アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:北方アジアの言語

 セルジオ・レオーネ監督の代表作に Il Buono, il Brutto, il Cattivo(邦題『続・夕陽のガンマン』)というのがある。「いい奴、悪い奴、嫌な奴」という意味だが、英語ではちゃんと直訳されて The good, the bad and the ugly というタイトルがついている。この映画には主人公が3人いて三つ巴の絡み合い、決闘をするのだが、ドイツ語タイトルではこれがなぜか Zwei glorreiche Hallunken(「華麗なる二人のならず者」)となっていて人が一人消えている。消されたのは誰だ?たぶん最後に決闘で倒れる(あっとネタバレ失礼)リー・ヴァン・クリーフ演じる悪漢ではないかと思うが、ここでなぜ素直にdrei (3)を使って「3人の華麗なならず者」とせず、zwei にして一人減らしたのかわけがわからない。リー・ヴァン・クリーフに何か恨みでもあるのか。
 さらに日本でも I quattro dell’ Ave Maria、「アヴェ・マリアの4人」というタイトルの映画が『荒野の三悪党』になって一人タイトルから消えている。無視されたのは黒人のブロック・ピータースだろうか。だとすると人種差別問題だ。ドイツ語では原題直訳で Vier für ein Ave Maria。

 もっともタイトル上で無視されただけならまだマシかもしれない。映画そのものから消された人もいるからだ。レオーネと同じようにセルジオという名前の監督、セルジオ・ソリーマの作品 La Resa dei Conti(「行いの清算」というような意味だ。邦題は『復讐のガンマン』)は、『アルジェの戦い』を担当した脚本家フランコ・ソリナスが協力しているせいか、マカロニウエスタンなのに(?)普通の映画になっている珍しい作品だが、ここで人が一人削除されている。
 この映画はドイツでの劇場公開時にメッタ切り、ほとんど手足切断的にカットされたそうだ。25分以上短くされ、特に信じられないことに最重要登場人物のひとりフォン・シューレンベルク男爵という人がほとんど完全に存在を抹殺されて画面に出て来なくなっているらしい。「らしい」というのは私が見たのはドイツの劇場公開版ではなく、完全版のDVDだからだ(下記)。劇場版では登場人物を一人消しているのだから当然ストーリーにも穴が開き、この映画の売りの一つであるクライマックスでの男爵の決闘シーンも削除。とにかく映画自体がボロボロになっていた。ドイツ語のタイトルは Der Gehetzte der Sierra Madre でちょっとバッチリ決まった日本語にしにくいのだが、「シエラ・マドレの追われる者」というか「シエラ・マドレの追われたる者」というか(「たる」と語形変化させるとやはり雰囲気が出る)、とにかく主人公があらぬ罪を着せられて逃げシエラ・マドレ山脈で狩の獲物のように追われていく、というストーリーの映画のタイトルにぴったりだ。でもタイトルがいくらキマっていても映画自体がそう切り刻まれたのでは台無しだ。
 私はもちろんこの映画を1960年代のドイツでの劇場公開では見ていないが完全版のDVDを見ればどこでカットされたかがわかる。ドイツ語吹き替えの途中で突然会話がイタリア語になり、勝手にドイツ語の字幕が入ってくる部分が所々あるのだ。これが劇場公開で切られた部分である。件の男爵はドイツ語吹き替え版なのにイタリア語しかしゃべらない。つまり劇場版では全く吹き替えされていない、ということは出てきていないということだ。
 この切断行為も理由がまったくわからない。ソリーマ監督自身がいつだったかインタビューで言っていたのを読んだ記憶があるが、このフォン・シューレンベルクという登場人物は、ドイツ人の俳優エーリヒ・フォン・シュトロハイムへのオマージュだったそうだ。なるほど人物設定から容貌から『大いなる幻影』のラウフェンシュタイン大尉にそっくりだ。背後には『エリーゼのために』をモチーフにしたエンニオ・モリコーネの名曲が流れる。そこまで気を使ってくれているのによりによってドイツ人がそれをカットするとは何事か。
 
 ちょっと話が急カーブしすぎかもしれないがやはり「一人足りない」例に、私も大好きなまどみちおさん作詞の「1年生になったら」という童謡がある。「一年生になったら友達を100人作って100人みんなで富士山に登りたい」というストーリーだ。実は当時から子供心に疑問に思っていたのだが、友達が100人いれば自分と合わせるから富士登山する人数は合計で101人になるはずではないのか。一人足りないのではないか。
 この疑問への答のヒントを与えてくれたのがロシア語の мы с тобой(ムィスタヴォイ)という言い回しだ。これは直訳すると we with you なのだが、意味は「我々とあなた」でなく「あなたを含めた我々」、つまり「あなたと私」で、英語でも you and I と訳す。同様にこの友達100人も「私と君たち友達を含めた我々100人」、つまり合計100人、言語学で言う inclusive(包括的あるいは包含的)な表現と見ていいのではないだろうか。逆に富士山に登ったのが101人である場合、つまり話者と相手がきっちりわかれている表現は exclusive(排除的あるいは除外的)な表現といえる。
 
 言語には複数1人称の人称表現、つまり英語の代名詞 we にあたる表現に際して包含的なものと除外的なものを区別する、言い換えると相手を含める場合と相手は含めない場合と2種類の we を体系的に区別するものが少なからずある。アイヌ語がよく知られているが、シベリアの言語やアメリカ先住民族の言語、あとタミル語、さらにそもそも中国語の方言にもこの区別があるらしい。「少なからず」どころか実はこの区別を持つ言語は世界中に広がっているのだ。南北アメリカやアジアだけでなく環太平洋地域、南インドやアフリカ南部の言語にも見られる。さらに足元琉球語の方言にもある。印欧諸語やセム語にはないが、話者数でなく言語の数でみると包含・除外の区別は決して「珍しい」現象ではない。ちょっと例を挙げてみると以下のような感じ。それぞれ左が inclusive、右が exclusiveの「我々」だ。
Tabelle1-22
あちこちの資料から雑多に集めてきたのでちょっと統一がとれていないが、とにかくアフリカ南部からアジア、アメリカ大陸に広がっていることがわかる。ざっと見るだけで結構面白い。
 ジューホアン語というのが見慣れないが、これがアフリカ南部、ナミビアあたりで話されている言葉だ。
 中国語は体系としてはちょっとこの区別が不完全で、「我們」は基本的に inclusive、exclusive 両方の意味で使われるそうだ。他方の「咱們」が特に inclusive として用いられるのは北京語も含む北方の方言。満州語の影響なのではないかということだ。そう言われてみると、満州語と同じくトゥングース語群のエヴェンキ語にもこの対立がある。満州語とエヴェンキ語は inclusive と exclusive がそれぞれmusə と mit、bə と bū だから形まで近い。
 問題はハワイ語やジューホアン語の双数・複数という分類だ。これらは安易にウィキペディアから持ってきた例だが、双数と言うのはつまり私が一人、あなたも一人の合計二人、複数ではこちら側かあちら側かにさらにもう一人いて3人以上、つまり複数なのかと思うとどうも事情は常にそう簡単ではないらしい。言語によっては双数とやらは実は単数あるいは非複数と解釈するべきで、それを「双数」などと言い出したのは、1.文法には数、人称というカテゴリーがあり、2.人称は一人称、二人称、三人称のきっちり三つであるという思考枠から出られない印欧語頭の犯した誤解釈だというのである。これは松本克己教授の指摘だが(もちろん氏は「印欧語頭」などという下品な言い回しは使っていない)、そもそも「一人称複数で包含と除外を区別」という言い方自体に問題があるそうだ。包含形に単・複両形を持つ言語は消して珍しくない。たとえば松本氏の挙げるニブフ語(ギリヤーク語)の人称代名詞は以下のような体系をなしている。
Tabelle2-22
人称は3つだけではないと考えさえすれば極めてすっきりした体系なのに、パンフィーロフ Панфилов В. З というソ連の学者は「1人称でも2人称でも3人称でもない人称」を見抜くことができず、話し手と聞き手が含まれているのだから単数とは見なせないと考えて、全くニブフ語の言語感覚を逸脱した「双数」という概念を藪から棒に一人称にだけ設定して次のように記述した。思い切りわかりにくくなっている。
Tabelle3-22
包含形を一人称複数の一種とせずに独立した一つの人称カテゴリー(包含人称あるいは一人称+二人称)とみなさざるを得ないのはアイマラ語も同じだ。アイマラ語は数のカテゴリーがないが、後に特殊な形態素を付けて増幅形をつくることができる。
Tabelle4-22
上のように hiwasa と naya-naka を比べても唐突すぎてよくわからないが、こうすれば体系をなしているのがよくわかる。さらに南太平洋のトク・ピシンも同じパターンなのが面白い。
Tabelle5-22
トク・ピシンというのは乱暴に言えばメラネシアの現地語の枠組みの上に英語が被さってできた言語だ。mi というのは英語の me、yu は you である。yumi で包含人称を表わすというのはまことに理にかなっている。トク・ピシンには本当に一人称双数形があるが、パンフィーロフ氏はこれをどうやって図式化するのだろう。不可能としか言いようがない。
 それではこれらの言語での包含人称とやらの本質は何なのか。例えばアイヌ語の(いわゆる)一人称複数包含形には1.一人称の間接表現(引用の一人称)、2.2人称の敬称、3.不特定人称の3つの機能があるそうだ。3番目がポイントで、他の言語とも共通している。つまり包含人称は1・2・3人称の枠から独立したいわば第4の人称なのである。「不特定人称」「汎人称」、これが包含形の本質だ。アメリカの言語学では初め inclusive の代わりに indefinite plural または general plural と呼んでいたそうだ。plural が余計なのではないかとも思うが、とにかく多くの言語で(そうでない言語もあるだろうが)包含対除外の単純な二項対立にはなっていないのである。
 そもそも一口に人称代名詞と言っても独立形か所有形(つまりある意味「語」でなく形態素)か、形の違いは語形変化によるのか膠着かによっても機能・意味合いに差が出てくるからまだまだ議論分析の余地が大ありという事だろう。
 
 ところで私の感覚だと、日本語の「私たち」と「私ども」の間にちょっとこの包含対除外のニュアンスの差が感じられるような気がするのだが。「私ども」というと相手が入っていない、つまり exclusive 寄りの意味が強いのではないだろうか。実はこの点を松本教授も指摘していて、それを読んだとき私は「おおっ、著名な言語学者を同じことを考えてたぞ私!」と万歳三唱してしまった。これは私だけの考えだが、この「私たち」と「私ども」の差は直接 inclusive 対 exclusive の対立というより、むしろ「ども」を謙譲の意味とみなして、謙譲だから相手が入っているわけがないと解釈、言い換えると inclusive 対 exclusive の対立的意味合いは二次的に派生してきたと解釈するほうがいいかもしれない。
 また上述のロシア語 мы с тобой 、つまりある意味では包含表現は単純に ты и я(you and me)やмы(we)というより暖かい響きがあるそうだ。 まどみちおさんも実は一人抜かしたのではなくて、むしろ暖かい友だち感を強調したかったのかも知れない。登場人物を映画やタイトルでぶった切るのとは逆である。
 さらに驚くべきことには安井稔氏が英語にも実は inclusive と exclusive を表現し分ける場合があることを指摘している:
Let's go.
Let us go.
という例だが、前者は単に後者を短く言ったものではない。意味と言うか会話上の機能が違う。前者は Shall we go?(さあ行きましょう)、後者は Let us be free! (私たちを行かせてください、自由にしてください)と同じ、つまり Let's の us は相手が含まれる inclusiv、Let us の us は相手が含まれない exclusive の we である。
 
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 若い人はもう覚えていない、と言うよりまだ生まれていないだろうが、むかしソ連からベレンコ中尉という人がミグ25(MiG25)という戦闘機に乗って日本にやってきて、そこからさらにアメリカに亡命申請する、という事件があった。日本中大騒ぎだったが、この事件はよく考えるととても面白い。

 まずMiG(МиГ)という名称だが、これはМикоян и Гуревич(ミコヤン・イ・グレヴィッチ、ミコヤンおよびグレヴィッチ)の略で、МикоянもГуревич も設計者の名前だ。この、-ян(ヤン)で終わる名前というのはロシア語でなく、もともとアルメニア語である。
 そういえば以前ノーム・チョムスキーという大言語学者がマサチューセッツ工科大学で生成文法の標準理論や拡大標準理論を展開していたころ、ソ連に「適応文法」というこれも難しい理論を繰り広げていたシャウミャン(Шаумян)という学者がいたが、この人も名前の通りアルメニア人である。さらにロシア言語学会の重要メンバーの一人でドイツでも名を知られていたアプレシャン(Апресян)も名前そのものはアルメニア系だ。氏自身はモスクワ生まれのモスクワ育ちのようだが。
 次にグレヴィッチ(Гуревич)。この、ヴィッチ(-вич)で終わる名前は基本的にセルビア語・クロアチア語起源なのだが、ベラルーシにも散見される。ウクライナにもある。あと、リトアニアにもこの-вичで終わる姓が多いそうだが、これはベラルーシもウクライナも中世から近世にかけてリトアニア大公国の領土だったからではないだろうか。当時支配層はリトアニア語を話していたが、国民の大部分はスラブ人で、話す言葉もスラブ語、書き言葉も南スラブ語派の古教会スラブ語だったはずだから、そのスラブ人が現在のリトアニア領にもやってきて住みついていたのでは。ついでに女優のMilla Jovovich(ミラ・ヨボビッチあるいはジョボビッチ)もウクライナ出身だが、そもそも父親がセルビア人だから苗字が-вичで終わっているのは当然だ。
 グレヴィッチ氏はロシアのクルスク地区のルバンシチナという町の生まれだそうだが、ここはウクライナと接している地域である。さらに、このベラルーシ、ウクライナの東部にはユダヤ人が多く居住していたので、ユダヤ系ロシア人、というかユダヤ系ソ連人には-вич姓の人が多いそうだ。事実このグレヴィッチ氏もユダヤ系である。「ドイツ系に-вич姓が多い」という記述を時々見かけるが、ここにはひょっとしたらイディッシュ語を話すユダヤ人も含まれているのかもしれない。イディッシュ語はいわばドイツ語から発達してきた言語で、部外者が聞くとドイツ語そのものに聞こえるそうだから。ちなみにユダヤ系のSF作家のアシモフ氏の故郷ペトロヴィッチ村もベラルーシとロシアとの国境地域にある。
 さらにパイロットのベレンコ(Беленко)中尉だが、-коで終わる名前は本来ウクライナ語。
 
 つまり、かの戦闘機はソ連から飛んできたのに純粋にロシア語の名前が一つもない。ソ連がいかに他民族国家であるか、まざまざと見せつけられた事件だとは思う。 

 そもそも人名や地名には今はもう失われてしまった古い言語の形が温存されている場合がよくあるので気にしだすと止まらなくなる。日本の東北地方や北海道の地名にアイヌ語起源のものが多いのもその例で「帯広」というのは元々アイヌ語の「オ・ペレペレ・ケプ」(川尻がいくつにもさけている所)から来たそうだ。
 ヨーロッパでも人名に印欧語の古形が残されている場合がある。たとえば例のローマの暴君ネロ。このNeroという語根は非常に古い印欧祖語の* h2 ner-「人間」から来ている。h2というのは印欧祖語にあったとされる特殊な喉音である。ここで肝心なのはもちろんner-のほうだ。なお、比較・歴史言語学で使う「*」という印は現在の文法理論つまり共時言語学で使われるような「非文法的」という意味でなく、「具体的なデータは現存していないが理論上再構築された形」という意味だから注意を要する。その* h2 ner-だが、Neroばかりでなくギリシア語のανηρ(アネール、現代ギリシア語ではアニル)もこれが語源。サンスクリットのnṛあるいはnára(人間)、アヴェスタ語のnā(人間)もこれだそうだ。いわゆるイラン語派は今でもおおむねこの語をよく保っているが、なにせ古い語なので、ローマの時代のラテン語ではすでにこの語は普通名詞としては使われなくなっており、本来の意味も忘れ去られていた。僅かに人名にその痕跡を残していたわけだ。なお、サンスクリットの、下に点のついたṛは母音のr、つまりシラブルを形成するrで、現代のクロアチア語にもこの「母音のr」がある。例えばクロアチア語で「市場」をtrgというのだ。
 
 ヨーロッパの現代語ではリトアニア語のnóras(意思)や、あと意外にもロシア語のнрав(ンラーフ、性格・気質)やноров(ノーラフ、強情さ)も* h2 ner-起源だそうだ。しかしこちらは意味のほうが相当変化している模様。しつこく言うとнравは南スラブ語起源のいわば借用語で、норовがロシア語本来の東スラブ語形である。その東スラブ語のноровのほうはさらに意味がずれていて、口語的表現である上、カンが強くてなかなか乗りこなせない馬に対して「御しがたい」というときこの語を使うそうだ。人間がついに馬になってしまっている。

 ところがアルバニア語はこの古い古い印欧語をこんにちに至るももとの「人間」の意味で使用している。アルバニア語で「人間」はnjeri(ニェリ)。これは「バルカン言語連合」の項でも書いたようにa manで、the manならば後置定冠詞がついてnjeri-uとなる。アルバニア語はこのほかにも音韻構造などに印欧語の非常に古い形を保持している部分がかなりあるそうだ。
 ちなみにアイルランド語のneart(力)も直接* h2 ner-からではないが、そこから派生された* h2 ner-to(精力のある)が語源とのことだ。

 さてこちらのギムナジウムはラテン語をやるのが基本だし、ラテン語で何か書いてあるのを町のそこここでまだ見かけるから、読める人、知っている人は結構いる。それで機会があるごとにNeroの名前は本来どういう意味か知っているかどうか人に聞いて見るのだが、いまだに印欧語の* h2 ner-だと正しく答えた者は一人もいない。昔人を通してギムナジウムのラテン語の先生に質問してみたことがあるが、やはり知らなかった。この先生もそうだったが、ほとんどの人が「黒」を意味するnegroから来ていると思い込んでいた。真相を知っていたのは日本人の私だけだ。ふっふっふ。

 自慢してやろうかとも思ったが、たまに珍しく何か知っているとすぐズに乗って事あるごとにそれをひけらかしたがるというのもさすがに見苦しい、かえって無教養丸出しだと思ったので黙っていた。日本人は謙虚なのである(誰が?)。


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 「お茶」のことをドイツ語でTee、英語でteaといい、語頭が t 、つまり歯茎閉鎖音になっているが、ロシア語だとчай [tɕæj] または[tʃaj]で日本語と同じく破擦音である。ロシア語ばかりではない、ペルシャ語やアラビア語、中央アジア・シベリアの言語でも「茶」は破擦音だ:トルコ語çay、ペルシャ語chāy、キルギス語чай、エベンキ語чаj、ネギダル語чаj、満州語cai、モンゴル語цай。これはどうしてなのかについては学生時代に(つまり大昔に)次のように聞いていた。
 橋本萬太郎氏によれば中国語の「茶」の語頭音は紀元前後には*dra、七世紀にはそり舌閉鎖音*ɖa、十世紀のころに破擦音[ʈʂa]となった。別の資料によれば「茶」の呉音は「ダ」、漢音「タ」、唐音「サ」だから、これが「チャ」と破擦音で発音されたのは漢音の閉鎖音が唐音の摩擦音に移行するまでの期間、紀元後3世紀から7世紀の間ということになり、7世紀にはそり舌ではあるが閉鎖音のɖだったという上の記述より300年ほど時代がずれるようだが、これは当時の日本語の音韻体系のせいである。つまり当時の「ち」「つ」という文字は現代日本語のような破擦音でなく閉鎖音、それぞれti、tuという発音であった。だから「ちゃ」は今の仮名でかくと「テャ」のような発音だったのである。そのころの日本語は今よりもずっと語頭の有声音を嫌った、というより有声・無声を区別しなかったと考えると*ɖaは確かに「テャ」、当時の表記では「ちゃ」と聞こえたと思われる。また「さ」の文字も当時の日本語では破擦音で、今の「さ」よりも「ちゃ」と読んだと思われるそうだから中国語では10世紀に「ちゃ」と破擦音になった、という説明と時期的に合致している。
 茶という植物は前漢の時代から知られていたらしいが、本格的に広まり出したのは唐からで、「茶」の字が定着したのも唐代だそうだ。日本には奈良時代に伝わった。中央アジアへも遅くとも宋の時代には伝播していたらしい。ヨーロッパ人が茶を知ったのはやっと18世紀である。

 この事実を踏まえて言語変化というものがどのように起こるかを考えてみよう。言語内に新しい形が生じた場合、それは当該言語内にいっぺんにどっと広まるのではない。その形が最初に生じた地点からしだいに回りに広まっていくのである。ちょうど池に石を投げ入れると石が落下した点を中心にして波が広がっていくような按配だから、これを「波動説」と呼んでいる。そして石を投げ込んだ地点から波がこちらの足元まで来るのにちょっと時間がかかるように、新しい言語形が周辺部にまで浸透するには随分かかり、周辺部にやっとその形が到達した時にはすでに中心部では別の形が生じていることが多い。また「周辺部」というのは純粋に物理的な距離のせいばかりでなく、間に山があったり川があったりして人が行きにくい辺鄙なところだと、距離的には近くとも新しい形が伝わるのに時間がかかる。人里はなれた周辺部の方言に当該言語の古形が残っていることが多いのはそのためである。
 例えば琉球語の方言には例えば八重山方言など日本語で「は」というところを「ぱ」でいうものがある。花をぱなというのだ。「はひふへほ」は江戸時代まで両唇摩擦音の[ɸ]、ファフィフフェフォだったことは実証されているが、さらに時代を遡って奈良時代以前には「パピプペポ」だったのではないかという説の根拠もここにある。『17.言語の股裂き』で述べた「西ロマンス諸語の-sによる複数主格は古い本来の形でによる複数主格はギリシア語からのイノベーションではないのか」という私の考えというか妄想もこの波動説の考えをもとにしたものである。

 中国語でもアモイ周辺など南部の方言には古い時代の閉鎖音が破擦音化せずに(そり舌性がなくなった上無声音化はしたが)まだ閉鎖音、即ちtで発音されているものがある。そういった方言形ををまずオランダ人が受け取り、そこからまたイギリス人などの欧米人に t の発音が横流しされたため、西ヨーロッパ中でtea だろTeeだろと言うのである。それに対してアジア大陸の人々はきちんと首都の発音を取り入れたから「チャイ」だろ「チャー」というのだ。ちゃんと首都に来て言葉を習え。もっともポルトガル語だけは例外でcháというチャ形をしているが、これはポルトガル人がオランダ人より早い時期に首都まで来て中国人と接したためか、またはゴアで一旦ヒンディー語を通したかのどちらかだろう。多分前者だとは思うが。というのはやはりその頃中国人と接したヴェネチアの商人にも茶をchiaiと伝えている者がいるからである。

 さて、橋本氏はここで、これだけの話だったら何も言語学者がしゃしゃり出るまでもないが、と断って話を続けている。つまりこんな話は誰でもわかっているということか。ここまでで十分面白い話だと思ってしまったドシロートの私は赤面である。
 
 橋本氏はじめ言語学者たちはここでロシア語чайやペルシャ語چایで[tʃaj]と語末に接近音(あるいは「半母音」)の [ j ] がついて、茶という語が「チャイ」というCVC構造になっていることに注目している。この語末の [ j ] がどこから来たのかについての議論がまた面白い。
 まず、村山七郎氏によるとロシア語のチャイは13世紀以降にモンゴル語の「茶葉」cha-yeを取り入れたもの、つまり「イ」は「葉」が退化した形だそうだ。ロシア語がモンゴル語から借用したことを証明する文献も残っている。このモンゴル語形が中央アジアにも広がったため「イ」のついた形になった。
 それに対して小松格氏は、これは中国の「茶」がペルシャ語に借用された際、[tʃa] だったものがペルシャ語の音韻体系に合うように後ろに j がくっついたためと反論している。ペルシャ語がCV型一音節の単語を極端に嫌うためで、本来nā(「竹」)がnāy、pā(「足」)がpāyになったのもこのためである。そしてこのペルシャ語形を通して「茶」という語がロシア語やその他の中央アジアの言葉に広がったためチャがチャイになった、という。
その反論に対して村山氏はさらに反論。pāy の y は付け加えられた接尾辞ではなく、もともとの語幹に帰するもの(*pād > pāy > på(y))、言い換えると変化の方向はpā→pāyではなくてむしろpāy →pāであり、「ペルシャ語でi(またはy)が加えられた」という説は成り立たない。しかもペルシャ語で「チャ」と並んで「チャイ」が現れるのはやっと17世紀になってからであり、時期的にも当てはまらない。さらにペルシア語で15世紀ごろには茶をčayehあるいは čayah とも記していて、これは「茶葉」である。
 この二説間の議論に上述の橋本氏がさらにコメントし、どちらの説にも説明できない部分があることを指摘した:村山説では9世紀にアラビア語ですでにshakhïと言っていた事実を説明できないし(現代では shāī)、小松説だとペルシャよりずっと中国に近くにいる民族の言葉で軒並み i がついていることが説明しにくい。上で述べた言語のほかにウイグル語の早期借用形 tʃaj、カザフ語 хаy、ネネツ語 сяйなどの例が挙げられる。橋本氏はそこで、「チャイ」の「イ」はもともとの中国語の「茶」の古い発音が反映されたもの、そのころは中国語の「茶」の音節がCVCであった証拠であるとした。実際「茶」と同じ韻を持つ単語には様々な方言で-iとして現れるものが多いということである。

 ここで私なんかがそれこそしゃしゃり出てコメントしたりすると言語学者から「顔を洗って出直して来い」といわれそうだが、ちょっと思いついたことを無責任に述べさせてもらいたい。学術的な根拠のない、単なる感想である。
 例えば上に挙げられていた言語のうち、シベリアの言語、エベンキ語やネギダル語、満州語などは距離的には中国に近くともあまり人の交流のない辺境地だったから、茶も古い時代に直接中国から伝わらずにやっとロシア帝国になってからロシア語を通したのではないかと一瞬思いそうになった。別の歴史の本などを読んでみると、唐代に最も中国人と接触のあったのはペルシャ人だそうで、長安にもたくさんペルシャ人が住んでいたらしい。だから「茶」という語が中間の言語をすっ飛ばしてまずペルシャ語に入り、そこを中継してテュルク諸語やモンゴル語に行き、さらにロシア語に入り、そこからシベリアに広まったというのは十分ありえることだ、と結論しそうになったが、ネネツ語сяйが摩擦音[sjaj] を示していて唸った。テュルク諸語の有力言語カザフ語も[x]であって音変化を起こしている。本当にロシア語もペルシャ語を通さず唐音を中国語から直接取り入れたのかもしれない。
でも仮に「イ」のついた「CVCのチャイ」が古い形を反映しているとしたらなぜ頭が閉鎖音ではなくて破擦音になっているのか疑問に思う向きのために橋本氏は先手を打って、茶という言葉の語頭子音が他の言語で破擦音で写し取れないような音であることは少なくとも中国語北方方言では一度もなかった、と主張している。つまりそり舌歯茎閉鎖音が他の言語の話者には破擦音あるいは摩擦音に聞こえた、ということになるのか。
 実は私はこの主張には思い当たることがある。ロシア語のть, дьである。これらは口蓋化された歯茎閉鎖音であるが、私には絶対「ティ」などではなくしっかり破擦音の「チ」に聞こえる。тя 、тю、тёも同様でそれぞれ「チャ、チュ、チョ」に聞こえる。私ばかりではない、そもそもть、дьのついたロシア語の単語を日本語に写し取る際は「チ」と書くではないか。それでговоритьと日本語で書くと「ガヴァリーチ」になる。さらにベラルーシ語ではロシア語の ть が実際に破擦音の ц になっていて、говоритьはベラルーシ語ではгаварыцьである。
 もちろんこれはあくまで「口蓋化閉鎖音」についてで、肝心の歯茎そり舌音の方は私には破擦音には聞こえない。それにいくら茶の古い時代の語頭子音が「破擦音として写し取れないような音ではなかった」としても、橋本氏があげている言語のうち、一つくらいは閉鎖音で表している言語があってもいいのではないだろうか。
 しかしそのまた一方で再現形の*ɖaというのはあくまでも文献や理論から導き出された音で誰も実際の音は聞いた事がない。そり舌が実際の音価だったという直接の証拠はないのである。もしかしたらその音はそり舌の上に口蓋化していたか、思い切り帯気音だったのかもしれない。
 もうひとつ私が思いつくのは、ひょっとしたら「茶」は結構時代が下った唐代になってもCVCだったのかもしれないということだ。上述のヴェネチア形でも後ろに i がついている。もっとも(自分で言い出しておいてすぐその後自分で否定するなら始めから黙っていたほうがよかったような気もするが)さすがにこれは可能性が薄いと思う。中国語学は豊富な文献、優れた研究者、学問重視の伝統に恵まれている。もし中古音時代にCVCだったりしたら誰かがとっくにそんなことは発見していたに違いない。

 と言うわけで「チャイ」の「イ」がどこから来たのかはわからないという結論だった。橋本氏も決して「チャイ」は中国語の古音を反映している、と確固として結論付けたわけではなく、一つの可能性として提案していたに過ぎない。

 この議論はすでに1980年代に交わされていた古いものだが、今現在はどういう結論になっているのだろうと思ってネットなどを見てみたらやっぱり「イ」の出所は不明となっていた。議論そのものはまだ続いているらしい。アモイ方言の閉鎖音はそもそも中国語の古形などではなくてチベット語から入ってきたものだ、という主張も見かけた。それにしてもたかがお茶一杯飲むたびにいちいちここまで深い話を展開していたらおちおちお茶も飲んでいられまい。もっとも日頃からあまりものを考えずチャラチャラ浅い生活している私のような者は猛省すべきだとは思った。


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 先日TVで韓国のゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(いったいなんなんだ、このヒドい邦題は?!原題は「釜山行」)を放映したので見てみた。2年ほど前にこちらのニュースでもこの映画がアジアで大ヒットしていると報道しているのを小耳に挟んでいたし、新聞・雑誌のTV番組欄でもこれが「本日のおすすめ」だったのだ。見たらあんまり面白かったので驚いてしまった。面白かったも面白かったが、欧米のゾンビ映画・アクション映画と比べて好感を持った。登場人物が私と同じアジア人だからかなと思ったが、考えてみるとそればかりではない。
 欧米のアクション映画には必ずといっていいほど、そしてホラー映画にもよく登場する、大声で喚き散らし時に銃をぶっ放し棍棒を持って暴れるタイプの暴力的でヒステリックな女性が出てこないのだ。以前心理学者だったか歴史学者だったかが(心理学と史学じゃ全然違うじゃないか。どっちなんだ)こういうアマゾネス戦士タイプの女性描写は実は男性側の倒錯した性欲が生んだファンタジーだと言っていたのを覚えている。女性に自分たちのマッチョ理想像の真似、男の真似をさせて自分たちのナルチシズムと女性への劣情を同時に満足させようとする歪んだファンタジーである、と。そういえば、そういう映画での女性たちはランニングシャツなど近代装備の兵士の戦闘服としてはありえないような不自然に肌を露出した衣装であるか、変なところが破れたり濡れたりして男性をソソるように計算されている。だからゲビた感じがするのだ。私の覚えている限り下品でなかった女性戦闘員は『フルメタルジャケット』のラストに出てきたベトナム人の若い女性スナイパーくらいなものだ。また当然ながらその手の女性が絶叫しながら暴れまくる映画には年配の女性はまず現れない。
 そういわれてみるまで、映画そのものの出来とは別にいわゆるアクション映画の多くに対して抱く嫌悪感が何処からくるのか自分でもわからなかったのが、なるほどと思い当たった。それで『エイリアン』や『ターミネーター』(特に2以降)も私は大嫌いである。繰り返すが映画の出来自体はいい。
 『新感染 ファイナル・エクスプレス』にはその手のわざとらしい下品な女性が出てこない。その上おばさんやおばあさんがきちんと重要な役割を担って登場する。これが私の個人的なプラス点である。
 そこで他の人たちはどう評価しているのかネットをちょっと覗いて見たら、「不覚にも泣いてしまった」とコメントしている男性が結構いたので笑った。「ゾンビ映画で泣いてどうするんだ」とは思ったが、この映画で「泣いちゃったよ俺」という殿方にも好感を抱いた。

中国語タイトルには「屍速」と「屍殺」の2バージョンあるようだが、どちらもいかにも怖そうなタイトルだ。
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 この「泣けるゾンビ映画」の英語タイトルはTrain to Busan、つまり「釜山」の英語表記はPusanでなくBusanになる。このことも私は映画に劣らず面白いと思った。ドイツでもこの英語タイトルをそのまま使っている。釜山と聞いて私が真っ先に思い出すのは、今時覚えている人がいるかどうか知らないが『釜山港に帰れ』という歌謡曲である。当時チョー・ヨンピルが原語の韓国語日本語二ヶ国語で歌って大ヒットした。ヨンピル氏はその後日本の紅白歌合戦にも連続出場したそうだが、残念ながらその頃には私はすでにこちらに来てしまっていたので見ていない。その歌を改めて聴いてみると「釜山」という発音は日本語・韓国語のバージョン共に日本人の耳には無声音、「プサン」としか聞こえない。実際昔は英語でもPusanと表記していた。釜山空港だってPUSと記されていたのだ。2000年に韓国側でBusanという国際表記にしたが、これはこの語頭音が無気音だからだ。
 英語のネイティブは無声閉鎖音、p、t、k を帯気化して発音する人が多い。ドイツ語の人もそうで、人によってはこの度合いがはなはだしく、「わたし」の「た」が思い切り帯気音であるために「わつぁし」と聞こえてしまうことさえある。p、t、k が語頭に来ると帯気なしでは発音できない人もいる。日本語ならば、これらの音が多少気音になっても単に耳障りなだけでまあ意志の疎通に問題はないが(それでも「わつぁし」と言われると一瞬戸惑うが)、韓国・朝鮮語(ここでは単に「韓国語」と呼んでいる)は無気の p と有気のp (ph)は違う音素なのだからこれを許しておくわけにはいかない。英語の話者がPusanと言うと韓国人には「釜山」산でなく산にしか聞こえないそうだ。一方で韓国語は無気と有気の音韻対立がないからPusanだろうが Busanだろうが意味に違いが起こらない、ならば帯気化される危険性大の p よりも無気発音してもらえる可能性の高い有声音b で発音してもらった方が韓国語の音韻体系に合う。無声閉鎖音は対応する有声閉鎖音より帯気しやすい、別な言い方をすれば有声閉鎖音は帯気させるのが無声閉鎖音よりむずかしい。だから印欧語も祖語の段階では無声閉鎖音も有声閉鎖音もそれぞれ無気・帯気で弁別差があったのに(下記参照)時代が下るにつれて後者が弁別機能を失っていった際、まず有声子音で無気・帯気の区別が失われた。無声子音には結構長い間この区別が残ったのである。古典ギリシャ語も無声子音でのみ無気・帯気を区別し、現在のロマニ語ではやはり無声閉鎖音のみ、しかも語頭音でのみ無気・帯気の弁別差が認められるそうだ。日本語は無声閉鎖音があまり帯気化していないから、安心して「プサン」あるいはPusanと記せるし、そう発音していい。
 この、本来英語向けだったBusanという表記が他言語でも標準になったので本来無声閉鎖音が帯気化しておらずp で読んでも全く支障のないロマンス諸語まで b にさせられたというわけだ。ローマ字を使っていないロシア語では p を使ってПусан。ロシア語も無声閉鎖音は無気である。セルビア語ではb 表記でБусанとなるのだが、英語を通したと思われる。
 中国語も有気・無気が音韻対立 して、無声・有声の区別がないから、日本語の「か」と「が」、「ぱ」と「ば」、「た」と「だ」の発音のし分けが苦手な人がいる。例えば中国語で「他」は帯気音、「打」は無気音なので、「た=他」、「だ=打」と覚えている人がいたりすると有声・無声の対立がいつまでも飲み込めない。そういう人には「他」は「た」と解釈していいが、「打」のほうは「た」と「だ」の両方にかかることを図でも書いて示してあげるといいかもしれない。

日本語の「た・だ」と中国語の「他・打」の関係はAでなくBのように考えた方がいいと思う。
ta-da
 アジアの言語、特に古くから文化・文明の面でも地理の面でも中心となった言語は無気・帯気で弁別差を持つものが多く、それのない日本語はむしろ例外。日本人は本来アジア文化圏では辺境民族だったことを感じさせる。他のアジアの言語をザッと見ていくと次のようになる。閉鎖音ばかりでなく、破擦音や摩擦音でも無気・帯気をわける言語も多いが、それを全部見出すとキリがなくなるのでここでは話を閉鎖音、p、t、k に限った。
 まず上で述べたように中国語はp-ph、 t-th、k-kh だけを区別して p-b、t-d、 k-g の対立がない。b、d、 g はそれぞれ/p、t、 k/ のアロフォンである。
 韓国語もp-b、t-d、 k-g がないのは中国語と同じだが、ここの閉鎖音は単なる無気・帯気のほかにさらに tense、「濃音」を区別して、p-p͈-phという3体系になっている。最初のp が普通の無声無気音、最後のph が無声帯気音、真ん中p͈ というのはtense音、喉をグッと緊張させて出す無気音。釜山のプは最初の p である。面白いことに語末ではこの無気・帯気・tenseの弁別性が中和されてそれぞれ内破音になるそうだ。アイヌ語と同じだ。
 モンゴル語は音韻表記上は/p, b/、/t, d/、/k, g/ と書き表す子音が実際上はp-ph、 t-th、k-kh で、bは(β も)/p/ の、d は /t/ の、 g は /k/ のそれぞれアロフォンである。別の資料にはg は /k/ のアロフォンというより、音素/k/ は [g]  と発音する、つまり [k] という音は事実上存在しないとあった。古い時代のモンゴル語は本当p-b など、無声・有声で対立したのが時代が下るにつれて対立の仕方が無気・帯気に移行したという説があるそうだが、これには疑問の余地大ありとのことだ。 
 満州語も/p, b/、/t, d/、/k, g/ と表す対立があり、そう発音されることもあるが、これも以前はp-ph、 t-th、k-kh だったと思われる。
 チベット語ラサ方言、というべきかラサ語というべきかとにかくそこの言語にはp-ph、 t-th、k-kh だけあり、その/p, t, k/ が特定の音声環境でそれぞれ b、d、g になる、という中国語、韓国語と全く同じパターンである。
 続いて、日本からドンドン遠ざかるがヒンディー語、サンスクリットである。上記にも書いたようにここでは無気・帯気と無声・有声が両方とも立派に弁別機能を負っているから、p-b-ph-bh、t-d-th-dh、k-g-kh-gh と分ける。印欧語は本来この四体系であったが、現在のヨーロッパの言語は無声・有声のみを区別して無気・帯気は弁別機能を失ってしまったものが大半だ。僅かにロマニ語が不完全にではあるが無気・帯気を弁別することは上でも述べた通りである。
 東へ戻ってタイ語では不完全ながら双方の対立が弁別性を持っている。「不完全」というのは有声子音では無気・帯気の差が機能しないからだ。タイ語の閉鎖音はb-p-ph、d-t-th、k-kh となっていて基本3体系であるところが韓国語と似ているが内容はまったく異なる。しかも軟口蓋閉鎖音では有声・無声の差が消失してしまっている。「有声音を帯気するのは難しい」、「アジアの言語では無声・有声の対立より無気・帯気の方が残りやすい」という大原則が踏襲されていて感動的ですらある。
 北へ上ってテュルク諸語の一つウイグル語になるとやっと本当に無声・有声の対立がメインとなり、p-b、t-d、k-g のみで無気・帯気の弁別差がない。が、ついに日本語タイプの音韻体系が出たかと喜ぶのはまだ早い。無声閉鎖音、p、t、k は語頭と母音間では帯気化するのがほぼ決まりとなっており、かてて加えて有声音b、d、g はシラブルの終わりでは有声性が中和され、対応する無声音となるそうだ。ただし語の最初のシラブルではこの中和現象が起こらないそうで、この点は違うが有声子音が語末で中和するのはドイツ語やロシア語といっしょである。
 アジア大陸内をここまで西に行っても日本語の友達が見つからない、仕方なくまた東に戻ると意外なところに仲間がいた。インドネシア語である。ここではまさにp-b、t-d、k-g の対立しかなく、しかも無声音が規則的に帯気化したりしない。日本語とほぼ同じである。
 インドネシア語より地理的にずっと日本語に近いアイヌ語は無気・帯気の区別もない代わりに無声・有声の対立もない。p、t、k しかないのである。b、d、g は異音素でなくそれぞれ前者のアロフォンである。
 驚くことにこの「無気・帯気の区別も無声・有声の区別もない言語」というのがインドの南にある。タミル語がそうだ。何百年・何千年もサンスクリットと接してきたのにp、t、k しかない。鼻音の後ではこれらは有声化するとのことだが、つまりアイヌ語と同じくb、d、g はアロフォンなのである。このことに驚くのは私だけではないらしく、「タミル語は無気と帯気を区別しない」とわざわざ明記してある説明があった。そり舌音があるあたりはしっかりサンスクリットと共通なのにこれはどうしたことだ。タミル語の方がサンスクリットより古くからかの地にいたからだろうか。つまりそり舌はタミル語のほうがサンスクリットに影響した、いいかえるとそり舌は南アジアに後からやってきた印欧語が現地の言語に影響されて変質させられた結果だから本当は「サンスクリットタミル語共通」というべきなのだろう。そういえば再建された印欧祖語にはそり舌音が設定されていない。天下の印欧語を変質させるなんてすごい力だ。それこそゾンビででもあるのかこの言語は(意味不明)?

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 実は私は黒澤明の映画で、TVやリバイバルでなく劇場公開時に見たのは『デルス・ウザーラ』だけである。黒澤の映画は世界的に有名だが、黒澤以前にもソ連でアルメニア人の監督アガシー・ババヤンБабаян, Агаси が1961年に一度映画化している。原作は帝政ロシアの軍人ウラジーミル・アルセーニエフ(1872-19230)の探検記 По Уссурийскому краю(「ウスリー地方探検記」、1921)と Дерсу Узала(「デルス・ウザーラ」、1923)で、ババヤンの方は知らないが黒澤はこの両方を参照している。探検自体は出版よりずっと早い時期、1906年から始まっていて、原作ではデルスは「ゴリド人」と呼ばれている。現在で言うナーナイ人だが、スィソーエフ Сысоев, Всеволод (1911-2011) というハバロフスクの作家はこれに疑問を持ち、デルスはナーナイ人ではなくウデへ人のはずだ、と主張したそうだ。まずナーナイ人は魚をとって定住している民族で、獣を追って森のなかを歩き回ったりしない、さらにデルスがアルセーニエフに教えたという言葉はナーナイ語でなくウデへ語だというのである。しかし、ウデへ人とナーナイ人は言語も民族も非常に近く、アルセーニエフの資料からどちらかにキッパリ決めるのは難しいそうだ。デルスはゴリド人(ナーナイ人)ということでいいのではなかろうか。

ババヤンの『デルス・ウザーラ』のアルセーニエフとデルス。https://dibit.ru/p/films/1628から。
1126-3
1126-4
アルセーニエフの原作(=本物)のデルス。ババヤンのデルスの容貌のほうが黒澤のよりむしろ現実に近い。
ウィキペディアから。
Dersuuzala

 そのデルスの話す言葉、ナーナイ語だが幸いトゥングース諸語の一つである。なぜ「幸い」なのかというとトゥングース諸語はさすが大言語の満州語を要するだけあって、古くからロシア人や中国人の興味を引き、比較的研究が進んでいるからだ。研究ばかりではない、文字や書き言葉を発達させ、歴史的な資料も豊富な満州語は文化語としても中国語と並んでかの地の文化生活をひっぱっていた。ソ連の論文でトゥングース・満州諸語 тунгусо-маньчжурские языки と呼んでいるのを見かけたが、いかに満州語の重みが高いかわかる。それともこの名称で「満州語は中国の、トゥングース語はソ連の領域」という政治的分割でも暗示されているのだろうか。まあそれもありうる(下記参照)。
 ナーナイ語の話者はウスリー江沿岸(アルセーニエフが探検した地域だ)と、あとアムール川の周りにもいる。ソ連(ロシア)側と中国側合わせてナーナイ人の人口は1万人強ということだが、この数字があまり正確でない上にロマニ語と同じく民族に属してはいてもナーナイ語を話せない人も多く(『154.そして誰もいなくなった』参照)、言葉そのものの話者はわずか1000人から2000人くらいという報告もある。しかも全員がロシア語あるいは中国語とのバイリンガルで、日常生活に使っているのはむしろそちらの方であり、ナーナイ語を完全に流暢に話せるのは皆50から60歳以上だそうだ。とにかく非常な危機言語である。

 ナーナイ語を文字化する試みはすでに19世紀後半に正教の教会が行っている。布教のためだろう。1928年にはロシア語とラテン語アルファベットを用いた正書法が考案されたが、これが「統一北方アルファベット」Единый северный алфавит(ЕСА)の土台となった。「統一北方アルファベット」というのはソ連国内の北方少数民族の言語を共通のアルファベットで記述し、書き言葉化を推進するため考案された文字体系である。ラテン文字が基本になっている。どうもあまり普及はしなかったらしく、1933年ごろに改良されたЕСАでナーナイ語は再文字化されたりはしたのだが、1930年代後半にはナーナイ側のイニシアチブによりまたロシア文字をもとにしたナーナイ正書法になってしまったそうだ。確かに私が1980年代で見たナーナイ語の出版物でも皆ラテン文字でなくキリル文字が使ってあった。

1941年出版のナーナイ語で書かれた物語。キリル文字が使用されている。
https://e-lib.nsu.ru/reader/bookView.html?params=UmVzb3VyY2UtNjk0NQ/MDAwMDEから。

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内表紙はナーナイ語とロシア語併記。
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 正書法と同時に言語の研究そのものも進められた。ロシア・ソ連で研究論文もたくさん出ている。よく引用されるのが1959年に出たアヴローリン Аврорин, Валентин Александрович による文法書で、ナーナイ語関係の論文には頻繁にこの本が参考文献に掲げてある。言語的には上述のように満州語と近いのに、満州語は中国で、ナーナイ語はロシア・ソ連でとそれぞれ研究地が割れてしまっている感じなのは残念だが政治的には仕方のないことなのだろうか。とにかくちょっとナーナイ語と他のトゥングース語との「近さ」を見てみよう。トゥングース諸語はいわゆる膠着語で名詞の後ろに格マーカーがつく。日本語の「てにをは」と同じだ。格が語形変化のパラダイム自体にはなっていないわけだから格の数も学者によってばらつきが出るが、アヴローリンは主格、対格、具格、与格、処格、向格、奪格を区別している。偶然手元にあった1983年の『月刊言語』にエウェンキ語、ウイルタ語、満州語の資料が載っているので比べてみよう。ナーナイ語だけ単語が違っていて申し訳ない。
Tabelle1N
エウェンキ、ウイルタ、満州語のmooは「木」という意味である。ナーナイ語の ogda と giol はそれぞれ「ボート」と「オール」。キリル文字をラテン文字に直しておいた。格の数にも違いがあり、満州語には処格、向格がない。その代わり属格がある(ここには出していない)。エウェンキ、ウイルタ語にはさらにたくさんの格があるが(例えばウイルタ語には共格がある)、ここではナーナイ語にある格だけ比較した。それでも相似性は一目瞭然だ。主格は全言語でゼロマーカーとなっており、対格マーカーのそれぞれの-wa、-woo、-bə、 -wa 始め与格、処格など形態素がそっくりだ。またナーナイ語も含めたトゥングース語には母音調和、つまり母音間の共起制限があるため、例えば対格マーカーの-wa は単語によっては -we、与格の -du は -do、処格の -la は -lo で現れる。
 さらに上の「活用表」はいわば「単純系」で、これら格語尾の後ろにさらに人称語尾が付くことがあるそうだ。エウェンキ語では一人称単数-w、二人称単数 -s、三人称単数 -n、二人称複数 -sun、三人称複数 -tin、ウイルタ語では一人称単数 -bi、二人称単数 -si、三人称単数 -ni、二人称複数 -su、三人称複数 -či、満州語にはこの現象がないとのことだ。これを頭に置いてアヴローリンの挙げているナーナイ語の「ボート」と「オール」の主格の例を見てみよう。
Tabelle2N
「ボート」の主格が -i になるのが残念(?)だが、他はなんとウイルタ語そのものである。実際ウイルタ語はトゥングース諸語の中でナーナイ語と同じグループに属し、別グループのエウェンキ語、満州語より近いのだ。さてここで一人称複数をすっ飛ばしたのには理由がある。エウェンキ語ではここで除外形と包括形(『22.消された一人』参照)を区別するのだ:除外形 -wun, 包括形 -t。ウイルタ語にはこの区別がなく-puだけ。ナーナイ語も一人称複数は一つだけだが、これがまたウイルタ語とそっくりで、ogda-pu と giol-pu。またウイルタ語では単複ともに一人称では斜格で別形をとり、一人称単数 -wwee、一人称複数 -ppoo。これがナーナイ語ではそれぞれ-iwa、-powaとなるようで、「オール」で見ると一人称単数主格が giol-bi(上述)、 具格が giol-di-iwa、処格が giol-dola-iwaだ。一人称複数だと主格 giol-pu(上述)、具格 giol-di-powa、処格 giol-dola-powaで図式通り。時々音が変わったり削除されたりすることがあるが、まあそれは仕方がないだろう。「オール」の対格は giol-ba-iwa ではなく、giol-b-iwaである。
 二人称、三人称は主格と斜格の区別がないので、「ボート」、「オール」の二人称単数主格がそれぞれogda-si 、giol-si(上述)、対格は ogda-wa-si、giol-ba-si で人称表現の形態素が主格も斜格も同じになる。
 これらは名詞につく人称表現の形態素なので、人称代名詞と形が完全にイコールではなく、例えば名詞では人称表現をしない満州語も人称代名詞そのものはしっかり持っている。エウェンキ語の人称代名詞に除外と包括の区別があるのは上の事から推してもなるほどと思うが、名詞では人称を区別しない満州語も代名詞にはこの区別がある。名詞で区別しないウイルタ語やナーナイ語は代名詞にもこの区別がないが、まあそれはそうだろう。

 膠着語ということは名詞ばかりでなく動詞にも後ろにベタベタ助動詞や人称表現がくっ付く。例えば過去形は -xa(n)/-xə(n)/-ki(n)/-či(n) という形態素を動詞の後に付加して表わす。やたらと形の幅が広いのは上述のように母音の共起制限がある上、その母音に引っ張られて子音価が変わったり、後続する形態素の影響を受けたりするからである。

Mi  ǯok-či  ǯi-ǯu-j-či-jə-wə,  ama jama-wa tuliə-du xulə-xə-ni.
we + home-向 + arrive-再起-非過去-向-1単斜, father + pit-対 + yard-与 + dig-過去-3単

この例も以下の例もオスコリスカヤ Софья Алексеевна Оскольская という学者が挙げていたものだが、上で述べた人称形態素が現れているのがわかる(下線)。動詞をで示したがまあよくもここまでいろいろくっつくものだと感心する。でも日本語の動詞だって外からはこんな風に見えるにちがいない。-xəが過去マーカーだが(太字)、この文はアスペクト上ニュートラルで、不完了体・完了体のどちらにも解釈できるそうだ。

1.私が家に着いたら、父が(ちょうどその時)庭に穴を掘っていた。不完了体
2.私が家に着いて、父が(その後)庭に穴を掘った。       完了体

動作様相でいえば、前者が進行相、後者が起動相である。副文の動詞が非過去形になっているのが面白い。その非過去形は形態素 -j/-ri/-ǯi/-či を付加して表わすが(太字)、これも動詞によっては完了体・不完了体の両方のアスペクト解釈を許す。下の例では動詞に下線を引いておいた。

(母親がケータイで娘に「今何処にいるの?」と聞いたのに答えて)
 Mi škola-či ənə-j-i.
1単 + school-向 + go-非過去-1単
学校に行くとこよ!     不完了体(進行相)

ələə ələə ǯukə ənə-j
soon + soon + grandpa + go-非過去
今おじいさんが行くよ!   完了体(起動相)

いわゆる瞬間動詞の非過去形では完了体以外の解釈が非常にしにくいのはナーナイ語も日本語もロシア語も同じらしい。

Sagǯi daan’a bu-ǯi-ni.
old + grandma + die-非過去-3単

この文は「年取った祖母が直に死ぬ、今死ぬところだ」という完了体(起動相)解釈しか成り立たず、「年取った祖母が今死亡中」、つまり不完了体(進行相)のと受け取るのは不可能だ。
 解釈だけでなく、形の上でアスペクトを表わす形態素もいろいろある。機能的に日本語の助動詞「~いる」のようなものか。例えば -či/-so ~ -su/-si は不完了体表現。

Alosemǯi klass-či ii-wuči-ə-ni nuči guru-səl ele-se-xa-či.
teacher + class-与 + enter-分詞接続法2-斜-3単 + small + people-複 + stand-不完-過去-3複
先生が教室に入ったら、子供たちが立っていた。

Alosemǯi klass-či ii-wuči-ə-ni nuči guru-səl ele-xa-či.
teacher + class-与 + enter-分詞接続法2-斜-3単 + small + people-複 + stand-過去-3複
先生が教室に入ったら、子供たちが立った。

前者と後者の違いは動詞部に-seという形態素があるかないかだけだが、前者を「子供たちが立ち上がった」、後者を「子供たちは立っていた」と解釈することはできない。
 また -psin/-psiŋ という形態素は完了体(起動相)を表わす。

Ag-bi ičə-rə n’oani mora-psiŋ-ki-ni «Baače-go-a-pu».
elder brother-再帰単数 + see-分詞・同時 + she + shout-起動-過去-3単 + „Hello“
自分の兄を見て、彼女は「あら元気?!」と」叫んだ。

この起動相マーカーがないと進行形・不完了体の意味にしかならない。

Mi komnata-či ii-wuči-jə,
əjkə-i ak-či-jə mora-xa-ni.
I + room-向 + enter- 分詞接続法2,
elder sister-1単 + elder brother-与-再帰単数 + shout- 過去-3単


ここでは動詞(下線)に psiŋがついていないので、起動の意味にはならず、

私が部屋に入ったら、姉が兄に何か叫んでいた。(不完了体、進行相)

であって、

私が部屋に入ったら、姉が兄に何か叫んだ。叫び出した。(完了体、起動相)

とは受け取れない。
 これらの他にもアスペクトまたは動作様相を表わすマーカーがいろいろあるが、動詞の側にも特定のアスペクトマーカーをつけないと語としては成り立たないものがあるそうだ。反対に特定のアスペクトマーカーを付加できない動詞もある。

 こうしてみると形としてはいろいろな解釈を許すニュートラルな動詞にしてもマーカーにしても、それらが表わすのは「アスペクト」というより動作様相といったほうがいいかもしれないが、それをさらに抽象して完了・不完了の二項対立に持って行っているのがいかにもロシアの学者らしくて面白かった。それをふむふむ言いながら読んでいるうち本論とは別に語彙面でも面白いことに気づいた。ナーナイ語では日本語と同じくelder brotherや elder sisterを英独露語のようにバラさずに一つの単語で表わせるようだ。オスコリスカヤ氏の挙げた例の中に、əjkə (elder sister) 、ag (elder brother) (上述)、nəu (younger brother) などの語が見える。それぞれ日本語の「姉」「兄」「弟」みたいだ。英語やドイツ語で「兄」と「弟」が同単語になっていることに常々ムカついていたのでこれは本当に嬉しかった。「妹」はどういうのかと気になってアヴローリンの本を覗いてみたら younger brother が нэку- とある。オスコリスカヤ氏の nəu だが、そこに括弧で younger brother (sister) と注が入れてある。ということは自分より年が若いと性で区別しない、つまり「弟」と「妹」の区別がないということだろうか。
 もう一つ、ロシア語からの借用語が多いことに目がとまる。上述の例だけみてもすでに
jama(「穴、堀」)、 škola(「学校」)、 klass(「クラス、教室」)などの単語が見つかる。一目瞭然それぞれロシア語のяма、школа、класс からの借用だ。この調子だとロシア語からの借用語は相当多そうだ。中国領のナーナイ人は中国語からいろいろ取り入れているに違いない。

 最後に『デルス・ウザーラ』の原作者アルセーニエフのことに戻るが、その後夫人(黒澤の映画で描かれていた人だ)と離婚し、1919年にその「原因」となった女性と再婚した。ただし元の夫人や息子(これも映画に出てきた)の生活費・養育費などはきちんと払い続けている。アルセーニエフの死後、二番目の夫人は大粛清の煽りを受け反革命分子として1938年に銃殺された。1920年に生まれた娘も収容所に送られたり大変な目に遭ったらしい。アルセーニエフ自身の親戚たちも既に大粛清以前に革命のごたごたでほとんど命を落としている。時代の波を被って破滅したのはデルス・ウザーラだけではなかったのだ。


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図表を画像に変更したりして一度記事を全面変更しましたが、その後今更英語にも包含と除外を区別する場合があることを安井稔教授が指摘しているのを見たのでさらに変更しました。再投稿します。言語と言うのは本当に驚くことばかりです。

内容はこの記事と同じです。

 セルジオ・レオーネ監督の代表作に Il Buono, il Brutto, il Cattivo(邦題『続・夕陽のガンマン』)というのがある。「いい奴、悪い奴、嫌な奴」という意味だが、英語ではちゃんと直訳されて The good, the bad and the ugly というタイトルがついている。この映画には主人公が3人いて三つ巴の絡み合い、決闘をするのだが、ドイツ語タイトルではこれがなぜか Zwei glorreiche Hallunken(「華麗なる二人のならず者」)となっていて人が一人消えている。消されたのは誰だ?たぶん最後に決闘で倒れる(あっとネタバレ失礼)リー・ヴァン・クリーフ演じる悪漢ではないかと思うが、ここでなぜ素直にdrei (3)を使って「3人の華麗なならず者」とせず、zwei にして一人減らしたのかわけがわからない。リー・ヴァン・クリーフに何か恨みでもあるのか。
 さらに日本でも I quattro dell’ Ave Maria、「アヴェ・マリアの4人」というタイトルの映画が『荒野の三悪党』になって一人タイトルから消えている。無視されたのは黒人のブロック・ピータースだろうか。だとすると人種差別問題だ。ドイツ語では原題直訳で Vier für ein Ave Maria。

 もっともタイトル上で無視されただけならまだマシかもしれない。映画そのものから消された人もいるからだ。レオーネと同じようにセルジオという名前の監督、セルジオ・ソリーマの作品 La Resa dei Conti(「行いの清算」というような意味だ。邦題は『復讐のガンマン』)は、『アルジェの戦い』を担当した脚本家フランコ・ソリナスが協力しているせいか、マカロニウエスタンなのに(?)普通の映画になっている珍しい作品だが、ここで人が一人削除されている。
 この映画はドイツでの劇場公開時にメッタ切り、ほとんど手足切断的にカットされたそうだ。25分以上短くされ、特に信じられないことに最重要登場人物のひとりフォン・シューレンベルク男爵という人がほとんど完全に存在を抹殺されて画面に出て来なくなっているらしい。「らしい」というのは私が見たのはドイツの劇場公開版ではなく、完全版のDVDだからだ(下記)。劇場版では登場人物を一人消しているのだから当然ストーリーにも穴が開き、この映画の売りの一つであるクライマックスでの男爵の決闘シーンも削除。とにかく映画自体がボロボロになっていた。ドイツ語のタイトルは Der Gehetzte der Sierra Madre でちょっとバッチリ決まった日本語にしにくいのだが、「シエラ・マドレの追われる者」というか「シエラ・マドレの追われたる者」というか(「たる」と語形変化させるとやはり雰囲気が出る)、とにかく主人公があらぬ罪を着せられて逃げシエラ・マドレ山脈で狩の獲物のように追われていく、というストーリーの映画のタイトルにぴったりだ。でもタイトルがいくらキマっていても映画自体がそう切り刻まれたのでは台無しだ。
 私はもちろんこの映画を1960年代のドイツでの劇場公開では見ていないが完全版のDVDを見ればどこでカットされたかがわかる。ドイツ語吹き替えの途中で突然会話がイタリア語になり、勝手にドイツ語の字幕が入ってくる部分が所々あるのだ。これが劇場公開で切られた部分である。件の男爵はドイツ語吹き替え版なのにイタリア語しかしゃべらない。つまり劇場版では全く吹き替えされていない、ということは出てきていないということだ。
 この切断行為も理由がまったくわからない。ソリーマ監督自身がいつだったかインタビューで言っていたのを読んだ記憶があるが、このフォン・シューレンベルクという登場人物は、ドイツ人の俳優エーリヒ・フォン・シュトロハイムへのオマージュだったそうだ。なるほど人物設定から容貌から『大いなる幻影』のラウフェンシュタイン大尉にそっくりだ。背後には『エリーゼのために』をモチーフにしたエンニオ・モリコーネの名曲が流れる。そこまで気を使ってくれているのによりによってドイツ人がそれをカットするとは何事か。
 
 ちょっと話が急カーブしすぎかもしれないがやはり「一人足りない」例に、私も大好きなまどみちおさん作詞の「1年生になったら」という童謡がある。「一年生になったら友達を100人作って100人みんなで富士山に登りたい」というストーリーだ。実は当時から子供心に疑問に思っていたのだが、友達が100人いれば自分と合わせるから富士登山する人数は合計で101人になるはずではないのか。一人足りないのではないか。
 この疑問への答のヒントを与えてくれたのがロシア語の мы с тобой(ムィスタヴォイ)という言い回しだ。これは直訳すると we with you なのだが、意味は「我々とあなた」でなく「あなたを含めた我々」、つまり「あなたと私」で、英語でも you and I と訳す。同様にこの友達100人も「私と君たち友達を含めた我々100人」、つまり合計100人、言語学で言う inclusive(包括的あるいは包含的)な表現と見ていいのではないだろうか。逆に富士山に登ったのが101人である場合、つまり話者と相手がきっちりわかれている表現は exclusive(排除的あるいは除外的)な表現といえる。
 
 言語には複数1人称の人称表現、つまり英語の代名詞 we にあたる表現に際して包含的なものと除外的なものを区別する、言い換えると相手を含める場合と相手は含めない場合と2種類の we を体系的に区別するものが少なからずある。アイヌ語がよく知られているが、シベリアの言語やアメリカ先住民族の言語、あとタミル語、さらにそもそも中国語の方言にもこの区別があるらしい。「少なからず」どころか実はこの区別を持つ言語は世界中に広がっているのだ。南北アメリカやアジアだけでなく環太平洋地域、南インドやアフリカ南部の言語にも見られる。さらに足元琉球語の方言にもある。印欧諸語やセム語にはないが、話者数でなく言語の数でみると包含・除外の区別は決して「珍しい」現象ではない。ちょっと例を挙げてみると以下のような感じ。それぞれ左が inclusive、右が exclusiveの「我々」だ。
Tabelle1-22
あちこちの資料から雑多に集めてきたのでちょっと統一がとれていないが、とにかくアフリカ南部からアジア、アメリカ大陸に広がっていることがわかる。ざっと見るだけで結構面白い。
 ジューホアン語というのが見慣れないが、これがアフリカ南部、ナミビアあたりで話されている言葉だ。
 中国語は体系としてはちょっとこの区別が不完全で、「我們」は基本的に inclusive、exclusive 両方の意味で使われるそうだ。他方の「咱們」が特に inclusive として用いられるのは北京語も含む北方の方言。満州語の影響なのではないかということだ。そう言われてみると、満州語と同じくトゥングース語群のエヴェンキ語にもこの対立がある。満州語とエヴェンキ語は inclusive と exclusive がそれぞれmusə と mit、bə と bū だから形まで近い。
 問題はハワイ語やジューホアン語の双数・複数という分類だ。これらは安易にウィキペディアから持ってきた例だが、双数と言うのはつまり私が一人、あなたも一人の合計二人、複数ではこちら側かあちら側かにさらにもう一人いて3人以上、つまり複数なのかと思うとどうも事情は常にそう簡単ではないらしい。言語によっては双数とやらは実は単数あるいは非複数と解釈するべきで、それを「双数」などと言い出したのは、1.文法には数、人称というカテゴリーがあり、2.人称は一人称、二人称、三人称のきっちり三つであるという思考枠から出られない印欧語頭の犯した誤解釈だというのである。これは松本克己教授の指摘だが(もちろん氏は「印欧語頭」などという下品な言い回しは使っていない)、そもそも「一人称複数で包含と除外を区別」という言い方自体に問題があるそうだ。包含形に単・複両形を持つ言語は消して珍しくない。たとえば松本氏の挙げるニブフ語(ギリヤーク語)の人称代名詞は以下のような体系をなしている。
Tabelle2-22
人称は3つだけではないと考えさえすれば極めてすっきりした体系なのに、パンフィーロフ Панфилов В. З というソ連の学者は「1人称でも2人称でも3人称でもない人称」を見抜くことができず、話し手と聞き手が含まれているのだから単数とは見なせないと考えて、全くニブフ語の言語感覚を逸脱した「双数」という概念を藪から棒に一人称にだけ設定して次のように記述した。思い切りわかりにくくなっている。
Tabelle3-22
包含形を一人称複数の一種とせずに独立した一つの人称カテゴリー(包含人称あるいは一人称+二人称)とみなさざるを得ないのはアイマラ語も同じだ。アイマラ語は数のカテゴリーがないが、後に特殊な形態素を付けて増幅形をつくることができる。
Tabelle4-22
上のように hiwasa と naya-naka を比べても唐突すぎてよくわからないが、こうすれば体系をなしているのがよくわかる。さらに南太平洋のトク・ピシンも同じパターンなのが面白い。
Tabelle5-22
トク・ピシンというのは乱暴に言えばメラネシアの現地語の枠組みの上に英語が被さってできた言語だ。mi というのは英語の me、yu は you である。yumi で包含人称を表わすというのはまことに理にかなっている。トク・ピシンには本当に一人称双数形があるが、パンフィーロフ氏はこれをどうやって図式化するのだろう。不可能としか言いようがない。
 それではこれらの言語での包含人称とやらの本質は何なのか。例えばアイヌ語の(いわゆる)一人称複数包含形には1.一人称の間接表現(引用の一人称)、2.2人称の敬称、3.不特定人称の3つの機能があるそうだ。3番目がポイントで、他の言語とも共通している。つまり包含人称は1・2・3人称の枠から独立したいわば第4の人称なのである。「不特定人称」「汎人称」、これが包含形の本質だ。アメリカの言語学では初め inclusive の代わりに indefinite plural または general plural と呼んでいたそうだ。plural が余計なのではないかとも思うが、とにかく多くの言語で(そうでない言語もあるだろうが)包含対除外の単純な二項対立にはなっていないのである。
 そもそも一口に人称代名詞と言っても独立形か所有形(つまりある意味「語」でなく形態素)か、形の違いは語形変化によるのか膠着かによっても機能・意味合いに差が出てくるからまだまだ議論分析の余地が大ありという事だろう。
 
 ところで私の感覚だと、日本語の「私たち」と「私ども」の間にちょっとこの包含対除外のニュアンスの差が感じられるような気がするのだが。「私ども」というと相手が入っていない、つまり exclusive 寄りの意味が強いのではないだろうか。実はこの点を松本教授も指摘していて、それを読んだとき私は「おおっ、著名な言語学者を同じことを考えてたぞ私!」と万歳三唱してしまった。これは私だけの考えだが、この「私たち」と「私ども」の差は直接 inclusive 対 exclusive の対立というより、むしろ「ども」を謙譲の意味とみなして、謙譲だから相手が入っているわけがないと解釈、言い換えると inclusive 対 exclusive の対立的意味合いは二次的に派生してきたと解釈するほうがいいかもしれない。
 また上述のロシア語 мы с тобой 、つまりある意味では包含表現は単純に ты и я(you and me)やмы(we)というより暖かい響きがあるそうだ。 まどみちおさんも実は一人抜かしたのではなくて、むしろ暖かい友だち感を強調したかったのかも知れない。登場人物を映画やタイトルでぶった切るのとは逆である。
 さらに驚くべきことには安井稔氏が英語にも実は inclusive と exclusive を表現し分ける場合があることを指摘している:
Let's go.
Let us go.
という例だが、前者は単に後者を短く言ったものではない。意味と言うか会話上の機能が違う。前者は Shall we go?(さあ行きましょう)、後者は Let us be free! (私たちを行かせてください、自由にしてください)と同じ、つまり Let's の us は相手が含まれる inclusiv、Let us の us は相手が含まれない exclusive の we である。
 
この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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