欧州で少なからぬ話者人口を持つロマニ語は文字を持たない言語である。『50.ヨーロッパ最大の少数言語』で書いたように最近では文字化の試みも行われているがあまりうまく行っていない。いわゆる標準言語化も困難だ。だからロマ出身の作家はロマニ語でなく、住んでいる国の言語で作品を著す。
 そういう有名なロマの作家の一人にマテオ・マクシモフMatéo Maximoff(1917 – 1999)という人がいる。バルセロナ生まれだ(という)が、当地には出生記録が残っていない。マクシモフの時代にはロマは周りの社会とは別の独自の部族社会で生き、国境を無視して放浪生活をしていた人が多かったので(今でも一部はそうだ)、出生届を現地の役所に提出したりはしなかったからだ。
 マクシモフの母はフランスのマヌシュと言われるロマでサーカスの綱渡りアーチストとして有名だった。父はルーマニアの南部から来たカルデラシュという、銅細工で生計を立てているロマのグループの属していたが、祖先にはロシアで生活しているグループもいたそうでなるほど苗字がロシア語っぽい。11の言語が話せたそうだ。マテオの言語の才能は父譲りなのだろう。父方の祖父と祖母はそれそれハンガリーとルーマニアのロマだった。
 ここで唐突に思い出したのだが、マテオが生まれたのはまさにバルセロナではアントニ・ガウディがサグラダ・ファミリアの建設に従事していたころだ。そしてガウディもまた銅細工師の家系である。先祖はフランスに住んでいたがバルセロナに移住してきた。この銅細工というのはロマの典型的な職業の一つだが、逆は真ではなく、銅細工師ならロマかというとそうではない。ガウディは完全にバルセロナの社会の中で生涯を送ったカタロニア人である。パラレル社会で生きていたロマとは全く違う。ただ職業家系の点でマクシモフとガウディが接触するのは非常に面白い。
 マテオの一族はガウディと逆にバルセロナからフランスにやってきて住みついた。マテオがまだ子供の頃だ。だから後のマテオの作品の言語はフランス語である。

 さてマクシモフが作家活動に入ったきっかけというのが非常に面白く、まさに「運命」という言葉が思い浮かぶ。
 1938年夏、中部フランスでロマの部族同士が争いを起こし、怪我人や死者が出た。きっかけはマクシモフの部族の少女が他の部族に連れ去られたことだった。抗争はロマの規律にのっとったもので死者が出てもロマにとっては犯罪ではなかった。が、ここはフランスである。当然フランスの法律に従って裁判が行われ、傷害殺人として当事者のロマたちが刑を受けた。その中にマクシモフもいたのである。しかし最年少のマクシモフは直接手を下してはおらず、偵察と見張りを受け持っていただけとわかり、比較的軽い刑ですんだ(それでも殺人幇助だ)。その際マクシモフの弁護を務めたジャック・イソルニJacques Isorni がマクシモフの文才を見抜き、服役中に何か書いてみるように勧めたのである。このイソルニという人は後1945年の戦犯裁判時ペタン元帥の弁護を受け持った。そのあとは政治に転向し死刑廃止にも尽力した人である。人の才能を見抜けるわけだから当然自分自身も文才があったようで自伝も残している。
 そのイソルニに勧められて書いた物が「一囚人が暇つぶしに著した書き物」のレベルを遥かに超えていた。何年か後に出版され大成功を収めた。それがマクシモフの処女作『ウルジトリ』である。ロマの生活を題材にした小説だ。マクシモフはその後も続いて文学作品を書き続け、1985年にはフランス政府から芸術文化勲章Chevalier des Arts et des Lettres を授与されている。1999年にロマンヴィルで亡くなった。
 小説で有名になってもマクシモフはロマとしての生活を変えず、一族と共にロマの部落で銅細工師として生き、作品は夜仕事が終わってから書いた。原稿が出来上がると必ず部落の長の所へ行き、何か不適当なことを書いてはいないか、ロマ以外に知られてはいけないことを漏らしたりしてはいないかチェックを受けたという。妻のTira Parni (この名前の女性が処女作『ウルジトリ』に登場する。下記参照)と二人の子供と同じ部屋で暮らしていた。

マテオ・マクシモフ(中央)
https://www.romarchive.eu/rom/collection/a-delegation-of-the-comite-international-rom-from-paris/から
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 私の読んだ『ウルジトリ』はスイスの出版社刊のドイツ語訳だったが、ちょっとネットでレビューを見てみたら「読み出したら止められなくなって一気に最後まで読んでしまった」と書いている人がいた。本当にそんな感じだった。

 舞台はまだ貴族がいたころのルーマニアである。ロマは馬車で放浪生活をしている。そういう部族の一つの中で暮らしているテレイナという若い女性は元々は別の部族の出だがこの部族の若者の所へ嫁いでいた。しかし花婿は結婚後まもなく死んでしまった。テレイナの母も娘と暮らしていたがこのドゥニチャは魔術使いなので部族の者、特に花婿の父はドゥニチャが息子を呪い殺したのだと想い、二人を憎んでいる。部族の長に嫌われた二人は訪れる人もない。花婿の義妹だけが親切で時々二人のテントにやって来た。
 テレイナは身ごもっていた。クリスマスを過ぎたある夜、母と二人だけで子供を産む。「ああ、あの人が生きていたら」とテレイナは嘆く。テレイナは死んでしまった夫を心から愛していたのである。母ドゥニチャはそれを聞いて秘密を告げる:子供が生まれて三日めの夜、精霊が3人やってきてその子の運命を決める。この精霊をウルジトリと呼ぶ。彼らは姿を現さない、その声が聞こえるだけだがそれを聞くことができるのは特定の人だけである。ドゥニチャもそういう能力を持っていた。ドゥニチャは花婿が生まれたときもそこにいてウルジトリの会話を聞き、花婿は結婚して6か月目に死ぬことを知っていたのだ。それならなぜ私と結婚なんかさせたのだと娘がなじると母は言う。お前は40歳になるまで生きられるがその条件として二十歳になる前に結婚し、21になるまでに子供を産まなければいけなかった。でないとと20歳で死ぬ運命だったのだ。お前が40まで生きられるよう、私は結婚させたのだと。
 そして今テレイナが産んだ子供の運命を決めるウルジトリの声を聞く。その夜ドゥニチャが薪としてくべた木は、その場所で死んだ人の魂がこもっている木から切ってきたものだった。死者を侮辱した罰としてその子はその薪が燃え尽きたとき死ぬだろう。それを聞いてドゥニチャは燃えさしの薪をかまどから抜き出し、火を消して娘に言う。この木切れが燃え尽きない限りこの子は死なない。この命の木切れを生涯守り抜けと。
 ドゥニチャは自分が直に死ぬことも知っていた。テレイナはそれを信じない。だってお母さんはこんなに元気じゃないの、ウルジトリが間違ったのよ。母はそれに答えて言う。そう、私は健康だ。だからこそ私は相当悲惨な死に方をするはずだ、と。
 ウルジトリは間違っていなかった。年が明けてすぐ、テレイナの死んだ夫の兄弟の妻、上で述べたテレイナたちに親切だった女性が急死した。元々テレイナたちを憎んでいた兄弟たちの父はこれもドゥニチャが呪い殺したと確信して、部族の者たちと共にドゥニチャを撲殺する。母を殺されたテレイナは自分の幌馬車で部落を逃げ出すが、途中猛吹雪に襲われて気を失う。
 凍死しかけていたテレイナを救ったのはさるルーマニア人の男爵であった。男爵は子供の頃重い病気にかかって死にかけ、医者も誰一人なすすべがなく手をこまねいていたとき、領内にいたジプシー女が術を使って病気を直してくれた。以来自分はジプシーには大きな借りがある。命の恩人であるその見知らぬ女性へのお礼に雪の中に倒れていたあなたを助けたのだと男爵は言う。その女性こそ母ドゥニチャであった。
 テレイナとその子(アルニコと名付けられた)はその後17年間、男爵の城で過ごすことになる。アルニコは男爵の召使として誠実に働き一度など男爵の命を救う。その令嬢のヘレナとはお互いに心の中で愛し合っているが、身分の違いから言い出すことができない。ある日領地の中にテレイナの一族が滞在していることを偶然知った二人は城を出て自分たちの部族に帰っていく。
 アルニコは部族でも尊敬される人物となるが、用事でブカレストに行ったとき、暴漢に襲われそうになっていた若い女性を救う。それがパルニというやはりロマであった。しかもパルニはテレイナの夫の部族に属し、ドゥニチャやテレイナの話も知っていた。パルニを見染め、その兄弟と友人になったアルニコは、部族間の「停戦」を提案しにパルニの部族の所に趣き、またそこでパルニとの結婚の許可も願い出る。部族の長はいまだにドゥニチャやテレイラ、またその息子のアルニコにはいい感情を持っていなかったが、特に反対する理由もないので停戦に応じようとしたとき、以前パルニの父が軽い気持ちで「娘をやろう」と約束していた部族の男が結婚に待ったをかける。アルニコは諦めて去っていくが、その相手の男を嫌悪していたパルニは愛するアルニコが行ってしまったのを見て自殺する。
 パルニの父も部族の男たちも、パルニが死んだのはアルニコのせいだとしてアルニコを殺そうとする。アルニコの部族の方が「戦力」としては圧倒的に優勢なのでまともに戦ったら勝ち目がないと、何人か刺客を送って殺害を企てるのである。しかし逆にアルニコに刺客を何人も殺され、一人は囚われて「さあ殺せ」と喚くが、アルニコの部族はその者を生かし、パルニの部族への使いを託す。
 それはロマの法に従ってアルニコの部族とパルニの部族のどちらに非があるか正式に決めてもらおうというのだ。裁判には当事者の部族の他に他の部族も呼び、ロマの習慣に従って公正な判断をする。そこで第三の部族も呼ばれるが、判決は「アルニコには全く非がない」というものだった。パルニやテレイナの夫の部族の「逆恨み」は不当であると正式に決まったわけで、これでドゥニチャの復讐も果たしたことになる。
 さてテレイナも40歳に近づき、死期が迫っている。死ぬ前に孫の顔が見たいと、アルニコを部族の長の娘オルカと結婚させ、一年後には子供も生まれる。いよいよ死ぬ間際になったとき、テレイナは嫁のオルカを呼び寄せ、命の薪を手渡してしっかり保管するように、アルニコが年を取って苦しむようだったら楽にしてやるように、またオルカ自身が先に死んでしまいそうな時はその子供に訳を話して薪を渡すように言いつける。女同士の信頼感だ。
 ところが実はアルニコは母の言いつけでオルカと結婚したものの、どうも自分の妻を愛することができないでいる。しかもある時ふと思い立って昔暮らした男爵の城に挨拶に行った際、さる侯爵と結婚させられそうになっていたヘレナと再開して愛を告白され、妻と息子を捨てる決心をし、住処を出ていく。
 アルニコを愛していた妻オルカは絶望し、相手の女を殺すかアルニコを殺すか思い詰めるが、ルーマニア人を殺したりしたらその法律が黙っていない。そこで薪を火にくべる。アルニコは城へ帰る途中、突然心臓に焼けるような痛みを感じ、苦しみながら息絶える。それは以前母テレイナと幼いアルニコが吹雪で倒れていた木の下であった。
 
スイスの出版社から出た『ウルジトリ』のドイツ語訳。小さな可愛い(?)本である。
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 以上が大雑把なあらすじだが、その中でロマの生活習慣が生き生きと描かれている。舞台がルーマニアなのはマクシモフがその父から様々な話を聞かされていたからだろう。部族間で通婚が頻繁だった一方で殺し合いもすること、ロマと非ロマ(ガジョという)の区別が明確であることなどは著者の生活とダブる。ロマニ語も紹介されているので、そのうちのいくつかをちょっと手元のロマニ語事典で確認してみた。
 例えばロマの暮らすテントのことを chara とあるが、これは辞書によるとčerga となっている。カルデラシュの言葉だそうだ。またテレイナがドゥニチャに、アルニコがテレイナに「お母さん!」と呼びかけるとき dale! と言っている。これは daj (「母」)から来たのだろうがこの言葉はバルカン半島のロマが使っていた言葉だ。daleという形はその呼格形で、主にボスニアのロマに見られるもの。カルデラシュなら dejo! となるはず。つまり本人はカルデラシュのマクシモフも他のロマニ語バリアントも知っていて使っていたのだ。マクシモフの両親もそうだが、様々な部族が通婚しているのでそれぞれ自分の部族のバリアントを子供に伝えていたのだろう。
 面白いのでもうちょっと見ていくと「年上の男性に敬意を持って呼びかける」敬称が kaku だが、辞書によるとこれはカルデラシュや他の部族も広く使っている言葉で kak である。 上のdale! が呼格なのだからこれも呼格のはずだが、 呼格なら語尾に -u を取らない。普通男性名詞の呼格は -a になるはずだ。例えば manuš (「人間、夫」)の呼格は manuša。まれに不規則な形をとる呼格もあって、dad(「父」)は dade になったりするが、-u の例は見つからなかった。もしかするとカルデラシュでは kak の他に kaku という形もあって、主格と呼格が同形になるのかもしれない。さらにひょっとすると、-u の呼格形はセルビアあたりのロマから伝わったのかもしれない。セルビア語やクロアチア語では呼格で -u をとる男性名詞があるから(『90.ちょっと、そこの人!』参照)、それに影響されたのかも知れないが、とにかくこの資料だけではなんとも言えない。
 もう一つ drabarni という言葉が出てくる。上のあらすじ紹介で述べたがドゥニチャがこの drabarni で、「魔術使い、魔女」と本には説明してあった。辞書を引くと drabardi という単語が出ていて、これは同じ言葉だろう。 drabarni そのものも載っていて、カルデラシュの言葉だそうだ。しかしその意味は「占い師」とある。つまり未来を予言する力を持った者のことで、「魔女」とはちょっと違う。ストーリーからするとドゥニチャは「魔女」よりむしろこちらである。
 さらにバラバラの単語だけでなくロマニ語の文も出てくる。本には文全体の訳しか載っていなかったので(当たり前だ。これは小説で言語学の論文じゃないのだ)、これもちょっと文法書を調べて確認してみた。例えばアルニコがパルニに会った時、相手もロマだとすぐわかったので聞く。

Kaski shéi san?

「君は誰の娘だい?」という意味だが、kaski は疑問代名詞「誰の」(ドイツ語で wessen、英語の whose)の女性形単数だ(男性形は kasko )。続く単語「娘」が女性名詞なのでそれとの呼応である。その「娘」、shéi は辞書には čhej (ということは最初の破擦音は帯気音)で載っていてボスニアのロマの言葉だと説明されている。破擦音 čh はカルデラシュでは摩擦音 ś になるそうだからsh という表記はそのせいだろう。この「摩擦音化」は他にも見られる(下記参照)。san はコピュラ si の2人称現在形。文法構造としては非常にわかりやすい文だ。パルニが答えないのでアルニコは安心させようとして

Dikes ke rom sim.

と言う。dikes は本当は dikhes で、k は帯気音。動詞 dikhel (「見る、見える」)の2人称単数現在だが、この単語はロマニ語全般に広がっているいわば「ロマニ共通語」だ。ke はカルデラシュ語(?)で、接続詞。ドイツ語の dass、英語の that。次の rom は言わずと知れた「ロマ、ジプシー」で、最後の sim はコピュラの一人称単数。全体で「僕がロマだってことは見ればわかるじゃないか」という意味になる。
 もう一つ。全く違う場面で「引き返せ!、帰れ」を

Gia palpale!

と言っている。Palpale は副詞でロマニ語共通。英語の backwards 、ドイツ語の zurück だ。Gia は動詞「行く」の命令形だが、「行く」は普通 džal と書き、その命令形は dža!。この破擦音 dž がカルデラシュでは摩擦音 ź で現れる。だから命令形は本来  źa!。なおカルデラシュに見られるこれら口蓋化摩擦音 ś と ź はそれぞれ š、ž とははっきり音価が異なるそうだ。後者は非口蓋音。とにかくこの文は Go back! である。

 作品のタイトルともなったウルジトリ、子供が生まれたときその運命を決める3人の精霊という神話は実はバルカン半島に広く見られ、ギリシャ神話のモイラ、運命を決める3人の女神につながる。パルカとしてローマ神話に引き継がれた女神たちである。さらに燃える薪と人の命との連携する話がやはりギリシャ神話にある。英雄メレアグロスが生まれたときモイラたちが薪を炉にくべ、これが燃え尽きない限りメレアグロスは死なないよう魔法をかける。後にメレアグロスが母の兄弟を殺したとき、母は復讐のために命の薪を火にくべる。
 カール・リンダークネヒト Karl Rinderknecht という作家はロマが火というものに特別な魔力をみる世界観は彼らがインドから携えてきたのかもしれないと言っているが、ギリシアにも同じようなモチーフがあるところを見ると、これはインド起源と言うよりギリシャも含めた印欧語民族そのものの古い拝火の姿が今に伝わっているのではないだろうか。原始印欧祖語(の話者)は「火」を崇めていたのだ(『160.火の三つの形』『165.シルクロードの印欧語』参照)。

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