機種とブラウザによってはブランクが二つ以上続いた場合自動的に一つに縮められてしまい(余計なことするなバカタレ)せっかくの苦労が水の泡、レイアウトが崩れるので画像にしたりブランクの代わりにハイフンを使って直しました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 以前にも書いたが、構造主義を発達させたのは言語学、特に音韻論である。「音素」という観念がすでに大発見だと思うが、それをさらに分割した最小単位「弁別的素性(そせい)」というアプローチが構造主義が広がる出発点となった。ヤコブソン、トゥルベツコイなどがあくまで言語学用に確立したこの観念を人類学・民族学者などがちゃっかり(?)拝借して応用し、そこから一般に広まった。民族学などの本の方がギチギチの理論詰めで書かれている無味乾燥なトゥルベツコイの『音韻論概説』なんかよりよっぽど読みやすくて面白いからだ。
 しかしロシア語を勉強した者ならふと疑問に思う人も多かろう:構造主義の先頭を走っていたロシア・ソビエトの学者はその後どこへ行ってしまったんだ?フォルトゥナートフがモスクワで、ボドゥアン・ド・クルトネがカザンで構造主義の先鞭を付けていたはずだが、その鞭は今何処にあるんだ?ド・クルトネについてはスラブ語学者の千野栄一氏もエッセイで強調しているが、ソシュールより30年も前にすでに構造主義言語学の基本的な考えに到達していたのである。プラーグ学派がナチにつぶされ、ユダヤ人のヤコブソンがアメリカに亡命してそこでアメリカ構造主義の発展の一因になったことはまだわかる。しかしナチに打ち勝った本家ソビエト・ロシアの構造主義はどうなったんだ?と。実際私たちのように外部にいるものには、1930年ごろから1960年ごろまで、こちらで構造主義やらソシュール言語学やらが花開いていた時期のソ連の業績がほとんど伝わって来ない。
 幸い、といっていいのかどうか、今では少なくともその暗黒時代の原因については皆に知られている。スターリンの御用学者のマールという言語学者だ。この人が1925年あたりからソ連言語学を牛耳り、自身の死後もスターリンの後押しでその言語学は影響力を失わず1950年代まで君臨し続けたからである。その言語学は一言でいうとイデオロギーを完全優先させたもので、言語の発展や変化の過程を階級闘争の一環として把握しようとする。印欧語学も構造主義の言語学も「ブルジョア脳」が生み出したものとして排除された。どうしてスターリンが言語学などというマイナーな分野に口を入れたのかよくわからないが、マールがグルジア人だったので同胞のよしみということなのかもしれない。また構造主義言語学がブルジョア言語学に見えたのは、当時の学者はド・クルトネにしてもソシュールにしてもトゥルベツコイ侯爵にしても貴族や裕福な家庭の出、つまりええとこのボンが多かったので、その思想も階級の敵という扱いになったのではないだろうか。1950年代にスターリンが突然掌を返してマールの説を放棄し、50年代中ごろからソ連でも構造主義がリバイバルするが、30年近く発展を阻まれてた言語学者の被害は甚大、いわばせっかく自分たちで築き上げた成果を民族学にさらわれる前に自分たちで滅茶滅茶に踏みにじったのである。
 このブランクのため50年代後半に構造主義言語学にOKが出てもしばらくはもたついていたようだ。構造主義への批判もあった。「構造主義は言語という人間の営みを非人間化している」と言う声もあったそうだが、そういえば一見人間の実際の生活や文化から遊離しているかに見える抽象的な理論に対しすぐ生活の役に立つの立たないのとケチをつけだす小学生が『身体検査』というソログープの短編に出ていた。大人になっても言語理論が一見日常会話言語と乖離し、言語学をやっても全く語学には役立たない(『34.言語学と語学の違い』参照)、こんなアプローチをやって何になるのかという懐疑を持っている人は多い。
 しかし一方かつて世界をリードしていたロシアの伝統はさすがに消えはせず、土台は残っていたので(その土台に立っていた建物はマールが焼き払っていたにせよ)そこからまた言語学の建設が始まった。チョムスキーの Syntactic Structures などいち早く紹介され、そのモデルをロシア語に応用した独自の変形文法理論などもすぐに出た。その一人がS.K.シャウミャン Себастиан Константинович Шаумян である。1965年に Структурная  Лингвистика(『構造主義言語学』)というズバリなタイトルの本を出して独自の生成モデルを展開し、それを「適用文法」と名付けて1974年にАппликативная грамматика как семантическая теория естественных языков(『自然言語の意味理論としての適用文法』)という論文(本)で集大成している。前者は1971にさる言語学のシリーズの一巻としてドイツ語訳が出ていて、そのシリーズ全般を監修したのがコセリウである。後者は1978年に『適用文法入門』というタイトルで出た日本語訳がある。
 時期的にはチョムスキーの変形生成文法がいわゆる(拡大)標準理論だったころで、もちろんその影響を強く受けている、というよりこれはチョムスキー標準理論のロシア語版である。いわゆる「言語ユニバーサル」という考え方が前面に出ていて、あらゆる言語を共通のモデル、共通の公式化で文法記述できる、少なくともそういうユニバーサルな公式化を目ざすという姿勢が顕著だ。英語やロシア語はその手始めなのである。さらに文法というのは既に発話された言語データの説明記述ではなく、その生成のメカニズムの再現であるべきだという考え。演繹面の強調である。言語構造を認識するためには統計的な手法は役に立たないとはっきりと述べている、また言い間違いや言語状況に左右される不純物を除いた理想的な言語あるいは「潜在的な言語」という想定もチョムスキーそのままだ。さらに、小さなことだが、名詞に付加された形容詞は関係節文を圧縮した結果とする見方も懐かしいというか当時の変形生成文法そっくりだ。
 
シャウミャンの別の論文にはチョムスキー式の樹形図が出ている。Структурная  Лингвистикаのドイツ語訳から。
StLingu213
 違う点はシャウミャンではそもそもそのタイトルからもわかるように文の生成の出発点からすでに語の意味(特に格の意味)や動詞のバレンツ構造が大きな意味を持つことである。当時の変形生成文法ではシンタクスと意味部門は別モジュールになっていて、共起制限の発動や格の意味(後にΘ役割とか呼んでませんでしたか?)の添加はシンタクス構造がある程度固まってから、少なくともシンタクス構造生成の過程で行われていたが、適用文法では格や動詞の意味が文生成の出発点だ。言い換えると適用文法では統語と意味を区別しないのである。格変化のパラダイムを全てと言っていいほど失った英語と、それをまだ豊かに持っているロシア語との違いという他はない。
 21世紀も20年通過した今になってこういうものを出すと、昭和ノスタルジーに駆られてウルウルするおじさんおばさんがいそうだが、変形生成文法の最初の一歩はこんな感じではなかったろうか。

1. S →  NP + VP
2. NP → N
3. N → {John}
4. VP → NP + V
5. NP → N
6. N → {duck}
7.  V → {see}

もちろんこの他にも duck の不定冠詞の a がついたり動詞に三人称 -s が付け加えられる細かい作業があるが、最終的に John sees a duck という文が生成されることになる。1のNPは主語、4と5のNPは目的語だから格が違うが、それは不問にされる。英語では形が全く同じだからである。対してシャウミャンでは出発点から深層格が顔をだす。ごく簡単に一例を見てみよう。

Raplo T1 T2 T3 T4

Rは人称に応じて変化する形式的述語、まあ大雑把に動詞のことである。その後ろにくっ付いているa、p、l、oというのが動詞のバレンツだが、注意すべきはこれがいわば深層格であって表面上に出てくる(つまり辞書に載っている)動詞の支配する格構造とは違うということだ。あくまで抽象的な深層の格構造であって、実際に具体的な発話として実現される際は別個の格になったり前置詞がくっついて来たりする。シャウミャンは格を「状況関与成分が演じている役割の呼び名」と定義していて、「役割」という言葉がチョムスキーとよく似ている。a は奪格 аблатив、p は通格 пролатив、l は向格 аллатив、o は対象格 объектив といい、それぞれ運動の起点、運動の通過点、運動の終点、動いている点そのものを表わすが、その際純粋に物理的な運動ばかりでなく、例えば

Иван нанёс  рану Петру ножом
Ivan主格 + bore/carried + a wound対格 + to Peter 与格+ with a knife造格
イワンがピョートルにナイフで傷を与えた


では、イワンが a、傷が o、ピョートルが l、ナイフが p だ。さらに次のような文の成分も深層格は上と同じだが、表層格は全く違う。前置詞を伴ったりもする(太字)。

Нанесена Иваном ножом Петру рана
is born/carried + by Ivan造格 + with a knife造格 + to Peter与格 + a wound主格

Рана нанесена Петру Иваном с помощью ножа
a wound主格 + is born/carried + to Peter与格 + by Ivan造格 + with the help of a knife生格

また動詞がバレンツ項目を吸収して意味の圧縮が起こることもある。例えば

Иван ранил  Петру ножом
Ivan + wounded + Peter + with a knife
イワンがピョートルを傷つけた

ではRo が一つの動詞に圧縮されている。
 Tは深層格を担う成分で、数字の順番通りにa、p、l、oの格役割を割り振っていき、T が a、T2 が p、T3 が l、T4 が oとなる。ここら辺は当時のチョムスキーなら

T1 → Ta
T2 → Tp
T3 → Tl
T4  →  To


とか何とか書きそうだが、シャウミャンはこれを次のように表わしている。
Schema1-168
Tの番号を見れば深層格も自動的にわかるので必ずしも必要ではないが、語順変換規則を適用した後などこんがらがりやすい時は明確にしておくためTにさらに格記号をつけることもある。T1a、さらに最初の番号を取ってしまって Ta などと書いたりもする。最終的にはこの T にさらに具体的な語彙素が代入される。これが構造の具現化である。上で出した懐かしの公式にある { } のようなものだ。

Raplo Иван  нож  Пётр  рана

 話が前後するが、実はこの Raplo T1 T2 T3 T4 というの4項構造がそもそもさらにいくつかの2項からなる原初構造(シャウミャンは「公理の型」と呼んでいる)から派生されたもので、全くの出発点ではない。だから前述の Иван нанёс рану Петру ножом などの文も直接 Raplo T1 T2 T3 T4 から導き出されたのではないと言う理屈になる。Raplo T1 T2 T3 T4 が生成された過程は以下のように図示できる。

Rao T1 (Rpo T2 (Rlo TT4))
Rao Иван (Rpo  нож (Rlo  Пётр рана))

( )はちょうど掛け算より足し算を先にするときに使うようなもので、括弧内部の処理をしてから外の計算(?)をかけろという意味だ。これがいわば深層構造でここに様々な変形規則を適用する。ちょっとごく簡単な例をみてみよう。

Он обрабатывает деталь
he + is processing + a/the part
彼が部品を加工している。


という文の出発点は次のような公理であり、

Roa (Rlo T1l T2o) T3a

この文の意味の深層構造は

* Он каузирует, (чтобы) деталь была в обработке
* he + causes, +  (that) + a/the part + was + in + a/the process
 
となる。 he が T3a、a/the part が T2o、a/the process がT1l であることがわかる。この基本形に二段階の演算処理が施される。

1. Roa (Rlo T1l T2o) T3a ------- (A)
2. B Roa (Rlo T1l ) T2o T3a --- (B)
3. Poa  T2o T3a ------------------ 融合規則 1.8

2の頭についている B というのは「意味規則」と言われるものの一つで処理の優先順位を変える。Aは(私の理解した限りでは)「絶対的被演算子」と呼ばれる、つまり始めの一歩だ。意味規則の他に融合規則と言うのがあり(3)、その1.8は

B Roa (Rlo T1l ) →  Poa

と図式化され、Pは「基本的述語」、シャウミャンの言葉でいうと「任意の複合の度合いを持った辞項の代表」である。上で述べた「意味の圧縮」を念頭に置くとわかりやすいと思うが、ここでは (Rlo T1l )が独自にまとまって

находится в обработке
is situated + in a/the process
加工中である


という意味単位を作る。

 さてこの文の受動表現のほうは別の公理から出発し、4段階の演算を経て次のように生成される。

Деталь  обрабатывается им
a/the part + is being processed + by him
部品が彼によって加工されている


1. Rao T1a (Rlo T2l T3o) ------------- (A)
2. C Rao (Rlo T2l T3o) T1a ---------- (C)
3. B (CRao) (Rlo T2l) T3o T1a ------ (B)
4. C (B (CRao) (Rlo T2l)) T1a T3o -- (C)
5. Pao T1a T3o ------------------------- 融合規則 1.1

この文の公理は  Rao T1a (Rlo T2l T3o) だから、その深層意味構造は

* (То, что) деталь в обработке, каузируется им
that + a/the part + in a process + is caused + by him

である。融合規則 1.1というのは

C (B (C Rao) (Rlo T1)) → Pao

というもの。
 これらは単純な文だからまだ付き合えるが(付き合うついでに誤植ではないかと思われる部分があったので勝手に直しておいた)、埋め込み文だの関係節だのになるとこんなもんじゃなく文一つ作るのに延々と演算が続く。また最初の絶対的被演算子が同じでもそこにかます演算の種類や順番が違うと非常に異なったアウトプットになる。さらにここからまた形態素の変換規則、それをまた音韻に変換する規則がたくさん続くから、まだ実際の発話となって出てくるまで道は遠い。

 まあこのように変形生成文法標準理論のロシア語版なのだが、一つエラく気になった部分があった。いわゆる「主題(トピック)」という観念の把握だ。シャウミャンは絶対的被演算子 としての文構造の最後に来る基項を「意味的に一番重い」とし、これを「主題」と名付けている。表面層ではこの主題が文頭に立つのだが、この考え方はそれこそプラーグ学派のテーマ・レーマ議論から一歩も出ておらず、しかも一部混同している。プラーグ学派で「意味的に一番重い」、つまり「情報価が高い」とされたのはテーマでなくレーマのほうだ。いわゆる「新情報」だからである。しかし当該指示対象が既知か未知か、既知だったらどれほど既知かという度合いをreferential status 指示のステータスというが、これと主題・述部といった文の情報構造とは理論的には互いに独立、無関係であるということはチョムスキー側ではそれこそ既知となった。私の覚えている限りでは1981年にイスラエルの言語学者ターニャ・ラインハルトが(言葉は違うが)そういうことを言っているし、なによりチョムスキー側には1960年代から日本の言語学者が多数参加し、「主題」を表わす特別な形態素を持っている日本語を議論に加えたことが大きいと私は考えている。日本の言語学者が世界レベルで果たした貢献であると。
 つまりプラーグ学派のテーマ・レーマ理論は「古い」のである。もちろん1960代当時は英語学側でもまだ議論が進んでいなかったから、その後の発展と比較してシャウミャン側を云々するのはフェアではないし、未だに日本語の授業で助詞の「は」は既知の情報を表わすなどというアンポンタンな説明をする人もいるから、こちらもあまり大きな顔はできまい。

一般化された語彙的意味を持つ深層語形から具体的な語彙的意味を持つ深層語形への変換。『適用文法入門』から。
234


深層の名詞語形を表層の名詞語形に変換する規則。これも『適用文法入門』から。
240

名詞の語形変化をその音韻表示に変換する規則。同上
244

「与える」という意義を持つコミュニケーション動詞の断片的な転換意味の場の生成の例(のごく一部)。同上
252


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ