アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ: IT

 先日やっと無償期間とやらが終了してくれたのでウィンドウズ10へのアップグレードがお金を払わなければパスできるようになった。あちこちから「やれやれ」という声が聞こえてくるのだが、これは私の周りだけなのだろうか。そもそも「金を払わなければパスできる」としか表現できないこと自体がすでにおかしい。普通なら「お金を払うからそれちょうだい」というはずだ。

 このウィンドウズ10というOS,一年ほど前からアップグレードを勧めるやたらとウザイ画面がパソコンに湧いてくるようになった。実は私はいまだに恐竜百万年時代のXPを使っているので私のパソコン自体は見捨てられていて、このポップアップ幽霊は出てこなかった。それまでは「そんなものもう捨てろよ」と馬鹿にされながらXPを使っていたのだが、まさか今頃になって「ああ、XPを使っていてよかった」などと思える日が来ようとは。対して家の者が使っているもう一台のほうは運悪く7搭載だったため「ウィンドウズ10のすすめ」がうるさかったのなんの。最初は単にウザイだけだったが、そのうちに文面が脅迫じみてきた。極めつけは最後の2ヶ月頃に登場し始めた必殺ポップアップで、「アップグレードをしますか、しませんか?」という選択肢ではなく、「いつアップグレードするんですか?今すぐですか、○日○時ですか?」という「イエス」か「はい」かの選択肢しかなくなった。しかもそこで×を押しても拒否したことにならず、水面下で密かにダウンロードが進行していて、その○日○時に突然全く身に覚えのないアップグレードが始まってパソコンが硬直するという恐怖。そしてアップグレード終了後は従来のソフトがいくつか使えなくなるという、ほとんどウイルスである。
 私はそういう話をネットや実話で聞いていたので、ある日うちでもとうとうその「今か○日か」という画面が現れた時パニックに陥った。聞けばアップグレードを無効にすることはできるし、運悪くアップグレードを食らってしまった後でもイヤならもとの7に戻せるそうだ。しかしその「無効にする」「7に戻す」操作をスラスラやれるほど私たちは機械に詳しくないのだ。それでも何とかアプグ拒否方法を(XPのパソコンで)ネット検索してやり方を覚えようとアタフタしていたら、7の持ち主はあっさりさるコンピューター雑誌のサイトからZwangs-Update-Killerとかいうプログラムをダウンロードしてきて10を阻止した。Zwangs-Update-Killerとは「強制アップデートキラー」という意味である。もの凄いネーミングだ。もうちょっとマイルドな名前にすることはできなかったのかとは思ったが、アメリカでもNever10という名前の阻止プログラムが出回っていたそうだからいい勝負だ。
 そのキラープログラムを走らせて見ると、すでに何GBかは10が侵入していたことがわかった。自覚症状はなくても保菌者ではあったわけだ、それにしても除去プログラムが出回るOSというのを見たのは私も初めてだ。

 この10騒ぎは日本のソーシャルメディアでも大きな話題になり、被害者の声が続出していた。止めてくれコールが起こる一方で、そういう一般ユーザーを批判する、というか罵る声もあった。要約すると「お前ら本当に無知だな。こうこうこうやればアプグくらい簡単に阻止できるんだよ。そんな操作もできない馬鹿がパソコンなんて使うなよ」という意見である。また、どこかの中小企業がいまだに7を使っていたため、アプグされて業務関係のプログラムが動かなくなったのを見て、「いやしくも企業ならそのくらいきちんとしとけよ」とセセラ笑う声もあった。
 『24.ベレンコ中尉亡命事件』でも述べたように私もその手のメンタリティは心の中に持っているのでわかるのだが、まあこういう人たちはたまにちょっと知っていることがあると鬼の首をとったような気になり、知らない人を馬鹿にしてみせてこちらが偉くなったような気分にひたりたいのだろう。普段の劣等感のはけ口だ。それが証拠にというとおかしいが、パソコンのサポートセンターの人とか大学の工学部の人、つまりプロの人たちは発言がずっと穏健で「こうすれば阻止できますよ」以上のことは言わなかったではないか。
 繰り返すが私はそういう、ここぞとばかり的な人たちの気持ち自体はわかる。わかるのだが残念ながらここでの問題の本質は10の押しつけの阻止方法を知っているかいないかとか知っているオレ様は偉いとかいうことではないのだ。

 ドイツ語にgesundes Mißtrauen(ゲズンデス・ミストラウエン)、あるいはder gesunde Menschenverstand(デア・ゲズンデ・メンシェンフェアシュタント)という言葉がある。それぞれ「健全な不信感」、「人間の健全な理解の仕方」という意味だ。後者は辞書には「良識」とあるが、これだとちょっとニュアンスが違うようだ。Der gesunde Menschenverstandというのはもっと単純に普通の人が普通にする理解である。『27.ベンゾール環の原子構造』の項でも述べたように辞書の訳は時々意味がややずれていることがあるので注意を要する。
 さて、自分がまだよく知らないものを「ダンナ、これいいですよ、お安くしときますよ、買いなさい」といわれても普通はホイホイその場で買ったりせずに時間を置く。未知のものにはとりあえず警戒心をいだく。あまりうまい話を聞くと何か裏があるんじゃないかと一瞬怪しがる、こういうのが「健全な不信感」である。
 マイクロソフトはもちろんブラック企業などではないが、その目的は結局金儲けである。ましてやアメリカの企業というと特に利益優先、ペイしないことはやらないというイメージがある。それがタダで新しいOSを提供すると言い出したりすれば「健全な」神経を持った人は裏で何かたくらんでいるんじゃないかと疑心暗鬼になる。7や8をサポートするのはメンド臭いから全員に10にしてもらったほうが会社に好都合なのかな、などという疑念はまだ序の口、密かに個々のパソコンにトロイの木馬よろしく侵入し、顧客データを集めて内務省にでも売るつもりなのか、この先金を払わないとパソコンを使えないようにするぞという方向に事を持ってくるつもりなのかと本気で戦々恐々としている人だっていた。果ては「やっぱりマイクロソフトは怖い。今の7が死んだらLinuxにしよう」。
 会社側だって馬鹿じゃないのだから、新しいOSを強引に押し付けようとすればユーザーの相当数がこういう反応をするであろうことなど予想していたはずだ。それをあえてこういう戦略に出たのはどうしてだろう。「健全な不信感」は下手に健全なだけにしつこく心の中に巣食うのである。その意味で、「阻止方法を知っている偉いオレ様」連は問題の本質が見えていない。そもそもOSのアプグを拒否する方法を知っていることが自慢話になりうること自体異常だ。何も知らなければアプグされないのが普通ではないのか。

 もう一点「健全な」顧客が嫌がったのは「私が買ったのは7である。自分で納得して自分で選んで7を買った。10にするのだって自分で納得して自分で選択するのなら金くらい出すから今は放っておいてくれ」という事情を無視されたことだろう。ある意味では禁治産者扱いされているのだ。子供のころ、いや大人になってからでも自分でなんとかやろうとしているのに脇からやいのやいの頼みもしないのに口を挟まれたり手を出されたりして「うるさい!自分でやるから放っておいてくれ!」と怒鳴ったことなど誰にでもあるだろう。あの感覚である。こちらが金を出して何かを買うからには選択権はこちらにある、これが「人間の健全な理解」である。
 するとここでもオレ様が口を出し、「7を買ったんじゃないんだよ。7の使用権を買ったんだ。契約書にそうあるはずだ。だからいきなりOSをアプグされても文句は言えないはずなんだよ。わかってないなあ、馬鹿だなあ」。
 オレ様たちはgesundes Misstrauenをもつ人たちが契約書というもの一般に抱いている不信感をご存じないらしい。保険会社や旅行会社(の一部)が顧客が気づかないように契約書の隅に小さく重要な注意事項を記し、あとから顧客がクレームをつけてもこれを盾にとって「読まなかった馬鹿が悪い」と知らん顔をするなんてのは常套手段、いかにまずい点をボカして契約・商品の見てくれをよくするかというのが企業側の契約書作成者の腕の見せ所である。そういう煙に巻くプロを相手にしたら一般ユーザーには勝ち目などない。もちろんまさかマイクロソフトが意図的にそんなことをやるとは思えないが、これがユーザーの一般感情であろう。
 つまり契約書を一語一句検討しなかったユーザーを馬鹿扱いするオレ様たちは、ひょっとすると普段そういう仕事をしている人なのかな、日常的に人をハメて喜んでいるタイプの人たちなのかな、と「健全な」人たちはオレ様たちの人間性に対しても不信感をいだく。やはり自慢する時は素直に自慢だけにとどめておいたほうが良さそうだ。「オレは10の阻止方法を知ってるんだ、どうだ偉いだろう」とだけ言っておけば「わあ、凄いね。でも問題の本質はそこじゃないんだよね。」と自慢は一応受け止めてもらえるが、「オレは10の阻止方法を知っているんだ。知らないお前らは馬鹿だ」とか言ってしまうと「でも問題の本質はそんなとこじゃないんだよ。馬鹿はどっちだ」と、自慢が機能しないばかりか反対に罵倒がブーメランになって自分に跳ね返ってくるからだ。ペイしないとはまさにこのことだ。
 しかしここで勉強になったのは自慢の仕方よりもgesundes Misstrauenとder gesunde Menschenverstandというドイツ語の冠詞の使い方である。ネイティブ確認をとったところ、前者は冠詞なしだが、後者には冠詞がいるそうだ。「どうして?」と聞いたら「Misstrauenは砂糖とかといっしょでブワブワした存在だが、Menschenverstandは確固とした観念だから定冠詞がいるのだ」というブワブワした説明をされた。こういう部分はやっぱりネイティブにしかわからないのかも知れない。

 さて、この10騒動ではそのgesundes Misstrauen、der gesunde Menschenverstandのほかにも口に上った言い回しがある。Augen zu und durch(アウゲン・ツー・ウント・ドゥルヒ)というものだ。「眼を閉じて通り抜けろ」という意味で、なにか不愉快なこと、面倒なこと、嫌なことをやらなければいけなくなったとき、グジグジ考えたり、うろたえたり、立ち止まったりしないでとにかく最後まで堪えろ・やりぬけ、といいたいときに使う。
 例えばある法案を通したい政治家が、反対政党などの猛烈な攻撃が予想されて泥沼になりそうなとき、Augen zu und durchといって自分自身にハッパをかけたりするのである。英語ではこれをなんというのか調べてみたら、いくつか対応するイディオムがあるらしい。

Press on regardless!
Grit your teeth and get to it!
Take a deep breath and get to it!

 上述の待ったなしポップアップが初めて出現した時、上述の7の所有者は最初、「こうなったらこれから2ヶ月間はこのラップトップを使わないでアプグ期間終了まで堪えるしかないかな。苦しいけどAugen zu und durch」。それじゃまるで苦行僧じゃないか。なんで金を払ったほうがそんな苦労をしなければいけないんだ、と私が言いかけたら向こうもどうやら考え直したらしく、「このOS、迷惑がっている人がこんなにたくさんいるんだからコンピューター雑誌あたりがサービスとして何か対策を提供しているに違いない」と、専門雑誌のサイトに行き、そこで上述のOSキラーを見つけたのである。こういうのがder gesunde Menschenverstandである。

 それにしてもウィンドウズ10自体はよく出来たOSのようで、評判も悪くない。あんな押し売り行為さえしなければ皆速攻ではないにしろ結構すんなり10に変えていったはずだ。しかもその際お金を払ったはずだ。なぜあんな嫌われるようなことをわざわざやったのか、どうしても健全な理解ができない。会社のマネージャーは北風と太陽の話を知らないのか? それとも理解できない私たちはビョーキなのか?

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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下の記事はうちでとっている南ドイツ新聞に金曜日ごとに挟まってくる小冊子『南ドイツ新聞マガジン』に『悪のネットの中で』というタイトルで2016年12月16日にのったものですが、長いので6回に分けます。

フェイスブックには毎日暴力ビデオや子供ポルノやヘイトスピーチなどが姿を見せる。多くは削除される。だがどんな基準で?そして誰が?フェイスブック側ではそのどちらについても秘密にしている。『南ドイツ新聞マガジン』は、ベルリンでフェイスブックの投稿の削除作業をしていた、Arvatoという会社の従業員を探し出した。閉ざされた世界、ゾッとするような仕事を一瞥してみよう。

執筆
ハネス・グラースエッガー
ティル・クラウゼ


 2015年の夏、インターネットにさる求人広告が載った。『サービスセンター従業員募集。将来性のあるインターナショナルなチームの一員になりませんか?』求められるのは外国語の知識、柔軟であること、時間を守ること。職場:ベルリン。
 
その広告を見たとき思いましたよ、こりゃラッキーだって。そのときちょうどベルリンでドイツ語ができなくてもいい仕事を探していたんです。

こう述べた人は名は出さないで欲しいとのことだった。この人が応募した仕事であるが、発生したのが最近すぎてまだきちんとした名前さえついていない。求人広告を見た限りではコールセンターのような感じで、応募者が実際にやらされることになる仕事とは違う:何人かこの仕事を「コンテンツ・モデレーション」と言う人がいるが、別の人はまた「デジタルごみ処理作業」と呼んでいる。ここで人々がやらされるのは、依頼主のインターネットのサイトをきれいにしておくことである。あらゆるヘイト投稿やホラー投稿を全てクリックして見てまわって、削除するか否かも決定を下さねばならない。その実態がほとんど知られていない仕事だ。そもそもそんな仕事が存在することすら知らない人が多い。
 長い間、その種の作業は新興工業諸国、インドやフィリピンなどのサービス業者が引き受けているというのが常識だった。こういった会社の一番のお得意先の一つがフェイスブックである。このソーシャルメディア企業はドイツに2800万人、世界で18億人のユーザーを抱えているが、毎日山のように投稿される危険な内容のコメントをどのようにして削除するかについてはほとんど何も知られていない。
 今年の1月になってようやくわかったのだが、ベルテルスマン(訳者注:ドイツの大メディア企業)の子会社Arvatoを通してベルリンでも100人以上の従業員が「コンテンツ・モデレーター」としてフェイスブックのために働いている。その作業に対するフェイスブックの報酬はどれだけか、またいかなる基準で作業員が選ばれるのか、こういったことについては企業は情報公開しないのが普通だ。
 『南ドイツ新聞マガジン』は数ヶ月にわたってArvatoの元従業員や現従業員と何人も話をした。ジャーナリストと口と聞くことは上司から禁止されていたのだが、彼らはどうしても自分の話を人に聞いてもらいたがった。その多くが自分は雇用主からひどい扱いを受けたと感じ、毎日見続ける画像から苦しみを受け、ストレスや過労を訴え、自分たちの労働環境のことが明るみに出されるべきだと考えている。仕事のヒエラルキーが下の者もいるし、ずっと上のほうの人もいる。出身国は様々、言語も様々である。すでに退職していたり近く退職する予定だったりで実名で挙げてもらいたがった者さえいた。しかし当方ではソースはすべて匿名にすることにした。従業員は全て企業秘密を守るという契約に署名していたからである。この記事では彼らの証言はイタリックで表すことにする。インタビューはベルリンで直接本人と会うか、スカイプまたは非公開のインターネットコミュニケーションを通して行なった。

***

 応募者の大部分はいろいろな理由でベルリンに「来てしまった」若い人たちである:愛のため、冒険心のため、あるいは大学で勉強するため。シリアからの難民も多い。皆「ドイツの大企業で仕事、しかも定職、基本期限付きではあるがとにかく定職」という展望に非常に心をそそられたのだ。面接は早々に済んでしまうのが普通、そこで聞かれるのは外国語の知識とコンピューターの経験があるかどうかということだ。たったひとつ応募者をいぶかしがらせた質問があった:「心に動揺を与えるような画像に耐えられますか?」

初日に仕事の研修トレーニングがありました。私たちは30人くらい研修室に集められていました。国はもう様々:トルコ、スウェーデン、イタリア、プエルト・リコ。シリアの人も大勢いました。

トレーナーは満面に笑みを浮かべて部屋に入ってきて言いました:あなた方は本当に運が良かったんですよ。フェイスブックの仕事をするんですから!と。皆歓声を挙げましたよ。

研修で従業員はArvatoでの就業規約を説明された。1.どこの仕事をしているか誰にも知らせてはいけない。フェイスブックの名を自分の履歴やLinkedInのプロフィールなどに書いてはいけない。家族にさえも仕事内容を漏らしてはいけない。
 Arvatoのトレーナーはさらに新入社員にその職務内容をこう説明した:「あなた方はフェイスブックを清掃して、でないと子供たちが見てしまうような内容をきれいにするんです。そういう内容を削除してプラットフォームからテロやヘイトをなくすんです。」
 元従業員に『南ドイツ新聞マガジン』のインタビューに際してこの研修を「吹き込み」と名付けていた人がいた:従業員たちが、この(彼の言うところによると)「くだらない退屈な仕事」は社会を守るために役立っているんだという気になるように仕向けているからだ。あくまで社会のためであって、何十億人ものユーザーを抱えている超大企業のフェイスブックの個人的利益のためなんかじゃない、できるだけ長い間ユーザーをサイト内に引き止めておくのが目的の企業が、ユーザーが逃げないようにあまり人を動揺させるようなものは目に触れないようにしておかないといけない、と考えたからじゃない、というのである。

研修トレーニングでは画像を見せられましたがそんなにひどいものではなかったですよ:形も大きさもいろいろなペニスの画像とか。私たちクスクス笑ってしまいました。そんなものを仕事中に眺めるというのもおかしなもんです。まあこういうのはすぐ削除せよと。あと裸の乳首とかも。

一度、この仕事をもっと長くやっている人たちと晩に飲んだことがあります。ビールを何杯かやったあとで一人が言いました:悪いことは言わない、できるだけ早くこの仕事をやめることだ。でないとあなた方ダメになるよ。

従業員は入社に際して書類を渡されるが、そこには秘密保持の約款のほかに健康上リスクもリストアップされていた:背中の痛み、モニターを長時間眺めるために起こり得る目の機能の低下など。残酷な内容や映像を長時間読み、眺め続けることによって生じ得る精神障害についてはなんの記述もなかった。その書類の他に新入りのArvato社員にはベルリンの市電マップが手渡され、そこにはHave a good time in Berlinと記してあった。

***

 ベルリンのジーメンシュタットのヴォールラーベダムにある仕事場は実に飾り気のないところである。以前工場だった建物、れんが造り、中には細長い白い一人用の机が何列か並んでいる、その上に黒いコンピューターと白いキーボード。人間工学にそって作られた事務用の椅子、灰色の事務所用カーペット。数十人の仕事場。仕事中の携帯電話は労働契約によって厳格に禁止されている。一階にはスナック菓子と、コーヒー・ココアの自動販売機。喫煙者のために大きな中庭。建物内には他の会社も入っている。

ログインして順番待ちキューに向かうんです。報告を受けた投稿が何千も集められているとこ、そこにクリックして入る、と。さあ仕事開始です。

投稿内容を自動的に選り分けるフィルター機構はある、と元従業員の一人は言っている。だが画像やビデオの場合、医学的な手術のなのか死刑のシーンなのか区別し分けるのはコンピューターでは難しいのだ。それでベルリンのチームがチェックしなければいけない投稿というのは大部分がフェイスブックのユーザーが不快な投稿として通報してよこしたものだ。『この投稿を通報する - この内容はフェイスブックに載せるべきではないと思います』というあの機能である。

私は人間の善に真剣に疑問を感じさせられるような内容のものを見ました。拷問とか動物とのセックスとか。

報告された投稿はヒエラルキーの最も低い従業員のところに送られる。そのチームはFNRPというが、これはFake Not Real Personという意味だ。チームは、ユーザーが問題ありと報告してきたテキスト、画像やビデオのどれが本当にフェイスブックのいわゆる協同体スタンダードに反するのか、選び出さねばいけない。第一歩として、その内容がプロフィールに本名を使っているアカウントから投稿されたものかどうか調べる。そうでない場合は(それだからFake Not Real Personというのだ)その架空のプロフに削除警告が送られる。そのユーザーがそれに対してしかるべき自己証明をしなかった場合はアカウントそのものが削除される。そうやって禁止された内容を広めるために特に作られたプロフィールに対処するのだ。
 FNRPチームの週あたりの労働時間はほぼ40時間、2交代で8時半から夜10時まで。月収はだいたい税込みで1500ユーロ(訳者注:約20万円)、最低賃金の時給8ユーロ50セントをやや上回る程度である。
 「コンテンツ・モデレーター」になるとヒエラルキーがひとつ上で、ビデオも検査する。決めるのが特に難しい場合は「サブジェクト・マター・エキスパート」が始末をつける。その上にさらにチームのボスがいるが、その仕事は精神的重圧が少ないということになっている。ショックを与えるような投稿を見たりすることがほとんどないからである。

***

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前回の続きです。

 Arvatoは大会社である。他の企業が抱え込んでいる仕事を引き受ける会社だ:コールセンター、マイレージサービス、発送センターなど様々な業務を担当する。40カ国以上で約70000人がこの外部委託サービス会社で働いている。Arvatoはメディアの巨大企業ベルテルスマンの大黒柱だ。ベルテルスマンの従業員の半分以上がこのArvatoに雇われた人たちだ。会社のウェブサイトには『何をして差し上げましょうか?』というモットー。
 フェイスブックの削除センターがベルリンにある理由の一つに、まさにドイツ当局からの圧力が次第に強まってきたということがある。ドイツ連邦法相のハイコ・マースがフェイスブックのドイツでの窓口を通じて、ドイツ語の投稿をきちんと検討して問題のあるものは速やかに削除するよう要請。目下ミュンヘンの検察がフェイスブックを民族扇動罪幇助の疑いで調査している。問題ありとされているのは会社が違法な内容をスムースに削除しないことが頻繁だからだ。
 2015年の初夏、Arvatoから派遣された少人数のグループがフェイスブックのヨーロッパ本部に招かれた。双方の企業が共同作業する取り決めができていたからである:この世界最大のソーシャルメディア企業にはそのサイトをきれいにしておくため協力が必要、Arvatoの経営者はそのためのチームをどう養成していったらいいか知っておかねばいけないというわけだ。2015年の秋に業務開始となったが、始めのうちはそういう仕事をやっていることは秘密にされた。
 フェイスブックとArvato間で交わされた契約の期間はどのくらいなのか?作業をさせるに当たって従業員にどのような準備をさせるのか?業務を開始する前にArvatoは「コンテンツ・モデレーション」が与える精神的重圧のリスクを見積もっていたのか?『南ドイツ新聞マガジン』はArvatoに19の質問リストを書面で提出しておいた。Arvatoはただ「依頼主のフェイスブックはArvatoとの共同作業についてジャーナリストの質問には全て回答を差し控えています」と説明するだけである。
 フェイスブック・ドイツも『南ドイツ新聞マガジン』がやはり書面で送った質問に対し、具体性に欠けるか、または「それについてはコメントできません」という回答をよこすだけである。フェイスブック側の説明が当紙がインタビューしたArvato側の現従業員、元従業員の言っていることと食い違っている点もいくつかある。例えばフェイスブックは、従業員は全員業務にかかる前にArvatoのフェイスブックチーム内で「6週間のトレーニング」と「4週間の個々訓練プログラム」が義務付けられているという。だが『南ドイツ新聞マガジン』が聞きだした従業員はほとんどがもっとずっと短い訓練期間しかなかったと報告している。2週間だったそうだ。

***

 Arvatoの削除チームは言語ごとに分けられている。廊下では英語で会話をしているが、それ以外ではチームの言語で話す:アラビア語、スペイン語、フランス語、トルコ語、イタリア語、スウェーデン語。それからもちろんドイツ語も。チームはそれぞれの言語地域から投稿された内容を見て回るのだが、中心となる内容は大抵同じようなものだ。

順番待ちのキューから出てくるのはランダムに選ばれた画像です。動物虐待、ハーケンクロイツ、ペニス...

 とても正視できないような画像を処理していくのに、チームによっていろいろ違ったやり方になる:スペイン人はお互いそれらを見せ合う、アラブ人はむしろ引きこもりがち。フランス人は黙々としてコンピューターの前に坐っていることが多い。

最初は私たちも昼休みなどにポルノが多いことなんかに冗談を飛ばしていましたよ。でもそのうち皆気が滅入ってしまいました。

 削除すべきか否か?決めるとすぐに次の課題がスクリーンに現れる。処理した件数(「チケット」と呼ばれる)はスクリーンに表示されてわかるようになっている。

画像はドンドンひどくなっていきました。トレーニングで見たより遥かにひどかった。けれどそれってつまりあなた方が私の故国の新聞で目にするものなんですよね。暴力、メチャクチャにされた死体・・・

部屋から突然誰かが飛び出していくなんてしょっちゅうでした。外に走っていって泣き叫ぶんです。

 従業員が『南ドイツ新聞マガジン』に話してくれたディテールには、残酷すぎて活字にできないようなものがある。以下の描写などすでに十分耐えがたいだろう。

犬が一匹つながれていました。裸の東洋人女性がその犬を焼けた鉄でいじめてたんです。その上犬に煮え湯をかける。そういうのを見るとフェチで性的に興奮するような人たち向けです。

子供のポルノが一番ひどい。こんな小さな子供が、まだ6歳以上にはなってないだろうに、上半身裸でベットに横たわっている。その上に太った男がのしかかってその子を暴行するんです。クローズアップ映像でした。

 このような内容を割り当てられた者は言ってみればドアマンとベルトコンベア作業員を足して2で割ったような仕事をするわけだ:これはフェイスブックのサイトに残ってていい。クリック。これは駄目。クリック。最初FNRPチームの要員は一日およそ1000件のチケットを処理するように言われた。つまりフェイスブックのややこしい規約項目に反するかどうかの判定を千回するのである。この規約項目はいわゆる「協同体スタンダード」を呼ばれるもので、何はサイトで公開してよくて何は削除すべきか定めてある。

そのうち斬首のシーン、テロ、裸の画像などが出てくるようになりました。あとからあとからペニス。数え切れないほどのペニス。繰り返し繰り返しものすごく残酷な映像。どのくらいの数だったかとか、はっきり言えません。その時々で違いますが、まあ少なくとも一時間に1件か2件かは絶対あるな。とにかく毎日何かしら恐ろしい目に会います。

2・3日後に最初の死体を見ました。ものすごい血。もうゾッとしてしまいましたよ。画像はすぐ削除しました。そしたら上司が私のところに来て言ったんです。「そりゃ間違いだよ。この画像はフェイスブックの協同体スタンダートに違反してない。」って。この次はもっときちんと仕事をしなさい、と。

***

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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下の記事はうちでとっている南ドイツ新聞に土曜日ごとに挟まってくる小冊子に『悪のネットの中で』というタイトルで2016年12月16日にのったものですが、長いので6回に分けます。

前回の続きです
 
 「協同体スタンダード」という言葉はあたかも学生宿舎の清掃プランのような人畜無害な響きだが、まさにこの規約の裏にソーシャルメディア会社の巧妙に隠された秘密が潜んでいるのである。そこではどの内容をローディングしたりシェアしていいか、どの内容を削除するかが詳細に決められている。強い影響力を持つ大企業が毎日何十億人もの人々の目に触れるのものと触れないものを決めるということで、これは言論の自由と平行するある種の法令である。乳首を露出するのはけしからぬ、いや構わないなどというレベルの問題ではないのだ。なにしろフェイスブックは政治教育したり政治的な影響を強めたりするための最も重要な手段の一つなのだから。どんな画像がシェアされるかということは社会像を作り出すのに決定的な役割を果たす。災害や革命、あるいはデモなどがどういう受け止め方をされるかは、それらのどんな映像がフェイスブックのタイムラインに送ってこられるかにかかっている。にも関わらずその規約の圧倒的大部分が公開もされていなければ、投稿内容がどんな基準によって検閲されるのか、また逆に広められたりするのか、その詳細を立法機関が覗いてみることもできないのだ。
 ソーシャルメディア企業はほとんどその規約のほんの小さな部分しか公開していない。そのうえその規約というのが大抵あいまいな言い回しをとっている。フェイスブックは例えば「当社は、人を危険に陥れるような行動パターンはどんな場合にも容認いたしません」というような事を規約で謳っている。が、どういうものを容認できない行動と見なすのかについての詳しい説明はない。元従業員によれば、こういう規約内容を秘密にしておくのは、巧妙な言い回しをして会社側が自分たちの削除規則をのらりくらりとスルーできるようにしているということを人々につかませないためなのだそうだ。ばかげたロジックだ。国民がその犯罪的な方法をさらに洗練してしまう心配があるといって、国がその法典を門外不出としておくようなものではないか。
 フェイスブックは、自分たちは開かれた企業であって人々がいろいろな情報をシェアできるようにプラットフォームを提供しているだけだ、と示威しているのに、事が一旦自分たちの業務についての具体的な話になると口を閉ざしてしまう。連邦法務省の事務次官で「インターネット内の違法なヘイトコメント対処」の特別委員会の委員長でもあるゲルト・ビレンの言葉によれば、「残念ながら、今のところフェイスブックからは罪に問われ得るような内容にどう対処しているのか透明で他人にもわかるように公開する意図があまり感じとれません」とのことだ。氏は連邦法務省の代表でもあるのに、こんにちまでArvatoに検査をいれる許可が取れないでいる。「ショックを与えるような内容への対応のしかたをどう取り決めているのか、例えば削除のための詳しい規則はどうなっているのか、この作業をする従業員は何人で、どんな資格でやらせているのか、ということですね、そういうことについて何度も透明性を要請しているんです。でも今のところ「そのうち、そのうち」という回答ばかりですね、とビレン。目下法務省はフェイスブックにもっと透明性を要請できるように法を整備することを検討中だ。
 『南ドイツ新聞マガジン』にはフェイスブックの機密規則が大部分が明らかになっているが、同社の機密がここまで大規模に明るみに出されるのはこれが初めてだ。これ以前では2012年にアメリカのウェブサイトGawkerに17ページにわたるさる会社の削除の手引きが暴露された例があるが、この会社もやはりフェイスブックとの契約で仕事をしていた。
 『南ドイツ新聞マガジン』が入手した社内文書はフェイスブックが定めてきた何百もの細かい規定からなっている。どの投稿は削除すべきで、どの投稿は削除しなくていいか、例を多く挙げて示されている。

例えば次のようなものは削除すること:
・公衆の面前で嘔吐している女性の画像に「うえー、あんた大人だろ、キモいなあ」というコメントがついたもの。(理由:コメントがハラスメントと見なされる。身体機能への嫌悪感を表明しているからである)
・チンパンジーの写真のわきで同じような表情を作っているコメントなしの少女の画像(理由;品位を貶めるような画像の出し方だから。人間と動物を明らかに同列に置いている)
・人間を痛めつけているビデオ。ただし「こいつどんだけ痛いだろう、こりゃ見てて楽しいや」などという類のコメントがついている場合のみ。

次のようなものは削除されない:
・中絶ビデオ(ただし裸の画像が映し出されていない場合のみ)
・縊死した人間の画像に「このクソ野郎吊るしてやれ」というコメントがついているもの(理由:この種の死刑への賛成表明なら許される範囲と見なされるから。禁止されるのは「保護されるべき人間集団」を特に名指しているもの。たとえばコメントに「このホモ野郎を吊るせ」などとあった場合)
・コメントなしの、極端な拒食症の女性の写真(理由;脈絡なしで自己傷害的な行動が示されているから)

 過激な暴力内容の処理については例えば15章2条で規定されている。暴力を礼賛することについて。「当社は、人間や動物が死んだり重傷を負ったりする画像にその暴力形式を礼賛するようなコメントがついている場合はその画像やビデオをユーザーがシェアするのを許容しません」とある。つまりその画像に写されている内容そのものは関係なく、画像と文面の組み合わせのみ問題になるということだ。暴力の礼賛と見なされるべきコメントの例がいろいろ挙げられているが、この規定の通りにするならば、誰か瀕死の人間の写真に「おい見ろよ、カッコいいじゃん」とか「このクソが」などと書き込まれた場合にだけ、そういう画像を削除せよというわけだ。

これらの規則のほとんどが理解しがたいものでした。チームの主任に言いましたよ、これはありえない、この絵はあんまり残酷じゃありませんか。こんなものを人の眼に触れさせるわけにはいかない、って。でも主任はただこう意見しただけです、それはあなた個人の考え。フェイスブックがどうしたがっているか、それと同じように考えるようにしないと。機械みたいな考え方をしろってことですよ、って。

 フェイスブック本部からは絶え間なく協同体スタンダードとやらが更新されてくる。Arvatoでは誰かがそれらの変更項目を把握していなければいけない。フェイスブックにとっては非常に重要なのだ。つまりユーザーをプラットフォームから逃がしてしまう原因のことだからである。そしてフェイスブックの最優先目的とはまさにその逆、できるだけ多くのユーザーをできるだけ長くとどめておき、それによってできるだけ多くの広告を見させ、フェイスブックができるだけ多くの金を稼ぐ、ということなのだ。

***

 フェイスブックがここで解決しなければならない課題、それは決してたやすいものではない。人間の持つ憎悪や狂気を押さえつけておく一方でまた、大事な出来事が全く人の目に触れないで終わるようなこともあってはいけないないからだ。ここで削除するしないの判断は、結局ジャーナリズム報道でするニュース選択と同じくらいの広い影響力がある。
 世界では何億人もの人たちがフェイスブックを最も重要なニュースソースにしているのに、同社はメディア企業とは見なされない。企業自身はニュースの中身を生み出していないからだが、メディア倫理上の問題とは関わらないわけにはいかない:暴力の表現はどういう時なら正当か、例えば戦争報道では許されるか?それがより高い目的のためであるということで?そういう、学者達が何十年も考えている問題にソーシャルメディアでは素早く答えを出さなければいけない。7年以上前にネダ・アガ=ソルタンさんというテヘランの若い女性が死亡するシーンがフェイスブックの競争相手ユーチューブに投稿され、最初のテストケースとなった。削除すべきか否か?ユーチューブのチームは「この映像は政治の記録であるからその残虐性にも関わらずネット公開のままにしておく」ことにした。もうかなり前から企業はそのような煩雑な決定のための単純な規則を立てようと試みている。例えばフェイスブックの機密文書には「人が死ぬのを写したビデオはショックも与えるが、自己傷害的な行動、精神的疾患、戦争犯罪、その他の重要な話題についての意識を高めもする」とある。どうしていいかわからない場合Arvatoの従業員はそのビデオを上司に引き渡すように言われている。特に難しい件はダブリンにあるフェイスブックのヨーロッパ本部で処理することになっているそうだ。

特にひどかったのは去年の(訳者注:すでに「二年前」である)パリのテロ攻撃でした。特別会議を招集してその実況ビデオをどうしたらいいか話し合ったんです。サイトにはものすごく残虐なビデオが投稿されました。ほとんどリアルタイムでした。しまいに私たちはこういわれましたよ、投稿内容の大部分をとにかくアラビア語かフランス語のチームに回せって。そこでそのビデオがどうなったかは知りません。

パリでテロ攻撃が勃発した時はチームの主任は私たちコンテンツ・モデレーターを週末休みから呼び出しました。私の所に電話とSNSが来たんです。週末中ぶっ通しで働きましたよ。

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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下の記事はうちでとっている南ドイツ新聞に土曜日ごとに挟まってくる小冊子に『悪のネットの中で』というタイトルで2016年12月16日にのったものですが、長いので6回に分けます。

前回の続きです。

 世界でどのくらいの人がフェイスブックの内容の削除を職業にしているのか、実証できるデータはほとんどない。フェイスブックのインターナショナル部門、「企業戦略部」の部長モニカ・ビッケルトが3月さる会議の場で明かしたところによると、世界で一日あたり100万以上の投稿がフェイスブックに通報されてくるということだ。が、それらの投稿を削除するのにいったいどれだけの人が働いているのかについては氏は口を閉ざしたままだ。UCLAでメディア学を研究しているサラ・ロバーツはもう何年もこの新しい職業を調べているが、氏の換算によると世界でこの業務をしている人は10万人に上るだろうという。ほとんど全員がサービス会社勤務で、顧客はフェイスブックばかりではないそうだ。ロバーツは様々な国で削除業についている人を大勢インタビューしたが、その何人かには心的外傷がみとめられるという。そしてこれらの人々の精神衛生状態がタイムラインの形成内容に大きな影響を及ぼすとのことだ。彼らの多くがヘイトやセックス、暴力シーンを何ヶ月も見せられたせいで身も心も消耗し、どんな内容でも通過させてしまうようになるからだそうだ。かてて加えて時間がないことが多いから、きちんとした仕事などそもそもできない。

ビデオは全部通して見なければいけないことが多かったです。スキップさせてくれないんですよ、スクリーンショットだけあれば十分な場合でもです。音声が一番ひどかった。これも全て聴かなければいけなかったんですよ。まさにその音声の中に禁止された内容が入っていることがあるからです。例えばヘイトスピーチとかサディズムとか。ほとんど映画同様のビデオもたくさんありました。一持間以上も長さがあってね。

 「コンテンツ・モデレーター」の多くは家に帰っても画像が頭から離れない。そこをさらにチーム主任から報告が来て追い討ちをかける。仕事が遅れているというのだ。追加業務をやってくれるわけにはいきませんかね。その追加業務とやらはとてもさばききれるものではなかった、と従業員の言。この従業員はその後退職してしまった。
 フレキシブルであること、これにはベルリンの人は皆慣れている。特に外国から来てドイツ語の話せない人はそうだ。ここに引っ越して来るのはもはやバイエルンやシュヴァーベンの人ばかりではない、グローバルなミドルクラスの人々が集まってくるのだ:インド人、メキシコ人、南アフリカ人など、若くて教育程度も高いことが多い。しかし彼らは、教育があってもベルリンでは誰も雇ってくれないことを思い知らされる。ベルリンに住む外国人の30%が貧困に陥る危険があるとされている。元従業員の一人の言によれば:

うまい商売をやったねとArvatoを褒めるとしたら、業務地をベルリンに持ってきたことですね。ここは言語や文化のるつぼですから。至急に仕事を探しているスウェーデン人やらノルウェー人やらシリア人やらトルコ人やらフランス人やらがここ以外のどこで捕まえられるもんですか。

 ここにやってきた人たちは多くがなりふりなど構っていられない状態だ。何でもいいからとにかくベルリンにいたいがために、どんな仕事でも背負い込む。自分たちがその仕事より遥かに高い資格を持っていても、その仕事が心に傷害を与え、多くの者がそれで益々感覚を麻痺させられるような仕事であっても。
 Arvatoの削除業務に携わっている人の中に素粒子物理学を専攻した人や博士号保持者、大学教授などがいるのはそういうわけだ。それらの人は難民である場合が多く、自国の職業資格がドイツで承認されない(訳者注:私も日本の大学で取った「学士」を高卒扱いされ完全に大学をやり直しさせられました。『2.印欧語の逆襲』参照)。さる元従業員の言によれば、人々がそういう、精神も肉体もボロボロになるような仕事にやる気を出させるのが極めて難しかったそうだ。昇進はなおさらさせにくい。地位が上がって「コンテンツ・モデレーター」になるとビデオのチェックまでやらされるからだ。

私の人生をメチャメチャにするにはビデオ一本あれば足りるだろう、ということはわかっていました。だからコンテンツ・モデレーターには絶対昇進したくなかった。自分の精神がおかしくなりそうで心配だったんです。コンテンツ・モデレーターはもう想像を絶するようなものすごいビデオを見るんですよ。画像もビデオも

 「コンテンツ・モデレーター」は階級が下のFNRPよりさらにスピーディに仕事をしなければいけない。一件につき時間は平均8秒。それより長いビデオを全部通して見させられることもしょっちゅうなのにである。一日の目標件数は3000以上だった、とさる「コンテンツ・モデレーター」は証言している。これはアメリカのラジオ局グループNPRが11月に他の国の「コンテンツ・モデレーター」から聞き出した数字とほぼ一致する。ただしフェイスブックは放送局に対しこれを否定してきたが。ある元従業員によれば、削除チームの仕事は全てフェイスブックの企業内プラットフォームで行なわれるから、会社にはリアルタイムで全ての数字の報告が行っていると思う、とのことであった。

それらのビデオを本当にはじめから終わりまで通して見てしかもチェックも行う、なんて不可能でしょう。あんまり残酷すぎてとにかく目をそむけていたくなるし。いくらそむけてはいけないといわれても。その上気をつけていないといけないことがいろいろある。これはいったいどの規則に違反しているのかはっきりしないのなんてしょっちゅうです。

一日の目標はこなさないといけない。でないと上司と悶着がおこる。ストレスが凄かったです。

 2016年の春スペイン語の削除チームがArvatoの首脳部に書面を出し、過労や高ストレス、労働環境の劣悪さを訴えた。その書面はたちまち従業員全員の間で巡回された。「私たちは過労のため5分間の休みを要請しました(…)この願いには残念ながら今まで応じて貰っていません。さらに、上で述べた問題点すべてに加えて一部ショッキングな内容のチケットの処理によって引き起こされる精神的苦痛にも言及させていただきます。」
 それでも何も変わりませんでした、と従業員は述べている。そうこうするうちFNRPの従業員は一日1000でなく2000チケットを処理しろということになった、と多くの人が報告している。フェイスブックは『南ドイツ新聞マガジン』の問い合わせにはコメントをしてくれていない。

チームの主任の意見は、「この仕事が嫌なら辞めればいいじゃないか」ということでした。

 目下ベルリンのArvatoでは600人以上がフェイスブックの内容を削除する業務に携わっている、と従業員の一人が供述している。でもその数はどんどん増えているそうだ。2016年の三月にはさらに、歩いて数分しかないところに二つ目のビルが加わった。仕事場には従業員が巨大なフェイスブックのバナーをつるした。

まったく矛盾してますよ。もちろん私たちはフェイスブックの仕事をしててカッコいいと思ってますよ。誰でも知ってるし誰もが好きな会社ですしね。それでまあ、嫌なことは見ないようにしようとはしてるんです。

 当紙の情報提供者に一人は、業務がひどいものなのに辞めようとしているものは驚くほど少ない、と言っている。皆とにかく仕事が必要だからかもしれない。あるいは神経が麻痺してしまっているのか。アラビア語チームの従業員がこう言っている。

仕事はひどいですよ。でも少なくともこれでシリアからの凄まじい暴力ビデオがさらに広まるのが阻止できるわけですから。

 それでも従業員がギブアップせざるを得なくなるようなビデオが繰り返し現れる。

子供をつれた男の人がひとり。3歳くらいの子供かな。そいつがカメラを立てましてね。子供を手に取る。そして肉切り包丁を出す… 私自身子供が一人いるんです。ちょうどその子のような子供です。だから私の子供がその子だったかもしれない。自分の頭をこんなクソ仕事のためにメチャメチャにする必要なんてない。私はスイッチを全部切ってただ外に走り出ました。自分の鞄をつかんで大声で泣きながら市電まで走りましたよ。

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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下の記事はうちでとっている南ドイツ新聞に土曜日ごとに挟まってくる小冊子に『悪のネットの中で』というタイトルで2016年12月16日にのったものですが、長いので6回に分けます。

前回の続きです。

 学者たちの理解では心的外傷とは「そのままではそれを克服することのできないような、苦痛を与える事象」をいう。多くの場合身体的あるいは精神的な暴力が原因であり、心的外傷後ストレス障害を引き起こすことも少なくない。ウルム大学病院の精神身体医学の教授でドイツの心的外傷研究財団の幹部会員でもあるハラルト・ギュンデル氏に、『南ドイツ新聞マガジン』がArvatoの従業員をインタビューして作成した証言の写しをいくつか読んでもらった。教授によればそれらの描写には典型的な心的外傷後ストレス障害の症状が現れている可能性があるという。苦痛を与えるような画像やビデオのシーケンス、それが仕事を離れている時でも後から後から目の前にありありと浮かぶ。繰り返し見る悪夢。ほんのちょっとでもビデオの内容を想起させるような状況になると度を過ぎた驚愕反応をしてしまう。体は何処も悪くないのにおこる痛み。社会逃避。消耗感、何事にも無感覚になってしまったようなふるまい。性欲の消失。

子供ポルノのビデオを見てからというもの、本当にもう尼僧になれそうな感じです-セックスとか考えただけでもう無理。もう一年以上もパートナーとか緊密になれてません。触られただけでもう震えが来るんですよ。

突然髪の毛が束になって抜けてしまいました。シャワーを浴びた後とか仕事の最中でさえ抜けます。主治医に言われました、その仕事辞めなきゃ駄目だって。

ひっきりなしに人がデスクから飛び上がってキッチンに走りこむんです。で、斬首のビデオのあと少しでも新鮮な空気を吸うために窓をバーッと開けるんです。酔っ払ってしまうか、やたらと「草」をふかす。でないととてもやっていけません。

 フェイスブックは『南ドイツ新聞マガジン』の問いに答えてこう説明している。「従業員は誰でも精神衛生管理を要求できます。従業員の希望があれば随時要請できるものです。」しかし従業員は異口同音に、Arvatoは精神上の問題は自己処理に任せっぱなしにしていた感じだったと言っている。十分に管理などしてもらえなかったし、すさまじい画像やビデオを扱う仕事から被る精神的苦痛に対してそれなりの準備トレーニングもしてもらえなかった。

私たちはArvatoは精神衛生のサポートをしている、という項に署名させられました。でも実際はサポートを受けるなんて不可能だった。会社は何もしてくれはしませんでした。

 雇用者は精神の苦痛から守られなければいけない、と2013年からドイツ労働法の第4条、第五条で決まっている。「実際に健康上の傷害が生じるまで待っていないで事前にリスクをできるだけ減らしておく、ということなんです」と、法律事務所dkaベルリンの労働法担当の弁護士ラファエル・カルステンは述べる。氏によれば、「コンテンツ・モデレーター」たちが職業医師による健康管理を受けていない場合は労働法違反だろうと言う:「雇用者は実際に効果のある保護措置をとらないといけない。従業員がショックを与えるようなビデオや画像を見た場合は仕事を中断して、いつでも開かれている相談窓口とも相談して自分の状態をよく考えてみる、こういうことができないといけない。できれば医師と相談することです。医師には黙秘の義務がありますから」。しかしArvatoの従業員は誰一人としてそういう相談ができる医者のことなど聞いていない。ソース提供者によれば、予約なしで自由にいつでも来られるグループ会合はあったそうで、問題点を話し合うことになっていたとのことだ。それを行なっていたのは社会教育学専門の女性で、心理学の専門家ではなかったと全員口を揃えて証言している。当紙が話を聞いた従業員にはこの会合に参加した者など誰もいなかった。知りあいでもない職場の同僚の前で自分の極めて個人的な問題を口に出すのは気おくれするものだ。
 さる女性従業員は繰り返しその社会教育の人と個人的に会合してもらおうとしたが、長い間待たされて結局あきらめてしまった。『南ドイツ新聞マガジン』の問い合わせに対し、精神衛生の担当者がどんな資格を持っているのか、あるいはその人物は黙秘の義務をになっているのかについてフェイスブックからは正確なデータを示してもらえていない。

私が出て来た部署だったら、ソーシャルワーカーなんて私が話したことをすぐ全部私の上司に報告したでしょう。で、その上司にクビを言い渡されますね。この会社を信用してる人なんてチームには誰もいませんよ。どうして自分たちの心配事を打ち明けたりするもんですか。

 しかし、職業上残酷なメディアの内容と向き合っている人たちに対して、対処の方法はあるのだ。例えば青少年に害のあるメディアをチェックしている連邦検査局は残酷ビデオも検査しているが、新入りの従業員にはショックを与えるような内容の扱い方について定期的なトレーニングがある。「そういう映画をいっぺんに見る必要はない。いつでも中断していい、何か他の事をしてからまた戻ってきて再開できるんです」と連邦検査局のチーフ、マルティナ・ハナク-マインケは言っている。ソーシャルワーカーと個々に会うことができるし、心理学や心的外傷の専門家もいつでも待機している。従業員がきわめてショッキングな資料を吟味している別の部局には厳しい規則があって、そういう映画を吟味するのは週当たり最高8時間が限度、さらにそれが与える影響のことをその場で話し合いできるよう2人がチームを組んで行なう。こういう仕事のために特に訓練された法律家を雇い入れるところも多い。

国では軍隊にいました。だから戦争や死体の画像にはショックを受けません。私が参ってしまったのは何が出てくるかわからないからです。頭から離れないビデオが一つある。女の人がハイヒールで子猫をグチャグチャに踏み潰すんです。セックス・フェチのビデオの一部ですよ。人間にこういうことが出来るなんて考えたことがなかった。

この猫ビデオは削除となった。『南ドイツ新聞マガジン』が入手した社内文書の15条1項に違反するからだ。サディズム。「性的サディズムとは他の生き物の苦痛をエロチックな楽しみとすることである」。さすがのフェイスブックでも許容されないのである。

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