アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:サンスクリット

 「白」と「黒」を印欧諸語ではそれぞれ次のように言う。上が「白」、下が「黒」である。

ラテン語
albus
niger

ドイツ語
weiß
schwarz

英語
white
black

ロシア語
белый
чёрный

古典ギリシア語
φαλός
μελας

サンスクリット
śvetaḥ
kṛṣṇaḥ

フランス語
blanc
noir

ここで例えばドイツ語・英語やロシア語の語源辞典を(うっかり)引くと、同語派の印欧語、英語辞典ならドイツ語はいうに及ばず、オランダ語やノルウェー語、ロシア語辞典ならウクライナ語やセルビア語・クロアチア語の対応語までイヤと言うほど掲げてあって本当に嫌になるので、上の7語に絞った。サンスクリット語は私がデーヴァナーガリーが読めない、という超自分勝手な都合でローマ字にした。

 まずラテン語のalbusだが、イタリック祖語では*alβos、印欧祖語で*h2elbhos *álbhos。古典ギリシャ語のἀλφός(皮膚の色が白くなるハンセン氏病の一種(!))もこれと同源だそうだ。
 なおalbusは「つや消しの白」で、光沢のある白色はラテン語でcandidusという。
 次の英語のwhite、ドイツ語のweiß(古高ドイツ語の(h)wīz、中高ドイツ語のwīz)はゲルマン祖語で*hwītaz、印欧祖語の*kweytos、*kweid-oあるいは *kweit-起源で「輝く」。別の資料には印欧祖語形を*kwintos/*kwindosまたは*kuit-/*kuid-としてあったが、語そのものに変わりはない(と思う)。古期英語のhwit、古ノルド語のhvitr、当然スウェーデン語のvitもここから派生してきたもの。さらに古教会スラブ語のсвĕтъ、ロシア語のсвет(スヴェート、「光、世界」)も親戚だ。「古代インドの言語のśvēáḥも形が近い」と辞書に言及してあったから、形としてはサンスクリットともめでたく繋がってくる。
 ロシア語белый(スラブ祖語で *bělъ)は調べによるとアルメニア語のbal、古代インドの言葉bhālam、古典ギリシャ語のφάλοςと同様印欧祖語の*bhaから派生、とあった。
 ギリシア語φαλόςは印欧祖語の語幹*bhel-から派生したもので、サンスクリットのbhāla(「輝き」)と同語源。面白いことに今はもう古語となっている、「大きなかがり火」とか「のろし」という意味の英語bale(古期英語でbǣl)もこれ起源だという。上のロシア語での語源辞典では祖形を*bhaとしているが、ギリシャ語のφαλόςがその派生例として掲げてあるし、古代インドの言語の例bhālamもここギリシア語の項で挙がっているbhālaとほとんど同形だから、これらは同語源とみなしていいだろう。
 さらにフランス語のblancは俗ラテン語の*blancusからきているそうだが、そのblancusは実は俗ラテン語がゲルマン祖語から借用した語で祖形は*blankaz(「輝いている」)。これは印欧祖語では*bhleg-(「輝く、燃える」)である。
 ラテン語の祖形となった*h2elbhosも接頭辞がついてはいるが語幹に*bhが含まれているし、続ラテン語からフランス語に流れた*bhlegもそうだから、これらを皆いっしょにすると、印欧諸語の「白」には*kweit-あるいは*kwintos系と*bhel-あるいは*bho-系との、二つの流れがあることになる。

 ここまでだけだとあまり面白くないのだが、「黒」を見ていくと俄然スリルが増してくる。

 まずドイツ語のschwarzはゲルマン祖語では*swartaz、印欧祖語形では*swordo-(「くすんだ、黒ずんだ、暗い」)。英語でも文語的なswart(「黒ずんだ」)という言葉にその痕跡が残っている。
 ロシア語のчёрный(スラブ祖語で*čьrnъ)は印欧祖語の*kr̥snós(「黒い」)。サンスクリットのkṛṣṇaḥももちろんここ起源である。
 ギリシア語のμελαςは印欧祖語の*melh2-。サンスクリットのmala(「穢れ」)と同語源である。
 ラテン語のnigerは実は語源がよくわからないそうだ。印欧祖語の*nókwts(「夜」)とのつながりを主張する人もいるという話だ。 
 つまり「黒」のほうが「白」よりもあちこちいろいろなところから持ってきているわけだが、中でも面白いのは英語のblackである。実はこれはゲルマン祖語形が*blakazで、「燃えた」。印欧祖語の*bhel-または*bhleg-から出たそうで、つまりフランス語、ギリシア語、ロシア語、ラテン語などの「白」と出所が同じなのである。英語では「燃えた後の状態」を黒の意味に使っているのだ。スウェーデン語のbläck(「インキ」)も同じ語源だそうだ。

 さて、「白」というと思い出すのが「白ロシア」という名称である。今はもうあまり使わなくなって「ベラルーシ」と呼んでいるようだがドイツではいまでも「白ロシア」という名称が現役である。この「白」という命名は何故なのかについて「住んでいる人が肌の色も白く、金髪が多いからだ」とかいうショーモない説明を見かけたことがあり、さすがの私も笑ってしまった(しかしなんとこれをマに受けている人もいたようで、笑ってばかりもいられない)。これは論外としても定説はないようだ。私がスラブ語学の教授から聞いたのは次のような説明である。

「むかしの中国では東西南北をそれぞれ色でシンボル化していた。東が緑、西が白、南が赤、北が黒、そして中央が黄色。 このシンボル体系が、かつて元・蒙古が2世紀の間ロシアを支配していたときスラブ民族にもたらされた。それでロシアの西にある国を「西ロシア」という意味で「白ロシア」と名づけたのではないだろうか。」

これはたしかにあり得そうだ。
 また、これを聞いて思いついたのだが、「黄河」とか「黄海」というのは別に水が黄色く濁っているからではなくて「中央の川」「中央の海」という意味でつけたのではないだろうか?ただしこちらは私のいい加減な思いつきなので、専門家に教えを請いたいところだ。

 続いて「黒」だが、ロシアの反対側、東の端にある島が「サハリン」という名前。これは「サハリヤン」という言葉からきているが、その「サハリヤン」とは満州語で「黒」という意味である。ロシア語名称「サハリン島」は「サハリヤン川(黒龍江)の河口にある島」の省略形からその名がついたことがほぼ確実、中国語名称「黒龍江」はおそらく満洲語サハリヤン「黒」の翻訳語だろうと、こちらのほうはきちんと専門家の口から聞いたことがある。
 ヨーロッパにも「黒」のつく名前はある。南西ドイツに広がる森はSchwarzwald(シュバルツバルト、「黒い森」)。ウクライナの南の海は「黒海」。これはギリシャ人の命名でエウリピデスの悲劇にもΠόντος Μέλας(ポントス・メラース、「黒い海」)という言葉が見いだされるそうだ。Μέλαςには「陰気な」とか「気味の悪い」という意味もあるそうだから、シンボル云々とは関係なく、本当に黒い、というか暗かったからそう名づけたのだろう。シュバルツバルトも確かに針葉樹がうっそうとしていて暗い。
 だが、「モンテ・ネグロ」(「黒い山」、地元のセルビア語・クロアチア語ではCrna Gora(ツルナ・ゴーラ))はなぜ黒なのか。あそこの山々は石灰岩が多くて黒いよりも白といったほうがいいくらいではないか。多分これは1426から1516年までこの地を支配し、現在のモンテネグロの国の基礎を築いたCrnojević(ツルノヴィッチ)家の名前からきているのだと思う。この一族は『8.ツグミヶ原』の項で述べた中世セルビアの支配者ステファン・ドゥーシャンとも血がつながっていたそうだ。その後この国もセルビアと同じくトルコの支配下に入ったが、当時勢力のあったヴェネチア公国(それとも共和国でしたかここ?)の言葉でセルビア語のツルナ・ゴーラが直訳され、西欧ではそっちの「モンテネグロ」という名称が一般化したということだろう。トミッチという人が 1900年にCrnojevići i Crna Gora od 1479 do 1528(ツルノエヴィッチとツルナ・ゴーラ:1479年から1528年まで」)という論文を出しているそうだから、ひょっとしたら名称の由来にも言及されているかもしれない。4ページくらいの短い文章だからセルビア語のできる人は読んでみてはいかがだろうか。いずれにせよ、ここは実際に色が黒かったり陰気だったりしたから黒と名づけられたのではないと思う。「黒」、つまりSchwarzさんという苗字はドイツにもやたらと多い。


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 いわゆる学校文法では「数詞」が独立した品詞として扱われることが多いが、この数詞というのは相当なクセ者だと思う。それ自体が形の点でもシンタクス上でも名詞と形容詞の間を揺れ動くので、勘定されるほうの名詞との結びつきも複雑になるからだ。
 例えば次のセンテンスだが、

Ten soldiers killed a hundred civilians with twenty guns.

この英語だけ見ると一見 soldiers、civilians、guns の深層格はそれぞれ主格、対格、前置詞格あるいは具格だと思う。 ところが soldiers、civilians などの名詞がここで主格や対格に立たない言語は印欧語族にはゴマンとある。ロシア語だと、

Десять солдат убило/убили сто гражданских людей двадцатью ружьями.
ten + soldiers + killed + hundred + civilian + people + twenty + guns

ここでは数詞の後の soldiers、civilian people(太字)が複数属格(ロシア語文法では「生格」)である。つまりдесять(「10」)、сто(「100」)は普通名詞的なのだ。名詞がもう一つの名詞を修飾する場合、一方が属格になる、つまり「山田さんの家」と同じ構造だ。一方対格と主格以外では数詞が名詞の格と一致する。まるで形容詞のように呼応するのである(下記参照)。いずれにせよロシア語ではこれらの「数詞」は立派に格変化を起こす:десять(主格・対格)→десяти(生・与・前置格)→десятью(造格)あるいはсто(主・対格)→ста(生・与・造・前置格)。実はこういう数詞・名詞の格構成はサンスクリットの昔から印欧語族ではむしろ一般的だ。

サンスクリットでは:
1.数詞1-19が形容詞的に用いられ、その関係する名詞の性・数・格と一致する(つまり数詞も立派に格変化する)。
2.20-99、100、1000等は名詞として扱われ、これの付随する名詞は同格に置かれるか、あるいは複数属格となる。

古教会スラブ語では:
1.1~4は形容詞的特性、つまり付加語扱い。「1」では名詞は単数同格、「2」とは双数(両数)同格、3~4で複数同格、5以上から複数属格。
2.数詞の活用は、1~2が代名詞活用、3が名詞i-活用、4が子音活用とi-活用の混同タイプ、5~9だと活用だけでなく品詞も形容詞でなく名詞扱いでi-活用統一。

ロシア語では上にもあるように、主格と対格で数詞の披修飾名詞が属格になり、その他の格では披修飾名詞と数詞が同格だ。それで最初の例文の中の двадцатью ружьями(下線部)は数詞と名詞のどちらも造格になっている。つまりサンスクリットと同じく名詞が数詞と同格におかれるか、あるいは名詞のほうは複数属格に立つという二つのパラダイムが共存しているわけだ。
 対してラテン語では数詞は不変化「形容詞」とみなされたそうで現在の英語やドイツ語といっしょだが、それでもさらに調べると tantum(たくさんの)、plus(より多くの)などの数量表現では披修飾名詞は複数あるいは単数属格になるというから、数詞も名詞的な特性を完全には失っていない。

plūs pecūniae
more + money(複数属格)

『30.あともう少しのドルのために その2』の項で出したイタリア語の例

un po' più di libri
a + few + more + of + books

も di が入るから属格表現の仲間だとみなしていいのではないだろうか。もっとも例えばラテン語のquīdam(「いくつかの」)は「dē または ex」という前置詞がその後に来た後名詞の奪格を取るそうなので、このdi libriも本来は奪格なのかなとは思う。いずれにせよここでラテン語の属格・奪格形がとろけて一緒になってしまい、格機能が統合されていった様子がよくわかる。
 さらにやっぱりそこの項で出したロシア語

На несколько дрлларов вольше
on/for + some + dollars(複数属格) + more
(For some dollars more)

の「ドル」も複数属格である。

 ドイツ語もよくみると結構面白いことになっていて、数量表現が名詞的特徴を示すことがある。たとえば「多くの私の学生」は

* viele meine Studenten
many + my(複数主格) + students

と「私の学生たち」を主格にすることはできず、披修飾名詞を属格にしないといけない:

viele meiner Studenten
many + my(複数属格) + students

イタリア語と同じくここで各変化による属格でなく前置詞のvon(英語のof)を使って

viele von meinen Studenten
many + of + my(複数与格) + students

ということもできるが、これは上の例と比べて「日常会話的」とのことである。

 英語ほどひどくはないとはいえ、ドイツ語も格変化を捨てまくって堕落したがやっぱりまだまだ印欧語なのである。もっとも日本語でも「私の学生の多く」と「学生」を属格にできるが。
 数詞でも同じことが言えて、

* zwei meine Studenten
two + my (複数主格) + students

zwei meiner Studenten
two + my (複数属格) + students

meine zwei Studenten
my (複数主格) + two + students

*のついた2例では数詞が形容詞としての特性を示すため、いわゆる determinator、つまり「私の学生」というDPを支配する所有代名詞 meine の前に出られないが、披修飾名詞が属格の構造では数詞はそれ自体が事実上名詞であるからそこにまたDP、つまり「私の学生」がくっ付くことができる、と純粋にシンタクスの問題として説明することができるが、もっと見ていくと(しつこいなあ)、実は事はそんなに簡単ではないことがわかる。なぜなら

alle meine Entchen
all(複数主格) + my(複数主格) + ducklings

というフレーズは数量表現がdeterminatorの前に来てしかもそのdeterminatorが主格なのに許されるからである。ネイティブに説明を求めたら「1.この表現は子供の歌だからそもそも俗語的だし、2.alleという表現で表現された数量は閉じられたものであるからdeterminatorの限定的な意味と衝突しないからなんじゃないの?」と言っていた。限定非限定の意味の差が決定権を持っている例は他にもあって、例えば

meine viele Studenten
my(複数主格) + many(主格) + students

ということはできるが、

*meine einige Studenten
my (複数主格) + some(主格) + students

とは言えない。meineの持つ限定的意味とeinige(「(不特定の)いくつかの」)の非限定的な意味合いが衝突するからだろう。viel(「たくさんの」)だと「いくつか」より非限定性がはっきりしていないから限定のdeterminator、所有代名詞と共存できるのだと思う。
 シンタクスだけで全てを説明するのはやはり無理があるようだ。

 さて本題だが、ロシア語学習者泣かせの問題として2、3、4では披修飾名詞が変な形をとる、ということがある。英語やドイツ語では2以上になると披修飾名詞は一律複数主格なので何も苦労がないのだが、ロシア語はそんなに甘くない。ちょっとくらべてみてほしい。比べやすいようにロシア語はローマ字にしてみた。
Tabelle1-58
数が2から4までだと名詞が特殊な形をしているのがわかるだろう。これを語学書などでは「ものがひとつの時は名詞は単数主格、2から4までは単数属格(太字)、5以上になると複数属格(下線)をとる。20までいくとまた1から繰り返すので21の机では名詞が単数主格である」、と説明してある。パラダイムをみてみると確かになるほどとは思う。
Tabelle2-58

私の語学の教科書にもそう書いてあったのだが、そのときのロシア人の教師が運悪く言語学系であったため(『34.言語学と語学の違い』参照)、そこで私たち向かって堂々とこういった。

「語学の入門書とか文法書には「2、3、4は名詞の単数属格をとる」と書いてあったりしますが、これはデタラメです。そう説明しないと初心者が混乱するからです。この形はロシア語では失われてしまった古い双数形が残ったものです。」

古教会スラブ語 plodъ(「果実」)のパラダイムを調べてみると、o-語幹では確かに双数主格と単数属格が同形に見える。
Tabelle3-58
それでは2、3、4、のあとに来る名詞の形が単数生格でなく双数主格だとどうしてわかるのか。実は「2」のあとに来る形と単数生格ではアクセントの位置が違うのである。たとえば、шаг(シャーク、「歩、歩調」)の単数生格はшагаで、アクセントは最初のаにあるから「シャーガ」。対して「二歩」はдва шагаだが、アクセントが2番目のаに来て「シャガー」となる。同じくчас(チャース、「1時間」)の単数生格は часа(チャーサ)だが「3時間」は три часа(トリー・チャサー)だ。つまり字に書くとアクセントが表せないから同じに見えるがこの二つは本来全然違う形なのだ。
 これを「単数生格」とデタラメな説明をする語学教師あるいは教科書を、イサチェンコという言語学者が著書の中で「言語事実を強姦するに等しい」とまで言って怒っていた。しかしたかがこれしきのことで強姦呼ばわりされていたら、そこら辺のいわゆる「よくわかる○○語」「楽しく学べる○○語」の類の語学書には強姦魔がいくらもいる。私もさるドイツ語の楽しい入門書で不規則動詞について「日頃よく使う道具はあまり使わない道具より消耗が激しいでしょう。それと同じく日頃よく使う動詞は形が崩れやすいんですよ」とわかりやすい説明をしているのを見たことがあるが、これなんか強姦殺人級の犯罪ではないだろうか。話が全く逆の上に、ドイツ語ばかりでなく、他の言語も不規則動詞は「規則動詞より変化が早かったため」と一般化されてしまいかねないからである。
 使用頻度の高い「基本動詞」が不規則動詞であることが多いのは変化に曝された度合いが規則動詞より強かったからではなくて、その逆、それらが頻繁に使われるため、古い形がそのまま引き継がれて変わらずに残ったからだ。言語が変化し、動詞のパラダイムが変わってしまった後もそれらがまさに頻繁に口に上るそのためにパラダイム変化を被らなかったからである。たとえばロシア語で take という意味の不規則動詞の不定形は взять だが、定形・現在時称だと возьму(一人称単数)、возьмёшь(2人称単数)などとなって突然鼻音の м (m) が現われ学習者はビビる。しかしこれは規則動詞より形が崩れたからではなくて、ロシア語の я が古い時代に鼻母音だった名残である。つまり不規則動詞のほうが古い形を保っているのであり、規則動詞がむしろ新参者なのだ。

 語学書やいいかげんな語学教師のデタラメな強姦罪に対して声を上げたロシア語の先生は勇気があるとは思うが(女の先生だった)、実は一つだけ疑問が残った。残念ながら私のほうに勇気が欠けていたのでその場で質問しそこねたためいまだに疑問のまま残っているのだが、

「2の後の名詞が双数主格なのはわかるが、どうして3と4まで双数になっているのか。」

この記事を書く機会にちょっと調べてみたのだがはっきりその点に言及しているものが見つからなかった。かろうじて次のような記述を見かけたが説明としてはやや弱い。

Под влиянием сочетаний с числительным два аналогичные формы появились у существительных в сочетаниях с числительными три и четыре

数詞の2との組み合わせに影響され、そこからの類推によって数詞の3と4と結合する場合も名詞が同様の形をとるようになった。

上の古教会スラブ語の説明にあるように、3と4は本来複数主格だったはずである。5からは複数属格だったから形が違いすぎて類推作用が及ばなかったのはわかるが、3と4で双数主格が複数主格を食ってしまったのはなぜなのかどうもわからない。やっぱりあの時勇気を出して先生に聞いておけばよかった。


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 いつだったか、インドの学校では九九を9×9=81までではなく、12×12=144まで暗記させられる、と聞いていたのをふと思い出して調べてみたら12×12ではなく20×20までだった。「じゅうに」と「にじゅう」を聞き違えたのかもしれない。
 言語によっては12で「2」を先にいうこともあるし、反対に20のとき「10」が前に来たりするからややこしい。また、11と12が別単語になっている言語もある、と言っても誰も驚かないだろう。英語がそうだからだ。英語ばかりでなくドイツ語などのゲルマン諸語全体がそういう体系になっている。ゲルマン諸語で1、2、3、10、11、12、13、 20、30はこんな具合だ。
Tabelle1-81
13からは「1の位の数+10」という語構造になっているが11と12だけ系統が違う。11(それぞれelf, elva, ainlif)の頭(e- あるいはain-)は明らかに「1」だが、お尻の -lf、 -iva、 lif はゲルマン祖語の *-lif- または *-lib- から来たもので「残り・余り」という意味だそうだ。印欧祖語では *-liku-。ドイツ語の動詞 bleiben(「残る」)もこの語源である。だから11、12はゲルマン諸語では「1あまり」「2あまり」と言っているわけだ。
 この、11、12を「○あまり」と表現する方法はゲルマン祖語がリトアニア語(というか「バルト祖語」か)から取り入れたらしい。本家リトアニア語では11から19までしっかりこの「○あまり構造」をしていて、20で初めて「10」を使い、日本語と同じく10の桁、「2」のほうを先に言う。
Tabelle2-81
ゲルマン語は現在の南スウェーデンあたりが発祥地だったそうだから、そこでバルト語派のリトアニア語と接触したのかもしれない。そういえば昔ドイツ騎士団領だった地域には東プロシア語という言語が話されていた。死滅してしまったこの言語をゲルマン諸語の一つ、ひどい場合にはドイツ語の一方言だと思い込んでいる人がいるが、東プロシア語はバルト語派である。
 印欧語ではないが、バルト海沿岸で話されているフィンランド語も11から19までは単純に「1と10」という風には表さない。
Tabelle3-81
11、12、13の-toistaという語尾はtoinenから来ていて、もともと「第二の」という意味。だからフィンランド語では例えば11は「二番目の10の1」だ。完全にイコールではないが、意味的にも用法的にもリトアニア語の「○余り」に近い。「20」のパターンもリトアニア語と同じである。
 
 ケルト諸語ではこの「○余り構造」をしておらず、11、12は13と同じくそれぞれ1、2、3と10を使って表し、一の位を先に言う。
Tabelle4-81
アイルランド語の10、a deichはdéag や dhéag と書き方が違うが単語そのものは同一である。後者では「10」が接尾辞と化した形で、これがブルトン語ではさらに弱まって -ek、-zek になっているが構造そのものは変わらない。それより面白いのは20で、「10」も「2」も出て来ず、一単語になっている。これはケルト祖語の *wikantī から来ており、相当語形変化をおこしているがブルトン語の ugentも同語源だそうだ。印欧祖語では *h1wih1kmt* あるいは h₁wih₁ḱm̥ti で、ラテン語の vīgintī もこの古形をそのまま引き継いだものである。「30」、tríocha と tregont も同一語源、ケルト祖語の *trī-kont-es から発展してきたもの。つまり20、30は11から19までより古い言語層になっているわけだ。これはラテン語もそうだったし、それを通して現在のロマンス諸語に引き継がれている。
Tabelle5-81
当然、といっていいのかどうか、サンスクリットやヒンディー語でも「20」は独立単語である。
Tabelle6-81
ヒンディー語の bīs はサンスクリットの viṃśati が変化したもの。下のロマニ語の biš についても辞書に viṃśati 起源と明記してある。もっともそのサンスクリットは数字の表し方がかなり自由で学習者泣かせだそうだが、学習者を泣かせる度合いはヒンディー語のほうが格段に上だろう。上の11、12、13、それぞれ gyārah、 bārah、tērah という言葉を見てもわかるように、ヒンディー語では11から99までの数詞が全部独立単語になっていて闇雲に覚えるしかないそうだ。もっとも13の -te- という頭は3の tīn と同語源だろうし、15は paṅdrah で、明らかに「5」(pāṅc)が入っているから100%盲目的でもないのだろうが、10の位がまったく別の形をしているからあまりエネルギー軽減にはならない。やはり泣くしかないだろう。
 同じインド・イラニアン語派であるロマニ語の、ロシアで話されている方言では20と30で本来の古い形のほかに日本語のように2と10、3と10を使う言い方ができる。
Tabelle7-81
ドイツのロマニ語方言では30をいうのに「20と10」という表し方がある。
Tabelle8-81
ハンガリー・オーストリアのブルゲンラント・ロマの方言では20と30を一単語で表すしかないようだが、11から19までをケルト語やサンスクリットと違って先に10と言ってから1の位を言って表す。これは他のロマニ語方言でもそうだ。
Tabelle9-81
手持ちの文法書には13がbišutrinとあったが、これは誤植だろう。勝手に直しておいた。他の方言にも見えるが、ロマニ語の30、trianda, trianta, trandaはギリシャ語からの借用だそうだ。
Tabelle10-81
古典ギリシア語では13からは11、12とは語が別構造になっているのが面白い。それあってか現代ギリシャ語では11と12では一の位を先に言うのに13からは10の位が先に来ている。20と30はケルト語と同じく独立単語で、20(eikosi または ikosi)は上で述べたブルトン語 ugent、ラテン語の viginti、サンスクリットの viṃśati と同じく印欧祖語の *(h₁)wídḱm̥ti、*wi(h₁)dḱm̥t または *h₁wi(h₁)ḱm̥tih₁ から発展してきた形である。

 あと、面白いのが前にも述べた(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』)バルカン半島の言語で、バルカン連語連合の中核ルーマニア語、アルバニア語では11から19までがone on ten, two on ten... nine on ten という構造になっている。
Tabelle11-81
11を表すルーマニア語の unsprezece、アルバニア語の njëmbëdhjetë、ブルガリア語の edinadesetはそれぞれun-spre-zece、 një-mbë-dhjetë、edi(n)-na-deset と分析でき、un、 një、edinは1、spre、 mbë、naは「~の上に」、zece 、dhjetë、desetが「10」で単語そのものは違うが造語のメカニズムが全く同じである。さらに実はブルガリア語ばかりでなくスラブ語派はバルカン外でも同じ仕組み。
Tabelle12-81
ロシア語 odin-na-dcat’、クロアチア語の jeda-na-est でもちょっと形が端折られていたりするが、one on ten という構造になっていることが見て取れるだろう。20、30は日本語と同じく「に+じゅう」「さん+じゅう」である。

 ここでやめようかとも思ったが、せっかくだからもうちょっと見てみると、11から19までで、1の位を先に言う言語が他にもかなりある。
Tabelle13-81
ヘブライ語は男性形のみにした。アラビア語の「11」の頭についているʾaḥada は一見「1」(wāḥid)と別単語のようだが、前者の語根أ ح د ‎('-ḥ-d) と後者の語根و ح د ‎(w-ḥ-d) は親戚でどちらもセム語祖語の*waḥad-  あるいはʔaḥad- から。ヘブライ語の אֶחָד ‎('ekhád) もここから来たそうだから意味はつながっている。アラビア語ではつまり11だけはちょっと古い形が残っているということだろうか。
 「11だけ形がちょっとイレギュラー」というのはインドネシア語もそうで、12からははっきり1と2に分析できるのに11だけ両形態素が融合している。
Tabelle14-81
この11、sebelas という形は se + belas に分解でき、se は古マレー語で「1」、インドネシア語のsatu と同義の形態素である。belas は11から19までの数詞で「10」を表す形態素。これもマレー語と共通だそうだ。つまりここでも古い形が残っているということだ。
 さらにコーカサスのジョージア語(グルジア語)も1の位を先に言う。
Tabelle15-81
-meṭi は more という意味の形態素だそうで、つまりジョージア語では11から19までを「1多い」「9多い」と表現していることになり、リトアニア語の「○余り構造」とそっくりだ。「13」の ca- はもちろん sami が音同化して生じた形である。また、ジョージア語も「20」という独立単語を持っていて、30は「20と10」である。

 シンタクス構造が日本語と似ているとよく話題になるトルコ語は11~19で日本語のように10の位を先に言う。その点はさすがだが、20と30は残念ながら(?)日本語と違って独立単語である。20(yirmi)も30(otuz)もテュルク祖語からの古い形を踏襲した形なのだそうだ。
Tabelle16-81
バスク語も10の位を先に言うようだ。能格言語という共通点があるのにジョージア語とは違っている。もっとも30は「20と10」で、これはジョージア語と同じである。
Tabelle17-81
こうして見ていくと「20」という独立単語を持っている言語は相当あるし、数詞という一つの体系のなかに新しく造語されて部分と古い形を引き継いだ部分が混在している。調べれば調べるほど面白くなってくる。今時こういう言い回しが若い人に通じるのかどうか不安だが、まさにスルメのように噛めば噛むほど味わいを増す感じ。数詞ネタでさかんに論文や本が書かれているのもわかる気がする。


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 印欧語本来の名詞変化パラダイムをすっかり失って廃墟と化した英語は別として、印欧語族の言語では名詞が格変化して形を変えるのが普通である。もっともドイツ語も相当廃墟状態で4つの格しか残っていない、しかもその際名詞自体は形をあまり変えずに冠詞に肩代わりさせるというズルイ言語になり下がってしまっているが、本来の印欧語は少なくとも8つの格を区別していた。
 サンスクリットは主格、呼格、対格、具格、与格(または「為格」)、奪格、属格、処格の8格を区別するが、a-語幹の名詞(男性名詞と中性名詞の場合がある) aśva-(「馬」)のパラダイムは以下のようになっている。この文法書では単数主格、双数属・処格、複数主・呼・具・与・奪格の語尾が s になっているが、別の教科書ではこれが h の下に点のついたḥ、いわゆるヴィサルガという音になっている。
Tabelle1-90
i-語幹には男性・女性・中性すべての文法性がありうるが、例えばこのグループの男性名詞のkavi-(「詩人」)は次のように語形変化する。
Tabelle2-90
a-語幹と違って単数で奪格と属格が溶け合って同じ形になってしまっているが、この手の融合現象は特に双数形で著しい。双数では主・呼・対格と、具・与格、奪・属・処格がそれぞれ同形、つまり形が3つしかないのが基本である。さらに「友人」sakhi-はちょっと特殊な変化をするそうだ。
Tabelle3-90
私が面白いと思うのは「呼格」というやつだ(太字)。廃墟言語の英語やドイツ語くらいしか知らない人は John is stupid.のように John がセンテンスの主語になる場合も Hi, John! と呼びかける場合もどちらも同形を使って平然としているが、本来の印欧語では「ちょっとそこの人!」と呼びかける場合と「そこの人が私の友人です」と文の主語にする場合とでは「そこの人」の形が違ったのである。前者が呼格、後者が主格だ。ラテン語も単数で呼格を区別するから知っている人も多かろう。「友人」amīcus の変化は以下の通り。サンスクリットとは格の順番が違っているが、格の順番が言葉によって文法書でバラバラなのは不便だ。サンスクリットタイプで統一すればいいのにとも思うが、欧州ではインドとは別にもうラテン語タイプが慣用になってしまっているので無理なのかもしれない。大坂と東京の電源周波数が今更統一できないのと同じようなものか。
Tabelle4-90
サンスクリットに比べてラテン語は語形変化が格段に簡単になっているのがわかる。まず双数がないし、格も6つに減っている。かてて加えて単数でも複数でもあちこちで格が融合してしまっている。しかも実は呼格も退化していて普通は主格と同形。この-usで終わる男性名詞だけが形として呼格をもっている例外なのである。その呼格も形としては単数形にしか現れない。それでも「ブルータス、お前もか」という場合、Brutusとは言わないでBruteと語形変化させないと殺されるのだ。させてもカエサルは殺されたが。

 ラテン語はもちろんサンスクリットでさえもすでにその傾向が見えるが、呼格は主格に吸収されることが多かったので今日びのドイツ語学習者などにはそもそも Mein Freund ist blöd (My friend is stupid)と Hey, Freund! とでは「友達」の格が違う、という意識すらない人がいる。が、スラブ諸語などにはいまだに呼格をモロに形として保持している言語があるので油断してはいけない。何を隠そう私の専攻したクロアチア語がそれである。例えば女性の名前「マリア」は呼格が「マリオ」になるので、「ちょっと、マリアさん!」は「ヘイマリオ!」である。男性名詞の「マリオ」は呼格もマリオなので、クロアチア語ではマリアさんとマリオ君を区別して呼びかけることができない。ちょっと不便だが、その代わり(?)o-で終わらない男性名詞は皆しっかり呼格と主格が違うので変化形を頭に叩き込んでおかないと、人に呼びかけることもできない。小学生が教室で「先生!」ということもできないのである。例えばprijatelj(「友人」)という単語は次のように語形変化する。
Tabelle5-90
格の順番がまたしてもラテン語やサンスクリットと違っているが、それを我慢して比べて見ると単数で主格と呼格が違った形になっているのがわかる。面白いことに単数呼格はなんと別の斜格、処格と同形だ。こういうのはちょっと珍しい。複数では定式どおり主・呼格が同形である。なお、単数属格と複数属格は字で書くと同形だが発音が少し違い、複数のほうは母音を伸ばして prijatēljā という風に言わないといけない。もう少し別の例を見てみよう。
Tabelle6-90
「友人」の場合と同じく複数属格の最後の-aは長いāである。単数の主格で k だった音が呼格では č と子音変化しているがこの k→č というのは典型的なスラブ語の音韻交代で、ロシア語にもみられる(下記参照)。同じ音が複数では c [ts] になっているが、これも教科書どおりのスラブ語的音韻交代である。
 ラテン語では上の amīcus などいわゆる第二活用(o-語幹)の名詞の一部でしか呼格を区別しないから第一活用(a-語幹)か第三活用(子音語幹やら i-語幹やら)をとる女性名詞は主格と呼格が常に同形ということになるが、クロアチア語ではラテン語の第一活用に対応する、-a で終わる女性名詞にも呼格がある。上でも述べたとおりだ。正書法には現れないが複数語尾の a(下線)は長母音。
Tabelle7-90
なるほど上の「友人」や「男の子」のようにここでも複数形では主格(対格も)と呼格が同形なんだな、と思うとこれが甘い。女性名詞では複数主格と複数呼格ではアクセントが違うのである。クロアチア語は強勢アクセントのあるシラブルでさらに高低の区別をするが、複数主格のženeでは最初のeが「短母音で上昇音調」、複数呼格ではこれが「短母音で下降音調」である。つまり主格では žene(ジェネ)を東京方言の「橋」のように、呼格だと「箸」のようなアクセントで発音するのだ。
 実は男性名詞の単数の主格と呼格の間にもアクセントの相違があるものがあって、例えば Franjo という名前の主格は a が「長母音で上昇音調」、呼格は「長母音で下降音調」だ。私の母語日本語東京方言には対応するアクセントパターンがないが、主格は「フラーニョ」の「フラ」を低くいい、「ー」で上げる。呼格は「ラ」の後で下げればいいだけだから、東京人が普通に「フラーニョ」という文字を見て読むように発音すればいい。で、上の「マリオ」も呼格と主格では音調が違うんじゃないかと思うが、ちょっと資料がみつからなかった。
 とにかくクロアチア語というのは余程勉強しておかないとおちおち呼びかけもできないのだ。スロベニア語に至ってはこれに加えて双数というカテゴリーをいまだに保持している。これらに比べればドイツ語の語形変化なんて屁のようなものではないか。

 あと、語学系の教師がすぐ「決まった言い方」と言い出す(『34.言語学と語学の違い』『58.語学書は強姦魔』の項参照)ロシア語の Боже мой(ボジェ・モイ、Oh my God!)という言い回し。この Боже は Бог(ボーク、「神」)の呼格形である。ロシア語はパラダイムとしての呼格は失ってしまったがそれでもそこここに古い痕跡を残しているのだ。この Бог  → Боже (bog → bože)という音韻変化はまさに上のクロアチア語の momak  →momče と平行するもの。前者が有声音、後者が無声音という違いがあるだけである。
 
 さらに私の知っている限りではクロアチア語の他にロマニ語が呼格を保持している。以下はトルコで話されている Sepečides(セペチデス)というロマのグループの例だが、男性名詞も女性名詞も単数・複数どちらにも呼格がパラダイムとして存在している。(『65.主格と対格は特別扱い』『88.生物と無生物のあいだ』の項も参照)
Tabelle8-90
単数呼格と複数主格とではアクセントの位置が違うので、誤解のないようにこの二つだけアクセント記号をつけておいた。女性名詞も呼格の区別ははっきりしている。
Tabelle9-90
ロマニ語も方言によっては使用がまれになってきているものもあるらしいが、まあ呼格がよく残されている言語といっていいだろう。

 さて日本語であるが、以前「日本語のトピックマーカー「は」は文法格に関しては中立である」ということを実感として味わってもらおうと、

私の友人は来ないで下さい。

という文をなるべくこの構造の通りにラテン語に訳してみろ、と言ってみたことがある。英語やドイツ語だと意訳して my friends may not ... とか Meine Freunde sollten nicht...とか話法の助動詞かなんかを使って「私の友人」を主格の主語にしてしまう危険性があるが、それでは構造の通りではない。なぜなら「来ないで下さい」は命令文だからである。しかも、私の意図としてはここで日本語不変化詞「は」はあくまでトピックマーカーであって主語だろ主格だろを表すものではないことを特に強調しておくことにあったので、Meine Freunde sollen とか Mein Freund soll とかやられてはこちらの意図が丸つぶれになってしまう。
 ここでの「私の友人」は呼格である。だから呼格であるかどうかわかっているかどうか、言い換えると「は」は斜格中の斜格である呼格にさえくっ付くことができると理解できたかどうかを確かめるためには呼格を区別する言語に訳させてみるのが一番。ラテン語ならギムナジウムで皆やってきているはずだから「来ないで下さい」は無理でも文頭の「(私の)友人」なら大丈夫だろうと思ったのである。念のため「ドイツのギムナジウムを終えた人に質問します」と前置きまでしておいた。
 ところが意に反してラテン語を履修していたドイツ人が一人もおらず、座が沈黙してしまった。良かれと思って前の晩から一生懸命こういうワザとらしい例文を考えて準備しておいたのに完全に裏目に出た感じ。いわゆる「間が持たない」という状況。漫才師だったら即クビになっているところだ。どうしようと思っていたら、イタリアの人が「ドイツのギムナジウムは出ていませんが、国でラテン語をやりました」と手を挙げた。やれやれありがたいと上の日本語を訳させてみたら(これもまた念のため、「単数形でやってみなさい」と指示した)、開口一番「Amīce…」と呼格で大正解。それさえ聞けばもう「来ないで下さい」なんてどうでもよろしい。さすがラテン語の本場、マカロニウエスタンの国の国民は教養があると感心した。
 後で私が「最近のドイツの若いもんって古典語やらないの?ヨーロッパ人のクセにラテン語できないとか、もうグロテスクじゃん」と外で愚痴ったら「日本語の説明にラテン語を持ち出すほうがよっぽどグロテスクだろ」と逆襲された。さらにこの例文は不自然だと指摘されたので、また一晩考えて

ブルータスさんはイタリアの方ですか?

という例文を、「ブルータスさんというのは第三者でなく、話し相手です」と発話状況を明確に限定した上でラテン語に訳させてみることにしている。しかしまだ上述のような Brute という形を出してきた者はいない。ドイツ語や英語だとこれが

Brutus, sind Sie Italiener?
Brutus, are you an Italian?

となってしまい、ブルータスが呼格であることがはっきり形に出ない。

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 私と誕生日が一日違いの(『26.その一日が死を招く』参照)言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの名は言語学外でも広く知られている。その「代表作」Cours de linguistique générale『一般言語学講義』以来、氏が記号学の祖となったからでもあろう。ラング、パロール、シニフィアン、シニフィエ云々の用語を得意げに(失礼)使っている人も多い。オシャレに響くからだろう。私も得意げに使っているので、大きな事はいえないが。
 が、これもよく知られていることだがその『一般言語学講義』はド・ソシュール自身が書いたものではない。ド・ソシュールの講義を受けたセシュエやバイイなどの学生が自分たちのノートを基にしてまとめたものである。あまり知られていないのが Cours de linguistique générale が世界で最初に外国語に翻訳されたのは日本語が最初であることだ。1928年小林英夫氏の訳である。私はこれを聞いた当時日本人の言語学への先見の明・関心が高かったためかと思って「さすが日本人」と言いそうになったが、これは完全に私の思慮が浅かった。Cours が他の国でそんなにすぐ翻訳されなかったのは、当時のヨーロッパではその必要がなかったからである。つまりフランス語などまともな教養を持っている者なら誰でも読めたからだ。現に当時の言語学の論文の相当数がフランス語で書かれている(下に述べる Kuryłowicz クリウォヴィチの論文もフランス語である)。これは今でもそうで、例えば大学で論文を書くときドイツ語・英語・フランス語の引用文は訳さなくていい、という暗黙の了解がある。論文ではないがトーマス・マンの『魔の山』(『71.トーマス・マンとポラーブ語』参照)にも何ページもベッタリフランス語で書いてある部分がある。つまり Cours が真っ先に日本語に訳されたのは日本人が言語学に熱心だったからではなくて単に日本人の一般的語学力が低かったからに過ぎない。ずっと遅れはしたが日本語の次に Cours が翻訳された言語が英語だったことを考えるとさらに納得がいく。現在のヨーロッパの国ではイギリスがダントツに「外国語が最もできない国民」である、というアンケートの結果を見たことがあるのだ。

 その、ド・ソシュールの手によるものでない『一般言語学講義』が言語学外でもやたらと知られている一方、まぎれもなく氏本人の手による『インド・ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚書』Mémoire sur le système primitif des voyelles dans les langues indo-européennes という論文はあまり騒がれてもらえていない。言語学者としてのド・ソシュールの名前を不動のものとしたのはむしろ Mémoire のほう、俗に印欧語のソナント理論、後に喉音理論と呼ばれるようになった理論の方ではないかと思うのだが。ド・ソシュールが1879年に21歳で発表した印欧比較言語学の論文である。

 印欧語はご存知のように俗に言う屈折語で、語中音、特に母音が交代して語の意味や品詞、またシンタクス上の機能を変える。例えば「死ぬ」というドイツ語動詞の不定形は sterben で e という母音が来るが、現在形3人称単数は stirbt と i になり、過去形3人称単数は starb で a、接続法2式は stürbe で ü 分詞で gestorben と母音は o になる。子音は変わらない。祖語の時代からそうだったことは明らかで、19世紀の後半からメラー Møller など何人もの言語学者がセム語族と印欧語族とのつながりを主張していたのもなるほど確かにと思う。
 さてその印欧比較言語学の最も重要な課題の一つが印欧祖語の再建であったことは『92.君子エスペラントに近寄らず』の項でも書いたとおりである。基本的には印欧祖語の母音はa, e, i, o, u の5母音とその長音形 ā、ī、ō、ē、ū と「印欧語のシュワー」と呼ばれる ə というあいまい母音と見なされている。最初から研究が進んでいた印欧語族、現在の印欧語や古典ギリシャ語、サンスクリットなどのデータを詳細に調べて導き出されたのだが、印欧祖語の母音組織についてはいまだに諸説あり最終的な結論は出ていない。i と u はむしろ半母音、つまりソナント(下記参照)、そして ī と ū は ei、oi、eu、ou などの二重母音の弱まった形だとされることもあるが、ā、ō、ē の3つの長母音は印欧祖語本来のものとみなすのが普通であった。これらの母音が上述のように語中で交代して意味や文法機能を変える。その母音交代現象(Ablaut、アプラウト)は祖語時点ですでに共時的に行なっていたのが、祖語がバラけるにつれて通時的にも母音が変化したから、交代のパターンをきっちり確定するのが難しくなっているわけである。
 様々な母音交代パターンがあるが、大きく分けると量的母音交代(quantitativer Ablaut、またはAbstufung)と質的母音交代(qualitativer Ablaut または Abtönung)の2群に分けられる。後者については印欧祖語には e 対 o または ō 対 ē の交代があったと思われ、例えば古典ギリシア語の patera (「父」、単数対格)対 apatora(「父のいない」、単数対格)、patēr(「父」、単数主格)対 apatōr(「父のいない」、単数主格)がこれを引き継いでいる。クラーエ Krahe という人はさらに a と o の交代現象に言及しているがこちらのほうは「非常にまれにしか見出せない」と述べているし、私の調べた限りではその他の学者は全員「印欧祖語の qualitativer Ablaut」として e 対 o しか挙げていなかった。母音交代ではゼロ(ø)形も存在する。サンスクリットの as-mi(「~である」、一人称単数現在)、s-anti(同三人称複数現在)はそれぞれ *es-mi 、*s-enti という形に遡ると考えられるが、ここの語頭で e と ø が交代しているのがわかる。
 前者の quantitativer Ablaut は短母音とそれに対応する長母音、または短母音と二重母音間の交代である。e 対 ē のようなわかりやすい対応ばかりでなく、ā、ō、ē 対 ə、ei 対 i、 eu 対 u のような複雑なものまでいろいろな形で現れる。ラテン語 tegō(「覆う」、一人称単数現在)対 tēxī(一人称単数完了)に見られるわかりやすい e・ē 交代の他、古典ギリシア語の leipō(「そのままにする、去る」、一人称単数現在)対 elipon(同一人称単数アオリスト)もまたこの quantitativer Ablaut である。この動詞の一人称単数完了形は leloipa だから、母音交代は ei 対 oi 対 i かと思うとこれは実は e~o~ø。つまり一見様々な量的母音交代は割と簡単な規則に還元できるんじゃないかと思わせるのである。ド・ソシュールがつついたのはここであった。

 このゼロ交代現象で重要な意味を持ってくるのが音韻環境によって母音にもなり子音にもなるソナントと呼ばれる一連の音で、この観念を確立したのがブルクマン Brugmann という印欧語学者である。例えば、英語の sing~sang~sung、ドイツ語の werden~ward(古語、現在の wurde)~ geworden は祖語では *sengh-~*songh-~*sn̩gh-、*wert-~*wort-~*wr̩t-という形、つまり e~o~ø に還元できるが、そのゼロ形語幹ではそれぞれ n、r が母音化してシラブルの核となっている。こういう、母音機能もになえる子音をソナントと呼ぶが、印欧祖語には r̩、l̩、m̩、n̩(とその長母音形)、w、y(半母音)というソナントが存在したと思われる。「母音の r̩ や l̩」はサンスクリットに実際に現れるが m̩ と n̩ についてはまだ実例が見つかっていないそうだ。ここで私が変な口を出して悪いがクロアチア語も「母音の r」を持っている。言い換えるとクロアチア語には母音の r と子音の r の、二つの r がある。rad (「作品」)の r は子音、trg(「市場」)の r は母音である。
 さらに上述の古典ギリシャ語 leipō~elipon の語根だが、祖語では *lejkw-~*likw- となり前者では i が子音、半母音の j (英語式表記だと y )だったのが後者では母音化し、i となってシラブルを支えているのがわかる。同様に u についても、半母音・ソナントの w が母音化したものとみることができる。円唇の k が p に変わっているのは p ケルトと同様だ(『39.専門家に脱帽』参照)。

 さて、話を上述の印欧祖語のシュワーに戻すが、ブルグマン学派ではこの ə をれっきとした(?)母音の一つと認め、ā、ō、ē と交代するとした。サンスクリットではこの印欧語のシュワーが i、古典ギリシャ語とラテン語では a で現れる。だから次のようなデータを印欧祖語に還元すると様々なアプラウトのパターンが現れる。それぞれ一番下が再現形(太字):
Tabelle1-115
3番目の例は松本克己氏からの引用だが、氏はサンスクリットの「与える」反射態として a-di-ta という形を挙げていた。その形の確認ができなかったので私の勝手な自己判断で adiṣṭa にしておいた。とにかくサンスクリットでは原母音の ā、ō、ē が全て ā で現れているのがわかる。最後の二つは2音節語幹だが、とにかく母音交代のパターンも語幹の構造もバラバラだ。ド・ソシュールはこれらを一本化したのである。
 ブルグマンらによれば印欧祖語のソナント r̩、l̩、m̩、n̩ はサンスクリットでは a となるから、サンスクリットの語幹が tan- 対 ta- と母音交代していたらそれは印欧祖語の *ten-~*tn̩- に帰するはずである。ド・ソシュールは上のような長母音対短母音の交代もシュワーでなくこのソナントの観念を使って説明できると考えた。
 そこでまず印欧祖語に coéfficient sonantique「ソナント的機能音」という音を設定し、それには二つのものがあるとしてそれぞれ A、O(本来 O の下にˇという印のついた字だが、活字にないので単なるOで代用)で表した。その際ド・ソシュール自身はそれらはどういう音であったかについては一切言及せず、あくまで架空の音として仮にこういう記号で表すという姿勢を貫いた。
 この二つの「ソナント的機能音」が短母音を長母音化し、さらにその色合いを変化させるため、e+A=ē または ā、e+O=ō, o+A=ō, o+O=ō の式が成り立つ、いや成り立たせることにする。いわゆるゼロ形ではA、Oは単独で立っているわけである。例えば上のラテン語 stā-re~sta-tus は *stā-~*stə でなく *steA-~*stA-、古典ギリシャ語 di-dō-mi~do-tos は *dō-~*də- でなく *deO-~*dO となる。これはブルクマンが元々唱えていた *sengh-~*sn gh-(上述)、さらに leipō~elipon の *lejkw-~*likw-(これも上記)と基本的なパターンが全く同じ、CeC- の e~ø 交代となる。最終的にはド・ソシュールは母音としては e のみを印欧祖語に認めた。
 このド・ソシュールの「式」のほうがブルグマンより説明力が高い例として松本克己氏は bhavi-tum~bhū-tas(上述)の取り扱い方を挙げている。ド・ソシュールの説ではこれも *bhewA-~*bhwA- という単純な e~ø 交代に還元でき、*bhewA- ではソナントAが w と t に挟まれた子音間という環境で母音化して祖語の ə つまりサンスクリットの i (上述)となり、*bhwA- ではソナント(半母音)w が bh と Aに挟まれた、これも子音間という環境で母音化して u になる。さらにこれがソナントAの影響によって長母音化して最終的にはūになるのである。見事につじつまが取れている。それに対してシュワーの ə を使うときれいな CeC- 解釈ができない。この交代は *bhewə-~*bhwə- と見なさざるを得ず、後者の *bhwə- が「印欧祖語の ə はサンスクリットの i」という公式に従って bhvi- で現れるはずであり、bhū- という実際の形の説明がつかない。といって ū- をそのまま印欧祖語の母音とみるやり方には異論がなくないことは上でも述べた。

 しかしド・ソシュールのこのアプローチは言語学で広く認められることとはならなかった。このような優れた点はあってもまだ説明できない点や欠点を残していたことと、当時のデータ集積段階ではブルグマンの母音方式で大半の説明がついてしまったからである。もっとも数は少なかったがド・ソシュールと同じような考え方をする言語学者もいた。例えば上述のメラー Møller は既に1879年に印欧祖語の ā、ō、ē は実は e+x から発生したものだと考えていたし、フランスのキュニー Cuny もこの、「印欧祖語には記録に残る以前に消えてしまった何らかの音があったに違いない」というド・ソシュール、メラーの説を踏襲して、それらの音をド・ソシュールの A、Oでなく、代わりに ə1、 ə2、 ə3 という記号で表した。その際これらの音は一種の喉音であると考えた。キュニーはこれを1912年の論文で発表したが、基本的な考えそのものはそれ以前、1906年ごろから抱いていたらしい。さらにド・ソシュール本人も1890年代にはAを一種の h 音と考えていたそうである。

 情勢がはっきり変わり、この「喉音理論」が言語学一般に認められるようになったのは1917年にフロズニー Hrozný によってヒッタイト語が解読され、印欧語の一つだと判明してからである。
 ヒッタイト語には ḫ または ḫḫ で表される音があるが、これを印欧祖語の子音が二次的に変化して生じたものと解釈したのでは説明がつかなかった。結局「この音は印欧祖語に元からあった音」とする以外になくなったのだが、この説を確立したのが上でも名前を出したポーランドの Kuryłowicz クリウォヴィチである。1927年のことだ。その時クリウォヴィチはこの ḫ がまさにド・ソシュールの仮定した Aであることを実証してみせたのである。ただし彼もキュニーと同じく ə1、 ə2、 ə3 の3つの記号の方を使い、e+ ə1= ē、 e+ə2= ā、 e+ə3=ō という式を立てた。つまり ə2 がド・ソシュールのAに対応する。
 例えば次のようなヒッタイト語の単語とその対応関係をみてほしい。左がヒッタイト語、右が他の印欧語。「ラ」とあるのはラテン語、「サ」がサンスクリット、「ギ」が古典ギリシャ語、右下に出したのがシュワーを用いた印欧祖語再建形である:
Tabelle2-15
最初の3例では a+ḫ=ā という式が成り立つことがわかる。そしてヒッタイト語の a を印欧祖語の e と見なせば、この a+ḫ=ā はまさにド・ソシュールの e+A=ā 、クリウォヴィチの e+ə2= ā、つまりド・ソシュールが音価を特定せずに計算式(違)で導き出した「ソナント」または「ある種の喉音」が本当に存在したことが示されているのである。一番下の例ではこのソナントが子音の後という音韻環境で母音化してブルクマンらのいうシュワーとなり、サンスクリットで公式どおり i で現れているのだ。
 さらにクリウォヴィチはすべての印欧祖語の単語はもともと語頭に喉音があった、つまり CV- だったが、後の印欧語ではほとんど消滅して母音だけが残ったとした。ただ、アルバニア語にはこの異常に古い語頭の喉音の痕跡がまだ残っている、と泉井久之助氏の本で読んだことがある。

 もちろんこの喉音理論もクリウォヴィチが一発で完璧に理論化したわけではなく、議論はまだ続いている。同じ頃に発表されたバンヴニストの研究など、他の優れた業績も無視するわけにはいかない。そもそもその喉音とやらが何種類あったのかについても1つだったという人あり、10個くらい設定する説ありで決定的な解決は出ていない。それでもこういう音の存在を60年も前に看破していたド・ソシュールの慧眼には驚かざるを得ない。私はオシャレなラング・パロールなんかよりむしろこちらの方が「ソシュールの言語学」なのだと思っている。高津春繁氏は1939年に発表した喉音理論に関する論文を次の文章で終えている。

F.de Saussureの数学的頭脳によって帰結された天才的発見が六十年後の今日に到って漸く認められるに到った事は、彼の叡智を證して余りあるものであって、私は未だ壮年にして逝った彼に今二三十年の生を与へて、ヒッタイト語の発見・解読を経験せしめ、若き日の理論の確証と発展とを自らなすを得さしめたかったと思ふのである。彼の恐るべき推理力はCours de linguistique généraleにも明らかであるが、その本領はMémoireに於ける母音研究にあり、彼の此の問題に対する画期的貢献を顧りみて、今更の様に此の偉大なる印欧比較文法学者への追悼の念の切なるを覚える。

なるほど、あくまで「Cours de linguistique générale にも」なのであって「Cours de linguistique générale」や「Mémoire にも」ではないのだ。

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 先日TVで韓国のゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(いったいなんなんだ、このヒドい邦題は?!原題は「釜山行」)を放映したので見てみた。2年ほど前にこちらのニュースでもこの映画がアジアで大ヒットしていると報道しているのを小耳に挟んでいたし、新聞・雑誌のTV番組欄でもこれが「本日のおすすめ」だったのだ。見たらあんまり面白かったので驚いてしまった。面白かったも面白かったが、欧米のゾンビ映画・アクション映画と比べて好感を持った。登場人物が私と同じアジア人だからかなと思ったが、考えてみるとそればかりではない。
 欧米のアクション映画には必ずといっていいほど、そしてホラー映画にもよく登場する、大声で喚き散らし時に銃をぶっ放し棍棒を持って暴れるタイプの暴力的でヒステリックな女性が出てこないのだ。以前心理学者だったか歴史学者だったかが(心理学と史学じゃ全然違うじゃないか。どっちなんだ)こういうアマゾネス戦士タイプの女性描写は実は男性側の倒錯した性欲が生んだファンタジーだと言っていたのを覚えている。女性に自分たちのマッチョ理想像の真似、男の真似をさせて自分たちのナルチシズムと女性への劣情を同時に満足させようとする歪んだファンタジーである、と。そういえば、そういう映画での女性たちはランニングシャツなど近代装備の兵士の戦闘服としてはありえないような不自然に肌を露出した衣装であるか、変なところが破れたり濡れたりして男性をソソるように計算されている。だからゲビた感じがするのだ。私の覚えている限り下品でなかった女性戦闘員は『フルメタルジャケット』のラストに出てきたベトナム人の若い女性スナイパーくらいなものだ。また当然ながらその手の女性が絶叫しながら暴れまくる映画には年配の女性はまず現れない。
 そういわれてみるまで、映画そのものの出来とは別にいわゆるアクション映画の多くに対して抱く嫌悪感が何処からくるのか自分でもわからなかったのが、なるほどと思い当たった。それで『エイリアン』や『ターミネーター』(特に2以降)も私は大嫌いである。繰り返すが映画の出来自体はいい。
 『新感染 ファイナル・エクスプレス』にはその手のわざとらしい下品な女性が出てこない。その上おばさんやおばあさんがきちんと重要な役割を担って登場する。これが私の個人的なプラス点である。
 そこで他の人たちはどう評価しているのかネットをちょっと覗いて見たら、「不覚にも泣いてしまった」とコメントしている男性が結構いたので笑った。「ゾンビ映画で泣いてどうするんだ」とは思ったが、この映画で「泣いちゃったよ俺」という殿方にも好感を抱いた。

中国語タイトルには「屍速」と「屍殺」の2バージョンあるようだが、どちらもいかにも怖そうなタイトルだ。
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 この「泣けるゾンビ映画」の英語タイトルはTrain to Busan、つまり「釜山」の英語表記はPusanでなくBusanになる。このことも私は映画に劣らず面白いと思った。ドイツでもこの英語タイトルをそのまま使っている。釜山と聞いて私が真っ先に思い出すのは、今時覚えている人がいるかどうか知らないが『釜山港に帰れ』という歌謡曲である。当時チョー・ヨンピルが原語の韓国語日本語二ヶ国語で歌って大ヒットした。ヨンピル氏はその後日本の紅白歌合戦にも連続出場したそうだが、残念ながらその頃には私はすでにこちらに来てしまっていたので見ていない。その歌を改めて聴いてみると「釜山」という発音は日本語・韓国語のバージョン共に日本人の耳には無声音、「プサン」としか聞こえない。実際昔は英語でもPusanと表記していた。釜山空港だってPUSと記されていたのだ。2000年に韓国側でBusanという国際表記にしたが、これはこの語頭音が無気音だからだ。
 英語のネイティブは無声閉鎖音、p、t、k を帯気化して発音する人が多い。ドイツ語の人もそうで、人によってはこの度合いがはなはだしく、「わたし」の「た」が思い切り帯気音であるために「わつぁし」と聞こえてしまうことさえある。p、t、k が語頭に来ると帯気なしでは発音できない人もいる。日本語ならば、これらの音が多少気音になっても単に耳障りなだけでまあ意志の疎通に問題はないが(それでも「わつぁし」と言われると一瞬戸惑うが)、韓国・朝鮮語(ここでは単に「韓国語」と呼んでいる)は無気の p と有気のp (ph)は違う音素なのだからこれを許しておくわけにはいかない。英語の話者がPusanと言うと韓国人には「釜山」산でなく산にしか聞こえないそうだ。一方で韓国語は無気と有気の音韻対立がないからPusanだろうが Busanだろうが意味に違いが起こらない、ならば帯気化される危険性大の p よりも無気発音してもらえる可能性の高い有声音b で発音してもらった方が韓国語の音韻体系に合う。無声閉鎖音は対応する有声閉鎖音より帯気しやすい、別な言い方をすれば有声閉鎖音は帯気させるのが無声閉鎖音よりむずかしい。だから印欧語も祖語の段階では無声閉鎖音も有声閉鎖音もそれぞれ無気・帯気で弁別差があったのに(下記参照)時代が下るにつれて後者が弁別機能を失っていった際、まず有声子音で無気・帯気の区別が失われた。無声子音には結構長い間この区別が残ったのである。古典ギリシャ語も無声子音でのみ無気・帯気を区別し、現在のロマニ語ではやはり無声閉鎖音のみ、しかも語頭音でのみ無気・帯気の弁別差が認められるそうだ。日本語は無声閉鎖音があまり帯気化していないから、安心して「プサン」あるいはPusanと記せるし、そう発音していい。
 この、本来英語向けだったBusanという表記が他言語でも標準になったので本来無声閉鎖音が帯気化しておらずp で読んでも全く支障のないロマンス諸語まで b にさせられたというわけだ。ローマ字を使っていないロシア語では p を使ってПусан。ロシア語も無声閉鎖音は無気である。セルビア語ではb 表記でБусанとなるのだが、英語を通したと思われる。
 中国語も有気・無気が音韻対立 して、無声・有声の区別がないから、日本語の「か」と「が」、「ぱ」と「ば」、「た」と「だ」の発音のし分けが苦手な人がいる。例えば中国語で「他」は帯気音、「打」は無気音なので、「た=他」、「だ=打」と覚えている人がいたりすると有声・無声の対立がいつまでも飲み込めない。そういう人には「他」は「た」と解釈していいが、「打」のほうは「た」と「だ」の両方にかかることを図でも書いて示してあげるといいかもしれない。

日本語の「た・だ」と中国語の「他・打」の関係はAでなくBのように考えた方がいいと思う。
ta-da
 アジアの言語、特に古くから文化・文明の面でも地理の面でも中心となった言語は無気・帯気で弁別差を持つものが多く、それのない日本語はむしろ例外。日本人は本来アジア文化圏では辺境民族だったことを感じさせる。他のアジアの言語をザッと見ていくと次のようになる。閉鎖音ばかりでなく、破擦音や摩擦音でも無気・帯気をわける言語も多いが、それを全部見出すとキリがなくなるのでここでは話を閉鎖音、p、t、k に限った。
 まず上で述べたように中国語はp-ph、 t-th、k-kh だけを区別して p-b、t-d、 k-g の対立がない。b、d、 g はそれぞれ/p、t、 k/ のアロフォンである。
 韓国語もp-b、t-d、 k-g がないのは中国語と同じだが、ここの閉鎖音は単なる無気・帯気のほかにさらに tense、「濃音」を区別して、p-p͈-phという3体系になっている。最初のp が普通の無声無気音、最後のph が無声帯気音、真ん中p͈ というのはtense音、喉をグッと緊張させて出す無気音。釜山のプは最初の p である。面白いことに語末ではこの無気・帯気・tenseの弁別性が中和されてそれぞれ内破音になるそうだ。アイヌ語と同じだ。
 モンゴル語は音韻表記上は/p, b/、/t, d/、/k, g/ と書き表す子音が実際上はp-ph、 t-th、k-kh で、bは(β も)/p/ の、d は /t/ の、 g は /k/ のそれぞれアロフォンである。別の資料にはg は /k/ のアロフォンというより、音素/k/ は [g]  と発音する、つまり [k] という音は事実上存在しないとあった。古い時代のモンゴル語は本当p-b など、無声・有声で対立したのが時代が下るにつれて対立の仕方が無気・帯気に移行したという説があるそうだが、これには疑問の余地大ありとのことだ。 
 満州語も/p, b/、/t, d/、/k, g/ と表す対立があり、そう発音されることもあるが、これも以前はp-ph、 t-th、k-kh だったと思われる。
 チベット語ラサ方言、というべきかラサ語というべきかとにかくそこの言語にはp-ph、 t-th、k-kh だけあり、その/p, t, k/ が特定の音声環境でそれぞれ b、d、g になる、という中国語、韓国語と全く同じパターンである。
 続いて、日本からドンドン遠ざかるがヒンディー語、サンスクリットである。上記にも書いたようにここでは無気・帯気と無声・有声が両方とも立派に弁別機能を負っているから、p-b-ph-bh、t-d-th-dh、k-g-kh-gh と分ける。印欧語は本来この四体系であったが、現在のヨーロッパの言語は無声・有声のみを区別して無気・帯気は弁別機能を失ってしまったものが大半だ。僅かにロマニ語が不完全にではあるが無気・帯気を弁別することは上でも述べた通りである。
 東へ戻ってタイ語では不完全ながら双方の対立が弁別性を持っている。「不完全」というのは有声子音では無気・帯気の差が機能しないからだ。タイ語の閉鎖音はb-p-ph、d-t-th、k-kh となっていて基本3体系であるところが韓国語と似ているが内容はまったく異なる。しかも軟口蓋閉鎖音では有声・無声の差が消失してしまっている。「有声音を帯気するのは難しい」、「アジアの言語では無声・有声の対立より無気・帯気の方が残りやすい」という大原則が踏襲されていて感動的ですらある。
 北へ上ってテュルク諸語の一つウイグル語になるとやっと本当に無声・有声の対立がメインとなり、p-b、t-d、k-g のみで無気・帯気の弁別差がない。が、ついに日本語タイプの音韻体系が出たかと喜ぶのはまだ早い。無声閉鎖音、p、t、k は語頭と母音間では帯気化するのがほぼ決まりとなっており、かてて加えて有声音b、d、g はシラブルの終わりでは有声性が中和され、対応する無声音となるそうだ。ただし語の最初のシラブルではこの中和現象が起こらないそうで、この点は違うが有声子音が語末で中和するのはドイツ語やロシア語といっしょである。
 アジア大陸内をここまで西に行っても日本語の友達が見つからない、仕方なくまた東に戻ると意外なところに仲間がいた。インドネシア語である。ここではまさにp-b、t-d、k-g の対立しかなく、しかも無声音が規則的に帯気化したりしない。日本語とほぼ同じである。
 インドネシア語より地理的にずっと日本語に近いアイヌ語は無気・帯気の区別もない代わりに無声・有声の対立もない。p、t、k しかないのである。b、d、g は異音素でなくそれぞれ前者のアロフォンである。
 驚くことにこの「無気・帯気の区別も無声・有声の区別もない言語」というのがインドの南にある。タミル語がそうだ。何百年・何千年もサンスクリットと接してきたのにp、t、k しかない。鼻音の後ではこれらは有声化するとのことだが、つまりアイヌ語と同じくb、d、g はアロフォンなのである。このことに驚くのは私だけではないらしく、「タミル語は無気と帯気を区別しない」とわざわざ明記してある説明があった。そり舌音があるあたりはしっかりサンスクリットと共通なのにこれはどうしたことだ。タミル語の方がサンスクリットより古くからかの地にいたからだろうか。つまりそり舌はタミル語のほうがサンスクリットに影響した、いいかえるとそり舌は南アジアに後からやってきた印欧語が現地の言語に影響されて変質させられた結果だから本当は「サンスクリットタミル語共通」というべきなのだろう。そういえば再建された印欧祖語にはそり舌音が設定されていない。天下の印欧語を変質させるなんてすごい力だ。それこそゾンビででもあるのかこの言語は(意味不明)?

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