アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ: スポーツ

 2010年にアイスランドのEyjafjallajökullという火山が噴火し、大量の灰を空中に撒き散らしたため航空機の飛行が不可能になり、ヨーロッパ中で空の便が何日も麻痺して大混乱になった。しかし大混乱をおこしたのは空の便ばかりではなかった。テレビ局やラジオのアナウンサーなど報道陣もパニックに陥ったのである。誰もこの火山の名前が発音できなかったからだ。
 しまいには噴火そのものよりも名前が注目されて、この名前が言えなくてヒステリーを起こすアナウンサーの模様のほうがニュースになりさかんにTVで流された。
 この名前はIPAで書くと[╵ɛɪja.fjatla.jœkʏtl̥]。アイスランド語のアクセントは常に最初のシラブルにあるそうで、その点ではわかりやすいのだが、l を重ねて ll になると何処からか t が介入してくるあたり一筋縄ではいかない。かてて加えて語末の l は無声化するとのことだ。私にはここが単に声門閉鎖音にしか聞こえないことがあった。日本語ではエイヤフィヤトラヨークトルと読んでいる。なおアイスランド語は無気・帯気を弁別的に区別するそうだ。
 この名前の意味はEyjaが「島」の複数属格(単数はEy)、fiallaが「山」のやはり複数属格(単数はfiall)、jökullが「氷河」で、全体で「島の山の氷河」。これが火山の名前になっているのはその氷河の下から火山が火を噴くからだそうで、さすが「氷と火の国」と呼ばれていることだけのことはある。

 アイスランドといえば先日のサッカーユーロカップでイングランドを粉砕して一躍人気者になったが、ここでも真っ先に人目に止まったのが選手の名前である。まあちょっと見てほしい。
Hannes Þór Halldórsson
Ögmundur Kristinsson
Ingvar Jónsson
Birkir Már Sævarsson
Haukur Heiðar Hauksson
Hjörtur Hermannsson
Sverrir Ingi Ingason
Ragnar Sigurðsson
Theódór Elmar Bjarnason
Hörður Björgvin Magnússon
Arnór Ingvi Traustason
Ari Freyr Skúlason
Birkir Bjarnason
Gylfi Sigurðsson
Kári Árnason
Rúnar Már Sigurjónsson
Aron Gunnarsson
Emil Hallfreðsson
Jóhann Berg Guðmundsson
Kolbeinn Sigþórsson
Alfreð Finnbogason
Jón Daði Böðvarsson
Eiður Guðjohnsen

 たしかにその国に多い姓の語尾というものはある。例えばセルビア語・クロアチア語には-ić(イッチ)で終わるものが非常に多い。しかし多いと言っても例外を見つけるのにさほど困難はないのが普通だ。現にクロアチアの選手にSrnaという姓の人がいたし、私も知り合いにPečurというクロアチア人がいる。このアイスランド語のようにほぼ例外なく同じ語尾という場合はその名前が始めから決まっているのではなくて一定の規則に従って自動的に作り出される形とみていい。ロシア語の父称のようなものか。現に-sonというのは明らかに「~の息子」で、英語のson、ドイツ語のSohnである。
 そういうことを考えながら試合を見ていたら突然隣から「じゃあ、アイスランド人は男と女は姓が違うんだな。女は皆-dóttirだろ。これって「~の娘」(ドイツ語でTochter)だよな」とコメントが入った。私が驚いて「なんであんたアイスランド語なんて知ってるの?」と聞くと

「知ってんじゃないよ。考えればわかるんだ(悪かったな、そこまでは考えが至らなくて)。ビョークの姓がGuðmundsdóttirじゃん。ははん、このdóttirはTochterだな、と今sonの羅列をみて思いついた。」

 そういわれてみると昔やはり「名前が発音できない」と恐れられていたアイスランドの女性大統領がいたがVigdís Finnbogadóttirという名前だった。しかも上のアイスランドの選手にそれと対応するFinnbogasonというラストネームがあるではないか。
 そこでドイツ語の語源辞典でTochterを引いてみると、印欧祖語の*dhuktērに遡れ、古高・中高ドイツ語のtohter、中期低地ドイツ語と現在のオランダ語のdochter、もちろん英語のdaughter、古期英語のdohter、スウェーデン語のdotter、ゴート語のdauhtarが同源である。そして「古代ノルド語」ではdōttir。アイスランド語は北ゲルマン語派の中でも最も古い形、特に語形変化パラダイムをよく保持していて、事実上「古ノルウェー語」または「古スウェーデン語」であると教わったが、本当だ。

 すると翌日の新聞の第一面にアイスランド人の名前についての記事が載った。それによると上のナントカソンあるいはナントカドッティルというのは実は姓ではないとのことである。アイスランド人には姓がないのだ。だから電話帳などには名前がアルファベット順に並んでいる。ではこのナントカソンとは何なのかというと、名前だけでは誰だかわからなくなるため、あくまで補助として親の名前をとってつけるもの、つまり本当にロシア語の父称以上の何物でもない。姓ではないから、当然父親と息子、母親と娘はソンやドッティルが違う。例えばGuðmundur Sigþórssonという人の息子がAlfreðという名前だったらAlfreð Guðmundsson、Björkという名前の娘はBjörk Guðmundsdóttir。親と子ばかりでなく夫婦ももちろんソンとドッティルが違う。さらに事を複雑にするのが、「父親とつながるのが嫌な人、そもそも父親が誰なのかわからない人は母親の名前をとってもいい」という規則である。だから兄弟姉妹間ではソンとドッティルという語尾ばかりでなく、そもそもの語幹となる名前のほうも違うことがあるのだ。
 日本で時々夫婦別姓議論の際、親と子供の姓が違うと家族の絆が崩れるとか頑強に主張している人がいるが、そういう人は一度アイスランドに行って見て来るといい。

 さて、上の名前を見るとソンの部分の s がダブってssonとなっている場合と単にsonとなっている場合とがあるが、私は「語幹の名前が子音で終われば s がダブり、母音で終わればダブらない」という規則なのかと思った。しかしどうもそうではないようだ。語幹の名前は単数属格形なんだそうで、s はその属格マーカーなのであり、sonの s がダブっているのではない。さらにアイスランド語には単数属格を a で作る名詞があって、そういう名詞には当然sonだけつく、とこういうしくみらしい。
 
 こういう風に姓なしでやってきてはいたがそれでも19世紀ころまでは外国から姓が導入されたりしたことがあった。だから父称でない姓をもったアイスランド人が少数ながらいる。これは親から子供に引き継がれる。逆にこのアイスランド式の姓でないラストネームは(ああややこしい)1992年からデンマークの自治領フェロー諸島でも認められるようになったそうだ。もっともフェロー諸島には普通の意味での姓もちゃんとあって、Joensen、 Hansen 、Jacobsenの3つが最も多い姓とのことである。上のリストにも一人sonでなくsenで終わるラストネームを持っている人がいるが、この人については「外国起源の姓を引き継いだ」と説明されていた。この外国というのはひょっとしたらフェロー諸島のことかも知れない。

 この父称制度は上にも述べたようにロシア語にある。男だと父の名前に-ич(イッチ)、女だと –евна(エヴナ)を語尾につけて作る。ロシア語はその上にさらに姓が別にあるが、南スラブ語ではこのイッチの父称が姓として固定し、男女共に同じ形になってしまっている。上で述べたセルビア語・クロアチア語の名前はそれである。ゲルマン語圏でも-sonで終わる姓は英語やスウェーデン語にやたらと多い。ドイツではこれが-senとして現われるが、このナントカセンという名前は北ドイツに特有のもので、南ドイツやオーストリアには本来見られなかった。
 中世に現在のロシア、ボルガ川領域に最初の都市国家を作り、黒海沿岸にまで進出したのがバイキング、つまり北ゲルマン人であること(ロシア人は彼らの事をヴァリャーギ人と呼んでいる)、大ブリテン島や北ドイツなどバイキングが活躍した、というかその被害を被ったというが、とにかく彼らの足跡がついた地域にこの父称起源の姓が多い、というのも考えてみると面白いと思う。

 サッカーの話に戻ると、イングランドに対して2点目を入れたのはSigþórssonという選手でローマ字ではSigthorssonと表記するが、このラストネームをドイツ語で読むとSieg-tor-sonとなり、意味はズバリ「勝利のゴール・ソン」。話ができすぎていて下手なギャグとしか思えない。
 また、この試合で選手以上に人気を呼んだのが、アイスランドのTV解説者で、その絶叫ぶり、というより絶叫を通り越してほとんど阿鼻叫喚的な解説ぶりに、「この人の心臓が心配だから次は医者をわきに待機させろ」とまでネットに書き込まれたほどだ。ドイツの新聞では「まさに火山の噴火」と表現されていた。

1点目のゴール、2点目のゴールと試合終了時におけるアイスランドの解説者の絶叫ぶり。アイスランド語では「2」をtvöというらしいことだけは聞き取れる。さすがゲルマン語派だ。ドイツ語や英語と似ている。tvöは主格中性形で、男性形ならtveir、女性形はtværである。




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 実は私は高校生のころずっとと大学に行ってもちょっとの間続けていたので剣道三段を持っている。だから、というとあまりにも理由になっていない理由で申し訳ないが、どうもあのフェンシングというスポーツが嫌いだ。なんか後ろに変な電気コード引きずった選手が一次元の線上をピョコピョコ飛び跳ねながらすぐヘナヘナしなうような軟弱な剣でチョンチョンつつきあいしてるのをみるとイライラしてくるのだが(ごめんなさい)。
 もちろん向こうもこちらに同じ事を言ってくるに違いない。妙なスカートを履いた(多分袴なんて外の人から見たらスカートの出来損ないにしか見えないだろう)選手が、打ち込むたびに断末魔のネアンデルタール人みたいな奇声をあげる、当たったか当たらなかったかを電気信号などの客観的な方法で決めないで横っちょにエラそうに立ってる審判が旗振って決める、フェンシング選手が見たらなんじゃいありゃと思うだろうからまあおあいこだ。

 さて、2016年のオリンピックほど見なかった大会は初めてである。もちろんTVでニュース映像が報道されたからといって目をそむけたりTVを消したりはしなかったが、とにかく実況は全く見なかった。別にわざわざボイコットしたわけではない、見る気がしなかったのだ。すでに前々回の2008年ごろから開始前にいろいろ胡散臭い問題や疑惑が湧いてくるようになってシラケムードが濃厚になってきてはいたのだが、今回はあまりにもヒド過ぎた。

 まず会場都市のリオ・デ・ジャネイロに反対者が大勢いたのにお上がごり押しした。オリンピックなんかやってもIOCに金を吸い取られるだけで開催都市にはほとんど経済効果はないということはロス・アンゼルスやアテネ以降、知らない者はいないから反対したのである。「そんな金があるんだったら、社会に回せ」。まさに正論だ。さらにどんなに開催都市が借金まみれになってもIOCは損をしない仕組みになっているばかりか、リオでの大会後オリンピックの宣伝のためにOlympic Channelとかいう特別なTV局を設置し、それに6億ドルだかの費用をかけることにした、と聞けばその一部でもいいからリオに回してやればよかったのにという考えが頭をよぎる。貧乏人が借金まみれになっているのを尻目に自分たちはこれ見よがしに湯水のように金をつかう、これではまるで悪徳商人・吸血鬼ではないか。開催地の住民は踏んだり蹴ったり。ドッチラケである。
 さらにドッチラケたのが、ドーピング問題に対するIOCの態度だ。ロシアが国を挙げてドーピングしているという話自体には何を今更感があったが、世界陸上委員会がロシアを追及して破門(違)にしたのを見て、おおここはそれなりに改善する気があるんだなと感心していたらIOCがそれを骨抜きにした。こちらの新聞でも批判されていたが、その際勇気を持って自国のドーピング事情を告発したユリア・スチェパノヴァ選手が出場できなかった一方、限りなく疑惑のある(そして、スチェパノヴァ選手と違って告発する勇気はもたない)選手たちは何だかんだとIOCが弁護して出場させた。まさかプーチン氏から金でも貰ったわけではないだろうが、利潤・客寄せ第一のIOCの面目躍如、極めて後味が悪かった。いや開始前だから、「前味」か。
 繰り返すが、私がシラケたのはドーピングそのものよりそれに対するIOC側の態度である。こういうことをいうと私が人間性を疑われそうだが、勝ちたい一心で選手が自らヤクを打つにしろ勝たせたい一心で国が秘密裏に選手をヤク付けにするにしろ、私が健康を害するワケじゃなし、心の隅には薬漬けでもなんでもいいから一度100mを5秒で走る人間というものを見てみたいという気持ちもある。見つかれば罰を受けるのだし、見つからなければ早死にする、ということで当事者はある意味では体を張っているのであるから素人の私が外からヤイヤイいっても仕方がない。だがそれを監視すべき立場のものが、職業倫理より金を優先させたとなると話は全く別だ。
  
 もっともドーピングと言われて思い出す、というより強制的に思い出させられるのがロシアより旧東ドイツの選手たちである。1970~80年代に東独が国を挙げてやっていたドーピングも相当なものだった。ただ社会主義が崩壊した後、現ロシアと違って西ドイツに吸収されて組織や体制が完全に入れ代わったため、いろいろなことが明るみに出たのである。
 1985に東ドイツのマリータ・コッホという選手が47秒60というウソのような世界記録を出し、それがいまだに破られていないので、今でも陸上世界選手権やオリンピックの女子400mになるとその「世界記録」がテロップに出てくる。これが出るたびにドイツ人は恥しくなるそうだ。薬まみれの生産物であることが確実だからである。1991年にハイデルベルクの癌研究所の生物学の教授ヴェルナー・フランケらが詳細にデータを検証して東ドイツでは組織的にドーピングをしていたこと、コッホももちろんそうであったことを明らかにした。しかし、あらゆる検証からして確実なことでもその大会でコッホが本当にヤクを打っていたという直接の証拠がないから引っ込められないんだそうだ。それでこのテロップをみると過去の罪を毎回強制的に思い出させられているように感じるらしい。

 しかし国によっては自国の選手をドーピングする手間さえ惜しんで手っ取り早く外国から出来合いの選手を輸入し、国籍を与えてユニフォームを着せ、メダル稼ぎのマシンとして利用するところがある。これはカタールとかがすごい。この間のオリンピックなどでもブルガリア人の重量挙げの選手、イランのレスリングの選手、エチオピア(それともケニアだったかな)のマラソン選手などがなぜか皆カタール人として出場していた。そのわりにメダルは取れていなかったようだが。ケニアの選手がトルコから出てきたのも見たことがある。
 この傭兵の中にはマリーン・オッティなどの大物もいる。故郷はジャマイカだが、そこの陸連と齟齬をおこしたため、つてを頼ってスロヴェニアに移住し、スロヴェニア代表として出場した。
 面白いのがヨーロッパの卓球選手権で、一度女子個人戦のデンマーク対スウェーデンだか何かをTVで見かけたことがあるが、どちらも中国人の選手だった。1998年以降の中国人の女子個人優勝者を見てみると次のようなあんばいである。

1998年エインドホーヴェン(オランダ)大会
ニ・シアリャン Ni Xialian (ルクセンブルク)

2000年ブレーメン(ドイツ)大会
キャンホン・ゴッシュ Qianhong Gotsch (ドイツ)

2002年ザグレブ(クロアチア)大会
ニ・シアリャン Ni Xialian (ルクセンブルク)

2005年アールフス(デンマーク)大会
リュー・ジャ Liu Jia (オーストラリア)

2007年ベオグラード(セルビア)大会
リ・ジアオ Li Jiao (オランダ)

2009年シュツットガルト(ドイツ)大会
ウー・ジアドゥオ Wu Jiaduo (ドイツ)

2011年グダンスク(ポーランド)大会
リ・ジアオ Li Jiao (オランダ)

2013年シュヴェヒャート(オーストリア)大会
リ・フェン Li Fen (スウェーデン)

名前が漢字でなくローマ字表記だけで書かれてはいるが、これのどこがヨーロッパ選手権なんだと思う。もっともこの現象は女子だけで、男子の個人優勝者は皆ヨーロッパ系の名前であるところをみると、つまりこの選手たちは欧米人と結婚した中国人女性と思われる。もともと欧米人と結婚する東洋人女性は逆より数倍多いのだ。

 私個人はこの傭兵は構わないと思っている。偏狭な民族主義者・純血主義者は反対するかもしれないが、傭兵の側と国の側が双方合意しているのだから、互いの利益が一致してまことに結構。倫理にも反していないし、第一代表選手がカラフルになって見ているほうも楽しいではないか。
 問題は双方に合意がない場合、例えばその国の代表なんかになりたくない選手に国が無理矢理国旗を押し付けて走らせたりする場合であろう。そう、ここで私の頭にあるのは孫基禎選手のことだ。
 今のIOCなら金に敏感にもなったついでに人権とか国家倫理とかにも一応敏感になっているので、宗主国が植民地を独立国と認めていなくとも国あるいは独立チームとして認めるのが普通だ。だから台湾という「国」のチームが出てくるのである。そもそも今日の国際社会なら日本の朝鮮併合は承認されないだろう。だから今だったら孫選手は最悪でも「日本領コレア」または「日本領朝鮮」、多分「日本領」なんて前置きなしでズバリ「コレア」あるいは「朝鮮」の代表選手と見なされ、氏の世界記録や金メダルは「朝鮮」のものとなるはずだ。しかし孫選手が活躍したのは民族国家という幻想が世界を席巻していたころであり、しかも金メダルを取ったのはナチスドイツの主催したベルリンオリンピックである。条件が悪すぎたとしか言いようがない。
 この間ドイツのTVでこの孫選手のドキュメンタリー番組を流していたので驚いたが、私はオリンピック史などの話になったとき、孫選手の国籍が「日本」となっているのを見るたびに上述のマリータ・コッホの記録を見せられたドイツ人と同じような気持ちになって恥かしくて仕方がない。もちろん当時は韓国も北朝鮮もなかったが、今からでもせめて「朝鮮」という国籍に直して上げられないのかと思うのだが、これも薬によるイカサマ記録と同じで一旦書き込んだら変更できないんだそうだ。理不尽である。

 オリンピックが終わってみるとドイツも日本もメダルを結構取ったようだし、ネットなどで皆が楽しそうに話をしているのでさすがにちょっとは見れば良かったかなとは思った。しかし一方でスポーツとはあまり関係ない子供じみた仰々しい開催式、開催都市を借金まみれにさせても自分たちは肥え太る悪徳商人じみた経営、あまりにも不透明な運営ぶり、IOCがこの先もこういう路線で行くようだと東京大会も全く見ないで終わりそうな気がする。

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 また昔話で恐縮だが1998年のサッカーのW杯の時、スペインチームに「エチェベリア」という名の選手がいたのでハッとした。これは一目瞭然バスク語だからだ。そこでサッカーそのものはそっちのけにして同選手のことを調べてみたら本当にバスク地方のElgóibarという所の生まれでアスレチック・ビルバオの選手だった。この姓は現在ではバスク語の正書法でEtxeberriaと書くがこれをスペイン語綴りにしたEchaverríaという姓もある。メキシコ人にもこういう名前の人がいる。スペイン語ではbとvとを弁別的に区別せず、どちらも有声両唇摩擦音[​β]で発音するからバスク語のbがスペイン語でvとなっているわけだ。

 日本の印欧語学者泉井久之助氏もこんな内容のことを書いていた。

第二次大戦の前、当時日本の委任統治領であったミクロネシアの言語を調査するため現地に赴いた。そのときサイパンの修道院を訪問したが、ここはかつてスペイン領だったのでカトリックの人は皆スペインから来た人であった。するとそこで隣の尼僧院の院長の名が「ゴイコエチェア」Goikoecheaだと知らされた。これはまさにバスク語である。

 泉井氏によればGoikoは「高い」という意味の形容詞でecheaが「家」だから、この名は「高家」とでも訳せる。goikoはさらにgoi-と-koに形態素分析でき、 goi-が形容詞の本体、-koは接尾辞である。バスク語は本来形容詞が名詞のあとに来るから、echegoikoになりそうなものだが、この-koという接尾辞がつくと例外的に形容詞は文法上属格名詞扱いされ、形容される名詞の前に立つそうだ。Goikoecheaの最後のaは定冠詞とのことである。つまりバスク語はいわゆる膠着語タイプの言語なのだ。
 面白半分でさらに調べてみたら1994年のW杯のスペイン代表にJon Andoni Goikoetxeaという名の選手がいたのでまた驚いた。この選手は所属チームはFCバルセロナだが、パンプローナの生まれだそうだ。見事に話の筋が通っている。このetxe- あるいはecheのつく名前はバスク語ではよくあるのかもしれない。上のEtxeberriaはEtxe-berri-aと形態素分析ができ、Etxe-が「家」(上述)、-berri-が「新しい」、最後の-aは定冠詞だからこの名前の意味はthe new houseである。

 日本人から見ればバスク語など遠い国の関係ない言語のようだが、実は結構関係が深い。日本にキリスト教を伝えた例のフランシスコ・ザビエルというのがバスク人だからである。一般には無神経に「スペイン人」と説明されていることが多いが、当時はそもそもスペインなどという国はなかった。
 ザビエル、あるいはシャビエルはナバーラ地方の貴族で、Xavierというのはその家族が城の名前。ナバーラはバスク人の居住地として知られる7つの地方、ビスカヤ、ギプスコア、ラブール(ラプルディ)、スール(スベロア)、アラバ、低ナバーラ、ナバーラの一つで、ローマの昔にすでにバスク人が住んでいたと記録にあり、中世は独立国だった。もっともフランス、カスティーリャ、アラゴンという強国に挟まれているから、その一部あるいは全体がある時はフランス領、またある時はカスティーリャの支配下になったりして、首尾一貫してバスク人の国家としての独立を保っていたとは言い切れない。例えば13世紀後半から14世紀前半にかけてはフランスの貴族が支配者であったし、1512年にはカスティーリャの支配下に入った。その後フランス領となり、例えばカトリックとプロテスタントの間を往復運動したブルボン朝の祖アンリ4世の別名はナヴァール公アンリといって、フランス国王になったときナバーラ王も兼ねた。ただしアンリはパリの生まれだそうだ。
 とにかくヨーロッパの中世後期というのは、どこの国がどこに属し、誰がどこの王様なのかやたらと複雑で何回教えて貰ってもいまだに全体像がつかめない。

 では一方ナバーラは二つの強国に挟まれたいわゆる弱小国・辺境国であったのかというとそうも言い切れないらしい。まずフランスやカスティーリャの支配といってもボス(違)はパリだろなんだろの遠くにいて王座には坐っているだけ、実際に民衆を支配し政治を司ったのは地元のバスク人貴族である。さらにどこの国の領土になろうが社会的にも経済的にもバスク人同士の結びつきが強かったようだ。ザビエルの生まれた頃に当時のカスティーリャの支配になった後も、ナバーラばかりでなくその周辺の地域に住むバスク人には民族としての習慣法が認められるなどの、カスティーリャ語でFueroという特権を持ち一種の自治領状態だったらしい。民族議会のようなものもあり、カスティーリャの法律に対して拒否権を持っていたそうだ。独自の警察や軍隊まで持っていた地域もあったそうだから、統一国ではないにしろ、いわば「バスク人連邦」的なまとまりがあったようだ。
 経済的にも当時この地域は強かった。14世紀・15世紀には経済状況が厳しかったようだが、16世紀になるとそれを克服し、鉄鉱石の産地を抱え、造船の技術を持ち、地中海にも大西洋にも船で進出し、今のシュピッツベルゲンにまでバスク人の漁師の痕跡が残っているそうだ。また、地理的にも北にあったためアラブ人支配を抜け出た時期も早く、イベリア半島の他の部分がまだアラブ人に支配されていた期間にナバーラ王国の首都パンプローナはキリスト教地域であった。カトリック国としては結構発言力があったのではないだろうか。
 
 ザビエルがバスク人だったと聞くと「どうしてバスク人なんかがわざわざ日本まで出てくるんだ」と一瞬不思議に思うが、中世後期のバスク地方のこうした状況を考えるとなるほどと思う。1536年にイエズス会を創立したイグナチウス・デ・ロヨラもまたバスク人だった。ただしナバーラでなく北のギプスコアの出身である。ザビエルはパリ大学でロヨラと会い、イエズス会に参加したのだ。バスク人同士のよしみということではなかったのだろうか。
 もちろんザビエルらが普段何語を使っていたかについての記録は残っていないが、おそらく少なくともカスティーリャ語あるいはフランス語とバスク語のバイリンガルだったのではないかと思われる。「少なくとも」と言ったのはバスク語が優勢言語だったかもしれないからだ。今日のバスク地方では300万人の住人のうちバスク語を話すのは22%だが、主に老人層とはいえバスク語モノリンガルがいまだに存在する。20世紀になってスペイン語話者がどんどん流入し、政治的にも内戦やフランコによる弾圧を経験してもバスク語は壊滅していない。ザビエルの時代にはずっとバスク語人口、しかもモノリンガル人口が多かったに違いない。
 もっともバスク語はずっと「話し言葉」だった。統一したバスク語文語の必要性はすでに17世紀頃から主張されていたが、この「共通バスク語」(バスク語でEuskera Batua)が実現を見たのはやっと20世紀になってからである。1918年にバスク語アカデミー(Euskaltzaindia)がギプスコアに創立されて第一歩を踏み出した。第一次世界大戦の最中だが、スペインは参戦していなかったから、隣国フランスへの特需などもあって当時はむしろ経済的には好調だったようだ。そのあと辛酸を舐めたが現在では言語復興運動もさかんで正書法も確立されている。

 さてザビエルの名前、Xavierであるが、これはもともとバスク語の名前がロマンス語化されたもので、もとのバスク名は驚くなかれEtxeberri。後ろに-aがないのでthe new houseではなく a new houseであるが、どちらも「新しい家」。サッカーの選手と同じ名前なのだ。このXavierあるいはJavierという名前は現在のスペイン語、カタロニア語、フランス語、ポルトガル語、つまりイベリア半島のロマンス語のみに見られ、イタリア語とルーマニア語にはこれに対応する名前がない。イタリア語、ルーマニア語はバスク語と接触しなかったからである。
 さらに驚いたことに私が今までスペイン語の代表的な名前だと思っていた「サンチョ」Sanchoはバスク語起源だそうだ。これはラテン語のSanctus(後期ラテン語では Sanctius)のバスク語バージョンで、905年にナバーラのパンプローナにバスク人の王国を立てた王の名前がSancho Garcés一世という。パンプローナ国の最盛期(1000-1035)に君臨していたこれもサンチョ三世という名前の大王は別名を「全てのバスク人の王」といったとのことだ。

 バスク語のことをバスク語でEusikera またはEusikaraというが、この謎の言語は16世紀からヨーロッパ人の関心を引いていた。これに学問的なアプローチをしたのがあのヴィルヘルム・フォン・フンボルトで、1801年に言語調査をしている。その後19世紀の後半にシューハルトがバスク語をコーカサスの言語と同族であると主張したりした。
 私のような素人がバスク語と聞いてまず頭に浮かべるのはこの言語が能格言語である、ということだろう(『51.無視された大発見』参照)。それだからこそバスク語はコーカサスの言語と同族だと主張されたりしたのだ。ロールフスという学者が北インドのやはり能格言語ブルシャスキー語と比較していたことについては以前にも述べた(『72.流浪の民』)。今日びでは能格言語を見せられても誰も驚いたりしないだろうが、フンボルトの当時はこういう印欧語と全く異質な格体系は把握するのに時間を要したに違いない。事実フンボルトはその1801年から1803年にかけて執筆したバスク語文法の記述にあくまで「主格」という言葉を使って次のように説明している。

Eine, die ich in keiner anderen Sprache kenne, ist, ist das c, welches der Nominativ an sich trägt, sobald das Subject als handelnd vorgestellt wird. Alle andern, mir bekannte Sprachen bezeichnen den Unterschied des verbi neutri und actiui nur an dem verbum selbst; die Vaskische deutet ihn schon vorher am Subject selbst an, indem sie demselben im letzteren Fall ein c anhängt. In den beiden Phrasen also: Gott lebt u. Gott schaft wird Gott in der ersten durch Jainco-a, in der letzteren durch Jainco-a-c ausgedrückt. Denn dies c wird, wie alle Praepositionen hinter den Artikel gesetzt;

筆者が他の言語では見たことのない前置詞のひとつがこの c で、主語が何らかの行為を行なうものとして表されると主格そのものがこれを担う。筆者の知る限り他の言語では全て中動態と能動態を区別をただ動詞自体の形によってのみ行なうが、バスク語ではこの区別をすでにそれより前、主語自体がつけているのである。それで主語が行為の主体であった場合は -c が付加される。例えば次の2例、Gott lebt (「神は生きている」)と Gott schaft(「神は創造する」)では、「神」が前者では Jainco-a、後者ではJainco-a-cと表現される。前置詞が全てそうであるように、この -c も定冠詞の後に付加されるからである。

Jainco-aは絶対格だが、-a は後置冠詞だから、細かく言えば絶対格の格マーカーはゼロ形ということになる。一方Jainco-a-c(またはJainco-a-k)は能格だから、-c は実は単なる格マーカーである。しかしフンボルトはこれを「主格マーカー+(特殊な)前置詞」と分析している。うるさく言えば(本当にうるさいなあ)後置詞というべきだろうが、いずれにせよ -a-c を「主格の特殊形」と見なすやりかたは1810頃の、ビルバオの言語を基にした言語記述でも引き継いでいる。さすがのフンボルトも「主格・対格」の枠組みを離れるのには苦労したようだ。能格言語の絶対格と能格の区別の本質そのものは理解しているからなお面白い。さらに例文にあげたGott lebt対Gott schaftで、後者の他動詞構文で目的語を抜かしてあくまで印欧語では主格に立つ主語だけを比較している。このGott schaftにあたるバスク語では目的語がGott lebtの場合のGottと同じ形になるはずだが、それは論じられていない。今なら「能格言語では他動詞の目的語と自動詞の主語が同じ格をとり、一方他動詞と自動詞では主語の格が違う」の一言ですむ簡単な事象でさえ、理解するのには先人の長い思索があったのだ。これは自然科学もそうだが、現在では小学生でも知っている事もそれを発見した当時最高級の頭脳の努力の賜物なのだということを思わずにはいられない。


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 ドイツ語にSchadenfreude(シャーデンフロイデ)あるいはschadenfroh(シャーデンフロー)という言葉がある。前者は名詞、後者がそれに対応する形容詞だ。私の辞書には前者は「他人の不幸または失敗を笑う」、後者は「小気味よく思う気持ち」とある。Voller Schadenfreude で「いい気味だと思って」。なかなかうまい訳で原語のニュアンスも伝わっている。これらの語は「他人の不幸」といっても深刻な不幸に見舞われた場合には使えないからである。殺人犯人が捕まって厳しい刑に処されたのをみて心のうちに感ずるある種の感情はSchadenfreudeとは呼べないし、いくら嫌いな人でもその人が破産して絶望のあまり自殺したりしたら普通の人はschadenfrohになどならない。深刻すぎるからである。嫌いな人が道でつまずいてコケ、尻餅をついたらSchadenfreudeを感じるだろうが、そこでその人が膝をすりむいて血だらけになったらもうSchadenfreudeの領域を超えている。生物的あるいは社会的な命に別状のない、軽い範囲がこの言葉の使用範囲である。上述の辞書にある「いい気味だ」もうまいが「ざまあみろ」と訳すこともできるだろう。

 今回のサッカーWCでドイツが予選落ちした際、私がつい心の中で抱いてしまった感情はこのSchadenfreudeであった。別にそれによって死者が出たわけでも誰かが自殺したわけでもない、たかがサッカーの話だからである。昔誰かから聞いたところによると南米あたりでは敗因を作った選手は銃殺されたりしたことがあるそうだが、ドイツでは選手の命が危機にさらされることはないだろう。たぶん。被害を蒙ったといえば、多大な需要を当て込んで旗だろ選手の写真カードだろを作りまくり、大量の売れ残りを出した商魂丸出しのスーパーくらいだろうが、こっちのほうも正直「ざまあみろ」だ。
 ドイツは1954年に初めて世界選手権を制して以来、そもそもトーナメントの一回戦で負けたことがない。つまりトーナメントには必ず行っていたのだ。1954年からの前回2014年までの16の世界選手権のうち、優勝が4回、決勝戦進出が8回(つまり4回は決勝戦で負けている)、準決勝までが4回、準々決勝までが4回だから、16分の12、4分の3の確率でベスト4まで残っていた。だから以前にも書いたように国の全体としての雰囲気として、予選は通ると決めてかかっている。チームが勝って上げる歓声も勝ったこと自体より「強いドイツ」を再確認した喜び、大国俺様的な傲慢さを感じさせてどうも私はいやだった。それだけなら単に私のへそ曲がりな判官贔屓に過ぎなかっただろうが、ドイツが前回のWCで優勝した際、お祝いのパレードのとき「ガウチョ野郎を粉砕してやったぜい」的な発言をして2位になったアルゼンチンを揶揄したので完全に失望した。負けた相手をリスペクトしないような奴は今にブーメランを食らうぞと思った。そう思っていたらその発言を聞いてほとんど涙ぐむ在独アルゼンチン人の女性の映像が流された。この女性は長くドイツに住んでいるのでドイツが優勝したのを、まあアルゼンチンが負けたのはくやしいがいっしょにお祝いしようとしていたのだ。本当に同情に耐えない。打ち負かした相手をさらに貶める必要がどこにあるのだろう。以降、それまでは「苦手」だけだったのが「嫌い」になった。だから今回の体たらくには「ざまあみろ」ばかりでなく「やっぱりね。天罰でしょ」という感じが混じっている。日本にはこういうときのために「驕る平家は久しからず」ということわざもあるではないか。
 それでもガウチョ発言の直後はまだWCの余波を駆って強かったがここしばらくは「あれ?」という兆候が見え出していた。専門家には危惧していた人が結構いたようだ。
 予選でスウェーデンに勝ったときも、例によってビール片手にギャーギャー騒ぐファンを尻目に、まともな解説者は「こんなんじゃ優勝は絶対無理」といっていた。さすがに予選落ちまでは予想していなかったようだが。

サッカー世界選手権でのドイツチームの成績の推移。今回の急降下ぶりがわかる。
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 というわけで、ある意味ではまあこれでやっと静かに普通に大会観戦ができるようになったし、ドイツ人にもそんなことを言っている人がいるのだが、そう言って(強がって)見せて上辺平気な顔を装っても内心は相当ショックを受けているんじゃないかなんじゃないかと思う。というのは、向こうが「これで落ちるところまで落ちたからまあこれからは良くなっていくしかないな」というので私が軽い冗談で「まだ先があるから安心しなさい。次のドバイ大会では地域予選に落ちて不出場だから」と言ったら本気で怒り出したからだ。何をそんなにマジになっているんだ。たかがサッカーじゃないか。さらに心理外傷でタガが外れたのか言うことのロジックが破綻してきた。たとえば、ベルギー・日本戦では「日本のやつら、あんなお上品なプレーしてたらだめだろ。サッカーはダンス大会じゃないんだ。黄カードをガンガン食らうくらい攻撃性をみせなきゃだめだ」などという。でもドイツだってどちらかというと「お上品な」プレーぶりで尊敬されてたんじゃないのか?ちゃんとそれで勝っていたじゃないか。今までは。どうも言うことがわからない。

 ところで日本ではネットなどでは黄カードを集めた韓国になぜか「汚い試合」とかケチをつけていた人を見かけたが、こちらは赤・黄の乱れ飛ぶ試合は「荒い試合」といって普通「汚い」とは呼ばない。汚い試合というのはヒホンの恥(『73.ヒホンの恥』参照)のようなダレた試合のことである。日本・ポーランド戦のような試合のほうがよっぽど「汚い」と呼ばれる可能性がある。
 ひょっとしたら実はドイツ人も妙にお上品なのより荒いチーム・荒いゲームのほうが好きなのかもしれない。現にうちで「あの試合は本当に面白かったなあ」といまだに持ち出されるのが2010年世界大会決勝戦のオランダ・スペイン戦である。どちらが勝っても初の世界一ということで双方殺気だっていた。最初の30分で黄カードが5枚、後半でさらに4枚、延長戦でまた3枚に加えてさらにオランダのハイティンハが一試合中に二枚目の黄をゲットして赤になるというカードの乱れ飛んだ凄まじい試合で、サッカーというよりは格闘技である。しかもここまで荒れても結果そのものはミニマルの1対0でスペインの勝ちという、フィールドでの騒ぎに比較してゴールの少ない試合であった。あまりにカードが乱舞したためか審判の目がくらんだらしく、オランダのデ・ヨングがスペインのシャビ・アロンソの胸のどまんなかに浴びせた16文キック(違)が黄しかもらえなかった。これに赤が出なかったのは、『ウエスタン』や『ミッション』のエンニオ・モリコーネにオスカーが出なかったのにも似て理不尽の極地。あれで黄だったらそれこそ人でも殺さないと赤は貰えないのではないかと(嘘)いまだに議論の的になっている。私はこの「デ・ヨングのクンフー攻撃」を、2006年にジダンがイタリアのマテラッツイに食らわした頭突き、2014年にウルグアイのスアレスがこれもイタリアのチェリーニにかました噛み付き攻撃とともに格闘技サッカー世界選手権の3大プレーのひとつとして推薦したい。

ここまでやっても赤が取れなかったデ・ヨングのクンフーキック。


パリのポンピドゥセンターの前にはジダンの頭突きの銅像が建ったそうだ。今もまだあるのかは知らない。
https://www.parismalanders.com/das-centre-pompidou-in-paris/から

Zinedine-Zidane-Statue-Paris

スアレスのチェリーニへの噛み付き攻撃はメディアでも徹底的におちょくられていた。
http://www.digitalspy.com/から

odd_suarez_bite_1

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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