ある意味ではマカロニウエスタンの元の元の大元は黒澤映画、つまり日本の侍映画である。だがこれを模倣してジャンルを確立したセルジオ・レオーネの作品自体からはストーリー以外には特に日本映画の影響は感じ取れない。言い換えるとジャンルを作り出したのはあくまでレオーネの業績で、実際後続のマカロニウエスタンの作品から見て取れるのは顔の極度のアップとか長いカットなどレオーネのスタイルの影響である。
 しかし一方で『荒野の用心棒』の原作が黒沢の『用心棒』であることは皆わかっていたわけだし、『羅生門』がベネチアでグランプリをとるなど日本映画が当時のイタリア映画界には知られていたということで日本映画・東洋映画が完全に無視もされていなかったようだ。レオーネの第二作『夕陽のガンマン』に中国人が出てくるのは私には作品をパクリ扱いされて(まあ実際そうなのだが)裁判まで起こされたレオーネが「あっそ。じゃあ日本の侍ではなくて中国人ならいいだろ」とある種の皮肉を込めて登場させたような気がしてならないのだが(考えすぎ)、その他に東洋人が出てくるマカロニウエスタンは結構ある。セルジオ・ソリーマの『血斗のジャンゴ』(何度も言うが、Faccia a facciaというタイトルのまじめなこの映画にこんな邦題つけやがった奴は前に出ろ!)にも東洋人の女性が出てくる。1969年にもドン・テイラーとイタロ・ツィンガレッリ監督の『5人の軍隊』Un esercito di 5 uominiというマカロニウエスタンに丹波哲郎がズバリサムライ役で出演しているが、それよりトニーノ・チェルヴィの『野獣暁に死す』のほうが有名なのではないだろうか。黒沢の『用心棒』に出ていた仲代達也を準主役に起用している。もっとも起用はしているが日本人役ではなく、民族不明な設定で名前もジェームス・エルフィーゴという、アメリカ人のつもりなのかメキシコ人ということなのかそれとも先住民系なのかよくわからないが、とにかく完全に向こう風である。仲代氏は俗に言うソース顔で容貌がちょっと日本人の平均からは離れているからまあメキシコ人ということにもできたのかもしれない。稲葉義男やビートたけしでは無理だったのではなかろうか(ごめんなさい)。氏を素直に日本人という設定にしなかったのはマカロニウエスタンに日本人が出てきたりするとストーリー上無理がありすぎたからだろう。あの時代のアメリカに早々日本人がいるわけがないからだ(だからテレンス・ヤングの『レッド・サン』など私は違和感しか感じなかった)。まあその無理を丹波の『5人の軍隊』ではやってしまっているが、『野獣暁に死す』にしてもチェルヴィは「サムライ」は意識していたようでエルフィーゴがマチェットをぶん回すシーンでのマチェットの構え方が完全に日本刀だった。私はこれを見たとき「これじゃまるで日本人だ。全然「エルフィーゴ」という感じがしない。どうして監督はこんな構え方を直さなかったんだろう」と思ったのだが、実はトニーノ・チェルヴィ監督がサムライを意識して特に日本刀みたいにやらせたのだそうだ。そういわれてみるとそのストーリー、主人公が目的のために名うてのガンマンの人集めをしていくという部分に『七人の侍』との共通性が感じられないこともない。

マチェットを構えるジェームス・エルフィーゴこと仲代達也。構え方がどう見ても日本刀。

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 さて、この『野獣暁に死す』は制作年が1967年、劇場公開日が1968年3月28日で意外にも『殺しが静かにやって来る』の前である。後者は制作が1968年、公開が同年11月19日だ。「意外にも」と書いたのは、前にもちょっと書いたように(『78.「体系」とは何か』参照)主人公や脇役の容貌などに『殺しが静かにやって来る』を想起させるものが多く、私は最初前者が後者をパクったのかと思ったからだ。作品や監督の有名度から言ったら『殺しが静かにやって来る』のほうがずっと上だったせいもある。まあジャンルファンに限って言えば「セルジオ・コルブッチの名を知らない者はない」と言ってもいいだろう。「マカロニウエスタンが好きです。でもコルブッチって誰ですか?」と言っている人がいたらその人はモグリである。それに対して『野獣暁に死す』を撮ったトニーノ・チェルヴィは西部劇はこれ一本しかとっていないし、活動分野もむしろプロデュース業の方で監督は副業だったから知名度もあまり高くない。1959年にはコルブッチの映画の制作もしているし、その後1962年にフェリーニ、デ・シーカ、ヴィスコンティ、モニチェリで共同監督した『ボッカチオ70』(カルロ・ポンティと共同制作)、1964年にもアントニオーニの『赤い砂漠』などの大物映画を手掛けてはいるがそもそもプロデューサーの名というのははあまり外には出て来ない。「チェルヴィって誰ですか?」と聞いても別にモグリ扱いはされるまい。
 さてその『野獣暁に死す』と『殺しが静かにやって来る』だが、比べてみるとまずそれぞれブレット・ハルゼイとジャン・ルイ・トランティニャン演じる主人公たちがどちらもちょっとメランコリックな顔つきで黒装束で雰囲気がそっくりだ。

左が『野獣暁に死す』のブレット・ハルゼイ、右が『殺しが静かにやって来る』のジャン・ルイ・トランティニャン
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このハルゼイという俳優は一度TVシリーズの『刑事コロンボ』でも見かけたことがある。1975年のDeath Lends a Hand『指輪の爪あと』という話で、レイ・ミランドも出ていた。ちょっと繊細な雰囲気で割と女性にウケそうなルックスだ。
 主人公ばかりではない、『殺しが静かにやって来る』でクラウス・キンスキーが演じた敵役と『野獣暁に死す』のフランシス・モランことウィリアム・ベルガーがどちらも金髪で共通だ。『87.血斗のジャンゴと殺しが静かにやって来る』で『血斗のジャンゴ』のベルガーと『殺しが静かにやって来る』のキンスキーが顔の作りそのものは全く違うのに似た雰囲気だと書いたが『野獣暁に死す』のベルガーを見ていると実はこの二人は顔も意外に似ているようだ。少なくとも双方ちょっと角ばった顎をしていて、顔の輪郭が同じである。

左が『野獣暁に死す』のウィリアム・ベルガー、右が『殺しが静かにやって来る』のクラウス・キンスキー
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ということで、最初チェルヴィが『殺しが静かにやって来る』からパクったのかと思っていたら実は前者の方が先に制作されたと知って驚いた。『血斗のジャンゴ』と『殺しが静かにやって来る』を比べたりするときもうっかりすると前者が後者から引用したようにとってしまいかねないが、これも後者の方が制作が後である。それではハルゼイの演じた人物の原型はどこから来たのかというと、やはり『続・荒野の用心棒』のジャンゴ以外にはなかろう(再び『78.「体系」とは何か』参照)。黒装束でどこかメランコリックという、以降の何十何百ものマカロニウエスタンの主人公の原型となったキャラクターである。その意味ではレオーネよりコルブッチのほうが影響力が強烈だったといえるのではないだろうか。つまり『殺しが静かにやって来る』→『野獣暁に死す』という流れではなくて『続・荒野の用心棒』→『野獣暁に死す』、『続・荒野の用心棒』→『殺しが静かにやって来る』という二つの流れがあって『野獣暁に死す』と『殺しが静かにやって来る』の主人公のキャラクターが似ているのは間接的なつながりに過ぎないということか。『続・荒野の用心棒』と『殺しが静かにやって来る』はどちらもセルジオ・コルブッチが監督だから自己引用というかリサイクルというか、とにかく「パクリ」ではない。
 
上段左が『野獣暁に死す』のハルゼイ、右が『殺しが静かにやって来る』のトランティニャン、下段が元祖『続・荒野の用心棒』のフランコ・ネロ
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 上でも述べたようにチェルヴィは本来制作畑の人らしいが、この映画は危なげなく出来上がっていると思う。プログラムピクチャーの域は出ていないがこのジャンルの平均水準(レオーネやソリーマは平均的マカロニウエスタンなどではない。上の上の部類である)を明らかに超えている。脚本にダリオ・アルジェントを持ってきたせいか、ラストの森の中のシーンなどはちょっと背筋の体温が下がりそうな、ある種怪しい美しさがあるほどだ。現にいまだに新しくDVDが出たりしている。買う人がいるからだろう。
 この作品にとって不幸だったのは、バッド・スペンサーが出演していたことだ。誰が見てもちょっと陰気な復讐映画なのに、コメディ映画・ギャグ映画として紹介されてしまったからである。特にドイツでの偏向宣伝ぶりがひどい。バッド・スペンサーがテレンス・ヒルと組んでドタバタコメディを量産し始めたのはこの後のことで、『野獣暁に死す』の製作当時はスペンサーはまだ普通の役でマカロニウエスタンに出ていた。この映画でもスペンサーはあくまで頼りになるガンマン役である。ラスト近くには仲代に撃たれた挙句マチェットで切りつけられて大怪我をするしごくまじめで大変な役で、ハルゼイのメランコリックぶりといい、ベルガーの陰気さといい、とにかく笑えるシーンなど一つもない。それなのにスペンサーが出ているというだけで、劇場公開当時はきちんと「今日は俺、明日はお前」Heute ich… morgen Du!という復讐劇を想起するまともなタイトルであったのが、その後「このデブ、ブレーキが利かないぞ」Der Dicke ist nicht zu bremsenという誹謗中傷もののタイトルに変更され、スペンサーのドタバタ西部劇として売り出されたのである。カバーの絵もハルゼイや仲代は完全に無視されてスペンサーが大口を開けて笑っているものだ。ここまで不自然な歪曲も珍しい。笑うつもりでこのDVDを買って強姦シーンやアルジェント的な首つりシーンを見せられ、騙されたと感じた客から抗議でもあったのか最新のDVDには「なんとあのスペンサーがまじめな役!」という注意喚起的な謳い文句がつけてある。そんな後出しをするくらいなら始めからタイトル変更などせず、スペンサーの名も絵も前面に出さずに、ハルゼイと仲代の暗そうな顔でも使えばよかったのだ。さらに上記の『5人の軍隊』のほうもスペンサーが出ていたため、後にタイトルが歪曲されてDicker, lass die Fetzen fliegen「おいデブ、コテンパンにのしてやれ」となっている。面白いことに(面白くないが)『5人の軍隊』も脚本がアルジェントだ。この調子だと仮に『殺しが静かにやって来る』でフランク・ヴォルフがやった保安官役をスペンサーがやっていたらこれもドタバタコメディ扱いされていたに違いない。そりゃ完全に詐欺であろう。でもそういえば『殺しが静かにやってくる』には見たとたんに全身脱力症に襲われて二度と立ち上がれなくなるハッピーエンドバージョンがあるが、あれなら確かにスペンサーが保安官の方が合っていたかもしれない。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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