アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

タグ:インドネシア語・インドネシア

 少し前まではコーカサスやシベリア諸民族の言語をやるにはロシア語が不可欠だった。文献がロシア語で書いてあったからだ。今はもう論文なども英語になってきてしまっているのでロシア語が読めなくても大丈夫だろう。残念といえば残念である。別に英語が嫌いというわけではないのだが、何語であれ一言語ヘゲモニー状態には私は「便利だから」などと手放しでは喜べない。どうしても思考の幅が狭まるからだ。
 そのコーカサス地方の言語、タバサラン語についてちょっと面白い話を小耳にはさんだことがある。

 タバサラン語では「本」のことをkitabと言うそうだ。アラビア語起源なのが明らかではないか。よりによってこのkitab、あるいは子音連続K-T-Bは、私が馬鹿の一つ覚えで知っている唯一のアラビア語なのである。イスラム教とともにこの言語に借用されたのだろう。
 そこで気になったので、現在イスラム教の民族の言語で「本」を何というのかちょっと調べてみた。家に落ちていた辞書だろネットの(無料)オンライン辞書だろをめくら滅法引きまくっただけなので、ハズしているところがあるかも知れない。専門家の方がいたらご指摘いただけるとありがたい。その言語の文字で表記したほうがいいのかもしれないが、それだと不統一だし読めないものもあるのでローマ字表記にした。言語名のあとに所属語族、または語群を記した。何も記していない言語は所属語族や語群が不明のものである。

1.アラビア語 (セム語族): kitab
2.ペルシア語 (印欧語族): ktâb
3.ウルドゥ語 (印欧語族): kitab, kitaab-chaa (booklet)
4.パシュトー語 (印欧語族): kitaab
5.アルバニア語 (印欧語族): libër (a bookの意。the bookはlibri)
6.ボスニア語 (印欧語族): knijiga
7.トルコ語 (テュルク語): kitap
8.タタール語 (テュルク語): kitab
9.カザフ語 (テュルク語): kitap
10.インドネシア語 (マライ・ポリネシア語群): buku, kitab, pustaka
11.タバサラン語 (コーカサス語群): kitab

 このようにアラビア語の単語が実に幅広い語族・地域の言語に取り入れられていることがわかる。例外は5のアルバニア語と6のボスニア語。前者は明らかにロマンス語からの借用、後者はこの言語本来の、つまりスラブ語本来の語だ。ここの民族がイスラム化したのが新しいので、言語までは影響されなかったのではないだろうか。10のインドネシア語のbukuは英語からの借用だと思うが、kitabという言葉もちゃんと使われている。pustakaは下で述べるように明らかにサンスクリットからの借用。インドネシア語はイスラム教が普及する(ずっと)以前にサンスクリットの波をかぶったのでその名残り。つまりpustakaは「本」を表わす3語のうちで最も古い層だろう。それにしても単語が三つ巴構造になっているとは、なんというスリルのある言語だ。しかも調べてみるとインドネシア語にはkitabと別にAlkitabという語が存在する。これはAl-kitabと分析でき、Alはアラビア語の冠詞だからいわばThe-Bookという泥つきというかTheつきのままで借用したものだ。そのAlkitabとは「聖書」という意味である。

 さらにイスラム教徒が乗り出していった地域で話されていたアフリカのスワヒリ語は「イスラム教の民族の言語」とは言いきれないのだが、「本」という文化語をアラビア語から取り入れているのがわかる。ハウサ語の「本」は形がかけ離れているので最初関係ないのかと思ったが、教えてくれた人がいて、これも「ごく早い時期に」アラビア語から借用したものなのだそうだ。ハウサ語のfは英語やドイツ語のfとは違って、日本語の「ふ」と同じく両唇摩擦音だそうだから、アラビア語bがfになったのかもしれないが、それにしても形が違いすぎる。「ごく早い時期」がいつなのかちょっとわからないのだが、ひょっとしたらイスラム教以前にすでにアラビア語と接触でもしていたのか?

12.ハウサ語 (アフロ・アジア語群): littafiまたはlitaafii (「手紙」がharàfii)
13.スワヒリ語: kitabu (複数形 vitabu)

 次に、以下の言語は2、3、4と言語的に非常に近い(印欧語族、インド・イラン語派)にもかかわらず、アラビア語が借用されていない。宗教がヒンドゥ、または仏教だったからだろう。

14.ベンガル語: bôi (これは口語。正式には pustôk)
15.シンハラ語: pothakまたはpota
16.ヒンディー語: pustak
17.サンスクリット: pustaka

 タバサラン語のすぐ隣、つまりコーカサスで話されていてもキリスト教民族の言語だと「本」は別系統の単語になっている。

18.アルメニア語 (印欧語族): girk (kは帯気音)
19.グルジア語 (コーカサス語群): cigniまたはts’igni

 また次の言語は本家アラビア語と近いのに「本」をkitab と言わない。アムハラ・エチオピア民族はキリスト教国だったし、ヘブライ語はもちろんユダヤ教。

20.アムハラ語 (アフロ・アジア語群): mäTS’häf またはmeTsa’HeFe
21.ヘブライ語 (セム語族): sefer (語根はS-F-RまたはS-P-R)

 アムハラ語の単語はいったいどう読むのかよくわからないが、äは単に開口度が高いeと解釈すれば「メツヘフ」または「メツァヘフェ」か。「メ」の部分をアラビア語から類推して接頭辞と判断し、勝手に無視すると、この語もセム語族と同様「語幹は3つの子音からなる」という原則を保持している。つまりTs-H-Fなのだろうか。ハウサ語の例があるから断言はできないが、kitab起源ではなさそうだ。

 最後に出血サービスとしてインド南部の非印欧語・非セム語のタミル語。ここはヒンドゥー教あるいは仏教地域だ。サンスクリットからの借用語であることが明白。上のインドネシア語pustakaもこれ、イスラム以前の借用に違いない。

22.タミル語: puththakam (複数形 puththakangal)

 以上である。我ながら私は本当にヒマだと思う。


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 セルジオ・レオーネ監督の代表作に Il Buono, il Brutto, il Cattivo(邦題『続・夕陽のガンマン』)というのがある。「いい奴、悪い奴、嫌な奴」という意味だが、英語ではちゃんと直訳されて The good, the bad and the ugly というタイトルがついている。この映画には主人公が3人いて三つ巴の絡み合い、決闘をするのだが、ドイツ語タイトルではこれがなぜか Zwei glorreiche Hallunken(「華麗なる二人のならず者」)となっていて人が一人消えている。消されたのは誰だ?たぶん最後に決闘で倒れる(あっとネタバレ失礼)リー・ヴァン・クリーフ演じる悪漢ではないかと思うが、ここでなぜ素直にdrei (3)を使って「3人の華麗なならず者」とせず、zwei にして一人減らしたのかわけがわからない。リー・ヴァン・クリーフに何か恨みでもあるのか。
 さらに日本でも I quattro dell’ Ave Maria、「アヴェ・マリアの4人」というタイトルの映画が『荒野の三悪党』になって一人タイトルから消えている。無視されたのは黒人のブロック・ピータースだろうか。だとすると人種差別問題だ。ドイツ語では原題直訳で Vier für ein Ave Maria。

 もっともタイトル上で無視されただけならまだマシかもしれない。映画そのものから消された人もいるからだ。レオーネと同じようにセルジオという名前の監督、セルジオ・ソリーマの作品 La Resa dei Conti(「行いの清算」というような意味だ。邦題は『復讐のガンマン』)は、『アルジェの戦い』を担当した脚本家フランコ・ソリナスが協力しているせいか、マカロニウエスタンなのに(?)普通の映画になっている珍しい作品だが、ここで人が一人削除されている。
 この映画はドイツでの劇場公開時にメッタ切り、ほとんど手足切断的にカットされたそうだ。25分以上短くされ、特に信じられないことに最重要登場人物のひとりフォン・シューレンベルク男爵という人がほとんど完全に存在を抹殺されて画面に出て来なくなっているらしい。「らしい」というのは私が見たのはドイツの劇場公開版ではなく、完全版のDVDだからだ(下記)。劇場版では登場人物を一人消しているのだから当然ストーリーにも穴が開き、この映画の売りの一つであるクライマックスでの男爵の決闘シーンも削除。とにかく映画自体がボロボロになっていた。ドイツ語のタイトルは Der Gehetzte der Sierra Madre でちょっとバッチリ決まった日本語にしにくいのだが、「シエラ・マドレの追われる者」というか「シエラ・マドレの追われたる者」というか(「たる」と語形変化させるとやはり雰囲気が出る)、とにかく主人公があらぬ罪を着せられて逃げシエラ・マドレ山脈で狩の獲物のように追われていく、というストーリーの映画のタイトルにぴったりだ。でもタイトルがいくらキマっていても映画自体がそう切り刻まれたのでは台無しだ。
 私はもちろんこの映画を1960年代のドイツでの劇場公開では見ていないが完全版のDVDを見ればどこでカットされたかがわかる。ドイツ語吹き替えの途中で突然会話がイタリア語になり、勝手にドイツ語の字幕が入ってくる部分が所々あるのだ。これが劇場公開で切られた部分である。件の男爵はドイツ語吹き替え版なのにイタリア語しかしゃべらない。つまり劇場版では全く吹き替えされていない、ということは出てきていないということだ。
 この切断行為も理由がまったくわからない。ソリーマ監督自身がいつだったかインタビューで言っていたのを読んだ記憶があるが、このフォン・シューレンベルクという登場人物は、ドイツ人の俳優エーリヒ・フォン・シュトロハイムへのオマージュだったそうだ。なるほど人物設定から容貌から『大いなる幻影』のラウフェンシュタイン大尉にそっくりだ。背後には『エリーゼのために』をモチーフにしたエンニオ・モリコーネの名曲が流れる。そこまで気を使ってくれているのによりによってドイツ人がそれをカットするとは何事か。
 
 ちょっと話が急カーブしすぎかもしれないがやはり「一人足りない」例に、私も大好きなまどみちおさん作詞の「1年生になったら」という童謡がある。「一年生になったら友達を100人作って100人みんなで富士山に登りたい」というストーリーだ。実は当時から子供心に疑問に思っていたのだが、友達が100人いれば自分と合わせるから富士登山する人数は合計で101人になるはずではないのか。一人足りないのではないか。
 この疑問への答のヒントを与えてくれたのがロシア語の мы с тобой(ムィスタヴォイ)という言い回しだ。これは直訳すると we with you なのだが、意味は「我々とあなた」でなく「あなたを含めた我々」、つまり「あなたと私」で、英語でも you and I と訳す。同様にこの友達100人も「私と君たち友達を含めた我々100人」、つまり合計100人、言語学で言う inclusive(包括的あるいは包含的)な表現と見ていいのではないだろうか。逆に富士山に登ったのが101人である場合、つまり話者と相手がきっちりわかれている表現は exclusive(排除的あるいは除外的)な表現といえる。
 
 言語には複数1人称の人称表現、つまり英語の代名詞 we にあたる表現に際して包含的なものと除外的なものを区別する、言い換えると相手を含める場合と相手は含めない場合と2種類の we を体系的に区別するものが少なからずある。アイヌ語がよく知られているが、シベリアの言語やアメリカ先住民族の言語、あとタミル語、さらにそもそも中国語の方言にもこの区別があるらしい。「少なからず」どころか実はこの区別を持つ言語は世界中に広がっているのだ。南北アメリカやアジアだけでなく環太平洋地域、南インドやアフリカ南部の言語にも見られる。さらに足元琉球語の方言にもある。印欧諸語やセム語にはないが、話者数でなく言語の数でみると包含・除外の区別は決して「珍しい」現象ではない。ちょっと例を挙げてみると以下のような感じ。それぞれ左が inclusive、右が exclusiveの「我々」だ。
Tabelle1-22
あちこちの資料から雑多に集めてきたのでちょっと統一がとれていないが、とにかくアフリカ南部からアジア、アメリカ大陸に広がっていることがわかる。ざっと見るだけで結構面白い。
 ジューホアン語というのが見慣れないが、これがアフリカ南部、ナミビアあたりで話されている言葉だ。
 中国語は体系としてはちょっとこの区別が不完全で、「我們」は基本的に inclusive、exclusive 両方の意味で使われるそうだ。他方の「咱們」が特に inclusive として用いられるのは北京語も含む北方の方言。満州語の影響なのではないかということだ。そう言われてみると、満州語と同じくトゥングース語群のエヴェンキ語にもこの対立がある。満州語とエヴェンキ語は inclusive と exclusive がそれぞれmusə と mit、bə と bū だから形まで近い。
 問題はハワイ語やジューホアン語の双数・複数という分類だ。これらは安易にウィキペディアから持ってきた例だが、双数と言うのはつまり私が一人、あなたも一人の合計二人、複数ではこちら側かあちら側かにさらにもう一人いて3人以上、つまり複数なのかと思うとどうも事情は常にそう簡単ではないらしい。言語によっては双数とやらは実は単数あるいは非複数と解釈するべきで、それを「双数」などと言い出したのは、1.文法には数、人称というカテゴリーがあり、2.人称は一人称、二人称、三人称のきっちり三つであるという思考枠から出られない印欧語頭の犯した誤解釈だというのである。これは松本克己教授の指摘だが(もちろん氏は「印欧語頭」などという下品な言い回しは使っていない)、そもそも「一人称複数で包含と除外を区別」という言い方自体に問題があるそうだ。包含形に単・複両形を持つ言語は消して珍しくない。たとえば松本氏の挙げるニブフ語(ギリヤーク語)の人称代名詞は以下のような体系をなしている。
Tabelle2-22
人称は3つだけではないと考えさえすれば極めてすっきりした体系なのに、パンフィーロフ Панфилов В. З というソ連の学者は「1人称でも2人称でも3人称でもない人称」を見抜くことができず、話し手と聞き手が含まれているのだから単数とは見なせないと考えて、全くニブフ語の言語感覚を逸脱した「双数」という概念を藪から棒に一人称にだけ設定して次のように記述した。思い切りわかりにくくなっている。
Tabelle3-22
包含形を一人称複数の一種とせずに独立した一つの人称カテゴリー(包含人称あるいは一人称+二人称)とみなさざるを得ないのはアイマラ語も同じだ。アイマラ語は数のカテゴリーがないが、後に特殊な形態素を付けて増幅形をつくることができる。
Tabelle4-22
上のように hiwasa と naya-naka を比べても唐突すぎてよくわからないが、こうすれば体系をなしているのがよくわかる。さらに南太平洋のトク・ピシンも同じパターンなのが面白い。
Tabelle5-22
トク・ピシンというのは乱暴に言えばメラネシアの現地語の枠組みの上に英語が被さってできた言語だ。mi というのは英語の me、yu は you である。yumi で包含人称を表わすというのはまことに理にかなっている。トク・ピシンには本当に一人称双数形があるが、パンフィーロフ氏はこれをどうやって図式化するのだろう。不可能としか言いようがない。
 それではこれらの言語での包含人称とやらの本質は何なのか。例えばアイヌ語の(いわゆる)一人称複数包含形には1.一人称の間接表現(引用の一人称)、2.2人称の敬称、3.不特定人称の3つの機能があるそうだ。3番目がポイントで、他の言語とも共通している。つまり包含人称は1・2・3人称の枠から独立したいわば第4の人称なのである。「不特定人称」「汎人称」、これが包含形の本質だ。アメリカの言語学では初め inclusive の代わりに indefinite plural または general plural と呼んでいたそうだ。plural が余計なのではないかとも思うが、とにかく多くの言語で(そうでない言語もあるだろうが)包含対除外の単純な二項対立にはなっていないのである。
 そもそも一口に人称代名詞と言っても独立形か所有形(つまりある意味「語」でなく形態素)か、形の違いは語形変化によるのか膠着かによっても機能・意味合いに差が出てくるからまだまだ議論分析の余地が大ありという事だろう。
 
 ところで私の感覚だと、日本語の「私たち」と「私ども」の間にちょっとこの包含対除外のニュアンスの差が感じられるような気がするのだが。「私ども」というと相手が入っていない、つまり exclusive 寄りの意味が強いのではないだろうか。実はこの点を松本教授も指摘していて、それを読んだとき私は「おおっ、著名な言語学者を同じことを考えてたぞ私!」と万歳三唱してしまった。これは私だけの考えだが、この「私たち」と「私ども」の差は直接 inclusive 対 exclusive の対立というより、むしろ「ども」を謙譲の意味とみなして、謙譲だから相手が入っているわけがないと解釈、言い換えると inclusive 対 exclusive の対立的意味合いは二次的に派生してきたと解釈するほうがいいかもしれない。
 また上述のロシア語 мы с тобой 、つまりある意味では包含表現は単純に ты и я(you and me)やмы(we)というより暖かい響きがあるそうだ。 まどみちおさんも実は一人抜かしたのではなくて、むしろ暖かい友だち感を強調したかったのかも知れない。登場人物を映画やタイトルでぶった切るのとは逆である。
 さらに驚くべきことには安井稔氏が英語にも実は inclusive と exclusive を表現し分ける場合があることを指摘している:
Let's go.
Let us go.
という例だが、前者は単に後者を短く言ったものではない。意味と言うか会話上の機能が違う。前者は Shall we go?(さあ行きましょう)、後者は Let us be free! (私たちを行かせてください、自由にしてください)と同じ、つまり Let's の us は相手が含まれる inclusiv、Let us の us は相手が含まれない exclusive の we である。
 
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 2013年にボストンマラソンに爆弾が仕掛けられたことがあった。犯人はツァルナエフという兄弟だったが、兄は射殺され弟は捕まった。
 この事件で真っ先に気になったのが「ジョハル」という弟の名前の出所だ。当時の新聞を見ると犯人はチェチェン人、とあり、キルギスタンやカザフスタン、ロシアなどを転々とした後、現在両親はダゲスタンにいる、ということだった。するとこの名前はチェチェン語なのか。チェチェン語はいわゆるコーカサス言語で『51.無視された大発見』で述べたような能格構造を持っている。私の見た新聞ではこの名前がローマ字でしか発表されていなかったので、こちらで勝手にロシア語綴りを想定してджохарとして検索したところ本当に説明が見つかった。

Джохар (араб. جوهر‎ чеч. ДжовхIар):мужское имя персидско-арабского происхождения, часто встречаемое в Чечне, изредка в Дагестане, Азербайджане и Иране.

「「ジョハル」(アラビア語جوهر、チェチェン語でДжовхIар「ジョフヒアル」):ペルシア語・アラビア語起源の男性の名前で、チェチェンに多く見られるが、ダゲスタン、アゼルバイジャン、イランにも時々ある。」
 
 さらにТ. А. Шумовский (T.A.シュモフスキー)という学者が次のように書いているそうだ。

«На бытовом уровне обращает на себя внимание персидское гавхар — „драгоценный камень“, которое, перейдя в арабское джавхар с тем же значением, создало помимо нарицательных на русской и английской почве собственные имена: индийское Джавахарлал, чеченское Джохар, армянское Гоар»

「ペルシャ語の単語гавхар「ガヴハル」がよく使われているのが注目される。これは「宝石」という意味で、アラビア語にも「ジャヴハル」として借用され同義に使われているが、普通名詞以外でもロシア語や英語圏で固有名詞のもとになった:ヒンディー語の名前「ジャヴァハルラル」、チェチェン語「ジョハル」、アルメニア語「ゴアル」など。」

この「英語圏」английской почвеというのは「印欧語圏」の間違いではないのか?また文脈から判断すると「ロシア」にはチェチェン語やダゲスタン語域などロシア語をリングア・フランカとして話す地域も勘定されているようだ。
 
 しかしそれより気になったのはその上の説明で「ペルシア語・アラビア語起源」とあって、ペルシャ語とアラビア語がハイフンでつながっていることだ。これらの言語は全然語族が違うからこの二つをくっつけるのは無理があるのではないか。この語はペルシャ語かアラビア語のどちらかが他方から借用したはずだ。シュモフスキーはペルシャ語が元、と言っているがそれはどうやってわかるのか?アラビア語と似た形の語形ならそこここの言語に見られる:

1.ルーマニア語の「宝石」giuvaierはオスマン時代のトルコ語cevher(「宝石・本質」)から借用されたもの。トルコ人のCevahirという名前(男女共)もこれと同源だそうだ(対応するアラビア語のJawahirとは女性の名前)。「宝石」はアラビア語でجَوْهَر ‎(jawhar)である。
 さらにトルコ語には「宝石・鉱石」という意味のmücevherという言葉がある。ここで接頭辞がmü とウムラウト化しているのは母音調和のためだろう。トルコ語mücevherの元のアラビア語の言葉مُجَوهَر (mujawhar) は本来「宝石で飾られた(もの)」という意味だそうだ。
 私が馬鹿の一つ覚えで聞いているアラビア語(『7.「本」はどこから来たか』の項参照)K-T-Bにも次のようなmuのついている例があった:

kitāb(書物);kātib(著者); maktūb (手紙);mukātaba(文書)

これで一つ覚えが一気に「馬鹿の四つ覚え」になった。すごい進歩である。

2.インドネシア語jauharもアラビア語からの借用。
3.スワヒリ語johariも見ての通りアラビア語から。
4.ヨーロッパのイスラム教国の言語、アルバニア語では「宝もの」をxhevahirと言うが、xh は dž と発音するから、これも露骨にアラビア語からの借用である。
5.スペイン語にも一目でアラビア語起源とわかるalhaja(「宝石」)という単語があった。インドネシア語のAlkitab(「聖書」「コーラン」)と同じく定冠詞つきの借用だ。ただしこれは「ジャヴハル」および「ジョハル」とは別の حاجه (ḥāǧah) という語からきていて、本来「必要な物」とか「欲望」とかいう意味だとのことだ。

 このようにあまりにもあちこちの言語でアラビア語の「宝石」が借用されているのを見て(スペイン語は別単語ではあるが)こりゃペルシャ語の方がイスラム教といっしょにアラビア語から取り入れたのではないか、という疑いがわいてきた。アルメニア語はそのペルシャ語を通したのではないだろうか。
 で、手始めに両言語の音韻組織を調べて見た。

(1)ペルシャ語
persisch

(2)アラビア語 I
Arabisch-Deutsch

(3)アラビア語 II
Arabisch_Englisch


すると「手始め」のつもりがこれで結論が出てしまった。疑いはほぼ解消。こりゃペルシャ語→アラビア語という方向しかありえない。
 まずここでの注目点は g と dž との対応だ。ペルシャ語がアラビア語から取り入れた、と仮定するとどうしてdžの音(国際音声字母だと [ʤ] )がペルシャ語で g ([g])になるのか説明がつかない。反対にペルシャ語からアラビア語に流れた、と仮定すると簡単に説明できてしまうのだ。

 アラビア語は [g] と [ʤ] を音韻的に区別しない。どちらの音も /dž/(英語の j にあたる)という音素なのである。つまりこれらはアロフォン(異音、絶対「異音素」と混同しないように)である。上の(2)を見て欲しい。 /g/ という独立した音素がない。アラビア語の ج という字は標準アラビア語では[ʤ] と発音するが、地域によってはこれを [g] と発音するところもあるし、そもそも日本語での l と r と同じく、どっちで発音しても構わないのだ。(3)のʒ~d͡ʒ~ɟ~ɡj~ɡ という部分を見るとわかるように [g] から [ʤ] まで様々な音が同じ音素の異音となっている。アラビア語では無声子音の [k] は独立音素だが、有声の [g] は音素ではないのである。
 例を挙げる。下のج という形はこの字を単独で書いた場合の形で語頭での字形は下の一番右にあるように >の下に点がついているような字だが、同じ字をエジプト方言ではg、標準アラビア語では j、つまり dž と発音することがわかるだろう。

「宝石・宝物」
標準アラビア語: جوهرة (jáwhara)
エジプト方言: جوهرة (gawhara)

「キャメル」(جمل、「駱駝」)という英語の元になったアラビア語の「駱駝」の最初の文字(右端)もこれだが、標準アラビア語というか中近東では「ジャメル」である。「カメル」あるいは「ガメル」というのはエジプト方言の発音で、イギリス人はここからとりいれたのだろう。
 
 なので、ペルシア語の g をアラビア語では جで写し取り、その字の標準アラビア語発音で dž と読んだ、そのアラビア語発音がさらに他の言語、特にイスラム教の民族の言語に伝わった、と考えると非常にすっきり説明ができる。アルメニア語はアラビア語を通さず直接ペルシャ語から取り入れたか、そもそもペルシャ語もアルメニア語も印欧語だから元の古い形がどっちにも残っていた、つまり同源だったためか、g の音が残ったのだろう。
 ルーマニア語もこれをdž で取り入れているが(上記参照)、これはアラビア語からの直接借用でなく、アラビア語からこの語を借用したトルコ語をさらに仲介している。ペルシア語→アラビア語→トルコ語→ルーマニア語という経路だ。ひょっとしたらトルコ語との間にさらにブルガリア語が介入しているのではないかとも思うが、とにかく長旅お疲れ様でした。バルカン半島は長い間トルコに支配されていたからこれはわかる。

 さてアラビア語に対してペルシャ語では g と dž はアロフォンでなく異音素である。上の(1)を参照してほしい。/g/ と /dž/ は両方独立した音素として表にのっているだろう。なので、もし「ジョハル」が原型であればそれを「ゴハル」なんかにしないでそのまま「ジョハル」という形で借用できたはずなのだ。だからこの「ゴハル」⇔「ジョハル」は、ペルシア語→アラビア語という借用方向しかありえない。

 ここまで一生懸命調べてからちょっと他の資料を覗いてみたら、「この語は現代ペルシャ語でgohar、中世ペルシャ語ではgwhl またはgōhr(「本質・宝石」、アラビア語はこの中世ペルシャ語からの借用)、そして古期ペルシャ語では*gauθraまたは*gavaθraだった」、とあっさり説明してあるではないか。文献学上ではとっくに証明済みだったわけだ。この古代ペルシャ語はgav- という語幹から派生したもので、もともと「育つ」とか「増える」という意味だそうだ。
 それにしてもせっかく自分で一生懸命検索したり考察したりした私の今までの苦労は完全に無駄な努力・余計なお世話だったのである。ちぇっ。
 
 気を取り直してさらにみてみると、ルーマニア語以外のバルカン諸言語にも「アラビア語の宝石」は広がっているらしい。次のような例が挙げてあった。

ギリシア語: τζοβαΐρι ‎(tzovaḯri、「宝石・宝物」)
セルボ・クロアチア語: džèvēr/џѐве̄р, dževáhir/џева́хир (「高価な宝石」)

「セルボ・クロアチア語」などという古い名称が使われているが、ここに挙がっているdžèvēr(ジェヴェール)、dževáhir (ジェヴァーヒル」)というのは今で言うボスニア語ではないだろうか。私の持っている相当詳しいクロアチア語・ドイツ語辞典にはこの語が出ていなかったし、ここの資料にも「regional な語」とあった。ギリシア語も「セルボ・クロアチア語」もトルコ語のcevahir を借用したらしい。
 さらに面白いことに、現代ペルシャ語は、もともと自分たちのほう、つまり中世ペルシャ語からアラビア語に輸出した語を後になってアラビア語からjauhar (または jawhar)として逆輸入している。ここではアラビア語→ペルシャ語の方向だから当然頭音が j になっていて、まさに上で音韻考察した通りの図式である。なお、そうやって里帰りした際意味の場も変化してしまい、現代ペルシャ語のjauhar が本来の「宝石」の意味で使われるのは「まれ」あるいは「古語的用法」だそうだ。jauharは普通は「本質」「インク」「酸」という意味に使われるとのこと。この3つの意味が同じ単語でいっしょになっているのが不思議だが、これじゃあまり「故郷に錦を飾った」という感じがしない。

追記:ひょっとして英語のjewel やjewelry もコレかとカン違いする人が出てきそうなので念のために書くと、これらはそれぞれ古フランス語のjouel とjueleryeが起源で、さらに遡ると俗ラテン語の*jocale ‎(「品のあるもの」)。しかしもっと遡ると最終的にはラテン語のiocusまたはjocusに行き着くそうだ。なんとこれは見ての通り「ジョーク」とか「娯楽」という意味。ウッソー!


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 何年か前、オーストラリアのラジオ局の軽はずみな冗談が人を一人死なせたことがあった。

 当時第一子出産のためにケート妃が入院していた病院にDJが二人して英王室の者を装ってイタズラ電話をかけ、中の様子を聞きだそうとした。電話対応に慣れているいつもの職員がその時たまたま電話を取らず、看護婦さんの一人が電話をとったが、有名人に対してマスコミがよくやる低俗な突撃レポート的な攻勢に慣れておらず、電話をを真に受け、「わかりました、ちょっとお待ちください」と丁寧にとりついで内部の者につないだ。つながれた人は別の職員だったが、王室の者だと最初の看護婦さんがつげたため、内部の様子をいろいろ話してしまった。そのやり取りをオーストラリアのDJたちはラジオで曝し、DJは自分のツイートで「あそこまで簡単に引っかかる人も珍しい」とか何とか騙された看護婦さんを嘲笑った。ところがその看護婦さんは恥ずかしさと責任感から自殺してしまったのである。あとには夫と子供たちが残された。
 その直後はさすがにDJ二人もラジオ局も一応の誠意は見せて神妙に謝罪したが、さらにその後DJの一人がオーストラリアで何かの賞をとったと記憶している。視聴率、というか視なしの聴率を稼いだからだ。本当に後味の悪い事件だったが、これはこういうことを企画したラジオ局やそれをやったDJだけを責めてすむ問題ではないと思う。人が引っ掛けられたりかつがれたりするの見るのが面白いと感じる人が世の中にいる限りこの手の番組は製作され続けるだろう。ある意味では私たち視聴者がこの真面目な看護婦さんを死に追いやったのである。

 さて、そうやって亡くなられた看護婦さんはJacintha Saldanhaという名前のインド人だった。この苗字だが、-nh-という綴りが入っていて明らかにポルトガル語ではないか。hをnの後ろにつけると口蓋化のn、つまりニャ・ニュ・ニョとなるはずだ。名前のJacinthaのほうも見るからにヨーロッパ系で、調べてみたらギリシャ語の「ヒヤシンス」と同源だそうだ。この名前の別バージョンとしてcinthaという形もある。英語のCinthiaあるいはCynthiaと似ているがこちらのほうは全く別語源である。
 どうしてインド人がこういう名前なのか気になってさらに調べてみたら、ヴァスコ・ダ・ガマの時代からインド(の一部)では途切れることなくポルトガル語が母語として話されているらしい。ゴアは1947年にインドがイギリスから独立した時も、香港やマカオと同じく本国のインドには属さず、当時のサラザール政権はインドの度重なる返還要求にも首を縦に振らなかった。シビレを切らしたインド政府が強硬手段に出てゴアを占領し、ここを事実上インド領にしたのはやっとつい最近(でもないが)の1961年のことだ。さらにそれをポルトガル政府が承認したのはサラザールの死後、1974年のことである。故人はMangaloreというゴアの近くの町の出身だったが、ゴア周りばかりでなくインド南東部にもポルトガル語地域がある。そういえば「カースト」という言葉はもともとポルトガル語だったはずだ。
 確かに現在では英語やヒンディー語に押されていってはいるが、年配の人にはポルトガル語を母語とする人がまだいるそうだ。

Map_of_Portuguese_India
インドのポルトガル語地域。Mangaloreという地名ににしっかりマルがついている。(ウィキペディアから)

 知っている人にたまたまタミール・ナドゥから来ている人がいたのでちょっと聞いてみたことがあるが、「はい、ポルトガル人の子孫はタミール・ナドゥに結構います。私の知り合いにもポルトガルが母語の人がいます。全員タミル語とのバイリンガルですが。ポルトガル語話者は北インドにもいます。あと、フランス人話者もいて、彼らには出生と同時に自動的にフランス国籍が与えられるので、成長するとフランスに「帰る」ことが多いです。」とのことだった。上の図を見ると確かにインドの北西部には小さなポルトガル語地域が見えるし、さらに調べてみるとタミール・ナドゥには本当にフランス語地域がある。

French_India_1815
これはちょっと古い時代のフランス語地域だが、なるほどこれなら今でもフランス語話者がいるだろう。(これもウィキペディア)

 ポルトガル語といえば自動的にブラジルが思い浮かぶが、実はアフリカにもポルトガル地域が結構ある。アフリカ西岸の島国、カーボヴェルデやギニアビサウ、果ては南アフリカでもちゃっかりポルトガル語が使われているが、アフリカで最も重要なポルトガル語国はなんと言ってもアンゴラとモザンビークだろう。ここでは西岸の島国と違ってポルトガル語ベースのクレオールではなく、狭い意味での「ポルトガル語」が話され、公用語にもなっている。住民の大多数がポルトガル語を話せるし、2013年現在でこの両国で合わせて4500万人ほどのポルトガル語話者がいるそうだ。2億人のブラジルほどではないが本国の人口は1000万人くらいだからその4倍だ。その他のアフリカの国々のポルトガル語人口も全部合わせると8000万人から一億人にもなるという。そういえばサッカーのポルトガルチームに時々黒人選手が混じっているのを見かけるが、アンゴラかモザンビークの出身なのかもしれない。だとすると言葉には全く困らないはずだ。前にTVでアフリカのこのあたりの地域のドキュメンタリーをやっていたが、現地の人、つまり黒人がポルトガル語の名前だったし、ポルトガル語をしゃべっていた。

 アジアではインドのほかにマカオと東チモールが旧ポルトガル領として有名だが、マカオでは最後までポルトガル語があまり浸透せずに終わった。東チモールでは1975年にここを軍事併合したインドネシアが1981年以来ポルトガル語を一切公式の場から追放したため、今では住民の1割くらいしかポルトガル語ができないそうだ。2002年インドネシアが撤退して東チモールが独立した時、再びポルトガル語に公用語の地位が与えられた。
 以前さる日本の方から聞いた話だが、その人の母方に東ティモール出身のインドネシア人の友人がいたそうで、祖母の代までポルトガル語を話していたといっていたそうだ。それにしてもインドのゴアにしろ、東チモールにしろポルトガル話者は年配の人ばかりのようで気になる。アフリカや南アメリカと違ってアジアでは周辺にヒンディー語、中国語、インドネシア語などの強力な現地語があったから、ポルトガル語は容易には浸透しなかったらしい。亡くなられた看護婦さんも名前は確かにポルトガル語だが、もしかすると言葉自体は話せなかったのかもしれない。現在アジアでのポルトガル人口は広い地域に散らばっているにも関わらず総計でも1万人に遥かに満たないという。アジアのポルトガル語は消滅していくかもしれない。今後が気になるところだ。


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 いつだったか、インドの学校では九九を9×9=81までではなく、12×12=144まで暗記させられる、と聞いていたのをふと思い出して調べてみたら12×12ではなく20×20までだった。「じゅうに」と「にじゅう」を聞き違えたのかもしれない。
 言語によっては12で「2」を先にいうこともあるし、反対に20のとき「10」が前に来たりするからややこしい。また、11と12が別単語になっている言語もある、と言っても誰も驚かないだろう。英語がそうだからだ。英語ばかりでなくドイツ語などのゲルマン諸語全体がそういう体系になっている。ゲルマン諸語で1、2、3、10、11、12、13、 20、30はこんな具合だ。
Tabelle1-81
13からは「1の位の数+10」という語構造になっているが11と12だけ系統が違う。11(それぞれelf, elva, ainlif)の頭(e- あるいはain-)は明らかに「1」だが、お尻の -lf、 -iva、 lif はゲルマン祖語の *-lif- または *-lib- から来たもので「残り・余り」という意味だそうだ。印欧祖語では *-liku-。ドイツ語の動詞 bleiben(「残る」)もこの語源である。だから11、12はゲルマン諸語では「1あまり」「2あまり」と言っているわけだ。
 この、11、12を「○あまり」と表現する方法はゲルマン祖語がリトアニア語(というか「バルト祖語」か)から取り入れたらしい。本家リトアニア語では11から19までしっかりこの「○あまり構造」をしていて、20で初めて「10」を使い、日本語と同じく10の桁、「2」のほうを先に言う。
Tabelle2-81
ゲルマン語は現在の南スウェーデンあたりが発祥地だったそうだから、そこでバルト語派のリトアニア語と接触したのかもしれない。そういえば昔ドイツ騎士団領だった地域には東プロシア語という言語が話されていた。死滅してしまったこの言語をゲルマン諸語の一つ、ひどい場合にはドイツ語の一方言だと思い込んでいる人がいるが、東プロシア語はバルト語派である。
 印欧語ではないが、バルト海沿岸で話されているフィンランド語も11から19までは単純に「1と10」という風には表さない。
Tabelle3-81
11、12、13の-toistaという語尾はtoinenから来ていて、もともと「第二の」という意味。だからフィンランド語では例えば11は「二番目の10の1」だ。完全にイコールではないが、意味的にも用法的にもリトアニア語の「○余り」に近い。「20」のパターンもリトアニア語と同じである。
 
 ケルト諸語ではこの「○余り構造」をしておらず、11、12は13と同じくそれぞれ1、2、3と10を使って表し、一の位を先に言う。
Tabelle4-81
アイルランド語の10、a deichはdéag や dhéag と書き方が違うが単語そのものは同一である。後者では「10」が接尾辞と化した形で、これがブルトン語ではさらに弱まって -ek、-zek になっているが構造そのものは変わらない。それより面白いのは20で、「10」も「2」も出て来ず、一単語になっている。これはケルト祖語の *wikantī から来ており、相当語形変化をおこしているがブルトン語の ugentも同語源だそうだ。印欧祖語では *h1wih1kmt* あるいは h₁wih₁ḱm̥ti で、ラテン語の vīgintī もこの古形をそのまま引き継いだものである。「30」、tríocha と tregont も同一語源、ケルト祖語の *trī-kont-es から発展してきたもの。つまり20、30は11から19までより古い言語層になっているわけだ。これはラテン語もそうだったし、それを通して現在のロマンス諸語に引き継がれている。
Tabelle5-81
当然、といっていいのかどうか、サンスクリットやヒンディー語でも「20」は独立単語である。
Tabelle6-81
ヒンディー語の bīs はサンスクリットの viṃśati が変化したもの。下のロマニ語の biš についても辞書に viṃśati 起源と明記してある。もっともそのサンスクリットは数字の表し方がかなり自由で学習者泣かせだそうだが、学習者を泣かせる度合いはヒンディー語のほうが格段に上だろう。上の11、12、13、それぞれ gyārah、 bārah、tērah という言葉を見てもわかるように、ヒンディー語では11から99までの数詞が全部独立単語になっていて闇雲に覚えるしかないそうだ。もっとも13の -te- という頭は3の tīn と同語源だろうし、15は paṅdrah で、明らかに「5」(pāṅc)が入っているから100%盲目的でもないのだろうが、10の位がまったく別の形をしているからあまりエネルギー軽減にはならない。やはり泣くしかないだろう。
 同じインド・イラニアン語派であるロマニ語の、ロシアで話されている方言では20と30で本来の古い形のほかに日本語のように2と10、3と10を使う言い方ができる。
Tabelle7-81
ドイツのロマニ語方言では30をいうのに「20と10」という表し方がある。
Tabelle8-81
ハンガリー・オーストリアのブルゲンラント・ロマの方言では20と30を一単語で表すしかないようだが、11から19までをケルト語やサンスクリットと違って先に10と言ってから1の位を言って表す。これは他のロマニ語方言でもそうだ。
Tabelle9-81
手持ちの文法書には13がbišutrinとあったが、これは誤植だろう。勝手に直しておいた。他の方言にも見えるが、ロマニ語の30、trianda, trianta, trandaはギリシャ語からの借用だそうだ。
Tabelle10-81
古典ギリシア語では13からは11、12とは語が別構造になっているのが面白い。それあってか現代ギリシャ語では11と12では一の位を先に言うのに13からは10の位が先に来ている。20と30はケルト語と同じく独立単語で、20(eikosi または ikosi)は上で述べたブルトン語 ugent、ラテン語の viginti、サンスクリットの viṃśati と同じく印欧祖語の *(h₁)wídḱm̥ti、*wi(h₁)dḱm̥t または *h₁wi(h₁)ḱm̥tih₁ から発展してきた形である。

 あと、面白いのが前にも述べた(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』)バルカン半島の言語で、バルカン連語連合の中核ルーマニア語、アルバニア語では11から19までがone on ten, two on ten... nine on ten という構造になっている。
Tabelle11-81
11を表すルーマニア語の unsprezece、アルバニア語の njëmbëdhjetë、ブルガリア語の edinadesetはそれぞれun-spre-zece、 një-mbë-dhjetë、edi(n)-na-deset と分析でき、un、 një、edinは1、spre、 mbë、naは「~の上に」、zece 、dhjetë、desetが「10」で単語そのものは違うが造語のメカニズムが全く同じである。さらに実はブルガリア語ばかりでなくスラブ語派はバルカン外でも同じ仕組み。
Tabelle12-81
ロシア語 odin-na-dcat’、クロアチア語の jeda-na-est でもちょっと形が端折られていたりするが、one on ten という構造になっていることが見て取れるだろう。20、30は日本語と同じく「に+じゅう」「さん+じゅう」である。

 ここでやめようかとも思ったが、せっかくだからもうちょっと見てみると、11から19までで、1の位を先に言う言語が他にもかなりある。
Tabelle13-81
ヘブライ語は男性形のみにした。アラビア語の「11」の頭についているʾaḥada は一見「1」(wāḥid)と別単語のようだが、前者の語根أ ح د ‎('-ḥ-d) と後者の語根و ح د ‎(w-ḥ-d) は親戚でどちらもセム語祖語の*waḥad-  あるいはʔaḥad- から。ヘブライ語の אֶחָד ‎('ekhád) もここから来たそうだから意味はつながっている。アラビア語ではつまり11だけはちょっと古い形が残っているということだろうか。
 「11だけ形がちょっとイレギュラー」というのはインドネシア語もそうで、12からははっきり1と2に分析できるのに11だけ両形態素が融合している。
Tabelle14-81
この11、sebelas という形は se + belas に分解でき、se は古マレー語で「1」、インドネシア語のsatu と同義の形態素である。belas は11から19までの数詞で「10」を表す形態素。これもマレー語と共通だそうだ。つまりここでも古い形が残っているということだ。
 さらにコーカサスのジョージア語(グルジア語)も1の位を先に言う。
Tabelle15-81
-meṭi は more という意味の形態素だそうで、つまりジョージア語では11から19までを「1多い」「9多い」と表現していることになり、リトアニア語の「○余り構造」とそっくりだ。「13」の ca- はもちろん sami が音同化して生じた形である。また、ジョージア語も「20」という独立単語を持っていて、30は「20と10」である。

 シンタクス構造が日本語と似ているとよく話題になるトルコ語は11~19で日本語のように10の位を先に言う。その点はさすがだが、20と30は残念ながら(?)日本語と違って独立単語である。20(yirmi)も30(otuz)もテュルク祖語からの古い形を踏襲した形なのだそうだ。
Tabelle16-81
バスク語も10の位を先に言うようだ。能格言語という共通点があるのにジョージア語とは違っている。もっとも30は「20と10」で、これはジョージア語と同じである。
Tabelle17-81
こうして見ていくと「20」という独立単語を持っている言語は相当あるし、数詞という一つの体系のなかに新しく造語されて部分と古い形を引き継いだ部分が混在している。調べれば調べるほど面白くなってくる。今時こういう言い回しが若い人に通じるのかどうか不安だが、まさにスルメのように噛めば噛むほど味わいを増す感じ。数詞ネタでさかんに論文や本が書かれているのもわかる気がする。


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 先日TVで韓国のゾンビ映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(いったいなんなんだ、このヒドい邦題は?!原題は「釜山行」)を放映したので見てみた。2年ほど前にこちらのニュースでもこの映画がアジアで大ヒットしていると報道しているのを小耳に挟んでいたし、新聞・雑誌のTV番組欄でもこれが「本日のおすすめ」だったのだ。見たらあんまり面白かったので驚いてしまった。面白かったも面白かったが、欧米のゾンビ映画・アクション映画と比べて好感を持った。登場人物が私と同じアジア人だからかなと思ったが、考えてみるとそればかりではない。
 欧米のアクション映画には必ずといっていいほど、そしてホラー映画にもよく登場する、大声で喚き散らし時に銃をぶっ放し棍棒を持って暴れるタイプの暴力的でヒステリックな女性が出てこないのだ。以前心理学者だったか歴史学者だったかが(心理学と史学じゃ全然違うじゃないか。どっちなんだ)こういうアマゾネス戦士タイプの女性描写は実は男性側の倒錯した性欲が生んだファンタジーだと言っていたのを覚えている。女性に自分たちのマッチョ理想像の真似、男の真似をさせて自分たちのナルチシズムと女性への劣情を同時に満足させようとする歪んだファンタジーである、と。そういえば、そういう映画での女性たちはランニングシャツなど近代装備の兵士の戦闘服としてはありえないような不自然に肌を露出した衣装であるか、変なところが破れたり濡れたりして男性をソソるように計算されている。だからゲビた感じがするのだ。私の覚えている限り下品でなかった女性戦闘員は『フルメタルジャケット』のラストに出てきたベトナム人の若い女性スナイパーくらいなものだ。また当然ながらその手の女性が絶叫しながら暴れまくる映画には年配の女性はまず現れない。
 そういわれてみるまで、映画そのものの出来とは別にいわゆるアクション映画の多くに対して抱く嫌悪感が何処からくるのか自分でもわからなかったのが、なるほどと思い当たった。それで『エイリアン』や『ターミネーター』(特に2以降)も私は大嫌いである。繰り返すが映画の出来自体はいい。
 『新感染 ファイナル・エクスプレス』にはその手のわざとらしい下品な女性が出てこない。その上おばさんやおばあさんがきちんと重要な役割を担って登場する。これが私の個人的なプラス点である。
 そこで他の人たちはどう評価しているのかネットをちょっと覗いて見たら、「不覚にも泣いてしまった」とコメントしている男性が結構いたので笑った。「ゾンビ映画で泣いてどうするんだ」とは思ったが、この映画で「泣いちゃったよ俺」という殿方にも好感を抱いた。

中国語タイトルには「屍速」と「屍殺」の2バージョンあるようだが、どちらもいかにも怖そうなタイトルだ。
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 この「泣けるゾンビ映画」の英語タイトルはTrain to Busan、つまり「釜山」の英語表記はPusanでなくBusanになる。このことも私は映画に劣らず面白いと思った。ドイツでもこの英語タイトルをそのまま使っている。釜山と聞いて私が真っ先に思い出すのは、今時覚えている人がいるかどうか知らないが『釜山港に帰れ』という歌謡曲である。当時チョー・ヨンピルが原語の韓国語日本語二ヶ国語で歌って大ヒットした。ヨンピル氏はその後日本の紅白歌合戦にも連続出場したそうだが、残念ながらその頃には私はすでにこちらに来てしまっていたので見ていない。その歌を改めて聴いてみると「釜山」という発音は日本語・韓国語のバージョン共に日本人の耳には無声音、「プサン」としか聞こえない。実際昔は英語でもPusanと表記していた。釜山空港だってPUSと記されていたのだ。2000年に韓国側でBusanという国際表記にしたが、これはこの語頭音が無気音だからだ。
 英語のネイティブは無声閉鎖音、p、t、k を帯気化して発音する人が多い。ドイツ語の人もそうで、人によってはこの度合いがはなはだしく、「わたし」の「た」が思い切り帯気音であるために「わつぁし」と聞こえてしまうことさえある。p、t、k が語頭に来ると帯気なしでは発音できない人もいる。日本語ならば、これらの音が多少気音になっても単に耳障りなだけでまあ意志の疎通に問題はないが(それでも「わつぁし」と言われると一瞬戸惑うが)、韓国・朝鮮語(ここでは単に「韓国語」と呼んでいる)は無気の p と有気のp (ph)は違う音素なのだからこれを許しておくわけにはいかない。英語の話者がPusanと言うと韓国人には「釜山」산でなく산にしか聞こえないそうだ。一方で韓国語は無気と有気の音韻対立がないからPusanだろうが Busanだろうが意味に違いが起こらない、ならば帯気化される危険性大の p よりも無気発音してもらえる可能性の高い有声音b で発音してもらった方が韓国語の音韻体系に合う。無声閉鎖音は対応する有声閉鎖音より帯気しやすい、別な言い方をすれば有声閉鎖音は帯気させるのが無声閉鎖音よりむずかしい。だから印欧語も祖語の段階では無声閉鎖音も有声閉鎖音もそれぞれ無気・帯気で弁別差があったのに(下記参照)時代が下るにつれて後者が弁別機能を失っていった際、まず有声子音で無気・帯気の区別が失われた。無声子音には結構長い間この区別が残ったのである。古典ギリシャ語も無声子音でのみ無気・帯気を区別し、現在のロマニ語ではやはり無声閉鎖音のみ、しかも語頭音でのみ無気・帯気の弁別差が認められるそうだ。日本語は無声閉鎖音があまり帯気化していないから、安心して「プサン」あるいはPusanと記せるし、そう発音していい。
 この、本来英語向けだったBusanという表記が他言語でも標準になったので本来無声閉鎖音が帯気化しておらずp で読んでも全く支障のないロマンス諸語まで b にさせられたというわけだ。ローマ字を使っていないロシア語では p を使ってПусан。ロシア語も無声閉鎖音は無気である。セルビア語ではb 表記でБусанとなるのだが、英語を通したと思われる。
 中国語も有気・無気が音韻対立 して、無声・有声の区別がないから、日本語の「か」と「が」、「ぱ」と「ば」、「た」と「だ」の発音のし分けが苦手な人がいる。例えば中国語で「他」は帯気音、「打」は無気音なので、「た=他」、「だ=打」と覚えている人がいたりすると有声・無声の対立がいつまでも飲み込めない。そういう人には「他」は「た」と解釈していいが、「打」のほうは「た」と「だ」の両方にかかることを図でも書いて示してあげるといいかもしれない。

日本語の「た・だ」と中国語の「他・打」の関係はAでなくBのように考えた方がいいと思う。
ta-da
 アジアの言語、特に古くから文化・文明の面でも地理の面でも中心となった言語は無気・帯気で弁別差を持つものが多く、それのない日本語はむしろ例外。日本人は本来アジア文化圏では辺境民族だったことを感じさせる。他のアジアの言語をザッと見ていくと次のようになる。閉鎖音ばかりでなく、破擦音や摩擦音でも無気・帯気をわける言語も多いが、それを全部見出すとキリがなくなるのでここでは話を閉鎖音、p、t、k に限った。
 まず上で述べたように中国語はp-ph、 t-th、k-kh だけを区別して p-b、t-d、 k-g の対立がない。b、d、 g はそれぞれ/p、t、 k/ のアロフォンである。
 韓国語もp-b、t-d、 k-g がないのは中国語と同じだが、ここの閉鎖音は単なる無気・帯気のほかにさらに tense、「濃音」を区別して、p-p͈-phという3体系になっている。最初のp が普通の無声無気音、最後のph が無声帯気音、真ん中p͈ というのはtense音、喉をグッと緊張させて出す無気音。釜山のプは最初の p である。面白いことに語末ではこの無気・帯気・tenseの弁別性が中和されてそれぞれ内破音になるそうだ。アイヌ語と同じだ。
 モンゴル語は音韻表記上は/p, b/、/t, d/、/k, g/ と書き表す子音が実際上はp-ph、 t-th、k-kh で、bは(β も)/p/ の、d は /t/ の、 g は /k/ のそれぞれアロフォンである。別の資料にはg は /k/ のアロフォンというより、音素/k/ は [g]  と発音する、つまり [k] という音は事実上存在しないとあった。古い時代のモンゴル語は本当p-b など、無声・有声で対立したのが時代が下るにつれて対立の仕方が無気・帯気に移行したという説があるそうだが、これには疑問の余地大ありとのことだ。 
 満州語も/p, b/、/t, d/、/k, g/ と表す対立があり、そう発音されることもあるが、これも以前はp-ph、 t-th、k-kh だったと思われる。
 チベット語ラサ方言、というべきかラサ語というべきかとにかくそこの言語にはp-ph、 t-th、k-kh だけあり、その/p, t, k/ が特定の音声環境でそれぞれ b、d、g になる、という中国語、韓国語と全く同じパターンである。
 続いて、日本からドンドン遠ざかるがヒンディー語、サンスクリットである。上記にも書いたようにここでは無気・帯気と無声・有声が両方とも立派に弁別機能を負っているから、p-b-ph-bh、t-d-th-dh、k-g-kh-gh と分ける。印欧語は本来この四体系であったが、現在のヨーロッパの言語は無声・有声のみを区別して無気・帯気は弁別機能を失ってしまったものが大半だ。僅かにロマニ語が不完全にではあるが無気・帯気を弁別することは上でも述べた通りである。
 東へ戻ってタイ語では不完全ながら双方の対立が弁別性を持っている。「不完全」というのは有声子音では無気・帯気の差が機能しないからだ。タイ語の閉鎖音はb-p-ph、d-t-th、k-kh となっていて基本3体系であるところが韓国語と似ているが内容はまったく異なる。しかも軟口蓋閉鎖音では有声・無声の差が消失してしまっている。「有声音を帯気するのは難しい」、「アジアの言語では無声・有声の対立より無気・帯気の方が残りやすい」という大原則が踏襲されていて感動的ですらある。
 北へ上ってテュルク諸語の一つウイグル語になるとやっと本当に無声・有声の対立がメインとなり、p-b、t-d、k-g のみで無気・帯気の弁別差がない。が、ついに日本語タイプの音韻体系が出たかと喜ぶのはまだ早い。無声閉鎖音、p、t、k は語頭と母音間では帯気化するのがほぼ決まりとなっており、かてて加えて有声音b、d、g はシラブルの終わりでは有声性が中和され、対応する無声音となるそうだ。ただし語の最初のシラブルではこの中和現象が起こらないそうで、この点は違うが有声子音が語末で中和するのはドイツ語やロシア語といっしょである。
 アジア大陸内をここまで西に行っても日本語の友達が見つからない、仕方なくまた東に戻ると意外なところに仲間がいた。インドネシア語である。ここではまさにp-b、t-d、k-g の対立しかなく、しかも無声音が規則的に帯気化したりしない。日本語とほぼ同じである。
 インドネシア語より地理的にずっと日本語に近いアイヌ語は無気・帯気の区別もない代わりに無声・有声の対立もない。p、t、k しかないのである。b、d、g は異音素でなくそれぞれ前者のアロフォンである。
 驚くことにこの「無気・帯気の区別も無声・有声の区別もない言語」というのがインドの南にある。タミル語がそうだ。何百年・何千年もサンスクリットと接してきたのにp、t、k しかない。鼻音の後ではこれらは有声化するとのことだが、つまりアイヌ語と同じくb、d、g はアロフォンなのである。このことに驚くのは私だけではないらしく、「タミル語は無気と帯気を区別しない」とわざわざ明記してある説明があった。そり舌音があるあたりはしっかりサンスクリットと共通なのにこれはどうしたことだ。タミル語の方がサンスクリットより古くからかの地にいたからだろうか。つまりそり舌はタミル語のほうがサンスクリットに影響した、いいかえるとそり舌は南アジアに後からやってきた印欧語が現地の言語に影響されて変質させられた結果だから本当は「サンスクリットタミル語共通」というべきなのだろう。そういえば再建された印欧祖語にはそり舌音が設定されていない。天下の印欧語を変質させるなんてすごい力だ。それこそゾンビででもあるのかこの言語は(意味不明)?

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