アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ: IT

「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下の記事はうちでとっている南ドイツ新聞に土曜日ごとに挟まってくる小冊子に『悪のネットの中で』というタイトルで2016年12月16日にのったものですが、長いので6回に分けます。

前回の続きです。

 これらの規則を実行に移すのは従業員には荷が重過ぎるのである。多くの者が報告しているが、研修ではそれらを書き留めることが許されていなかったそうだ。機密になっている規則が外部に洩れないようにとの安全措置なのである。

協同体スタンダードは四六時中変更になりました。以前は切り離された首の画像とかはその様子をリアルタイムで流すのでない限りOKだったんです。なんなんですかね、この意味のない規則は?こんなことを決めたのは誰なんですかね?

 協同体スタンダードにはヘイトスピーチに関する章があって、どういう中傷なら許されるか定められている。そこには「本来フェイスブックは、難民攻撃の内容は削除しませんでした。難民は保護されるべきカテゴリーに属していないからです。しかしそのためフェイスブックのガイドラインに関してネガティブ報道がなされるようになり、ドイツが自国におけるフェイスブックの活動の差し止めにする恐れが出てきました。その結果協同体スタンダードを更新し、難民にもしかるべき保護措置をとることとします」とある。ここではフェイスブックがどのような内容を禁止または削除するかを定めた規則は政治や世論の圧力に影響されることがはっきり見て取れるが、他方ではフェイスブックのような企業が抱えている根本的な問題点が浮き彫りになってもいる。何が、あるいは誰が社会で特別な保護措置を享受できるのか。このことはドイツでは何よりも先に憲法で定められるべきとされ、企業イメージを損なう恐れが出ればさっさと対応して変更できる一企業の規則などで規定されるべきものではない。理論的には次のようなこともありうるからだ:アメリカ合衆国の社会コンセンサスがひっくりかえり、イスラム教がフェイスブックで受ける保護措置が突然軽減されたとしたら?イスラム教徒に向けた扇動が、フェイスブックの社内機密文書によって保護されている他の宗徒、キリスト教、ユダヤ教、モルモン教徒に向けたものほど追求されることがなくなったら?水面下でそうなっても公共の場には決して知らされないだろう。協同体スタンダードのごく小さな変更でさえ、世界で何十億人もの人々が毎日のように目にしているものに大きな影響を及ぼすのにである。

私たちは本当に多くの苦しみを目にしました… でもそれらの画像に出ていた人たちがその後どうなったのかは永久に知ることができません。この子たちはいまは何をしているのでしょう?犯人は捕まるのでしょうか?

 Arvatono従業員がチェックする内容は、道徳観念ばかりでなくドイツの法律にも反している。違法な投稿をフェイスブックはどう処理すべきなのか、これは実は複雑なのである。メディアとIT関係を専門とする法律家ベルンハルト・ブーヒナーの言に寄れば、ドイツの法律では、プラットフォームの運営者は具体的な違法行為または違法な情報のことを知ったら直ちにそれを削除するか、それへのアクセスをブロックしないといけないことになっている。それをしない場合、フェイスブックのような企業には会社自身が法的責任を問われる危険が生じる。そればかりではない。刑法138条からすると、一連の違法行為については、誰かが本気でその計画を立てていることを知ったら、必ずその計画を告発する義務が生じるようになっている。例えば誰かがフェイスブック投稿で同級生を射殺すると声明を出し、それが本気でありそうな場合、その投稿を削除するばかりでなく通報する必要があるのだ。当局または脅されている当事者にである。
 フェイスブックが子供ポルノをアメリカの「行方不明または搾取された児童のための国立センター」(NCMEC)に転送することは今までにも知られている。NCMECに指摘されてきた情報はすべてそこでよりわけられてさらに詳しく捜査するためにアメリカ国以内または外国のしかるべき刑事訴追当局に転送される、とドイツ連邦刑事局が『南ドイツ新聞マガジン』の問いに対して説明。「罪になる行為が連邦領内から行われている限り、その件についての利用可能な情報が連邦刑事局に送られます。」子供ポルノばかりでなく他の違法行為もフェイスブック経由でドイツ当局の手にわたるのか?フェイスブックは詳細を発表していない。

***
 Arvatoにも「コンテンツ・モデレーター」の扱いについて懸念する人たちはいる。しかしフェイスブックはそういう人たちにこういう幻想を与えて慰めているのだ;そのうち人工知能によってコンピューターが利用規約違反の内容を見分けられるようになるだろう。フェイスブック、ツイッター、グーグルやマイクロソフトがつい数日前発表したが、将来的には自社のサイトのテロのプロパガンダを共同のデータバンクにセーブして「デジタルの指紋」をつけておくようにするつもりだとのこと。そうやって、例えばツイッターで削除された画像は自動的にフェイスブックでも削除されるようにする。この考えは一方では希望を抱かせるものではある。そうなればもう人間がこれらのホラーに身をさらさなくてもよくなるだろう、という希望。だがさらに想像してみるとこれは恐怖なのだ。何十億人もの人々がフェイスブックで目にする内容をアルゴリズムが決める、何が残酷で何が残酷でないか、どこまでが風刺で何処からがテロリズムかをコンピューターが判断することになるからだ。

誰かがこの仕事をやらなくてはいけない、それはわかっているんです。でもそれはそれ用の訓練を受け、援助もされている人々であるべきで、私たちのようにただ無造作に犬の前に行かされた人たちであってはいけないんです。

いつもこういう夢を見るんですよ:人々が燃えている家から走り出てくる。地面でバラバラになってしまいます。一人また一人と血でできた水溜りに倒れていく。私は下に立って人々を受け止めようとするんですが、大勢過ぎて、重すぎて、脇によけざるを得ない、でないと当たってこちらが死んでしまう。私の周りにはたくさん人がいる、助けようとしない人たちがたくさん。助ける代わりにケイタイで写真に撮ってるんですよ。

 調査が進んでいく間にも私たちは情報提供者にその後どうしているか繰り返し尋ねた。
 一人は悪夢はどうにか克服したといい、ただ昼間時々画像が心に浮かび上がって来るとのことだった。この人は先日電球を取り替えようとして梯子に上って何気なく下を見たとき、突然ISの手先の者がこいつらは同性愛者だといって屋根から投げ落とした人たちが地面に叩きつけられて行くのを見ているような気がしたそうだ。何人かはもうドイツを出て、この国から遠いところで暮らしている。別の何人かは公園に行けば人が動物を虐待しているように、浜辺に行けば誰かが子供を虐待しているように見えて苦労している。この女性はArvatoを辞めて心的外傷の心理セラピーを申請した。さらに一人はドイツ語の講習を受け、もともとやっていた職業をドイツでも生かせるようにしたいと望んでいる。
 まだArvatoに残っている従業員で、この先もこの会社に留まりたいと考えている者はいない。

『南ドイツ新聞マガジン』編集後記:
この記事の執筆者は情報提供者に、こういう削除作業をさせられたあとでもプライベート生活でフェイスブックを使うかどうか聞いてみた。ほぼ全員がイエスと答えたそうだ。「これはほとんど中毒ですね」と彼らは言っているという。

元の記事はこちら
(全部見るにはアーカイブの有料使用者となるか、無料の「14日間お試し期間」に登録する必要があります。
念のため:私はこの新聞社の回し者ではありません。)



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 インターネットになってつくづく便利になったと思うことの一つが、「そういえばあの人は今何をしているのだろう?」とふと思ったりしたときすぐ調べられることだ。「ググる」という言葉ができるほどになったが、私はヘソ曲がりなので、何年か前にメインの検索マシンをGoogleからDuckDuckGoというのに変えた。だからもう何年も「ググる」という行為をしていない。「ダクる」とでも言うのか?とにかくこの検索エンジンだと個人情報があっち側に残らないのが利点だが、それより私はアヒルが好きなのでロゴマークにアヒルを使ってあるというのがこちらに切り替えた理由の第一。第二が私はヘソ曲がりなので「皆が使っている」とか「シェア一位」とか聞くと使いたくなくなるという理由である。
 で、本来ならウィンドウズもワードも使いたくないのだが、ヘソだけは一人前に曲がっていても如何せんIT音痴なのでリナックスやオープンオフィスを使いこなすだけの知識や頭がなく、曲がったヘソの持って行き所がない。それで不本意ながらこの点では主流に呑まれているのである。が、いくらデジタル音痴でもさすがにメインの検索エンジンを変えることくらいは出来るからグーグルをやめた。

 その、「行け行けアヒル」であちこち「そういえばあの人は今どうしているのか」と思いついた人たちの名前を検索して遊んでいたら、何を今更ではあるが、あらためて知って感心したことがいくつかあるのでご紹介。以下は全部DuckDuckGoで行なった検索結果である。Googleだと違う結果になるのだろうか?

 その第一はブルーノ・ニコライの方がモリコーネより年上だった、ということだ。私はてっきりこの人はモリコーネの弟子で、10歳くらい年下かと思っていた。残念ながら1991年に亡くなっている。
 ルイス・エンリケス・バカロフはまだ存命だ。さるデータ・ベースを調べてみたら、この人のヒット曲ランキングのダントツ一位は未だに『ジャンゴ』でせっかく(しかもモリコーネより先に)オスカーを取った『イル・ポスティーノ』とかが完全に無視されている。
 リズ・オルトラーニは2014年の一月に亡くなっている。この人もあの世界的なヒットを飛ばした世界残酷物語が無視されてヒット曲の一位は『怒りの荒野』となっている。実は私は今まで気にしたこともなかったのだが、オルトラーニはフルネームがRiziero、リツィエロというのかリジェーロと発音するのか、なにやら由緒ありげなカッチョいいものであった。日本語表記の「リズ」だとエリザベス・テーラーとかといっしょになってしまいかねないが。

 アレッサンドロ・アレッサンドローニは私が「ダクりはじめた」当時はまだ存命だった。2011までしっかりコンサートなどの音楽活動をしていたということだが残念ながら今年2017年の3月に94歳で亡くなった。名前で言われると「そんな人知らない」と思う人もいるかも知れないが、さすらいの口笛の口笛とギターの演奏をしたのはこの人だといえば、「ああ、あの人か」と思い出すだろう。その後の『夕陽のガンマン』のスコアでも『続夕陽のガンマン』でも口笛をきかせてくれている。アレッサンドローニ氏はいわゆるマルチ演奏家で、ギターはもちろんマンドリンからシタールからいろいろな楽器を演奏していたらしい。しかも年は違うが行っていた幼稚園がモリコーネと同じだそうだ。レオーネがモリコーネと小学校の同級生だったことは有名な話だが、つまり『荒野の用心棒』は子供たちの同窓会作品だったのか。その幼稚園・小学校レベルにさえ達してない映画・スコアしか作れないくせに「プロの映画監督でございます」とかふんぞりかえっている監督や作曲家は廃業するがいい。

小学校時代のセルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネ。r の字がひとつ足りない気がするのだが…
International Movie Database(imdb.com)から
MorricineLeone

 あと、意外なことにこのアレッサンドローニはフランチェスコ・デ・マージと協力して作曲も演奏もしている。『黄金の3悪人』というジョージ・ヒルトン主演の映画があるだろう。テーマ曲をデ・マージが担当しラウールがStranger, stranger, who knows your face?とかいう歌詞を『南から来た用心棒』と全く同じような声で歌う(当たり前だ。下記参照)が、あそこでギターを弾いていたのはこの人だそうだ。世界の狭さに驚いた。
 そのフランチェスコ・デ・マージは残念ながら2005年に亡くなっている。とにかく作曲家の消息については皆結構簡単に見つかった。モリコーネのように名前が一般教養の域にまで達している人はまあ言わずもがなだが、オルトラーニもデ・マージもウィキペディアに載っているし、その他の情報サイトも検索するとドシャドシャ出てくる。だが、それを実際に演奏したり歌ったりした人の消息となるとそうそうドシャ降りという具合にはいかなかった。 すぐに見つかったアレッサンドローニはむしろ例外だ。

 さて、「マカロニウエスタンの声」と言うと普通どんな名前が思い浮かぶだろうか。私はフリークでも専門家でもないが、素人目でいいから名前を挙げろといわれれば、まず第一にロッキー・ロバーツ、その余勢を駆って(?)ベルト・フィア(『63.首相、あなたのせいですよ!』参照)、あとラウール、マウリツィオ・グラーフ、最後にクリスティ、この5人が浮かぶのだが、皆さんはいかがだろうか。エッダ・デロルソ(『86.3人目のセルジオ』参照)を抜かすなと抗議されそうだが、ここでは「歌詞を歌った」人に限ることにする。ごめんなさい。
 
彼らは今何をしているのか、そもそもまだ存命なのか?

 『続・荒野の用心棒』を歌ったロッキー・ロバーツは2005年、デ・マージと同じ年にローマで亡くなっている。この人はフロリダ生まれの本当のアメリカ人で、英語が母語だ。
 『復讐のガンマン』のクリスティ(再び『86.3人目のセルジオ』参照)も比較的楽に見つかった。すぐにイタリア語版のウィキペディアにヒットしたのである。でもこれは私がたまたまマリア・クリスティナ・ブランクッチという本名を知っていたからで、単にChristyとしか知らなかったら相当手間がかかったと思う。まだご存命だ。
 さて、『南から来た用心棒』や『黄金の3悪人』の歌手、上述のラウールだ。私はこの人の本名を知らなかったのでちょっと手間取ってしまった。Raoulだけじゃあ、他に何百人も出てきてどれが目指すラウールなのか全くわからない。片っ端からこれ全部クリックするなんてやだー、と二の足を踏んでいたらなんとフランチェスコ・デ・マージのサイトで彼の本名に言及されていた。Ettore Raul (Raoul) Lo VecchioまたはLovecchioといい、デ・マージの歌をいくつか歌った後は俳優に転向し、実際いくつかの映画に出演している。その後はショウ・ビジネスから手を引いてローマでオリエンタルファッションのブティックを開業して暮らしているそうだが、生年月日も生死も定かではない。
 ラウールは例えばあるサイトで関係のない別のラウールとごっちゃにされて、というかいっしょにくくられれた上、

Raoul is a vocalist known for his many contributions to Ennio Morricone soundtracks.

という紹介文がついているが、これは正しいのか?彼はモリコーネの曲にmany contributionsをしていたのか?私としてはラウールと聞いて思い出す作曲家はなんと言ってもフランチェスコ・デ・マージの方なのだが。モリコーネとくっ付けるべきなのはむしろマウリツィオ・グラーフだと思うのだが。
 が、そのグラーフはラウール以上に情報がない。本名はMaurizio Attanasioというのはわかったが、なぜか生年月日も生死も見つからなかった。Youtubeでは結構みつかり、よくコンサートなんかはしていたらしいことはわかったが、経歴そのものの情報はほとんど見つからなかった。
 マウリツィオ・グラーフもラウールもまた名前を出されるとわからなくなる人がいるかも知れないが、私と同年代の女性なら絶対声は知っているはずだ。それぞれ『続・荒野の一ドル銀貨』『南から来た用心棒』、つまりジュリアーノ・ジェンマが主演した映画の主題歌を歌っている。これらの映画を「二つとも全く見たことがない、ジュリアーノ・ジェンマって誰ですか?」とか言うような同年代の女性がいたら、それこそ日本ナショナリストではないが「あなた本当に日本人?」と聞いてみたいところだ。
 マカロニウェスタンを見る際、ヨーロッパと日本ではもちろん重点というか視点が違うのだが、その彼我の差が最も明確に出ることの一つが実はジュリアーノ・ジェンマの扱いなのである。日本では荻昌弘あたりが「マカロニ・ウェスタンのスターはイーストウッド、フランコ・ネロ、ジュリアーノ・ジェンマ」とか言っていたことがあるが、これはあくまで男性側の意見で、私達にとってはイーストウッドとネロが束になってかかってきてもジェンマにはかなわなかっただろう。ネロは美男子だったし、イーストウッドも顔だけ見れば結構線が細かったのでまあ女性ファンもいたが、本来「男っぽさ」を全面に打ち出すタイプの主人公は女性は嫌いなのである。そういえばあのころ、クラスにも「ショーン・コネリーとか見てると臭いがうつりそう。ゲー気持ち悪い」とまで言っていたクラスメートがいたほどだ。なお、私は今までの人生でリー・バン・クリーフが好き~といってキャーキャーいう女性にはただの一度もお目にかかったことがない。
 ドイツに来て「マカロニウェスタンのスターを挙げて下さい」とそこら辺の人に聞いてみるといい。イーストウッドはまあ別格としてその次に挙げられるのはフランコ・ネロよりテレンス・ヒルとバッド・スペンサーが先に来るはずだ。ネロはその後だと思う。ジェンマにいたっては完全にトマス・ミリアンや下手をするとジャンニ・ガルコとかあの辺と同じレベルだ。でもさすがに彼が亡くなった時は新聞に載った。「マカロニウェスタンの俳優で一番のイケメン」と書いてあった。

 さて、そのラウール、グラーフ以上にお手上げだったのが、『続・荒野の用心棒』のイタリア語バージョンを歌った上記ベルト・フィア(またはロベルト・フィア、どちらの名も使っているそうだ)だった。上の人たちは少なくとも歌った歌とか出演した映画とか、作品の紹介がいくつもしてあったが、フィアの場合は『続・荒野の用心棒』だけで他の言及が全くない。もしかするとイタリア語のサイトを探せばみつかるのかもしれない。イタリア語の出来る方がいたらお願いしたい。実は私は当時買ったイタリア語バージョンのレコード(「レコード」である!)をまだ持っているのだが、そのジャケットに「先日ミルバと共に来日したベルト・フィアが歌っている」と書いてある。ミルバと来日するくらいだからある程度名の通った人なのではないのか?それともフィア氏はミルバの荷物持ちかなんかだったのか?

 最後にもう一つ。アレッサンドローニだが、彼は自分のバンド、というか合唱団を持っていていくつかの映画で歌っているが、そのメンバーを見て驚いた。クリスティ(マリア・クリスティナ・ブランクッチ)が消してあるのはなぜだかわからないが、ラウールやエッダ・デロルソがいる。つまりアレッサンドローニを通してモリコーネとデ・マージはしっかりつながっているのだ。

 何、ここで挙げた名前や曲、映画の題名を全く知らない?それが正常だ。

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