アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:復讐のガンマン

 セルジオ・レオーネ監督の代表作に Il Buono, il Brutto, il Cattivo(邦題『続・夕陽のガンマン』)というのがある。「いい奴、悪い奴、嫌な奴」という意味だが、英語ではちゃんと直訳されて The good, the bad and the ugly というタイトルがついている。この映画には主人公が3人いて三つ巴の絡み合い、決闘をするのだが、ドイツ語タイトルではこれがなぜか Zwei glorreiche Hallunken(「華麗なる二人のならず者」)となっていて人が一人消えている。消されたのは誰だ?たぶん最後に決闘で倒れる(あっとネタバレ失礼)リー・ヴァン・クリーフ演じる悪漢ではないかと思うが、ここでなぜ素直にdrei (3)を使って「3人の華麗なならず者」とせず、zwei にして一人減らしたのかわけがわからない。リー・ヴァン・クリーフに何か恨みでもあるのか。
 さらに日本でも I quattro dell’ Ave Maria、「アヴェ・マリアの4人」というタイトルの映画が『荒野の三悪党』になって一人タイトルから消えている。無視されたのは黒人のブロック・ピータースだろうか。だとすると人種差別問題だ。ドイツ語では原題直訳で Vier für ein Ave Maria。

 もっともタイトル上で無視されただけならまだマシかもしれない。映画そのものから消された人もいるからだ。レオーネと同じようにセルジオという名前の監督、セルジオ・ソリーマの作品 La Resa dei Conti(「行いの清算」というような意味だ。邦題は『復讐のガンマン』)は、『アルジェの戦い』を担当した脚本家フランコ・ソリナスが協力しているせいか、マカロニウエスタンなのに(?)普通の映画になっている珍しい作品だが、ここで人が一人削除されている。
 この映画はドイツでの劇場公開時にメッタ切り、ほとんど手足切断的にカットされたそうだ。25分以上短くされ、特に信じられないことに最重要登場人物のひとりフォン・シューレンベルク男爵という人がほとんど完全に存在を抹殺されて画面に出て来なくなっているらしい。「らしい」というのは私が見たのはドイツの劇場公開版ではなく、完全版のDVDだからだ(下記)。劇場版では登場人物を一人消しているのだから当然ストーリーにも穴が開き、この映画の売りの一つであるクライマックスでの男爵の決闘シーンも削除。とにかく映画自体がボロボロになっていた。ドイツ語のタイトルは Der Gehetzte der Sierra Madre でちょっとバッチリ決まった日本語にしにくいのだが、「シエラ・マドレの追われる者」というか「シエラ・マドレの追われたる者」というか(「たる」と語形変化させるとやはり雰囲気が出る)、とにかく主人公があらぬ罪を着せられて逃げシエラ・マドレ山脈で狩の獲物のように追われていく、というストーリーの映画のタイトルにぴったりだ。でもタイトルがいくらキマっていても映画自体がそう切り刻まれたのでは台無しだ。
 私はもちろんこの映画を1960年代のドイツでの劇場公開では見ていないが完全版のDVDを見ればどこでカットされたかがわかる。ドイツ語吹き替えの途中で突然会話がイタリア語になり、勝手にドイツ語の字幕が入ってくる部分が所々あるのだ。これが劇場公開で切られた部分である。件の男爵はドイツ語吹き替え版なのにイタリア語しかしゃべらない。つまり劇場版では全く吹き替えされていない、ということは出てきていないということだ。
 この切断行為も理由がまったくわからない。ソリーマ監督自身がいつだったかインタビューで言っていたのを読んだ記憶があるが、このフォン・シューレンベルクという登場人物は、ドイツ人の俳優エーリヒ・フォン・シュトロハイムへのオマージュだったそうだ。なるほど人物設定から容貌から『大いなる幻影』のラウフェンシュタイン大尉にそっくりだ。背後には『エリーゼのために』をモチーフにしたエンニオ・モリコーネの名曲が流れる。そこまで気を使ってくれているのによりによってドイツ人がそれをカットするとは何事か。
 
 ちょっと話が急カーブしすぎかもしれないがやはり「一人足りない」例に、私も大好きなまどみちおさん作詞の「1年生になったら」という童謡がある。「一年生になったら友達を100人作って100人みんなで富士山に登りたい」というストーリーだ。実は当時から子供心に疑問に思っていたのだが、友達が100人いれば自分と合わせるから富士登山する人数は合計で101人になるはずではないのか。一人足りないのではないか。
 この疑問への答のヒントを与えてくれたのがロシア語の мы с тобой(ムィスタヴォイ)という言い回しだ。これは直訳すると we with you なのだが、意味は「我々とあなた」でなく「あなたを含めた我々」、つまり「あなたと私」で、英語でも you and I と訳す。同様にこの友達100人も「私と君たち友達を含めた我々100人」、つまり合計100人、言語学で言う inclusive(包括的あるいは包含的)な表現と見ていいのではないだろうか。逆に富士山に登ったのが101人である場合、つまり話者と相手がきっちりわかれている表現は exclusive(排除的あるいは除外的)な表現といえる。
 
 言語には複数1人称の人称表現、つまり英語の代名詞 we にあたる表現に際して包含的なものと除外的なものを区別する、言い換えると相手を含める場合と相手は含めない場合と2種類の we を体系的に区別するものが少なからずある。アイヌ語がよく知られているが、シベリアの言語やアメリカ先住民族の言語、あとタミル語、さらにそもそも中国語の方言にもこの区別があるらしい。「少なからず」どころか実はこの区別を持つ言語は世界中に広がっているのだ。南北アメリカやアジアだけでなく環太平洋地域、南インドやアフリカ南部の言語にも見られる。さらに足元琉球語の方言にもある。印欧諸語やセム語にはないが、話者数でなく言語の数でみると包含・除外の区別は決して「珍しい」現象ではない。ちょっと例を挙げてみると以下のような感じ。それぞれ左が inclusive、右が exclusiveの「我々」だ。
Tabelle1-22
あちこちの資料から雑多に集めてきたのでちょっと統一がとれていないが、とにかくアフリカ南部からアジア、アメリカ大陸に広がっていることがわかる。ざっと見るだけで結構面白い。
 ジューホアン語というのが見慣れないが、これがアフリカ南部、ナミビアあたりで話されている言葉だ。
 中国語は体系としてはちょっとこの区別が不完全で、「我們」は基本的に inclusive、exclusive 両方の意味で使われるそうだ。他方の「咱們」が特に inclusive として用いられるのは北京語も含む北方の方言。満州語の影響なのではないかということだ。そう言われてみると、満州語と同じくトゥングース語群のエヴェンキ語にもこの対立がある。満州語とエヴェンキ語は inclusive と exclusive がそれぞれmusə と mit、bə と bū だから形まで近い。
 問題はハワイ語やジューホアン語の双数・複数という分類だ。これらは安易にウィキペディアから持ってきた例だが、双数と言うのはつまり私が一人、あなたも一人の合計二人、複数ではこちら側かあちら側かにさらにもう一人いて3人以上、つまり複数なのかと思うとどうも事情は常にそう簡単ではないらしい。言語によっては双数とやらは実は単数あるいは非複数と解釈するべきで、それを「双数」などと言い出したのは、1.文法には数、人称というカテゴリーがあり、2.人称は一人称、二人称、三人称のきっちり三つであるという思考枠から出られない印欧語頭の犯した誤解釈だというのである。これは松本克己教授の指摘だが(もちろん氏は「印欧語頭」などという下品な言い回しは使っていない)、そもそも「一人称複数で包含と除外を区別」という言い方自体に問題があるそうだ。包含形に単・複両形を持つ言語は消して珍しくない。たとえば松本氏の挙げるニブフ語(ギリヤーク語)の人称代名詞は以下のような体系をなしている。
Tabelle2-22
人称は3つだけではないと考えさえすれば極めてすっきりした体系なのに、パンフィーロフ Панфилов В. З というソ連の学者は「1人称でも2人称でも3人称でもない人称」を見抜くことができず、話し手と聞き手が含まれているのだから単数とは見なせないと考えて、全くニブフ語の言語感覚を逸脱した「双数」という概念を藪から棒に一人称にだけ設定して次のように記述した。思い切りわかりにくくなっている。
Tabelle3-22
包含形を一人称複数の一種とせずに独立した一つの人称カテゴリー(包含人称あるいは一人称+二人称)とみなさざるを得ないのはアイマラ語も同じだ。アイマラ語は数のカテゴリーがないが、後に特殊な形態素を付けて増幅形をつくることができる。
Tabelle4-22
上のように hiwasa と naya-naka を比べても唐突すぎてよくわからないが、こうすれば体系をなしているのがよくわかる。さらに南太平洋のトク・ピシンも同じパターンなのが面白い。
Tabelle5-22
トク・ピシンというのは乱暴に言えばメラネシアの現地語の枠組みの上に英語が被さってできた言語だ。mi というのは英語の me、yu は you である。yumi で包含人称を表わすというのはまことに理にかなっている。トク・ピシンには本当に一人称双数形があるが、パンフィーロフ氏はこれをどうやって図式化するのだろう。不可能としか言いようがない。
 それではこれらの言語での包含人称とやらの本質は何なのか。例えばアイヌ語の(いわゆる)一人称複数包含形には1.一人称の間接表現(引用の一人称)、2.2人称の敬称、3.不特定人称の3つの機能があるそうだ。3番目がポイントで、他の言語とも共通している。つまり包含人称は1・2・3人称の枠から独立したいわば第4の人称なのである。「不特定人称」「汎人称」、これが包含形の本質だ。アメリカの言語学では初め inclusive の代わりに indefinite plural または general plural と呼んでいたそうだ。plural が余計なのではないかとも思うが、とにかく多くの言語で(そうでない言語もあるだろうが)包含対除外の単純な二項対立にはなっていないのである。
 そもそも一口に人称代名詞と言っても独立形か所有形(つまりある意味「語」でなく形態素)か、形の違いは語形変化によるのか膠着かによっても機能・意味合いに差が出てくるからまだまだ議論分析の余地が大ありという事だろう。
 
 ところで私の感覚だと、日本語の「私たち」と「私ども」の間にちょっとこの包含対除外のニュアンスの差が感じられるような気がするのだが。「私ども」というと相手が入っていない、つまり exclusive 寄りの意味が強いのではないだろうか。実はこの点を松本教授も指摘していて、それを読んだとき私は「おおっ、著名な言語学者を同じことを考えてたぞ私!」と万歳三唱してしまった。これは私だけの考えだが、この「私たち」と「私ども」の差は直接 inclusive 対 exclusive の対立というより、むしろ「ども」を謙譲の意味とみなして、謙譲だから相手が入っているわけがないと解釈、言い換えると inclusive 対 exclusive の対立的意味合いは二次的に派生してきたと解釈するほうがいいかもしれない。
 また上述のロシア語 мы с тобой 、つまりある意味では包含表現は単純に ты и я(you and me)やмы(we)というより暖かい響きがあるそうだ。 まどみちおさんも実は一人抜かしたのではなくて、むしろ暖かい友だち感を強調したかったのかも知れない。登場人物を映画やタイトルでぶった切るのとは逆である。
 さらに驚くべきことには安井稔氏が英語にも実は inclusive と exclusive を表現し分ける場合があることを指摘している:
Let's go.
Let us go.
という例だが、前者は単に後者を短く言ったものではない。意味と言うか会話上の機能が違う。前者は Shall we go?(さあ行きましょう)、後者は Let us be free! (私たちを行かせてください、自由にしてください)と同じ、つまり Let's の us は相手が含まれる inclusiv、Let us の us は相手が含まれない exclusive の we である。
 
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 マカロニウエスタンは1960年の終わりに頂点に達したのち70年代に入ると衰退期に入るが、その前にちょっとしたサブジャンルがいくつか生じた。 その一つが俗に「メキシコ革命もの」と呼ばれる、フアレス将軍時代のメキシコ革命をモチーフにした一連の作品である。直接メキシコ革命を題材にしていないもの、たとえばセルジオ・ソリーマの『復讐のガンマン』でもトマス・ミリアン演じるメキシコ農民がセリフの中でフアレスの名を口に出したりしている。いかにも最初から社会派路線を打ち出したソリーマの映画らしい。

 実はどうしてマカロニウエスタンにはメキシコ革命のモチーフがよく出て来るのか以前から不思議に思っていたのだが、次のような事情を鑑みると結構納得できるのではないだろうか。

1.このサブジャンルが盛んに作られたころから1970年代の始めにかけてはイタリアやフランスで共産党の勢力が強かった頃で、調べによればイタリア共産党(Partito Comunista Italiano)は当時キリスト教民主党(Democrazia Cristiana)と協力して連立政権を取りそうな勢いさえあったそうだ。

2.メキシコ革命もののマカロニウエスタンの代表作といえる『群盗荒野を裂く』(監督ダミアーノ・ダミアーニ、1966)、『復讐無頼・狼たちの荒野』(監督ジュリオ・ペトローニ、1968)などの脚本を手がけたのはフランコ・ソリナスだ。 ソリナスは『豹/ジャガー』(監督セルジオ・コルブッチ、1968)でも原案を提供しているし、上述の『復讐のガンマン』でもクレジットには出ていないが脚本に協力したそうだ。この人はその前に『アルジェの戦い』の脚本を書いてオスカーにノミネートされ、後にはオスカーばかりでなくベネチア、カンヌでも種々の賞をガポガポ取ったコンスタンチン・コスタ-ガヴラスと『戒厳令』(1972)で脚本の共同執筆をした政治派で、おまけにイタリア共産党員である。

3.そもそも映画監督だろ脚本家だろには、左側通行だったり反体制のヘソ曲がりだったり、あるいはそのどちらも兼ねている人が多い上に、たとえマカロニウェスタンの監督であっても(おっと失礼)皆インテリで正規の映画大学などで教育を受けているのが普通だから、ゲラシモフだろエイゼンシュテインだろプドフキンだろのソ連の古典映画を教材にしたに違いない。

4.そうでなくても当時のイタリア映画界はソ連映画界と結構仲がよく、1971年にはダミアノ・ダミアーニがモスクワ映画祭で金メダルを取ったりしている。 残念ながら(?)『群盗荒野を裂く』ではなく『警視の告白』という作品である。そういえば黒澤明がソ連でデルス・ウザーラを取った時、日本側の世話人(プロデューサーと言え)が松江陽一氏、ソ連側がカルレン・アガジャーノフ氏だったが、イタリア映画実験センター(チェントロ)で映画の勉強をしていたことがある松江氏もそしてアガジャーノフ氏も(なぜか)イタリア語が話せたので外部に洩れては困る会話はイタリア語で行なったそうだ。

5.アガジャーノフ氏もチェントロにいたのかどうかは知らないが、とにかく当時のイタリア映画界はソ連映画界と結構密接につながっていた模様だから、「革命」のモチーフはソ連から来たのかもしれない。

 こうして意外なところで自分の専攻したスラブ語学とマカロニウエスタンがつながったので無責任に喜んでいたが、さらにちょっと思いついたことがある。、一つは1965年に西ドイツで製作されたDer Schatz der Azteken(「アステカの財宝」)という映画だ。いわゆるカール・マイ映画と呼ばれる一連の映画の一つである。主演はヴィネトゥ・シリーズを通じて(『69.ピエール・ブリース追悼』参照)ピエール・ブリースと共演していたレックス・バーカーで、1864年ごろのメキシコ革命時が舞台になっている。映画そのものはあまり面白いと思わなかったし、ブリースも出ていなかったためか興行的にもヴィネトゥ映画ほどは成功しなかったようだが、カール・マイ映画群がある意味ではマカロニウエスタンの発生源であることを考えると、案外この映画あたりがモチーフ選択に影響を与えたのかもしれない。『アステカの財宝』は時期的にも『群盗荒野を裂く』が作られる直前に製作されている。

 もうひとつ、1968年にアメリカで製作された『戦うパンチョ・ビラ』という映画がメキシコ革命を題材にしていたのを思い出してちょっと調べてみたら、これがもうびっくらぼんで、何とフランク・ヴォルフとアルド・サンブレルが出演している。ヴォルフもサンブレルも、普通に普通の映画を見ている常識的な人は誰もその名を知らないが、マカロニウエスタンのジャンルファンなら知らない人はいないという、リトマス試験紙というか踏み絵というか、「知っている・知らない」がファンかファンでないかの入門テストになる名前である。もっともそんなものに入門を許されても何の自慢にもならないが。そのヴォルフはレオーネの『ウエスタン』の冒頭にも出てきてすぐ殺された。マカロニウエスタンの最高峰作品の一つ、セルジオ・コルブッチの『殺しが静かにやって来る』にも出ている。サンブレルのほうもやたらとマカロニウエスタンに出ちゃあ撃ち殺されているので名前は知らなくとも顔だけは知っている人も多いだろう。上述の『群盗荒野を裂く』にも出てきてやっぱり撃ち殺されていた。
 さてさらに『戦うパンチョ・ビラ』の製作メンバーを見ていくと、脚本をサム・ペキンパーが担当している。マカロニウエスタンが逆にアメリカの西部劇に影響を与えたことは有名な話、いや話を聞かなくても当時のアメリカ西部劇をみれば一目瞭然であるが(現在でもタランティーノ映画を見ればわかる)、そういう話になると必ずといっていいほど例として名を出される『ワイルド・バンチ』の監督である。
 
 驚いたショックでさらに思い出してしまったのがエリア・カザンのメキシコ革命もの『革命児サパタ』だが、これは製作が1952年だから時期的に古すぎる。マカロニウエスタンと直接のつながりはないだろう。たぶん。
 

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 マカロニウエスタンでは「3人のセルジオ」という言い方をすることがある。ベスト作品の多くをセルジオという名前の監督が撮ったからである。その三人とはセルジオ・レオーネ、セルジオ・コルブッチ、セルジオ・ソリーマ。レオーネとコルブッチはジャンルファン以外の普通の映画好きの間でも有名だから今更紹介などする必要もないだろうが、三人目のソリーマは知らない人もいるのではないだろうか。全部で五作西部劇を撮ったレオーネ、13作という数だけは最大数の西部劇を世に出したコルブッチに対し、ソリーマが作ったのは僅かに3作品だが、特に最初の2映画はマカロニウエスタンの傑作として伝説化している。最後の3作目がちょっと弱いかなとは思うが、ソリーマにしては弱いというだけで、その他のマカロニウエスタンの平均水準は完全に越えているから安心していい。『殺しが静かにやって来る』などの大傑作をつくる一方、目を覆うような駄作も生産したムラのあるコルブッチとは対照的である。
 レオーネはクリント・イーストウッド、コルブッチはフランコ・ネロを起用してスターの座に押し上げたが、ソリーマはキューバ生まれで後にアメリカに移住したトマス・ミリアンを使って成功した。ソリーマ自身、「レオーネにはイーストウッド、コルブッチにはネロ、そして私にはミリアンがいる」と言っていたそうだ。ミリアンはラテン系のイケメンであるが、コミカルな役も多い。昔の言葉で言う「二枚目半」というところだろう。
 実はうるさく言えばもう一人、セルジオという名の監督がいる。アンソニー・ステファン主役で西部劇を撮ったセルジオ・ガローネという人だが、この人の作品群ははっきり言ってB級ばかりなので、この人が勘定されることはない。つまり「4人のセルジオ」という言い方はしないのである。
 コルブッチもレオーネも1990年代に亡くなってしまったが、ソリーマは2015年まで存命だった。電子版ではあったが、新聞に死亡記事も載った。私の世代の人ならチャールズ・ブロンソン主演の『狼の挽歌』という映画を知っている人も多いのではないだろうか。これを撮ったのがソリーマである。

 さて、辞書などには出ていないが(当たり前だ)Nicht-Leone-WesternあるいはNon-Leone-Westernという言葉がある。「非レオーネ西部劇」。セルジオ・レオーネを別格扱いし、それ以外の手で製作された西部劇という意味である。言葉どおりに取ればジョン・フォードもハワード・ホークスも非レオーネ西部劇のはずだが、普通マカロニウエスタンのみを指す。人が3人寄れば必ず話題に上るのが「最高の非レオーネ西部劇はどれか?」ということであるが、うちにある本の巻末にも「非レオーネ西部劇ランキング」というアンケートの結果が載っている。もちろんこの手のアンケートはそこら中でいろいろな人がやっている上、これも母集団をしっかり設定しているわけでもなんでもないので単なる茶のみ話以上ではないが、見てみると結構面白い。

1.『復讐のガンマン』 1966、セルジオ・ソリーマ
2.『殺しが静かにやって来る』 1968、セルジオ・コルブッチ
3.『続・荒野の用心棒』 1966、セルジオ・コルブッチ
4.『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』 1967、ジュリオ・ペトローニ
5.『血斗のジャンゴ』 1967、セルジオ・ソリーマ
6.『群盗荒野を裂く』 1966、ダミアノ・ダミアーニ
7.『西部悪人伝』 1969、ジャンフランコ・パロリーニ
8.『さすらいのガンマン』 1966、セルジオ・コルブッチ
9.『情無用のジャンゴ』 1967、ジュリオ・クェスティ
10.『ガンマン大連合』 1970、セルジオ・コルブッチ
11.『怒りの荒野』 1967、トニーノ・ヴァレリ
12.『ケオマ・ザ・リベンジャー』 1976、エンツォ・ジロラーミ
13.『豹/ジャガー』 1968、セルジオ・コルブッチ
14.『続・荒野の一ドル銀貨』 1965、ドゥッチョ・テッサリ
15.『... se incontri Sartana prega per la tua morte』(日本未公開) 1968、
   ジャンフランコ・パロリーニ
16.『続・復讐のガンマン 走れ、男、走れ!』 1968、セルジオ・ソリーマ
17.『傷だらけの用心棒』 1968、ロベール・オッセン
18.『黄金の3悪人』 1967、エンツォ・ジロラーミ
19.『怒りの用心棒』 1969、トニーノ・ヴァレリ
20.『黄金の棺』 1966、セルジオ・コルブッチ

いかにソリーマの作品の評価が高いかわかる。私個人としては『ミスター・ノーボディ』が入っていないのが意外だ。もしかすると「ある意味ではレオーネ作品」と見なされて票が逃げたのかもしれない。
 以前にも書いたが(『22.消された一人』『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』の項参照)、『復讐のガンマン』の原題はLa resa dei conti「ツケの清算」、ドイツ語ではDer Gehetzte der Sierra Madre「シエラ・マドレの追われたる者」で、いかにもソリーマらしい気の利いたタイトルであった。私はこの映画にこの邦題をつけた奴を許さない。
 さらに許さないのがソリーマの二作目につけられた『血斗のジャンゴ』である。この映画の原題はfaccia a faccia、ドイツ語でもこれを直訳してVon Angesicht zu Angesicht(Face to face)という意味で、現に英語のタイトルもそうなっている。主役の名もジャンゴなどとは関係ないし、ストーリーも『復讐のガンマン』ですでに明確になっていたソリーマの社会派路線をさらに発展させ、登場人物の人格が映画の中で変わっていき善役と悪役がキャラクター転換するというマカロニウエスタンらしからぬ非常に練ったもの。主役を演じるのもトマス・ミリアンとジャン・マリア・ヴォロンテという大物だ。このタイトルはたぶん「いままで隠れていた自分の本当の姿に向き合う」という含みだと思うのだが、この傑作をどうやったら『血斗のジャンゴ』などと命名できるのが謎である。神経に異常がある人だったか、映画を全くみていないかのどちらかであろう。
 この二つが「ベスト非レオーネ西部劇」の上位にランクされているのも当然だが、実は私は「ベスト非レオーネ」どころか、レオーネの作品よりこっちの方が二つとも好きである。困るのは『復讐のガンマン』と『血斗のジャンゴ』のどちらが好きかと聞かれた場合だ。どちらも甲乙つけがたいからだ。
 ストーリーは『血斗のジャンゴ』の方に軍配があがるだろう。両主役のミリアンとヴォロンテもいいが、なんと言っても私がこの映画で好きなのは第三の主役、ミリアンとヴォロンテの間をウロチョロするウィリアム・ベルガーである。特にラストシーンでのベルガーはメチャクチャかっこよく、私としてはこれを「マカロニウエスタンで最も印象に残るシーン」として推薦したいほどだ。このシーンは砂漠での撮影だったが、そのとき雲が流れていて頻繁に光の具合が激しく変わったため、シーケンスのつながりを案じてソリーマは撮り直しも覚悟したそうだ。幸い出来上がったラッシュを見たらOKだったという。OK以上である。
 ただ、この映画にはマカロニウエスタン特有の「毒」というかエキセントリックさがやや少ない。普通の人の鑑賞にも堪えるまともな映画であることが裏目に出た感じだ。
 『復讐のガンマン』はなんと言ってもマエストロ、エンニオ・モリコーネのテーマ曲が地獄のようにいい。私はこのサントラを聴くたびにその場で死んでもいいような気になるのだ。以前誰かが「モリコーネ節」という言い方をしているのを見たことがあるが、この映画ではまさにそのモリコーネ節全開なのである。女性歌手クリスティ(本名クリスティナ・ブランクッチ、私の知り合いにこの人を「クリスティ姉さん」と呼んで慕っている人がいた)の歌声のイントロで虜にされた直後、賞金稼ぎリー・バン・クリーフが最初の獲物(?)に会うシーンでさっそくまた気高いメロディが響く。ちょっと高級なソリーマ映画にまさにドンピシャな気高さだ。ラスト近くで主役のトマス・ミリアンが追われていくシーンがあるが、そこで流れるエッダ・デロルソのソプラノのスコアの美しさは例のEcstasy of Goldに優るとも劣らない。このソプラノにノックアウトされたすぐ後、ラストの決闘シーンでもゾクゾクするようなモリコーネサウンドが惜しみなく注がれる。それもあってかこの映画の英語のタイトルはこの決闘シーンを売りにしてThe big gundownとなっている。

 この『復讐のガンマン』のサウンドトラックが死ぬほど好きなのは私だけではないらしく、やっぱり上述の本に載っていた「好きなマカトラランキング」ではこれが一位になっている。また、ソリーマ二作目ではなく、三作目の『続・復讐のガンマン』が入ってきている。ここではレオーネ映画のサントラも入っているから、つまり『復讐のガンマン』はベストマカトラということになる。なお、「マカトラ」というのはマカロニウエスタンのサウンドトラックの略である。作曲家の名前を見ればわかるように、マエストロの圧勝だ。

1.『復讐のガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
2.『続・夕陽のガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
3.『大西部無頼列伝』 1970、ブルーノ・ニコライ
4.『夕陽のガンマン』 1965、エンニオ・モリコーネ
5.『ウエスタン』 1968、エンニオ・モリコーネ
6.『さすらいのガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
7.『Buon funerale amigos… para Saltana』(日本未公開) 1970、ブルーノ・ニコライ
8.『続・復讐のガンマン 走れ、男、走れ!』 1968、ブルーノ・ニコライ
9.『続・荒野の用心棒』 1966、ルイス・エンリケス・バカロフ
10.『西部悪人伝』 1969、マルチェロ・ジョンビーニ
11.『殺しが静かにやって来る』 1968、エンニオ・モリコーネ
12.『豹/ジャガー』 1968、エンニオ・モリコーネ
13.『荒野のドラゴン』 1973、ブルーノ・ニコライ
14.『星空の用心棒』 1966、アルマンド・トロヴァヨーリ
15.『un uomo, un cavallo una pistola』(日本未公開)、1967、ステルヴィオ・チプリアニ
16.『怒りの荒野』 1967、リズ・オルトラーニ
17. 『ガンマン大連合』 1970、エンニオ・モリコーネ
18. 『アヴェ・マリアのガンマン』 1969、ロベルト・プレガディオ
19. 『Anda muchacho, spara』(日本未公開) 1971、ブルーノ・ニコライ
20.『続・荒野の一ドル銀貨』 1965、エンニオ・モリコーネ

 もうちょっとバカロフの『続・荒野の用心棒』とオルトラーニの『怒りの荒野』のランクが高くてもいいんじゃないかという感じだが、このランキングがマカトラ、つまり主題曲ばかりではなく、映画に流れる全体の音楽をも考慮しているからかもしれない。メイン・テーマだけ考慮に入れたらこの二つはもっと上がるだろう。もっともそれでも『復讐のガンマン』の位置は下がるまい。『荒野の用心棒』が出てこないのもわからなかったが、私の持っているレコード(を焼き直ししたCD)はタイトルがFor a few dollars more、つまり『夕陽のガンマン』だが、『荒野の用心棒』の曲も全部納められている。だから上の第4位は『荒野の用心棒』も兼ねているのだと思う。
 それにしてもここにリストアップされたタイトル。涼しい顔をしてこういう映画の名をあげる投票者のフリークぶりには脱帽するしかない。

 ソリーマが生前のインタビューでモリコーネについて親愛の情をこめて語っているのを読んだことがある。当時はモリコーネはオスカーの名誉賞さえ貰っていなかったのだが、ソリーマはこのアカデミー選考委員会をけなして「モリコーネにやらなくて誰にやれというのでしょうかね」と言っていた。さらに「まあ、でもモリコーネは作品を作りすぎたんですよ。で、選考委員もどれにやっていいのかわからなくなったんでしょう」。つまり恥かしいのは音楽賞をもらえていないモリコーネのほうではなくて、いまだにモリコーネに賞をあげ損ねているアカデミー会員のほう、というわけだ。その後モリコーネは名誉賞とさらにその後音楽賞をとったが、「今頃やっとマエストロにあげやがって。アカデミー賞選考委員も見苦しい奴らだな」と思ったのは私だけではないはずだ。
 さらにソリーマは続けて「いやしかし、エンニオはあれだけの天才なのに、見かけはまるで郵便局のおじさんってのが愉快ですな」。こういう事を堂々といえるのはソリーマだからこそだろう。

 私の知り合いにはマカロニウエスタンに詳しい人も大分いるが、彼らの詳しさといったらとても私なんかの太刀打ちできるところではない。私が「ソリーマの作品はその質の割には知られていなくて残念ですね」とかうっかり言うと「そんなことはないですよ。まともな人なら少なくとも彼の最初の2作は皆知ってます。『復讐のガンマン』なんてマカロニウエスタンの話になれば必ず口に上ります」と反論され、「『血斗のジャンゴ』ではウィリアム・ベルガーが一番好きなんです」というと「なるほど。まあでも、普通の日本人はベルガーと言うと『西部悪人伝』のバンジョーやった人、といったほうが通るんじゃないかな」とコメントされる。『西部悪人伝』は上記のリストに両方とも登場しているが、リー・ヴァン・クリーフが主役をやった作品である。私はまだ見たことがない。この人たちの「まともな人」「普通の日本人」の定義がちょっと私の考えているのと違う気がするが、とにかく彼らからみたら私など完全に無知な小娘であろう。随分年食った小娘ではあるが。


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 この際だから年をバラすが(何を今更)、小学校の頃だからもう半世紀近く前にもなろうというのに、モリコーネの『さすらいの口笛』を初めて耳にした時の驚きをまだ覚えている。
 私は本来音楽の感覚や素養というのものが全くない。例えばマドンナとかいう歌手の名前と顔はかろうじて知っているが曲はひとつも知らない。その他のミュージシャンについては推して知るべしで、名前は聞いたことがあっても顔も曲もわからない。ロッド・スチュアートとジャッキー・スチュアートの区別がつかない(この二人顔が似ていないだろうか?)。最近のミュージシャンで顔も曲もある程度心得ているのはABBAだけである。それも全く「最近の」歌手でないところが悲しい。
 前にも書いたとおり(『11.早く人間になりたい』参照)、私は視覚人間である。小中学校のころ、クラスメートがどこかの歌手のコンサートに行ったりレコード(その頃はまだレコードだった)を買ったりしているとき、私は専ら小遣いを美術館通いに使っていた。上野の近代西洋美術館にはよく行ったし銀座の画廊などにも時々行った。銀座の東京セントラル美術館が開催したデ・キリコ展は2回も足を運んだ。俗に言うこましゃくれたガキだったのである。音楽を鑑賞する能力のないこましゃくれたそのガキが、なぜモリコーネだけは聴いて驚いたかというと曲が直接視覚に訴えてきたからだ。私には『さすらいの口笛』を聴いた瞬間、夜になって暗く涼しくなった砂漠を風が吹いている光景がはっきりと見えた。この「視覚に訴える」というのはたとえば例のEcstasy of Goldでもいえることで、コンサートなどではやらないことが多いが、サントラだと曲の最後の部分に金箔が宙を舞っているような「音響効果」がはいる。私はこの部分が一番好きだ。また『殺しが静かにやってくる』では雪片が空を漂っているのが目の前に浮かび上がってくるし、『復讐のガンマン』(『86.3人目のセルジオ』参照)では遠くにシエラ・マドレの山脈がかすんでいるのがわかる。それも映画のシーンとは無関係に曲自体が引き起こす視覚効果として作用するのだ。
 だから私は映画を見たら音楽が素晴らしかった、というのではなく逆にモリコーネの音楽を聞いて度肝を抜かれたのでマカロニウエスタンを見だした口である。マカロニウエスタンの後期作品、『夕陽のギャングたち』とか『ミスター・ノーボディ』あたりになると、音楽を音楽として鑑賞する能力のない私にはキツくなってくる。しかしモリコーネがヨーロッパを越えて世界的に評価され出したのはそこから、私にはキツくなってからだ。だから他のモリコーネのファンの話についていけなくて悲しくなることがある。まともなファンなら音楽の素養があるのが普通だから、『ミッション』や『海の上のピアニスト』、『ニュー・シネマ・パラダイス』を論じはじめたりするので私には理解することができないからである。私がモリコーネの曲を半世紀以上聴き続けているのに自分で「モリコニアン」だと自称できないのはそれが原因だ。その資格がないような気がするのだ。私にとっての心のモリコーネはいまだに『さすらいの口笛』だからだ。
 ただ、前に新聞の文芸欄で、ということはちゃんと鑑賞能力のあるコラムニストが書いていたということだが、そこでモリコーネの音楽を評して「催眠術効果」と言っていた(『48.傷だらけの用心棒と殺しが静かにやって来る』参照)。確かChi maiをそう評していたと記憶しているが、なるほど私は小学生の頃まさにその催眠術にかけられて以来いまだに覚めていないわけだ。Chi maiもそうだが、『血斗のジャンゴ』のテーマ曲の催眠術効果も相当だと思っている。
 
 さて、そうやって小学生の頃から音楽というとモリコーネとあとせいぜいソ連赤軍合唱団くらいしか聴かない私は周りから「典型的な馬鹿の一つ覚え。ここまで音楽の素養のないのも珍しい」と常に揶揄され続けてきた。私自身もこのまま音楽鑑賞の能力ゼロのまま、馬鹿のままで死ぬことになるだろうと覚悟していたのだが、運命の神様がそれを哀れんででもくださったか、よりによって私の住んでいるドイツのこのクソ田舎の町にモリコーネがコンサートにやってきたのである。家の者が街角でポスターを見たと言って知らせてくれたのが半年ほど前だが、最初私はてっきりまたからかわれたのだと思って、「いいかげんにもうよしてちょうだい!」と情報提供者を怒鳴りつけてしまった。それが本当だと知ったときの驚き。気が動転してチケットを買うのが2・3日遅れた。金欠病なので一番遠くて安い席を買ったが、販売所のおねえさんが私が最初くださいと言った席を見て、そこだと確かに少し近いが角度が悪いのでこっちにしたほうがよく見えますよと同じ値段の別の場所を薦めてくれた。それをきっかけに雑談になったが、なんとこの人は日本に観光旅行にいったことがあるそうだ。そうやって受け取ったチケットに印刷してあるEnnio Morriconeという名前を見たらもう頭に血が上り、次の瞬間上った血が一気に下降して貧血を起こしそうになった。家では「半年も先で大丈夫なのか。」と言われた。「大丈夫」って何がだ?
 でも私自身最後の最後まで半信半疑だったのは事実である。『さすらいの口笛』を日本で聴いてから半世紀近く経って、さほど大きくもないドイツの町でその作曲家に遭遇できるなんて話が出来すぎだと誰でも思うだろう。そういえばコンサートの一週間ほど前にイタリアン・レストランに行く機会があったが、そこの従業員がイタリア人だったので(ドイツ語に特有の訛があったのですぐわかった)、勘定を済ませた後おもむろに「あのう、質問があるんですが。エンニオ・モリコーネって知ってますか?」と聞いてみたら「知っているどころじゃない、スパゲティウエスタンは私の一番好きな映画ですよ」といいだして話がバキバキに盛り上がってしまい、私の同行者たちは茫然としていた。ただこの人はモリコーネがこの町にやって来るということは知らなかったので、教えてあげたついでにチケットを買ったんだと自慢してやった。私自身が半信半疑なのを吹き飛ばしたかったのである。

チケットを手にしてもまだ信じられなかった。情けないことに一番安い席である。
ticket-Morricone-Fertig

 しかしその日3月9日マエストロは本当にやってきた。随分年を取っていた。もっとも世の中には年を取ると若い頃の顔の原型をとどめないほど容貌が変わってしまう人がいるが、そういう意味ではマエストロは本当に変わっていなかった。
 話に聞いていた通り立ち居振る舞いに仰々しいところが全くない人だった。ミュージシャンだろ指揮者だろがよくやるように、観客に投げキッスをしたり手を振ったり、果ては頭の上で手を打って見せて暗に観客に拍手を要請したりという芝居じみた真似は一切しない。普通に歩いてきて壇上に上がり、黙々と指揮をして一曲済むたびにゆっくりと壇から降りて聴衆に丁寧なお辞儀をする。そしてさっさとまた指揮に戻る。終わると普通に歩いて退場する。それだけだ。指揮の仕方も静かなもんだ。髪を振り乱したりブンブン手を振り回したりしない。とにかく大袈裟なことを全くしない。感動して大歓声を挙げる観客とのコントラストが凄い。
 次の日の記事にも書いてあったが映画音楽を演奏する際は壇上のスクリーンにその映画のシーンを映し出したりすることが多い。私の記憶によればジョン・ウィリアムズのコンサートにはクローン戦士だろダースベイダーだろのコスプレ部隊が登場して座を盛り上げていた。マエストロはそういうことも一切させない。スクリーンには舞台が大写しにされるだけ。間を持たせる司会者さえいない。つまりコンサートを子供じみた「ショウ」や「アトラクション」にしないのだ。いろいろと盛りだくさんにとってつけて姑息に座を盛り上げる必要など全くない。あえて言えばそういうことをやる人とは格が違う感じ。

 さて、コンサートでは『続・夕陽のガンマン』『ウエスタン』、『夕陽のギャングたち』をメドレーでやってくれた。『ミッション』で〆てプログラムを終了したが当然のことに拍手が鳴り止まず、アンコール三回。本プログラムにもあったEcstasy of Goldをもう一度やってくれた。私としてはさらにもう一度これを聴きたかったところだ。とにかく拍手をしすぎてその翌日は一日中掌と手首の関節が痛かった。また、席が遠いため双眼鏡を持っていってずっと覗いていたため目も疲れて翌日は視界がずっとボケていた。やれやれ、こちらももう若くはないのだ。

 コンサートの詳しい経過などはネットや新聞にいくらでも記事があるので今更ここでは述べないが、一つ書いておきたい。アンコールの3曲目にかかる直前、マエストロが壇上に楽譜を開いてから、突然「あれ、これでよかったかな皆さん?」とでも言いたげに観客の方を振り返ったのである。観客席からは笑いが起こった。それは「ひょうきん」とか「気さく」とかいうのとはまた違った、何ともいえない暖かみのある動作だった。小さなことだが非常に印象に残っている。
 このやりとりを私はこう考えている。モリコーネのコンサートでは曲の選択の如何にかかわらず、必ずといっていいほど後から「あの曲をやってほしかった」とか「この曲が聴きたかった」というクレームをつける人が現れる。まあ500もレパートリーがあるのだからそれも仕方がないかもしれないが、私は自分の知っている曲だけ聴きたいのだったらコンサートなんかに来ないで家でCDでも聴いていればいいのにと思う。好きな曲をやってくれなかったからといってスネるなんてまるでおやすみの前にママにお気に入りのご本を読んでくれとせがむ幼稚園児ではないか。それを世界のマエストロ相手にやってどうするんだ。少なくとも私は自分のお気に入りの曲を聴くために行ったのではない、モリコーネを見にいったのだ。そこで自分の知らない曲をやってくれたほうがむしろ世界が広がっていいではないか。
 そういう選曲についてのクレームというかイチャモンにモリコーネ氏は慣れっこになっていたに違いない。それで「これでよかったかな」的なポーズをとって見せたのではないだろうか。そして数の上から言えば私のような「モリコーネの音楽そのもの」を鑑賞しに来る観客の方が圧倒的に多いだろうから、「ははは、いますよねそういう人って。どうか何でも演奏して下さい、マエストロ」という意味合いで笑いが起こったのではないだろうか。

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 インターネットになってつくづく便利になったと思うことの一つが、「そういえばあの人は今何をしているのだろう?」とふと思ったりしたときすぐ調べられることだ。「ググる」という言葉ができるほどになったが、私はヘソ曲がりなので、何年か前にメインの検索マシンをGoogleからDuckDuckGoというのに変えた。だからもう何年も「ググる」という行為をしていない。「ダクる」とでも言うのか?とにかくこの検索エンジンだと個人情報があっち側に残らないのが利点だが、それより私はアヒルが好きなのでロゴマークにアヒルを使ってあるというのがこちらに切り替えた理由の第一。第二が私はヘソ曲がりなので「皆が使っている」とか「シェア一位」とか聞くと使いたくなくなるという理由である。
 で、本来ならウィンドウズもワードも使いたくないのだが、ヘソだけは一人前に曲がっていても如何せんIT音痴なのでリナックスやオープンオフィスを使いこなすだけの知識や頭がなく、曲がったヘソの持って行き所がない。それで不本意ながらこの点では主流に呑まれているのである。が、いくらデジタル音痴でもさすがにメインの検索エンジンを変えることくらいは出来るからグーグルをやめた。

 その、「行け行けアヒル」であちこち「そういえばあの人は今どうしているのか」と思いついた人たちの名前を検索して遊んでいたら、何を今更ではあるが、あらためて知って感心したことがいくつかあるのでご紹介。以下は全部DuckDuckGoで行なった検索結果である。Googleだと違う結果になるのだろうか?

 その第一はブルーノ・ニコライの方がモリコーネより年上だった、ということだ。私はてっきりこの人はモリコーネの弟子で、10歳くらい年下かと思っていた。残念ながら1991年に亡くなっている。
 ルイス・エンリケス・バカロフはまだ存命だ。さるデータ・ベースを調べてみたら、この人のヒット曲ランキングのダントツ一位は未だに『ジャンゴ』でせっかく(しかもモリコーネより先に)オスカーを取った『イル・ポスティーノ』とかが完全に無視されている。
 リズ・オルトラーニは2014年の一月に亡くなっている。この人もあの世界的なヒットを飛ばした世界残酷物語が無視されてヒット曲の一位は『怒りの荒野』となっている。実は私は今まで気にしたこともなかったのだが、オルトラーニはフルネームがRiziero、リツィエロというのかリジェーロと発音するのか、なにやら由緒ありげなカッチョいいものであった。日本語表記の「リズ」だとエリザベス・テーラーとかといっしょになってしまいかねないが。

 アレッサンドロ・アレッサンドローニは私が「ダクりはじめた」当時はまだ存命だった。2011までしっかりコンサートなどの音楽活動をしていたということだが残念ながら今年2017年の3月に94歳で亡くなった。名前で言われると「そんな人知らない」と思う人もいるかも知れないが、さすらいの口笛の口笛とギターの演奏をしたのはこの人だといえば、「ああ、あの人か」と思い出すだろう。その後の『夕陽のガンマン』のスコアでも『続夕陽のガンマン』でも口笛をきかせてくれている。アレッサンドローニ氏はいわゆるマルチ演奏家で、ギターはもちろんマンドリンからシタールからいろいろな楽器を演奏していたらしい。しかも年は違うが行っていた幼稚園がモリコーネと同じだそうだ。レオーネがモリコーネと小学校の同級生だったことは有名な話だが、つまり『荒野の用心棒』は子供たちの同窓会作品だったのか。その幼稚園・小学校レベルにさえ達してない映画・スコアしか作れないくせに「プロの映画監督でございます」とかふんぞりかえっている監督や作曲家は廃業するがいい。

小学校時代のセルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネ。r の字がひとつ足りない気がするのだが…
International Movie Database(imdb.com)から
MorricineLeone

 あと、意外なことにこのアレッサンドローニはフランチェスコ・デ・マージと協力して作曲も演奏もしている。『黄金の3悪人』というジョージ・ヒルトン主演の映画があるだろう。テーマ曲をデ・マージが担当しラウールがStranger, stranger, who knows your face?とかいう歌詞を『南から来た用心棒』と全く同じような声で歌う(当たり前だ。下記参照)が、あそこでギターを弾いていたのはこの人だそうだ。世界の狭さに驚いた。
 そのフランチェスコ・デ・マージは残念ながら2005年に亡くなっている。とにかく作曲家の消息については皆結構簡単に見つかった。モリコーネのように名前が一般教養の域にまで達している人はまあ言わずもがなだが、オルトラーニもデ・マージもウィキペディアに載っているし、その他の情報サイトも検索するとドシャドシャ出てくる。だが、それを実際に演奏したり歌ったりした人の消息となるとそうそうドシャ降りという具合にはいかなかった。 すぐに見つかったアレッサンドローニはむしろ例外だ。

 さて、「マカロニウエスタンの声」と言うと普通どんな名前が思い浮かぶだろうか。私はフリークでも専門家でもないが、素人目でいいから名前を挙げろといわれれば、まず第一にロッキー・ロバーツ、その余勢を駆って(?)ベルト・フィア(『63.首相、あなたのせいですよ!』参照)、あとラウール、マウリツィオ・グラーフ、最後にクリスティ、この5人が浮かぶのだが、皆さんはいかがだろうか。エッダ・デロルソ(『86.3人目のセルジオ』参照)を抜かすなと抗議されそうだが、ここでは「歌詞を歌った」人に限ることにする。ごめんなさい。
 
彼らは今何をしているのか、そもそもまだ存命なのか?

 『続・荒野の用心棒』を歌ったロッキー・ロバーツは2005年、デ・マージと同じ年にローマで亡くなっている。この人はフロリダ生まれの本当のアメリカ人で、英語が母語だ。
 『復讐のガンマン』のクリスティ(再び『86.3人目のセルジオ』参照)も比較的楽に見つかった。すぐにイタリア語版のウィキペディアにヒットしたのである。でもこれは私がたまたまマリア・クリスティナ・ブランクッチという本名を知っていたからで、単にChristyとしか知らなかったら相当手間がかかったと思う。まだご存命だ。
 さて、『南から来た用心棒』や『黄金の3悪人』の歌手、上述のラウールだ。私はこの人の本名を知らなかったのでちょっと手間取ってしまった。Raoulだけじゃあ、他に何百人も出てきてどれが目指すラウールなのか全くわからない。片っ端からこれ全部クリックするなんてやだー、と二の足を踏んでいたらなんとフランチェスコ・デ・マージのサイトで彼の本名に言及されていた。Ettore Raul (Raoul) Lo VecchioまたはLovecchioといい、デ・マージの歌をいくつか歌った後は俳優に転向し、実際いくつかの映画に出演している。その後はショウ・ビジネスから手を引いてローマでオリエンタルファッションのブティックを開業して暮らしているそうだが、生年月日も生死も定かではない。
 ラウールは例えばあるサイトで関係のない別のラウールとごっちゃにされて、というかいっしょにくくられれた上、

Raoul is a vocalist known for his many contributions to Ennio Morricone soundtracks.

という紹介文がついているが、これは正しいのか?彼はモリコーネの曲にmany contributionsをしていたのか?私としてはラウールと聞いて思い出す作曲家はなんと言ってもフランチェスコ・デ・マージの方なのだが。モリコーネとくっ付けるべきなのはむしろマウリツィオ・グラーフだと思うのだが。
 が、そのグラーフはラウール以上に情報がない。本名はMaurizio Attanasioというのはわかったが、なぜか生年月日も生死も見つからなかった。Youtubeでは結構みつかり、よくコンサートなんかはしていたらしいことはわかったが、経歴そのものの情報はほとんど見つからなかった。
 マウリツィオ・グラーフもラウールもまた名前を出されるとわからなくなる人がいるかも知れないが、私と同年代の女性なら絶対声は知っているはずだ。それぞれ『続・荒野の一ドル銀貨』『南から来た用心棒』、つまりジュリアーノ・ジェンマが主演した映画の主題歌を歌っている。これらの映画を「二つとも全く見たことがない、ジュリアーノ・ジェンマって誰ですか?」とか言うような同年代の女性がいたら、それこそ日本ナショナリストではないが「あなた本当に日本人?」と聞いてみたいところだ。
 マカロニウェスタンを見る際、ヨーロッパと日本ではもちろん重点というか視点が違うのだが、その彼我の差が最も明確に出ることの一つが実はジュリアーノ・ジェンマの扱いなのである。日本では荻昌弘あたりが「マカロニ・ウェスタンのスターはイーストウッド、フランコ・ネロ、ジュリアーノ・ジェンマ」とか言っていたことがあるが、これはあくまで男性側の意見で、私達にとってはイーストウッドとネロが束になってかかってきてもジェンマにはかなわなかっただろう。ネロは美男子だったし、イーストウッドも顔だけ見れば結構線が細かったのでまあ女性ファンもいたが、本来「男っぽさ」を全面に打ち出すタイプの主人公は女性は嫌いなのである。そういえばあのころ、クラスにも「ショーン・コネリーとか見てると臭いがうつりそう。ゲー気持ち悪い」とまで言っていたクラスメートがいたほどだ。なお、私は今までの人生でリー・バン・クリーフが好き~といってキャーキャーいう女性にはただの一度もお目にかかったことがない。
 ドイツに来て「マカロニウェスタンのスターを挙げて下さい」とそこら辺の人に聞いてみるといい。イーストウッドはまあ別格としてその次に挙げられるのはフランコ・ネロよりテレンス・ヒルとバッド・スペンサーが先に来るはずだ。ネロはその後だと思う。ジェンマにいたっては完全にトマス・ミリアンや下手をするとジャンニ・ガルコとかあの辺と同じレベルだ。でもさすがに彼が亡くなった時は新聞に載った。「マカロニウェスタンの俳優で一番のイケメン」と書いてあった。

 さて、そのラウール、グラーフ以上にお手上げだったのが、『続・荒野の用心棒』のイタリア語バージョンを歌った上記ベルト・フィア(またはロベルト・フィア、どちらの名も使っているそうだ)だった。上の人たちは少なくとも歌った歌とか出演した映画とか、作品の紹介がいくつもしてあったが、フィアの場合は『続・荒野の用心棒』だけで他の言及が全くない。もしかするとイタリア語のサイトを探せばみつかるのかもしれない。イタリア語の出来る方がいたらお願いしたい。実は私は当時買ったイタリア語バージョンのレコード(「レコード」である!)をまだ持っているのだが、そのジャケットに「先日ミルバと共に来日したベルト・フィアが歌っている」と書いてある。ミルバと来日するくらいだからある程度名の通った人なのではないのか?それともフィア氏はミルバの荷物持ちかなんかだったのか?

 最後にもう一つ。アレッサンドローニだが、彼は自分のバンド、というか合唱団を持っていていくつかの映画で歌っているが、そのメンバーを見て驚いた。クリスティ(マリア・クリスティナ・ブランクッチ)が消してあるのはなぜだかわからないが、ラウールやエッダ・デロルソがいる。つまりアレッサンドローニを通してモリコーネとデ・マージはしっかりつながっているのだ。

 何、ここで挙げた名前や曲、映画の題名を全く知らない?それが正常だ。

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 以前に『ブロークバック・マウンテン』を見たときになぜか突然高校生の時早川文庫で読んだラリイ・マクマートリーの『遥かなる緑の地』という小説を思い出した。プロットというかモティーフに並行するものを感じたからである。何の変哲もない小さな町で一生を過ごした男の回想録。もちろん若いころはいろいろ外に出たり事件もあったが歳を取ると何もかも色あせて、人生の夕暮れになって来し方を回想してほっと溜息をつく。そんな感じである。でもどうしてこの小説が突然心に浮かんだのか自分ではわからないまま、何気なくこの映画のクレジットを見て驚いたの驚かないのって(驚いたのだ)。脚本がまさにそのラリイ・マクマートリイだったのだ。この人が小説家から脚本家に転向していたことをそのとき初めて知ったが、調べてみたら『遥かなる緑の地』も映画化はされている。地味な出来だったので忘れられているが。
 私のような素人は映画というとまず主演俳優、次に監督に目が行き脚本までは気がまわらないことが多いが考えてみれば脚本は映画のいわば素描、設計図である。黒澤明も「映画監督は本が書けなければダメだ」と言っていたそうだし、絵でも画家の特徴が最もよく出るのは素描である。仕上げられた絵だけ見ていてもわからない部分があるだろう。

 さて、私がこのブログで執拗に話題にしている『血斗のジャンゴ』の脚本を書いたのはセルジオ・ドナーティである。マカロニウェスタンの脚本家の最高峰だ。このジャンルの最高傑作として常にトップで言及され、他の作品の追随を許さない『ウェスタン』はドナーティの手によるものだ。あちこち「アヒル検索」(『112.あの人は今』参照)したり、家に落ちていた資料を調べてみると、レオーネは『荒野の用心棒』の脚本を最初このドナーティに打診したが断られたそうだ。でも次の『夕陽のガンマン』ではドナーティを引っ張り込むことに成功した。クレジットでは脚本ルチアーノ・ヴィンツェンツォーニとなっているが、陰でドナーティも協力したらしい。さらに『続・夕陽のガンマン』にもこの人は関わっていて(ここでもクレジットには出ていない)、あの、拷問行為が外にバレないように建物の周りで大音響で音楽を響かせるシーンはドナーティのアイデアとのことだ。その後『ウェスタン』で初めて正規に名前が出たが、『夕陽のギャングたち』を書いたのもドナーティである。
 ソリーマの『復讐のガンマン』、『血斗のジャンゴ』は両方ともドナーティの脚本。つまり『復讐のガンマン』は『続・夕陽のガンマン』の直後、『血斗のジャンゴ』は『ウェスタン』の直前に書かれたのだ。例えば『復讐のガンマン』と『続・夕陽のガンマン』だが、この二つの映画は時期的にほとんど同時に作られている。『続・夕陽のガンマン』は1966年製作で本国(イタリア)公開が1966年12月23日、『復讐のガンマン』が1967年3月3日で、『復讐のガンマン』がたった2ヶ月遅いだけである。ドイツの劇場公開は『復讐のガンマン』の方が半年も早く1967年6月27日、『続・夕陽のガンマン』が1967年12月15日。制作されてからほぼ一年間もどこで何をしていたのかね夕陽のガンマン君たち?

 こういう具合だからドナーティが関与しなかった黒澤のパクリ『荒野の用心棒』以降の作品、『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』(レオーネ)『復讐のガンマン』『血斗のジャンゴ』(ソリーマ)『ウェスタン』(レオーネ)間でモティーフというかストーリーに共通性が感じられるのも根拠のないことではない。どれも主人公が3人いて、誰と誰が実は味方なのかはっきりわからない、というより一応2者がくっついてもう一人と対決する形になっているのだが、この2者の結びつきがうさん臭く、どうもクリアに2対1という把握が出来ない、つまりいわば決闘が三つ巴になっているということである。
 その際ソリーマとレオーネでは三つ巴のパターンがちょっと違い、ソリーマでは最初2対1という形をとっていたのが最後に壊れて最初組んでいた二人のうちの1人が対抗側の1人に回る。『復讐のガンマン』ではウォルター・バーンズ(およびその一味)とリー・バン・クリーフとでトマス・ミリアンを追っていたのが最後でバン・クリーフがミリアンの側についてバーンズ(の前にさらに一味を二人)を撃ち殺すし、『血斗のジャンゴ』では逆にジャン・マリア・ヴォロンテとトマス・ミリアンの二人組みをウィリアム・ベルガーが追うが、最後の瞬間にミリアンがベルガーを守る側に立ってヴォロンテを殺す。
 つまりソリーマでは2対1が1対2になる、あるいはその逆というわけで敵対味方という二項対立自体は比較的はっきりしているが、レオーネではこの2人組そのものの結びつきがユルユルというか「組」になっていないというか、とにかく「2」があくまで暫定的でしかたなくくっついているというニュアンスが濃い。ソリーマとは逆にレオーネではむしろ始め危なっかしかった2人組が最後でやっぱりこの二人はコンビであったことがわかる。いわばソリーマとレオーネでは胡散臭さの方向が逆になっているのだ。それでも『夕陽のガンマン』では仲間割れを起こしながらもイーストウッドとリー・バン・クリーフは結構明確にコンビをなしてジャン・マリア・ヴォロンテと対抗しているが、『続・夕陽のガンマン』だと二人組みの結束が相当怪しくなってきて、組んでいるはずのイーストウッドとイーライ・ウォラックは常に互いをだましあい出し抜きあい、ほとんど敵同士である。この二人と対抗するリー・バン・クリーフとの決闘シーンも2対1というより文字通り三つ巴の決闘。さらにそれが『ウエスタン』になると果たしてチャールズ・ブロンソン&ジェイソン・ロバーツ対ヘンリー・フォンダと言っていいのかさえ怪しくなってくる。かと言って完全な三つ巴でもない。ロバーツが「フォンダ側にはつかない」ということである意味では明確にブロンソン側に立っているからである。しかしフォンダとブロンソンの果し合いには関与していない。
 もっともソリーマの『復讐のガンマン』もリー・バン・クリーフ側のバーンズの周りにさらに何人かくっついていて、そのうちの1人Gérard Herter(本当はGerhard Härtter、ゲルハルト・へルター)演じるフォン・シューレンベルクとリーン・バン・クリーフは最初から仲が悪いから二項対立にちょっとヒビが入ってはいる。しかしそれより興味深いのは、途中で追われる側のトマス・ミリアンが吐くセリフだ。「人間には2つのグループがあるのさ。一つは逃げるほうで他方はそれを追いかけるんだ」。これはレオーネの『続・夕陽のガンマン』でイーストウッドがイーライ・ウォラックに言う、「人間には2種類のタイプがあってな。一方は銃を持っている、他方は穴を掘るんだ」というのとそっくりだ。もしかしたら目潰しシーンのほかにこのセリフもドナーティの発案かもしれない。

『夕陽のガンマン』
一応組んでいる(はず)のイーストウッドとリー・バン・クリーフ
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それと対立するジャン・マリア・ヴォロンテ
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『続・夕陽のガンマン』
胡散臭さ満載のコンビイーストウッドとイーライ・ウォラック。
il-buono-il-brutto-e-il-cattivo_1200x628_
そのコンビよりさらに胡散臭い対立側のリー・バン・クリーフ
Van_Cleef

『復讐のガンマン』
最初ウォルター・バーンズとリー・バン・クリーフが組んで
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トマス・ミリアンを追うが最後リー・バン・クリーフはミリアン側につく
Millian

『血斗のジャンゴ』
追う側ウィリアム・ベルガーが
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ジャン・マリア・ヴォロンテと共に追われる側だったトマス・ミリアン(右)に命を助けられる。
Milian_volonte4

『ウエスタン』
そもそもコンビにさえなっていないチャールズ・ブロンソンとジェイソン・ロバーツの「コンビ」
BronsonJasonrobardsonce

ブロンソンの仇ヘンリー・フォンダ
Fonda

 話が少し逸れるが、このマカロニウェスタンらしからぬ社会的なプロットの『血斗のジャンゴ』でウィリアム・ベルガーのやった役、「ピンカートン探偵社のチャーリー・シリンゴ」というのは実在の人物である。アメリカではワイアット・アープとかあの辺といっしょのカテゴリーで伝説と化している人物だ。奇しくもシリンゴはベルガーの生まれた年、1928年に死んでいる。
 この人はアープや、日本で言えば坂本竜馬のようにTVや映画に何回も描かれている。なんとウィキペディアにも「映画化されたシリンゴのリスト」という項があって、しっかり『血斗のジャンゴ』が載っていた。もっともベルガーのシリンゴには(a fictionalized) Siringoという注がついていたが。別の場所でも「チャーリー・シリンゴはセルジオ・ソリーマの映画でウィリアム・ベルガーによっても演じられている」という記述を見かけたから、ひょっとしたらこの映画は「チャーリー・シリンゴの映画化」というそのことだけで、結構いつまでも名が残るかもしれない。まさかそれを意図的に狙ったわけでもないだろうが。
 さらに話が逸れるが、例のあまりにも有名な『ウエスタン』のメインテーマ。これを作るのにモリコーネが非常に苦しんだことは最近のインタビューでモリコーネ氏自身が語っているそうだ。氏がいつまでも「何もしてくれない」ので、業を煮やしたレオーネは途中で他の人にも作曲を依頼し、そっちを録音するところまで行ったという。だがやっと出来上がってきたモリコーネの作品を聴いてレオーネは半分決まりかかっていた別のスコアをボツにした。そりゃモリコーネのあの曲と比べられたらどんな曲だってボツになるだろう。

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