アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:サッカーWC

 今回のサッカーW杯はスッタモンダの末ドイツがまたしても予選落ちしてアルゼンチンが優勝した。前回ドイツがコケたとき「大丈夫だ。次は韓国でなく日本に負けるから安心しろ」と私が言ったのは単なる冗談(のつもり)だったが、蓋を開けたら現実はそれ以上に過酷、2014年の呪い(『124.驕る平家は久しからず』参照)が全く解けていない展開となった。口は災いの元、相手に対するリスペクトを忘れて傲慢になると自分の方が没落するのは古今から様々な童話やおとぎ話で出しつくされたストーリーである。やはり口は慎んだ方がいい。
 それにしてもアルゼンチンは強かった。ここに勝てたのはサウジアラビアだけだ。本当に凄いチームだ(サウジがだ)。アルゼンチン戦でチームを勝利に導いたサレム・アル・ダウサリ Salem Al-Dawsari  の2点目のゴールは家で取っている新聞でしっかり「今大会で最も美しいゴール20」の一つに選ばれていた。

 しかしサウジアラビア以上に凄かったのはモロッコだろう。予選のグループはモロッコ、クロアチア、カナダ、ベルギーで、ほとんどの人が心の中でクロアチアとベルギーが本戦に進むだろうとふんでいたと思うが、クロアチアとは引き分けたものの、カナダ、ベルギーを粉砕してモロッコがグループ一位で予選を通過した。このあたりから普段いがみ合ったりしているアラブ系やアフリカの国々の人たちがこういう時だけ一致団結しはじめ、世界の広範囲にわたって一大サポート軍団が形成され始めた。しかし本戦第一戦目はスペインである。これもほとんどの人が心の中でスペインの勝利だろうと思っていただろうが、双方得点のないままPK戦に持ち込まれてモロッコが勝った。その得点の入らなかったレギュラータイムも決してダレていたわけではない、点を入れるチャンスもあり、ゴールの試みもあり、結構スリルがある展開ではあったのだ。その時点でアラブ世界を越えて欧州の観戦者も「おや、このチームは結構やるな」と姿勢を正し始めた。そこへ持ってきてあのPK戦である。まずスペイン側の最初の二人が外した。その前に日本・クロアチア戦でやはりPK戦になっていたが、これも日本は始めの二人が外し、ネット上では「PKくらい練習しておけ」などという無責任な発言が書き込まれたりしていたのだ。スペインよお前もかと皆思っただろう。モロッコのほうは二人まで順調に入れていたが3人目がキーパーに阻止されたので、これでスペインの次、キャプテンのブスケツはさすがに入れるだろうからまだ勝負はわからないと皆が(皆って誰よ?)思っていた矢先にブスケツまでキーパーのヤシン・ブヌに止められた。このブヌはボノとも発音され、カナダ生まれでヨーロッパでも活躍しており、結構名を知られているキーパーである。笑い顔が可愛いと評判でブスケツのゴールを止めたときも顔が笑っていたとあちこちで囁かれている。その次、待ったなしの状態で出てきたのがよりによってアシュラフ・ハキミだ。なぜよりによってなのかと言うとハキミはスペイン生まれで、スペインの国籍も持っているからである。そのハキミがパネンカ・キックを入れ試合終了

ブスケツまで止めたPKキラー、笑顔のボノ。https://www.goal.com/en-ng/news/watch-bounou-denies-busquets-as-morocco-reach-world-cup-quarter-finals/blt87c717dee835ee58から
Bounou-smiling-bearbeitet
 PK戦自体もスリルがあったがそれより面白かったのはモロッコ側の観客席の様子である。面白いというと失礼かもしれないが、いい歳のおじさんが涙ぐんだりしている(もっともサウジアラビアがアルゼンチンに勝った時も泣いていたおじさんがいた)その狂喜乱舞ぶりを見たらこちらまで便乗サポートしたくなった。便乗と言えば、モロッコ・スペイン戦の後こちらではクラクションブーブーの自動車が夜っぴて走り回り、通りでは朝まで叫び声がしていた。いくら移民国ドイツと言ってもこの町にそんなにたくさんモロッコ人が住んでいるわけがない。チュニジアやアルジェリア、さらにパレスティナやシリア、エジプト人などアラビア語圏の人たちを全部勘定に入れてもまだ声量が大きすぎる。あれは多分トルコ人までどさくさに紛れて騒いでいたに違いない。
 もうモロッコはこれで十分だ、よくやったお疲れ様と誰もが思ったがまだ先があった。ロナウドのいるポルトガルに勝ったのである。予選でなら部外者が強豪に何かの間違いでチョロっと勝ってしまうことはあるが本選で強豪2チームをやっつけたとなるとさすがに偶然の範囲を超えていないか。続く準決勝ではフランス、3位決定戦でクロアチアに負けはしたが、その時も点を取られて総崩れになどならず、最後まで見るに足る試合を展開した。特にフランス戦でジャワド・エル・ヤミクが後ろ向きの姿勢で試みたあわや同点のゴールは語り草になっている。今さら「たられば」を言っても仕方がないとはいえ、あれが入っていたら試合の流れが完全に変わっていたに違いない。おかげでモロッコの「アトラスの獅子」というニックネームが定着したが、実は私はポルトガル戦の後彼らに「アブド・アル・ラフマーン一世軍」というあだ名をつけていたのである。北アフリカからやってきてイベリア半島全体を征圧したからだ。

エル・ヤミクはこの姿勢でゴールを試みた。引用元はそれぞれ
https://www.eldesmarque.com/futbol/mundial/1608141-las-delicatessen-de-qatar-2022-los-mejores-detalles-de-calidad-del-mundial

https://news.cgtn.com/news/2022-12-15/CGTN-Sports-Talk-France-end-Morocco-s-World-Cup-miracle-1fMBtD64zm0/index.html
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 こちらはモロッコに対して好意的な報道が多かった。モロッコが予選を通過し、アラブ語圏が全部後ろについてフィーバーしている姿を見て現地のレポーターが「政治も日ごろの争いもない。これがスポーツの意義でしょう」と言っていたが、私もそう思った。そもそもうるさく言えばモロッコは「アラブ民族」ではない。住民の多数はベルベル人である。私が以前会ったモロッコ人もアラビア語とベルベル語のバイリンガルだった。だからアフリカ人はもちろん、モロッコを応援するアラブ人たちは異民族を応援していたことになる。ここがスペインに勝った時もパキスタンやインドネシアからまでお祝いの書き込みがあった。逆に当チームの選手は外国生まれ・外国育ちが圧倒的多数。ハキミやボノばかりではない。それら「事実上外国人」の選手をモロッコ中が何の自己矛盾もなく同胞扱いして応援する。国とは何か、民族とは何かを考えさせられた。
 私は個人的に将来「国」というのはそういう方向に進んでいくのがいいと思っている。例えば日本国内の日本人とほぼ同数の日本人が外国生まれ外国育ちで、日本国内の住人も半数くらいが異民族、つまり在外+在日の日本人対在日外国人の割合が2対1,在外日本人対在日住民(そのうち日本民族は半数)の割合が1対2という想定をしてみよう。それだと在日日本人が全体の3割強しかいないことになる。言語的にも在外日本人の中にはもちろん日本語より現地の言語が優勢な人もいる。逆に在日外国人には日本語が母語の人もいる。こうなればちょっと周りと意見が違ったくらいで「お前本当に日本人か」などという意味のない質問を罵声のつもりで浴びせる輩も減るだろう。 
 そもそも選手を見れば瞭然だが、強豪扱いされている欧州のチームはすでに「移民」に頼りきりである。サハラ南北のアフリカ出身の選手がメチャクチャ多い。そうやって普段頼っているくせに彼らがたまにPKを外したりすると恩知らずな人種差別的罵声を浴びせたりする人がいるのは何様だ。それでも彼らが欧州の国のために戦っているのは単に「国には活躍の場所がない。出身国でサッカーなどやっていたらWCなどには永久に出られない」からではないか?出身国でもWCに出られるということになれば、欧州各国のアフリカの選手が雪崩をうって自国に帰り、欧州はスカスカ、ジダンもンバッペもいないチームでフランスはどこまで行けるか見ものだ。今回のモロッコを見ていたらそんな想像までしてしまった。政治的にはモロッコもカタールも個人的にちょっと住みたくはないのだが(褒めたり貶したり忙しすぎるぞ)、欧米だって褒められる部分ばかりではない。とにかくサッカーでは欧米・南米の独占状態がガタつくのは正直歓迎である。

 話が逸れたのでPK戦のことに戻すが、今大会ではPKの失敗が非常に目立った。まず日本もスペインも最初の2人が連続して外した。フランスはそれを見たからか、ンバッペを最初に持ってきた。景気づけというか、「良い例」というか「これに続け」というシグナルだろう。さすがにンバッペは入れたがその後が2人連続で外し、日本、スペインとほぼ同パターンとなってしまった。大体PKというのは入るのがデフォではないのか?だからこそたまにシューターが枠にあてたり(ベッカムのようにホームランをかっ飛ばすのは論外)、キーパーが止めたりすると「おおおっ」となるのだ。3人目くらいからその「おおお」が始まり4人目5人目で緊張感が頂点に達するという展開しか記憶にないので、今度のように最初からボコボコ外すPK戦が続出する症状はカタールの風土病か何かじゃないのかと疑っている。
 その風土病をものともせず平常運転したのがオランダで、対アルゼンチン戦では15枚のイエローカードが飛んだ。これは大会記録だそうだ。アルゼンチン側の分も含めての数だが、例えばボウト・ベグホルストが控えのベンチにいる時からすでに黄を食らうというオランダならではの伝統芸で、途中プチ場内乱闘などもあり、見ている方はさあ次は16文キックが出るぞ(『124.驕る平家は久しからず』参照)とワクワクした。チーム内にデ・ヨングという名前の選手がいたからだ。しかしこのデ・ヨングは名字が同じでもクンフー家デ・ヨングとは別人である。残念ながら(?)待望のケリは披露してくれなかった。

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前回2018年のWCでドイツが予選落ちしたとき、私が冗談で「次の2022年も予選通らないから安心しろ」といったら、「サッカーのことなど何もわかっていない弱小国日本人が何か言ってる」的に鼻で笑われたが、私の言った通りになったじゃないか。

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 ドイツ語にSchadenfreude(シャーデンフロイデ)あるいはschadenfroh(シャーデンフロー)という言葉がある。前者は名詞、後者がそれに対応する形容詞だ。私の辞書には前者は「他人の不幸または失敗を笑う」、後者は「小気味よく思う気持ち」とある。Voller Schadenfreude で「いい気味だと思って」。なかなかうまい訳で原語のニュアンスも伝わっている。これらの語は「他人の不幸」といっても深刻な不幸に見舞われた場合には使えないからである。殺人犯人が捕まって厳しい刑に処されたのをみて心のうちに感ずるある種の感情はSchadenfreudeとは呼べないし、いくら嫌いな人でもその人が破産して絶望のあまり自殺したりしたら普通の人はschadenfrohになどならない。深刻すぎるからである。嫌いな人が道でつまずいてコケ、尻餅をついたらSchadenfreudeを感じるだろうが、そこでその人が膝をすりむいて血だらけになったらもうSchadenfreudeの領域を超えている。生物的あるいは社会的な命に別状のない、軽い範囲がこの言葉の使用範囲である。上述の辞書にある「いい気味だ」もうまいが「ざまあみろ」と訳すこともできるだろう。

 今回のサッカーWCでドイツが予選落ちした際、私がつい心の中で抱いてしまった感情はこのSchadenfreudeであった。別にそれによって死者が出たわけでも誰かが自殺したわけでもない、たかがサッカーの話だからである。昔誰かから聞いたところによると南米あたりでは敗因を作った選手は銃殺されたりしたことがあるそうだが、ドイツでは選手の命が危機にさらされることはないだろう。たぶん。被害を蒙ったといえば、多大な需要を当て込んで旗だろ選手の写真カードだろを作りまくり、大量の売れ残りを出した商魂丸出しのスーパーくらいだろうが、こっちのほうも正直「ざまあみろ」だ。
 ドイツは1954年に初めて世界選手権を制して以来、そもそもトーナメントの一回戦で負けたことがない。つまりトーナメントには必ず行っていたのだ。1954年からの前回2014年までの16の世界選手権のうち、優勝が4回、決勝戦進出が8回(つまり4回は決勝戦で負けている)、準決勝までが4回、準々決勝までが4回だから、16分の12、4分の3の確率でベスト4まで残っていた。だから以前にも書いたように国の全体としての雰囲気として、予選は通ると決めてかかっている。チームが勝って上げる歓声も勝ったこと自体より「強いドイツ」を再確認した喜び、大国俺様的な傲慢さを感じさせてどうも私はいやだった。それだけなら単に私のへそ曲がりな判官贔屓に過ぎなかっただろうが、ドイツが前回のWCで優勝した際、お祝いのパレードのとき「ガウチョ野郎を粉砕してやったぜい」的な発言をして2位になったアルゼンチンを揶揄したので完全に失望した。負けた相手をリスペクトしないような奴は今にブーメランを食らうぞと思った。そう思っていたらその発言を聞いてほとんど涙ぐむ在独アルゼンチン人の女性の映像が流された。この女性は長くドイツに住んでいるのでドイツが優勝したのを、まあアルゼンチンが負けたのはくやしいがいっしょにお祝いしようとしていたのだ。本当に同情に耐えない。打ち負かした相手をさらに貶める必要がどこにあるのだろう。以降、それまでは「苦手」だけだったのが「嫌い」になった。だから今回の体たらくには「ざまあみろ」ばかりでなく「やっぱりね。天罰でしょ」という感じが混じっている。日本にはこういうときのために「驕る平家は久しからず」ということわざもあるではないか。
 それでもガウチョ発言の直後はまだWCの余波を駆って強かったがここしばらくは「あれ?」という兆候が見え出していた。専門家には危惧していた人が結構いたようだ。
 予選でスウェーデンに勝ったときも、例によってビール片手にギャーギャー騒ぐファンを尻目に、まともな解説者は「こんなんじゃ優勝は絶対無理」といっていた。さすがに予選落ちまでは予想していなかったようだが。

サッカー世界選手権でのドイツチームの成績の推移。今回の急降下ぶりがわかる。
Artikel1

 というわけで、ある意味ではまあこれでやっと静かに普通に大会観戦ができるようになったし、ドイツ人にもそんなことを言っている人がいるのだが、そう言って(強がって)見せて上辺平気な顔を装っても内心は相当ショックを受けているんじゃないかと思う。というのは、向こうが「これで落ちるところまで落ちたからまあこれからは良くなっていくしかないな」というので私が軽い冗談で「まだ先があるから安心しなさい。次のドバイ大会では地域予選に落ちて不出場だから」と言ったら本気で怒り出したからだ。何をそんなにマジになっているんだ。たかがサッカーじゃないか。さらに心理外傷でタガが外れたのか言うことのロジックが破綻してきた。たとえば、ベルギー・日本戦では「日本のやつら、あんなお上品なプレーしてたらだめだろ。サッカーはダンス大会じゃないんだ。黄カードをガンガン食らうくらい攻撃性をみせなきゃだめだ」などという。でもドイツだってどちらかというと「お上品な」プレーぶりで尊敬されてたんじゃないのか?ちゃんとそれで勝っていたじゃないか。今までは。どうも言うことがわからない。

 ところで日本ではネットなどでは黄カードを集めた韓国になぜか「汚い試合」とかケチをつけていた人を見かけたが、こちらは赤・黄の乱れ飛ぶ試合は「荒い試合」といって普通「汚い」とは呼ばない。汚い試合というのはヒホンの恥(『73.ヒホンの恥』参照)のようなダレた試合のことである。日本・ポーランド戦のような試合のほうがよっぽど「汚い」と呼ばれる可能性がある。
 ひょっとしたら実はドイツ人も妙にお上品なのより荒いチーム・荒いゲームのほうが好きなのかもしれない。現にうちで「あの試合は本当に面白かったなあ」といまだに持ち出されるのが2010年世界大会決勝戦のオランダ・スペイン戦である。どちらが勝っても初の世界一ということで双方殺気だっていた。最初の30分で黄カードが5枚、後半でさらに4枚、延長戦でまた3枚に加えてさらにオランダのハイティンハが一試合中に二枚目の黄をゲットして赤になるというカードの乱れ飛んだ凄まじい試合で、サッカーというよりは格闘技である。しかもここまで荒れても結果そのものはミニマルの1対0でスペインの勝ちという、フィールドでの騒ぎに比較してゴールの少ない試合であった。あまりにカードが乱舞したためか審判の目がくらんだらしく、オランダのデ・ヨングがスペインのシャビ・アロンソの胸のどまんなかに浴びせた16文キック(違)が黄しかもらえなかった。これに赤が出なかったのは、『ウエスタン』や『ミッション』のエンニオ・モリコーネにオスカーが出なかったのにも似て理不尽の極地。あれで黄だったらそれこそ人でも殺さないと赤は貰えないのではないかと(嘘)いまだに議論の的になっている。私はこの「デ・ヨングのクンフー攻撃」を、2006年にジダンがイタリアのマテラッツイに食らわした頭突き、2014年にウルグアイのスアレスがこれもイタリアのチェリーニにかました噛み付き攻撃とともに格闘技サッカー世界選手権の3大プレーのひとつとして推薦したい。

ここまでやっても赤が取れなかったデ・ヨングのクンフーキック。


パリのポンピドゥセンターの前にはジダンの頭突きの銅像が建ったそうだ。今もまだあるのかは知らない。
https://www.parismalanders.com/das-centre-pompidou-in-paris/から

Zinedine-Zidane-Statue-Paris

スアレスのチェリーニへの噛み付き攻撃はメディアでも徹底的におちょくられていた。
http://www.digitalspy.com/から

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 ドイツ語にSchadenfreude(シャーデンフロイデ)あるいはschadenfroh(シャーデンフロー)という言葉がある。前者は名詞、後者がそれに対応する形容詞だ。私の辞書には前者は「他人の不幸または失敗を笑う」、後者は「小気味よく思う気持ち」とある。Voller Schadenfreude で「いい気味だと思って」。なかなかうまい訳で原語のニュアンスも伝わっている。これらの語は「他人の不幸」といっても深刻な不幸に見舞われた場合には使えないからである。殺人犯人が捕まって厳しい刑に処されたのをみて心のうちに感ずるある種の感情はSchadenfreudeとは呼べないし、いくら嫌いな人でもその人が破産して絶望のあまり自殺したりしたら普通の人はschadenfrohになどならない。深刻すぎるからである。嫌いな人が道でつまずいてコケ、尻餅をついたらSchadenfreudeを感じるだろうが、そこでその人が膝をすりむいて血だらけになったらもうSchadenfreudeの領域を超えている。生物的あるいは社会的な命に別状のない、軽い範囲がこの言葉の使用範囲である。上述の辞書にある「いい気味だ」もうまいが「ざまあみろ」と訳すこともできるだろう。

 今回のサッカーWCでドイツが予選落ちした際、私がつい心の中で抱いてしまった感情はこのSchadenfreudeであった。別にそれによって死者が出たわけでも誰かが自殺したわけでもない、たかがサッカーの話だからである。昔誰かから聞いたところによると南米あたりでは敗因を作った選手は銃殺されたりしたことがあるそうだが、ドイツでは選手の命が危機にさらされることはないだろう。たぶん。被害を蒙ったといえば、多大な需要を当て込んで旗だろ選手の写真カードだろを作りまくり、大量の売れ残りを出した商魂丸出しのスーパーくらいだろうが、こっちのほうも正直「ざまあみろ」だ。
 ドイツは1954年に初めて世界選手権を制して以来、そもそもトーナメントの一回戦で負けたことがない。つまりトーナメントには必ず行っていたのだ。1954年からの前回2014年までの16の世界選手権のうち、優勝が4回、決勝戦進出が8回(つまり4回は決勝戦で負けている)、準決勝までが4回、準々決勝までが4回だから、16分の12、4分の3の確率でベスト4まで残っていた。だから以前にも書いたように国の全体としての雰囲気として、予選は通ると決めてかかっている。チームが勝って上げる歓声も勝ったこと自体より「強いドイツ」を再確認した喜び、大国俺様的な傲慢さを感じさせてどうも私はいやだった。それだけなら単に私のへそ曲がりな判官贔屓に過ぎなかっただろうが、ドイツが前回のWCで優勝した際、お祝いのパレードのとき「ガウチョ野郎を粉砕してやったぜい」的な発言をして2位になったアルゼンチンを揶揄したので完全に失望した。負けた相手をリスペクトしないような奴は今にブーメランを食らうぞと思った。そう思っていたらその発言を聞いてほとんど涙ぐむ在独アルゼンチン人の女性の映像が流された。この女性は長くドイツに住んでいるのでドイツが優勝したのを、まあアルゼンチンが負けたのはくやしいがいっしょにお祝いしようとしていたのだ。本当に同情に耐えない。打ち負かした相手をさらに貶める必要がどこにあるのだろう。以降、それまでは「苦手」だけだったのが「嫌い」になった。だから今回の体たらくには「ざまあみろ」ばかりでなく「やっぱりね。天罰でしょ」という感じが混じっている。日本にはこういうときのために「驕る平家は久しからず」ということわざもあるではないか。
 それでもガウチョ発言の直後はまだWCの余波を駆って強かったがここしばらくは「あれ?」という兆候が見え出していた。専門家には危惧していた人が結構いたようだ。
 予選でスウェーデンに勝ったときも、例によってビール片手にギャーギャー騒ぐファンを尻目に、まともな解説者は「こんなんじゃ優勝は絶対無理」といっていた。さすがに予選落ちまでは予想していなかったようだが。

サッカー世界選手権でのドイツチームの成績の推移。今回の急降下ぶりがわかる。
Artikel1

 というわけで、ある意味ではまあこれでやっと静かに普通に大会観戦ができるようになったし、ドイツ人にもそんなことを言っている人がいるのだが、そう言って(強がって)見せて上辺平気な顔を装っても内心は相当ショックを受けているんじゃないかと思う。というのは、向こうが「これで落ちるところまで落ちたからまあこれからは良くなっていくしかないな」というので私が軽い冗談で「まだ先があるから安心しなさい。次のドバイ大会では地域予選に落ちて不出場だから」と言ったら本気で怒り出したからだ。何をそんなにマジになっているんだ。たかがサッカーじゃないか。さらに心理外傷でタガが外れたのか言うことのロジックが破綻してきた。たとえば、ベルギー・日本戦では「日本のやつら、あんなお上品なプレーしてたらだめだろ。サッカーはダンス大会じゃないんだ。黄カードをガンガン食らうくらい攻撃性をみせなきゃだめだ」などという。でもドイツだってどちらかというと「お上品な」プレーぶりで尊敬されてたんじゃないのか?ちゃんとそれで勝っていたじゃないか。今までは。どうも言うことがわからない。

 ところで日本ではネットなどでは黄カードを集めた韓国になぜか「汚い試合」とかケチをつけていた人を見かけたが、こちらは赤・黄の乱れ飛ぶ試合は「荒い試合」といって普通「汚い」とは呼ばない。汚い試合というのはヒホンの恥(『73.ヒホンの恥』参照)のようなダレた試合のことである。日本・ポーランド戦のような試合のほうがよっぽど「汚い」と呼ばれる可能性がある。
 ひょっとしたら実はドイツ人も妙にお上品なのより荒いチーム・荒いゲームのほうが好きなのかもしれない。現にうちで「あの試合は本当に面白かったなあ」といまだに持ち出されるのが2010年世界大会決勝戦のオランダ・スペイン戦である。どちらが勝っても初の世界一ということで双方殺気だっていた。最初の30分で黄カードが5枚、後半でさらに4枚、延長戦でまた3枚に加えてさらにオランダのハイティンハが一試合中に二枚目の黄をゲットして赤になるというカードの乱れ飛んだ凄まじい試合で、サッカーというよりは格闘技である。しかもここまで荒れても結果そのものはミニマルの1対0でスペインの勝ちという、フィールドでの騒ぎに比較してゴールの少ない試合であった。あまりにカードが乱舞したためか審判の目がくらんだらしく、オランダのデ・ヨングがスペインのシャビ・アロンソの胸のどまんなかに浴びせた16文キック(違)が黄しかもらえなかった。これに赤が出なかったのは、『ウエスタン』や『ミッション』のエンニオ・モリコーネにオスカーが出なかったのにも似て理不尽の極地。あれで黄だったらそれこそ人でも殺さないと赤は貰えないのではないかと(嘘)いまだに議論の的になっている。私はこの「デ・ヨングのクンフー攻撃」を、2006年にジダンがイタリアのマテラッツイに食らわした頭突き、2014年にウルグアイのスアレスがこれもイタリアのチェリーニにかました噛み付き攻撃とともに格闘技サッカー世界選手権の3大プレーのひとつとして推薦したい。

ここまでやっても赤が取れなかったデ・ヨングのクンフーキック。


パリのポンピドゥセンターの前にはジダンの頭突きの銅像が建ったそうだ。今もまだあるのかは知らない。
https://www.parismalanders.com/das-centre-pompidou-in-paris/から

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スアレスのチェリーニへの噛み付き攻撃はメディアでも徹底的におちょくられていた。
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