アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ:スポーツ > サッカー

 何回か前のサッカー・ヨーロッパ選手権の際、うちでとっている南ドイツ新聞(Süddeutsche Zeitung)に載っていた論説の中に、ドイツ人の本音が思わず出てしまっていた部分があって面白かった。

曰く:

... Da geht es also um einen der weltweit wichtigsten Titel, die der Fußball zu vergeben hat - für viele Trainer zählt eine Europameisterschaft mehr als eine Weltmeisterschaft, weil das Niveau von Beginn an höher ist und sich die Favoriten in den Gruppenspielen nicht gegen ***** oder ***** warmspielen können ...

(…なんと言っても事はサッカーに与えられる世界中で最も重要なタイトルの一つに関わる話だから--監督の多くが世界選手権よりヨーロッパ選手権の方を重く見ている。なぜならヨーロッパ選手権の方がすでに初戦からレベルが高いし、優勝候補のチームがグループ戦で*****とか*****とかと当たってまずウォームアップから入る、ということができないからだ…)

 *****の部分にはさる国々の名前が入るのだが、伏字にしておいた。そう、ヨーロッパと一部の南アメリカの国以外は「練習台」「刺身のツマ」、これが彼らの本音なのだろう。こういうことを露骨に言われると私も一瞬ムカッと来るが、考えてみれば確かにその通りなのだから仕方がない。

 世界選手権の前半戦はドイツ人はあまりまじめに見ない人も多い。通るのが当たり前だからだ。前半戦なんて彼らにとっては面倒くさい事務的手続きのようなもの。気にするとしたら、トーナメントで最初にあたる相手はどこになるか、対戦グループの2位はどこか、という話題くらいだろう。つまり自分たちのほうはグループ1位だと決めてかかっているところが怖い。たまにヨーロッパのチームがその「単なる事務的手続き」に落ちることがあって嘲笑の的になったりするが、つまり前半戦さえ通らないというのは嘲笑ものなのである。
 だから、日本で毎回世界選手権になるとまず「大会に出られるかどうか」が話題になり、次に「トーナメントに出る出ない」で一喜一憂しているのを見ると、なんかこう、恥ずかしいというか背中が痒くなってくるのだ(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめなさい)。こちらで皆が本腰を入れて見だすのはやっとベスト8あたりからだ。
 世界選手権はまあそうやって手を抜く余裕があるが、ヨーロッパ選手権は前半から本腰を入れなければならず、全編暇なし・緊張の連続で、見ているほうはスリル満点、ドイツ人もトーナメント前から結構真剣に見だす。最初の方ですでにポルトガル対スペイン戦などというほとんど決勝戦レベルのカードが行なわれたこともあった。もったいない。
 そういう調子だから、選手権が始まると前半戦から、いやそもそも大会が始まる一ヶ月くらい前から大変な騒ぎだ。TV番組はこれでもかと「選手団が当地に到着しました」的などうでもいいニュースを流す。到着しなかったほうがよほどニュースだと思うのだが。スナック菓子やビールのラベルに選手の写真やチームのロゴが登場し出すのはまだ序の口、そのうちサッカーボール型のパンが焼かれるようになる。大会が始まったら最後、ドイツの登場する日など朝から異様な雰囲気が立ち込める。私のような善良な市民はやっていられない(サッカーが好きな人は善良ではない、と言っているのではない)。
 ではドイツが負ければ静かになるかというとそうではない。まずいことにドイツが負けるのは大抵ベスト4か決勝戦、つまり優勝が下手に視界に入ったところだから、ドイツがいなくなっても騒ぎは急に止まれない、というか、余ったビールの持って行き所がない、というか、結局最後まで騒ぎとおすのが常だ。さらに、ドイツには外国人がワンサと住んでいるから、特にヨーロッパ選手権だと勝ち残っている国の人が必ずいる。私のうちのそばには、イタリア語しか聞こえてこない街角があるくらいだ。だからドイツが敗退しても全然静かになどならない。

 ではTVもラジオもつけないでいれば静かにしていられるか?これも駄目、TVを消しても外の騒ぎの様子でどちらが何対何で勝ったかまでわかってしまうのだ。たとえば、上述の大会のドイツ・イタリア戦は私はもちろんTVなど見ないで台所で本を読んでいたのだが、試合の経過はすぐわかった。スコアについては少し解釈しそこなったのだが、それはこういう具合だった。

 まず、始まってしばらくして下の階に住んでいる学生が「ぎゃーっ!」と叫ぶ声が響いてきた。ドイツ人が叫び、しかもその後花火だろドラ・太鼓が続かない時は基本的に「ドイツ側がゴールを試みたが間一髪で惜しくも入らなかった」という意味だから、「ああ、ドイツのゴールが決まらなかったんだな」と解釈。その後何分かして、町の一角から大歓声が響いて来た。花火・ブブゼラ総動員だったのでどちらかが点を入れたな、とすぐわかった。あまりにもうるさいので最初ドイツがゴールしたのかと思ったが、それにしては歓声が上がっている場所が限定されている、つまり町全体が騒いでいるのではない。これで、歓声はイタリア人居住地区のみで上がっている、と解釈できる、つまりイタリアが点を入れたんだなと判断した。

 後で確認したところ、第二の解釈は当たっていたが、第一の解釈、つまり「ドイツ人の単発的な絶叫=惜しいゴール」は誤解釈で、これはイタリア側が点を入れていたのだった。二点目についても、発生地が限定されているにも拘らず全体音量としてはドイツ人が町全体で出すのとほぼ同等のヴォリュームを出す、ということはイタリア人一人当たりの出す音量はドイツ人何人分にも相当しているということになる。やっぱりねとは思うが、ではなぜ最初のイタリアのゴールの時、これほどうるさくはならなかったのか。たぶん始まってから間もない時間だったので、TVの前に集まっているサポーターがまだ少なかったか皆十分デキあがっていなかった、つまりまだアルコール濃度が今ひとつ低かったからだろう。
 しかしそれにしてもいったいあの花火・爆竹。当然のように使用しているがあれらはいったいどこから持ってきたのか?というのも、ドイツでは花火の類は大晦日の前3日間くらいしか販売を許可されていないはずなのだ。まさか去年の大晦日に買った花火をサッカー選手権に備えてキープしておいたのか?ああいう騒ぎをやらずにはいられない輩がそこまで冷静に行動して半年もかけて周到に準備しておいたとはとても考えられないのだが…。
 なお、その試合の後半戦で一度イタリアのゴールがオフサイドということでポシャったが、その時もイタリア人居住区から大歓声が響いてきた。ドイツ人ならゴールに入った入らないより先にオフサイドか否かの方を気にして議論を始めるたちだから、こういう早まった大歓声は上げないだろう。

 ところで、ドイツ人はゲーテの昔からイタリアが大好だが、こちらにはイタリア人とドイツ人の関係について諺がある。

「ドイツ人はイタリア人を愛しているが尊敬していない。イタリア人はドイツ人を尊敬しているが愛していない。」

わかるわかるこれ。

 とにかくこちらにいるとこういうワザが自然に身について、TVなど見ないでもサッカーの経過がわかるようになってしまう。経験によって漁師が雲や海の波の具合から天候を予知し、狩人が微妙な痕跡から獲物の居所を知ることができるようになるのと同じ。町の微妙な雰囲気を嗅ぎ分けてサッカーの経過がわかるようになるのだ。ほとんどデルス・ウザーラ並みの自然観察力である。 
 ただ漁師や狩人と違うのは、そんなことができるようになっても人生に何のプラスにもならない、という事だ。困ったものだ。


400px-Dersu_Uzala_(1975)
話が飛んで恐縮だが、実は私は黒澤明の映画の中ではこの『デルス・ウザーラ』が一番好きだ。これはクロアチア語バージョンのDVD。下の方に「モスクワで最優秀賞」「オスカー最優秀外国語映画賞」とある。


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 またまたサッカーECがやってきた。今回は出場の面子があまり面白くない、例えばオランダが出ないので今ひとつ見所に欠ける気がする。なんと言ってもデ・ヨングのクンフー・キックはジダンの頭突きと共にすでに伝説化しているのだ。
 以下の記事はもう2回くらい前のECのとき書いたものだが、今回も周りの様子はまったくこのまんまである。というわけで古い記事のリサイクルで失礼。


元の記事はこちら

 何回か前のサッカー・ヨーロッパ選手権の際、うちでとっている南ドイツ新聞(Süddeutsche Zeitung)に載っていた論説の中に、ドイツ人の本音が思わず出てしまっていた部分があって面白かった。

曰く:

... Da geht es also um einen der weltweit wichtigsten Titel, die der Fußball zu vergeben hat - für viele Trainer zählt eine Europameisterschaft mehr als eine Weltmeisterschaft, weil das Niveau von Beginn an höher ist und sich die Favoriten in den Gruppenspielen nicht gegen ***** oder ***** warmspielen können ...

(…なんと言っても事はサッカーに与えられる世界中で最も重要なタイトルの一つに関わる話だから--監督の多くが世界選手権よりヨーロッパ選手権の方を重く見ている。なぜならヨーロッパ選手権の方がすでに初戦からレベルが高いし、優勝候補のチームがグループ戦で*****とか*****とかと当たってまずウォームアップから入る、ということができないからだ…)

 *****の部分にはさる国々の名前が入るのだが、伏字にしておいた。そう、ヨーロッパと一部の南アメリカの国以外は「練習台」「刺身のツマ」、これが彼らの本音なのだろう。こういうことを露骨に言われると私も一瞬ムカッと来るが、考えてみれば確かにその通りなのだから仕方がない。

 世界選手権の前半戦はドイツ人はあまりまじめに見ない人も多い。通るのが当たり前だからだ。前半戦なんて彼らにとっては面倒くさい事務的手続きのようなもの。気にするとしたら、トーナメントで最初にあたる相手はどこになるか、対戦グループの2位はどこか、という話題くらいだろう。つまり自分たちのほうはグループ1位だと決めてかかっているところが怖い。たまにヨーロッパのチームがその「単なる事務的手続き」に落ちることがあって嘲笑の的になったりするが、つまり前半戦さえ通らないというのは嘲笑ものなのである。
 だから、日本で毎回世界選手権になるとまず「大会に出られるかどうか」が話題になり、次に「トーナメントに出る出ない」で一喜一憂しているのを見ると、なんかこう、恥ずかしいというか背中が痒くなってくるのだ(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめなさい)。こちらで皆が本腰を入れて見だすのはやっとベスト8あたりからだ。
 世界選手権はまあそうやって手を抜く余裕があるが、ヨーロッパ選手権は前半から本腰を入れなければならず、全編暇なし・緊張の連続で、見ているほうはスリル満点、ドイツ人もトーナメント前から結構真剣に見だす。最初の方ですでにポルトガル対スペイン戦などというほとんど決勝戦レベルのカードが行なわれたこともあった。もったいない。
 そういう調子だから、選手権が始まると前半戦から、いやそもそも大会が始まる一ヶ月くらい前から大変な騒ぎだ。TV番組はこれでもかと「選手団が当地に到着しました」的などうでもいいニュースを流す。到着しなかったほうがよほどニュースだと思うのだが。スナック菓子やビールのラベルに選手の写真やチームのロゴが登場し出すのはまだ序の口、そのうちサッカーボール型のパンが焼かれるようになる。大会が始まったら最後、ドイツの登場する日など朝から異様な雰囲気が立ち込める。私のような善良な市民はやっていられない(サッカーが好きな人は善良ではない、と言っているのではない)。
 ではドイツが負ければ静かになるかというとそうではない。まずいことにドイツが負けるのは大抵ベスト4か決勝戦、つまり優勝が下手に視界に入ったところだから、ドイツがいなくなっても騒ぎは急に止まれない、というか、余ったビールの持って行き所がない、というか、結局最後まで騒ぎとおすのが常だ。さらに、ドイツには外国人がワンサと住んでいるから、特にヨーロッパ選手権だと勝ち残っている国の人が必ずいる。私のうちのそばには、イタリア語しか聞こえてこない街角があるくらいだ。だからドイツが敗退しても全然静かになどならない。

 ではTVもラジオもつけないでいれば静かにしていられるか?これも駄目、TVを消しても外の騒ぎの様子でどちらが何対何で勝ったかまでわかってしまうのだ。たとえば、上述の大会のドイツ・イタリア戦は私はもちろんTVなど見ないで台所で本を読んでいたのだが、試合の経過はすぐわかった。スコアについては少し解釈しそこなったのだが、それはこういう具合だった。

 まず、始まってしばらくして下の階に住んでいる学生が「ぎゃーっ!」と叫ぶ声が響いてきた。ドイツ人が叫び、しかもその後花火だろドラ・太鼓が続かない時は基本的に「ドイツ側がゴールを試みたが間一髪で惜しくも入らなかった」という意味だから、「ああ、ドイツのゴールが決まらなかったんだな」と解釈。その後何分かして、町の一角から大歓声が響いて来た。花火・ブブゼラ総動員だったのでどちらかが点を入れたな、とすぐわかった。あまりにもうるさいので最初ドイツがゴールしたのかと思ったが、それにしては歓声が上がっている場所が限定されている、つまり町全体が騒いでいるのではない。これで、歓声はイタリア人居住地区のみで上がっている、と解釈できる、つまりイタリアが点を入れたんだなと判断した。

 後で確認したところ、第二の解釈は当たっていたが、第一の解釈、つまり「ドイツ人の単発的な絶叫=惜しいゴール」は誤解釈で、これはイタリア側が点を入れていたのだった。二点目についても、発生地が限定されているにも拘らず全体音量としてはドイツ人が町全体で出すのとほぼ同等のヴォリュームを出す、ということはイタリア人一人当たりの出す音量はドイツ人何人分にも相当しているということになる。やっぱりねとは思うが、ではなぜ最初のイタリアのゴールの時、これほどうるさくはならなかったのか。たぶん始まってから間もない時間だったので、TVの前に集まっているサポーターがまだ少なかったか皆十分デキあがっていなかった、つまりまだアルコール濃度が今ひとつ低かったからだろう。
 しかしそれにしてもいったいあの花火・爆竹。当然のように使用しているがあれらはいったいどこから持ってきたのか?というのも、ドイツでは花火の類は大晦日の前3日間くらいしか販売を許可されていないはずなのだ。まさか去年の大晦日に買った花火をサッカー選手権に備えてキープしておいたのか?ああいう騒ぎをやらずにはいられない輩がそこまで冷静に行動して半年もかけて周到に準備しておいたとはとても考えられないのだが…。
 なお、その試合の後半戦で一度イタリアのゴールがオフサイドということでポシャったが、その時もイタリア人居住区から大歓声が響いてきた。ドイツ人ならゴールに入った入らないより先にオフサイドか否かの方を気にして議論を始めるたちだから、こういう早まった大歓声は上げないだろう。

 ところで、ドイツ人はゲーテの昔からイタリアが大好だが、こちらにはイタリア人とドイツ人の関係について諺がある。

「ドイツ人はイタリア人を愛しているが尊敬していない。イタリア人はドイツ人を尊敬しているが愛していない。」

わかるわかるこれ。

 とにかくこちらにいるとこういうワザが自然に身について、TVなど見ないでもサッカーの経過がわかるようになってしまう。経験によって漁師が雲や海の波の具合から天候を予知し、狩人が微妙な痕跡から獲物の居所を知ることができるようになるのと同じ。町の微妙な雰囲気を嗅ぎ分けてサッカーの経過がわかるようになるのだ。ほとんどデルス・ウザーラ並みの自然観察力である。 
 ただ漁師や狩人と違うのは、そんなことができるようになっても人生に何のプラスにもならない、という事だ。困ったものだ。


400px-Dersu_Uzala_(1975)
話が飛んで恐縮だが、実は私は黒澤明の映画の中ではこの『デルス・ウザーラ』が一番好きだ。これはクロアチア語バージョンのDVD。下の方に「モスクワで最優秀賞」「オスカー最優秀外国語映画賞」とある。


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 サッカーはワールド・カップでもヨーロッパ・カップでもそうだが、予選の総当たり戦ではそれぞれのグループごとの最後の2試合を同時にやる。それまでは順番にやってきたものを、グループ内の順位が最終的に決定される2試合だけは同時に行なうのである。だから見るほうはどちらか一方しか実況観戦ができない。家に一台しかテレビがないと家族間でどちらを見るか争いが起きることもある。負けたほうは見たくもない試合を仏頂面で見るはめになるわけだ。実は私は常にこの仏頂面組である。
 そうやっていつも被害を被っているのに、どうしてそういうことをやるのかについてはまったく疑問に思ったことがなかった。長い間「そういうものだ」としか考えていなかったので、これにはサッカー史上で立派な理由があると知って、いやドイツでは誰でもその理由を知っていると知って驚いた。「そんなことも知らないなんて。だからサッカー弱小国のやつは無教養だというんだ」とか言われそうだが、もしかしたら実は日本でももう「サッカー基礎知識」となっているのかもしれない。無知だったのは私だけ、ということか。

 この規則のきっかけになったのは、1982年の6月25日に行なわれたワールド・カップの予選でのドイツ対オーストリアの試合で、対戦が行なわれたスペインの会場ヒホンの名を取って「ヒホンの恥」(Schande von Gijón)と呼ばれているドイツサッカー史上の大汚点、いまだに何かあるとドイツ国民の口にのぼる、サイテーの試合である。

 その時のグループは、ドイツ、オーストリア、アルジェリア、チリで、当時は順番に一試合ずつやっていた予選の最終戦がオーストリア対ドイツだったが、そこでオーストリアが一点差でドイツに負ければ、ドイツとオーストリアがそろって決勝トーナメントにいけるという得点状況だった。一位オーストリア、二位アルジェリア、3位ドイツ、4位がチリだった。
 アルジェリアは直前にドイツに2対1で勝つという大金星をあげて2位についていた。そのまま進めば初のアフリカ代表として決勝トーナメントに行けるはずだった。普通に考えればオーストリアなんてドイツにジャン負けしたはずだからである。
 しかしドイツは早々と点をとるともうそれ以上攻めようとはせず、ゴールはワザと外し、必要もないのにボールをキーパーに戻してダラダラ時間を潰す、オーストリアも(あとで判明したところによると)監督が「一点差の負けでいい。下手に攻め込んだり点を取り返したりしてドイツを怒らせるな」と指示して選手を遊ばせた。オーストリアがここで下手に点を入れてドイツと引き分けてしまうとドイツが3位になって落ちる、かと言ってドイツがそれ以上点を入れてしまうと今度はオーストリアがゴールの得点差のために落ちるからである。露骨な八百長だ。チーム間にはっきりとそういう約束ができていなかったとしても、ゲルマン民族同士が少なくともお互いに「空気を読みあって」アルジェリアのトーナメント進出を阻んだのである。
 その八百長ぶりにアルジェリア人ばかりでなく、ドイツ人も怒った怒った。ドイツ人レポーターエバハルト・シュタニェクはこの試合振りを「恥」とののしり、オーストリア人のレポーター、ロベルト・ゼーガーは視聴者にテレビを消してしまうよう薦めた。こんな試合を地元でやられたスペイン人も怒った。そのとき会場には41000人の観客がいたそうだが、後半戦の間中白いハンカチを振りつづけた。これは不満の意を示すスペイン人の習慣だそうだ。もちろんFIFAもUEFAも怒った。この「史上最低の作戦」のあと、ルールを変えて、予選の最終戦の2マッチは必ず同時に行い、変な思惑が入らないようにしたのである。

 時は流れてこの前の2014年ワールドカップの時、予選でドイツが実に32年ぶりにアルジェリアと対戦した。ここで「運命」とか「天罰」をいうものを信じている人がいるのがわかる気がしたが、そう思ったのは私だけではない。うちで取っている新聞にもDer Tag ist gekommen(その日が来た)というタイトルで「ヒホンの恥」が論じられていた。ドイツ国民の相当数が同じ事を考えていたに違いない。
 その新聞記事はもちろんドイツの新聞だったが、アルジェリアに対して好意的に論じ、「アルジェリアは事実上すでに手にしていた決勝トーナメント進出権を盗まれた、ドイツとオーストリアは同国に対して大きな借りがあるのだ」と述べ、当時ドイツ・オーストリアに対して抗議したアルジェリアに対し、「これしきのことで騒ぎ立てるな、おとなしく砂漠に帰れ」的なことをいって真面目に相手にしなかったオーストリア・ドイツ両監督のことをボロクソ批判していた。ドイツ人は自国のチームだからといって無条件に応援などしない。実際今でもドイツのチームがダレた試合をすると、ドイツ人から「ヒホンやるな、ヒホン!」と怒号が飛ぶ。
 残念ながら2014年での試合はドイツが制したが、またいつか当たる日が来るだろう。もっともまた32年後ということになってしまうと果たして私はまだ生きているかどうか・・・

 実はその直前にドイツはアメリカと対戦していたのだが、アメリカチームの監督はドイツ人の元スター、クリンスマンである。しかもご丁寧にそこで「引き分けならば双方決勝トーナメント」という状況だったので、「ワザと引き分けるんじゃないのか?」という黒い噂があちこちで囁かれていた。皆が胸にいだいているそういういや~な予感が発露されたかの如く、何日か新聞といわずTVといわず、やたらと「ヒホンの恥」が話題に上るので大笑い。挙句は(案の定)記者会見のとき「まさか引き分けの約束が出来てたりしないんでしょうね」とかドイツの選手に堂々と聞く記者まで現れるしまつ。
 そこで、聞かれた選手が「ナニを馬鹿なことを!」とか真面目に怒り出したりしたら「怪しいぞ、こいつ」とかえって疑われていたかもしれないが、選手がそこでゲラゲラ笑い出し「あ~、皆さんがそのことをお考えになる気持ちはよくわかりますが、大丈夫、試合を見てください。そうすればそんな疑いは晴れると思います」とキッパリ言ったのでまあひとまず安心ということにはなった。試合は一応1対0でドイツが勝ったが、アメリカ相手ならドイツは楽勝でもっと点を入れられただろうになぜ一点どまりなのかという疑いは消えなかった。その上、他のチームの結果のためだったにしろアメリカが何だかんだでトーナメントに進めてしまったからどうも「キッパリ白」とは言えない雰囲気ではあった。

Youtubeでこの試合を一部みることができる。「あれはもうサッカーじゃない」、「スキャンダル以外の何者でもない」と解説者にののしられている。


観客からはブーイングの嵐、レポーターも「恥としかいえない」とののしっているのが聞こえる。




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 サッカーのゴールキーパーのことをドイツ語でTorwart(トーアヴァルト)というが、これは本来「門番」という意味だ。
 まずTorはゲルマン祖語のa-語幹の名詞*duraに遡れるそうで、中高ドイツ語ではtor、中期低地ドイツ語ではdor。英語ではdoorである。wartは「番人」で、動詞warten(ヴァルテン)から来たもの。wartenは今では「待つ」という意味だが昔は「管理する」とか「守る」「世話する」という意味で、現在でも辞書でwartenを引くと古語としてそういう意味が載っている。「待つ」というふうに意味変化を起こしたのは中高ドイツ語の初期あたりらしい。英語ではwardという動詞がこれに当たる。
 このTorwartはゲルマン語としては非常に古い単語で古高ドイツ語にすでにtorwartという語が存在したどころか、ゴート語にも対応するdaurawardsという言葉が見られるそうだ。しかし一方すでに古高ドイツ語の時代にラテン語から「門」Portaという言葉が借用されており、Torwartと平行して中期ラテン語のportenarius起源の「門番」、portināriという語も使われていて次第にこちらのほうが優勢になった。だから現在のドイツ語では「門番」をPförtner(プフェルトナー)というのである。借用の時期が第二次子音推移の時期より早かったため、p →pf と教科書どおりの音韻変化を起こしているのがわかる(中高ドイツ語ではこれがphortenœreと書かれ、子音推移を起こしているのが見て取れる)。この音韻変化を被らなかった英語では今でもp音を使ってporterと言っている。
 つまり、ドイツ語の「ゴールキーパー」はすでに廃れた古いゲルマン語を新しくサッカー用語として復活させたものなのである。

 だからこれを言葉どおりにとればゴールキーパーの仕事は「しかるべき球は丁重に中にお通しする」ということにならないか?でもそんなことをやったら試合になるまい。

 サッカーはイングランドが発祥地のはずだが、ドイツ人は自国のサッカーに誇りを抱いているためか用語に英語と違っているドイツ語独自のものがあり、うっかり本来の英語の単語を使うと怒る。中でも彼らが一番嫌うのは「サッカー」という言葉で、以前日本でもサッカーの事をサッカーと呼ぶと知って「なんで日本人はそんな白痴的な言葉を使うんだ。せめてフットボールといえないのか」と抗議されたことがある。私に抗議されても困ると思ったが、「フットボールと言っちゃうとアメリカン・フットボールと混同しやすいからでしょう」と答えてやったら、「アメリカ人があんな変なスポーツもどきをフットボールと呼ぶのは彼らの勝手だが、日本人までサルマネしてサッカーとか呼ぶことはないだろう」とますます気を悪くされた。その時向こうの顔に「だから日本人はサッカーが弱いんだ」と書いてあった…ような気がしたのは多分私の被害妄想だろう。

 さらに「ペナルティ・キック」はドイツ語でElfmeter(エルフメーター、「11メートル」)という。私はこっちの方がPKより適切だと思う。延長戦でも勝負がつかなかった時のキック戦を「ペナルティ」と呼ぶのは変だ。いったい何の罰なのかわからない。時間内にオトシマエをつけられなかった罰というのではまるで脅迫であるが、このエルフメーターに関してはまさに脅迫観念的な法則があるそうだ。それは「イングランドはかならずPKで負ける」という法則である。

 前回のユーロカップでイタリア対イングランドがPK戦になったが、PKと決まった時点で隣のドイツ人がキッパリといった。

「イタリアの勝ちだ。」

サッカー弱小国から来た私が馬鹿丸出しで「まだ一発も蹴ってないのになんでわかるの?」と聞いたら、

「PKなんてやるだけ無駄無駄。「PKをやればイングランドが負ける」というのは自然法則だ。逆らえるわけがない。」

最初の一人がどちらも入れたあと、イタリアの二人目が失敗し、イングランドが入れたが、彼は余裕で言った。

「うん、最初のうちはやっぱり現象に揺れがあるな。イングランドがPKでリードなんて初めて見たわ。でもこのあとはちゃんと法則通りに収束するから見ていろ。まず次3人目、イタリアが入れてイングランドがハズす。」

その通りになると、

「おや、少なくとも枠には当てられたな。ベッカムよりは優秀じゃないか。4人目、イタリアが入れてブフォンがとめる。」

以前やっぱりPK戦で球をアサッテのほうにすっとばしたベッカムの記憶はまだ新しいのであった。ちなみにその2日ほど前にブフォンがドイツ人のインタビューに答えている様子をTVで流していたが最初誰だかわからなかった。どうもこの顔見たことあるなと思ったらブフォンだったのである。なにせこの人はフィールドで吠えている姿しか見たことがないので、普通の顔をして普通にしゃべられるとわからなくなるのだ。

で、そのブフォンが本当に4人目のイングランドをとめる。

「次、イタリアが入れて試合終了だ」

本当にそうなってしまった。イングランドが一人余って試合終了。確かにこれは自然法則だ。次の日の新聞にも「イングランドのPK、やっぱりね」というニュアンスの記事が並んでいた。Es hört einfach nie auf(「このジンクスはどうやっても止まらないよ~」)というタイトルの記事も見かけた。

 その次のユーロカップ、つまり今回の大会ではイタリアはドイツとすさまじいPK戦になりイタリアのほうが負けたが、そこでドイツの解説者が上述のPK戦にふれ、「イタリアは前の大会でPK戦になって勝ちましたが、まあ相手がイングランドでしたから。」と蒸し返していたものだ。それにしてもこの2016年のPK戦は規定内の5人では勝負がつかず、9人目まで延長してやっと決着がついた。PKの延長戦というのを見たのは私はこれが初めてではあるが、双方あと二人頑張っていれば打者一巡(違)ということになってさらに凄まじさが増していただろうに、その点はかえすがえすも残念である。
 ちなみにさるドイツ人の話では、今までの人生で見た中で最も恥ずかしかったPKキックとは、蹴りを入れようとした選手がボールのところでつまずいた拍子につま先が触れ、球がコロコロ動き出してキーパーの手前何メートルかのところで止まってしまったものだそうだ。これも相当の見ものだったに違いない。

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 2010年にアイスランドのEyjafjallajökullという火山が噴火し、大量の灰を空中に撒き散らしたため航空機の飛行が不可能になり、ヨーロッパ中で空の便が何日も麻痺して大混乱になった。しかし大混乱をおこしたのは空の便ばかりではなかった。テレビ局やラジオのアナウンサーなど報道陣もパニックに陥ったのである。誰もこの火山の名前が発音できなかったからだ。
 しまいには噴火そのものよりも名前が注目されて、この名前が言えなくてヒステリーを起こすアナウンサーの模様のほうがニュースになりさかんにTVで流された。
 この名前はIPAで書くと[╵ɛɪja.fjatla.jœkʏtl̥]。アイスランド語のアクセントは常に最初のシラブルにあるそうで、その点ではわかりやすいのだが、l を重ねて ll になると何処からか t が介入してくるあたり一筋縄ではいかない。かてて加えて語末の l は無声化するとのことだ。私にはここが単に声門閉鎖音にしか聞こえないことがあった。日本語ではエイヤフィヤトラヨークトルと読んでいる。なおアイスランド語は無気・帯気を弁別的に区別するそうだ。
 この名前の意味はEyjaが「島」の複数属格(単数はEy)、fiallaが「山」のやはり複数属格(単数はfiall)、jökullが「氷河」で、全体で「島の山の氷河」。これが火山の名前になっているのはその氷河の下から火山が火を噴くからだそうで、さすが「氷と火の国」と呼ばれていることだけのことはある。

 アイスランドといえば先日のサッカーユーロカップでイングランドを粉砕して一躍人気者になったが、ここでも真っ先に人目に止まったのが選手の名前である。まあちょっと見てほしい。
Hannes Þór Halldórsson
Ögmundur Kristinsson
Ingvar Jónsson
Birkir Már Sævarsson
Haukur Heiðar Hauksson
Hjörtur Hermannsson
Sverrir Ingi Ingason
Ragnar Sigurðsson
Theódór Elmar Bjarnason
Hörður Björgvin Magnússon
Arnór Ingvi Traustason
Ari Freyr Skúlason
Birkir Bjarnason
Gylfi Sigurðsson
Kári Árnason
Rúnar Már Sigurjónsson
Aron Gunnarsson
Emil Hallfreðsson
Jóhann Berg Guðmundsson
Kolbeinn Sigþórsson
Alfreð Finnbogason
Jón Daði Böðvarsson
Eiður Guðjohnsen

 たしかにその国に多い姓の語尾というものはある。例えばセルビア語・クロアチア語には-ić(イッチ)で終わるものが非常に多い。しかし多いと言っても例外を見つけるのにさほど困難はないのが普通だ。現にクロアチアの選手にSrnaという姓の人がいたし、私も知り合いにPečurというクロアチア人がいる。このアイスランド語のようにほぼ例外なく同じ語尾という場合はその名前が始めから決まっているのではなくて一定の規則に従って自動的に作り出される形とみていい。ロシア語の父称のようなものか。現に-sonというのは明らかに「~の息子」で、英語のson、ドイツ語のSohnである。
 そういうことを考えながら試合を見ていたら突然隣から「じゃあ、アイスランド人は男と女は姓が違うんだな。女は皆-dóttirだろ。これって「~の娘」(ドイツ語でTochter)だよな」とコメントが入った。私が驚いて「なんであんたアイスランド語なんて知ってるの?」と聞くと

「知ってんじゃないよ。考えればわかるんだ(悪かったな、そこまでは考えが至らなくて)。ビョークの姓がGuðmundsdóttirじゃん。ははん、このdóttirはTochterだな、と今sonの羅列をみて思いついた。」

 そういわれてみると昔やはり「名前が発音できない」と恐れられていたアイスランドの女性大統領がいたがVigdís Finnbogadóttirという名前だった。しかも上のアイスランドの選手にそれと対応するFinnbogasonというラストネームがあるではないか。
 そこでドイツ語の語源辞典でTochterを引いてみると、印欧祖語の*dhuktērに遡れ、古高・中高ドイツ語のtohter、中期低地ドイツ語と現在のオランダ語のdochter、もちろん英語のdaughter、古期英語のdohter、スウェーデン語のdotter、ゴート語のdauhtarが同源である。そして「古代ノルド語」ではdōttir。アイスランド語は北ゲルマン語派の中でも最も古い形、特に語形変化パラダイムをよく保持していて、事実上「古ノルウェー語」または「古スウェーデン語」であると教わったが、本当だ。

 すると翌日の新聞の第一面にアイスランド人の名前についての記事が載った。それによると上のナントカソンあるいはナントカドッティルというのは実は姓ではないとのことである。アイスランド人には姓がないのだ。だから電話帳などには名前がアルファベット順に並んでいる。ではこのナントカソンとは何なのかというと、名前だけでは誰だかわからなくなるため、あくまで補助として親の名前をとってつけるもの、つまり本当にロシア語の父称以上の何物でもない。姓ではないから、当然父親と息子、母親と娘はソンやドッティルが違う。例えばGuðmundur Sigþórssonという人の息子がAlfreðという名前だったらAlfreð Guðmundsson、Björkという名前の娘はBjörk Guðmundsdóttir。親と子ばかりでなく夫婦ももちろんソンとドッティルが違う。さらに事を複雑にするのが、「父親とつながるのが嫌な人、そもそも父親が誰なのかわからない人は母親の名前をとってもいい」という規則である。だから兄弟姉妹間ではソンとドッティルという語尾ばかりでなく、そもそもの語幹となる名前のほうも違うことがあるのだ。
 日本で時々夫婦別姓議論の際、親と子供の姓が違うと家族の絆が崩れるとか頑強に主張している人がいるが、そういう人は一度アイスランドに行って見て来るといい。

 さて、上の名前を見るとソンの部分の s がダブってssonとなっている場合と単にsonとなっている場合とがあるが、私は「語幹の名前が子音で終われば s がダブり、母音で終わればダブらない」という規則なのかと思った。しかしどうもそうではないようだ。語幹の名前は単数属格形なんだそうで、s はその属格マーカーなのであり、sonの s がダブっているのではない。さらにアイスランド語には単数属格を a で作る名詞があって、そういう名詞には当然sonだけつく、とこういうしくみらしい。
 
 こういう風に姓なしでやってきてはいたがそれでも19世紀ころまでは外国から姓が導入されたりしたことがあった。だから父称でない姓をもったアイスランド人が少数ながらいる。これは親から子供に引き継がれる。逆にこのアイスランド式の姓でないラストネームは(ああややこしい)1992年からデンマークの自治領フェロー諸島でも認められるようになったそうだ。もっともフェロー諸島には普通の意味での姓もちゃんとあって、Joensen、 Hansen 、Jacobsenの3つが最も多い姓とのことである。上のリストにも一人sonでなくsenで終わるラストネームを持っている人がいるが、この人については「外国起源の姓を引き継いだ」と説明されていた。この外国というのはひょっとしたらフェロー諸島のことかも知れない。

 この父称制度は上にも述べたようにロシア語にある。男だと父の名前に-ич(イッチ)、女だと –евна(エヴナ)を語尾につけて作る。ロシア語はその上にさらに姓が別にあるが、南スラブ語ではこのイッチの父称が姓として固定し、男女共に同じ形になってしまっている。上で述べたセルビア語・クロアチア語の名前はそれである。ゲルマン語圏でも-sonで終わる姓は英語やスウェーデン語にやたらと多い。ドイツではこれが-senとして現われるが、このナントカセンという名前は北ドイツに特有のもので、南ドイツやオーストリアには本来見られなかった。
 中世に現在のロシア、ボルガ川領域に最初の都市国家を作り、黒海沿岸にまで進出したのがバイキング、つまり北ゲルマン人であること(ロシア人は彼らの事をヴァリャーギ人と呼んでいる)、大ブリテン島や北ドイツなどバイキングが活躍した、というかその被害を被ったというが、とにかく彼らの足跡がついた地域にこの父称起源の姓が多い、というのも考えてみると面白いと思う。

 サッカーの話に戻ると、イングランドに対して2点目を入れたのはSigþórssonという選手でローマ字ではSigthorssonと表記するが、このラストネームをドイツ語で読むとSieg-tor-sonとなり、意味はズバリ「勝利のゴール・ソン」。話ができすぎていて下手なギャグとしか思えない。
 また、この試合で選手以上に人気を呼んだのが、アイスランドのTV解説者で、その絶叫ぶり、というより絶叫を通り越してほとんど阿鼻叫喚的な解説ぶりに、「この人の心臓が心配だから次は医者をわきに待機させろ」とまでネットに書き込まれたほどだ。ドイツの新聞では「まさに火山の噴火」と表現されていた。

1点目のゴール、2点目のゴールと試合終了時におけるアイスランドの解説者の絶叫ぶり。アイスランド語では「2」をtvöというらしいことだけは聞き取れる。さすがゲルマン語派だ。ドイツ語や英語と似ている。tvöは主格中性形で、男性形ならtveir、女性形はtværである。




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 また昔話で恐縮だが1998年のサッカーのW杯の時、スペインチームに「エチェベリア」という名の選手がいたのでハッとした。これは一目瞭然バスク語だからだ。そこでサッカーそのものはそっちのけにして同選手のことを調べてみたら本当にバスク地方のElgóibarという所の生まれでアスレチック・ビルバオの選手だった。この姓は現在ではバスク語の正書法でEtxeberriaと書くがこれをスペイン語綴りにしたEchaverríaという姓もある。メキシコ人にもこういう名前の人がいる。スペイン語ではbとvとを弁別的に区別せず、どちらも有声両唇摩擦音[​β]で発音するからバスク語のbがスペイン語でvとなっているわけだ。

 日本の印欧語学者泉井久之助氏もこんな内容のことを書いていた。

第二次大戦の前、当時日本の委任統治領であったミクロネシアの言語を調査するため現地に赴いた。そのときサイパンの修道院を訪問したが、ここはかつてスペイン領だったのでカトリックの人は皆スペインから来た人であった。するとそこで隣の尼僧院の院長の名が「ゴイコエチェア」Goikoecheaだと知らされた。これはまさにバスク語である。

 泉井氏によればGoikoは「高い」という意味の形容詞でecheaが「家」だから、この名は「高家」とでも訳せる。goikoはさらにgoi-と-koに形態素分析でき、 goi-が形容詞の本体、-koは接尾辞である。バスク語は本来形容詞が名詞のあとに来るから、echegoikoになりそうなものだが、この-koという接尾辞がつくと例外的に形容詞は文法上属格名詞扱いされ、形容される名詞の前に立つそうだ。Goikoecheaの最後のaは定冠詞とのことである。つまりバスク語はいわゆる膠着語タイプの言語なのだ。
 面白半分でさらに調べてみたら1994年のW杯のスペイン代表にJon Andoni Goikoetxeaという名の選手がいたのでまた驚いた。この選手は所属チームはFCバルセロナだが、パンプローナの生まれだそうだ。見事に話の筋が通っている。このetxe- あるいはecheのつく名前はバスク語ではよくあるのかもしれない。上のEtxeberriaはEtxe-berri-aと形態素分析ができ、Etxe-が「家」(上述)、-berri-が「新しい」、最後の-aは定冠詞だからこの名前の意味はthe new houseである。

 日本人から見ればバスク語など遠い国の関係ない言語のようだが、実は結構関係が深い。日本にキリスト教を伝えた例のフランシスコ・ザビエルというのがバスク人だからである。一般には無神経に「スペイン人」と説明されていることが多いが、当時はそもそもスペインなどという国はなかった。
 ザビエル、あるいはシャビエルはナバーラ地方の貴族で、Xavierというのはその家族が城の名前。ナバーラはバスク人の居住地として知られる7つの地方、ビスカヤ、ギプスコア、ラブール(ラプルディ)、スール(スベロア)、アラバ、低ナバーラ、ナバーラの一つで、ローマの昔にすでにバスク人が住んでいたと記録にあり、中世は独立国だった。もっともフランス、カスティーリャ、アラゴンという強国に挟まれているから、その一部あるいは全体がある時はフランス領、またある時はカスティーリャの支配下になったりして、首尾一貫してバスク人の国家としての独立を保っていたとは言い切れない。例えば13世紀後半から14世紀前半にかけてはフランスの貴族が支配者であったし、1512年にはカスティーリャの支配下に入った。その後フランス領となり、例えばカトリックとプロテスタントの間を往復運動したブルボン朝の祖アンリ4世の別名はナヴァール公アンリといって、フランス国王になったときナバーラ王も兼ねた。ただしアンリはパリの生まれだそうだ。
 とにかくヨーロッパの中世後期というのは、どこの国がどこに属し、誰がどこの王様なのかやたらと複雑で何回教えて貰ってもいまだに全体像がつかめない。

 では一方ナバーラは二つの強国に挟まれたいわゆる弱小国・辺境国であったのかというとそうも言い切れないらしい。まずフランスやカスティーリャの支配といってもボス(違)はパリだろなんだろの遠くにいて王座には坐っているだけ、実際に民衆を支配し政治を司ったのは地元のバスク人貴族である。さらにどこの国の領土になろうが社会的にも経済的にもバスク人同士の結びつきが強かったようだ。ザビエルの生まれた頃に当時のカスティーリャの支配になった後も、ナバーラばかりでなくその周辺の地域に住むバスク人には民族としての習慣法が認められるなどの、カスティーリャ語でFueroという特権を持ち一種の自治領状態だったらしい。民族議会のようなものもあり、カスティーリャの法律に対して拒否権を持っていたそうだ。独自の警察や軍隊まで持っていた地域もあったそうだから、統一国ではないにしろ、いわば「バスク人連邦」的なまとまりがあったようだ。
 経済的にも当時この地域は強かった。14世紀・15世紀には経済状況が厳しかったようだが、16世紀になるとそれを克服し、鉄鉱石の産地を抱え、造船の技術を持ち、地中海にも大西洋にも船で進出し、今のシュピッツベルゲンにまでバスク人の漁師の痕跡が残っているそうだ。また、地理的にも北にあったためアラブ人支配を抜け出た時期も早く、イベリア半島の他の部分がまだアラブ人に支配されていた期間にナバーラ王国の首都パンプローナはキリスト教地域であった。カトリック国としては結構発言力があったのではないだろうか。
 
 ザビエルがバスク人だったと聞くと「どうしてバスク人なんかがわざわざ日本まで出てくるんだ」と一瞬不思議に思うが、中世後期のバスク地方のこうした状況を考えるとなるほどと思う。1536年にイエズス会を創立したイグナチウス・デ・ロヨラもまたバスク人だった。ただしナバーラでなく北のギプスコアの出身である。ザビエルはパリ大学でロヨラと会い、イエズス会に参加したのだ。バスク人同士のよしみということではなかったのだろうか。
 もちろんザビエルらが普段何語を使っていたかについての記録は残っていないが、おそらく少なくともカスティーリャ語あるいはフランス語とバスク語のバイリンガルだったのではないかと思われる。「少なくとも」と言ったのはバスク語が優勢言語だったかもしれないからだ。今日のバスク地方では300万人の住人のうちバスク語を話すのは22%だが、主に老人層とはいえバスク語モノリンガルがいまだに存在する。20世紀になってスペイン語話者がどんどん流入し、政治的にも内戦やフランコによる弾圧を経験してもバスク語は壊滅していない。ザビエルの時代にはずっとバスク語人口、しかもモノリンガル人口が多かったに違いない。
 もっともバスク語はずっと「話し言葉」だった。統一したバスク語文語の必要性はすでに17世紀頃から主張されていたが、この「共通バスク語」(バスク語でEuskera Batua)が実現を見たのはやっと20世紀になってからである。1918年にバスク語アカデミー(Euskaltzaindia)がギプスコアに創立されて第一歩を踏み出した。第一次世界大戦の最中だが、スペインは参戦していなかったから、隣国フランスへの特需などもあって当時はむしろ経済的には好調だったようだ。そのあと辛酸を舐めたが現在では言語復興運動もさかんで正書法も確立されている。

 さてザビエルの名前、Xavierであるが、これはもともとバスク語の名前がロマンス語化されたもので、もとのバスク名は驚くなかれEtxeberri。後ろに-aがないのでthe new houseではなく a new houseであるが、どちらも「新しい家」。サッカーの選手と同じ名前なのだ。このXavierあるいはJavierという名前は現在のスペイン語、カタロニア語、フランス語、ポルトガル語、つまりイベリア半島のロマンス語のみに見られ、イタリア語とルーマニア語にはこれに対応する名前がない。イタリア語、ルーマニア語はバスク語と接触しなかったからである。
 さらに驚いたことに私が今までスペイン語の代表的な名前だと思っていた「サンチョ」Sanchoはバスク語起源だそうだ。これはラテン語のSanctus(後期ラテン語では Sanctius)のバスク語バージョンで、905年にナバーラのパンプローナにバスク人の王国を立てた王の名前がSancho Garcés一世という。パンプローナ国の最盛期(1000-1035)に君臨していたこれもサンチョ三世という名前の大王は別名を「全てのバスク人の王」といったとのことだ。

 バスク語のことをバスク語でEusikera またはEusikaraというが、この謎の言語は16世紀からヨーロッパ人の関心を引いていた。これに学問的なアプローチをしたのがあのヴィルヘルム・フォン・フンボルトで、1801年に言語調査をしている。その後19世紀の後半にシューハルトがバスク語をコーカサスの言語と同族であると主張したりした。
 私のような素人がバスク語と聞いてまず頭に浮かべるのはこの言語が能格言語である、ということだろう(『51.無視された大発見』参照)。それだからこそバスク語はコーカサスの言語と同族だと主張されたりしたのだ。ロールフスという学者が北インドのやはり能格言語ブルシャスキー語と比較していたことについては以前にも述べた(『72.流浪の民』)。今日びでは能格言語を見せられても誰も驚いたりしないだろうが、フンボルトの当時はこういう印欧語と全く異質な格体系は把握するのに時間を要したに違いない。事実フンボルトはその1801年から1803年にかけて執筆したバスク語文法の記述にあくまで「主格」という言葉を使って次のように説明している。

Eine, die ich in keiner anderen Sprache kenne, ist, ist das c, welches der Nominativ an sich trägt, sobald das Subject als handelnd vorgestellt wird. Alle andern, mir bekannte Sprachen bezeichnen den Unterschied des verbi neutri und actiui nur an dem verbum selbst; die Vaskische deutet ihn schon vorher am Subject selbst an, indem sie demselben im letzteren Fall ein c anhängt. In den beiden Phrasen also: Gott lebt u. Gott schaft wird Gott in der ersten durch Jainco-a, in der letzteren durch Jainco-a-c ausgedrückt. Denn dies c wird, wie alle Praepositionen hinter den Artikel gesetzt;

筆者が他の言語では見たことのない前置詞のひとつがこの c で、主語が何らかの行為を行なうものとして表されると主格そのものがこれを担う。筆者の知る限り他の言語では全て中動態と能動態を区別をただ動詞自体の形によってのみ行なうが、バスク語ではこの区別をすでにそれより前、主語自体がつけているのである。それで主語が行為の主体であった場合は -c が付加される。例えば次の2例、Gott lebt (「神は生きている」)と Gott schaft(「神は創造する」)では、「神」が前者では Jainco-a、後者ではJainco-a-cと表現される。前置詞が全てそうであるように、この -c も定冠詞の後に付加されるからである。

Jainco-aは絶対格だが、-a は後置冠詞だから、細かく言えば絶対格の格マーカーはゼロ形ということになる。一方Jainco-a-c(またはJainco-a-k)は能格だから、-c は実は単なる格マーカーである。しかしフンボルトはこれを「主格マーカー+(特殊な)前置詞」と分析している。うるさく言えば(本当にうるさいなあ)後置詞というべきだろうが、いずれにせよ -a-c を「主格の特殊形」と見なすやりかたは1810頃の、ビルバオの言語を基にした言語記述でも引き継いでいる。さすがのフンボルトも「主格・対格」の枠組みを離れるのには苦労したようだ。能格言語の絶対格と能格の区別の本質そのものは理解しているからなお面白い。さらに例文にあげたGott lebt対Gott schaftで、後者の他動詞構文で目的語を抜かしてあくまで印欧語では主格に立つ主語だけを比較している。このGott schaftにあたるバスク語では目的語がGott lebtの場合のGottと同じ形になるはずだが、それは論じられていない。今なら「能格言語では他動詞の目的語と自動詞の主語が同じ格をとり、一方他動詞と自動詞では主語の格が違う」の一言ですむ簡単な事象でさえ、理解するのには先人の長い思索があったのだ。これは自然科学もそうだが、現在では小学生でも知っている事もそれを発見した当時最高級の頭脳の努力の賜物なのだということを思わずにはいられない。


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