アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ:語学 > ソルブ語

 ドイツは1998年にEUのヨーロッパ地方言語・少数言語憲章を批准・署名しているので、国内の少数言語を保護する義務があり、低地ザクセン語、デンマーク語、フリ―スランド語、ロマ二語、ソルブ語が少数言語として正式に認められている。特にソルブ語は、公式に法廷言語として承認されている。裁判所構成法(Gerichtsverfassungsgesetz)第184条にこうある。

Die Gerichtssprache ist deutsch. Das Recht der Sorben, in den Heimatkreisen der sorbischen Bevölkerung vor Gericht sorbisch zu sprechen, ist gewährleistet.

法廷言語はドイツ語とする。ソルブ人の住民にはその居住する郡の法廷においてソルブ語を使用する権利が保障される。

 法廷言語は公用語とイコールではないが、ソルブ人はやろうと思えばもとから自分達の住んでいる地域で自分達の言葉を使って裁判ができるのだからこれは準公用語的ステータスではないだろうか。日本のどこかにアイヌ語で裁判をする権利が認められている地方があるだろうか? さらに、現在ザクセン州の知事をしているのはドイツ人ではなく、ソルブ人のスタニスラフ・ティリッヒという政治家だ。「スタニスラフ」という名前は典型的に非ドイツ語形。これを日本で言うと、北海道の一部でアイヌ語で裁判が行え、アイヌ語名の仮名表記で戸籍に登録でき、例えば「ゲンダーヌ」という名前のまま立候補したアイヌ人が北海道の知事になったようなものだ。
 ソルブ語はドイツ語とは全く違う西スラブ語系統の言葉でポーランド語に近い。さらに厳密に言うとソルブ語は一つの言語というより下ソルブ語と上ソルブ語の2言語だ。

 これはあくまで自己反省だが、大学でドイツ語、ドイツ文化、あるいはドイツの政治や歴史を勉強しましたといいながらこのソルブ語の存在を知らない人がいる。「ソルブ語なんてドイツ語・ドイツ文化はもちろんドイツの歴史とは関係ないんだからいいじゃないか」と言うかも知れないが、私はそうは思わない。
 「私は日本のことを大学で勉強しました」と言っている外国人がアイヌの存在を知らなかったら、その人の「日本学専攻者」としての知識・能力に対して一抹の不安を抱くのではないだろうか。「ドイツの言葉や文化・歴史を勉強しました。でもソルブ語って何ですか?」と聞く人はそれと同じレベルだと思う。繰り返すがこれは自己反省である。私もソルブ語のことを教わったのはスラブ語学の千野栄一氏の本でなのだから。そもそもいまだに西スラブ語が一言語も出来ない私がエラそうなことを言えた義理ではないのだ。

 そのソルブ語のことをそれこそお義理にちょっと(だけ)調べてみた。
 
 まず「窓」という単語。上下ソルブ語共に wokno である。『33.サインはV』の項に書いたベラルーシ語と同様「語頭音添加の v 」(prothetic v、 ソルブ語では w、ベラルーシ語では в と綴る) が現れているではないか。これはロシア語では окно(okno) だ。そう知るとベラルーシ語以外の東スラブ語、要するにウクライナ語が気になりだした。いくつか単語を検索してみたので比べてみて欲しい。左がロシア語、真ん中がベラルーシ語、右がウクライナ語だ。
Tabelle1-37
ベラルーシ語とウクライナ語では prothetic v の現れ方が微妙に違っている。「秋」と「目」に対して「火」と「窓」を比べてみると、v の現れ方がベラルーシ語とウクライナ語でそれぞれちょうど逆になっているのがわかる。 「8」、「耳」、「髭」では両言語仲良く(?)語頭音に v がついている。「8」に至ってはロシア語までいっしょになって v つきだ。
 
 しかしその、全東スラブ諸語共通で v が語頭添加されている「8」も南スラブ語のクロアチア語では v が現れない。
 Tabelle2-37
「窓」「髭」はクロアチア語は別系統の語を使うようだが、「火」、「8」、「耳」、「目」に v が転化されていないのが見て取れる(太字)。なお。クロアチア語の j は英語の j ではなくドイツ語の j、英語で言うなら y  なので、jesen は「イェセン」である。下記のポーランド語もそう。

 さてそういえば上のウクライナ語に対して対ロシア語・ベラルーシ語では「8」と「窓」という単語でそれぞれ  i 対 o と音韻交替している(下線部)。もっともベラルーシ語はアーカニエ(『6.他人の血』参照)を文字化するので a になっている。これに呼応してハルキウ(Харкiв)というウクライナの都市のロシア語名はハリコフ (Харьков) だ。

 西スラブ諸語にもどるが、ソルブ語とポーランド語を比較してみた。西スラブ語の正書法では ch は英語でなくいわばドイツ語読みなので発音は「チ」でなく「ハヒフヘホ」、[ç] または [x] である。
Tabelle3-37
「秋」は上下ソルブ語とも別系統の語だ。zyma はロシア語の зима (zima) 「冬」だろうからつまりソルブ語では秋のことを「冬に向かう季節」と表現するらしい。「髭」は下ソルブ語で borda と言って上述のクロアチア語と同系統の語、上ソルブ語と語彙そのものが違うように見えるが実は borda 系の単語は上ソルブ語でも使うそうだ。つまり wusy か borda かは言語の違いというより髭の種類の違いのようで、前者は顎鬚を指し髭全般を意味するのはむしろ後者らしい。だからもしかしたらクロアチア語にも下ソルブ語にも borda と並んで ус (us)、 вус  (vus) あるいは wusy (vusy) 系統の単語が存在するのかもしれないが小さな辞書には出ていなかった。
 いずれにせよ、prothetic v を売り物にする(していない)ベラルーシ語よりむしろソルブ語の方がきれいに v  が現れている。

 ついでに隣のバルト語派のリトアニア語は以下の通りだ。 さすがバルト語派。スラブ語派と形が近いが基本的に prothetic v  は現れない。

上下ソルブ語と同様「秋」が別単語だが、ソルブ語と違って「冬に向かう季節」でもない。「冬」はリトアニア語で žiema、スラブ諸語とそっくりだ。リトアニア語の「秋」ruduo はrùdas、「茶色」から来ているそうだ。
Tabelle4-37
 ちょっとネイティブ・スピーカーに聞いてみたら、「髭」には他に barzda という borda 系の言葉もあるらしい。ちなみに「火」というリトアニア語ugnis は、oganj(クロアチア語)、wogeń(下ソルブ語)、ogień(ポーランド語)、 огонь (ogon’)(ロシア語)などとともに、ラテン語の ignis と同源だ。「8」の aštuoni という形は t が入っているのでスラブ語派とは関係ないだろうと思うと、実は両者ともにしっかり同語源、印欧祖語の oḱtṓw から来ている。ラテン語の octō を見てもわかる通り、本来は t があったのだ。それを抜いてしまったスラブ諸語のほうがむしろ文字通り抜けているのである。
 こうして見てみるとリトアニア語も非常に面白そうな言語だが、この言語はアクセント体系が地獄的に難しいと聞いたので今生ではパスすることにして、次回生まれ変わった時にでも勉強しようと思う。


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 筒井康隆氏が30代半ばのときに一度読もうとしたが「かったるくて読めたもんではなかった」ため中断し、中年過ぎてから再び挑戦してやっと読破したら大変面白かったというトーマス・マンの『魔の山』に、ちょっと気になる登場人物がいる。「登場人物」といっていいのかどうか、主人公のハンス・カストルプが学校時代を回想して思い出す少年である。主人公はクラスの違うこの少年に非常に惹かれ、知り合いになりたいと長い間思っていて、ある日勇気を持って校庭で話しかけ、結構丁寧に対応してもらって痺れるように嬉しい思いをする、そんな出来事をずっと後になって思い出すのである。
 『6.他人の血』でも書いたように私は文学音痴なのでこの登場人物がストーリー上どのような役割を果たしているのか、何を暗示しているのかなどということはどうでもいいのだが(ごめんなさい)、この少年の描写で次の部分は素通りできなかった。

Der Knabe, mit dem Hans Castorp sprach, hieß Hippe, Vornamen Pribislav. Als Merkwürdigkeit kam hinzu, daß das r dieses Vornamens wie sch auszusprechen war: es hieß „Pschibislav“; ... Hippe, ... stammte aus Mecklenburg und war für seine Person offenbar das Produkt einer alten Rassenmischung, einer Versetzung germanischen Blutes mit wendischen-slawischen – oder auch umgekehrt.   

ハンス・カストルプが話をした少年はヒッペと言った。名前はプリビスラフだ。その上奇妙なことにこの名前は「ル」を「シ」のように発音した:プシビスラフと言ったのである。…ヒッペは…メクレンブルクの出で、その風貌からすると、ゲルマンの血にヴェンド・スラブの血が混じったか、あるいはその逆か、とにかく古い人種混交の産物であることは明らかだった。
(翻訳:人食いアヒルの子)

 ここで「あれ?」と思う人は多いだろう。私も思った。Wendisch、ヴェンド人あるいはヴェンド語というのはソルブ語・ソルブ人の別名である。こちらの言語事典にさえ、「Wendisch:ソルブ語と同義。現在では廃れた名称」と書いてある。さらに私がいつか聞いた話では上下ソルブ語でも特に下ソルブに対してこの名称が使われやすいそうで、先日たまたま見たTV番組では下ソルブ人のなかにはソルブ人とかソルブ語という名称を好まずWendischという名称のほうを使ってもらいたがっている人もいる、とのことだった。上ソルブといっしょにするな、ということなのだろうが、上にしろ下にしろとにかくこのWendischというのはソルブ人のことだ。ソルブ人の住んでいる地域はどこか思い出してほしい。ザクセン州ではないか。北ドイツのメクレンブルクにはソルブ人などいないはずである。
 さらに見れば『魔の山』の日本語訳にはここでヴェンド人あるいはヴェンデンという言葉について注がついている。しかしこれが「北ドイツのラウジッツ地方に住むスラブ人」と説明してある。確かにラウジッツにはソルブ人が居住していてソルブ語が公用語的ステータスを与えられているが(『37.ソルブ語のV』の項参照)ここはザクセン州で北ドイツなどではない。
 おかしいと思って調べてみるとWendenあるいはWendischという名称は元々はソルブ人ばかりでなく、以前はドイツの非常に広い範囲に住んでいた西スラブ語を話す人々全体を意味していたらしい。中世には北ドイツ全体ばかりでなく、結構南の地域もスラブ語地域だったとのこと。北ドイツや東ドイツには今でも「ベルリン」だの「ケムニッツ」だの「ロストク」だの明らかにスラブ語形とわかる地名が多いし、そもそもトーマス・マンの出身地リューベックからしてスラブ語起源、ロシア語のлюбовь(リューボフィ、「愛」)と同源だ。

 そういうわけでメクレンブルクや下ザクセンなども昔は西スラブ語が話されていたが、これらの人々は皆ヴェンド人と呼ばれていた。12世紀にメクレンブルクを支配していた人ももちろんスラブ人で名前がまさに Pribislav 公といったのである。北ドイツには他にも Pribislav という歴史上の人物が何人かいる。
 ポラーブ語など、彼らの話していた言語はその後ドイツ語に押されて消滅してしまった。ソルブ語だけが生き残った。だからこの文脈でヴェンド人を「ラウジッツに住むスラブ人」と説明するのは明らかに間違い。黙っていればいいものをわざわざ間違った注がついていることになる。
 ではここでラウジッツのソルブ語を持ち出すのが完全にトンチンカンかというと決してそうではない。上でも書いたようにポラーブ語始め滅んでしまったドイツの西スラブ語はソルブ語と非常に近いからだ。その点で Pribislavを「プシービスラフと発音した」というマンの記述は非常に重みがある。西スラブ語では口蓋化された r がそういう変な音(?)になる例がママあるからだ。
 有名なのがチェコ語の ř で、ロシア語なら簡単に r を口蓋化して「リ」といえばいいが、チェコ語だとここで舌先震え音の [r] と調音点が口蓋に近い摩擦音の [ʒ] (つまり「ジュ」)を同時に発音する。そんな音が発音できるわけないだろうと思い、実際の音を聞いてみたが私には [] という破擦音にしか聞こえなかった。[ʒ] は有声音で、この無声バージョンが [ʃ] だが、ドイツ人はこれらの区別が下手で、どちらもschと書き表してしまうのが普通だ。だから本当に「r が sch に聞こえる」のである。
 上ソルブ語ではチェコ語と同じく ř という文字を使うが、これがチェコ語のような信じられない音ではなくて素直に [ʃ]、つまりズバリ sch である。上ソルブ語では p、t、k の後に r が続くと sch になる、という説明を見かけた。p、k の後は必ず sch だが、t の後の r はschでなく s になることもあるそうだ。
 さらに下ソルブ語には上ソルブ語で r が o、a、u、つまり後舌母音の前で š(sch)になるとあった。
Tabelle-71
上ソルブ語の単語は皆 tr、kr、pr が続いているのに ř になっていないじゃないかと一瞬戸惑ったのだが、チェコ語のようにこのřは「口蓋化された r」が変化したものなのだろう。だから ř が現れるのは i と e の前だけなのに違いない。つまり ř は r が子音 p、t、k と母音 i、e に挟まれると現れるのではないかと予想し、ř のついている語の例をさらに探してみると案の定 předměst (「郊外」)だの křesto(「十字架」)だの přihódny(「ふさわしい、適切な」)だの přisprawny (これも「適切な」)だの、後ろに i か e が来ているものばかりである。上の bratr や sotra にしてもこれに縮小辞がつくとそれぞれ bratřik、sotřičkaとなって i が後続すると r が ř に変化しているのがわかる。例外もあって、英語の away、gone にあたる副詞は preč で r だし、e ならぬ ě の前では r が現れるらしい。それで「あちら側に」とか「向こう側に」は prěki、「横切って」が naprěki。その一方でこの prěki が動詞の前綴りとして使われるときは překi となり、překipjeć で「向こう側に流れる」、つまり「あふれる・こぼれる」。さらに「三時」をtřochといって後続するのが i でも e でもないのに ř になっていたりするが、まあ p、t、k と i 、 e との間に挟まれると r が ř になるという原則は崩れまい。
 ただ、チェコ語では r の口蓋化バージョンは ř だけだが、上ソルブ語は r の口蓋化バージョンとしてもともとの音 rj  も保持されているのがわかる。つまりいわゆる軟音の r が二つに分かれているわけだ。下ソルブ語では口蓋音でもないのに r が š になっていてなんじゃらほいとは思うが、『39.専門家に脱帽』の項でも書いたようにポーランド語やカシューブ語ではソナントの n が無声化してやっぱり š になっていたりするから、まあ西スラブ語ならそれくらいはやりかねないだろうということで納得できるのではないだろうか。
 そういえばポーランド語でもチェコ語と同じく軟音の r は変な音一辺倒だが、rz と2文字で表す。二文字で表してあっても音素としては一つだ。発音は [ʃ] である。
 いずれにせよ、Pribislavという名前の中の r は西スラブ語では sch としか読みようがないのである。
 
 この調子できっとポラーブ語の r も sch と発音したと思われるが、問題はどうしてトーマス・マンがそんなことを知っていたのか、ということである。ポラーブ語は18世紀の末にはもう滅んでいたから1875年生まれのトーマス・マンがこの言語を直接見聞きしていたはずはない。しかしこの言語の記録はドイツ人がよく保存していたから、マンはリューベックかどこかの大学か図書館でポラーブ語などの資料に触れていたか、メクレンブルクでは言葉は滅んでも地名人名に西スラブ語の発音が残っていたか、あるいはマンは現代のソルブ語かせめてポーランド語をよく知っていてそこからポラーブ語の発音を類推したかである。私はマンの作品はそれこそかったるくてきちんと読んだものがロクにないが、ひょっとして氏自身が自伝か何かでそこら辺のことに触れているかもしれない。それともこんなことはドイツ文学研究者の間ではとうに知れ渡っていることなのか?

 ところで上の箇所にはもう一つ「は?」と思った部分がある。太字にしておいたが、für seine Personという言い回しである。文脈から押してこの für は bezüglich (~に関して)と同じような意味のはずだ。私は「その風貌からすると」と訳しておいたが、実は前置詞 für (英語の for)がこんな使われ方をしているのを見たことがなかったのでネイティブに聞いてしまった。ところが聞かれたネイティブも「へ?」と言い出し、「こんな使い方見たことがない」と私と同じ事をつぶやきながら、辞書を持ち出してきて調べ始めた。Dudenには説明が見当たらず、とうとうヘルマン・パウルのドイツ語辞典まで参照したがドンピシャリなのが見つからない。
 「どんな」をドイツ語で was für ein(e)といい、そこでは前置詞が導く名詞がいわば「判断の枠組み」を示すから、この用法の一種とみていいのかなとは思うが、それならば名詞のほうには不定冠詞がつくはずであるのに、ここでは seine Person(「彼の風貌」)と定形になっているのが引っかかりまくる。さらにこの「彼の」が実はハンス・カストルプのことで「カストルプにとってはヒッペがヴェンド人の血を引いていることが明らかだった」という意味ならば素直に für ihn(「彼にとっては」)と書くはずでPerson(「人物・人となり・風貌」)などという言葉はいらない、と一人でブツブツ言っていたそのネイティブはついにもう一人のネイティブに本を見せて訊ねた。するとその二人目のネイティブは「こういう für は見たことがある」と自慢し出したのである。つまりこの für は「見たことがある」とネイティブがいばれるくらい稀な用法なのだ。
 結局「これは bezüglich だ」と結論するしかなかったが、それにしてもネイティブが二人して前置詞一つにあたふたしている姿は壮観でさえあった。トーマス・マンも罪なことをするものだが、それほど難しい部分が出版されている日本語訳ではいったいどうなっているのか気になって改めて見直してみたところ、なんとその für seine Person のフレーズはすっ飛ばされていた。ただ、

彼はメクレンブルクの生れで、明らかに古い時代の混血、つまりゲルマンの血にヴェンデン・スラブの(ここで上述の注が入っている)血が混ったか-またはその逆の混血の子孫にちがいなかった。

と訳されていたのである。力が抜けた。


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以前の記事の図表レイアウトが機種やブラウザによってはグチャグチャになるので、図表を画像に変更していっています。誤打(あるある!)の訂正や文章の見直しもしています。実はこれ、2・3日前に投稿しようと思っていたのですが、ウクライナで戦争が起こってしまったため「こんなのんきなこと書いている場合か」と怒鳴られそうで二の足を踏んでいました。安心して「のんきな」言語比較議論のできるような平和を望んでやみません。

内容はこの記事と同じです。

 ドイツは1998年にEUのヨーロッパ地方言語・少数言語憲章を批准・署名しているので、国内の少数言語を保護する義務があり、低地ザクセン語、デンマーク語、フリ―スランド語、ロマ二語、ソルブ語が少数言語として正式に認められている。特にソルブ語は、公式に法廷言語として承認されている。裁判所構成法(Gerichtsverfassungsgesetz)第184条にこうある。

Die Gerichtssprache ist deutsch. Das Recht der Sorben, in den Heimatkreisen der sorbischen Bevölkerung vor Gericht sorbisch zu sprechen, ist gewährleistet.

法廷言語はドイツ語とする。ソルブ人の住民にはその居住する郡の法廷においてソルブ語を使用する権利が保障される。

 法廷言語は公用語とイコールではないが、ソルブ人はやろうと思えばもとから自分達の住んでいる地域で自分達の言葉を使って裁判ができるのだからこれは準公用語的ステータスではないだろうか。日本のどこかにアイヌ語で裁判をする権利が認められている地方があるだろうか? さらに、現在ザクセン州の知事をしているのはドイツ人ではなく、ソルブ人のスタニスラフ・ティリッヒという政治家だ。「スタニスラフ」という名前は典型的に非ドイツ語形。これを日本で言うと、北海道の一部でアイヌ語で裁判が行え、アイヌ語名の仮名表記で戸籍に登録でき、例えば「ゲンダーヌ」という名前のまま立候補したアイヌ人が北海道の知事になったようなものだ。
 ソルブ語はドイツ語とは全く違う西スラブ語系統の言葉でポーランド語に近い。さらに厳密に言うとソルブ語は一つの言語というより下ソルブ語と上ソルブ語の2言語だ。

 これはあくまで自己反省だが、大学でドイツ語、ドイツ文化、あるいはドイツの政治や歴史を勉強しましたといいながらこのソルブ語の存在を知らない人がいる。「ソルブ語なんてドイツ語・ドイツ文化はもちろんドイツの歴史とは関係ないんだからいいじゃないか」と言うかも知れないが、私はそうは思わない。
 「私は日本のことを大学で勉強しました」と言っている外国人がアイヌの存在を知らなかったら、その人の「日本学専攻者」としての知識・能力に対して一抹の不安を抱くのではないだろうか。「ドイツの言葉や文化・歴史を勉強しました。でもソルブ語って何ですか?」と聞く人はそれと同じレベルだと思う。繰り返すがこれは自己反省である。私もソルブ語のことを教わったのはスラブ語学の千野栄一氏の本でなのだから。そもそもいまだに西スラブ語が一言語も出来ない私がエラそうなことを言えた義理ではないのだ。

 そのソルブ語のことをそれこそお義理にちょっと(だけ)調べてみた。
 
 まず「窓」という単語。上下ソルブ語共に wokno である。『33.サインはV』の項に書いたベラルーシ語と同様「語頭音添加の v 」(prothetic v、 ソルブ語では w、ベラルーシ語では в と綴る) が現れているではないか。これはロシア語では окно(okno) だ。そう知るとベラルーシ語以外の東スラブ語、要するにウクライナ語が気になりだした。いくつか単語を検索してみたので比べてみて欲しい。左がロシア語、真ん中がベラルーシ語、右がウクライナ語だ。
Tabelle1-37
ベラルーシ語とウクライナ語では prothetic v の現れ方が微妙に違っている。「秋」と「目」に対して「火」と「窓」を比べてみると、v の現れ方がベラルーシ語とウクライナ語でそれぞれちょうど逆になっているのがわかる。 「8」、「耳」、「髭」では両言語仲良く(?)語頭音に v がついている。「8」に至ってはロシア語までいっしょになって v つきだ。
 
 しかしその、全東スラブ諸語共通で v が語頭添加されている「8」も南スラブ語のクロアチア語では v が現れない。
 Tabelle2-37
「窓」「髭」はクロアチア語は別系統の語を使うようだが、「火」、「8」、「耳」、「目」に v が転化されていないのが見て取れる(太字)。なお。クロアチア語の j は英語の j ではなくドイツ語の j、英語で言うなら y  なので、jesen は「イェセン」である。下記のポーランド語もそう。

 さてそういえば上のウクライナ語に対して対ロシア語・ベラルーシ語では「8」と「窓」という単語でそれぞれ  i 対 o と音韻交替している(下線部)。もっともベラルーシ語はアーカニエ(『6.他人の血』参照)を文字化するので a になっている。これに呼応してハルキウ(Харкiв)というウクライナの都市のロシア語名はハリコフ (Харьков) だ。

 西スラブ諸語にもどるが、ソルブ語とポーランド語を比較してみた。西スラブ語の正書法では ch は英語でなくいわばドイツ語読みなので発音は「チ」でなく「ハヒフヘホ」、[ç] または [x] である。
Tabelle3-37
「秋」は上下ソルブ語とも別系統の語だ。zyma はロシア語の зима (zima) 「冬」だろうからつまりソルブ語では秋のことを「冬に向かう季節」と表現するらしい。「髭」は下ソルブ語で borda と言って上述のクロアチア語と同系統の語、上ソルブ語と語彙そのものが違うように見えるが実は borda 系の単語は上ソルブ語でも使うそうだ。つまり wusy か borda かは言語の違いというより髭の種類の違いのようで、前者は顎鬚を指し髭全般を意味するのはむしろ後者らしい。だからもしかしたらクロアチア語にも下ソルブ語にも borda と並んで ус (us)、 вус  (vus) あるいは wusy (vusy) 系統の単語が存在するのかもしれないが小さな辞書には出ていなかった。
 いずれにせよ、prothetic v を売り物にする(していない)ベラルーシ語よりむしろソルブ語の方がきれいに v  が現れている。

 ついでに隣のバルト語派のリトアニア語は以下の通りだ。 さすがバルト語派。スラブ語派と形が近いが基本的に prothetic v  は現れない。

上下ソルブ語と同様「秋」が別単語だが、ソルブ語と違って「冬に向かう季節」でもない。「冬」はリトアニア語で žiema、スラブ諸語とそっくりだ。リトアニア語の「秋」ruduo はrùdas、「茶色」から来ているそうだ。
Tabelle4-37
 ちょっとネイティブ・スピーカーに聞いてみたら、「髭」には他に barzda という borda 系の言葉もあるらしい。ちなみに「火」というリトアニア語ugnis は、oganj(クロアチア語)、wogeń(下ソルブ語)、ogień(ポーランド語)、 огонь (ogon’)(ロシア語)などとともに、ラテン語の ignis と同源だ。「8」の aštuoni という形は t が入っているのでスラブ語派とは関係ないだろうと思うと、実は両者ともにしっかり同語源、印欧祖語の oḱtṓw から来ている。ラテン語の octō を見てもわかる通り、本来は t があったのだ。それを抜いてしまったスラブ諸語のほうがむしろ文字通り抜けているのである。
 こうして見てみるとリトアニア語も非常に面白そうな言語だが、この言語はアクセント体系が地獄的に難しいと聞いたので今生ではパスすることにして、次回生まれ変わった時にでも勉強しようと思う。


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以前の記事の図表レイアウトが機種やブラウザによって、特にスマホではグチャグチャになるそうなので(実は私自身は今時スマホがないので自分のブログをスマホでは見たことがないんですが)、図表を画像に変更していっています。本文も少し直しました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 筒井康隆氏が30代半ばのときに一度読もうとしたが「かったるくて読めたもんではなかった」ため中断し、中年過ぎてから再び挑戦してやっと読破したら大変面白かったというトーマス・マンの『魔の山』に、ちょっと気になる登場人物がいる。「登場人物」といっていいのかどうか、主人公のハンス・カストルプが学校時代を回想して思い出す少年である。主人公はクラスの違うこの少年に非常に惹かれ、知り合いになりたいと長い間思っていて、ある日勇気を持って校庭で話しかけ、結構丁寧に対応してもらって痺れるように嬉しい思いをする、そんな出来事をずっと後になって思い出すのである。
 『6.他人の血』でも書いたように私は文学音痴なのでこの登場人物がストーリー上どのような役割を果たしているのか、何を暗示しているのかなどということはどうでもいいのだが(ごめんなさい)、この少年の描写で次の部分は素通りできなかった。

Der Knabe, mit dem Hans Castorp sprach, hieß Hippe, Vornamen Pribislav. Als Merkwürdigkeit kam hinzu, daß das r dieses Vornamens wie sch auszusprechen war: es hieß „Pschibislav“; ... Hippe, ... stammte aus Mecklenburg und war für seine Person offenbar das Produkt einer alten Rassenmischung, einer Versetzung germanischen Blutes mit wendischen-slawischen – oder auch umgekehrt.   

ハンス・カストルプが話をした少年はヒッペと言った。名前はプリビスラフだ。その上奇妙なことにこの名前は「ル」を「シ」のように発音した:プシビスラフと言ったのである。…ヒッペは…メクレンブルクの出で、その風貌からすると、ゲルマンの血にヴェンド・スラブの血が混じったか、あるいはその逆か、とにかく古い人種混交の産物であることは明らかだった。
(翻訳:人食いアヒルの子)

 ここで「あれ?」と思う人は多いだろう。私も思った。Wendisch、ヴェンド人あるいはヴェンド語というのはソルブ語・ソルブ人の別名である。こちらの言語事典にさえ、「Wendisch:ソルブ語と同義。現在では廃れた名称」と書いてある。さらに私がいつか聞いた話では上下ソルブ語でも特に下ソルブに対してこの名称が使われやすいそうで、先日たまたま見たTV番組では下ソルブ人のなかにはソルブ人とかソルブ語という名称を好まずWendischという名称のほうを使ってもらいたがっている人もいる、とのことだった。上ソルブといっしょにするな、ということなのだろうが、上にしろ下にしろとにかくこのWendischというのはソルブ人のことだ。ソルブ人の住んでいる地域はどこか思い出してほしい。ザクセン州ではないか。北ドイツのメクレンブルクにはソルブ人などいないはずである。
 さらに見れば『魔の山』の日本語訳にはここでヴェンド人あるいはヴェンデンという言葉について注がついている。しかしこれが「北ドイツのラウジッツ地方に住むスラブ人」と説明してある。確かにラウジッツにはソルブ人が居住していてソルブ語が公用語的ステータスを与えられているが(『37.ソルブ語のV』の項参照)ここはザクセン州で北ドイツなどではない。
 おかしいと思って調べてみるとWendenあるいはWendischという名称は元々はソルブ人ばかりでなく、以前はドイツの非常に広い範囲に住んでいた西スラブ語を話す人々全体を意味していたらしい。中世には北ドイツ全体ばかりでなく、結構南の地域もスラブ語地域だったとのこと。北ドイツや東ドイツには今でも「ベルリン」だの「ケムニッツ」だの「ロストク」だの明らかにスラブ語形とわかる地名が多いし、そもそもトーマス・マンの出身地リューベックからしてスラブ語起源、ロシア語のлюбовь(リューボフィ、「愛」)と同源だ。

 そういうわけでメクレンブルクや下ザクセンなども昔は西スラブ語が話されていたが、これらの人々は皆ヴェンド人と呼ばれていた。12世紀にメクレンブルクを支配していた人ももちろんスラブ人で名前がまさに Pribislav 公といったのである。北ドイツには他にも Pribislav という歴史上の人物が何人かいる。
 ポラーブ語など、彼らの話していた言語はその後ドイツ語に押されて消滅してしまった。ソルブ語だけが生き残った。だからこの文脈でヴェンド人を「ラウジッツに住むスラブ人」と説明するのは明らかに間違い。黙っていればいいものをわざわざ間違った注がついていることになる。
 ではここでラウジッツのソルブ語を持ち出すのが完全にトンチンカンかというと決してそうではない。上でも書いたようにポラーブ語始め滅んでしまったドイツの西スラブ語はソルブ語と非常に近いからだ。その点で Pribislavを「プシービスラフと発音した」というマンの記述は非常に重みがある。西スラブ語では口蓋化された r がそういう変な音(?)になる例がママあるからだ。
 有名なのがチェコ語の ř で、ロシア語なら簡単に r を口蓋化して「リ」といえばいいが、チェコ語だとここで舌先震え音の [r] と調音点が口蓋に近い摩擦音の [ʒ] (つまり「ジュ」)を同時に発音する。そんな音が発音できるわけないだろうと思い、実際の音を聞いてみたが私には [] という破擦音にしか聞こえなかった。[ʒ] は有声音で、この無声バージョンが [ʃ] だが、ドイツ人はこれらの区別が下手で、どちらもschと書き表してしまうのが普通だ。だから本当に「r が sch に聞こえる」のである。
 上ソルブ語ではチェコ語と同じく ř という文字を使うが、これがチェコ語のような信じられない音ではなくて素直に [ʃ]、つまりズバリ sch である。上ソルブ語では p、t、k の後に r が続くと sch になる、という説明を見かけた。p、k の後は必ず sch だが、t の後の r はschでなく s になることもあるそうだ。
 さらに下ソルブ語には上ソルブ語で r が o、a、u、つまり後舌母音の前で š(sch)になるとあった。
Tabelle-71
上ソルブ語の単語は皆 tr、kr、pr が続いているのに ř になっていないじゃないかと一瞬戸惑ったのだが、チェコ語のようにこのřは「口蓋化された r」が変化したものなのだろう。だから ř が現れるのは i と e の前だけなのに違いない。つまり ř は r が子音 p、t、k と母音 i、e に挟まれると現れるのではないかと予想し、ř のついている語の例をさらに探してみると案の定 předměst (「郊外」)だのkřesto(「十字架」)だの přihódny(「ふさわしい、適切な」)だの přisprawny (これも「適切な」)だの、後ろに i か e が来ているものばかりである。上の bratr や sotra にしてもこれに縮小辞がつくとそれぞれ bratřik、sotřičkaとなって i が後続すると r が ř に変化しているのがわかる。例外もあって、英語の away、gone にあたる副詞は preč で r だし、e ならぬ ě の前では r が現れるらしい。それで「あちら側に」とか「向こう側に」は prěki、「横切って」が naprěki。その一方でこの prěki が動詞の前綴りとして使われるときは překi となり、překipjeć で「向こう側に流れる」、つまり「あふれる・こぼれる」。さらに「三時」をtřochといって後続するのが i でも e でもないのに ř になっていたりするが、まあ p、t、k と i 、 e との間に挟まれると r が ř になるという原則は崩れまい。
 ただ、チェコ語では r の口蓋化バージョンは ř だけだが、上ソルブ語は r の口蓋化バージョンとしてもともとの音 rj  も保持されているのがわかる。つまりいわゆる軟音の r が二つに分かれているわけだ。下ソルブ語では口蓋音でもないのに r が š になっていてなんじゃらほいとは思うが、『39.専門家に脱帽』の項でも書いたようにポーランド語やカシューブ語ではソナントの n が無声化してやっぱり š になっていたりするから、まあ西スラブ語ならそれくらいはやりかねないだろうということで納得できるのではないだろうか。
 そういえばポーランド語でもチェコ語と同じく軟音の r は変な音一辺倒だが、rz と2文字で表す。二文字で表してあっても音素としては一つだ。発音は [ʃ] である。
 いずれにせよ、Pribislavという名前の中の r は西スラブ語では sch としか読みようがないのである。
 
 この調子できっとポラーブ語の r も sch と発音したと思われるが、問題はどうしてトーマス・マンがそんなことを知っていたのか、ということである。ポラーブ語は18世紀の末にはもう滅んでいたから1875年生まれのトーマス・マンがこの言語を直接見聞きしていたはずはない。しかしこの言語の記録はドイツ人がよく保存していたから、マンはリューベックかどこかの大学か図書館でポラーブ語などの資料に触れていたか、メクレンブルクでは言葉は滅んでも地名人名に西スラブ語の発音が残っていたか、あるいはマンは現代のソルブ語かせめてポーランド語をよく知っていてそこからポラーブ語の発音を類推したかである。私はマンの作品はそれこそかったるくてきちんと読んだものがロクにないが、ひょっとして氏自身が自伝か何かでそこら辺のことに触れているかもしれない。それともこんなことはドイツ文学研究者の間ではとうに知れ渡っていることなのか?

 ところで上の箇所にはもう一つ「は?」と思った部分がある。太字にしておいたが、für seine Personという言い回しである。文脈から押してこの für は bezüglich (~に関して)と同じような意味のはずだ。私は「その風貌からすると」と訳しておいたが、実は前置詞 für (英語の for)がこんな使われ方をしているのを見たことがなかったのでネイティブに聞いてしまった。ところが聞かれたネイティブも「へ?」と言い出し、「こんな使い方見たことがない」と私と同じ事をつぶやきながら、辞書を持ち出してきて調べ始めた。Dudenには説明が見当たらず、とうとうヘルマン・パウルのドイツ語辞典まで参照したがドンピシャリなのが見つからない。
 「どんな」をドイツ語で was für ein(e)といい、そこでは前置詞が導く名詞がいわば「判断の枠組み」を示すから、この用法の一種とみていいのかなとは思うが、それならば名詞のほうには不定冠詞がつくはずであるのに、ここでは seine Person(「彼の風貌」)と定形になっているのが引っかかりまくる。さらにこの「彼の」が実はハンス・カストルプのことで「カストルプにとってはヒッペがヴェンド人の血を引いていることが明らかだった」という意味ならば素直に für ihn(「彼にとっては」)と書くはずでPerson(「人物・人となり・風貌」)などという言葉はいらない、と一人でブツブツ言っていたそのネイティブはついにもう一人のネイティブに本を見せて訊ねた。するとその二人目のネイティブは「こういう für は見たことがある」と自慢し出したのである。つまりこの für は「見たことがある」とネイティブがいばれるくらい稀な用法なのだ。
 結局「これは bezüglich だ」と結論するしかなかったが、それにしてもネイティブが二人して前置詞一つにあたふたしている姿は壮観でさえあった。トーマス・マンも罪なことをするものだが、それほど難しい部分が出版されている日本語訳ではいったいどうなっているのか気になって改めて見直してみたところ、なんとその für seine Person のフレーズはすっ飛ばされていた。ただ、

彼はメクレンブルクの生れで、明らかに古い時代の混血、つまりゲルマンの血にヴェンデン・スラブの(ここで上述の注が入っている)血が混ったか-またはその逆の混血の子孫にちがいなかった。

と訳されていたのである。力が抜けた。


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