アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:怒りの荒野

 日本で映画のタイトルや何かちょっとしたフレーズなどで漢文や古文が盛んに引用されるのと同様、ヨーロッパではギリシア古典文学やラテン語からの引用が多い。特にイタリア人はさすがローマ人の直系の子孫だけあって、映画の中にもギリシア・ローマ古典から採ったモティーフをときどき見かける。
 たとえばマカロニウエスタンという映画ジャンルがあるだろう。ご存知イタリア製の(B級)西部劇のことだが、この名称は実は和製英語で、ヨーロッパでは「スパゲティウエスタン」という。何を隠そう、私の最も好きな映画ジャンルなのだが、そのマカロニウエスタンにもギリシア古典が顔を出すからあなどれない。

 まず、ジュリアーノ・ジェンマ主演の『続・荒野の一ドル銀貨』(この意味不明な邦題は何なんだ?原題はIl ritorno di Ringo「リンゴーの帰還」)という映画は、ギリシア古典のホメロス『オデュッセイア』の最後の部分をそのままストーリーにしている。
 『オデュッセイア』では戦争に出かけて長い間故郷を離れていた主人公オデュッセウスがやっと家に帰ってみると、妻ぺネロペーが他の男性たちに言い寄られて断るに断れず、窮地に陥っている。オデュッセウスは最終的に求婚者を全員殺して自分の家と領地と妻を取り戻す、という展開だ。映画では南北戦争帰還兵リンゴーがこれをやる。

長い戦いの後、やっと故郷に帰ってきたオデュッセウスならぬリンゴー。さすが10年以上も前にたった2ユーロ(300円)で買ったDVDだけあって画質が悪い。
ringo1

 またオデュッセウスはそこで、もともと自分のものなのに今では外から来たならず者に占拠されている屋敷に侵入する際、自分だとバレて敵に見つからないように最初乞食姿に身をやつすのだが、この展開も映画の中にちゃんと取り入れられている。さらに、『オデュッセイア』では女神アテネが何かとオデュッセウスの復讐を助けるが、このアテネに該当する人物が映画の中にも現われる。ストーリーにはあまり関係なさそうなのに、なぜか画面にチョロチョロ登場する、スペイン女優ニエヴェス・ナヴァロ扮するジプシー女性がそれだ。

 次に『ミスター・ノーボディ』という映画があるが、これの原題がIl mio nome é Nessuno、英語にするとMy name is Nobodyだ。これは明らかに、オデュッセウスがギリシアへの旅の途中で、巨人キュクロープスから「お前の名前は何だ!?」と聞かれ、「私の名前はNobody」と嘘をついた、というエピソードからとられたのだろう。以下がその箇所、『オデュッセイア』第9編の366行と367行目である(アクセントや帯気性を表す補助記号は省いてある)。オデュッセウスが機転を利かせてこう名乗ったためキュプロークスはそのあとオデュッセウスに目を潰されても助けを呼ぶことができなかった。

 366:Ουτις εμοι γ'ονομα.Ουτιν δε με κικλησκουσι
 367:μητηρ ηδε πατηρ ηδ'αλλοι παντες εταιροι.

 366:Nobodyが私の名だ。それで私の事をいつもNobodyと呼んでいた、
 367:母も父も、その他の私の同胞も皆。


 実際、ここに注目するとこの映画の製作者のメッセージが何なのかよくわかるのだ。

 この映画には主人公が二人いて、やや年配のガンマンと若者ガンマンなのだが、年取った方は長い間アメリカの西部を放浪した後やがてヨーロッパに帰っていく。もうひとりの若い方、つまりNobody氏はそのまま西部を放浪し続けることになる。つまり、彼は故郷ギリシアに戻れず、未開人・百鬼夜行の世界を永遠に放浪するハメになる「帰還に失敗した、もう一人のオデュッセウス」なのではないか。そういえば映画の冒頭部で、ヘンリー・フォンダ演ずる年配の方が、川で漁をしている若い方(テレンス・ヒル)と遭遇するシーンがあるが、ヒルを馬上から見下ろすフォンダの優しいと同時に距離をおいたような同情的な目つき、自分の舐めてきた苦労を振り返ってやれやれこういうことは今や全て過去のことになっていて良かった、彼はああいうことをこれから経験するのかと考えをめぐらしているような深い目つきと、自分の若さと才気が誇らしそうなヒルの表情の対象が印象的だった。

馬上からテレンス・ヒルを見下ろすヘンリーフォンダ
nobody2

老オデュッセウスは感慨に満ちた目で若いオデュッセウスを見つめるが
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若者はただ自分の「業績」を誇らしげに見せるだけ。
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 その若いオデュッセウスがさまよい続ける土地がアメリカ、というところに「アメリカ・アングロサクソンなんてヨーロッパ大陸部と比べたら所詮新興民族、文化的・歴史的には蛮族」というイタリア人のやや屈折した優越感が込められている、と私には感じられるのだが。その証拠に、というと大袈裟だが、ヨーロッパに帰って行ったほうの老ガンマンはフランス系の苗字だった。
 この映画がコミカル・パロディ路線を基調にしているにも拘らずなんとなくメランコリックな感じがするのは、故郷を忘れてしまったオデュッセウスのもの悲しい歌声が聞こえてくるからだ、と私は思っている。
  『ミスター・ノーボディ』などという邦題をつけてしまったら端折りすぎてそういう微妙なニュアンスが伝わらない。まあ所詮マカロニウエスタンだからこれで十分といえば十分なのだが。
 
 さてこの『ミスター・ノーボディ』の監督はトニーノ・ヴァレリという人だが、ヴァレリ監督というと普通の映画ファンは、ジュリアーノ・ジェンマで撮った『怒りの荒野』の方を先に思い浮かべるだろう(「普通の映画ファン」はそもそもトニーノ・ヴァレリなどという名前は知らないんじゃないか?)。この原題はI giorni dell’ira(「怒りの日々」)。これも聖書の「ヨハネの黙示録」からとった題名であるのが明白。原語はラテン語でDies irae(「怒りの日」)で、たしかこういう名前の賛美歌があったと記憶している。しかしこのDies iraeというラテン語、イタリア語に直訳すれば本当はIl giorno dell’iraとgiorno(「日」)が単数形でなければならないはずなのに、映画のタイトルのほうはgiorni、「日々」と複数形になっている。これは主人公が今まで自分を蔑んできた人たちに復讐した際、何日か日をかけてジワジワ仕返しをしていったから、つまりたった一日で全員一括して罰を加えたのではなかったからか、それとも虐げられていた長い日々のほうをさして怒りの日々と表現しているのか。いずれにしても言葉に相当神経を使っているのがわかる。
 ただしこの映画の場合は引用はタイトルだけで、ストーリー自体の方は全体的に聖書とはあまり関係がない。もっとも聞くところによればマカロニウエスタンには聖書から採ったモティーフが散見されるそうだから、ストーリーも見る人が見れば聖書のモティーフを判別できるのかもしれないが、悲しいかな無宗教の私にはいくら目を凝らして見ても、どこが聖書なんだか全くわからない。私はこの、聖書を持ち出される時ほどはっきりと自分がヨーロッパ文化圏で仲間はずれなのを実感させられる時はない。

 もうひとつ。Requiescantというタイトルのこれもマカロニウエスタンがある。邦題は『殺して祈れ』とB級感爆発。あの有名な『ソドムの市』を監督したP.P.パゾリーニがここでは監督ではなく俳優として出演しているのが面白い。
 このRequiescantとはラテン語で、requiēscōという動詞(能動態不定形はrequiescere)の接続法現在3人称複数形。希求用法で、「彼らが安らかに眠りますように」という意味だ。Requiem「レクイエム」という言葉はこの動詞の分詞形だ。
 ドイツ語のタイトルではこれを動詞の倒置による接続法表現を使ってきちんと直訳し、Mögen sie in Frieden ruh’nとなっている。「彼らが安らかであらんことを(安らかに眠らんことを)」だ。英語のタイトルはストレートにKill and Pray。上品なラテン語接続法は跡形もない。だから蛮族だと言われるんだ。上に挙げた日本語のB級タイトルもラテン語を調べる手間を省いて横着にも英語から垂れ流したことがバレバレ。同罪だ。


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 前回で西ドイツやヨーロッパの西部劇がマカロニウエスタンのベースになったことを述べたが、もう一つ先行となったジャンルがある。
 戦後のイタリア・ネオリアリズムの流れのあと、当地では「サンダル映画」といわれるギリシア・ローマ時代の史劇をモチーフにした映画が盛んに作られ、「ベン・ハー」や「クレオパトラ」などのアメリカ資本も流入していた。 後のマカロニウェスタンの監督もこのサンダル映画のノウハウで育っているのだ。 レオーネのクレジット第一作目を考えて欲しい。Il colosso di Rodi(『ロード島の要塞』)というサンダル映画である。ただしレオーネ自身は「あれは新婚旅行の費用稼ぎに作っただけ」なので「レオーネ作」とは言って欲しくないそうだ。黒歴史ということか。『続・荒野の一ドル銀貨』を撮ったドゥッチョ・テッサリなども本来サンダル映画が専門だからオデュッセイアがベースになったりしているのだし、その他にもタイトルなどにギリシア・ローマ神話から取ったな、と素人目にもわかるモチーフが登場することは『12.ミスター・ノーボディ』の項で書いたとおりである。

 つまり、マカロニウェスタンが誕生したのにはちゃんとした背景・先行者があって、何もないところからいきなり『荒野の用心棒』がポッと出てきたわけではないのだが、これはノーム・チョムスキーの生成文法も同じ事だ。
 まず生成文法はポール・ロワイヤル文法の発想を引き継いでいるが、さらにチョムスキーの恩師のゼリグ・ハリスを通じてアメリカ構造主義の考え方もしっかり流れ込んできており、生成文法をアメリカ構造主義へのアンチテーゼとばかり見るのは間違いだ、と言われているのを当時よく聞いた。大体彼のcompetence、performanceなどという用語はド・ソシュールのラングとパロールの焼き直しではないのか。その他にも生成文法の観念にはヨーロッパの言語学の観念を別の言い方に換えただけとしか思えないものがある。その一方で伝統的な言葉の観念が英語学内でゆがめられてしまった例もある。『51.無視された大発見』でもちょっと書いたが「能格」という言葉の使い方などそのいい例ではないだろうか。

 セルジオ・レオーネとノーム・チョムスキーを比較考察するというのもムチャクチャ過ぎるかもしれないが、まあある意味ではこの両者は比較できる存在だとは思う。以下の文はJ.ライオンズによるチョムスキーの伝記の冒頭だ。

Chomsky's position is not only unique within linguistics at the present time, but is probably unprecedented in the whole history of the subject. His first book, published in 1957, short and relatively non-technical though it was, revolutionized the scientific study of language;

この文章の単語をちょっとだけ変えるとこうなる。

Leone's position is not only unique within italian westerns at the present time, but is probably unprecedented in the whole history of the subject. His first western, released in 1964, short and relatively non-technical though it was, revolutionized the style of westerns of the whole world;

こりゃレオーネそのものである。このフレーズをそのままレオーネの伝記の冒頭に使えそうだ。

 さて、もう一つマカロニウエスタンの発端になったのが黒澤明の『用心棒』であることはさすがに日本では知らない者はあるまいが、その黒澤の自伝に次のようなフレーズがある。

人間の心の奥底には、何が棲んでいるのだろう。
その後、私は、いろいろな人間を見て来た。
詐欺師、金の亡者、剽窃者…。
しかし、みんな、人間の顔をしているから困る。

実はここを読んでドキリとした。この「剽窃者」とはひょっとしたらレオーネのことではあるまいかと思えたからである。確かにああいう基本的なことをきちんとしなかったジョリィ・フィルムとレオーネは批判されても文句は言えまいが、いろいろなところから伝わってきた話によるとまあ向こうの事情もわかる感じなのである。前回も書いたようにもともと『荒野の用心棒』は残飯予算で作った映画だったのでレオーネもジョリィ・フィルムもまさかこんな映画が売れるとは思っていなかったらしい。出した予算の元が取れれば、いやそもそもA面映画Le pistole non discutonoのほうで元をとってくれればいいや的な気分で作ったので著作権などのウルサイ部分は頭になかったそうだ。後で黒澤・東宝映画から抗議の手紙が来たとき、レオーネはカン違いして「黒澤監督から手紙を貰った!」と喜んでしまったという話しさえきいたことがある。当然ではあるのだが、結局ジョリィ・フィルムは東宝映画にガッポリ収益金を持っていかれ、レオーネも『荒野の用心棒』は今までに作った映画の中でただ一つ、全く自分に収益をもたらさなかった作品、とボヤいたそうだ。そしてその際東宝映画は肝心の黒澤には渡すべき金額を渡さなかったという。
 もちろん映画制作のプロならばそういうところはきちんと把握しておくべきだろうし、私も特に自己調査して調べたわけでもなんでもなく、そこここで小耳に挟んだ話を総合して判断しただけなので無責任といえば無責任なのだが、どうもイタリア側をあまり責める気にはなれない。

 実はその他にも黒澤監督の自伝でレオーネと関連付けて読んでしまった部分がある。黒澤監督が師である山本嘉次郎監督を「最高の師だった」と回想するところである。

山さんこそ、最良の師であった。
それは、山さんの弟子(山さんは、この言葉をとてもいやがった)の作品が、山さんの作品に全く似ていないところに、一番よく出ている、と私は思う。
山さんは、その下についた助監督の個性を、決して矯めるような事はせず、それをのばす事にもっぱら意を用いたのである。

ここでも私はドキリとしたのである。どうしてもレオーネとトニーノ・ヴァレリの確執を思い出さないではいられなかったからだ。よく知られているようにヴァレリは最初レオーネの助監督として出発した人である。これは『怒りの荒野』(再び『12.ミスター・ノーボディ』の項参照)を見れば一目瞭然。画風がレオーネにそっくりだからだ。『怒りの荒野』の冒頭シーンを思い出して欲しい。アニメーション(と呼んでいいのか、あれ?)のタイトル画が終わり映画の画面に切り替わるところでカメラがグーッと下がっていくあたり。タイトル画が終わってもテーマ曲は終わらず曲の最後のほうが映画の最初の画面とダブっているところだ。リズ・オルトラーニの曲がまたキマリ過ぎていてたまらないが、この部分が『荒野の用心棒』にそっくりである。もちろん冒頭にアングルを徐々に下げるという手法は珍しくもなんともないし、このタイトル画から映画への移行の方法は他のマカロニウエスタンもやたらと真似しているから私の考えすぎかもしれないが、この映画を見ていると脳裏にレオーネがチラついて仕方がない。
 ヴァレリが撮ったマカロニウエスタンは全部で5作。『怒りの荒野』はその二作目である。私はまだヴァレリの最初の作品per il gusto di uccidere(『さすらいの一匹狼』)と4作目una ragione per vivere e una per morire(『ダーティ・セブン』)をみたことがないのだが、第3作目のil prezzo del potere(『怒りの用心棒』)は『怒りの荒野』と比べてみるとやや「レオーネ離れ」している、政治色・社会色の濃い静かな(もちろんマカロニウエスタンにしては静か、ということだが)作品である。ケネディ暗殺をモティーフにしたストーリーでそもそもマカロニウエスタンにするのには荷が重過ぎた内容だったためか、前作『怒りの荒野』ほどは興行的にヒットしなかったが、このジャンルの映画の作品にありがちなようにストーリーが破綻していない。音楽は『続・荒野の用心棒』のエレキギターで私たちをシビレさせ、『イル・ポスティーノ』でモリコーネより先にオスカー音楽賞を取ったルイス・エンリケス・バカロフだが、哀愁を帯びた美しい曲で私は『続・荒野の用心棒』よりこちらのメロディのほうが好きなくらいだ。
 しかしヴァレリはその後の『ミスター・ノーボディ』では逆戻りというか再びレオーネに飲み込まれてしまった。この映画は発案がレオーネだったので監督作業にもレオーネが相当介入・干渉したんだそうだ。そのためか絵でもスタイルでもやや統一を欠く。その点を批判する声もあるが、それがかえってある種の味になっているとしてこの映画をマカロニウエスタンのベスト作品の一つとする人もいる。とにかくこの映画がマカロニウエスタンの平均水準を越える作品であることは間違いない。
 弟子の作品が師とそっくりであること、そして弟子が自分のスタイルの映画をとろうとしたとき師がそれを妨害、と言って悪ければ積極的に後押ししてやらなかったことなど、レオーネのヴァレリに対する態度は黒澤明に対する山本嘉次郎と逆である。この『ミスター・ノーボディ』を最後にヴァレリはレオーネと袂を別ってしまった。
 
 しかし黒澤明のほうも山本嘉次郎に比べると自分自身は果たしていい師であったかどうかと自省している。指導者としての良し悪しとクリエーターやプレーヤーとしての良し悪しは必ずしも一致せず、指導が出来ないからと言って能力がないとは絶対にいえないことはスポーツ界でもそうだし、文人の世界でもいえることだろう。もっとも数の上で一番多いのは「そのどちらもできない」という私のような凡人大衆だろうが。


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 インターネットになってつくづく便利になったと思うことの一つが、「そういえばあの人は今何をしているのだろう?」とふと思ったりしたときすぐ調べられることだ。「ググる」という言葉ができるほどになったが、私はヘソ曲がりなので、何年か前にメインの検索マシンをGoogleからDuckDuckGoというのに変えた。だからもう何年も「ググる」という行為をしていない。「ダクる」とでも言うのか?とにかくこの検索エンジンだと個人情報があっち側に残らないのが利点だが、それより私はアヒルが好きなのでロゴマークにアヒルを使ってあるというのがこちらに切り替えた理由の第一。第二が私はヘソ曲がりなので「皆が使っている」とか「シェア一位」とか聞くと使いたくなくなるという理由である。
 で、本来ならウィンドウズもワードも使いたくないのだが、ヘソだけは一人前に曲がっていても如何せんIT音痴なのでリナックスやオープンオフィスを使いこなすだけの知識や頭がなく、曲がったヘソの持って行き所がない。それで不本意ながらこの点では主流に呑まれているのである。が、いくらデジタル音痴でもさすがにメインの検索エンジンを変えることくらいは出来るからグーグルをやめた。

 その、「行け行けアヒル」であちこち「そういえばあの人は今どうしているのか」と思いついた人たちの名前を検索して遊んでいたら、何を今更ではあるが、あらためて知って感心したことがいくつかあるのでご紹介。以下は全部DuckDuckGoで行なった検索結果である。Googleだと違う結果になるのだろうか?

 その第一はブルーノ・ニコライの方がモリコーネより年上だった、ということだ。私はてっきりこの人はモリコーネの弟子で、10歳くらい年下かと思っていた。残念ながら1991年に亡くなっている。
 ルイス・エンリケス・バカロフはまだ存命だ。さるデータ・ベースを調べてみたら、この人のヒット曲ランキングのダントツ一位は未だに『ジャンゴ』でせっかく(しかもモリコーネより先に)オスカーを取った『イル・ポスティーノ』とかが完全に無視されている。
 リズ・オルトラーニは2014年の一月に亡くなっている。この人もあの世界的なヒットを飛ばした世界残酷物語が無視されてヒット曲の一位は『怒りの荒野』となっている。実は私は今まで気にしたこともなかったのだが、オルトラーニはフルネームがRiziero、リツィエロというのかリジェーロと発音するのか、なにやら由緒ありげなカッチョいいものであった。日本語表記の「リズ」だとエリザベス・テーラーとかといっしょになってしまいかねないが。

 アレッサンドロ・アレッサンドローニは私が「ダクりはじめた」当時はまだ存命だった。2011までしっかりコンサートなどの音楽活動をしていたということだが残念ながら今年2017年の3月に94歳で亡くなった。名前で言われると「そんな人知らない」と思う人もいるかも知れないが、さすらいの口笛の口笛とギターの演奏をしたのはこの人だといえば、「ああ、あの人か」と思い出すだろう。その後の『夕陽のガンマン』のスコアでも『続夕陽のガンマン』でも口笛をきかせてくれている。アレッサンドローニ氏はいわゆるマルチ演奏家で、ギターはもちろんマンドリンからシタールからいろいろな楽器を演奏していたらしい。しかも年は違うが行っていた幼稚園がモリコーネと同じだそうだ。レオーネがモリコーネと小学校の同級生だったことは有名な話だが、つまり『荒野の用心棒』は子供たちの同窓会作品だったのか。その幼稚園・小学校レベルにさえ達してない映画・スコアしか作れないくせに「プロの映画監督でございます」とかふんぞりかえっている監督や作曲家は廃業するがいい。

小学校時代のセルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネ。r の字がひとつ足りない気がするのだが…
International Movie Database(imdb.com)から
MorricineLeone

 あと、意外なことにこのアレッサンドローニはフランチェスコ・デ・マージと協力して作曲も演奏もしている。『黄金の3悪人』というジョージ・ヒルトン主演の映画があるだろう。テーマ曲をデ・マージが担当しラウールがStranger, stranger, who knows your face?とかいう歌詞を『南から来た用心棒』と全く同じような声で歌う(当たり前だ。下記参照)が、あそこでギターを弾いていたのはこの人だそうだ。世界の狭さに驚いた。
 そのフランチェスコ・デ・マージは残念ながら2005年に亡くなっている。とにかく作曲家の消息については皆結構簡単に見つかった。モリコーネのように名前が一般教養の域にまで達している人はまあ言わずもがなだが、オルトラーニもデ・マージもウィキペディアに載っているし、その他の情報サイトも検索するとドシャドシャ出てくる。だが、それを実際に演奏したり歌ったりした人の消息となるとそうそうドシャ降りという具合にはいかなかった。 すぐに見つかったアレッサンドローニはむしろ例外だ。

 さて、「マカロニウエスタンの声」と言うと普通どんな名前が思い浮かぶだろうか。私はフリークでも専門家でもないが、素人目でいいから名前を挙げろといわれれば、まず第一にロッキー・ロバーツ、その余勢を駆って(?)ベルト・フィア(『63.首相、あなたのせいですよ!』参照)、あとラウール、マウリツィオ・グラーフ、最後にクリスティ、この5人が浮かぶのだが、皆さんはいかがだろうか。エッダ・デロルソ(『86.3人目のセルジオ』参照)を抜かすなと抗議されそうだが、ここでは「歌詞を歌った」人に限ることにする。ごめんなさい。
 
彼らは今何をしているのか、そもそもまだ存命なのか?

 『続・荒野の用心棒』を歌ったロッキー・ロバーツは2005年、デ・マージと同じ年にローマで亡くなっている。この人はフロリダ生まれの本当のアメリカ人で、英語が母語だ。
 『復讐のガンマン』のクリスティ(再び『86.3人目のセルジオ』参照)も比較的楽に見つかった。すぐにイタリア語版のウィキペディアにヒットしたのである。でもこれは私がたまたまマリア・クリスティナ・ブランクッチという本名を知っていたからで、単にChristyとしか知らなかったら相当手間がかかったと思う。まだご存命だ。
 さて、『南から来た用心棒』や『黄金の3悪人』の歌手、上述のラウールだ。私はこの人の本名を知らなかったのでちょっと手間取ってしまった。Raoulだけじゃあ、他に何百人も出てきてどれが目指すラウールなのか全くわからない。片っ端からこれ全部クリックするなんてやだー、と二の足を踏んでいたらなんとフランチェスコ・デ・マージのサイトで彼の本名に言及されていた。Ettore Raul (Raoul) Lo VecchioまたはLovecchioといい、デ・マージの歌をいくつか歌った後は俳優に転向し、実際いくつかの映画に出演している。その後はショウ・ビジネスから手を引いてローマでオリエンタルファッションのブティックを開業して暮らしているそうだが、生年月日も生死も定かではない。
 ラウールは例えばあるサイトで関係のない別のラウールとごっちゃにされて、というかいっしょにくくられれた上、

Raoul is a vocalist known for his many contributions to Ennio Morricone soundtracks.

という紹介文がついているが、これは正しいのか?彼はモリコーネの曲にmany contributionsをしていたのか?私としてはラウールと聞いて思い出す作曲家はなんと言ってもフランチェスコ・デ・マージの方なのだが。モリコーネとくっ付けるべきなのはむしろマウリツィオ・グラーフだと思うのだが。
 が、そのグラーフはラウール以上に情報がない。本名はMaurizio Attanasioというのはわかったが、なぜか生年月日も生死も見つからなかった。Youtubeでは結構みつかり、よくコンサートなんかはしていたらしいことはわかったが、経歴そのものの情報はほとんど見つからなかった。
 マウリツィオ・グラーフもラウールもまた名前を出されるとわからなくなる人がいるかも知れないが、私と同年代の女性なら絶対声は知っているはずだ。それぞれ『続・荒野の一ドル銀貨』『南から来た用心棒』、つまりジュリアーノ・ジェンマが主演した映画の主題歌を歌っている。これらの映画を「二つとも全く見たことがない、ジュリアーノ・ジェンマって誰ですか?」とか言うような同年代の女性がいたら、それこそ日本ナショナリストではないが「あなた本当に日本人?」と聞いてみたいところだ。
 マカロニウェスタンを見る際、ヨーロッパと日本ではもちろん重点というか視点が違うのだが、その彼我の差が最も明確に出ることの一つが実はジュリアーノ・ジェンマの扱いなのである。日本では荻昌弘あたりが「マカロニ・ウェスタンのスターはイーストウッド、フランコ・ネロ、ジュリアーノ・ジェンマ」とか言っていたことがあるが、これはあくまで男性側の意見で、私達にとってはイーストウッドとネロが束になってかかってきてもジェンマにはかなわなかっただろう。ネロは美男子だったし、イーストウッドも顔だけ見れば結構線が細かったのでまあ女性ファンもいたが、本来「男っぽさ」を全面に打ち出すタイプの主人公は女性は嫌いなのである。そういえばあのころ、クラスにも「ショーン・コネリーとか見てると臭いがうつりそう。ゲー気持ち悪い」とまで言っていたクラスメートがいたほどだ。なお、私は今までの人生でリー・バン・クリーフが好き~といってキャーキャーいう女性にはただの一度もお目にかかったことがない。
 ドイツに来て「マカロニウェスタンのスターを挙げて下さい」とそこら辺の人に聞いてみるといい。イーストウッドはまあ別格としてその次に挙げられるのはフランコ・ネロよりテレンス・ヒルとバッド・スペンサーが先に来るはずだ。ネロはその後だと思う。ジェンマにいたっては完全にトマス・ミリアンや下手をするとジャンニ・ガルコとかあの辺と同じレベルだ。でもさすがに彼が亡くなった時は新聞に載った。「マカロニウェスタンの俳優で一番のイケメン」と書いてあった。

 さて、そのラウール、グラーフ以上にお手上げだったのが、『続・荒野の用心棒』のイタリア語バージョンを歌った上記ベルト・フィア(またはロベルト・フィア、どちらの名も使っているそうだ)だった。上の人たちは少なくとも歌った歌とか出演した映画とか、作品の紹介がいくつもしてあったが、フィアの場合は『続・荒野の用心棒』だけで他の言及が全くない。もしかするとイタリア語のサイトを探せばみつかるのかもしれない。イタリア語の出来る方がいたらお願いしたい。実は私は当時買ったイタリア語バージョンのレコード(「レコード」である!)をまだ持っているのだが、そのジャケットに「先日ミルバと共に来日したベルト・フィアが歌っている」と書いてある。ミルバと来日するくらいだからある程度名の通った人なのではないのか?それともフィア氏はミルバの荷物持ちかなんかだったのか?

 最後にもう一つ。アレッサンドローニだが、彼は自分のバンド、というか合唱団を持っていていくつかの映画で歌っているが、そのメンバーを見て驚いた。クリスティ(マリア・クリスティナ・ブランクッチ)が消してあるのはなぜだかわからないが、ラウールやエッダ・デロルソがいる。つまりアレッサンドローニを通してモリコーネとデ・マージはしっかりつながっているのだ。

 何、ここで挙げた名前や曲、映画の題名を全く知らない?それが正常だ。

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 マカロニウエスタンのベスト監督は3人のセルジオ、レオーネ、コルブッチ、ソリーマとトニーノ・ヴァレリだと言っても猛反対はされないだろう。「猛」と注を入れたのはバルボーニを入れろという人がちょっと反対するかもしれないと思ったからである。ヴァレリの『ミスター・ノーボディ』については前にもふれたが、他の作品にはあまり言及していなかったので、この機会(どの機会よ)にちょっとまとめてみたい。

 『ミスター・ノーボディ』はレオーネが制作を担当したし、『ウエスタン』のパロディだということもあってヴァレリの作品の中ではジャンルファン外でも有名、「これ以降は記すべきジャンル作品が出ていない」という意味で「最後のマカロニウエスタン」と名付けられているほどだ。当然「ベストマカロニウエスタン」のリストなどには入らないことがないが、もう一つ必ずと言ってベストリストに顔を出すのが『怒りの荒野』である。その生まれのために町中の人から軽蔑されていたジュリアーノ・ジェンマ演ずるスコットという若者がリー・ヴァン・クリーフの中年ガンマンに憧れて修業し、いっぱしの早撃ちに成長していく(もっとも最後にはその師匠と対決する)話だが、そこでリー・ヴァン・クリーフがジェンマに訓示する「ガンマン十か条」とやらを全部暗記している人が私の周りには何人もいた。そんなものを覚えてどうするんだ、絶対共通一次試験(今は「センター入試」とかいうそうですが)には出ないぞ。まあこの映画はそれほど人気があるということだ。人気の理由の一つは何といってもキャストがドンピシャリにキマっていたことだろう。ドスの効いたリー・ヴァン・クリーフとソフトではあるが軟弱ではない若者ジェンマのコンビが絶妙。他の俳優だったらどんなに名優でもこの味は出まい。この二人を見ていれば誰でもつい十か条を暗記したくなってくるほどのキマリぶりである。もう一つがリズ・オルトラーニのクソかっこいいスコア。一足先に『世界残酷物語』ですでに世界的な名声を得ていたオルトラーニはモリコーネとはまた違った独自のスタイルを押し出している。実に堂々としたスコアで私も大好きだ。実は私は子供のころオルトラーニは名前がエリザベスというのかと思っていたが、この「リズ」は Riz で、イタリア語の立派な男性名リジェーロ Riziero の略である。

マカロニウエスタンはやはりこの面構えでないといけない(下記クレイグ・ヒルと比較せよ)。
DayofAnger1
 この2作ですでに文句なしのベスト監督入りだが、ヴァレリは他にも3作、合計で5本西部劇を撮っている。映画監督としてのキャリアは『夕陽のガンマン』でレオーネのアシスタントを務めたことで開始した。そこら辺の事情を本人がさるインタビューで語っている。ヴァレリはもともとジョリー・フィルムで、映画製作後の管理、吹き替えなどの後処理を監督と言うか監視していた。レオーネが本来別の映画のためだった余剰の予算で(『69.ピエール・ブリース追悼』『130.サルタナがやって来た』参照)『荒野の用心棒』を撮っている時もスペインからの報告は逐一真っ先にヴァレリのところへきたそうだ。「レオーネが何か凄い映画を撮ってるぞ」とすぐ見抜いたのに周りの者には無視された。それが大ヒットして吹き替えやら宣伝やらでてんやわんやの騒ぎになったが、それでレオーネとさらに近づきにもなり、向こうが『夕陽のガンマン』のアシスタントをやってみないかと持ちかけて来たそうだ。「喜んで引き受けました」。
 その後さる制作担当者が「ちょっと西部劇を作りたいのだが、ヴァレリはどうだろう、西部劇を撮れる力があると思うか」とレオーネに打診して来た。そこでレオーネが「問題ない、彼にはできる」と答えたので廻って来た仕事が、ヴァレリの監督デビュー作『さすらいの一匹狼』Per il gusto di uccidereである。英語のタイトルは Taste of Killing または Lanky Fellow、ドイツ語のタイトルは Lanky Fellow – Der einsame Rächer(「ひとりぼっちの復讐者」)。これが成功して次の『怒りの荒野』に続く。
 私が『さすらいの一匹狼』を見たのは最近だが、テーマ曲がよくマカトラ選集に入っていて耳にすることが多い結構有名な作品である。なるほどおもしろかった。主役はアメリカ人のクレイグ・ヒルだが、本来この人ではなくロバート・ブレイクにオファーがいっていたそうだ。それでブレークはローマにやってきたはいいが、完全にラリっており、さっそくホテルからブレークが薬をやり過ぎてぶっ倒れたから引き取りに来てくれとヴァレリに連絡が来た。そしてそのまま入院とあいなった。主役がいなくなってしまい、困っていたらヴァレリの友人が Whirlybirds というTVシリーズに出ていた知り合いの俳優が今ちょうどローマにいるといって紹介してくれた。会ってみたら想定していた主人公より少し年がいっていた。でもいい俳優だし好人物でもあったのでこの人にしたそうだ。撮影が終わってしまってから今度はブレークのほうからクランクインはいつか聞いてきた。クランクインどころかもうその映画は別の主役で撮影終了していると知ってブレークは泣き出した。ヴァレリは対応に困って「私は君で撮ろうとしていた。オジャンにしたのはそっちじゃないか」と慰めた(慰めてんのかこれ?)そうだ。
 『さすらいの一匹狼』の主人公は定番の賞金稼ぎで、賞金より弟の敵討ちを狙って獲物(?)を追う。ひょっとしたら『夕陽のガンマン』のリー・ヴァン・クリーフがヴァレリの頭にあったのかもしれない。こちらも妹の敵討ちが目的で賞金は最後に皆イーストウッドに譲る。もっともこの主人公は「金はいくらあっても困るもんじゃない」というセリフとは裏腹にそもそもの始めからどうもあまり金にガッツいている感じがしない。マカロニウエスタンにしてはちょっと端正というか上品すぎる気がする。書類を示されて「賞金の額しか読めないからこんなもの出されてもわからん」というシーンもあるが、そこまで学のない人とは思えない。後にテレンス・ヒルが別の映画で同じようなことを言い出したときは本当に「銃を撃つしか能がない無学もの」の雰囲気が漂ったものだがクレイグだとあまり噛み合っていない印象。しかし一方いわゆる「マカロニ面(づら)」ばかり見ていても胸やけがしてくるので私はこのキャラ設定はむしろ好きだ。そういえばこの映画にはマカロニウエスタンによくあるというか不可欠というか、ヒーローが拷問されるシーンがない。『さすらいの一匹狼』はこの人にとって二本目のマカロニウエスタンだったが(だから当時ローマにいたのだろう)この後も何本ものマカロニウエスタンに出演している。そのうちの一本、Lo voglio morto (1968、パオロ・ビアンキ―ニ Paolo Bianchini 監督)では定式通り薄汚い格好で出て来てきちんと拷問されて血だらけになるがむしろワンパターンでおもしろくなかった。Lo voglio morto のドイツ語タイトルは Django, ich will ihn tot「ジャンゴ、こいつを死なせてやりたい」だが、これもドイツ特有のジャンゴ化現象で、主人公の名は本来クレイトンである。
 クレイグ・ヒルは前述のように出身はアメリカだが、カタロニアに根を下ろしてそこで亡くなっている。ちょっと調べてみたらなんと『イヴの全て』に端役で登場していたので驚いた。

『さすらいの一匹狼』のオープニング。まさにさすらいの一匹狼という言葉がぴったり。珍しくまともな邦題だ。
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主役クレイグ・ヒル。このキャラはマカロニウエスタンには上品すぎか。
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 『さすらいの一匹狼』の出来が良かったので上述の『怒りの荒野』を任され、それがまた大成功して一躍有名になった後再びジュリアーノ・ジェンマで撮ったのが Il prezzo del potere (『復讐のダラス』あるいは『怒りの用心棒』、ドイツ語タイトルは Blutiges Blei「血まみれの鉛」という悪趣味なもの)だ。舞台は南北戦争直後という設定だが、プロットはジョン・F・ケネディの暗殺事件をもとにしている。興行成績は『怒りの荒野』ほどはよくなかった。日本でも劇場では未公開である。ケネディ暗殺からさほど経っていない時期にこの大事件をマカロニウエスタンというジャンルの中で扱うのは荷が重過ぎたのかもしれない。反対派の声も聞いて政治統一を重視する大統領を頑強に認めず、何がなんでも消そうとする(当然人種差別も凄い)極右テロリストとジェンマを始めとするいわば中道右派・中道左派との戦いだが、黒人をリンチする南部の極右の醜さを外国人に映画化されたらアメリカ人もあまりいい気がしなかろう。それに忖度して日本では劇場公開しなかったとか…。丁寧に作られた映画の割には興行的に伸びなかったのはその辺に原因があるのかもしれない。もう一つ難を言えばジュリアーノ・ジェンマがモラルの点でも早撃ちの点でもあまりにもヒーローすぎて、陰影という点で『怒りの荒野』には劣るということか。
 でもルイス・バカロフのスコアはすごくいい、哀愁を帯びたそのメロディは私は『続・荒野の用心棒』より好きなくらいだ。『群盗荒野を裂く』Quién sabe? もバカロフのスコアだが、『続・荒野の用心棒』のをそのまま使ってしまっている。もちろんまさかあのロッキー・ロバーツの主題メロディが流れたりはしなかったが、副スコアというかメキシコ軍が走るシーンで同じメロディが流れていたのでのけぞった。こういうのってアリなんだろうかと思うが、Il prezzo del potere ではそんなことはなく、全部新品だった。そのついでに思い出したが、下で述べる『ダーティ・セブン』 Una ragione per vivere e una per morire で、オルトラーニ氏までが自作の『怒りの荒野』をリサイクルというかリユーズしている。
 またこれはヴァレリばかりでなくマカロニウエスタン全般に言えることだが、この作品にもアントニオ・カサス始めスペインの有名俳優が何人も出演している。「松葉杖銃」のニックを演じたのもマヌエル・サルソ Manuel Zarzo というスペイン人だ。『怒りの荒野』のヴァルター・リラやそもそも『荒野の用心棒』のジークハルト・ルップなども、アメリカ人が知らないだけでヨーロッパ本国では知られた顔だ(『98.この人を見よ』参照)。

Il prezzo del potere  でのスペインの名優アントニオ・カサス。マカロニウエスタンでも頻繁に見かける顔だ。
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松葉杖が実は銃。スペイン人のマヌエル・サルソManuel Zarzo。
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 Il prezzo del potere の次のUna ragione per vivere e una per morire(『ダーティ・セブン』、ドイツ語タイトルは Sie verkaufen den Tod「死を売っている」または「死の商人」。なんなんだこれは?)でも南北戦争をモティーフにしている。実は私はこれを見たことを忘れ、まだ見ていないつもりでこの記事を書くに当たって観賞しておこうと思って開けてみたらすでに知った映画だった。
 ジェームス・コバーンの演じる(元)北軍将校は戦わずして砦を南軍に明け渡して以来弱虫・裏切者扱いされているが、その砦を奪い返す使命、セカンド・チャンスを与えられ7人の死刑囚を工作要員にやとって件の砦に向かう。「もし生き残ったら恩赦、死んでもそれは名誉ある死」というエサで釣るのである。その死刑囚の一人がバッド・スペンサーで、最後にはこの人とコバーンだけが生き残る。激戦の上砦は奪い返し、コバーンは名誉挽回するのだが、それができるほど勇敢で有能ならばそもそもなぜ氏は前回あっさりと敵に砦を明け渡したのか。実は南軍側が氏の息子を誘拐して脅迫したからである。コバーンが明け渡したのにも関わらず、結局息子は殺された。この南軍の将校を演じるのがテリー・サバラスで、ラストに武器を放棄して投降するが、息子のことがあるからコバーンはサーベルで刺し殺す。今でいえばジュネーヴ条約違反である。
 『特攻大作戦』The Dirty Dozen という戦争映画と似たようなモティーフで、ヴァレリ自身も上述のインタビューでその作品が頭にあったと認めている。ヴァレリはさらにそこでコバーンはスター意識が強く非常に扱いにくかったと言っている。とにかく頻繁に悶着を起こしたそうだ。サバラスとスペンサーは全く問題がなく楽に仕事ができた。後の『ミスター・ノーボディ』で使ったヘンリー・フォンダはこの時68歳でヴァレリよりずっと年上、「普通年配の俳優は扱いにくいものだが、フォンダは違った。本当にすんなりいった」そうだ。またリー・ヴァン・クリーフについては、例えばジュリオ・ペトローニなどによれば気難しかった、ジェンマも「普段は好人物だが酒が入ると急に人が変わった」と言っているが、ヴァレリは「その前の『夕陽のガンマン』ですでに知っていたから、全く問題はなかった」そうだ。
 レオーネがコバーンとロッド・スタイガーで撮った『夕陽のギャングたち』Giù la testa はこの『ダーティ・セブン』より一年ほど早く作られているが、レオーネは後にスタイガーはやはりスター意識のため最初自分の指示に従わおうとしなかったので怒鳴りつけて大人しくさせたと語っている。コバーンとは上手くいったのかどうかは言っていなかったが、まあ黒澤明の言葉通り「監督業は猛獣使いのようなもの」なのかもしれない。
 なお、この映画もバッド・スペンサーが出てしまっているために(『79.カルロ・ペデルソーリのこと』『146.野獣暁に死すと殺しが静かにやって来る』『173.後出しコメディ』参照)ドイツではコメディに変更され、Der Dicke und das Warzenschwein「デブとイボイノシシ」という名のカットバージョンがでている。目を疑うタイトルだ。この名をつけた人の脳神経回路はどうなっているのか。

『ダーディ・セブン』のラストシーン。サバラスとコバーン。
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全く笑えるところなどない普通の役のバッド・スペンサー。
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 この映画を見てレオーネは自分がプロデュースした『ミスター・ノーボディ』の監督にヴァレリを据えた。「『ミスター・ノーボディ』は実はレオーネが撮ったのだ」という噂も時々巷に流れるが、そこら辺の事情をヴァレリが説明している:アメリカでの撮影が終わってスペインに帰ってきたとき、フォンダの衣装も入っている大事な荷物が一つ何日も遅れて届いた。その時点でフォンダは次の予定が迫っていて、間に合いそうになかったためレオーネと相談して、鉄道の線路際のフォンダの出るシーンをヴァレリ、テレンス・ヒルがダイナマイトを鞍のポケットにいれるシーンをレオーネと、分けて同時に撮ることにした。それだけだ。
 「監督が二人いて、一方が他方より有名だった場合、そっちがすべてやったように思われるのはいつものことですよ。レオーネも興行成績を上げるために意識して自分が大方監督したように話を持って行ったんだと思います。」とヴァレリは結論している。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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