前回の続きです。
形態素を付加して丁寧語を作るのがパターン8だが、その機能を担うのは接頭辞の「お」または「ご」である。尊敬語と謙譲語でも、形態素を付加して作るパターン(それぞれ2と5)では動詞マス語幹や合成動詞の名詞部の前に「お」や「ご」が現れるが、私はこれと丁寧語の「お」、「ご」とは現れ方に決定的な違いがあると思っている。尊敬語、謙譲語では「お」(「ご」)のない形は許されない。「お読みになる」(尊敬)、「お読みする」(謙譲)のみ可能であって「*読みになる」、「*読みする」は非文だ。それに対して丁寧語の「お」はそれにない中立形が存在する。「お寿司食べる?」→「寿司食べる?」、「お水を頂戴」→「水を頂戴」、どれもOKである。言い換えると当該形態素が尊敬謙譲で動詞に、丁寧語には名詞に作用するということだ。さらに丁寧語の「お」は形容詞にもつく。「おきれい」「お忙しい」「お寒い」などだ。「お馬鹿」も本来は丁寧語である。『198.日本語の形容詞』でも述べたように形容詞はイ・ナ共に「用言」で動詞の仲間だ。それでもこのように名詞と同様丁寧語の接頭辞が付加され得るあたり、印欧語ほどではないがやはりちょっと名詞寄りである。
さて、接頭辞が「お」になるか「ご」になるかはよく議論される話題だが、基本的に漢語は「ご」、和語は「お」を取る。もちろんこれはあくまで原則であって、例外もあるし、個人によって違いもある。「寿司」はさすがに「ご寿司」という人はいないだろうが、「誕生」は「お誕生」「ご誕生」のどちらも可能だし、「食事」は漢語のくせに普通は「お食事」だ、反対に「ゆっくり」は和語のくせに「ごゆっくり」となる。ただ『問題な日本語』という本によると「ご食事」や「おゆっくり」を使う人もそれぞれ1%ほどいるそうだ。「お」も「ご」も両方使うという人はもっといる。さらに私は専ら「お予算」といっていたが、これは全体の4%弱にすぎず、83%が「ご予算」を使うと知って驚いた。両方使う人が一応13%強いるそうなのでまあ救われたが。
また言うまでもないことだが、漢語以外の外来語にはこのパターンは使えない。「おビール」などと発言する人は「ビール」が外来語であることを知らないか、パターン8の制限規則を知らないか、どちらにしても日本語能力に問題のある人だろう。もっとも和語にも「お」を取れない語は多い。「おさる」や「お馬」、「お空」はいいが、「おアヒル」「お雀」「お星」などはNGだ。そこら辺になると説明として本来使ってはいけない「ネイティブとしての言語感覚」を持ち出すしかない。ダメじゃないか私。
最後に9、動詞変化による丁寧語形成だが、これは言わずと知れた助動詞「ます」のことである。動詞のマス語幹、学校文法でいう連用形にこの助動詞を付加する。「読む」→「読みます」、「食べる」→「食べます」などで、非ネイティブが最初に習う動詞の形がこの「マス形」である。会話で使うにはこの形が一番無難だからだ。使うのが無難というより使わないのは危険という感じだが。たとえ観光客でも「これいくら?」「わかった、ありがとう」「部屋ある?」で日本中押し通すのははっきり言って「旅の恥」だと思う。
そもそもこの丁寧語とは何なのかをもう一度確認しておきたい。上でも述べたように私は丁寧語というのは発話の場、言語状況そのものに対する敬意表現だと思っている。例えばある人が山田という人と親しい友達で、普段は「ねえ山ちゃん、わりいわりい、ちょっとこれコピーして来てくんない?」というような言葉使いで話していたとする。ではその人は何かの発表の場で外からの聴衆が大勢いる場でも山田さんにそう言うだろうか。普通言わないだろう、「あっ、山田さん、すみません、ちょっとこれコピーしてきてくれませんか?」と言うだろう。これは山田さんに敬意を払ったわけではない、「発話の場」そのものに対する敬意である。また普段は私と「ちょっとぉ、まずいじゃんこれ!」的な言葉で話している友人が、SNSなどの書き込みの場では私にちゃっかりデスマス体で書き込んでくる。これは書き込みの場が公開で、ある意味公式性を帯びているからである。特に女性が「お水」「お寿司」「お酒」などと8を持ち出しがちなのも、要は自分も含めた発話状況を見ているから、「発話者が女性である状況」を考慮しているからと解釈できよう。私が丁寧語と美化語を同一のものとみているのはこれが理由である。
丁寧語は「発話状況に対する敬意」だから、尊敬語とも謙譲語とも組み合わせて使える。後者二つは言語の指示対象への敬意であって、次元が違うからだ。「山田さんがいらっしゃった」「昨日寿司をいただいた」はそれぞれ敬語だけ、謙譲だけの形だが(それぞれ1と4)、これに丁寧を加えると「山田さんがいらっしゃいました」(1+9)、「昨日寿司を頂きました」(1+9)または「昨日お寿司をいただきました」(1+8+9)となる。尊敬と謙譲は機能が矛盾するので共存できない。「*山田さんがうかがわれた」(3+4)、「*山田さんが寿司をおめしあがりした」(1+5)、「*山田さんが寿司をおいただきになった」(2+3)、「*山田さんが寿司をお食べされた」(3+5)などは皆同一文内で尊敬と謙譲がかち合ってしまっているから非文となる。
では「尊敬語だけ」の文と「尊敬語+丁寧語」はどう使い分けたらいいのか。例えば「昨日山田さんがいらっしゃった」と「昨日山田さんがいらっしゃいました」の使い分けである。指示対象の山田氏に対する尊敬の念はどちらも同じだ。これも「丁寧語は発話場面への配慮」で説明できる。後者は人との会話、つまり他人の存在を考慮しなければいけない場面で使う。その他人も家族や「俺お前」的な親しい友人ではなく、普通に距離のある人とする。そういう人との会話は公式性を帯びるから配慮が必要だ。それで発話状況への敬意意識が働いて尊敬語に丁寧語がプラスされるのである。これに対して前者「昨日山田さんがいらっしゃった」は人目を気にする必要のない場面、発話状況への敬意が必要でない場合で使う。典型的なのが日記であろう。見ているのは自分だけで周りに配慮する必要などない。しかしたとえ一人でいる時でも山田さんには敬意を持っている。そういうときは尊敬語のみでいいのだ。
このように丁寧語は尊敬、謙譲と共存できるが、上で述べたように尊敬と謙譲は共存できない。しかし尊敬同士、謙譲同士なら矛盾しないから重なることができる。「昨日山田さんがいらっしゃられた」は置き換えと動詞変化型の敬語がダブっているから1+3だ。1も3も敬語だから矛盾がない。「おめしあがりになった」は1+2。「おめしあがりになられた」は敬語が全員集合で1+2+3である。2と3の重複は常に可能だが、1の尊敬語動詞には2を作れないものもあるので(「*おいらっしゃいになる」は非文)注意が必要。上でも見たが尊敬動詞でない普通の動詞でも2が効かないものは結構ある。
謙譲も理論的には上乗せができるが、尊敬語よりさらに制限が厳しい。いや、制限が厳しいというより形としては可能だが実際はNGという方が圧倒的に多い。理由は簡単だ。謙譲語をダブらせるには4+5という方法を取るしかないが、上で見たように5には意味の制限があるからである。「お参りする」は神社やお寺に行く時しか使えないし、「いる」という意味での「おおりする」はNG過ぎて日本語になっていない。「おいただきする」もダメ。結局私の感覚ですんなりダブれるのは「おうかがいする」だけである。「お申しする」「おさしあげする」も私はギリギリでOKだとは思うが、不自然でとても「すんなりダブれる」とはいえない。
ではこの三原則、1.尊敬と謙譲はダブれない、2.丁寧は尊敬、謙譲とダブれる、3.尊敬、謙譲、丁寧はそれぞれ上乗せできるという原則を考慮して「田中さんが寿司を食べた」という中立文から生成できる敬語形を考えてみよう。理論的には次のような形が可能である。文の前にパターン番号を示した。わかりやすいように尊敬語は水色、謙譲語は黄色、丁寧語は緑色にした。理論上は可能だが実際にはNGな文には*をつけてある。
中立:田中さんが寿司を食べる。
1:田中さんが寿司を召し上がる。
2:田中さんが寿司をお食べになる。
3:田中さんが寿司を食べられる。
1+2:田中さんが寿司をお召し上がりになる。
1+3:田中さんが寿司を召し上がられる。
2+3:田中さんが寿司をお食べになられる。
1+2+3:田中さんが寿司をお召し上がりになられる。
9:田中さんが寿司を食べます。
1+9:田中さんが寿司を召し上がります。
2+9:田中さんが寿司をお食べになります。
3+9:田中さんが寿司を食べられます。
1+2+9:田中さんが寿司をお召し上がりになります。
1+3+9:田中さんが寿司を召し上がられます。
2+3+9:田中さんが寿司をお食べになられます。
1+2+3+9:田中さんが寿司をお召し上がりになられます。
8:田中さんがお寿司を食べる。
8+1:田中さんがお寿司を召し上がる。
8+2:田中さんがお寿司をお食べになる。
8+3:田中さんがお寿司を食べられる。
8+1+2:田中さんがお寿司をお召し上がりになる。
8+1+3:田中さんがお寿司を召し上がられる。
8+2+3:田中さんがお寿司をお食べになられる。
8+1+2+3:田中さんが寿司をお召し上がりになられる。
8+9:田中さんがお寿司を食べます。
8+1+9:田中さんがお寿司を召し上がります。
8+2+9:田中さんがお寿司をお食べになります。
8+3+9:田中さんがお寿司を食べられます。
8+1+2+9:田中さんがお寿司をお召し上がりになります。
8+1+3+9:田中さんがお寿司を召し上がられます。
8+2+3+9:田中さんがお寿司をお食べになられます。
8+1+2+3+9:田中さんが寿司をお召し上がりになられます。
4:田中(さん)が寿司をいただく。
5:田中(さん)が寿司をお食べする。
*4+5:田中(さん)が寿司をおいただきする。
4+9:田中(さん)が寿司をいただきます。
5+9:田中(さん)が寿司をお食べします。
*4+5+9:田中(さん)が寿司をおいただきします。
8+4:田中(さん)がお寿司をいただく。
8+5:田中(さん)がお寿司をお食べする。
*8+4+5:田中(さん)がお寿司をおいただきする。
8+4+9:田中(さん)がお寿司をいただきます。
8+5+9:田中(さん)がお寿司をお食べします。
*8+4+5+9:田中(さん)がお寿司をおいただきします。
謙譲語の主語には敬称がない方がいいので「さん」を括弧に入れた。この「敬称」だが、ここでは私は次の理由で体系としての敬語とは見なさなかった。第一に敬称は閉じた体系をなしていない。言い換えると文法ではなく語用論の範疇だ。日本語は人称表現もそうだが、一人称でも「私」「俺」「拙者」など理論的には無制限に選択肢があり、そのどれを使っても文法的に間違っているわけではない。会話で地雷を踏むだけである。なお「理論的に無制限」と書いたのは時々教養のない女性や子供が自分のことを名前で言うからだ。「私はこれが欲しい」と言う代わりに「由美子はこれが欲しい」と言ったりする。つまり理論的には人の名前の数だけ一人称表現があることになるからだ。話が逸れたが、第二の理由は敬称なんてものはあらゆる言語に存在していて日本語特有の現象でなく、そこまで言い出したら始まらないからだ。ご都合主義で恐縮だが。
「*おいただきする」のように完全な非文ではないが「お食べする」もちょっと苦しいとは思った。でもこれを使える状況がないではないのでOKと見なした。例えば寿司が大嫌いで全く食べられない偉い先生が宴会で「私は寿司が食べられない。でも手つかずで下げさせるのは失礼すぎる。誰か食べてくれませんかこれ?」と言い出した。そこで私が部下の田中に命じて手伝わせることにし、先生に言う。「あ、では田中がお食べします」。やはりちょっと苦しいか。
このように「田中さんが寿司を食べる」からは理論的に43の敬語表現、そこから不可能形を引いて39の敬語表現が生成できるが、パターン1とパターン4、置き換え作戦が効かない動詞の方がずっと多い。それだとありがたいことに生成可能な敬語の数がずっと少なくなる。「書く」を見てみよう。
中立:田中さんが手紙を書く。
2:田中さんが手紙をお書きになる。
3:田中さんが手紙を書かれる。
2+3:田中さんが手紙をお書きになられる。
9:田中さんが手紙を書きます。
2+9:田中さんが手紙をお書きになります。
3+9:田中さんが手紙を書かれます。
2+3+9:田中さんが手紙をお書きになられます。
8:田中さんがお手紙を書く。
8+2:田中さんがお手紙をお書きになる。
8+3:田中さんがお手紙を書かれる。
8+2+3:田中さんがお手紙をお書きになられる。
8+9:田中さんがお手紙を書きます。
8+2+9:田中さんがお手紙をお書きになります。
8+3+9:田中さんがお手紙を書かれます。
8+2+3+9:田中さんがお手紙をお書きになられます。
5:田中(さん)が手紙をお書きする。
5+9:田中(さん)が手紙をお書きします。
8+5:田中(さん)がお手紙をお書きする。
8+5+9:田中(さん)がお手紙をお書きします。
可能な尊敬語の形が一挙に19に減る。これが自動詞になると8が効かなくなるからさらに激減するが、その代わり上でもここでもパターン7を考察に入れなかったから、例えば「田中さんがあそこで寿司を食べた」などと言う文は敬語の数が43より激増するはずだ。考えただけで眩暈がするが、7を仲間外れにするのも可哀そうなので、自動詞を使った「田中さんがそこへ行く」という文から敬語を生成してみよう。
中立:田中さんがそこへ行く。
1:田中さんがそこへいらっしゃる。
2:田中さんがそこへお行きになる。
3:田中さんがそこへ行かれる。
*1+2:田中さんがそこへおいらっしゃり(い)になる。
1+3:田中さんがそこへいらっしゃられる。
2+3:田中さんがそこへお行きになられる。
*1+2+3:田中さんがそこへおいらっしゃり(い)になられる。
9:田中さんがそこへ行きます。
1+9:田中さんがそこへいらっしゃいます。
2+9:田中さんがそこへお行きになります。
3+9:田中さんがそこへ行かれます。
*1+2+9:田中さんがそこへおいらっしゃり(い)になります。
1+3+9:田中さんがそこへいらっしゃられます。
2+3+9:田中さんがそこへお行きになられます。
*1+2+3+9:田中さんがそこへおいらっしゃり(い)になられます。
7:田中さんがそちらへ行く。
7+1:田中さんがそちらへいらっしゃる。
7+2:田中さんがそちらへお行きになる。
7+3:田中さんがそちらへ行かれる。
*7+1+2:田中さんがそちらへおいらっしゃり(い)になる。
7+1+3:田中さんがそちらへいらっしゃられる。
7+2+3:田中さんがそちらへお行きになられる。
*7+1+2+3:田中さんがそちらへおいらっしゃり(い)になられる。
7+9:田中さんがそちらへ行きます。
7+1+9:田中さんがそちらへいらっしゃいます。
7+2+9:田中さんがそちらへお行きになります。
7+3+9:田中さんがそちらへ行かれます。
*7+1+2+9:田中さんがそちらへおいらっしゃり(い)になります。
7+1+3+9:田中さんがそちらへいらっしゃられます。
7+2+3+9:田中さんがそちらへお行きになられます。。
*7+1+2+3+9:田中さんがそちらへおいらっしゃり(い)になられます。
4:田中(さん)がそこに参る。
?5:田中(さん)がそこにお行きする。
*4+5:田中(さん)がそこにお参りする。
4+9:田中(さん)がそこに参ります。
?5+9:田中(さん)がそこにお行きします。
*4+5+9:田中(さん)がそこにお参りします。
7+4:田中(さん)がそちらに参る。
?7+5:田中(さん)がそちらにお行きする。
*7+4+5:田中(さん)がそちらにお参りする。
7+4+9:田中(さん)がそちらに参ります。
?7+5+9:田中(さん)がそちらにお行きします。
*7+4+5+9:田中(さん)がそちらにお参りします。
計算上は「田中さんが寿司を食べる」の場合と同じ数の敬語形、43形が生成され得るが、動詞「行く」ではパターン1と2の組み合わせが不可能なことと、上でも述べたような謙譲語での意味制限がより厳しくなるので、許容できるのは31個。さらにその中にも「激しく無理っぽい」形があり(?印をつけたのがそれ)、それを引けば残るのは27個だ。
形態素を付加して丁寧語を作るのがパターン8だが、その機能を担うのは接頭辞の「お」または「ご」である。尊敬語と謙譲語でも、形態素を付加して作るパターン(それぞれ2と5)では動詞マス語幹や合成動詞の名詞部の前に「お」や「ご」が現れるが、私はこれと丁寧語の「お」、「ご」とは現れ方に決定的な違いがあると思っている。尊敬語、謙譲語では「お」(「ご」)のない形は許されない。「お読みになる」(尊敬)、「お読みする」(謙譲)のみ可能であって「*読みになる」、「*読みする」は非文だ。それに対して丁寧語の「お」はそれにない中立形が存在する。「お寿司食べる?」→「寿司食べる?」、「お水を頂戴」→「水を頂戴」、どれもOKである。言い換えると当該形態素が尊敬謙譲で動詞に、丁寧語には名詞に作用するということだ。さらに丁寧語の「お」は形容詞にもつく。「おきれい」「お忙しい」「お寒い」などだ。「お馬鹿」も本来は丁寧語である。『198.日本語の形容詞』でも述べたように形容詞はイ・ナ共に「用言」で動詞の仲間だ。それでもこのように名詞と同様丁寧語の接頭辞が付加され得るあたり、印欧語ほどではないがやはりちょっと名詞寄りである。
さて、接頭辞が「お」になるか「ご」になるかはよく議論される話題だが、基本的に漢語は「ご」、和語は「お」を取る。もちろんこれはあくまで原則であって、例外もあるし、個人によって違いもある。「寿司」はさすがに「ご寿司」という人はいないだろうが、「誕生」は「お誕生」「ご誕生」のどちらも可能だし、「食事」は漢語のくせに普通は「お食事」だ、反対に「ゆっくり」は和語のくせに「ごゆっくり」となる。ただ『問題な日本語』という本によると「ご食事」や「おゆっくり」を使う人もそれぞれ1%ほどいるそうだ。「お」も「ご」も両方使うという人はもっといる。さらに私は専ら「お予算」といっていたが、これは全体の4%弱にすぎず、83%が「ご予算」を使うと知って驚いた。両方使う人が一応13%強いるそうなのでまあ救われたが。
また言うまでもないことだが、漢語以外の外来語にはこのパターンは使えない。「おビール」などと発言する人は「ビール」が外来語であることを知らないか、パターン8の制限規則を知らないか、どちらにしても日本語能力に問題のある人だろう。もっとも和語にも「お」を取れない語は多い。「おさる」や「お馬」、「お空」はいいが、「おアヒル」「お雀」「お星」などはNGだ。そこら辺になると説明として本来使ってはいけない「ネイティブとしての言語感覚」を持ち出すしかない。ダメじゃないか私。
最後に9、動詞変化による丁寧語形成だが、これは言わずと知れた助動詞「ます」のことである。動詞のマス語幹、学校文法でいう連用形にこの助動詞を付加する。「読む」→「読みます」、「食べる」→「食べます」などで、非ネイティブが最初に習う動詞の形がこの「マス形」である。会話で使うにはこの形が一番無難だからだ。使うのが無難というより使わないのは危険という感じだが。たとえ観光客でも「これいくら?」「わかった、ありがとう」「部屋ある?」で日本中押し通すのははっきり言って「旅の恥」だと思う。
そもそもこの丁寧語とは何なのかをもう一度確認しておきたい。上でも述べたように私は丁寧語というのは発話の場、言語状況そのものに対する敬意表現だと思っている。例えばある人が山田という人と親しい友達で、普段は「ねえ山ちゃん、わりいわりい、ちょっとこれコピーして来てくんない?」というような言葉使いで話していたとする。ではその人は何かの発表の場で外からの聴衆が大勢いる場でも山田さんにそう言うだろうか。普通言わないだろう、「あっ、山田さん、すみません、ちょっとこれコピーしてきてくれませんか?」と言うだろう。これは山田さんに敬意を払ったわけではない、「発話の場」そのものに対する敬意である。また普段は私と「ちょっとぉ、まずいじゃんこれ!」的な言葉で話している友人が、SNSなどの書き込みの場では私にちゃっかりデスマス体で書き込んでくる。これは書き込みの場が公開で、ある意味公式性を帯びているからである。特に女性が「お水」「お寿司」「お酒」などと8を持ち出しがちなのも、要は自分も含めた発話状況を見ているから、「発話者が女性である状況」を考慮しているからと解釈できよう。私が丁寧語と美化語を同一のものとみているのはこれが理由である。
丁寧語は「発話状況に対する敬意」だから、尊敬語とも謙譲語とも組み合わせて使える。後者二つは言語の指示対象への敬意であって、次元が違うからだ。「山田さんがいらっしゃった」「昨日寿司をいただいた」はそれぞれ敬語だけ、謙譲だけの形だが(それぞれ1と4)、これに丁寧を加えると「山田さんがいらっしゃいました」(1+9)、「昨日寿司を頂きました」(1+9)または「昨日お寿司をいただきました」(1+8+9)となる。尊敬と謙譲は機能が矛盾するので共存できない。「*山田さんがうかがわれた」(3+4)、「*山田さんが寿司をおめしあがりした」(1+5)、「*山田さんが寿司をおいただきになった」(2+3)、「*山田さんが寿司をお食べされた」(3+5)などは皆同一文内で尊敬と謙譲がかち合ってしまっているから非文となる。
では「尊敬語だけ」の文と「尊敬語+丁寧語」はどう使い分けたらいいのか。例えば「昨日山田さんがいらっしゃった」と「昨日山田さんがいらっしゃいました」の使い分けである。指示対象の山田氏に対する尊敬の念はどちらも同じだ。これも「丁寧語は発話場面への配慮」で説明できる。後者は人との会話、つまり他人の存在を考慮しなければいけない場面で使う。その他人も家族や「俺お前」的な親しい友人ではなく、普通に距離のある人とする。そういう人との会話は公式性を帯びるから配慮が必要だ。それで発話状況への敬意意識が働いて尊敬語に丁寧語がプラスされるのである。これに対して前者「昨日山田さんがいらっしゃった」は人目を気にする必要のない場面、発話状況への敬意が必要でない場合で使う。典型的なのが日記であろう。見ているのは自分だけで周りに配慮する必要などない。しかしたとえ一人でいる時でも山田さんには敬意を持っている。そういうときは尊敬語のみでいいのだ。
このように丁寧語は尊敬、謙譲と共存できるが、上で述べたように尊敬と謙譲は共存できない。しかし尊敬同士、謙譲同士なら矛盾しないから重なることができる。「昨日山田さんがいらっしゃられた」は置き換えと動詞変化型の敬語がダブっているから1+3だ。1も3も敬語だから矛盾がない。「おめしあがりになった」は1+2。「おめしあがりになられた」は敬語が全員集合で1+2+3である。2と3の重複は常に可能だが、1の尊敬語動詞には2を作れないものもあるので(「*おいらっしゃいになる」は非文)注意が必要。上でも見たが尊敬動詞でない普通の動詞でも2が効かないものは結構ある。
謙譲も理論的には上乗せができるが、尊敬語よりさらに制限が厳しい。いや、制限が厳しいというより形としては可能だが実際はNGという方が圧倒的に多い。理由は簡単だ。謙譲語をダブらせるには4+5という方法を取るしかないが、上で見たように5には意味の制限があるからである。「お参りする」は神社やお寺に行く時しか使えないし、「いる」という意味での「おおりする」はNG過ぎて日本語になっていない。「おいただきする」もダメ。結局私の感覚ですんなりダブれるのは「おうかがいする」だけである。「お申しする」「おさしあげする」も私はギリギリでOKだとは思うが、不自然でとても「すんなりダブれる」とはいえない。
ではこの三原則、1.尊敬と謙譲はダブれない、2.丁寧は尊敬、謙譲とダブれる、3.尊敬、謙譲、丁寧はそれぞれ上乗せできるという原則を考慮して「田中さんが寿司を食べた」という中立文から生成できる敬語形を考えてみよう。理論的には次のような形が可能である。文の前にパターン番号を示した。わかりやすいように尊敬語は水色、謙譲語は黄色、丁寧語は緑色にした。理論上は可能だが実際にはNGな文には*をつけてある。
中立:田中さんが寿司を食べる。
1:田中さんが寿司を召し上がる。
2:田中さんが寿司をお食べになる。
3:田中さんが寿司を食べられる。
1+2:田中さんが寿司をお召し上がりになる。
1+3:田中さんが寿司を召し上がられる。
2+3:田中さんが寿司をお食べになられる。
1+2+3:田中さんが寿司をお召し上がりになられる。
9:田中さんが寿司を食べます。
1+9:田中さんが寿司を召し上がります。
2+9:田中さんが寿司をお食べになります。
3+9:田中さんが寿司を食べられます。
1+2+9:田中さんが寿司をお召し上がりになります。
1+3+9:田中さんが寿司を召し上がられます。
2+3+9:田中さんが寿司をお食べになられます。
1+2+3+9:田中さんが寿司をお召し上がりになられます。
8:田中さんがお寿司を食べる。
8+1:田中さんがお寿司を召し上がる。
8+2:田中さんがお寿司をお食べになる。
8+3:田中さんがお寿司を食べられる。
8+1+2:田中さんがお寿司をお召し上がりになる。
8+1+3:田中さんがお寿司を召し上がられる。
8+2+3:田中さんがお寿司をお食べになられる。
8+1+2+3:田中さんが寿司をお召し上がりになられる。
8+9:田中さんがお寿司を食べます。
8+1+9:田中さんがお寿司を召し上がります。
8+2+9:田中さんがお寿司をお食べになります。
8+3+9:田中さんがお寿司を食べられます。
8+1+2+9:田中さんがお寿司をお召し上がりになります。
8+1+3+9:田中さんがお寿司を召し上がられます。
8+2+3+9:田中さんがお寿司をお食べになられます。
8+1+2+3+9:田中さんが寿司をお召し上がりになられます。
4:田中(さん)が寿司をいただく。
5:田中(さん)が寿司をお食べする。
*4+5:田中(さん)が寿司をおいただきする。
4+9:田中(さん)が寿司をいただきます。
5+9:田中(さん)が寿司をお食べします。
*4+5+9:田中(さん)が寿司をおいただきします。
8+4:田中(さん)がお寿司をいただく。
8+5:田中(さん)がお寿司をお食べする。
*8+4+5:田中(さん)がお寿司をおいただきする。
8+4+9:田中(さん)がお寿司をいただきます。
8+5+9:田中(さん)がお寿司をお食べします。
*8+4+5+9:田中(さん)がお寿司をおいただきします。
謙譲語の主語には敬称がない方がいいので「さん」を括弧に入れた。この「敬称」だが、ここでは私は次の理由で体系としての敬語とは見なさなかった。第一に敬称は閉じた体系をなしていない。言い換えると文法ではなく語用論の範疇だ。日本語は人称表現もそうだが、一人称でも「私」「俺」「拙者」など理論的には無制限に選択肢があり、そのどれを使っても文法的に間違っているわけではない。会話で地雷を踏むだけである。なお「理論的に無制限」と書いたのは時々教養のない女性や子供が自分のことを名前で言うからだ。「私はこれが欲しい」と言う代わりに「由美子はこれが欲しい」と言ったりする。つまり理論的には人の名前の数だけ一人称表現があることになるからだ。話が逸れたが、第二の理由は敬称なんてものはあらゆる言語に存在していて日本語特有の現象でなく、そこまで言い出したら始まらないからだ。ご都合主義で恐縮だが。
「*おいただきする」のように完全な非文ではないが「お食べする」もちょっと苦しいとは思った。でもこれを使える状況がないではないのでOKと見なした。例えば寿司が大嫌いで全く食べられない偉い先生が宴会で「私は寿司が食べられない。でも手つかずで下げさせるのは失礼すぎる。誰か食べてくれませんかこれ?」と言い出した。そこで私が部下の田中に命じて手伝わせることにし、先生に言う。「あ、では田中がお食べします」。やはりちょっと苦しいか。
このように「田中さんが寿司を食べる」からは理論的に43の敬語表現、そこから不可能形を引いて39の敬語表現が生成できるが、パターン1とパターン4、置き換え作戦が効かない動詞の方がずっと多い。それだとありがたいことに生成可能な敬語の数がずっと少なくなる。「書く」を見てみよう。
中立:田中さんが手紙を書く。
2:田中さんが手紙をお書きになる。
3:田中さんが手紙を書かれる。
2+3:田中さんが手紙をお書きになられる。
9:田中さんが手紙を書きます。
2+9:田中さんが手紙をお書きになります。
3+9:田中さんが手紙を書かれます。
2+3+9:田中さんが手紙をお書きになられます。
8:田中さんがお手紙を書く。
8+2:田中さんがお手紙をお書きになる。
8+3:田中さんがお手紙を書かれる。
8+2+3:田中さんがお手紙をお書きになられる。
8+9:田中さんがお手紙を書きます。
8+2+9:田中さんがお手紙をお書きになります。
8+3+9:田中さんがお手紙を書かれます。
8+2+3+9:田中さんがお手紙をお書きになられます。
5:田中(さん)が手紙をお書きする。
5+9:田中(さん)が手紙をお書きします。
8+5:田中(さん)がお手紙をお書きする。
8+5+9:田中(さん)がお手紙をお書きします。
可能な尊敬語の形が一挙に19に減る。これが自動詞になると8が効かなくなるからさらに激減するが、その代わり上でもここでもパターン7を考察に入れなかったから、例えば「田中さんがあそこで寿司を食べた」などと言う文は敬語の数が43より激増するはずだ。考えただけで眩暈がするが、7を仲間外れにするのも可哀そうなので、自動詞を使った「田中さんがそこへ行く」という文から敬語を生成してみよう。
中立:田中さんがそこへ行く。
1:田中さんがそこへいらっしゃる。
2:田中さんがそこへお行きになる。
3:田中さんがそこへ行かれる。
*1+2:田中さんがそこへおいらっしゃり(い)になる。
1+3:田中さんがそこへいらっしゃられる。
2+3:田中さんがそこへお行きになられる。
*1+2+3:田中さんがそこへおいらっしゃり(い)になられる。
9:田中さんがそこへ行きます。
1+9:田中さんがそこへいらっしゃいます。
2+9:田中さんがそこへお行きになります。
3+9:田中さんがそこへ行かれます。
*1+2+9:田中さんがそこへおいらっしゃり(い)になります。
1+3+9:田中さんがそこへいらっしゃられます。
2+3+9:田中さんがそこへお行きになられます。
*1+2+3+9:田中さんがそこへおいらっしゃり(い)になられます。
7:田中さんがそちらへ行く。
7+1:田中さんがそちらへいらっしゃる。
7+2:田中さんがそちらへお行きになる。
7+3:田中さんがそちらへ行かれる。
*7+1+2:田中さんがそちらへおいらっしゃり(い)になる。
7+1+3:田中さんがそちらへいらっしゃられる。
7+2+3:田中さんがそちらへお行きになられる。
*7+1+2+3:田中さんがそちらへおいらっしゃり(い)になられる。
7+9:田中さんがそちらへ行きます。
7+1+9:田中さんがそちらへいらっしゃいます。
7+2+9:田中さんがそちらへお行きになります。
7+3+9:田中さんがそちらへ行かれます。
*7+1+2+9:田中さんがそちらへおいらっしゃり(い)になります。
7+1+3+9:田中さんがそちらへいらっしゃられます。
7+2+3+9:田中さんがそちらへお行きになられます。。
*7+1+2+3+9:田中さんがそちらへおいらっしゃり(い)になられます。
4:田中(さん)がそこに参る。
?5:田中(さん)がそこにお行きする。
*4+5:田中(さん)がそこにお参りする。
4+9:田中(さん)がそこに参ります。
?5+9:田中(さん)がそこにお行きします。
*4+5+9:田中(さん)がそこにお参りします。
7+4:田中(さん)がそちらに参る。
?7+5:田中(さん)がそちらにお行きする。
*7+4+5:田中(さん)がそちらにお参りする。
7+4+9:田中(さん)がそちらに参ります。
?7+5+9:田中(さん)がそちらにお行きします。
*7+4+5+9:田中(さん)がそちらにお参りします。
計算上は「田中さんが寿司を食べる」の場合と同じ数の敬語形、43形が生成され得るが、動詞「行く」ではパターン1と2の組み合わせが不可能なことと、上でも述べたような謙譲語での意味制限がより厳しくなるので、許容できるのは31個。さらにその中にも「激しく無理っぽい」形があり(?印をつけたのがそれ)、それを引けば残るのは27個だ。
始めに言ったように敬語は確かに「楽勝」とは行かない。ネイティブの私さえ「めんどくさいなこりゃ」とゲンナリするほどだ。敬語の使いかたに失敗して無教養者扱いされる日本人がいるのも納得である。しかし繰り返すが、まず1から9までの敬語の種類&作り方対応表をしっかり頭に叩き込む、そうしておいて「組み合わせ方三原則」、敬語を謙譲は共存不可、丁寧は双方と共存可、同じ種類の敬語は上乗せ可ということを学習者に覚えさせれば少なくとも道に迷ってどうにもならなくなることは避けられる。わからなくなったらいつでも対応表と三原則を見直してみればいいからだ。