アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:セルジオ・コルブッチ

 フランスの名優ロベール・オッセンが監督した『傷だらけの用心棒』とイタリアのカルト監督セルジオ・コルブッチの『殺しが静かにやって来る』は、ストーリーが似ているだけにフランスとイタリアの国民性の違いが直接感じられるようで比べて見ると面白い。

 『傷だらけの用心棒』は私の知る限りでは日本では劇場未公開で、あまり知られていない。スタッフもキャストもほぼ全員フランス人(脚本はイタリア人のダリオ・アルジェント。普通の映画ファンならホラー映画を思い浮かべるだろう)だから、これをマカロニウエスタンと呼んでいいのかどうか迷うところだ。フランスではこのほかにも結構当時西部劇が製作されていて、ルイ・マルなんかも西部劇を撮っている。『ラッキー・ルーク』と言うフランス製アニメ西部劇などはドイツでも人気がある。ルイ・マルの西部劇はブリジット・バルドーやジャンヌ・モローが主人公でイタリアのマッチョ西部劇とは完全に雰囲気が違うから確かにマカロニウエスタン扱いされないが、この『傷だらけの用心棒』はモティーフや雰囲気から言ってまあマカロニウエスタンと見なしていいと思う。

 『傷だらけの用心棒』も『殺しが静かにやって来る』も夫を殺された寡婦が、殺し屋を雇って復讐しようとするが、結局女も男も相手に殺される、という陰鬱な話である点は共通しているが、フランス側の『傷だらけの用心棒』はストーリー展開にも無理がなく、登場人物にもあまり極端な性格なのは出てこない。主人公に「復讐は結局何も解決はしない」とボソっと言葉で言わせるあたり、文学の香りさえ漂っている感じ。
 もともとフランス映画には「宮廷モノ」とでも名付けたくなるような一連の映画群があって、ルイ何世とかアンリ何世とかの時代の華やかな宮廷ドラマを題材にしたものが得意ワザだが(三銃士とかゾロとかもここに含めていいだろう)、このオッセンもそういった宮廷モノのシリーズ映画『アンジェリク』で人気を博していたのだ。一連のアンジェリク映画で常にオッセンの相手役を務めていたミシェル・メルシエをこの『傷だらけの用心棒』でも起用している。
 あと、この映画には時々シーケンスがちょっとガキガキ飛んで一部繋がりが切れそうになるところがあるが、こんなのを見ているとジャン・リュック・ゴダールの例の『勝手にしやがれ』とかを思い出して仕方がない。私の考え過ぎかもしれないが。
 とにかくいろいろ「フランス性」を感じる映画なのだ。

 その代わり『傷だらけの用心棒』にはイタリア映画の『殺しが静かにやってくる』がもつ凄みに欠けるきらいがある。後者は映画全体がもうドスの効いたシーンの連続。登場人物もフランク・ヴォルフ演ずる保安官以外は全員多かれ少なかれ異常人格。ストーリーも現実味が薄く非常にシュールだ。
 こちらのTV雑誌の「一口情報」には両者が次のように紹介されていた。

『傷だらけの用心棒』:    見るものを捕らえて離さない暗い演出の復讐劇
『殺しが静かにやって来る』:無情。凍てついた地獄を通る。

なるほどこれは真をついた紹介である。

 さらに両者の違いを感じさせるのは、フランス側の主人公が最後に女に殺される、という点だ(は?)。殺されかた自体にも違いがある。フランス側はバーンと銃声が響いて主人公がバッタリ倒れる、という定式どおりのあっさりしたものになっているが、イタリア側は主人公が額を撃ち抜かれて倒れていくスローモーション映像をモリコーネのゾクゾクするような美しい音楽が伴奏する。

 いつだったか、ドイツの新聞でモリコーネの音楽をhypnotisch、つまり「人を催眠術にかけてしまうような」と描写していたが、私に関してはまさにその通りだ。小学校の時初めてモリコーネの『さすらいの口笛』を聴いて金縛り状態になってしまった。以来その催眠術から覚めることができない。『殺しが静かにやって来る』のテーマ曲も相当催眠術効果が強い。モリコーネのメロディはなんと言っても聴覚だけでなく視覚にも訴えて来るところが凄い。

 対して『傷だらけの用心棒』のテーマ曲はアンドレ・オッセンというフランスの作曲家だが、これはロベールの父である。私なんかは「アンドレ・オッセンは俳優ロベール・オッセンの父」と言った方が通りがいいが、本来「ロベール・オッセンは音楽家のアンドレ・オッセンの息子」というのが正しいのだそうだ。文化界ではアンドレ・オッセン氏の方が名が上らしい。
 アンドレ・オッセンの曲はこの『傷だらけの用心棒』の主題曲しか知らないのだが、これに限って言えばohrwürmigと形容できる。このohrwürmigという形容詞はもちろん「Ohrwurm的な」という意味だが、その元になったOhrwurm(「耳にわく虫」)というのは「一度聴くと耳にこびりついて離れない音楽」のことである。あるメロディがなぜかいつまでも耳もとに残っている、という経験は誰でも持っていると思うが、そういうときドイツ人はOhrwurmと表現するのである。この言葉は頻繁に使われるのだが、独日辞典を引いてみたらよりによってこの意味が載ってなかったので呆れた。Ohrwurmの項には「昆虫学:ハサミムシ」と「古・俗:おべっか使い」というはっきり言ってトンチンカンな二つの意味しか書かれていない。なんだこの辞書は。
 もっともこのOhrwurmは必ずしもいいメロディの曲に対してだけではなく、うるさく耳にこびりついて離れない邪魔な駄曲に対しても使われることがあるので注意が必要だ。『傷だらけの用心棒』のテーマ曲はあくまでポジティブな意味でのOhrwurmである。

 さて主役のロベール・オッセンだが、私がよく映画で見かけたころはまだ子供だったから(私の方がだ)「ろべーる・おっせん」と日本語でしか名前を知らなかったので、ずっと後でRobert Hosseinという名前を見ても私の知っているオッセンと結びつかず、一瞬「誰だこれは。サダムの親戚か?」と思ってしまった。
 さらに氏の本名がRobert Hosseinoffと、オフで終わっていると知って「ロシア語みたいな名前だな」と感じた。

 ところが父のアンドレについて調べたらどちらも本当だったのでまた驚いた。まず、アンドレ・オッセン(André Hossein)は本名Aminoulla Husseinoff(Аминулла Гусейнов)と言ってサマルカンド、つまりソ連領の生まれで母はイラン人、父はコーカサス出身のやはりイラン人なんだそうだ。なるほど、だからイスラム系というかアラビア語系の苗字になっているのである。旧ソ連の中央アジアの共和国出身には苗字をロシア語の語尾に加工して名乗っている人が非常に多い。
 なお私も以前にそのあたりから来た知り合いがいたが、ペルシャ語、アゼルバイジャン語のバイリンガルで、もちろんアラビア語の読み書きもできたが、名前は別にロシア語の語尾はついていなかった。現在は中央アジアの諸国は独立国になっているので、ロシア風に加工する必要などないのかもしれない。ロシア領コーカサスのイスラム教徒のほうにはまだロシア語式の語尾を持つ名前が普通のようだ。
 いずれにせよアンドレ・オッセン氏の苗字が「イスラム・アラビア語的名前でしかもロシア語語尾」なの理にかなっているのである。アンドレ氏はその後、ドイツで音楽教育を受けてからさらにフランスに渡り、フランス人として亡くなった。非常に国際的というかシブい経歴である。この父親ならば子供から「親を見りゃ俺の将来知れたもの」などという川柳で憎まれ口を叩かれたりはしまい。

 最後にこの映画の原題だが、une corde, un Colt(「ロープとコルト」)。両方の単語は頭韻を踏んでいる、というより音韻構造がほとんど同じである。前回の下ネタでも書いたように語末の音はそれぞれ d と t で、有声・無声の違いしかないからドイツ人には発音できないはずだ。まさかそのためでもなかろうが、ドイツ語のタイトルはFriedhof ohne Kreuze(「十字架のない墓場」)となっている。これはイタリア語のタイトルCimitero senza croci の訳。邦訳は配給会社の命令によるものか、それともこういうのが日本人の意地なのか、よく考え出された気の利いた原題がことさらに無視されて「見るな」といわんばかりのB級タイトルになっている。日本ではマカロニウエスタンの原題はたいていそうやってグチャグチャに破壊されるのが基本だから、その点では『傷だらけの用心棒』も典型的マカロニウエスタンといえるかもしれない。


これが『傷だらけの用心棒』のフランス語のポスター。イタリア映画『殺しが静かにやって来る』のほうはこのブログの筆者がちゃっかりタイトル画に使っている。
Cemetery-without-crosses



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 ドイツ語の映画のタイトルに最も頻繁に登場する名前といえばダントツに「ジャンゴ」(Django)だろう。そう、言わずと知れた『続・荒野の用心棒』(原題はズバリ『ジャンゴ』)の主人公の名前だが、この映画が当時ヨーロッパ中でクソ当たりしたために、後続のマカロニウエスタンの相当数が露骨に柳の下のドジョウを狙って主人公の名前をジャンゴとしているのだ。
 最近は「ジャンゴ」というとタランティーノの方をコルブッチの原作より先に思い浮かべる、どころかそれしか思い浮かばない若造(おっと失礼)が多いようだが、そういう人は、黒澤明の『用心棒』を見て、「これ、レオーネの『荒野の用心棒』とストーリーそっくりじゃないかよ」と黒澤監督をパクリ扱いしたさるドイツ人を笑えまい。

 さて、そのジャンゴ映画量産のことだが、ドイツ人はやることが徹底しているので、もとの映画では主人公が全く別の名前だった作品にまで「○○のジャンゴ」というドイツ語タイトルをつけ、吹き替えで名前を勝手にジャンゴにしてしまっている。フランコ・ネロが主役であればほぼ自動的に主人公は「ジャンゴ」。で、『ガンマン無頼』の主人公バート・サリバンもドイツではジャンゴだ。さらにネロがティナ・オーモンと撮った『裏切りの荒野』という作品。これはメリメの『カルメン』を土台にしたものだから、主人公も当然ホセという名前だったが、ドイツ語版ではこれが脈絡もなくジャンゴにされている。マカロニウエスタンのネタにするなんてメリメへの冒涜ではないのか。とかいうと逆にマカロニウエスタンへの冒涜になるかもしれないが。
 とにかくフランコ・ネロばかりでなく、原作ではサルタナという名前だったジョージ・ヒルトンの役もアンソニー・ステファン(まあこれは原作からすでにジャンゴだった役もかなりあったが)もドサクサに紛れてジャンゴにされた。テレンス・ヒルも原作とは無関係にジャンゴになったことがある。ジュリアーノ・ジェンマやジャン・ルイ・トランティニャンまでジャンゴ扱いされなかったのは奇跡というほかはない。

 下に示すのはそういった一連の「ジャンゴ映画」の一覧表だが、イタリア語原題と比べてドイツではいかに執拗に「ジャンゴ」が映画タイトルになっているかわかるだろう。一番上が製作年、その下にタイトルだが、イタリックで示したのがイタリアでの原題(まるでダジャレだ)、イタリア語の下がドイツ語タイトルである。日本で劇場公開されていない作品など邦題がわからなかったものが多く、正直いちいち調べるのもカッタルかったので邦題のないのが多くて申し訳ない。
 しかし一方マカロニウエスタンには、私のような普通になんとなく映画を見ているだけの常人の想像を絶するようなフリークがいて、作品の製作年と監督や主役の名前を見ればどの映画かすぐわかり内容がたちまち思い浮かんでくるという変態いや専門家ばかりだから邦題など必要あるまい。このリストに上がっているジャンゴ映画は全部見た、と言いだす人がいても私は全然驚かない。ドイツは特にそうだ。私など「見たような気はするが内容は全然覚えていない」という程度の不確実なものまで勘定して水増し申告しても、この中で見た映画はせいぜい10作品くらいである。完全に修行が足りない。

1966
Django
Django
『続・荒野の用心棒』
監督:セルジオ・コルブッチ、キャスト:フランコ・ネロ、ロレダナ・ヌシアク

1966
Le colt cantarono la morte e fu... tempo di massacro
Django – Sein Gesangbuch war der Colt
『真昼の用心棒』
監督:ルチオ・フルチ、キャスト:フランコ・ネロ、ジョージ・ヒルトン

1966
Django spara per primo
Django – Nur der Colt war sein Freund
『復讐のジャンゴ・岩山の決闘』
監督:アルベルト・デ・マルティーノ、キャスト:グレン・サクソン、フェルナンド・サンチョ

1966
La più grande rapina nel West
Ein Halleluja für Django
監督:マウリツィオ・ルチディ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ハント・パワーズ

1966
Pochi Dollari per Django
Django kennt kein Erbarmen
『無宿のプロガンマン』
監督:レオン・クリモフスキー、キャスト:アンソニー・ステファン、フランク・ヴォルフ

1966
Sette Dollari sul rosso
Django – Die Geier stehen Schlange
『地獄から来たプロガンマン』
監督:アルベルト・カルドーネ、キャスト:アンソニー・ステファン、フェルナンド・サンチョ

1966
Starblack
Django – Schwarzer Gott des Todes
監督:ジャンニ・グリマルディ、キャスト:ロバート・ウッズ、へルガ・アンダーソン

1966
Texas, addio
Django, der Rächer
『ガンマン無頼』
監督:フェルディナンド・バルディ、キャスト:フランコ・ネロ、アルベルト・デラクア

1967
Bill il taciturno
Django tötet leise
監督:マッシモ・プピロ、キャスト:ジョージ・イーストマン、リアナ・オルフェイ

1967
Cjamango
Django – Kreuze im blutigen Sand
監督:エドアルド・ムラルジア、キャスト:イヴァン・ラシモフ、エレーヌ・シャネル

1967
Dio perdona … io no!
Gott vergibt… Django nie!
監督:ジュゼッペ・コリッツィ、キャスト:テレンス・ヒル、バッド・スペンサー

1967
Due rrringos nel Texas
Zwei Trottel gegen Django
『テキサスから来た2人のリンゴ』
監督:マリーノ・ジロラーミ、キャスト:フランコ・フランキ、チッチオ・イングラシア

1967
Le due facce del dollaro
Django - sein Colt singt sechs Strophen
監督:ロベルト・ビアンキ・モンテロ、キャスト:モンティ・グリーンウッド、ガブリエラ・ジョルジェッリ

1967
Il figlio di Django
Der Sohn des Django
監督:オスヴァルド・チヴィラーニ、キャスト:ガイ・マディソン、ガブリエレ・ティンティ

1967
Il momento di uccidere
Django – Ein Sarg voll Blut
監督:ジュリアーノ・カルニメオ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ウォルター・バーンズ

1967
Non aspettare, Django, spara!
Django – Dein Henker wartet
監督:エドアルド・マラルジア、キャスト:イヴァン・ラシモフ、ペドロ・サンチェス

1967
Per 100.000 Dollari t’ammazzo
Django der Bastard
監督:ジョヴァンニ・ファゴ、キャスト:ジャンニ・ガルコ、クラウディオ・カマソ

1967
Preparati la bara!
Django und die Bande der Gehenkten
『皆殺しのジャンゴ』
監督:フェルナンド・バルディ、キャスト:テレンス・ヒル、ホルスト・フランク

1967
Quella sporca storia nel West
Django – Die Totengräber warten schon
『ジョニー・ハムレット』
監督:エンツォ・カステラーリ、キャスト:アンドレア・ジョルダーナ、ギルバート・ローランド

1967
Se sei vivo spara
Töte, Django
『情無用のジャンゴ』
監督:ジュリオ・クエスティ、キャスト:トマス・ミリアン、ピエロ・ルッリ

1967
Se vuoi vivere… spara!
Andere beten – Django schießt
監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:イヴァン・ラシモフ、ジョヴァンニ・チャンフリーリャ

1967
Sentenza di morte
Django – Unbarmherzig wie die Sonne
監督:マリオ・ランフランキ、キャスト:ロビン・クラーク、トマス・ミリアン

1967
L’uomo, l’orgoglio, la vendetta
Mit Django kam der Tod
『裏切りの荒野』
監督:ルイジ・バッツォーニ、キャスト:フランコ・ネロ、ティナ・オーモン

1967
L'uomo venuto per uccidere
Django – unersättlich wie der Satan
監督:レオン・クリモフスキー、キャスト:リチャード・ワイラー、ブラッド・ハリス

1967
La vendetta è il mio perdono
Django – sein letzter Gruß
監督:ロベルト・マウリ、キャスト:タブ・ハンター、エリカ・ブランク

1967
Lo voglio morto
Django – ich will ihn tot
監督:パオロ・ビアンキーニ、キャスト:クレイグ・ヒル、レア・マッサリ

1968
Black Jack
Auf die Knie, Django
監督:ジャンフランコ・バルダネッロ、キャスト:ロバート・ウッズ、ルシエンヌ・ブリドゥ

1968
Chiedi perdono a Dio, non a me
Django – den Colt an der Kehle
監督:ヴィンツェンツォ・ムソリーノ、キャスト:ジョージ・アルディソン、ピーター・マーテル

1968
Execution
Django – Die Bibel ist kein Kartenspiel
監督:ドメニコ・パオレッラ、キャスト:ジョン・リチャードソン、ミモ・パルマーラ

1968
Una lunga fila di croci
Django und Sartana, die tödlichen Zwei
監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:アンソニーステファン、ウィリアム・ベルガー

1968
Quel caldo maledetto giorno di fuoco
Django spricht kein Vaterunser
監督:パオロ・ビアンキーニ、キャスト:ロバート・ウッズ、ジョン・アイルランド

1968
Réquiem para el gringo
Requiem für Django
監督:ホセ・ルイス・メリーノ、キャスト:ラング・ジェフリース、フェミ・ベヌッシ

1968
Il suo nome gridava vendetta
Django spricht das Nachtgebet
監督:マリオ・カイアーノ、キャスト:アンソニー・ステファン、ウィリアム・ベルガー

1968
T’ammazzo!… raccomandati a Dio
Django, wo steht Dein Sarg?
監督:オスヴァルド・チヴィラーニ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ジョン・アイルランド

1968
Uno di più all’inferno
Django – Melodie in Blei
監督:ジョヴァンニ・ファゴ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ポール・スティーブンス

1968
Uno dopo l’altro
 Von Django – mit den besten Empfehlungen
監督:ニック・ノストロ、キャスト:リチャード・ハリソン、パメラ・チューダー

1968
Vado… l’ammazzo e torno
Leg ihn um, Django
『黄金の三悪人』
監督:エンツォ・カステラーリ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、ギルバート・ローランド

1969
Ciakmull, l’uomo della vendetta
Django – Die Nacht der langen Messer
監督:エンツォ・バルボーニ、キャスト:レオナード・マン、ウッディー・ストロード

1969
Dio perdoni la mia pistola
Django – Gott vergib seinem Colt
監督:レオポルド・サヴォナ、キャスト:ワイド・プレストン、ロレダナ・ヌシアク

1969
Django il bastardo
Django und die Bande der Bluthunde
監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:アンソニーステファン、パオロ・ゴズリーノ

1969
Django sfida Sartana
(ドイツ劇場未公開)
監督:パスクァーレ・スキティエリ、キャスト:ジョルジョ・アルディソン、トニー・ケンダル

1970
Arrivano Django e Sartana…è la fine!
Django und Sartana kommen
監督:デモフィロ・フィダーニ、キャスト:ハント・パワーズ、ゴードン・ミッチェル

1970
C’è Sartana… vendi la pistola e comprati la bara!
Django und Sabata – wie blutige Geier
監督:ジュリアーノ・カルニメオ、キャスト:ジョージ・ヒルトン、チャールズ・サウスウッド

1970
Quel maledetto giorno d'inverno…Django e Sartana… all’ultimo sangue
(ドイツ劇場未公開)
監督:デモフィロ・フィダーニ、キャスト:ハント・パワーズ、ファビオ・テスティ

1970
Uccidi Django… uccidi per primo!
(ドイツ劇場未公開)
監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:ジャコモ・ロッシ・スチュアート、アルド・サンブレル

1971
Anche per Django le carogne hanno un prezzo
Auch Djangos Kopf hat seinen Preis
監督:ルイジ・バッツェラ、キャスト:ジェフ・キャメロン、ジョン・デズモント

1971
Il mio nome è Mallory "M" come morte
Django – Unerbittlich bis zum Tod
監督:マリオ・モローニ、キャスト:ロバート・ウッズ、ガブリエラ・ジョルジェッリ

1971
Quel maledetto giorno della resa dei conti
Django – Der Tag der Abrechnung
監督:セルジオ・ガローネ、キャスト:グイド・ロロブリジーダ、タイ・ハーディン

1971
Una pistola per cento croci
Django, eine Pistole für hundert Kreuze
監督:カルロ・クロッコーロ、キャスト:トニー・ケンダル、マリーナ・ムリガン

1971
W Django!
Ein Fressen für Django
監督:エドアルド・ムラルジア、キャスト:アンソニー・ステファン、クラウコ・オノラート

1972
La lunga cavalcata della vendetta
Djangos blutige Spur
監督:タニオ・ボッチア、キャスト:リチャード・ハリソン、アニタ・エクバーグ

1987
Django 2: il grande ritorno
Djangos Rückkehr
監督:ネッロ・ロサーティ、キャスト:フランコ・ネロ、クリストファー・コネリ

 さて、その元祖となった『続・荒野の用心棒』の主人公ジャンゴだが、監督のセルジオ・コルブッチはこの名前をヨーロッパのジャズ・ギターの第一人者ジャンゴ・ラインハルトから持って来ている。ラインハルトはベルギー生まれのロマ、フランス語でマヌシュと呼ばれるグループの出身らしいが、このマヌシュは『50.ヨーロッパ最大の少数言語』の項で述べたようにドイツのロマ、シンティと同じ方言グループに属している。つまり「ジャンゴ」という名前は本来ロマニ語。その名前の由来について調べてみたら2説あった。

1.Django(またはDžango)はJean、Johannes、Giovanniという名前のロマニ語バージョンである。
2.Džangoとはロマニ語でI wake up、または I woke upという意味である。

困った。どちらの説でも疑問点が出てきてしまったからだ。

1について:
Jean、Johannes、Giovanniのロマニ語バージョンならDžanoとかいう形にはならないのか?その/g/という音素はどこから来たのか。

2について:
調べてみたら「目覚める」というロマニ語はdžungadol、方言によってはdžangadolまたはdžangavel(辞書形は3人称単数形)だそうだが、それなら「私は目覚める」はdžangaduaまたはdžangavua(シンティ)、あるいはdžangadavもしくはdžangavav(その他の方言)、「私は目覚めた」だと džangadomまたはdžangavomとか何とかになると思うのだが。/d/または/v/の音素が消えてしまっているのはなぜか?

 つまりどちらも確かに形は似ているとはいえ、前者は音素が一つ余り、後者は一つ足りない。帯に短し襷に長しでどちらもストレートにDžangoにはならない。もっともシンティのdžangavuaが一番近いなとは思ったし、

džangavua→[dʒanɡavʊa]→[dʒanɡaʊa]→[dʒanɡɔ:]→[dʒanɡɔ]

とかなんとか音の変化の流れを解釈すれば説明がつかないことはない。
 しかし私はロマニ語ができないので確かなことはわからないし、こんな小さなことは本なんかには出ていないだろうと思ったので人に聞くしかないなと判断し、まずオーストリアのグラーツ大学の教授に上のようなことを述べ、「どっちが正しいんでしょうか?」と問い合わせのメールを出したが音沙汰なし。「この忙しいのになんなんだこの馬鹿メールは?」と無視されたか(されて当然だと我ながら思う)、スパム扱いされて自動的にゴミ箱行きになったかと思い、今度はヨーロッパでロマニ語研究プロジェクトを立てているもう一つの大学、イギリスのマンチェスター大にメールを出してみたら2日後に次のような返事が来た。

Dear 人食いアヒルの子,

unfortunately we are not able to help you.
Reconstructing the etymology of personal name is almost impossible if there are no written records of a given name across a considerable length of time. Unfortunately, this is the case for Django.

Sorry to disappoint you,

*** ***

Romani Project
School of Languages, Linguistics & Cultures
University of Manchester
Manchester M13 9PL, UK

*** ***という部分は研究員の方の名前だが、もちろん伏せ字にしておいた。しかし2日もたってから返事が来たということは一応まじめに検討してくれたのか、それとも単に放っておかれたのか?どちらにしても大変お騒がせしました。

 と、いうわけでジャンゴという名前の由来は「わからない」というつまらないオチに終わってしまった。


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 映画の脚本は絵で言うデッサン、建築で言う設計図のようなもので、普通はこれに合わせて配役が決められるのだろうが、時々逆に俳優に合わせて脚本が練られることがある。
 有名なのは『殺しが静かにやって来る』で、主役と決めたジャン・ルイ・トランティニャンが英語ができなかったため、唖という設定でセリフなしになった。もっとも「主役が言葉ができないから唖ということにする」という発想そのものは元々マルチェロ・マストロヤンニが言いだしっぺと聞いた。マストロヤンニがドゥッチョ・テッサリだかミケーレ・ルーポだかに「俺は英語ができないから唖ということにして西部劇の主役にしてくれないか」と話を持ちかけたのだそうだ。そのアイデアがどうしてトランティニャンとセルジオ・コルブッチに回ってきたのかわからないが、さすがマカロニウエスタン、ご都合主義の典型だ。
 コルブッチはこのご都合主義をさらに拡大させて、「なぜ主人公が唖になったのか」という設定にほとんど超自然的な理由をくっつけて論理的に破綻スレスレの脚本にしている。

「主人公は両親を無法者の賞金稼ぎたちに殺されたが、その際「顔を見られた」犯人達が、殺しの目撃者であるこの少年が将来証言することができないように声帯を切り取ってしまった。口封じである。」

 なんだこの無理のありすぎる設定は。第一に口封じしたかったら普通目撃者を殺すだろう。いくら口を利けなくしたって生かしておいて筆談でもされたら一巻の終わりではないか。第二に喉にナイフ入れられたら普通死ぬだろう。声帯は切り取るが死にはしない程度に正確に喉笛を切れるほどの技術があったら、賞金稼ぎなんてやっていないで外科医にでもなったほうが安定した人生が送れるというものだ。
 こんな無理のありすぎる理由をデッチ上げなくても「主人公は生まれたときから口がきけなかったが、そのおかげで両親が殺されるのを目撃した時も叫んだり声をあげたりすることができず、犯人に発見されずに生き残った」、これで十分だと思うのだが。
 その上そこまで無理矢理考え出した「口の利けない主人公」を監督・脚本のコルブッチは映画の中でおちょくっている。ちょっとこの映画を思い出して欲しい。主役のトランティニャンが雪の中で射撃練習に励むシーンがあるが、その音を聞きつけてフランク・ヴォルフ演ずる保安官が駆けつける。そしてトランティニャンに職務質問するが何を聞いても答えない。「そうやって頑強に黙っているつもりなら公務執行妨害で逮捕するぞ」とトランティニャンの襟首を摑んで脅すとヴォネッタ・マッギー演ずる寡婦が横から口を入れる。「保安官。彼は口が利けません。唖なんですよ」。そこでヴォルフ氏はトランティニャンになんと言ったか。「なんだ。それならそれで早く言ってくればよかったのに」。このセリフは完全にギャグである。私といっしょに見ていた者はここで全員ゲラゲラ笑った。

 この監督はいったい何を考えて映画を作っているのか、今ひとつわからない。

 もっともコルブッチばかりでなくセルジオ・レオーネにも「これは脚本のほうが後出しかな」と思える映画があった。『ウェスタン』だ。この映画は当時ヨーロッパで地獄のようにヒットした。レオーネ監督ばかりでなく、その前の『続・夕陽のガンマン』ですでにスター作曲家としての地位を確立していたエンニオ・モリコーネもこの主題曲で駄目押しと言ったらいいか「これでキマリ」といったらいいか、その名前を不動のものにした。『ウエスタン』のあのハーモニカのメロディは今でも四六時中TVなどから聞こえてくる。ギムナジウムの音楽の授業にこれを取り上げた例も知っている。演奏したのではなく、一つ一つは極めて単純なコンポネントを組み合わせて全体としては単なるコンポネントの総和以上の効果を上げている例、とかなんとかいう「話として」、つまり(もちろんギムナジウムのことだから初歩的・原始的なものであるが)音楽理論のテーマとして取り上げたそうだ。
 モリコーネ氏はちょっと前にシュツットガルトでコンサートを開いたが、そこのインタビューに答えて、あまりにあちこちでこの『ウエスタン』のメロディが流されるのでいいかげん聞き飽きているとボヤいたそうだ。作曲者自身が食傷するほど流されるメロディというのも珍しい。『続・夕陽のガンマン』のテーマ曲の方も有名で、以前やはりドイツの記者がインタビューしに出向く際、たまたま乗っていたタクシーの運転手にモリコーネと会うといったら運転手氏がやにわにそのテーマ曲をハミングし出したと記事に書いている。『続・夕陽のガンマン』はテーマ曲のほかにも最後のシーンで流れていたEcstasy of goldをメタリカがコンサートのオープニングに使っているのでこれも皆知っているだろう。映画ではソプラノで歌われていたあの美しい曲がどうやったらヘビメタになるのかと思ってメタリカのコンサート映像をちょっと覗いてみたことがあるが、ぴったりハマっていたので感心した。

 さてその『ウエスタン』だが、ここでクラウディア・カルディナーレ演ずる主人公がニュー・オーリーンズ出身という設定になっていた。どうしてそんな遠いところの地名を唐突に言い立てるのか一瞬あれ?と思ったが、これはひょっとしたらこの設定はカルディナーレに合わせたものではないだろうか。
 
 ニュー・オーリーンズが首都であるルイジアナ州は名前を見ても瞭然であるようにもともとフランス人の入植地で、日本人やアメリカ人が安直に「オーリーンズ」と発音している町は本来「オルレアン」というべきだ。今でもフランス語を使っている住民がいると聞いたが、西部開拓時代はこのフランス語地域がもっと広かったらしい。もしかしたらそのころは英語を話さない(話せない)フランス語住民も相当いたのではないだろうか。
 フランス語そのもののほかにフランス語系クレオール語も広く使われていたらしい。先日さるドキュメンタリー番組で、ルイジアナで最初の黒人と白人の結婚カップルとしてある老夫婦が紹介されていたが(奥さんの方が黒人)、いかに周りの偏見や揶揄と戦ってきたかを語っていく際、奥さんが「私の両親の母語はフランス語クレオールでした」と言っていた。アメリカの黒人にフランス語的な苗字や名前が目立つのも頷ける話だ。

18世紀のアメリカのフランス語地域。ルイジアナからケベックまでつながっている。(ウィキペディアから)
svg

現在(2011年ごろ)の状況。色のついている部分がフランス語(ケイジャンという特殊な方言も含めて)を話す住民がいる地域。ニューオーリーンズそのものはここでマークされていないところが興味深いといえば興味深い。(これもウィキペディア)
French_in_the_United_States

 クラウディア・カルディナーレはイタリア人だと思っている人が多いが、いや確かにイタリア人なのだが、実はチュニジア生まれで母語はフランス語とアラビア語だったそうだ。イタリア映画界に入ったときはロクにイタリア語がしゃべれなかったと聞いた。第一言語がアラビア語であるイタリア人の例は他にも時々耳にする。とにかくそのためかカルディナーレは確かにフランス映画に多く出演している。ジャック・ペランやアラン・ドロンなど、共演者もフランス人が多い。この人は語学が得意ですぐにその「しゃべれなかった」イタリア語も英語も覚えて国際女優にのし上がったが、もしかしたらその英語は聞く人が聞くとはっきりフランス語訛とわかったのかもしれない。それとの整合性をとるため、『ウェスタン』ではニュー・オーリーンズ出身ということにしたのではないか、と私は思っている。
 もし「ニューオーリーンズ出身」ということが最初から脚本にあり、映画の筋にも重要であればカルディナーレでなく本物の(?)フランス人女優を起用したはずである。ところがストーリー上この役は別にニューオーリーンズでなくとも、とにかく「どこか遠いところから来た女性」であれば十分であることに加え、レオーネ自身「他の俳優はアメリカ人にするにしても中心となるこの女性はイタリア人の女優にやらせたかった」と述べているから、「ニューオーリーンズ」はやはりカルディナーレのためにわざわざ考え出された設定と考えていいと思う。
 さらにひょっとすると、アメリカ人にとってもフランス語アクセントの英語はちょっと高級なヨーロッパの香りを漂わせていてむしろ歓迎だったのではないだろうか。カルディナーレのフランス語アクセントをむしろ強調したかったのかも知れない。そういえば『ウエスタン』のパロディ版ともいえるトニーノ・ヴァレリ監督の『ミスター・ノーボディ』では前者の主役俳優ヘンリー・フォンダを再び起用しているが、その役の苗字がボレガール(Beauregard)というフランス語の名前だった。


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 一年ほど前だが、ピエール・ブリース(Pierre Brice)というフランス人の俳優が亡くなった。1929年生まれというからモリコーネより一歳年下だ。本国フランスよりもドイツで国民的人気のあった俳優で、TVでも新聞でも大きく報道していた。ブリースを忘れられないスターにしたのは一連のドイツ製西部劇である。マカロニウェスタンの前哨となったジャンルだ。

 日本には「最初に非アメリカ製西部劇を作ったのはセルジオ・レオーネ」と思い込んでいる人がいるが、これは全くの誤りである。
 大陸ヨーロッパでは50年代からすでに結構西部劇が作られていたのだ。当時西ドイツやスペイン、フランスなどで作られた西部劇が結構あるし、イタリアでさえもレオーネより何年も前から西部劇はいくつも作られていた。第一『荒野の用心棒』からして、レオーネが企画を持ち込んだ時製作会社のジョリィ・フィルムはすでにGringo(ドイツ語タイトルDrei gegen sacramento、「三人組サクラメントに向かう」)という西部劇を作り終えていたところだったし、レオーネが来たときもちょうどLe pistole non discutono(ドイツ語タイトルDie letzten Zwei vom Rio Bravo、「リオ・ブラヴォーの最後の二人」)という西部劇を製作中だった。この映画の予算がちょっと余ったのでレオーネにも出せるということになり企画が実現したのだ。つまり『荒野の用心棒』レコードで言えばB面、いわば「残飯映画」なのである。

 「マカロニウエスタン以前のユーロウエスタン」は興行的にもそこそこの成功を収めていたらしいが、このピエール・ブリースがインディアンの酋長を演じた一連の西部劇によって西ドイツでブレークした。
 これはカール・マイの冒険小説を映画化したもので、主人公はオールド・シャターハンドという白人だが、ヴィネトゥというアパッチの若い酋長と知り合い兄弟の契りを交わす。その二人の冒険談である。中でも有名なのが「ヴィネトゥ三部作」と呼ばれる映画シリーズで、三作とも監督はハラルト・ラインルだが、その他にも単発で「ヴィネトゥもの」が何作も同監督や別の監督でも作られた。そこでいつもヴィネトゥの役を演じたのがブリースだったのである。
 ブリースはフランスのブルターニュの生まれで、ドイツ語で言ういわゆる「南欧系」、つまりラテン系とギリシャ人をひっくるめていうカテゴリーに属し、ゲルマン・スラブの女性にムチャクチャもてるタイプの容貌をしていたこともあって、映画は非常にヒットした。主役は本来オールド・シャターハンドのほうだったが、そのうちのブリースのヴィネトゥのほうが人気が出だしたので三部作ではこのアパッチの酋長の名前のほうをタイトルに持ってきたわけだ。ストーリーは健全でいながらエピソードに富むという、まあカール・マイの小説そのもので休みにお父さん・お母さんが子供連れで見に出かける家族映画としては完璧。ディズニーがこれを手がけなかったのが惜しいくらいである。年配のドイツ人には子供の頃ヴィネトゥを夢中で見た思い出を懐かしそうに語る人がいまだに大勢いる。

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ヴィネトゥを演じたフランス人ピエール・ブリース。隣がレックス・バーカー演じるオールド・シャターハンド
www.spiegel.deから

 ただ、家族映画なだけに、マカロニウエスタンを見慣れた目でみると健全すぎて面白くない。絵の点でも例えば三部作での主人公オールド・シャターハンドの衣装は『シェーン』のアラン・ラッドの二番煎じ的だし、ネイティブ・アメリカンの描写もステレオタイプ過ぎて本物のアメリカ原住民の人が見たら怒るんじゃないかと思われるくらい。また、そこで部族の女性が何人か出てくるのだが、女優が皆ドイツ人の顔つきなところに無理矢理黒髪・お下げのカツラをかぶせて強引にインディアンにしたてあげているため、全然似合っていない。どう見てもネイティブ・アメリカンには見えないのである。
 最初のヴィネトゥ映画はDer Schatz im Silbersee(「シルバー・レイクの宝」)という単発映画だがこの公開は1962年12月14日、監督は三部作と同じくラインルである。さらに続いて単発ヴィネトゥ映画がバラバラと作られていったが、やがて上述の三部作が生まれた。第一作目が1963年12月11日、二作目1964年9月17日、第三作目は1965年10月14日の西ドイツ公開だから、二作目と三作目の間に『荒野の用心棒』が登場したことになる。『荒野の用心棒』は本国イタリアでは1964年9月12日公開なので2作目より早いが、西ドイツでは劇場公開が1965年3月5日なので「『荒野の用心棒』はヴィネトゥ二作目と三作目の間」といっていいだろう。1965年にはイタリアではすでにマカロニウエスタン旋風が吹き荒れていたはずだが、西ドイツではこの時点で観客の目はまだイーストウッドよりピエール・ブリースの方を向いていたのではないだろうか。

 この三部作の最後の作品のそのまた最後にヴィネトゥが死ぬ。オールド・シャターハンドと庇おうとして撃ち殺されるのである。本来ヴィネトゥ映画シリーズはここで一応の終わりを見るはずであった。しかし当時の西ドイツの観客が黙っていなかったそうだ。ブリースのヴィネトゥを生き帰させろと製作会社に抗議が殺到し暴動(?)が起こりそうになったため、製作会社が折れ、またブリースを主役にしたヴィネトゥ映画を作り続けて国民をなだめたそうだ。そういえば『殺しが静かにやって来る』でも映画のラストに抗議してローマで暴動が起きたという都市伝説を聞いたことがあるが、この噂のベースはもしかしたらこのヴィネトゥ映画かもしれない

 これらヴィネトゥ映画はじめ当時の西ドイツの西部劇は時期的にマカロニウエスタンの誕生と完全にダブっていただけではない、俳優の点でも重複している。ヴィネトゥものにはクラウス・キンスキーやマリオ・ジロッティ(テレンス・ヒルの本名)、ジークハルト・ルップ、ウォルター・バーンズ、ホルスト・フランクなどマカロニウエスタンでおなじみの俳優が顔を出しているし、1964年3月23日公開、つまり『荒野の用心棒』の直前に作られ公開された非ヴィネトゥの西ドイツ西部劇Der letzte Ritt nach Santa Cruz(「サンタ・クルースへの最後の旅」)にはマリアンネ・コッホ、キンスキー、ルップ、マリオ・アドルフなどが出ていて出演の面子だけみたら完全にマカロニウエスタンである。
 俳優ではないがヴィネトゥ単発もの、1964年4月30日公開のズバリOld Shutterhandというタイトルの映画の音楽を担当したのは聞いて驚くなリズ・オルトラーニだ。
 また、西ドイツに誘発されたのか対抗意識なのか、その後東ドイツでも結構盛んに西部劇というかインディアン映画が作られるようになった。主役はOld shatterhandにも出ていた(当時)ユーゴスラビアの俳優ゴイコ・ミティッチ(Gojko Mitić) が演ずることが多かった。「西のブリース、東のミティッチ」と言われたそうだ。東ドイツの西部劇は1965年くらいから作られ始め、1970年代を通じて1980年代くらいまでは時々製作されていたから時期的には完全にマカロニウエスタンと重なっているのである。

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これが東ドイツのインディアン、ゴイコ・ミティッチ。https://mopo24.deから

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西のブリース、東のミティッチのダブル出演。これもhttps://mopo24.deから

 このカール・マイ西部劇はロケを当時のユーゴスラビアで行なったが、このロケ地をそのまま引き継いでイタリア製西部劇を作ったのがセルジオ・コルブッチ。1964年5月25日イタリア公開のMassacro al Grande Canyon(「グランド・キャニオンの大虐殺」)という映画がそれだ。『荒野の用心棒』より半年も早い。主役にロバート・ミッチャムの息子のジェームズ・ミッチャムを起用しているのだが、映画自体はアメリカ西部劇の劣化コピーのようであまり面白くなかった。

 ドイツ製西部劇がコルブッチに与えた影響はモティーフにも見て取れる。普通マカロニウエスタンにはあまりネイティブアメリカンが出てこないのだが、コルブッチはこの伝統を破っていわゆるインディアンを主人公に据えている。『さすらいのガンマン』(1966)である。しかもご丁寧に主役は本当にチェロキーインディアンの血を引くバート・レイノルズを持ってきている。その後トニーノ・チェルヴィが『野獣暁に死す』(1967)で仲代達也にネイティブ・アメリカン(それともメキシコ人だったか)という設定で登場させたが、こちらは悪役だし、主人公は仲代に復讐する側のガンマンだったから、コルブッチのほうがドイツ製西部劇に忠実だったと言えるだろう。
 ちなみにここの仲代もヴィネトゥ映画のインディアン女性に負けず劣らず無理があった。どうやってもネイティブアメリカンにもメキシコ人にも見えないのである。最初の登場シーンでチェルヴィは仲代にマチェットを振り回させたが、その持ち方がどう見ても日本刀。おかげで以降(少なくとも私には)日本人にしか見えなくなった。さらに映画の最後のほうでも刀を完全にサムライ風に持って立ち回りを演じたのでそのガンマン装束との間に違和感がありすぎた。仲代氏も仕事とはいいながら、黒澤明の時代劇では銃を撃つ一方西部劇では刀を振り回すという、まあ普通とは逆を行かされてご苦労様でしたとねぎらうほかはない。

 当時「ヨーロッパで西部劇を作る」のはすでに珍しいことでもなんでもなかったし、観客側にもそれを一つのジャンルとして受け入れる雰囲気はドイツを中心とした当時の大陸ヨーロッパに広がっていた。いわばお膳立てはすっかり出来上がっていたのだ。機は熟していた。レオーネはそれに点火したのだ。


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 マカロニウエスタンは1960年の終わりに頂点に達したのち70年代に入ると衰退期に入るが、その前にちょっとしたサブジャンルがいくつか生じた。 その一つが俗に「メキシコ革命もの」と呼ばれる、フアレス将軍時代のメキシコ革命をモチーフにした一連の作品である。直接メキシコ革命を題材にしていないもの、たとえばセルジオ・ソリーマの『復讐のガンマン』でもトマス・ミリアン演じるメキシコ農民がセリフの中でフアレスの名を口に出したりしている。いかにも最初から社会派路線を打ち出したソリーマの映画らしい。

 実はどうしてマカロニウエスタンにはメキシコ革命のモチーフがよく出て来るのか以前から不思議に思っていたのだが、次のような事情を鑑みると結構納得できるのではないだろうか。

1.このサブジャンルが盛んに作られたころから1970年代の始めにかけてはイタリアやフランスで共産党の勢力が強かった頃で、調べによればイタリア共産党(Partito Comunista Italiano)は当時キリスト教民主党(Democrazia Cristiana)と協力して連立政権を取りそうな勢いさえあったそうだ。

2.メキシコ革命もののマカロニウエスタンの代表作といえる『群盗荒野を裂く』(監督ダミアーノ・ダミアーニ、1966)、『復讐無頼・狼たちの荒野』(監督ジュリオ・ペトローニ、1968)などの脚本を手がけたのはフランコ・ソリナスだ。 ソリナスは『豹/ジャガー』(監督セルジオ・コルブッチ、1968)でも原案を提供しているし、上述の『復讐のガンマン』でもクレジットには出ていないが脚本に協力したそうだ。この人はその前に『アルジェの戦い』の脚本を書いてオスカーにノミネートされ、後にはオスカーばかりでなくベネチア、カンヌでも種々の賞をガポガポ取ったコンスタンチン・コスタ-ガヴラスと『戒厳令』(1972)で脚本の共同執筆をした政治派で、おまけにイタリア共産党員である。

3.そもそも映画監督だろ脚本家だろには、左側通行だったり反体制のヘソ曲がりだったり、あるいはそのどちらも兼ねている人が多い上に、たとえマカロニウェスタンの監督であっても(おっと失礼)皆インテリで正規の映画大学などで教育を受けているのが普通だから、ゲラシモフだろエイゼンシュテインだろプドフキンだろのソ連の古典映画を教材にしたに違いない。

4.そうでなくても当時のイタリア映画界はソ連映画界と結構仲がよく、1971年にはダミアノ・ダミアーニがモスクワ映画祭で金メダルを取ったりしている。 残念ながら(?)『群盗荒野を裂く』ではなく『警視の告白』という作品である。そういえば黒澤明がソ連でデルス・ウザーラを取った時、日本側の世話人(プロデューサーと言え)が松江陽一氏、ソ連側がカルレン・アガジャーノフ氏だったが、イタリア映画実験センター(チェントロ)で映画の勉強をしていたことがある松江氏もそしてアガジャーノフ氏も(なぜか)イタリア語が話せたので外部に洩れては困る会話はイタリア語で行なったそうだ。

5.アガジャーノフ氏もチェントロにいたのかどうかは知らないが、とにかく当時のイタリア映画界はソ連映画界と結構密接につながっていた模様だから、「革命」のモチーフはソ連から来たのかもしれない。

 こうして意外なところで自分の専攻したスラブ語学とマカロニウエスタンがつながったので無責任に喜んでいたが、さらにちょっと思いついたことがある。、一つは1965年に西ドイツで製作されたDer Schatz der Azteken(「アステカの財宝」)という映画だ。いわゆるカール・マイ映画と呼ばれる一連の映画の一つである。主演はヴィネトゥ・シリーズを通じて(『69.ピエール・ブリース追悼』参照)ピエール・ブリースと共演していたレックス・バーカーで、1864年ごろのメキシコ革命時が舞台になっている。映画そのものはあまり面白いと思わなかったし、ブリースも出ていなかったためか興行的にもヴィネトゥ映画ほどは成功しなかったようだが、カール・マイ映画群がある意味ではマカロニウエスタンの発生源であることを考えると、案外この映画あたりがモチーフ選択に影響を与えたのかもしれない。『アステカの財宝』は時期的にも『群盗荒野を裂く』が作られる直前に製作されている。

 もうひとつ、1968年にアメリカで製作された『戦うパンチョ・ビラ』という映画がメキシコ革命を題材にしていたのを思い出してちょっと調べてみたら、これがもうびっくらぼんで、何とフランク・ヴォルフとアルド・サンブレルが出演している。ヴォルフもサンブレルも、普通に普通の映画を見ている常識的な人は誰もその名を知らないが、マカロニウエスタンのジャンルファンなら知らない人はいないという、リトマス試験紙というか踏み絵というか、「知っている・知らない」がファンかファンでないかの入門テストになる名前である。もっともそんなものに入門を許されても何の自慢にもならないが。そのヴォルフはレオーネの『ウエスタン』の冒頭にも出てきてすぐ殺された。マカロニウエスタンの最高峰作品の一つ、セルジオ・コルブッチの『殺しが静かにやって来る』にも出ている。サンブレルのほうもやたらとマカロニウエスタンに出ちゃあ撃ち殺されているので名前は知らなくとも顔だけは知っている人も多いだろう。上述の『群盗荒野を裂く』にも出てきてやっぱり撃ち殺されていた。
 さてさらに『戦うパンチョ・ビラ』の製作メンバーを見ていくと、脚本をサム・ペキンパーが担当している。マカロニウエスタンが逆にアメリカの西部劇に影響を与えたことは有名な話、いや話を聞かなくても当時のアメリカ西部劇をみれば一目瞭然であるが(現在でもタランティーノ映画を見ればわかる)、そういう話になると必ずといっていいほど例として名を出される『ワイルド・バンチ』の監督である。
 
 驚いたショックでさらに思い出してしまったのがエリア・カザンのメキシコ革命もの『革命児サパタ』だが、これは製作が1952年だから時期的に古すぎる。マカロニウエスタンと直接のつながりはないだろう。たぶん。
 

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 マカロニウエスタンでは「3人のセルジオ」という言い方をすることがある。ベスト作品の多くをセルジオという名前の監督が撮ったからである。その三人とはセルジオ・レオーネ、セルジオ・コルブッチ、セルジオ・ソリーマ。レオーネとコルブッチはジャンルファン以外の普通の映画好きの間でも有名だから今更紹介などする必要もないだろうが、三人目のソリーマは知らない人もいるのではないだろうか。全部で五作西部劇を撮ったレオーネ、13作という数だけは最大数の西部劇を世に出したコルブッチに対し、ソリーマが作ったのは僅かに3作品だが、特に最初の2映画はマカロニウエスタンの傑作として伝説化している。最後の3作目がちょっと弱いかなとは思うが、ソリーマにしては弱いというだけで、その他のマカロニウエスタンの平均水準は完全に越えているから安心していい。『殺しが静かにやって来る』などの大傑作をつくる一方、目を覆うような駄作も生産したムラのあるコルブッチとは対照的である。
 レオーネはクリント・イーストウッド、コルブッチはフランコ・ネロを起用してスターの座に押し上げたが、ソリーマはキューバ生まれで後にアメリカに移住したトマス・ミリアンを使って成功した。ソリーマ自身、「レオーネにはイーストウッド、コルブッチにはネロ、そして私にはミリアンがいる」と言っていたそうだ。ミリアンはラテン系のイケメンであるが、コミカルな役も多い。昔の言葉で言う「二枚目半」というところだろう。
 実はうるさく言えばもう一人、セルジオという名の監督がいる。アンソニー・ステファン主役で西部劇を撮ったセルジオ・ガローネという人だが、この人の作品群ははっきり言ってB級ばかりなので、この人が勘定されることはない。つまり「4人のセルジオ」という言い方はしないのである。
 コルブッチもレオーネも1990年代に亡くなってしまったが、ソリーマは2015年まで存命だった。電子版ではあったが、新聞に死亡記事も載った。私の世代の人ならチャールズ・ブロンソン主演の『狼の挽歌』という映画を知っている人も多いのではないだろうか。これを撮ったのがソリーマである。

 さて、辞書などには出ていないが(当たり前だ)Nicht-Leone-WesternあるいはNon-Leone-Westernという言葉がある。「非レオーネ西部劇」。セルジオ・レオーネを別格扱いし、それ以外の手で製作された西部劇という意味である。言葉どおりに取ればジョン・フォードもハワード・ホークスも非レオーネ西部劇のはずだが、普通マカロニウエスタンのみを指す。人が3人寄れば必ず話題に上るのが「最高の非レオーネ西部劇はどれか?」ということであるが、うちにある本の巻末にも「非レオーネ西部劇ランキング」というアンケートの結果が載っている。もちろんこの手のアンケートはそこら中でいろいろな人がやっている上、これも母集団をしっかり設定しているわけでもなんでもないので単なる茶のみ話以上ではないが、見てみると結構面白い。

1.『復讐のガンマン』 1966、セルジオ・ソリーマ
2.『殺しが静かにやって来る』 1968、セルジオ・コルブッチ
3.『続・荒野の用心棒』 1966、セルジオ・コルブッチ
4.『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』 1967、ジュリオ・ペトローニ
5.『血斗のジャンゴ』 1967、セルジオ・ソリーマ
6.『群盗荒野を裂く』 1966、ダミアノ・ダミアーニ
7.『西部悪人伝』 1969、ジャンフランコ・パロリーニ
8.『さすらいのガンマン』 1966、セルジオ・コルブッチ
9.『情無用のジャンゴ』 1967、ジュリオ・クェスティ
10.『ガンマン大連合』 1970、セルジオ・コルブッチ
11.『怒りの荒野』 1967、トニーノ・ヴァレリ
12.『ケオマ・ザ・リベンジャー』 1976、エンツォ・ジロラーミ
13.『豹/ジャガー』 1968、セルジオ・コルブッチ
14.『続・荒野の一ドル銀貨』 1965、ドゥッチョ・テッサリ
15.『... se incontri Sartana prega per la tua morte』(日本未公開) 1968、
   ジャンフランコ・パロリーニ
16.『続・復讐のガンマン 走れ、男、走れ!』 1968、セルジオ・ソリーマ
17.『傷だらけの用心棒』 1968、ロベール・オッセン
18.『黄金の3悪人』 1967、エンツォ・ジロラーミ
19.『怒りの用心棒』 1969、トニーノ・ヴァレリ
20.『黄金の棺』 1966、セルジオ・コルブッチ

いかにソリーマの作品の評価が高いかわかる。私個人としては『ミスター・ノーボディ』が入っていないのが意外だ。もしかすると「ある意味ではレオーネ作品」と見なされて票が逃げたのかもしれない。
 以前にも書いたが(『22.消された一人』『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』の項参照)、『復讐のガンマン』の原題はLa resa dei conti「ツケの清算」、ドイツ語ではDer Gehetzte der Sierra Madre「シエラ・マドレの追われたる者」で、いかにもソリーマらしい気の利いたタイトルであった。私はこの映画にこの邦題をつけた奴を許さない。
 さらに許さないのがソリーマの二作目につけられた『血斗のジャンゴ』である。この映画の原題はfaccia a faccia、ドイツ語でもこれを直訳してVon Angesicht zu Angesicht(Face to face)という意味で、現に英語のタイトルもそうなっている。主役の名もジャンゴなどとは関係ないし、ストーリーも『復讐のガンマン』ですでに明確になっていたソリーマの社会派路線をさらに発展させ、登場人物の人格が映画の中で変わっていき善役と悪役がキャラクター転換するというマカロニウエスタンらしからぬ非常に練ったもの。主役を演じるのもトマス・ミリアンとジャン・マリア・ヴォロンテという大物だ。このタイトルはたぶん「いままで隠れていた自分の本当の姿に向き合う」という含みだと思うのだが、この傑作をどうやったら『血斗のジャンゴ』などと命名できるのが謎である。神経に異常がある人だったか、映画を全くみていないかのどちらかであろう。
 この二つが「ベスト非レオーネ西部劇」の上位にランクされているのも当然だが、実は私は「ベスト非レオーネ」どころか、レオーネの作品よりこっちの方が二つとも好きである。困るのは『復讐のガンマン』と『血斗のジャンゴ』のどちらが好きかと聞かれた場合だ。どちらも甲乙つけがたいからだ。
 ストーリーは『血斗のジャンゴ』の方に軍配があがるだろう。両主役のミリアンとヴォロンテもいいが、なんと言っても私がこの映画で好きなのは第三の主役、ミリアンとヴォロンテの間をウロチョロするウィリアム・ベルガーである。特にラストシーンでのベルガーはメチャクチャかっこよく、私としてはこれを「マカロニウエスタンで最も印象に残るシーン」として推薦したいほどだ。このシーンは砂漠での撮影だったが、そのとき雲が流れていて頻繁に光の具合が激しく変わったため、シーケンスのつながりを案じてソリーマは撮り直しも覚悟したそうだ。幸い出来上がったラッシュを見たらOKだったという。OK以上である。
 ただ、この映画にはマカロニウエスタン特有の「毒」というかエキセントリックさがやや少ない。普通の人の鑑賞にも堪えるまともな映画であることが裏目に出た感じだ。
 『復讐のガンマン』はなんと言ってもマエストロ、エンニオ・モリコーネのテーマ曲が地獄のようにいい。私はこのサントラを聴くたびにその場で死んでもいいような気になるのだ。以前誰かが「モリコーネ節」という言い方をしているのを見たことがあるが、この映画ではまさにそのモリコーネ節全開なのである。女性歌手クリスティ(本名クリスティナ・ブランクッチ、私の知り合いにこの人を「クリスティ姉さん」と呼んで慕っている人がいた)の歌声のイントロで虜にされた直後、賞金稼ぎリー・バン・クリーフが最初の獲物(?)に会うシーンでさっそくまた気高いメロディが響く。ちょっと高級なソリーマ映画にまさにドンピシャな気高さだ。ラスト近くで主役のトマス・ミリアンが追われていくシーンがあるが、そこで流れるエッダ・デロルソのソプラノのスコアの美しさは例のEcstasy of Goldに優るとも劣らない。このソプラノにノックアウトされたすぐ後、ラストの決闘シーンでもゾクゾクするようなモリコーネサウンドが惜しみなく注がれる。それもあってかこの映画の英語のタイトルはこの決闘シーンを売りにしてThe big gundownとなっている。

 この『復讐のガンマン』のサウンドトラックが死ぬほど好きなのは私だけではないらしく、やっぱり上述の本に載っていた「好きなマカトラランキング」ではこれが一位になっている。また、ソリーマ二作目ではなく、三作目の『続・復讐のガンマン』が入ってきている。ここではレオーネ映画のサントラも入っているから、つまり『復讐のガンマン』はベストマカトラということになる。なお、「マカトラ」というのはマカロニウエスタンのサウンドトラックの略である。作曲家の名前を見ればわかるように、マエストロの圧勝だ。

1.『復讐のガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
2.『続・夕陽のガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
3.『大西部無頼列伝』 1970、ブルーノ・ニコライ
4.『夕陽のガンマン』 1965、エンニオ・モリコーネ
5.『ウエスタン』 1968、エンニオ・モリコーネ
6.『さすらいのガンマン』 1966、エンニオ・モリコーネ
7.『Buon funerale amigos… para Saltana』(日本未公開) 1970、ブルーノ・ニコライ
8.『続・復讐のガンマン 走れ、男、走れ!』 1968、ブルーノ・ニコライ
9.『続・荒野の用心棒』 1966、ルイス・エンリケス・バカロフ
10.『西部悪人伝』 1969、マルチェロ・ジョンビーニ
11.『殺しが静かにやって来る』 1968、エンニオ・モリコーネ
12.『豹/ジャガー』 1968、エンニオ・モリコーネ
13.『荒野のドラゴン』 1973、ブルーノ・ニコライ
14.『星空の用心棒』 1966、アルマンド・トロヴァヨーリ
15.『un uomo, un cavallo una pistola』(日本未公開)、1967、ステルヴィオ・チプリアニ
16.『怒りの荒野』 1967、リズ・オルトラーニ
17. 『ガンマン大連合』 1970、エンニオ・モリコーネ
18. 『アヴェ・マリアのガンマン』 1969、ロベルト・プレガディオ
19. 『Anda muchacho, spara』(日本未公開) 1971、ブルーノ・ニコライ
20.『続・荒野の一ドル銀貨』 1965、エンニオ・モリコーネ

 もうちょっとバカロフの『続・荒野の用心棒』とオルトラーニの『怒りの荒野』のランクが高くてもいいんじゃないかという感じだが、このランキングがマカトラ、つまり主題曲ばかりではなく、映画に流れる全体の音楽をも考慮しているからかもしれない。メイン・テーマだけ考慮に入れたらこの二つはもっと上がるだろう。もっともそれでも『復讐のガンマン』の位置は下がるまい。『荒野の用心棒』が出てこないのもわからなかったが、私の持っているレコード(を焼き直ししたCD)はタイトルがFor a few dollars more、つまり『夕陽のガンマン』だが、『荒野の用心棒』の曲も全部納められている。だから上の第4位は『荒野の用心棒』も兼ねているのだと思う。
 それにしてもここにリストアップされたタイトル。涼しい顔をしてこういう映画の名をあげる投票者のフリークぶりには脱帽するしかない。

 ソリーマが生前のインタビューでモリコーネについて親愛の情をこめて語っているのを読んだことがある。当時はモリコーネはオスカーの名誉賞さえ貰っていなかったのだが、ソリーマはこのアカデミー選考委員会をけなして「モリコーネにやらなくて誰にやれというのでしょうかね」と言っていた。さらに「まあ、でもモリコーネは作品を作りすぎたんですよ。で、選考委員もどれにやっていいのかわからなくなったんでしょう」。つまり恥かしいのは音楽賞をもらえていないモリコーネのほうではなくて、いまだにモリコーネに賞をあげ損ねているアカデミー会員のほう、というわけだ。その後モリコーネは名誉賞とさらにその後音楽賞をとったが、「今頃やっとマエストロにあげやがって。アカデミー賞選考委員も見苦しい奴らだな」と思ったのは私だけではないはずだ。
 さらにソリーマは続けて「いやしかし、エンニオはあれだけの天才なのに、見かけはまるで郵便局のおじさんってのが愉快ですな」。こういう事を堂々といえるのはソリーマだからこそだろう。

 私の知り合いにはマカロニウエスタンに詳しい人も大分いるが、彼らの詳しさといったらとても私なんかの太刀打ちできるところではない。私が「ソリーマの作品はその質の割には知られていなくて残念ですね」とかうっかり言うと「そんなことはないですよ。まともな人なら少なくとも彼の最初の2作は皆知ってます。『復讐のガンマン』なんてマカロニウエスタンの話になれば必ず口に上ります」と反論され、「『血斗のジャンゴ』ではウィリアム・ベルガーが一番好きなんです」というと「なるほど。まあでも、普通の日本人はベルガーと言うと『西部悪人伝』のバンジョーやった人、といったほうが通るんじゃないかな」とコメントされる。『西部悪人伝』は上記のリストに両方とも登場しているが、リー・ヴァン・クリーフが主役をやった作品である。私はまだ見たことがない。この人たちの「まともな人」「普通の日本人」の定義がちょっと私の考えているのと違う気がするが、とにかく彼らからみたら私など完全に無知な小娘であろう。随分年食った小娘ではあるが。


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