ロシア人の知り合いが「ものすごく有名なんですよこの作家」と言って、ものすごく分厚い本をくれた。イリヤ・イリフ Илья Ильф とエヴゲニー・ペトロフ Евгений Петров 合作の長編小説Двенадцать стульев(「12の椅子」)、Золотой телёнок(「黄金の子牛」)二つと、あと短い論説が二編収まっている、全部で638ページの本だ。 「ロシア語638ページ」に躊躇したことと、この作家を知らなかったので、やっとしばらくたってから意を決して読み始めたらこれが地獄のように面白かった。なんだこれは、どうしてこんな面白い作品を今まで知らなかったんだ(さすがヘッポコスラブ語学専攻者)と思って調べてみたら、この作品はドイツでも日本でも翻訳・紹介されているではないか。映画化も何回もされている。知らなかったのは私だけだ。もう切腹ものだ。

 『12の椅子』はネップ時代、1920年代のソ連社会を徹底的におちょくった風刺文学だが、2人の作家の合作というのが珍しい。イリフもペトロフもオデッサの出身だが、モスクワで会ってモスクワで活躍した。オデッサあるいはウクライナ出身の作家と言うと真っ先に思い浮かぶのはゴーゴリだが、こちらも確かに風刺の大家だった。ただ単に面白おかしいというではなく、悲惨な現実を笑い飛ばす、背後にちょっと恐ろしさを感じる笑いというのはウクライナ出身の特技なのかもしれない。『12の椅子』もただ笑ってオシマイという作品ではない。そういえば作品も悲惨ならその最期も悲惨だったイサク・バーベリの作品も舞台はオデッサで、陰鬱な展開のストーリーなのに笑える場面があった。棺桶から唐突に機関銃が飛び出す展開などそのいい例だ(『184.棺桶から機関銃:Одесские рассказы』参照)。バーベリもユダヤ人だったが、『12の椅子』もイリフのほうは本名イェヒエル-レイブ・アリエヴィッチ・ファインジルベリク Иехиел-Лейб Арьевич Файнзильберг(つまり父親の名前がアリエル)というこれまた一目瞭然でユダヤ人だ。棺桶ネタはアシュケナージ・ユダヤ人の好む材料なのか?『12の椅子』も葬儀屋の店頭に並ぶ棺桶描写で物語が始まる。町に葬儀屋がやたらといる割には人があまり死なず、どこかで誰かが死ぬたびに顧客(死体)の奪い合いになるという不謹慎な展開だ。さらに小説の中で主人公がこの世の栄華、富も社会地位も一切放棄して僧となりついには棺桶で暮らすようになる聖職者の話を聞かせてくれる。またバーベリもイリフもユダヤ人に対する自虐ギャグ(早口言葉かよ)が目立つが、これも残酷な現実に笑いで抵抗ということなのかもしれない。
 イリフはもともと詩人として文学活動を始めたそうで、作品中でも自称詩人、また詩人でないくせにヘッポコな詩を詠んだりする登場人物が目立つ(下記)。ペトロフは本名 Катаев カターエフと言う。兄のヴァレンチン・カターエフはソ連で名の知られた作家で1989年まで活躍していた。
 ペトロフとイリフはモスクワの新聞社に務めていたが、あるときそこに当時すでに筆で名を成していた兄のカターエフが顔を出して弟とイリフに「椅子が何脚かあってそのうちの一つに金が隠してある、そんなテーマで小説を書いてみる気はないか?あとで名人が(自分の事)添削してやるよ」とけしかけたそうだ。さらに「僕は何週間か旅行に行くが、帰ってくるまでに書いておけ」と言い残した。ペトロフとイリフはそれぞれ別々に書くよりどうせなら二人で共作しようということになって、カターエフが帰って来るまでに二人して数章書き上げて、添削して貰いに持って行った。「何だよこんなんじゃダメだなあ」と言われてバキバキに修正されるかと思っていたそうだ。しかしカターエフは原稿を読むなりまじめな顔つきになり、「君らはもう作家と名乗ってもいいぞ」と言った。イリフが「で、名人の添削は?」と聞くと「そんなものは必要ない。このまま書き続けろ。この本は売れるぞ」と答えたそうだ。そしてその通りになった。『12の椅子』はこの兄カターエフに捧げられている。

本の表紙。字は金色なので光の具合によって見にくくなってすみません。
Ilf-and-Petrov-Titel
本の冒頭で作者の写真。左がイリフ、右がペトロフ。
Ilf-und-Petrov
『12の椅子』はペトロフの兄、ヴァレンチン・カターエフに捧げられている。
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 物語はソ連のさる田舎町で始まる。その市の住民課の中年役人ヴォロビヤニノフは革命以前はブルジョアで立派な屋敷に住んでいたがソ連政権に財産を没収されショボいこの町に飛ばされて役所勤めをさせられている。義母と暮らしていたが、その義母が亡くなる際、家宝の宝石を元の屋敷の12あった椅子のどれかに隠してあると聞かされ、それをみつけに屋敷のあった市スタルゴロド(うるさく言えばスタルゴラト)にやって来る。しかし義母は死の床で司祭を呼んで懺悔もしていた。この懺悔された神父が大変な生臭で、坊主のくせに欲を出して宝石を手に入れようとやはりスタルゴロドに来ていた。
 ヴォロビヤニノフは昔の自分の奉公人のところでオスタップ・ベンデルという若者に会うのだが、これが口八丁手八丁、頭の回転がビュンビュンな山師で、「ソ連の官僚社会には合わないだろうなあ…」と読者をつくづく納得させるキャラクターだ。ヴォロビヤニノフは自分の宝探しのアシスタントとしてベンデルを雇う。ヴォロビヤニノフ&ベンデル対生臭坊主フョードルとの三つ巴の始まりだが、この ヴォロビヤニノフというのは前述のとおり、もとええとこのボンボンで浮世を知らない。やがて世慣れたベンデルが作戦の主導権をとってヴォロビヤニノフは唯々諾々とそれに従うようになる。かといって横暴なボスタイプではない、人を丸めこんで巻き上げた金でヴォロビヤニノフを食わせ、探索資金も捻出してやるのだから、ヴォロビヤニノフみたいなおじさんにおんぶに抱っこされているベンデルの方がむしろ気の毒になって来る。まさにボケとツッコミのペアだ。
 スタルゴロドで12のうち一脚を探し当てるのだが、宝石は入っていなかった。他の椅子はモスクワの家具博物館に移されたと聞いて二人はモスクワに移動する(そういう移動費もすべてベンデルが捻出する)。そのモスクワで残る椅子が全部ほとんど手に入りかけるのだが、例によってヴォロビヤニノフが大ボケをかましたためオジャンとなり、二人は椅子を追ってソ連中旅する羽目になる。
 フョードル司祭の方はモスクワで(間接的ではあるがベンデルのせいで)ガセ情報を掴まされ、アサッテの方向に椅子を探しに出かけることになるが、そのアサッテとヴォロビヤニノフ組のルートが交錯したり、手に汗握る(?)ロードムービー的な展開となる。

 結論は言わないでおくが、こういうクレージーな登場人物、シュールな展開なのにこの小説が安っぽいドタバタ喜劇や底が見え見えのラノベなんか(差別発言)とは完全に一線を画し、ソ連文学の古典として残っているのは作者の文筆家としての力量という他はない。私はもちろん母語者でも当時のソ連に住んでいたわけでもない部外者のうえ、ロシア文学についてもスレスレでやっと試験を通ったほどのパーだから(そもそも我ながらあれでよく試験を通ったものだ)、作品の言葉のあやを十分に堪能することなどとてもできない。しかしその分際でもこの作品がロシアの古典文学への暗示に満ち満ちていることは感じた。生え抜きソ連人ならもっともっといろいろ見つけて笑える部分があったに違いない。
 まずボケのヴォロビヤニノフおじさんはいわゆる「余計者」(『164.Лишний человек(余計者)とは何か』参照)のパロディだ。資産家の家に育ち、学生時代もテキトーに勉強してあとは女の子を追いかけたりパーティーをやったりして遊んでいた、しかし一応教育はあるからドイツ語もフランス語も話せることは話せるし、社交の場での話術なんかも一応心得てはいる、という要するに人畜無害な余計者。ただこの人は自分が余計者であるとはあまり自覚していなさそうで、無力感に打ちひしがれることもなく内部の葛藤もなく、唯々諾々とソ連政権下で役人をしている。ゴンチャロフの『オブローモフ』をベッドから引きずりだして仕事をさせたらこうなるかという感じだ。このおじさんは子供のころ киса (「子猫ちゃん」)というあだ名で呼ばれていたそうだ。ブッと思うが人畜無害なその子猫ちゃんにも実は心中積もり積もっていたものがあることがラストで判明する。
 もう一方のベンデルも余計者だが、こちらは社会に居場所がないことを明確に自覚している。ちょうどレールモントフの『現代の英雄』の主人公ペチョーリンを(『164.Лишний человек(余計者)とは何か』参照)明るくしたようなタイプだ。その登場場面でベンデルは道端で浮浪者の少年から「おじさん、10コペイカおくれよ」と呼びかけられ(当時は20代後半ですでにおじさんなのか…)、自分も懐いやポケットがスッカラカンだったので持っていた林檎をやる(その林檎はずっとポケットに入れてあったので生暖かくなっていた)。その際少年をからかっていう。

Может быть, тебе дать ещё ключ от квартири, где деньги лежат?
ひょっとして、金のおいてある部屋の鍵もやろうか?

もちろん少年もそれが冗談だと気付くが、一瞬考えてしまわないだろうか、これ?この「金のおいてある部屋の鍵」というフレーズは作者の知り合いの口癖だったんだそうだが、その後も何回か浮上するから油断ができない。例えばベンデルは最初ただ単に「若者」として作品に登場し、その少し後で詳しいキャラクター描写となるが、そこでもしつこく「部屋の鍵」という言い回しがでてくるのだ。とにかく言葉の面でもストーリーの面でも非常に精巧に仕組まれた構成だ:

 Звали молодой человека Остап Бендер. Из своей биографии он обычно сообшил только одну подробрость: «Мой папа, – говорил он, – был турецко-подданный». Сын  турецко-одданного за свою жизнь перемерил мрого заеятий. Живость характера, мешавшая ему посвятить себя какому-нибудь лелу, постоянно кидала его в разные концы страны и теперь привела в Старгород буз носков, без ключа, без квартиры и без дерег.
(若者はオスタップ・ベンデルといったが、自分の来し方についてはたった一つのことしか聞かせてくれないのが常だった:「親父はトルコ国民だった」。そのトルコ国民の息子は人生で多くの職業を転々とした。活気に満ちた性格が災いして、なんであれ一つの仕事に集中できず、あちこち国の果てまで飛ばされる羽目になったあげくに、今このスタルゴロドにやってきたのだった。靴下もはかず、鍵もなく部屋もなく、ついでに金もないまま。)

「トルコ人」と言わずに「トルコ国民」(太字)とわざわざ表現しているのはなぜか一瞬考えたのだが、ソ連は非常な多民族国家だったから(タタール人やアゼルバイジャン人も含めた)いわゆるトルコ人も同国人にいたわけで、それとの区別だろう。上述の箇所で一瞬考えた「部屋と鍵」がまた出てくるが、そこにさらにわざわざ言い立てる必要性が全く感じられない「靴下」が登場してくるのでまた一瞬考える。作品全体、この「一瞬考える」の連続だ。

 それにしても内部の衝動に動かされて一つ所に落ち着けず、転々と各地を回るという点がペチョーリンとしっかり共通している。上でも言ったようにベンデルの方がずっと陽気だが、陽気でももさすが基本はペチョーリンだけあって、その口からは時々若さに似合わぬ虚無的な言葉が飛び出す。例えば自分たちが数日前に川の上流で投げ捨てた椅子が流れて来るのを下流で見つけたベンデルは言う。

Знаете, Воробьянов, этот стул напоминает мне нашу жизнь. Мы тоже плывем по течению. Нас топят, мы выплываем, хотя, кажется, никого этим не радуем. Нас никто не любит, если не считать уголовного розыска, который тоже нас не любит. Никому до нас нет дела.
(なあヴォロビヤノフ、この椅子を見てるとどうも俺たちの人生見てる気がしてくるなあ。俺らも流れの中をフラフラ漂ってるからな。水に投げ込まれて一旦沈んだのがまた浮かび上がって流れ出してさ。でも誰もそんなこと喜んでないようだしさ。民警の追手を別にすれば俺らは誰からも好かれてないよな。その追手だって別に俺らが好きでやってるわけじゃないしさ。本当なら誰もこっちにかまっているヒマなんてないや。)

この悟りぶりもまさにペチョーリン。事実『12の椅子』は『現代の英雄』を念頭に置いていることが明らかでレールモントフの名がズバリ何回も言及されるし、モスクワ以降二人が旅立つのもコーカサス。『現代の英雄』の舞台である。

 もう一つ。ベンデルがスタルゴロドの有力者(?)を集めてありもしない秘密組織に誘いこみ、「活動費」として金を巻き上げるシーンがあるが、これなんかはドストエフスキイの『悪霊』をパロったのだろう。対応する『悪霊』のピョートル・ヴェルホヴェンスキーというキャラはそれこそ誰からも愛されない人物だったが、ベンデルの方は小説内ではともかく、読者からは非常に愛されて、同じ主人公でもう一つ小説が描かれたほどだ。それがこの本に収まっているもう一つの作品『黄金の子牛』である。

 レールモントフもそうだが、暗示ばかりでなくロシア文学の大物作家の名前がよく名指しされている。プーシキンはもちろんトゥルゲーネフやトルストイ、詩人のマヤコフスキイなどの名前が言及される。レーピンなどの画家の名前も出てくる。他にいろいろ私の知らない名前が出てくるがソ連の人ならツーカーに通じるのだろう。
 その中で私が最も「おっとっと」と思ったのが、ニキーフォル・リャピス Никифор Ляпис なるヘッポコ詩人のペンネームである。超ワンパターンな作品をあちこちの雑誌に持ち込んではボツを喰らい続けている。 Ляпис は「硝酸銀」という意味で、そもそもロシア語の人の名前としておかしいが、さらのこの言葉は似た響きの別単語 ляпсус に連想が行く。ズバリ「へま」だ。事実さる雑誌の編集長がつい間違えたのか、ワザとやったのか、詩人氏を ляпсус と呼んでしまう。名は体を表すを地で行っている。そのヘッポコがよりによってトゥルベツコイ Трубецкой というペンネームを使っているのだ。しかもこの名前は件の編集長氏から人から「もうちょっとマシなペンネームをつけるわけにはいかないのか」とまでおちょくられる。なんだこれは?トゥルベツコイという名前はダサいのか?ここでからかわれているのはまさか世界中で尊敬されている言語学者のニコライ・トゥルベツコイ(『141.アレクサンダー大王の馬』参照)のことなのか?トゥルベツコイは侯爵家の出だが、父親は大学の総長おじも学者のインテリ一族で革命期には息子のニコライも大学で教えていた。20年代始めに亡命してブルガリアなどを経てウィーンに至り、そこで大学教授をしているとき(ドイツ語で)書き上げたのが代表作の『音韻論概説』Grundzüge der Phonologie である。トゥルベツコイの死後、1939年にプラーグで出版された。なぜプラーグかと言うと、トゥルベツコイはいわゆる構造主義のプラーグ学派に属していたからである。つまり時期的にはイリフ・ペトロフの活動期と一致しており、1928年の『12の椅子』でパロられてもおかしくはないのだ。しかしその一方大学教授などと言う象牙の塔の住人の名前が一般の文学愛好者に「広く」知られていたかというと疑問が残る。誰も知らない学者をからかっても読者には通じないからおちょくり甲斐がないだろう。もしイリフ・ペトロフばかりでなく当時のソ連市民が広く言語学者の名前を知っていたとしたら(しかも構造主義言語学などというお堅い分野)それはそれで結構恐ろしい社会ではないだろうか。アインシュタインじゃないんだから。とにかくどうもこの「標的」はニコライではあるまいという気がしたのでちょっと調べてみるとトゥルベツコイ侯爵家はロマノフ級に有名な家系で、16世紀から歴史上の人物を何人も輩出している。だからここでおちょくられているのは革命以前の貴族全般ということで、ロマノフの名を揶揄したのではあまりにもストレート過ぎて機智に欠けるからトゥルベツコイにしたのかもしれない。そのうち誰かに聞いてみようと思っている。

 もう一カ所私が盛大に「おーっとっと」と思ったのが、ラスト近くの Ну, друже, готовьте карманы  というベンデルのセリフだ。「さあ、相棒、ポケットの用意をしとけよ」だが、ここの друже という形は明らかに друг(「友人」)の呼格形。ロシア語は語形変化パラダイムとしての呼格は失ってしまったが、бог (「神」)という語にだけは本来の呼格形(『90.ちょっと、そこの人!』参照)が残っており「おお、神よ」は боже мой である。その他の語は主格で呼びかけるから「友人よ」は普通 друг! のはずのところを「神」と同じく語形変化させて друже になっている。あんまり感動したのでロシア人を捕まえて確認してみたが、やはり昔存在したパラダイムの記憶はおぼろげに残っているようだ。

ラスト近くでガーンと目を射る друг の呼格
druze-Vokativ
 ところで『12の椅子』を読んで、「この怪しげな2人組対さらに怪しいもう一人の三つ巴ってパターン、『続夕陽のガンマン』はここからインスピレ―ション受けたんじゃね?」と言ってきた人がいる。言われてみると確かにこの作品はイタリアで1969年、つまりまさにマカロニウエスタンの全盛期に映画化されているから、ストーリー自体は当地でも知られていたはずだ。レオーネやヴィンツェンツォーニがそこからアイデアをとったというのはあり得ない話ではない。レオーネはインタビューで「私は夢破れた共産主義者だ」とかいっていたことがあるし、ソリーマさえも元共産党系パルチザンだったそうだし、そもそも映画監督や脚本家にいわゆるサヨクが多いのはどこの国でも共通である。当時の映画人がある程度ソ連文学に馴染んでいても不思議ではない。バーベリやイリフ・ペトロフの棺桶フリークぶりを見ても(『184.棺桶から機関銃:Одесские рассказы』参照)、一概に「ソ連文学を読んでもマカロニウエスタンを思い出すお前はビョーキだ」とは言い切れないと思う。

 ついでにこの記事の冒頭で述べた「切腹モノの無知」についても一言ある。人気の点でもモチーフの点でも、日本で言えばちょうと『坊ちゃん』と『吾輩は猫である』を合体させたような国民的文学である『12の椅子』を知らなかったのは私だけのせいか(そうだよ)。例えばうちにあるドイツ語版の「ロシア文学作家事典」にもイリフ&ペトロフの名は載っていない。ロシア人に聞いても「知りません、そんな作家」という人が何人も載っているのに「まともな教養があったら誰でも知っている」作家の名がないのはなぜか。どうもそこには西欧のフィルターがかかってしまった気がする。ソ連政権から実際に迫害されたり亡命したり収容所に送られた作家を優先的に掲載し、国内でポピュラーだった作家は抜かされたのではないだろうか。だからショーロホフも当然名が出ていない。さすがにゴーリキーの名はあるが、それも嫌々載せている感が漂っている。ショーロホフは『190.人間の運命』で述べた通り、やや問題のある作家だから無視されたのだろうが、とにかく人選に微妙な歪みを感じる。私一人が切腹して済む問題ではないのだ。


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