アルバニアの北部地方とコソボには「男として生きる」女性たちがいる。「いた」と言った方がいいかもしれないが、「宣誓処女」(英語でsworn virgin、ドイツ語でSchwurjungfrau)と呼ばれる人たちだ。アルバニア語でburrneshëまたはvirgjineshëといい、北アルバニアやコソボの他、セルビア、モンテネグロ、北マケドニアなどにも存在していた記録がある。アルバニアということはつまりいわゆるゲグ方言地域である。『100.アドリア海の向こう側』でも書いたようにアルバニア語は南部のトスク方言、北部のゲグ方言に大きく二分され、トスク方言地域はイタリアとも近く、海に向かって開けているある意味コスモポリタン的なところで古くからギリシャ・ローマの文化にも接触のあった先進部だった。現在の標準アルバニア語のもとになったのはこのトスク方言である。対してゲグ方言地域は山がちで外部との接触も少なく人々は閉ざされた封建的な部族社会を形成していたので、ゲグ方言は単にトスク方言と違うばかりでなく方言内部の差も大きい。ゲグ方言とトスク方言の最も顕著な違いの一つは、ゲグ方言で n にあたるところがトスク方言ではロータシズムを起こしていることだ。前に出した例の繰り返しになるが、ゲグ方言の dimën「冬」がトスク方言では dimërとなる。さらにゲグ方言ではバルカン言語連合(『40.バルカン言語連合再び』参照)の特徴に反し、未来形を作る助動詞に「欲しい」 でなく「持つ」を使う。例えば「私は書くだろう」はそれぞれ次にようになる。

トスク方言: do të shkruaj
ゲグ方言:       kam me shkrue

トスク方言の do (下線)は助動詞と言うより助詞・不変化詞にまで退化してしまっているが、元々は「欲しい」という動詞である。次に続く本動詞のtë shkruajは接続法単数一人称。対してゲグ方言の kam(下線)は「持つ」という動詞で語形変化のパラダイムも維持しており、これは直説法単数一人称だ。本動詞の me shkrue のほうが語形変化を消失していて、これは不定形である。「不定形の消失」もバルカン言語連合の特徴の一つだから、この点でもゲグ方言は乖離していることになる。もっともこの「have未来」は他のバルカン言語にも周辺部で細々と観察されてはいる。こちらの方が古い形で「will未来」はそれこそバルカン現象として新しく発生した形らしい。上で挙げたn についてもロータシズムを「起こさない前の」形だから、つまり色々な点でゲグ方言は古い形を維持しているわけだ。社会慣習についてもそれが言えるのだろう。

アルバニア語の方言分布。ゲグ方言の方が細分化の程度が大きいのがわかる。ウィキペディアから。
Albanian_language_map_en.svg
 話を戻すが、burrneshë(ブルネシェ)というのは単数形で複数形はburrnesha(ブルネシャ)。またアルバニア語は冠詞を拘置するからそれぞれの定冠詞形はburrnesha(the burrnesha)、burrneshat(the burrneshas)となる。そのブルネシャは自分の属する村あるいは共同体の長老たちの前で、一生処女で過ごし男となることを宣言する。以後は男の服を着、煙草を吸い、一人で外に出かけて酒場で皆と酒を飲み、さらに職を持って収入を得ることができる。周りの男たちからも男仲間として扱われ、家長にもなれる。それらを定めた慣習法は中世以前、いやローマ以前からあったらしいが、法典(Kanunと呼ばれる)として文書化もされている。最も有名なのが15世紀にレケ・ドゥカジニLekë Dukagjiniという北アルバニアの支配者がまとめたKanunだが、20世紀初頭に至ってもコソボの司祭が再法典化している。

レケ・ドゥカジニの支配した地域。なるほど北アルバニアだ。ウィキペディアから。
Ungefähres_Herrschaftsgebiet_Leke_III._Dukagjini
法典では「復讐法」と言ったらいいのかblood fuedの定めもある。家族の者が害を受けたら加害者の家族に同じことをやり返していい、いややり返さなければいけないという規定で、似た習慣はシチリア、コルシカにもある。『ゴッドファーザー パートII 』の主要テーマにもなっていた。ついでに言えば、シチリアには中世からアルバニア人が住んでいた。

 女性がブルネシャになる主な理由は二つある。第一に、家長によって決められた結婚をしたくない、そもそも結婚したくない場合。上で述べたブルネシャの特権とやらを見てほしい。人とバーに行ったり酒を飲んだり家族の大黒柱になるなど、日本社会なら女性が普通にやっている。男友達も含めた知り合いで集まって楽しくビールを飲むなど、やったことのない女性がいたらお目にかかりたい。そういう普通のことが当地では男性にしかできなかったのである。こういう社会での「結婚」というものが女性にとってどれだけの苦痛であるかは想像するに難くない。もっとも結婚が女の地獄であったのはロシアでもそうだったらしい。プーシキンだのカラムジン、果ては『イーゴリ戦記』だのの貴族文学ばかり読んでいるとわかりにくいが、ロシアの民謡には「嘆きの歌」というジャンルがあるそうだ。どういう時にこの歌を歌うのかと言うと、若い女性が結婚の際に心痛を吐露するのだという。ショーロホフやゴーリキイの短編にもこの地獄を描写した作品がある。これから逃れるには男になるしかなかったのだ。女のままでいたら最後、家長が勝手に夫を決めて強制的に向こうの家族に「あてがわれて」しまう。拒否権はないのである。もちろん現在ではそこまで酷くはないだろうが、私も何年か前にそういうアルバニアの社会意識がドイツに持ち込まれたのを垣間見る機会があった(『13.二種の殺人罪』参照)。
 ブルネシャになる第二の理由は、家族に息子が生まれないことだ。息子がいないと父親の土地や財産を相続することができない。職業につける者もいないから、家族が没落してしまう。また息子がいてもあまりにもボンクラでとても家族を率いる技量がない場合、娘の一人が男にならざるを得ないのである。また親戚の家、例えば叔父さんの家などにまともな息子がいなくて、頼まれてブルネシャとして向こうの家族に出向く女性などもいたということだ。
 このブルネシャの存在は20世紀の初頭に英国の旅行家イーディス・ダラム Edith Durham が著書のHigh Albania(1985年にリプリントが出ているそうだ)で報告しており、最近でも(でもないが)2000年にアントニア・ヤング Antonia YoungのWomen who became menという本が出ている。ヤングはそこでブルネシャたちへのインタビューも行った。以後人類学者ばかりでなく普通のマスコミ雑誌などでもこのブルネシャが取り上げられて有名になった。ストラスブールの放送局ARTEも2019年にもドキュメンタリを流している。ネット上にもブルネシャについての記事が結構あるが、どうも興味本位というか怖いもの見たさというか、知られざる世界的なセンセーション狙いを感じさせられてちょっと引っかかるものが多かった。そういう私もここでこうやってブルネシャについて書いているので同じ穴のムジナかもしれないが、『138.悲しきパンダ』でもちょっと述べたようにエキゾチック感覚に飢えて人様の文化・習慣にドカドカ土足で踏み込む、珍獣を写真に捉えたと言って喜ぶような感覚には違和感を覚える。日本人からすると舞子と芸者の区別もつかない外国人が京都にドカドカ押しかけてただ単に着物を来ていただけ女の人を撮影し、インタビューし、「接触に成功。これがニッポンのゲイシャだジャーン」的な薄っぺらい記事を書かれた時の感覚だろうか。ひょっとしたら外国に日本の文化が紹介されたと言って喜ぶ人もいるかもしれないが、私だったら「見せもんじゃないぞ!」と怒っただろう。当地の社会学者がそこら辺のことに触れているが、今も残るブルネシャ(たいていはすでに高齢だ)はマスコミに完全に誤解されたと感じており、もうジャーナリストとやらとは関わりたくないといっているそうだ。きわめて少数だが外部の「エキゾシズム・フリーク」に乗じて商売を始めた者もいる。3時間から5時間のインタビューに100ユーロだかの料金を要求したりするそうだ。ブルネシャに会うパッケージ・ツアーまである。ブルネシャに会って握手をしてもらうと150ユーロ、インタビューが250ユーロ、いっしょに写真を取ると400ユーロという具合だ。その社会学者はそういう様子を見て非常に心を痛めていたが、私の方まで悲しくなりそうだ。
 上述のARTEにしても、この放送局は非常に硬い番組しか流さないので全く大衆受けがせず視聴率の低い放送局だが、そのARTEのドキュメンタリでさえ、人工的なストーリー性を感じすぎた。ただ、他のアルバニア人、例えばティラナなど開けたトスク方言地域の人は自国のこういう習慣についてどう思っているのかも見せてくれたのでその点公正だと思う。「主人公」の若いアルバニア人女性は北にブルネシャという習慣があることを知り会って話を聞こうとする。それを知った母親は「止めなさいよ、そんな人に会うのは。だって普通じゃないでしょそんな人」と吐き捨てるように言っていた。

ARTEのドキュメンタリに登場したブルネシャ。
Vierges 
 この記事の冒頭に「いたと言った方がいいかもしれない」と書いたが、ブルネシャの習慣はもう廃れていっており、存命のブルネシャは100人もいないのではないかと思われる。だから「全滅しない今のうちに」と(あさましい)パッケージ・ツアーまで生まれるのだろうが、そのうち誰もいなくなるであろうことは確実だ。現在のアルバニアではブルネシャなどになる必要がなくなったからだ。女性は女性のままで(?)男性の付き添いなどなくても外に出られる、職業にもつける、Kanusはその影響力を失い、強制結婚も行われなくなった(まだ残滓のあることは上で述べたとおりである)。もちろんまだ男女同権からは程遠いが、ブルネシャの存在意義はもうなくなっている。

 さて、社会学者はさすがにセンセーション狙いなどせず地味にジェンダー論的観点からブルネシャを観察していた。ブルネシャは「第三の性」なのか、またブルネシャという制度は超封建的な男社会の軛から女性が少しでも開放できるいわば救済制度だったのか。ある意味では女性はブルネシャになることによって男性の持つ殺傷与奪圏外に逃れられたからである。
 まず二番目の疑問に対してはLittlewoodという人(だけではないが)がキッパリとノーといっている。むしろその逆で、男性が支配し女性が隷属するという封建体制をさらに強固にするものであったと。女性と言うジェンダーのままでは自分自身の人生を謳歌できない、それができるのは男性だけだという厳しい2分割原則は全く揺るがないからだ。例えばヤングのインタビューしたブルネシャには過剰適応気味の人がいた。男性以上に女性(つまりセックスの点では同性)に対して支配的、ほとんど攻撃的にふるまう人がいたそうだ。ブルネシャはいわゆる「女性解放」とは反対の側にたっている。
 さらにいわゆる「男装の麗人」ともメカニズムが反対だ。男のような着物を着、男のような言葉使いで暮らしている女性のタイプは映画やマンガに時々出てくるが、これはあくまで女性性を強調にする作戦に過ぎない。現に「麗人」という言葉が表している通り、こういう女性は若くて美人、つまり男性の要求する女性性そのものであり、それが証拠にその手の麗人たちが最後にはちゃっかり男の恋人を見つけてめでたしめでたしになるストーリー展開が多い。変なたとえだが塩を少し入れると汁粉の甘さが引き立つごとく、標準のジェンダー像からわざと外して奇をてらうことによってさらに女性性を強調する手で、一見方向が逆のようだが胸にシリコンを入れ唇にはこれでもかとルージュを塗りたくって女を前面に押し出すのと目的は同じである。
 ブルネシャの本質はセックスの点では「無性」(だから処女を宣誓するのだ)、ジェンダーとしては男ということだ。LGBTなどで時々言われる「第三の性」とも違う。無性だからセックスとジェンダーのギャップ問題も起きない。インタビューで見る限り自己内部の葛藤に悩む声も聞こえてこない。ただ、無性であっても人体構造上は女性だから全く男性と同じわけにはいかない時もある。病気をしたとき男性病棟に入院したいか女性病棟か聞かれたブルネシャは女性病棟だと答えたそうだ。また血の復讐法でも理論上は殺される権利(!)のあるブルネシャが実際に殺された例はほとんどないという話も聞いた。そういった「誤差」はある。あるが「男性ジェンダーの強化」という本質は変わるまい。
 いずれにせよ、このブルネシャが全くいなくなる日は近そうだ。

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