アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

カテゴリ:ヨーロッパ > ドイツ

 ドイツの休日はほとんどキリスト教関係のものだが、10月3日は例外でキリスト教とは関係のないまさに国民の休日、「ドイツ統一の日」という祝日だ。 私がドイツに来たころはまだ住所も西ドイツで、この祝日は存在しなかった。

 東西ドイツ統一というと開放された(?)東ドイツが受けた恩恵が話にのぼることが多いが西ドイツにとっても立派に恩恵になっていると思う。一番得をしたのは旧西ドイツのスラブ語学者達かもしれない。 旧東ドイツの大学に備えてある垂涎もののロシア文学・ロシア語言語学の蔵書が自分達のものになったからだ。
 ドイツの大学は全部公立で、当時すでに全国の大学図書館はがっちりネット網で繋がれており、国内の大学のどこか一つにありさえすれば、欲しい本が自分の通っている大学の図書館を通して借りられた。手続きも全部オンラインだったからこちらもわざわざ大学に行ったりせずに自宅からログインして注文できる。本が送られてくるとメールで知らされるから(以前は葉書だった)、受け取るときだけ大学図書館へ出向けばいい。私も学生時代は時々コンスタンツやアーヘン大学など行ったこともない町の大学図書館から運ばれてきた本をM大学の図書館の貸し出し窓口で受け取った。私の時は一冊につき3マルク(後にユーロが導入されたので1ユーロ50セント)の手数料を払ったが、先日聞いてみたら20年以上経過した今でも手数料は1ユーロ50セントだそうだ。

 ついでに言えばドイツの大学は授業料が全部タダだった。私もなんだかんだで10年間くらいM大学にいたが、その間「入学金」の「授業料」のというケチなものはビタ1セント払っていない。一学期ごとに学生組合に80マルクだか90マルクだかを納めただけだ。
 何年か前、財政難を理由としていくつかの州で神聖たるべき大学が授業料などという下賤な金をとる暴挙に出たため、ドイツ中で議論が沸騰した。その授業料も一学期に600ユーロ、7万円という目の玉が飛び出るほどの大金だ。私の住んでいるBW州はドイツで2番目の金持ち州であるにもかかわらず授業料制を導入した一方、隣のRP州は貧乏でいつもピーピー言っているのに「大学はタダ」という原則を貫いた。もっともその金持ちBW州も何年か授業料をとってはいたものの、結局「教育の自由に反する」との批判が州内部からも起こって2年くらい前からまた無料に戻ってしまったが。
 実は授業料の話が持ち上がったのはかなり昔で、私がまだ学生だったころなのだが、一度あまり深く考えずに教室で「だって一学期500ユーロとかそんなもんでしょ?そのくらい払ったらいいじゃん」とうっかり口を滑らしたところ、周りから「君は教育の自由というものをどう考えているんだ」と総スカンを食らって驚いた経験がある。
 
 話がそれたが、その遠隔貸し出し制を利用して何冊か日本文学のロシア語訳を送ってもらったことがある。ソ連の本だ。あの、ソ連製の本特有の変な匂いのする紙の見開きに「ベルリン・フンボルト大学」とか「ドレスデン工科大学」とかいうハンコがボワーンと捺されていてすごい迫力。ドレスデン工科大学に至ってはその隣にбиблиотека №○○(図書館 番号○○)とかロシア語のスタンプがあるのはなぜだ?旧東ドイツでは大学の授業をロシア語でやっていたのか?それともこの本はモスクワ大学あたりから「いらねえやこんなもん」とか言われて東独に払い下げられて来たのだろうか?さすが東ドイツは「クレムリンの娘」とかなんとか呼ばれていただけはあるなとは思った。これらの本が出版された当時というとブレジネフとかチェルネンコ、アンドロポフが元気だったころではないか(中にはあまり元気でない人もいたが)。

 でも気にかかったのは見開きのハンコだけではなかった。内容というか訳そのものに「?」がついてしまったものがあるのだ。
 たとえば、井上靖の『おろしや国酔夢譚』のロシア語訳など、所々本文が一行抜かして訳してあったりするし、極めつけは以下の箇所。何年も何年もロシア国内を漂流しつづけた大黒屋光太夫が宰相ラックスマンの尽力でとうとう時の皇帝エカテリーナ2世に直接謁見して帰国嘆願し、事情を聞いた女帝が思わず「気の毒に」という言葉を洩らす、というちょっと感動的な場面だ。

日本語原文:

…すると女帝は、
「この書面に相違なきや」
と、書面をラックスマンの方に差し出した。ラックスマンは(…)
「まさしく、それに相違ございませぬ」
と言上した。
「可哀そうなこと」
そういう声が女帝の口から洩れた。
「可哀そうなこと、 ベドニャシカ」
女帝の口からは再び同じ声が洩れた。

ロシア語訳:

- Все в точности? - спросила императрица, протягивая бумагу Лаксману.
Лаксман ...
- Все в точности, ваше величество. - потвердил он.
- Бедняжка, бедняжка.- дважды прошептала императрица, гладя на Кодаю.


ロシア語訳の部分を日本語に再翻訳すると一応次のような意味になる。

「すべてこの通りなのですか?」
女帝はラックスマンに書面を差し出しながら聞いた。
「すべてこの通りです、陛下」
彼は繰り返した。
「可哀そうなこと、可哀そうなこと」
女帝は光太夫の方を見ながら二度つぶやいた。


ちょちょ、ちょっと「口から洩れた、もう一回洩れた」を「二度」とか勝手に足し算しないで欲しいのだが… それに、私は原文の日本語を読む限りでは「可哀そうに」と思わずつぶやいたとき、女帝は書面に目をやったままだったか、あるいは遠くに思いを馳せるかのように別の方を向いていたようなイメージなのだが、どうしてここで唐突に「光太夫の方を見ながら」とかいうト書きを創作するのだ?ひょっとして『おろしや国酔夢譚』には二種類バージョンがあるのか?まさか。この訳者は『おろしや国酔夢譚』の他にも井上靖の『闘牛』や『猟銃』を訳しているが、やはり所々省略や追加・変更が目立つ。
 もちろん変更の全てが悪いわけではない。例えば別の人が川端康成の『雪国』を訳しているが、しょっぱなの部分がこう変更されている。

日本語原文:

 国境の長いトンネルを越えると雪国だった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止った。

ロシア語訳:

 Поезд проехал длинный туннель на границе двух провинций и остановился на сигнальной станции. Отсюда начиналась снежная страна. Ночь посветлела.

汽車は二つの国の境のトンネルを通り抜け、信号所に止まった。そこから雪国が始まっていた。夜が明るい色になった。

上の例と違ってこちらはなぜ文章を変更したかわかる。ロシア語の言語構造、ディスコースの表現法に合わせたのだ。つまり自然なロシア語にするために必要だったのだろう。もっとも最初のセンテンスは英語訳のThe train came out of the long tunnel into the snow countryとそっくりだからひょっとしたら英語訳も参考にしたのかもしれない。

 しかし最初の例も決して「悪訳」とまでは言えまい。外国文学の日本語訳にはこれと比べ物にならないほどひどいのがある。
 
 それで思い出したが、昔森鴎外が訳したアンデルセンの『即興詩人』、あれを「原作よりも名文との評判が高い」と無責任に褒めているのを見たことがある。なぜ無責任かというと、比較の方法がはっきりしていないからだ。言語Aのテキストと言語Bのテキストを比較して文体とかスタイルの優劣を論じる資格があるのは、AB両言語が同等に話せ、書け、読めて評価出来る人だけ、つまり事実上バイリンガルだけではないのか?「原作よりも」というからにはこの人はきちんとデンマーク語の原文を読みこなして文体評価したんだろうな?まさか知り合いのデンマーク人にちょっとアンデルセンの原文テキストを見せ、「なかなかの名文だ」と言われたが、鴎外の日本語は「素晴らしい名文」である、「なかなか」と「素晴らしい」では「素晴らしい」のほうが程度が上だから鴎外の勝ち、とかそういういい加減な比較方法を取ったりはしなかったんだろうな?まさかのまさかでそもそもデンマーク語のほうに当たってさえ見なかった、比較検討さえしていない、なんてことはないですよね?
 翻訳というものを「原作の内容、ニュアンス、文体を出来るだけ忠実に当該言語に写し取ったもの」と定義すれば鴎外の訳は悪訳である。しかもドイツ語からの重訳という大きな減点がある。あれは翻訳ではない、リメーク、翻案である、というのならそれでいい。でもそれならそれでその原作でもない原作を比較に持ち出して「原作より名文」などと主張するのはアンデルセンに対して失礼だと思うのだが。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 何年か前、用があって住んでいるM市から電車で40分くらい南にあるGという町まで出かけた時のことだ。すでに何回か行っているので駅でボーッといつものようにいつもの電車を待っていたら駅のアナウンスで「今日は○○行きの路線(私の乗る電車だ)はすぐ隣のL駅までしか行きません」。そんなことを急に言われて困った。駅に張り紙とか立て札とか、日本だったら立っていそうなものが一切なかったのだ。 Lから先はどうすればいいんだ。
 聞き間違いかと思いながら電車に乗っていたら、「この電車は次のL駅で終点です。先へ行きたい方は一旦この電車を降りて駅での指示に従って代行接続路線をご利用ください」。こう言われれば誰でも、次の駅で降りれば脇に駅員が待機していて「はい、こちらです」とすぐ指示してくれ、代行列車がすでに待ち構えている、と思うに違いない。日本だったら。
 ところがさすがここはドイツだ。いざL駅に降り立っても全く見事に何の指示もない。見渡す限り電車もない。駅員さえ影も形も見えない。いったいどこへ行ってどうすればいいのか、仕方がないから他の乗客がゾロゾロ行くのに付いて行った。すると遥か向こうに何人か係員らしき人たちが立っている。
 私が問いただす前に隣のドイツ人のおじさんが私の言いたかったことを理路整然と述べてくれた。

おじさん:
「車内アナウンスによれば『指示に従って』ということだったが全く何もないじゃないか、また控えの電車もしくはバスが用意されているということだったが、それはいったいどこにあるんだ?」

係員:
「どちらまで行くんですか?」

おじさん: 
「B駅だ。バスが代わりに出ているのか?」

係員:(「えーっと」とか言いながら手元のアンチョコをめくりつつ)
「えーっと次のバス便は1時間後ですから、バスよりもここで待って、次の電車でS駅まで行き、そこでまた乗り換えて先に進んでください」

おじさん:
「何だと、すると別に特別控えの代行路線が用意されているわけでもなんでもなく、単に次の定期路線に乗れということか」

係員:
「そうです」

おじさん:
「いや~、素晴らしい手際の良さだ」

係員:
「私はここで乗客への質問に応えるべく待機しているだけですから、ドイツ鉄道の運営に苦情がありましたら、こちらへご連絡ください」(と何か書いたカードを渡そうとする)

おじさん:
「いらないよ、そんなもの」

(突然横合いから)私:
「私はGまで行きますからこの方と同じことをすればいいんですね」

係員:
「そうです」

 私が感心したのはこういうやり取りをしても全然喧嘩腰、というか険悪な雰囲気になっていなかったことだ。そのおじさんも言葉の剣幕は凄かったが人そのものは全然怒っている風ではなかった。変にヘコヘコしてなかった駅員も駅員でいい勝負だ。日本人だったら駅員に「その態度は何だ」とか言って摑みかかる人がいるのではなかろうか?

 で、私がそのままホームで次の電車を待っていたら後から来た人の何人かが手にパンフレットを持っている、見せてもらったら「レール取替え工事のため変更のある便名と代行便の一覧表」で、懇切丁寧に情報が記してある。
 こういうきちんとした仕事はさすがドイツだと思ったが、またそういうものがあるのにこちらから「くれ」と言わない限り配ってくれないところ、そもそも回りの主要駅の目立つ位置にこれが置かれていなかったところもいっかにもドイツらしい。私が係員の所に引き返してパンフレットをもらってきたら、今度はその私のパンフレットを見て「それはどこでもらえるんですか?」と他のドイツ人が次々に聞いてきたものだ。

 このL中央駅というのは実に鬼門で、鉄道のネットワークがそういう仕組みになっているのか、あたりで事故があったり電車が故障したりしてダイヤが乱れるとここにしわ寄せが来る。その後も、ここの駅で急に電車から降ろされたり、電車がここまで来て突然微動だにしなくなり30分以上も待たされたあげく、結局やっぱり電車から出されたりしたことが何回もある。極めつけは行き先から帰ってきて夜の10時にこの駅で電車が行き止まったことだ。例によって乗客は全員降ろされた。私の住んでいるところの駅からたった2駅前、しかもすでに街中になっていたからその2駅というのも山手線並に近い2駅だった。昼間なら歩いてしまったろうが、さすがに繁華街でもなく、高速道路が上を通っているもの寂しい道を夜の11時近くなってから歩くわけにもいかず、次の最終列車が来るまで小一時時間暗い駅のホームで待った。今まで気持ちよく暖かい電車に乗っていたところを私たちと一緒に寒い暗いホームに放りだされた酔っ払いのおじさんがあらん限りのデカい声で「なんだこのクソは。ドイツ鉄道は相変わらずクソだな。こんなところで止まりやがってこのクソめ」とクソを連発しながらドイツ鉄道を罵っていたが、それを聞いて私はつい心の中で拍手してしまった。

 また別の時も別の市電に乗っていたら駅と駅のど真ん中の野っ原で突然電車が止まり、20分くらい何のアナウンスもなかったことがあった。シビレを切らした乗客の一人が運転手のところに聞きに行ったら、「コンピューターの制御システムがダウンしました。いつ動き出せるか全くわかりません」。乗客が「私、○○時にM市で約束があるんですけどそれまでには着けるんでしょうか」と聞いたら堂々と「私には全くわかりません」。こちらから聞きに行かないと何も言ってくれないし、「すみません、ご迷惑をおかけします」の一言もない。何が技術大国だ馬鹿、と思ってしまった。

 それでさらに思い出したが、東日本大震災の際、津波に流された人が何日も漂流したあとやっと救助隊に発見されて、開口一番「すみません」と口を付いて出た、と聞いて笑い出したドイツ人がいる。どこがおかしいんだ、私だってわざわざ人が自分を助けに来てくれれば絶対「お世話をおかけしてすみません」と謝る。ところがドイツ人だとこの場合、「なんでこんなに見つけるのが遅かったんだ。もう少しで死ぬところだったじゃないか馬鹿野郎」と救助員を怒鳴りつけかねないそうだ。曰く、「なんで助けられて謝るんだ。人命救助が彼らの仕事だろう。彼らは仕事をしただけじゃないか。助けられたほうが謝るなんてまるでギャグだ、理解できない」
 もちろん日本語の「すみません」は純粋なI am Sorry やExcuse meより使用範囲が広く、thank youの領域にまで達していることは日本語の学習書などにも記してあるが、そもそも「ありがとう」と「許してください」を一つの表現形式が兼ねているというそのこと自体「理解できない」かもしれない。またこういう状況にいる自分を想像してみると、上でも述べたように「手間をかけさせて悪かった」という気持ちは感じると思う。「すみません」は単なる「ありがとう」ではない、やはり「ごめんなさい、面目ない」も兼ねているのだ。
 私からすれば、その「ごめんなさい」はおろか「ありがとう」もなしで「遅かったじゃないか」が口に出る発想のほうがよほど理解できないが、それまでの経験に照らし合わせてみるとドイツ人は確かにここで「すみません」などとは言いそうにない感じ。一方、わざわざ助けに来たのに罵られた救助員のほうも全然腹をたてたりしなさそうだ。日本人だったらせっかく来てやったのにそういう恩知らずな態度をされれば遭難者をまた海にかえしかねないが、ドイツ人の救助員ならそこであわてず騒がず、至極事務的に「私たちは○○隻の船で○○キロ四方の捜索を受け持っています。一日に捜索できる面積は一隻あたり○○平方キロメートルですから全域捜索するのに○○日かかります。今日は○○日目ですから許容範囲です。ご理解願います」とか説明しだしそうだ。

 とにかくこちらは変に空気を読まなくていいし、言いたいことをストレートに言っても後腐れがないので楽といえば楽なのだが、私は今後もこのメンタリティにはとてもついていけそうにない。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 もう何年か前の夏、今ほどテロの危険が差し迫っておらずEUが比較的牧歌的だったときのことだ。うちの真ん前で爆弾騒ぎが起こったことがある。地元の新聞にもしっかり載った。
 私がちょっと散歩に出て帰ってきてみたら道にロープが張られていて通行止めになっていたため、住んでいるアパートの入り口まで行くことができない。しかも警官がワンサといる。通ろうとするとお巡りさんにストップをかけられた。「すいません、私ここに住んでいるものでちょっと通してください」といって通してもらい、家に入ったはいいが、しばらくするとアパートの玄関先からお巡りさんが「ここの住民の方、速やかに避難してしてください」とメガフォンで告げるではないか。
 うちのすぐ向かいの建物の前で「不審物」(つまり爆弾の疑いがある、ということだ)が見つかり、周辺の住民は皆避難させているとのことだった。爆弾処理の専門家をわざわざシュツットガルトから呼ばねばならないので彼らがここに到着するまで何時間もかかるから、その間住民は外に「避難」させられたわけだ。うちのアパートばかりでなく、通りの住民は全員そとに出させられた。
 しかしまあ、私が帰って来たとき、荷物を調べられたりしなくてよかった。実は近所の土産物屋というか贈答品屋というか、きれいな花瓶や絵葉書などちょっとしたプレゼントを売っている店で子供がよく風呂に浮かべて遊ぶような小さな黄色いゴムのアヒルを買ってきていたのだ。もちろん自分用にだ。パソコンの脇に置こうと思ったのである。こんなもんをいい大人がビニール袋に入れてぶら下げているのを見つかるほうが爆弾を隠し持っているのよりよっぽど怪しいのではなかろうか。

 で、皆ゾロゾロ前の通りに出たのだが、以下は避難させられている間、アパートの住民間で無責任に交わされていた会話である。

「なんではるばるシュツットガルトなんかから処理班呼ばなきゃいけないんだ?ここにはアメリカ軍の基地があるんだからそいつらの方が得意だろうに。彼らに頼めばいいじゃんかよ」

「爆弾ってわざわざ避難する程の規模なんですかね? ヒロシマ爆弾じゃあるまいし。こうやって外に出てたりしたら破片とか飛んでくるだろうし、家の中に居た方がよっぽど安全と違いますか?」

「これがロシアだったらさ、住民の安全もクソもなくさっさと不審物にバズーカ発砲して『処理』していたところだな」

「もし爆弾が破裂しても崩壊するとしたら向こう側の建物で、私たちんとこは大丈夫だろう。 あっちでまあ良かったわ」

 もっともこういうことでもないと同じアパートの住人ともあまり顔合わす機会がないのも事実だ。そのうち「そういや○○さんは出てきませんね」とかいう方向に話が進み、ほとんど町内会の様相を呈して来た。 エンタテインメントか?
 さらにここは市電の走る一応大通りなのでひっきりなしに通行人が通り、通行止めになってしかも警官がウヨウヨしているのを見て「どうしたんですか?」と聞いてくる。そういう質問に対応するのが住民の仕事と化してしまった。ほとんどスポークスマンだ。
 中には私が「不審物が見つかったそうで爆弾かも知れないそうですよ」と説明すると「爆弾?この暑いのにナニを馬鹿な」とか意味不明なことをいって笑い出す人までいた。笑っている場合か。私のせいじゃないんだからこちらを嘲らないでほしい。

 結局(思っていた通り)「不審物」は爆弾などではなく、晩の8時ごろ町内会は解散となった。そのブツがせめて花火かなんかで「プスン」とか何とか音でも立ててくれればまだスリルがあったのだが、何事もなくて、まあ良かったというべきか、つまらなかったというべきか。
 しかし住民の誰一人として真面目に避難している者がいなかった。事故が起こると「事前に察知できなかった」とか「注意喚起が足りなかった」といって、後から警察だろ内務省を責める人がいるが、当事者の住民がこれでは絶対人のことなど言えない。警察のほうが一生懸命避難を呼びかけているのに当の住民が「この暑いのに何を馬鹿な」と鼻であしらっていて爆死した場合、非は警察にはない。

 しかし不真面目なのは爆弾騒ぎの時ばかりではない。

 実は私はノーベル賞を貰っている。嘘ではない。2012年のノーベル平和賞はEU市民に授与されたが、私はまさにそのEU国籍だ。授賞式には出させてもらえなかったのが残念だ。
 が、その肝心の受賞者、つまりEU市民が受賞の話を聞いて「第二次大戦以来、もう戦争はすまいと堅く心に誓って歯を食いしばって戦後処理をし、犬猿の仲だったフランスとの関係をここまで良好にしたドイツの努力がやっと認められた」とジーンとくるかと思いきや、聞いたドイツ人の第一声は「で、金は誰が受け取るんだ? シュルツか?」。シュルツとはドイツ人の政治家でEU議会の議長マルティン・シュルツ氏のことである。当時務めていた大学でも巡回メールが来て、「賞金は一人当たりだいたい0.2セントくらい」。そう、賞金をEU市民五億人で山分けするから一人当たりの取り分は雀の涙を通り越して限りなくゼロに近いのだ。それにしても皆お金のことしか考えていない。EU内にもこの「EUに平和賞」に批判の声が上がっていたが、むべなるかな。こんなに不真面目な市民にノーベル賞など与えてよかったのか?
 
 しかし一方私は今までいわゆる「賞」の類とは全く無縁のヘタレ・底辺人生を送ってきた。「賞」といえるものをとったのは小学校の時通わされていた四谷大塚進学教室とやらの模擬試験で一度理科の満点賞をとったのと、大学を卒業して働いていたとき社内のボーリング大会でブービー賞を貰ったのとの2度だけである。だから一度くらいはまた何らかの賞が取れて嬉しいとは思う。この際理由はなんでもいい、くれるものは貰う。国籍をこっちに移しておいてよかった。日本人のままでいたら私なんて絶対ノーベル賞なんかとは一生無縁のまま死んでいただろう。私の知り合いにやっぱりドイツ国籍を取った日本人がいるが、取得が数ヶ月遅かったので平和賞授与時点ではまだ日本国籍だったため賞は逃した。またクロアチア人の知り合いも、クロアチアのEU参入がノーベル賞の後だったのでやっぱり賞には間に合わなかった。ノーベル平和賞は早いもの勝ちである。
 しかし「これで履歴書の「資格・特技」の欄に「ノーベル平和賞」と記入できる!」と思いきや、考えたらこちら回り中ノーベル賞受賞者だらけだから全くインパクトがない。あまり得にもなっていないのが悔しいところだ。

下の写真は町の新聞Mannheimer Morgen紙が当時そのウェブサイトで提供していたものである。石作りの私たちのアパートは写っているが、私は幸い写っていない。
image1

image2

image3

image4

image5

image6

image7

image8


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 しばらく前に何かのドキュメンタリー番組でドイツのお巡りさんが一人紹介されていた。このお巡りさんは子供の頃両親に連れられてペルーから移住してきたので、ドイツ語とスペイン語のバイリンガルだそうだ。
 ある晩、同僚と二人組みでフランクフルトの中央駅周辺をパトロールしていたら、不案内そうな外国人が(たどたどしい)ドイツ語で道を尋ねて来た。そのお巡りさんは即座にそのドイツ語がスペイン語訛であることを見抜いてすぐスペイン語に切り替え、

「お客さん(違)、ひょっとしてスペイン語話すんじゃないですか?」

突然ドイツのお巡りさんから母語でそう話しかけられた時のその外国人の嬉しそうな顔といったら!
 その後の会話はスペイン語だったのでTVではドイツ語字幕が入った。

「そそそ、そうですよ。お巡りさん、スペイン語話すんですか?」
「話すも何も、母語ですよ。私はもともとペルーの出でね。そちらは?」
「えーっ、ラテンアメリカなの?! 私エクアドルですよー」
「えーっ、じゃあ、隣りじゃないですか」

ここで二人はポンポン肩を叩き合う。

「すごいなあ、ペルーから来てドイツ人になって公職に付く事なんて出来るんですか。」
「んなものは、出来ますよ、普通にやってれば。ところでここら辺は危ないし、道違うから早くあっちに行った方がいいですよ。」

その外国人が後ろを振り返り振り返り向こうに行ってしまうと、お巡りさんは隣の同僚と普通にドイツ語で話始めた。スペイン出身だとか親がスペイン人だからドイツ語とのバイリンガル、という人は時々見かけるが、ペルーからの移民というのはたしかにちょっと珍しい。

 そういえば、姉が中国現代文学の翻訳をしているのだが、その姉が以前送ってくれた雑誌に載っていた中国の短編の一つがこういう話だった: 中国吉林省出身の若者、つまり朝鮮民族の中国人が韓国に出稼ぎに来て休日に「とても気さくで親切な」老人と会い、話がはずんだ。老人の韓国語にどうも訛があるな、と思ったら韓国に住んでいる日本人だった。老人の方も老人の方で、この人の韓国語はどうも韓国の韓国人と違うな、と思っていたら中国出身だった。

 こういうちょっとした話が私は好きだ。

 ところで、「バイリンガル」という言葉をやたらと安直に使う人がいるが、実は何をもってバイリンガルと定義するか、というのは結構むずかしいのだ。「母語が二つある人」、つまり両方の言語を言語獲得年齢期にものにした人、と把握されることが多いが、大抵どちらかの言語が優勢で、完全にバランスの取れたバイリンガルというのはむしろ稀だ。たとえ子供のころにある言語を第一言語として獲得してもその後失ってしまった場合、その人はバイリンガルなのかモノリンガルなのか。いずれにせよ、単に「二言語話せる」程度の人などとてもバイリンガルではない。「俺は学校で英語を習ってしゃべれるからバイリンガル」と言っていた人がいるが、どんなにペラペラでも母語が固まってから学校などで習った言語は母語ではないからこの人は立派なモノリンガルなのではないか。
 私は簡単に「バイリンガル」という言葉を使われると強烈な違和感を感じるのだが、これは私だけの感覚ではない。知り合いにも生涯の半分(以上)を外国で過ごし、日常生活をすべて非日本語で送り、お子さんたちとも母語が違う人が結構いるが、その方たちも口を揃えて「私はバイリンガルとは程遠い」と言う。これが正常な言語感覚だと思うのだが。

 そもそも「何語が母語か」「何語を話すか」という問い自体が本当はすごく重いはずだ。例えばカタロニア語を母語とする人はスペイン語とのバイリンガルである場合がほとんどだが、「母語はスペイン語でなくあくまでカタロニア語」というアイデンティティを守りたがる人を見かける。以前もドイツのTV局の報道番組でバルセロナの人がインタビューされていたのだが、「スペイン語を使うくらいならドイツ語で話そう」といってレポーターに対して頑強にタドタドしいドイツ語で押し通していた。その人はスペイン語も母語なのにだ。
 かなり前の話になるが、私も大学のドイツ語クラスでバルセロナから来た学生といっしょになったことがあるが、この人は「どこから来たのか」という質問に唯の一度も「スペインです」とは答えず、常に「バルセロナです」と応答していた。「ああスペインですね」といわれると「いいえ、バルセロナです」と訂正さえしていたほどだ。
 さらに私が昔ロシア語を習った先生の一人がボルガ・ドイツ人で、ロシア語とドイツ語のバイリンガルだったが、「スターリン時代はドイツ語話者は徹底的に弾圧された。『一言でもドイツ語をしゃべってみろ、強制収容所に送ってやる』と脅された」と言っていた。スターリンなら本当にそういうことをやっていたのではないだろうか。
 つまり「バイリンガルであること」が命にかかわってくることだってあるのだ。

 言語というのは本来そのくらい重いものだと私は思っている。安易に「私は○○弁と共通語のバイリンガル」などとヘラヘラふざけている人を見ると正直ちょっと待てと思う。「方言」か「別言語」かは政治や民族のアイデンティティに関わってくる極めてデリケートな問題だからだ。逆にすぐ「○○語は××語の方言」という類のことをいいだすのも危険だ。
 これもまたカタロニア語がらみの話だが、あるとき授業中に「カタロニア語?スペイン語の方言じゃないんですか?」と堂々と言い放ったドイツ人の学生がいて、周り中に失笑が沸いた。ところが運悪く教室内にカタロニアから来た学生(上の人とは別の人である)がいたからたまらない。自分の誇り高い母語をノー天気な外部者に方言呼ばわりされたその人はものすごい顔をして発言者を睨みつけた。一瞬のことだったが、私は見てしまったのである。

 別に私はカタロニア語の回し者ではないが、やはり「スペイン語」という名称は不適当だと思っている。自分でも「スペイン語」という通称を使ってはいるが、これは本来「カスティーリャ語」というべきだろう。さらに、「カシューブ語はポーランド語の方言」、「アフリカーンス語はオランダ語の一変種」とかいわれると、全く自分とは関係がないことなのに腹が立つ。もちろん私如きにムカつかれても痛くも痒くもないだろうが、そういう人はいちどバルセロナの人に「カタロニア語はスペイン語の方言」、ベオグラードのど真ん中で「セルビア語はクロアチア語の方言」と大声で言ってみるといい。いいキモ試しになるのではないだろうか。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 ドイツでは国歌を斉唱したりすることがあまりない。もちろん学校行事で歌うことなどないしそもそも「学校行事」などというものがほとんどない。国旗を掲げたりもあまりしない。ベルリンの国会議事堂なんかにはかろうじて国旗が揚がっているが、地方裁判所になると立ててあるのは州旗である。
 昔フライブルク・バーゼル経由でチューリヒに行こうとして電車に乗っていたところ、パスポートのコントロール(当時はまだ東西ドイツがあったし、EUでなくECだったのでスイスとの国境でパスポートのチェックがあったのだ)に来た警察官のおじさんが雑談を始めて、「スイスに行くんですか。でもシュバルツバルトも見ていくといい。フライブルク、チューリヒ、あとミュンヘンやオーストリアの住人って一つの民族なんですよね。言葉も同じ、文化も同じ、一つの民族なんだ」と言っていた。つまりこの南ドイツの警察官のおじさんにとってはオーストリア・スイスのほうが北ドイツ人より心情的に「同国人」なのだ。一方北ドイツ人も負けていない。「フランクフルトから南はもうドイツ人じゃない。半分イタリア人だ」「バイエルン訛よりはオランダ語の方がまだわかる」などといっている人に遭ったことがある。かてて加えてドイツ国内にはデーン人やソルブ人などの先住民族がいる。後者は非ゲルマン民族だ。こういうバラバラな状態だから国旗なんかより先に州旗が立つのだ。ドイツでいい年の大人が国歌を歌ったり国旗を振り回したりするのはサッカーの選手権のときくらいではないだろうか。時々これでよく一つの国にまとまっていると不思議になるが、国歌斉唱などしなくてもドイツという国自体は非常に堅固である。

 日本では時々小学校、ひどい時には大学で国歌を斉唱させるさせないの議論になっているが、そんなことが国家の安定とどういう関係があるのかいまひとつよく理解できない。理解できないだけならまだいいのだが、小学校の式で国歌を歌わせる際、教師や生徒が君が代を本当に歌っているかどうかを校長がチェックするべきだ云々という報道を見たことがあり、これにはさすがに寒気がした。中年のおじさん教師が10歳くらいの子供の口元をじいっと見つめている光景を想像して気分が悪くなったのである。
 子供たちもこういうキモいことをされたら意地でも歌ってやりたくなくなるだろうが、相手は生殺与奪権を持つ大人である。せいぜい口パクで抵抗するしかない。しかしこの「口パク」というのは結局、実際に音が出ないというだけで頭の中では歌っているわけだから相手に屈したことになる。それではシャクだろうからいっそ君が代を歌っていないことがバレない替え歌を歌うという対抗手段をとってみてはいかがだろうか。

 まず、「バレない替え歌の歌詞」の条件とは何か、ちょっと考えてみよう。

 第一に「母音が本歌と揃っている」ということだ。特に日本語のように母音の数が比較的少ないと、アゴの開口度が外から見て瞭然、母音が違うとすぐ違う歌詞なのがわかってしまう。
 もう一つ。両唇音を揃える、というのが重要条件だ。摩擦音か破裂音かにかかわらず、本歌で両唇音で歌われている部分は替え歌でも両唇音でないといけない。両唇音は外から調音点が見えてしまうからだ。具体的にいうと本歌で m、b、p だったら替え歌でも m、b、p になっていないとバレる。ただしこれは円唇接近音でも代用が利く。円唇の接近音は外から見ると両唇音と唇の動きが似ているからだ。で、m、b、p は w で代用可能。逆も真なりで本歌の w を m、b、p と替え歌で代用してもバレない。
 あと、これはそもそも替え歌の「条件」、というより「こうありたい」希望事項だが、母音は揃えても子音は全て変えてみせるのが作詞者の腕の見せ所だ。音があまりにも本歌と重なっていたら、替え歌とはいえないだろう。少なくともあまり面白くない。

 これらの条件を考慮しつつ、私なりに「バレない君が代」の歌詞を作ってみたらこうなった。

チビなら相場。ひとり貸し置き。鼻毛記事をヒマほど再生。俺をぶつワケ?

君が代の歌詞を知らない人・忘れた人、念のため本歌の歌詞は次のようなものだ。比べてみて欲しい。母音が揃っているだろう。

君がぁ代ぉは 千代に八千代に さざれ石の巌となりてぇ 苔のむすまで

4点ほど解説がいると思う。

1.本歌では「きみがぁよぉわぁ」と「が」を伸ばして2モーラとして歌っている部分を替え歌の方では「なら」と2モーラにした。もちろん母音はそろえてある。

2.同様に本歌で「よぉ」と2モーラに引き伸ばしてあるところを「そう」と2モーラにした。「そう」の発音は[sou]でなく[so:]だからこれでOKだと思う。

3.「再生」の「生」は実際の発音も「せー」、つまり [sei] でなく [se:] だから本歌の「て」の代わりになる。

4.ここではやらなかったが、「再生」、つまり本歌の「なりて」の部分は「かんで」でも代用できる。ここの/n/(正確には/N/)の発音の際は後続の「え」に引っ張られて渡り音として鼻母音化した[ɪ] (IPAでは ɪ の上に ˜ という記号を付加して表す)が現われ、外から見ると非円唇狭母音「い」と同じように見えるからだ。「再生」より「噛んで」の方がワザとしては高度だと思ったのだが、「ヒマほど噛んで」では全く日本語になっておらず、ただでさえ意味不明の歌詞がさらにメチャクチャになりそうなので諦めた。

 こんな意味不明の歌詞では歌えない、というご意見もおありだろうが、文語の歌詞なんて意味がとれないまま歌っている子供だって多いのだから、このくらいのシュールさは許されるのではなかろうか?私だって子供の頃「ふるさと」の歌詞を相当長い間「ウサギは美味しい」と思っていたのだから。
 そんなことより大きな欠陥がこの替え歌にはある。児童が全員これを歌ってしまったら結局バレてしまうということだ。その場合は、「先生、私はちゃんと君が代の歌詞を歌っていましたが周りが皆変な歌詞を斉唱していました。」と誤魔化せばいい。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 ドイツはイギリスあるいはアメリカと違って議会政党の選択肢が二つ以上ある。民主党か共和党のどちらか、労働党か保守党のどちらかという二項対立ではないのだ。もちろん二者選択が基本となっている国だって別に政党は二つまでと決められているわけではない。二大政党以外の党や無党派の比重が前者に比べて極端に低く、事実上二者選択となっているだけだ。
 二大政党そのものはドイツにもある。CDU(とその姉妹党CSU)(それぞれ「ドイツキリスト教民主党」と「ドイツキリスト教社会党」)とSPD(「ドイツ社会民主党」)で、前者が保守、後者が革新である。しかしその他にも強力な政党があり政治を左右する。昔はどちらかの大政党が単独で議席の過半数を取るのが基本だったらしいが、少なくとも私が選挙権を取った頃にはすでに「単独過半数は政党の夢」となっていた。大政党といえども他のどれかの党と連立しなければ過半数は取れないことが普通になっていたのである。
 保守CDUが通常連帯するのがネオリベのFDP(「自由民主党」)、そしてSPDはBundnis90/ DieGrünen(「同盟90・緑の党」)とくっつくのが基本である。その他にDie Linke(「左翼党」)という共産系の党がある。東独から引き継がれてきた党で、投票者も大半は旧東独住民、その意味では「地域限定の党」だ。その他極右や(こういっちゃ何だが)よくわからない泡沫政党が時々急に浮上して議会に参加することがあるが、ドイツの主な政党はCDU/CSU、SPD,FDP,Die Grünenの四つといっていい。
 これらの政党にはシンボルとなる色が決まっている。CDUは黒、SPDは赤、FDPは黄色、Die Grünenは文字通り緑である(もっとも弱小政党もシンボル色を決めてくることが多い。一時議会に顔を見せたが、今はほとんど見かけない「海賊党」は橙色、極右のAfD(「ドイツのもう一つの道」)は青、そしてDie Linkeは「濃い赤」ということでやや紫がかった赤で表される。なぜかピンク色になっていることもある)
 そのため連立政権は色の名を使って呼ばれることが多い。CDUFDP連立の保守政権は黒黄連立政権(schwarz-gelbe Koalition)、SPDDie Grünenだと赤緑連立(rot-grüne Koalition)だ。上でも述べたようにこの二つの組み合わせが基本形というか「基本のコンビ色」である。
 しかし時々二大政党がどちらも票を落とし、いつもの相棒と組んでも過半数に達しないことがある。あるいは相棒のほうが壊滅して大政党が立ち往生してしまったり。そういう時は二大政党が連立を組んだりもする。このCDUSPD連立は黒赤連立と呼ばれないこともないが、大抵は大連合(große Koalition、略して groko)という。
 実はこの大連合は「最後の手段」なのである。もともと政策や政治理念の反対な党が連立するわけだから、足並みがそろわないことが多い。いろいろ調整しなければならないことが出てきて党内部でも意見が分裂したり、妥協妥協の連続で法案が骨抜きになったりする。だから票が取れなかったときは大連合は避けて、いつもの相棒に加えてさらに向こう側の相棒を引っ張り込んで三党連立という手をとることもまれではない。それら「非大政党」、つまりFDPにしろDie Grünenにしろ別にCDUやSPDと組まなければいけないと法律や契約で決まっているわけではないから、政権を取れるとなればいつもの相棒に義理だてなどしない。大政党が選挙で第一党になりながら、連立相手に断られて過半数が取れず、第二党・第三党・第四党が連立を組んで政権をとることさえある。とにかくドイツは選挙のあとの連立作戦が面白く、選挙そのものよりよほどスリルがある。この楽しみのないアングロ・サクソン系の国の選挙はさぞ退屈だろうと思うくらいだ。
 
 その三党連立であるが、こういう事態はいわばイレギュラーなのでインパクトが強いためかその呼び方がまた面白い。単純に色では呼ばないのである。例えばSPDFDPDie Grünenの連立は赤・黄色・緑で信号連立(Ampel-Koalition)。でもこれなんかはまだ平凡な命名だ。
 
 CDUFDPDie Grünenの三党連立は黒・黄・緑で、前は黒信号連立(schwarze Ampel 、シュヴァルツェ・アンペル、略してシュヴァンペルSchwampel)と呼ばれていたが誰かがこれをジャマイカ連立と命名して以来、この名前が主となった。この色の組み合わせをジャマイカの国旗に見立てたのである。
svg


 先のザクセン・アンハルト州選挙ではCDUSPDDie Grünenが連立を組んだが、これはケニア連立と呼ばれる。
svg


 またCDUSPDFDPが連立すればドイツ連立だと誰かが言っていたが、実際にこういう連立になっているのを見たことがない。声はすれども姿は見えずといったところか。しかもドイツの国旗の一番下は本当は黄色でなく金色なのだから、この命名は不適切ではないのか。むしろベルギー連立と呼んだほうがいいだろう。
svgsvg

左がドイツ、右がベルギーの国旗だが、ドイツの一番下の色は黄色でなくて実は金色(のはず)である。

 実は上の信号連立にも国旗に例えた名前がある。まさか「呼び名が面白くないから」という理由でもないだろうがセネガル連立またはアフリカ連立という言い方もあるそうだ。私は知らなかった。後者はこの三色を国旗に使っている国がアフリカに多いからだろう。

 私の住んでいるバーデン・ヴュルテンベルク州では前回の選挙でなんと緑の党が第一党になり(私はここに入れた)同時に大政党のSPDのほうが壊滅したため、緑の党CDUと連立を組んだ。三党連立ではないが、緑と黒の二色連立、しかも前者が第一党というのは極めてまれな現象だったのでさらに話題性が強く、通常のように色では呼ばれず、キウイ連立という名称が考え出された。果物のほうのキウイである。全体が緑色の実の中にポチポチと黒いタネがあるからだ。

 SPDFDPの連立というも見たことがないし、今後も起こりそうにないがこれはなんと呼んだらいいのか。マケドニア連立とでも呼びたいところだが、「マケドニア」という国名を使うことをEU仲間のギリシアが頑強に反対しているので旧ユーゴスラビア・マケドニア連立と呼んでやらないとまずそうだ。これでは長すぎるので中国連立あたりにしておいたほうがいいかもしれない。
svgsvg

左がマケドニア、右が中国。SPDとFDPとの連立ならば多分SPDが第一党になるだろうから赤字に黄色が少し、という意味で「中国連立」と命名したほうがいいかもしれない。


 中国・マケドニア連立よりさらにあり得ないのはFDPDie Grünenとの連立である。でもひょっとしたらバーデン・ヴュルテンベルク州でそのうち本当に実現するかもしれない。万が一こういう連立が誕生してしまったら菜の花連立あるいはたんぽぽ連立とでも名付けるしかない。まあ春らしくて明るいイメージの政権ではある。

 なお、上で述べたザクセン・アンハルト州では選挙の直後連立問題が非常にモメ、一時CDUDie Linkeが連立するという噂が立ったことがあった。保守の側ではこれを密かにハラキリ連立と呼んで反対する党員が多かったそうだ。幸い、といっていいのかどうかこのハラキリは成立せず、めでたくケニアになったのであった。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ