『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』でもちょっと書いたが、1970年代になるとマカロニウエスタンは様々なサブジャンルに分割していった。『荒野の用心棒』『続・荒野の用心棒』が開いた基本路線を踏襲することあまりにも頻繁露骨だったためワンパターンかつマンネリの袋小路に陥ったのを何とか打開しよう、客をおびき寄せようという苦肉の策だ。策の一つはジャンルのトレードマークをさらに強調し、主人公の人物設定をクールを通り越して異常人格にまでデフォルメしたり、ホラー映画じゃあるまいし的な流血シーンを流す。奇を衒う作戦だろうが、その「奇」が次第にエスカレートしてきてマカロニウエスタンの範疇内には収まりにくくなり、その後ジャッロに流れていった(『155.不幸の黄色いサンダル』参照)。もう一つの策はコメディ路線である。こちらの方はホラー路線と違って普通の人(?)でも安心して鑑賞できたのである程度の成功を納めた。有名なのがバッド・スペンサーとテレンス・ヒルのコンビによる「風来坊もの」(『79.カルロ・ペデルソーリのこと』参照)で、この二つはこちらでは「ある程度」どころでなく『続・荒野の用心棒』級のヒットを飛ばし、今でも時々TVでやっている。子供の時夢中でこれを見た人たちが自分自身が親になっても子供と一緒に見たりすることも多いらしく、「二代目のファン」もいる。
 この風来坊ものと呼ばれるのは『風来坊/花と夕陽とライフルと』(1970) Lo Chiamavano Trinita 、『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』(1971)…continuavano a chiamarlo Trinità、『自転車紳士西部を行く』(1972)E poi lo chiamarono il magnificoの三作だが、これを監督したのがエンツォ・バルボーニ(E.B.クラッチャー)である。カメラマン出身で、コルブッチの下でも撮影していた。エンツォの兄が巨匠ピエトロ・ジェルミの下で『鉄道員』『刑事』『わらの男』などのカメラを担当したレオニダ・バルボーニだ。バルボーニの作品は日本ではあまり名を知られていないようだが上述の通りこちらではよくTVでやっている。私も三作全部TVで見た。茶の間でお父さんと(お母さんでもいいが)子供が笑いながら見られる作品だったが、三作似ていてどのシーンがどの映画のだったのかよく覚えていない。ただそのどれかでテレンス・ヒルがやったキャラの名前、「お疲れジョー」der müde Joeというのを覚えていて(確認したら『風来坊/花と夕陽とライフルと』と『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』の両方だった。ドイツ語タイトルはそれぞれ Die rechte und die linke Hand des Teufels「悪魔の右手と左手」と Vier Fäuste für ein Halleluja「ハレルヤのためにゲンコツ四つ」)、昔私のパソコンが古くなって動きがタルくなってきた時、そのパソコンを der müde Joe と名付けておちょくっていた。ところがそれを何の気なしに誰かに「私のパソコンは古くてほとんどder müde Joe」と言ったら一発で通じてしまい、「わはは、昔西部劇でそんなのありましたね」と返ってきたので驚いた。

バルボーニの下でテレンス・ヒルが演じた「お疲れジョー」。
https://www.moviepilot.de/movies/die-rechte-und-die-linke-hand-des-teufels/bilder/708309から
muede-Joe

 さて、バルボーニは実は 『花と夕陽とライフルと』の前、1970年にすでに Ciakmull という西部劇を撮っている。スターのウッディ・ストロードを使い、音楽もリズ・オルトラーニのシリアスで暗い西部劇だ。ドイツ語では「ジャンゴ 長いナイフの夜」Django – Die Nacht der langen Messer というワケわかんないタイトルだ。

 もっともシリアスからコメディ路線に転換したのはバルボーニだけではなく、コルブッチもやっている。1975年の『ザ・サムライ 荒野の珍道中』Il Bianco, il giallo, il neroがその一つだが、これは本当に悲惨な作品だった。イーライ・ウォラックやジュリアーノ・ジェンマが女装して出てくる。後者は何とかサマになっていたが、ウォラックはどこをどう女装しても笑うことさえできない、グロテスクなだけである。さらにトマス・ミリアンが半分日本人という役どころで侍もどきの格好で登場するが、名前がなんと「サクラ」といい、まともなセリフをしゃべらない。日本語のつもりなのかモゴモゴと変な音の連続を発声するだけで、さすがにこの設定はひどすぎるのではないかと思った。コメディにさえなっていない駄作である。原題の Il bianco il giallo il nero(「白人、黒人、黄色人」)もレオーネの Il buono, il brutto, il cattivo(『続・夕陽のガンマン』、「いい奴、悪い奴、ヤな奴」)のもじりであることが明らかで、とにかくちょっとフザケすぎではないだろうか。まあコルブッチだからいいじゃないかと言われればその通りなのだが。とにかくこの人は1970年の『ガンマン大連合』を最後にフランコ・ネロと切れた後、まだマカロニウエスタンが作られているうちから西部劇でない普通のコメディにも手を出していた。マカロニウエスタン修了後もスペンサーとヒルのコンビなどでドタバタ喜劇を作り続けている。それらはまあB級とはいえ一応ちゃんとコメディにはなっていた。

 話を戻すが、バッド・スペンサーとテレンス・ヒルのコンビが「風来坊シリーズ」で大ブレークしたためコンビを最初に見いだしたのはバルボーニだと思い違いしそうだが、実際は最初に2人を共演させたのはジュゼッペ・コリッツィという脚本家出身の監督である(前述)。スペンサーとヒルのコンビで西部劇を3作作っている。Dio perdona ... io no! (1967)、I quattro dell'Ave Maria (1968)(『荒野の三悪党』)、 La collina degli stivali (1969) だが、今調べたら驚いたことに Dio perdona ... io no! と La collina degli stivali は日本公開されていないようだ。音楽はどれも『鉄道員』のカルロ・ルスティケリ。
 これらコリッツイの作品は本来普通にハードなマカロニウエスタンであった。制作年を見てもわかる。1967年から1969年にかけて、ジャンル全体がまだシニカルな残酷路線で売っていた最中だ。ヒルとスペンサーなどキャラクターの方向としてはイーストウッドとリー・バン・クリーフのコンビに代表される初期マカロニウエスタンの基本路線を踏襲している。例えば第一作の Dio perdona ... io no! ではコンビの間で化かしあいをするので、見ているほうはこの二人は本当にコンビなのか一抹の疑問を抱くあたりレオーネ映画のキャラクターそのものだ。時々人物の顔のどアップが出るのもレオーネの影響か。要するに古典的なマカロニウエスタンなのである。脇役も Dio perdona ... io no! ではフランク・ヴォルフ、『荒野の三悪党』ではイーライ・ウォラック、La collina degli stivali ではウッディ・ストロードというお馴染みの顔が出演する。もっともスペンサー&ヒルがイーストウッド&ヴァン・クリーフを「想起」させるかというと全然そんなことはない。コンビのタイプが全く違うからだ。特にスペンサーの役、体格が良く頑丈で腕っぷしがやたらと強いキャラクターはそれまでは主役では登場しなかった。『荒野の三悪人』ではスペンサーがプロのボクサーと殴りあって勝つ場面がある。そこではまだ普通の(?)殴り合い、つまり全然ドタバタしていないが、三作目の La collina degli stivali での乱闘場面には明らかに後にバルボーニが「スペンサー名物」として発展させたドツキ要素が見える。そもそもバルボーニ自身の(陰気な)一作目 Ciakmull では後の風来坊シリーズでテレンス・ヒルがやったように主人公たちが豆料理をがっつき、ポーカーでウソのようなカードの切り方をご披露する。これらをお笑いとして展開させたバルボーニはやはり慧眼なのではないだろうか。その意味でならスペンサーとヒルのコンビはバルボーニが発見したと言えるかも知れない。
 
全然お笑いコンビなどではないコリッツィの『荒野の三悪党』のバッド・スペンサー、テレンス・ヒルとブロック・ピータース。この3人と…
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イーライ・ウォラックで「アヴェ・マリアの4人
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やはりこの人が出ると画面がひきしまる。La collina degli stivali のウッディ・ストロード。
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 その後スペンサーとヒルが爆笑コンビとしてバカ受けし定着してしまったため、初期のハード作品まで後出しジャンケン的に無理やりお笑い映画に仕立て直された。『野獣暁に死す』がその後出しのせいでひどい目に遭った話は以前にもしたが(『146.野獣暁に死すと殺しが静かにやって来る』参照)、非お笑いであったコリッツイの三作も被害を受けた。まずタイトルが変更された。例えば Dio perdona ... io no! だが、最初は原語を直訳してGott vergibt – wir beide nie!(「神は許すが俺たちは絶対許さない!」)だった。その他に主人公の名前をジャンゴに変えた(『52.ジャンゴという名前』参照)Gott vergibt… Django nie!(「神は許すがジャンゴは絶対許さない」)というタイトルがある。この段階ですでにかなりの歪曲だが、そこからさらに中身をカットされ無理やりコメディにされた Zwei vom Affen gebissen(「2人とも猿に噛まれてる」)というバージョンが存在する。この「猿に噛まれた」というのは wie vom wilden Affen gebissen sein(「野生の猿に噛まれたみたいだ」)というドイツ語の言い回しをもじったもので、「凶暴だ」という意味だ。スペンサーとヒルがドタバタいろいろやらかすぞという暗示である。コリッツイ三作目の La collina degli stivali も初めの Hügel der blutigen Stiefel(「血まみれのブーツの丘」)から Zwei hau’n auf den Putz(「二人漆喰をぶったたく」)になった。後者はやはり言い回しで、「ボラをふく」とか「自慢する」、つまり後のコメディでいつもスペンサーとヒルがやって笑いを取っている手である。『野獣暁に死す』の「デブが止まらない」に比べたらマシだろうが(前述)まあ相当の無理がある。二作目の I quattro dell'Ave Maria だけは Vier für ein Ave Maria(「アヴェ・マリアの4人」)とタイトルだけは原題から動かなかったが、内容の方は他の作品同様カットされセリフを変えられ、コメディに歪曲された。この作品も本来はマカロニウエスタン独特のブラック・ユーモアはあるが、全然コメディなどではない。これがコメディだったら『続・荒野の用心棒』は恋愛映画である。
 このズタボロカット、後出しコメディが特にドイツでやたらと生産されたのはどうも当地特有の事情が関係していたのではないかと思っている。その一つがこれまで繰り返し述べてきたような、バッド・スペンサー、テレンス・ヒルのお笑いコンビとしてのドイツでの人気ぶりだ。たとえば『荒野の三悪人』の英語バージョンとドイツ語バージョンを比べてみるとドイツでの毒抜きぶりがよくわかる。ドイツ語版では妙に饒舌というかおしゃべりというか無駄口が多いというか、英語版では何もしゃべっていないシーンにまでおちゃらけたセリフが入っていたりする。英語圏ではバッド・スペンサーとテレンス・ヒルの顔を見ても自動的に笑い出す人が少ないから普通の会話(?)のままでいいのだろう。もっともその英語版も10分ほどカットはされている。
 考えられる二つ目の理由はドイツの検閲機構である。ドイツでは Spitzenorganisation der Filmwirtschaft(「映画産業中央組織」、SPIO)というところが Freiwillige Selbstkontrolle der Filmwirtschaft(「映画産業任意自己規制」、FSK)という制度を作っていて年齢制限を細かく定めている。0歳以上、6歳以上、12歳以上、16歳以上、18歳以上の5カテゴリーで、DVDの表には必ずどのカテゴリーの映画なのかすぐわかるように色分けシールが張ってある。『19.アダルト映画の話』でも書いた通りいわゆるアダルト映画が18歳以上になるのは当然だが、暴力描写にも厳しく、銃で撃たれてちょっとくらい血しぶきが飛んだりするとすぐ成人指定だ。特にその際暴力を礼賛するような雰囲気だと問答無用で18禁。『続・荒野の用心棒』や『殺しが静かにやってくる』どころか『続・荒野の一ドル銀貨』さえ成人指定だ。この指定を食らってしまうとTVでは夜中にしか放映できず、DVDの売り場もエロビデオと一緒くたにされて隅に追いやられるから売りにくいこと夥しい。そこで映画を加工してハードなシーンを取り除き、再びFSKにかけてせめて16歳、できれば12歳にも見せていいように作り直すのである。『荒野の三悪人』の最初のバージョンは本当に18禁だったがそれを必死にいじくり回してFSK12にまで下げた。『続・荒野の用心棒』のように最初からどこをどういじっても子供と楽しめる家族映画になりそうもない映画ならそのまま成人指定(日陰者)に甘んじて貰うしかないが、『荒野の三悪人』は幸いトライするチャンスがあったということだろう。La collina degli stivali(実は私は個人的に三作の中でこれが一番好きだ。もちろんコメディになっていないほうである)はストーリーがいわゆる勧善懲悪的なものであったためか、ちょっとカットしただけでFSK12を達成した。

年齢制限の色分けシール。DVDにはたいてい張ってある。ウィキペディアから。
Von Autor unbekannt - Freiwillige Selbstkontrolle der Filmwirtschaft, Gemeinfrei, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7056867
FSK_Ratings_Dec_2008

 私は一作目の Dio perdona ... io no! はシリアス・コメディ両バージョンともDVDで持っているが、La collina degli stivali はコメディ版だけ。I quattro dell'Ave Maria は持っていない。この機会に改めて手元にある Dio perdona ... io no! をちょっとバージョン比べしてみた。シリアス Gott vergibt – wir beide nie!は109分、コメディ Zwei vom Affen gebissen は82分だ。最初はシリアスなドイツ語バージョンもカットされていたため、私の持っているフルバージョンは一部セリフが英語でドイツ語の字幕が入る。その部分はドイツ語吹き替えがなかったので英語を継ぎ足したのだ。もとのFSK値を16から何とか下げようと努力を重ねて必死にFSK12にまでこぎつけたのがコメディ版だ。その努力の結晶ではまず流血シーンがメッタ切りにされている。人を鞭で拷問したり、真っ赤に焼けた鉄ごてでスペンサーが拷問されるシーンもカット。あと数秒だが女性が殴られるシーンも消えている。いちいちカットシーンを列挙してもキリがないので詳しくは挙げないが、とにかくそれらのシーンを切るにはその前後もある程度切らないといけない、ガンの除去ではないが予防拡大する必要があるから、とにかくシーケンスが飛び過ぎて話がうまく繋がらない。例えばコメディ版だけ見ると突然途中から出なくなる人がいる。この後この人はどうなったんだろうと気になるが、シリアスバージョンではきちんと(?)撃ち殺されている。その人が倒れているシーンはコメディ版にも出て来てはいるがその直前の撃たれるシーンが飛んでいるから見逃す危険大ありだ。また無駄なおしゃべり風の吹き替えも相当なもので、冒頭ポーカーのシーンがあるが、シリアス版では「500ドル」とか「パス」とか無口なポーカー会話しかしていないのに、コメディ版ではまあベラベラベラベラ無駄口がうるさい。上述の『荒野の三悪人』のコメディ・ドイツ語版と英語版の違いそのままだが、うるさいだけでなく会話内容も変わっている。例えばコメディ版ではテレンス・ヒルがスペンサーの協力要請(?)に「分け前はオレが70%、お前が30%ならOK」と返すのだが、原版ではそんなことは全く言っていない。ストーリー設定自体が微妙に変えられているのである。

たかがこれしきのシーンもコメディ版ではすべてカットされている。
GottVergibt-bearbeitet
ドイツ語原版ですでにカットされていたシーンはDVDで突然セリフが英語になり、字幕が入る。それにしても画質が悪い。
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 そのメッタ切りコメディ版のパッケージには mit der Original Synchronstimme von TERENCE HILL(「オリジナルのテレンス・ヒル吹き替えの声」)と書いてある。私はこれを早とちりして最初テレンス・ヒル本人が自分で吹き替えたのかと思ってしまった。テレンス・ヒル、本名マリオ・ジロッティは母親がドイツ人で幼い頃はドレスデンで暮らし、本当にドイツ語を話す。たださすがにドイツ語吹き替えまではできないようで、これはテレンス・ヒルの声としてドイツで有名な(つまり「本来の」)さる声優が吹き替えたという意味である。シリアス版の方は別のあまり知られていない声だったのだ。日本でもイーストウッドが山田康雄以外の声で話しているのを見るとどうも調子が狂うがそれと同じだろう。

2018年ドイツ語のトークショーで受け答えするテレンス・ヒル。


この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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