前回の続きです。

巷に広く流布している噂に反して「全リンク」という情報構造パターンの文が実は存在する、と前回書いた。そこで疑問文を例にだしたが、疑問文でなくても全リンクと解釈できる場合がある。次の文を比べてみて欲しい。

もうやったよ、宿題。
もうやったよ、宿題は。

英文法でいう Right Dislocation という構造で、I have done it, the homework というふうに文成分が文の外に出て右に移動するものだ。ドイツ語の例では

Diei spinnen, die Römeri.
these + be crazy + the + Romans

などがある。脇についている小さな i は die と die Römer が同一の指示対象であることを示す。ドイツ語では形の上で区別できないがこれを日本語に訳すると

頭おかしいよ、ローマ人。
頭おかしいよ、ローマ人は。

の二通りの訳ができる。上の宿題云々の文と同じパターンだ。日本語では「は」がつくかつかないかを見ればいいからこの二つの文は構造が違うということが馬鹿でもわかるが、ドイツ語だとちょっと手間取るようだ。例えば Janina Kalbertodt と Stefan Baumann という音声学者が、イントネーションのパターンや間の長さなどを機械で詳細に測り、Die spinnen, die Römer という一見同じ構造の文には実は二種類ある、つまり Right Dislocation には二種類あると結論している。 Kalbertodt と Baumann はその二つをそれぞれ Right Dislocation と Afterthought と名付けているが、この区別こそ上の二つの日本語の文の違いに他ならない。
 これらの文の情報構造を前回紹介した Vallduví の図式に従って分析してみよう。最初の文、「ローマ人」に「は」がついていない文は3.アップデート・テールだろう。前回のように色分けすると

頭おかしいよ、ローマ人

となる。しかし Kalbertodt とBaumann の測定結果を見ると、もう一つの解釈が成り立つことがわかる。この文を一つの情報構造単位でなく、二つの単位、2.全アップデートが二つ重なっていると言う解釈だ。

頭おかしいよ、 ローマ人

この二つは発音上明らかに違いがある。言い換えると Kalbertodt と Baumann のいう Right Dislocation には Afterthought とはまた別に二種類あるということだ。ではその Afterthought 文の情報構造はどうなっているのか。これをアップデート・テールと解釈することはできない。そんなことをしたら「は」のない文と同じになってしまうからだ。情報構造が二重になっているという解釈しかあり得ない。ただし全アップデートのダブルではなく、「ローマ人は」の部分はリンクである。言い換えると「2.全アップデート」と「5.全リンク」の二重構造になっているということだ。

頭おかしいよ、 ローマ人は

 「全リンク構造」を認めること、2つの情報構造単位から成り立っている文の存在を認めること、私が Vallduví に提案したい修正点はこの2点である。
 なお、徹底的にどうでもいい話だが、この Die spinnen, die Römer という文は日本での鉄腕アトム級に独仏では誰でも知っている漫画『アステリクス』に出てくるセリフである。幾度となく映画化もされているのでこのセリフを見れば皆ピーンと来る。西欧でこの漫画を知らないとか言ったらドイツでゲーテを知らないと言ったと同じくらいドン引きされることは確実だ。

 それにしても「は」というトピックマーカーなしで Die spinnen, die Römer という文の情報構造が3種あると見破った音声学者は大したものだ。さらに告白すると実は私が前回だした Van Valin の「Виктор」という部分を全アップデートでなく全リンクだと見破ったのは例文がロシア語だったからなのである。一度日本語に訳してみて、ここには「は」がつくと気づいたのではない。思わぬところからの飛び火だが、以前に読んでいた Yokoyama 氏(『181.フォルダの作り方使い方』参照)のロシア語のイントネーションについての論文を思い出して「あれ」と思った。そこで日本語に訳して確かめてみたら常に「は」がついたので、「やっぱり」と確信するに至ったのだ。
 その Yokoyama 氏の論文はロシア語学者が必ずやらされるソ連御用達のイントネーション理論への批判であった。御用達文法によるとロシア語の文のイントネーション Интонационная конструкция にはИК-1からИК-7まで7つあり、文のパターンによってイントネーションの型が決まっている。私たちは「イエスノー疑問文ならИК何番」「普通の叙述文なら何番」「感嘆文なら何番」と丸暗記させられて試験まであり、これができないと本来の語学の授業に進めなかった。このИК何番という言葉を「聞いたことがない」という人がいたらモグリである。Yokoyama 氏はこれを批判し、「7つものパターンを設定する必要はない。文のイントネーションのパターンは突き詰めれば2種に収まる」と主張した。ニュートラルと非ニュートラルなイントネーション、いわば(スラブ語学者らしく)無標パターンと有標パターンの二種で、前者は声調が周期的な上下を繰り返しつつ、最終的に低音調に収束して文末にいたるパターン、後者は上下の途中で強勢が入り、その後はもう声調が上下運動を繰り返さずにまっすぐ文末の低音調に進むものだ。図にするとそれぞれ次のようになる。×印が強勢部分。
Schema1-210
繰り返すが、Yokoyama 氏は別に情報構造理論を展開しようとしてこのイントネーションパターンを主張したわけではない。なのにというかだからこそというか、これが Vallduví の「あり得る文の情報構造」と妙に一致しているのに驚かざるを得ない。Yokoyama 氏があげている文例を検討していくと、Vallduví などが情報構造の典型例としてあげている文とよく一致する。例えば強勢後の平坦部分はVallduví のいうテールであることがわかる。つまり非ニュートラル型の文の情報構造は3.アップデート・テール、4.リンク・アップデート・テールのどちらかだ。ニュートラル型は1.リンク・アップデート、2.全アップデートのどちらかとなり、Vallduví の4パターンを網羅していてテールは(登場するとしたら)必ず文末に来るという主張とも重なる。全アプとリンク・アプが同じイントネーションパターンになってしまう点だが、Yokoyama 氏は(やはり別にそういう意図でなく)ニュートラル型の文に2種みられることを報告している。声調が一度下がってまた上がる際少し手間取ることがある。つまり文の流れに境目ができることがあるという。図で書くとこうなる。
Schema2-210
私は a が全アプ、 b がリン・アプ構造のイントネーションパターンだと思っている。 矢印部がリンクとアップデートの境目だ。Yokoyama 氏の例文で見るとそれぞれ次のようになる。

a. Мирослава уехала в Ялту.
  Miroskava + went away + to + Yalta
ミロスラヴァヤルタに行った

a. Мирослава уехала в Ялту.
ミロスラヴァヤルタに行った

また、非ニュートラル型で、強勢部が文の最後の最後に来た場合はテールの入る隙がない。言い換えると強勢が入っても全アプやリン・アプであり得ることになる。図で書くとこうなる。
Schema3NEU-210

つまり非ニュートラル型では3つの情報構造パターンが可能だが、どれにせよ強勢部分がアップデートに属するという原則は変わらない。
 さてもう一度ニュートラル型に戻ろう。文によっては声調が下がって収束せず、声調が高いまま文が終わるものがある。上の b 図の矢印のところで文が終わるパターンだ。御用文法でいう ИК4で、まさに前回述べた Van Valin のあげている質問が典型的なパターンである。ネットには Я иду. А Вы?(「私は行くよ。で、君は?」)という例が載っていた。つまりこの А Вы? または А Виктра? という語はイントネーションから言ってリンク、そしてそのリンクで文が終わっているのだからこれは全リンク文なのだ。

А: Максим убивает Алексея.
В: А Виктра?
А: Виктра Максим защищает.

A: Maksim kills Aleksey.
B: And Victor?
A: Victor, Maksim protects (him).


上でも述べたように、私はそれで思いついて「そういえば日本語ではここでどう言うだろう」と思って訳してみたら「は」がついたのでこれが全リンク文であることを確信した。
 一方仮に会話の流れが

A:マキシムはアレクセイを殺す。
B:えっ、ヴィクトルが?
A:いや、マキシムが殺すんだ。

というのであれば

А: Максим убивает Алексея.
В: Что, Виктр?
А: Нет, Максим убивает его.

となり、 Виктр? の部分は上のc 図のテールがないパターン、つまり全アプのイントネーション、ИК でいうと3で発話されるはずだ。Yokoyama 氏の理論に従えば  Виктр? に強勢(×印)が来るパターンである。言い換えると Виктр? はアップデートである。

 というわけで私が全リンク文の存在に気づいたのはロシア語の助けがあったからだが、確認は日本語で行った。文が全リンク構造をとるのは限られた場合だがまさに「限られた場合」だからこそ、印欧語では見落とされがちで、不変化詞で明確にリンクマークできる日本語が威力を発揮できる絶好のチャンスとなる。
 逆に日本語だけ見ていたのでは気付きにくい点をロシア語のイントネーション分析で補うことができる。日本語だけでなく独英語の情報構造議論でもそうなのだが、平叙文だけが分析対象になりやすく、疑問文の情報構造についてはあまり話題にならない。ロシア語で観察する限りではイエスノー疑問文と疑問代名詞の入る質問では情報構造が本質的に異なるようだ。例えば

Кто пришёл?
who + came

はニュートラル型であり、全アップデートと解釈できるが、

Виктор пришёл?
Viktor + came

だと Виктор に強勢が置かれるからアップデート・テールだ。日本語にするとそれぞれこうなる。

誰が来たの

ヴィクトルが来たの

さらに「来たのはヴィクトルなのか?」ではなくヴィクトルが来たのかどうか聞く場合は動詞の пришёл に強勢が来るからリンク・アップデートと考えなければいけない。

Виктор пришёл?

ヴィクトルは来たの

 文の情報構造コンポの分析のためにロシア語と日本語はまだまだたくさんコラボの余地がありそうだ。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
人気ブログランキングへ