『172.デルス・ウザーラの言語』で述べたが1975年の黒澤明以前、1961年にソ連の監督アガシ・ババヤンが『デルス・ウザーラ』を映画化している。この2本を比べてみると結構面白い。
まず単純に長さだが、黒澤のが2時間21分、ババヤンのが1時間26分で前者が一時間近く長い。これは黒澤版が二部構成になっているからだ。
黒澤映画ではデルスがアルセーニエフの探検に二度同行する。最初の探検の後アルセーニエフは一旦デルスと分かれ、5年後に再びウスリー江領域を訪れて再会を果たす。再会のシーンが感動的だ。その2回目の探検の後アルセーニエフは少し年を取って体も衰えていたデルスをハバロフスクの自宅に引き取るがデルスは町の生活になじめず結局タイガに帰っていく。この二度目の別れの後アルセーニエフに電報が来て、森で死んでいたゴリド人が名刺を持っていたから人物確認してくれと言ってくるのだ。ラストシーンは呆然として埋葬されたデルスの脇にたたずむアルセーニエフの悲痛な姿である。デルスの死後再びその地を訪れたが墓の場所が見つからず、それをまた悼む姿がファーストシーン。1910年とテロップに出る。
ババヤンでは探検は一回のみ。だから再会シーンがない。構成も一重で、1908年にアルセーニエフのところに使いが来て、死んだ人が名刺をもっていましたと言って見せる。それが自分がかつてデルスに渡した名刺と気づき、デルスを回想し始める。ラストは日本海岸に出て目的に達した探検隊とデルスの別れで、アルセーニエフはそこでいつでも気が向いたとき訪ねてきてほしいといって名刺に住所を書いてデルスに渡す。つまりハバロフスクのシーンはババヤンにはない。
まとめてみると黒澤の映画が「死を回想→出会い→別れ→再会→二度目の別れ→死の知らせ→追悼」という構成なのに対し、ババヤンでは「死の知らせ→出会い→別れ」と単純なものになっている。さらにうるさく言えば回想の対象も両者では異なっていて、黒澤映画で回想されるのは「死」(死んだデルス)である一方ババヤンのアルセーニエフが想いを馳せるのは「生」(生前のデルス)である。双方デルスとの別れがラストではあるのだが、ババヤンのデルスはアルセーニエフと別れる時もちろんまだ生きている。対して黒澤のラストは永遠の別れで、デルスはもうこの世にはいない。映画製作当時、ババヤンは40歳、黒澤は65歳。40歳といえば黒澤のほうは『七人の侍』映画を撮っていた頃でまさに壮年期だ。さらに『デルス・ウザーラ』を作った時の65歳というのもただの65歳ではない。自殺未遂の直後である。この辺を考えると黒澤は死に想いを馳せ、ババヤンは生を描いたという差がわかる気がする。
ババヤンの『デルス・ウザーラ』の冒頭。使いが知らせを持ってくる。

黒澤明の『デルス・ウザーラ』の冒頭で友の墓の場所がわからず、悲嘆にくれるアルセーニエフ。
ババヤンのラストシーン。デルスとの別れ。デルスは(まだ)生きている。
黒澤では「永遠の別れ」がラスト。デルスはもうこの世にいない。
構成もだが描かれるエピソードもかなり異なっている。原作は同じでもそこから取捨選択し、あるいは付け加え、どう再構成するかに監督の個性や思想が出るのだからこれはまあ当たり前と言えば当たり前だろう。それでも両者に共通するシーンがいくつかあって非常に比べ甲斐(?)がある。
まずデルス登場の場面だ。兵士らが「熊か」と構えるところにデルスが「撃つな、人間だ。」といいながら近づいてくる。画面の構図はよく似ているしそこで交わされる会話もほとんど同じだ。違うのは邂逅場面にいたるまでの経過で、黒澤はとにかくあらゆるシーンにじっくりと時間をかけて自然を描写し、アルセーニエフの心情を描き出して「準備」を整える。ババヤンはそこでアルセーニエフ一行が探検している地方の「地図」を画面に出すのだ。史実は確かにわかりやすくなるが、自然の神秘性そのもの、あるいは脅威感は薄れ、人間が自然を克服した感が前面に出る。全体的にババヤンの映画は自然描写・心情描写よりもエピソードの描写が主になっている感じだ。出来事の説明である。だから地図も出す。アルセーニエフがデルスと出会う前に実はすでに別の人物が案内役として雇われていたがデルスの登場と前後して道がわからないから家族のところへ帰りたいと言い出し、アルセーニエフがガイド料を半分やって(旅はまだ始まったばかりでこの人は半分の仕事さえしていないんじゃないかと思うが)引き取らせる。そこでデルスに案内を頼むことになるのだが、ババヤンではこういうエピソード語りが「準備」である。また下でも述べるがババヤンには黒澤に比べて自然開発ということへのポジティブ感が漂う。
ガイドが辞めたいというので、アルセーニエフは料金の半額をやって帰らせる。
同行の兵士の一人が現れたデルスにいろいろ質問するが、ババヤンではその兵士はトルトィーギンといい、旅の間中デルスをちょっと上から目線で扱う。ここでも質問の仕方がまるで尋問だ。黒澤ではこれがずっと若い兵士で、口調は馴れ馴れしいが見下げている感じはない。ロシア人とは毛色の違ったデルスに興味津々だ。この兵士はオレンチエフといってトルトィーギンではない。上でも述べたように黒澤では探検は2度行われるが、トルトィーギンなる人物は第二回目の探検に参加しているメンバーなので、この最初の旅には出てこないのだ。ババヤンでは複数の旅が一回にまとめられているのでトルトィーギンが最初から登場しているのである。
胡散臭げにデルスを見ながら話しかけるババヤンのトルトィーギン
黒澤映画では一回目の旅で最初デルスに話しかけるのはトルトィーギンでなくオレンチエフという若い兵士(右)。
もう一つ気づいた点はデルス登場の際アルセーニエフが名前を聞くシーンで、黒澤ではアルセーニエフは最初に「私はアルセーニエフと言う名前だ」と名乗ってからデルスに名を尋ねる。ババヤンのアルセーニエフはこの自己紹介をしない。もちろんアルセーニエフのその後のデルスに対する感服ぶりを見れば、別にこれは上から目線なのでも何でもなくちょっとした脚本の違いに過ぎないことは明白だが考えてみると結構意味深い。
ババヤンのデルス登場シーン。ちょっと暗くて見にくいが真ん中でデルスが「撃つな」と手を振っている。
黒澤での登場シーン
他の箇所でもそうだが、黒澤の描く自然は美しさと共に怖さや冷酷さが鮮明だ。ババヤンもそれはある。ババヤンだっていやしくも Заслуженный артист Российской Федерации(「ロシア連邦功労芸術家賞」)を受けたりした手腕のある監督だ。氏の『デルス・ウザーラ』も IMDB での評価は低くないし、決してツーリスト会社の宣伝ビデオみたいな甘い自然描写にはなっていない。黒澤との違いはババヤンがその冷酷で恐ろしい自然と戦って打ち勝つ人間の勇敢さが前面に出ている点だろう。黒澤からは「人間は決して自然に打ち勝つことなどできない」というメッセージが透けて見える。
黒澤明の凄まじいまでの自然描写。
もう一つ共通なのが、デルスがパイプを失くして探しに戻った際虎の足跡に気付いて自分たちが跡をつけられていることを知り、虎に対して「自分たちはお前の邪魔をする気はないからあっちへ行け」と話しかける場面だ。ババヤンではここで虎がちゃんと(?)姿を現す。黒澤では出てこない。周りには濃い霧がかかり、虎の姿は見えない。しかしデルスには虎がどこにいるかはっきりと察知して霧の中のその方向に呼びかけるのである。闇もそうだが、霧も人間にとっては怖い。これのおかげで遭難や難破して命を落とした人間は数えきれない。人間は「目を見えなくするもの」が怖いのである。デルスはその闇や霧を怖がらない。それらと共存しているからである。そういう、いわば霧中や闇夜でも目が見えるデルスと比べると、ちゃんと足跡があるのにそれを見逃し嵐になるぞと風が大声で報せてくれているのに気付かない兵士など(もちろん私などもその最たるものだ)イチコロだ。現にデルスも兵士たちの目の節穴ぶりに呆れて「それじゃ一日だってタイガではやっていけないぞ」と溜息をつく。ごもっとも。
そのデルスが闇を怖がるようになる。探検隊が森の中で新年を迎えるシーンだ。このシーンは双方にあるが、黒澤とババヤンではまったく取り上げ方が違っている。黒澤ではこの夜デルスは虎の幻影を見る。虎が自分を殺しに来るという恐怖に怯える。デルスが森を怖がり、闇を怖がったのはこれが初めてだ。そしてアルセーニエフとハバロフスクに行くことを承知、というより懇願するのである。デルスの悲劇の始まりだ。これには伏線があって、その前にデルスは不本意にも虎に発砲してしまい「虎を殺せば森の神が怒る。そして自分が死ぬまで虎を送ってよこす」と信じこむ(これがデルスの宗教だ。アニミズムである)。恐れに囚われるようになり「デルスは変わってしまった。ゴリド人の魂に何がおきたのか」とまでアルセーニエフに言わせている。虎への発砲シーンでは本当の虎が登場するが、評論家の白井芳夫の話によると最初ソ連側はそのためにサーカスの虎を連れて来たそうだ。すると黒澤は「こんな飼育された虎じゃダメだ、野生の虎を連れてこい」と言い出した。そうしたらソ連側は本当に探検隊を組織してマジに野生の虎を捕まえて来たというから驚く。しかしそこでソ連のさる監督が「オレが鹿を十頭捕まえてくれと頼んだときは無視したくせになんで黒澤にだけは虎なんだ」と怒った。それに対し当時のモスフィルムの所長ニコライ・シゾフ氏はあわてず騒がず、「あんたも黒澤くらいの映画を撮ってみなさい。そうすれば鹿なんて100頭でも捕まえてやるぞ」と言い放ったという。その怒ったソ連の監督とは誰なのかが気になる。まさかババヤンではないと思うが。
話が逸れたが、ババヤンでは探検記をつけていたアルセ―ニエフがその夜が一月一日である事に気づき、兵士の一人が「じゃあ今日は祝日だ」という。原始林の中で祝日も何もないもんだが、デルスはロシアではその日が祝日なと聞いて「では」とばかりに「特別食」を作って兵士に提供する。しかし兵士の一人は疲労困憊の極致に陥っており、探検の続行を拒否しようとする。その折も折、別の兵士が暗い空をカモメが飛んでいるのを見つける。カモメがいる、ということは海が近いのだ。探検はその目的地に達したということである。こうしてギリギリのところで救われたのだが、ここで私はつい旧約聖書にあるノアの箱舟の話を思い出してしまった。いつまでも水が引かないので絶望しかけていた最後の瞬間、放っておいた鳩がオリーブの小枝をくわえて戻って来たというアレだ。唐突な連想のようだが、私がここで聖書を想起したのには訳がある。ババヤンの『デルス・ウザーラ』にはそれまでにいくつもキリスト教のモチーフが登場していたのだ。
これもどちらの映画にも出てくるが、一行が森小屋をみつけるシーン。デルスが小屋を修繕し後から来る(かもしれない)者のために米と塩とマッチを残していく。「会ったこともなく、今後も会うことはないであろう見知らぬ人のため」に当たり前に見せるデルスの思いやりにアルセーニエフは感銘を受ける。ここは両者に共通だが、ババヤンではその直前に同行のトルトィーギンが「心のいい人物だが神を信じていない。キリスト教徒ではないから魂がない。」と言い切り「オレはれっきとしたクリスチャンだが奴は何だ」と威張る。トルトィーギンの周りに座っていた兵士らもあまりその発言に同調していなさそうな雰囲気だが、デルスの見知らぬ人への献身を見たアルセーニエフは明確にトルトィーギンの姿勢に根本的な疑問を抱く。しかしそのトルトィーギンも最後の最後、別れていくとき自分がいつも首にかけていた十字架をデルスに渡すのだ。あなたをクリスチャンと少なくとも同等の者と見なすという意味だろう。いいシーンだとは思うが結局「キリスト教徒」というのが人間として最上の存在という発想から抜け切れてはいない。
念のため繰り返すが、この森小屋のエピソードは一回目の探検のときであり、黒澤ではトルトィーギンはまだいない。二回目の旅では黒澤でもトルトィーギンというキャラが登場するが外見は似ていても少し印象が違い、デルスといっしょに写真を撮ってもらう際自分の帽子を相手にかぶせておどけるなどずっと気さくそうな感じだ。十字を切ったりクリスチャン宣言する宗教的な場面は一切ない。
「キリスト教ではないから魂がない」と主張するトルトィーギン(左端)。周りの兵士はあまり同調していない感じ。
気さくそうな黒澤のトルトィーギン。
しかし実はこのトルトィーギンばかりではない、ババヤンではそもそもの冒頭、上で述べたようにアルセーニエフのところに来た使いも「タイガで殺された иноверец が見つかりましたが、閣下の名刺を持っておりました」と伝えるのだ。иноверец というのは「異教徒」「非キリスト教」という意味で、つまり非クリスチャンが撃たれて死んでいたということ。黒澤のラストで死体の発見を使える電報には異教徒などといっしょくたにされることなく、きちんとゴリド人と民族名が書いてある。
アルセーニエフにところに来た「撃たれて死んでいたゴリド人が貴兄の名刺を持っていた」という電報。下記参照
ソ連では宗教活動が禁止されていたはずなのにこの宗教色がでているのはババヤンがアルメニア人だからかなと一瞬考えもしたが、別にそんな深い理由があるわけでもなく単に「帝政ロシア時代の風物詩」として描写しただけかもしれない。いずれにせよ黒澤の映画のほうにはキリスト教色が全く感じられない。
もう一つババヤンにあって黒澤にないのが上でも述べた「自然開発や国の発展へのポジティブ思考」である。探検隊が密猟者の罠を見つけてそこにかかった鹿を助け、他の罠も全部撤去するシーンがどちらの映画にもある。黒澤では誰がやったかについては「悪い中国人だ」というデルスの発言があるだけで、罠の撤去そのものはロシア兵たちが行う。ババヤンでは犯人の中国人が実際に画面に登場し(残念ながらロシア人の俳優らしくあまり中国人に見えない)、その一味に対してアルセーニエフが「2日以内にこれらの罠を全て撤去しろ」と厳しく言い渡す。アルセーニエフにはその権限があるからだ。ここはロシア領、皇帝配下の将校は支配者なのだ。黒澤にはこういう支配者の側に立った視点、国家権力というものをポジティブに描く視点はない。
また、これはババヤンの映画にだけだが、大規模な山火事が発生しデルスがアルセーニエフを救う場面がある。そこで動けないアルセーニエフを一旦安全な場所に運んだデルスは、アルセーニエフがいつもそばに置いていた航海記というか探検の記録ノートを置いてきたことに気付いてもう一度火の中に戻っていく。探検の報告書というのはつまりロシア政府がウスリー江畔開発の下調査として命じたもの、つまり国家発展・自然開発の一環だ。デルスは命をかけてこれを守る。そういうデルスを描くその心は「少数民族ながら国の発展に貢献するのはあっぱれ」ということで、さらに突き詰めればロシア国家万歳である。まあ「万歳」というのは大げさすぎるにしてもこれが黒澤には一切ない。ロシアだけではない。黒澤は日本政府も一切万歳したことがない。黒澤が万歳するのはあくまで(正直で誠実に生きる)人間で、『デルス・ウザーラ』でも吹雪のハンカ湖でデルスが救うのはアルセーニエフというあくまで一個人である。
ババヤンのデルス・ウザーラはアルセーニエフを山火事から救い出す。
黒澤ではアルセーニエフは凍死から救われる。
もう一つババヤンのほうだけにあるエピソードがある。アルセーニエフが石炭鉱を見つけて「石炭が出る。ここに町が作れるぞ。そして発展していくだろう」と喜ぶのを見てデルスが「何なんだその汚い黒い石は」とワケが分からなそうな顔をするシーンだ。アルセーニエフは歓びのあまり手帳の地図に感嘆符つきで уголь!「石炭!」と記入する。ここでもババヤンが、「発展・開発」というものを肯定的に見ていることがわかる。そもそも史実としてもアルセーニエフの探検の目的はウスリー江地域の開発の下調べなのだから。デルスのような純粋な魂の持ち主に住むことを許さない町、その人を死に追いやるだけでは飽き足らず、墓の場所をわからなくして静かに永眠することさえさせない「開発」とやらに対して否定的感情を隠さない黒澤との大きな相違点だと私は思っている。
アルセーニエフが石炭鉱を見つけて喜ぶ。
松江氏はさらに続けて、言葉も習慣も政治体制も全く違う国でも同じ映画人同士、監督の意向はうまく現地のスタッフに伝わった、ソ連側は非常に協力的だったと述べている。もちろんそこへ行くまでの特に松江氏本人の苦労は並大抵ではなかったろうが、ソ連側のプロダクション・マネージャー(つまり「映画人」だ)など管理者側の役人の目を盗むために尽力してくれたりしたそうだ。言い換えるとソ連映画界には黒澤監督の創造・芸術的判断と意向を実現されてやれるだけの技術的下地があったということである。上で「上品」と言う言葉を使ったが、映画が上品であるためには質もいい作品でなければいけない。その上品な映画を作れる底力がソ連映画界にはあったのだ。まあエイゼンシュテインやタルコフスキイを生み出した国なのだから今さらそんな当たり前のことを言い立てるほうがおかしいか。変な言い方だが黒澤がいなくてもあれだけの『デルス・ウザーラ』を撮れる国だったのだ。ババヤンの映画を見ていてそう思った。
さて第二の共通点は非常に些末な話なのだが、どちらも画面に出てくるロシア語が旧かな使いであることだ。『159.プラトーノフと硬音記号』で書いたように子音の後ろに律儀に硬音記号が入れてある。ババヤンでアルセーニエフが最後にデルスに渡す名刺をよく見ると自分の住所ハバロフスクがХабаровскъ と硬音記号つきの綴りになっている。ハバロフスクについては黒澤にもテロップが出るが、これにも硬音記号がついていて芸が細かい。現在なら Хабаровск となる。さらに上でも述べたが黒澤のアルセーニエフのところに届いた電報も硬音記号や і という文字が使われていて、それこそ「帝政ロシア時代の風物詩」だ。映画の電報の文面は
ГОСПОДИНУ В К АРСЕНЬЕВУ
ПРИ УБИТОМЪ ГОЛЬДЕ НАИДЕНА ВАША
ВИЗИТНАЯ КАРТОЧКА ПРОСИМЪ ПРИБЫТЬ
ДЛЯ ОПОЗНАНIЯ ТРУПА ПОЛИЦЕЙСКАЯ
ЧАСТЬ СТАНЦIЯ КОРФОВСКАЯ
となっているが(該当箇所を赤にした)、現代綴りではこうなる。I の代わりに И の字。
ГОСПОДИНУ В К АРСЕНЬЕВУ
ПРИ УБИТОМ ГОЛЬДЕ НАИДЕНА ВАША
ВИЗИТНАЯ КАРТОЧКА ПРОСИМ ПРИБЫТЬ
ДЛЯ ОПОЗНАНИЯ ТРУПА ПОЛИЦЕЙСКАЯ
ЧАСТЬ СТАНЦИЯ КОРФОВСКАЯ
V. K. あるせーにえふドノ
コロサレタごりどジンノ イタイカラ キケイノ
メイシ ミツカル イタイノ カクニンニ
オコシ ネガイタシ ケイサツショ
カンカツ こるふぉふすかや
ババヤン(上)でも黒澤でも「ハバロフスク」が旧綴り。
まず単純に長さだが、黒澤のが2時間21分、ババヤンのが1時間26分で前者が一時間近く長い。これは黒澤版が二部構成になっているからだ。
黒澤映画ではデルスがアルセーニエフの探検に二度同行する。最初の探検の後アルセーニエフは一旦デルスと分かれ、5年後に再びウスリー江領域を訪れて再会を果たす。再会のシーンが感動的だ。その2回目の探検の後アルセーニエフは少し年を取って体も衰えていたデルスをハバロフスクの自宅に引き取るがデルスは町の生活になじめず結局タイガに帰っていく。この二度目の別れの後アルセーニエフに電報が来て、森で死んでいたゴリド人が名刺を持っていたから人物確認してくれと言ってくるのだ。ラストシーンは呆然として埋葬されたデルスの脇にたたずむアルセーニエフの悲痛な姿である。デルスの死後再びその地を訪れたが墓の場所が見つからず、それをまた悼む姿がファーストシーン。1910年とテロップに出る。
ババヤンでは探検は一回のみ。だから再会シーンがない。構成も一重で、1908年にアルセーニエフのところに使いが来て、死んだ人が名刺をもっていましたと言って見せる。それが自分がかつてデルスに渡した名刺と気づき、デルスを回想し始める。ラストは日本海岸に出て目的に達した探検隊とデルスの別れで、アルセーニエフはそこでいつでも気が向いたとき訪ねてきてほしいといって名刺に住所を書いてデルスに渡す。つまりハバロフスクのシーンはババヤンにはない。
まとめてみると黒澤の映画が「死を回想→出会い→別れ→再会→二度目の別れ→死の知らせ→追悼」という構成なのに対し、ババヤンでは「死の知らせ→出会い→別れ」と単純なものになっている。さらにうるさく言えば回想の対象も両者では異なっていて、黒澤映画で回想されるのは「死」(死んだデルス)である一方ババヤンのアルセーニエフが想いを馳せるのは「生」(生前のデルス)である。双方デルスとの別れがラストではあるのだが、ババヤンのデルスはアルセーニエフと別れる時もちろんまだ生きている。対して黒澤のラストは永遠の別れで、デルスはもうこの世にはいない。映画製作当時、ババヤンは40歳、黒澤は65歳。40歳といえば黒澤のほうは『七人の侍』映画を撮っていた頃でまさに壮年期だ。さらに『デルス・ウザーラ』を作った時の65歳というのもただの65歳ではない。自殺未遂の直後である。この辺を考えると黒澤は死に想いを馳せ、ババヤンは生を描いたという差がわかる気がする。
ババヤンの『デルス・ウザーラ』の冒頭。使いが知らせを持ってくる。

黒澤明の『デルス・ウザーラ』の冒頭で友の墓の場所がわからず、悲嘆にくれるアルセーニエフ。
ババヤンのラストシーン。デルスとの別れ。デルスは(まだ)生きている。
黒澤では「永遠の別れ」がラスト。デルスはもうこの世にいない。
構成もだが描かれるエピソードもかなり異なっている。原作は同じでもそこから取捨選択し、あるいは付け加え、どう再構成するかに監督の個性や思想が出るのだからこれはまあ当たり前と言えば当たり前だろう。それでも両者に共通するシーンがいくつかあって非常に比べ甲斐(?)がある。
まずデルス登場の場面だ。兵士らが「熊か」と構えるところにデルスが「撃つな、人間だ。」といいながら近づいてくる。画面の構図はよく似ているしそこで交わされる会話もほとんど同じだ。違うのは邂逅場面にいたるまでの経過で、黒澤はとにかくあらゆるシーンにじっくりと時間をかけて自然を描写し、アルセーニエフの心情を描き出して「準備」を整える。ババヤンはそこでアルセーニエフ一行が探検している地方の「地図」を画面に出すのだ。史実は確かにわかりやすくなるが、自然の神秘性そのもの、あるいは脅威感は薄れ、人間が自然を克服した感が前面に出る。全体的にババヤンの映画は自然描写・心情描写よりもエピソードの描写が主になっている感じだ。出来事の説明である。だから地図も出す。アルセーニエフがデルスと出会う前に実はすでに別の人物が案内役として雇われていたがデルスの登場と前後して道がわからないから家族のところへ帰りたいと言い出し、アルセーニエフがガイド料を半分やって(旅はまだ始まったばかりでこの人は半分の仕事さえしていないんじゃないかと思うが)引き取らせる。そこでデルスに案内を頼むことになるのだが、ババヤンではこういうエピソード語りが「準備」である。また下でも述べるがババヤンには黒澤に比べて自然開発ということへのポジティブ感が漂う。
ガイドが辞めたいというので、アルセーニエフは料金の半額をやって帰らせる。
同行の兵士の一人が現れたデルスにいろいろ質問するが、ババヤンではその兵士はトルトィーギンといい、旅の間中デルスをちょっと上から目線で扱う。ここでも質問の仕方がまるで尋問だ。黒澤ではこれがずっと若い兵士で、口調は馴れ馴れしいが見下げている感じはない。ロシア人とは毛色の違ったデルスに興味津々だ。この兵士はオレンチエフといってトルトィーギンではない。上でも述べたように黒澤では探検は2度行われるが、トルトィーギンなる人物は第二回目の探検に参加しているメンバーなので、この最初の旅には出てこないのだ。ババヤンでは複数の旅が一回にまとめられているのでトルトィーギンが最初から登場しているのである。
胡散臭げにデルスを見ながら話しかけるババヤンのトルトィーギン
黒澤映画では一回目の旅で最初デルスに話しかけるのはトルトィーギンでなくオレンチエフという若い兵士(右)。
もう一つ気づいた点はデルス登場の際アルセーニエフが名前を聞くシーンで、黒澤ではアルセーニエフは最初に「私はアルセーニエフと言う名前だ」と名乗ってからデルスに名を尋ねる。ババヤンのアルセーニエフはこの自己紹介をしない。もちろんアルセーニエフのその後のデルスに対する感服ぶりを見れば、別にこれは上から目線なのでも何でもなくちょっとした脚本の違いに過ぎないことは明白だが考えてみると結構意味深い。
ババヤンのデルス登場シーン。ちょっと暗くて見にくいが真ん中でデルスが「撃つな」と手を振っている。
黒澤での登場シーン
他の箇所でもそうだが、黒澤の描く自然は美しさと共に怖さや冷酷さが鮮明だ。ババヤンもそれはある。ババヤンだっていやしくも Заслуженный артист Российской Федерации(「ロシア連邦功労芸術家賞」)を受けたりした手腕のある監督だ。氏の『デルス・ウザーラ』も IMDB での評価は低くないし、決してツーリスト会社の宣伝ビデオみたいな甘い自然描写にはなっていない。黒澤との違いはババヤンがその冷酷で恐ろしい自然と戦って打ち勝つ人間の勇敢さが前面に出ている点だろう。黒澤からは「人間は決して自然に打ち勝つことなどできない」というメッセージが透けて見える。
黒澤明の凄まじいまでの自然描写。
もう一つ共通なのが、デルスがパイプを失くして探しに戻った際虎の足跡に気付いて自分たちが跡をつけられていることを知り、虎に対して「自分たちはお前の邪魔をする気はないからあっちへ行け」と話しかける場面だ。ババヤンではここで虎がちゃんと(?)姿を現す。黒澤では出てこない。周りには濃い霧がかかり、虎の姿は見えない。しかしデルスには虎がどこにいるかはっきりと察知して霧の中のその方向に呼びかけるのである。闇もそうだが、霧も人間にとっては怖い。これのおかげで遭難や難破して命を落とした人間は数えきれない。人間は「目を見えなくするもの」が怖いのである。デルスはその闇や霧を怖がらない。それらと共存しているからである。そういう、いわば霧中や闇夜でも目が見えるデルスと比べると、ちゃんと足跡があるのにそれを見逃し嵐になるぞと風が大声で報せてくれているのに気付かない兵士など(もちろん私などもその最たるものだ)イチコロだ。現にデルスも兵士たちの目の節穴ぶりに呆れて「それじゃ一日だってタイガではやっていけないぞ」と溜息をつく。ごもっとも。
そのデルスが闇を怖がるようになる。探検隊が森の中で新年を迎えるシーンだ。このシーンは双方にあるが、黒澤とババヤンではまったく取り上げ方が違っている。黒澤ではこの夜デルスは虎の幻影を見る。虎が自分を殺しに来るという恐怖に怯える。デルスが森を怖がり、闇を怖がったのはこれが初めてだ。そしてアルセーニエフとハバロフスクに行くことを承知、というより懇願するのである。デルスの悲劇の始まりだ。これには伏線があって、その前にデルスは不本意にも虎に発砲してしまい「虎を殺せば森の神が怒る。そして自分が死ぬまで虎を送ってよこす」と信じこむ(これがデルスの宗教だ。アニミズムである)。恐れに囚われるようになり「デルスは変わってしまった。ゴリド人の魂に何がおきたのか」とまでアルセーニエフに言わせている。虎への発砲シーンでは本当の虎が登場するが、評論家の白井芳夫の話によると最初ソ連側はそのためにサーカスの虎を連れて来たそうだ。すると黒澤は「こんな飼育された虎じゃダメだ、野生の虎を連れてこい」と言い出した。そうしたらソ連側は本当に探検隊を組織してマジに野生の虎を捕まえて来たというから驚く。しかしそこでソ連のさる監督が「オレが鹿を十頭捕まえてくれと頼んだときは無視したくせになんで黒澤にだけは虎なんだ」と怒った。それに対し当時のモスフィルムの所長ニコライ・シゾフ氏はあわてず騒がず、「あんたも黒澤くらいの映画を撮ってみなさい。そうすれば鹿なんて100頭でも捕まえてやるぞ」と言い放ったという。その怒ったソ連の監督とは誰なのかが気になる。まさかババヤンではないと思うが。
話が逸れたが、ババヤンでは探検記をつけていたアルセ―ニエフがその夜が一月一日である事に気づき、兵士の一人が「じゃあ今日は祝日だ」という。原始林の中で祝日も何もないもんだが、デルスはロシアではその日が祝日なと聞いて「では」とばかりに「特別食」を作って兵士に提供する。しかし兵士の一人は疲労困憊の極致に陥っており、探検の続行を拒否しようとする。その折も折、別の兵士が暗い空をカモメが飛んでいるのを見つける。カモメがいる、ということは海が近いのだ。探検はその目的地に達したということである。こうしてギリギリのところで救われたのだが、ここで私はつい旧約聖書にあるノアの箱舟の話を思い出してしまった。いつまでも水が引かないので絶望しかけていた最後の瞬間、放っておいた鳩がオリーブの小枝をくわえて戻って来たというアレだ。唐突な連想のようだが、私がここで聖書を想起したのには訳がある。ババヤンの『デルス・ウザーラ』にはそれまでにいくつもキリスト教のモチーフが登場していたのだ。
これもどちらの映画にも出てくるが、一行が森小屋をみつけるシーン。デルスが小屋を修繕し後から来る(かもしれない)者のために米と塩とマッチを残していく。「会ったこともなく、今後も会うことはないであろう見知らぬ人のため」に当たり前に見せるデルスの思いやりにアルセーニエフは感銘を受ける。ここは両者に共通だが、ババヤンではその直前に同行のトルトィーギンが「心のいい人物だが神を信じていない。キリスト教徒ではないから魂がない。」と言い切り「オレはれっきとしたクリスチャンだが奴は何だ」と威張る。トルトィーギンの周りに座っていた兵士らもあまりその発言に同調していなさそうな雰囲気だが、デルスの見知らぬ人への献身を見たアルセーニエフは明確にトルトィーギンの姿勢に根本的な疑問を抱く。しかしそのトルトィーギンも最後の最後、別れていくとき自分がいつも首にかけていた十字架をデルスに渡すのだ。あなたをクリスチャンと少なくとも同等の者と見なすという意味だろう。いいシーンだとは思うが結局「キリスト教徒」というのが人間として最上の存在という発想から抜け切れてはいない。
念のため繰り返すが、この森小屋のエピソードは一回目の探検のときであり、黒澤ではトルトィーギンはまだいない。二回目の旅では黒澤でもトルトィーギンというキャラが登場するが外見は似ていても少し印象が違い、デルスといっしょに写真を撮ってもらう際自分の帽子を相手にかぶせておどけるなどずっと気さくそうな感じだ。十字を切ったりクリスチャン宣言する宗教的な場面は一切ない。
「キリスト教ではないから魂がない」と主張するトルトィーギン(左端)。周りの兵士はあまり同調していない感じ。
気さくそうな黒澤のトルトィーギン。
しかし実はこのトルトィーギンばかりではない、ババヤンではそもそもの冒頭、上で述べたようにアルセーニエフのところに来た使いも「タイガで殺された иноверец が見つかりましたが、閣下の名刺を持っておりました」と伝えるのだ。иноверец というのは「異教徒」「非キリスト教」という意味で、つまり非クリスチャンが撃たれて死んでいたということ。黒澤のラストで死体の発見を使える電報には異教徒などといっしょくたにされることなく、きちんとゴリド人と民族名が書いてある。
アルセーニエフにところに来た「撃たれて死んでいたゴリド人が貴兄の名刺を持っていた」という電報。下記参照
ソ連では宗教活動が禁止されていたはずなのにこの宗教色がでているのはババヤンがアルメニア人だからかなと一瞬考えもしたが、別にそんな深い理由があるわけでもなく単に「帝政ロシア時代の風物詩」として描写しただけかもしれない。いずれにせよ黒澤の映画のほうにはキリスト教色が全く感じられない。
もう一つババヤンにあって黒澤にないのが上でも述べた「自然開発や国の発展へのポジティブ思考」である。探検隊が密猟者の罠を見つけてそこにかかった鹿を助け、他の罠も全部撤去するシーンがどちらの映画にもある。黒澤では誰がやったかについては「悪い中国人だ」というデルスの発言があるだけで、罠の撤去そのものはロシア兵たちが行う。ババヤンでは犯人の中国人が実際に画面に登場し(残念ながらロシア人の俳優らしくあまり中国人に見えない)、その一味に対してアルセーニエフが「2日以内にこれらの罠を全て撤去しろ」と厳しく言い渡す。アルセーニエフにはその権限があるからだ。ここはロシア領、皇帝配下の将校は支配者なのだ。黒澤にはこういう支配者の側に立った視点、国家権力というものをポジティブに描く視点はない。
また、これはババヤンの映画にだけだが、大規模な山火事が発生しデルスがアルセーニエフを救う場面がある。そこで動けないアルセーニエフを一旦安全な場所に運んだデルスは、アルセーニエフがいつもそばに置いていた航海記というか探検の記録ノートを置いてきたことに気付いてもう一度火の中に戻っていく。探検の報告書というのはつまりロシア政府がウスリー江畔開発の下調査として命じたもの、つまり国家発展・自然開発の一環だ。デルスは命をかけてこれを守る。そういうデルスを描くその心は「少数民族ながら国の発展に貢献するのはあっぱれ」ということで、さらに突き詰めればロシア国家万歳である。まあ「万歳」というのは大げさすぎるにしてもこれが黒澤には一切ない。ロシアだけではない。黒澤は日本政府も一切万歳したことがない。黒澤が万歳するのはあくまで(正直で誠実に生きる)人間で、『デルス・ウザーラ』でも吹雪のハンカ湖でデルスが救うのはアルセーニエフというあくまで一個人である。
ババヤンのデルス・ウザーラはアルセーニエフを山火事から救い出す。
黒澤ではアルセーニエフは凍死から救われる。
もう一つババヤンのほうだけにあるエピソードがある。アルセーニエフが石炭鉱を見つけて「石炭が出る。ここに町が作れるぞ。そして発展していくだろう」と喜ぶのを見てデルスが「何なんだその汚い黒い石は」とワケが分からなそうな顔をするシーンだ。アルセーニエフは歓びのあまり手帳の地図に感嘆符つきで уголь!「石炭!」と記入する。ここでもババヤンが、「発展・開発」というものを肯定的に見ていることがわかる。そもそも史実としてもアルセーニエフの探検の目的はウスリー江地域の開発の下調べなのだから。デルスのような純粋な魂の持ち主に住むことを許さない町、その人を死に追いやるだけでは飽き足らず、墓の場所をわからなくして静かに永眠することさえさせない「開発」とやらに対して否定的感情を隠さない黒澤との大きな相違点だと私は思っている。
アルセーニエフが石炭鉱を見つけて喜ぶ。
歓びのあまり感嘆符付きで石炭の出る箇所を記入。
このようにいろいろ相違点はあるのだが、それでも双方ソ連映画だけあって、あまり「興行成績」や「採算」、もっと露骨に言えば「儲け」にカリカリしていない、独特の上品さが漂っていると思った。もちろんまったく金のことを念頭から外すなど不可能で、一応予算枠はあったそうだ。しかしその枠というのがユルく、多少オーバーしても「黒澤監督の芸術性を最優先する」ということでしかるべき理由があればホイホイ(でもないが)追加を認めてくれたらしい。さらに「金に換算できない部分が非常に大きかった」と当時日本から同行したプロデューサーの松江陽一が語っている。上で述べた虎捕獲などもそうだが、探検隊が引き連れている馬。これらは全部モスクワから運んで来たそうだ。その際馬一匹に各々一人ずつ世話をする赤軍兵士が同行していたというから、もしそれらの兵士に報酬を払ったりしていたら物凄い額になっていたはずである。松江氏はさらに続けて、言葉も習慣も政治体制も全く違う国でも同じ映画人同士、監督の意向はうまく現地のスタッフに伝わった、ソ連側は非常に協力的だったと述べている。もちろんそこへ行くまでの特に松江氏本人の苦労は並大抵ではなかったろうが、ソ連側のプロダクション・マネージャー(つまり「映画人」だ)など管理者側の役人の目を盗むために尽力してくれたりしたそうだ。言い換えるとソ連映画界には黒澤監督の創造・芸術的判断と意向を実現されてやれるだけの技術的下地があったということである。上で「上品」と言う言葉を使ったが、映画が上品であるためには質もいい作品でなければいけない。その上品な映画を作れる底力がソ連映画界にはあったのだ。まあエイゼンシュテインやタルコフスキイを生み出した国なのだから今さらそんな当たり前のことを言い立てるほうがおかしいか。変な言い方だが黒澤がいなくてもあれだけの『デルス・ウザーラ』を撮れる国だったのだ。ババヤンの映画を見ていてそう思った。
さて第二の共通点は非常に些末な話なのだが、どちらも画面に出てくるロシア語が旧かな使いであることだ。『159.プラトーノフと硬音記号』で書いたように子音の後ろに律儀に硬音記号が入れてある。ババヤンでアルセーニエフが最後にデルスに渡す名刺をよく見ると自分の住所ハバロフスクがХабаровскъ と硬音記号つきの綴りになっている。ハバロフスクについては黒澤にもテロップが出るが、これにも硬音記号がついていて芸が細かい。現在なら Хабаровск となる。さらに上でも述べたが黒澤のアルセーニエフのところに届いた電報も硬音記号や і という文字が使われていて、それこそ「帝政ロシア時代の風物詩」だ。映画の電報の文面は
ГОСПОДИНУ В К АРСЕНЬЕВУ
ПРИ УБИТОМЪ ГОЛЬДЕ НАИДЕНА ВАША
ВИЗИТНАЯ КАРТОЧКА ПРОСИМЪ ПРИБЫТЬ
ДЛЯ ОПОЗНАНIЯ ТРУПА ПОЛИЦЕЙСКАЯ
ЧАСТЬ СТАНЦIЯ КОРФОВСКАЯ
となっているが(該当箇所を赤にした)、現代綴りではこうなる。I の代わりに И の字。
ГОСПОДИНУ В К АРСЕНЬЕВУ
ПРИ УБИТОМ ГОЛЬДЕ НАИДЕНА ВАША
ВИЗИТНАЯ КАРТОЧКА ПРОСИМ ПРИБЫТЬ
ДЛЯ ОПОЗНАНИЯ ТРУПА ПОЛИЦЕЙСКАЯ
ЧАСТЬ СТАНЦИЯ КОРФОВСКАЯ
V. K. あるせーにえふドノ
コロサレタごりどジンノ イタイカラ キケイノ
メイシ ミツカル イタイノ カクニンニ
オコシ ネガイタシ ケイサツショ
カンカツ こるふぉふすかや
ババヤン(上)でも黒澤でも「ハバロフスク」が旧綴り。