実は私は黒澤明の映画で、TVやリバイバルでなく劇場公開時に見たのは『デルス・ウザーラ』だけである。黒澤の映画は世界的に有名だが、黒澤以前にもソ連でアルメニア人の監督アガシー・ババヤンБабаян, Агаси が1961年に一度映画化している。原作は帝政ロシアの軍人ウラジーミル・アルセーニエフ(1872-19230)の探検記 По Уссурийскому краю(「ウスリー地方探検記」、1921)と Дерсу Узала(「デルス・ウザーラ」、1923)で、ババヤンの方は知らないが黒澤はこの両方を参照している。探検自体は出版よりずっと早い時期、1906年から始まっていて、原作ではデルスは「ゴリド人」と呼ばれている。現在で言うナーナイ人だが、スィソーエフ Сысоев, Всеволод (1911-2011) というハバロフスクの作家はこれに疑問を持ち、デルスはナーナイ人ではなくウデへ人のはずだ、と主張したそうだ。まずナーナイ人は魚をとって定住している民族で、獣を追って森のなかを歩き回ったりしない、さらにデルスがアルセーニエフに教えたという言葉はナーナイ語でなくウデへ語だというのである。しかし、ウデへ人とナーナイ人は言語も民族も非常に近く、アルセーニエフの資料からどちらかにキッパリ決めるのは難しいそうだ。デルスはゴリド人(ナーナイ人)ということでいいのではなかろうか。

ババヤンの『デルス・ウザーラ』のアルセーニエフとデルス。https://dibit.ru/p/films/1628から。
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アルセーニエフの原作(=本物)のデルス。ババヤンのデルスの容貌のほうが黒澤のよりむしろ現実に近い。
ウィキペディアから。
Dersuuzala

 そのデルスの話す言葉、ナーナイ語だが幸いトゥングース諸語の一つである。なぜ「幸い」なのかというとトゥングース諸語はさすが大言語の満州語を要するだけあって、古くからロシア人や中国人の興味を引き、比較的研究が進んでいるからだ。研究ばかりではない、文字や書き言葉を発達させ、歴史的な資料も豊富な満州語は文化語としても中国語と並んでかの地の文化生活をひっぱっていた。ソ連の論文でトゥングース・満州諸語 тунгусо-маньчжурские языки と呼んでいるのを見かけたが、いかに満州語の重みが高いかわかる。それともこの名称で「満州語は中国の、トゥングース語はソ連の領域」という政治的分割でも暗示されているのだろうか。まあそれもありうる(下記参照)。
 ナーナイ語の話者はウスリー江沿岸(アルセーニエフが探検した地域だ)と、あとアムール川の周りにもいる。ソ連(ロシア)側と中国側合わせてナーナイ人の人口は1万人強ということだが、この数字があまり正確でない上にロマニ語と同じく民族に属してはいてもナーナイ語を話せない人も多く(『154.そして誰もいなくなった』参照)、言葉そのものの話者はわずか1000人から2000人くらいという報告もある。しかも全員がロシア語あるいは中国語とのバイリンガルで、日常生活に使っているのはむしろそちらの方であり、ナーナイ語を完全に流暢に話せるのは皆50から60歳以上だそうだ。とにかく非常な危機言語である。

 ナーナイ語を文字化する試みはすでに19世紀後半に正教の教会が行っている。布教のためだろう。1928年にはロシア語とラテン語アルファベットを用いた正書法が考案されたが、これが「統一北方アルファベット」Единый северный алфавит(ЕСА)の土台となった。「統一北方アルファベット」というのはソ連国内の北方少数民族の言語を共通のアルファベットで記述し、書き言葉化を推進するため考案された文字体系である。ラテン文字が基本になっている。どうもあまり普及はしなかったらしく、1933年ごろに改良されたЕСАでナーナイ語は再文字化されたりはしたのだが、1930年代後半にはナーナイ側のイニシアチブによりまたロシア文字をもとにしたナーナイ正書法になってしまったそうだ。確かに私が1980年代で見たナーナイ語の出版物でも皆ラテン文字でなくキリル文字が使ってあった。

1941年出版のナーナイ語で書かれた物語。キリル文字が使用されている。
https://e-lib.nsu.ru/reader/bookView.html?params=UmVzb3VyY2UtNjk0NQ/MDAwMDEから。

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内表紙はナーナイ語とロシア語併記。
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 正書法と同時に言語の研究そのものも進められた。ロシア・ソ連で研究論文もたくさん出ている。よく引用されるのが1959年に出たアヴローリン Аврорин, Валентин Александрович による文法書で、ナーナイ語関係の論文には頻繁にこの本が参考文献に掲げてある。言語的には上述のように満州語と近いのに、満州語は中国で、ナーナイ語はロシア・ソ連でとそれぞれ研究地が割れてしまっている感じなのは残念だが政治的には仕方のないことなのだろうか。とにかくちょっとナーナイ語と他のトゥングース語との「近さ」を見てみよう。トゥングース諸語はいわゆる膠着語で名詞の後ろに格マーカーがつく。日本語の「てにをは」と同じだ。格が語形変化のパラダイム自体にはなっていないわけだから格の数も学者によってばらつきが出るが、アヴローリンは主格、対格、具格、与格、処格、向格、奪格を区別している。偶然手元にあった1983年の『月刊言語』にエウェンキ語、ウイルタ語、満州語の資料が載っているので比べてみよう。ナーナイ語だけ単語が違っていて申し訳ない。
Tabelle1N
エウェンキ、ウイルタ、満州語のmooは「木」という意味である。ナーナイ語の ogda と giol はそれぞれ「ボート」と「オール」。キリル文字をラテン文字に直しておいた。格の数にも違いがあり、満州語には処格、向格がない。その代わり属格がある(ここには出していない)。エウェンキ、ウイルタ語にはさらにたくさんの格があるが(例えばウイルタ語には共格がある)、ここではナーナイ語にある格だけ比較した。それでも相似性は一目瞭然だ。主格は全言語でゼロマーカーとなっており、対格マーカーのそれぞれの-wa、-woo、-bə、 -wa 始め与格、処格など形態素がそっくりだ。またナーナイ語も含めたトゥングース語には母音調和、つまり母音間の共起制限があるため、例えば対格マーカーの-wa は単語によっては -we、与格の -du は -do、処格の -la は -lo で現れる。
 さらに上の「活用表」はいわば「単純系」で、これら格語尾の後ろにさらに人称語尾が付くことがあるそうだ。エウェンキ語では一人称単数-w、二人称単数 -s、三人称単数 -n、二人称複数 -sun、三人称複数 -tin、ウイルタ語では一人称単数 -bi、二人称単数 -si、三人称単数 -ni、二人称複数 -su、三人称複数 -či、満州語にはこの現象がないとのことだ。これを頭に置いてアヴローリンの挙げているナーナイ語の「ボート」と「オール」の主格の例を見てみよう。
Tabelle2N
「ボート」の主格が -i になるのが残念(?)だが、他はなんとウイルタ語そのものである。実際ウイルタ語はトゥングース諸語の中でナーナイ語と同じグループに属し、別グループのエウェンキ語、満州語より近いのだ。さてここで一人称複数をすっ飛ばしたのには理由がある。エウェンキ語ではここで除外形と包括形(『22.消された一人』参照)を区別するのだ:除外形 -wun, 包括形 -t。ウイルタ語にはこの区別がなく-puだけ。ナーナイ語も一人称複数は一つだけだが、これがまたウイルタ語とそっくりで、ogda-pu と giol-pu。またウイルタ語では単複ともに一人称では斜格で別形をとり、一人称単数 -wwee、一人称複数 -ppoo。これがナーナイ語ではそれぞれ-iwa、-powaとなるようで、「オール」で見ると一人称単数主格が giol-bi(上述)、 具格が giol-di-iwa、処格が giol-dola-iwaだ。一人称複数だと主格 giol-pu(上述)、具格 giol-di-powa、処格 giol-dola-powaで図式通り。時々音が変わったり削除されたりすることがあるが、まあそれは仕方がないだろう。「オール」の対格は giol-ba-iwa ではなく、giol-b-iwaである。
 二人称、三人称は主格と斜格の区別がないので、「ボート」、「オール」の二人称単数主格がそれぞれogda-si 、giol-si(上述)、対格は ogda-wa-si、giol-ba-si で人称表現の形態素が主格も斜格も同じになる。
 これらは名詞につく人称表現の形態素なので、人称代名詞と形が完全にイコールではなく、例えば名詞では人称表現をしない満州語も人称代名詞そのものはしっかり持っている。エウェンキ語の人称代名詞に除外と包括の区別があるのは上の事から推してもなるほどと思うが、名詞では人称を区別しない満州語も代名詞にはこの区別がある。名詞で区別しないウイルタ語やナーナイ語は代名詞にもこの区別がないが、まあそれはそうだろう。

 膠着語ということは名詞ばかりでなく動詞にも後ろにベタベタ助動詞や人称表現がくっ付く。例えば過去形は -xa(n)/-xə(n)/-ki(n)/-či(n) という形態素を動詞の後に付加して表わす。やたらと形の幅が広いのは上述のように母音の共起制限がある上、その母音に引っ張られて子音価が変わったり、後続する形態素の影響を受けたりするからである。

Mi  ǯok-či  ǯi-ǯu-j-či-jə-wə,  ama jama-wa tuliə-du xulə-xə-ni.
we + home-向 + arrive-再起-非過去-向-1単斜, father + pit-対 + yard-与 + dig-過去-3単

この例も以下の例もオスコリスカヤ Софья Алексеевна Оскольская という学者が挙げていたものだが、上で述べた人称形態素が現れているのがわかる(下線)。動詞をで示したがまあよくもここまでいろいろくっつくものだと感心する。でも日本語の動詞だって外からはこんな風に見えるにちがいない。-xəが過去マーカーだが(太字)、この文はアスペクト上ニュートラルで、不完了体・完了体のどちらにも解釈できるそうだ。

1.私が家に着いたら、父が(ちょうどその時)庭に穴を掘っていた。不完了体
2.私が家に着いて、父が(その後)庭に穴を掘った。       完了体

動作様相でいえば、前者が進行相、後者が起動相である。副文の動詞が非過去形になっているのが面白い。その非過去形は形態素 -j/-ri/-ǯi/-či を付加して表わすが(太字)、これも動詞によっては完了体・不完了体の両方のアスペクト解釈を許す。下の例では動詞に下線を引いておいた。

(母親がケータイで娘に「今何処にいるの?」と聞いたのに答えて)
 Mi škola-či ənə-j-i.
1単 + school-向 + go-非過去-1単
学校に行くとこよ!     不完了体(進行相)

ələə ələə ǯukə ənə-j
soon + soon + grandpa + go-非過去
今おじいさんが行くよ!   完了体(起動相)

いわゆる瞬間動詞の非過去形では完了体以外の解釈が非常にしにくいのはナーナイ語も日本語もロシア語も同じらしい。

Sagǯi daan’a bu-ǯi-ni.
old + grandma + die-非過去-3単

この文は「年取った祖母が直に死ぬ、今死ぬところだ」という完了体(起動相)解釈しか成り立たず、「年取った祖母が今死亡中」、つまり不完了体(進行相)のと受け取るのは不可能だ。
 解釈だけでなく、形の上でアスペクトを表わす形態素もいろいろある。機能的に日本語の助動詞「~いる」のようなものか。例えば -či/-so ~ -su/-si は不完了体表現。

Alosemǯi klass-či ii-wuči-ə-ni nuči guru-səl ele-se-xa-či.
teacher + class-与 + enter-分詞接続法2-斜-3単 + small + people-複 + stand-不完-過去-3複
先生が教室に入ったら、子供たちが立っていた。

Alosemǯi klass-či ii-wuči-ə-ni nuči guru-səl ele-xa-či.
teacher + class-与 + enter-分詞接続法2-斜-3単 + small + people-複 + stand-過去-3複
先生が教室に入ったら、子供たちが立った。

前者と後者の違いは動詞部に-seという形態素があるかないかだけだが、前者を「子供たちが立ち上がった」、後者を「子供たちは立っていた」と解釈することはできない。
 また -psin/-psiŋ という形態素は完了体(起動相)を表わす。

Ag-bi ičə-rə n’oani mora-psiŋ-ki-ni «Baače-go-a-pu».
elder brother-再帰単数 + see-分詞・同時 + she + shout-起動-過去-3単 + „Hello“
自分の兄を見て、彼女は「あら元気?!」と」叫んだ。

この起動相マーカーがないと進行形・不完了体の意味にしかならない。

Mi komnata-či ii-wuči-jə,
əjkə-i ak-či-jə mora-xa-ni.
I + room-向 + enter- 分詞接続法2,
elder sister-1単 + elder brother-与-再帰単数 + shout- 過去-3単


ここでは動詞(下線)に psiŋがついていないので、起動の意味にはならず、

私が部屋に入ったら、姉が兄に何か叫んでいた。(不完了体、進行相)

であって、

私が部屋に入ったら、姉が兄に何か叫んだ。叫び出した。(完了体、起動相)

とは受け取れない。
 これらの他にもアスペクトまたは動作様相を表わすマーカーがいろいろあるが、動詞の側にも特定のアスペクトマーカーをつけないと語としては成り立たないものがあるそうだ。反対に特定のアスペクトマーカーを付加できない動詞もある。

 こうしてみると形としてはいろいろな解釈を許すニュートラルな動詞にしてもマーカーにしても、それらが表わすのは「アスペクト」というより動作様相といったほうがいいかもしれないが、それをさらに抽象して完了・不完了の二項対立に持って行っているのがいかにもロシアの学者らしくて面白かった。それをふむふむ言いながら読んでいるうち本論とは別に語彙面でも面白いことに気づいた。ナーナイ語では日本語と同じくelder brotherや elder sisterを英独露語のようにバラさずに一つの単語で表わせるようだ。オスコリスカヤ氏の挙げた例の中に、əjkə (elder sister) 、ag (elder brother) (上述)、nəu (younger brother) などの語が見える。それぞれ日本語の「姉」「兄」「弟」みたいだ。英語やドイツ語で「兄」と「弟」が同単語になっていることに常々ムカついていたのでこれは本当に嬉しかった。「妹」はどういうのかと気になってアヴローリンの本を覗いてみたら younger brother が нэку- とある。オスコリスカヤ氏の nəu だが、そこに括弧で younger brother (sister) と注が入れてある。ということは自分より年が若いと性で区別しない、つまり「弟」と「妹」の区別がないということだろうか。
 もう一つ、ロシア語からの借用語が多いことに目がとまる。上述の例だけみてもすでに
jama(「穴、堀」)、 škola(「学校」)、 klass(「クラス、教室」)などの単語が見つかる。一目瞭然それぞれロシア語のяма、школа、класс からの借用だ。この調子だとロシア語からの借用語は相当多そうだ。中国領のナーナイ人は中国語からいろいろ取り入れているに違いない。

 最後に『デルス・ウザーラ』の原作者アルセーニエフのことに戻るが、その後夫人(黒澤の映画で描かれていた人だ)と離婚し、1919年にその「原因」となった女性と再婚した。ただし元の夫人や息子(これも映画に出てきた)の生活費・養育費などはきちんと払い続けている。アルセーニエフの死後、二番目の夫人は大粛清の煽りを受け反革命分子として1938年に銃殺された。1920年に生まれた娘も収容所に送られたり大変な目に遭ったらしい。アルセーニエフ自身の親戚たちも既に大粛清以前に革命のごたごたでほとんど命を落としている。時代の波を被って破滅したのはデルス・ウザーラだけではなかったのだ。

黒澤明の『デルス・ウザーラ』は最近ブルーレイがでたようだが、レビューを見ると音声も画質もあまりよくないようだ。
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