前にも書いたように大学では第二副専攻が南スラブ語学、具体的にはクロアチア語だった。それを言うと友人はたいてい「何だよそりゃ?」といぶかるが、人に言われるまでもなく、自分で専攻しておきながら自分でも「何だよこりゃ?」と思いながらやっていた。実は別にクロアチア語が特にやりたかったから第二副専攻にしたのではないのだ。

 人には大抵「専攻はロシア語です」、と言っているが、正確には私の専攻は「東スラブ語学」である。つまり本来ならば「ロシア語、ベラルーシ語(昔でいうところの白ロシア語)、ウクライナ語ができるが、その中でも主としてやったのがロシア語」ということだ。主としてやったも何も私はロシア語しかできない(そのロシア語も実をいうとあまりできない)。が、その際こちらでは規則があって、東スラブ語学を専攻する者は、その「主にやった」東スラブ語派の言語(例えばロシア語)のほかにもう一つスラブ語派の言語、それも東スラブ語以外、つまり西スラブ語派か南スラブ語派の言語の単位が必要だった。これを「必修第二スラブ語」と言った。

 気の利いた学生はドイツで利用価値の高い西スラブ語派の言語(ポーランド語、チェコ語、スロバキア語、上ソルブ語、下ソルブ語のどれか)をやったし、ロシア語のネイティブならば南スラブ語派でもブルガリア語を勉強したがる人が多かった。ブルガリア語は中世ロシアの書き言葉だった古教会スラブ語の直系の子孫だからロシア人には入っていきやすいからだろう。私のいたM大学には南スラブ語派のクロアチア語しか開講されていなかったのだが、当時隣のH大で単位をとればM大でも第二スラブ語の単位として認められたから、大学の規模も大きく選択肢の広いH大にポーランド語やブルガリア語をやりにでかけて行く学生が結構いた。が、私は残念ながら当時子供がまだ小さかったので、家を長い間空けられず外部の大学に出て行けなかったためと、まあ要するにメンド臭かったのでそのままM大でクロアチア語をやったのだ。
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古教会スラブ語のテキスト。古教会スラブ語は「古ブルガリア語」と呼ばれることもある。ロシア語を大学で専攻する者は(日本でも)必ずこれをやらされる(はずだ)。 

 そこで考えた。どうせ選択肢がクロアチア語しかないとすれば必修第二スラブ語の単位取りのためだけにやるのももったいない、この際皿まで毒を食ってやれ、と。それでクロアチア語を単なる第二スラブ語としてではなく「第二副専攻」として、もうちょっと先まで深く(でもないが)勉強することにしたのだ。
 ちなみにクロアチア語、つまり南スラブ語学を主専攻や副専攻としてやる者はこちらはこちらでまた「必修第二スラブ語」、つまり今度は南スラブ語派以外のスラブ語族の一言語の単位が必要になるわけだが、ここでは東スラブ語派のロシア語を取る者が大多数、というかほぼ全員だった。私は主専攻としてすでにロシア語をやっていたからこれが「クロアチア語専攻者にとっての第二スラブ語」の機能も兼ねていて一石二鳥ではあった。
 念のため繰り返すと「副専攻南スラブ語学」というのも本来「主要言語がクロアチア語」という意味、つまり「ブルガリア語、マケドニア語、クロアチア語、セルビア語、ボスニア語、スロベニア語ができるがその中でも主としてやったのはクロアチア語」ということだ。際限がない。これがまた下手にロシア語と似ているからもう大変だった。

 例えばロシア語のтрудный(トゥルードヌィ)は「難しい」という意味だが、これと語源が同じのクロアチア語trudan(トゥルダン)は「疲れている」だ。一度「クロアチア語は難しい」と言おうとして「クロアチア語は疲れている」と言ってしまったことがある。
 でも「言葉」という言葉はクロアチア語でもロシア語でも男性名詞だからまだよかった。この形容詞trudanが女性名詞にかかって女性形trudna(トゥルドナ)になると「妊娠している」という意味になってしまう。ドイツ語などでは「言葉」という言葉(Sprache)は女性名詞だからドイツ語でだったらクロアチア語という言葉は妊娠できるのだ。
 ついでだが、クロアチア語で「難しい」はtežak(テジャク)である。

 また、ロシア語でживот(ジヴォート)と言ったら第一に「腹」の意味だが、これに対応するクロアチア語のživot(ジヴォト)は「人生・命」。ロシア語でもживотに「命」の意味がないことはないのだが、すでに古語化していて、「人生・命」は現代ロシア語では大抵жизнь(ジーズニ)で表現する。で、私は一度「人生への深刻な打撃」と書いてあるクロアチア語のテキストを「腹に一発強烈なパンチ」と訳してしまい、高尚なクロアチア文学に対する不敬罪で銃殺されそうになったことがある(嘘)。

 もっとも西スラブ語派の言語、例えばポーランド語も油断が出来ない。ポーランド語では「町」をmiasto(ミャスト)というがこれは一目瞭然ロシア語のместо(ミェスタ)、クロアチア語のmjesto(ミェスト)と同源。しかしこれらместоあるいはmjestoは「場所」という意味だ。そしてむしろこちらの方がスラブ語本来の意義なのである。「町」を意味するスラブ語本来の言葉がまだポーランド語に残ってはいるが、そのgród(グルート)という言葉は古語化しているそうだ。ところがロシア語やクロアチア語ではこれと語源を同じくする語がまだ現役で、それぞれгород(ゴーラト)、grad(グラート)と「町」の意味で使われている。
 しかもややこしいことに「場所」を表すスラブ本来の言葉のほうもポーランド語にはちゃんと存在し、「場所」はmiejsce(ミェイスツェ)。これもロシア語のместо、クロアチア語のmjestoと同源で、つまりポーランド語の中では語源が同じ一つの言葉がmiasto、miejsceと二つの違った単語に分れてダブっているわけだ。

 私は最初「町」と「場所」がひとつの単語で表されているのが意外で、これは西スラブ民族の特色なのかと思っていたのだが、調べてみると、「町」のmiastoはどうも中世にポーランド語がチェコ語から取り入れたらしい。なるほど道理で「場所」を表す本来のスラブ語起源のポーランド語miejsceと「町」のmiastoは形がズレているはずだ。が、そのチェコ語の「町」(město、ミェスト)ももともとは中高ドイツ語のstattを直訳(いわゆる借用翻訳)したのが始まりとのことだ。これは現在のドイツ語のStadt(シュタット、「都市」)の古形だが、中高ドイツ語では(つまり12世紀ごろか)「場所」とか「位置」とかいう意味だったそうだ。動詞stehen(シュテーエン、「立つ」)の語幹もこれ。中世には都市とは城壁で囲まれているものであったのが、しだいに城壁がなく、その代わり中央に教会だろなんだろ中心となるものが「立っている場所」が都市となっていった。言葉もそれにつれて意味変遷し、「場所」から「都市」に意味変換が起こりつつあった頃、チェコ語がそれを正直に写し取った。そこからさらにポーランド語が受け取り、調べてみると東スラブ語派のウクライナ語もそのまたポーランド語から借用したらしく、「町」は」місто(ミスト)である。そして「場所」はМісце(ミスツェ)だから、ここでも語彙が二重構造になっているわけだ。

 灯台下暗し、「町」あるいは「都市」と「場所」をいっしょにしていたのはドイツ語のほうだったのである。


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