人間の手の指の数を元にしているからだろうと思うが、アラビア数字など数の体系は十進法である。数そのものは10進法なのに数詞の方は10進法でないことが多々あり、いろいろ悶着が起きることは『81.泣くしかない数詞』でも書いた通りだ。12進法の名残が残っている言語も多い。3でも4でも割れるから本来12進法の方が便利なんじゃないかとも思うがまあ小数点や分数を使えば済むことだから別に10進法に反旗を翻す必要もあるまい。
 現代日本語の数詞は10進法とよくマッチしていて10まで数詞を暗記すれば99まで言える。11は10+1,12は10+2と1の位を10の後に言って順々に進み、20まで来たら今度は2の方を10の前につければいいからだ。英語の eleven、twelve などのように変な単語は出て来ないし、10は常に「じゅう」、2はいつも「に」で thirteen のように10が間延びしたり、twenty のように2が化けたりしない。10が10個あると「じゅうじゅう」とはならないで「ひゃく」という新しい単位になるが、これはそうやって時々更新せずにいつまでも10までの数詞で表現すると数が大きくなるにつれて収集がつかなくなり、コミュニケーションに支障がでるからだろう。「じゅうじゅう」くらいならまだいいが、1000になると「じゅうじゅうじゅう」、10000は「じゅうじゅうじゅうじゅう」で、言うのも大変だが聞く方も「じゅう」が何回出たかきちんと勘定していなければならない。「じゅう」を一回でも聞き違ったり言い違ったりすれば桁が違ってくるから常に緊張していなければならないから、本当に油断も隙もない。何桁目かで新しい数詞を入れて一息つける場所はどうしても必要だ。それで「ひゃく」という言葉が出れば200は20と同じメカニズム、100の前に2と言って表すから100という言葉を覚えれば999まで言うのに何の問題もない。100が10あると再び「じゅうひゃく」とはならず新しい「せん」という単位になる。その千が10あると「じゅうせん」でなく万となり、その後は4桁ごとに新しくなる。
 実は母語が英語やドイツ語の人に日本語の数詞を教えるとこの「1000からは4桁ごとに」という部分で躓く人が結構いる。英独語では1000からは3桁ごとに更新されるからだ。最初に「日本語では10×1000が新しい単位になる」と釘を刺し、4桁システムを図に書いて念を押してやっても、13000と書いて「これを日本語で言ってみろ」というと「じゅうさんせん」と答える輩が必ずいる。「じゅうせんという言葉はありません。10000は万というんですってば」というと3分くらい考えてから「じゅうさんまん」と答えたりする。「じゅう」という言葉が頭の中にこびりついて離れないのである。一種の言語干渉だ。そこで10000+3000と分け、「この2つの部分をバラバラに言ってみろ」と言ってやっても「じゅうまんさんぜん」などと外す人がいる。目の前に図がかいてあるのにである。そこでシビレを切らせて「いちまんさんぜんだろがよこのバカタレ」と怒鳴りつけると(嘘)、「そうなんだ!」とクイナの新種を発見したかのように感動される。たかが一万でこの調子だから十万、百万、千万、果ては億の単位になるとスリルが倍増する。しかもこれは数字を書いてそれを読ませているだけだからまだラクチンで、グレードアップして数字をドイツ語でいい、例えば「zwei und achzig Millionen(two and eighty millions、ドイツ語では一の位を十の位の前に言う)と日本語で言え」と言われてソラで答えられる人は少数派だ。大抵自動的に「はちじゅうに…」と直訳しだす。「安直に直訳すんな田吾作」と怒鳴ると(怒鳴らない)、そばの紙切れに数字を書いてゼロを勘定しだす。それでもまだ数え間違えて「はちおくにひゃくまん」と言ったり「はちまんにじゅうまん」と日本語がゲシュタルト崩壊したりいやもう面白いのなんの。自分は暗算が苦手と言う日頃のコンプレックスも吹っ飛ぶ面白さだ。中国人は桁取りが日本語と同じ(というより日本語が中国語と同じ)だから数字を見て日本語でいう分には楽勝なのだが、数字をドイツ語でいうとそのドイツ語のほうの数詞を把握するのに手間取る。これは私もそうだったから気持ちはよくわかる。私もミリオンとか言われても今一つ感覚がつかめなくて戸惑った。やはり「百万」と言ってもらわないと気分が出ない。
 
 今までそうやって「はっせんにひゃくまん」がスッと出ない人を見て己の暗算コンプを解消して嬉しがっていたら、バチが当たったらしくコンプの鉄槌が今度は私の頭上にやってきた。
 世の中には20進数を基本にして桁取りする言語も結構ある。両手両足の指の数である。有名なのがフランス語で、60までは正常(?)だが、70になると突然20進法が顔を出し、70は60+1、71は60+11、76は60+16、77になると17という一語がないので60+10+7。80はさらに露骨で4×20、81は4×20+1、90は4×20+10、91が4×20+11と言うので一瞬電卓に手が伸びかけるが、所詮それも100までだから一瞬伸びた手はすぐ引っ込む。1000を過ぎれば3桁ごとに新しくなり、1000で mille、10000が million、つまり英語ドイツ語と全く同じである。100までの数詞に少しくらい20進法が出てくるくらい可愛いもんだ。問題は100を過ぎても延々と20進数を貫くスゲー言語があることで、これはさすがに電卓か計算用メモ帳が必要になって来る。

 たとえばナワトル語だ。ナワトル語には百という言葉がない。 5×20という。120は 6×20、200は10×20である。20×20の400になってやっと新しい単位になる。それでは20
までは全部違う名称で丸覚えかというと、そうではなく5、10、15で一息つけるようになっている。これは何も学習者が小休止できるようにサービスしているわけではなくて片手片足の指の数だろうが正直余計混乱する。20進法なら20進法でいいから全てそれでやってくれよもう。
 まず20まで見てみよう。
Tabelle1-211
基本的に5ごとにベースが変わり、6は5+1、7は5+2、11が10+1、12は10+2、15はそれ自体一つの単語だから16から19までは15+1、15+2、… 15+4という構造になっているのがわかる。「基本的に」といったのは5については数詞は mācuīlli、合成数詞を作る形態素のほうは chiuc と違う形をしているからだ。だが原則は変わらない。11から14、16から19までの1の位についている接頭辞 on- または om- は and  という意味である。
 なお、ここで使ったナワトル語の表記は広く流布している正書法より音韻記述が正確で長母音・短母音の違いがしっかり表示されているが、その元になっているのは17世紀にスペインの宣教師 (生まれはフィレンツェ)オラシオ・カロチ Horacio Carochi が著した文法書で、ローマ字を英語読みしてはいけない。ce、ci はそれぞれ se、si だし、co、ca、cu は ko、ka、ku、つまり c という同じ文字が違う子音を表すのである。では sa、su、so はどうなるのかというと z を使い za、zu、zo と書く。英語読み病にかかっていると z を有声音にしてざぜぞと読んでしまいそうになるが z は無声子音、英語のs である。だからs という字は使わない。では英語の z のような有声歯茎摩擦音はどうするんだと言うと心配はいらない。ナワトル語にはソナント以外の有声子音は存在しない、つまり英語の z の音はないからである。ke と ki はそれぞれ que、qui と表記する。またナワトル語に円唇子音 [ kʷ] があるがこれに母音が続く場合は c に u を続けて表す:cua、cue、cui。母音u と o は母音自体がすでに円唇音だからか、子音と両方円唇化するのは難しいのだろう、cuu、cuo は普通のcu、co となる。また円唇子音が子音の前か語末に来る場合は uc と書く。上述の chiuc の最後の子音がこれ。6で chicuacē とu とc  の位置が入れ替わっているのはここでは円唇子音に母音 a が後続するからだ。また ch は破擦音の[tʃ]、まあ英語の ch である。x は ks でなく[ʃ ]、英語の sh だ。hua、hui、hue は wa、wi、we。接近音の w が子音の前や語末に来ると先程の [ kʷ] のように u と h の位置を変えて uh とする。また ll などの重子音はスペイン語のように音価を変えずに律儀に [l:] と発音。さらに『200.繰り返しの文法 その1』でも少し述べたように tl は t と l のような子音連続ではない。二字使っているのはあくまで仕方なしにであって、これは ch と同じく一つの破擦音、流音と同時に舌で上あごの横っちょの隙間をこするである。文で説明すると難しそうだが発音自体は決して難しくはない。この流音破擦が l に続くと擦る部分が消えて単なる l になる:l+tl=ll。だから5 mācuīlli、15 caxtōlli、20 cempōhualli の最後尾についている lli という形態素は本当は ltli。tliというのは絶対格(能格対絶対格の絶対格とは意味が違うので注意)のマーカーで語幹につく。これらの単語は語幹が l で終わっているためマーカーが li になっているが、語幹が c でおわる10 màtlāctli では絶対格マーカーが本来通りtli で現れている。à と逆向きのアクセント記号がついているのか当該母音の後に声門閉鎖音が続くという意味なので à は [a?] だ。
 では発音がわかったところで被修飾語の名詞と数詞の順番についてだが、基本的には名詞の前に来る(太字)。

Ni-qu-itta ēyi cuahuitl
1.sg-3.sg-see + 3 + tree
I see three trees

さらに名詞に定冠詞がついていると数詞は動詞の前にさえ立てる。

Ēyi ni-qu-itta in cuahuitl
3 + 1.sg-3.sg-see + the + tree
I see the three trees

ナワトル語の数詞はシンタクス的には floating numeral quantifier 的(『158.アヒルが一羽二羽三羽』参照)なのかもしれないが、合成数詞(11~14と16~19)はなんと名詞を中に挟むことができる。

Ni-qu-itta màtlāctli omōme cuahuitl
1.sg-3.sg-see + 12 + tree

Ni-qu-itta màtlāctli cuahuitl omōme
1.sg-3.sg-see + 10 + tree + and-2

どちらも I see 12 trees である。

 さてこれからが本題である。20 cempōhualli は実は cem-pōhualli と形態素分析でき、cem- はcē、つまりcempōhualli は1×20である。21は上の11、16とメカニズムが同じで20+1、cempōhualli oncē、25は  cempōhualli ommācuīlli、26  cempōhualli onchicuacē でまあ日本語やドイツ語と同じだが、30は1×20+10、cempōhualli ommàtlāctli なのでそろそろ注意が必要になってくる。31は1×20+10+1だからcempōhualli ommàtlāctli oncē かと思うとそうではなくて、プラスが複数並列する場合は on あるいは om を連続させることを避けて二番目のプラスに īpan または īhuān を使い、cempōhualli ommàtlāctli īpan cē となる。38は1×20+15+3、 cempōhualli oncaxtōlli īpan ēyi。40は2×20で、以後20進法で次のように続く。
Tabelle2-211
だんだん20 pōhualli という単語を見るとゲップがでそうになってきたが、この調子で50は2×20+10、ōmpōhualli ommàtlāctli、75が3×20+15、ēpōhualli oncaxtōlli、125が6×20+5、chicuacempōhualli ommācuīlli。この辺はまだいい。220は(10+1)×20、màtlāctli omcempōhualli、340は(15+2)×20、caxtōlli omōmpōhualli だが、この220や340も11や17などの合成数詞が入っているからそれをバラしてそれぞれ10×20+1×20、màtlācpōhualli īpan cempōhualli、15×20+2×20、caxtōlpōhualli īpan ōmpōhualli ということもできる。これらは20で割り切れるからいいが端数の出る数字はややこしさが増し、330は(15+1)×20+10、caxtōlli oncempōhualli īpan màtlāctli、333が(15+1)×20+(10+3)、caxtōlli oncempōhualli īpan màtlāctli omēyi だ。ここで10+3をわざわざ括弧に入れたのはなぜ上の38と違って on- または om- の複数使用が許されるのかをはっきりさせたかったからで、プラスが階層構造になっていて単なる並列ではないという意味だ。
 この後やっと400、20×20になってtzontli という新しい単位となる。そしてそれがまた20倍になると20×(20×20)、8000 xiquipilli という単位になる。上の20と同じく、400と言う時も頭に1とつけて1×400と表現するから centzontli になる。以下ちょっと見てみよう。
Tabelle3-211
4800は màtlāctzontli īpan(または īhuān)ōntzontli ということもできる。実は参照した Michel Launey の入門書(Christopher Mackay 翻訳編集)には  màtlāctzontli īpan omōntzontli とあったが、これは誤植だと思う。4000×X+400×X、あるいは400×X+20×X という場合のプラス部は om-/on- でなく īpan を使うため500は centzontli  īpan nāuhpōhualli (1×400)+(5×20)、日本語だと「せん」の一語ですむ1000は2×400+10×20、ōntzontli īpan màtlācpōhualli と複雑なのに2000になると突然簡単になって5×20、mācuīltzontli。どうも調子が狂う。5000は再び20進法の本領発揮で(10+2)×400+10×20、màtlāctli omōntzontli īpan màtlācpōhualli。1482のように細かくなると3×400+(10+4)×20+2、ētzontli īpan màtlāctli onnāuhpōhualli īpan ōme、1519が3×400+15×20+(15+4)、ētzontli īpan caxtōlpōhualli īpan caxtōlli onnāhui、たかが736が1×400+(15+1)×20+(15+1)、centzontli īpan caxtōlli oncempōhualli īpan caxtōlli oncē という騒ぎ。おい電卓を持ってこい。
 おお、電卓が来たか。では少し先を見てみよう。上で述べた通り400の次に新しい単位になるのはそれがまた20倍になってから、つまり8000 cenxiquipilli あるいは cēxiquipilli になるまでお預けだ。28000は3×8000+10×400、ēxiquipilli īpan màtlāctzontli、141927は(15+2)×8000+(10+4)×400+(15+1)×20+7、caxtōlli omōnxiquipilli īpan màtlāctli onnāuhtzontli īpan caxtōlli oncempōhualli īpan chicōme。
 理屈から行けば8000の20倍、160000でまた新しい単位になりそうなもんだが、残念ながらというか幸いというか、そのまま8000 xiquipilli が使われ続け、(1×20)×8000、 cenpōhualxiquipilli になるらしい。3200000なら(1×400)×8000、 centzonxiquipilli である。

 ナワトル語の20進法ぶりのことは数学者の遠山啓氏も『数学入門』で言及しているが(ただしそこではナワトル語と言わずにアズテック(語)と呼んでいる)、遠山氏によるとマヤ語もこの方式なんだそうだ。もっともなにも太平洋を越えるまでもなくアイヌ語も20進法である。
 アイヌ語の数詞を見てみよう。アイヌ語はローマ字読みでいい。ナワトル語と違って「5」が登場してくることはないが、その代わり6から9までは10を基準にした引き算になっている。
Tabelle4-211
6の i- は ine と同じで4と言う意味。つまり6は10−4。同様に7の ar-  は3 re、つまり10−3。8 tup-e-san の tup は tu、e-san は「足りない」だから8は「二つ足りない」、同様に9は「一つ足りない」である。こりゃあナワトル語よりさらに油断がならない。11~19についている  ikashma は「余り」で、11、12はそれぞれ「とおあまりひとつ」「とおあまりふたつ」だが、一の位を十の位より先に言う点がドイツ語といっしょである。以下100まで見ていくとこうなる。
Tabelle5-211
30、50、70、90では−10の部分が先に来るので正確には−10+(x×20) だろう。そこの -e- という形態素(太字)は「で以って」「があれば」という接辞だそうで、30はつまり「あと10あれば40」という意味だ。参照した資料には残念ながら100までしか載っていなかったのだが、400や8000はアイヌ語ではどうなるか気になったのでちょっとネットを見てみたら、方言によって違いがあったり使用例が少なすぎたりしてどうもナワトル語のようにスカッと行かない。それでも200は10×20、wan hotne、400で新しい単位になり、600は(−10×20)+2×400と記している記事があった。8000はわからない。アイヌはメキシコ先住民のようには大きな数字を駆使して暦を作ったりしなかったから単位は400までで足りたのかもしれない。

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