アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ:語学 > ドイツ語

 外国語をやっていると、時々日本語の感覚では全く別の観念が一つの単語としていっしょになっているので驚くことが多い。例えばpoorという語に「貧しい」と「かわいそうな」という意味があると聞いて「そんな馬鹿な。貧しいとかわいそうじゃ意味が全然違うじゃないか」と戸惑ったのは私だけだろうか。この二つは英語だけでなくドイツ語でもロシア語でも同単語になっている。前者がarm(アルム)、後者はбедный(ベードヌィ)である。だからドストエフスキーの小説の題名は「貧しき人々」とも「哀れな人々」とも訳せるわけだ。
 また、ショーロホフの『静かなドン』の原題はтихий Донだが、ここで「静かな」と訳されているтихий(チーヒィ)は「ゆっくりとした」という意味もあるからこれは「ゆっくりと流れるドン」あるいは「たゆとうドン」とでも訳してもよかったのではないだろうか。もっともドイツ語でも「静かなドン」(Stille Don)と訳してあるが。それにしても「ゆっくり」と「静か」がいっしょになっているロシア語に驚く。
 が、こんなことで驚いていたらロシア語はやっていられない。なんと「夢」と「眠り」が区別されずに一つの単語になっているのだ。Сон(ソーン)という言葉がそれである。実はロシア語ばかりでなくスペイン語でも眠りと夢はいっしょで、sueñoである。ではロシア語やスペイン語で「夢のない眠り」はどう表現したらいいのか気になって仕方がない。
 もっともロシア語のсонが表す「夢」はあくまで寝ているときにみる夢であって「将来の夢」という場合の夢はмечта(メチター)とまったく違う言葉を使う。日本語では両方とも「夢」で表すと聞いたらきっとロシア人は「そんな馬鹿な。Сонとмечтаじゃ意味が全然違うじゃないか」と怒り出すに違いない。スペイン語のsueñoは睡眠中の夢も希望の夢も意味する。この点では日本語をいっしょだ。ドイツ語は睡眠Schlaf(シュラーフ)と夢Traum(トラウム)が別単語な上、後者が寝ている時の夢も希望も表すから日本語といっしょである。

 しかしだからといってドイツ語に気を許してはいけない。上で述べたarmのほかにも落とし穴があるからだ。
 以前なんとかいう長官が「自衛隊は暴力装置」と言ったとか言わなかったとか、その通りだとかそれは間違いだとかが議論になったことがあるが、その議論の中で「マックス・ウェーバーも警察や軍隊を暴力装置と呼んでいる」と引き合いに出している人がかなりいた。しかしウェーバーが「暴力装置」などと言ったはずはないのだ。なぜならばウェーバーは日本語などできなかったからである。というのは揚げ足取りにすぎるが、問題はここで「暴力」と訳されているGewalt(ゲヴァルト)というドイツ語である。このGewaltは「暴力」などよりもずっと意味が広く、「権力」あるいは「権力行使」という観念も表す。というよりむしろそういうやや抽象的な意味のほうがメインで、gesetzgebende Gewalt(「法律をつくるゲヴァルト」)は「立法権」、richterliche Gewalt(「裁判官のゲヴァルト」)は「司法権」、vollziehende Gewalt(執行するゲヴァルト))は「行政権」、Gewaltentrennung (「それぞれのゲヴァルトの分離」)で「三権分立」、さらにelterliche Gewalt(「親のゲヴァルト」)は「親権」で、親が子供に往復ビンタを食らわしたりすることではない。
 さらに日本語の「暴力」には「暴力団」という言葉があることからもわかるように「犯罪」「悪いこと」というニュアンスがある。ここから派生した「暴力的」という形容詞にもはっきりとネガティブな色合いが感じられ、こういう人は「頭や言葉では相手に勝てないと思うとすぐに手が出る未熟な男(女にもいるが)」である。
 Gewaltにはこのニュアンスがない。「権力」「強制権」の意味も無色に表しているが、この言葉にはその他にも「通常の程度を遥かに超えるもの」、「非常に強力なもの」という意味があって、Naturgewaltで「自然の威力」、höhere Gewaltは言葉どおりに訳せば「より高いゲヴァルト」で日本語の「暴力」という観念にしがみ付いていたら理解できないが、これは「不可抗力」という意味である。また「ゲヴァルト=暴力」という図式だとWiderstand gegen die Staatsgewaltは「国家の暴力に対する抵抗」とでも訳さねばならず、まるで圧政に対して立ち上がる革命活動のようだが、これは単なる「公務執行妨害」。ついでにドイツ語ネイティブに「神のゲヴァルト」、göttliche Gewaltという言い方は成り立つかどうか聞いてみたところ間髪をいれずOKが出た。Gewaltから発生した形容詞gewaltig(ゲヴァルティッヒ)は「暴力的」などではなく「すさまじい」。つまりドイツ語のGewaltには日本語の「暴力」のようなケチくさい意味あいはないのである。
 だからマックス・ウェーバーの暴力装置神話もちょっと気をつけないといけない。氏が軍隊を暴力装置と呼んでいる、と言っている人はひょっとしたらPolitik als Beruf(「職業としての政治」)で出てくるHauptinstrument der Staatsgewaltという言葉を「国家暴力の主要な装置」と読み取ったのではないだろうか。これはむしろ「国家権力施行のための主要な道具組織」であろう。またウェーバーは「装置」にあたる意味ではInstrumentよりApparatという言葉のほうを頻繁に使い、その際国家のプロパガンダ機構など、つまり言葉どおりの意味での「暴力」を施行しない組織も念頭においているではないか。さらに私は「軍隊・警察はGewaltの道具組織(そもそもInstrumentまたはApparatをこの文脈で「装置」と訳すのは不適切だと思う)である」とキッパリ定義してある箇所をみつけることができなかった。もちろん、ウェーバーがそう考えていることはそこここで明らかにはなっている。しかし「軍隊・警察は権力の道具となる組織」というのはむしろ単なる言葉の意味の範囲にすぎず、ウェーバーがわざわざ言い出したことではない、というのが原文をザッと見た限りでの私の印象である。念のため再びネイティブに「Instrument der Staatsgewaltってなあに?」と無知を装って(装わなくても無知だが)質問してみたところ、「警察とかそういうものだろ」という答えが帰ってきた。このネイティブはウェーバーなど読んだことがない。「軍や警察は権力施行のために働く機構である」などということは当たり前すぎてわざわざ大仰に定義する必要などないのだ。
 私はドイツ国籍を取ったとき、何か宣誓書のようなものにサインした。そのときいかにも私らしく内容なんてロクに読まずにホイホイサインしてしまったのだが、その項目の一つに「私はドイツのStaatsgewaltを受け入れます」というのがあったこと(だけ)は覚えている。これは決してお巡りさんや兵隊さんに殴られても文句を言うなということではない。国が私に対して強制権を施行してくるのを認めます、という意味だ。「税金なんて払うの嫌です」とかいって払わないでいれば国は権力を施行して私を罪に問う。私が人を殺せば国は私を刑務所に送り込む。国がそういうことをするのを認めよ、という意味である。

 と、いうわけでこのGewaltに関してはドイツ語のほうが意味が広いわけだが、日本語の単語のほうが守備範囲が広いこともある。「青」という語が有名で、「青葉」「青リンゴ」「青信号」という言葉でもわかるように日本語「青」にはやや波長の長い緑色まで含まれる。ドイツ語のblau(ブラウ、「青」)には緑は入らないから木の葉やリンゴ、信号などは緑としかいえない。もちろん、だからといって日本人が青と緑を識別できないわけではない。子供に絵をかかせれば花の茎や木の葉は皆きちんと緑色に塗っている。
 それで思い出したが、ある時物理学者が信号無視で捕まり、警官に「あまりスピードを出しすぎたため信号の光がドップラー効果を起こし、赤が青(つまり「緑」)に見えてしまった」と言い訳したそうだ。何十億光年も先にあるクエーサーが赤方偏移を起こしたという話は聞くが、信号機が青方偏移したなんて聞いたことがない。どんだけ超スピードの乗用車なんだか。そんなんじゃ仮に信号無視は見逃してもらえたとしてもそのかわりスピード違反でやっぱり罰金は免れまい。

『職業としての政治』の全文はこちら



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 サッカーのゴールキーパーのことをドイツ語でTorwart(トーアヴァルト)というが、これは本来「門番」という意味だ。
 まずTorはゲルマン祖語のa-語幹の名詞*duraに遡れるそうで、中高ドイツ語ではtor、中期低地ドイツ語ではdor。英語ではdoorである。wartは「番人」で、動詞warten(ヴァルテン)から来たもの。wartenは今では「待つ」という意味だが昔は「管理する」とか「守る」「世話する」という意味で、現在でも辞書でwartenを引くと古語としてそういう意味が載っている。「待つ」というふうに意味変化を起こしたのは中高ドイツ語の初期あたりらしい。英語ではwardという動詞がこれに当たる。
 このTorwartはゲルマン語としては非常に古い単語で古高ドイツ語にすでにtorwartという語が存在したどころか、ゴート語にも対応するdaurawardsという言葉が見られるそうだ。しかし一方すでに古高ドイツ語の時代にラテン語から「門」Portaという言葉が借用されており、Torwartと平行して中期ラテン語のportenarius起源の「門番」、portināriという語も使われていて次第にこちらのほうが優勢になった。だから現在のドイツ語では「門番」をPförtner(プフェルトナー)というのである。借用の時期が第二次子音推移の時期より早かったため、p →pf と教科書どおりの音韻変化を起こしているのがわかる(中高ドイツ語ではこれがphortenœreと書かれ、子音推移を起こしているのが見て取れる)。この音韻変化を被らなかった英語では今でもp音を使ってporterと言っている。
 つまり、ドイツ語の「ゴールキーパー」はすでに廃れた古いゲルマン語を新しくサッカー用語として復活させたものなのである。

 だからこれを言葉どおりにとればゴールキーパーの仕事は「しかるべき球は丁重に中にお通しする」ということにならないか?でもそんなことをやったら試合になるまい。

 サッカーはイングランドが発祥地のはずだが、ドイツ人は自国のサッカーに誇りを抱いているためか用語に英語と違っているドイツ語独自のものがあり、うっかり本来の英語の単語を使うと怒る。中でも彼らが一番嫌うのは「サッカー」という言葉で、以前日本でもサッカーの事をサッカーと呼ぶと知って「なんで日本人はそんな白痴的な言葉を使うんだ。せめてフットボールといえないのか」と抗議されたことがある。私に抗議されても困ると思ったが、「フットボールと言っちゃうとアメリカン・フットボールと混同しやすいからでしょう」と答えてやったら、「アメリカ人があんな変なスポーツもどきをフットボールと呼ぶのは彼らの勝手だが、日本人までサルマネしてサッカーとか呼ぶことはないだろう」とますます気を悪くされた。その時向こうの顔に「だから日本人はサッカーが弱いんだ」と書いてあった…ような気がしたのは多分私の被害妄想だろう。

 さらに「ペナルティ・キック」はドイツ語でElfmeter(エルフメーター、「11メートル」)という。私はこっちの方がPKより適切だと思う。延長戦でも勝負がつかなかった時のキック戦を「ペナルティ」と呼ぶのは変だ。いったい何の罰なのかわからない。時間内にオトシマエをつけられなかった罰というのではまるで脅迫であるが、このエルフメーターに関してはまさに脅迫観念的な法則があるそうだ。それは「イングランドはかならずPKで負ける」という法則である。

 前回のユーロカップでイタリア対イングランドがPK戦になったが、PKと決まった時点で隣のドイツ人がキッパリといった。

「イタリアの勝ちだ。」

サッカー弱小国から来た私が馬鹿丸出しで「まだ一発も蹴ってないのになんでわかるの?」と聞いたら、

「PKなんてやるだけ無駄無駄。「PKをやればイングランドが負ける」というのは自然法則だ。逆らえるわけがない。」

最初の一人がどちらも入れたあと、イタリアの二人目が失敗し、イングランドが入れたが、彼は余裕で言った。

「うん、最初のうちはやっぱり現象に揺れがあるな。イングランドがPKでリードなんて初めて見たわ。でもこのあとはちゃんと法則通りに収束するから見ていろ。まず次3人目、イタリアが入れてイングランドがハズす。」

その通りになると、

「おや、少なくとも枠には当てられたな。ベッカムよりは優秀じゃないか。4人目、イタリアが入れてブフォンがとめる。」

以前やっぱりPK戦で球をアサッテのほうにすっとばしたベッカムの記憶はまだ新しいのであった。ちなみにその2日ほど前にブフォンがドイツ人のインタビューに答えている様子をTVで流していたが最初誰だかわからなかった。どうもこの顔見たことあるなと思ったらブフォンだったのである。なにせこの人はフィールドで吠えている姿しか見たことがないので、普通の顔をして普通にしゃべられるとわからなくなるのだ。

で、そのブフォンが本当に4人目のイングランドをとめる。

「次、イタリアが入れて試合終了だ」

本当にそうなってしまった。イングランドが一人余って試合終了。確かにこれは自然法則だ。次の日の新聞にも「イングランドのPK、やっぱりね」というニュアンスの記事が並んでいた。Es hört einfach nie auf(「このジンクスはどうやっても止まらないよ~」)というタイトルの記事も見かけた。

 その次のユーロカップ、つまり今回の大会ではイタリアはドイツとすさまじいPK戦になりイタリアのほうが負けたが、そこでドイツの解説者が上述のPK戦にふれ、「イタリアは前の大会でPK戦になって勝ちましたが、まあ相手がイングランドでしたから。」と蒸し返していたものだ。それにしてもこの2016年のPK戦は規定内の5人では勝負がつかず、9人目まで延長してやっと決着がついた。PKの延長戦というのを見たのは私はこれが初めてではあるが、双方あと二人頑張っていれば打者一巡(違)ということになってさらに凄まじさが増していただろうに、その点はかえすがえすも残念である。
 ちなみにさるドイツ人の話では、今までの人生で見た中で最も恥ずかしかったPKキックとは、蹴りを入れようとした選手がボールのところでつまずいた拍子につま先が触れ、球がコロコロ動き出してキーパーの手前何メートルかのところで止まってしまったものだそうだ。これも相当の見ものだったに違いない。

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 先日やっと無償期間とやらが終了してくれたのでウィンドウズ10へのアップグレードがお金を払わなければパスできるようになった。あちこちから「やれやれ」という声が聞こえてくるのだが、これは私の周りだけなのだろうか。そもそも「金を払わなければパスできる」としか表現できないこと自体がすでにおかしい。普通なら「お金を払うからそれちょうだい」というはずだ。

 このウィンドウズ10というOS,一年ほど前からアップグレードを勧めるやたらとウザイ画面がパソコンに湧いてくるようになった。実は私はいまだに恐竜百万年時代のXPを使っているので私のパソコン自体は見捨てられていて、このポップアップ幽霊は出てこなかった。それまでは「そんなものもう捨てろよ」と馬鹿にされながらXPを使っていたのだが、まさか今頃になって「ああ、XPを使っていてよかった」などと思える日が来ようとは。対して家の者が使っているもう一台のほうは運悪く7搭載だったため「ウィンドウズ10のすすめ」がうるさかったのなんの。最初は単にウザイだけだったが、そのうちに文面が脅迫じみてきた。極めつけは最後の2ヶ月頃に登場し始めた必殺ポップアップで、「アップグレードをしますか、しませんか?」という選択肢ではなく、「いつアップグレードするんですか?今すぐですか、○日○時ですか?」という「イエス」か「はい」かの選択肢しかなくなった。しかもそこで×を押しても拒否したことにならず、水面下で密かにダウンロードが進行していて、その○日○時に突然全く身に覚えのないアップグレードが始まってパソコンが硬直するという恐怖。そしてアップグレード終了後は従来のソフトがいくつか使えなくなるという、ほとんどウイルスである。
 私はそういう話をネットや実話で聞いていたので、ある日うちでもとうとうその「今か○日か」という画面が現れた時パニックに陥った。聞けばアップグレードを無効にすることはできるし、運悪くアップグレードを食らってしまった後でもイヤならもとの7に戻せるそうだ。しかしその「無効にする」「7に戻す」操作をスラスラやれるほど私たちは機械に詳しくないのだ。それでも何とかアプグ拒否方法を(XPのパソコンで)ネット検索してやり方を覚えようとアタフタしていたら、7の持ち主はあっさりさるコンピューター雑誌のサイトからZwangs-Update-Killerとかいうプログラムをダウンロードしてきて10を阻止した。Zwangs-Update-Killerとは「強制アップデートキラー」という意味である。もの凄いネーミングだ。もうちょっとマイルドな名前にすることはできなかったのかとは思ったが、アメリカでもNever10という名前の阻止プログラムが出回っていたそうだからいい勝負だ。
 そのキラープログラムを走らせて見ると、すでに何GBかは10が侵入していたことがわかった。自覚症状はなくても保菌者ではあったわけだ、それにしても除去プログラムが出回るOSというのを見たのは私も初めてだ。

 この10騒ぎは日本のソーシャルメディアでも大きな話題になり、被害者の声が続出していた。止めてくれコールが起こる一方で、そういう一般ユーザーを批判する、というか罵る声もあった。要約すると「お前ら本当に無知だな。こうこうこうやればアプグくらい簡単に阻止できるんだよ。そんな操作もできない馬鹿がパソコンなんて使うなよ」という意見である。また、どこかの中小企業がいまだに7を使っていたため、アプグされて業務関係のプログラムが動かなくなったのを見て、「いやしくも企業ならそのくらいきちんとしとけよ」とセセラ笑う声もあった。
 『24.ベレンコ中尉亡命事件』でも述べたように私もその手のメンタリティは心の中に持っているのでわかるのだが、まあこういう人たちはたまにちょっと知っていることがあると鬼の首をとったような気になり、知らない人を馬鹿にしてみせてこちらが偉くなったような気分にひたりたいのだろう。普段の劣等感のはけ口だ。それが証拠にというとおかしいが、パソコンのサポートセンターの人とか大学の工学部の人、つまりプロの人たちは発言がずっと穏健で「こうすれば阻止できますよ」以上のことは言わなかったではないか。
 繰り返すが私はそういう、ここぞとばかり的な人たちの気持ち自体はわかる。わかるのだが残念ながらここでの問題の本質は10の押しつけの阻止方法を知っているかいないかとか知っているオレ様は偉いとかいうことではないのだ。

 ドイツ語にgesundes Mißtrauen(ゲズンデス・ミストラウエン)、あるいはder gesunde Menschenverstand(デア・ゲズンデ・メンシェンフェアシュタント)という言葉がある。それぞれ「健全な不信感」、「人間の健全な理解の仕方」という意味だ。後者は辞書には「良識」とあるが、これだとちょっとニュアンスが違うようだ。Der gesunde Menschenverstandというのはもっと単純に普通の人が普通にする理解である。『27.ベンゾール環の原子構造』の項でも述べたように辞書の訳は時々意味がややずれていることがあるので注意を要する。
 さて、自分がまだよく知らないものを「ダンナ、これいいですよ、お安くしときますよ、買いなさい」といわれても普通はホイホイその場で買ったりせずに時間を置く。未知のものにはとりあえず警戒心をいだく。あまりうまい話を聞くと何か裏があるんじゃないかと一瞬怪しがる、こういうのが「健全な不信感」である。
 マイクロソフトはもちろんブラック企業などではないが、その目的は結局金儲けである。ましてやアメリカの企業というと特に利益優先、ペイしないことはやらないというイメージがある。それがタダで新しいOSを提供すると言い出したりすれば「健全な」神経を持った人は裏で何かたくらんでいるんじゃないかと疑心暗鬼になる。7や8をサポートするのはメンド臭いから全員に10にしてもらったほうが会社に好都合なのかな、などという疑念はまだ序の口、密かに個々のパソコンにトロイの木馬よろしく侵入し、顧客データを集めて内務省にでも売るつもりなのか、この先金を払わないとパソコンを使えないようにするぞという方向に事を持ってくるつもりなのかと本気で戦々恐々としている人だっていた。果ては「やっぱりマイクロソフトは怖い。今の7が死んだらLinuxにしよう」。
 会社側だって馬鹿じゃないのだから、新しいOSを強引に押し付けようとすればユーザーの相当数がこういう反応をするであろうことなど予想していたはずだ。それをあえてこういう戦略に出たのはどうしてだろう。「健全な不信感」は下手に健全なだけにしつこく心の中に巣食うのである。その意味で、「阻止方法を知っている偉いオレ様」連は問題の本質が見えていない。そもそもOSのアプグを拒否する方法を知っていることが自慢話になりうること自体異常だ。何も知らなければアプグされないのが普通ではないのか。

 もう一点「健全な」顧客が嫌がったのは「私が買ったのは7である。自分で納得して自分で選んで7を買った。10にするのだって自分で納得して自分で選択するのなら金くらい出すから今は放っておいてくれ」という事情を無視されたことだろう。ある意味では禁治産者扱いされているのだ。子供のころ、いや大人になってからでも自分でなんとかやろうとしているのに脇からやいのやいの頼みもしないのに口を挟まれたり手を出されたりして「うるさい!自分でやるから放っておいてくれ!」と怒鳴ったことなど誰にでもあるだろう。あの感覚である。こちらが金を出して何かを買うからには選択権はこちらにある、これが「人間の健全な理解」である。
 するとここでもオレ様が口を出し、「7を買ったんじゃないんだよ。7の使用権を買ったんだ。契約書にそうあるはずだ。だからいきなりOSをアプグされても文句は言えないはずなんだよ。わかってないなあ、馬鹿だなあ」。
 オレ様たちはgesundes Misstrauenをもつ人たちが契約書というもの一般に抱いている不信感をご存じないらしい。保険会社や旅行会社(の一部)が顧客が気づかないように契約書の隅に小さく重要な注意事項を記し、あとから顧客がクレームをつけてもこれを盾にとって「読まなかった馬鹿が悪い」と知らん顔をするなんてのは常套手段、いかにまずい点をボカして契約・商品の見てくれをよくするかというのが企業側の契約書作成者の腕の見せ所である。そういう煙に巻くプロを相手にしたら一般ユーザーには勝ち目などない。もちろんまさかマイクロソフトが意図的にそんなことをやるとは思えないが、これがユーザーの一般感情であろう。
 つまり契約書を一語一句検討しなかったユーザーを馬鹿扱いするオレ様たちは、ひょっとすると普段そういう仕事をしている人なのかな、日常的に人をハメて喜んでいるタイプの人たちなのかな、と「健全な」人たちはオレ様たちの人間性に対しても不信感をいだく。やはり自慢する時は素直に自慢だけにとどめておいたほうが良さそうだ。「オレは10の阻止方法を知ってるんだ、どうだ偉いだろう」とだけ言っておけば「わあ、凄いね。でも問題の本質はそこじゃないんだよね。」と自慢は一応受け止めてもらえるが、「オレは10の阻止方法を知っているんだ。知らないお前らは馬鹿だ」とか言ってしまうと「でも問題の本質はそんなとこじゃないんだよ。馬鹿はどっちだ」と、自慢が機能しないばかりか反対に罵倒がブーメランになって自分に跳ね返ってくるからだ。ペイしないとはまさにこのことだ。
 しかしここで勉強になったのは自慢の仕方よりもgesundes Misstrauenとder gesunde Menschenverstandというドイツ語の冠詞の使い方である。ネイティブ確認をとったところ、前者は冠詞なしだが、後者には冠詞がいるそうだ。「どうして?」と聞いたら「Misstrauenは砂糖とかといっしょでブワブワした存在だが、Menschenverstandは確固とした観念だから定冠詞がいるのだ」というブワブワした説明をされた。こういう部分はやっぱりネイティブにしかわからないのかも知れない。

 さて、この10騒動ではそのgesundes Misstrauen、der gesunde Menschenverstandのほかにも口に上った言い回しがある。Augen zu und durch(アウゲン・ツー・ウント・ドゥルヒ)というものだ。「眼を閉じて通り抜けろ」という意味で、なにか不愉快なこと、面倒なこと、嫌なことをやらなければいけなくなったとき、グジグジ考えたり、うろたえたり、立ち止まったりしないでとにかく最後まで堪えろ・やりぬけ、といいたいときに使う。
 例えばある法案を通したい政治家が、反対政党などの猛烈な攻撃が予想されて泥沼になりそうなとき、Augen zu und durchといって自分自身にハッパをかけたりするのである。英語ではこれをなんというのか調べてみたら、いくつか対応するイディオムがあるらしい。

Press on regardless!
Grit your teeth and get to it!
Take a deep breath and get to it!

 上述の待ったなしポップアップが初めて出現した時、上述の7の所有者は最初、「こうなったらこれから2ヶ月間はこのラップトップを使わないでアプグ期間終了まで堪えるしかないかな。苦しいけどAugen zu und durch」。それじゃまるで苦行僧じゃないか。なんで金を払ったほうがそんな苦労をしなければいけないんだ、と私が言いかけたら向こうもどうやら考え直したらしく、「このOS、迷惑がっている人がこんなにたくさんいるんだからコンピューター雑誌あたりがサービスとして何か対策を提供しているに違いない」と、専門雑誌のサイトに行き、そこで上述のOSキラーを見つけたのである。こういうのがder gesunde Menschenverstandである。

 それにしてもウィンドウズ10自体はよく出来たOSのようで、評判も悪くない。あんな押し売り行為さえしなければ皆速攻ではないにしろ結構すんなり10に変えていったはずだ。しかもその際お金を払ったはずだ。なぜあんな嫌われるようなことをわざわざやったのか、どうしても健全な理解ができない。会社のマネージャーは北風と太陽の話を知らないのか? それとも理解できない私たちはビョーキなのか?

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 私個人は嫌いなので、あまり「日本の国技」として下手に外国に紹介などしてほしくないのだが、スモウというのはやはり外から見るとエキゾチック趣味をそそられるらしくこちらでも一時TVなどでよく放映されていた。故九重親方が千代の富士として力士をしていたころも、見たくもないのにスポーツ番組で流されて迷惑したものだ。ファンの方には非常に申し訳ないが、どう見てもあれは私の審美眼には適わない。
 しかし、相撲を外国で見せられると気分が悪くなる原因はあのスポーツ自体が嫌いなことの他に選手の(力士と言え)名前がムチャクチャな発音で呼ばれるからである。もちろんローマ字綴りの日本語が外国語読みになると原型を留めないほどひどい形になるのはドイツに始まったことではない。例えばMr. Kimuraはアメリカではミスター・カイミューラになってしまうそうだが、ドイツ語でもヘボン式で表記された名前がドイツ語読みにされるから大変なことになる。一度千代の富士Chiyonofujiがヒジョノフォーイーと発音されたのを聞いた。しかも妙な強弱アクセントがフォの上に置かれていて、あまりの乖離ぶりに全身の血が凍りついた。こりゃほとんどホラーである。

 ドイツ語ではchは「チ」ではなく後舌母音に続く時は[ç]、その他の母音や子音の後は[x]と読まれる。だからStorch「コウノトリ」は[ʃtɔʀç](シュトルヒ)、durch(英語のthrough)は[dʊʀç]( ドゥルヒ)なのだが、北ドイツの人がこれらをそれぞれ[ʃtɔʀx](シュトルホ)、[dʊʀx](ドゥルホ)と発音しているのを何度か聞いた。オランダ語では[ç] というアロフォンがなく、外来語以外のchは基本的に[x] なのとつながっているのだろうか。Chはさらにフランス語からの借用語では[ʃ]、イタリア語からの借用語では[k]となることもあるが、語頭のchi は普通「ヒ」である。
 さらに英語もそうだがドイツ語には日本語の無声両唇摩擦音 [ɸ] がないので、この音を上歯と下唇による摩擦音 [f] で代用して書く。「代用」と書いたが、欧米の自称「日本語学習者」には日本語の「ふ」が両唇摩擦音であって [f] ではない、というそもそものことを知らない人が時々いる。また前にもちょっと書いたが、「箸」と「橋」と「端」、「今」と「居間」など、「高低アクセントの違いで意味が変わるなんて聞いた事もない」人に会ったこともある。前に日本語を勉強したとのことだったが、私がちょっとアクセントの話をしたら、ほとんどデタラメを言うな的に食ってかかられて一瞬自分のほうが日本語のネイティブ・スピーカーであることを忘れてしまいそうになった。子供の頃「飴が降ってきたね」といった京都の子をからかった記憶(今思い出すとまことに慙愧の念に耐えない。言葉をからかうのは下の下であると今では考えている)は私の妄想だとでもいうのか。
 話を戻すと、その上ドイツ語の母音 u はしっかり円唇母音 [u] だから、非円唇の日本語の「う」 [ɯ] よりもむしろ「お」に聞こえることがある。そこでさらに強弱アクセントを置いた母音がちょっと長くなるので fu が「フォー」と2モーラに聞こえてしまうのだ。
 j はドイツ語では[ʒ]でも[dʒ]でもなくまさにIPAの通り [j] だから、ja、ji 、ju、je、 jo、はジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョでなくヤ、イ、ユ、イェ、ヨである。「柔道」 judo はユードー、柔術 jujitsu はユイーツーとなって一瞬「唯一」かと思う。心理学者のユングの名もJungと j で始まっている。だから ji は「イー」である。

 ここまでは単にヘボン式のローマ字の読み方を知らずに単細胞にドイツ語読みしやがっただけだから発音の悲惨さの原因はまだわかりやすい。問題はどうして yo が「ジョ」になるのかということである。ドイツ人が yo を「ジョ」と読むのを他でも一度ならず聞いた。例えばTakayoだったかなんだったか、とにかく最後に「よ」のつく日本の女性名が「タカジョ」と呼ばれていたのだ。これはアルファベットのドイツ語読み云々では説明できない。Ya、yi、yu、ye、yoはドイツ語でもヤ、イ、ユ、イェ、ヨだからである。

 私はこれはいわゆる過剰修正の結果なのではないかと思っている。

 まず j は上で述べたようにフランス語では摩擦音の[ʒ]、英語では破擦音の[dʒ]だから日本語と大体同じ、というより日本語のアルファベット表記が英語と同じになっている。ドイツ人にとっても日本人と同じく学校で最初に学ぶ外国語は英語、その後中学でフランス語だから、その際「ja、ji、ju、je、joをヤ、イ、ユ、イェ、ヨと発音してはいけない」ということを叩き込まれる。学校で真面目に勉強しないでいて英語の全く出来ない人はドイツにもいるが、そういう人たちはJohnを「ヨーン」、Jacksonを「ヤクソン」と呼んでケロリとしている。しかし普通の教養を持っている人は英語やフランス語ができなくてケロリとしているわけにはいかないから、必死に「ja、ji、ju、je、joをヤ、イ、ユ、イェ、ヨというのは間違い、ジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョが正しい」と自分の頭に刷り込むのである。そのうち「ja、ji、ju、je、joを」という条件項目が後方にかすんでしまい、「ヤ、イ、ユ、イェ、ヨは間違い、ジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョが正しい」という強迫観念が固定して、勢い余って本当にヤ、イ、ユ、イェ、ヨで正しい場合までジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョと言ってしまう。このため yo をついジョと発音してしまうのではないだろうか。
 ここでわからないのはむしろ、直さなくていいところで余計な修正が入り、直すべき肝心の富士の「ジ」の部分では修正メカニズムが起動せず「イー」に戻ってしまっていることだ。

 もう一つ思いついたのは、スペイン語で y が [j] ではなく時々、というより普通軟口蓋接近音 [ʝ] になることである。時によるとこれがさらに破擦音の[ɟʝ]、時とするともっと進展して軟口蓋閉鎖音の[ɟ]にさえなってしまうそうで、実際私の辞書にはyo(「私」)の発音が[ɟo]と表記してある。ドイツ人には(日本人にも)これらの音はジャジュジョと聞こえるだろう。それでドイツ人はyoを見ると「ジョ」といいたくなるのかもしれない。
 しかし反面、この[ʝ] [ɟʝ] [ɟ]はあくまで [j] のアロフォンであり、どの外国語もそうだが、音声環境を見極めてアロフォンを正確に駆使するなどということは当該言語を相当マスターしていないとできる芸当ではない。今までに会った、yo を「ジョ」と読んだドイツ人が全員スペイン語をそこまでマスターしていて、ついスペイン語のクセがでてしまった、とはどうも考えにくい。上でも述べたように、何年間も勉強した学習者でも発音をなおざりにしていることなどザラだからだ。それにどうせスペイン語読みになるのだったら、他の部分もスペイン語読みになって「チジョノフッヒ」とかになるはずではないのか?これはこれでまたホラーだが。

 してみるとやはりあの発音はやはり過剰修正の結果と考えたほうがいいだろう。

 この過剰修正はローマ皇帝のヴェスパシアヌスもやっているらしい。風間喜代三氏がこんな逸話を紹介してくれている:あるときヴェスパシアヌスに向かってお付きのフロールスFlōrusが「plaustra(「車」)をplōstraといってはなりませんぞ」と注意した。これを聞いた皇帝は翌日そのお付きをFlaurusと呼んだ。
 スエトニウスの皇帝伝に書かれているこの話が面白いのはまず第一にこれがau, ō → ōというラテン語の音韻変化の記録になっているからだが、これも千代の富士のホラー発音と同じメカニズムだろう。もっともヒジョノフォーイーと比べたらフロールス→フラウルスなんて可愛いものである。


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 米国ペンシルベニアでドイツ語が話されていることは知られているが、私が今までちょっと見かけた限りではこのペンシルベニア・ドイツ語は英語学あるいはアメリカ学の守備範囲のようで、これを研究しているドイツ語学者というのはあまり見たことがない。ペンシルベニア・ドイツ語はまたペンシルベニア・ダッチ、略してペン・ダッチとも呼ぶが、これをオランダ語とカン違いしている人がいた。Dutchという語はドイツ語という意味のドイツ語Deutschと同じで、昔はオランダもドイツも意味していたのである。むしろ私は英語でオランダ語のことをDutchということの方がそもそもおかしいと思うのだが。彼らにはオランダとドイツの区別もつかなかったのか? ついでにこのDutchあるいはDeutschは、ペン・ダッチではDeitschとなる。

 このペン・ダッチの話者はヨーロッパ人が新大陸に移住を始めたそもそもの最初からアメリカに住んでいた人たちである。例えばベンジャミン・フランクリンも1751年にペンシルベニアにはドイツ人が英国系の人たちとは異質の社会を形作っていると報告している。フィラデルフィア周辺もドイツ語圏だったらしい。当時の首都である。英語話者の側ではこのドイツ人たちは自分たち英語話者らの側について英国にちゃんと反旗を翻してくれるのかそれともヨーロッパの旧勢力側につくのか、今ひとつ疑惑の目で見る向きもあったようだ。
 18世紀の中葉のペンシルベニア南部の人口、20万人から30万人のうちドイツ系は6万人から10万人だったというから相当な割合だ。別の資料では1710年から1775年の間にドイツから新大陸に移住してきた人は約81000人。さらに別の資料によると南北戦争直後のドイツ語話者は60万人いたそうだ。いわゆる「アメリカ文化」とされるものの結構な部分は英国起源でなくドイツの文化だそうだ。

 現在ではペン・ダッチは専らアーミッシュやメノナイト派などの宗教コミュニティで使われており、コミュニティのある地域はペンシルベニアばかりでなく米国の30州以上に及んでいる。カナダにもペン・ダッチのコミュニティがある。資料によってズレがあるが、使用人口は30万人強。私の記憶では昔ハリソン・フォード主演の『刑事ジョン・ブック:目撃者』という映画でケリー・マクギリス演ずるアーミッシュの女性がペン・ダッチらしき言葉をもらしていた。確かHochmut(「高慢」)とか何とかいう単語だったと思うが、これはペン・ダッチでなく標準ドイツ語だ(下記参照)。『目撃者』でもアーミッシュの社会の特殊性あるいは閉鎖性が描かれていたが、実はこの閉ざされた世界ゆえにペン・ダッチは今日にいたるまで生き残ったのである。
 ペン・ダッチが独自言語としての道を歩み始めたのは1750年から1775年にかけてだが、当時の話者は決して特定宗派に限られてはいなかった。どの宗派も、そして世俗的な人たちも皆このドイツ語を話していたのだ。上で述べたドイツからの初期の移住者81000人のうち、宗派関係者は3200人に過ぎなかった。その過半数がアーミッシュとメノナイト派だった。しかし宗派以外の人たちは時間が経過するに連れて元住んでいた農村から都会に出て行ったり、他宗教の人との婚姻が進み、大多数が英語に言語転換してしまった。現在のアーミッシュもバイリンガルで、ペン・ダッチは内輪で使うだけ。それでも子供たちにはペン・ダッチを伝え続けているため第一言語はペン・ダッチだそうだ。

 さてこのペン・ダッチについて私が個人的に面白い、というかおぞましいと思うのは、このペン・ダッチの核となったドイツ語地域、ドイツからアメリカへ最初に移住していった人々の故郷がよりによってモロ私の住んでいる地域だということである。うちはよそ者なので家庭内言語は当然標準ドイツ語だが、家の中で時々ここの方言のまねをして遊んだりおちょくったりすることがある(ごめんなさいね)。町の人たちも外で知らない人としゃべったりする時は、明らかにナマってはいるとはいえまあ標準ドイツ語を使うが、内輪でガチに会話を始めると凄いことになる。凄すぎてドイツのTV局に字幕をつけられたことは以前にも書いた通りだ(『106.字幕の刑』)。これがアメリカで話されている、と聞いて私は一瞬「げっ、ここで聞いているだけで十分恥かしいのにアメリカにまでいって恥を曝さないでくれ」と思ってしまった。ヨソ者の分際で申し訳ない。

 ペン・ダッチにはここラインラント・プファルツ方言の他にも上ラインやスイス、シュヴァーベンや一部ヘッセン州の方言なども混じっているそうだが、うちの周りの方言が中心となっていることには変わりがない。さらにおぞましいことにアメリカ発行の資料にペン・ダッチの起源について次のような記述がある。

... PG (= Pennsylvania German) is most similar to Palatine German. Later work  …  narrowed the dialectal origins even further to the (south)eastern Palatinate (Vorderpfalz in German), especially to dialects spoken in and around the city of Ma**h**m.
Bronner, Simon j. 2017. Pennsylvania Germans.Baltimore : p. 81から

なんと住んでいる町が名指しされていたのである。これを読んだときの気持ちをどう表現したものか。ネットで自分の名前が曝されているのを見て勘弁してくれと思う、あの感覚だ。とにかくまあこの町で一日乗車券でも買ってのんびり市電に乗り、ずっと乗客の会話を聞いていてみるといい。気分はもうペンシルベニアである。

うちの周りばかりでなく、一部スイスやヘッセンの方言もペン・ダッチには混ざっているが、中心となるのはよりによってモロ私の住んでいる町である。やめてほしい感爆発だ。
Bronner, Simon j. 2017. Pennsylvania Germans.Baltimore : p. 24からpenn_deutsch_bearbeitet

 だが、その「やめてくれよ感」を抱いたのは私だけではないと見える。プファルツからアメリカへ行った最初のドイツ人は大抵農家だったが、それよりやや遅れてやはりドイツからアメリカへ渡った第二波は北ドイツや都市部の人で標準ドイツ語の話者だったが、それらの同胞からもこのペン・ダッチの使い手は「まともなドイツ語をしゃべれ」と揶揄されたそうだ。彼らの方でも自分たちをDeitsche(「ドイツ人」、上記参照)、後続のドイツ人たちをDeitschlennerといって区別した。Deitschlennerは標準ドイツ語でDeutschländer(「ドイツの国の人」)である。ただ、Deitschlennerたちがペン・ダッチを蔑んで呼ぶ「田舎者のドイツ語と英語のまぜこぜ」という言い方は正しくないそうだ。ペン・ダッチは言われるほど英語に侵食されていない。英語からの借用語は10%から15%に過ぎないという。語形変化のパラダイムも保持されている。

 そのペン・ダッチを話すDeitscheも、書き言葉としては大抵標準ドイツ語を使っていたという。一種のダイグロシア状態だったわけである。今日でもアーミッシュの聖書は標準ドイツ語で書いてあるそうだ。
 一方「大抵」というのはつまり例外も少なくないということで、ペン・ダッチで書かれたテキストは結構ある。18世紀に一定のまとまりのある言語として確立した後、19世紀初頭からこの言語は発展期を迎えた。宗派の人も世俗の人もペンシルベニアから全米に広がっていったのはこの時期である。標準ドイツ語からの借用も行なわれた。ペン・ダッチによる文学活動もさかんになった。また、非ペン・ダッチ話者、事実上英語話者だがそれらのアウトサイダー側にもこの言語を研究する人が現れた。ペン・ダッチは独立言語としての歩みを始めたのである。上のおちょくり発言と矛盾するようだが、私はこれには賛成である。せっかくアメリカに行ってまで標準ドイツ語に義理立てする必要などない、独立言語として文章語を確立し、アフリカーンスより新しい一つのゲルマン語が誕生すればそれは素晴らしいことではないだろうか。

 しかし残念ながらそう簡単には行かなかったようだ。19世紀の発展期はまた、宗派と世俗の人たちがはっきりわかれ、両者のコンタクトが薄れていった時期でもあるが、そういう状態になっていたところに20世紀を迎えたが、これが転換期となった。20世紀の初頭に産業化の波が押し寄せたからである。
 仕事を求めて生まれ故郷を出て行くのが普通になり、外部の社会との交流も重要性を増した。小さな社会で安定していることが出来なくなったのである。ここでペン・ダッチ話者の人口構成に大きな変化が起きた。19世紀を通じて宗派の人たちはペン・ダッチ話者のごく一部をなしているに過ぎなかった。1890年現在では北米全体のペン・ダッチ話者は約75万人と推定されるが、それに比べてオハイオ、インディアナ、ペンシルベニアのそれぞれ最大のアーミッシュコミュニティの人口の合計が3700人だったそうだ。しかし世俗社会でのペン・ダッチが、英語社会とのコンタクトが急速に強まったおかげでほぼ消滅してしまった。英語社会との接触を最小限に抑え、通婚も閉ざされた社会内で行い続けた宗派のペン・ダッチだけが生き残ったのである。こんにちでは事実上アーミッシュやメノナイト派コミュニティでのみペン・ダッチが使われていることは上でも書いた通りである。
 1920年から1930年にかけてがターニング・ポイントで、それ以降は世俗社会でのペン・ダッチ話者は次の世代にこの言語を伝えなくなってしまった。つまり彼らの子供たちは英語しか話せなくなってしまったのである。そうして1940年以降はペン・ダッチは世俗社会では会話言語として機能しなくなった。1920年代に生まれた人たちがペン・ダッチを普通に話せる最後の世代となったのである。
 もちろん、その消え行くペン・ダッチを復活させ、次代に伝えようという動きはある。すでに1930年代にペン・ダッチ復興運動が存在したそうだが、今でも言語学者がネイティブを探し出して記述したり、言葉は話せなくてもペンシルベニア・ドイツ人としてのアイデンティティを持った子孫達がいろいろな催しを開催したり、文化の保持に努めている。今でもペン・ダッチを話せるアーミッシュもいる。ペン・ダッチはそう簡単には滅ぶまい。滅ばないでほしい。

 さて、その「書かれたペン・ダッチ」をいくつか見てみたい。上述のBronner氏の本から取ったものだが、音読してみるとまさにうちの町で市電に乗っている気分になれる。M市に住んでいない人のために標準ドイツ語の訳をつけてみた。所々わからなかったので標準語ネイティブに聞いたが、向こうも長い間「ウーン」と唸ったりしていたから解釈し間違っているところがあるかもしれない。

Den Marrige hab ich so iwwer allerhand noch geconsidert un bin so an’s Nausheiere kumme, un do hab ich gedenkt und gedenkt un hab des eefeldich Dinge schiegar nimmi los waerre kenne. Un weil ich’s Volksblatt als lees, un sie als iwwer allerlei Sache gschriwwe, so hab ich gedenkt: du gehscht yuscht so gut emol draa un schreibscht e schtick fer’s volksblatt, grad wege dem aus der Gmeeschaft Nausheiere.

標準ドイツ語
Den Morgen habe ich so über allerhand nachgeconsidert (= nachgedacht) und bin so an das Hinausheiraten gekommen, und da habe ich gedacht und gedacht und habe das einfältige Ding schier gar nie mehr loswerden können. Und weil ich das Volksblatt als (immer, ständig?) lese, und als (immer, ständig?) sie (ihnen?) über allerlei Sache geschrieben (habe), so habe ich gedacht: du gehst just so gut einmal dran und schreibst ein Stück fürs Volksblatt, gerade wegen dem Aus-der-Gemeinschaft-Hinausheiraten.

Consider(イタリック部参照)などの英語の単語が借用され、ドイツ語風に動詞変化していることがわかる。また標準ドイツ語の書き言葉の影響も見られる。太字で示したund がそれで、ほかの部分ではこれがきちんと(?)ペン・ダッチ形のunになっているのにここだけ標準形である。Als という超基本単語の使い方に関してもちょっとわからんちんな部分があったので辞書を引いたら古語として意味が載っていた(下線部)。なお資料ではこれに英語訳がついている。イタリック部は原文どおり、下線は私が引いたものである。

This morning I was reflecting about a number of things, including marrying outside the faith. I was thinking and thinking and just could not get this simple thing out of my head. Since I read the Volksblatt regularly, and have written them [sic] about different topics, I thought: you should just go ahead and write a piece for the Volksblatt about marrying outside of the faith.

もうちょっと他の例を出すと(下が標準ドイツ語):

Konsht du Deitsch shwetza?
Könntest du Deutsch schwätzen (= sprechen)?
ドイツ語を話せるかい?

Dunnerwedder noach a-mole!
Donnerwetter noch einmal!
まったくもう!

Nix kooma rous.
Nichts kommt raus.
どうにもならないぞ

Du dummer aisel!
Du dummer Esel!
このうすのろ!

最後の例のaisel(アイゼル)という言葉が気にかかった。これは標準ドイツ語のEsel(「ロバ」、エーゼル)だろうが、普通音韻対応は逆になるはずなのだ。標準ドイツ語の「アイ」が私の町の辺りでは「エー」になるのである。例えばzwei(ツヴァイ、「2」)を私んちのまわりでは「ツヴェー」、eine(アイネ、「一つの」)を「エーネ」という。そして私の家ではこの発音を真似して遊んでいる。町の人の方でもそれが方言だと心得ているから、「エーと言ってはいけない、アイと発音しないといけない」という意識があって、勢い余ってエーでいいところまでアイと言ってしまったのではないだろうか。つまりある種の過剰修正である(『94.千代の富士とヴェスパシアヌス』参照)。私の単なる妄想かもしれないが。

 最後にすこし話がワープするが、『シェーン』の原作者ジャック・シェーファーJack Schaeferも苗字を見れば歴然としている通りドイツ系である。出生地もオハイオ州のクリーブランドだからドイツ人が多く住んでいたところだ。さらに生まれた年が1907年で、ペン・ダッチを話す最後の世代、1920年代生まれよりずっと前。この人はペン・ダッチが話せたのかもしれない。それとも標準語ドイツ人、Deitschlennerの方に属していて、早々に言語転換してしまった組なのだろうか。
 
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 他の言語から取り入れた単語を借用語というが、その借用語という言葉自体明治時代の借用語ではないだろうか。多分ドイツ語 Lehnwort か英語 loan word なんかからの翻訳だと思う。この語を見ると「借用ってことはいつか返すのか?」と理屈をこねたくなるが(あなただけです、そんな人は)、では避けて「外来語」と言った方がいいかというと、こちらはこちらでまた問題がある。何をもって外来語といったらいいのか考え出すとキリがなくなるからだ。今ではまるで日本語本来の言葉のような顔をしている馬、梅なんてのも元は中国語からの外来語だし、有史以前に原日本語が例えばマレー系の言語から借用した言葉(というものがあったとして)なんてそもそも見分けることさえ出来ない。純粋言語などというものが存在しないのだからつきつめて言えば単語は皆多かれ少なかれ皆外来語ということになり、あまり深追いすると言語の起源という言語学者にとっての No-Go-Zone に迷い込みかねないのである。

 だからあまり深くは考えないことにして、あくまで一般に言われている意味での借用 Entlehnung であるが、これは取り入れ方の違いによっていくつかの種類に分けることができる。
 まず大きく1.借用造語 Lehnprägung と2.借用語 Lehnwörter に区別されるが、前者は意味の借用 semantische Entlehnung、後者は語彙の借用 lexikalische Entlehnung である。普通借用語だの外来語だのと呼んでいるのは2のほう。日本語では片仮名で書くコンピューター(英語から)だのパン(ポルトガル語から)だのトーチカ(ロシア語から)だのという言葉がそれだが、欧州人が来る前に中国語から取り入れた大量の言葉、つまり漢語も本来借用である。ドイツ語にはラテン語・ギリシャ語起源の借用語が大変多い。漢語がなくては日本語でまともな言語生活をするのが不可能なのと同様、ドイツ語からラテン語・ギリシャ語を排除したら生活が成り立たなくなる。Fenster「窓」という基本単語も実はラテン語 fenestra の借用だ。指示対象そのものが当該言語になかった場合、ものと同時にそれを指す言葉を取り入れるのは当然だが(上述のパン、ドイツ語の Kaffee「コーヒー」など)、当該言語内にすでにそれを表す言葉があるのにさらに同じ意味の言葉を外から取り入れることもある。その場合指示対象は同じでもニュアンスに差が生じる。便所とトイレなどいい例だ。
 1の Lehnprägung というのは外国語の語構成を当該言語の材料を使って模写すること。借用語と違って一応当該言語のことばのような顔をしているから外国語起源であると気づかれにくい。このLehnprägungはさらに細分できて、2-1.借用訳 Lehnübersetzung、2-2.部分意訳 Lehnübertragung、2-3.完全意訳 Lehnschöpfung、2-4.借用語義 Lehnbedeutungなどがある。分け方や用語などは学者によって微妙に異なるが、これらは大体次のように定義できる:
 2-1の Lehnübersetzung は calque ともいうが、外国語の語を形成している形態素を一対一対応で翻訳したものである。例えばラテン語の compassio の com と passio という形態素をそれぞれドイツ語に訳して Mit-leid → Mitleid(「同情」)、同じくラテン語の im-pressio のドイツ語借用訳が Ein-druck(「印象」)。そのドイツ語がさらにロシア語に借用訳された в-печать が現代ロシア語の「印象」впечатление という単語のもとである。またフランス語の chemin de fer (road of iron) がドイツ語に借用訳されて Eisen-bahn、それがまた日本語に借用訳されて「鉄道」となった。
 2-2の Lehnübertragung は借用訳より少し意訳度が高いもので、例えばラテン語の patria「祖国」は本来「父の」という形容詞から作られた女性名詞だがドイツ語では「父」の後ろに「国」Land という語を付加して(つまり意訳して)Vaterland「父の国→祖国」という語を作った。もっとも「ドイツ語では」というよりこの部分意訳は「ゲルマン語」の時代に行なわれたらしく、オランダ語など他のゲルマン語でも「祖国」は「父の国」である。さらにしつこく考えてみるとそもそものラテン語でも patria の後ろに「土地」を表す女性名詞、例えば terra かなんかがくっ付いていたのかもしれない。さらにドイツ語の「半島」Halbinsel はラテン語の paen-insula(「ほとんど島」)からの部分意訳である。日本語の「半島」はドイツ語からの借用訳でもあるのだろうか。
 2-3の Lehnschöpfung は部分意訳よりさらに自由度が高く、形の上ではもとの外国語の単語から離れている、いわば意訳による新語である。ドイツ語には automobil の意訳から生まれた Kraftwagen(動力車→「自動車」)という言葉がある。Sinnbild(「象徴」)も symbol からの借用造語である。両語とも借用造語と平行してそれぞれ Auto、Symbol という借用語も存在するのが面白いところだ。
 2-4の Lehnbedeutung では対応する外国語の単語に影響されて当該言語の単語に意味が加わることである。有名なのがドイツ語の Ente(「アヒル」)という言葉で、本来は鳥のアヒルまたはカモの意味しかなかった。ところがフランス語の「アヒル」という単語 canard に「ウソのニュース」、今流行の言葉で言えば「フェイクニュース」という意味があったため、ドイツ語のアヒル Ente にもこの意味がくっついてしまった。さらにドイツ語の realisieren には本来「実現する」しか表さなかったが、英語の realize が「悟る・実感する」をも示すのに影響されて現在ではドイツ語の realisieren も「悟る」の意味で使われている。

 一口に借用と言っても色々なレベルがあるのだ。

 明治時代に次々と作られた新語、私たちが普通英語からの「訳語」などと呼んでいる夥しい借用造形語などもこれに従ってカテゴリー分けしてみると面白そうだが、そんなことは日本ではすでに色々な学者があちこちでやっているから、私が今更こんなところでシャシャリ出るのは止めにして、代わりにルーマニアのドイツ語をちょっと見てみたいと思う。
 ルーマニアのジーベンビュルゲン、日本語で(?)トランシルバニアと呼ばれている地方には古くからドイツ人のディアスポラがある。ジーベンビュルゲンへのドイツ人移民はなんと12世紀にまで遡れるそうだから中高ドイツ語の時代である。20世紀の政治的・歴史的激動時代にドイツ系住民は強制移住させられたり、自主的にドイツ本国に帰ってきたりしたものが大勢いたため、現在ルーマニアでドイツ語を母語とするのは5万人以下とのことだ。しかし一方人や他国との交流が自由になったし、EUの加盟国となったルーマニアが欧州言語憲章を批准したのでドイツ語は正式に少数言語と認められて保護する義務が政府に生じた。ドイツあるいはオーストリアから教師が呼び寄せられてジーベンビュルゲンだけでなくその他の地域でもドイツ語の授業、特に書き言葉教育が行なわれるようになったそうだ。その書き言葉というのはつまりドイツあるいはオーストリアの標準ドイツ語だから、元からルーマニアでドイツ語を話していた人たちにとってはまあある意味外国語ではあるが、新聞なども発行されている。
 そのルーマニアの標準ドイツ語では本国では見られない特殊な語彙が散見される。ルーマニア語からの借用語・借用造語のほかにも、ハプスグルグ家の支配時代から引き継いだオーストリアの標準ドイツ語から引き継いだ語が目立つそうである。Ulrich Ammon という社会言語学者らが報告しているが、面白いのでまずルーマニア語からの借用語から見ていこう。右にルーマニア語の原語(イタリック)を挙げる。

Ägrisch, der ← agrişă
「グズベリー」

Amphitheater, das amfiteatru
「(大学の)講義室」

Bizikel, das bicicletă
「自転車」

Bokantsch, derbocanci
「登山靴」

Hattert, der hotar, határ
「入会地、耕地の区画」

Klettiten, die clătite
「パンケーキ」

Komponenz, die componentă
「 構成(要素)」

konsekriert consacrat
「有名な」

Märzchen, das mărţişor
「3月に女の子や女性が紅白の紐で下げるお守り」

Motorin, das motorină
「ディーゼル燃料」

Otata, der otata, tata
「おじいさん」

Planifizierung, die planificare
「計画」

Sarmale, die sarmale
「ロールキャベツ」

Tata, der tata
「父、お父さん」

Tokane, die tocană
「グーラッシュ(肉のシチューの一種)」

Vinete, die (pl.) vânătă
「焼いて刻んだナスから作るサラダ」

Zuika, derţuică
「プラム酒」

Hattert の元となった határ(太字)というのはルーマニア語がさらにハンガリー語からとりいれた語らしい。また「おじいさん」の tata はルーマニア語がスラブ語、ブルガリア語とかセルビア語とかその辺から借用した語なのではないかと思う。

 借用訳部分意訳はきっちり区別しにくい場合があるのでまとめて掲げるが、政治や社会制度を表す語が多い。ルーマニアの国に属していたのだからまあ当然なのだが、チラチラと共産主義の香りが漂ってくる語が多くて面白いといえば面白い。それぞれ形態素をバラして英語訳をつけ、一部比較のために本国ドイツ語の言い回しをつけてみた(下線)。ルーマニア語はロマンス語だけあって形容詞が後ろに来るのがさすがである。

Allgemeinschule, die ← scoală generală
(general  +  school) (school general)
「 一学年から8学年までの学校」

Autobahnhof, der ← autogară
(car + station)(car + station)
「バスステーション」Busbahnhof

Bierfabrik, die ← fabrică de bere
(beer + dactory)(factory of beer)
「 ビール醸造所」Bierbrauerei

Chemiekombinat, die combinat chimic
(chemistry + collective)(collective chemical)
「化学コンビナート」

Definitivatsprüfung, die examen de definitivat
(Definitivat + examination)(examination of definitivat)
「教職課程の最初の試験」

Finanzgarde, diegarda financiară
(finance + guard)(guard financial)
「企業の税務処理が規定どおりにおこなわれているかどうかコントロールする役所」

Generalschule, die scoală generală
(general  +  school)(school general)
「(上述)1年から8年生までの学校」

Hydrozentrale, die hidrocentrală
(hydro + central)(hydro + central)
「水力発電所」Wasserkraftwerk

Kontrollarbeit, die lucrare de control
(control + work)(work of control)
「(定期的に行なわれる)授業期間中の試験」

Kulturheim, die cămin cultural
(culture + home)(home cultural)
「(村の)文化会館」Kulturhaus

Lektionsplan, der plan de lecţie
(lesson + plan)(plan of lesson)
「授業プラン」Unterrichtsplan

Matrikelblatt, das foaie matricolă
(matriculation + sheet)(sheet  amtriculation)
「成績などが書きこまれた生徒の内申書」

Notenheft, das carnet de note
(mark + notebook)(book of mark)
「生徒が常に携帯している、成績または学業の業績が記録されたノート」

Postkästchen, das cutie poştală
(post + (little) box)(box postal)
「郵便受け」Briefkasten

Schulprogramm, das programă şcolară
(school + program)(program school)
「教授計画、カリキュラム」Lehrplan

Stundenplan, der orar
(time + plan)(timetable)
「営業時間」Öffnungszeiten

Thermozentrale, die termocentrală
(thermo + central)(thermo + centeral)
「火力発電所」Wärmekraftwerk

Turmblock, der bloc turn
(tower + block)(block towaer)
「高層ビル」Hochhaus

Winterkommando, das comandament de iarnă
(winter + command)(command of winter)
「激しい降雪や道路の表面が凍った際などに特定の業務を行なうため(政府の指示で)結成される部隊」

Ziegelfabrik, die fabrică de cărămizi
(brick + factory)(factory of bricks)
「レンガ製造所、レンガ焼き工場」Ziegelei, Ziegelbrennerei

借用語と借用訳の両方にまたがっていそうなのもある。例えば definitivat(太字)はルーマニア語で「過程終了」という意味だが、ドイツ語ではそれをそのまま持ってきている。Thermozentrale 、Hydrozentrale なども借用訳といったらいいのか借用語なのか、ちょっと迷うところだ。

 さらに借用意義とは言い切れなくても、本国のドイツ語にある全く同じ形の単語と意味、少なくとも「主な意味」が違っているものがある。最初にルーマニア・ドイツ語(ル)、その下に本国ドイツ語(本)の意味を挙げる。

Akademiker, der    または Akademikerin, die    
ル・科学アカデミーのメンバー
本・大卒者


Analyse, die
ル・血液または尿検査
本・分析


assistieren
ル・(講義を)聴講する
本・助手として手伝う

dokumentieren
ル・報告する
本・文書に記録する

Gymnasium, das
ル・5学年から8学年までの学校
本・5学年から13年生までの学校

Katalog, der
ル・生徒の学業成績・試験の点などが書き込まれた公式の記録書
本・目録、カタログ


kompensiert
ル・値段に差があった場合、健康保険で薬局に低い方の値段を支払えばすむようになっている
(医薬品に関して使う)
本・埋め合わせられた、補償された


Norm, die
ル・教師が受け持つことになっている授業コマ数
本・基準、規格、規定


Tournee, die
ル・周遊旅行
本・(芸能人などの)巡業


dokumentieren、Gymnasium、Tournee(太字)については本国ドイツ語との意味の違いがルーマニア語の影響であることがわかっている。それぞれ a se documentagimnaziuturneu(元々フランス語tournéeから)の意味をとったとのことだ。

 少し前にルーマニア生まれのドイツ人に会ったことがある。若い人だったが、「子供の頃にすでにドイツに移住してきた」(本人曰)せいか、話す言葉は完全に本国の標準ドイツ語だった。でも夏期休暇などにはルーマニアに帰って(?)過ごすそうだ。

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