何年か前、用があって住んでいるM市から電車で40分くらい南にあるGという町まで出かけた時のことだ。すでに何回か行っているので駅でボーッといつものようにいつもの電車を待っていたら駅のアナウンスで「今日は○○行きの路線(私の乗る電車だ)はすぐ隣のL駅までしか行きません」。そんなことを急に言われて困った。駅に張り紙とか立て札とか、日本だったら立っていそうなものが一切なかったのだ。 Lから先はどうすればいいんだ。
聞き間違いかと思いながら電車に乗っていたら、「この電車は次のL駅で終点です。先へ行きたい方は一旦この電車を降りて駅での指示に従って代行接続路線をご利用ください」。こう言われれば誰でも、次の駅で降りれば脇に駅員が待機していて「はい、こちらです」とすぐ指示してくれ、代行列車がすでに待ち構えている、と思うに違いない。日本だったら。
ところがさすがここはドイツだ。いざL駅に降り立っても全く見事に何の指示もない。見渡す限り電車もない。駅員さえ影も形も見えない。いったいどこへ行ってどうすればいいのか、仕方がないから他の乗客がゾロゾロ行くのに付いて行った。すると遥か向こうに何人か係員らしき人たちが立っている。
私が問いただす前に隣のドイツ人のおじさんが私の言いたかったことを理路整然と述べてくれた。
おじさん:
「車内アナウンスによれば『指示に従って』ということだったが全く何もないじゃないか、また控えの電車もしくはバスが用意されているということだったが、それはいったいどこにあるんだ?」
係員:
「どちらまで行くんですか?」
おじさん:
「B駅だ。バスが代わりに出ているのか?」
係員:(「えーっと」とか言いながら手元のアンチョコをめくりつつ)
「えーっと次のバス便は1時間後ですから、バスよりもここで待って、次の電車でS駅まで行き、そこでまた乗り換えて先に進んでください」
おじさん:
「何だと、すると別に特別控えの代行路線が用意されているわけでもなんでもなく、単に次の定期路線に乗れということか」
係員:
「そうです」
おじさん:
「いや~、素晴らしい手際の良さだ」
係員:
「私はここで乗客への質問に応えるべく待機しているだけですから、ドイツ鉄道の運営に苦情がありましたら、こちらへご連絡ください」(と何か書いたカードを渡そうとする)
おじさん:
「いらないよ、そんなもの」
(突然横合いから)私:
「私はGまで行きますからこの方と同じことをすればいいんですね」
係員:
「そうです」
私が感心したのはこういうやり取りをしても全然喧嘩腰、というか険悪な雰囲気になっていなかったことだ。そのおじさんも言葉の剣幕は凄かったが人そのものは全然怒っている風ではなかった。変にヘコヘコしてなかった駅員も駅員でいい勝負だ。日本人だったら駅員に「その態度は何だ」とか言って摑みかかる人がいるのではなかろうか?
で、私がそのままホームで次の電車を待っていたら後から来た人の何人かが手にパンフレットを持っている、見せてもらったら「レール取替え工事のため変更のある便名と代行便の一覧表」で、懇切丁寧に情報が記してある。
こういうきちんとした仕事はさすがドイツだと思ったが、またそういうものがあるのにこちらから「くれ」と言わない限り配ってくれないところ、そもそも回りの主要駅の目立つ位置にこれが置かれていなかったところもいっかにもドイツらしい。私が係員の所に引き返してパンフレットをもらってきたら、今度はその私のパンフレットを見て「それはどこでもらえるんですか?」と他のドイツ人が次々に聞いてきたものだ。
このL中央駅というのは実に鬼門で、鉄道のネットワークがそういう仕組みになっているのか、あたりで事故があったり電車が故障したりしてダイヤが乱れるとここにしわ寄せが来る。その後も、ここの駅で急に電車から降ろされたり、電車がここまで来て突然微動だにしなくなり30分以上も待たされたあげく、結局やっぱり電車から出されたりしたことが何回もある。極めつけは行き先から帰ってきて夜の10時にこの駅で電車が行き止まったことだ。例によって乗客は全員降ろされた。私の住んでいるところの駅からたった2駅前、しかもすでに街中になっていたからその2駅というのも山手線並に近い2駅だった。昼間なら歩いてしまったろうが、さすがに繁華街でもなく、高速道路が上を通っているもの寂しい道を夜の11時近くなってから歩くわけにもいかず、次の最終列車が来るまで小一時時間暗い駅のホームで待った。今まで気持ちよく暖かい電車に乗っていたところを私たちと一緒に寒い暗いホームに放りだされた酔っ払いのおじさんがあらん限りのデカい声で「なんだこのクソは。ドイツ鉄道は相変わらずクソだな。こんなところで止まりやがってこのクソめ」とクソを連発しながらドイツ鉄道を罵っていたが、それを聞いて私はつい心の中で拍手してしまった。
また別の時も別の市電に乗っていたら駅と駅のど真ん中の野っ原で突然電車が止まり、20分くらい何のアナウンスもなかったことがあった。シビレを切らした乗客の一人が運転手のところに聞きに行ったら、「コンピューターの制御システムがダウンしました。いつ動き出せるか全くわかりません」。乗客が「私、○○時にM市で約束があるんですけどそれまでには着けるんでしょうか」と聞いたら堂々と「私には全くわかりません」。こちらから聞きに行かないと何も言ってくれないし、「すみません、ご迷惑をおかけします」の一言もない。何が技術大国だ馬鹿、と思ってしまった。
それでさらに思い出したが、東日本大震災の際、津波に流された人が何日も漂流したあとやっと救助隊に発見されて、開口一番「すみません」と口を付いて出た、と聞いて笑い出したドイツ人がいる。どこがおかしいんだ、私だってわざわざ人が自分を助けに来てくれれば絶対「お世話をおかけしてすみません」と謝る。ところがドイツ人だとこの場合、「なんでこんなに見つけるのが遅かったんだ。もう少しで死ぬところだったじゃないか馬鹿野郎」と救助員を怒鳴りつけかねないそうだ。曰く、「なんで助けられて謝るんだ。人命救助が彼らの仕事だろう。彼らは仕事をしただけじゃないか。助けられたほうが謝るなんてまるでギャグだ、理解できない」
もちろん日本語の「すみません」は純粋なI am Sorry やExcuse meより使用範囲が広く、thank youの領域にまで達していることは日本語の学習書などにも記してあるが、そもそも「ありがとう」と「許してください」を一つの表現形式が兼ねているというそのこと自体「理解できない」かもしれない。またこういう状況にいる自分を想像してみると、上でも述べたように「手間をかけさせて悪かった」という気持ちは感じると思う。「すみません」は単なる「ありがとう」ではない、やはり「ごめんなさい、面目ない」も兼ねているのだ。
私からすれば、その「ごめんなさい」はおろか「ありがとう」もなしで「遅かったじゃないか」が口に出る発想のほうがよほど理解できないが、それまでの経験に照らし合わせてみるとドイツ人は確かにここで「すみません」などとは言いそうにない感じ。一方、わざわざ助けに来たのに罵られた救助員のほうも全然腹をたてたりしなさそうだ。日本人だったらせっかく来てやったのにそういう恩知らずな態度をされれば遭難者をまた海にかえしかねないが、ドイツ人の救助員ならそこであわてず騒がず、至極事務的に「私たちは○○隻の船で○○キロ四方の捜索を受け持っています。一日に捜索できる面積は一隻あたり○○平方キロメートルですから全域捜索するのに○○日かかります。今日は○○日目ですから許容範囲です。ご理解願います」とか説明しだしそうだ。
とにかくこちらは変に空気を読まなくていいし、言いたいことをストレートに言っても後腐れがないので楽といえば楽なのだが、私は今後もこのメンタリティにはとてもついていけそうにない。
この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
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聞き間違いかと思いながら電車に乗っていたら、「この電車は次のL駅で終点です。先へ行きたい方は一旦この電車を降りて駅での指示に従って代行接続路線をご利用ください」。こう言われれば誰でも、次の駅で降りれば脇に駅員が待機していて「はい、こちらです」とすぐ指示してくれ、代行列車がすでに待ち構えている、と思うに違いない。日本だったら。
ところがさすがここはドイツだ。いざL駅に降り立っても全く見事に何の指示もない。見渡す限り電車もない。駅員さえ影も形も見えない。いったいどこへ行ってどうすればいいのか、仕方がないから他の乗客がゾロゾロ行くのに付いて行った。すると遥か向こうに何人か係員らしき人たちが立っている。
私が問いただす前に隣のドイツ人のおじさんが私の言いたかったことを理路整然と述べてくれた。
おじさん:
「車内アナウンスによれば『指示に従って』ということだったが全く何もないじゃないか、また控えの電車もしくはバスが用意されているということだったが、それはいったいどこにあるんだ?」
係員:
「どちらまで行くんですか?」
おじさん:
「B駅だ。バスが代わりに出ているのか?」
係員:(「えーっと」とか言いながら手元のアンチョコをめくりつつ)
「えーっと次のバス便は1時間後ですから、バスよりもここで待って、次の電車でS駅まで行き、そこでまた乗り換えて先に進んでください」
おじさん:
「何だと、すると別に特別控えの代行路線が用意されているわけでもなんでもなく、単に次の定期路線に乗れということか」
係員:
「そうです」
おじさん:
「いや~、素晴らしい手際の良さだ」
係員:
「私はここで乗客への質問に応えるべく待機しているだけですから、ドイツ鉄道の運営に苦情がありましたら、こちらへご連絡ください」(と何か書いたカードを渡そうとする)
おじさん:
「いらないよ、そんなもの」
(突然横合いから)私:
「私はGまで行きますからこの方と同じことをすればいいんですね」
係員:
「そうです」
私が感心したのはこういうやり取りをしても全然喧嘩腰、というか険悪な雰囲気になっていなかったことだ。そのおじさんも言葉の剣幕は凄かったが人そのものは全然怒っている風ではなかった。変にヘコヘコしてなかった駅員も駅員でいい勝負だ。日本人だったら駅員に「その態度は何だ」とか言って摑みかかる人がいるのではなかろうか?
で、私がそのままホームで次の電車を待っていたら後から来た人の何人かが手にパンフレットを持っている、見せてもらったら「レール取替え工事のため変更のある便名と代行便の一覧表」で、懇切丁寧に情報が記してある。
こういうきちんとした仕事はさすがドイツだと思ったが、またそういうものがあるのにこちらから「くれ」と言わない限り配ってくれないところ、そもそも回りの主要駅の目立つ位置にこれが置かれていなかったところもいっかにもドイツらしい。私が係員の所に引き返してパンフレットをもらってきたら、今度はその私のパンフレットを見て「それはどこでもらえるんですか?」と他のドイツ人が次々に聞いてきたものだ。
このL中央駅というのは実に鬼門で、鉄道のネットワークがそういう仕組みになっているのか、あたりで事故があったり電車が故障したりしてダイヤが乱れるとここにしわ寄せが来る。その後も、ここの駅で急に電車から降ろされたり、電車がここまで来て突然微動だにしなくなり30分以上も待たされたあげく、結局やっぱり電車から出されたりしたことが何回もある。極めつけは行き先から帰ってきて夜の10時にこの駅で電車が行き止まったことだ。例によって乗客は全員降ろされた。私の住んでいるところの駅からたった2駅前、しかもすでに街中になっていたからその2駅というのも山手線並に近い2駅だった。昼間なら歩いてしまったろうが、さすがに繁華街でもなく、高速道路が上を通っているもの寂しい道を夜の11時近くなってから歩くわけにもいかず、次の最終列車が来るまで小一時時間暗い駅のホームで待った。今まで気持ちよく暖かい電車に乗っていたところを私たちと一緒に寒い暗いホームに放りだされた酔っ払いのおじさんがあらん限りのデカい声で「なんだこのクソは。ドイツ鉄道は相変わらずクソだな。こんなところで止まりやがってこのクソめ」とクソを連発しながらドイツ鉄道を罵っていたが、それを聞いて私はつい心の中で拍手してしまった。
また別の時も別の市電に乗っていたら駅と駅のど真ん中の野っ原で突然電車が止まり、20分くらい何のアナウンスもなかったことがあった。シビレを切らした乗客の一人が運転手のところに聞きに行ったら、「コンピューターの制御システムがダウンしました。いつ動き出せるか全くわかりません」。乗客が「私、○○時にM市で約束があるんですけどそれまでには着けるんでしょうか」と聞いたら堂々と「私には全くわかりません」。こちらから聞きに行かないと何も言ってくれないし、「すみません、ご迷惑をおかけします」の一言もない。何が技術大国だ馬鹿、と思ってしまった。
それでさらに思い出したが、東日本大震災の際、津波に流された人が何日も漂流したあとやっと救助隊に発見されて、開口一番「すみません」と口を付いて出た、と聞いて笑い出したドイツ人がいる。どこがおかしいんだ、私だってわざわざ人が自分を助けに来てくれれば絶対「お世話をおかけしてすみません」と謝る。ところがドイツ人だとこの場合、「なんでこんなに見つけるのが遅かったんだ。もう少しで死ぬところだったじゃないか馬鹿野郎」と救助員を怒鳴りつけかねないそうだ。曰く、「なんで助けられて謝るんだ。人命救助が彼らの仕事だろう。彼らは仕事をしただけじゃないか。助けられたほうが謝るなんてまるでギャグだ、理解できない」
もちろん日本語の「すみません」は純粋なI am Sorry やExcuse meより使用範囲が広く、thank youの領域にまで達していることは日本語の学習書などにも記してあるが、そもそも「ありがとう」と「許してください」を一つの表現形式が兼ねているというそのこと自体「理解できない」かもしれない。またこういう状況にいる自分を想像してみると、上でも述べたように「手間をかけさせて悪かった」という気持ちは感じると思う。「すみません」は単なる「ありがとう」ではない、やはり「ごめんなさい、面目ない」も兼ねているのだ。
私からすれば、その「ごめんなさい」はおろか「ありがとう」もなしで「遅かったじゃないか」が口に出る発想のほうがよほど理解できないが、それまでの経験に照らし合わせてみるとドイツ人は確かにここで「すみません」などとは言いそうにない感じ。一方、わざわざ助けに来たのに罵られた救助員のほうも全然腹をたてたりしなさそうだ。日本人だったらせっかく来てやったのにそういう恩知らずな態度をされれば遭難者をまた海にかえしかねないが、ドイツ人の救助員ならそこであわてず騒がず、至極事務的に「私たちは○○隻の船で○○キロ四方の捜索を受け持っています。一日に捜索できる面積は一隻あたり○○平方キロメートルですから全域捜索するのに○○日かかります。今日は○○日目ですから許容範囲です。ご理解願います」とか説明しだしそうだ。
とにかくこちらは変に空気を読まなくていいし、言いたいことをストレートに言っても後腐れがないので楽といえば楽なのだが、私は今後もこのメンタリティにはとてもついていけそうにない。
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