『107.二つのコピュラ』の項でちょっと述べたように、ロシア語には形容詞の変化パラダイムとして短形と長形との二つがある。長形は性・数・格にしたがって思い切り語形変化するもので、ロシア語学習者が泣きながら暗記させられるのもこちらである。辞書の見出しとして載っているのもこの長形の主格形だ。たとえばдобрый(「よい」)の長形の変化形は以下のようになる。男性名詞の対格形が二通りあるのは生物と無生物を区別するからだ(『88.生物と無生物のあいだ』参照)。
Tabelle1-133 
それに比べて短形のほうは主格しかなく、文の述部、つまり「AはBである」のBの部分としてしか現れない、言い換えると付加語としての機能がないので形を覚える苦労はあまりない。アクセントが変わるのがウザいが、まあ4つだけしか形がないからいい。
Tabelle2-133
困るのはどういう場合にこの短形を使ったらいいのかよくわからない点だ。というのは長形の主格も述部になれるからである。例えば He is sick には長短二つの表現が可能だ。

短形 
Он болен
(he-主格 + (is=Ø) + sick-短形単数主格)

長形
Он больной
(he-主格 + (is=Ø) + sick-長形単数主格)

この場合は、боленなら目下風邪をひいているというニュアンス、больнойだと彼は病気がちの人物、体が弱いという理解になる。が、では短形は描写された性質が時間的に限られた今現在の偶発的な状態、長形は持続的な状態と一般化していいかというとそうでもない。レールモントフの『現代の英雄』の一話に次のような例がある。ある少年の目が白く濁っているのを見て主人公は彼が盲目であると知るがその描写。

Он был слепой, совершенно слепой от рождения.
彼は盲目だった、生まれつき全くの盲目だったのだ。

太字にした слепойというのが「盲目の」という形容詞の長形単数主格系である。ここまでは上述の規則通りであるが、そのあと主人公はこの盲目の少年がまるで目が見えるかのように自由に歩き回るのでこう言っている。

В голове моей родилось подозрение, что этот слепой не так слеп, как оно кажется.
私の頭には、この盲目の者は実は見かけほど盲目ではないのではないかという疑いが起こった。

二番目の「盲目」、太字で下線を引いた слепというのは短形である。このような発言はしても主人公はこの少年が「生まれつきの」盲目であるということは重々わかっているのだ。二番目の「盲目」は決して偶発的でも時間がたてば解消する性質でもない。
 つまり形容詞の長短形の選択には話者の主観、個人的な視点が決定的な役割を果たしていることがわかる。話者がその性質を具体的な対象に対して、具体的な文脈で描写している場合は短形、その性質なり状態なりを対象に内在した不変特性として表現したい場合は長形を使う。前にも出したが、

китайский язык очень труден. (短形)
китайский язык очень трудный.(長形)

は、どちらも「中国語はとても難しい」である。が、短形は「私にとって中国語はとても難しい」という話者の価値判断のニュアンスが生じるのに対し、長形は「中国語はとても難しい言語だ」、つまり中国語が難しいというのは話者個人の判断の如何にかかわらず客観的な事実であるという雰囲気が漂うのである。短形を使うと中国語というものがいわば具体性を帯びてくるのだ。
 また形容詞によっては術語としては長形しか使えないものがあったり、短形しか許されないセンテンス内の位置などもある。『58.語学書は強姦魔』でも名前を出したイサチェンコというスラブ語学者がそこら辺の長短形の意味の違いや使いどころについて詳しく説明してくれているが、それを読むと今までにこの二つのニュアンスの違いをスパッと説明してくれたネイティブがなく、「ここは長形と短形とどちらを使ったらいいですか?またそれはどうしてですか?」と質問すると大抵は「どっちでもいいよ」とか「理由はわかりませんがとにかくここでは短形を使いなさい」とかうっちゃりを食らわせられてきた理由がわかる。単にネイティブというだけではこの微妙なニュアンスが説明できるとは限らないのだ。やはり言語学者というのは頼りになるときは頼りになるものだ。

 さて、このようにパラダイムが二つ生じたのには歴史的理由がある。スラブ祖語の時期に形容詞の主格形の後ろに時々指示代名詞がくっつくようになったのだ。* jь、ja、 jeがそれぞれ男性、女性、中性代名詞で、それぞれドイツ語の定冠詞der 、die、 dasに似た機能を示した。 それらが形容詞の後ろについて一体となり*dobrъ + jь = добрый、* dobra + ja =  добрая、*dobro + je =  доброеとなって長形が生じた。代名詞が「後置されている」ところにもゾクゾクするが、形容詞そのもの(太字)は短形変化を取っているのがわかる(上記参照)。この形容詞短形変化はもともと名詞と同じパラダイムで、ラテン語などもそうである。対して長形のほうはお尻に代名詞がくっついてきたわけだから、変化のパラダイムもそれに従って代名詞型となる。
 また語尾が語源的に指示代名詞ということで長形は本来定形definiteの表現であった。つまりдобр человекと短形の付加語にすればa kind man、 добрый человекと長形ならthe kind manだったのだ。本来は。現在のロシア語ではこのニュアンスは失われてしまった。短形は付加語にはなれないからである。

 ところがクロアチア語ではこの定形・不定形という機能差がそのまま残っている。だから文法では長形短形と言わずに「定形・不定形」と呼ぶ。また長・短形とも完全なパラダイムを保持している。例えば「よい」dobarという形容詞だが、定形(長形)は次のようになる。複数形でも主格と対格に文法性が残っているのに注目。また女性単数具格がロシア語とははっきりと異なる。
Tabelle3-133
続いて短形「不定形」。上記のようにロシア語では主格にしか残っていないがクロアチア語ではパラダイムが完全保存されている。
Tabelle4-133
使い方も普通の文法書・学習書で比較的クリアに説明されていて、まず文の述部に立てるのは短形主格のみ。

Ovaj automobil je nov.
(this + car + is + new-)

* Ovaj automobil je novi.
*(this + car + is + new-)

付加語としてはa とthe の区別に従ってもちろん両形立てるわけである。対象物がディスコースに初登場する場合は形容詞が短形となる。

On ima nov i star automobil.
(he + has + a new + and + an old + car)

この「彼」は2台車をもっているわけだが、ロシア語ではこの文脈で「自動車」が複数形になっているのを見た。上の文をさらに続けると

Novi automobil je crven, a stari je bijel.
(the new + car + is + black + and + the old (one) + is + white)

話の対象になっている2台の車はすでに舞台に上がっているから、付加語は定形となる。その定形自動車を描写する「黒い」と「白い」(下線)は文の述部だから不定形、短形でなくてはいけない。非常にクリアだ。なおクロアチア語では辞書の見出しがロシア語と反対に短形の主格だが、むしろこれが本来の姿だろう。圧倒的に学習者の多いロシア語で長形のほうが主流になっているためこちらがもとの形で短形のほうはその寸詰まりバージョンかと思ってしまうが、実は短形が本来の姿で長形はその水増しなのである。

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