日本もそうだが、ドイツ語にもいろいろ方言があり、少し慣れてくるとだいたいどの当たりの訛かわかるようになる。訛と言ってもネイティブの訛は外国人が訛っているのとは質が違うのですぐ見分け(聞き分け?)がつく。ドイツ語のネイティブだと「ケルンのあたりだな」とか「フライブルクだ」とか具体的な地域まで当てる人がいるが、もちろん私のような非ネイティブにはとてもそんな細かい芸当は無理、あくまで「だいたいあの辺」である。そもそも私は日本語の方言だって細かく広島と奈良、長野を新潟を区別したりはできない。その「だいたい」だが、私は南ドイツ、バイエルンからオーストリアにかけてのドイツ語、東ドイツのドイツ語、あと北ドイツともう一つ南西ドイツの方言は聞き咎めることができる。もちろん少なくとも私には方言色が全く感じられない、「標準ドイツ語」としか言いようがない話し方をする人も多い。この北、東、南、南西に標準語を加えた5つで、長い間耳に入るドイツ語は全てカテゴリー化できているつもりでいたのだがある時知り合いの話すドイツ語がこのどれにも当てはまらないので驚いた。その人は標準ドイツ語の発音からはやや乖離があるのに外国人などではなくあきらかにネイティブのドイツ語だったのである。
 さらにどうもそのドイツ語の響きはどこかで聞いたことがあるような気がしてずっと考えていたのだがどうしても思い出せないでいたところ、ある時突然思い当たった。ルクセンブルク人の前EU議会委員長、ジャン・クロード・ユンカーがちょうどこういう響きのドイツ語を話していたのだ。さらにこれもルクセンブルクの首相ジャン・アッセルボルン氏も似た響きのドイツ語だ。それで一瞬その人はフランス語とのバイリンガルでドイツ語がその干渉を受けたのかと思った。フランス語訛のドイツ語、つまりフランス語モノリンガルの人が外国語としてドイツ語を勉強したのとは全く違う響きだったので独仏どちらも母語なのかと。それにもしその人がズバリルクセンブルク人だったら最初に自分からそう言うだろうから、そういう話をしなかったということはルクセンブルク人ではない、例えばパリ育ちのドイツ人とか、片親がフランス人とかそういうのかと思ったのだ。だがそんなことを聞きただすのも失礼なのでそのままにしておいた。

ジャン・クロード・ユンカー氏のルクセンブルク語なまりのドイツ語。

EUの外務大臣アッセルボルン氏もルクセンブルク語なまり。インタビュアーの標準ドイツ語と比較してみてほしい。

 
 するとある時また何となく雑談をしていたら、その人が「自分は実はルーマニアの生まれだ」と言い出したので再び驚いた。『119.ちょっと拝借』でも書いたようにルーマニアのジーベンビュルゲン地方、日本語で言うトランシルバニアにはドイツ人のディアスポラがありすでに中世のころからドイツ人がドイツ語で生活していると聞いてはいたが、そのジーベンビュルゲン・ドイツ語そのものは耳にしたことがない。私が以前会ったルーマニア・ドイツ人の発音は事実上ドイツ育ちだったからか標準ドイツ語以外の何物でもなかった。ルーマニアとルクセンブルクでは方向が正反対、自分の方向音痴ぶりに愕然としていたら、その人がさらに話をつづけてこう言った。「私の育った言葉ね、ドイツの西の方、モーゼルのあたりとかルクセンブルクとかの方言と同じなんですよ。あの辺の人が話してる言葉全部わかっちゃう。昔ジーベンビュルゲンに移住していった先祖ってあの辺の人たちなんです」。三度目の驚き。そこで家に帰ってちょっと調べてみたら本当にいろいろなところにそう書いてある。しかし文献で読むのと当事者ネイティブから生の話を聞くのとではインパクトというか有難みが全然違う。
 
 ルクセンブルク語はドイツ語の西フランケン方言、別名モーゼル・フランケン方言と言われるグループに属し、リプアーリ方言(別名北中部フランケン方言。ややこしい名前だ)といっしょに中部フランケン方言というさらに大きなグループを形成している。モーゼル・フランケン方言に属するのはルクセンブルク語の他にロートリンゲン方言とジーベンビュルゲンドイツ語。この中部フランケン方言はさらにライン・フランケン方言群といっしょに西・中部ドイツ語という大グループとしてまとまっている。『117.気分はもうペンシルベニア』で述べたペンシルベニア・ドイツ語のもとになった方言もこのライン・フランケン方言に属するプファルツ方言だ。西中部ドイツ語というのがあるのだから東中部ドイツ語という方言群も当然あって、旧東独、ライプチヒやベルリンの言語もそこに含まれる。ドイツの真ん中を帯のように東西に横切っている方言群だ。

ここではモーゼル・フランケン方言とルクセンブルク語が別の色になっているが、1,2,3が中部フランケン方言。ウィキペディアから。
Von Brichtig - Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20073642
Mitteldeutsche_Mundarten
 このモーゼル・フランケン方言が話されている地方は中世からずっと言語的にも文化的にもフランスと接していた地域なのでロマンス語の影響を強く受けている。そもそもライン川の西部は古くはローマ帝国の領域で今日に至るもライン川東部、つまりドイツの大部分とは微妙に雰囲気が違っている。大雑把過ぎる聞い方かもしれないが、陰気でやや田舎っぽいドイツの他の地域に対し、ライン川の西には陽光が指している感じなのだ。モーゼル・フランケン地方ばかりでなくプファルツ地方もフランスに近いことが何となく感じとれる。このプファルツとアルザスも独仏の間を揺れた地方だが、ドイツ(プロイセン)とフランスが奪い合いをしたため領土ばかりでなく言語的にも所属が明確になった。アルザスの公用語はフランス語、プファルツではドイツ語で、実際に話しているアルザス語やプファルツ方言は単なるドイツ語の方言と見なされるか、せいぜい「正式に承認された少数言語」のステータスが与えられるだけだった。それ以上は無理だ。対してルクセンブルクの方は独仏(及び蘭)間の緩衝地帯の公国として独立していたのでドイツ語に吸収されるのを免れてそこで話されていた言葉は「ルクセンブルク語」という独立言語に昇格した。1984には国家レベルの公用語として規定されている。正書法も整えられてドイツ語とは別言語だということが強調されている。
 強調されてはいるがドイツ語と「非常によく似た」言語である事実は否めず、公的場面ではフランス語かドイツ語が使われるのが大半だそうだ。官庁ではフランス語が優勢、マスコミではドイツ語が使われることが多い。例えばフランス語で判決を言い渡した裁判官が横を向いて同僚とルクセンブルク語で会話を始めたりする。要するに国民総バイリンガル、第一言語はルクセンブルク語だがその他にドイツ語かフランス語、またはその両方を母語同様かあるいは本当に母語として話せるということだ。「ルクセンブルク語ができなくてもルクセンブルクで生活はできます」とのことだ。

 ここで念のためはっきりしておきたいが、上で「あの辺の方言だなとわかる」と書いたが私に聞こえてくるのはズバリその方言そのものではない。向こうは常に標準ドイツ語、正確に言えば方言の癖の出た標準ドイツ語を話しているのだ。方言そのものをモロに話されたら私には理解できない。向こうだってこの外国人顔の私に方言で話しかけてきたりしない。またTVのインタビューなどに答える時は標準語を話す。ユンカー氏にいたっては外国語を話していることになる。その際本人は標準語(またはドイツ語)を話しているつもりでも方言(または母語)の癖が出てしまう。私が気付くのはその部分だから、文法や語彙などの違いは全く見えてこない。あくまで発音のクセ、あるいはもっとあいまいに「何となく聞いた感じ」でしか判断できない。自分ではどうしてそういう感じがするのかよくわからないでいたら、ルクセンブルク語には次のような特徴があるそうで、なるほどこれが私の「何となく」を誘発したのかなと思い当たった:
 ドイツ語は発音上重要な単位となるのが語あるいは形態素で、語と語の間、形態素と形態素との間には境界を表示する音、声門閉鎖音 [ʔ] が入る。例えば蛍石などの Halbedelstein(「半宝石」)の発音は[ˈhalpʔeːdl̩ˌʃtaɪ̯n] で、形態素、半Halb-と宝石-edelsteinの間に明確な声門閉鎖音が入る。ハルプ・エーデルシュタインである。これをハルベーデルシュタインとか発音するとドイツ語ができないといって笑われる(笑われない)。形態素でさえそうだから単語と単語の間もちゃんと境界音が入るのは当然だ。「年老いたロバ」は ein alter Esel で3語だから [aɪ̯nʔaltɐʔeːzl̩] 。これに対してルクセンブルク語では発音上シラブルが語に優先する。そのため「年老いたロバ」のルクセンブルク語 en alen Iesel は[ənʔa:lənʔiə̯zəll とはならず、一つのシラブル内にあれば語の境界線を超えてくっつくから[ə.na:.lə.niə̯.zəll。まるでフランス語のリエゾンだ。また二重母音がドイツ語でのように一つの母音と見なされず、途中でシラブルが別れる。ドイツ語の Jahr (「年」)は Joer だが、これは一シラブルでなく Jo-er になるそうだ。この母音を分解する作用のある母音 e は Rëtschvokal という。ユンカー氏のドイツ語を聞くとどうも変な母音が多発しているような気がするのはこの所為かもしれない。
 さてこのルクセンブルク語とジーベンビュルゲンのドイツ語は親戚なわけだが、ただルクセンブルク語の r は [ʀ] または [ʁ]、つまり口蓋垂の r である。私が聞いた現在のジーベンビュルゲン・ドイツ語では舌先の [r] で発音していた。前述の知り合いも舌先だった。ジーベンビュルゲンにドイツ人が移住したのは中世だから、口蓋垂の r は その後発達したのかもしれない。
 しかし一方ビデオなどで現在のジーベンビュルゲンドイツ語の話者が話しているのを聞いても特にユンカー氏のドイツ語に似ているとは思えない。どうしてそういうドイツ語を話していたはずのその知り合いのドイツ語がルクセンブルク語の響きに似ていると思うのかやはり自分でもわからない。いろいろ未知の要因が作用しているのだろう。例えば上で南西ドイツの方言は感じ取れると言ったが、今までハイデルベルク辺りの言葉とカールスルーエからフライブルク、シュトゥットガルト周辺の言葉は「南西ドイツ」として一つにしか聞こえなかったので、同じ方言群なのかと思っていた。ところがこの記事のためにちょっとドイツ語の方言地図を見てみたら、ハイデルベルクも含めたカールスルーエの北の言葉はフランケン方言と一緒に中部方言群を構成するプファルツ方言、フライブルク、シュトゥットガルトなどその南は「南部ドイツ語方言」のシュヴァーベン方言だそうだ。私には区別がついていなかった。やはり語彙や文法も考慮しないと方言の区別はできないとみえる。

現在のジーベンビュルゲンのドイツ語。あまりユンカー氏のドイツ語と似て聞こえないのだが…


 ルクセンブルク語に話を戻すが、発音だけでなくまさにその文法や語彙、正書法に面白い部分がある。例えば正書法では ß の字を使わず ss と書く。さらにドイツ語と違って長母音を表わす黙字の h は使わない(ドイツ語からの借用語は別)。では無声の s の前に長母音が来たらどう書くのかと言うと(ドイツ語ならば子音がダブると先行する母音は短母音だからだ)、母音の表記をダブらせるのである。それでドイツ語のStraße(英語のstreet)は Strooss。名詞を大文字で書くところはいっしょである。またドイツ語と同様ルクセンブルク語でも語末で有声音が中和されるが、これを文字で表わすところがドイツ語と違う。例えば「良い」はルクセンブルク語では英語と同じく(そしてドイツ語と違って)最後の子音は本来有声音だ。だからこれが付加語として名詞につく場合は gudden、guddem、gudder と d で現れる。ところがこれが述部などの語尾のない形になると gutt と子音が中和し、しかもそれを文字化するのだ。
 この他に補助記号なども普通のウムラウトの他にいろいろあるし、ドイツ語正書法の呪縛から逃れて独自の正書法の道を歩もうとしていることが見て取れる。でもそれならば名詞の大文字化もよせばいいのに、やはりドイツ語から完全に自由にはなれていないようだ。
 文法ではもちろん語形変化の形自体が違うが、名詞(正確には冠詞)の格の数も減っていて三形しかない。対格と与格と属格で、主格がパラダイムとしては消失し対格形が主格の機能も兼ねるそうだ。主格は eiser Herrgott「我らの主よ」などごく少数の言いまわしや一人称、二人称の人称代名詞に痕跡的に残っているだけ。これを聞くと『17.言語の股裂き』で述べた「現在ロマンス語の複数主格は対格形から来たもの」という説が正しく、私の方がやっぱり間違っていたのかなと思えてくる。
 少しそのルクセンブルク語の語形変化の例を見てみよう。以下の表はそれぞれドイツ語で junger Hund「若い犬」、junge Taube「若い鳩」、junges Schaf「若い羊」の変化。上から順に混合変化(不定冠詞)、弱変化(定冠詞)、強変化(冠詞なし)である。
Tabelle-174
 最後にルクセンブルク語をドイツ語ネイティブに聞かせたところ響きそのものはユンカー氏のドイツ語とよく似ているが「ドイツ語と違ってよく理解できない」とのことであった。もちろん私にも理解できないが、ごくたまに雲間から日が差す如く突然理解できるフレーズが現れる。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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