アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:ドイツ

 何回か前のサッカー・ヨーロッパ選手権の際、うちでとっている南ドイツ新聞(Süddeutsche Zeitung)に載っていた論説の中に、ドイツ人の本音が思わず出てしまっていた部分があって面白かった。

曰く:

... Da geht es also um einen der weltweit wichtigsten Titel, die der Fußball zu vergeben hat - für viele Trainer zählt eine Europameisterschaft mehr als eine Weltmeisterschaft, weil das Niveau von Beginn an höher ist und sich die Favoriten in den Gruppenspielen nicht gegen ***** oder ***** warmspielen können ...

(…なんと言っても事はサッカーに与えられる世界中で最も重要なタイトルの一つに関わる話だから--監督の多くが世界選手権よりヨーロッパ選手権の方を重く見ている。なぜならヨーロッパ選手権の方がすでに初戦からレベルが高いし、優勝候補のチームがグループ戦で*****とか*****とかと当たってまずウォームアップから入る、ということができないからだ…)

 *****の部分にはさる国々の名前が入るのだが、伏字にしておいた。そう、ヨーロッパと一部の南アメリカの国以外は「練習台」「刺身のツマ」、これが彼らの本音なのだろう。こういうことを露骨に言われると私も一瞬ムカッと来るが、考えてみれば確かにその通りなのだから仕方がない。

 世界選手権の前半戦はドイツ人はあまりまじめに見ない人も多い。通るのが当たり前だからだ。前半戦なんて彼らにとっては面倒くさい事務的手続きのようなもの。気にするとしたら、トーナメントで最初にあたる相手はどこになるか、対戦グループの2位はどこか、という話題くらいだろう。つまり自分たちのほうはグループ1位だと決めてかかっているところが怖い。たまにヨーロッパのチームがその「単なる事務的手続き」に落ちることがあって嘲笑の的になったりするが、つまり前半戦さえ通らないというのは嘲笑ものなのである。
 だから、日本で毎回世界選手権になるとまず「大会に出られるかどうか」が話題になり、次に「トーナメントに出る出ない」で一喜一憂しているのを見ると、なんかこう、恥ずかしいというか背中が痒くなってくるのだ(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめなさい)。こちらで皆が本腰を入れて見だすのはやっとベスト8あたりからだ。
 世界選手権はまあそうやって手を抜く余裕があるが、ヨーロッパ選手権は前半から本腰を入れなければならず、全編暇なし・緊張の連続で、見ているほうはスリル満点、ドイツ人もトーナメント前から結構真剣に見だす。最初の方ですでにポルトガル対スペイン戦などというほとんど決勝戦レベルのカードが行なわれたこともあった。もったいない。
 そういう調子だから、選手権が始まると前半戦から、いやそもそも大会が始まる一ヶ月くらい前から大変な騒ぎだ。TV番組はこれでもかと「選手団が当地に到着しました」的などうでもいいニュースを流す。到着しなかったほうがよほどニュースだと思うのだが。スナック菓子やビールのラベルに選手の写真やチームのロゴが登場し出すのはまだ序の口、そのうちサッカーボール型のパンが焼かれるようになる。大会が始まったら最後、ドイツの登場する日など朝から異様な雰囲気が立ち込める。私のような善良な市民はやっていられない(サッカーが好きな人は善良ではない、と言っているのではない)。
 ではドイツが負ければ静かになるかというとそうではない。まずいことにドイツが負けるのは大抵ベスト4か決勝戦、つまり優勝が下手に視界に入ったところだから、ドイツがいなくなっても騒ぎは急に止まれない、というか、余ったビールの持って行き所がない、というか、結局最後まで騒ぎとおすのが常だ。さらに、ドイツには外国人がワンサと住んでいるから、特にヨーロッパ選手権だと勝ち残っている国の人が必ずいる。私のうちのそばには、イタリア語しか聞こえてこない街角があるくらいだ。だからドイツが敗退しても全然静かになどならない。

 ではTVもラジオもつけないでいれば静かにしていられるか?これも駄目、TVを消しても外の騒ぎの様子でどちらが何対何で勝ったかまでわかってしまうのだ。たとえば、上述の大会のドイツ・イタリア戦は私はもちろんTVなど見ないで台所で本を読んでいたのだが、試合の経過はすぐわかった。スコアについては少し解釈しそこなったのだが、それはこういう具合だった。

 まず、始まってしばらくして下の階に住んでいる学生が「ぎゃーっ!」と叫ぶ声が響いてきた。ドイツ人が叫び、しかもその後花火だろドラ・太鼓が続かない時は基本的に「ドイツ側がゴールを試みたが間一髪で惜しくも入らなかった」という意味だから、「ああ、ドイツのゴールが決まらなかったんだな」と解釈。その後何分かして、町の一角から大歓声が響いて来た。花火・ブブゼラ総動員だったのでどちらかが点を入れたな、とすぐわかった。あまりにもうるさいので最初ドイツがゴールしたのかと思ったが、それにしては歓声が上がっている場所が限定されている、つまり町全体が騒いでいるのではない。これで、歓声はイタリア人居住地区のみで上がっている、と解釈できる、つまりイタリアが点を入れたんだなと判断した。

 後で確認したところ、第二の解釈は当たっていたが、第一の解釈、つまり「ドイツ人の単発的な絶叫=惜しいゴール」は誤解釈で、これはイタリア側が点を入れていたのだった。二点目についても、発生地が限定されているにも拘らず全体音量としてはドイツ人が町全体で出すのとほぼ同等のヴォリュームを出す、ということはイタリア人一人当たりの出す音量はドイツ人何人分にも相当しているということになる。やっぱりねとは思うが、ではなぜ最初のイタリアのゴールの時、これほどうるさくはならなかったのか。たぶん始まってから間もない時間だったので、TVの前に集まっているサポーターがまだ少なかったか皆十分デキあがっていなかった、つまりまだアルコール濃度が今ひとつ低かったからだろう。
 しかしそれにしてもいったいあの花火・爆竹。当然のように使用しているがあれらはいったいどこから持ってきたのか?というのも、ドイツでは花火の類は大晦日の前3日間くらいしか販売を許可されていないはずなのだ。まさか去年の大晦日に買った花火をサッカー選手権に備えてキープしておいたのか?ああいう騒ぎをやらずにはいられない輩がそこまで冷静に行動して半年もかけて周到に準備しておいたとはとても考えられないのだが…。
 なお、その試合の後半戦で一度イタリアのゴールがオフサイドということでポシャったが、その時もイタリア人居住区から大歓声が響いてきた。ドイツ人ならゴールに入った入らないより先にオフサイドか否かの方を気にして議論を始めるたちだから、こういう早まった大歓声は上げないだろう。

 ところで、ドイツ人はゲーテの昔からイタリアが大好だが、こちらにはイタリア人とドイツ人の関係について諺がある。

「ドイツ人はイタリア人を愛しているが尊敬していない。イタリア人はドイツ人を尊敬しているが愛していない。」

わかるわかるこれ。

 とにかくこちらにいるとこういうワザが自然に身について、TVなど見ないでもサッカーの経過がわかるようになってしまう。経験によって漁師が雲や海の波の具合から天候を予知し、狩人が微妙な痕跡から獲物の居所を知ることができるようになるのと同じ。町の微妙な雰囲気を嗅ぎ分けてサッカーの経過がわかるようになるのだ。ほとんどデルス・ウザーラ並みの自然観察力である。 
 ただ漁師や狩人と違うのは、そんなことができるようになっても人生に何のプラスにもならない、という事だ。困ったものだ。


400px-Dersu_Uzala_(1975)
話が飛んで恐縮だが、実は私は黒澤明の映画の中ではこの『デルス・ウザーラ』が一番好きだ。これはクロアチア語バージョンのDVD。下の方に「モスクワで最優秀賞」「オスカー最優秀外国語映画賞」とある。


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 もう15年くらい前のことになるだろうか、歩いて10分位のところにある地方裁判所に一家で裁判を見にでかけたことがある。不謹慎で申し訳ないが、物見遊山感覚で特に計画も立てずに適当になんとなく入っていって傍聴した。ところが、その偶然傍聴した裁判がちょっと重い裁判で、後日町の新聞にも載ったのだ。殺人未遂事件だった。

 被告席に坐っていたのは、いかにもおとなしそうな楚々とした若い女性で、始めこの人が被害者かと思ったが、ほんとうに彼女が夫を殺そうとしたのだそうだ。

 その人の夫はアルバニアからやってきてドイツで仕事につき、やがてアルバニアの親戚一族から妻を「あてがわれて」、まったくドイツ語もできないそのアルバニア女性をドイツに呼び寄せた。けれどこの夫は横暴で妻が何かちょっとでも口答えしたり、違う意見を述べただけで、罵るならまだしも、暴力までふるって押さえつけるのが日常だったそうだ。もちろん妻が外の人と付き合うのも許さず、「ドイツにいるのだからドイツ語が勉強したい」とでも言えばまた殴る蹴るだった。
 それでも妻は耐えていたが(「結婚生活とか夫とか男とかいうのはこういうものだ」と思っていたんだそうだ)、夫がついに「お前のような無能な女はもういらない。子供をここに残してアルバニアの親戚のところに送り返してやる」というに及び、1.「ご用済みの女」として一族に送り返されるのは死ぬほどの不名誉だし、2.何より二人の子供にもう会えなくなるのが辛くて、なんとか送り返されるのを阻止しようとして、夫がその晩例によって酒を飲んでTVの前で眠り込んでしまうのを待って首を包丁で切り付けた。あと2cmずれていたら頚動脈が切れて夫は死んでいたそうだ。
 しかし、切りつけたはいいが、実際に夫が血まみれになって苦しむ姿を見ると、堪えられずに、自ら警察を呼んで自首した。

 ところで、ドイツの刑法では「殺人」に2種類ある。日本でも旧刑法ではその区別があったそうだが、Mord 「謀殺」とTotschlag「故殺」だ。Mord(モルト)はTotschlag(トートシュラーク)より罪一等重い。この2つの区別は法学的に重要らしく、こちらでは殺人事件が起こると真っ先にモルトと見なすかトートシュラークで済むか(?)が話題になる。議論のエネルギーの相当部がこの区別に費やされる感じ。どうやってこの区別をするかはもちろん専門的に周到に規定されているが、大雑把に言うと、計画的に周到な準備をして人を殺したり、自分が犯した他の犯罪、例えば強姦などの罪を隠蔽しようとして被害者を殺したり、口封じのために目撃者を殺したりしたら文句なくこのモルトだ。モルトは最も重い罪でたとえ未遂でも無期刑が下されることがある。
 この女性は犯行のために包丁を買って用意したり、夫が酔いつぶれるのを待つなど辛抱強くチャンスをうかがっていたりしたので計画行為、つまりモルト未遂と見なされた。

 その鬼より怖いドイツの検察が求刑するためすっくと立ちあがった時はこちらまですくみあがったが、この検察、情状酌量の余地を鏤々述べ始めたのだ。曰く、被告が何年も夫の暴力に耐えてきたこと、曰く、結婚失敗者として親戚に送り返す、という脅しがアルバニア人社会に生きる者にとっては心理的にも深刻な脅威をあたえたこと、曰く、被害者の夫本人が「自分も悪かった。すべて許す。妻が罰を受ける事は全く望んでいない」と嘆願書を提出していること、云々…
 そして「これ以上下げることができない」とか言い訳しながら3年半を求刑した。検察側にここまで「弁護」されて本物の弁護側は他に選択肢がなくなったのか、正当防衛として無罪を主張した。
求刑後、裁判長が被告に「最後に一言」とうながすと、女性はうつむいたまま細い声で(アルバニア語で)「申し訳ありませんでした」と一言。

 判決は次の日だったが、私たちが出かけて行くと傍聴席の最前列に利発そうな男の子と可愛い女の子がいた。これが被告の子供たちだった。その隣からは小柄で優しい感じの男性が心配そうに女性と検察側を交互に見つめていた。これが殺されそうになった夫だった。被告は家族の姿を傍聴席に認めると泣きそうな顔をしてちょっと手を振って見せた。
 さて判決だが、裁判長は適用できうる法律をまた何処からか見つけてきて、さらに刑期を下げ3年となった。これはモルト未遂に適用される最も軽い罪で、法律上これ以上下げることはできないものだった。
 私達はそこで法廷を出てしまったのだが、翌日の新聞によれば、すべて終わった後、夫も子供たちも女性のところに駆け寄っておいおい泣いたそうだ。

 もうかなり前のことなので、被告はもうとっくに刑務所から出所しているはずだ。あの一家は今ごろどうしているだろう、と今でもときどき思い巡らす。
 当時傍聴席で隣に坐っていたドイツ人のおばさんが、「嘆願書を出した、というのはきっと誰かに入れ知恵されたんだろう。なんだかんだで、奥さんがいないと家の事全然できなくて困るのは自分だからね」と言っていた。「あの人、刑務所から出てきたら最後、きっと男や男の仲間から復讐されるよ」とも。そうかもしれない。確かに家庭内で日常的に暴力をふるう男性の相当数が、「実は気が弱く、傍からは優しくおとなしい人にみえる」そうだから。
 でも私はこんなことも考えた。もしかしたらこの男性は生まれてこのかたそういう価値観(男尊女卑)しか知らなかったのではないだろうか。本当は結構優しい人が回りから無理矢理マッチョの規範を押し付けられて、実は自分でもその役割を果たすのに苦しんでいて、必要以上にマッチョを演じてみせざるを得なかったのが、妻からこういう事件を起こされて、いま初めて本当の自分と向き合えたのではないか、と。

 あの家族が今はどこかで幸せに暮らしていますように。


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 最近はめぼしい特売がないのであまり行かなくなったが、以前よく新聞にさるスーパーマーケットの広告が挟まっていることがあって、それを頼りにときどき豚肉を買いに行った。ちょっと遠いところで、市電で5駅の距離の隣町にある。でもそこで電車に乗って運賃を使ってしまったらせっかくの特売も水の泡、節約にならないからいつも歩いて行った。
 川を渡るのだが、その川というのが、目黒川のようなケチな川ではなくて(ローカルな話をするな)、泣く子も黙るライン川だ。めざすスーパーも隣町どころか隣の州にある。

 ライン川といえば普通ローレライとかあの辺を思い浮かべる人が多いだろうが、この町のあたりは無粋・退屈なことこの上ない。岸はコンクリートで固められ、周りに立っている建物も灰色の倉庫だろサビの出たクレーンだろばかりだ。笹本駿二氏の『ライン川物語』でも少し上流のストラスブールと、少し下流のマインツあたりについては延々と情に満ちた記述が続くのにその中間、つまりこのあたりのライン川については冷たく「M,Lなど大工業都市に近づくとラインは殺風景なタンカー船隊を浮かべる不興げな流れに変わってしまう。」というたった2行で済まされている。つまりこのあたりの景色はお墨付きのつまらなさなのだ。
 そのつまらないラインだが、橋を渡っているとよく足の下を船が通る。外国船籍の船が多く、その中でもオランダの旗を立てているのを一番頻繁に見かけるが、スイス船籍もときどき見た。船籍の違う2隻の船がすれ違うこともある。オランダ船はネッカー川の方でも頻繁に見かける。こういう芸当は目黒川にはとてもできまい。

 そもそもここM市自体は人口はたった30万人ばかり、隣のL市と合計してもせいぜい45万人ほど。笹本氏の「大工業都市」という言い方は大袈裟すぎると思う。東京の区部を「町」とすればこんなの「村」を通り越して「集落」のレベルなのだが、その集落がナマイキにやたらと国際的である。
 
 まずうちの最寄り駅の切符の自動販売機を見る。鉄道の駅でなく単なる市電、路面電車の駅だからそれに対応して自動販売機もショボいものだ。日本で言うなら例えば山手線の五反田駅で小銭専用、千円札以上は使えない販売機の前に立っていると想像してもらいたい。そこで買える切符もまさか名古屋とか仙台とかはありえない。土浦だって怪しい。せいぜい柏とか取手までだろう。
 ところがこちらそういうレベルの小銭自動販売機の行き先にLauterbourgという怖い地名が見える。なぜこの地名が怖いかというとドイツ語ならLauterburgとなるべき綴りにoが挟まっているからだ。つまりドイツ語の地名を無理矢理フランス語にしたことが一目瞭然。そう、ここはもうフランス領なのである。実際駅名の後ろに小さく(France)と括弧でくくって書いてある。Frankreich(フランクライヒ)とドイツ語で書かずにFranceとフランス語で表示してあるあたり、さらに怖さ倍増。駅の読み方もラウターブルクでなくローテブールとかいうはずだ。

 その市電でM市の鉄道の中央駅へ行く。新宿とか東京駅はおろか横浜・川崎にだってとても対抗できる規模ではない。乗り入れ路線数は多いのだが、一日の乗降人員はたったの10万人くらいだそうだ。新橋や田町にさえ遥かに及ばない。ちょうど地下鉄の赤坂見附駅の一日の乗降客がこのくらいだ。しかしそのローカルな駅でもフランス、スイス、オーストリアなど外国の列車がジャンジャン行き来している。行き先のプレートにZürich(チューリヒ)あるいはParis-Est(パリ東駅)などと書いてある電車がよく駅に止まっている。新橋に「ウラジオストック行き」と書かれた電車が待機しているようなものだ。
 
 もうかれこれ30年前、まだ東西ドイツがあったころ、この町の大学の夏期講習に参加したとき、講習が終わって皆が帰っていく際に、クラスメートのポーランド人(確かパシコフスカさんという名前だった)を駅に見送りに行ったことがある。ウッジという町に帰るということだったが、そのとき駅のホームに入って来た列車の行き先に「ワルシャワ」と書いてあったので島国気質の抜けていなかった私は妙に感動したのを覚えている。
 一ヶ月ほど前、駅で電車を一本逃してしまい、次が来るまでやることがないからホームの時刻表を眺めていたらそんなことをふと思い出したので、そういえばあのワルシャワ行きはまだあるかなと思って探してみた。さすがにストレートに「ワルシャワ行き」という路線はなかったが、そのかわりMoskva Belorusskaja行きという列車が見つかった。ブレスト経由とある。このブレストというベラルーシの駅はもともとワルシャワ・モスクワ路線の重要中間地点だったところだからつまりこの路線はワルシャワを通るはずだと思った。
 ところがこのあいだまた見たら表示が「ミンスク経由」に変わっている。路線が変更になったのか、それとも単なる表現の差に過ぎないのか。気になったので調べてみたらミンスク経由でちゃんとブレストもワルシャワも通る。それより驚いたのがこの路線の始発がパリだったということだ。するとあのパシコフスカさんが帰って行った路線もパリから来ていたのだろうか。とにかくこの路線の主要停車駅は現在こんな感じになる。

パリ東駅→メッス・ヴィル→フォルバック→(ここからドイツ)マンハイム・中央駅→フランクフルト・アム・マイン・南駅→フルダ→ハノーバー・メッセ・ラーツェン→ベルリン・中央駅→フランクフルト・アン・デア・オーダー→(ここからポーランド)ジェピン-ポズナニ・中央駅→ワルシャワ・中央駅→ワルシャワ・東駅→ウクフ→テレスポル→(ここからベラルーシ)ブレスト・中央駅→ミンスク→オルシャ(ヴォルシャ)・中央駅→(ここからロシア)スモレンスク→ヴャジマ→モスクワ・ベラルーシ駅

5カ国を通り抜けるわけだ。万事こういう調子だから駅の時刻表なども独・仏・英の3言語が基本。私は直接経験していないが、私より前の時代にドイツに住んでいた人は「列車のコンパートメント等には仏・独・西・伊・ポーランド語で表示があった。英語表示はなかった。なぜなら英語は大陸ヨーロッパの言語ではないからである」と報告している。

 さらについ先日、今度は逆に少し駅に早く着いてしまったら、私がホームに来た時は2本前の列車がまだ止まっていたのだが、それがなんとフランスの誇る特急列車TGVの「パリ東駅」行きだった。ウワサに聞いていた通り、連結部分に車輪が集めてあって揺れを防ぎ、脱線した時被害が最小限になるようなデザイン。車両には誇らしげにSNCFの文字。ドアがまだ開いていたのでちょっと中を覗いてみると壁にはフランスの地図がはってあり、乗客の会話は皆フランス語、ついでに駅のアナウンスもその時だけフランス語に切り替わった。カッコ良すぎてこんなショボイドイツの田舎駅には完全に場違いだった。

 最近はこういう感じが身に付いてしまい、日本に行ったときなど「飛行機に乗るか船に乗らないとここを抜け出せない」「海を越えないと外国に行けない・帰って来られない」と思うと反対に怖くなってしまうようになった。何と言ったらいいか、閉所恐怖症みたいな気がしてくるのだ。パリからモスクワならその気になれば歩いていけるが、新潟からウラジオストックだといくらその気になっても泳ぎ切ることは難しい。船なり飛行機なりの交通機関を利用しないと命が危なかろう。
 「島国」というのを「守られている」と見るか「閉じ込められている」と見るかは人によって違うだろうが、私はどうやら後者のタイプのようだ。もっとも最近は武器でもなんでもボタン一押しで飛んでくるから海なんて全然防壁になっていない反面、中にいる人はミサイルが飛んできても外に逃げられないから「閉じ込められている」方の要素が強くなってきているのではないだろうか。


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 ドイツは1998年にEUのヨーロッパ地方言語・少数言語憲章を批准・署名しているので、国内の少数言語を保護する義務があり、低地ザクセン語、デンマーク語、フリ―スランド語、ロマ二語、ソルブ語が少数言語として正式に認められている。特にソルブ語は、公式に法廷言語として承認されている。裁判所構成法(Gerichtsverfassungsgesetz)第184条にこうある。

Die Gerichtssprache ist deutsch. Das Recht der Sorben, in den Heimatkreisen der sorbischen Bevölkerung vor Gericht sorbisch zu sprechen, ist gewährleistet.

法廷言語はドイツ語とする。ソルブ人の住民にはその居住する郡の法廷においてソルブ語を使用する権利が保障される。

 法廷言語は公用語とイコールではないが、ソルブ人はやろうと思えばもとから自分達の住んでいる地域で自分達の言葉を使って裁判ができるのだからこれは準公用語的ステータスではないだろうか。日本のどこかにアイヌ語で裁判をする権利が認められている地方があるだろうか? さらに、現在ザクセン州の知事をしているのはドイツ人ではなく、ソルブ人のスタニスラフ・ティリッヒという政治家だ。「スタニスラフ」という名前は典型的に非ドイツ語形。これを日本で言うと、北海道の一部でアイヌ語で裁判が行え、アイヌ語名の仮名表記で戸籍に登録でき、例えば「ゲンダーヌ」という名前のまま立候補したアイヌ人が北海道の知事になったようなものだ。
 ソルブ語はドイツ語とは全く違う西スラブ語系統の言葉でポーランド語に近い。さらに厳密に言うとソルブ語は一つの言語というより下ソルブ語と上ソルブ語の2言語だ。

 これはあくまで自己反省だが、大学でドイツ語、ドイツ文化、あるいはドイツの政治や歴史を勉強しましたといいながらこのソルブ語の存在を知らない人がいる。「ソルブ語なんてドイツ語・ドイツ文化はもちろんドイツの歴史とは関係ないんだからいいじゃないか」と言うかも知れないが、私はそうは思わない。
 「私は日本のことを大学で勉強しました」と言っている外国人がアイヌの存在を知らなかったら、その人の「日本学専攻者」としての知識・能力に対して一抹の不安を抱くのではないだろうか。「ドイツの言葉や文化・歴史を勉強しました。でもソルブ語って何ですか?」と聞く人はそれと同じレベルだと思う。繰り返すがこれは自己反省である。私もソルブ語のことを教わったのはスラブ語学の千野栄一氏の本でなのだから。そもそもいまだに西スラブ語が一言語も出来ない私がエラそうなことを言えた義理ではないのだ。

 そのソルブ語のことをそれこそお義理にちょっと(だけ)調べてみた。
 
 まず「窓」という単語。上下ソルブ語共に wokno である。『33.サインはV』の項に書いたベラルーシ語と同様「語頭音添加の v 」(prothetic v、 ソルブ語では w、ベラルーシ語では в と綴る) が現れているではないか。これはロシア語では окно(okno) だ。そう知るとベラルーシ語以外の東スラブ語、要するにウクライナ語が気になりだした。いくつか単語を検索してみたので比べてみて欲しい。左がロシア語、真ん中がベラルーシ語、右がウクライナ語だ。
Tabelle1-37
ベラルーシ語とウクライナ語では prothetic v の現れ方が微妙に違っている。「秋」と「目」に対して「火」と「窓」を比べてみると、v の現れ方がベラルーシ語とウクライナ語でそれぞれちょうど逆になっているのがわかる。 「8」、「耳」、「髭」では両言語仲良く(?)語頭音に v がついている。「8」に至ってはロシア語までいっしょになって v つきだ。
 
 しかしその、全東スラブ諸語共通で v が語頭添加されている「8」も南スラブ語のクロアチア語では v が現れない。
 Tabelle2-37
「窓」「髭」はクロアチア語は別系統の語を使うようだが、「火」、「8」、「耳」、「目」に v が転化されていないのが見て取れる(太字)。なお。クロアチア語の j は英語の j ではなくドイツ語の j、英語で言うなら y  なので、jesen は「イェセン」である。下記のポーランド語もそう。

 さてそういえば上のウクライナ語に対して対ロシア語・ベラルーシ語では「8」と「窓」という単語でそれぞれ  i 対 o と音韻交替している(下線部)。もっともベラルーシ語はアーカニエ(『6.他人の血』参照)を文字化するので a になっている。これに呼応してハルキウ(Харкiв)というウクライナの都市のロシア語名はハリコフ (Харьков) だ。

 西スラブ諸語にもどるが、ソルブ語とポーランド語を比較してみた。西スラブ語の正書法では ch は英語でなくいわばドイツ語読みなので発音は「チ」でなく「ハヒフヘホ」、[ç] または [x] である。
Tabelle3-37
「秋」は上下ソルブ語とも別系統の語だ。zyma はロシア語の зима (zima) 「冬」だろうからつまりソルブ語では秋のことを「冬に向かう季節」と表現するらしい。「髭」は下ソルブ語で borda と言って上述のクロアチア語と同系統の語、上ソルブ語と語彙そのものが違うように見えるが実は borda 系の単語は上ソルブ語でも使うそうだ。つまり wusy か borda かは言語の違いというより髭の種類の違いのようで、前者は顎鬚を指し髭全般を意味するのはむしろ後者らしい。だからもしかしたらクロアチア語にも下ソルブ語にも borda と並んで ус (us)、 вус  (vus) あるいは wusy (vusy) 系統の単語が存在するのかもしれないが小さな辞書には出ていなかった。
 いずれにせよ、prothetic v を売り物にする(していない)ベラルーシ語よりむしろソルブ語の方がきれいに v  が現れている。

 ついでに隣のバルト語派のリトアニア語は以下の通りだ。 さすがバルト語派。スラブ語派と形が近いが基本的に prothetic v  は現れない。

上下ソルブ語と同様「秋」が別単語だが、ソルブ語と違って「冬に向かう季節」でもない。「冬」はリトアニア語で žiema、スラブ諸語とそっくりだ。リトアニア語の「秋」ruduo はrùdas、「茶色」から来ているそうだ。
Tabelle4-37
 ちょっとネイティブ・スピーカーに聞いてみたら、「髭」には他に barzda という borda 系の言葉もあるらしい。ちなみに「火」というリトアニア語ugnis は、oganj(クロアチア語)、wogeń(下ソルブ語)、ogień(ポーランド語)、 огонь (ogon’)(ロシア語)などとともに、ラテン語の ignis と同源だ。「8」の aštuoni という形は t が入っているのでスラブ語派とは関係ないだろうと思うと、実は両者ともにしっかり同語源、印欧祖語の oḱtṓw から来ている。ラテン語の octō を見てもわかる通り、本来は t があったのだ。それを抜いてしまったスラブ諸語のほうがむしろ文字通り抜けているのである。
 こうして見てみるとリトアニア語も非常に面白そうな言語だが、この言語はアクセント体系が地獄的に難しいと聞いたので今生ではパスすることにして、次回生まれ変わった時にでも勉強しようと思う。


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 もう何年か前の夏、今ほどテロの危険が差し迫っておらずEUが比較的牧歌的だったときのことだ。うちの真ん前で爆弾騒ぎが起こったことがある。地元の新聞にもしっかり載った。
 私がちょっと散歩に出て帰ってきてみたら道にロープが張られていて通行止めになっていたため、住んでいるアパートの入り口まで行くことができない。しかも警官がワンサといる。通ろうとするとお巡りさんにストップをかけられた。「すいません、私ここに住んでいるものでちょっと通してください」といって通してもらい、家に入ったはいいが、しばらくするとアパートの玄関先からお巡りさんが「ここの住民の方、速やかに避難してしてください」とメガフォンで告げるではないか。
 うちのすぐ向かいの建物の前で「不審物」(つまり爆弾の疑いがある、ということだ)が見つかり、周辺の住民は皆避難させているとのことだった。爆弾処理の専門家をわざわざシュツットガルトから呼ばねばならないので彼らがここに到着するまで何時間もかかるから、その間住民は外に「避難」させられたわけだ。うちのアパートばかりでなく、通りの住民は全員そとに出させられた。
 しかしまあ、私が帰って来たとき、荷物を調べられたりしなくてよかった。実は近所の土産物屋というか贈答品屋というか、きれいな花瓶や絵葉書などちょっとしたプレゼントを売っている店で子供がよく風呂に浮かべて遊ぶような小さな黄色いゴムのアヒルを買ってきていたのだ。もちろん自分用にだ。パソコンの脇に置こうと思ったのである。こんなもんをいい大人がビニール袋に入れてぶら下げているのを見つかるほうが爆弾を隠し持っているのよりよっぽど怪しいのではなかろうか。

 で、皆ゾロゾロ前の通りに出たのだが、以下は避難させられている間、アパートの住民間で無責任に交わされていた会話である。

「なんではるばるシュツットガルトなんかから処理班呼ばなきゃいけないんだ?ここにはアメリカ軍の基地があるんだからそいつらの方が得意だろうに。彼らに頼めばいいじゃんかよ」

「爆弾ってわざわざ避難する程の規模なんですかね? ヒロシマ爆弾じゃあるまいし。こうやって外に出てたりしたら破片とか飛んでくるだろうし、家の中に居た方がよっぽど安全と違いますか?」

「これがロシアだったらさ、住民の安全もクソもなくさっさと不審物にバズーカ発砲して『処理』していたところだな」

「もし爆弾が破裂しても崩壊するとしたら向こう側の建物で、私たちんとこは大丈夫だろう。 あっちでまあ良かったわ」

 もっともこういうことでもないと同じアパートの住人ともあまり顔合わす機会がないのも事実だ。そのうち「そういや○○さんは出てきませんね」とかいう方向に話が進み、ほとんど町内会の様相を呈して来た。 エンタテインメントか?
 さらにここは市電の走る一応大通りなのでひっきりなしに通行人が通り、通行止めになってしかも警官がウヨウヨしているのを見て「どうしたんですか?」と聞いてくる。そういう質問に対応するのが住民の仕事と化してしまった。ほとんどスポークスマンだ。
 中には私が「不審物が見つかったそうで爆弾かも知れないそうですよ」と説明すると「爆弾?この暑いのにナニを馬鹿な」とか意味不明なことをいって笑い出す人までいた。笑っている場合か。私のせいじゃないんだからこちらを嘲らないでほしい。

 結局(思っていた通り)「不審物」は爆弾などではなく、晩の8時ごろ町内会は解散となった。そのブツがせめて花火かなんかで「プスン」とか何とか音でも立ててくれればまだスリルがあったのだが、何事もなくて、まあ良かったというべきか、つまらなかったというべきか。
 しかし住民の誰一人として真面目に避難している者がいなかった。事故が起こると「事前に察知できなかった」とか「注意喚起が足りなかった」といって、後から警察だろ内務省を責める人がいるが、当事者の住民がこれでは絶対人のことなど言えない。警察のほうが一生懸命避難を呼びかけているのに当の住民が「この暑いのに何を馬鹿な」と鼻であしらっていて爆死した場合、非は警察にはない。

 しかし不真面目なのは爆弾騒ぎの時ばかりではない。

 実は私はノーベル賞を貰っている。嘘ではない。2012年のノーベル平和賞はEU市民に授与されたが、私はまさにそのEU国籍だ。授賞式には出させてもらえなかったのが残念だ。
 が、その肝心の受賞者、つまりEU市民が受賞の話を聞いて「第二次大戦以来、もう戦争はすまいと堅く心に誓って歯を食いしばって戦後処理をし、犬猿の仲だったフランスとの関係をここまで良好にしたドイツの努力がやっと認められた」とジーンとくるかと思いきや、聞いたドイツ人の第一声は「で、金は誰が受け取るんだ? シュルツか?」。シュルツとはドイツ人の政治家でEU議会の議長マルティン・シュルツ氏のことである。当時務めていた大学でも巡回メールが来て、「賞金は一人当たりだいたい0.2セントくらい」。そう、賞金をEU市民五億人で山分けするから一人当たりの取り分は雀の涙を通り越して限りなくゼロに近いのだ。それにしても皆お金のことしか考えていない。EU内にもこの「EUに平和賞」に批判の声が上がっていたが、むべなるかな。こんなに不真面目な市民にノーベル賞など与えてよかったのか?
 
 しかし一方私は今までいわゆる「賞」の類とは全く無縁のヘタレ・底辺人生を送ってきた。「賞」といえるものをとったのは小学校の時通わされていた四谷大塚進学教室とやらの模擬試験で一度理科の満点賞をとったのと、大学を卒業して働いていたとき社内のボーリング大会でブービー賞を貰ったのとの2度だけである。だから一度くらいはまた何らかの賞が取れて嬉しいとは思う。この際理由はなんでもいい、くれるものは貰う。国籍をこっちに移しておいてよかった。日本人のままでいたら私なんて絶対ノーベル賞なんかとは一生無縁のまま死んでいただろう。私の知り合いにやっぱりドイツ国籍を取った日本人がいるが、取得が数ヶ月遅かったので平和賞授与時点ではまだ日本国籍だったため賞は逃した。またクロアチア人の知り合いも、クロアチアのEU参入がノーベル賞の後だったのでやっぱり賞には間に合わなかった。ノーベル平和賞は早いもの勝ちである。
 しかし「これで履歴書の「資格・特技」の欄に「ノーベル平和賞」と記入できる!」と思いきや、考えたらこちら回り中ノーベル賞受賞者だらけだから全くインパクトがない。あまり得にもなっていないのが悔しいところだ。

下の写真は町の新聞Mannheimer Morgen紙が当時そのウェブサイトで提供していたものである。石作りの私たちのアパートは写っているが、私は幸い写っていない。
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 しばらく前に何かのドキュメンタリー番組でドイツのお巡りさんが一人紹介されていた。このお巡りさんは子供の頃両親に連れられてペルーから移住してきたので、ドイツ語とスペイン語のバイリンガルだそうだ。
 ある晩、同僚と二人組みでフランクフルトの中央駅周辺をパトロールしていたら、不案内そうな外国人が(たどたどしい)ドイツ語で道を尋ねて来た。そのお巡りさんは即座にそのドイツ語がスペイン語訛であることを見抜いてすぐスペイン語に切り替え、

「お客さん(違)、ひょっとしてスペイン語話すんじゃないですか?」

突然ドイツのお巡りさんから母語でそう話しかけられた時のその外国人の嬉しそうな顔といったら!
 その後の会話はスペイン語だったのでTVではドイツ語字幕が入った。

「そそそ、そうですよ。お巡りさん、スペイン語話すんですか?」
「話すも何も、母語ですよ。私はもともとペルーの出でね。そちらは?」
「えーっ、ラテンアメリカなの?! 私エクアドルですよー」
「えーっ、じゃあ、隣りじゃないですか」

ここで二人はポンポン肩を叩き合う。

「すごいなあ、ペルーから来てドイツ人になって公職に付く事なんて出来るんですか。」
「んなものは、出来ますよ、普通にやってれば。ところでここら辺は危ないし、道違うから早くあっちに行った方がいいですよ。」

その外国人が後ろを振り返り振り返り向こうに行ってしまうと、お巡りさんは隣の同僚と普通にドイツ語で話始めた。スペイン出身だとか親がスペイン人だからドイツ語とのバイリンガル、という人は時々見かけるが、ペルーからの移民というのはたしかにちょっと珍しい。

 そういえば、姉が中国現代文学の翻訳をしているのだが、その姉が以前送ってくれた雑誌に載っていた中国の短編の一つがこういう話だった: 中国吉林省出身の若者、つまり朝鮮民族の中国人が韓国に出稼ぎに来て休日に「とても気さくで親切な」老人と会い、話がはずんだ。老人の韓国語にどうも訛があるな、と思ったら韓国に住んでいる日本人だった。老人の方も老人の方で、この人の韓国語はどうも韓国の韓国人と違うな、と思っていたら中国出身だった。

 こういうちょっとした話が私は好きだ。

 ところで、「バイリンガル」という言葉をやたらと安直に使う人がいるが、実は何をもってバイリンガルと定義するか、というのは結構むずかしいのだ。「母語が二つある人」、つまり両方の言語を言語獲得年齢期にものにした人、と把握されることが多いが、大抵どちらかの言語が優勢で、完全にバランスの取れたバイリンガルというのはむしろ稀だ。たとえ子供のころにある言語を第一言語として獲得してもその後失ってしまった場合、その人はバイリンガルなのかモノリンガルなのか。いずれにせよ、単に「二言語話せる」程度の人などとてもバイリンガルではない。「俺は学校で英語を習ってしゃべれるからバイリンガル」と言っていた人がいるが、どんなにペラペラでも母語が固まってから学校などで習った言語は母語ではないからこの人は立派なモノリンガルなのではないか。
 私は簡単に「バイリンガル」という言葉を使われると強烈な違和感を感じるのだが、これは私だけの感覚ではない。知り合いにも生涯の半分(以上)を外国で過ごし、日常生活をすべて非日本語で送り、お子さんたちとも母語が違う人が結構いるが、その方たちも口を揃えて「私はバイリンガルとは程遠い」と言う。これが正常な言語感覚だと思うのだが。

 そもそも「何語が母語か」「何語を話すか」という問い自体が本当はすごく重いはずだ。例えばカタロニア語を母語とする人はスペイン語とのバイリンガルである場合がほとんどだが、「母語はスペイン語でなくあくまでカタロニア語」というアイデンティティを守りたがる人を見かける。以前もドイツのTV局の報道番組でバルセロナの人がインタビューされていたのだが、「スペイン語を使うくらいならドイツ語で話そう」といってレポーターに対して頑強にタドタドしいドイツ語で押し通していた。その人はスペイン語も母語なのにだ。
 かなり前の話になるが、私も大学のドイツ語クラスでバルセロナから来た学生といっしょになったことがあるが、この人は「どこから来たのか」という質問に唯の一度も「スペインです」とは答えず、常に「バルセロナです」と応答していた。「ああスペインですね」といわれると「いいえ、バルセロナです」と訂正さえしていたほどだ。
 さらに私が昔ロシア語を習った先生の一人がボルガ・ドイツ人で、ロシア語とドイツ語のバイリンガルだったが、「スターリン時代はドイツ語話者は徹底的に弾圧された。『一言でもドイツ語をしゃべってみろ、強制収容所に送ってやる』と脅された」と言っていた。スターリンなら本当にそういうことをやっていたのではないだろうか。
 つまり「バイリンガルであること」が命にかかわってくることだってあるのだ。

 言語というのは本来そのくらい重いものだと私は思っている。安易に「私は○○弁と共通語のバイリンガル」などとヘラヘラふざけている人を見ると正直ちょっと待てと思う。「方言」か「別言語」かは政治や民族のアイデンティティに関わってくる極めてデリケートな問題だからだ。逆にすぐ「○○語は××語の方言」という類のことをいいだすのも危険だ。
 これもまたカタロニア語がらみの話だが、あるとき授業中に「カタロニア語?スペイン語の方言じゃないんですか?」と堂々と言い放ったドイツ人の学生がいて、周り中に失笑が沸いた。ところが運悪く教室内にカタロニアから来た学生(上の人とは別の人である)がいたからたまらない。自分の誇り高い母語をノー天気な外部者に方言呼ばわりされたその人はものすごい顔をして発言者を睨みつけた。一瞬のことだったが、私は見てしまったのである。

 別に私はカタロニア語の回し者ではないが、やはり「スペイン語」という名称は不適当だと思っている。自分でも「スペイン語」という通称を使ってはいるが、これは本来「カスティーリャ語」というべきだろう。さらに、「カシューブ語はポーランド語の方言」、「アフリカーンス語はオランダ語の一変種」とかいわれると、全く自分とは関係がないことなのに腹が立つ。もちろん私如きにムカつかれても痛くも痒くもないだろうが、そういう人はいちどバルセロナの人に「カタロニア語はスペイン語の方言」、ベオグラードのど真ん中で「セルビア語はクロアチア語の方言」と大声で言ってみるといい。いいキモ試しになるのではないだろうか。


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