「日本」および「中国」はドイツ語でそれぞれ普通Japan(ヤーパン)、China(ヒーナ)だが、ときどきLand der aufgehenden Sonne(ラント・デア・アウフゲーエンデン・ゾネ)、Reich der Mitte(ライヒ・デア・ミッテ)と名前を翻訳して呼ばれることがある。これらはそれぞれ「昇る太陽の国」「中央の帝国」という意味だから「日本」「中国」の直訳だ。この直訳形が使われると単にJapanあるいはChinaと呼ぶよりもちょっと文学的というか高級なニュアンスになる。
日本と中国以外にもときどき使われる直訳形地名はいろいろあるが、その1つがAmselfeld(アムゼルフェルト)。「ツグミヶ原」という意味なのだが、この美しい名はなんと旧セルビアの自治州、現在は独立国となったコソボのことだ。
ここは一般にはコソボ (Kosovo)と呼ばれるが、実はこれはいわば略称で本当はKosovo Polje(コソヴォ・ポーリェ)という。セルビア語である。Poljeはロシア語のполе(ポーリェ)と同じく「野原」という意味の中性名詞、kosovoが「ツグミの」という所有を表わす形容詞で、「ツグミの野原」、つまり「ツグミヶ原」。この所有形容詞kosovoは、次のようなメカニズムで作られる。
1.まず、kosovoはkos-ov-oという3つの形態素に分解できる。
2.セルビア語で「ツグミ」はkos(コース)、そして-ovが所有形容詞を形成する形態素。セルビア語では、子音で終わる名詞(ここではkos)から派生して所有形容詞を作る場合は名詞語尾に-ovをつける。日本語の「○○の」に対応する機能だ。 ロシア語も同じでIvanov, Kasparovなどの姓の後ろにくっついているovもそれ。 Ivanovは本来「イワンの」という意味である。

これが問題(?)の鳥kos。日本語名はクロウタドリというそうだ。ヨーロッパでは雀と同じくらいありふれた鳥である。
3.最後の-oは形容詞の変化語尾で、中性単数形。かかる名詞のpoljeが中性名詞だからそれに呼応しているわけだ。だから、もし名詞が男性名詞か女性名詞だったらkosovoではなくなる。たとえばgrad(グラート、「町」)は男性名詞、reka(レーカ、「川」)は女性名詞だから、これにつく「ツグミの」はそれぞれ以下のようになる。
kosov grad ツグミの町
kosova reka ツグミの川
4.ところが、もし所有形容詞を派生させるもとの名詞がkosのように子音でなく母音のaで終わるタイプだったらどうなるか。所有形容詞は-ovでなく-inをつけて作られるのだ (その場合、母音aは切り捨てられる)。だから、たとえばkosa(コサ)「髪」の所有形容詞「髪の」はkosa-ovではなくkos-in。どうも妙な例文ばかりで面目ないが、理屈としては、
kosino polje 髪ヶ原
kosin grad 髪の町
kosina reka 髪の川
という形がなりたつ。
5.ロシア語の姓のNikitinなどの-inもこれ。この姓はNikitaから来ているわけだ。
このツグミヶ原は有名なセルビアの王ステファン・ドゥーシャン統治下はじめ、中世セルビア王国を通じて同国領だったから名前もセルビア語のものがついているわけだ。1389年いわゆる「コソヴォの戦い」でオスマン・トルコ軍に破れ、1459年セルビア全土がオスマン・トルコの支配下になってからも、この地はセルビア人にとって文化の中心地、心のふるさとであり続けた。後からやって来たアルバニア人もセルビア語の名前をそのまま受け継いでここをkosovaと呼んでいる。アルバニア語なら「ツグミ」はmëllenjë(ムレーニュ)あるいはmulizezë(ムリゼーズ)だ。

ステファン・ドゥーシャン統治下の中世セルビア王国。ペロポネソス半島まで領地が広がっているのがわかる。
名前の直訳形がちょっと高級な雰囲気になるのとは反対に、外国語の名称を頭でちょん切るとドイツ語では蔑称になる。英語でもJapanあるいはJapneseの頭だけを取ってJapというと軽蔑の意がこもるのと同じだ。
実は前からとても気になっていたのだが、日本人が旧ユーゴスラビアを指して平気で使う「ユーゴ」(JugoあるいはYugo)という言い方は本来蔑称だ。Japと同様、家の中やごく内輪の会話で実はこっそり使っていたとしても一歩外に出たら普通口にしない。事実、私はなんだかんだで10年くらい(旧ユーゴスラビアの言語も学ぶ)スラブ語学部にいたが、その間「ユーゴ」という言葉が使われたことはたった一度しかない。その一回というのも、離婚経験のあるクロアチア人の女性がクロアチア人の前夫の話をする際に「所詮あいつはユーゴよ、ユーゴ。たまらない男だったわ」とコキ下ろして使っていたものだ。つまり「ユーゴ」という言葉はそういうニュアンスがあるのだ。
もちろん日本語の枠内では「ユーゴ」という言葉にまったく軽蔑的なニュアンスなどないから、やめろいうつもりはない。そもそもユーゴスラビアという国自体がなくなってしまったから、いまさらどうしようもないし。ただ、ドイツで旧ユーゴスラビアの話をする際つい日本語の癖を出して「ユーゴ」などと口走らないように気をつけたほうがいいとは思う。「ユーゴスラビア」と略さずに言ったってさほど手間に違いがあるわけでもないのだから。確かにドイツ語のJu.go.sla.vi.en(ユー・ゴ・スラ・ヴィ・エン)をJugoと呼ぶことによって3シラブル節約できるが、相手を侮辱してまで切り詰める価値もあるまい。
この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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日本と中国以外にもときどき使われる直訳形地名はいろいろあるが、その1つがAmselfeld(アムゼルフェルト)。「ツグミヶ原」という意味なのだが、この美しい名はなんと旧セルビアの自治州、現在は独立国となったコソボのことだ。
ここは一般にはコソボ (Kosovo)と呼ばれるが、実はこれはいわば略称で本当はKosovo Polje(コソヴォ・ポーリェ)という。セルビア語である。Poljeはロシア語のполе(ポーリェ)と同じく「野原」という意味の中性名詞、kosovoが「ツグミの」という所有を表わす形容詞で、「ツグミの野原」、つまり「ツグミヶ原」。この所有形容詞kosovoは、次のようなメカニズムで作られる。
1.まず、kosovoはkos-ov-oという3つの形態素に分解できる。
2.セルビア語で「ツグミ」はkos(コース)、そして-ovが所有形容詞を形成する形態素。セルビア語では、子音で終わる名詞(ここではkos)から派生して所有形容詞を作る場合は名詞語尾に-ovをつける。日本語の「○○の」に対応する機能だ。 ロシア語も同じでIvanov, Kasparovなどの姓の後ろにくっついているovもそれ。 Ivanovは本来「イワンの」という意味である。

これが問題(?)の鳥kos。日本語名はクロウタドリというそうだ。ヨーロッパでは雀と同じくらいありふれた鳥である。
3.最後の-oは形容詞の変化語尾で、中性単数形。かかる名詞のpoljeが中性名詞だからそれに呼応しているわけだ。だから、もし名詞が男性名詞か女性名詞だったらkosovoではなくなる。たとえばgrad(グラート、「町」)は男性名詞、reka(レーカ、「川」)は女性名詞だから、これにつく「ツグミの」はそれぞれ以下のようになる。
kosov grad ツグミの町
kosova reka ツグミの川
4.ところが、もし所有形容詞を派生させるもとの名詞がkosのように子音でなく母音のaで終わるタイプだったらどうなるか。所有形容詞は-ovでなく-inをつけて作られるのだ (その場合、母音aは切り捨てられる)。だから、たとえばkosa(コサ)「髪」の所有形容詞「髪の」はkosa-ovではなくkos-in。どうも妙な例文ばかりで面目ないが、理屈としては、
kosino polje 髪ヶ原
kosin grad 髪の町
kosina reka 髪の川
という形がなりたつ。
5.ロシア語の姓のNikitinなどの-inもこれ。この姓はNikitaから来ているわけだ。
このツグミヶ原は有名なセルビアの王ステファン・ドゥーシャン統治下はじめ、中世セルビア王国を通じて同国領だったから名前もセルビア語のものがついているわけだ。1389年いわゆる「コソヴォの戦い」でオスマン・トルコ軍に破れ、1459年セルビア全土がオスマン・トルコの支配下になってからも、この地はセルビア人にとって文化の中心地、心のふるさとであり続けた。後からやって来たアルバニア人もセルビア語の名前をそのまま受け継いでここをkosovaと呼んでいる。アルバニア語なら「ツグミ」はmëllenjë(ムレーニュ)あるいはmulizezë(ムリゼーズ)だ。

ステファン・ドゥーシャン統治下の中世セルビア王国。ペロポネソス半島まで領地が広がっているのがわかる。
名前の直訳形がちょっと高級な雰囲気になるのとは反対に、外国語の名称を頭でちょん切るとドイツ語では蔑称になる。英語でもJapanあるいはJapneseの頭だけを取ってJapというと軽蔑の意がこもるのと同じだ。
実は前からとても気になっていたのだが、日本人が旧ユーゴスラビアを指して平気で使う「ユーゴ」(JugoあるいはYugo)という言い方は本来蔑称だ。Japと同様、家の中やごく内輪の会話で実はこっそり使っていたとしても一歩外に出たら普通口にしない。事実、私はなんだかんだで10年くらい(旧ユーゴスラビアの言語も学ぶ)スラブ語学部にいたが、その間「ユーゴ」という言葉が使われたことはたった一度しかない。その一回というのも、離婚経験のあるクロアチア人の女性がクロアチア人の前夫の話をする際に「所詮あいつはユーゴよ、ユーゴ。たまらない男だったわ」とコキ下ろして使っていたものだ。つまり「ユーゴ」という言葉はそういうニュアンスがあるのだ。
もちろん日本語の枠内では「ユーゴ」という言葉にまったく軽蔑的なニュアンスなどないから、やめろいうつもりはない。そもそもユーゴスラビアという国自体がなくなってしまったから、いまさらどうしようもないし。ただ、ドイツで旧ユーゴスラビアの話をする際つい日本語の癖を出して「ユーゴ」などと口走らないように気をつけたほうがいいとは思う。「ユーゴスラビア」と略さずに言ったってさほど手間に違いがあるわけでもないのだから。確かにドイツ語のJu.go.sla.vi.en(ユー・ゴ・スラ・ヴィ・エン)をJugoと呼ぶことによって3シラブル節約できるが、相手を侮辱してまで切り詰める価値もあるまい。
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