アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ: 休題閑話

(「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い(けどちょっと古い)記事を翻訳して紹介しています。)
原文はこちら
(古い記事だなあ…)

エンニオ・モリコーネ85歳に:コヨーテの遠吠えを楽譜に翻訳

映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネがこの日曜日に85歳になるが、氏はお祝いなどしないでむしろ身を隠していたいそうだ。が、その前に自身の音楽や、ヘビーメタル、結婚、神や世界について上機嫌でインタヴューに応じてくれた。

筆者がインタヴューのためモリコーネ氏と会う直前、氏はダブリンでのフェスティバルで100人ものメンバーからなるオーケストラやそれと同規模の合唱団の指揮をしてきたところだった。にもかかわらずもうすぐ85歳のモリコーネ氏はまったくリラックスした雰囲気で、普通言われているよりはるかに機嫌よく応じてくれた。氏の通訳を長年務めるロベルタ・リナルディさんが会話を助けてくれた。

昨日タクシーの運転手にモリコーネ氏と会うという話をしたら、運転手はいきなり『続夕陽のガンマン』のメロディをハミングし出しました。モリコーネさんにも人が作曲なさったメロディを歌ってきたりすることがありますか?

道では人はたいてい私だなんてわかりせんよ。でも先日ローマで友人にからかわれました:道の反対側を歩いていたので私には彼が目に入らなかった。そしたらこの、例の映画の曲のメロディを口笛で吹き出したんです。(曲を口笛で吹く)
私は反射的に振り返って何ごとかとあたりを見回しました。友人はそれを見て大喜びしてましたよ。

当時どのようにしてこの主題を思いついたのですか?

もしかすると皆お気づきになっていないのかもしれませんが、あのメロディは単にコヨーテの鳴き声を音符に写し取っただけです。(と、コヨーテの吠え声をする)まさにこの通りやっただけ。

この映画で確立した「スパゲティ・ウェスタン」という言葉をモリコーネさんはあまり取ってはいらっしゃいませんね。

はい。だってレストランにいるんじゃないんですから、「イタリア製ウェスタン」と言って下さいよ。

でもスパゲティそのものはお好きでしょう?

私は徹頭徹尾パスタのファンです。

クリント・イーストウッドは別として:誰かこれはと思うようなウェスタンのヒーローがいますか?

クラウス・キンスキーですね。セルジオ・レオーネが撮った映画でのね。キンスキーは人と違ってましたよ、本当に意地が悪くて攻撃的でね。娘のほうが好きですけど、この人はしっかり記憶に残っています。

ヘビー・メタルバンドのメタリカがもう30年以上もモリコーネさんの『Ecstasy of Gold』を舞台で使ってますね。モリコーネ・サウンドから多大の影響を受けた、と公言しているロックバンドは多いですが、これを嬉しいとお思いですか、それとも「勝手に使われた」と感じておられますか?

構いませんよ。そういうロックミュージシャンで食事に招待してくれたのも多いし。その由知らせてもらいましたから。彼らにこちらの音楽が使ってもらえるのは多分私が曲を基本簡単なものにしておこうとしているからじゃないのかな。それぞれの楽器のバランスをとるのは私は後から初めて考えますからね。私の選ぶ和音なんかもシンプルだからギターで再演しやすいんでしょう。

作曲はどのようにしてなさっているのですか?

以前と相変わらずですよ:紙に鉛筆で個々の楽器のスコアを書く。映画のほうを見ないうちにそうすることも度々です。

ヒットした映画音楽はすでに楽譜のうちから読み取るのですか?それともやっぱりオーケストラが必要ですか?

もちろん。作品を仕上げたらメロディをオーケストラがどう演奏するか、実際に耳で聞かないといけませんからね。作曲している間はその必要がありません。昔は自分の曲をオーケストラが演奏するのを聞くところまで行き着けなかった作曲家も多かったですが。つまりそうなる以前に死んでいたわけ。フェリックス・メンデルスゾーンとか思い出して見てくださいよ!作曲家は自分が何を書いているのか聞いてみないと。

作曲なさった曲は強く感情に訴えてくることが多いですが、ご自身がご自分の曲で感傷的になってしまうことなどおありですか?

作曲家がなにか作曲する時はもちろんある程度何か感じています。それでこの感じを聴衆を分かち合おうとするわけです。けれど私はそういうのを純粋に感情とは呼ばないかなあ、むしろ感情的な緊張、というか。作曲家が伝えたい緊張状態ですね。

感情はそちらにとって作品が成功したかどうかの基準になっているのですか?

感情はその一部です。でも作曲の際にそれだけが唯一重要なポイントであるわけではありません。作曲家は作品を書いているときおそらく自分自身の感情のコントロールすら出来ていないんじゃないですかね。でも技術的な手法はマスターしている、思うようなメッセージを伝えて全ての楽器をしかるべき場所にすえる、ということはね。作曲家が感情と名づけているものは本来技術で得られるものです。音楽を通じて作曲家の正直なところが出てしまうということでしょうね。自分の作品を分析していると見えてくるんですよ。

ずっと保つのが難しいのはどちらでしょう、生涯にわたる音楽の仕事と結婚生活と?

これはまたヒネったご質問を。まあでも、仕事かな。妻のマリアとはまあもう57年以上もいっしょですからね。でも作曲家としての仕事は本当にハードですよ。常に一線にいるには大変な努力が必要です。

11月10日に85歳になられますね。その記念日をどのように過ごされますか?

身を隠していたいですわ。パーティとかはやりません。

どうしてお祝いをしてもらわないのですか?人生でこんな高いところまで登られたのを、少しは誇ってみてもいいのでは?

もちろん幸せに思ってますよ。でも一方年を取れば取るほど墓場も近づく、ということも常に考えてないといけないのでね。誰でもそれはそうですが、80過ぎた者だと「次」ですからね、そこに行くのが。

ではご自分を何歳くらいだと感じていらっしゃいますか?

80歳という気は全然しませんわ。せいぜい60歳くらい。私は自分が回っている輪の上にいるような気がするんです、その輪が回転してさらにいいものを私に出してくる。本当にまだまだやりたいことがたくさんあるんです。

何かモリコーネさんに喜んでもらえるような誕生日プレゼントがありますか?

一番大切なプレゼントはもちろん健康でいる、ということですね。それから息子たちと娘がいい仕事をみつけられるよう願っています。うち3人までが目下全然仕事してないので。息子のアンドレアはやっぱり作曲家なんですが、もうちょっと仕事があってもいいのに、と。

それはイタリアの負債状況のせいですか?

いいえ。二人はアメリカにいるんですから。そのうちの1人はグリーン・カードを持ってなくて、つまり仕事につけないんです。もう一人のほうは持ってるんですがアメリカでほんの少ししか仕事がありません。

息子さんがたはモリコーネさんが絶対行きたくなかったところにいるわけですね!

その通りです。ハリウッドがヴィラをオファーしてきたことがありました。そこで彼らのために作曲してくれと。でも私はそんなところに住もうなんて夢にも考えたことはありません。私は骨の髄までローマっ子でね、この町が大好きなんです。

今はどのような暮らしをなさっておられますか?

私はローマ市内のさるアパートの最上階3階を住居にしています。この住居には以前ソフィア・ローレンが住んたこともあって、屋上に素晴らしい庭園がありましてね。そこにも部屋があって、作曲の仕事は皆その部屋でします。部屋に入れるのは私だけ。私には自分なりの秩序があって、他人がいるとダメだから。

2008年にロバート・デニーロに強く推されてオスカーの名誉賞を受けられましたが、生活上で何か変化はありましたか?

全く何も変わっていません。

モリコーネさんの周りは?

うーん、その後イタリアでの人気が一気に上がったそうですが。時々気味が悪かったですよ、知らない人たちからポンポン肩叩かれたりすると。

74歳の時に初めてご自分の作曲作品をライブでオーケストラに演奏させ、聴衆の前で指揮をなさいましたが、なぜですか?

コンサート演奏は人からやらないかと聞かれてから始めたんです。その前は誰も私に頼んできませんでしたからね。頼まれもしないのに道端に行って自分のメロディも披露できませんしね。

ご自分が映画音楽の作曲家だけでなく、クラシック音楽やアヴァンギャルド音楽も作っていることを示すのにコンサートを利用しておられますか?

いいえ。それら種類の違った音楽は分けてます。実験的な音楽は私やるのが本当に大好きなんですが、それも別にして流します。私のコンサートでは主題を映画の中でやるような楽器とオーケストラで演奏しています。

舞台ではどんなお気持ちですか?

最初はいろいろ気になってたまりませんでした。演奏者の誰かがちょっと失敗して全てをメチャクチャにするんじゃないかと心配で。きちんと正確に演奏してくれないから、と。聴衆のほうはそれで即全体までダメだった、ということにもならなそうですが、指揮者の私にはすぐわかります。

で、マエストロの怒りを買う?

いえ、そこで気をとり直します。起こりえますからね、そういうことは。たいていの聴衆はおかしいなとは気づきません。これはほとんど「私だけのプライベートな問題」ですね。

舞台ではとてもエネルギッシュに指揮なさいますが、指揮をするのはスポーツ選手のようなものですか?

まったくスポーツ選手と同じ、というわけでないですが、共通する部分はあります。コンサートではしっかり焦点を見据えて集中していないといけない、自分の体と筋肉をコントロールできていないといけない。

そのためにどんなフィットネスを?

私は朝5時に起きて毎日一時間自分の家で体を動かします。たいてい家の中をグルグルジョギングしてまわるんですが。

するとわかってはいるが止められないこととか悪い習慣とかはお持ちでないのですね?

ありますよ。チョコレートです。これを我慢するのは大変ですよ。けれど私一年前は86キロあったんですよ。それを72キロに落としました。これ、どうやってやり遂げたかご存知ですか? 食べる量を減らして家の中を走り回ったんですな、ははは。

では昔の楽しみごとはもう全然なさらないと?

体重をここまで減らしたんですからまた時々チョコレート食べるくらい許されますよね。でもたいてい内緒でやります。でないと妻に怒られますから。

エンニオ・モリコーネの人となりについて
エンニオ・モリコーネは最も偉大な映画音楽の作曲家である。60年代以来500以上もの映画の音楽を書いてきた。セルジオ・レオーネのイタリア製ウェスタンで有名になった。『ウエスタン』、『続・夕陽のガンマン』、『荒野の用心棒』のサウンドトラックを作曲したのがそれ。85回目の誕生日をこの日曜日にローマで祝う。ハリウッドからのオファーも数多くあったが、氏は故郷を離れたことが一度もない。このあと大規模なオーケストラを引き連れてのツアーをまずドイツで行う。2月11日にベルリンの東駅多目的ホールで氏の最も有名なメロディを披露する。

インタヴュー
カーチャ・シュヴェマース


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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を翻訳して紹介しています。下のインタビュー記事は2016年7月9日の南ドイツ新聞印刷版とネット版に同時にのったものですが、「フェルンヴェー」というドイツ語など、当ブログの記事『3.噂の真相』のテーマと関連しているのでご紹介します。ネットのでなく新聞の記事のほうをもとにしましたので、レイアウトなどちょっと違っているところがあります。
元の記事はこちら

200万年前にはすでに前時代の人類が「世界征服」への道を歩みだした。それがあったからこそ現代の人類に進化することができたのだ、というのが古代人類学者のフリーデマン・シュレンクの説。

フリーデマン・シュレンク氏は古代人類学者で、ハイデルベルク科学アカデミーのROCEEH(The Role of Culture in Early Expansion of Humans)という研究プロジェクトの主任の一人である。

南イタリア・アプーリアのGrotta del Cavalloで発見された乳歯は現人類の体の一部としてはヨーロッパで最も古いものである。4万5千年から4万3千年まえのものと見られている。


南ドイツ新聞
そもそもどうして人類は移動を始めたんでしょうか?

フリーデマン・シュレンク
私たち古代人類学者は「移動」とはいいません。「生存権の拡大」といいます。一世代ごとにほんの何キロメートル四方かずつ広げていったんですね。初期の人類には目的地なんてなかった。道程そのものが目的だったんです。この生存圏の拡大というのがまさに人類の特徴。すでに600万年前には前人類がアフリカの熱帯雨林を出てサヴァンナに入ったんですから。その新しい生活場所で直立歩行を進化させていったんです。もっともそれはほんとうにゆっくりした歩みで、それから初めてアフリカから出たのはやっと200万年くらい前ですが。

そのままそこにいてもよかったのでは?

その通りです。けれど、では人類にとって移動というのが目新しいことだったかというとそんなこともないんですよ。手に入れたい資源を求めて何キロも歩いたりしてましたからね。食料が不足すればもっと遠くまで行って交換したし。季節ごとに移動する動物を追いかけたりとかも。人口が多くなっていったのも要因の一つかもしれません。けれど頭脳の発達も大切な点でね、人類はそのおかげで道具を使うようになったし周りの環境に左右されることも少なくなって、新しい土地に居住できるようになったと。一方そのおかげで、自分たちの道具に依存する度合いが強くなってしまいましたが。

どこか特別なルートというものがあったのでしょうか?

ありました。移住は多くが海岸沿いのルートを通りました。あるいは川に沿うとか。回廊状の森が隣接しているような川ですね。移動の道筋になるようなところはいろいろと条件を満たしていないといけません。水や食物、道具つくりの材料になる地下資源がないといけない。あと保護物もいる、寝場所用に木があったりとか。後には戦略上の考慮なんかも役割を演じるようになりましたね。周りの土地の状況がよく見渡せるようなところが選ばれたりしたんです。

具体的にはどんな道筋があったんでしょうか?

アフリカを出るのには4つのルートが可能です。第一は筏のような乗り物でジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島に行くもの。第二の道は島をいくつか渡って南イタリアに到達するもの。事実そこで140万年前の道具が見つかっていますが、これらが北から移動してきた人々のものではないことは確実です。第三のルートは現在のイスラエルとレヴァントを通るもの、そして第4がアラビア半島を通過してコーカサスと東南アジアに行くものです。それらの回廊地帯にしても居住にむいていた時期というものがありまして、気候が決定的な役割をはたしていたんです。降水量に大きな揺れがあったりしましたからね。それが植生に大きな影響を与えていました。洪積世にはこれがまた何回も変化しましたし。

どれくらいの数の人間が移動していったんですか?

当時世界の人口がどのくらいあったかは見積もるのが難しい。1万1500年前に定住が始まったときはおよそ700万人ほど人間がいたようです、20万年前にホモ・サピエンスという種が発生した時どのくらいいたのかはわかりません。彼らは4~50人の群れになって移動したようです。でもその群れは固定したものではありませんでした。群れの間に結びつきがあったにちがいない、でなければすぐ近親相姦になってしまいますからね。

過去20万年のあいだで、特に移住が盛んだった時期などはあったのですか?

いくつか波がありました。それぞれが違った方向に進んだと思われます。その際道具を組み合わせてまた新しい道具を作る技術(根も切り株も掘り起こせるように斧と鋤を組み合わせたものとかね)が一役買ったのかどうか、私たちとしても知りたいところです。人類は資源を使うのにどんどん柔軟のあるやりかたをするようになっていった。それでいろいろな可能性が広がりました。

新しい生活圏がさらなる進歩をうながす、などということもあったのではないですか?

当然ありましたよ。フィードバックがあったんですから。文化、体格、知能というのは外界と接触しながら発展しますからね。精神の広がりが人類を移動に駆り立てるということもありますよ。そういうのを全部ひっくるめた人類の全体的な行動が生き残りのチャンス、将来の可能性を決めるんです。

最初に移住した人々は好奇心に駆り立てられたのでしょうか?

もちろん好奇心は大事。人間はいつも周りの環境を発見しようとしますから。どうやって生活圏を勝ち取って行ったらいいのか、ということについても彼らはたいてい計画というか何か具体的な戦術がちゃんとあったにちがいない、と私は思っています。

フェルンヴェー(見知らぬ土地への憧れ)のようなものがあったんでしょうか?

フェルンヴェーって、外界、どこか世界の果てではどんなことになっているのかなと想像してみることから始まるじゃないですか。当時すでに世界中の離れた地域とモノの交換なんかをしていたとすれば、フェルンヴェーとあってもおかしくないでしょう。中国の真珠とかインドのお茶とかが西アフリカにまでやってきていたら、想像がかきたてられもしたでしょう。遠くの地域とモノの交換をするようになるとそこでフェルンヴェーも生じたんじゃないでしょうか。

でもいろいろな道具を実際に交換したりすることとかもあったのでは?

ありました。たとえば槍の穂先なんか交換していました。あと、装飾品とか彩色用の色素とかも。そういうことはすでに15万年前のアフリカで、ホモ・サピエンスがその大陸を出ないうちからやっていました。交易所がいくつもあって、そこを通したんです。遠隔地との交易というのは中国とかヨーロッパではじまったことじゃありません。そもそも遠くの地域と交流するようになって文化の交流も始まったんです。ホモ・サピエンスが発生してすぐのころにまで遡れることなんですよ。それが現人類の最初の「拡大」ということですね。「拡大」というのは、だからまず頭の中で起こったんです。いつのころか空間的な拡大が続きました。そういう意味ではフェルンヴェーも発生源はアフリカですね。

移住していった者と残ったとの間にコンタクトはあったんでしょうか?

そう、モノの取引や交換は人間が広がっていく際強力なサポートになりました。あと遺伝学上でも交流があったことがわかってきました。人類とネアンデルタール人との間にも文化交流があったという証拠も見つかりました。それでこそ我々の種は生存しているんです、どころか結局それが私たちのような種族が誕生した、今のような新しい文化が発生した、それらの原因なんですね。

もうちょっと詳しく説明してください。

チンパンジーも群れで生活していますし、道具も作ります。つまりある種の文化は持っているんです。けれど我々人類とは決定的な違いがある:チンパンジーはその文化を自分たちの地域的に限定された群れの内部でしか伝承していきません。初期の人類の自然淘汰の際に決定的に有利に働いたのが、自分たちの成果を種族全体に伝えることが出来た、ということです。経験を分かち合う、知識を交換したり伝承したりする、そういうことです。それで初めて私たちは人類と言う種となったんです。

そうなるといわゆる開かれた態度がなければどうにもなりませんね。こんにちの移住問題の専門家もそれが移民を社会にうまく適合させるためのカギとみていますが。

もちろんです。道具つくりの技術がいかにして伝えられていったかについては証拠が出せますよ。ある考え方、思想、経験とかが伝えられていって、別のしかるべきところに収まる。こういうことは他の種にはありません。人類のカギとなる特徴なんです、交換・交流という能力は。まさにそこからです、ホモサピエンスがこんにち世界中で示しているバイオカルチャー面での多様性が生じたのは。経験を交換しあうこと、これはこんにちでも原則なんです。けれど今日びはどんどん壁が築かれて交流が邪魔されていっている感じですね。人類にとってこれは致命的なんですよ。

インタビュアー: フーベルト・フィルザー


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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下のインタビュー記事は『国が金を出し、私経済が懐に入れる』というタイトルで2016年10月21日の南ドイツ新聞にのったものですが、長いので2回に分けました。

言語学者で資本主義批判者のノーム・チョムスキーを存命している世界の頭脳の中では最重要の一人と見なす人は多いが、そのチョムスキー氏がタダ乗り企業、国に作られた携帯電話、国民を馬鹿に保っておこうとする政府の企てなどについて語る。

インタヴュアー:
クラウス・フルバーシャイト
カトリン・ヴェルナー


人が自分を自由主義的な社会主義者と呼ぼうがズバリ無政府主義者と呼ぼうが、チョムスキー氏自身にとってはどうでもいいことだ - この、現在87歳、名門マサチューセッツ工科大学(MIT)の名誉教授はかなり前からすでに他人の目など気にかけていない。氏は両親が20世紀の初頭ウクライナからアメリカ合衆国に移住してきたのだが、存命している世界の頭脳の中では最重要の人物と見なされている。言語の習得は学習過程よりもむしろ先天的な言語能力によるものだというその理論は言語学に革命を起こした。さらにアメリカの国際政治、資本主義、ロビー活動に対する急進的な批判者、またマスコミ批判者としても一般に広く知られている。MITの研究室でインタヴューを受けてもらった。氏は高齢にも関わらず今でもほぼ毎日そこに通ってくる。

南ドイツ新聞
チョムスキー教授、お金の話をしましょう。教授の新刊は『誰が世界を支配しているか?』というタイトルになっています。でも答えはもう何百年も前に出ていると思ったのですが。

ノーム・チョムスキー
金が世界を支配する、というわけですか?いや、そう簡単には行きませんよ。権力と経済力との関係は多くの人が思っているより複雑なんです。ちょっと100年前のことを考えてみてください:アメリカの経済力はイギリス、フランス、ドイツを合わせたより強かったんですよ。でも政治的な権力ということからするとヨーロッパに比べてこの国は問題になりませんでした。

では一体何が世界を支配するのでしょうか?

アメリカの例をさらに見てみましょう。1945年には世界全体の経済の半分をアメリカ合衆国が握っていました。そして戦争で破壊されたヨーロッパの国が追いつた。後にはアジアの国々が台頭して来ました。今日のアメリカのシェアは22%でしかない。でも我が国はそれだけ権力がなくなりましたか?

いえ、逆です。

でしょう。けれどこの数字というのがそもそも誤解の元なんです。30年ちょっと前に新自由主義の時代が始まってから、国際敵に活動している大コンツェルンが国境なんかとは無関係にコンツェルンそれ自体の経済的小宇宙を形成してしまいましたからね。あと銀行とかも見て御覧なさい。50年代60年代の長い経済成長期の間は全体経済から見て金融機関の役割などほとんどありませんでした。市民から貯金を集めてそれを例えば自動車が買いたがっている人に貸す、とそれだけ。その後レーガンとクリントン大統領の政権下で巨大な自由化の波が押し寄せて、銀行が突然利潤全体の40%を懐に入れてるようになった。その結果が2008年の経済危機ですね。

それは逆に言うとこういう意味ですか?国が規制を緩めて税金を下げ、銀行やコンツェルンにその場を任せたりしなかったら、私たちは今頃もっといい世界に住んでいただろう、と?

そう言い切るつもりはありません。影響を持ってくる要因が他にたくさんありすぎますからね。経済現象を100%確実に予測できるのは経済学者だけでしょう。

1対0で言語学者の勝ちですね。

新自由主義だって見方によれば役に立ったことがたくさんあります。おかげで企業の利益は飛躍的に増えたし、そのことによってまた比較的長期間経済が安定していたし。でも圧倒的多数の単純労働者にとっては悪い時代でした。素晴らしい経済成長率にも関わらずその2007年の実質賃金は1979年より低い。

でも新自由主義で枷が外れたおかげで可能になった投資もあるのでは?規制が緩和されなかったらできなかったような投資です。

例えば情報テクノロジーのことですか?

そうです。以前だったら絶対に銀行からクレジットなんて受けられなかったような企業が突然リスクのある融資を受けられるようになったではありませんか。ありていに言うとつまり、新自由主義がなかったらひょっとしてスマートフォンもなかった、と。

すみません、それはちょっと違います。テクノロジーに関心があったのは大抵国のほうです。軍事面から考えても産業政策上の点でもね。最初にいろいろたくさん研究し出したのはシリコンバレーじゃない。例えばまさにここMITとかが国防省から研究費を貰ってやったんです。携帯電話とかパソコンもそう。IBMがパソコンを生産し始めたのはその後ですよ。耳にするのはいつも同じ:国が金を出し、私経済が懐に入れるんです。

他にやり方があるとしたらどんな? 国が自分でスマートフォンを作って売るとか?

公共機関が開発の費用を出すのなら利益のほうも公共的に回収するべきなんです。でもその代わり私たちはいわゆる自由貿易協定というものを結んでいるわけです。そこで製薬、電機、メディアの大コンツェルンの私的な利益が国に保護さえされているという・・・

なぜ国が製薬会社になんらかの保護政策をしてはいけないのですか?よりよい新薬を開発して公共の利益になっているではありませんか。

企業は何も開発しないからです。自社の薬品の分子をちょっといくつか変え、その薬品を売り込むためにマーケティングに大金を投入する。それに対して本来の開発研究はここのような国の実験室でやっているんですよ。ノバルティスとかファイザーのような大製薬企業はそれをちょっと見て回っておいしいアイデアをくすね取るだけ。国がこれを自分でやっていればアメリカの保険費はもっと徹底的に下げられるでしょう。

それはむしろこういうことではないんでしょうか、確かに国は基礎研究の費用はだすが、研究内容の専門的な査定はできず、創造力にも欠けているから、その知識を市場に出せるような、また生活に役立つような製品に変えることが出来ない、と。

おっしゃる通りです。そういうことは大学の研究所がやる必要はない。けれどそのノウハウを民間コンツェルンにタダであげてやる代わりに公共の、市民社会から選ばれた代表者が取り仕切る企業が製品をつくればいいんですよ。そうすれば権力を少数の民間企業に握られないですむ、というメリットもあります。

でも教授が提案しておられるような社会主義的な国の経済はもうテスト済みなのでは?例えば東ドイツとか。悲惨な結果になりましたが。

東ドイツでやっていたことは、社会主義とは何の関係もありません。東ドイツは単なる全体主義国家です。労働者には何の権利もなく、世論もまったく影響力がなかった。西ドイツのほうが東ドイツより社会主義的でしたよ。あそこには少なくとも労働者が経営に参加できる、最低限の線があった。

労働者が資本主義の被害者ならば、どうしてアメリカでは労働者がドナルド・トランプを追いかけているのですか?氏はほとんど資本主義のカリカチュアではありませんか。

他にどんな選択肢があります?アメリカの労働者はもうかれこれ40年以上も両方から無視されているんです。だから今体制全体に背を向けていて、少なくとも自分たちのことを覚えてくれているかのごとく振舞うトランプのような人に従うんです。

現実には人間の生活は、例えば50年前に比べればずっと良くなっているのではないでしょうか?教授は新自由主義が起こる以前の黄金時代のようにおっしゃってますが?

どこからそんなお考えが出て来るんですか?実質賃金の変遷についてはもうお話ししたではありませんか。

実質賃金についてはおっしゃる通りです。でも現在は不動産とか資本収益とか相続遺産とか他の収入を持っている人が多いですよ。

もちろん石器時代に比べれば現在の人間の生活は良くなってますよ。19世紀とくらべたって良くなっているでしょう。それに、まあなんというか、今は車で行くから、馬糞が道に2メートルも積みあがっていたりしていないし。けれどそういうことを尺度にはしていません。尺度にしているのは、豊かさがもっと別な風に配分されていたらどうなりえていたか、ということです。最低賃金の例で考えて見ましょう:70年代の始めには最低賃金は生産が上がるのと平行して上がっていっていた。そのあと、この両者が互いに離れていってしまった。これが当時のように発展して行っていたら今頃最低賃金は7ドル25セントではなくて20ドルくらいあったはずです。

続きはこちら。


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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下のインタビュー記事は『国が金を出し、私経済が懐に入れる』というタイトルで2016年10月21日の南ドイツ新聞にのったものですが、長いので2回に分けました。

前回の続きです。

南ドイツ新聞:
変革を望んで人は多く動かされるわけですが、変革というのは教授のような自称無政府主義者にとっても本来望むところであるはずですよね。それがトランプのようなポピュリストの利益にもなっていてもやっぱりそうですか?

ノーム・チョムスキー:
変革を望むのは理解できる、問題となるのは人に与えられている選択肢です。

昔からの制度風習はほとんどすべて信望を失ってしまったような気がするんですが - 政府も議会も政党も企業もメディアも、それから教会さえも。

これらは現在では本当に嫌われていますね。

この先どういうことになるんでしょうか?

私には言えません。あのね、私はまだよく覚えているんですが、子供の頃ラジオでヒトラーの演説を聞いたんです。その言葉は理解できませんでしたが、メッセージは伝わりました。こんにち例えばドイツやオーストリアでのアンケートの結果なんか見てみていると、でもまあ、こう言わざるを得ないでしょうねえ:勇気づけられるような感じではないな、と。

現在メディアも右からも左からも攻撃されています。メディアは「体制」に奉仕していてそこから外れる意見は全然言葉にしてくれないと言われてます。教授自身もこれらの批判者のお一人ですが。私たちメディアが一般に言われるようにひどいものなら、どうして私たちはここでこうやって教授とお話しているんですか?

あなた方がひどいとは私は言っていませんよ。間違っていることが多いということです。メディアが視聴者に伝えるニュースを選択するやり方とか。でもそれだからと言って私が毎朝重要な国の内外の新聞を読む妨げにはなりません。

メディアが、使用できる他のソースと比べるとそんなに悪くもないからではないですか?

そうです。読んでいて腹の立つようなこともたくさん書いてありますが、さしあたってはこれよりマシな出発点がありませんからね。私はまず日刊紙を読んでから他のソースにあたります。

教授のような左派の知識人がメディアを批判すると、されたくない側から拍手されたりしますが。右派から自分たちのプロパガンダの正しさを証明してくれる証人として持ち出されると嫌ではありませんか?

どういう風にメディアを批判するかによります。私がメディアを批判するのは例えばコンツェルンを保護するために結んだ条約を自由貿易条約を呼んだりすることです。でもそれでも「私はメディアが大嫌いだ」と言い切るほどではありません。

事実としては、右派と左派は大声で実は同じことを主張している、ということがあります。例えば民主党左派のバーニー・サンダースの信奉者には今はサンダースの党の同僚ヒラリー・クリントンを選ばずにトランプに票を入れようとしている人たちがいますね。

この人たちはクリントンが大嫌いなんですよ。問題はただ、だからクリントンが嫌いなんだというその要素はトランプも持っていて、こちらのほうがさらにひどいということですね。

トランプが勝ったら、世界にとってどういうことになるでしょうか?

私たち全員の生存に関わる二つの問題を見てみましょうか。気候変動と核兵器のことを。気候問題ではトランプは化石燃料に戻るという完全に間違った方向に向かって行進中です。方向転換のタイムリミットまでもうそんなに時間がないのにね。核兵器について言えばこういうことです:無知な上にすぐ感情的になるような誇大妄想狂の人物に地球をふっとばせるような権力を与えてしまっていいのか?

でも選挙戦ではこれらのテーマは二つともほとんど表に出てきませんでしたが。

ええ、メディアが内容そのものはそっちのけでトランプがミスコンテストの優勝者と悶着を起こしたとかそういうことばかりニュースにするからです。本当にこれは読者や視聴者への詐欺行為ですよ。

無政府主義者が世の中をよくするためにできる貢献とはどんなことでしょう?

権威に対してその正当性に疑問を突きつける、また異を唱える、ということです。あらゆる制度機構には正当性がないといけない。それがない制度機構は廃止されるべきです。

そんなにはっきりしていることなら、どうして皆教授のご提案に従いたいと思わないのですか?

誰が従いたくないと言っているんですか?誰もその可能性を与えてくれないんですよ。

革命の革命たる所以は人々が可能性を自分でつかむ、ということにあるのではないですか?

革命はそれをやりますよ、組織されて活動していれば - でも今はもうそうではなくなってしまいました:政治が社会をバラバラにしてしまいましたからね。人々は互いに孤立して生きているし、教会と大学以外は組織というものがほとんどない。意見交換の場がないから政治問題への理解を深められない。時々ボタンを押して候補者に一人票を入れる、それだけ。現在の政治システムではそれ以上することがありません。

その裏には意図的な計画があると?

もちろん。そのためにPR産業が開発されたんです。PR産業は人々の関心が表面的な生活のことにだけ向かうようにしむける。下手にコミットしないで消費だけしていろというわけですね。近代PR産業の創設者の一人、エドワード・バーネイズがズバリ言い切ってますよ:世間の人々ってのは問題だ。彼らは馬鹿で無知だから脇へどいててもらって責任感のある人間になんでも決めてもらうのが彼ら自身にとっても一番いいんだ、と。そのためにPR部門が最も自由な社会にも誕生したんです、つまりアメリカとイギリスにね。これらの社会では前世紀に市民が極めて広い自由を獲得して、権力施行によって人々をコントロールするのが難しくなった。だから人々の意見や行動のほうをコントロールしないといけないというわけです。

そういう陰謀があるとしたら、それに対して教授のような知識人ができることとはどんなことでしょうか?

皆がいろいろな問題点にもっとコミットしてもっとよく理解するように仕向けることができるでしょう。

問題はただ、知識人という集団もまた人々がもう信用していない、ということです。データが増えているのにそれらがそもそもデータとして認めてもらえないことも多い。

本当にそういう人はいます。その原因を理解するためにはアメリカについていくつかはっきりさせておかないといけない。1945年まではアメリカは経済的には世界で最も裕福な国でしたが、知性の点では遥かに劣っていた:学問をやりたかったらヨーロッパに行かなければいけなかったんです。知性ではこの国は後進国というのはいまだにあまり変わっていませんね。

そうお決めになる根拠はどんなことですか?

気候変動のことを考えてみましょう;人口の約40%が「この問題はもう扱う必要がない、だってまもなくキリストが地上に戻ってくるじゃないか」などと信じているようでは難しいでしょう。トランプ現象の大部分はこういうところから発生しているんです。私はたった今中西部のある夫婦についての記事を読んだところですが、さるキリスト教の共同社会で美しい生活を送っていた。庭には小さなチャペルが建ててあった。が、そこで突然そのチャペルで男同士・女同士でまで結婚させるよう、法律で義務付けられてしまった。これらの人々にとっては世界が崩れ落ちたんです - もちろん前近代的な世界ですが、世界は世界ですからね。

そういう後進性は嫌ですか?

それらの人々を責めるつもりはありません。見ていると私の祖父を思い出しますよ。祖父は100年前にアメリカに移住してきましたが、頭の中はまだ17世紀に住んでいました。ウクライナのさる村の生まれですが、アメリカでも超正統派の小さなユダヤ人共同社会の中で生活していて、この国の社会や近代社会とは別のところにいました。だから私にもこういう人たちへの共感がないわけではありません。彼らにだってそういう生活をする権利がある、と思っています。

それでもなお出来ることがあるとしたら?

教育が助けになる。これらの社会でも若い世代は変わりつつあります。

では最後の望みはまだ持っていらっしゃるんですね? 若い世代という。

希望はいつだってありますよ。

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念のため:私はこの新聞社の回し者ではありません。)


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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下の記事はうちでとっている南ドイツ新聞に金曜日ごとに挟まってくる小冊子『南ドイツ新聞マガジン』に『悪のネットの中で』というタイトルで2016年12月16日にのったものですが、長いので6回に分けます。

フェイスブックには毎日暴力ビデオや子供ポルノやヘイトスピーチなどが姿を見せる。多くは削除される。だがどんな基準で?そして誰が?フェイスブック側ではそのどちらについても秘密にしている。『南ドイツ新聞マガジン』は、ベルリンでフェイスブックの投稿の削除作業をしていた、Arvatoという会社の従業員を探し出した。閉ざされた世界、ゾッとするような仕事を一瞥してみよう。

執筆
ハネス・グラースエッガー
ティル・クラウゼ


 2015年の夏、インターネットにさる求人広告が載った。『サービスセンター従業員募集。将来性のあるインターナショナルなチームの一員になりませんか?』求められるのは外国語の知識、柔軟であること、時間を守ること。職場:ベルリン。
 
その広告を見たとき思いましたよ、こりゃラッキーだって。そのときちょうどベルリンでドイツ語ができなくてもいい仕事を探していたんです。

こう述べた人は名は出さないで欲しいとのことだった。この人が応募した仕事であるが、発生したのが最近すぎてまだきちんとした名前さえついていない。求人広告を見た限りではコールセンターのような感じで、応募者が実際にやらされることになる仕事とは違う:何人かこの仕事を「コンテンツ・モデレーション」と言う人がいるが、別の人はまた「デジタルごみ処理作業」と呼んでいる。ここで人々がやらされるのは、依頼主のインターネットのサイトをきれいにしておくことである。あらゆるヘイト投稿やホラー投稿を全てクリックして見てまわって、削除するか否かも決定を下さねばならない。その実態がほとんど知られていない仕事だ。そもそもそんな仕事が存在することすら知らない人が多い。
 長い間、その種の作業は新興工業諸国、インドやフィリピンなどのサービス業者が引き受けているというのが常識だった。こういった会社の一番のお得意先の一つがフェイスブックである。このソーシャルメディア企業はドイツに2800万人、世界で18億人のユーザーを抱えているが、毎日山のように投稿される危険な内容のコメントをどのようにして削除するかについてはほとんど何も知られていない。
 今年の1月になってようやくわかったのだが、ベルテルスマン(訳者注:ドイツの大メディア企業)の子会社Arvatoを通してベルリンでも100人以上の従業員が「コンテンツ・モデレーター」としてフェイスブックのために働いている。その作業に対するフェイスブックの報酬はどれだけか、またいかなる基準で作業員が選ばれるのか、こういったことについては企業は情報公開しないのが普通だ。
 『南ドイツ新聞マガジン』は数ヶ月にわたってArvatoの元従業員や現従業員と何人も話をした。ジャーナリストと口と聞くことは上司から禁止されていたのだが、彼らはどうしても自分の話を人に聞いてもらいたがった。その多くが自分は雇用主からひどい扱いを受けたと感じ、毎日見続ける画像から苦しみを受け、ストレスや過労を訴え、自分たちの労働環境のことが明るみに出されるべきだと考えている。仕事のヒエラルキーが下の者もいるし、ずっと上のほうの人もいる。出身国は様々、言語も様々である。すでに退職していたり近く退職する予定だったりで実名で挙げてもらいたがった者さえいた。しかし当方ではソースはすべて匿名にすることにした。従業員は全て企業秘密を守るという契約に署名していたからである。この記事では彼らの証言はイタリックで表すことにする。インタビューはベルリンで直接本人と会うか、スカイプまたは非公開のインターネットコミュニケーションを通して行なった。

***

 応募者の大部分はいろいろな理由でベルリンに「来てしまった」若い人たちである:愛のため、冒険心のため、あるいは大学で勉強するため。シリアからの難民も多い。皆「ドイツの大企業で仕事、しかも定職、基本期限付きではあるがとにかく定職」という展望に非常に心をそそられたのだ。面接は早々に済んでしまうのが普通、そこで聞かれるのは外国語の知識とコンピューターの経験があるかどうかということだ。たったひとつ応募者をいぶかしがらせた質問があった:「心に動揺を与えるような画像に耐えられますか?」

初日に仕事の研修トレーニングがありました。私たちは30人くらい研修室に集められていました。国はもう様々:トルコ、スウェーデン、イタリア、プエルト・リコ。シリアの人も大勢いました。

トレーナーは満面に笑みを浮かべて部屋に入ってきて言いました:あなた方は本当に運が良かったんですよ。フェイスブックの仕事をするんですから!と。皆歓声を挙げましたよ。

研修で従業員はArvatoでの就業規約を説明された。1.どこの仕事をしているか誰にも知らせてはいけない。フェイスブックの名を自分の履歴やLinkedInのプロフィールなどに書いてはいけない。家族にさえも仕事内容を漏らしてはいけない。
 Arvatoのトレーナーはさらに新入社員にその職務内容をこう説明した:「あなた方はフェイスブックを清掃して、でないと子供たちが見てしまうような内容をきれいにするんです。そういう内容を削除してプラットフォームからテロやヘイトをなくすんです。」
 元従業員に『南ドイツ新聞マガジン』のインタビューに際してこの研修を「吹き込み」と名付けていた人がいた:従業員たちが、この(彼の言うところによると)「くだらない退屈な仕事」は社会を守るために役立っているんだという気になるように仕向けているからだ。あくまで社会のためであって、何十億人ものユーザーを抱えている超大企業のフェイスブックの個人的利益のためなんかじゃない、できるだけ長い間ユーザーをサイト内に引き止めておくのが目的の企業が、ユーザーが逃げないようにあまり人を動揺させるようなものは目に触れないようにしておかないといけない、と考えたからじゃない、というのである。

研修トレーニングでは画像を見せられましたがそんなにひどいものではなかったですよ:形も大きさもいろいろなペニスの画像とか。私たちクスクス笑ってしまいました。そんなものを仕事中に眺めるというのもおかしなもんです。まあこういうのはすぐ削除せよと。あと裸の乳首とかも。

一度、この仕事をもっと長くやっている人たちと晩に飲んだことがあります。ビールを何杯かやったあとで一人が言いました:悪いことは言わない、できるだけ早くこの仕事をやめることだ。でないとあなた方ダメになるよ。

従業員は入社に際して書類を渡されるが、そこには秘密保持の約款のほかに健康上リスクもリストアップされていた:背中の痛み、モニターを長時間眺めるために起こり得る目の機能の低下など。残酷な内容や映像を長時間読み、眺め続けることによって生じ得る精神障害についてはなんの記述もなかった。その書類の他に新入りのArvato社員にはベルリンの市電マップが手渡され、そこにはHave a good time in Berlinと記してあった。

***

 ベルリンのジーメンシュタットのヴォールラーベダムにある仕事場は実に飾り気のないところである。以前工場だった建物、れんが造り、中には細長い白い一人用の机が何列か並んでいる、その上に黒いコンピューターと白いキーボード。人間工学にそって作られた事務用の椅子、灰色の事務所用カーペット。数十人の仕事場。仕事中の携帯電話は労働契約によって厳格に禁止されている。一階にはスナック菓子と、コーヒー・ココアの自動販売機。喫煙者のために大きな中庭。建物内には他の会社も入っている。

ログインして順番待ちキューに向かうんです。報告を受けた投稿が何千も集められているとこ、そこにクリックして入る、と。さあ仕事開始です。

投稿内容を自動的に選り分けるフィルター機構はある、と元従業員の一人は言っている。だが画像やビデオの場合、医学的な手術のなのか死刑のシーンなのか区別し分けるのはコンピューターでは難しいのだ。それでベルリンのチームがチェックしなければいけない投稿というのは大部分がフェイスブックのユーザーが不快な投稿として通報してよこしたものだ。『この投稿を通報する - この内容はフェイスブックに載せるべきではないと思います』というあの機能である。

私は人間の善に真剣に疑問を感じさせられるような内容のものを見ました。拷問とか動物とのセックスとか。

報告された投稿はヒエラルキーの最も低い従業員のところに送られる。そのチームはFNRPというが、これはFake Not Real Personという意味だ。チームは、ユーザーが問題ありと報告してきたテキスト、画像やビデオのどれが本当にフェイスブックのいわゆる協同体スタンダードに反するのか、選び出さねばいけない。第一歩として、その内容がプロフィールに本名を使っているアカウントから投稿されたものかどうか調べる。そうでない場合は(それだからFake Not Real Personというのだ)その架空のプロフに削除警告が送られる。そのユーザーがそれに対してしかるべき自己証明をしなかった場合はアカウントそのものが削除される。そうやって禁止された内容を広めるために特に作られたプロフィールに対処するのだ。
 FNRPチームの週あたりの労働時間はほぼ40時間、2交代で8時半から夜10時まで。月収はだいたい税込みで1500ユーロ(訳者注:約20万円)、最低賃金の時給8ユーロ50セントをやや上回る程度である。
 「コンテンツ・モデレーター」になるとヒエラルキーがひとつ上で、ビデオも検査する。決めるのが特に難しい場合は「サブジェクト・マター・エキスパート」が始末をつける。その上にさらにチームのボスがいるが、その仕事は精神的重圧が少ないということになっている。ショックを与えるような投稿を見たりすることがほとんどないからである。

***

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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下の記事はうちでとっている南ドイツ新聞に土曜日ごとに挟まってくる小冊子に『悪のネットの中で』というタイトルで2016年12月16日にのったものですが、長いので6回に分けます。

前回の続きです。

 Arvatoは大会社である。他の企業が抱え込んでいる仕事を引き受ける会社だ:コールセンター、マイレージサービス、発送センターなど様々な業務を担当する。40カ国以上で約70000人がこの外部委託サービス会社で働いている。Arvatoはメディアの巨大企業ベルテルスマンの大黒柱だ。ベルテルスマンの従業員の半分以上がこのArvatoに雇われた人たちだ。会社のウェブサイトには『何をして差し上げましょうか?』というモットー。
 フェイスブックの削除センターがベルリンにある理由の一つに、まさにドイツ当局からの圧力が次第に強まってきたということがある。ドイツ連邦法相のハイコ・マースがフェイスブックのドイツでの窓口を通じて、ドイツ語の投稿をきちんと検討して問題のあるものは速やかに削除するよう要請。目下ミュンヘンの検察がフェイスブックを民族扇動罪幇助の疑いで調査している。問題ありとされているのは会社が違法な内容をスムースに削除しないことが頻繁だからだ。
 2015年の初夏、Arvatoから派遣された少人数のグループがフェイスブックのヨーロッパ本部に招かれた。双方の企業が共同作業する取り決めができていたからである:この世界最大のソーシャルメディア企業にはそのサイトをきれいにしておくため協力が必要、Arvatoの経営者はそのためのチームをどう養成していったらいいか知っておかねばいけないというわけだ。2015年の秋に業務開始となったが、始めのうちはそういう仕事をやっていることは秘密にされた。
 フェイスブックとArvato間で交わされた契約の期間はどのくらいなのか?作業をさせるに当たって従業員にどのような準備をさせるのか?業務を開始する前にArvatoは「コンテンツ・モデレーション」が与える精神的重圧のリスクを見積もっていたのか?『南ドイツ新聞マガジン』はArvatoに19の質問リストを書面で提出しておいた。Arvatoはただ「依頼主のフェイスブックはArvatoとの共同作業についてジャーナリストの質問には全て回答を差し控えています」と説明するだけである。
 フェイスブック・ドイツも『南ドイツ新聞マガジン』がやはり書面で送った質問に対し、具体性に欠けるか、または「それについてはコメントできません」という回答をよこすだけである。フェイスブック側の説明が当紙がインタビューしたArvato側の現従業員、元従業員の言っていることと食い違っている点もいくつかある。例えばフェイスブックは、従業員は全員業務にかかる前にArvatoのフェイスブックチーム内で「6週間のトレーニング」と「4週間の個々訓練プログラム」が義務付けられているという。だが『南ドイツ新聞マガジン』が聞きだした従業員はほとんどがもっとずっと短い訓練期間しかなかったと報告している。2週間だったそうだ。

***

 Arvatoの削除チームは言語ごとに分けられている。廊下では英語で会話をしているが、それ以外ではチームの言語で話す:アラビア語、スペイン語、フランス語、トルコ語、イタリア語、スウェーデン語。それからもちろんドイツ語も。チームはそれぞれの言語地域から投稿された内容を見て回るのだが、中心となる内容は大抵同じようなものだ。

順番待ちのキューから出てくるのはランダムに選ばれた画像です。動物虐待、ハーケンクロイツ、ペニス...

 とても正視できないような画像を処理していくのに、チームによっていろいろ違ったやり方になる:スペイン人はお互いそれらを見せ合う、アラブ人はむしろ引きこもりがち。フランス人は黙々としてコンピューターの前に坐っていることが多い。

最初は私たちも昼休みなどにポルノが多いことなんかに冗談を飛ばしていましたよ。でもそのうち皆気が滅入ってしまいました。

 削除すべきか否か?決めるとすぐに次の課題がスクリーンに現れる。処理した件数(「チケット」と呼ばれる)はスクリーンに表示されてわかるようになっている。

画像はドンドンひどくなっていきました。トレーニングで見たより遥かにひどかった。けれどそれってつまりあなた方が私の故国の新聞で目にするものなんですよね。暴力、メチャクチャにされた死体・・・

部屋から突然誰かが飛び出していくなんてしょっちゅうでした。外に走っていって泣き叫ぶんです。

 従業員が『南ドイツ新聞マガジン』に話してくれたディテールには、残酷すぎて活字にできないようなものがある。以下の描写などすでに十分耐えがたいだろう。

犬が一匹つながれていました。裸の東洋人女性がその犬を焼けた鉄でいじめてたんです。その上犬に煮え湯をかける。そういうのを見るとフェチで性的に興奮するような人たち向けです。

子供のポルノが一番ひどい。こんな小さな子供が、まだ6歳以上にはなってないだろうに、上半身裸でベットに横たわっている。その上に太った男がのしかかってその子を暴行するんです。クローズアップ映像でした。

 このような内容を割り当てられた者は言ってみればドアマンとベルトコンベア作業員を足して2で割ったような仕事をするわけだ:これはフェイスブックのサイトに残ってていい。クリック。これは駄目。クリック。最初FNRPチームの要員は一日およそ1000件のチケットを処理するように言われた。つまりフェイスブックのややこしい規約項目に反するかどうかの判定を千回するのである。この規約項目はいわゆる「協同体スタンダード」を呼ばれるもので、何はサイトで公開してよくて何は削除すべきか定めてある。

そのうち斬首のシーン、テロ、裸の画像などが出てくるようになりました。あとからあとからペニス。数え切れないほどのペニス。繰り返し繰り返しものすごく残酷な映像。どのくらいの数だったかとか、はっきり言えません。その時々で違いますが、まあ少なくとも一時間に1件か2件かは絶対あるな。とにかく毎日何かしら恐ろしい目に会います。

2・3日後に最初の死体を見ました。ものすごい血。もうゾッとしてしまいましたよ。画像はすぐ削除しました。そしたら上司が私のところに来て言ったんです。「そりゃ間違いだよ。この画像はフェイスブックの協同体スタンダートに違反してない。」って。この次はもっときちんと仕事をしなさい、と。

***

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