子音の扱いである。また t, tʰ, d  の部分を見るとその音韻組織では無気・帯気が弁別性を持っていることがわかる。さらにそれが弁別的機能を持つのは無声子音のみということも見て取れ、まさに『126.Train to Busan』で論じた通りの図式になってちょっと感動する。

ベルガーによるブルシャスキーの音韻体系。y、w はそれぞれ i、u  のアロフォンということでここには出てこない。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.13 から
burushaski-phoneme-bearbeitet
 しかしそり舌の接近音くらいで驚いてはいけない。ブルシャスキー語には文法性が4つあるのだ。これはすでにLorimer が発見してそれぞれの性を hm、hf、x、y と名付け、現在の研究者もこの名称を踏襲している。各グループの名詞は語形変化の形が違い修飾する形容詞や代名詞の呼応形も異なる、つまりまさに印欧語でいう文法性なのだが、分類基準は基本的に自然性に従っている。hm はhuman masculine で、人間の男性を表す語、人間でない精霊などでも男性とみなされる場合はここに属する。hf はhuman feminine、人間の女性で、男の霊と同じく女神なども hm となる。ただし上で「基本的に」と書いたように微妙な揺れもある。例えばqhudáa(「神」)は hm だが、ことわざ・格言ではこの語が属格で hf の形をとり、語尾に -mo がつくことがある。hf の bilás(「魔女」)は時々 x になる(下記)。この x 、 y という「文法性」には人間以外の生物やモノが含まれるが両者の区別がまた微妙。動物はすべて、そして霊や神で性別の決まっていないものは x 。これらは比較的はっきりしているが生命のない物体になると話が少し注意が必要になる。まず卵とか何かの塊とか硬貨とか数えられるものは x、流動体や均等性のもの、つまり不可算名詞や集合名詞は  y になる。水とか雪とか鉄とか火などがこれである。また抽象名詞もここにはいる。ややこしいのは同じ名詞が複数のカテゴリーに 属する場合があることだ。上で挙げた「揺れ」などではなく、この場合は属するカテゴリーによってニュアンスというより意味が変わる。例えば ráac̣i は hm なら「番人」だがx だと「守護神」、ġénis は hf で「女王」、y で「金」となる。さらに ćhumár は x で「鉄のフライパン」、y で「鉄」、bayú は x だと「岩塩」、つまり塩の塊だが y では私たちが料理の時にパラパラ振りかけたりする砂状の塩だ。
 もちろん名詞ばかりでなく、代名詞にもこの4つの違いがある。ヤスィン方言の単数形の例だが、this はそれぞれの性で以下のような形をとる。hf で -mo という形態素が現れているが、これは上で述べた -mo についての記述と一致する。
Tabelle2-144
フンザ・ナゲルでは hm と hf との区別がなくh として一括できる。
Tabelle3-144
 さらに動詞もこれらの名詞・代名詞に呼応するのは当然だ。

 上でブルシャスキー語は膠着語な言語と書いたのは、トルコ語のような真正の膠着語と違って語の後ろばかりでなく接頭辞が付きそれが文法上重要な機能を担っているからだ。面白いことに動詞に人称接頭辞が現れる。動詞の人称変化の上にさらに人称接頭辞が加わるのだ。例えば werden (become) という自動詞では動詞本体の頭に主語を表す人称辞がついて

i-mánimi → er-wurde (he-became)
mu-mánumo → sie-wurde (she-became)

となり、動詞の語形変化と接頭辞で人称表現がダブっているのがわかる。もっともブルシャスキー語は膠着語的な言語だから、上の例でもわかるように「動詞の人称変化」というのは印欧語のような「活用」ではなく動詞本体に接尾辞がつくわけで、つまり動詞語幹が前後から挟まれるのだ。これが単語としての動詞でシンタクス上ではここにさらに主語(太字)がつく。

hir i-mánimi → der Mann wurde (the man became)

だからこの形は正確にいうと der Mann er-wurde (the man he-became) ということだ。一方他動詞の場合は、「能格言語」と聞いた時点ですでに嫌な予感がしていたように人称接頭辞が主語でなく目的語を表す。

i-phúsimi → er ihn-band (he him-bound)
mu-phúsimi → er sie-band (he her-bound)

ここにさらに主語と目的語がつくのは自動詞と同じだ。

íne hir i-phúsimi → er band den Mann (he bound the man)

直訳すると er ihn-band den Mann (he him-bound the man) である。ここまでですでにややこしいが問題をさらにややこしくしているのが、この人称接頭辞が必須ではないということだ。どういう場合に人称接頭辞を取り、どういう場合に取らないか、まだ十分に解明されていない。人称接頭辞を全く取らない語形変化(語尾変化)だけの動詞も少なからずある。また同じ動詞が人称接頭辞を取ったり取らなかったりする。そういう動詞には主語や目的語が y-クラスの名詞である場合は接頭辞が現れないものがある。また人称接頭辞を取る取らないによって意味が違ってくる動詞もある。人称接頭辞があると当該行動が意図的に行われたという意味になるものがあるそうだ。例えば人称接頭辞なしの hir ġurċími (der Mann tauchte unter/ the man dived under) ならその人は自分から進んで水に潜ったことになるが、接頭辞付きの hir i-ġúrċimi (何気にアクセントが移動している)だとうっかり足を滑らして水に落っこちたなど、とにかく外からの要因で起こった意図していない潜水だ。他動詞に人称接頭辞がつかないと座りの悪いものがあるのはおそらくこの理由による。上で述べたように他動詞だから接頭辞は目的語を示すわけだが、その目的語から見ればその作用は主語から来たもの、つまり目的語の意志ではないからだ。逆に自動詞に接頭辞を取ると座りが悪いのがあるが、それは意味そのものが「座る」とか「踊る」とか主語の主体性なしでは起こりえない事象を表す動詞だ。さらに人称接頭辞のあるなしで自動詞が他動詞に移行する場合もある。例えば接頭辞なしの qis- は「破ける」という自動詞だが接頭辞がつくと i-qhís- で、「破く」である。
 もうひとつ(もういいよ)、名詞にもこの人称接頭辞が必須のものがある。上述のハイフンをつけた名詞がそれで、「父」とか「母」などの親族名称、また身体部分など、持ち主というかとにかく誰に関する者や物なのかはっきりさせないとちゃんとした意味にならない。例えば「頭・首」は-yáṭis だが、そのままでは使えない。a-yáṭis と人称接頭辞 をつけて初めて語として機能する。上の動詞で述べた接頭辞 i- は hmで単数3人称だが、このa-  は一人称単数である。これにさらに所有代名詞がつく。jáa a-yáṭis となり直訳すると mein ich-Kopf (my I-head)、「私の頭」である。これに対し他の名詞は人称接頭辞がいらない。jáa ha で「私の家」、「家」に接頭辞がついていない。しかし持ち主がわからず単にa head または the head と言いたい場合はどうするのか。そういう時は一人称複数か3人称複数の人称接頭辞を付加するのだそうだ。

 極めつけというかダメ押しというか、上でもちょっと述べたようにこのブルシャスキーという言語は能格言語(『51.無視された大発見』参照)である。自動詞の主語と他動詞の目的語が同じ格(絶対格)になり他動詞の主語(能格)と対立する。ベルガー氏がバスク語との関係を云々し、コーカサスの言語とのつながりをさぐっている研究者がいるのはこのためだろう。ブルシャスキー語は日本語などにも似て格の違いを接尾辞でマークするので印欧語のように一発できれいな図表にはできないが(要するに「膠着語的言語」なのだ)、それでも能格性ははっきりしている。絶対格はゼロ語尾、能格には -e がつく。

自動詞
hir i-ír-imi
man.Abs + hm.sg.-died-hm.sg
der Mann starb (the man died).

他動詞
hír-e gus mu-yeéċ-imi
man.Erg + woman.Abs + hf.sg-saw-hm.sg
Der Mann sah die Frau (the man saw the woman)


ブルシャスキー語の語順はSOVだから、他動詞では直接目的語の「女」gus が動詞の前に来ているが、これと自動詞の主語hir(「男」)はともにゼロ語尾で同じ形だ。これが絶対格である。一方他動詞の主語はhír-e で「男」に -e がついている。能格である。人称接頭辞は上で述べた通りの図式だが、注意すべきは動詞の「人称変化」、つまり動詞の人称接尾辞だ。自動詞では接頭、接尾辞ともに hmの単数形で、どちらも主語に従っているが、他動詞では目的語に合わせた接頭辞は hf だが接尾辞の方は主語に呼応するから hm の形をとっている(下線部)。言い換えるとある意味では能格構造と主格・対格構造がクロスオーバーしているのだ。このクロスオーバー現象はグルジア語(再び『51.無視された大発見』参照)にもみられるし、ヒンディー語も印欧語のくせに元々は受動態だったものから発達してきた能格構造を持っているそうだから、やっぱりある種のクロスオーバーである。

 ところで仮にパキスタン政府がカラコルム・ハイウェイに関所(違)を設け、これしきの言語が覚えられないような馬鹿は入国禁止とか言い出したら私は絶対通過できない。そんな想像をしていたら一句浮かんでしまった:旅人の行く手を阻むカラコルム、こんな言語ができるわけなし。


ブルシャスキー語の格一覧。Kasus absolutusが絶対格、Ergativが能格。
Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.63 から
burushaski-Kasus-bearbeitet
そしてこちらが人称接頭辞一覧表。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.90 から
burushaski-praefixe-bearbeitet
ベルガー氏が収集したフンザ方言の口述テキストの一つ。ドイツ語翻訳付き。「アメリカ人とK2峰へ」。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil II Texte mit Übersetzungen. Wiesbaden:Harrassowitz: p.96-97 から
burushaski-text-bearbeitet


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前に書いた記事の図表を画像に変更しました(レイアウトが機種やブラウザによって、特にスマホではグチャグチャになるので)。穴があったら入りたい大間違いがあったのでそれも直しました。この大チョンボが5年以上人目に晒されていたのかと思うともう…(この調子だと私まだどこかで大誤打やってそうです)

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 ドイツ語をやると必ず覚えさせられるのがいわゆる Diminutiv(「縮小辞」)という形態素だ。普通名詞の後ろにくっついて「小さいもの」を表す縮小名詞を作る。明治時代には時々「メッチェン」などというトンでもないフリガナをふられていた Mädchen(メートヒェン、「少女」)が最も知られている例だろう。これは本来 Mägdchen だったが、新高ドイツ語の時代になって g がすっぽ抜けた。 Magd + chen で、-chen が縮小辞である。それに引っ張られて名詞がウムラウトを起こすため、Magd が Mägd という形になっている。だから Mädchen は「小さい Magd」。Magd は若い女性ばかりでなく女の召使い(昔は封建社会だったので)の意味もあったが、現在単独の語としてはほとんど使われなくなった。「古語」なのである。本体は消えて縮小辞つきの Mädchen の方だけ残ったわけだ。この -chen の他に -lein(単語や方言によっては -le、-li あるいは -el)という縮小辞もある。Mädchen の代わりに Mädle あるいは Mädel と言っても意味は同じ。ただニュアンスが少し違い、後者の二つは口語と言うか日常会話的。Fräulein(「お嬢さん」)の -lein も本来縮小辞なのだが、最近はFräulein という言葉自体があまり使われなくなってきているし、この単語も Frau+lein と分ける意識はなく、まあ全体で一つの単語だろう。
 他方この縮小辞は一つの単語として確立したものにだけに見られるのではなく、造語用の形態素としても日常会話で頻繁に使われている。例えば「ひよこ」を Küken(キューケン)あるいは Kücken(キュッケン)というが、私などはあのモフモフ感を強調するためこれに -chen をつけて Kückchen(キュックヒェン)と言わずにはいられない。「ひよこさん」である。アヒルに対しても単に Ente(エンテ)などと辞書どおりに呼ぶと無愛想すぎるのでいつも Entlein(エントライン)、Entchen(エントヒェン)である。いちどアヒルにつけるのは -chen がいいのか  –lein がいいのかネイティブに聞いてみたことがあるが、「好きにしろ」とのことだった。
 縮小辞をつけた単語は辞書に載っていないこともあるので、会話でこれを使うと「私は辞書に載っていない言葉を使っているぞ!」ということで、まるで自分のドイツ語が上手くなったような錯覚を起こせて気持ちがいいが、実はこの縮小形使用には気持ちのほかに実際的な利点があるのだ。
 ドイツ語の名詞には女性・中性・男性の三つの文法性があるが、これがロシア語のように名詞の形によっては決まらない。もちろんある程度形から推すことはできるが、Bericht(ベリヒト、「報告」)が男性、それと意味も形も近い Nachricht(ナーハリヒト、「報告」)が女性と来ては「何なんだこれは?!」と思う。ところが -chen であれ-lein であれ、この縮小辞がついた語は必ず中性になるのである。だから名詞の文法性が不確かな時はとにかく縮小辞をくっつけて名詞全体を中性にしてしまえばいい。日本語でも丁寧な言葉使いをしようとしてむやみやたらと「お」をつける人がいるが、それと似たようなものだ。日本語の「お」過剰がかえって下品になるように、ドイツ語でも縮小名詞を使いすぎるとちょっとベチャベチャして気持ちわるい言葉使いにはなるが、文法上の間違いだけは避けられる。
 ロシア語には -ик (-ik)、 -нок (-nok)、 -к (-k) といった縮小辞がある。たとえば
Tabelle-97
 この -ik についてはちょっと面白い話を聞いたことがある。ロシア語ばかりでなくロマニ語でもこの -ik が使われているが(pos「埃」→ pošik)、この縮小辞はアルメニア語からの借用だという説があるそうだ。クルド語にも kurrik (「少年」)、keçik(「少女」)などの例があるらしい。同じスラブ語のクロアチア語では男性名詞には -ić(komad 「塊」→ komad)、 -čić(kamen「石」→ kamenčić)、 -ak(cvijet「花」→ cvijetak)、女性名詞には -ica(kuća「家」→ kućica、 -čica(trava「草」→ travčica)、 -ka(slama「藁」→ slamka)、そして中性名詞だと -ce(brdo「山」→ brdašce)、 -če(momče 「少年」、元の言葉は消失している)を付加して縮小名詞を作るが、ロシア語 -ik とはちょっと音が違っている。この違いはどこからきたのか。考えられる可能性は3つである:1.ロシア語の -ik はアルメニア語からの借用。クロアチア語が本来のスラブ語の姿である。2.どちらの形もスラブ語祖語あるいは印欧祖語から発展してきたもの、つまり根は共通だが、ロシア語とクロアチア語ではそれぞれ異なった音変化を被った。3.ロシア語とクロアチア語の縮小辞は語源的に全くの別単語である。クロアチア語の -ak など見ると -k が現れているし、c や č は k とクロアチア語内の語変化パラダイムで規則的に交代するから、私は2が一番あり得るなとは思うのだが、きちんと文献を調べたわけではないので断言はできない。

 さて、縮小形の名詞は単に小さいものを指し示すというより、「可愛い」「愛しい」という話者の感情を表すことが多い。「○○ちゃん」である。上のひよこさんもアヒルさんも可愛いから縮小辞つきで言うのだ。そういえばいつだったか、私がベンチに坐って池の Entlein を眺めていたら(『93.バイコヌールへアヒルの飛翔』の項で話した池である)、いかにも柔和そうなおじいさんが明らかに孫と思われる女の子を連れてきて「ほら、アヒルさんがいるよ」と言うのに уточика(ウートチカ)と縮小辞を使っていた。ロシア人の家族だったのである。普通に「アヒル」なら утка(ウートカ)だ。
 そういえば前に話題にしたショーロホフの短編『他人の血』では老コサックが戦死した息子を悼んで сынок! (スィーノク)と叫ぶシーンがあった。縮小辞は死んだ息子に対する愛情の発露である。単に「息子」だけなら сын (スィン)だ。
 逆にあまり感情的な表現をしてはいけない場合、例えば国際会議などでアヒルやひよこの話をする時はきちんと Ente、Küken と言わないとおかしい。この縮小辞を本来強いもの、大きくなければいけないものにつけると一見軽蔑的な表現になる。「一見」といったのは実はそうでもないからだ。Mann (「男、夫」)のことを Männchen とか  Männlein というと「小男」「チビ」と馬鹿にしているようだが、Männchen などは妻が夫を「ねえあなた」を親しみを込めて呼ぶときにも使うから、ちょっと屈折してはいるが、やはり「可愛い」「愛しい」の一表現だろう。Männchen には動物の雄という中立的な意味もある。
 ロシア語の народишко(ナロージシコ)は народ(ナロート、「民衆・民族」)の縮小形だが、これは本当に馬鹿にするための言葉らしいが、ロシア語とドイツ語では縮小辞にちょっと機能差があるのだろうか。

 縮小辞の反対が拡大辞 augumentative である。この形態素を名詞にくっつけると「大きなもの」の意味になる。ネットを見てみたらドイツ語の例として ur-(uralt 「とても古い」)、über-(Übermensch「超人」)、 aber- (abertausend「何千もの」)が例として挙げてあったが、これは不適切だろう。これらの形態素はむしろ「語」で、つまりそれぞれ語彙的な意味を持っているからだ。しかも -chen や -lein の縮小辞とちがって全部接頭辞である。単なる強調の表現と拡大辞を混同してはいけない。
 ロシア語には本当の拡大辞がある。-ище (-išče)、–ина (-ina)、–га (-ga) だ。縮小辞と同じく接尾辞だし、それ自体には語彙としての機能がない:дом (「家」)→ домище (ドーミッシェ、「大きな家」)またはдомина (ドミナ、「大きな家」)、 ветер(ヴェーチェル、「風」)→ ветрога(ヴェトローガ、「大風」)。クロアチア語には-ina、-etina、-urina という拡大辞があり、明らかにロシア語の –ина (-ina) と同源である:trbuh (「腹」)→trbušina (「ビール腹、太鼓腹」)、ruka(「手」)→ ručetina (「ごつい手」)、knjiga (「本」)→ knjižurina(「ぶ厚い本」)。この縮小形はそれぞれ trbuščić(「小さなお腹」)、ručica (「おてて」)、knjižica(「小さな本」)で、上で述べた縮小辞がついている。
 クロアチア語は縮小形名詞ばかりでなく、拡大形のほうも大抵辞書に載っているが、ロシア語には縮小形は書いてあるのに拡大形のでていない単語が大部ある、というよりそれが普通だ。辞書の編集者の方針の違いなのかもしれないが、もしかしたらロシア語では拡大辞による造語そのものが廃れてきているのかもしれない。クロアチア語ではこれがまださかんだということか。
 また、拡大形は縮小形よりネガティブなニュアンスを持つことが多いようだ。 上の「ビール腹」も「ごつい手」も純粋に大きさそのものより「美的でない」という面がむしろ第一である感じ。さらにクロアチア語には žena(「女」)の拡大形で ženetina という言葉があるが、物理的にデカイ女というより「おひきずり」とか「あま」という蔑称である。
 だからかもしれないが、さすがのクロアチア語辞書にも「アヒル」(patka)については縮小形の patkica しか載っていない。ロシア語も当然縮小形の「アヒルさん」(уточика)だけだ。この動物からはネガティブイメージが作りにくいのだろう。例の巨大なラバーダックも物理的に大きいことは大きいが、それでもやっぱり可愛らしい容貌をしている。


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 以前にも書いたが、構造主義を発達させたのは言語学、特に音韻論である。「音素」という観念がすでに大発見だと思うが、それをさらに分割した最小単位「弁別的素性(そせい)」というアプローチが構造主義が広がる出発点となった。ヤコブソン、トゥルベツコイなどがあくまで言語学用に確立したこの観念を人類学・民族学者などがちゃっかり(?)拝借して応用し、そこから一般に広まった。民族学などの本の方がギチギチの理論詰めで書かれている無味乾燥なトゥルベツコイの『音韻論概説』なんかよりよっぽど読みやすくて面白いからだ。
 しかしロシア語を勉強した者ならふと疑問に思う人も多かろう:構造主義の先頭を走っていたロシア・ソビエトの学者はその後どこへ行ってしまったんだ?フォルトゥナートフがモスクワで、ボドゥアン・ド・クルトネがカザンで構造主義の先鞭を付けていたはずだが、その鞭は今何処にあるんだ?ド・クルトネについてはスラブ語学者の千野栄一氏もエッセイで強調しているが、ソシュールより30年も前にすでに構造主義言語学の基本的な考えに到達していたのである。プラーグ学派がナチにつぶされ、ユダヤ人のヤコブソンがアメリカに亡命してそこでアメリカ構造主義の発展の一因になったことはまだわかる。しかしナチに打ち勝った本家ソビエト・ロシアの構造主義はどうなったんだ?と。実際私たちのように外部にいるものには、1930年ごろから1960年ごろまで、こちらで構造主義やらソシュール言語学やらが花開いていた時期のソ連の業績がほとんど伝わって来ない。
 幸い、といっていいのかどうか、今では少なくともその暗黒時代の原因については皆に知られている。スターリンの御用学者のマールという言語学者だ。この人が1925年あたりからソ連言語学を牛耳り、自身の死後もスターリンの後押しでその言語学は影響力を失わず1950年代まで君臨し続けたからである。その言語学は一言でいうとイデオロギーを完全優先させたもので、言語の発展や変化の過程を階級闘争の一環として把握しようとする。印欧語学も構造主義の言語学も「ブルジョア脳」が生み出したものとして排除された。どうしてスターリンが言語学などというマイナーな分野に口を入れたのかよくわからないが、マールがグルジア人だったので同胞のよしみということなのかもしれない。また構造主義言語学がブルジョア言語学に見えたのは、当時の学者はド・クルトネにしてもソシュールにしてもトゥルベツコイ侯爵にしても貴族や裕福な家庭の出、つまりええとこのボンが多かったので、その思想も階級の敵という扱いになったのではないだろうか。1950年代にスターリンが突然掌を返してマールの説を放棄し、50年代中ごろからソ連でも構造主義がリバイバルするが、30年近く発展を阻まれてた言語学者の被害は甚大、いわばせっかく自分たちで築き上げた成果を民族学にさらわれる前に自分たちで滅茶滅茶に踏みにじったのである。
 このブランクのため50年代後半に構造主義言語学にOKが出てもしばらくはもたついていたようだ。構造主義への批判もあった。「構造主義は言語という人間の営みを非人間化している」と言う声もあったそうだが、そういえば一見人間の実際の生活や文化から遊離しているかに見える抽象的な理論に対しすぐ生活の役に立つの立たないのとケチをつけだす小学生が『身体検査』というソログープの短編に出ていた。大人になっても言語理論が一見日常会話言語と乖離し、言語学をやっても全く語学には役立たない(『34.言語学と語学の違い』参照)、こんなアプローチをやって何になるのかという懐疑を持っている人は多い。
 しかし一方かつて世界をリードしていたロシアの伝統はさすがに消えはせず、土台は残っていたので(その土台に立っていた建物はマールが焼き払っていたにせよ)そこからまた言語学の建設が始まった。チョムスキーの Syntactic Structures などいち早く紹介され、そのモデルをロシア語に応用した独自の変形文法理論などもすぐに出た。その一人がS.K.シャウミャン Себастиан Константинович Шаумян である。1965年に Структурная  Лингвистика(『構造主義言語学』)というズバリなタイトルの本を出して独自の生成モデルを展開し、それを「適用文法」と名付けて1974年にАппликативная грамматика как семантическая теория естественных языков(『自然言語の意味理論としての適用文法』)という論文(本)で集大成している。前者は1971にさる言語学のシリーズの一巻としてドイツ語訳が出ていて、そのシリーズ全般を監修したのがコセリウである。後者は1978年に『適用文法入門』というタイトルで出た日本語訳がある。
 時期的にはチョムスキーの変形生成文法がいわゆる(拡大)標準理論だったころで、もちろんその影響を強く受けている、というよりこれはチョムスキー標準理論のロシア語版である。いわゆる「言語ユニバーサル」という考え方が前面に出ていて、あらゆる言語を共通のモデル、共通の公式化で文法記述できる、少なくともそういうユニバーサルな公式化を目ざすという姿勢が顕著だ。英語やロシア語はその手始めなのである。さらに文法というのは既に発話された言語データの説明記述ではなく、その生成のメカニズムの再現であるべきだという考え。演繹面の強調である。言語構造を認識するためには統計的な手法は役に立たないとはっきりと述べている、また言い間違いや言語状況に左右される不純物を除いた理想的な言語あるいは「潜在的な言語」という想定もチョムスキーそのままだ。さらに、小さなことだが、名詞に付加された形容詞は関係節文を圧縮した結果とする見方も懐かしいというか当時の変形生成文法そっくりだ。
 
シャウミャンの別の論文にはチョムスキー式の樹形図が出ている。Структурная  Лингвистикаのドイツ語訳から。
StLingu213
 違う点はシャウミャンではそもそもそのタイトルからもわかるように文の生成の出発点からすでに語の意味(特に格の意味)や動詞のバレンツ構造が大きな意味を持つことである。当時の変形生成文法ではシンタクスと意味部門は別モジュールになっていて、共起制限の発動や格の意味(後にΘ役割とか呼んでませんでしたか?)の添加はシンタクス構造がある程度固まってから、少なくともシンタクス構造生成の過程で行われていたが、適用文法では格や動詞の意味が文生成の出発点だ。言い換えると適用文法では統語と意味を区別しないのである。格変化のパラダイムを全てと言っていいほど失った英語と、それをまだ豊かに持っているロシア語との違いという他はない。
 21世紀も20年通過した今になってこういうものを出すと、昭和ノスタルジーに駆られてウルウルするおじさんおばさんがいそうだが、変形生成文法の最初の一歩はこんな感じではなかったろうか。

1. S →  NP + VP
2. NP → N
3. N → {John}
4. VP → NP + V
5. NP → N
6. N → {duck}
7.  V → {see}

もちろんこの他にも duck の不定冠詞の a がついたり動詞に三人称 -s が付け加えられる細かい作業があるが、最終的に John sees a duck という文が生成されることになる。1のNPは主語、4と5のNPは目的語だから格が違うが、それは不問にされる。英語では形が全く同じだからである。対してシャウミャンでは出発点から深層格が顔をだす。ごく簡単に一例を見てみよう。

Raplo T1 T2 T3 T4

Rは人称に応じて変化する形式的述語、まあ大雑把に動詞のことである。その後ろにくっ付いているa、p、l、oというのが動詞のバレンツだが、注意すべきはこれがいわば深層格であって表面上に出てくる(つまり辞書に載っている)動詞の支配する格構造とは違うということだ。あくまで抽象的な深層の格構造であって、実際に具体的な発話として実現される際は別個の格になったり前置詞がくっついて来たりする。シャウミャンは格を「状況関与成分が演じている役割の呼び名」と定義していて、「役割」という言葉がチョムスキーとよく似ている。a は奪格 аблатив、p は通格 пролатив、l は向格 аллатив、o は対象格 объектив といい、それぞれ運動の起点、運動の通過点、運動の終点、動いている点そのものを表わすが、その際純粋に物理的な運動ばかりでなく、例えば

Иван нанёс  рану Петру ножом
Ivan主格 + bore/carried + a wound対格 + to Peter 与格+ with a knife造格
イワンがピョートルにナイフで傷を与えた


では、イワンが a、傷が o、ピョートルが l、ナイフが p だ。さらに次のような文の成分も深層格は上と同じだが、表層格は全く違う。前置詞を伴ったりもする(太字)。

Нанесена Иваном ножом Петру рана
is born/carried + by Ivan造格 + with a knife造格 + to Peter与格 + a wound主格

Рана нанесена Петру Иваном с помощью ножа
a wound主格 + is born/carried + to Peter与格 + by Ivan造格 + with the help of a knife生格

また動詞がバレンツ項目を吸収して意味の圧縮が起こることもある。例えば

Иван ранил  Петру ножом
Ivan + wounded + Peter + with a knife
イワンがピョートルを傷つけた

ではRo が一つの動詞に圧縮されている。
 Tは深層格を担う成分で、数字の順番通りにa、p、l、oの格役割を割り振っていき、T が a、T2 が p、T3 が l、T4 が oとなる。ここら辺は当時のチョムスキーなら

T1 → Ta
T2 → Tp
T3 → Tl
T4  →  To


とか何とか書きそうだが、シャウミャンはこれを次のように表わしている。
Schema1-168
Tの番号を見れば深層格も自動的にわかるので必ずしも必要ではないが、語順変換規則を適用した後などこんがらがりやすい時は明確にしておくためTにさらに格記号をつけることもある。T1a、さらに最初の番号を取ってしまって Ta などと書いたりもする。最終的にはこの T にさらに具体的な語彙素が代入される。これが構造の具現化である。上で出した懐かしの公式にある { } のようなものだ。

Raplo Иван  нож  Пётр  рана

 話が前後するが、実はこの Raplo T1 T2 T3 T4 というの4項構造がそもそもさらにいくつかの2項からなる原初構造(シャウミャンは「公理の型」と呼んでいる)から派生されたもので、全くの出発点ではない。だから前述の Иван нанёс рану Петру ножом などの文も直接 Raplo T1 T2 T3 T4 から導き出されたのではないと言う理屈になる。Raplo T1 T2 T3 T4 が生成された過程は以下のように図示できる。

Rao T1 (Rpo T2 (Rlo TT4))
Rao Иван (Rpo  нож (Rlo  Пётр рана))

( )はちょうど掛け算より足し算を先にするときに使うようなもので、括弧内部の処理をしてから外の計算(?)をかけろという意味だ。これがいわば深層構造でここに様々な変形規則を適用する。ちょっとごく簡単な例をみてみよう。

Он обрабатывает деталь
he + is processing + a/the part
彼が部品を加工している。


という文の出発点は次のような公理であり、

Roa (Rlo T1l T2o) T3a

この文の意味の深層構造は

* Он каузирует, (чтобы) деталь была в обработке
* he + causes, +  (that) + a/the part + was + in + a/the process
 
となる。 he が T3a、a/the part が T2o、a/the process がT1l であることがわかる。この基本形に二段階の演算処理が施される。

1. Roa (Rlo T1l T2o) T3a ------- (A)
2. B Roa (Rlo T1l ) T2o T3a --- (B)
3. Poa  T2o T3a ------------------ 融合規則 1.8

2の頭についている B というのは「意味規則」と言われるものの一つで処理の優先順位を変える。Aは(私の理解した限りでは)「絶対的被演算子」と呼ばれる、つまり始めの一歩だ。意味規則の他に融合規則と言うのがあり(3)、その1.8は

B Roa (Rlo T1l ) →  Poa

と図式化され、Pは「基本的述語」、シャウミャンの言葉でいうと「任意の複合の度合いを持った辞項の代表」である。上で述べた「意味の圧縮」を念頭に置くとわかりやすいと思うが、ここでは (Rlo T1l )が独自にまとまって

находится в обработке
is situated + in a/the process
加工中である


という意味単位を作る。

 さてこの文の受動表現のほうは別の公理から出発し、4段階の演算を経て次のように生成される。

Деталь  обрабатывается им
a/the part + is being processed + by him
部品が彼によって加工されている


1. Rao T1a (Rlo T2l T3o) ------------- (A)
2. C Rao (Rlo T2l T3o) T1a ---------- (C)
3. B (CRao) (Rlo T2l) T3o T1a ------ (B)
4. C (B (CRao) (Rlo T2l)) T1a T3o -- (C)
5. Pao T1a T3o ------------------------- 融合規則 1.1

この文の公理は  Rao T1a (Rlo T2l T3o) だから、その深層意味構造は

* (То, что) деталь в обработке, каузируется им
that + a/the part + in a process + is caused + by him

である。融合規則 1.1というのは

C (B (C Rao) (Rlo T1)) → Pao

というもの。
 これらは単純な文だからまだ付き合えるが(付き合うついでに誤植ではないかと思われる部分があったので勝手に直しておいた)、埋め込み文だの関係節だのになるとこんなもんじゃなく文一つ作るのに延々と演算が続く。また最初の絶対的被演算子が同じでもそこにかます演算の種類や順番が違うと非常に異なったアウトプットになる。さらにここからまた形態素の変換規則、それをまた音韻に変換する規則がたくさん続くから、まだ実際の発話となって出てくるまで道は遠い。

 まあこのように変形生成文法標準理論のロシア語版なのだが、一つエラく気になった部分があった。いわゆる「主題(トピック)」という観念の把握だ。シャウミャンは絶対的被演算子 としての文構造の最後に来る基項を「意味的に一番重い」とし、これを「主題」と名付けている。表面層ではこの主題が文頭に立つのだが、この考え方はそれこそプラーグ学派のテーマ・レーマ議論から一歩も出ておらず、しかも一部混同している。プラーグ学派で「意味的に一番重い」、つまり「情報価が高い」とされたのはテーマでなくレーマのほうだ。いわゆる「新情報」だからである。しかし当該指示対象が既知か未知か、既知だったらどれほど既知かという度合いをreferential status 指示のステータスというが、これと主題・述部といった文の情報構造とは理論的には互いに独立、無関係であるということはチョムスキー側ではそれこそ既知となった。私の覚えている限りでは1981年にイスラエルの言語学者ターニャ・ラインハルトが(言葉は違うが)そういうことを言っているし、なによりチョムスキー側には1960年代から日本の言語学者が多数参加し、「主題」を表わす特別な形態素を持っている日本語を議論に加えたことが大きいと私は考えている。日本の言語学者が世界レベルで果たした貢献であると。
 つまりプラーグ学派のテーマ・レーマ理論は「古い」のである。もちろん1960代当時は英語学側でもまだ議論が進んでいなかったから、その後の発展と比較してシャウミャン側を云々するのはフェアではないし、未だに日本語の授業で助詞の「は」は既知の情報を表わすなどというアンポンタンな説明をする人もいるから、こちらもあまり大きな顔はできまい。

一般化された語彙的意味を持つ深層語形から具体的な語彙的意味を持つ深層語形への変換。『適用文法入門』から。
234


深層の名詞語形を表層の名詞語形に変換する規則。これも『適用文法入門』から。
240

名詞の語形変化をその音韻表示に変換する規則。同上
244

「与える」という意義を持つコミュニケーション動詞の断片的な転換意味の場の生成の例(のごく一部)。同上
252


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 確かタランティーノの『パルプ・フィクション』にこんな内容の会話があった。

A: Are you OK? Say something!
B: Something.

Bをいったのはウマ・サーマンと記憶している。ドイツ語版ではここが

A: Sind sie OK? Sagen Sie etwas!
B: Etwas.

で、監督の意図通りうちでは皆ここで素直に笑ったが、これを日本語で言うと

A: 大丈夫ですか?うんとかすんとか言いなさい。
B: すん。

となり結構使い古されたギャグである。しかし語用論レベルでは同じ機能であっても言語構造そのものはドイツ語あるいは英語と日本語では決定的な違いがある。ドイツ語バージョンを直訳してみるとよくわかる。

A:大丈夫ですか?何か言ってください。
B:何か。

BはAへのリアクションとしては不正確だ。ギャグになっていない。まあその意図を組んで笑ってあげる人もいるだろうが、「うん」と「すん」の場合より笑いだすのが何分の一秒か遅れ、しかも浅くなる。おかしさが本来のものでないからだ。なぜか。
 一言でいうと日本語では指示対象、ド・ソシュールの用語でいうと、シニフィエが普通に当該単語以外の事象かシニフィアンである当該言語そのものが同時にシニフィエであるかを引用符なしでも明確に区別できるからである。例えば

1.何かと言ってください
2.何か言ってください

との違いをドイツ語では表すことができない。だからこそわざと上のように誤解釈させてギャグにすることができるのだ。日本語はこの区別が下手にできてしまうために2と言ったら「何か」という語そのものでなく本当に何か言語外に指示対象のある語を発せよということになり、「アヒル」とか「山」とか「川」とか言わなけれないけない。シニフィアン≠シニフィエだ。逆に1では指示対象がまさに何かという語そのもの、シニフィアン=シニフィエだから、「何か」というしかなく、誤解釈させてギャグにすることができない。そこで「うん」や「すん」のような意味のない、からのシニフィアン(?)を持ち出して「たとえ話」にするしかないのである。言い換えるとドイツ語や英語での笑いは、指示対象を誤解釈したため生じるものだが、日本語ではたとえ話・言葉のあやをマに受けたマヌケさ(まあわざとやっているわけだが)に対する笑いだ。出所がまったく違う。まあ要は笑えればいい、言い換えると発語媒介行為(『118.馬鹿を馬鹿と言って何が悪いという馬鹿』参照)を写し取ればいいわけだ。
 この、シニフィアン≠シニフィエとシニフィアン=シニフィエを引用符を使わずに区別できるというのは日本語のセールスポイントの一つだと思うのだが、日本語の授業などでは割とないがしろにされている。だから学習の進んだ者でも次の区別がつかない。

3.山田さんは嘘をいいました。
4.山田さんは嘘といいました。

4では山田さん自身は嘘を言っていない。他の人の発言が嘘だと判断したのである。もちろん山田さん本人が昔やった自分の発言を「あれは嘘だよ」と白状した場合にも使えるが、当該発言が嘘であるか否かということは命題の内容そのものには入っていない。ここで4に

山田さんは嘘だといいました。

と、コピュラの助動詞を添加すれば学習者はよくわかるようになるが、そうなると今度は勢い余って3の方にも「だ」をつけて

山田さんは嘘だをいいました。

とか言い出す。要するに指示対象のレベルの違いが呑み込めていないのである。もしかしたら「山田さんは嘘だといいました」は

Herr Yamada sagte, dass es eine Lüge war.

「山田さんは嘘だをいいました」は

Herr Yamada sagte, es sei eine Lüge.

で、要するに意味内容は同じだと思っているのかもしれない。同じじゃないっての。

 これは決して些末な問題ではない。信じたくない話を聞かされ、必死の懇願で

どうか嘘と言ってくれ

と言うかわりに

どうか嘘を言ってくれ

などと言ったら頭を疑われかねない。また

馬鹿を言うな

でなく

馬鹿というな

と言ったりしたら帰ってくる返事は「別にお前のことを馬鹿だなんて言ってないだろ」とかであろう。相手のキョトンとした顔が見えるようだ。
 面白いことにシニフィアンとシニフィエが別のものであれば、そのどちらもが単語、つまり言語外に指示対象がなくても対格の「を」が使える。例えば冒頭のセリフを描写する場合、私の感覚では

5.Somethingを言ったのはウマ・サーマンだ。
6.Somethingと言ったのはウマ・サーマンだ。

のどちらもOKだ。6がOKなのは当然だが、どうして5が可能なのか。これは今私がここで述べているSomething(シニフィアン)が映画でサーマンが過去に言ったSomethingを指している、言い換えると映画の中の発言がシニフィエと解釈できる、つまり厳密にいうとシニフィアンとシニフィエが一致しないからである。日本語の本文のなかに英単語が組み入れられていることによってそのことが強調されている。これがもし下手に翻訳して

何かをいったのはサーマンだ。

と言ってしまうと、サーマンがうんとかすんとか言った、つまり「何か」とは言わなかったという解釈しかできない。またこれを強調文でなく普通の文にして

サーマンがSomethingをいった。

とすると5と違って「うんとかすんとか」という解釈以外はしにくくなる。シニフィアンもシニフィエも言語である場合not equal解釈に持って行くのは不可能ではないが難しいテクがいるようだ。

 さてこの不変化詞「と」だが、ここの「と」が共格Komitativの「と」(『152.Noとしか言えない見本』参照)や並列の「と」、さらに「銀行は右に曲がるとすぐ前にあります」のような接続助詞とは異なる語であることは明らかだ。上でもちょっと暗示したように機能的に英語のthat やドイツ語の dass に近い。

山田さんが高橋さんはマヌケだといいました。
Mr. Yamada said that Mr. Takahashi was an idiot.
Herr Yamada sagte, dass Herr Takahashi ein Idiot war.

ドイツ語の文法だと dass は接続詞 Konjunktionに分類されている。確かに用法が「と」より広く、

Er ist dermaßen blöd, dass er nicht einmal seinen eigenen Namen kennt.
(He ist so stupid that he does not know even his own name.)

というような構造にも使えるからKonjunktion なのだが、ちょっともの足りない。英文法ではthat や dass をComplementizer と呼ぶがこっちの方が適切ではないだろうか。私も「と」は日本語の Complementizer だよと説明している。ただ日本語のComplementizerは中身が文でなくても使えると注はつける。つまりドイツ語では

Er sagte, dass es eine Lüge war.
He said that it was a lie.

とdass の後に文が来ないといけないが、日本語だとここで

*Er sagte dass eine Lüge.
*He said that a lie.

というドイツ語では許されない構造が可であると。
 もっとも今調べたらドイツ語の ob(英語のwhether )もComplementizer 扱いされている。そこから考えると日本語の「お前がマヌケ(どうか)俺が知っているさ」の「か」もComplementizer かなと考えてしまいそうになるが、「か」はあくまで「質問文マーカー」であってCompとは言えまい。第一にここでの「お前がマヌケ(どうか)」はシニフィアン≠シニフィエ、つまり文は言語外の命題そのものを指示しているし、第二にマヌケ文そのもの、つまりシニフィエが指示対象になる場合は「と」がつく。

山田さんがお前はマヌケか聞いていました。

「と」を抜いた形は本当は引用符付きの別構造だろう(下記15参照)

山田さんが「お前はマヌケか」聞いていました。

もちろん普通の叙述文と違って「か」がつくと「と」が省略されうる、ということは心にとめておかねばいけないだろうが。

 さてこのComplementizer 君だが、格表現を取らない。上の例4、「山田さんは嘘といいました」の「嘘」は「言う」という他動詞の直接目的語だから対格のはずだが、表層では表現されない。格表現してしまうと非文になる。

*山田さんは嘘とをいいました。

さらに7でもComp氏は対格、8では主格である。

7.山田さんが禁煙といっていた。
8.ここに禁煙とある。

これらをそれぞれシニフィアン≠シニフィエの「普通の」構造と比べてみると格構造がはっきりする。

9.禁煙を守れ
10.禁煙が決まりだ

9の「守る」は10の「言う」と同じく他動詞、10はコピュラ文、8の「ある」
は自動詞だから「禁煙」はどちらも主語で主格である。
 この「主格と対格を表現するとNG」という現象は次のように主題表現の際も見られるが(『65.主格と対格は特別扱い』参照)、上の2のようなもともとの疑問代名詞に「か」をつけて作る「何か」「誰か」のような表現もそうで、主格と対格は表さない。

誰か来ましたか?
誰か見ましたか?
何かたべましょう。
何かありますか?
何処か開いてますか?

これらの「~か」構造に格表現を持ち込むと明らかに許容度が減る。少なくとも有標表現にはなる。

誰かが来ましたか?
誰かを見ましたか?
何かをたべましょう。
何かがありますか?
何処かが開いてますか?

「誰かがきっと待っていてくれる」「何かを求めて」など「~か」主・対マーカーをつけた表現は歌の歌詞とか「失われし時を求めて」のような書き言葉的な言い方で、口語としては有標だ。それぞれ「あそこに誰かいますよ。」と「あそこに誰かいますよ。」、「何かお探しですか」と「何かお探しですか」を比べてみると、どちらが自然な日常生活表現か考えてみるとわかる。
 主格・対格以外ではこれもまた『65.主格と対格は特別扱い』で見たように有標性をあげることなく(?)格マーカーがつけられる。

11.誰かこのことを話しませんでしたか。
12.その時誰か会いませんでしたか。
13.その時誰か見かけませんでしたか。

比較のために文のパターンをそろえてみたが、私の感覚では13だけ格マーカーがないのとあるのとで明らかに有標性に違いがある。

 これに対してCompの「と」はいかなる格マーカーも許さない。さらに主格対格以外の解釈を許さない。シニフィアン=シニフィエが主・対以外の格になる場合は引用符がいる。

14.この文章は嘘でいっぱい。
15.この文章は「嘘」でいっぱい。
16.*この文章は嘘とでいっぱい。

14はこの文章はフェイクまみれということだが、15はこの文章にはやたらと嘘と書いてあるという意味である。引用符が不可欠で、「と」で嘘という言葉自体を表すことができない。

 日本語でも語の指示対象とシニフィアンとしての語そのものの区別が常に引用符なしでできるわけではないようだ。さらに言語の構造云々でなく言葉の指示対象あるいは言葉で表される命題と言葉そのものを区別できないというのがいる。例えば以前私は話者の視点が文の構造にどのように反映されるかを調べようとして次のような文が許容できるかどうか何人か人に聞いてみたことがある。

太郎の奥さんが自分の夫に殴られた。

私が期待していたのは「最初に太郎の奥さんと言っておきながら同じ文で太郎を自分の夫などと表現するのはおかしい。論理的におかしいからボツ」というような答えだった。実際大部分の人はその方向の答えをしてくれたが、一部「自分の妻を殴るなんて許せないからボツ」というレベルの議論を持ち出す人がいて困ってしまった。なぜ困ったかというとそこでさらに「こんな不道徳なことを言うなんて」と説教までされたからである。私は文(の論理構造)が許容できるかどうか聞いただけでその文が表す事象が許容できるかどうか聞いたのではない。

 とにかくたかがSay something如きのセンテンスでも実に様々な事象が絡みあっているものだ。

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