アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:エンツォ・バルボーニ

 1970年代に入るとマカロニウエスタンは完全に衰退期に入っていた。本来ジャンルのウリであった「残酷描写・復讐劇」ではやっていけなくなっていたのだ。そりゃそうだろう。キャラもストーリーもあれだけワンパターンな映画が1964年(『荒野の用心棒』が出た年)から5年以上もぶっ続けに大量生産されていったらさすがに飽きる。このマンネリ打開策には『173.後出しコメディ』でも書いたが3つほどパターンがあった。一つは残酷描写をさらに強化したサイコパス路線で観客をアッと言わせる作戦(本当の意味では「打開」と言えないが)。2つ目が真面目な社会派路線で、メキシコ革命などをモチーフにした。最後がコメディ路線で本体の暴力描写を放棄するやり方である。最初の二つはすでに最盛期にその萌芽が見える。フルチなど後にジャッロに進む監督が早い時期にすでにマカロニウエスタンを撮っているし、ソリーマなど第一作からすでにメキシコ革命は主題だ。ヴァレリもケネディ暗殺という政治的なテーマを扱っている。またそもそもレオーネやコルブッチでクラウス・キンスキーの演じたキャラはサイコパス以外の何物でもない。
 これらに対して喜劇路線は出現がやや遅く、やっとジャンルが本来の姿、血まみれ暴力路線で存続するのが困難になってきた70年代に入ってからだ。代表的なのがエンツォ・バルボーニの「風来坊シリーズ」で、遠のきかけていた客足をジャンルに引っ張り込んだ。オースティン・フィッシャー Austin Fisher という人が挙げているマカロニウエスタンの収益リストがあって、100位まで作品名が載っているが、それによると最も稼いだマカロニウエスタンというのは用心棒でもガンマンでもなく風来坊である。ちょっと主だったものを見てみよう。タイトルはイタリア語原語でのっていたが邦題にした。邦題がどうしてもわからなかったもののみもとのイタリア語にしてある。またフィッシャーは監督名を載せていないのでここでは色分けした。赤がバルボーニ、青がレオーネ、緑がジュゼッペ・コリッツィ(下記)である。
Tabelle-208
目を疑うような作品が15位に浮上しているのが驚きだが、とにかくバルボーニが次点のレオーネに大きく水をあけて一位になっているのがわかる。日本とは完全に「マカロニウエスタン作品の重点」が違っている感じだが、違っているのは日本の感覚からばかりではない。ヨーロッパでの現在の感覚からもやや乖離している。今のDVDの発売状況や知名度から推すと『続・荒野の用心棒』の収益順位がこんなに低いのは嘘だろ?!という感じ。また『殺しが静かにやって来る』が登場しないのも理解の埒外。だからこのリストが即ち人気映画のリストにはならないのだが、それでもバルボーニ映画がトップと言うのは結構ヨーロッパの生活感覚(?)にマッチしている。こちらではマカロニウエスタンと聞いて真っ先に思い浮かんでくるのはバッド・スペンサーとテレンス・ヒルで、イーストウッドなんかにはとても太刀打ちできない人気を誇っているのだ。いまだにTVで繰り返し放映され、家族単位で愛され、子供たちに真似されているのはジャンゴやポンチョよりスペンサーのドツキなのである。
 さる町の市営プールが「バッド・スペンサー・プール」と名付けられたことについては述べたが(『79.カルロ・ペデルソーリのこと』参照)、つい先日もスーパーマーケットでスペンサーをロゴに使ったソーセージを見つけた。二種類あって一つはベーコン&チーズ風味、もう一つはクラコフのハム味だそうだ。私は薄情にも買わなかったので味はわからないが、スペンサーの人気が衰えていないことに驚く。これに対し、例えば棺桶ロゴ、ポンチョロゴのポテトチップとかは見かけたことがない。

バッド・スペンサーマークのソーセージをどうぞ。https://www.budterence.de/bud-spencer-lebt-weiter-neue-rostbratwurst-und-krakauerから
bud-spencer-rostbratwurst

 この監督バルボーニについてはすでに何回もふれているが、ちょっとまとめの意味でもう一度見てみたい。

 既述のようにバルボーニはカメラマン出身だ。セルジオ・コルブッチがそもそもまだサンダル映画を作っていた頃からいっしょに仕事をしていて、『続・荒野の用心棒』ばかりでなくコルブッチが1963年、レオーネより先に撮った最初のマカロニウエスタン『グランド・キャニオンの虐殺』Massacro al Grande Canyon もバルボーニのカメラだった。つまりある意味マカロニウエスタン一番乗りなのだが、実は「一番乗り」どころではない、ジャンルの誕生をプッシュしたのがそもそもバルボーニであったらしい。インタビューでバルボーニがこんな話をしている。

当時カメラ監督やってたときね、撮影の同僚といっしょに映画館で黒澤明の『用心棒』(1960)を見たんですよ。二人とも非常に感銘を受けてね、その後セルジオ・レオーネに会ったとき信じられないくらい美しい映画だからって言ったんですよ。で、冗談でこのストーリーで西部劇が作れるんじゃないかとも。それだけ。けれどレオーネは本当にその映画を見に行って一年後に『荒野の用心棒』としてそのアイデアを実現させましたね。

ここでバルボーニ自身がメガフォンを握っていたら映画の歴史は変わったかもしれないが、その時点では氏はまだ監督ではなかった。とにかくコルブッチ以外の監督の下でも西部劇を撮り続け、1969年にイタロ・ジンガレッリ Italo Zingarelli の『5人の軍隊』も担当した。これは丹波哲郎が出るので有名だが、他にも脚本はダリオ・アルジェント、音楽モリコーネ、バッド・スペンサーも出演する割と豪華なメンバーの作品だ。製作もジンガレッリが兼ねていたが、このジンガレッリは風来坊の第一作を推した人である。

 大ブレークした『風来坊/花と夕日とライフルと…』(1970)はバルボーニの監督第二作で、第一作は Ciakmull - L'uomo della vendetta という作品だが、一生懸命検索しても邦題が見つからなかった。ということは日本では劇場未公開なのか?だとしたらちょっと意外だ。確かにバカ当たりはしなかったようだが(興行成績リストにも出ていない)、音楽はリズ・オルトラーニだし、スターのウッディ・ストロード、カルト俳優ジョージ・イーストマンが出る結構面白い正統派のマカロニウエスタンだからである。タイトルは「チャックムル - 復讐の男」で、チャックムルというのがレオナード・マンが演じる主人公の名前だが、気の毒にドイツではこれが脈絡もなくジャンゴになっている(『52.ジャンゴという名前』参照)。

 Ciakmull のドイツ語タイトル。勝手にジャンゴ映画にするな!
chiakmull-deutch
主役のレオナード・マン。しかしまあこういう格好をしていればジャンゴにされるのも致し方ないかも…
Leonardo-Mann
 さる町で銀行強盗団が金の輸送を襲う際、護衛の目を逸らすために刑務所に火をつける。ここには犯罪者だけでなく精神病患者も収容されていて、その一人が記憶を失い自分が誰だかわからなくなっていた男であった(これが主人公)。主人公と同時に3人脱獄するのだが、そのうちの一人が主人公が来た町の名を小耳に挟んでいて、さらに強盗団のボスもその町の者であることがわかり、他の3人はその金を奪うため、主人公は(金はどうでもよく)自分の記憶を取り戻すため、一緒にその町に向かう。
 目ざす町ではボスの一家と主人公の家族が敵対関係にあって、詳細は省くが最終的に仲間の3人はボスの一家に殺され、生き残った主人公(徐々に記憶も蘇る)がボスと対決して殺す。しかし実は主人公の弟こそ、主人公の記憶喪失の原因を作った犯人であることがわかる。この弟に主人公は殺されかけ、生き残ったがショックで記憶を失ったのだ。兄のほうが父に可愛がられるのでやっかんでいたのと、実は兄は父の実子ではなく、母親が暴漢に強姦されてできた子だったのだが、妻を愛していた父は我が子のように可愛がってきたのだった。結局主人公はこの弟も殺し(正当防衛)、実の親でないと分かった父を残して去っていく。『野獣暁に死す』と『ガンマン無頼』と『真昼の用心棒』と『荒野の用心棒』を混ぜて4で割ったような典型的マカロニウエスタンのストーリーである。
 上述のインタビューによると、バルボーニはジャンル全盛期にカメラマンをやっていた時からすでに金と復讐というワンパターンなモチーフに食傷しており、ユーモアを取り入れたほうがいいんじゃないかと常々思っていたそうだ。それで監督の機会が与えられた時、プロデューサーにそういったのだが、プロデューサーは「観客は暴力を見たがっているんだ」と首を縦に振らなかった。結果として Ciakmull は陰鬱な復讐劇になっている。

 しかし次の『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではコミカル路線を押し通した。書いてもらった脚本をジンガレッリのところに持ち込むと「そのうち見ておくから時間をくれ」との答えだったが、バルボーニが家に帰るや否や電話をよこして「撮るぞこれ!主役は誰にする?!」と聞いて来たそうだ。そこでテレンス・ヒルとバッド・スペンサーがいいといった。上のリストを見てもわかるようにジュゼッペ・コリッツィの作品は結構当たっていたからそれを見てスペンサー&ヒルのコンビすでに目をつけていたのだろう。ジンガレッリは速攻で脚本を二人に送り、バルボーニはその日の21時にまた事務所に呼び戻されて詳細面談。次の日から製作がスタートしたそうだ。
 この作品ではストーリーから「復讐」「暴力」というテーマが抜けている:テレンス・ヒルとバッド・スペンサーは兄弟で、それぞれ好き勝手に別のところで暮らしていたが、あるときある町でかち合ってしまう。スペンサーは馬泥棒を計画していてその町の保安官に化けて仲間と待ち合わせしていた矢先だったから、ヒルの出現をウザがるが結局一緒に働こう(要は泥棒じゃん)ということになる。その町にはモルモン教徒の居住地があったが、やはりこれも町の牧場主がそこの土地を欲しがってモルモン教徒を追い出そうとさかんに嫌味攻勢をかけている。しかしヒルがそこの2人の娘を見染めてしまいスペンサーもこちらに加勢して牧場主と対決(殴り合い)する羽目になる。
 ヒルはモルモン教徒の仲間に入って2人の娘と結婚しようとまでするが(モルモン教徒は一夫多妻です)、彼らが厳しい労働の日々を送っていることを知ってビビり、去っていくスペンサーを追ってラクチンなホニャララ生活を続けていくほうを選ぶ。
 ストーリーばかりでなく絵そのものも出血シーンもなく銃撃戦の代わりにゲンコツによる乱闘。それもまるでダンスみたいな動きで全然暴力的でない。これなら子供連れでも安心して観賞できるだろう。

『風来坊/花と夕日とライフルと…』はお笑い路線
Emiliano-Trinita-I
 とにかく chiakmull と『風来坊/花と夕日とライフルと…』は製作年がほとんど同じなのにこれが同じ監督の作品かと思うほど雰囲気が違っている。それでもよく見ると共通点があるのだ。その一つが主人公たちがポーク・ビーンズ(ベーコン・ビーンズ?)をほおばるシーンで、『風来坊/花と夕日とライフルと…』でもテレンス・ヒルがやはりポーク・ビーンズをがつがつ平らげるし、『風来坊 II/ザ・アウトロー』はスペンサーが豆を食べるシーンから始まる(その直後にテレンス・ヒルもやってきてやはり豆を食う)。以来この「豆食い」がスペンサー&ヒルのトレードマークになったことを考えると chiakmull ですでに後のバルボーニ路線の萌芽が見えるといっていいだろう。

レオナード・マン(後ろ姿)演ずるチャックムルたちの豆食い
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『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではテレンス・ヒルが豆を食う。
Trinita-I-Bohnen
『風来坊 II/ザ・アウトロー』でも冒頭でスペンサーが豆を食う。
Trinita-II-Bohnen
 もう一つはお笑い路線とは関係がないが、銃撃戦あるいは決闘のシーンのコマ割りである。 chiakmull では強盗団のボスが奪った金を腹心の仲間だけで独占しようとしてその他の配下の者を皆殺しにするのだが、その銃撃戦の流れの最中にバキバキとピストルのどアップ画面が挿入される。こういう時銃口を大きく写すのはよくあるが、ここではそうではなくて銃を横から見た絵、撃鉄やシリンダーがカシャリと動く絵が入るのである。Chiakmull のこの場面は戦闘シーンそのものの方もカメラというか編集というかがとてもシャープでずっと印象に残っていた。調べてみたら Chiakmull で編集を担当したのはエウジェニオ・アラビーソ Eugenio Alabiso という人で『夕陽のガンマン』や『続・夕陽のガンマン』も編集したヴェテランだった。
 この「銃を横から写したアップの挿入」というシーケンスは『風来坊/花と夕日とライフルと…』でも使われている。スペンサーのインチキ保安官にイチャモンをつけて来たチンピラがあっさりやられる場面だが、その短い撃ち合いの画面にやはりピストルの絵が入るのだ。Chiakmull と『風来坊/花と夕日とライフルと…』ではカメラも編集も違う人だからこれは監督バルボーニの趣味なのではないだろうか。

Chiakmull の銃撃戦。普通の(?)の画面の流れに…
Chiakmull-Schiessen-1
バキッとピストルのアップが入り…
Chiakmull-Gun-1
Chiakmull-Gun-2
その後戦闘シーンに戻る。
Chiakmull-Schiessen-2
するともう一度今度は逆向きに銃身のアップ
Chiakmull-Gun-3
Chiakmull-Gun-4
すぐ再び戦闘シーンに戻る。
Chiakmull-Schiessen-3

『風来坊/花と夕日とライフルと…』では「抜け!」と決闘を挑んだチンピラがスペンサーに…
Trinita-I-spencer
Trinita-Gun-1
Trinita-Gun-2
Trinita-Gun-3
撃ち殺される。
Trinita-Schiessen
 さて、お笑い2作目『風来坊 II/ザ・アウトロー』は上記のように1作目以上にヒットした。ここではスペンサー・ヒル兄弟が瀕死の(実はそう演技してるだけ)父の頼みで、兄弟いがみ合わずに協力して立派な泥棒になれと言われ、努力はするがどうも上手く行かない。勝手に政府の諜報員と間違われてドタバタする話である。売春婦だという兄弟の母親が顔を出す。確かにまああまり上品ではないが陽気で気のよさそうなおばちゃんだ。
Trinita-II-Mama
 3作目『自転車紳士西部を行く』はテレンス・ヒルだけで撮ったコメディで、アメリカで死んだ父の土地を相続しにやって来た英国貴族の息子を、父の遺言によってその友人たち(西部の荒くれ男)が鍛えてやる話だ。その息子がテレンス・ヒルだが、詩を詠みエチケットも備えた、要するに粗野でもマッチョでもない好青年で文明の利器、自転車を乗り回している。この作品は製作が1972年だから、例の『ミスター・ノーボディ』の直前である。テレンス・ヒルを単独で使ってコメディにするというアイデアはバルボーニから来ているのかもしれない。なおこの映画では英国紳士のテレンス・ヒルがやっぱり豆を食う。

自転車をみて驚く西部の馬。
Trinita-III-Fahrrad
英国貴族(テレンス・ヒル)もやっぱり豆を食う。
Trinita-III-Bohnen
 『風来坊』のヒットによってバルボーニはすでに死に体であったジャンルに息を吹き込んだ。バルボーニのこのカンフル剤がなかったらマカロニウエスタンは70年代半ばまでは持たなかったはずだ。『自転車紳士西部を行く』がなかったら最後のマカロニウエスタンとよく呼ばれる『ミスター・ノーボディ』も製作されていなかったかもしれない。
 しかしカンフル剤はあくまでカンフル剤であって、病気そのものを治すことはできず、70年代後半には結局衰退してしまった。バルボーニはマカロニウエスタンが消滅した後もスペンサー&ヒルでドタバタB級喜劇(西部劇ではない)を作り、未だに「バッド・スペンサー・コレクション」などと称してソフトが出回っている。でもマカロニウエスタンが暴力のワンパターンに陥ったのと同様、今度はこのドツキがマンネリ化してしまった。バルボーニ自身それがわかっていたようで「制作者はちょっと映画がヒットするとまたこういうのを作ってくれとすぐいいやがる。想像力ってもんがないんだな」とボヤいている。

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 米国製西部劇と比べるとマカロニウエスタンにはメキシコ人が登場する割合が高いが、これはイタリアやスペインにはそのまま地でメキシコ人が演じられる、というかメキシコ人にしか見えない俳優がワンサといたからだろう。逆にアメリカ人、ということは西部劇の舞台になった当時「アメリカ人」の大部分を占めていた北方ヨーロッパ系のアメリカ人に見える人材の方はやや不足気味で、米国からの輸入(?)に頼るしかなかった。「誰でもいいからアメリカ人を連れてこい」というのが当地での合言葉だったそうだ。ウィリアム・ベルガーなども「アメリカ人に見える」という理由(だけ)でオファ―が来たとか来ないとかいう噂をきいたことがある。それでも「ヨーロッパ系アメリカ人」ならまだフランコ・ネロやテレンス・ヒルなど、少数派とはいえイタリア本国にもやれる俳優はいた。いなかったのがアフリカ系アメリカ人をやれる俳優である。今でこそドイツにもイタリアにもアフリカ系の国民が結構いるが、映画が作られた当時は自国民では絶対に賄えなかった。当時アフリカ系アメリカ人を演じた俳優はほとんどアメリカ市民である。
 一番の大物はウディ・ストロードだろう。レオーネの『ウエスタン』ではちょっと顔を出しただけなのに皆の記憶に残る存在感を示している。コリッツィの La collina degli stivaliとバルボーニのデビュー作 Ciakmull については『173.後出しコメディ』の項で述べたが、この他にも何本もマカロニウエスタンに出ていてほとんど常連の感がある。もう一人の大物はこれもコリッツィのI quattro dell'Ave Maria (1968)(『荒野の三悪党』)で曲芸師のトーマスを演じたブロック・ピータース。『アラバマ物語』で(あらぬ罪であることが明確な)婦女暴行罪の容疑者を演じていた人だ。他にも『復讐のダラス』でジェンマの友人を演じたレイ・サンダース(Rai Saunders または Rai Sanders)などがいる。さらに思い出したが、ずっと時が下ってからのマカロニ・ウエスタン、ルチオ・フルチの『荒野の処刑』I quattro dell'apocalisse (1975)(『155.不幸の黄色いサンダル』参照)にもハリー・バイアド Harry Biardが演じたアフリカ系のキャラがいた。バイアドは例外的にアメリカ人ではなく旧英領ギアナ(現ガイアナ)生まれの英国俳優である。調べて行けばもちろんもっといるが、すぐに思いつく顔といえばこういった名前であろう。

 これらは男性だが、アフリカ系女性陣も負けてはいない。真っ先に思い浮かぶのは何といってもジャンル最高峰の一つである『殺しが静かにやって来る』のポーリーン。夫の敵をトランティニャン演じる殺し屋サイレンスに依頼する寡婦だ。その殺し屋を愛するようになり、あくまでも目的の仇(サイコパスのクラウス・キンスキー)と対決しようとする彼に「もういいから放っておいて。命を粗末にしないで」的なことまで言い出すが、結局二人ともサイコなキンスキーに殺されるという、モリコーネのゾッとするような美しいスコアといい、凍るような雪景色といい、見たら最後、鬱病になりそうな陰気な映画だ。そのポーリーンを演じたヴォネッタ・マッギーはこれがデビュー作だそうで、タイトル部でそう謳ってある。マッギーはその後『アイガー・サンクション』でイーストウッドと共演したりしている。

ヴォネッタ・マッギーはこれ映画初出演。イントロにも書いてある。
McGee6
McGeeTitel2
夫の敵討ちを殺し屋サイレンスに依頼
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サイレンスとポーリーンの関係を知らず、無邪気に間に割り込むフランク・ヴォルフ。
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 もう一人思い出すアフリカ系女性は上述の『復讐のダラス』でレイ・サンダースがやったジェンマの親友の妹である。役の名前をアニー・ゴダールと言ったが、その兄、サンダースの役はジャック・ドノヴァンで、苗字が違うのはなぜだろう。既婚と言う設定だったのかもしれないが、夫の話は全く出てこない。アニーを演じたのはノーマ・ジョーダン Norma Jordan というアメリカ生まれの歌手兼女優だが、その後もすっとイタリア生活のようだ。『復讐のダラス』はまず兄のジャックが悪徳保安官に拷問される場面で始まり、そこへやって来た妹のアニーも保安官は乱暴に外に放り出す。それを見かねたアントニオ・カサスが助け起こし、保安官に「善良な市民に何という扱いをするんだ」と抗議するが、これがその後の展開の暗示。このカサス(ジェンマの父)も兄のサンダースも保安官一味に殺される。兄は大統領殺害の犯人に仕立て上げられるのだが、正規の裁判には連邦政府から来た役人が目を光らせているためでっち上げがバレる惧れがあるというのでその前に始末されるのである。そういえば映画ではジョーダンが酒場で歌とダンスをご披露する場面もあるが、むしろこちらの歌の方が本職だ。
 なお1971年にアフリカ系アメリカ人の女優とそのイタリア人の恋人が殺される事件があり、ジョーダンも証人として召喚された。被害者の女優がジョーダンの元ルームメイトだったからだ。殺された女優はティファニー・ホイヴェルドTiffany Hoyveld で、なんと上述のコリッツィの『荒野の三悪党』で、ブロック・ピータースの妻を演じていた人である。

『復讐のダラス』の冒頭、道端に放り出されるノーマ・ジョーダン。左からアントニオ・カサスが手を差しのべて助け起こす。
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映画終盤。兄が殺されたと知ってショックを受ける。
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 ノーマ・ジョーダンも歌が本職だったが、もう一人、女優業に駆り出された歌手がローラ・ファラナ。ヴォネッタ・マッギーもノーマ・ジョーダンも脇役だったが、ファラナはなんと Lola Colt (1967)というマカロニウエスタンで堂々と単独主役を務めている。大したものだ。さすがのウディ・ストロードでさえ単独主役という偉業は達していない。
 Lola Colt のドイツ語タイトルは Lola Colt… sie spuckt dem Teufel ins Gesicht(ローラ・コルト、悪魔の顔に唾を吐く)。「悪魔」というのは敵役の悪漢のあだ名が El Diablo、つまり「悪魔」だからである。この作品はアフリカ系の女性を主役にしたレアなマカロニウエスタンだが、映画そのものは言っては悪いが完璧なまでのBムービー、黒人女性が主役という希少価値がなかったらとっくに忘却の淵に沈んでいたはずだ。もともとの長さは83分のはずだが、私が見たのはその短いのをさらに短縮した77分版。普通は短縮されると作品が損なわれるものだが、この映画にかぎっては何の損害も受けていない、むしろ少しくらいカットしてくれた方が助かったという気がするくらいBである。また普通は映画のストーリーを紹介する場合あまり露骨にネタバレしないように気を付けるものだが、この映画にはそんな気遣いは無用。バレて困るようなネタがないからである。まあとにかくB級映画だ。

 西部のさる町に旅回りの芸人団がやってくる。団員の一人が病気になり、医者にかからせないといけなくなったからだ。この一座の看板娘がローラである。町の人たち、特に気取ったさぁます奥様達は「芸人風情」にいい顔をせず、医者のいる何マイルも先の町へ行けと追い払おうとするが、一人の子供が「昔医学生だった人ならいるよ」と正直にリークしたため、一行は滞在することになる。医学生のほうも一生懸命病人の治療をする。
 病人の看病をしながら留まるうち、ローラはこの町がエル・ディアブロというあだ名の悪漢牧場主に牛耳られていることを知る。「どうして皆で対抗しないのか」との問いには「無理だ。我慢するしかない」という答えが返ってくるのみ。
 その医学生には婚約者がいたがローラの方に靡き、ローラもまた彼を愛するようになる。あまりにも安直かつ予想通りの展開だ。
 そのうち上述の親切な子供がエル・ディアブロの一味に撃ち殺される。ここに至ってローラは町の男どもを前に「あんたがたが弱虫なおかげでこの子は死んだのだ。エル・ディアブロを倒そう」とハッパをかける。住人は奮い立ち、ローラを先頭にエル・ディアブロの屋敷を襲撃し、そこに閉じ込められていた人質を解放する。民衆を率いるローラはまるでジャンヌ・ダルクかドラクロアの自由の女神だが、実際にエル・ディアブロと決闘して殺すのはローラでなく医学生。
 かくて町には平和が戻り、ローラ一行は住民の歓呼を浴びながら去っていく。最初ローラたちを白い目で見たざぁます奥様達も「私たちが間違っていました」と謝罪する。婚約を破棄した医学生はローラを追って一行に合流する。「見知らぬ主人公がどこからともなく町を訪れ、紛争を解決してまたフラリと去っていく」というマカロニウエスタンの定式を一応は踏襲しているが、最後がいくらなんでもメデタシメデタシすぎやしないか。

町に旅芸人が到着。その看板娘ローラ。
LolaColt1
男たちを引きつれて敵の屋敷を襲撃する褐色のジャンヌ・ダルク。
LolaColt3
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病人を診察に来た医学生とローラ。
Lola-und-Student2
 Lola Colt のファラナも『復讐のダラスの』ジョーダンもむしろ歌が本業だったため、映画でもそういうキャラ設定で、酒場で歌を披露する場面がある。それに対してマッギーは専業女優でしかも『殺しが静かにやってくる』がデビュー作だったから歌や踊りとは関係のない堅気(といっては失礼だが)の寡婦。しかしストーリーというかキャラ的にはファラナのローラはむしろこちらの方と共通点が多い。Lola Colt では医学生とは敵対していたエル・ディアブロがローラは見染めて言い寄るが、これは『殺しが静かにやってくる』のポーリーンも同様で、キンスキーとツルんでいる町の有力者ポリカット(演じるのはルイジ・ピスティリ)は前々からポーリーンに気があり、弱みにつけこんで意のままにしようとする。ローラはやんわりと、ポーリーンは手酷くという違いはあるが、どちらもこれを拒否する展開は同じだ。もっとも「金と権力をチラつかせて言い寄る嫌みな男に肘鉄を食らわせて貧しく権力もない若者に靡く女性」というのは古今東西頻繁に繰り返されてきたモチーフだから、これを持ってLola Colt と『殺しが静かにやってくる』との共通点、と言い切ることはできまい。だがもう一つオーバーラップする点がある。白人男性と恋仲になるという点だ。これがアフリカ系男性陣とは違う展開で、私の知る限りアフリカ系のキャラクターが白人の女性の恋人になる展開のマカロニウエスタンは見たことがない。俳優としての格は男性陣の方が上なのにである。上述のように男性陣はストロード始め、すでに本国で名をなしていたスターが多い。それに対して女性の方はイタリアに来てからそこでキャリアを開始した人ばかりである。それなのにというかそれだからというか、アフリカ系男性が白人の女性をモノにする(品のない言葉ですみません)展開は皆無なのである。どうもここら辺に隠れた性差(別)あるいは人種差(別)を感じるのだが…

 それにしても『殺しが静かにやってくる』の、主役女性にアフリカ系を持ってくるというアイデアは何処から来たのか。コルブッチはそのためにわざわざ新人女優をデビューさせてさえいるのだ。まさかとは思うが、Lola Colt からヒントを得たとか。映画の出来自体は比べようがないほどの差があるが、製作は Lola Colt のほうが1年早いのである。前にもちょっと出した「棺桶から機関銃」もそうだが、コルブッチの意表を突くアイデアの出所についてはまだいろいろ検討の余地がありそうだ。

 
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 『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』でもちょっと書いたが、1970年代になるとマカロニウエスタンは様々なサブジャンルに分割していった。『荒野の用心棒』『続・荒野の用心棒』が開いた基本路線を踏襲することあまりにも頻繁露骨だったためワンパターンかつマンネリの袋小路に陥ったのを何とか打開しよう、客をおびき寄せようという苦肉の策だ。策の一つはジャンルのトレードマークをさらに強調し、主人公の人物設定をクールを通り越して異常人格にまでデフォルメしたり、ホラー映画じゃあるまいし的な流血シーンを流す。奇を衒う作戦だろうが、その「奇」が次第にエスカレートしてきてマカロニウエスタンの範疇内には収まりにくくなり、その後ジャッロに流れていった(『155.不幸の黄色いサンダル』参照)。もう一つの策はコメディ路線である。こちらの方はホラー路線と違って普通の人(?)でも安心して鑑賞できたのである程度の成功を納めた。有名なのがバッド・スペンサーとテレンス・ヒルのコンビによる「風来坊もの」(『79.カルロ・ペデルソーリのこと』参照)で、この二つはこちらでは「ある程度」どころでなく『続・荒野の用心棒』級のヒットを飛ばし、今でも時々TVでやっている。子供の時夢中でこれを見た人たちが自分自身が親になっても子供と一緒に見たりすることも多いらしく、「二代目のファン」もいる。
 この風来坊ものと呼ばれるのは『風来坊/花と夕陽とライフルと』(1970) Lo Chiamavano Trinita 、『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』(1971)…continuavano a chiamarlo Trinità、『自転車紳士西部を行く』(1972)E poi lo chiamarono il magnificoの三作だが、これを監督したのがエンツォ・バルボーニ(E.B.クラッチャー)である。カメラマン出身で、コルブッチの下でも撮影していた。エンツォの兄が巨匠ピエトロ・ジェルミの下で『鉄道員』『刑事』『わらの男』などのカメラを担当したレオニダ・バルボーニだ。バルボーニの作品は日本ではあまり名を知られていないようだが上述の通りこちらではよくTVでやっている。私も三作全部TVで見た。茶の間でお父さんと(お母さんでもいいが)子供が笑いながら見られる作品だったが、三作似ていてどのシーンがどの映画のだったのかよく覚えていない。ただそのどれかでテレンス・ヒルがやったキャラの名前、「お疲れジョー」der müde Joeというのを覚えていて(確認したら『風来坊/花と夕陽とライフルと』と『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』の両方だった。ドイツ語タイトルはそれぞれ Die rechte und die linke Hand des Teufels「悪魔の右手と左手」と Vier Fäuste für ein Halleluja「ハレルヤのためにゲンコツ四つ」)、昔私のパソコンが古くなって動きがタルくなってきた時、そのパソコンを der müde Joe と名付けておちょくっていた。ところがそれを何の気なしに誰かに「私のパソコンは古くてほとんどder müde Joe」と言ったら一発で通じてしまい、「わはは、昔西部劇でそんなのありましたね」と返ってきたので驚いた。

バルボーニの下でテレンス・ヒルが演じた「お疲れジョー」。
https://www.moviepilot.de/movies/die-rechte-und-die-linke-hand-des-teufels/bilder/708309から
muede-Joe

 さて、バルボーニは実は 『花と夕陽とライフルと』の前、1970年にすでに Ciakmull という西部劇を撮っている。スターのウッディ・ストロードを使い、音楽もリズ・オルトラーニのシリアスで暗い西部劇だ。ドイツ語では「ジャンゴ 長いナイフの夜」Django – Die Nacht der langen Messer というワケわかんないタイトルだ。

 もっともシリアスからコメディ路線に転換したのはバルボーニだけではなく、コルブッチもやっている。1975年の『ザ・サムライ 荒野の珍道中』Il Bianco, il giallo, il neroがその一つだが、これは本当に悲惨な作品だった。イーライ・ウォラックやジュリアーノ・ジェンマが女装して出てくる。後者は何とかサマになっていたが、ウォラックはどこをどう女装しても笑うことさえできない、グロテスクなだけである。さらにトマス・ミリアンが半分日本人という役どころで侍もどきの格好で登場するが、名前がなんと「サクラ」といい、まともなセリフをしゃべらない。日本語のつもりなのかモゴモゴと変な音の連続を発声するだけで、さすがにこの設定はひどすぎるのではないかと思った。コメディにさえなっていない駄作である。原題の Il bianco il giallo il nero(「白人、黒人、黄色人」)もレオーネの Il buono, il brutto, il cattivo(『続・夕陽のガンマン』、「いい奴、悪い奴、ヤな奴」)のもじりであることが明らかで、とにかくちょっとフザケすぎではないだろうか。まあコルブッチだからいいじゃないかと言われればその通りなのだが。とにかくこの人は1970年の『ガンマン大連合』を最後にフランコ・ネロと切れた後、まだマカロニウエスタンが作られているうちから西部劇でない普通のコメディにも手を出していた。マカロニウエスタン修了後もスペンサーとヒルのコンビなどでドタバタ喜劇を作り続けている。それらはまあB級とはいえ一応ちゃんとコメディにはなっていた。

 話を戻すが、バッド・スペンサーとテレンス・ヒルのコンビが「風来坊シリーズ」で大ブレークしたためコンビを最初に見いだしたのはバルボーニだと思い違いしそうだが、実際は最初に2人を共演させたのはジュゼッペ・コリッツィという脚本家出身の監督である(前述)。スペンサーとヒルのコンビで西部劇を3作作っている。Dio perdona ... io no! (1967)、I quattro dell'Ave Maria (1968)(『荒野の三悪党』)、 La collina degli stivali (1969) だが、今調べたら驚いたことに Dio perdona ... io no! と La collina degli stivali は日本公開されていないようだ。音楽はどれも『鉄道員』のカルロ・ルスティケリ。
 これらコリッツイの作品は本来普通にハードなマカロニウエスタンであった。制作年を見てもわかる。1967年から1969年にかけて、ジャンル全体がまだシニカルな残酷路線で売っていた最中だ。ヒルとスペンサーなどキャラクターの方向としてはイーストウッドとリー・バン・クリーフのコンビに代表される初期マカロニウエスタンの基本路線を踏襲している。例えば第一作の Dio perdona ... io no! ではコンビの間で化かしあいをするので、見ているほうはこの二人は本当にコンビなのか一抹の疑問を抱くあたりレオーネ映画のキャラクターそのものだ。時々人物の顔のどアップが出るのもレオーネの影響か。要するに古典的なマカロニウエスタンなのである。脇役も Dio perdona ... io no! ではフランク・ヴォルフ、『荒野の三悪党』ではイーライ・ウォラック、La collina degli stivali ではウッディ・ストロードというお馴染みの顔が出演する。もっともスペンサー&ヒルがイーストウッド&ヴァン・クリーフを「想起」させるかというと全然そんなことはない。コンビのタイプが全く違うからだ。特にスペンサーの役、体格が良く頑丈で腕っぷしがやたらと強いキャラクターはそれまでは主役では登場しなかった。『荒野の三悪人』ではスペンサーがプロのボクサーと殴りあって勝つ場面がある。そこではまだ普通の(?)殴り合い、つまり全然ドタバタしていないが、三作目の La collina degli stivali での乱闘場面には明らかに後にバルボーニが「スペンサー名物」として発展させたドツキ要素が見える。そもそもバルボーニ自身の(陰気な)一作目 Ciakmull では後の風来坊シリーズでテレンス・ヒルがやったように主人公たちが豆料理をがっつき、ポーカーでウソのようなカードの切り方をご披露する。これらをお笑いとして展開させたバルボーニはやはり慧眼なのではないだろうか。その意味でならスペンサーとヒルのコンビはバルボーニが発見したと言えるかも知れない。
 
全然お笑いコンビなどではないコリッツィの『荒野の三悪党』のバッド・スペンサー、テレンス・ヒルとブロック・ピータース。この3人と…
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イーライ・ウォラックで「アヴェ・マリアの4人
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やはりこの人が出ると画面がひきしまる。La collina degli stivali のウッディ・ストロード。
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 その後スペンサーとヒルが爆笑コンビとしてバカ受けし定着してしまったため、初期のハード作品まで後出しジャンケン的に無理やりお笑い映画に仕立て直された。『野獣暁に死す』がその後出しのせいでひどい目に遭った話は以前にもしたが(『146.野獣暁に死すと殺しが静かにやって来る』参照)、非お笑いであったコリッツイの三作も被害を受けた。まずタイトルが変更された。例えば Dio perdona ... io no! だが、最初は原語を直訳してGott vergibt – wir beide nie!(「神は許すが俺たちは絶対許さない!」)だった。その他に主人公の名前をジャンゴに変えた(『52.ジャンゴという名前』参照)Gott vergibt… Django nie!(「神は許すがジャンゴは絶対許さない」)というタイトルがある。この段階ですでにかなりの歪曲だが、そこからさらに中身をカットされ無理やりコメディにされた Zwei vom Affen gebissen(「2人とも猿に噛まれてる」)というバージョンが存在する。この「猿に噛まれた」というのは wie vom wilden Affen gebissen sein(「野生の猿に噛まれたみたいだ」)というドイツ語の言い回しをもじったもので、「凶暴だ」という意味だ。スペンサーとヒルがドタバタいろいろやらかすぞという暗示である。コリッツイ三作目の La collina degli stivali も初めの Hügel der blutigen Stiefel(「血まみれのブーツの丘」)から Zwei hau’n auf den Putz(「二人漆喰をぶったたく」)になった。後者はやはり言い回しで、「ボラをふく」とか「自慢する」、つまり後のコメディでいつもスペンサーとヒルがやって笑いを取っている手である。『野獣暁に死す』の「デブが止まらない」に比べたらマシだろうが(前述)まあ相当の無理がある。二作目の I quattro dell'Ave Maria だけは Vier für ein Ave Maria(「アヴェ・マリアの4人」)とタイトルだけは原題から動かなかったが、内容の方は他の作品同様カットされセリフを変えられ、コメディに歪曲された。この作品も本来はマカロニウエスタン独特のブラック・ユーモアはあるが、全然コメディなどではない。これがコメディだったら『続・荒野の用心棒』は恋愛映画である。
 このズタボロカット、後出しコメディが特にドイツでやたらと生産されたのはどうも当地特有の事情が関係していたのではないかと思っている。その一つがこれまで繰り返し述べてきたような、バッド・スペンサー、テレンス・ヒルのお笑いコンビとしてのドイツでの人気ぶりだ。たとえば『荒野の三悪人』の英語バージョンとドイツ語バージョンを比べてみるとドイツでの毒抜きぶりがよくわかる。ドイツ語版では妙に饒舌というかおしゃべりというか無駄口が多いというか、英語版では何もしゃべっていないシーンにまでおちゃらけたセリフが入っていたりする。英語圏ではバッド・スペンサーとテレンス・ヒルの顔を見ても自動的に笑い出す人が少ないから普通の会話(?)のままでいいのだろう。もっともその英語版も10分ほどカットはされている。
 考えられる二つ目の理由はドイツの検閲機構である。ドイツでは Spitzenorganisation der Filmwirtschaft(「映画産業中央組織」、SPIO)というところが Freiwillige Selbstkontrolle der Filmwirtschaft(「映画産業任意自己規制」、FSK)という制度を作っていて年齢制限を細かく定めている。0歳以上、6歳以上、12歳以上、16歳以上、18歳以上の5カテゴリーで、DVDの表には必ずどのカテゴリーの映画なのかすぐわかるように色分けシールが張ってある。『19.アダルト映画の話』でも書いた通りいわゆるアダルト映画が18歳以上になるのは当然だが、暴力描写にも厳しく、銃で撃たれてちょっとくらい血しぶきが飛んだりするとすぐ成人指定だ。特にその際暴力を礼賛するような雰囲気だと問答無用で18禁。『続・荒野の用心棒』や『殺しが静かにやってくる』どころか『続・荒野の一ドル銀貨』さえ成人指定だ。この指定を食らってしまうとTVでは夜中にしか放映できず、DVDの売り場もエロビデオと一緒くたにされて隅に追いやられるから売りにくいこと夥しい。そこで映画を加工してハードなシーンを取り除き、再びFSKにかけてせめて16歳、できれば12歳にも見せていいように作り直すのである。『荒野の三悪人』の最初のバージョンは本当に18禁だったがそれを必死にいじくり回してFSK12にまで下げた。『続・荒野の用心棒』のように最初からどこをどういじっても子供と楽しめる家族映画になりそうもない映画ならそのまま成人指定(日陰者)に甘んじて貰うしかないが、『荒野の三悪人』は幸いトライするチャンスがあったということだろう。La collina degli stivali(実は私は個人的に三作の中でこれが一番好きだ。もちろんコメディになっていないほうである)はストーリーがいわゆる勧善懲悪的なものであったためか、ちょっとカットしただけでFSK12を達成した。

年齢制限の色分けシール。DVDにはたいてい張ってある。ウィキペディアから。
Von Autor unbekannt - Freiwillige Selbstkontrolle der Filmwirtschaft, Gemeinfrei, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7056867
FSK_Ratings_Dec_2008

 私は一作目の Dio perdona ... io no! はシリアス・コメディ両バージョンともDVDで持っているが、La collina degli stivali はコメディ版だけ。I quattro dell'Ave Maria は持っていない。この機会に改めて手元にある Dio perdona ... io no! をちょっとバージョン比べしてみた。シリアス Gott vergibt – wir beide nie!は109分、コメディ Zwei vom Affen gebissen は82分だ。最初はシリアスなドイツ語バージョンもカットされていたため、私の持っているフルバージョンは一部セリフが英語でドイツ語の字幕が入る。その部分はドイツ語吹き替えがなかったので英語を継ぎ足したのだ。もとのFSK値を16から何とか下げようと努力を重ねて必死にFSK12にまでこぎつけたのがコメディ版だ。その努力の結晶ではまず流血シーンがメッタ切りにされている。人を鞭で拷問したり、真っ赤に焼けた鉄ごてでスペンサーが拷問されるシーンもカット。あと数秒だが女性が殴られるシーンも消えている。いちいちカットシーンを列挙してもキリがないので詳しくは挙げないが、とにかくそれらのシーンを切るにはその前後もある程度切らないといけない、ガンの除去ではないが予防拡大する必要があるから、とにかくシーケンスが飛び過ぎて話がうまく繋がらない。例えばコメディ版だけ見ると突然途中から出なくなる人がいる。この後この人はどうなったんだろうと気になるが、シリアスバージョンではきちんと(?)撃ち殺されている。その人が倒れているシーンはコメディ版にも出て来てはいるがその直前の撃たれるシーンが飛んでいるから見逃す危険大ありだ。また無駄なおしゃべり風の吹き替えも相当なもので、冒頭ポーカーのシーンがあるが、シリアス版では「500ドル」とか「パス」とか無口なポーカー会話しかしていないのに、コメディ版ではまあベラベラベラベラ無駄口がうるさい。上述の『荒野の三悪人』のコメディ・ドイツ語版と英語版の違いそのままだが、うるさいだけでなく会話内容も変わっている。例えばコメディ版ではテレンス・ヒルがスペンサーの協力要請(?)に「分け前はオレが70%、お前が30%ならOK」と返すのだが、原版ではそんなことは全く言っていない。ストーリー設定自体が微妙に変えられているのである。

たかがこれしきのシーンもコメディ版ではすべてカットされている。
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ドイツ語原版ですでにカットされていたシーンはDVDで突然セリフが英語になり、字幕が入る。それにしても画質が悪い。
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 そのメッタ切りコメディ版のパッケージには mit der Original Synchronstimme von TERENCE HILL(「オリジナルのテレンス・ヒル吹き替えの声」)と書いてある。私はこれを早とちりして最初テレンス・ヒル本人が自分で吹き替えたのかと思ってしまった。テレンス・ヒル、本名マリオ・ジロッティは母親がドイツ人で幼い頃はドレスデンで暮らし、本当にドイツ語を話す。たださすがにドイツ語吹き替えまではできないようで、これはテレンス・ヒルの声としてドイツで有名な(つまり「本来の」)さる声優が吹き替えたという意味である。シリアス版の方は別のあまり知られていない声だったのだ。日本でもイーストウッドが山田康雄以外の声で話しているのを見るとどうも調子が狂うがそれと同じだろう。

2018年ドイツ語のトークショーで受け答えするテレンス・ヒル。


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 ドイツで最も人気のあるマカロニウエスタンのスターは何と言っても先日亡くなったバッド・スペンサーではないだろうか。もちろん単なる知名度の点ではイーストウッドのほうが上だろうが「好かれている」という意味では圧倒的にスペンサーである。
 スペンサーはテレンス・ヒルと組んでコメディ路線のマカロニウエスタンにいくつも出演して大人気を博した。漫才でいうボケとツッコミと同じく、小柄な(といっても180cm身長があるが)ヒルが利口者、194cmあって縦にも横にもデカいスペンサーは典型的な「気は優しくて力持ち」(ドイツ語にもStarker Mann mit weichem Herzenというよく似た表現がある)、あまり頭は切れないがやたらと強い大男役だ。圧倒的に子供に好かれるタイプである。事実今でもドイツ人のおじさんおばさんたちは子供の頃夢中でバッド・スペンサーの映画を見たと懐かしそうに語る。おじさんばかりではない、ドイツのTVが放映する映画に困ると今でもすぐにこのご両人のマカロニウエスタンを垂れ流すためか、その子供の世代にまでガチのスペンサーファンがいる。誰かがスペンサーとヒルを「オリバー・ハーディ&スタン・ローレル以来最大のギャグコンビ」と名付けているのをみたこともある。マカロニウエスタンブームが去ったあともこのコンビでドタバタ喜劇がたくさん作られたのでこのコンビが並んでいるのをみるとパブロフの犬よろしく、まだ何もしていないうちから自動的に笑いがでるほどだ。

最強の喜劇コンビ(左の二人)。バルボーニの『風来坊/花と夕陽とライフルと』 (下記参照)から
LoChiamavanoTrinita

こちら『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』。
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 この二人を『風来坊/花と夕陽とライフルと』(原題 Lo Chiamavano Trinita、1970) 、『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』(原題…continuavano a chiamarlo Trinità、1971)、『自転車紳士西部を行く』(原題 E poi lo chiamarono il magnifico、1972) で使ってヒットを飛ばしたのがエンツォ・バルボーニという監督である。それらの映画ではE.B.クラッチャーと名乗っていたが、コルブッチの下でカメラマンをした人だ。その喜劇路線のマカロニウエスタンが有名になったため、この二人を最初に共演させたのはバルボーニだと誤解している人が多いが、実はスペンサー&ヒルのコンビで最初にマカロニ・ウェスタンを撮ったのはジュゼッペ・コリッツィという人である。脚本家出身の監督だ。コリッツィの映画は全然コメディでなく、シリアスな「普通の」マカロニ・ウェスタン。彼はDio perdona ... io no!(1967), I quattro dell'Ave Maria(1968)(『荒野の三悪党』), La collina degli stivali(1969)という三作のマカロニウエスタンを作っているが、その全作品で音楽を担当したのがなんとカルロ・ルスティケッリ。
 ところがその後スペンサー&ヒルが喜劇コンビとして世に定着してしまったためその初期の本来ハードな作品であったコリッツィの西部劇は喜劇に仕立て直して再公開された。まずタイトルを面白おかしいものに変更した上、銃撃戦などはカットし、(私の記憶によれば)シーケンスの順番を変えたりしてヒルがスペンサーに向かっていう軽い会話のシーンなどが強調され、無理矢理コメディということにされたのである。しかし元がシリアス路線のハードな西部劇なのだからいくらなんでもこれには無理がありすぎて、全然喜劇になっていないばかりか、ブチブチ切られているのでストーリーが飛んでしまっている。
 スペンサーはさらにこれも前述のトニーノ・チェルヴィの『野獣暁に死す』にも出ている。仲代達也から拷問され、弾丸を食らった上刀で切られて大怪我をする凄まじい役で、これも全然コメディなどではない。なお、これにはヒルは出演していない。

 その、ボケ役にされてしまったバッド・スペンサーという人そのものはもちろん全然ボケなどではなく、カルロ・ペデルソーリCarlo Perdersoliというのが本名でもともと水泳の選手としてイタリアでスターだった。1952年、1956年のオリンピックに出場している。大学の法学部を「卒業した」とある。ドイツがそうなのでイタリアも多分そうだと思うのだが、大陸ヨーロッパの大学は日本のように時間決めでトコロテン卒業などできないから医学部や法学部を「卒業した」ということは医師の国家試験を取るか司法試験に通った、ということになる(はずである)。ドイツの大学の法学部に入り、卒業試験、つまり司法試験を取れなかったら大学資格とは見なされないから公式には「高卒」を名乗らなければいけない。試験前になるとノイローゼになる学生が続出するそうだ。
 で、卒業はしたものの故郷のナポリでは法律家としての職が見つからず、いろいろなところでいろいろな職についているうち、マリア・アマートさんという女性と結婚した。フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』などを手がけた伝説的プロデューサー、ジュセッペ・アマートの娘である。これがきっかけで映画入りしたそうだ。
 まあ言ってみればジョニー・ワイズミュラーのイタリア版である。そういえば以前もインタヴュー記事が新聞に出ていたが、「人生で一番大切なものは家庭だ。男は家庭という責任を背負ってやっと一人前になるのだ。それをしない奴は子供さ」と言っていた。このちょっと古風なところが、まさにイタリア男だ。
 バッド・スペンサーという芸名は、尊敬する俳優がスペンサー・トレイシーだったのと、バドワイザーのビールが好きだったのでバッド・スペンサーとしたとのことで、まあ相当いい加減な芸名である。上述のようにコリッツィの映画で初めてテレンス・ヒルと共演し、マカロニウエスタンが「終わった」後もコンビで17もの映画を撮った。大半がドタバタ喜劇だが、それらの映画の監督にはバルボーニやコルブッチなどのお馴染みの顔も見える。お馴染みといえば、ミケーレ・ルーポもスペンサー主演のコメディを手掛けているが、テレンス・ヒルは出ていない。とにかく私生活でもスペンサーとテレンス・ヒルは親友だったそうだ。

 スペンサーが亡くなった時はTVのニュースで大報道したし、追悼のために出演映画を流すところもあった。うちでとっている南ドイツ新聞にもその文芸欄をほとんど一面使ってスペンサー追悼の記事が出た。ドイツでの人気ぶりがわかろうというものである。さらにその号の別のところではテレンス・ヒルの記事も出て「相棒を失った悲しみ」を語っていた。

 スペンサーのドイツでの人気ぶりについては生前こんな出来事もあった。
 ドイツにシュベービッシュ・グミュントという小さな町がある。その町で1951年に水泳の国際大会が開かれた際、イタリア代表選手の一人がこのカルロ・ペデルソーリだった。100m自由形で優勝している。
 時は流れて2011年、市の郊外に立派なトンネルが開通した。工事中にはそのトンネルはいろいろ勝手に呼ばれていたが、市長はそのトンネルの名を正式に決めようとして、市民から提案してもらおうと、インターネットで名前を募集した。ところが私と思考回路が全く同じような人はどこの国にもいると見え、誰かが「バッド・スペンサー・トンネル」という提案をしたのである。1951年の出来事が頭にあったのは明白だ。
 そうしたら、ノリ易い人もやはり洋の東西を問わず多いと見え、「バッド・スペンサー・トンネル」という名前がダントツで一番票を取ってしまったのである。

 あわてたのは市長だ。「えーっと、トンネルの名前はあくまで地域に根ざした文化的な香りのする命名でなければ」とかしどろもどろでこの命名を拒否。つまり「いくらなんでもマカロニウエスタンのスターの名前なんかつけられません」というわけだ。
 納まらないのは市民である。始めから市民の声を聞く気がないならなんでインターネットで名前を募ったりしたんだよ、と暴動が起こりそうになったため(嘘)、市長は「トンネルにはその名前は無理だが、代わりに市営の屋外プールの名前を変更して「バッド・スペンサー・プール」にしましょう」という代案を出し、しかもその命名式にバッド・スペンサーをイタリアから呼んでしまったというから、この市長も結構ノリ易い、というかなかなかオツである。そうでもして懐柔しないとファンから袋叩きに会いそうな気がしたのかもしれない。

 もっともそうやってわざわざイタリアからマカロニウエスタンのスターをドイツに招待した市長も市長だが、呼ばれて外国のそんな田舎町に大喜びでやってきたバッド・スペンサーも相当なツワ者だ。そしてそういうことに税金を使われた市民も大喜びだったそうだ。ちなみに肝心のトンネルの名前はGmünder Eichhorn-Tunnel(グミュント・リストンネル)という名前に落ち着いたとのことである。どうしてここでリスが出てくるのかわからない。これが「文化的な香り」なのか、このあたりには何か珍しいリスでも生息しているのか。それともこのEichhorn(アイヒホルン)というのは人名か何かなのだろうか?

トンネルを「バッド・スペンサーと名付けろ!」とデモを起こした怒れる(?)若者たち。
http://www.spiegel.de/から

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「バッド・スペンサー・プール」を紹介する市の公式サイトはこちら


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