「ホームシック」をドイツ語でHeimweh(ハイムヴェー)というが、Heimは英語のhome、wehがsoreness(「痛み」)に当たるので構造的に英語とよく対応している。ところがドイツ語にはさらにこれと対になったFernweh(フェルンヴェー)という言葉がある。Fernは英語のfarだから、これは「郷愁・故郷が恋しい」の反対で、「遠くが恋しい」つまり「どこか遠くの知らない土地に行って見たくてたまらない衝動」という意味だ。
私はこのFernwehというのは実は人間の本質的な衝動なのではないかと思う。これがなかったら、人類が全員生まれた土地から一歩も出ずにそこで死にたがるメンタリティだったら、いくらやむを得ない事情があったとしても私たちの祖先はアフリカから出て行っていただろうか?生まれ故郷を出て行く理由は「仕事が欲しい」、「エサが欲しい」、「金がほしい」、それだけだろうか?人は本能的に山を見れば越えたくなる、海を見れば渡りたくなるものなのではなかろうか。
私も子供の頃この気持ちに駆られたことを覚えている。近所のビルの屋上から東京湾の海が見えたので、「海は広いねえ、あの向こうはアメリカなんだねえ」と私にしては珍しくロマンチックなことを言ったら一緒にいた仲間に「馬鹿、東京湾の向こうは千葉県だろ」とあっさり冷たく返され、幼い私のFernwehはグシャグシャになってしまった。
しかしさすが人類一般に内在する衝動だけあって、千葉県に邪魔されたくらいではなくならない。引き続いて私の心に存在し続け、高校生になった時、第二外国語としてドイツ語をとる気にさせた。当時入学した都立高校には選択科目として第二外国語があったのだ。
それでも私が初めて実際に外国に行ったのはやっと就職してからで、その「生まれて初めて見たよその土地」はソ連(当時)のハバロフスクだった。いわゆるパック旅行でドイツへ行く途中で燃料補給に立ち寄ったのだ。
見渡す限り続く地平線といい、土の色、空の広さといい、日本みたいなみみっちい島国では絶対お目にかかれない景色に感動した。飛行場の建物の入り口にカラシニコフを持って立っていたシケたおっさん兵士についクラクラ来そうになった程だ。飛行場のローカルぶりさえポジティブな印象となって残っている。その印象が強すぎて肝心のドイツ旅行の記憶はほとんど残っていない。
ところで当時まことしやかに流布していた噂がある。
「アエロフロートソ連航空のパイロットの腕は世界一だ。なぜならここはふだん、ミグだろスホーイだろの戦闘機に乗っているスゴ腕軍人が本職の片手間に旅客機を操縦しているからだ。しかもアエロフロートの旅客機はボロなので取り扱いに細心の注意を払わないとすぐ墜落して命が危ない。これを落とさずに操縦できるのは世界でもソ連のエリート航空兵だけだ。」
これを「何を馬鹿な」とあながち一笑に付せなかったところが怖い。
次にモスクワ空港でも途中下車したのだが(せめて「トランジット」と言ってくれ)、そこを警備していた赤軍兵士が誰も彼も紅顔の美青年だったので驚愕した。そう思ったのは私だけではない。その旅行に参加していた同行の女性陣も結構、みな陰でヒソヒソ大騒ぎしていたから。それ以外にも旅行記などで複数の女性が、ソ連、特にモスクワの赤軍兵士はみな若くてハンサム、今の言葉で言えばイケメンだったと証言している。
そういえば、日本で誰かが「ソ連では国家の威信を示すためモスクワ空港やレーニン廟など外国人の目につきやすい場所には選りすぐった容姿端麗な赤軍兵士を配置した」と教えてくれたことがあるが、本当だろうか? でもそれを言うなら赤の広場で手を振っていた政府の要人の方がよほど外国人の目につきやすい位置にいたと思うのだが。モスクワ空港やレーニン廟にハベらせるために全ソ連からイケメンをかき集めているヒマがあったら、あのレオニード・ブレジネフ書記長のゲジゲジ眉毛をどうにかしたほうがよかったのではないか、とは思った。
いずれにせよ、ソ連が崩壊してからは兵士の見てくれも崩壊してしまった。まことに遺憾である。
この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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私はこのFernwehというのは実は人間の本質的な衝動なのではないかと思う。これがなかったら、人類が全員生まれた土地から一歩も出ずにそこで死にたがるメンタリティだったら、いくらやむを得ない事情があったとしても私たちの祖先はアフリカから出て行っていただろうか?生まれ故郷を出て行く理由は「仕事が欲しい」、「エサが欲しい」、「金がほしい」、それだけだろうか?人は本能的に山を見れば越えたくなる、海を見れば渡りたくなるものなのではなかろうか。
私も子供の頃この気持ちに駆られたことを覚えている。近所のビルの屋上から東京湾の海が見えたので、「海は広いねえ、あの向こうはアメリカなんだねえ」と私にしては珍しくロマンチックなことを言ったら一緒にいた仲間に「馬鹿、東京湾の向こうは千葉県だろ」とあっさり冷たく返され、幼い私のFernwehはグシャグシャになってしまった。
しかしさすが人類一般に内在する衝動だけあって、千葉県に邪魔されたくらいではなくならない。引き続いて私の心に存在し続け、高校生になった時、第二外国語としてドイツ語をとる気にさせた。当時入学した都立高校には選択科目として第二外国語があったのだ。
それでも私が初めて実際に外国に行ったのはやっと就職してからで、その「生まれて初めて見たよその土地」はソ連(当時)のハバロフスクだった。いわゆるパック旅行でドイツへ行く途中で燃料補給に立ち寄ったのだ。
見渡す限り続く地平線といい、土の色、空の広さといい、日本みたいなみみっちい島国では絶対お目にかかれない景色に感動した。飛行場の建物の入り口にカラシニコフを持って立っていたシケたおっさん兵士についクラクラ来そうになった程だ。飛行場のローカルぶりさえポジティブな印象となって残っている。その印象が強すぎて肝心のドイツ旅行の記憶はほとんど残っていない。
ところで当時まことしやかに流布していた噂がある。
「アエロフロートソ連航空のパイロットの腕は世界一だ。なぜならここはふだん、ミグだろスホーイだろの戦闘機に乗っているスゴ腕軍人が本職の片手間に旅客機を操縦しているからだ。しかもアエロフロートの旅客機はボロなので取り扱いに細心の注意を払わないとすぐ墜落して命が危ない。これを落とさずに操縦できるのは世界でもソ連のエリート航空兵だけだ。」
これを「何を馬鹿な」とあながち一笑に付せなかったところが怖い。
次にモスクワ空港でも途中下車したのだが(せめて「トランジット」と言ってくれ)、そこを警備していた赤軍兵士が誰も彼も紅顔の美青年だったので驚愕した。そう思ったのは私だけではない。その旅行に参加していた同行の女性陣も結構、みな陰でヒソヒソ大騒ぎしていたから。それ以外にも旅行記などで複数の女性が、ソ連、特にモスクワの赤軍兵士はみな若くてハンサム、今の言葉で言えばイケメンだったと証言している。
そういえば、日本で誰かが「ソ連では国家の威信を示すためモスクワ空港やレーニン廟など外国人の目につきやすい場所には選りすぐった容姿端麗な赤軍兵士を配置した」と教えてくれたことがあるが、本当だろうか? でもそれを言うなら赤の広場で手を振っていた政府の要人の方がよほど外国人の目につきやすい位置にいたと思うのだが。モスクワ空港やレーニン廟にハベらせるために全ソ連からイケメンをかき集めているヒマがあったら、あのレオニード・ブレジネフ書記長のゲジゲジ眉毛をどうにかしたほうがよかったのではないか、とは思った。
いずれにせよ、ソ連が崩壊してからは兵士の見てくれも崩壊してしまった。まことに遺憾である。
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