先日やっと無償期間とやらが終了してくれたのでウィンドウズ10へのアップグレードがお金を払わなければパスできるようになった。あちこちから「やれやれ」という声が聞こえてくるのだが、これは私の周りだけなのだろうか。そもそも「金を払わなければパスできる」としか表現できないこと自体がすでにおかしい。普通なら「お金を払うからそれちょうだい」というはずだ。

 このウィンドウズ10というOS,一年ほど前からアップグレードを勧めるやたらとウザイ画面がパソコンに湧いてくるようになった。実は私はいまだに恐竜百万年時代のXPを使っているので私のパソコン自体は見捨てられていて、このポップアップ幽霊は出てこなかった。それまでは「そんなものもう捨てろよ」と馬鹿にされながらXPを使っていたのだが、まさか今頃になって「ああ、XPを使っていてよかった」などと思える日が来ようとは。対して家の者が使っているもう一台のほうは運悪く7搭載だったため「ウィンドウズ10のすすめ」がうるさかったのなんの。最初は単にウザイだけだったが、そのうちに文面が脅迫じみてきた。極めつけは最後の2ヶ月頃に登場し始めた必殺ポップアップで、「アップグレードをしますか、しませんか?」という選択肢ではなく、「いつアップグレードするんですか?今すぐですか、○日○時ですか?」という「イエス」か「はい」かの選択肢しかなくなった。しかもそこで×を押しても拒否したことにならず、水面下で密かにダウンロードが進行していて、その○日○時に突然全く身に覚えのないアップグレードが始まってパソコンが硬直するという恐怖。そしてアップグレード終了後は従来のソフトがいくつか使えなくなるという、ほとんどウイルスである。
 私はそういう話をネットや実話で聞いていたので、ある日うちでもとうとうその「今か○日か」という画面が現れた時パニックに陥った。聞けばアップグレードを無効にすることはできるし、運悪くアップグレードを食らってしまった後でもイヤならもとの7に戻せるそうだ。しかしその「無効にする」「7に戻す」操作をスラスラやれるほど私たちは機械に詳しくないのだ。それでも何とかアプグ拒否方法を(XPのパソコンで)ネット検索してやり方を覚えようとアタフタしていたら、7の持ち主はあっさりさるコンピューター雑誌のサイトからZwangs-Update-Killerとかいうプログラムをダウンロードしてきて10を阻止した。Zwangs-Update-Killerとは「強制アップデートキラー」という意味である。もの凄いネーミングだ。もうちょっとマイルドな名前にすることはできなかったのかとは思ったが、アメリカでもNever10という名前の阻止プログラムが出回っていたそうだからいい勝負だ。
 そのキラープログラムを走らせて見ると、すでに何GBかは10が侵入していたことがわかった。自覚症状はなくても保菌者ではあったわけだ、それにしても除去プログラムが出回るOSというのを見たのは私も初めてだ。

 この10騒ぎは日本のソーシャルメディアでも大きな話題になり、被害者の声が続出していた。止めてくれコールが起こる一方で、そういう一般ユーザーを批判する、というか罵る声もあった。要約すると「お前ら本当に無知だな。こうこうこうやればアプグくらい簡単に阻止できるんだよ。そんな操作もできない馬鹿がパソコンなんて使うなよ」という意見である。また、どこかの中小企業がいまだに7を使っていたため、アプグされて業務関係のプログラムが動かなくなったのを見て、「いやしくも企業ならそのくらいきちんとしとけよ」とセセラ笑う声もあった。
 『24.ベレンコ中尉亡命事件』でも述べたように私もその手のメンタリティは心の中に持っているのでわかるのだが、まあこういう人たちはたまにちょっと知っていることがあると鬼の首をとったような気になり、知らない人を馬鹿にしてみせてこちらが偉くなったような気分にひたりたいのだろう。普段の劣等感のはけ口だ。それが証拠にというとおかしいが、パソコンのサポートセンターの人とか大学の工学部の人、つまりプロの人たちは発言がずっと穏健で「こうすれば阻止できますよ」以上のことは言わなかったではないか。
 繰り返すが私はそういう、ここぞとばかり的な人たちの気持ち自体はわかる。わかるのだが残念ながらここでの問題の本質は10の押しつけの阻止方法を知っているかいないかとか知っているオレ様は偉いとかいうことではないのだ。

 ドイツ語にgesundes Mißtrauen(ゲズンデス・ミストラウエン)、あるいはder gesunde Menschenverstand(デア・ゲズンデ・メンシェンフェアシュタント)という言葉がある。それぞれ「健全な不信感」、「人間の健全な理解の仕方」という意味だ。後者は辞書には「良識」とあるが、これだとちょっとニュアンスが違うようだ。Der gesunde Menschenverstandというのはもっと単純に普通の人が普通にする理解である。『27.ベンゾール環の原子構造』の項でも述べたように辞書の訳は時々意味がややずれていることがあるので注意を要する。
 さて、自分がまだよく知らないものを「ダンナ、これいいですよ、お安くしときますよ、買いなさい」といわれても普通はホイホイその場で買ったりせずに時間を置く。未知のものにはとりあえず警戒心をいだく。あまりうまい話を聞くと何か裏があるんじゃないかと一瞬怪しがる、こういうのが「健全な不信感」である。
 マイクロソフトはもちろんブラック企業などではないが、その目的は結局金儲けである。ましてやアメリカの企業というと特に利益優先、ペイしないことはやらないというイメージがある。それがタダで新しいOSを提供すると言い出したりすれば「健全な」神経を持った人は裏で何かたくらんでいるんじゃないかと疑心暗鬼になる。7や8をサポートするのはメンド臭いから全員に10にしてもらったほうが会社に好都合なのかな、などという疑念はまだ序の口、密かに個々のパソコンにトロイの木馬よろしく侵入し、顧客データを集めて内務省にでも売るつもりなのか、この先金を払わないとパソコンを使えないようにするぞという方向に事を持ってくるつもりなのかと本気で戦々恐々としている人だっていた。果ては「やっぱりマイクロソフトは怖い。今の7が死んだらLinuxにしよう」。
 会社側だって馬鹿じゃないのだから、新しいOSを強引に押し付けようとすればユーザーの相当数がこういう反応をするであろうことなど予想していたはずだ。それをあえてこういう戦略に出たのはどうしてだろう。「健全な不信感」は下手に健全なだけにしつこく心の中に巣食うのである。その意味で、「阻止方法を知っている偉いオレ様」連は問題の本質が見えていない。そもそもOSのアプグを拒否する方法を知っていることが自慢話になりうること自体異常だ。何も知らなければアプグされないのが普通ではないのか。

 もう一点「健全な」顧客が嫌がったのは「私が買ったのは7である。自分で納得して自分で選んで7を買った。10にするのだって自分で納得して自分で選択するのなら金くらい出すから今は放っておいてくれ」という事情を無視されたことだろう。ある意味では禁治産者扱いされているのだ。子供のころ、いや大人になってからでも自分でなんとかやろうとしているのに脇からやいのやいの頼みもしないのに口を挟まれたり手を出されたりして「うるさい!自分でやるから放っておいてくれ!」と怒鳴ったことなど誰にでもあるだろう。あの感覚である。こちらが金を出して何かを買うからには選択権はこちらにある、これが「人間の健全な理解」である。
 するとここでもオレ様が口を出し、「7を買ったんじゃないんだよ。7の使用権を買ったんだ。契約書にそうあるはずだ。だからいきなりOSをアプグされても文句は言えないはずなんだよ。わかってないなあ、馬鹿だなあ」。
 オレ様たちはgesundes Misstrauenをもつ人たちが契約書というもの一般に抱いている不信感をご存じないらしい。保険会社や旅行会社(の一部)が顧客が気づかないように契約書の隅に小さく重要な注意事項を記し、あとから顧客がクレームをつけてもこれを盾にとって「読まなかった馬鹿が悪い」と知らん顔をするなんてのは常套手段、いかにまずい点をボカして契約・商品の見てくれをよくするかというのが企業側の契約書作成者の腕の見せ所である。そういう煙に巻くプロを相手にしたら一般ユーザーには勝ち目などない。もちろんまさかマイクロソフトが意図的にそんなことをやるとは思えないが、これがユーザーの一般感情であろう。
 つまり契約書を一語一句検討しなかったユーザーを馬鹿扱いするオレ様たちは、ひょっとすると普段そういう仕事をしている人なのかな、日常的に人をハメて喜んでいるタイプの人たちなのかな、と「健全な」人たちはオレ様たちの人間性に対しても不信感をいだく。やはり自慢する時は素直に自慢だけにとどめておいたほうが良さそうだ。「オレは10の阻止方法を知ってるんだ、どうだ偉いだろう」とだけ言っておけば「わあ、凄いね。でも問題の本質はそこじゃないんだよね。」と自慢は一応受け止めてもらえるが、「オレは10の阻止方法を知っているんだ。知らないお前らは馬鹿だ」とか言ってしまうと「でも問題の本質はそんなとこじゃないんだよ。馬鹿はどっちだ」と、自慢が機能しないばかりか反対に罵倒がブーメランになって自分に跳ね返ってくるからだ。ペイしないとはまさにこのことだ。
 しかしここで勉強になったのは自慢の仕方よりもgesundes Misstrauenとder gesunde Menschenverstandというドイツ語の冠詞の使い方である。ネイティブ確認をとったところ、前者は冠詞なしだが、後者には冠詞がいるそうだ。「どうして?」と聞いたら「Misstrauenは砂糖とかといっしょでブワブワした存在だが、Menschenverstandは確固とした観念だから定冠詞がいるのだ」というブワブワした説明をされた。こういう部分はやっぱりネイティブにしかわからないのかも知れない。

 さて、この10騒動ではそのgesundes Misstrauen、der gesunde Menschenverstandのほかにも口に上った言い回しがある。Augen zu und durch(アウゲン・ツー・ウント・ドゥルヒ)というものだ。「眼を閉じて通り抜けろ」という意味で、なにか不愉快なこと、面倒なこと、嫌なことをやらなければいけなくなったとき、グジグジ考えたり、うろたえたり、立ち止まったりしないでとにかく最後まで堪えろ・やりぬけ、といいたいときに使う。
 例えばある法案を通したい政治家が、反対政党などの猛烈な攻撃が予想されて泥沼になりそうなとき、Augen zu und durchといって自分自身にハッパをかけたりするのである。英語ではこれをなんというのか調べてみたら、いくつか対応するイディオムがあるらしい。

Press on regardless!
Grit your teeth and get to it!
Take a deep breath and get to it!

 上述の待ったなしポップアップが初めて出現した時、上述の7の所有者は最初、「こうなったらこれから2ヶ月間はこのラップトップを使わないでアプグ期間終了まで堪えるしかないかな。苦しいけどAugen zu und durch」。それじゃまるで苦行僧じゃないか。なんで金を払ったほうがそんな苦労をしなければいけないんだ、と私が言いかけたら向こうもどうやら考え直したらしく、「このOS、迷惑がっている人がこんなにたくさんいるんだからコンピューター雑誌あたりがサービスとして何か対策を提供しているに違いない」と、専門雑誌のサイトに行き、そこで上述のOSキラーを見つけたのである。こういうのがder gesunde Menschenverstandである。

 それにしてもウィンドウズ10自体はよく出来たOSのようで、評判も悪くない。あんな押し売り行為さえしなければ皆速攻ではないにしろ結構すんなり10に変えていったはずだ。しかもその際お金を払ったはずだ。なぜあんな嫌われるようなことをわざわざやったのか、どうしても健全な理解ができない。会社のマネージャーは北風と太陽の話を知らないのか? それとも理解できない私たちはビョーキなのか?

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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