もう15年くらい前のことになるだろうか、歩いて10分位のところにある地方裁判所に一家で裁判を見にでかけたことがある。不謹慎で申し訳ないが、物見遊山感覚で特に計画も立てずに適当になんとなく入っていって傍聴した。ところが、その偶然傍聴した裁判がちょっと重い裁判で、後日町の新聞にも載ったのだ。殺人未遂事件だった。
被告席に坐っていたのは、いかにもおとなしそうな楚々とした若い女性で、始めこの人が被害者かと思ったが、ほんとうに彼女が夫を殺そうとしたのだそうだ。
その人の夫はアルバニアからやってきてドイツで仕事につき、やがてアルバニアの親戚一族から妻を「あてがわれて」、まったくドイツ語もできないそのアルバニア女性をドイツに呼び寄せた。けれどこの夫は横暴で妻が何かちょっとでも口答えしたり、違う意見を述べただけで、罵るならまだしも、暴力までふるって押さえつけるのが日常だったそうだ。もちろん妻が外の人と付き合うのも許さず、「ドイツにいるのだからドイツ語が勉強したい」とでも言えばまた殴る蹴るだった。
それでも妻は耐えていたが(「結婚生活とか夫とか男とかいうのはこういうものだ」と思っていたんだそうだ)、夫がついに「お前のような無能な女はもういらない。子供をここに残してアルバニアの親戚のところに送り返してやる」というに及び、1.「ご用済みの女」として一族に送り返されるのは死ぬほどの不名誉だし、2.何より二人の子供にもう会えなくなるのが辛くて、なんとか送り返されるのを阻止しようとして、夫がその晩例によって酒を飲んでTVの前で眠り込んでしまうのを待って首を包丁で切り付けた。あと2cmずれていたら頚動脈が切れて夫は死んでいたそうだ。
しかし、切りつけたはいいが、実際に夫が血まみれになって苦しむ姿を見ると、堪えられずに、自ら警察を呼んで自首した。
ところで、ドイツの刑法では「殺人」に2種類ある。日本でも旧刑法ではその区別があったそうだが、Mord 「謀殺」とTotschlag「故殺」だ。Mord(モルト)はTotschlag(トートシュラーク)より罪一等重い。この2つの区別は法学的に重要らしく、こちらでは殺人事件が起こると真っ先にモルトと見なすかトートシュラークで済むか(?)が話題になる。議論のエネルギーの相当部がこの区別に費やされる感じ。どうやってこの区別をするかはもちろん専門的に周到に規定されているが、大雑把に言うと、計画的に周到な準備をして人を殺したり、自分が犯した他の犯罪、例えば強姦などの罪を隠蔽しようとして被害者を殺したり、口封じのために目撃者を殺したりしたら文句なくこのモルトだ。モルトは最も重い罪でたとえ未遂でも無期刑が下されることがある。
この女性は犯行のために包丁を買って用意したり、夫が酔いつぶれるのを待つなど辛抱強くチャンスをうかがっていたりしたので計画行為、つまりモルト未遂と見なされた。
その鬼より怖いドイツの検察が求刑するためすっくと立ちあがった時はこちらまですくみあがったが、この検察、情状酌量の余地を鏤々述べ始めたのだ。曰く、被告が何年も夫の暴力に耐えてきたこと、曰く、結婚失敗者として親戚に送り返す、という脅しがアルバニア人社会に生きる者にとっては心理的にも深刻な脅威をあたえたこと、曰く、被害者の夫本人が「自分も悪かった。すべて許す。妻が罰を受ける事は全く望んでいない」と嘆願書を提出していること、云々…
そして「これ以上下げることができない」とか言い訳しながら3年半を求刑した。検察側にここまで「弁護」されて本物の弁護側は他に選択肢がなくなったのか、正当防衛として無罪を主張した。
求刑後、裁判長が被告に「最後に一言」とうながすと、女性はうつむいたまま細い声で(アルバニア語で)「申し訳ありませんでした」と一言。
判決は次の日だったが、私たちが出かけて行くと傍聴席の最前列に利発そうな男の子と可愛い女の子がいた。これが被告の子供たちだった。その隣からは小柄で優しい感じの男性が心配そうに女性と検察側を交互に見つめていた。これが殺されそうになった夫だった。被告は家族の姿を傍聴席に認めると泣きそうな顔をしてちょっと手を振って見せた。
さて判決だが、裁判長は適用できうる法律をまた何処からか見つけてきて、さらに刑期を下げ3年となった。これはモルト未遂に適用される最も軽い罪で、法律上これ以上下げることはできないものだった。
私達はそこで法廷を出てしまったのだが、翌日の新聞によれば、すべて終わった後、夫も子供たちも女性のところに駆け寄っておいおい泣いたそうだ。
もうかなり前のことなので、被告はもうとっくに刑務所から出所しているはずだ。あの一家は今ごろどうしているだろう、と今でもときどき思い巡らす。
当時傍聴席で隣に坐っていたドイツ人のおばさんが、「嘆願書を出した、というのはきっと誰かに入れ知恵されたんだろう。なんだかんだで、奥さんがいないと家の事全然できなくて困るのは自分だからね」と言っていた。「あの人、刑務所から出てきたら最後、きっと男や男の仲間から復讐されるよ」とも。そうかもしれない。確かに家庭内で日常的に暴力をふるう男性の相当数が、「実は気が弱く、傍からは優しくおとなしい人にみえる」そうだから。
でも私はこんなことも考えた。もしかしたらこの男性は生まれてこのかたそういう価値観(男尊女卑)しか知らなかったのではないだろうか。本当は結構優しい人が回りから無理矢理マッチョの規範を押し付けられて、実は自分でもその役割を果たすのに苦しんでいて、必要以上にマッチョを演じてみせざるを得なかったのが、妻からこういう事件を起こされて、いま初めて本当の自分と向き合えたのではないか、と。
あの家族が今はどこかで幸せに暮らしていますように。
この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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被告席に坐っていたのは、いかにもおとなしそうな楚々とした若い女性で、始めこの人が被害者かと思ったが、ほんとうに彼女が夫を殺そうとしたのだそうだ。
その人の夫はアルバニアからやってきてドイツで仕事につき、やがてアルバニアの親戚一族から妻を「あてがわれて」、まったくドイツ語もできないそのアルバニア女性をドイツに呼び寄せた。けれどこの夫は横暴で妻が何かちょっとでも口答えしたり、違う意見を述べただけで、罵るならまだしも、暴力までふるって押さえつけるのが日常だったそうだ。もちろん妻が外の人と付き合うのも許さず、「ドイツにいるのだからドイツ語が勉強したい」とでも言えばまた殴る蹴るだった。
それでも妻は耐えていたが(「結婚生活とか夫とか男とかいうのはこういうものだ」と思っていたんだそうだ)、夫がついに「お前のような無能な女はもういらない。子供をここに残してアルバニアの親戚のところに送り返してやる」というに及び、1.「ご用済みの女」として一族に送り返されるのは死ぬほどの不名誉だし、2.何より二人の子供にもう会えなくなるのが辛くて、なんとか送り返されるのを阻止しようとして、夫がその晩例によって酒を飲んでTVの前で眠り込んでしまうのを待って首を包丁で切り付けた。あと2cmずれていたら頚動脈が切れて夫は死んでいたそうだ。
しかし、切りつけたはいいが、実際に夫が血まみれになって苦しむ姿を見ると、堪えられずに、自ら警察を呼んで自首した。
ところで、ドイツの刑法では「殺人」に2種類ある。日本でも旧刑法ではその区別があったそうだが、Mord 「謀殺」とTotschlag「故殺」だ。Mord(モルト)はTotschlag(トートシュラーク)より罪一等重い。この2つの区別は法学的に重要らしく、こちらでは殺人事件が起こると真っ先にモルトと見なすかトートシュラークで済むか(?)が話題になる。議論のエネルギーの相当部がこの区別に費やされる感じ。どうやってこの区別をするかはもちろん専門的に周到に規定されているが、大雑把に言うと、計画的に周到な準備をして人を殺したり、自分が犯した他の犯罪、例えば強姦などの罪を隠蔽しようとして被害者を殺したり、口封じのために目撃者を殺したりしたら文句なくこのモルトだ。モルトは最も重い罪でたとえ未遂でも無期刑が下されることがある。
この女性は犯行のために包丁を買って用意したり、夫が酔いつぶれるのを待つなど辛抱強くチャンスをうかがっていたりしたので計画行為、つまりモルト未遂と見なされた。
その鬼より怖いドイツの検察が求刑するためすっくと立ちあがった時はこちらまですくみあがったが、この検察、情状酌量の余地を鏤々述べ始めたのだ。曰く、被告が何年も夫の暴力に耐えてきたこと、曰く、結婚失敗者として親戚に送り返す、という脅しがアルバニア人社会に生きる者にとっては心理的にも深刻な脅威をあたえたこと、曰く、被害者の夫本人が「自分も悪かった。すべて許す。妻が罰を受ける事は全く望んでいない」と嘆願書を提出していること、云々…
そして「これ以上下げることができない」とか言い訳しながら3年半を求刑した。検察側にここまで「弁護」されて本物の弁護側は他に選択肢がなくなったのか、正当防衛として無罪を主張した。
求刑後、裁判長が被告に「最後に一言」とうながすと、女性はうつむいたまま細い声で(アルバニア語で)「申し訳ありませんでした」と一言。
判決は次の日だったが、私たちが出かけて行くと傍聴席の最前列に利発そうな男の子と可愛い女の子がいた。これが被告の子供たちだった。その隣からは小柄で優しい感じの男性が心配そうに女性と検察側を交互に見つめていた。これが殺されそうになった夫だった。被告は家族の姿を傍聴席に認めると泣きそうな顔をしてちょっと手を振って見せた。
さて判決だが、裁判長は適用できうる法律をまた何処からか見つけてきて、さらに刑期を下げ3年となった。これはモルト未遂に適用される最も軽い罪で、法律上これ以上下げることはできないものだった。
私達はそこで法廷を出てしまったのだが、翌日の新聞によれば、すべて終わった後、夫も子供たちも女性のところに駆け寄っておいおい泣いたそうだ。
もうかなり前のことなので、被告はもうとっくに刑務所から出所しているはずだ。あの一家は今ごろどうしているだろう、と今でもときどき思い巡らす。
当時傍聴席で隣に坐っていたドイツ人のおばさんが、「嘆願書を出した、というのはきっと誰かに入れ知恵されたんだろう。なんだかんだで、奥さんがいないと家の事全然できなくて困るのは自分だからね」と言っていた。「あの人、刑務所から出てきたら最後、きっと男や男の仲間から復讐されるよ」とも。そうかもしれない。確かに家庭内で日常的に暴力をふるう男性の相当数が、「実は気が弱く、傍からは優しくおとなしい人にみえる」そうだから。
でも私はこんなことも考えた。もしかしたらこの男性は生まれてこのかたそういう価値観(男尊女卑)しか知らなかったのではないだろうか。本当は結構優しい人が回りから無理矢理マッチョの規範を押し付けられて、実は自分でもその役割を果たすのに苦しんでいて、必要以上にマッチョを演じてみせざるを得なかったのが、妻からこういう事件を起こされて、いま初めて本当の自分と向き合えたのではないか、と。
あの家族が今はどこかで幸せに暮らしていますように。
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