アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:セルジオ・ソリーマ

 セルジオ・レオーネ監督の代表作に Il Buono, il Brutto, il Cattivo(邦題『続・夕陽のガンマン』)というのがある。「いい奴、悪い奴、嫌な奴」という意味だが、英語ではちゃんと直訳されて The good, the bad and the ugly というタイトルがついている。この映画には主人公が3人いて三つ巴の絡み合い、決闘をするのだが、ドイツ語タイトルではこれがなぜか Zwei glorreiche Hallunken(「華麗なる二人のならず者」)となっていて人が一人消えている。消されたのは誰だ?たぶん最後に決闘で倒れる(あっとネタバレ失礼)リー・ヴァン・クリーフ演じる悪漢ではないかと思うが、ここでなぜ素直にdrei (3)を使って「3人の華麗なならず者」とせず、zwei にして一人減らしたのかわけがわからない。リー・ヴァン・クリーフに何か恨みでもあるのか。
 さらに日本でも I quattro dell’ Ave Maria、「アヴェ・マリアの4人」というタイトルの映画が『荒野の三悪党』になって一人タイトルから消えている。無視されたのは黒人のブロック・ピータースだろうか。だとすると人種差別問題だ。ドイツ語では原題直訳で Vier für ein Ave Maria。

 もっともタイトル上で無視されただけならまだマシかもしれない。映画そのものから消された人もいるからだ。レオーネと同じようにセルジオという名前の監督、セルジオ・ソリーマの作品 La Resa dei Conti(「行いの清算」というような意味だ。邦題は『復讐のガンマン』)は、『アルジェの戦い』を担当した脚本家フランコ・ソリナスが協力しているせいか、マカロニウエスタンなのに(?)普通の映画になっている珍しい作品だが、ここで人が一人削除されている。
 この映画はドイツでの劇場公開時にメッタ切り、ほとんど手足切断的にカットされたそうだ。25分以上短くされ、特に信じられないことに最重要登場人物のひとりフォン・シューレンベルク男爵という人がほとんど完全に存在を抹殺されて画面に出て来なくなっているらしい。「らしい」というのは私が見たのはドイツの劇場公開版ではなく、完全版のDVDだからだ(下記)。劇場版では登場人物を一人消しているのだから当然ストーリーにも穴が開き、この映画の売りの一つであるクライマックスでの男爵の決闘シーンも削除。とにかく映画自体がボロボロになっていた。ドイツ語のタイトルは Der Gehetzte der Sierra Madre でちょっとバッチリ決まった日本語にしにくいのだが、「シエラ・マドレの追われる者」というか「シエラ・マドレの追われたる者」というか(「たる」と語形変化させるとやはり雰囲気が出る)、とにかく主人公があらぬ罪を着せられて逃げシエラ・マドレ山脈で狩の獲物のように追われていく、というストーリーの映画のタイトルにぴったりだ。でもタイトルがいくらキマっていても映画自体がそう切り刻まれたのでは台無しだ。
 私はもちろんこの映画を1960年代のドイツでの劇場公開では見ていないが完全版のDVDを見ればどこでカットされたかがわかる。ドイツ語吹き替えの途中で突然会話がイタリア語になり、勝手にドイツ語の字幕が入ってくる部分が所々あるのだ。これが劇場公開で切られた部分である。件の男爵はドイツ語吹き替え版なのにイタリア語しかしゃべらない。つまり劇場版では全く吹き替えされていない、ということは出てきていないということだ。
 この切断行為も理由がまったくわからない。ソリーマ監督自身がいつだったかインタビューで言っていたのを読んだ記憶があるが、このフォン・シューレンベルクという登場人物は、ドイツ人の俳優エーリヒ・フォン・シュトロハイムへのオマージュだったそうだ。なるほど人物設定から容貌から『大いなる幻影』のラウフェンシュタイン大尉にそっくりだ。背後には『エリーゼのために』をモチーフにしたエンニオ・モリコーネの名曲が流れる。そこまで気を使ってくれているのによりによってドイツ人がそれをカットするとは何事か。
 
 ちょっと話が急カーブしすぎかもしれないがやはり「一人足りない」例に、私も大好きなまどみちおさん作詞の「1年生になったら」という童謡がある。「一年生になったら友達を100人作って100人みんなで富士山に登りたい」というストーリーだ。実は当時から子供心に疑問に思っていたのだが、友達が100人いれば自分と合わせるから富士登山する人数は合計で101人になるはずではないのか。一人足りないのではないか。
 この疑問への答のヒントを与えてくれたのがロシア語の мы с тобой(ムィスタヴォイ)という言い回しだ。これは直訳すると we with you なのだが、意味は「我々とあなた」でなく「あなたを含めた我々」、つまり「あなたと私」で、英語でも you and I と訳す。同様にこの友達100人も「私と君たち友達を含めた我々100人」、つまり合計100人、言語学で言う inclusive(包括的あるいは包含的)な表現と見ていいのではないだろうか。逆に富士山に登ったのが101人である場合、つまり話者と相手がきっちりわかれている表現は exclusive(排除的あるいは除外的)な表現といえる。
 
 言語には複数1人称の人称表現、つまり英語の代名詞 we にあたる表現に際して包含的なものと除外的なものを区別する、言い換えると相手を含める場合と相手は含めない場合と2種類の we を体系的に区別するものが少なからずある。アイヌ語がよく知られているが、シベリアの言語やアメリカ先住民族の言語、あとタミル語、さらにそもそも中国語の方言にもこの区別があるらしい。「少なからず」どころか実はこの区別を持つ言語は世界中に広がっているのだ。南北アメリカやアジアだけでなく環太平洋地域、南インドやアフリカ南部の言語にも見られる。さらに足元琉球語の方言にもある。印欧諸語やセム語にはないが、話者数でなく言語の数でみると包含・除外の区別は決して「珍しい」現象ではない。ちょっと例を挙げてみると以下のような感じ。それぞれ左が inclusive、右が exclusiveの「我々」だ。
Tabelle1-22
あちこちの資料から雑多に集めてきたのでちょっと統一がとれていないが、とにかくアフリカ南部からアジア、アメリカ大陸に広がっていることがわかる。ざっと見るだけで結構面白い。
 ジューホアン語というのが見慣れないが、これがアフリカ南部、ナミビアあたりで話されている言葉だ。
 中国語は体系としてはちょっとこの区別が不完全で、「我們」は基本的に inclusive、exclusive 両方の意味で使われるそうだ。他方の「咱們」が特に inclusive として用いられるのは北京語も含む北方の方言。満州語の影響なのではないかということだ。そう言われてみると、満州語と同じくトゥングース語群のエヴェンキ語にもこの対立がある。満州語とエヴェンキ語は inclusive と exclusive がそれぞれmusə と mit、bə と bū だから形まで近い。
 問題はハワイ語やジューホアン語の双数・複数という分類だ。これらは安易にウィキペディアから持ってきた例だが、双数と言うのはつまり私が一人、あなたも一人の合計二人、複数ではこちら側かあちら側かにさらにもう一人いて3人以上、つまり複数なのかと思うとどうも事情は常にそう簡単ではないらしい。言語によっては双数とやらは実は単数あるいは非複数と解釈するべきで、それを「双数」などと言い出したのは、1.文法には数、人称というカテゴリーがあり、2.人称は一人称、二人称、三人称のきっちり三つであるという思考枠から出られない印欧語頭の犯した誤解釈だというのである。これは松本克己教授の指摘だが(もちろん氏は「印欧語頭」などという下品な言い回しは使っていない)、そもそも「一人称複数で包含と除外を区別」という言い方自体に問題があるそうだ。包含形に単・複両形を持つ言語は消して珍しくない。たとえば松本氏の挙げるニブフ語(ギリヤーク語)の人称代名詞は以下のような体系をなしている。
Tabelle2-22
人称は3つだけではないと考えさえすれば極めてすっきりした体系なのに、パンフィーロフ Панфилов В. З というソ連の学者は「1人称でも2人称でも3人称でもない人称」を見抜くことができず、話し手と聞き手が含まれているのだから単数とは見なせないと考えて、全くニブフ語の言語感覚を逸脱した「双数」という概念を藪から棒に一人称にだけ設定して次のように記述した。思い切りわかりにくくなっている。
Tabelle3-22
包含形を一人称複数の一種とせずに独立した一つの人称カテゴリー(包含人称あるいは一人称+二人称)とみなさざるを得ないのはアイマラ語も同じだ。アイマラ語は数のカテゴリーがないが、後に特殊な形態素を付けて増幅形をつくることができる。
Tabelle4-22
上のように hiwasa と naya-naka を比べても唐突すぎてよくわからないが、こうすれば体系をなしているのがよくわかる。さらに南太平洋のトク・ピシンも同じパターンなのが面白い。
Tabelle5-22
トク・ピシンというのは乱暴に言えばメラネシアの現地語の枠組みの上に英語が被さってできた言語だ。mi というのは英語の me、yu は you である。yumi で包含人称を表わすというのはまことに理にかなっている。トク・ピシンには本当に一人称双数形があるが、パンフィーロフ氏はこれをどうやって図式化するのだろう。不可能としか言いようがない。
 それではこれらの言語での包含人称とやらの本質は何なのか。例えばアイヌ語の(いわゆる)一人称複数包含形には1.一人称の間接表現(引用の一人称)、2.2人称の敬称、3.不特定人称の3つの機能があるそうだ。3番目がポイントで、他の言語とも共通している。つまり包含人称は1・2・3人称の枠から独立したいわば第4の人称なのである。「不特定人称」「汎人称」、これが包含形の本質だ。アメリカの言語学では初め inclusive の代わりに indefinite plural または general plural と呼んでいたそうだ。plural が余計なのではないかとも思うが、とにかく多くの言語で(そうでない言語もあるだろうが)包含対除外の単純な二項対立にはなっていないのである。
 そもそも一口に人称代名詞と言っても独立形か所有形(つまりある意味「語」でなく形態素)か、形の違いは語形変化によるのか膠着かによっても機能・意味合いに差が出てくるからまだまだ議論分析の余地が大ありという事だろう。
 
 ところで私の感覚だと、日本語の「私たち」と「私ども」の間にちょっとこの包含対除外のニュアンスの差が感じられるような気がするのだが。「私ども」というと相手が入っていない、つまり exclusive 寄りの意味が強いのではないだろうか。実はこの点を松本教授も指摘していて、それを読んだとき私は「おおっ、著名な言語学者を同じことを考えてたぞ私!」と万歳三唱してしまった。これは私だけの考えだが、この「私たち」と「私ども」の差は直接 inclusive 対 exclusive の対立というより、むしろ「ども」を謙譲の意味とみなして、謙譲だから相手が入っているわけがないと解釈、言い換えると inclusive 対 exclusive の対立的意味合いは二次的に派生してきたと解釈するほうがいいかもしれない。
 また上述のロシア語 мы с тобой 、つまりある意味では包含表現は単純に ты и я(you and me)やмы(we)というより暖かい響きがあるそうだ。 まどみちおさんも実は一人抜かしたのではなくて、むしろ暖かい友だち感を強調したかったのかも知れない。登場人物を映画やタイトルでぶった切るのとは逆である。
 さらに驚くべきことには安井稔氏が英語にも実は inclusive と exclusive を表現し分ける場合があることを指摘している:
Let's go.
Let us go.
という例だが、前者は単に後者を短く言ったものではない。意味と言うか会話上の機能が違う。前者は Shall we go?(さあ行きましょう)、後者は Let us be free! (私たちを行かせてください、自由にしてください)と同じ、つまり Let's の us は相手が含まれる inclusiv、Let us の us は相手が含まれない exclusive の we である。
 
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 マカロニウエスタンは1960年の終わりに頂点に達したのち70年代に入ると衰退期に入るが、その前にちょっとしたサブジャンルがいくつか生じた。 その一つが俗に「メキシコ革命もの」と呼ばれる、フアレス将軍時代のメキシコ革命をモチーフにした一連の作品である。直接メキシコ革命を題材にしていないもの、たとえばセルジオ・ソリーマの『復讐のガンマン』でもトマス・ミリアン演じるメキシコ農民がセリフの中でフアレスの名を口に出したりしている。いかにも最初から社会派路線を打ち出したソリーマの映画らしい。

 実はどうしてマカロニウエスタンにはメキシコ革命のモチーフがよく出て来るのか以前から不思議に思っていたのだが、次のような事情を鑑みると結構納得できるのではないだろうか。

1.このサブジャンルが盛んに作られたころから1970年代の始めにかけてはイタリアやフランスで共産党の勢力が強かった頃で、調べによればイタリア共産党(Partito Comunista Italiano)は当時キリスト教民主党(Democrazia Cristiana)と協力して連立政権を取りそうな勢いさえあったそうだ。

2.メキシコ革命もののマカロニウエスタンの代表作といえる『群盗荒野を裂く』(監督ダミアーノ・ダミアーニ、1966)、『復讐無頼・狼たちの荒野』(監督ジュリオ・ペトローニ、1968)などの脚本を手がけたのはフランコ・ソリナスだ。 ソリナスは『豹/ジャガー』(監督セルジオ・コルブッチ、1968)でも原案を提供しているし、上述の『復讐のガンマン』でもクレジットには出ていないが脚本に協力したそうだ。この人はその前に『アルジェの戦い』の脚本を書いてオスカーにノミネートされ、後にはオスカーばかりでなくベネチア、カンヌでも種々の賞をガポガポ取ったコンスタンチン・コスタ-ガヴラスと『戒厳令』(1972)で脚本の共同執筆をした政治派で、おまけにイタリア共産党員である。

3.そもそも映画監督だろ脚本家だろには、左側通行だったり反体制のヘソ曲がりだったり、あるいはそのどちらも兼ねている人が多い上に、たとえマカロニウェスタンの監督であっても(おっと失礼)皆インテリで正規の映画大学などで教育を受けているのが普通だから、ゲラシモフだろエイゼンシュテインだろプドフキンだろのソ連の古典映画を教材にしたに違いない。

4.そうでなくても当時のイタリア映画界はソ連映画界と結構仲がよく、1971年にはダミアノ・ダミアーニがモスクワ映画祭で金メダルを取ったりしている。 残念ながら(?)『群盗荒野を裂く』ではなく『警視の告白』という作品である。そういえば黒澤明がソ連でデルス・ウザーラを取った時、日本側の世話人(プロデューサーと言え)が松江陽一氏、ソ連側がカルレン・アガジャーノフ氏だったが、イタリア映画実験センター(チェントロ)で映画の勉強をしていたことがある松江氏もそしてアガジャーノフ氏も(なぜか)イタリア語が話せたので外部に洩れては困る会話はイタリア語で行なったそうだ。

5.アガジャーノフ氏もチェントロにいたのかどうかは知らないが、とにかく当時のイタリア映画界はソ連映画界と結構密接につながっていた模様だから、「革命」のモチーフはソ連から来たのかもしれない。

 こうして意外なところで自分の専攻したスラブ語学とマカロニウエスタンがつながったので無責任に喜んでいたが、さらにちょっと思いついたことがある。、一つは1965年に西ドイツで製作されたDer Schatz der Azteken(「アステカの財宝」)という映画だ。いわゆるカール・マイ映画と呼ばれる一連の映画の一つである。主演はヴィネトゥ・シリーズを通じて(『69.ピエール・ブリース追悼』参照)ピエール・ブリースと共演していたレックス・バーカーで、1864年ごろのメキシコ革命時が舞台になっている。映画そのものはあまり面白いと思わなかったし、ブリースも出ていなかったためか興行的にもヴィネトゥ映画ほどは成功しなかったようだが、カール・マイ映画群がある意味ではマカロニウエスタンの発生源であることを考えると、案外この映画あたりがモチーフ選択に影響を与えたのかもしれない。『アステカの財宝』は時期的にも『群盗荒野を裂く』が作られる直前に製作されている。

 もうひとつ、1968年にアメリカで製作された『戦うパンチョ・ビラ』という映画がメキシコ革命を題材にしていたのを思い出してちょっと調べてみたら、これがもうびっくらぼんで、何とフランク・ヴォルフとアルド・サンブレルが出演している。ヴォルフもサンブレルも、普通に普通の映画を見ている常識的な人は誰もその名を知らないが、マカロニウエスタンのジャンルファンなら知らない人はいないという、リトマス試験紙というか踏み絵というか、「知っている・知らない」がファンかファンでないかの入門テストになる名前である。もっともそんなものに入門を許されても何の自慢にもならないが。そのヴォルフはレオーネの『ウエスタン』の冒頭にも出てきてすぐ殺された。マカロニウエスタンの最高峰作品の一つ、セルジオ・コルブッチの『殺しが静かにやって来る』にも出ている。サンブレルのほうもやたらとマカロニウエスタンに出ちゃあ撃ち殺されているので名前は知らなくとも顔だけは知っている人も多いだろう。上述の『群盗荒野を裂く』にも出てきてやっぱり撃ち殺されていた。
 さてさらに『戦うパンチョ・ビラ』の製作メンバーを見ていくと、脚本をサム・ペキンパーが担当している。マカロニウエスタンが逆にアメリカの西部劇に影響を与えたことは有名な話、いや話を聞かなくても当時のアメリカ西部劇をみれば一目瞭然であるが(現在でもタランティーノ映画を見ればわかる)、そういう話になると必ずといっていいほど例として名を出される『ワイルド・バンチ』の監督である。
 
 驚いたショックでさらに思い出してしまったのがエリア・カザンのメキシコ革命もの『革命児サパタ』だが、これは製作が1952年だから時期的に古すぎる。マカロニウエスタンと直接のつながりはないだろう。たぶん。
 

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 マカロニウエスタンでは「3人のセルジオ」という言い方をすることがある。ベスト作品の多くをセルジオという名前の監督が撮ったからである。その三人とはセルジオ・レオーネ、セルジオ・コルブッチ、セルジオ・ソリーマ。レオーネとコルブッチはジャンルファン以外の普通の映画好きの間でも有名だから今更紹介などする必要もないだろうが、三人目のソリーマは知らない人もいるのではないだろうか。全部で五作西部劇を撮ったレオーネ、13作という数だけは最大数の西部劇を世に出したコルブッチに対し、ソリーマが作ったのは僅かに3作品だが、特に最初の2映画はマカロニウエスタンの傑作として伝説化している。最後の3作目がちょっと弱いかなとは思うが、ソリーマにしては弱いというだけで、その他のマカロニウエスタンの平均水準は完全に越えているから安心していい。『殺しが静かにやって来る』などの大傑作をつくる一方、目を覆うような駄作も生産したムラのあるコルブッチとは対照的である。
 レオーネはクリント・イーストウッド、コルブッチはフランコ・ネロを起用してスターの座に押し上げたが、ソリーマはキューバ生まれで後にアメリカに移住したトマス・ミリアンを使って成功した。ソリーマ自身、「レオーネにはイーストウッド、コルブッチにはネロ、そして私にはミリアンがいる」と言っていたそうだ。ミリアンはラテン系のイケメンであるが、コミカルな役も多い。昔の言葉で言う「二枚目半」というところだろう。
 実はうるさく言えばもう一人、セルジオという名の監督がいる。アンソニー・ステファン主役で西部劇を撮ったセルジオ・ガローネという人だが、この人の作品群ははっきり言ってB級ばかりなので、この人が勘定されることはない。つまり「4人のセルジオ」という言い方はしないのである。
 コルブッチもレオーネも1990年代に亡くなってしまったが、ソリーマは2015年まで存命だった。電子版ではあったが、新聞に死亡記事も載った。私の世代の人ならチャールズ・ブロンソン主演の『狼の挽歌』という映画を知っている人も多いのではないだろうか。これを撮ったのがソリーマである。

 さて、辞書などには出ていないが(当たり前だ)Nicht-Leone-WesternあるいはNon-Leone-Westernという言葉がある。「非レオーネ西部劇」。セルジオ・レオーネを別格扱いし、それ以外の手で製作された西部劇という意味である。言葉どおりに取ればジョン・フォードもハワード・ホークスも非レオーネ西部劇のはずだが、普通マカロニウエスタンのみを指す。人が3人寄れば必ず話題に上るのが「最高の非レオーネ西部劇はどれか?」ということであるが、うちにある本の巻末にも「非レオーネ西部劇ランキング」というアンケートの結果が載っている。もちろんこの手のアンケートはそこら中でいろいろな人がやっている上、これも母集団をしっかり設定しているわけでもなんでもないので単なる茶のみ話以上ではないが、見てみると結構面白い。

1.『復讐のガンマン』 1966、セルジオ・ソリーマ
2.『殺しが静かにやって来る』 1968、セルジオ・コルブッチ
3.『続・荒野の用心棒』 1966、セルジオ・コルブッチ
4.『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』 1967、ジュリオ・ペトローニ
5.『血斗のジャンゴ』 1967、セルジオ・ソリーマ
6.『群盗荒野を裂く』 1966、ダミアノ・ダミアーニ
7.『西部悪人伝』 1969、ジャンフランコ・パロリーニ
8.『さすらいのガンマン』 1966、セルジオ・コルブッチ
9.『情無用のジャンゴ』 1967、ジュリオ・クェスティ
10.『ガンマン大連合』 1970、セルジオ・コルブッチ
11.『怒りの荒野』 1967、トニーノ・ヴァレリ
12.『ケオマ・ザ・リベンジャー』 1976、エンツォ・ジロラーミ
13.『豹/ジャガー』 1968、セルジオ・コルブッチ
14.『続・荒野の一ドル銀貨』 1965、ドゥッチョ・テッサリ
15.『... se incontri Sartana prega per la tua morte』(日本未公開) 1968、
   ジャンフランコ・パロリーニ
16.『続・復讐のガンマン 走れ、男、走れ!』 1968、セルジオ・ソリーマ
17.『傷だらけの用心棒』 1968、ロベール・オッセン
18.『黄金の3悪人』 1967、エンツォ・ジロラーミ
19.『怒りの用心棒』 1969、トニーノ・ヴァレリ
20.『黄金の棺』 1966、セルジオ・コルブッチ

いかにソリーマの作品の評価が高いかわかる。私個人としては『ミスター・ノーボディ』が入っていないのが意外だ。もしかすると「ある意味ではレオーネ作品」と見なされて票が逃げたのかもしれない。
 以前にも書いたが(『22.消された一人』『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』の項参照)、『復讐のガンマン』の原題はLa resa dei conti「ツケの清算」、ドイツ語ではDer Gehetzte der Sierra Madre「シエラ・マドレの追われたる者」で、いかにもソリーマらしい気の利いたタイトルであった。私はこの映画にこの邦題をつけた奴を許さない。
 さらに許さないのがソリーマの二作目につけられた『血斗のジャンゴ』である。この映画の原題はfaccia a faccia、ドイツ語でもこれを直訳してVon Angesicht zu Angesicht(Face to face)という意味で、現に英語のタイトルもそうなっている。主役の名もジャンゴなどとは関係ないし、ストーリーも『復讐のガンマン』ですでに明確になっていたソリーマの社会派路線をさらに発展させ、登場人物の人格が映画の中で変わっていき善役と悪役がキャラクター転換するというマカロニウエスタンらしからぬ非常に練ったもの。主役を演じるのもトマス・ミリアンとジャン・マリア・ヴォロンテという大物だ。このタイトルはたぶん「いままで隠れていた自分の本当の姿に向き合う」という含みだと思うのだが、この傑作をどうやったら『血斗のジャンゴ』などと命名できるのが謎である。神経に異常がある人だったか、映画を全くみていないかのどちらかであろう。
 この二つが「ベスト非レオーネ西部劇」の上位にランクされているのも当然だが、実は私は「ベスト非レオーネ」どころか、レオーネの作品よりこっちの方が二つとも好きである。困るのは『復讐のガンマン』と『血斗のジャンゴ』のどちらが好きかと聞かれた場合だ。どちらも甲乙つけがたいからだ。
 ストーリーは『血斗のジャンゴ』の方に軍配があがるだろう。両主役のミリアンとヴォロンテもいいが、なんと言っても私がこの映画で好きなのは第三の主役、ミリアンとヴォロンテの間をウロチョロするウィリアム・ベルガーである。特にラストシーンでのベルガーはメチャクチャかっこよく、私としてはこれを「マカロニウエスタンで最も印象に残るシーン」として推薦したいほどだ。このシーンは砂漠での撮影だったが、そのとき雲が流れていて頻繁に光の具合が激しく変わったため、シーケンスのつながりを案じてソリーマは撮り直しも覚悟したそうだ。幸い出来上がったラッシュを見たらOKだったという。OK以上である。
 ただ、この映画にはマカロニウエスタン特有の「毒」というかエキセントリックさがやや少ない。普通の人の鑑賞にも堪えるまともな映画であることが裏目に出た感じだ。
 『復讐のガンマン』はなんと言ってもマエストロ、エンニオ・モリコーネのテーマ曲が地獄のようにいい。私はこのサントラを聴くたびにその場で死んでもいいような気になるのだ。以前誰かが「モリコーネ節」という言い方をしているのを見たことがあるが、この映画ではまさにそのモリコーネ節全開なのである。女性歌手クリスティ(本名クリスティナ・ブランクッチ、私の知り合いにこの人を「クリスティ姉さん」と呼んで慕っている人がいた)の歌声のイントロで虜にされた直後、賞金稼ぎリー・バン・クリーフが最初の獲物(?)に会うシーンでさっそくまた気高いメロディが響く。ちょっと高級なソリーマ映画にまさにドンピシャな気高さだ。ラスト近くで主役のトマス・ミリアンが追われていくシーンがあるが、そこで流れるエッダ・デロルソのソプラノのスコアの美しさは例のEcstasy of Goldに優るとも劣らない。このソプラノにノックアウトされたすぐ後、ラストの決闘シーンでもゾクゾクするようなモリコーネサウンドが惜しみなく注がれる。それもあってかこの映画の英語のタイトルはこの決闘シーンを売りにしてThe big gundownとなっている。

 この『復讐のガンマン』のサウンドトラックが死ぬほど好きなのは私だけではないらしく、やっぱり上述の本に載っていた「好きなマカトラランキング」ではこれが一位になっている。また、ソリーマ二作目ではなく、三作目の『続・復讐のガンマン』が入ってきている。ここではレオーネ映画のサントラも入っているから、つまり『復讐のガンマン』はベストマカトラということになる。なお、「マカトラ」というのはマカロニウエスタンのサウンドトラックの略である。作曲家の名前を見ればわかるように、マエストロの圧勝だ。

1.『復讐のガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
2.『続・夕陽のガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
3.『大西部無頼列伝』 1970、ブルーノ・ニコライ
4.『夕陽のガンマン』 1965、エンニオ・モリコーネ
5.『ウエスタン』 1968、エンニオ・モリコーネ
6.『さすらいのガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
7.『Buon funerale amigos… para Saltana』(日本未公開) 1970、ブルーノ・ニコライ
8.『続・復讐のガンマン 走れ、男、走れ!』 1968、ブルーノ・ニコライ
9.『続・荒野の用心棒』 1966、ルイス・エンリケス・バカロフ
10.『西部悪人伝』 1969、マルチェロ・ジョンビーニ
11.『殺しが静かにやって来る』 1968、エンニオ・モリコーネ
12.『豹/ジャガー』 1968、エンニオ・モリコーネ
13.『荒野のドラゴン』 1973、ブルーノ・ニコライ
14.『星空の用心棒』 1966、アルマンド・トロヴァヨーリ
15.『un uomo, un cavallo una pistola』(日本未公開)、1967、ステルヴィオ・チプリアニ
16.『怒りの荒野』 1967、リズ・オルトラーニ
17. 『ガンマン大連合』 1970、エンニオ・モリコーネ
18. 『アヴェ・マリアのガンマン』 1969、ロベルト・プレガディオ
19. 『Anda muchacho, spara』(日本未公開) 1971、ブルーノ・ニコライ
20.『続・荒野の一ドル銀貨』 1965、エンニオ・モリコーネ

 もうちょっとバカロフの『続・荒野の用心棒』とオルトラーニの『怒りの荒野』のランクが高くてもいいんじゃないかという感じだが、このランキングがマカトラ、つまり主題曲ばかりではなく、映画に流れる全体の音楽をも考慮しているからかもしれない。メイン・テーマだけ考慮に入れたらこの二つはもっと上がるだろう。もっともそれでも『復讐のガンマン』の位置は下がるまい。『荒野の用心棒』が出てこないのもわからなかったが、私の持っているレコード(を焼き直ししたCD)はタイトルがFor a few dollars more、つまり『夕陽のガンマン』だが、『荒野の用心棒』の曲も全部納められている。だから上の第4位は『荒野の用心棒』も兼ねているのだと思う。
 それにしてもここにリストアップされたタイトル。涼しい顔をしてこういう映画の名をあげる投票者のフリークぶりには脱帽するしかない。

 ソリーマが生前のインタビューでモリコーネについて親愛の情をこめて語っているのを読んだことがある。当時はモリコーネはオスカーの名誉賞さえ貰っていなかったのだが、ソリーマはこのアカデミー選考委員会をけなして「モリコーネにやらなくて誰にやれというのでしょうかね」と言っていた。さらに「まあ、でもモリコーネは作品を作りすぎたんですよ。で、選考委員もどれにやっていいのかわからなくなったんでしょう」。つまり恥かしいのは音楽賞をもらえていないモリコーネのほうではなくて、いまだにモリコーネに賞をあげ損ねているアカデミー会員のほう、というわけだ。その後モリコーネは名誉賞とさらにその後音楽賞をとったが、「今頃やっとマエストロにあげやがって。アカデミー賞選考委員も見苦しい奴らだな」と思ったのは私だけではないはずだ。
 さらにソリーマは続けて「いやしかし、エンニオはあれだけの天才なのに、見かけはまるで郵便局のおじさんってのが愉快ですな」。こういう事を堂々といえるのはソリーマだからこそだろう。

 私の知り合いにはマカロニウエスタンに詳しい人も大分いるが、彼らの詳しさといったらとても私なんかの太刀打ちできるところではない。私が「ソリーマの作品はその質の割には知られていなくて残念ですね」とかうっかり言うと「そんなことはないですよ。まともな人なら少なくとも彼の最初の2作は皆知ってます。『復讐のガンマン』なんてマカロニウエスタンの話になれば必ず口に上ります」と反論され、「『血斗のジャンゴ』ではウィリアム・ベルガーが一番好きなんです」というと「なるほど。まあでも、普通の日本人はベルガーと言うと『西部悪人伝』のバンジョーやった人、といったほうが通るんじゃないかな」とコメントされる。『西部悪人伝』は上記のリストに両方とも登場しているが、リー・ヴァン・クリーフが主役をやった作品である。私はまだ見たことがない。この人たちの「まともな人」「普通の日本人」の定義がちょっと私の考えているのと違う気がするが、とにかく彼らからみたら私など完全に無知な小娘であろう。随分年食った小娘ではあるが。


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 初めて見たときから漠然と感じているのだが、例のコルブッチの傑作『殺しが静かにやって来る』(1968)は『86.3人目のセルジオ』の項で述べたセルジオ・ソリーマの2作目『血斗のジャンゴ』をベースにしているのではないだろうか。知名度から見たら『殺しが静かにやって来る』のほうが格段に上なので、一瞬ソリーマがコルブッチを参考にしたのかと思うが制作も公開も『血斗のジャンゴ』のほうが一年も早いから、どちらかがどちらかをベースにしたとすればパクったのはコルブッチのほうでしかあり得ない。「ベースにしたとすれば」と書いたが、この類似を偶然というのはあまりにも似すぎているし、マカロニウエスタン独特の相互引用ぶりを考えても(『78.「体系」とは何か』の項参照)、ここは「したに違いない」と言ってもいいのではないだろうか。

 『殺しが静かにやって来る』はさすがに有名映画なので皆ストーリーを知っているだろうから(どういう「皆」ですか?)省くが、『血斗のジャンゴ』は、いかにもソリーマらしい心理学的・社会的なプロットで、次のようなものである。

 ボストンの大学で歴史学を教えている教授(ジャン・マリア・ヴォロンテ)が肺を病んで療養のため南部、てか西部にやって来る。ところが途中で逮捕された強盗団のボス(トマス・ミリアン)が逃亡する際の人質にされてしまい、しばらく彼と留まることになる。

 その間に教授は暴力や絶対的な権力に対して妙な魅力を感じ始め、しまいにはミリアンの仲間、というより片腕になってしまうのだが、無法者ミリアンの胸の中には逆に今まで眠っていた良心・理性といったのものが胎動し始める。

 政府はミリアンの率いる無法者の集まりをなんとか撲滅しようと前々から画策していたが、あるときピンカートン探偵事務所(いわば当時のCIA)の職員(ウィリアム・ベルガー)をスパイとしてミリアンの強盗団のなかに潜入させる。ミリアンを逮捕する機会をつくるためである。

 そのベルガーが画策してミリアンは捕えられ、さる町の牢屋にぶち込まれるのだが、町の有力者はこの機会にミリアンだけでなく無法者の集団も一気に全員殲滅しようとして討伐隊を組織し、ベルガーにその隊長をやってくれと打診するが、ベルガーは「俺の任務はミリアンの逮捕を助けるということで終わりだ。理性を失った討伐隊だろなんだろの統制など出来ないしする気もない」と断って本部に帰ろうとする。ところが同じ留置所に前から捉えられていた盗賊団の一人が金でつられて仲間を皆裏切り、アジトの場所をバラしたばかりか、自ら討伐隊の先頭に立ってかつての仲間を虐殺しに出かけたと知ってミリアンが必死で脱獄したため、「彼が逃げたとあればそれは俺の仕事だ」といって討伐隊のあとを追う。

 逃げたミリアンは仲間の隠れ場所に駆けつけるが、すでに大半の者は「正義・法」の名にかこつけて犯罪者狩りをした市民の手で殺されていた。女子供もなかにはいた。彼らの大半は食うに困って仕方なく家族を連れて無法者の中に身を投じた者たちなのである。生き残った人々は砂漠を横切って逃げようとするが、血に飢えた「正義の討伐隊」が彼らに迫り、女子供もろとも始末しようとする。ミリアンとヴォロンテが討伐隊(50人くらいいた)と最終的対決をすべく砂漠の岩に隠れてライフルを構えたところで追いついたベルガーがやって来る。こいつまで来やがったかとミリアンがベルガーに銃を向けて構えた瞬間ベルガーは討伐隊に向かって叫ぶ。
 「やめろ、あいつを逮捕するのは俺の仕事だ。お前達のやっていることには何の正統性もない。家に帰れ、手を出すな」

 「楽しみ」を邪魔された男たちは今度はベルガーに発砲するが、彼が隊長ともう一人を射殺したので、元々烏合の衆だったその他の者は動揺し引き返す。弾を食らったベルガーはその怪我をしたまま足を引きずりながらヴォロンテとミリアンの前に堂々と立ち、「お前を逮捕する」と(ややかすれ声で)言う。その体で何が逮捕だこの馬鹿とばかりヴォロンテの銃が火を噴きベルガーは2発目を食らうが、ミリアンのほうは「俺は投降する、法に従う」と言って立ち上がる。ヴォロンテは驚いて、何を血迷っているんだ、こんな男これで終わりだとベルガーにとどめをさそうとした瞬間、ミリアンの銃がヴォロンテに向かって火を噴く。

 ベルガーは一瞬状況を把握できないでいたようだが(すでに死を覚悟していたのだ)、やがてヨロヨロ立ち上がると死んでいるヴォロンテの顔面に弾をバシバシ撃ち込んで顔をめちゃくちゃにし、「顔がわからなければ皆この死体はお前のものだと思うだろう。他のものには俺がそういっておく。さあ、さっさと行け」とミリアンを逃がす。

 繰り返しになるが、この映画の原題はFaccia a faccia(face to face )というもので、結構含蓄のある題名だ。私はこれを「自分の内部にある別の自分と対面した」という意味なのだと解釈していることは以前にも書いた。最後に死体の顔を破壊したのも「顔」ということでタイトルと結びついている。

 『殺しが静かにやって来る』とモティーフが重なっていることは瞭然である。

 已むなく無法者となった社会の弱者を正義の名を借りて血に飢えた人間狩りをする賞金稼ぎ・討伐隊。登場人物にも平行性がある。まずウィリアム・ベルガーの役と『殺しが静かにやって来る』のクラウス・キンスキーの役が重なって見える。どちらも無法者の群れを追う、という設定だからだ。
 しかもベルガーもキンスキーも金髪でちょっと角ばった顔つきをしていて容貌の基本が同じだし(ただ顔の造作そのものは全く違う)、最初登場してくる際どちらも襟元がなんとなくワヤワヤした服装をしているのも共通項。そして双方雰囲気が陰気で、これも双方「Wanted」のチラシというかポスターというか、紙切れをビラビラ自慢げに見せびらかす。

双方襟元がワヤワヤした衣装でどちらも陰気にご登場。上がベルガー、下がキンスキー
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そしてご両人とも「Wanted」の紙切れをひけらかす。
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 ベルガーは笑うと普通にしているより顔が陰気になるというジュリアーノ・ジェンマなんかとは全く逆のタイプで、その不遜な笑い顔がトレードマークと化している感があるが、その陰気な笑い方をして見せてもまあ普通のおっちゃんである(もっとも私はイイ男だと思うが)。対してキンスキーは別に笑わないで普通にしていてもサイコパスにしか見えない。こりゃああの真面目なソリーマ監督には使いにくいだろう。

これも上がベルガー、下がキンスキー
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Kinski4

 『殺しが静かにやって来る』のもう一人の主人公、ジャン・ルイ・トランティニャン演じるサイレンスという人物は服装から見てコルブッチの前作『続・荒野の用心棒』のフランコ・ネロを引き継いだことは明白だが、フランク・ヴォルフがやった保安官。この登場人物は『血斗のジャンゴ』のベルガーと重なる。ヴォルフ保安官も本来無法者たちを追う立場なのに彼らに対して理解を示すのだ。
 面白いことにクラウス・キンスキーはドイツ人、フランク・ヴォルフはアメリカ人ではあるが名前を見てもわかるようにドイツ系で、ドイツ語が少し話せたそうだ。ウィリアム・ベルガーも本名ヴィルヘルムというオーストリア人である。バーガーと呼んでいる人が大半だが私はドイツ語に義理立てしていつもベルガーと言っている。だからこの3人は役を離れても妙につながっているのだ。

 つまり『血斗のジャンゴ』でベルガーがやっていた一人のキャラクターをコルブッチは二人に分けたということだ。ソリーマでは最初無法者を追う方であったベルガーが最後は彼らに理解を示して逃がしてやるが、コルブッチではこの二つの要素、あくまで追うほうと助けるようとするほうが最初から二つにキッパリ分れ、交じり合うことがない。そしてコルブッチでは最後には善役でなく悪役が勝つ。言い換えるとソリーマでは道徳が法より優先するが、コルブッチでは法が道徳に勝つのである。

 このように元の映画の設定をこれみよがしに逆にする、というのはコルブッチの得意ワザだ。だから『続・荒野の用心棒』ではレオーネではカラカラの砂塵だった部分がドロドロの泥濘に化けたし、『殺しが静かにやってくる』ではソリーマの暑い砂漠がいかにも寒そうな雪景色と化した。『血斗のジャンゴ』でベルガーが初登場するとき森をぬけてくるシーンと、『殺しが静かにやってくる』のタイトル画面の構図がそっくりであるが、前者では普通の森であったのが後者では雪景色になっている。
 なお、話はそれるがラストでベルガーに撃ち殺される卑怯な裏切り者の役をやったのは相変わらずというかまたかよというか、アルド・サンブレルである。

木の間に埋もれて乗馬姿の主人公が見分けにくいが、画面の構図がそっくりである。上が『血斗のジャンゴ』、下が『殺しが静かにやって来る』

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Silenzio2

構図が非常に美しい『血斗のジャンゴ』のラストシーンでのジャン・マリア・ヴォロンテとウィリアム・ベルガー(肩の傷を押さえてうずくまっているほう)
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 今思うと日本にいたころからもっと真面目にマカロニウエスタンを見ておくんだったと後悔している。当時は単にジュリアーノ・ジェンマやせいぜいフランコ・ネロにキャーキャー言って騒いでいただけだったが今じっくり見てみると顔ではジェンマに負けるが味のあるカッケーおいちゃんが他にも結構たくさんいるのだ。リー・バン・クリーフなどはいくらじっくりみてもちょっとアレではあるが、『12.ミスター・ノーボディ』でも書いたように、ギリシア・ローマ時代の古典さえ時々顔を出すこのジャンルは単に「ぶっ放せジャンゴ」「抜けリンゴ」で済ますには勿体なさすぎると私は思っている。
 ジークハルト・ルップについては『98.この人を見よ』で一度書いたが、実はもう一人記すべきオーストリア人がいる。何度か名前を出しているウィリアム・ベルガーWilliam Bergerである。『血斗のジャンゴ』で第三の主役をやった人だ。これもしつこく前に書いたようにとにかくラストシーンではこの人が大スターのトマス・ミリアンとジャン・マリア・ヴォロンテを食ってしまっていた。
 正義の名を借りて人間狩りをする自称犯罪者討伐対がミリアン&ヴォロンテ目指して砂漠の中を進んでいくがその時後からモリコーネの音楽(これが肝心)に乗って疾走しながら後を追いかけて来た者がいる。これが登場場面ではやたら暗かった(『87.血斗のジャンゴと殺しが静かにやって来る』参照)ベルガーである。

モリコーネの音楽を背景に颯爽とやってくるベルガー(左)。まあこの場面はスタントマンがやったのかもしれないが...
Berger-Reiten

こちらの画面右で馬に乗っているのは本当にベルガー。
alledrei

 前項でも述べたように彼も本来この二人を追う側であるから、その討伐隊に加わるのかなと思っていると彼はそこで皆の前に立ちはだかって「お前達のやっていることには法的正統性がないから手を出すな」と怒鳴りつける。せっかくの楽しみを邪魔された討伐隊の一人(知る人ぞ知るマカロニウェスタンの迷脇役アルド・サンブレルが発砲し弾が肩に当たる。それを持ち直してサンブレルを撃ち殺すとあとの者は動揺し、踵を返す。
 肩に弾を入れたままヴォロンテとミリアンの前に来て立ち(すぐ上の写真)、「お前たちを逮捕する」と宣言したものの、無防備でヴォロンテの前に立ったわけだから当然というかなんと言うかヴォロンテから2発目を食らう。ところがミリアンが立ち上がって投降すると言い出す。ヴォロンテは驚いて、ミリアンの決意を覆そうと「原因」になっているベルガーにとどめをさそうとした瞬間、ミリアンがベルガーを殺そうとしたヴォロンテを撃ち殺す。と、どさくさに紛れてネタバレ失礼。
 すでに死ぬ気でいたベルガーは状況を把握するのにちょっと時間を要するが、よろけながら立ち上がるとヴォロンテの死体の顔面に弾を何発も撃ち込み顔をめちゃくちゃにして判別不可能にし、「皆には死んだのはミリアンのほうだと言っておくから行け」とミリアンを逃がす。前にも言ったようにここでタイトルの「顔」という言葉が聞いてくるのだ。

 銃弾を受けた瞬間や、大儀そうに「逮捕する」という姿もカッチョよかったが、それより私が感心したのが最後ヴォロンテに銃を向けられた瞬間の演技である。膝を落としたまま見あげて、まずヴォロンテがわきで銃を構えて立っていることを確認、それから顔を下に向けるが、その状態でヴォロンテが撃鉄(ライフルの場合でも「撃鉄」っていうのか?)を起こした音を聞いて息を一つ吸って少し身を乗り出すようにする。死を覚悟したんだな、ということがはっきりと見て取れる。これは私が今まで見た中での「撃ち殺される直前」の表現のベスト賞である。実際は撃ち殺されなかったが。

大儀そうに「逮捕する」というウィリアム・ベルガー。
Berger1

『87.血斗のジャンゴと殺しが静かにやって来る』の項でも紹介したが、構図の美しいラスト。
Berger12

 もうひとつ印象に残っているのは「この人は撃たれ方が上手い」ということだった。皆さん、西部劇で人が銃に撃たれるところをどう描写しているか思い出して欲しい。もっとも多いパターンはうっと言って撃たれた箇所を手で押さえ苦痛に顔をゆがめる、というものだろう。派手にうわーとか叫んで両手を上に挙げグルグル回って倒れる、というのもありふれた描写だ、レオーネの『夕陽のガンマン』では撃たれた人が派手に叫んだり手を挙げたりぐるぐる回ったりしている割には弾傷が全くなく、なんなんだこれはと思った。
 また、撃たれた方がしばらく微動だにしないこともある。決闘シーンなどで観客にマを持たせるためによく使われる手だ。どちらが勝ったのかすぐにはわからせないでおいてこちらをハラハラさせようという戦法。何秒か立ってから一方がおもむろにバッタリ倒れるまで緊張感が続く。私に言わせればこういうのは緊張感でなく「わざとらしい」である。マカロニウエスタンではそれがまた特に不自然だ。
 さて上のシーンでのベルガー氏、弾を食らったときどう動いたか。当たった部分(肩だった)が一瞬何かにぶつかったようにピクリと動き、ほんのすこし足元がよろけたが、そのあとすぐ姿勢を持ちなおして敵に向かっていったのである。うーともいわなかったし痛そうな顔もしない、それでいてわざとらしく微動だにしなかったわけではない、当たったことはこちらに見てとれたのである。また痛そうな、というより疲れたような顔になったのはしばらく時間がたってからである。

 これは本当に銃で撃たれたことのある人たちの体験談と一致している。そこで皆が異口同音に述べているのは、銃で撃たれると一瞬何かぶつけられたか棒でその場所を叩かれたような気がする。かなり長い間痛みは感じない。まさに氏の撃たれかたはそんな感じだった。
 この撃たれ方の見事さはベルガー氏の演技力によるのか、それともセルジオ・ドナーティのスクリーン・プレイの書き方が上手かったのか。この映画のほかのシーンでは皆スタンダードなうわー的撃たれ方をしていたからこれはやっぱり氏の演技に帰するのではないかと思ったのでちょっとこの俳優の経歴を調べてみた。
 
 この人がオーストリア人であることは知られている。私はてっきりジークハルト・ルップなどのように本来ヨーロッパの本国で活動していたのがマカロニウェスタンに引っ張り出されたのだと思っていたが、どうもそうではないらしい。本名をヴィルヘルム・トーマス・ベルガーWillhelm Thomas Bergerといい、1928年にインスブルックの裕福な医者の家に生まれたが、一家は戦争が始まるとすぐにアメリカに逃げた。当時戦争がヤバくなって来てから国外逃亡した人は多いが、「始まってすぐ」というのは少ないのではないか。余程先見の銘があったかナチ嫌いだったのか。家が「裕福な医者」であったこと、1939年の時点、つまりオーストリアがドイツ支配下に入った時点で(しかも大部分のオーストリア国民はこの「ドイツ統一」を歓喜して迎えた)間髪を入れず亡命したところを見るとユダヤ系ででもあったのかと思うが確証はない。アメリカの俳優・監督などには亡命ユダヤ人が多いのだし。とにかくアメリカでコロンビア大学を出てしばらくIBMで働いた後に俳優に転向、NYのブロードウェイなどでそこそこの成功を収めている。また3年間兵役にも服している。なおコロンビア大学在学時に陸上競技で学内最高記録を出し、オリンピックに出そうになったそうだ。朝鮮戦争に従事したとのことで、ひょっとしたらこの人は本当に撃たれたことがあったのかも知れない。
 そのあとハリウッドに進出しようとして果たせず、生まれ故郷のヨーロッパを巡っているうちにイタリアでマカロニウェスタンに抜擢されたらしい。当時はヨーロッパ出身で英語に吹き替えしてやる必要のない俳優は希少価値だったらしい。

 いわゆる反体制派、既成の権力に対して反抗的な人であったらしく生活も派手で少なくとも4回結婚しているし(それはそれで大変結構です)、当時の住まいにはキース・リチャードなども時々やってきていたそうだ。一度麻薬所持の疑いで留置所に何ヶ月入っていたこともある。ただしこの時は結局「証拠なし」で刑は受けていない。どうもあらぬ疑いだったらしい。それよりも驚いたのがそのときの留置所での悲劇的な出来事で、映画史家なんかは結構皆知っているようだが、私は今回調べてみて始めて知った。
 ある夜中に例によってパーティーでドンチャン騒ぎの後、皆寝静まっていたら警察がいきなりドヤドヤ家宅捜査にのりこんできた。そしてそこでハシッシュの包みを見つけたそうだ。ベルガーが自分の所有ではないと誓ったが請合ってもらえず、そのとき家に泊まっていた客もろとも全員留置場に入れられた。バラバラにである。
 悲劇はそこからだ。当時の妻Carolyn Lobravicoさんは肝炎を患っており、それが劇症を起こして痛んでいるのを警察は「麻薬の禁断症状」とカン違いして精神疾患者の病院に入れベッドに縛り付けた。そのまま長い間放って置かれ、やっと他の病気であると気づいて普通の病院に担ぎ込まれたときはすでに遅く、Lobravicoさんは別のところに収容されている夫のベルガーにも会えずにそのまま亡くなった。その際の経過を後にベルガーは本に書いて出版している。私の本なんかより余程読む価値がありそうだ。
 数ヵ月後にベルガーは釈放されて俳優業を続けていった。チェルヴィの『野獣暁に死す』はその事件の前に撮られている。

 マカロニウエスタンの後はジャッロ映画などにも出て、マリオ・バーヴァ、ヘスス・フランコなど名前を聞くとウッと思ってしまう様な(失礼)監督の下で仕事をしているが、とにかく最後まで俳優業はまっとうしている。187もの(TV映画も含む)映画に出演しているから決して無名の俳優とはいえない。事実私程度のジャンルファンでもウィリアム・ベルガーという名はよく知っている。演技だって正当教育を受けている。顔もロバート・レッドフォード(我ながら出す俳優名が古い)にはかなわないだろうがハンサムの部類に入るだろうし、とにかくもうちょっと上まで行ける技量を持っていた俳優だったと思うが、残念ながら1993年にカリフォルニアで亡くなっている。65歳だったそうだ。同じオーストリア人でも人生経歴が堅実で地味なジークハルト・ルップとは対照的である。

オマケといってはナンだが、『野獣暁に死す』のウィリアム・ベルガー。画質が悪くて申し訳ない。
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 以前に『ブロークバック・マウンテン』を見たときになぜか突然高校生の時早川文庫で読んだラリイ・マクマートリーの『遥かなる緑の地』という小説を思い出した。プロットというかモティーフに並行するものを感じたからである。何の変哲もない小さな町で一生を過ごした男の回想録。もちろん若いころはいろいろ外に出たり事件もあったが歳を取ると何もかも色あせて、人生の夕暮れになって来し方を回想してほっと溜息をつく。そんな感じである。でもどうしてこの小説が突然心に浮かんだのか自分ではわからないまま、何気なくこの映画のクレジットを見て驚いたの驚かないのって(驚いたのだ)。脚本がまさにそのラリイ・マクマートリイだったのだ。この人が小説家から脚本家に転向していたことをそのとき初めて知ったが、調べてみたら『遥かなる緑の地』も映画化はされている。地味な出来だったので忘れられているが。
 私のような素人は映画というとまず主演俳優、次に監督に目が行き脚本までは気がまわらないことが多いが考えてみれば脚本は映画のいわば素描、設計図である。黒澤明も「映画監督は本が書けなければダメだ」と言っていたそうだし、絵でも画家の特徴が最もよく出るのは素描である。仕上げられた絵だけ見ていてもわからない部分があるだろう。

 さて、私がこのブログで執拗に話題にしている『血斗のジャンゴ』の脚本を書いたのはセルジオ・ドナーティである。マカロニウェスタンの脚本家の最高峰だ。このジャンルの最高傑作として常にトップで言及され、他の作品の追随を許さない『ウェスタン』はドナーティの手によるものだ。あちこち「アヒル検索」(『112.あの人は今』参照)したり、家に落ちていた資料を調べてみると、レオーネは『荒野の用心棒』の脚本を最初このドナーティに打診したが断られたそうだ。でも次の『夕陽のガンマン』ではドナーティを引っ張り込むことに成功した。クレジットでは脚本ルチアーノ・ヴィンツェンツォーニとなっているが、陰でドナーティも協力したらしい。さらに『続・夕陽のガンマン』にもこの人は関わっていて(ここでもクレジットには出ていない)、あの、拷問行為が外にバレないように建物の周りで大音響で音楽を響かせるシーンはドナーティのアイデアとのことだ。その後『ウェスタン』で初めて正規に名前が出たが、『夕陽のギャングたち』を書いたのもドナーティである。
 ソリーマの『復讐のガンマン』、『血斗のジャンゴ』は両方ともドナーティの脚本。つまり『復讐のガンマン』は『続・夕陽のガンマン』の直後、『血斗のジャンゴ』は『ウェスタン』の直前に書かれたのだ。例えば『復讐のガンマン』と『続・夕陽のガンマン』だが、この二つの映画は時期的にほとんど同時に作られている。『続・夕陽のガンマン』は1966年製作で本国(イタリア)公開が1966年12月23日、『復讐のガンマン』が1967年3月3日で、『復讐のガンマン』がたった2ヶ月遅いだけである。ドイツの劇場公開は『復讐のガンマン』の方が半年も早く1967年6月27日、『続・夕陽のガンマン』が1967年12月15日。制作されてからほぼ一年間もどこで何をしていたのかね夕陽のガンマン君たち?

 こういう具合だからドナーティが関与しなかった黒澤のパクリ『荒野の用心棒』以降の作品、『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』(レオーネ)『復讐のガンマン』『血斗のジャンゴ』(ソリーマ)『ウェスタン』(レオーネ)間でモティーフというかストーリーに共通性が感じられるのも根拠のないことではない。どれも主人公が3人いて、誰と誰が実は味方なのかはっきりわからない、というより一応2者がくっついてもう一人と対決する形になっているのだが、この2者の結びつきがうさん臭く、どうもクリアに2対1という把握が出来ない、つまりいわば決闘が三つ巴になっているということである。
 その際ソリーマとレオーネでは三つ巴のパターンがちょっと違い、ソリーマでは最初2対1という形をとっていたのが最後に壊れて最初組んでいた二人のうちの1人が対抗側の1人に回る。『復讐のガンマン』ではウォルター・バーンズ(およびその一味)とリー・バン・クリーフとでトマス・ミリアンを追っていたのが最後でバン・クリーフがミリアンの側についてバーンズ(の前にさらに一味を二人)を撃ち殺すし、『血斗のジャンゴ』では逆にジャン・マリア・ヴォロンテとトマス・ミリアンの二人組みをウィリアム・ベルガーが追うが、最後の瞬間にミリアンがベルガーを守る側に立ってヴォロンテを殺す。
 つまりソリーマでは2対1が1対2になる、あるいはその逆というわけで敵対味方という二項対立自体は比較的はっきりしているが、レオーネではこの2人組そのものの結びつきがユルユルというか「組」になっていないというか、とにかく「2」があくまで暫定的でしかたなくくっついているというニュアンスが濃い。ソリーマとは逆にレオーネではむしろ始め危なっかしかった2人組が最後でやっぱりこの二人はコンビであったことがわかる。いわばソリーマとレオーネでは胡散臭さの方向が逆になっているのだ。それでも『夕陽のガンマン』では仲間割れを起こしながらもイーストウッドとリー・バン・クリーフは結構明確にコンビをなしてジャン・マリア・ヴォロンテと対抗しているが、『続・夕陽のガンマン』だと二人組みの結束が相当怪しくなってきて、組んでいるはずのイーストウッドとイーライ・ウォラックは常に互いをだましあい出し抜きあい、ほとんど敵同士である。この二人と対抗するリー・バン・クリーフとの決闘シーンも2対1というより文字通り三つ巴の決闘。さらにそれが『ウエスタン』になると果たしてチャールズ・ブロンソン&ジェイソン・ロバーツ対ヘンリー・フォンダと言っていいのかさえ怪しくなってくる。かと言って完全な三つ巴でもない。ロバーツが「フォンダ側にはつかない」ということである意味では明確にブロンソン側に立っているからである。しかしフォンダとブロンソンの果し合いには関与していない。
 もっともソリーマの『復讐のガンマン』もリー・バン・クリーフ側のバーンズの周りにさらに何人かくっついていて、そのうちの1人Gérard Herter(本当はGerhard Härtter、ゲルハルト・へルター)演じるフォン・シューレンベルクとリーン・バン・クリーフは最初から仲が悪いから二項対立にちょっとヒビが入ってはいる。しかしそれより興味深いのは、途中で追われる側のトマス・ミリアンが吐くセリフだ。「人間には2つのグループがあるのさ。一つは逃げるほうで他方はそれを追いかけるんだ」。これはレオーネの『続・夕陽のガンマン』でイーストウッドがイーライ・ウォラックに言う、「人間には2種類のタイプがあってな。一方は銃を持っている、他方は穴を掘るんだ」というのとそっくりだ。もしかしたら目潰しシーンのほかにこのセリフもドナーティの発案かもしれない。

『夕陽のガンマン』
一応組んでいる(はず)のイーストウッドとリー・バン・クリーフ
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それと対立するジャン・マリア・ヴォロンテ
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『続・夕陽のガンマン』
胡散臭さ満載のコンビイーストウッドとイーライ・ウォラック。
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そのコンビよりさらに胡散臭い対立側のリー・バン・クリーフ
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『復讐のガンマン』
最初ウォルター・バーンズとリー・バン・クリーフが組んで
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トマス・ミリアンを追うが最後リー・バン・クリーフはミリアン側につく
Millian

『血斗のジャンゴ』
追う側ウィリアム・ベルガーが
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ジャン・マリア・ヴォロンテと共に追われる側だったトマス・ミリアン(右)に命を助けられる。
Milian_volonte4

『ウエスタン』
そもそもコンビにさえなっていないチャールズ・ブロンソンとジェイソン・ロバーツの「コンビ」
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ブロンソンの仇ヘンリー・フォンダ
Fonda

 話が少し逸れるが、このマカロニウェスタンらしからぬ社会的なプロットの『血斗のジャンゴ』でウィリアム・ベルガーのやった役、「ピンカートン探偵社のチャーリー・シリンゴ」というのは実在の人物である。アメリカではワイアット・アープとかあの辺といっしょのカテゴリーで伝説と化している人物だ。奇しくもシリンゴはベルガーの生まれた年、1928年に死んでいる。
 この人はアープや、日本で言えば坂本竜馬のようにTVや映画に何回も描かれている。なんとウィキペディアにも「映画化されたシリンゴのリスト」という項があって、しっかり『血斗のジャンゴ』が載っていた。もっともベルガーのシリンゴには(a fictionalized) Siringoという注がついていたが。別の場所でも「チャーリー・シリンゴはセルジオ・ソリーマの映画でウィリアム・ベルガーによっても演じられている」という記述を見かけたから、ひょっとしたらこの映画は「チャーリー・シリンゴの映画化」というそのことだけで、結構いつまでも名が残るかもしれない。まさかそれを意図的に狙ったわけでもないだろうが。
 さらに話が逸れるが、例のあまりにも有名な『ウエスタン』のメインテーマ。これを作るのにモリコーネが非常に苦しんだことは最近のインタビューでモリコーネ氏自身が語っているそうだ。氏がいつまでも「何もしてくれない」ので、業を煮やしたレオーネは途中で他の人にも作曲を依頼し、そっちを録音するところまで行ったという。だがやっと出来上がってきたモリコーネの作品を聴いてレオーネは半分決まりかかっていた別のスコアをボツにした。そりゃモリコーネのあの曲と比べられたらどんな曲だってボツになるだろう。

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