アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:中国語

図表を画像に変更したりして一度記事を全面変更しましたが、その後今更英語にも包含と除外を区別する場合があることを安井稔教授が指摘しているのを見たのでさらに変更しました。再投稿します。言語と言うのは本当に驚くことばかりです。

内容はこの記事と同じです。

 セルジオ・レオーネ監督の代表作に Il Buono, il Brutto, il Cattivo(邦題『続・夕陽のガンマン』)というのがある。「いい奴、悪い奴、嫌な奴」という意味だが、英語ではちゃんと直訳されて The good, the bad and the ugly というタイトルがついている。この映画には主人公が3人いて三つ巴の絡み合い、決闘をするのだが、ドイツ語タイトルではこれがなぜか Zwei glorreiche Hallunken(「華麗なる二人のならず者」)となっていて人が一人消えている。消されたのは誰だ?たぶん最後に決闘で倒れる(あっとネタバレ失礼)リー・ヴァン・クリーフ演じる悪漢ではないかと思うが、ここでなぜ素直にdrei (3)を使って「3人の華麗なならず者」とせず、zwei にして一人減らしたのかわけがわからない。リー・ヴァン・クリーフに何か恨みでもあるのか。
 さらに日本でも I quattro dell’ Ave Maria、「アヴェ・マリアの4人」というタイトルの映画が『荒野の三悪党』になって一人タイトルから消えている。無視されたのは黒人のブロック・ピータースだろうか。だとすると人種差別問題だ。ドイツ語では原題直訳で Vier für ein Ave Maria。

 もっともタイトル上で無視されただけならまだマシかもしれない。映画そのものから消された人もいるからだ。レオーネと同じようにセルジオという名前の監督、セルジオ・ソリーマの作品 La Resa dei Conti(「行いの清算」というような意味だ。邦題は『復讐のガンマン』)は、『アルジェの戦い』を担当した脚本家フランコ・ソリナスが協力しているせいか、マカロニウエスタンなのに(?)普通の映画になっている珍しい作品だが、ここで人が一人削除されている。
 この映画はドイツでの劇場公開時にメッタ切り、ほとんど手足切断的にカットされたそうだ。25分以上短くされ、特に信じられないことに最重要登場人物のひとりフォン・シューレンベルク男爵という人がほとんど完全に存在を抹殺されて画面に出て来なくなっているらしい。「らしい」というのは私が見たのはドイツの劇場公開版ではなく、完全版のDVDだからだ(下記)。劇場版では登場人物を一人消しているのだから当然ストーリーにも穴が開き、この映画の売りの一つであるクライマックスでの男爵の決闘シーンも削除。とにかく映画自体がボロボロになっていた。ドイツ語のタイトルは Der Gehetzte der Sierra Madre でちょっとバッチリ決まった日本語にしにくいのだが、「シエラ・マドレの追われる者」というか「シエラ・マドレの追われたる者」というか(「たる」と語形変化させるとやはり雰囲気が出る)、とにかく主人公があらぬ罪を着せられて逃げシエラ・マドレ山脈で狩の獲物のように追われていく、というストーリーの映画のタイトルにぴったりだ。でもタイトルがいくらキマっていても映画自体がそう切り刻まれたのでは台無しだ。
 私はもちろんこの映画を1960年代のドイツでの劇場公開では見ていないが完全版のDVDを見ればどこでカットされたかがわかる。ドイツ語吹き替えの途中で突然会話がイタリア語になり、勝手にドイツ語の字幕が入ってくる部分が所々あるのだ。これが劇場公開で切られた部分である。件の男爵はドイツ語吹き替え版なのにイタリア語しかしゃべらない。つまり劇場版では全く吹き替えされていない、ということは出てきていないということだ。
 この切断行為も理由がまったくわからない。ソリーマ監督自身がいつだったかインタビューで言っていたのを読んだ記憶があるが、このフォン・シューレンベルクという登場人物は、ドイツ人の俳優エーリヒ・フォン・シュトロハイムへのオマージュだったそうだ。なるほど人物設定から容貌から『大いなる幻影』のラウフェンシュタイン大尉にそっくりだ。背後には『エリーゼのために』をモチーフにしたエンニオ・モリコーネの名曲が流れる。そこまで気を使ってくれているのによりによってドイツ人がそれをカットするとは何事か。
 
 ちょっと話が急カーブしすぎかもしれないがやはり「一人足りない」例に、私も大好きなまどみちおさん作詞の「1年生になったら」という童謡がある。「一年生になったら友達を100人作って100人みんなで富士山に登りたい」というストーリーだ。実は当時から子供心に疑問に思っていたのだが、友達が100人いれば自分と合わせるから富士登山する人数は合計で101人になるはずではないのか。一人足りないのではないか。
 この疑問への答のヒントを与えてくれたのがロシア語の мы с тобой(ムィスタヴォイ)という言い回しだ。これは直訳すると we with you なのだが、意味は「我々とあなた」でなく「あなたを含めた我々」、つまり「あなたと私」で、英語でも you and I と訳す。同様にこの友達100人も「私と君たち友達を含めた我々100人」、つまり合計100人、言語学で言う inclusive(包括的あるいは包含的)な表現と見ていいのではないだろうか。逆に富士山に登ったのが101人である場合、つまり話者と相手がきっちりわかれている表現は exclusive(排除的あるいは除外的)な表現といえる。
 
 言語には複数1人称の人称表現、つまり英語の代名詞 we にあたる表現に際して包含的なものと除外的なものを区別する、言い換えると相手を含める場合と相手は含めない場合と2種類の we を体系的に区別するものが少なからずある。アイヌ語がよく知られているが、シベリアの言語やアメリカ先住民族の言語、あとタミル語、さらにそもそも中国語の方言にもこの区別があるらしい。「少なからず」どころか実はこの区別を持つ言語は世界中に広がっているのだ。南北アメリカやアジアだけでなく環太平洋地域、南インドやアフリカ南部の言語にも見られる。さらに足元琉球語の方言にもある。印欧諸語やセム語にはないが、話者数でなく言語の数でみると包含・除外の区別は決して「珍しい」現象ではない。ちょっと例を挙げてみると以下のような感じ。それぞれ左が inclusive、右が exclusiveの「我々」だ。
Tabelle1-22
あちこちの資料から雑多に集めてきたのでちょっと統一がとれていないが、とにかくアフリカ南部からアジア、アメリカ大陸に広がっていることがわかる。ざっと見るだけで結構面白い。
 ジューホアン語というのが見慣れないが、これがアフリカ南部、ナミビアあたりで話されている言葉だ。
 中国語は体系としてはちょっとこの区別が不完全で、「我們」は基本的に inclusive、exclusive 両方の意味で使われるそうだ。他方の「咱們」が特に inclusive として用いられるのは北京語も含む北方の方言。満州語の影響なのではないかということだ。そう言われてみると、満州語と同じくトゥングース語群のエヴェンキ語にもこの対立がある。満州語とエヴェンキ語は inclusive と exclusive がそれぞれmusə と mit、bə と bū だから形まで近い。
 問題はハワイ語やジューホアン語の双数・複数という分類だ。これらは安易にウィキペディアから持ってきた例だが、双数と言うのはつまり私が一人、あなたも一人の合計二人、複数ではこちら側かあちら側かにさらにもう一人いて3人以上、つまり複数なのかと思うとどうも事情は常にそう簡単ではないらしい。言語によっては双数とやらは実は単数あるいは非複数と解釈するべきで、それを「双数」などと言い出したのは、1.文法には数、人称というカテゴリーがあり、2.人称は一人称、二人称、三人称のきっちり三つであるという思考枠から出られない印欧語頭の犯した誤解釈だというのである。これは松本克己教授の指摘だが(もちろん氏は「印欧語頭」などという下品な言い回しは使っていない)、そもそも「一人称複数で包含と除外を区別」という言い方自体に問題があるそうだ。包含形に単・複両形を持つ言語は消して珍しくない。たとえば松本氏の挙げるニブフ語(ギリヤーク語)の人称代名詞は以下のような体系をなしている。
Tabelle2-22
人称は3つだけではないと考えさえすれば極めてすっきりした体系なのに、パンフィーロフ Панфилов В. З というソ連の学者は「1人称でも2人称でも3人称でもない人称」を見抜くことができず、話し手と聞き手が含まれているのだから単数とは見なせないと考えて、全くニブフ語の言語感覚を逸脱した「双数」という概念を藪から棒に一人称にだけ設定して次のように記述した。思い切りわかりにくくなっている。
Tabelle3-22
包含形を一人称複数の一種とせずに独立した一つの人称カテゴリー(包含人称あるいは一人称+二人称)とみなさざるを得ないのはアイマラ語も同じだ。アイマラ語は数のカテゴリーがないが、後に特殊な形態素を付けて増幅形をつくることができる。
Tabelle4-22
上のように hiwasa と naya-naka を比べても唐突すぎてよくわからないが、こうすれば体系をなしているのがよくわかる。さらに南太平洋のトク・ピシンも同じパターンなのが面白い。
Tabelle5-22
トク・ピシンというのは乱暴に言えばメラネシアの現地語の枠組みの上に英語が被さってできた言語だ。mi というのは英語の me、yu は you である。yumi で包含人称を表わすというのはまことに理にかなっている。トク・ピシンには本当に一人称双数形があるが、パンフィーロフ氏はこれをどうやって図式化するのだろう。不可能としか言いようがない。
 それではこれらの言語での包含人称とやらの本質は何なのか。例えばアイヌ語の(いわゆる)一人称複数包含形には1.一人称の間接表現(引用の一人称)、2.2人称の敬称、3.不特定人称の3つの機能があるそうだ。3番目がポイントで、他の言語とも共通している。つまり包含人称は1・2・3人称の枠から独立したいわば第4の人称なのである。「不特定人称」「汎人称」、これが包含形の本質だ。アメリカの言語学では初め inclusive の代わりに indefinite plural または general plural と呼んでいたそうだ。plural が余計なのではないかとも思うが、とにかく多くの言語で(そうでない言語もあるだろうが)包含対除外の単純な二項対立にはなっていないのである。
 そもそも一口に人称代名詞と言っても独立形か所有形(つまりある意味「語」でなく形態素)か、形の違いは語形変化によるのか膠着かによっても機能・意味合いに差が出てくるからまだまだ議論分析の余地が大ありという事だろう。
 
 ところで私の感覚だと、日本語の「私たち」と「私ども」の間にちょっとこの包含対除外のニュアンスの差が感じられるような気がするのだが。「私ども」というと相手が入っていない、つまり exclusive 寄りの意味が強いのではないだろうか。実はこの点を松本教授も指摘していて、それを読んだとき私は「おおっ、著名な言語学者を同じことを考えてたぞ私!」と万歳三唱してしまった。これは私だけの考えだが、この「私たち」と「私ども」の差は直接 inclusive 対 exclusive の対立というより、むしろ「ども」を謙譲の意味とみなして、謙譲だから相手が入っているわけがないと解釈、言い換えると inclusive 対 exclusive の対立的意味合いは二次的に派生してきたと解釈するほうがいいかもしれない。
 また上述のロシア語 мы с тобой 、つまりある意味では包含表現は単純に ты и я(you and me)やмы(we)というより暖かい響きがあるそうだ。 まどみちおさんも実は一人抜かしたのではなくて、むしろ暖かい友だち感を強調したかったのかも知れない。登場人物を映画やタイトルでぶった切るのとは逆である。
 さらに驚くべきことには安井稔氏が英語にも実は inclusive と exclusive を表現し分ける場合があることを指摘している:
Let's go.
Let us go.
という例だが、前者は単に後者を短く言ったものではない。意味と言うか会話上の機能が違う。前者は Shall we go?(さあ行きましょう)、後者は Let us be free! (私たちを行かせてください、自由にしてください)と同じ、つまり Let's の us は相手が含まれる inclusiv、Let us の us は相手が含まれない exclusive の we である。
 
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 先日TVで韓国のゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(いったいなんなんだ、このヒドい邦題は?!原題は「釜山行」)を放映したので見てみた。2年ほど前にこちらのニュースでもこの映画がアジアで大ヒットしていると報道しているのを小耳に挟んでいたし、新聞・雑誌のTV番組欄でもこれが「本日のおすすめ」だったのだ。見たらあんまり面白かったので驚いてしまった。面白かったも面白かったが、欧米のゾンビ映画・アクション映画と比べて好感を持った。登場人物が私と同じアジア人だからかなと思ったが、考えてみるとそればかりではない。
 欧米のアクション映画には必ずといっていいほど、そしてホラー映画にもよく登場する、大声で喚き散らし時に銃をぶっ放し棍棒を持って暴れるタイプの暴力的でヒステリックな女性が出てこないのだ。以前心理学者だったか歴史学者だったかが(心理学と史学じゃ全然違うじゃないか。どっちなんだ)こういうアマゾネス戦士タイプの女性描写は実は男性側の倒錯した性欲が生んだファンタジーだと言っていたのを覚えている。女性に自分たちのマッチョ理想像の真似、男の真似をさせて自分たちのナルチシズムと女性への劣情を同時に満足させようとする歪んだファンタジーである、と。そういえば、そういう映画での女性たちはランニングシャツなど近代装備の兵士の戦闘服としてはありえないような不自然に肌を露出した衣装であるか、変なところが破れたり濡れたりして男性をソソるように計算されている。だからゲビた感じがするのだ。私の覚えている限り下品でなかった女性戦闘員は『フルメタルジャケット』のラストに出てきたベトナム人の若い女性スナイパーくらいなものだ。また当然ながらその手の女性が絶叫しながら暴れまくる映画には年配の女性はまず現れない。
 そういわれてみるまで、映画そのものの出来とは別にいわゆるアクション映画の多くに対して抱く嫌悪感が何処からくるのか自分でもわからなかったのが、なるほどと思い当たった。それで『エイリアン』や『ターミネーター』(特に2以降)も私は大嫌いである。繰り返すが映画の出来自体はいい。
 『新感染 ファイナル・エクスプレス』にはその手のわざとらしい下品な女性が出てこない。その上おばさんやおばあさんがきちんと重要な役割を担って登場する。これが私の個人的なプラス点である。
 そこで他の人たちはどう評価しているのかネットをちょっと覗いて見たら、「不覚にも泣いてしまった」とコメントしている男性が結構いたので笑った。「ゾンビ映画で泣いてどうするんだ」とは思ったが、この映画で「泣いちゃったよ俺」という殿方にも好感を抱いた。

中国語タイトルには「屍速」と「屍殺」の2バージョンあるようだが、どちらもいかにも怖そうなタイトルだ。
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 この「泣けるゾンビ映画」の英語タイトルはTrain to Busan、つまり「釜山」の英語表記はPusanでなくBusanになる。このことも私は映画に劣らず面白いと思った。ドイツでもこの英語タイトルをそのまま使っている。釜山と聞いて私が真っ先に思い出すのは、今時覚えている人がいるかどうか知らないが『釜山港に帰れ』という歌謡曲である。当時チョー・ヨンピルが原語の韓国語日本語二ヶ国語で歌って大ヒットした。ヨンピル氏はその後日本の紅白歌合戦にも連続出場したそうだが、残念ながらその頃には私はすでにこちらに来てしまっていたので見ていない。その歌を改めて聴いてみると「釜山」という発音は日本語・韓国語のバージョン共に日本人の耳には無声音、「プサン」としか聞こえない。実際昔は英語でもPusanと表記していた。釜山空港だってPUSと記されていたのだ。2000年に韓国側でBusanという国際表記にしたが、これはこの語頭音が無気音だからだ。
 英語のネイティブは無声閉鎖音、p、t、k を帯気化して発音する人が多い。ドイツ語の人もそうで、人によってはこの度合いがはなはだしく、「わたし」の「た」が思い切り帯気音であるために「わつぁし」と聞こえてしまうことさえある。p、t、k が語頭に来ると帯気なしでは発音できない人もいる。日本語ならば、これらの音が多少気音になっても単に耳障りなだけでまあ意志の疎通に問題はないが(それでも「わつぁし」と言われると一瞬戸惑うが)、韓国・朝鮮語(ここでは単に「韓国語」と呼んでいる)は無気の p と有気のp (ph)は違う音素なのだからこれを許しておくわけにはいかない。英語の話者がPusanと言うと韓国人には「釜山」산でなく산にしか聞こえないそうだ。一方で韓国語は無気と有気の音韻対立がないからPusanだろうが Busanだろうが意味に違いが起こらない、ならば帯気化される危険性大の p よりも無気発音してもらえる可能性の高い有声音b で発音してもらった方が韓国語の音韻体系に合う。無声閉鎖音は対応する有声閉鎖音より帯気しやすい、別な言い方をすれば有声閉鎖音は帯気させるのが無声閉鎖音よりむずかしい。だから印欧語も祖語の段階では無声閉鎖音も有声閉鎖音もそれぞれ無気・帯気で弁別差があったのに(下記参照)時代が下るにつれて後者が弁別機能を失っていった際、まず有声子音で無気・帯気の区別が失われた。無声子音には結構長い間この区別が残ったのである。古典ギリシャ語も無声子音でのみ無気・帯気を区別し、現在のロマニ語ではやはり無声閉鎖音のみ、しかも語頭音でのみ無気・帯気の弁別差が認められるそうだ。日本語は無声閉鎖音があまり帯気化していないから、安心して「プサン」あるいはPusanと記せるし、そう発音していい。
 この、本来英語向けだったBusanという表記が他言語でも標準になったので本来無声閉鎖音が帯気化しておらずp で読んでも全く支障のないロマンス諸語まで b にさせられたというわけだ。ローマ字を使っていないロシア語では p を使ってПусан。ロシア語も無声閉鎖音は無気である。セルビア語ではb 表記でБусанとなるのだが、英語を通したと思われる。
 中国語も有気・無気が音韻対立 して、無声・有声の区別がないから、日本語の「か」と「が」、「ぱ」と「ば」、「た」と「だ」の発音のし分けが苦手な人がいる。例えば中国語で「他」は帯気音、「打」は無気音なので、「た=他」、「だ=打」と覚えている人がいたりすると有声・無声の対立がいつまでも飲み込めない。そういう人には「他」は「た」と解釈していいが、「打」のほうは「た」と「だ」の両方にかかることを図でも書いて示してあげるといいかもしれない。

日本語の「た・だ」と中国語の「他・打」の関係はAでなくBのように考えた方がいいと思う。
ta-da
 アジアの言語、特に古くから文化・文明の面でも地理の面でも中心となった言語は無気・帯気で弁別差を持つものが多く、それのない日本語はむしろ例外。日本人は本来アジア文化圏では辺境民族だったことを感じさせる。他のアジアの言語をザッと見ていくと次のようになる。閉鎖音ばかりでなく、破擦音や摩擦音でも無気・帯気をわける言語も多いが、それを全部見出すとキリがなくなるのでここでは話を閉鎖音、p、t、k に限った。
 まず上で述べたように中国語はp-ph、 t-th、k-kh だけを区別して p-b、t-d、 k-g の対立がない。b、d、 g はそれぞれ/p、t、 k/ のアロフォンである。
 韓国語もp-b、t-d、 k-g がないのは中国語と同じだが、ここの閉鎖音は単なる無気・帯気のほかにさらに tense、「濃音」を区別して、p-p͈-phという3体系になっている。最初のp が普通の無声無気音、最後のph が無声帯気音、真ん中p͈ というのはtense音、喉をグッと緊張させて出す無気音。釜山のプは最初の p である。面白いことに語末ではこの無気・帯気・tenseの弁別性が中和されてそれぞれ内破音になるそうだ。アイヌ語と同じだ。
 モンゴル語は音韻表記上は/p, b/、/t, d/、/k, g/ と書き表す子音が実際上はp-ph、 t-th、k-kh で、bは(β も)/p/ の、d は /t/ の、 g は /k/ のそれぞれアロフォンである。別の資料にはg は /k/ のアロフォンというより、音素/k/ は [g]  と発音する、つまり [k] という音は事実上存在しないとあった。古い時代のモンゴル語は本当p-b など、無声・有声で対立したのが時代が下るにつれて対立の仕方が無気・帯気に移行したという説があるそうだが、これには疑問の余地大ありとのことだ。 
 満州語も/p, b/、/t, d/、/k, g/ と表す対立があり、そう発音されることもあるが、これも以前はp-ph、 t-th、k-kh だったと思われる。
 チベット語ラサ方言、というべきかラサ語というべきかとにかくそこの言語にはp-ph、 t-th、k-kh だけあり、その/p, t, k/ が特定の音声環境でそれぞれ b、d、g になる、という中国語、韓国語と全く同じパターンである。
 続いて、日本からドンドン遠ざかるがヒンディー語、サンスクリットである。上記にも書いたようにここでは無気・帯気と無声・有声が両方とも立派に弁別機能を負っているから、p-b-ph-bh、t-d-th-dh、k-g-kh-gh と分ける。印欧語は本来この四体系であったが、現在のヨーロッパの言語は無声・有声のみを区別して無気・帯気は弁別機能を失ってしまったものが大半だ。僅かにロマニ語が不完全にではあるが無気・帯気を弁別することは上でも述べた通りである。
 東へ戻ってタイ語では不完全ながら双方の対立が弁別性を持っている。「不完全」というのは有声子音では無気・帯気の差が機能しないからだ。タイ語の閉鎖音はb-p-ph、d-t-th、k-kh となっていて基本3体系であるところが韓国語と似ているが内容はまったく異なる。しかも軟口蓋閉鎖音では有声・無声の差が消失してしまっている。「有声音を帯気するのは難しい」、「アジアの言語では無声・有声の対立より無気・帯気の方が残りやすい」という大原則が踏襲されていて感動的ですらある。
 北へ上ってテュルク諸語の一つウイグル語になるとやっと本当に無声・有声の対立がメインとなり、p-b、t-d、k-g のみで無気・帯気の弁別差がない。が、ついに日本語タイプの音韻体系が出たかと喜ぶのはまだ早い。無声閉鎖音、p、t、k は語頭と母音間では帯気化するのがほぼ決まりとなっており、かてて加えて有声音b、d、g はシラブルの終わりでは有声性が中和され、対応する無声音となるそうだ。ただし語の最初のシラブルではこの中和現象が起こらないそうで、この点は違うが有声子音が語末で中和するのはドイツ語やロシア語といっしょである。
 アジア大陸内をここまで西に行っても日本語の友達が見つからない、仕方なくまた東に戻ると意外なところに仲間がいた。インドネシア語である。ここではまさにp-b、t-d、k-g の対立しかなく、しかも無声音が規則的に帯気化したりしない。日本語とほぼ同じである。
 インドネシア語より地理的にずっと日本語に近いアイヌ語は無気・帯気の区別もない代わりに無声・有声の対立もない。p、t、k しかないのである。b、d、g は異音素でなくそれぞれ前者のアロフォンである。
 驚くことにこの「無気・帯気の区別も無声・有声の区別もない言語」というのがインドの南にある。タミル語がそうだ。何百年・何千年もサンスクリットと接してきたのにp、t、k しかない。鼻音の後ではこれらは有声化するとのことだが、つまりアイヌ語と同じくb、d、g はアロフォンなのである。このことに驚くのは私だけではないらしく、「タミル語は無気と帯気を区別しない」とわざわざ明記してある説明があった。そり舌音があるあたりはしっかりサンスクリットと共通なのにこれはどうしたことだ。タミル語の方がサンスクリットより古くからかの地にいたからだろうか。つまりそり舌はタミル語のほうがサンスクリットに影響した、いいかえるとそり舌は南アジアに後からやってきた印欧語が現地の言語に影響されて変質させられた結果だから本当は「サンスクリットタミル語共通」というべきなのだろう。そういえば再建された印欧祖語にはそり舌音が設定されていない。天下の印欧語を変質させるなんてすごい力だ。それこそゾンビででもあるのかこの言語は(意味不明)?

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 この手のアンケートはよく見かけるが、ちょっと前にも「今習うとしたら何語がいいか」という趣旨の「重要言語ランキングリスト」とかをネットの記事で見かけたことがある。世界のいろいろな言語が英語でリストアップされていた。この手の記事は無責任とまではいえないがまあ罪のない記事だから、こちらも軽い気持ちでどれどれとリストを眺めてみた。そうしたら、リストそのものよりその記事についたコメントのほうが面白かった。
 面白いというとちょっと語弊があるが、いわゆる日本愛国者・中国嫌いの人たちであろうか、何人もが「中国語がない。やはり中国は重要度の低い国なんだ。日本とは違う」と自己陶酔していたのだ。眩暈がした。なぜならその「重要言語・将来性のある言語リスト」の第二位か三位あたりにはしっかりMandarinが上がっており、その二つくらい下にCantoneseとデカイ字で書いてあったからである。この両方をあわせたら英語に迫る勢い。日本語も確かにリストの下のほうに顔をだしてはいたが、これに太刀打ちできる重要度ではない。この愛国者達は目が見えないのかそれともMandarin, Cantoneseという言葉を知らないのか。そもそも中国語はChineseなどと一括りにしないでいくつかにバラして勘定することが多いことさえ知らないのか。
 中国語は特に発音面で方言差が激しく、互いに通じないこともあるので普通話と広東語はよく別勘定になっている。さらに福建語、客家語などがバラされることも多い。以前「北京大学で中国人の学生同士が英語で話していた、なぜなら出身地方が違うと同じ中国語でも互いに通じないからだ」という話を読んだことがある。さすがにこれは単なる伝説だろうと思っていたら、本当にパール・バックの小説にそんな描写があるそうだ。孫文や宋美齢の時代にはまだ共通語が普及しておらず、しかも当時の社会上層部は英語が出来たから英語のほうがよっぽどリングア・フランカとして機能したらしい。現在は普通話が普及しているので広東人と北京人は「中国語」で会話するのが普通だそうだ。「方言は消えていってます。父は方言しか話しませんでしたが、普通話も理解できました。私は普通話しか話せませんが方言も聞いてわかります。ホント全然違う言葉ですよあれは。」と中国人の知り合いが言っていた。

 当該言語が方言か独立言語かを決めるのは実は非常に難しい。数学のようにパッパと決められる言語学的基準はないといっていい。それで下ザクセンの言語とスイスの言語が「ドイツ語」という一つの言語と見なされる一方、ベラルーシ語とロシア語は別言語ということになっているのだ。言語学者の間でもこの言語が方言だいや独立言語とみなすべきだ、という喧嘩(?)がしょっちゅう起こる。そのいい例が琉球語である。琉球語は日本語と印欧語レベルの科学的な音韻対応が確認されて、はっきりと日本語の親戚と認められる世界唯一の言語だが、江戸時代に日本の領土となってしまったため、これを日本語の方言とする人もいる。私は琉球語は独立言語だと思っている。第一に日本語と違いが激しく、これをヨーロッパに持ってきたら文句なく独立言語であること、第二にその話者は歴史的に見て大和民族とは異なること、そして琉球語内部でも方言の分化が激しく、日本語大阪方言と東北方言程度の方言差は琉球語内部でみられることが理由だが、もちろんこれはあくまで私だけの(勝手な)考えである。自分たちの言語の地位を決めるのは基本的にその話者であり、外部の者があまりつべこべ言うべきではない、というのもまた私の考えである(『44.母語の重み』参照)。
 一方、ではそれだからと言って話者の自己申告に完全に任せていいかというとそれもできない。いくら話者が「これは○○語とは別言語だ」と言いはっても、言語的に近すぎ、また民族的にも当該言語と○○語の話者が近すぎて独立言語とは見なさない場合もある。例えばモルダビアで話されているのはモルダビア語でなく単なるルーマニア語である。
 方言と独立言語というのはかように微妙な区別なのだ。

 私は以前この手の言語論争をモロに被ったことがある(『15.衝撃のタイトル』参照)。副専攻がクロアチア語で、当時はユーゴスラビア紛争直後だったからだ。以前はこの言語を「セルボ・クロアチア語」と呼んでいたことからもわかるように、セルビア語とクロアチア語は事実上同じ言語といっても差し支えない。ただセルビアではキリル文字、クロアチアではラテン文字を使うという違いがあった。宗教もセルビア人はギリシア正教、クロアチア人はカトリックである。そのため事実上一言語であったものが、いや一言語であったからこそ、言語浄化政策が強化され違いが強調されるようになったからだ。私の使っていた全二巻の教科書も初版は『クロアチア語・セルビア語』Kroatisch-Serbischというタイトルだったが紛争後『クロアチア語』Kroatischというタイトルになった。私はなぜか一巻目を新しいKroatisch、2巻目を古いバージョンのKroatisch-Serbischでこの教科書を持っている。古いバージョンにはキリル文字のテキストも練習用に載っていたが、新バージョンではラテン文字だけ、つまりクロアチア語だけになってしまった。
 しかし戸惑ったのは教科書が変更されたことだけではない。言語浄化が授業にまで及んできて、ちょっと発音や言葉がずれると「それはセルビア語だ」と言われて直されたりした。また私が何か言うとセルビア人の学生からは「それはクロアチア語だ」と言われクロアチア人からはセルビア語と言われ、それにもかかわらず両方にちゃんと通じているということもしょっちゅうだった。しかしそこで「双方に通じているんだからどっちだっていいじゃないか」とかいう事は許されない。どうしたらいいんだ。とうとう自分のしゃべっているのがいったい何語なのかわからなくなった私が「○○という語はクロアチア語なのかセルビア語なのか」と聞くとクロアチア人からは「クロアチア語だ」と言われセルビア人からは「セルビア語だ」と言われてにっちもさっちもいかなくなったことがある。
 この場合言語は事実上同じだが使用者の民族が異なるため、ルーマニア語・モルダビア語の場合と違って言語的に近くてもムゲに「同言語」と言い切れないのだ。例えば日系人が言語を日本語から英吾に切り替えたのとは違って「クロアチア語あるいはセルビア語」はどちらの民族にとっても民族本来の言語だからである。またクロアチア人とセルビア人以外にもイスラム教徒のボスニア人がこの言語を使っている。「ボスニア語」である。この言語のテキストももちろん「クロアチア語辞書」を使えば読める。(再び『15.衝撃のタイトル』参照)

 では当時クロアチア人とセルビア人の学生同士の関係はどうであったか。ユーゴスラビア国内でなくドイツという外国であったためか、険悪な空気というのは感じたことがない。ただ気のせいか一度か二度ギクシャクした雰囲気を感じたことがあったが、これも「気のせいか」程度である。本当に私の気のせいだったのかもしれない。
 90年代の最後、紛争は一応解決していたがまだその爪あとが生々しかった頃一般言語学の授業でクロアチア、セルビア、ボスニアの学生が共同プレゼンをしたことがあった。そこで最初の学生が「セルビア人の○○です」と自己紹介した後、次の学生が「○○さんの不倶戴天の敵、クロアチアの△△です」、さらに第三の学生が「私なんてボスニア人の××ですからね~」とギャグを飛ばしていた。聞いている方は一瞬笑っていいのかどうか迷ったが、学生たち本人が肩をポンポン叩きあいながら笑いあっているのを見てこちらも安心しておもむろに笑い出した。ニュースなどを見ると今でも特にボスニアでは民族共存がこううまくは行っていないらしい。私のような外部者が口をはさむべきことではないのだろうが、この学生たちのように3民族が本当の意味で平和共存するようになる日を望んでやまない。


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 「お茶」のことをドイツ語でTee、英語でteaといい、語頭が t 、つまり歯茎閉鎖音になっているが、ロシア語だとчай [tɕæj] または[tʃaj]で日本語と同じく破擦音である。ロシア語ばかりではない、ペルシャ語やアラビア語、中央アジア・シベリアの言語でも「茶」は破擦音だ:トルコ語çay、ペルシャ語chāy、キルギス語чай、エベンキ語чаj、ネギダル語чаj、満州語cai、モンゴル語цай。これはどうしてなのかについては学生時代に(つまり大昔に)次のように聞いていた。
 橋本萬太郎氏によれば中国語の「茶」の語頭音は紀元前後には*dra、七世紀にはそり舌閉鎖音*ɖa、十世紀のころに破擦音[ʈʂa]となった。別の資料によれば「茶」の呉音は「ダ」、漢音「タ」、唐音「サ」だから、これが「チャ」と破擦音で発音されたのは漢音の閉鎖音が唐音の摩擦音に移行するまでの期間、紀元後3世紀から7世紀の間ということになり、7世紀にはそり舌ではあるが閉鎖音のɖだったという上の記述より300年ほど時代がずれるようだが、これは当時の日本語の音韻体系のせいである。つまり当時の「ち」「つ」という文字は現代日本語のような破擦音でなく閉鎖音、それぞれti、tuという発音であった。だから「ちゃ」は今の仮名でかくと「テャ」のような発音だったのである。そのころの日本語は今よりもずっと語頭の有声音を嫌った、というより有声・無声を区別しなかったと考えると*ɖaは確かに「テャ」、当時の表記では「ちゃ」と聞こえたと思われる。また「さ」の文字も当時の日本語では破擦音で、今の「さ」よりも「ちゃ」と読んだと思われるそうだから中国語では10世紀に「ちゃ」と破擦音になった、という説明と時期的に合致している。
 茶という植物は前漢の時代から知られていたらしいが、本格的に広まり出したのは唐からで、「茶」の字が定着したのも唐代だそうだ。日本には奈良時代に伝わった。中央アジアへも遅くとも宋の時代には伝播していたらしい。ヨーロッパ人が茶を知ったのはやっと18世紀である。

 この事実を踏まえて言語変化というものがどのように起こるかを考えてみよう。言語内に新しい形が生じた場合、それは当該言語内にいっぺんにどっと広まるのではない。その形が最初に生じた地点からしだいに回りに広まっていくのである。ちょうど池に石を投げ入れると石が落下した点を中心にして波が広がっていくような按配だから、これを「波動説」と呼んでいる。そして石を投げ込んだ地点から波がこちらの足元まで来るのにちょっと時間がかかるように、新しい言語形が周辺部にまで浸透するには随分かかり、周辺部にやっとその形が到達した時にはすでに中心部では別の形が生じていることが多い。また「周辺部」というのは純粋に物理的な距離のせいばかりでなく、間に山があったり川があったりして人が行きにくい辺鄙なところだと、距離的には近くとも新しい形が伝わるのに時間がかかる。人里はなれた周辺部の方言に当該言語の古形が残っていることが多いのはそのためである。
 例えば琉球語の方言には例えば八重山方言など日本語で「は」というところを「ぱ」でいうものがある。花をぱなというのだ。「はひふへほ」は江戸時代まで両唇摩擦音の[ɸ]、ファフィフフェフォだったことは実証されているが、さらに時代を遡って奈良時代以前には「パピプペポ」だったのではないかという説の根拠もここにある。『17.言語の股裂き』で述べた「西ロマンス諸語の-sによる複数主格は古い本来の形でによる複数主格はギリシア語からのイノベーションではないのか」という私の考えというか妄想もこの波動説の考えをもとにしたものである。

 中国語でもアモイ周辺など南部の方言には古い時代の閉鎖音が破擦音化せずに(そり舌性がなくなった上無声音化はしたが)まだ閉鎖音、即ちtで発音されているものがある。そういった方言形ををまずオランダ人が受け取り、そこからまたイギリス人などの欧米人に t の発音が横流しされたため、西ヨーロッパ中でtea だろTeeだろと言うのである。それに対してアジア大陸の人々はきちんと首都の発音を取り入れたから「チャイ」だろ「チャー」というのだ。ちゃんと首都に来て言葉を習え。もっともポルトガル語だけは例外でcháというチャ形をしているが、これはポルトガル人がオランダ人より早い時期に首都まで来て中国人と接したためか、またはゴアで一旦ヒンディー語を通したかのどちらかだろう。多分前者だとは思うが。というのはやはりその頃中国人と接したヴェネチアの商人にも茶をchiaiと伝えている者がいるからである。

 さて、橋本氏はここで、これだけの話だったら何も言語学者がしゃしゃり出るまでもないが、と断って話を続けている。つまりこんな話は誰でもわかっているということか。ここまでで十分面白い話だと思ってしまったドシロートの私は赤面である。
 
 橋本氏はじめ言語学者たちはここでロシア語чайやペルシャ語چایで[tʃaj]と語末に接近音(あるいは「半母音」)の [ j ] がついて、茶という語が「チャイ」というCVC構造になっていることに注目している。この語末の [ j ] がどこから来たのかについての議論がまた面白い。
 まず、村山七郎氏によるとロシア語のチャイは13世紀以降にモンゴル語の「茶葉」cha-yeを取り入れたもの、つまり「イ」は「葉」が退化した形だそうだ。ロシア語がモンゴル語から借用したことを証明する文献も残っている。このモンゴル語形が中央アジアにも広がったため「イ」のついた形になった。
 それに対して小松格氏は、これは中国の「茶」がペルシャ語に借用された際、[tʃa] だったものがペルシャ語の音韻体系に合うように後ろに j がくっついたためと反論している。ペルシャ語がCV型一音節の単語を極端に嫌うためで、本来nā(「竹」)がnāy、pā(「足」)がpāyになったのもこのためである。そしてこのペルシャ語形を通して「茶」という語がロシア語やその他の中央アジアの言葉に広がったためチャがチャイになった、という。
その反論に対して村山氏はさらに反論。pāy の y は付け加えられた接尾辞ではなく、もともとの語幹に帰するもの(*pād > pāy > på(y))、言い換えると変化の方向はpā→pāyではなくてむしろpāy →pāであり、「ペルシャ語でi(またはy)が加えられた」という説は成り立たない。しかもペルシャ語で「チャ」と並んで「チャイ」が現れるのはやっと17世紀になってからであり、時期的にも当てはまらない。さらにペルシア語で15世紀ごろには茶をčayehあるいは čayah とも記していて、これは「茶葉」である。
 この二説間の議論に上述の橋本氏がさらにコメントし、どちらの説にも説明できない部分があることを指摘した:村山説では9世紀にアラビア語ですでにshakhïと言っていた事実を説明できないし(現代では shāī)、小松説だとペルシャよりずっと中国に近くにいる民族の言葉で軒並み i がついていることが説明しにくい。上で述べた言語のほかにウイグル語の早期借用形 tʃaj、カザフ語 хаy、ネネツ語 сяйなどの例が挙げられる。橋本氏はそこで、「チャイ」の「イ」はもともとの中国語の「茶」の古い発音が反映されたもの、そのころは中国語の「茶」の音節がCVCであった証拠であるとした。実際「茶」と同じ韻を持つ単語には様々な方言で-iとして現れるものが多いということである。

 ここで私なんかがそれこそしゃしゃり出てコメントしたりすると言語学者から「顔を洗って出直して来い」といわれそうだが、ちょっと思いついたことを無責任に述べさせてもらいたい。学術的な根拠のない、単なる感想である。
 例えば上に挙げられていた言語のうち、シベリアの言語、エベンキ語やネギダル語、満州語などは距離的には中国に近くともあまり人の交流のない辺境地だったから、茶も古い時代に直接中国から伝わらずにやっとロシア帝国になってからロシア語を通したのではないかと一瞬思いそうになった。別の歴史の本などを読んでみると、唐代に最も中国人と接触のあったのはペルシャ人だそうで、長安にもたくさんペルシャ人が住んでいたらしい。だから「茶」という語が中間の言語をすっ飛ばしてまずペルシャ語に入り、そこを中継してテュルク諸語やモンゴル語に行き、さらにロシア語に入り、そこからシベリアに広まったというのは十分ありえることだ、と結論しそうになったが、ネネツ語сяйが摩擦音[sjaj] を示していて唸った。テュルク諸語の有力言語カザフ語も[x]であって音変化を起こしている。本当にロシア語もペルシャ語を通さず唐音を中国語から直接取り入れたのかもしれない。
でも仮に「イ」のついた「CVCのチャイ」が古い形を反映しているとしたらなぜ頭が閉鎖音ではなくて破擦音になっているのか疑問に思う向きのために橋本氏は先手を打って、茶という言葉の語頭子音が他の言語で破擦音で写し取れないような音であることは少なくとも中国語北方方言では一度もなかった、と主張している。つまりそり舌歯茎閉鎖音が他の言語の話者には破擦音あるいは摩擦音に聞こえた、ということになるのか。
 実は私はこの主張には思い当たることがある。ロシア語のть, дьである。これらは口蓋化された歯茎閉鎖音であるが、私には絶対「ティ」などではなくしっかり破擦音の「チ」に聞こえる。тя 、тю、тёも同様でそれぞれ「チャ、チュ、チョ」に聞こえる。私ばかりではない、そもそもть、дьのついたロシア語の単語を日本語に写し取る際は「チ」と書くではないか。それでговоритьと日本語で書くと「ガヴァリーチ」になる。さらにベラルーシ語ではロシア語の ть が実際に破擦音の ц になっていて、говоритьはベラルーシ語ではгаварыцьである。
 もちろんこれはあくまで「口蓋化閉鎖音」についてで、肝心の歯茎そり舌音の方は私には破擦音には聞こえない。それにいくら茶の古い時代の語頭子音が「破擦音として写し取れないような音ではなかった」としても、橋本氏があげている言語のうち、一つくらいは閉鎖音で表している言語があってもいいのではないだろうか。
 しかしそのまた一方で再現形の*ɖaというのはあくまでも文献や理論から導き出された音で誰も実際の音は聞いた事がない。そり舌が実際の音価だったという直接の証拠はないのである。もしかしたらその音はそり舌の上に口蓋化していたか、思い切り帯気音だったのかもしれない。
 もうひとつ私が思いつくのは、ひょっとしたら「茶」は結構時代が下った唐代になってもCVCだったのかもしれないということだ。上述のヴェネチア形でも後ろに i がついている。もっとも(自分で言い出しておいてすぐその後自分で否定するなら始めから黙っていたほうがよかったような気もするが)さすがにこれは可能性が薄いと思う。中国語学は豊富な文献、優れた研究者、学問重視の伝統に恵まれている。もし中古音時代にCVCだったりしたら誰かがとっくにそんなことは発見していたに違いない。

 と言うわけで「チャイ」の「イ」がどこから来たのかはわからないという結論だった。橋本氏も決して「チャイ」は中国語の古音を反映している、と確固として結論付けたわけではなく、一つの可能性として提案していたに過ぎない。

 この議論はすでに1980年代に交わされていた古いものだが、今現在はどういう結論になっているのだろうと思ってネットなどを見てみたらやっぱり「イ」の出所は不明となっていた。議論そのものはまだ続いているらしい。アモイ方言の閉鎖音はそもそも中国語の古形などではなくてチベット語から入ってきたものだ、という主張も見かけた。それにしてもたかがお茶一杯飲むたびにいちいちここまで深い話を展開していたらおちおちお茶も飲んでいられまい。もっとも日頃からあまりものを考えずチャラチャラ浅い生活している私のような者は猛省すべきだとは思った。


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 セルジオ・レオーネ監督の代表作に Il Buono, il Brutto, il Cattivo(邦題『続・夕陽のガンマン』)というのがある。「いい奴、悪い奴、嫌な奴」という意味だが、英語ではちゃんと直訳されて The good, the bad and the ugly というタイトルがついている。この映画には主人公が3人いて三つ巴の絡み合い、決闘をするのだが、ドイツ語タイトルではこれがなぜか Zwei glorreiche Hallunken(「華麗なる二人のならず者」)となっていて人が一人消えている。消されたのは誰だ?たぶん最後に決闘で倒れる(あっとネタバレ失礼)リー・ヴァン・クリーフ演じる悪漢ではないかと思うが、ここでなぜ素直にdrei (3)を使って「3人の華麗なならず者」とせず、zwei にして一人減らしたのかわけがわからない。リー・ヴァン・クリーフに何か恨みでもあるのか。
 さらに日本でも I quattro dell’ Ave Maria、「アヴェ・マリアの4人」というタイトルの映画が『荒野の三悪党』になって一人タイトルから消えている。無視されたのは黒人のブロック・ピータースだろうか。だとすると人種差別問題だ。ドイツ語では原題直訳で Vier für ein Ave Maria。

 もっともタイトル上で無視されただけならまだマシかもしれない。映画そのものから消された人もいるからだ。レオーネと同じようにセルジオという名前の監督、セルジオ・ソリーマの作品 La Resa dei Conti(「行いの清算」というような意味だ。邦題は『復讐のガンマン』)は、『アルジェの戦い』を担当した脚本家フランコ・ソリナスが協力しているせいか、マカロニウエスタンなのに(?)普通の映画になっている珍しい作品だが、ここで人が一人削除されている。
 この映画はドイツでの劇場公開時にメッタ切り、ほとんど手足切断的にカットされたそうだ。25分以上短くされ、特に信じられないことに最重要登場人物のひとりフォン・シューレンベルク男爵という人がほとんど完全に存在を抹殺されて画面に出て来なくなっているらしい。「らしい」というのは私が見たのはドイツの劇場公開版ではなく、完全版のDVDだからだ(下記)。劇場版では登場人物を一人消しているのだから当然ストーリーにも穴が開き、この映画の売りの一つであるクライマックスでの男爵の決闘シーンも削除。とにかく映画自体がボロボロになっていた。ドイツ語のタイトルは Der Gehetzte der Sierra Madre でちょっとバッチリ決まった日本語にしにくいのだが、「シエラ・マドレの追われる者」というか「シエラ・マドレの追われたる者」というか(「たる」と語形変化させるとやはり雰囲気が出る)、とにかく主人公があらぬ罪を着せられて逃げシエラ・マドレ山脈で狩の獲物のように追われていく、というストーリーの映画のタイトルにぴったりだ。でもタイトルがいくらキマっていても映画自体がそう切り刻まれたのでは台無しだ。
 私はもちろんこの映画を1960年代のドイツでの劇場公開では見ていないが完全版のDVDを見ればどこでカットされたかがわかる。ドイツ語吹き替えの途中で突然会話がイタリア語になり、勝手にドイツ語の字幕が入ってくる部分が所々あるのだ。これが劇場公開で切られた部分である。件の男爵はドイツ語吹き替え版なのにイタリア語しかしゃべらない。つまり劇場版では全く吹き替えされていない、ということは出てきていないということだ。
 この切断行為も理由がまったくわからない。ソリーマ監督自身がいつだったかインタビューで言っていたのを読んだ記憶があるが、このフォン・シューレンベルクという登場人物は、ドイツ人の俳優エーリヒ・フォン・シュトロハイムへのオマージュだったそうだ。なるほど人物設定から容貌から『大いなる幻影』のラウフェンシュタイン大尉にそっくりだ。背後には『エリーゼのために』をモチーフにしたエンニオ・モリコーネの名曲が流れる。そこまで気を使ってくれているのによりによってドイツ人がそれをカットするとは何事か。
 
 ちょっと話が急カーブしすぎかもしれないがやはり「一人足りない」例に、私も大好きなまどみちおさん作詞の「1年生になったら」という童謡がある。「一年生になったら友達を100人作って100人みんなで富士山に登りたい」というストーリーだ。実は当時から子供心に疑問に思っていたのだが、友達が100人いれば自分と合わせるから富士登山する人数は合計で101人になるはずではないのか。一人足りないのではないか。
 この疑問への答のヒントを与えてくれたのがロシア語の мы с тобой(ムィスタヴォイ)という言い回しだ。これは直訳すると we with you なのだが、意味は「我々とあなた」でなく「あなたを含めた我々」、つまり「あなたと私」で、英語でも you and I と訳す。同様にこの友達100人も「私と君たち友達を含めた我々100人」、つまり合計100人、言語学で言う inclusive(包括的あるいは包含的)な表現と見ていいのではないだろうか。逆に富士山に登ったのが101人である場合、つまり話者と相手がきっちりわかれている表現は exclusive(排除的あるいは除外的)な表現といえる。
 
 言語には複数1人称の人称表現、つまり英語の代名詞 we にあたる表現に際して包含的なものと除外的なものを区別する、言い換えると相手を含める場合と相手は含めない場合と2種類の we を体系的に区別するものが少なからずある。アイヌ語がよく知られているが、シベリアの言語やアメリカ先住民族の言語、あとタミル語、さらにそもそも中国語の方言にもこの区別があるらしい。「少なからず」どころか実はこの区別を持つ言語は世界中に広がっているのだ。南北アメリカやアジアだけでなく環太平洋地域、南インドやアフリカ南部の言語にも見られる。さらに足元琉球語の方言にもある。印欧諸語やセム語にはないが、話者数でなく言語の数でみると包含・除外の区別は決して「珍しい」現象ではない。ちょっと例を挙げてみると以下のような感じ。それぞれ左が inclusive、右が exclusiveの「我々」だ。
Tabelle1-22
あちこちの資料から雑多に集めてきたのでちょっと統一がとれていないが、とにかくアフリカ南部からアジア、アメリカ大陸に広がっていることがわかる。ざっと見るだけで結構面白い。
 ジューホアン語というのが見慣れないが、これがアフリカ南部、ナミビアあたりで話されている言葉だ。
 中国語は体系としてはちょっとこの区別が不完全で、「我們」は基本的に inclusive、exclusive 両方の意味で使われるそうだ。他方の「咱們」が特に inclusive として用いられるのは北京語も含む北方の方言。満州語の影響なのではないかということだ。そう言われてみると、満州語と同じくトゥングース語群のエヴェンキ語にもこの対立がある。満州語とエヴェンキ語は inclusive と exclusive がそれぞれmusə と mit、bə と bū だから形まで近い。
 問題はハワイ語やジューホアン語の双数・複数という分類だ。これらは安易にウィキペディアから持ってきた例だが、双数と言うのはつまり私が一人、あなたも一人の合計二人、複数ではこちら側かあちら側かにさらにもう一人いて3人以上、つまり複数なのかと思うとどうも事情は常にそう簡単ではないらしい。言語によっては双数とやらは実は単数あるいは非複数と解釈するべきで、それを「双数」などと言い出したのは、1.文法には数、人称というカテゴリーがあり、2.人称は一人称、二人称、三人称のきっちり三つであるという思考枠から出られない印欧語頭の犯した誤解釈だというのである。これは松本克己教授の指摘だが(もちろん氏は「印欧語頭」などという下品な言い回しは使っていない)、そもそも「一人称複数で包含と除外を区別」という言い方自体に問題があるそうだ。包含形に単・複両形を持つ言語は消して珍しくない。たとえば松本氏の挙げるニブフ語(ギリヤーク語)の人称代名詞は以下のような体系をなしている。
Tabelle2-22
人称は3つだけではないと考えさえすれば極めてすっきりした体系なのに、パンフィーロフ Панфилов В. З というソ連の学者は「1人称でも2人称でも3人称でもない人称」を見抜くことができず、話し手と聞き手が含まれているのだから単数とは見なせないと考えて、全くニブフ語の言語感覚を逸脱した「双数」という概念を藪から棒に一人称にだけ設定して次のように記述した。思い切りわかりにくくなっている。
Tabelle3-22
包含形を一人称複数の一種とせずに独立した一つの人称カテゴリー(包含人称あるいは一人称+二人称)とみなさざるを得ないのはアイマラ語も同じだ。アイマラ語は数のカテゴリーがないが、後に特殊な形態素を付けて増幅形をつくることができる。
Tabelle4-22
上のように hiwasa と naya-naka を比べても唐突すぎてよくわからないが、こうすれば体系をなしているのがよくわかる。さらに南太平洋のトク・ピシンも同じパターンなのが面白い。
Tabelle5-22
トク・ピシンというのは乱暴に言えばメラネシアの現地語の枠組みの上に英語が被さってできた言語だ。mi というのは英語の me、yu は you である。yumi で包含人称を表わすというのはまことに理にかなっている。トク・ピシンには本当に一人称双数形があるが、パンフィーロフ氏はこれをどうやって図式化するのだろう。不可能としか言いようがない。
 それではこれらの言語での包含人称とやらの本質は何なのか。例えばアイヌ語の(いわゆる)一人称複数包含形には1.一人称の間接表現(引用の一人称)、2.2人称の敬称、3.不特定人称の3つの機能があるそうだ。3番目がポイントで、他の言語とも共通している。つまり包含人称は1・2・3人称の枠から独立したいわば第4の人称なのである。「不特定人称」「汎人称」、これが包含形の本質だ。アメリカの言語学では初め inclusive の代わりに indefinite plural または general plural と呼んでいたそうだ。plural が余計なのではないかとも思うが、とにかく多くの言語で(そうでない言語もあるだろうが)包含対除外の単純な二項対立にはなっていないのである。
 そもそも一口に人称代名詞と言っても独立形か所有形(つまりある意味「語」でなく形態素)か、形の違いは語形変化によるのか膠着かによっても機能・意味合いに差が出てくるからまだまだ議論分析の余地が大ありという事だろう。
 
 ところで私の感覚だと、日本語の「私たち」と「私ども」の間にちょっとこの包含対除外のニュアンスの差が感じられるような気がするのだが。「私ども」というと相手が入っていない、つまり exclusive 寄りの意味が強いのではないだろうか。実はこの点を松本教授も指摘していて、それを読んだとき私は「おおっ、著名な言語学者を同じことを考えてたぞ私!」と万歳三唱してしまった。これは私だけの考えだが、この「私たち」と「私ども」の差は直接 inclusive 対 exclusive の対立というより、むしろ「ども」を謙譲の意味とみなして、謙譲だから相手が入っているわけがないと解釈、言い換えると inclusive 対 exclusive の対立的意味合いは二次的に派生してきたと解釈するほうがいいかもしれない。
 また上述のロシア語 мы с тобой 、つまりある意味では包含表現は単純に ты и я(you and me)やмы(we)というより暖かい響きがあるそうだ。 まどみちおさんも実は一人抜かしたのではなくて、むしろ暖かい友だち感を強調したかったのかも知れない。登場人物を映画やタイトルでぶった切るのとは逆である。
 さらに驚くべきことには安井稔氏が英語にも実は inclusive と exclusive を表現し分ける場合があることを指摘している:
Let's go.
Let us go.
という例だが、前者は単に後者を短く言ったものではない。意味と言うか会話上の機能が違う。前者は Shall we go?(さあ行きましょう)、後者は Let us be free! (私たちを行かせてください、自由にしてください)と同じ、つまり Let's の us は相手が含まれる inclusiv、Let us の us は相手が含まれない exclusive の we である。
 
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