アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:トニーノ・ヴァレリ

 日本で映画のタイトルや何かちょっとしたフレーズなどで漢文や古文が盛んに引用されるのと同様、ヨーロッパではギリシア古典文学やラテン語からの引用が多い。特にイタリア人はさすがローマ人の直系の子孫だけあって、映画の中にもギリシア・ローマ古典から採ったモティーフをときどき見かける。
 たとえばマカロニウエスタンという映画ジャンルがあるだろう。ご存知イタリア製の(B級)西部劇のことだが、この名称は実は和製英語で、ヨーロッパでは「スパゲティウエスタン」という。何を隠そう、私の最も好きな映画ジャンルなのだが、そのマカロニウエスタンにもギリシア古典が顔を出すからあなどれない。

 まず、ジュリアーノ・ジェンマ主演の『続・荒野の一ドル銀貨』(この意味不明な邦題は何なんだ?原題はIl ritorno di Ringo「リンゴーの帰還」)という映画は、ギリシア古典のホメロス『オデュッセイア』の最後の部分をそのままストーリーにしている。
 『オデュッセイア』では戦争に出かけて長い間故郷を離れていた主人公オデュッセウスがやっと家に帰ってみると、妻ぺネロペーが他の男性たちに言い寄られて断るに断れず、窮地に陥っている。オデュッセウスは最終的に求婚者を全員殺して自分の家と領地と妻を取り戻す、という展開だ。映画では南北戦争帰還兵リンゴーがこれをやる。

長い戦いの後、やっと故郷に帰ってきたオデュッセウスならぬリンゴー。さすが10年以上も前にたった2ユーロ(300円)で買ったDVDだけあって画質が悪い。
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 またオデュッセウスはそこで、もともと自分のものなのに今では外から来たならず者に占拠されている屋敷に侵入する際、自分だとバレて敵に見つからないように最初乞食姿に身をやつすのだが、この展開も映画の中にちゃんと取り入れられている。さらに、『オデュッセイア』では女神アテネが何かとオデュッセウスの復讐を助けるが、このアテネに該当する人物が映画の中にも現われる。ストーリーにはあまり関係なさそうなのに、なぜか画面にチョロチョロ登場する、スペイン女優ニエヴェス・ナヴァロ扮するジプシー女性がそれだ。

 次に『ミスター・ノーボディ』という映画があるが、これの原題がIl mio nome é Nessuno、英語にするとMy name is Nobodyだ。これは明らかに、オデュッセウスがギリシアへの旅の途中で、巨人キュクロープスから「お前の名前は何だ!?」と聞かれ、「私の名前はNobody」と嘘をついた、というエピソードからとられたのだろう。以下がその箇所、『オデュッセイア』第9編の366行と367行目である(アクセントや帯気性を表す補助記号は省いてある)。オデュッセウスが機転を利かせてこう名乗ったためキュプロークスはそのあとオデュッセウスに目を潰されても助けを呼ぶことができなかった。

 366:Ουτις εμοι γ'ονομα.Ουτιν δε με κικλησκουσι
 367:μητηρ ηδε πατηρ ηδ'αλλοι παντες εταιροι.

 366:Nobodyが私の名だ。それで私の事をいつもNobodyと呼んでいた、
 367:母も父も、その他の私の同胞も皆。


 実際、ここに注目するとこの映画の製作者のメッセージが何なのかよくわかるのだ。

 この映画には主人公が二人いて、やや年配のガンマンと若者ガンマンなのだが、年取った方は長い間アメリカの西部を放浪した後やがてヨーロッパに帰っていく。もうひとりの若い方、つまりNobody氏はそのまま西部を放浪し続けることになる。つまり、彼は故郷ギリシアに戻れず、未開人・百鬼夜行の世界を永遠に放浪するハメになる「帰還に失敗した、もう一人のオデュッセウス」なのではないか。そういえば映画の冒頭部で、ヘンリー・フォンダ演ずる年配の方が、川で漁をしている若い方(テレンス・ヒル)と遭遇するシーンがあるが、ヒルを馬上から見下ろすフォンダの優しいと同時に距離をおいたような同情的な目つき、自分の舐めてきた苦労を振り返ってやれやれこういうことは今や全て過去のことになっていて良かった、彼はああいうことをこれから経験するのかと考えをめぐらしているような深い目つきと、自分の若さと才気が誇らしそうなヒルの表情の対象が印象的だった。

馬上からテレンス・ヒルを見下ろすヘンリーフォンダ
nobody2

老オデュッセウスは感慨に満ちた目で若いオデュッセウスを見つめるが
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若者はただ自分の「業績」を誇らしげに見せるだけ。
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 その若いオデュッセウスがさまよい続ける土地がアメリカ、というところに「アメリカ・アングロサクソンなんてヨーロッパ大陸部と比べたら所詮新興民族、文化的・歴史的には蛮族」というイタリア人のやや屈折した優越感が込められている、と私には感じられるのだが。その証拠に、というと大袈裟だが、ヨーロッパに帰って行ったほうの老ガンマンはフランス系の苗字だった。
 この映画がコミカル・パロディ路線を基調にしているにも拘らずなんとなくメランコリックな感じがするのは、故郷を忘れてしまったオデュッセウスのもの悲しい歌声が聞こえてくるからだ、と私は思っている。
  『ミスター・ノーボディ』などという邦題をつけてしまったら端折りすぎてそういう微妙なニュアンスが伝わらない。まあ所詮マカロニウエスタンだからこれで十分といえば十分なのだが。
 
 さてこの『ミスター・ノーボディ』の監督はトニーノ・ヴァレリという人だが、ヴァレリ監督というと普通の映画ファンは、ジュリアーノ・ジェンマで撮った『怒りの荒野』の方を先に思い浮かべるだろう(「普通の映画ファン」はそもそもトニーノ・ヴァレリなどという名前は知らないんじゃないか?)。この原題はI giorni dell’ira(「怒りの日々」)。これも聖書の「ヨハネの黙示録」からとった題名であるのが明白。原語はラテン語でDies irae(「怒りの日」)で、たしかこういう名前の賛美歌があったと記憶している。しかしこのDies iraeというラテン語、イタリア語に直訳すれば本当はIl giorno dell’iraとgiorno(「日」)が単数形でなければならないはずなのに、映画のタイトルのほうはgiorni、「日々」と複数形になっている。これは主人公が今まで自分を蔑んできた人たちに復讐した際、何日か日をかけてジワジワ仕返しをしていったから、つまりたった一日で全員一括して罰を加えたのではなかったからか、それとも虐げられていた長い日々のほうをさして怒りの日々と表現しているのか。いずれにしても言葉に相当神経を使っているのがわかる。
 ただしこの映画の場合は引用はタイトルだけで、ストーリー自体の方は全体的に聖書とはあまり関係がない。もっとも聞くところによればマカロニウエスタンには聖書から採ったモティーフが散見されるそうだから、ストーリーも見る人が見れば聖書のモティーフを判別できるのかもしれないが、悲しいかな無宗教の私にはいくら目を凝らして見ても、どこが聖書なんだか全くわからない。私はこの、聖書を持ち出される時ほどはっきりと自分がヨーロッパ文化圏で仲間はずれなのを実感させられる時はない。

 もうひとつ。Requiescantというタイトルのこれもマカロニウエスタンがある。邦題は『殺して祈れ』とB級感爆発。あの有名な『ソドムの市』を監督したP.P.パゾリーニがここでは監督ではなく俳優として出演しているのが面白い。
 このRequiescantとはラテン語で、requiēscōという動詞(能動態不定形はrequiescere)の接続法現在3人称複数形。希求用法で、「彼らが安らかに眠りますように」という意味だ。Requiem「レクイエム」という言葉はこの動詞の分詞形だ。
 ドイツ語のタイトルではこれを動詞の倒置による接続法表現を使ってきちんと直訳し、Mögen sie in Frieden ruh’nとなっている。「彼らが安らかであらんことを(安らかに眠らんことを)」だ。英語のタイトルはストレートにKill and Pray。上品なラテン語接続法は跡形もない。だから蛮族だと言われるんだ。上に挙げた日本語のB級タイトルもラテン語を調べる手間を省いて横着にも英語から垂れ流したことがバレバレ。同罪だ。


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 映画の脚本は絵で言うデッサン、建築で言う設計図のようなもので、普通はこれに合わせて配役が決められるのだろうが、時々逆に俳優に合わせて脚本が練られることがある。
 有名なのは『殺しが静かにやって来る』で、主役と決めたジャン・ルイ・トランティニャンが英語ができなかったため、唖という設定でセリフなしになった。もっとも「主役が言葉ができないから唖ということにする」という発想そのものは元々マルチェロ・マストロヤンニが言いだしっぺと聞いた。マストロヤンニがドゥッチョ・テッサリだかミケーレ・ルーポだかに「俺は英語ができないから唖ということにして西部劇の主役にしてくれないか」と話を持ちかけたのだそうだ。そのアイデアがどうしてトランティニャンとセルジオ・コルブッチに回ってきたのかわからないが、さすがマカロニウエスタン、ご都合主義の典型だ。
 コルブッチはこのご都合主義をさらに拡大させて、「なぜ主人公が唖になったのか」という設定にほとんど超自然的な理由をくっつけて論理的に破綻スレスレの脚本にしている。

「主人公は両親を無法者の賞金稼ぎたちに殺されたが、その際「顔を見られた」犯人達が、殺しの目撃者であるこの少年が将来証言することができないように声帯を切り取ってしまった。口封じである。」

 なんだこの無理のありすぎる設定は。第一に口封じしたかったら普通目撃者を殺すだろう。いくら口を利けなくしたって生かしておいて筆談でもされたら一巻の終わりではないか。第二に喉にナイフ入れられたら普通死ぬだろう。声帯は切り取るが死にはしない程度に正確に喉笛を切れるほどの技術があったら、賞金稼ぎなんてやっていないで外科医にでもなったほうが安定した人生が送れるというものだ。
 こんな無理のありすぎる理由をデッチ上げなくても「主人公は生まれたときから口がきけなかったが、そのおかげで両親が殺されるのを目撃した時も叫んだり声をあげたりすることができず、犯人に発見されずに生き残った」、これで十分だと思うのだが。
 その上そこまで無理矢理考え出した「口の利けない主人公」を監督・脚本のコルブッチは映画の中でおちょくっている。ちょっとこの映画を思い出して欲しい。主役のトランティニャンが雪の中で射撃練習に励むシーンがあるが、その音を聞きつけてフランク・ヴォルフ演ずる保安官が駆けつける。そしてトランティニャンに職務質問するが何を聞いても答えない。「そうやって頑強に黙っているつもりなら公務執行妨害で逮捕するぞ」とトランティニャンの襟首を摑んで脅すとヴォネッタ・マッギー演ずる寡婦が横から口を入れる。「保安官。彼は口が利けません。唖なんですよ」。そこでヴォルフ氏はトランティニャンになんと言ったか。「なんだ。それならそれで早く言ってくればよかったのに」。このセリフは完全にギャグである。私といっしょに見ていた者はここで全員ゲラゲラ笑った。

 この監督はいったい何を考えて映画を作っているのか、今ひとつわからない。

 もっともコルブッチばかりでなくセルジオ・レオーネにも「これは脚本のほうが後出しかな」と思える映画があった。『ウェスタン』だ。この映画は当時ヨーロッパで地獄のようにヒットした。レオーネ監督ばかりでなく、その前の『続・夕陽のガンマン』ですでにスター作曲家としての地位を確立していたエンニオ・モリコーネもこの主題曲で駄目押しと言ったらいいか「これでキマリ」といったらいいか、その名前を不動のものにした。『ウエスタン』のあのハーモニカのメロディは今でも四六時中TVなどから聞こえてくる。ギムナジウムの音楽の授業にこれを取り上げた例も知っている。演奏したのではなく、一つ一つは極めて単純なコンポネントを組み合わせて全体としては単なるコンポネントの総和以上の効果を上げている例、とかなんとかいう「話として」、つまり(もちろんギムナジウムのことだから初歩的・原始的なものであるが)音楽理論のテーマとして取り上げたそうだ。
 モリコーネ氏はちょっと前にシュツットガルトでコンサートを開いたが、そこのインタビューに答えて、あまりにあちこちでこの『ウエスタン』のメロディが流されるのでいいかげん聞き飽きているとボヤいたそうだ。作曲者自身が食傷するほど流されるメロディというのも珍しい。『続・夕陽のガンマン』のテーマ曲の方も有名で、以前やはりドイツの記者がインタビューしに出向く際、たまたま乗っていたタクシーの運転手にモリコーネと会うといったら運転手氏がやにわにそのテーマ曲をハミングし出したと記事に書いている。『続・夕陽のガンマン』はテーマ曲のほかにも最後のシーンで流れていたEcstasy of goldをメタリカがコンサートのオープニングに使っているのでこれも皆知っているだろう。映画ではソプラノで歌われていたあの美しい曲がどうやったらヘビメタになるのかと思ってメタリカのコンサート映像をちょっと覗いてみたことがあるが、ぴったりハマっていたので感心した。

 さてその『ウエスタン』だが、ここでクラウディア・カルディナーレ演ずる主人公がニュー・オーリーンズ出身という設定になっていた。どうしてそんな遠いところの地名を唐突に言い立てるのか一瞬あれ?と思ったが、これはひょっとしたらこの設定はカルディナーレに合わせたものではないだろうか。
 
 ニュー・オーリーンズが首都であるルイジアナ州は名前を見ても瞭然であるようにもともとフランス人の入植地で、日本人やアメリカ人が安直に「オーリーンズ」と発音している町は本来「オルレアン」というべきだ。今でもフランス語を使っている住民がいると聞いたが、西部開拓時代はこのフランス語地域がもっと広かったらしい。もしかしたらそのころは英語を話さない(話せない)フランス語住民も相当いたのではないだろうか。
 フランス語そのもののほかにフランス語系クレオール語も広く使われていたらしい。先日さるドキュメンタリー番組で、ルイジアナで最初の黒人と白人の結婚カップルとしてある老夫婦が紹介されていたが(奥さんの方が黒人)、いかに周りの偏見や揶揄と戦ってきたかを語っていく際、奥さんが「私の両親の母語はフランス語クレオールでした」と言っていた。アメリカの黒人にフランス語的な苗字や名前が目立つのも頷ける話だ。

18世紀のアメリカのフランス語地域。ルイジアナからケベックまでつながっている。(ウィキペディアから)
svg

現在(2011年ごろ)の状況。色のついている部分がフランス語(ケイジャンという特殊な方言も含めて)を話す住民がいる地域。ニューオーリーンズそのものはここでマークされていないところが興味深いといえば興味深い。(これもウィキペディア)
French_in_the_United_States

 クラウディア・カルディナーレはイタリア人だと思っている人が多いが、いや確かにイタリア人なのだが、実はチュニジア生まれで母語はフランス語とアラビア語だったそうだ。イタリア映画界に入ったときはロクにイタリア語がしゃべれなかったと聞いた。第一言語がアラビア語であるイタリア人の例は他にも時々耳にする。とにかくそのためかカルディナーレは確かにフランス映画に多く出演している。ジャック・ペランやアラン・ドロンなど、共演者もフランス人が多い。この人は語学が得意ですぐにその「しゃべれなかった」イタリア語も英語も覚えて国際女優にのし上がったが、もしかしたらその英語は聞く人が聞くとはっきりフランス語訛とわかったのかもしれない。それとの整合性をとるため、『ウェスタン』ではニュー・オーリーンズ出身ということにしたのではないか、と私は思っている。
 もし「ニューオーリーンズ出身」ということが最初から脚本にあり、映画の筋にも重要であればカルディナーレでなく本物の(?)フランス人女優を起用したはずである。ところがストーリー上この役は別にニューオーリーンズでなくとも、とにかく「どこか遠いところから来た女性」であれば十分であることに加え、レオーネ自身「他の俳優はアメリカ人にするにしても中心となるこの女性はイタリア人の女優にやらせたかった」と述べているから、「ニューオーリーンズ」はやはりカルディナーレのためにわざわざ考え出された設定と考えていいと思う。
 さらにひょっとすると、アメリカ人にとってもフランス語アクセントの英語はちょっと高級なヨーロッパの香りを漂わせていてむしろ歓迎だったのではないだろうか。カルディナーレのフランス語アクセントをむしろ強調したかったのかも知れない。そういえば『ウエスタン』のパロディ版ともいえるトニーノ・ヴァレリ監督の『ミスター・ノーボディ』では前者の主役俳優ヘンリー・フォンダを再び起用しているが、その役の苗字がボレガール(Beauregard)というフランス語の名前だった。


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 前回で西ドイツやヨーロッパの西部劇がマカロニウエスタンのベースになったことを述べたが、もう一つ先行となったジャンルがある。
 戦後のイタリア・ネオリアリズムの流れのあと、当地では「サンダル映画」といわれるギリシア・ローマ時代の史劇をモチーフにした映画が盛んに作られ、「ベン・ハー」や「クレオパトラ」などのアメリカ資本も流入していた。 後のマカロニウェスタンの監督もこのサンダル映画のノウハウで育っているのだ。 レオーネのクレジット第一作目を考えて欲しい。Il colosso di Rodi(『ロード島の要塞』)というサンダル映画である。ただしレオーネ自身は「あれは新婚旅行の費用稼ぎに作っただけ」なので「レオーネ作」とは言って欲しくないそうだ。黒歴史ということか。『続・荒野の一ドル銀貨』を撮ったドゥッチョ・テッサリなども本来サンダル映画が専門だからオデュッセイアがベースになったりしているのだし、その他にもタイトルなどにギリシア・ローマ神話から取ったな、と素人目にもわかるモチーフが登場することは『12.ミスター・ノーボディ』の項で書いたとおりである。

 つまり、マカロニウェスタンが誕生したのにはちゃんとした背景・先行者があって、何もないところからいきなり『荒野の用心棒』がポッと出てきたわけではないのだが、これはノーム・チョムスキーの生成文法も同じ事だ。
 まず生成文法はポール・ロワイヤル文法の発想を引き継いでいるが、さらにチョムスキーの恩師のゼリグ・ハリスを通じてアメリカ構造主義の考え方もしっかり流れ込んできており、生成文法をアメリカ構造主義へのアンチテーゼとばかり見るのは間違いだ、と言われているのを当時よく聞いた。大体彼のcompetence、performanceなどという用語はド・ソシュールのラングとパロールの焼き直しではないのか。その他にも生成文法の観念にはヨーロッパの言語学の観念を別の言い方に換えただけとしか思えないものがある。その一方で伝統的な言葉の観念が英語学内でゆがめられてしまった例もある。『51.無視された大発見』でもちょっと書いたが「能格」という言葉の使い方などそのいい例ではないだろうか。

 セルジオ・レオーネとノーム・チョムスキーを比較考察するというのもムチャクチャ過ぎるかもしれないが、まあある意味ではこの両者は比較できる存在だとは思う。以下の文はJ.ライオンズによるチョムスキーの伝記の冒頭だ。

Chomsky's position is not only unique within linguistics at the present time, but is probably unprecedented in the whole history of the subject. His first book, published in 1957, short and relatively non-technical though it was, revolutionized the scientific study of language;

この文章の単語をちょっとだけ変えるとこうなる。

Leone's position is not only unique within italian westerns at the present time, but is probably unprecedented in the whole history of the subject. His first western, released in 1964, short and relatively non-technical though it was, revolutionized the style of westerns of the whole world;

こりゃレオーネそのものである。このフレーズをそのままレオーネの伝記の冒頭に使えそうだ。

 さて、もう一つマカロニウエスタンの発端になったのが黒澤明の『用心棒』であることはさすがに日本では知らない者はあるまいが、その黒澤の自伝に次のようなフレーズがある。

人間の心の奥底には、何が棲んでいるのだろう。
その後、私は、いろいろな人間を見て来た。
詐欺師、金の亡者、剽窃者…。
しかし、みんな、人間の顔をしているから困る。

実はここを読んでドキリとした。この「剽窃者」とはひょっとしたらレオーネのことではあるまいかと思えたからである。確かにああいう基本的なことをきちんとしなかったジョリィ・フィルムとレオーネは批判されても文句は言えまいが、いろいろなところから伝わってきた話によるとまあ向こうの事情もわかる感じなのである。前回も書いたようにもともと『荒野の用心棒』は残飯予算で作った映画だったのでレオーネもジョリィ・フィルムもまさかこんな映画が売れるとは思っていなかったらしい。出した予算の元が取れれば、いやそもそもA面映画Le pistole non discutonoのほうで元をとってくれればいいや的な気分で作ったので著作権などのウルサイ部分は頭になかったそうだ。後で黒澤・東宝映画から抗議の手紙が来たとき、レオーネはカン違いして「黒澤監督から手紙を貰った!」と喜んでしまったという話しさえきいたことがある。当然ではあるのだが、結局ジョリィ・フィルムは東宝映画にガッポリ収益金を持っていかれ、レオーネも『荒野の用心棒』は今までに作った映画の中でただ一つ、全く自分に収益をもたらさなかった作品、とボヤいたそうだ。そしてその際東宝映画は肝心の黒澤には渡すべき金額を渡さなかったという。
 もちろん映画制作のプロならばそういうところはきちんと把握しておくべきだろうし、私も特に自己調査して調べたわけでもなんでもなく、そこここで小耳に挟んだ話を総合して判断しただけなので無責任といえば無責任なのだが、どうもイタリア側をあまり責める気にはなれない。

 実はその他にも黒澤監督の自伝でレオーネと関連付けて読んでしまった部分がある。黒澤監督が師である山本嘉次郎監督を「最高の師だった」と回想するところである。

山さんこそ、最良の師であった。
それは、山さんの弟子(山さんは、この言葉をとてもいやがった)の作品が、山さんの作品に全く似ていないところに、一番よく出ている、と私は思う。
山さんは、その下についた助監督の個性を、決して矯めるような事はせず、それをのばす事にもっぱら意を用いたのである。

ここでも私はドキリとしたのである。どうしてもレオーネとトニーノ・ヴァレリの確執を思い出さないではいられなかったからだ。よく知られているようにヴァレリは最初レオーネの助監督として出発した人である。これは『怒りの荒野』(再び『12.ミスター・ノーボディ』の項参照)を見れば一目瞭然。画風がレオーネにそっくりだからだ。『怒りの荒野』の冒頭シーンを思い出して欲しい。アニメーション(と呼んでいいのか、あれ?)のタイトル画が終わり映画の画面に切り替わるところでカメラがグーッと下がっていくあたり。タイトル画が終わってもテーマ曲は終わらず曲の最後のほうが映画の最初の画面とダブっているところだ。リズ・オルトラーニの曲がまたキマリ過ぎていてたまらないが、この部分が『荒野の用心棒』にそっくりである。もちろん冒頭にアングルを徐々に下げるという手法は珍しくもなんともないし、このタイトル画から映画への移行の方法は他のマカロニウエスタンもやたらと真似しているから私の考えすぎかもしれないが、この映画を見ていると脳裏にレオーネがチラついて仕方がない。
 ヴァレリが撮ったマカロニウエスタンは全部で5作。『怒りの荒野』はその二作目である。私はまだヴァレリの最初の作品per il gusto di uccidere(『さすらいの一匹狼』)と4作目una ragione per vivere e una per morire(『ダーティ・セブン』)をみたことがないのだが、第3作目のil prezzo del potere(『怒りの用心棒』)は『怒りの荒野』と比べてみるとやや「レオーネ離れ」している、政治色・社会色の濃い静かな(もちろんマカロニウエスタンにしては静か、ということだが)作品である。ケネディ暗殺をモティーフにしたストーリーでそもそもマカロニウエスタンにするのには荷が重過ぎた内容だったためか、前作『怒りの荒野』ほどは興行的にヒットしなかったが、このジャンルの映画の作品にありがちなようにストーリーが破綻していない。音楽は『続・荒野の用心棒』のエレキギターで私たちをシビレさせ、『イル・ポスティーノ』でモリコーネより先にオスカー音楽賞を取ったルイス・エンリケス・バカロフだが、哀愁を帯びた美しい曲で私は『続・荒野の用心棒』よりこちらのメロディのほうが好きなくらいだ。
 しかしヴァレリはその後の『ミスター・ノーボディ』では逆戻りというか再びレオーネに飲み込まれてしまった。この映画は発案がレオーネだったので監督作業にもレオーネが相当介入・干渉したんだそうだ。そのためか絵でもスタイルでもやや統一を欠く。その点を批判する声もあるが、それがかえってある種の味になっているとしてこの映画をマカロニウエスタンのベスト作品の一つとする人もいる。とにかくこの映画がマカロニウエスタンの平均水準を越える作品であることは間違いない。
 弟子の作品が師とそっくりであること、そして弟子が自分のスタイルの映画をとろうとしたとき師がそれを妨害、と言って悪ければ積極的に後押ししてやらなかったことなど、レオーネのヴァレリに対する態度は黒澤明に対する山本嘉次郎と逆である。この『ミスター・ノーボディ』を最後にヴァレリはレオーネと袂を別ってしまった。
 
 しかし黒澤明のほうも山本嘉次郎に比べると自分自身は果たしていい師であったかどうかと自省している。指導者としての良し悪しとクリエーターやプレーヤーとしての良し悪しは必ずしも一致せず、指導が出来ないからと言って能力がないとは絶対にいえないことはスポーツ界でもそうだし、文人の世界でもいえることだろう。もっとも数の上で一番多いのは「そのどちらもできない」という私のような凡人大衆だろうが。


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 マカロニウエスタンのベスト監督は3人のセルジオ、レオーネ、コルブッチ、ソリーマとトニーノ・ヴァレリだと言っても猛反対はされないだろう。「猛」と注を入れたのはバルボーニを入れろという人がちょっと反対するかもしれないと思ったからである。ヴァレリの『ミスター・ノーボディ』については前にもふれたが、他の作品にはあまり言及していなかったので、この機会(どの機会よ)にちょっとまとめてみたい。

 『ミスター・ノーボディ』はレオーネが制作を担当したし、『ウエスタン』のパロディだということもあってヴァレリの作品の中ではジャンルファン外でも有名、「これ以降は記すべきジャンル作品が出ていない」という意味で「最後のマカロニウエスタン」と名付けられているほどだ。当然「ベストマカロニウエスタン」のリストなどには入らないことがないが、もう一つ必ずと言ってベストリストに顔を出すのが『怒りの荒野』である。その生まれのために町中の人から軽蔑されていたジュリアーノ・ジェンマ演ずるスコットという若者がリー・ヴァン・クリーフの中年ガンマンに憧れて修業し、いっぱしの早撃ちに成長していく(もっとも最後にはその師匠と対決する)話だが、そこでリー・ヴァン・クリーフがジェンマに訓示する「ガンマン十か条」とやらを全部暗記している人が私の周りには何人もいた。そんなものを覚えてどうするんだ、絶対共通一次試験(今は「センター入試」とかいうそうですが)には出ないぞ。まあこの映画はそれほど人気があるということだ。人気の理由の一つは何といってもキャストがドンピシャリにキマっていたことだろう。ドスの効いたリー・ヴァン・クリーフとソフトではあるが軟弱ではない若者ジェンマのコンビが絶妙。他の俳優だったらどんなに名優でもこの味は出まい。この二人を見ていれば誰でもつい十か条を暗記したくなってくるほどのキマリぶりである。もう一つがリズ・オルトラーニのクソかっこいいスコア。一足先に『世界残酷物語』ですでに世界的な名声を得ていたオルトラーニはモリコーネとはまた違った独自のスタイルを押し出している。実に堂々としたスコアで私も大好きだ。実は私は子供のころオルトラーニは名前がエリザベスというのかと思っていたが、この「リズ」は Riz で、イタリア語の立派な男性名リジェーロ Riziero の略である。

マカロニウエスタンはやはりこの面構えでないといけない(下記クレイグ・ヒルと比較せよ)。
DayofAnger1
 この2作ですでに文句なしのベスト監督入りだが、ヴァレリは他にも3作、合計で5本西部劇を撮っている。映画監督としてのキャリアは『夕陽のガンマン』でレオーネのアシスタントを務めたことで開始した。そこら辺の事情を本人がさるインタビューで語っている。ヴァレリはもともとジョリー・フィルムで、映画製作後の管理、吹き替えなどの後処理を監督と言うか監視していた。レオーネが本来別の映画のためだった余剰の予算で(『69.ピエール・ブリース追悼』『130.サルタナがやって来た』参照)『荒野の用心棒』を撮っている時もスペインからの報告は逐一真っ先にヴァレリのところへきたそうだ。「レオーネが何か凄い映画を撮ってるぞ」とすぐ見抜いたのに周りの者には無視された。それが大ヒットして吹き替えやら宣伝やらでてんやわんやの騒ぎになったが、それでレオーネとさらに近づきにもなり、向こうが『夕陽のガンマン』のアシスタントをやってみないかと持ちかけて来たそうだ。「喜んで引き受けました」。
 その後さる制作担当者が「ちょっと西部劇を作りたいのだが、ヴァレリはどうだろう、西部劇を撮れる力があると思うか」とレオーネに打診して来た。そこでレオーネが「問題ない、彼にはできる」と答えたので廻って来た仕事が、ヴァレリの監督デビュー作『さすらいの一匹狼』Per il gusto di uccidereである。英語のタイトルは Taste of Killing または Lanky Fellow、ドイツ語のタイトルは Lanky Fellow – Der einsame Rächer(「ひとりぼっちの復讐者」)。これが成功して次の『怒りの荒野』に続く。
 私が『さすらいの一匹狼』を見たのは最近だが、テーマ曲がよくマカトラ選集に入っていて耳にすることが多い結構有名な作品である。なるほどおもしろかった。主役はアメリカ人のクレイグ・ヒルだが、本来この人ではなくロバート・ブレイクにオファーがいっていたそうだ。それでブレークはローマにやってきたはいいが、完全にラリっており、さっそくホテルからブレークが薬をやり過ぎてぶっ倒れたから引き取りに来てくれとヴァレリに連絡が来た。そしてそのまま入院とあいなった。主役がいなくなってしまい、困っていたらヴァレリの友人が Whirlybirds というTVシリーズに出ていた知り合いの俳優が今ちょうどローマにいるといって紹介してくれた。会ってみたら想定していた主人公より少し年がいっていた。でもいい俳優だし好人物でもあったのでこの人にしたそうだ。撮影が終わってしまってから今度はブレークのほうからクランクインはいつか聞いてきた。クランクインどころかもうその映画は別の主役で撮影終了していると知ってブレークは泣き出した。ヴァレリは対応に困って「私は君で撮ろうとしていた。オジャンにしたのはそっちじゃないか」と慰めた(慰めてんのかこれ?)そうだ。
 『さすらいの一匹狼』の主人公は定番の賞金稼ぎで、賞金より弟の敵討ちを狙って獲物(?)を追う。ひょっとしたら『夕陽のガンマン』のリー・ヴァン・クリーフがヴァレリの頭にあったのかもしれない。こちらも妹の敵討ちが目的で賞金は最後に皆イーストウッドに譲る。もっともこの主人公は「金はいくらあっても困るもんじゃない」というセリフとは裏腹にそもそもの始めからどうもあまり金にガッツいている感じがしない。マカロニウエスタンにしてはちょっと端正というか上品すぎる気がする。書類を示されて「賞金の額しか読めないからこんなもの出されてもわからん」というシーンもあるが、そこまで学のない人とは思えない。後にテレンス・ヒルが別の映画で同じようなことを言い出したときは本当に「銃を撃つしか能がない無学もの」の雰囲気が漂ったものだがクレイグだとあまり噛み合っていない印象。しかし一方いわゆる「マカロニ面(づら)」ばかり見ていても胸やけがしてくるので私はこのキャラ設定はむしろ好きだ。そういえばこの映画にはマカロニウエスタンによくあるというか不可欠というか、ヒーローが拷問されるシーンがない。『さすらいの一匹狼』はこの人にとって二本目のマカロニウエスタンだったが(だから当時ローマにいたのだろう)この後も何本ものマカロニウエスタンに出演している。そのうちの一本、Lo voglio morto (1968、パオロ・ビアンキ―ニ Paolo Bianchini 監督)では定式通り薄汚い格好で出て来てきちんと拷問されて血だらけになるがむしろワンパターンでおもしろくなかった。Lo voglio morto のドイツ語タイトルは Django, ich will ihn tot「ジャンゴ、こいつを死なせてやりたい」だが、これもドイツ特有のジャンゴ化現象で、主人公の名は本来クレイトンである。
 クレイグ・ヒルは前述のように出身はアメリカだが、カタロニアに根を下ろしてそこで亡くなっている。ちょっと調べてみたらなんと『イヴの全て』に端役で登場していたので驚いた。

『さすらいの一匹狼』のオープニング。まさにさすらいの一匹狼という言葉がぴったり。珍しくまともな邦題だ。
LankyFellow1
LankyFellow3
主役クレイグ・ヒル。このキャラはマカロニウエスタンには上品すぎか。
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 『さすらいの一匹狼』の出来が良かったので上述の『怒りの荒野』を任され、それがまた大成功して一躍有名になった後再びジュリアーノ・ジェンマで撮ったのが Il prezzo del potere (『復讐のダラス』あるいは『怒りの用心棒』、ドイツ語タイトルは Blutiges Blei「血まみれの鉛」という悪趣味なもの)だ。舞台は南北戦争直後という設定だが、プロットはジョン・F・ケネディの暗殺事件をもとにしている。興行成績は『怒りの荒野』ほどはよくなかった。日本でも劇場では未公開である。ケネディ暗殺からさほど経っていない時期にこの大事件をマカロニウエスタンというジャンルの中で扱うのは荷が重過ぎたのかもしれない。反対派の声も聞いて政治統一を重視する大統領を頑強に認めず、何がなんでも消そうとする(当然人種差別も凄い)極右テロリストとジェンマを始めとするいわば中道右派・中道左派との戦いだが、黒人をリンチする南部の極右の醜さを外国人に映画化されたらアメリカ人もあまりいい気がしなかろう。それに忖度して日本では劇場公開しなかったとか…。丁寧に作られた映画の割には興行的に伸びなかったのはその辺に原因があるのかもしれない。もう一つ難を言えばジュリアーノ・ジェンマがモラルの点でも早撃ちの点でもあまりにもヒーローすぎて、陰影という点で『怒りの荒野』には劣るということか。
 でもルイス・バカロフのスコアはすごくいい、哀愁を帯びたそのメロディは私は『続・荒野の用心棒』より好きなくらいだ。『群盗荒野を裂く』Quién sabe? もバカロフのスコアだが、『続・荒野の用心棒』のをそのまま使ってしまっている。もちろんまさかあのロッキー・ロバーツの主題メロディが流れたりはしなかったが、副スコアというかメキシコ軍が走るシーンで同じメロディが流れていたのでのけぞった。こういうのってアリなんだろうかと思うが、Il prezzo del potere ではそんなことはなく、全部新品だった。そのついでに思い出したが、下で述べる『ダーティ・セブン』 Una ragione per vivere e una per morire で、オルトラーニ氏までが自作の『怒りの荒野』をリサイクルというかリユーズしている。
 またこれはヴァレリばかりでなくマカロニウエスタン全般に言えることだが、この作品にもアントニオ・カサス始めスペインの有名俳優が何人も出演している。「松葉杖銃」のニックを演じたのもマヌエル・サルソ Manuel Zarzo というスペイン人だ。『怒りの荒野』のヴァルター・リラやそもそも『荒野の用心棒』のジークハルト・ルップなども、アメリカ人が知らないだけでヨーロッパ本国では知られた顔だ(『98.この人を見よ』参照)。

Il prezzo del potere  でのスペインの名優アントニオ・カサス。マカロニウエスタンでも頻繁に見かける顔だ。
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松葉杖が実は銃。スペイン人のマヌエル・サルソManuel Zarzo。
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 Il prezzo del potere の次のUna ragione per vivere e una per morire(『ダーティ・セブン』、ドイツ語タイトルは Sie verkaufen den Tod「死を売っている」または「死の商人」。なんなんだこれは?)でも南北戦争をモティーフにしている。実は私はこれを見たことを忘れ、まだ見ていないつもりでこの記事を書くに当たって観賞しておこうと思って開けてみたらすでに知った映画だった。
 ジェームス・コバーンの演じる(元)北軍将校は戦わずして砦を南軍に明け渡して以来弱虫・裏切者扱いされているが、その砦を奪い返す使命、セカンド・チャンスを与えられ7人の死刑囚を工作要員にやとって件の砦に向かう。「もし生き残ったら恩赦、死んでもそれは名誉ある死」というエサで釣るのである。その死刑囚の一人がバッド・スペンサーで、最後にはこの人とコバーンだけが生き残る。激戦の上砦は奪い返し、コバーンは名誉挽回するのだが、それができるほど勇敢で有能ならばそもそもなぜ氏は前回あっさりと敵に砦を明け渡したのか。実は南軍側が氏の息子を誘拐して脅迫したからである。コバーンが明け渡したのにも関わらず、結局息子は殺された。この南軍の将校を演じるのがテリー・サバラスで、ラストに武器を放棄して投降するが、息子のことがあるからコバーンはサーベルで刺し殺す。今でいえばジュネーヴ条約違反である。
 『特攻大作戦』The Dirty Dozen という戦争映画と似たようなモティーフで、ヴァレリ自身も上述のインタビューでその作品が頭にあったと認めている。ヴァレリはさらにそこでコバーンはスター意識が強く非常に扱いにくかったと言っている。とにかく頻繁に悶着を起こしたそうだ。サバラスとスペンサーは全く問題がなく楽に仕事ができた。後の『ミスター・ノーボディ』で使ったヘンリー・フォンダはこの時68歳でヴァレリよりずっと年上、「普通年配の俳優は扱いにくいものだが、フォンダは違った。本当にすんなりいった」そうだ。またリー・ヴァン・クリーフについては、例えばジュリオ・ペトローニなどによれば気難しかった、ジェンマも「普段は好人物だが酒が入ると急に人が変わった」と言っているが、ヴァレリは「その前の『夕陽のガンマン』ですでに知っていたから、全く問題はなかった」そうだ。
 レオーネがコバーンとロッド・スタイガーで撮った『夕陽のギャングたち』Giù la testa はこの『ダーティ・セブン』より一年ほど早く作られているが、レオーネは後にスタイガーはやはりスター意識のため最初自分の指示に従わおうとしなかったので怒鳴りつけて大人しくさせたと語っている。コバーンとは上手くいったのかどうかは言っていなかったが、まあ黒澤明の言葉通り「監督業は猛獣使いのようなもの」なのかもしれない。
 なお、この映画もバッド・スペンサーが出てしまっているために(『79.カルロ・ペデルソーリのこと』『146.野獣暁に死すと殺しが静かにやって来る』『173.後出しコメディ』参照)ドイツではコメディに変更され、Der Dicke und das Warzenschwein「デブとイボイノシシ」という名のカットバージョンがでている。目を疑うタイトルだ。この名をつけた人の脳神経回路はどうなっているのか。

『ダーディ・セブン』のラストシーン。サバラスとコバーン。
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全く笑えるところなどない普通の役のバッド・スペンサー。
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 この映画を見てレオーネは自分がプロデュースした『ミスター・ノーボディ』の監督にヴァレリを据えた。「『ミスター・ノーボディ』は実はレオーネが撮ったのだ」という噂も時々巷に流れるが、そこら辺の事情をヴァレリが説明している:アメリカでの撮影が終わってスペインに帰ってきたとき、フォンダの衣装も入っている大事な荷物が一つ何日も遅れて届いた。その時点でフォンダは次の予定が迫っていて、間に合いそうになかったためレオーネと相談して、鉄道の線路際のフォンダの出るシーンをヴァレリ、テレンス・ヒルがダイナマイトを鞍のポケットにいれるシーンをレオーネと、分けて同時に撮ることにした。それだけだ。
 「監督が二人いて、一方が他方より有名だった場合、そっちがすべてやったように思われるのはいつものことですよ。レオーネも興行成績を上げるために意識して自分が大方監督したように話を持って行ったんだと思います。」とヴァレリは結論している。

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 1970年代に入るとマカロニウエスタンは完全に衰退期に入っていた。本来ジャンルのウリであった「残酷描写・復讐劇」ではやっていけなくなっていたのだ。そりゃそうだろう。キャラもストーリーもあれだけワンパターンな映画が1964年(『荒野の用心棒』が出た年)から5年以上もぶっ続けに大量生産されていったらさすがに飽きる。このマンネリ打開策には『173.後出しコメディ』でも書いたが3つほどパターンがあった。一つは残酷描写をさらに強化したサイコパス路線で観客をアッと言わせる作戦(本当の意味では「打開」と言えないが)。2つ目が真面目な社会派路線で、メキシコ革命などをモチーフにした。最後がコメディ路線で本体の暴力描写を放棄するやり方である。最初の二つはすでに最盛期にその萌芽が見える。フルチなど後にジャッロに進む監督が早い時期にすでにマカロニウエスタンを撮っているし、ソリーマなど第一作からすでにメキシコ革命は主題だ。ヴァレリもケネディ暗殺という政治的なテーマを扱っている。またそもそもレオーネやコルブッチでクラウス・キンスキーの演じたキャラはサイコパス以外の何物でもない。
 これらに対して喜劇路線は出現がやや遅く、やっとジャンルが本来の姿、血まみれ暴力路線で存続するのが困難になってきた70年代に入ってからだ。代表的なのがエンツォ・バルボーニの「風来坊シリーズ」で、遠のきかけていた客足をジャンルに引っ張り込んだ。オースティン・フィッシャー Austin Fisher という人が挙げているマカロニウエスタンの収益リストがあって、100位まで作品名が載っているが、それによると最も稼いだマカロニウエスタンというのは用心棒でもガンマンでもなく風来坊である。ちょっと主だったものを見てみよう。タイトルはイタリア語原語でのっていたが邦題にした。邦題がどうしてもわからなかったもののみもとのイタリア語にしてある。またフィッシャーは監督名を載せていないのでここでは色分けした。赤がバルボーニ、青がレオーネ、緑がジュゼッペ・コリッツィ(下記)である。
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目を疑うような作品が15位に浮上しているのが驚きだが、とにかくバルボーニが次点のレオーネに大きく水をあけて一位になっているのがわかる。日本とは完全に「マカロニウエスタン作品の重点」が違っている感じだが、違っているのは日本の感覚からばかりではない。ヨーロッパでの現在の感覚からもやや乖離している。今のDVDの発売状況や知名度から推すと『続・荒野の用心棒』の収益順位がこんなに低いのは嘘だろ?!という感じ。また『殺しが静かにやって来る』が登場しないのも理解の埒外。だからこのリストが即ち人気映画のリストにはならないのだが、それでもバルボーニ映画がトップと言うのは結構ヨーロッパの生活感覚(?)にマッチしている。こちらではマカロニウエスタンと聞いて真っ先に思い浮かんでくるのはバッド・スペンサーとテレンス・ヒルで、イーストウッドなんかにはとても太刀打ちできない人気を誇っているのだ。いまだにTVで繰り返し放映され、家族単位で愛され、子供たちに真似されているのはジャンゴやポンチョよりスペンサーのドツキなのである。
 さる町の市営プールが「バッド・スペンサー・プール」と名付けられたことについては述べたが(『79.カルロ・ペデルソーリのこと』参照)、つい先日もスーパーマーケットでスペンサーをロゴに使ったソーセージを見つけた。二種類あって一つはベーコン&チーズ風味、もう一つはクラコフのハム味だそうだ。私は薄情にも買わなかったので味はわからないが、スペンサーの人気が衰えていないことに驚く。これに対し、例えば棺桶ロゴ、ポンチョロゴのポテトチップとかは見かけたことがない。

バッド・スペンサーマークのソーセージをどうぞ。https://www.budterence.de/bud-spencer-lebt-weiter-neue-rostbratwurst-und-krakauerから
bud-spencer-rostbratwurst

 この監督バルボーニについてはすでに何回もふれているが、ちょっとまとめの意味でもう一度見てみたい。

 既述のようにバルボーニはカメラマン出身だ。セルジオ・コルブッチがそもそもまだサンダル映画を作っていた頃からいっしょに仕事をしていて、『続・荒野の用心棒』ばかりでなくコルブッチが1963年、レオーネより先に撮った最初のマカロニウエスタン『グランド・キャニオンの虐殺』Massacro al Grande Canyon もバルボーニのカメラだった。つまりある意味マカロニウエスタン一番乗りなのだが、実は「一番乗り」どころではない、ジャンルの誕生をプッシュしたのがそもそもバルボーニであったらしい。インタビューでバルボーニがこんな話をしている。

当時カメラ監督やってたときね、撮影の同僚といっしょに映画館で黒澤明の『用心棒』(1960)を見たんですよ。二人とも非常に感銘を受けてね、その後セルジオ・レオーネに会ったとき信じられないくらい美しい映画だからって言ったんですよ。で、冗談でこのストーリーで西部劇が作れるんじゃないかとも。それだけ。けれどレオーネは本当にその映画を見に行って一年後に『荒野の用心棒』としてそのアイデアを実現させましたね。

ここでバルボーニ自身がメガフォンを握っていたら映画の歴史は変わったかもしれないが、その時点では氏はまだ監督ではなかった。とにかくコルブッチ以外の監督の下でも西部劇を撮り続け、1969年にイタロ・ジンガレッリ Italo Zingarelli の『5人の軍隊』も担当した。これは丹波哲郎が出るので有名だが、他にも脚本はダリオ・アルジェント、音楽モリコーネ、バッド・スペンサーも出演する割と豪華なメンバーの作品だ。製作もジンガレッリが兼ねていたが、このジンガレッリは風来坊の第一作を推した人である。

 大ブレークした『風来坊/花と夕日とライフルと…』(1970)はバルボーニの監督第二作で、第一作は Ciakmull - L'uomo della vendetta という作品だが、一生懸命検索しても邦題が見つからなかった。ということは日本では劇場未公開なのか?だとしたらちょっと意外だ。確かにバカ当たりはしなかったようだが(興行成績リストにも出ていない)、音楽はリズ・オルトラーニだし、スターのウッディ・ストロード、カルト俳優ジョージ・イーストマンが出る結構面白い正統派のマカロニウエスタンだからである。タイトルは「チャックムル - 復讐の男」で、チャックムルというのがレオナード・マンが演じる主人公の名前だが、気の毒にドイツではこれが脈絡もなくジャンゴになっている(『52.ジャンゴという名前』参照)。

 Ciakmull のドイツ語タイトル。勝手にジャンゴ映画にするな!
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主役のレオナード・マン。しかしまあこういう格好をしていればジャンゴにされるのも致し方ないかも…
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 さる町で銀行強盗団が金の輸送を襲う際、護衛の目を逸らすために刑務所に火をつける。ここには犯罪者だけでなく精神病患者も収容されていて、その一人が記憶を失い自分が誰だかわからなくなっていた男であった(これが主人公)。主人公と同時に3人脱獄するのだが、そのうちの一人が主人公が来た町の名を小耳に挟んでいて、さらに強盗団のボスもその町の者であることがわかり、他の3人はその金を奪うため、主人公は(金はどうでもよく)自分の記憶を取り戻すため、一緒にその町に向かう。
 目ざす町ではボスの一家と主人公の家族が敵対関係にあって、詳細は省くが最終的に仲間の3人はボスの一家に殺され、生き残った主人公(徐々に記憶も蘇る)がボスと対決して殺す。しかし実は主人公の弟こそ、主人公の記憶喪失の原因を作った犯人であることがわかる。この弟に主人公は殺されかけ、生き残ったがショックで記憶を失ったのだ。兄のほうが父に可愛がられるのでやっかんでいたのと、実は兄は父の実子ではなく、母親が暴漢に強姦されてできた子だったのだが、妻を愛していた父は我が子のように可愛がってきたのだった。結局主人公はこの弟も殺し(正当防衛)、実の親でないと分かった父を残して去っていく。『野獣暁に死す』と『ガンマン無頼』と『真昼の用心棒』と『荒野の用心棒』を混ぜて4で割ったような典型的マカロニウエスタンのストーリーである。
 上述のインタビューによると、バルボーニはジャンル全盛期にカメラマンをやっていた時からすでに金と復讐というワンパターンなモチーフに食傷しており、ユーモアを取り入れたほうがいいんじゃないかと常々思っていたそうだ。それで監督の機会が与えられた時、プロデューサーにそういったのだが、プロデューサーは「観客は暴力を見たがっているんだ」と首を縦に振らなかった。結果として Ciakmull は陰鬱な復讐劇になっている。

 しかし次の『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではコミカル路線を押し通した。書いてもらった脚本をジンガレッリのところに持ち込むと「そのうち見ておくから時間をくれ」との答えだったが、バルボーニが家に帰るや否や電話をよこして「撮るぞこれ!主役は誰にする?!」と聞いて来たそうだ。そこでテレンス・ヒルとバッド・スペンサーがいいといった。上のリストを見てもわかるようにジュゼッペ・コリッツィの作品は結構当たっていたからそれを見てスペンサー&ヒルのコンビすでに目をつけていたのだろう。ジンガレッリは速攻で脚本を二人に送り、バルボーニはその日の21時にまた事務所に呼び戻されて詳細面談。次の日から製作がスタートしたそうだ。
 この作品ではストーリーから「復讐」「暴力」というテーマが抜けている:テレンス・ヒルとバッド・スペンサーは兄弟で、それぞれ好き勝手に別のところで暮らしていたが、あるときある町でかち合ってしまう。スペンサーは馬泥棒を計画していてその町の保安官に化けて仲間と待ち合わせしていた矢先だったから、ヒルの出現をウザがるが結局一緒に働こう(要は泥棒じゃん)ということになる。その町にはモルモン教徒の居住地があったが、やはりこれも町の牧場主がそこの土地を欲しがってモルモン教徒を追い出そうとさかんに嫌味攻勢をかけている。しかしヒルがそこの2人の娘を見染めてしまいスペンサーもこちらに加勢して牧場主と対決(殴り合い)する羽目になる。
 ヒルはモルモン教徒の仲間に入って2人の娘と結婚しようとまでするが(モルモン教徒は一夫多妻です)、彼らが厳しい労働の日々を送っていることを知ってビビり、去っていくスペンサーを追ってラクチンなホニャララ生活を続けていくほうを選ぶ。
 ストーリーばかりでなく絵そのものも出血シーンもなく銃撃戦の代わりにゲンコツによる乱闘。それもまるでダンスみたいな動きで全然暴力的でない。これなら子供連れでも安心して観賞できるだろう。

『風来坊/花と夕日とライフルと…』はお笑い路線
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 とにかく chiakmull と『風来坊/花と夕日とライフルと…』は製作年がほとんど同じなのにこれが同じ監督の作品かと思うほど雰囲気が違っている。それでもよく見ると共通点があるのだ。その一つが主人公たちがポーク・ビーンズ(ベーコン・ビーンズ?)をほおばるシーンで、『風来坊/花と夕日とライフルと…』でもテレンス・ヒルがやはりポーク・ビーンズをがつがつ平らげるし、『風来坊 II/ザ・アウトロー』はスペンサーが豆を食べるシーンから始まる(その直後にテレンス・ヒルもやってきてやはり豆を食う)。以来この「豆食い」がスペンサー&ヒルのトレードマークになったことを考えると chiakmull ですでに後のバルボーニ路線の萌芽が見えるといっていいだろう。

レオナード・マン(後ろ姿)演ずるチャックムルたちの豆食い
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『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではテレンス・ヒルが豆を食う。
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『風来坊 II/ザ・アウトロー』でも冒頭でスペンサーが豆を食う。
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 もう一つはお笑い路線とは関係がないが、銃撃戦あるいは決闘のシーンのコマ割りである。 chiakmull では強盗団のボスが奪った金を腹心の仲間だけで独占しようとしてその他の配下の者を皆殺しにするのだが、その銃撃戦の流れの最中にバキバキとピストルのどアップ画面が挿入される。こういう時銃口を大きく写すのはよくあるが、ここではそうではなくて銃を横から見た絵、撃鉄やシリンダーがカシャリと動く絵が入るのである。Chiakmull のこの場面は戦闘シーンそのものの方もカメラというか編集というかがとてもシャープでずっと印象に残っていた。調べてみたら Chiakmull で編集を担当したのはエウジェニオ・アラビーソ Eugenio Alabiso という人で『夕陽のガンマン』や『続・夕陽のガンマン』も編集したヴェテランだった。
 この「銃を横から写したアップの挿入」というシーケンスは『風来坊/花と夕日とライフルと…』でも使われている。スペンサーのインチキ保安官にイチャモンをつけて来たチンピラがあっさりやられる場面だが、その短い撃ち合いの画面にやはりピストルの絵が入るのだ。Chiakmull と『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではカメラも編集も違う人だからこれは監督バルボーニの趣味なのではないだろうか。

Chiakmull の銃撃戦。普通の(?)の画面の流れに…
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バキッとピストルのアップが入り…
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Chiakmull-Gun-2
その後戦闘シーンに戻る。
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するともう一度今度は逆向きに銃身のアップ
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すぐ再び戦闘シーンに戻る。
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『風来坊/花と夕日とライフルと…』では「抜け!」と決闘を挑んだチンピラがスペンサーに…
Trinita-I-spencer
Trinita-Gun-1
Trinita-Gun-2
Trinita-Gun-3
撃ち殺される。
Trinita-Schiessen
 さて、お笑い2作目『風来坊 II/ザ・アウトロー』は上記のように1作目以上にヒットした。ここではスペンサー・ヒル兄弟が瀕死の(実はそう演技してるだけ)父の頼みで、兄弟いがみ合わずに協力して立派な泥棒になれと言われ、努力はするがどうも上手く行かない。勝手に政府の諜報員と間違われてドタバタする話である。売春婦だという兄弟の母親が顔を出す。確かにまああまり上品ではないが陽気で気のよさそうなおばちゃんだ。
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 3作目『自転車紳士西部を行く』はテレンス・ヒルだけで撮ったコメディで、アメリカで死んだ父の土地を相続しにやって来た英国貴族の息子を、父の遺言によってその友人たち(西部の荒くれ男)が鍛えてやる話だ。その息子がテレンス・ヒルだが、詩を詠みエチケットも備えた、要するに粗野でもマッチョでもない好青年で文明の利器、自転車を乗り回している。この作品は製作が1972年だから、例の『ミスター・ノーボディ』の直前である。テレンス・ヒルを単独で使ってコメディにするというアイデアはバルボーニから来ているのかもしれない。なおこの映画では英国紳士のテレンス・ヒルがやっぱり豆を食う。

自転車をみて驚く西部の馬。
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英国貴族(テレンス・ヒル)もやっぱり豆を食う。
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 『風来坊』のヒットによってバルボーニはすでに死に体であったジャンルに息を吹き込んだ。バルボーニのこのカンフル剤がなかったらマカロニウエスタンは70年代半ばまでは持たなかったはずだ。『自転車紳士西部を行く』がなかったら最後のマカロニウエスタンとよく呼ばれる『ミスター・ノーボディ』も製作されていなかったかもしれない。
 しかしカンフル剤はあくまでカンフル剤であって、病気そのものを治すことはできず、70年代後半には結局衰退してしまった。バルボーニはマカロニウエスタンが消滅した後もスペンサー&ヒルでドタバタB級喜劇(西部劇ではない)を作り、未だに「バッド・スペンサー・コレクション」などと称してソフトが出回っている。でもマカロニウエスタンが暴力のワンパターンに陥ったのと同様、今度はこのドツキがマンネリ化してしまった。バルボーニ自身それがわかっていたようで「制作者はちょっと映画がヒットするとまたこういうのを作ってくれとすぐいいやがる。想像力ってもんがないんだな」とボヤいている。

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 前にもちょっと触れたが、マカロニウエスタンには二つの源泉がある(『69.ピエール・ブリース追悼』『155.不幸の黄色いサンダル』参照)。一つが当時の西ドイツで何作も制作された西部劇で、原作はカール・マイの(軽い)冒険小説。どの映画もヴィネトウという名のネイティブ・アメリカンが主人公でそれをフランス人のピエール・ブリースが務め、その友人の白人役をアメリカ人のレックス・バーカーがやっている。この一連のヴィネトウ映画は未だに年中ドイツのTVで流している。人気ぶりではテレンス・ヒル、スペンサー組の西部劇と肩を並べるだろう。監督もスタッフもドイツ人だが制作にはドイツ、イタリア、あとユーゴスラビアの三国が関与していて、俳優もドイツ(含オーストリア)やアメリカだけでなくイタリアやユーゴスラビアからも参加している。ロケ地もユーゴスラビアだ。例えばシリーズの第一作目1963年の Winnetou 1. Teil(「ヴィネトウ第一部」)にはウォルター・バーンズやマリオ・アドルフなど後のマカロニウエスタンでお馴染みの顔が見える。「ヴィネトウ第二部」Winnetou 2. Teil(1964)にはクラウス・キンスキー、テレンス・ヒルが登場、やはり一連の一つ Unter Geiern(「ハゲタカの下で」、1964)にはジークハルト・ルップ、ウォルター・バーンズ、テレンス・ヒルが勢ぞろいしていてすでにマカロニウエスタン臭プンプンだ。この Unter Geiern という作品は下で改めて述べるが、割とキーポイントになる作品である。しかしまだある。これも一連映画の一つ、1964年の Old Shatterhand(「シャターハンドおじさん」?)の音楽を担当したのはリズ・オルトラーニだ!どうだ参ったか。
 この一連のヴィネトウ映画に端役で出演していたゴイコ・ミティッチ Gojko Mitić というセルビア、当時のユーゴスラビアの俳優はその後東ドイツに渡ってスターになった。偶然かそれとも西ドイツに対抗してワザとやったのか、60年代後半ごろには東ドイツでも盛んにネイティブアメリカンを主人公にした映画が作られ、ミティッチがその主人公を引き受けたからだ。
 さてマカロニウエスタンのもう一つの源泉はイタリアのサンダル映画である。マカロニウエスタンの監督や俳優には元々サンダル映画を取っていた人が実に多い。そもそもレオーネだって監督第一作目はサンダル映画である。ドゥッチョ・テッサリだってそうだ。

 西ドイツのヴィネトウ映画とイタリアのサンダル映画、この二つが合流してマカロニウエスタンが生まれたわけだが製作面、つまり資金面で西ドイツがかなり関与していたためかマカロニウエスタンでもユーゴスラビアとの関係が続いた。例えばセルジオ・コルブッチが初めて監督を(一部)引き受けた Massacro al Grande Canyon(「グランド・キャニオンの大虐殺」、ドイツ語タイトル Keinen Cent für Ringos Kopf、「リンゴーの首には一セントも出せない」)という西部劇。残念ながら超つまらない作品だがロケ地はユーゴスラビアである。マカロニウエスタンには俳優でもユーゴスラビア生まれの者が流れ込んだ。最も有名なのはクロアチア出身のジャンニ・ガルコ(『130.サルタナがやって来た』参照)だろうが、ガルコは地理的にはクロアチア出身でも政治的にはイタリアの出だ。出生地のザダル市が当時イタリア領だったからだ。しかもこれも前にも言った通りそもそもユーゴスラビアのアドリア海沿岸は何百年もベネチア共和国領で宗教もカトリックだから文化的にもイタリアに近く、ガルコもまあ半分以上イタリア人のようなものだ。
 しかしガルコの他にもう一人、マカロニウエスタンで主役まで行ったユーゴスラビアの出身の俳優がいる。アンソニー・ギドラ Anthony Ghidra という芸名を使っていたドラゴミル・ボヤニッチ Dragomir Bojanić である。『拳銃のバラード』Ballata per un pistolero などの主役を務めた俳優だ。この人はガチのユーゴスラビア人、ギリシャ正教のセルビアのクラグイェヴァツの生まれだ。1933年生まれだから当時は「ユーゴスラビア王国」である。マカロニウエスタンを撮る前からすでにセルビアで俳優としての地位を築いており、主役ではないが出演した1965年の Tri(「3」)という映画は当時のアカデミー外国語映画賞にノミネートされている。最初からイタリアで全キャリアを築いたガルコやそのままドイツで活躍し続けたミティッチと違ってマカロニウエスタン出演のあともイタリアには留まったりせず、セルビアに帰って俳優業を続けた。セルビア側では「イタリアで映画に出ていたことある」とあくまで軽く冷たく紹介されている。要するに正真正銘のセルビア人俳優なのである。
 そのイタリアでの第一作『拳銃のバラード』は、アルフィオ・カルタビアーノ Alfio Caltabiano というスタントマン出身の俳優兼監督で、レオーネやコルブッチ、ヴァレリなどと違って「その他大勢の監督」のカテゴリーに入れられがちだが、複数の西部劇を作っている。『拳銃のバラード』が一番出来がいいという評価だ。この映画はストーリーもテーマもまあマカロニウエスタンの定式通りだし、特に派手でもなく物珍しさもないが非常に堅実な作りで結構面白く、好感の持てる作品だ。マルチェロ・ジョンビーニの音楽も良かった。ジョンビーニは『西部悪人伝』のあの耳にやたらとこびりつくスコアを作曲した人だ。
 悪漢兄弟が徒党を組んで輸送金を狙う。定番通りこの二人にはたんまり懸賞金がかかっていて、これも定番通り謎めいた若い賞金稼ぎ(イタリア人俳優アンジェロ・インファンティ)がこれを追う。その悪漢ボスの兄の方を監督自らが演じている。その若い賞金稼ぎと同時にもう一人の謎めいたガンマンが登場するが、これがアンソニー・ギドラことボヤニッチだ。こちらも兄弟を追っているが金のためではなく復讐が目的だ。そしてまたまたマカロニウエスタンの法式に従って追うほうの二人が微妙にコンビを組んで協力し最後には悪漢二人を倒すのだが、最後になって実はこちらの方も兄弟だったと(観客に)わかる。アシメトリーな兄弟と言う、これもマカロニウエスタンの定番だ。さらに定番としてボヤニッチの主人公は一度敵方の手に落ちて拷問を受ける。
 この『拳銃のバラード』はコルブッチの『グランド・キャニオンの大虐殺』と同じくロケ地がユーゴスラビア。またロケ地ばかりでなく、ギャング団の手下や酒場の客などの小さな役は皆ユーゴスラビア人の俳優が演じている。ロケをするついでに俳優も現地調達したのかもしれない。やはり撮影地がユーゴスラビアだった上述西ドイツのヴィネトウ映画シリーズでも独伊墺俳優に交じってユーゴスラビアの俳優が相当活躍している。そのユーゴスラビア人俳優の名前がヴィネトウ映画と『拳銃のバラード』で結構被っているのが面白い。ボヤニッチもヴィネトウ映画の一つ、上記の Unter Geiern という作品にノンクレジットで出演している。『グランド・キャニオンの大虐殺』でもユーゴスラビアの俳優が小さな役をこなしているが、やはりヴィネトウ映画に出ていた人である。西ドイツの西部劇とマカロニウエスタンの間には浅からぬ繋がりがあるのだ。そもそも『拳銃のバラード』の脚本と製作を担当したのはエルンスト・リッター・フォン・トイマー Ernst Ritter von Theumer というオーストリア人だが、『殺して祈れ』Requiescant の製作もこの人だ。
 しかしたとえ本国ですでに名があったとはいえ、そして映画人たちの間に繋がりがあったとはいえ、ドラゴミル・ボヤニッチはなんでマカロニウエスタンなんかに流れて来たのか、ユーゴスラビアの俳優をいきなり主役につけようという発想は誰が出したのか実に気になる。ジャンニ・ガルコはそもそも俳優としての修業をイタリア映画界で開始しているから何もおかしくないが、ユーゴスラビアの奥の方から来てイタリアで主役というのは相当の縁と言うか偶然が働いているはずだ。推測するしかないのだが上で見たように西ドイツの西部劇を通してやって来たとしか思えない。ひょっとしたらヴィネトウ映画を機にしてセルビア人のミティッチが東ドイツで成功していくのを見て、西ドイツ&イタリア側がじゃあ俺たちはこっちのセルビア人だとの対抗意識からボヤニッチに白羽の矢でも立てたか。とにかくマカロニウエスタンの背後にチラチラしている(マフィアの黒幕かよ)西ドイツ映画の影響を感じる。その西ドイツ西部劇とマカロニウエスタンの繋ぎと言う意味で Unter Geiern という作品は興味深い。映画自体は面白くないのが残念だ。
 さてそのボヤニッチだが、例えばジャン・マリア・ヴォロンテやジュリアーノ・ジェンマ、あるいはジョージ・ヒルトンのような派手な作りの顔ではないし、クラウス・キンスキー、リー・ヴァン・クリーフのように一度見たら忘れられないような強烈なご面相でもない、かといってまたフランコ・ネロ、テレンス・ヒルのような端正な顔でもないのだが、精悍でドスの効いた面構えで画面を引き締めている。完全にマカロニウエスタンとして絵になっていて違和感が全くない。ヴァレリの『さすらいの一匹狼』のクレイグ・ヒルはその点少しハマりきっていない雰囲気があった(『193.トニーノ・ヴァレリの西部劇』参照)。

完全にマカロニウエスタンに溶け込んでいるセルビア人ドラゴミル・ボヤニッチ。『拳銃のバラード』から
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『拳銃のバラード』。ドラゴミル・ボヤニッチ(左)とアンジェロ・インファンティ
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 『拳銃のバラード』のすぐ後に別の監督で L’ultimo killer(「最後の殺し屋」、ドイツ語タイトル Rocco – Ich leg’ dich um「ロッコ、貴様を殺してやる」)という作品が続いたが、ここではボヤニッチが映画そのものを救っている感があった。『拳銃のバラード』と違ってこれは俳優も(ボヤニッチ以外は)全部イタリア人で、ロケ地もイタリアである。主役はジョージ・イーストマン(本名ルイジ・モンテフィオーリ Luigi Montefiori)だが、いくらなんでもこれはミスキャストだったと思う。どうしてこの人を引っ張り出したりしたのだろう。監督のジュゼッペ・ヴァリ Giuseppe Vari はその直前の Un poker di pistole(ドイツ語タイトル Poker mit Pistolen、「ピストルでポーカー」)という映画でイーストマンを使っているから、その引き続きかもしれない。しかしこの映画でのイーストマンの役は貧乏なメキシコ農民の息子である。身長206cmもある上にあの特異な容貌の者に虐げられたメキシコ人の若者をやらせるのは無理があり過ぎだ。この若者は映画のしょっぱなに悪漢に滅茶苦茶に殴られるが、殴るほうはせいぜい身長180cm、イーストマンの顔をぶん殴るには背伸びするかジャンプしないと届かない。そこを何とか撮影でそれらしく切り抜けているが、イーストマンの方が殴らせてやっている感がぬぐい切れていない。また倒れている息子を父親が見つけて助け起こすが、二人並んで馬車に乗っている後ろ姿を見ると息子の背中の頑丈そうな面積が父親の倍くらいあり、助けたのはどっちだよと思う。イーストマンにはやはりちょっとサイコな役をやってもらった方がいい。バルボーニの Ciakmull (『208.バルボーニのカンフル剤』参照)でのこの人はすごく良かった。とにかくこのキャラがあまりにも浮いているので最初いま一つ映画にのめりこめない上に音楽もサンダル映画調で時々急に画面に不釣り合いなファンファーレがかかる。「なんだこれは」と嫌気がさしかけていたのだが、ボヤニッチが登場したら雰囲気が変わった。引き締まったのである。そのハマりぶりによってイーストマンの浮いている感が緩和された感じだ。
 ストーリーはこれもマカロニウエスタンの定番で、メキシコ人の弱小農民の土地をアメリカ人の大牧場主が奪い取ろうと画策する。借金をカタに土地をよこせという日本の時代劇にもよくあるパターンである。メキシコ農民の他にも大企業牧場から嫌がらせを受けている中小規模のアメリカ人たちもいて、その大ボスを始末しようとする。アメリカ人たちはそのメキシコ人親子も誘うが、父親は暴に暴をもって制することを否定して仲間に加わらない。襲撃を受けた大ボスは当然カンカンに怒って生意気な中小企業のやつらに復讐するが、真っ先にその矛先になったのは暴動には加わらなかったメキシコ人の父親で、家を焼かれ父親を殺されたイーストマンが復讐のために立つ。
 その大ボスと言うのがまた大タヌキで、自分に従わない共同経営者や部下を消そうとして殺し屋を雇う。この殺し屋がボヤニッチである。イーストマンがひょんなことからこの殺し屋が後ろから撃たれるのを阻止した代わりに自分は大怪我をしたのを殺し屋が拾って(?)傷の手当てをし、銃の撃ち方を伝授する。
 言われた目的をすべて殺した殺し屋が引退しようとした矢先に、イーストマンが大ボスの一味を射殺したため、大ボスは殺し屋を引き留めて「もう一回だけ」と仕事を頼む。目的はガンマンに成長したイーストマンである。二人は対決して、ボヤニッチを撃ち殺し自分も傷を受けたたイーストマンが大ボスも殺す。『怒りの荒野』かよ。
 さて上でついこき下ろしてしまったキャスティングだが、逆に農民の息子役をイーストマンでなく普通の俳優がやっていたらどうなっていただろう。チクハグ感はなくなるかもしれないが客寄せ要素も消える。監督もそこを考えて多少違和感があってもいいからとにかく目立つ人を前面に持ってこようとしたのかもしれない。

身長206mのイーストマンと189cmのボヤニッチ
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 他にもボヤニッチは何人かの監督の下で何作かマカロニウエスタンを撮った。その一つがやはりジュゼッペ・ヴァリの Un buco in fronte(ドイツ語タイトル Ein Loch in der Stirn「額の穴」、1968)だが、これも全く平均的なマカロニウエスタンである。
 大金の在処が3枚のトランプにバラバラに記してある。全部そろわないと判読できないのだがカードをそれぞれ別の人が持っていてそれらが奪い合い、殺し合いをするという実にありがちなストーリーだ。ボヤニッチの役はそのうちの一人の委託を受けたガンマンで、敵側につかまって(定式通り)拷問を受けるがなんとか逃げ出して金の居所をつきとめるというスタンダートと言えばあまりにもスタンダードな展開。もちろんカードの持ち主は全員撃ち殺される。とにかくやたらと人が死ぬ。隠し場所はさる僧院だったが、あおりを食って罪もない僧侶たちもやはり虐殺される。ボヤニッチはその大金を生き残った僧侶たちに与えて去る。
 途中でボヤニッチが機関銃をぶっ放すシーンもあるし、とにかく他のマカロニウエスタンの寄せ集めのような感じで、今の時代ならこんな脚本それこそAIで書けるのではないだろうか。無くても別に誰も困らない映画ともいえようが、ただB級ではあっても駄作ではないことは強調しておきたい。定番マカロニウエスタンと言う安定性はあるからつい惰性で見てしまい、見終わっての感想も「ああつまらなかった」とはならない。例えばコルブッチの『グランド・キャニオンの大虐殺』より遥かに面白いことは私が保証する。

相変わらずドスの効いたUn buco in fronteでのボヤニッチの面構え。
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機関銃のないマカロニウエスタンなんてクリープを入れないコーヒーのようなもの(若者には通じない)
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  以上の三作ではボヤニッチは要するにクールな主役キャラだがあとの二つは違う。1968年の…E venne il tempo di uccidere(「殺しの時がやって来た」ドイツ語タイトルEinladung zum Totentanz「死の舞踏への招待」)では落ちぶれたアル中保安官を、同じく1968年のChiedi perdono a Dio… non a me(「俺でなく神に許しを乞え」、ドイツ語タイトルDjango – den Colt an der Kehle「ジャンゴ、コルトを喉に」)では敵役、悪役を演じている。スタッフも俳優もマカロニウエスタンでお馴染みの顔で、例えば前者には後でジュリオ・ペトローニの『復讐無頼・狼たちの荒野』に出ていた子役のルチアーノ・カサモニカ、後者には善玉の相棒役としてペドロ・サンチェスが登場する。さらに前者のスコアはフランチェスコ・デ・マージの作曲で、それを歌うのはもちろんラウールだ。後者では最後にやっぱり機関銃も登場し(ただし撃つのはサンチェス)、ちょっとやり過ぎなんじゃないかと思うくらいバッタバッタと人が死ぬ。しかしどちらも上の3作と同じく「マカロニウエスタンとしてはまあ合格、主役はきちんと渋く役をこなしている作品」である。特に…E venne il tempo di uccidereが印象的で、主役は外からやって来た若い保安官助手、この人がイニシアチブをとって酒飲みのダメ保安官にカツを入れて町の悪漢たちを退治するのだが、金髪碧眼でイケメンの主役俳優をボヤニッチが食ってしまっている。これの英語タイトルは「テキーラ・ジョー」Tequila Joeというのだが、これはボヤニッチ演じたダメ保安官の名前で、つまり主役として把握されてしまっているのだ。そういえば『殺しが静かにやって来る』はドイツでは主演クラウス・キンスキー、助演トランティニャンと把握されているがそれと似たようなものだ。

…E venne il tempo di uccidere。やる気のない飲んだくれ保安官(左)とやる気満々の若い助手
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 さてボヤニッチは…E venne il tempo di uccidere をとった後セルビアに帰った。当時はまだマカロニウエスタンがまだ勢いを失っていなかったからもう少しイタリアに留まっても良かったんじゃないかとも思うが、まあ1968年が潮時だったのかもしれない。セルビアに帰った後はもうイタリア映画には出たりせずに本国で堅実に地位を築いていった。セルビアのベスト俳優とかいう類のリストにはたいてい入っている。1993年、ユーゴスラビア紛争の真っ最中にベオグラードで60歳で亡くなった。

本国セルビアでのボヤニッチ。当然ながら全部セルビア語。

https://www.youtube.com/watch?v=4zV6gd6ffT8

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