アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ:語学 > コーカサスの言語

 少し前まではコーカサスやシベリア諸民族の言語をやるにはロシア語が不可欠だった。文献がロシア語で書いてあったからだ。今はもう論文なども英語になってきてしまっているのでロシア語が読めなくても大丈夫だろう。残念といえば残念である。別に英語が嫌いというわけではないのだが、何語であれ一言語ヘゲモニー状態には私は「便利だから」などと手放しでは喜べない。どうしても思考の幅が狭まるからだ。
 そのコーカサス地方の言語、タバサラン語についてちょっと面白い話を小耳にはさんだことがある。

 タバサラン語では「本」のことを kitab と言うそうだ。アラビア語起源なのが明らかではないか。よりによってこの kitab、あるいは子音連続 K-T-B は、私が馬鹿の一つ覚えで知っている唯一のアラビア語なのである。イスラム教とともにこの言語に借用されたのだろう。
 そこで気になったので、現在イスラム教の民族の言語で「本」を何というのかちょっと調べてみた。家に落ちていた辞書だのネットの(無料)オンライン辞書だのをめくら滅法引きまくっただけなので、ハズしているところがあるかも知れない。専門家の方がいたらご指摘いただけるとありがたい。その言語の文字で表記したほうがいいのかもしれないが、それだと不統一だし読めないものもあるのでローマ字表記にした。言語名のあとに所属語族、または語群を記した。何も記していない言語は所属語族や語群が不明のものである。「語族」と「語群」はどう違うのかというのが実は一筋縄ではいかない問題なのだが、「語族」というのは異なる言語の単語間に例外なしの音韻対応が見いだせる場合、その言語はどちらも一つの共通な祖語から発展してきたものとみなし、同一語族とするもの。この音韻対応というのは比較言語学の厳密な規則に従って導き出されるもので、単に単語が(ちょっと)似ているだけですぐ「同族言語ダー」と言い出すことは現に慎まなければいけない。時々そういうことをすぐ言い出す人がいるのは困ったものだ。現在同一語族ということが科学的に証明されているのは事実上印欧語族とセム語族だけだといっていい。そこまで厳密な証明ができていない言語は「語群」としてまとめる。もちろんまとめるからにはまとめるだけの理由があるのでこれもちょっと似た点が見つかったからと言ってフィーリングで「語群」を想定することはできない。「テュルク語」については「語族」でいいじゃないかとも思うのだが、逆に似すぎていて語族と言うより一言語じゃないかよこれ、とでも思われたのか「テュルク語族」とは言わずに「テュルク諸語」と呼んでいる。
 話が飛んで失礼。さて「本」をイスラム教国の言葉でなんというか。基本的に男性単数形を示す。
NEU07-Tabelle1
 このようにアラビア語の単語が実に幅広い語族・地域の言語に取り入れられていることがわかる。アラビア語から直接でなく一旦ペルシャ語を経由して取り入れた場合も少なくないようだが。例外はアルバニア語とボスニア語。前者は明らかにロマンス語からの借用、後者はこの言語本来の、つまりスラブ語本来の語だ。ここの民族がイスラム化したのが新しいので、言語までは影響されなかったのではないだろうか。ンドネシア語の buku は英語からの借用だと思うが、kitab という言葉もちゃんと使われている。pustaka は下で述べるように明らかにサンスクリットからの借用。インドネシア語はイスラム教が普及する(ずっと)以前にサンスクリットの波をかぶったのでその名残り。つまり pustaka は「本」を表わす3語のうちで最も古い層だろう。単語が三つ巴構造になっている。しかも調べてみるとインドネシア語には kitab と別に Alkitab という語が存在する。これは Al-kitab と分析でき、Al はアラビア語の冠詞だからいわば The-Book という泥つきというか The つきのままで借用したものだ。その Alkitab とは「聖書」という意味である。クルド語の pertuk は古アルメニア語 prtu(「紙」「葦」)からの借用だそうだがそれ以上の語源はわからない。とにかくサンスクリットの pustaka ではない。

 面白いからもっと見てみよう。「アフロ・アジア語群」というのは昔「セム・ハム語族」と呼ばれていたグループだ。アラビア語を擁するセム語の方は上でも述べたように「語族」といっていいだろうが、ハム語のほうは「族」という言葉を使っていいのかどうか個人的にちょっと「?」がつくので、現在の名称「アフロ・アジア語」のほうも「族」でなく「群」扱いしておいた。
NEU07-Tabelle2
イスラム教徒が乗り出していった地域で話されていたアフリカのスワヒリ語は「イスラム教の民族の言語」とは言いきれないのだが、「本」という文化語をアラビア語から取り入れているのがわかる。ハウサ語の「本」は形がかけ離れているので最初関係ないのかと思ったが、教えてくれた人がいて、これも「ごく早い時期に」アラビア語から借用したものなのだそうだ。ハウサ語の f は英語やドイツ語の f とは違って、日本語の「ふ」と同じく両唇摩擦音だそうだから、アラビア語bが f になったのかもしれないが、それにしても形が違いすぎる。「ごく早い時期」がいつなのかちょっとわからないのだが、ひょっとしたらイスラム教以前にすでにアラビア語と接触でもしていたのか、第三の言語を仲介したかもしれない。ソマリ語にはもう一つ buug という「本」があるが、インドネシア語の buku と同様英語からの借用である。

 インドの他の言語は次のようになる。
NEU07-Tabelle3
最後に挙げたインド南部のタミル語以外は印欧語族・インド・イラン語派で、冒頭にあげたペルシア語、ウルドゥ語、パシュトー語と言語的に非常に近い(印欧語族、インド・イラン語派)がサンスクリット形の「本」が主流だ。ベンガル語 pustok もヒンディー語 pustak もサンスクリットの pustaka 起源。ただ両言語の地域北インドは現在ではヒンドゥ―教だが、ムガル帝国の支配下にあった時期が長いのでアラビア語系の「本」も使われているのはうなづける。これは直接アラビア語から借用したのではなく、ペルシャ語を通したもの。またベンガル語の boi は英語からの借用かと思ったらサンスクリットの vahikā (「日記、帳簿」)から来ている古い語だそうだ。
 インドも南に下るとイスラム教の影響が薄れるらしく、アラビア語形が出てこなくなる。シンハラ語は仏教地域。これら印欧語はサンスクリットから「本」という語を「取り入れた」のではなく、本来の語を引き続き使っているに過ぎない。それに対してタミル語、テルグ語、マラヤラム語は印欧語ではないから、印欧語族のサンスクリットから借用したのだ。これらの言語はヒンドゥー教あるいは仏教地域である。
 とにかく言語の語彙と言うのは階層構造をなしていることがわかる。上のインドネシア語の pustaka も後にイスラム教を受け入れたのでアラビア語系の語に取って代わられたが消滅はしていない。もっともバリ島など、今もヒンドゥー教地域は残っている。そういうヒンドゥー地域では kitab は使わないのかもしれない。
 「本」を直接アラビア語からでなくペルシャ語を通して受け入れた言語も多いようだが、ではイスラム以前のペルシャ語では「本」を何といっていたのか。中期ペルシャ語(パフラヴィー語)を見ると「本」を表す語が3つあったらしい。mādayān、nāmag、nibēg の3語で、なるほどアラビア語とは関係ないようだ。本来のイラニアン語派の語だろう。 mādayān は古アルメニア語に借用され(matean、「本」)、そこからまた古ジョージア語に輸出(?)されている(maṭiane、「本、物語」)。nāmag も namak (「字」)としてやっぱり古アルメニア語に引き継がれたし、そもそも現代ペルシャ語にもnāme として残っている。「字」という意味の他に合成語に使われて「本」を表す: filmnâme(「脚本」)。最後の nibēg も nebiという形で現代ペルシャ語に細々と残っており「廃れた形」ではあるが「経典」「本」。昔はこの語でコーランを表していたそうだ。

 ではそのアルメニア語やジョージア語では現在どうなっているのか。これらの言語はタバサラン語のすぐ隣、つまりコーカサスで話されているが、キリスト教民族である。アラビア語とは見事に無関係だ。
NEU07-Tabelle4
アルメニア語の matyan は上述の古ペルシャ語 mādayān の子孫で、主流ではなくなったようだが、「雑誌」「原稿」「本」など意味が多様化してまだ存命(?)だ。ジョージア語でも maṭiane(「聖人伝」)として意味を変えたが単語としては生き残っている。girk、cigni がアルメニア語、ジョージア語本来の言葉。オセチア語の činyg は古い東スラブ語の kŭniga からの借用だそうだ。道理で現在のスラブ諸語と形がそっくりだ(下記)。オセチア語と上にあげたイスラム教のタジク語は同じ印欧語のイラニアン語派だし話されている地域も互いにごく近いのに語彙が明確に違っているのが非常に面白い。しかしそのタジク語にも上記中世ペルシャ語の nāmag に対応する noma(「字」)という言葉が存在する。

 また次の言語はセム語族で、言語的には本家アラビア語と近いのに「本」を kitab と言わない。アムハラ・エチオピア民族はキリスト教国だったし、ヘブライ語はもちろんユダヤ教。
NEU07-Tabelle5
 アムハラ語はもちろんゲエズ語からの引継ぎだが、後者はヨーロッパのラテン語と同じく死語なので、本当の音価はわからない。ゲエズ文字をアムハラ語で読んでいるわけだから音形が全く同じになるのは当然と言えば当然だ。アムハラ語もゲエズ語もさすがセム語族だけあって「語幹は3子音からなる」という原則を保持している。これもアラビア語と同様 m- の部分は語幹には属さない接頭辞だから差し引くと、この語の語幹は ṣ-h-f となる。その語幹の動詞 ṣäḥäfä は「書く」。このゲエズ語の「本」はアラビア語に maṣḥaf という形で借用され、「本」「写本」という意味で使われている。アラビア語の方が借用したとはまた凄いが、それどころではなく、ヘブライ語までこのゲエズ語を輸入している。ヘブライ語には「聖書の写本」を表す mitskháf  という単語があるが、これは mäṣḥäf の借用だそうだ。なおゲエズ語の動詞の ṣäḥäfä は古典アラビア語の ṣaḵafa に対応していると考えられるが、後者は「書く」でなく「地面を掘る」という意味だそうだ。は? 
 ヘブライ語の sefer(語根はs-f-r、f は本来帯気の p だそうだ)はアッカド語の時代から続く古い古いセム語の単語で、アラビア語にもその親戚語 sifr という「本」を表す語が存在する。ただ使用範囲が限定されているようだ。
 逆にヘブライ語には katáv(「書く」)あるいは ktivá(「書くこと」)という語もある。一目瞭然、アラビア語の k-t-b と対応する形だ。「本」という意味はないようだが、とにかく単語自体はアラビア語、ヘブライ語どちらにも存在し、そのどちらがメインで「本」という意味を担っているかの程度に違いがあるだけだ。
 
 それにしても「本」などという文化語は時代が相当下ってからでないと生じないはずだ。本が存在するためにはまず文字が発明されていなければいけないからだ。当該言語が文字を持っていなかったら(文字のない言語など特に昔はゴロゴロあった)本もへったくれもない。だから当時の「先進国」から本という実体が入ってきたのと同時にそれを表す言葉も取り入れたことが多かったのだろう。普通「その国にないもの」が導入される時は外来語をそのまま使う。日本語の「パン」「ガラス」などいい例だ。
 言い換えると「本」という語は宗教と共にということもあるが文字文化と共に輸入されたという側面も大きいに違いない。イスラム教が来る以前にすでにローマ文化やラテン語と接していたアルバニア、グラゴール文字、キリル文字、ラテン文字など、文字文化にふれていたボスニアで、「本」がアラビア語にとって変わられなかったのもそれで説明できる。そういえばバルカン半島に文字が広まったのはキリスト教宣教と共にで、9世紀のことだ。イスラム教はすでに世界を席捲していたが、バルカン半島にイスラム教が入ってきたのはトルコ経由で14世紀になってからだ。当地にはとっくに書き言葉の文化が確立されていた。
 アルメニア語、ジョージア語、アムハラ語(ゲーズ語)も古い文字の伝統があって、独自の文字を発達させていた。ヘブライ語やサンスクリット、タミル語は言わずもがな、イスラム教どころかキリスト教が発生する何百年も前から文字が存在した。外来語に対する抵抗力があったのだろう。

 まとめてみるとこうなる。イスラムの台頭とともにアラビア語の「本」という語が当地の言語に語族の如何を問わずブワーッと広まった。特にそれまで文字文化を持っていなかった民族言語は何の抵抗もなく受け入れた。
 すでに文字文化を持っていた言語はちょっと様子が違い、イスラム以前からの語が引き続き使われたか、アラビア語の「本」を取り入れたのしても昔からの語は生き残った。ただその際意味変化するか、使用範囲が狭くなった。
 イスラム教の波を被らなかった民族の言語はアラビア語系の語を取り入れなかった。
 その一方、初期イスラム教のインパクトがどれほど強かったのか改めて見せつけられる思いだ。千年にわたる文字文化を誇っていたペルシャ語、サンスクリットという二大印欧語を敵に回して(?)一歩も引かず、本来の語、mādayān などを四散させてしまった。その際ペルシャ語は文字までアラビア文字に転換した。もっともそれまで使っていたパフラヴィ―文字はアラム文字系統だったからアラビア文字への転換は別に画期的と言えるほどではなかっただろうが、その侵略された(?)ペルシャ語は外来のアラビア語をさらに増幅して広める助けまでしたのだ。ペルシャ語のこのアンプ作用がなかったら中央アジアにまではアラビア語形は浸透しなかったかもしれない。
 ボスニア、アルバニアはずっと時代が下ってからだったから語が転換せずに済んだのだろう。

 実はなんとベラルーシ語にもこのアラビア語起源の кітаб (kitab)言う語が存在する。「本」一般ではなくイスラム教の宗教書のことだが、これはベラルーシ語がリプカ・タタール人によってアラビア文字で表記されていた時代の名残である。このアラビア語表記は16世紀ごろから20世紀に入るまで使われていた。そのころはトルコ語もアラビア文字表記されていて、現在のラテン語表記になったのはやはり20世紀初頭だ。
 このリプカ・タタール人というのはベラルーシばかりでなく、ポーランドやリトアニアにもいる。私がヨーロッパ系のポーランド人から自国内のリプカ・タタール人(国籍としてはポーランド人)と間違われたことは以前にも書いた通りだ。自慢にもならないが。

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 世界には狭い地域に言語がたくさん集中している地域がある。アマゾン流域(狭くないが)やパプア・ニューギニアなどが有名だが、カスピ海と黒海の間のコーカサス地方も昔から有名だ。すでに紀元前7世紀にはギリシャ人が当地の言語の多さを報告しているとのことだ。その後ローマ人やペルシャ人による報告が続き、勘定された言語数は70から300の間を動いていたそうだが、現在では40から50くらい言語という線に落ち着いている。「くらい」というのはもちろん独立言語と方言の区別(『111.方言か独立言語か』参照)が学者によって違うからだ。100の単位で言語があるアマゾンやニューギニアと比べたら少ないが、そのかわりここは本当に地域が狭い。
 コーカサスには土着のいわゆる「コーカサスの言語」とともに印欧語のアルメニア語やオセチア語、トュルク語のアゼルバイジャン語なども話されているが、これらは後からこの地に入ってきたものらしい。さらにアラム語の方言(言わずと知れたセム語である)を話す人々がジョージアやアゼルバイジャンにいるそうだ。シリアからでも移住してきたのだろうか。オセチア語はスキタイ語の末裔という説がある。東イラニアン語族である。『164.Лишний человек(余計者)とは何か』で述べたレールモントフの『現代の英雄』も舞台がコーカサスだが、そこではオセチア人もチェルケス人もアゼルバイジャン人も一律に「アジア人め」と罵倒されている。
 土着のコーカサスの言語は印欧語やセム語、テュルク諸語と明確に異なる能格言語だが、大きく分けて3つのグループに分類できる。アブハズ・アディゲ語群、カルトヴェリ語群、ナフ・ダゲスタン語群という。これらはそれぞれ北西コーカサス語群(または単に「西コーカサス語群」)、南コーカサス語族、北東コーカサス語族(または「東コーカサス語群」)と呼ばれることもあるが、この呼び方はむしろ不適切。そもそもこれらの言語があくまで「語群」であり、印欧語レベルの正確さでは「語族証明」ができていない。それでもグループ内の言語同士でなら語彙や文法構造などにある程度の共通性が見られるそうだが、グループ間では差異が激しく、これを単に「コーカサス語群」としていっしょくたにするのは無理がある。昔言われたウラル・アルタイ語群という名称のごとく非常に誤解を招きやすい。
 さらにややこしいのが、この「コーカサスの言語」の話者がコーカサス外にも結構いることである。中東やトルコのあちこちに結構散らばっており、バルカン地域にまで話者がいるそうだ。おかげで話者数の把握がいま一つ難しい。そのうちの一つ、トルコで話されていたウビフ語(アブハズ・アディゲ語群)は現在は残念ながら死語になってしまった。

コーカサスの言語状況。ウィキペディアから
cau-ethnic-groups-4

 3つの中で一番研究が進んでいるのは大言語のジョージア語(グルジア語、『51.無視された大発見』参照)を含むカルトヴェリ語群で、研究が進んでいるどころか、現在でもコーカサスの言語の研究書がジョージア語で書かれている、つまり研究する側の言語でもある。歴史的に見てもジョージア語、特にその文字は文化語として周りのコーカサス語群にも影響を与え、例えばナフ・ダゲスタン語群のウディ語は7世紀から9世紀にかけてすでに文字化の試みがあるがジョージア文字とアルメニア文字を取り入れている。さらにチェチェン語も12世紀~15世紀にかけてキリスト教とともに(当時はチェチェン人もキリスト教徒だったということか)ジョージア文字、ジョージア語を書き言葉として受け入れたので、こんにちでもダゲスタンにはジョージア語の碑文が約50残っている。
 現在ジョージア語だけで話者400万人から500万人いるが(他にもカルトヴェリ語群には十万単位の話者がいる言語がある)、話者数だけでなく歴史文化的にも上でも述べたように他の言語に影響を与えた大言語だから、もちろん自分の言語も立派に文字化していてすでに5世紀から碑文があり、通時的研究や古い形の再現が可、ということは共時的な方言研究にも利がある上、書き言葉の伝統があるのですでに古い昔から自語の研究そのものも進んでいた。19世紀になって西欧から比較言語学者が参入してきた時もしばらくは主たる関心がジョージア語だった。
 19世紀の後半から20世紀前半になると言語の記述研究が盛んになり、 他の2言語群の記述も始まったが、アブハズ・アディゲ語群の方が進んでいる。上のレールモントフにも出てきたチェルケス人の言語もこのグループだが、これらの言語は母音音素が少ないので有名だ。例えばアブハズ語の母音音素は a と ǝ の二つ。音声上現れるその他の母音は皆このどちらかのアロフォンなんだそうだ。他の言語も皆似たり寄ったりで多くて3母音。その代わり子音音素がやたらと多く、ウビフ語(上述)は少なくとも80,アブハズ語の一方言では67の子音音素があるという、ちょっと信じがたい強烈な音韻構造である。話者数は最も多いカバルド語(東チェルケス語)で100万人ちょっと(別の資料では約70万人。どっちなんだ?!)、あと十万単位の話者を持つ言語が2・3あるがカルトヴェリ語群と比べるといかにも少数言語っぽい感が否めない。
 ナフ・ダゲスタン語群はアブハズ・アディゲ語群よりさらに記述研究がやや遅れをとっているらしい。これは第一にナフ・ダゲスタン語群の言語数が多い上に方言間の乖離が激しく方言か独立言語か決めるのが難しいのも原因だろう。チェチェン語など話者数が100万に届こうかという言語もあるが、話者数万、いや数千という言語がやたらとバラバラあって把握に苦労する。この時期にトゥルベツコイもコーカサスの言語の音韻構造の記述研究に手を染めている(『134.トゥルベツコイの印欧語』)。研究プロジェクトなどもソ連内外でいろいろ立ち上がったそうで、例えばモスクワのロモノソフ大学が60年代から70年代にかけてダゲスタンの言語のフィールド調査を行っている。
 このブログでも今まで何の気なしにコーカサスの言語についてチョチョッと述べたりしたことがあるが、ジョージア語以外に名前を出した、チェチェン語(『53.アラビア語の宝石』)、タバサラン語(『107.二つのコピュラ』『7.「本」はどこから来たか』などは別に意図したわけではないが 偶然このナフ・ダゲスタン語群だ。そういえばこの「ダゲスタン語」でちょっと思い出した。学生の時にロシア語学の演習でA. Кибрик(A. Kibrik)という人の論文を読まさせられた。テーマは指示対象の照応関係のことかなんか、つまり言語理論系の論文だったのだが、その時何の気なしにカタログでA. Кибрикの名前を検索したところこの名前でダゲスタンの言語について多くの論文が発表されていることがわかった。一方ではダゲスタンの言語、他方ではロシア語の指示対象照応とはまた研究範囲の広い人だと驚いたら実はダゲスタン言語のキブリーク氏は指示対象キブリーク氏の父親だった。ダゲスタン氏はアレクサンドル・キブリーク、指示対象氏はアンドレイ・キブリークという。もちろんダゲスタン氏も言語理論の論文は書いているが、記述系と説明系・生成系では同じ「理論」でも分野が全く違う。ついでにダゲスタン氏の父、指示対象氏の祖父は有名な芸術家だそうだ。文化人一家である。上述のロモノソフ大学のプロジェクト要員にもキブリークの名前が上がっている。

 そのナフ・ダゲスタン語群だが、上にも書いたように内部で結構言語がバラけている上、ナフ・ダゲスタンとダブルネームになっているだけあってナフ語群とダゲスタン語群の間にはさらに一線あるそうだ。アヴァール語などには古い試みもあるらしいが本格的な文字化はやはり20世紀になってからで、1928年からラテン文字による文字化が試みられた。それが1936年から38年にかけてキリル文字にとってかわられた。チェチェン語、イングーシ語、アヴァール語などその際「標準語化」もなされたという。なお、念のため補足しておくがここの「アヴァール語」というのは民族・言語的に昔ロシアにステップから攻め込んできたアヴァール人(『165.シルクロードの印欧語』参照)とは別人28号(こんなギャグを知っている方まだいますか?)である。
 音韻構成が気になるが、 ナフ・ダゲスタン語群はアブハズ・アディゲ語群と比べると母音の数が多い。アヴァール語の一方言では3つ、a、i、u で(コザソフКодзасовという学者はa、i、u、e、oの5つと言っている)、この3つはナフ・ダゲスタン語群の全ての言語にあるが、普通はこれよりずっと母音音素が多い、特にナフ語群は多くチェチェン語で33。平均すると10から15の母音音素がある。3から急に増えるのは短母音と長母音を区別したり、二重母音を持っていたりする言語があるからだ。「母音が10」でも私などには十分多いが、それに加えてアブハズ・アディゲ語群ほどではないが子音も多い。アグール語で73,チェチェン語で40から50,タバサラン語が55以上。困ったことにこれらの数字は資料や学者によって少なからぬバラツキがあり、あまりキッパリとした数値ではないのだがとにかく「子音が多い」ことだけは確かである。これは例えば閉鎖音でいわゆるfortis、lenisを音韻的に区別したり放出音があったりするせいだ。声門、咽頭音もある。流音が6つある言語もあるそうで、日本人に喧嘩を売っているとしか思えない。

アグール語2方言の音素。子音がやたらと多い。А.Е. Кибрик и С. В. Кодзасов, 1990. Сопоставительное изучение дагестанских языков  Имя.Фонетика. p.338, 339から
agur1
agur2
 アクセントについてはキブリークがダゲスタンの言語の過半数が高低アクセントを持っていると書いている。残念ながらその高低アクセントが日本語のように超分節なものか中国語のようなシラブル内のものか明確に区別されていない。そしてシラブル単位の高低アクセントを持つ言語は少数の例外を覗いてсловесное ударение(「語アクセント」)を欠くとあるのだが、これは単語ごとに決まった強弱アクセントのことだろうか。その例外の中にアヴァール語が入っているが、そこでは高低を区別するのはアクセントのある母音のみだそうだ。つまりちょうどクロアチア語のような感じなのだろう。そのアヴァール語にはアクセントの違いだけで意味(というより文法機能)が変わる例がある:rúġnal「傷、複数・絶対格」対 ruġnál「同単数・属格」。似たような例はなぜかロシア語やクロアチア語にもあった(『58.語学書は強姦魔』『90.ちょっと、そこの人!』参照)。

 さらにナフ・ダゲスタン語群は音素も多いが名詞の語形も多い。ここばかりでなくアブハズ・アディゲもカルトヴェリも日本語やトルコ語に似た膠着語タイプで、名詞の尻尾に複数マーカーや格マーカーがくっつくのが基本だが、屈折タイプの変化がないわけではない。チェチェン語で「風」の絶対格は muoχ だが、属格になると meχ-in で 、属格を示す接尾辞がついているほかに語幹の母音が交替しているのがわかる。同様にアヴァール語の「豆」holó の能格形は halí-cā という。
 このグループの言語の格の数であるが、以前にも述べたようにタバサラン語で62(別の資料では48)、もっともチョロいアグール語で28。たかがドイツ語の4格で死にそうになっている人にとっては命の危険さえありそうだが、これはドイツ語では前置詞が担っているような機能を全て格変化が受け持つからだ。日本語だって格を勘定すれば13くらいにはなる。だが一方それでも13にしかならないから諸事情を差し引いてもやっぱり40以上の格というのは割と恐怖である。特に処格、つまり位置関係を表わす格がいくつかのグループに分けられ、それぞれのグループがまた細分化するので格数が何倍にも増殖する。例えばラク語では名詞に というマーカーがつくと「対象物の裏側」という意味になるが、この「裏側」(以下太字)にさらに細かい空間表現が加わる;q̅at̅lu が基本の「家の後ろ(で)」、q̅at̅lu-un とそこにさらに格マーカー(下線)がつくと「家の後ろへ」、q̅at̅lu-unmaj と別の格マーカーがついて「家の後ろへ向かって」、q̅at̅lu- だと「家の後ろをわきを通り過ぎて」、q̅at̅lu-a(tu) で「家の後ろから(こちらへ)」。これらがいわばグループだが、同じことが別のグループでも繰り返される。別のグル―プ-w (以下太字)を見てみよう。これは「対象物の内部」を表わすグループだ。まず q̅at̅lu-w-u が基本形の「家の中(で)」。 と比べると母音 u が加わってはいるが、 の基本形と構造的に対応している。さらに q̅at̅lu-w-un 「家の中へ」、 q̅at̅lu-w-unmaj「家の中へ向かって」、q̅at̅lu-w-「家の中を通り過ぎて」、q̅at̅lu-w-a(tu)「家の中から」という風に上と全く同じ格マーカーがつく(下線)。整然とした非常に美しい構造だ。タバサラン語も同じようなメカニズムである。ここで あるいは -w-un-unmaj-uχ-a(tu) をそれぞれ別の格と見れば画数は2+4=6,もしく基本形を「ゼロ形態素が加わったもの」とみなして2+5=7だが、合体した形、例えば -χ-un を一つの格と見れば2×5=10格を区別しないといけない。この場合はゼロ形態素を必ず認める必要がある。そしてこの「グループ」は二つだけではないから足し算と掛け算の差はもっと広まるだろう。格数の報告に揺れがあるのはそんなことも原因だと思う。
 処格が膨大過ぎるからか、ナフ・ダゲスタン語群の文法記述では「格」そのものを基本格(または文法格)と処格とに分けて考えているが、その「普通の」格、基本格には、絶対格、能格、与格、属格、さらに言語によっては具格などが加わる。他にもいろいろバラバラと基本格と処格の中間的な格があるそうだがこの際すっ飛ばして、基本格だけちょっと見てみると面白い現象がある。元になる語幹が二つあることだ。上で述べた比較的性格が温厚な(?)アグール語の基本格を見てみよう。
Tabelle1-169
まず第一次的には絶対格と能格の区別が格変化の出発点になっていることがわかる。その他の格の形は皆能格を基礎にしてそこにさらに接尾辞(太字)を加えて形造られたものだ。これがどうして面白いかというと、『65.主格と対格は特別扱い』で述べたロマニ語の格パラダイムと並行しているからだ。ただしロマニ語は印欧語なので第一次の分岐が絶対格対能格でなく主格隊対格で、対格以外の斜格が対格を出発点にしている点が違っている。前に出したロマニ語の例から単数の主・対・与・属格を繰り返してみる。属格は披修飾名詞が男性単数の場合の形だけ挙げた。
Tabelle2-169
格パラダイムの二重構造が鮮明だ。もちろんダゲスタンの言語とロマニ語では系統が全く違うからこれは単なる他人の空似ではあろう。しかし偶然は偶然としても気にはなる。
 このアグール語の例はマゴメドフという人の報告だが、前述の父キブリークはアグール語の一方言がgag → gagá (能格)というパラダイムを持っていると報告している。元の形 gag が主格と呼ばれているが、これは絶対格のことなのか、それともジョージア語のように主格と絶対格が併用されているのか。さらにタバサラン語の一方言に gagá→ gagá-ji(能格)というそっくりな形があるそうで、非常に面白い。

キブリークの挙げているダルギン語の格の説明では「絶対格」でなく「主格」номинативといっている。А.Е. Кибрик и С. В. Кодзасов, 1990. Сопоставительное изучение дагестанских языков  Имя.Фонетика. p.283から
nominativ-bearbeitet

 能格については前にもいくつか言語の例をあげたが(『51.無視された大発見』参照)、さらにちょっとアヴァール語を見てみよう。

wac̄as̄  χur bekḷana
brother-Erg.Sg + field-Abs.Sg. + plow-Past
兄(弟)が畑を耕した

dic̅a wac̅  wec̅ula
I-Erg. + brother-Abs.Sg. + praise-Pres.
私が兄(弟)を褒める

「耕す」も「褒める」も他動詞だが、「兄」が前者では主語、後者では目的語である。主語が能格、目的語が接尾辞なしの絶対格形になっているのがわかる。これだと主格と対格みたいだが、自動詞と比べてみると能格性がはっきりする。

dun wuq̅̇ula
I-Abs. + sink.Pres.
私がどっかり倒れこむ。

ここでも「私」は主語だが動詞が自動詞なので他動詞「褒める」の場合とは格が違い、絶対格をとっている。他動詞の主語なら能格だ。「私」は名詞でなく代名詞なので語形変化のメカニズムがやや異なっている。また英語の break のように同じ動詞が他動詞であったり自動詞であったりすることがあるが、その場合もきれいな能格構造になる。

dic̅a ġweṭ bekana
I-Erg. +  tree-Abs.Sg. + break-Past.
私が木を折った。

ġweṭ bekana
tree-Abs.Sg. + break-Past.
木が折れた。

つまり「折る」と「折れる」の違いだが、「折れる」の主語が「折る」の目的語と同じ格をとるのだ。

 もう一つ気になるのが文法上の性の数だが、アグール語など性を区別しない言語もあるが、たいていは2つから(タバサラン語の北方方言)8つ(ナフ語群)の文法性を区別する。アヴァール語は3つ、ラク語は4つ、チェチェン語は6つとなっている。だから「性」というより名詞の「クラス」または「カテゴリー」と呼ばれる。動詞や形容詞がそれに応じて呼応するのだ。一番多いのが文法性が4つあるパターンだそうだ。男性、女性、生物と特定の物質、その他という4つのカテゴリーである。ヒナルーグ語もこのパターンだが、「男」「少年」などが「男性」、「女」「娘」などが「女性」、「鶏」「蛇」が第三の 「生物と特定の物質」なのはわかるが、なぜか「橋」もここのクラスに入っている。「その他」には「仕事」「石」「眼」という雑多な名詞が属している。
 ところでこの4つの名詞性というのは以前見たブルシャスキー語(『144.カラコルム・ハイウェイ』)もそうで、上のロマニ語との並行性は偶然としか考えられないが、ブルシャスキー語との類似性の方は完全にシカトもできないのではないだろうか。ブルシャスキー語も能格言語だし、しかも絶対核の語尾はゼロ、能格には -e がついて上述のキブリーク報告のアグール語と形がよく似ている。
 またダゲスタンの言語は一人称複数の代名詞に包括的 inclusiveと除外的 exclusive(『22.消された一人』参照)を区別する:アヴァール語でni(包括)対 niž(除外)、タバサラン語で ixu あるいは uxu(包括)対 iču あるいは uču(包括)など。

 とにかく言語的には本当に面白い地域で、いくら大詩人のレールモントフだからと言ってこれらの言語を話す人々を簡単に「アジア人め」の一言で片づけて欲しくない。

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記事の図表を画像に変更し、レイアウトと文章にも少し手を入れました。ロシア語学をやらされていると何かのついでにコーカサスやシベリアの少数言語の話が出てくることがあります。そういえばトゥルベツコイも博士論文はカレワラの研究だった記憶が…

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 世界には狭い地域に言語がたくさん集中している地域がある。アマゾン流域(狭くないが)やパプア・ニューギニアなどが有名だが、カスピ海と黒海の間のコーカサス地方も昔から有名だ。すでに紀元前7世紀にはギリシャ人が当地の言語の多さを報告しているとのことだ。その後ローマ人やペルシャ人による報告が続き、勘定された言語数は70から300の間を動いていたそうだが、現在では40から50くらい言語という線に落ち着いている。「くらい」というのはもちろん独立言語と方言の区別(『111.方言か独立言語か』参照)が学者によって違うからだ。100の単位で言語があるアマゾンやニューギニアと比べたら少ないが、そのかわりここは本当に地域が狭い。
 コーカサスには土着のいわゆる「コーカサスの言語」とともに印欧語のアルメニア語やオセチア語、トュルク語のアゼルバイジャン語なども話されているが、これらは後からこの地に入ってきたものらしい。さらにアラム語の方言(言わずと知れたセム語である)を話す人々がジョージアやアゼルバイジャンにいるそうだ。シリアからでも移住してきたのだろうか。オセチア語はスキタイ語の末裔という説がある。東イラニアン語族である。『164.Лишний человек(余計者)とは何か』で述べたレールモントフの『現代の英雄』も舞台がコーカサスだが、そこではオセチア人もチェルケス人もアゼルバイジャン人も一律に「アジア人め」と罵倒されている。
 土着のコーカサスの言語は印欧語やセム語、テュルク諸語と明確に異なる能格言語だが、大きく分けて3つのグループに分類できる。アブハズ・アディゲ語群、カルトヴェリ語群、ナフ・ダゲスタン語群という。これらはそれぞれ北西コーカサス語群(または単に「西コーカサス語群」)、南コーカサス語族、北東コーカサス語族(または「東コーカサス語群」)と呼ばれることもあるが、この呼び方はむしろ不適切。そもそもこれらの言語があくまで「語群」であり、印欧語レベルの正確さでは「語族証明」ができていない。それでもグループ内の言語同士でなら語彙や文法構造などにある程度の共通性が見られるそうだが、グループ間では差異が激しく、これを単に「コーカサス語群」としていっしょくたにするのは無理がある。昔言われたウラル・アルタイ語群という名称のごとく非常に誤解を招きやすい。
 さらにややこしいのが、この「コーカサスの言語」の話者がコーカサス外にも結構いることである。中東やトルコのあちこちに結構散らばっており、バルカン地域にまで話者がいるそうだ。おかげで話者数の把握がいま一つ難しい。そのうちの一つ、トルコで話されていたウビフ語(アブハズ・アディゲ語群)は現在は残念ながら死語になってしまった。

コーカサスの言語状況。ウィキペディアから
cau-ethnic-groups-4

 3つの中で一番研究が進んでいるのは大言語のジョージア語(グルジア語、『51.無視された大発見』参照)を含むカルトヴェリ語群で、研究が進んでいるどころか、現在でもコーカサスの言語の研究書がジョージア語で書かれている、つまり研究する側の言語でもある。歴史的に見てもジョージア語、特にその文字は文化語として周りのコーカサス語群にも影響を与え、例えばナフ・ダゲスタン語群のウディ語は7世紀から9世紀にかけてすでに文字化の試みがあるがジョージア文字とアルメニア文字を取り入れている。さらにチェチェン語も12世紀~15世紀にかけてキリスト教とともに(当時はチェチェン人もキリスト教徒だったということか)ジョージア文字、ジョージア語を書き言葉として受け入れたので、こんにちでもダゲスタンにはジョージア語の碑文が約50残っている。
 現在ジョージア語だけで話者400万人から500万人いるが(他にもカルトヴェリ語群には十万単位の話者がいる言語がある)、話者数だけでなく歴史文化的にも上でも述べたように他の言語に影響を与えた大言語だから、もちろん自分の言語も立派に文字化していてすでに5世紀から碑文があり、通時的研究や古い形の再現が可、ということは共時的な方言研究にも利がある上、書き言葉の伝統があるのですでに古い昔から自語の研究そのものも進んでいた。19世紀になって西欧から比較言語学者が参入してきた時もしばらくは主たる関心がジョージア語だった。
 19世紀の後半から20世紀前半になると言語の記述研究が盛んになり、 他の2言語群の記述も始まったが、アブハズ・アディゲ語群の方が進んでいる。上のレールモントフにも出てきたチェルケス人の言語もこのグループだが、これらの言語は母音音素が少ないので有名だ。例えばアブハズ語の母音音素は a と ǝ の二つ。音声上現れるその他の母音は皆このどちらかのアロフォンなんだそうだ。他の言語も皆似たり寄ったりで多くて3母音。その代わり子音音素がやたらと多く、ウビフ語(上述)は少なくとも80,アブハズ語の一方言では67の子音音素があるという、ちょっと信じがたい強烈な音韻構造である。話者数は最も多いカバルド語(東チェルケス語)で100万人ちょっと(別の資料では約70万人。どっちなんだ?!)、あと十万単位の話者を持つ言語が2・3あるがカルトヴェリ語群と比べるといかにも少数言語っぽい感が否めない。
 ナフ・ダゲスタン語群はアブハズ・アディゲ語群よりさらに記述研究がやや遅れをとっているらしい。これは第一にナフ・ダゲスタン語群の言語数が多い上に方言間の乖離が激しく方言か独立言語か決めるのが難しいのも原因だろう。チェチェン語など話者数が100万に届こうかという言語もあるが、話者数万、いや数千という言語がやたらとバラバラあって把握に苦労する。この時期にトゥルベツコイもコーカサスの言語の音韻構造の記述研究に手を染めている(『134.トゥルベツコイの印欧語』)。研究プロジェクトなどもソ連内外でいろいろ立ち上がったそうで、例えばモスクワのロモノソフ大学が60年代から70年代にかけてダゲスタンの言語のフィールド調査を行っている。
 このブログでも今まで何の気なしにコーカサスの言語についてチョチョッと述べたりしたことがあるが、ジョージア語以外に名前を出した、チェチェン語(『53.アラビア語の宝石』)、タバサラン語(『107.二つのコピュラ』『7.「本」はどこから来たか』などは別に意図したわけではないが 偶然このナフ・ダゲスタン語群だ。そういえばこの「ダゲスタン語」でちょっと思い出した。学生の時にロシア語学の演習でA. Кибрик(A. Kibrik)という人の論文を読まさせられた。テーマは指示対象の照応関係のことかなんか、つまり言語理論系の論文だったのだが、その時何の気なしにカタログでA. Кибрикの名前を検索したところこの名前でダゲスタンの言語について多くの論文が発表されていることがわかった。一方ではダゲスタンの言語、他方ではロシア語の指示対象照応とはまた研究範囲の広い人だと驚いたら実はダゲスタン言語のキブリーク氏は指示対象キブリーク氏の父親だった。ダゲスタン氏はアレクサンドル・キブリーク、指示対象氏はアンドレイ・キブリークという。もちろんダゲスタン氏も言語理論の論文は書いているが、記述系と説明系・生成系では同じ「理論」でも分野が全く違う。ついでにダゲスタン氏の父、指示対象氏の祖父は有名な芸術家だそうだ。文化人一家である。上述のロモノソフ大学のプロジェクト要員にもキブリークの名前が上がっている。

 そのナフ・ダゲスタン語群だが、上にも書いたように内部で結構言語がバラけている上、ナフ・ダゲスタンとダブルネームになっているだけあってナフ語群とダゲスタン語群の間にはさらに一線あるそうだ。アヴァール語などには古い試みもあるらしいが本格的な文字化はやはり20世紀になってからで、1928年からラテン文字による文字化が試みられた。それが1936年から38年にかけてキリル文字にとってかわられた。チェチェン語、イングーシ語、アヴァール語などその際「標準語化」もなされたという。なお、念のため補足しておくがここの「アヴァール語」というのは民族・言語的に昔ロシアにステップから攻め込んできたアヴァール人(『165.シルクロードの印欧語』参照)とは別人28号(こんなギャグを知っている方まだいますか?)である。
 音韻構成が気になるが、 ナフ・ダゲスタン語群はアブハズ・アディゲ語群と比べると母音の数が多い。アヴァール語の一方言では3つ、a、i、u で(コザソフКодзасовという学者はa、i、u、e、oの5つと言っている)、この3つはナフ・ダゲスタン語群の全ての言語にあるが、普通はこれよりずっと母音音素が多い、特にナフ語群は多くチェチェン語で33。平均すると10から15の母音音素がある。3から急に増えるのは短母音と長母音を区別したり、二重母音を持っていたりする言語があるからだ。「母音が10」でも私などには十分多いが、それに加えてアブハズ・アディゲ語群ほどではないが子音も多い。アグール語で73,チェチェン語で40から50,タバサラン語が55以上。困ったことにこれらの数字は資料や学者によって少なからぬバラツキがあり、あまりキッパリとした数値ではないのだがとにかく「子音が多い」ことだけは確かである。これは例えば閉鎖音でいわゆるfortis、lenisを音韻的に区別したり放出音があったりするせいだ。声門、咽頭音もある。流音が6つある言語もあるそうで、日本人に喧嘩を売っているとしか思えない。

アグール語2方言の音素。子音がやたらと多い。А.Е. Кибрик и С. В. Кодзасов, 1990. Сопоставительное изучение дагестанских языков  Имя.Фонетика. p.338, 339から
agur1
agur2
 アクセントについてはキブリークがダゲスタンの言語の過半数が高低アクセントを持っていると書いている。残念ながらその高低アクセントが日本語のように超分節なものか中国語のようなシラブル内のものか明確に区別されていない。そしてシラブル単位の高低アクセントを持つ言語は少数の例外を覗いてсловесное ударение(「語アクセント」)を欠くとあるのだが、これは単語ごとに決まった強弱アクセントのことだろうか。その例外の中にアヴァール語が入っているが、そこでは高低を区別するのはアクセントのある母音のみだそうだ。つまりちょうどクロアチア語のような感じなのだろう。そのアヴァール語にはアクセントの違いだけで意味(というより文法機能)が変わる例がある:rúġnal「傷、複数・絶対格」対 ruġnál「同単数・属格」。似たような例はなぜかロシア語やクロアチア語にもあった(『58.語学書は強姦魔』『90.ちょっと、そこの人!』参照)。

 さらにナフ・ダゲスタン語群は音素も多いが名詞の語形も多い。ここばかりでなくアブハズ・アディゲもカルトヴェリも日本語やトルコ語に似た膠着語タイプで、名詞の尻尾に複数マーカーや格マーカーがくっつくのが基本だが、屈折タイプの変化がないわけではない。チェチェン語で「風」の絶対格は muoχ だが、属格になると meχ-in で 、属格を示す接尾辞がついているほかに語幹の母音が交替しているのがわかる。同様にアヴァール語の「豆」holó の能格形は halí-cā という。
 このグループの言語の格の数であるが、以前にも述べたようにタバサラン語で62(別の資料では48)、もっともチョロいアグール語で28。たかがドイツ語の4格で死にそうになっている人にとっては命の危険さえありそうだが、これはドイツ語では前置詞が担っているような機能を全て格変化が受け持つからだ。日本語だって格を勘定すれば13くらいにはなる。だが一方それでも13にしかならないから諸事情を差し引いてもやっぱり40以上の格というのは割と恐怖である。特に処格、つまり位置関係を表わす格がいくつかのグループに分けられ、それぞれのグループがまた細分化するので格数が何倍にも増殖する。例えばラク語では名詞に というマーカーがつくと「対象物の裏側」という意味になるが、この「裏側」(以下太字)にさらに細かい空間表現が加わる;q̅at̅lu が基本の「家の後ろ(で)」、q̅at̅lu-un とそこにさらに格マーカー(下線)がつくと「家の後ろへ」、q̅at̅lu-unmaj と別の格マーカーがついて「家の後ろへ向かって」、q̅at̅lu- だと「家の後ろをわきを通り過ぎて」、q̅at̅lu-a(tu) で「家の後ろから(こちらへ)」。これらがいわばグループだが、同じことが別のグループでも繰り返される。別のグル―プ-w (以下太字)を見てみよう。これは「対象物の内部」を表わすグループだ。まず q̅at̅lu-w-u が基本形の「家の中(で)」。 と比べると母音 u が加わってはいるが、 の基本形と構造的に対応している。さらに q̅at̅lu-w-un 「家の中へ」、 q̅at̅lu-w-unmaj「家の中へ向かって」、q̅at̅lu-w-「家の中を通り過ぎて」、q̅at̅lu-w-a(tu)「家の中から」という風に上と全く同じ格マーカーがつく(下線)。整然とした非常に美しい構造だ。タバサラン語も同じようなメカニズムである。ここで あるいは -w-un-unmaj-uχ-a(tu) をそれぞれ別の格と見れば画数は2+4=6,もしく基本形を「ゼロ形態素が加わったもの」とみなして2+5=7だが、合体した形、例えば -χ-un を一つの格と見れば2×5=10格を区別しないといけない。この場合はゼロ形態素を必ず認める必要がある。そしてこの「グループ」は二つだけではないから足し算と掛け算の差はもっと広まるだろう。格数の報告に揺れがあるのはそんなことも原因だと思う。
 処格が膨大過ぎるからか、ナフ・ダゲスタン語群の文法記述では「格」そのものを基本格(または文法格)と処格とに分けて考えているが、その「普通の」格、基本格には、絶対格、能格、与格、属格、さらに言語によっては具格などが加わる。他にもいろいろバラバラと基本格と処格の中間的な格があるそうだがこの際すっ飛ばして、基本格だけちょっと見てみると面白い現象がある。元になる語幹が二つあることだ。上で述べた比較的性格が温厚な(?)アグール語の基本格を見てみよう。
Tabelle1-169
まず第一次的には絶対格と能格の区別が格変化の出発点になっていることがわかる。その他の格の形は皆能格を基礎にしてそこにさらに接尾辞(太字)を加えて形造られたものだ。これがどうして面白いかというと、『65.主格と対格は特別扱い』で述べたロマニ語の格パラダイムと並行しているからだ。ただしロマニ語は印欧語なので第一次の分岐が絶対格対能格でなく主格隊対格で、対格以外の斜格が対格を出発点にしている点が違っている。前に出したロマニ語の例から単数の主・対・与・属格を繰り返してみる。属格は披修飾名詞が男性単数の場合の形だけ挙げた。
Tabelle2-169
格パラダイムの二重構造が鮮明だ。もちろんダゲスタンの言語とロマニ語では系統が全く違うからこれは単なる他人の空似ではあろう。しかし偶然は偶然としても気にはなる。
 このアグール語の例はマゴメドフという人の報告だが、前述の父キブリークはアグール語の一方言がgag → gagá (能格)というパラダイムを持っていると報告している。元の形 gag が主格と呼ばれているが、これは絶対格のことなのか、それともジョージア語のように主格と絶対格が併用されているのか。さらにタバサラン語の一方言に gagá→ gagá-ji(能格)というそっくりな形があるそうで、非常に面白い。

キブリークの挙げているダルギン語の格の説明では「絶対格」でなく「主格」номинативといっている。А.Е. Кибрик и С. В. Кодзасов, 1990. Сопоставительное изучение дагестанских языков  Имя.Фонетика. p.283から
nominativ-bearbeitet

 能格については前にもいくつか言語の例をあげたが(『51.無視された大発見』参照)、さらにちょっとアヴァール語を見てみよう。

wac̄as̄  χur bekḷana
brother-Erg.Sg + field-Abs.Sg. + plow-Past
兄(弟)が畑を耕した

dic̅a wac̅  wec̅ula
I-Erg. + brother-Abs.Sg. + praise-Pres.
私が兄(弟)を褒める

「耕す」も「褒める」も他動詞だが、「兄」が前者では主語、後者では目的語である。主語が能格、目的語が接尾辞なしの絶対格形になっているのがわかる。これだと主格と対格みたいだが、自動詞と比べてみると能格性がはっきりする。

dun wuq̅̇ula
I-Abs. + sink.Pres.
私がどっかり倒れこむ。

ここでも「私」は主語だが動詞が自動詞なので他動詞「褒める」の場合とは格が違い、絶対格をとっている。他動詞の主語なら能格だ。「私」は名詞でなく代名詞なので語形変化のメカニズムがやや異なっている。また英語の break のように同じ動詞が他動詞であったり自動詞であったりすることがあるが、その場合もきれいな能格構造になる。

dic̅a ġweṭ bekana
I-Erg. +  tree-Abs.Sg. + break-Past.
私が木を折った。

ġweṭ bekana
tree-Abs.Sg. + break-Past.
木が折れた。

つまり「折る」と「折れる」の違いだが、「折れる」の主語が「折る」の目的語と同じ格をとるのだ。

 もう一つ気になるのが文法上の性の数だが、アグール語など性を区別しない言語もあるが、たいていは2つから(タバサラン語の北方方言)8つ(ナフ語群)の文法性を区別する。アヴァール語は3つ、ラク語は4つ、チェチェン語は6つとなっている。だから「性」というより名詞の「クラス」または「カテゴリー」と呼ばれる。動詞や形容詞がそれに応じて呼応するのだ。一番多いのが文法性が4つあるパターンだそうだ。男性、女性、生物と特定の物質、その他という4つのカテゴリーである。ヒナルーグ語もこのパターンだが、「男」「少年」などが「男性」、「女」「娘」などが「女性」、「鶏」「蛇」が第三の 「生物と特定の物質」なのはわかるが、なぜか「橋」もここのクラスに入っている。「その他」には「仕事」「石」「眼」という雑多な名詞が属している。
 ところでこの4つの名詞性というのは以前見たブルシャスキー語(『144.カラコルム・ハイウェイ』)もそうで、上のロマニ語との並行性は偶然としか考えられないが、ブルシャスキー語との類似性の方は完全にシカトもできないのではないだろうか。ブルシャスキー語も能格言語だし、しかも絶対核の語尾はゼロ、能格には -e がついて上述のキブリーク報告のアグール語と形がよく似ている。
 またダゲスタンの言語は一人称複数の代名詞に包括的 inclusiveと除外的 exclusive(『22.消された一人』参照)を区別する:アヴァール語でni(包括)対 niž(除外)、タバサラン語で ixu あるいは uxu(包括)対 iču あるいは uču(包括)など。

 とにかく言語的には本当に面白い地域で、いくら大詩人のレールモントフだからと言ってこれらの言語を話す人々を簡単に「アジア人め」の一言で片づけて欲しくない。

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 今さらこんなことを言うと当たり前すぎてかえって不思議がられそうだが日本語の形容詞は「用言」である。つまり動詞の仲間なのだ。「そんなこと決まってるだろバカ」と私を罵るのはまだ早い、実はこれが印欧語と決定的に違う割と重要なポイントで、確か松本克己教授もこの点を強調していた。なぜ形容詞が用言かというと日本語ではコピュラという動詞がなく、その機能を形容詞そのものが請け負うからだ。たとえば「アヒルはかわいい」という文の直接構成要素は「アヒル」という名詞と「かわいい」という形容詞だけでコピュラなどというつなぎはいらない。丁寧語バージョン「アヒルはかわいいです」では「です」がコピュラと言えないこともないがこの「です」は下記の「だ」と共にせいぜい「助動詞」であり、機能の点でも形の点でも動詞と比べて非常に範囲が限られていて完全に別の品詞だ。早い話が「です」や「だ」じゃあ印欧語のように be ambitious と形容詞にくっついて命令形を作ったり「~こと」と付加して to be ambitious のような不定形表現ができず、本チャン動詞を引っ張り出して助けを借りるしかない。それで命令形は「野心的であれ」「かわいくあれ」となるが、これらの表現はすでにやや文語的で普通の会話では使わない。不定形のほうも「野心的であること」「かわいくあること」と動詞を動員するワザとらしいというか不自然と言うかとにかくこんな言葉使いで会話をする人などいないだろう。動詞なしの「野心的なこと」「かわいいこと」では前者のナ形容詞では「な」はコピュラ「だ」の連体形だとも解釈できるからかろうじて存在を確認できるがイ形容詞では形容詞の連体形があるだけでコピュラなんてものは影も形もない。さらに「だ」なら上記のように何とか命令も不定形もできるが、「です」ではどちらも不可能である。「野心的ですあれ」「かわいいですあれ」は非文だし、「野心的ですこと」「かわいいですこと」は後ろに「おほほ」でもつけてお上品ぶった嫌みな女の発言にしかなり得ない。「野心的なこと」「かわいいこと」とは意味が全然違う。
 要するに「美しい」「おもしろい」「新しい」などのイ形容詞は厳密に言えばそれぞれ beautiful、interesting、new ではなくて be beautiful、be interesting、be new である(ナ形容詞については下記)。イ・ナ共に語形パラダイムの名前も「未然」「連用」「連体」「終止」など動詞とそっくり。さらに動詞に付くのと全く同じ助動詞、例えば「~すぎる」などを付加できる。「美しすぎる」「馬鹿すぎる」「食べすぎる」では最初がイ形容詞、二番目がナ、最後の例が動詞だ。もちろん語形自体は大分違うしパラダイムにしても命令形がなく未然も連用も形が二つに分かれていないなど動詞活用の観念をそのまま持ち込むわけにはいかないが、とにかく動詞の仲間だ。
 ナ形容詞は上で見たようにコピュラ動詞の助けがいるから、明確に用言であるイ形容詞より品詞としては名詞性を帯びる。訳すとしたらコピュラに括弧をつけて「きれい」→ (be) pretty、「馬鹿」→ (be) stupid、「静か」→ (be) silent とでもするべきだろう。理不尽なことにこの名詞に近い形容詞を学校文法では「形容動詞」などと呼んでいる。動詞なのはむしろイ形容詞の方だろう。この「形容動詞」という名称には異を唱える人も昔から多く、私個人も今まで「ナ形容詞」「イ形容詞」という呼び名しか使ったことがない。イとナは活用形も全く違うのでこれらを「形容詞」という一つの品詞としてくくるのは無理がありすぎるという配慮で「形容動詞」という別品詞を掲げたのかもしれないが、それだったら逆にイを「形容動詞」、ナを「形容名詞」とでも呼んだ方が適切なのではないだろうか。「形容名詞」(ナ形容詞)と名詞の差は、それらがそれぞれ別の名詞の付加語になるとき、名詞は属格マーカー「の」をとるのに対して形容名詞にはコピュラ助動詞の連体形「な」がくっつく点だけであって、その他はいろいろ共通する部分が多い。名詞・形容名詞(ナ形容詞)の二品詞にまたがる語もある。例えば「病気」だ。この語は基本的には名詞で a sick man は「病気の人」だが、「病気な人」という表現もできる。後者はむしろカタカナで「ビョーキな人」と書いた方がいいかもしれないがニュートラルに「病人」のことではなく「人格に問題のある人」という隠語だ。全然隠れていないが。逆に「馬鹿」は普通はナ形容詞に分類されるが両品詞にまたがっており、「馬鹿なことを言うな」の馬鹿はナ形容詞だが、「馬鹿は時々真を突くから怖い」「馬鹿のいう事など聞いていられない」の馬鹿は「馬鹿な人」という意味の名詞である。要するにナ形容詞は機能的にも文法的にも名詞とダブる点が多い。これが「形容動詞」などと呼ばれているのはおかしいと言えばおかしい。それともこの名称は「私は馬鹿だ」の「だ」という助動詞を動詞と見なして「(助)動詞を使う形容詞」「(助)動詞によって名詞が形容詞化したもの」ということなのか。しかしよく見てみると実はナの方が形容詞本家なのではないかという思われる節がある。外国語の形容詞を借用する際はナ形容詞になるのが基本だ。「イノセントな」「モダンな」であって、「イノセントい」「モダンい」などという形になることはない。「ナウい」という言葉は now という語が一旦「ナウな」というナ形容詞として日本語に定着した後、わざとギャグ的意味でイ形容詞に変換されたものだ。「挙動不審な」が「キョドい」になるのと同じである。
 いろいろ考え出すとあちらを立てればこちらが立たず的にどうも話が面倒くさくなってくるのでやはりナ形容詞・イ形容詞という名称を使うのが一番無難だと思う。それにナ形容詞にしても語幹そのものは名詞寄りかもしれないが、シンタクス機能の点では動詞に近い。例えば自分自身のバレンツ要素が取れる。「私はアヒルが好きだ」という文では「私」は主文の主語で「アヒル」は形容詞の主語、つまり形容詞に支配されている要素である。その主語もろとも「アヒルが好きだ」全体が形容詞。「私は頭が悪い」だともっとはっきりする。「頭が」は形容詞の支配下、つまり「頭が悪い」全体で形容詞の機能だ。形容詞が主文の主語とは異なる主語を取る構造など日本語では日常茶飯事で、「あいつは手が早い」「老人は朝が早い」「山田さんは字がきれいだ」などいくらでもできる。独自の主語を主格のままで取るなどという芸当は体言には無理だ。その点でも日本語の形容詞は動詞の仲間なのである。
 さて、その主語つき形容詞では主語はつまり形容詞の一部ということだ。だから主文とは別個にまた主語を取ることができるわけ。上の文と同じロジック内容の文をトピックなしの構造にしてみるとよくわかる:「お前、本当に手が早いな」→「おれじゃないよ、あいつだよ、あいつ、あいつが手が早いんだよ。」、「老人が朝が早いのはまあ仕方がないよ」、「この手紙を誰かに清書してもらいたいんだが、誰がいいかな」→「山田さんが字がきれいですよ」。太線は主文の主語、下線部は形容詞の主語で、シンタクスの位置が全然違うのだが、こういうダブル主格を見てヒステリーを起こした印欧語ネイティブがいる。

 印欧語では形容詞は名詞の仲間だ。だから名詞の語形変化と形容詞の語形変化をまとめて「曲用」Deklination という。格・数・文法性によって変化する。動詞の語形変化は「活用」Konjugation といい、時制や法などを表す。日本語の形容詞はどう見ても「活用」だ。動詞を仲介せずに形容詞に直接時制や法のマーカー(下線部)がつく。

きれいだ→きれいだった(時制)、きれいなら(ば)(法)

かわいい→かわいかった(時制)、かわいければ(法)

しかもこのマーカーは動詞につくのと同じマーカーである。上で述べた「~すぎる」もそうだが、動詞と形容詞には基本同じ助動詞がつくのだ。

読む→読ん(時制)、読め、読んだら(ば)(法)

 さらにいわゆる「て形」もそうだ。一つのセンテンスが複数の動詞を含む場合、最後のものだけが時制や法などの最終情報を担う。終止形だ。いわば最後の動詞だけが印欧語でいう定型 finite Form になるわけで、先行する他の動詞は「文はまだ終わっていない」とシグナルを出す「て形」をとる。印欧語だと複数の動詞からなる文で動詞の順番を変えられるが、日本語ではできない。動詞を二つ含む文内の動詞(とその支配要素)をそれぞれ色分けしてみよう。動詞そのものは太字にする。

Ich lese das Buch, schreibe einen Brief.

この本を読んで手紙を書く

二つの動詞句の間にはコンマでなく und(「そして」)という接続が入るのが普通だろうが、比較を簡単にするためコンマでつないだ。ドイツ語だと動詞句を入れ替えても動詞の形は変わらない。もちろん文の意味は変わるが文法的にはOKだ。

Ich schreibe einen Brief, lese das Buch.

日本語はそうはいかない。単に動詞句の位置を入れ変えただけでは非文になる。コンマを入れてもなお不可能、というより余計変になる。

手紙を書くこの本を読んで

青い動詞を終止形、黄色を「て形」にしないと文としては成り立たない。

手紙を書いてこの本を読む

この、最後の語が最終的な機能情報を担うというのは形容詞もいっしょで、最後の形容詞だけが終止形、先行形容詞は「て形」になる。今度は und でつないでみた。

Herr Yamada ist klug und lustig.
山田さんは頭がよくておもしろい

水色と黄色を入れ替える。ドイツ語はそのままでOKだが日本語は形容詞の語形を変化させないと非文。

Herr Yamada ist lustig und klug.
*山田さんはおもしろい頭がよくて
山田さんはおもしろくて頭がいい

上で日本語の形容詞は一つ一つがコピュラ付きと考えるべきだ、と言ったがこれがなかなか呑み込めなかった人がいる。「山田さんは頭がよくておもしろい」の形容詞の順番を入れ替えてみろといったら「山田さんは頭がおもしろくていい」と答えたのだ。ドイツ語の母語者だったが、これはドイツ語では主動詞コピュラが両方の形容詞を支配するので、その勢いで「頭が」が形容詞を二つとも支配すると思ってしまったのだ。さらに「形容詞はそれぞれ独自の主語をとれる」ので、「頭が」は「いい」のみの主語だということがよく理解できていなかったのである。双方の形容詞に主語がついていたらどう答えていたか実験(人体実験かよ)してみたいところだ。

山田さんは目がきれいで顔がかわいい

「きれい」はナ形容詞なのでイ形容詞の「かわいい」とは形が違うが、終止形対「て形」
という原則は変わらない。

山田さんは顔がかわいくて目がきれいだ
*山田さんは顔がかわいい目がきれいで

 もう一つ。これは「形容詞は用言」ということと直接関連性はないだろうが日本語の形容詞は比較級・最上級がなく、形としては原級あるのみ。比較級や最上級は形容詞そのものでなくその性質を帯びている名詞のほうにマーカーをつけて表す。例えばその性質を帯びている度合いが低い名詞に「より」というマーカーをつける。

山田さんは田中さんより親切だ。

という文では田中さんは親切の度合いが低いことになる。この「より」だが、これを格の一つとみなし主格の「が」、対格の「を」と同様、「私より」という「比較格」を提唱している人もいるが、考えてみると「より」は名詞のお尻ばかりでなく、「より少ない」「より美しい」など形容詞の頭にくっ付くことができる。それとも「山田さんより」の「より」と「より美しい」の「より」は別単語と見なすべきなのだろうか。そういえば「より美しい」は「美しい度合いが高い」という意味で「山田さんより」とは逆である。対して「私より山田さんに言ってよ」の「より」はさすがに「私よりきれい」の「より」と別単語とは考えにくい。機能も形容詞の場合と同じ(当該事象に相応しい程度が低い名詞につく)だからこれを格の一つと考えるのはある程度納得が行くのだが、ちょっと他の格マーカーと違った振る舞いをするので私個人は今のところ保留している(『152.Noとしか言えない見本』参照)。

 さて、さらに比較表現では当該特徴の度合いが高いほうの名詞に「~のほう」というマーカーが付くこともある。

山田さんのほうが田中さんより親切だ。

しかしこの「高い度合いマーカー」は必須ではなく、文脈からの比較級判断となることも日常茶飯事だ。

A:山田さんと田中さんとどちらが親切?
B1:山田さんのほうが親切よ。
B2:山田さんが親切よ。

A:鏡よ鏡、白雪姫と私とどちらがきれい?
B1:白雪姫のほうがきれいです。
B2:白雪姫がきれいです。

そもそもこの「のほう」というマーカーは単に当該名詞への指示を強調するのが働きで、本来比較級云々とは関係がない。省略可能なのは当然だろう。そこが「より」とは違う点だ。例えば次の文では「~のほう」は比較などではない。

ちょっと、私のほうを見て!
ちょっと、私を見て!

 比較級がないのだから形としての最上級もなく、最上級を表すには「いちばん」「最も」などの副詞を使う。これらは「より」のように格マーカー(?)でも「~のほう」のような後置詞でもなく、明確に副詞だ。つまり比較級や最上級的意味を表す品詞がバラバラな上省略されることも多いわけで、日本語の形容詞には原級しかないと見ざるをない。表そうと思えば表せるというだけで、単数・複数の場合と同じく文法カテゴリーとしては存在しない。

A:鏡よ鏡、この世で誰が一番きれい?
B1:白雪姫がいちばんきれいです。
B2:白雪姫がきれいです。

カテゴリーとして存在しないからまさに複数・単数の場合と同様、日本語からドイツ語などに訳す際は気をつけないといけない。日本語には単複の区別がないから英語のネイティブなら本能的に複数を使う文脈、たとえば「あなたの趣味はなんですか?」と聞こうとして hobby と単数を使ったりするがそれと同様「この中でどれがいいと思う?」という日本語をドイツ語に訳す際、うっかりすると was meinst du? Welches ist gut? とか原級を使ってしまう。Welches ist am besten と最上級にしないといけない。二つの選択肢を前にして「私はこれがきれいだと思うわ」というなら ich finde dies schön(原級)でなくich finde dies schöner(比較級)だ。

 確かに英語も3シラブル以上の形容詞の比較級・最上級はそれぞれ more と most という副詞をつけて表し、形容詞そのものは変化しない。さらに当該要素の少ない方の名詞に thanという前置詞というか副詞をつけるので、シンタクスの外見上日本語と似ているが(more も than も日本語の「より」に対応するから、This book is more interesting than that one はうるさく訳せば「この本はあの本よりより面白い」であろう)、これは本来から存在していた文法カテゴリーを別の方法で代理させると言う点が、カテゴリーそのものが最初から存在しない日本語との決定的な違いだろう。形としての比較級・最上級はきちんと保っているロシア語でもそれと並行して英語式の比較級・最上級も使われている。後者の方が簡単だ。

 面白いことにコーカサスのナフ・ダゲスタン語群(『169.ダゲスタンの言語』参照)にはナフ語の他は形容詞に原級しかなく、比較表現は名詞の方の格で表すそうだ。日本語みたいだ。クリモフという学者がクリツ語 Kryts language の次のような例をあげている。

Pari Aḥmad-war buduw
パーリはアハマードより年上だ。

bu- が形容詞で「大きい、年上の」、-d- がクラス(=文法性)マーカー、-uw がコピュラの現在形。形容詞は原級である。アハマードの後ろにくっついている -war という形態素が日本語の「より」で、クリモフはこれを「比較格」と名付けている。パーリの方の格の説明はないが、これは絶対格のはずである。わかりきっているからわざわざ言わなかったのだろう。
 クリツ語では比較格を取るが、他のダゲスタン語群 ではこういう時名詞が奪格をとる言語もあるそうだ。英語の from である。そういえば日本語の「より」も「ここより土足禁止」など、奪格めいた意味を持つことが多い。やっぱり日本語のも格の一つと見て保留を解いたほうがいいのか。

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10年くらい前の記事ですが足りない部分があったので(私の頭のことか?)大幅に書き加えました。表も画像にしました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 少し前まではコーカサスやシベリア諸民族の言語をやるにはロシア語が不可欠だった。文献がロシア語で書いてあったからだ。今はもう論文なども英語になってきてしまっているのでロシア語が読めなくても大丈夫だろう。残念といえば残念である。別に英語が嫌いというわけではないのだが、何語であれ一言語ヘゲモニー状態には私は「便利だから」などと手放しでは喜べない。どうしても思考の幅が狭まるからだ。
 そのコーカサス地方の言語、タバサラン語についてちょっと面白い話を小耳にはさんだことがある。

 タバサラン語では「本」のことを kitab と言うそうだ。アラビア語起源なのが明らかではないか。よりによってこの kitab、あるいは子音連続 K-T-B は、私が馬鹿の一つ覚えで知っている唯一のアラビア語なのである。イスラム教とともにこの言語に借用されたのだろう。
 そこで気になったので、現在イスラム教の民族の言語で「本」を何というのかちょっと調べてみた。家に落ちていた辞書だのネットの(無料)オンライン辞書だのをめくら滅法引きまくっただけなので、ハズしているところがあるかも知れない。専門家の方がいたらご指摘いただけるとありがたい。その言語の文字で表記したほうがいいのかもしれないが、それだと不統一だし読めないものもあるのでローマ字表記にした。言語名のあとに所属語族、または語群を記した。何も記していない言語は所属語族や語群が不明のものである。「語族」と「語群」はどう違うのかというのが実は一筋縄ではいかない問題なのだが、「語族」というのは異なる言語の単語間に例外なしの音韻対応が見いだせる場合、その言語はどちらも一つの共通な祖語から発展してきたものとみなし、同一語族とするもの。この音韻対応というのは比較言語学の厳密な規則に従って導き出されるもので、単に単語が(ちょっと)似ているだけですぐ「同族言語ダー」と言い出すことは現に慎まなければいけない。時々そういうことをすぐ言い出す人がいるのは困ったものだ。現在同一語族ということが科学的に証明されているのは事実上印欧語族とセム語族だけだといっていい。そこまで厳密な証明ができていない言語は「語群」としてまとめる。もちろんまとめるからにはまとめるだけの理由があるのでこれもちょっと似た点が見つかったからと言ってフィーリングで「語群」を想定することはできない。「テュルク語」については「語族」でいいじゃないかとも思うのだが、逆に似すぎていて語族と言うより一言語じゃないかよこれ、とでも思われたのか「テュルク語族」とは言わずに「テュルク諸語」と呼んでいる。
 話が飛んで失礼。さて「本」をイスラム教国の言葉でなんというか。基本的に男性単数形を示す。
NEU07-Tabelle1
 このようにアラビア語の単語が実に幅広い語族・地域の言語に取り入れられていることがわかる。アラビア語から直接でなく一旦ペルシャ語を経由して取り入れた場合も少なくないようだが。例外はアルバニア語とボスニア語。前者は明らかにロマンス語からの借用、後者はこの言語本来の、つまりスラブ語本来の語だ。ここの民族がイスラム化したのが新しいので、言語までは影響されなかったのではないだろうか。ンドネシア語の buku は英語からの借用だと思うが、kitab という言葉もちゃんと使われている。pustaka は下で述べるように明らかにサンスクリットからの借用。インドネシア語はイスラム教が普及する(ずっと)以前にサンスクリットの波をかぶったのでその名残り。つまり pustaka は「本」を表わす3語のうちで最も古い層だろう。単語が三つ巴構造になっている。しかも調べてみるとインドネシア語には kitab と別に Alkitab という語が存在する。これは Al-kitab と分析でき、Al はアラビア語の冠詞だからいわば The-Book という泥つきというか The つきのままで借用したものだ。その Alkitab とは「聖書」という意味である。クルド語の pertuk は古アルメニア語 prtu(「紙」「葦」)からの借用だそうだがそれ以上の語源はわからない。とにかくサンスクリットの pustaka ではない。

 面白いからもっと見てみよう。「アフロ・アジア語群」というのは昔「セム・ハム語族」と呼ばれていたグループだ。アラビア語を擁するセム語の方は上でも述べたように「語族」といっていいだろうが、ハム語のほうは「族」という言葉を使っていいのかどうか個人的にちょっと「?」がつくので、現在の名称「アフロ・アジア語」のほうも「族」でなく「群」扱いしておいた。
NEU07-Tabelle2
イスラム教徒が乗り出していった地域で話されていたアフリカのスワヒリ語は「イスラム教の民族の言語」とは言いきれないのだが、「本」という文化語をアラビア語から取り入れているのがわかる。ハウサ語の「本」は形がかけ離れているので最初関係ないのかと思ったが、教えてくれた人がいて、これも「ごく早い時期に」アラビア語から借用したものなのだそうだ。ハウサ語の f は英語やドイツ語の f とは違って、日本語の「ふ」と同じく両唇摩擦音だそうだから、アラビア語bが f になったのかもしれないが、それにしても形が違いすぎる。「ごく早い時期」がいつなのかちょっとわからないのだが、ひょっとしたらイスラム教以前にすでにアラビア語と接触でもしていたのか、第三の言語を仲介したかもしれない。ソマリ語にはもう一つ buug という「本」があるが、インドネシア語の buku と同様英語からの借用である。

 インドの他の言語は次のようになる。
NEU07-Tabelle3
最後に挙げたインド南部のタミル語以外は印欧語族・インド・イラン語派で、冒頭にあげたペルシア語、ウルドゥ語、パシュトー語と言語的に非常に近い(印欧語族、インド・イラン語派)がサンスクリット形の「本」が主流だ。ベンガル語 pustok もヒンディー語 pustak もサンスクリットの pustaka 起源。ただ両言語の地域北インドは現在ではヒンドゥ―教だが、ムガル帝国の支配下にあった時期が長いのでアラビア語系の「本」も使われているのはうなづける。これは直接アラビア語から借用したのではなく、ペルシャ語を通したもの。またベンガル語の boi は英語からの借用かと思ったらサンスクリットの vahikā (「日記、帳簿」)から来ている古い語だそうだ。
 インドも南に下るとイスラム教の影響が薄れるらしく、アラビア語形が出てこなくなる。シンハラ語は仏教地域。これら印欧語はサンスクリットから「本」という語を「取り入れた」のではなく、本来の語を引き続き使っているに過ぎない。それに対してタミル語、テルグ語、マラヤラム語は印欧語ではないから、印欧語族のサンスクリットから借用したのだ。これらの言語はヒンドゥー教あるいは仏教地域である。
 とにかく言語の語彙と言うのは階層構造をなしていることがわかる。上のインドネシア語の pustaka も後にイスラム教を受け入れたのでアラビア語系の語に取って代わられたが消滅はしていない。もっともバリ島など、今もヒンドゥー教地域は残っている。そういうヒンドゥー地域では kitab は使わないのかもしれない。
 「本」を直接アラビア語からでなくペルシャ語を通して受け入れた言語も多いようだが、ではイスラム以前のペルシャ語では「本」を何といっていたのか。中期ペルシャ語(パフラヴィー語)を見ると「本」を表す語が3つあったらしい。mādayān、nāmag、nibēg の3語で、なるほどアラビア語とは関係ないようだ。本来のイラニアン語派の語だろう。 mādayān は古アルメニア語に借用され(matean、「本」)、そこからまた古ジョージア語に輸出(?)されている(maṭiane、「本、物語」)。nāmag も namak (「字」)としてやっぱり古アルメニア語に引き継がれたし、そもそも現代ペルシャ語にもnāme として残っている。「字」という意味の他に合成語に使われて「本」を表す: filmnâme(「脚本」)。最後の nibēg も nebiという形で現代ペルシャ語に細々と残っており「廃れた形」ではあるが「経典」「本」。昔はこの語でコーランを表していたそうだ。

 ではそのアルメニア語やジョージア語では現在どうなっているのか。これらの言語はタバサラン語のすぐ隣、つまりコーカサスで話されているが、キリスト教民族である。アラビア語とは見事に無関係だ。
NEU07-Tabelle4
アルメニア語の matyan は上述の古ペルシャ語 mādayān の子孫で、主流ではなくなったようだが、「雑誌」「原稿」「本」など意味が多様化してまだ存命(?)だ。ジョージア語でも maṭiane(「聖人伝」)として意味を変えたが単語としては生き残っている。girk、cigni がアルメニア語、ジョージア語本来の言葉。オセチア語の činyg は古い東スラブ語の kŭniga からの借用だそうだ。道理で現在のスラブ諸語と形がそっくりだ(下記)。オセチア語と上にあげたイスラム教のタジク語は同じ印欧語のイラニアン語派だし話されている地域も互いにごく近いのに語彙が明確に違っているのが非常に面白い。しかしそのタジク語にも上記中世ペルシャ語の nāmag に対応する noma(「字」)という言葉が存在する。

 また次の言語はセム語族で、言語的には本家アラビア語と近いのに「本」を kitab と言わない。アムハラ・エチオピア民族はキリスト教国だったし、ヘブライ語はもちろんユダヤ教。
NEU07-Tabelle5
 アムハラ語はもちろんゲエズ語からの引継ぎだが、後者はヨーロッパのラテン語と同じく死語なので、本当の音価はわからない。ゲエズ文字をアムハラ語で読んでいるわけだから音形が全く同じになるのは当然と言えば当然だ。アムハラ語もゲエズ語もさすがセム語族だけあって「語幹は3子音からなる」という原則を保持している。これもアラビア語と同様 m- の部分は語幹には属さない接頭辞だから差し引くと、この語の語幹は ṣ-h-f となる。その語幹の動詞 ṣäḥäfä は「書く」。このゲエズ語の「本」はアラビア語に maṣḥaf という形で借用され、「本」「写本」という意味で使われている。アラビア語の方が借用したとはまた凄いが、それどころではなく、ヘブライ語までこのゲエズ語を輸入している。ヘブライ語には「聖書の写本」を表す mitskháf  という単語があるが、これは mäṣḥäf の借用だそうだ。なおゲエズ語の動詞の ṣäḥäfä は古典アラビア語の ṣaḵafa に対応していると考えられるが、後者は「書く」でなく「地面を掘る」という意味だそうだ。は? 
 ヘブライ語の sefer(語根はs-f-r、f は本来帯気の p だそうだ)はアッカド語の時代から続く古い古いセム語の単語で、アラビア語にもその親戚語 sifr という「本」を表す語が存在する。ただ使用範囲が限定されているようだ。
 逆にヘブライ語には katáv(「書く」)あるいは ktivá(「書くこと」)という語もある。一目瞭然、アラビア語の k-t-b と対応する形だ。「本」という意味はないようだが、とにかく単語自体はアラビア語、ヘブライ語どちらにも存在し、そのどちらがメインで「本」という意味を担っているかの程度に違いがあるだけだ。
 
 それにしても「本」などという文化語は時代が相当下ってからでないと生じないはずだ。本が存在するためにはまず文字が発明されていなければいけないからだ。当該言語が文字を持っていなかったら(文字のない言語など特に昔はゴロゴロあった)本もへったくれもない。だから当時の「先進国」から本という実体が入ってきたのと同時にそれを表す言葉も取り入れたことが多かったのだろう。普通「その国にないもの」が導入される時は外来語をそのまま使う。日本語の「パン」「ガラス」などいい例だ。
 言い換えると「本」という語は宗教と共にということもあるが文字文化と共に輸入されたという側面も大きいに違いない。イスラム教が来る以前にすでにローマ文化やラテン語と接していたアルバニア、グラゴール文字、キリル文字、ラテン文字など、文字文化にふれていたボスニアで、「本」がアラビア語にとって変わられなかったのもそれで説明できる。そういえばバルカン半島に文字が広まったのはキリスト教宣教と共にで、9世紀のことだ。イスラム教はすでに世界を席捲していたが、バルカン半島にイスラム教が入ってきたのはトルコ経由で14世紀になってからだ。当地にはとっくに書き言葉の文化が確立されていた。
 アルメニア語、ジョージア語、アムハラ語(ゲーズ語)も古い文字の伝統があって、独自の文字を発達させていた。ヘブライ語やサンスクリット、タミル語は言わずもがな、イスラム教どころかキリスト教が発生する何百年も前から文字が存在した。外来語に対する抵抗力があったのだろう。

 まとめてみるとこうなる。イスラムの台頭とともにアラビア語の「本」という語が当地の言語に語族の如何を問わずブワーッと広まった。特にそれまで文字文化を持っていなかった民族言語は何の抵抗もなく受け入れた。
 すでに文字文化を持っていた言語はちょっと様子が違い、イスラム以前からの語が引き続き使われたか、アラビア語の「本」を取り入れたのしても昔からの語は生き残った。ただその際意味変化するか、使用範囲が狭くなった。
 イスラム教の波を被らなかった民族の言語はアラビア語系の語を取り入れなかった。
 その一方、初期イスラム教のインパクトがどれほど強かったのか改めて見せつけられる思いだ。千年にわたる文字文化を誇っていたペルシャ語、サンスクリットという二大印欧語を敵に回して(?)一歩も引かず、本来の語、mādayān などを四散させてしまった。その際ペルシャ語は文字までアラビア文字に転換した。もっともそれまで使っていたパフラヴィ―文字はアラム文字系統だったからアラビア文字への転換は別に画期的と言えるほどではなかっただろうが、その侵略された(?)ペルシャ語は外来のアラビア語をさらに増幅して広める助けまでしたのだ。ペルシャ語のこのアンプ作用がなかったら中央アジアにまではアラビア語形は浸透しなかったかもしれない。
 ボスニア、アルバニアはずっと時代が下ってからだったから語が転換せずに済んだのだろう。

 実はなんとベラルーシ語にもこのアラビア語起源の кітаб (kitab)言う語が存在する。「本」一般ではなくイスラム教の宗教書のことだが、これはベラルーシ語がリプカ・タタール人によってアラビア文字で表記されていた時代の名残である。このアラビア語表記は16世紀ごろから20世紀に入るまで使われていた。そのころはトルコ語もアラビア文字表記されていて、現在のラテン語表記になったのはやはり20世紀初頭だ。
 このリプカ・タタール人というのはベラルーシばかりでなく、ポーランドやリトアニアにもいる。私がヨーロッパ系のポーランド人から自国内のリプカ・タタール人(国籍としてはポーランド人)と間違われたことは以前にも書いた通りだ。自慢にもならないが。

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