日本語には関係代名詞というものがないので、文が名詞を修飾する場合は動詞や助動詞の連体形をとらせて名詞の前に付加する。形容詞と同じだ。機能的には英語やドイツ語の関係文とだいたい同じだが、被修飾語の前に来て動詞の連体形という付加語に特有な形をとるので、「付加語文」とでも呼んだ方がいいかもしれない。確かにドイツ語や英語でも分詞を使えば似たような構造にはなる。「エサを食べるそのアヒル」、「その映画を見ている人」ならそれぞれ
die Futter fressende Ente
the + feed + eating + duck
ein den Film guckender Mensch
a + the + moovie + watching + man
となるが、そもそもこういう構造がやや堅苦しいのに加えてシンタクス上でも大きな制限があるので日本語の「エサを食べるアヒル」、「その映画を見ている人」とは比べ物にならない。
まず「エサを食べるアヒル」は被修飾語名詞の「アヒル」が修飾文「エサを食べる」の主語、つまりアヒルは文の主格に対応する。「アヒルがエサを食べる」である。二番目の例も同じで被修飾語は修飾文の主語だ。「人がその映画を見る」だ。これらの構造を関係代名詞を使って書き換えてみればさらにはっきりする。
Die Ente, die Futter frisst
the + duck + who(that) + feed + eats
ein Mensch, der den Film guckt
a + man + who + the + moovie + watches
太字にした die、der が関係代名詞で、それぞれ女性単数主格、男性単数主格である。要するに主格だ。
これに対して被修飾名詞が修飾文の主語でない場合、例えば直接目的語(対格)の場合はもとの文は同じ(それぞれ「アヒルがエサを食べる」、「人がその映画を見る」)でも分詞を使った構造は不可能になる。
* die Ente essendes Futter
the + duck + eating + feed
* der ein Mensch guckende Film
the + a + man + watching + moovie
この場合は関係代名詞を使わないといけない。
Futter, das die Ente frisst
feed + that + the + duck eats
der Film, den ein Mensch guckt.
the + moovie + that + a + man + wathes
日本語なら関係代名詞なんてもんは使わずにそのままススッと修飾文を先行させればいい。「そのアヒルが食べるエサ」「人が見るその映画」で問題ない。
主格や対格ばかりではない、基本的には被修飾語名詞は修飾文のあらゆる格に対応できる。
与格
田中さんが鈴木さんにプレゼントをあげる
→田中さんがプレゼントをあげる鈴木さん
存在処格
田中さんが町に住んでいる
→田中さんが住んでいる町
活動処格
田中さんが公園で野球をする
→田中さんが野球をする公園
向格
田中さんが町へ行く
→田中さんが行く町
具格
田中さんが地下鉄で東京へ行く
→田中さんが東京へ行く地下鉄
共格
田中さんが会社の人と会う
→田中さんが会う会社の人
キリがないので具格の例だけ見るが、英語やドイツ語ではこれを表すのに関係代名詞だけでなく前置詞を持ってこなければいけない。
Die U-Bahn, mit der Herr Tanaka nach Tokio fährt
the + subway + with + that + Mr. Tanaka + to + Tokyo + goes
修飾文を被修飾語の前に置くことなど絶対に不可能だ。
* die Herr Tanaka nach Tokio fahrende U-Bahn
the + Mr. Tanaka + to + Tokyo + going + subway
このように日本語の具格はドイツ語では前置詞表現になるわけだが、日本語ですでに前置詞(日本語では前置詞ではなく後置詞だが)を使う表現でまでシンタクス関係が表示されないからさらにわかりにくくなる。例えば「田中さんが話していた映画」という構造で修飾語と被修飾語の関係は~ニツイテである。つまり元の文はこうなる。
田中さんが(その)映画について話していた。
そういえば例の「雨が降る前」と「雨が降らない前」との違いも修飾文と被修飾名詞の格関係の違いに還元できるのではないだろうか。 「雨が降る前」では被修飾語「前」は修飾文「雨が降る」の比較格、「雨が降らない前」では「前」は「雨が降る」の存在処格では?言い換えると前者は「雨が降るより前」、後者は「(その)前に(は)雨が降らない」である。もちろんこの解釈には欠点があって、前者は「田中さんが読んだ本」→「田中さんが本を読んだ」のようにストレートに「元の文」が構築できないし、後者も少し加工しないと同じ意味にならない。また同じく時間関係を表すのに「~間」だと存在処格としか解釈できず、「~後」では比較格しかあり得ないのはなぜかという問題が残る:
「雨が降る間」は「(その)間に雨が降る」であり、「雨が降らない間」は「(その)間に(は)雨が降らない」なので、意味が逆になる。比較格解釈は不可能だ。それは被修飾語の「間」という意味のせいで、意味的に比較格解釈を許さないからだという理屈は確かに成り立つ。「間」は程度を表さないからだ。「私が思ったより馬鹿」はOKだが、「私が思ったより学生」はNGなのと同じ理屈だ。それに対して「~後」は「前」と同じくある意味程度を表しているので比較格解釈ができる。しかし「後」は逆に存在処格の解釈ができない。「雨が降る後」はどうやっても「雨が降るより後」であって、「(その)後に雨が降る」という解釈はできない。これはなぜか、無理やり屁理屈をこねれば「終わりがわかっている時間には存在処格が成り立つが始めだけあって終わりがない時間表現には処格解釈は不可能」という説明も可能だ。「~前」は当該事象が生じることによってその時間・状態は終わりになるが「~後」では事象が起こることによって当該時間。状態が生じる。終わりは見えない。しかしこれはあくまでも屁理屈であって、「どうしてですか?」と聞かれたらイチコロだ。どうもさらなる研究が必要なようだ(自分でやれよ)。
また日本語では修飾文の直接構成要素ではない語まで被修飾語になれるのでさらにシンタクス関係が再構成しにくくなる。言葉で定義するとわかりにくいが例えばこういう構造だ。日本語ネイティブなら誰でも問題なく理解できるだろう。
田中さんが面白いと言っていた映画。
田中さんが読むなと言っていた本
田中さんが私より有能だと思った人
田中さんが自分より有能だと思った人
これらの被修飾語「映画」、「本」、「人」は元の文では主文の構成要素ではなく、主文の動詞の目的語、英語で言えば that節でつまり発言や思考の内容である。元の文はそれぞれこうなる。
田中さんがその映画が面白いと言っていた。
田中さんがその本を読むなと言っていた。
田中さんが(その)人(のこと)を私より有能だと思った。
田中さんが(その)人(のこと)を自分より有能だと思った。
3番目の文では「その人」は話者より有能、4番目では田中さんより有能という意味になる。全部やるとタルいので最初の文だけ構造分析してみよう。周りを色で囲んだのが主文の直接構成要素、文字の色自体を変えたのが主文の目的語の構成要素、言い換えると主文の構成要素のそのまた構成要素である。
田中さんが その映画が面白いと 言っていた。
黄色が主語、緑が動詞の目的語、赤が動詞または形容詞だ。主文目的語もそれ自体文になっているからその構成要素は文字の色を変えて表してある。「その映画が」は主語、「面白い」が形容詞、つまり動詞と同じく述部の核である。つまり「映画」が主文の構成要素ではなく、緑色の構成要素に埋め込まれているのだ。これの名詞表現を色分けするとこうなる。
田中さんが面白いと言っていた 映画
下線部が修飾文だが、つまり主文の目的語が分断されてその中の一要素が被修飾語としてしゃしゃり出て来ているわけで、英文法では「ノードを飛び越えた」と名付ける構造だ。これを上の「田中さんが鈴木さんにプレゼントをあげる」→「田中さんがプレゼントをあげる鈴木さん」と比べてみるとノードの飛び越えがはっきりする。
田中さんが 鈴木さんに プレゼントを あげる
田中さんがプレゼントをあげる 鈴木さん
青はいわゆる間接目的語、与格目的語だが、ここでは主文の構成要素は分断されていない。被修飾名詞のシンタクス位置はあくまで主文内にあるからだ。
主文の直接構成要素にしてもノードジャンプでのし上って来たにしても被修飾名詞と修飾文との核関係は表現されない点は同じだ。前者ならまだどうにかなるが、後者のように被修飾名詞にジャンプされるとややこしい。主文レベルでは対格目的語(の一部)だが、同時に埋め込み文の主格主語でもあるからだ。学習者も大変だが、説明するほうも下手をするとチョムスキーの樹形図などと持ち出さねばならず結構疲れる。もっとも中国語や韓国語は基本日本語と同じようなものだとのことで、確かにこれらが母語の人は単語の意味が分かればそこから解釈してこのようなシンタクス構造もすぐ理解できるが、関係代名詞の助けに頼る癖のついた印欧語母語者はたとえ単語の意味が全部わかっていても文が理解できない。この「語の意味は全部知っているのに文になるとわからない」と言う感覚は日本人だって外国語をやる際頻繁に経験する感覚ではないだろうか。
もう一つ、that 節で思い出したが「田中さんと明日会う約束」というような場合修飾文と被修飾語とのシンタクス関係をどう解釈したらいいのだろう。被修飾語は「約束」、修飾文は「(私が)田中さんと明日会う」である。修飾文の中には被修飾語の場所がない。だから当然格も特定できない。私の考えだが、ここで修飾文と被修飾語は同格関係にあると思う。「同格」という格じゃないかと言われるかもしれないが、これは日本語の訳のせいだ。同格は Apposition といい、本来の「格」Kasus または case とは別物だ。この同格とは一つの指示対象を別の表現で言い換え、それを並べた構造のこと、言い換えると同格と言う格ではなくて格が同じという意味である。よく使われる例は Ich habe Herrn Schmidt, den Freund meiner Schwester, getroffen(I have meet Mr. Schmidt, my sister’s boyfriend)などというもので、「シュミットさん」と「妹の恋人 」は同一人物である。「田中さんと明日会う約束」の場合は「約束」の具体的内容が「山田さんと会う」、つまり同じ指示対象を別の言葉で表している。また日本語では同格である印として「という」というフレーズを差し挟むことができる。「山田さんと明日会うという約束」である。他にも「あさって東京へ行く予定」は「あさって東京へいくという予定」、「なんでも自分でやるつもり」は「なんでも自分でやるというつもり」、「山田さんが帰ってくる噂」は「山田さんが帰ってくるという噂」とそれぞれ言い換えられる。最後の例などは同格マーカー「~という」がついていた方が座りがいい。
英語やドイツ語ではこういう場合いわゆるコンプレメンタイザーの dass(that)を使う。
Die/eine Veranredung, dass ich morgen Herren Yamada treffe
the /a + appointment + that + I + tommorow + Mr. Yamada + meet
もちろん不定詞でもいい。
Die/meine Verabredung, morgen Herrn Tanaka zu treffen
the/my + appointment + tommorow + Mr. Yamada + to + meet
次のような文ではいわゆる形式主語の it と that 節は同格である。文法書などでは「同格」という言葉は使われていないが。
It is well known that ducks can swimm well.
形式主語の代わりに普通名詞が来ることもある。
The fact that ducks can swimm well is well kown.
日本語ではもちろんそれぞれこうなる。
アヒルがじょうずに泳ぐことはよく知られている。
アヒルがじょうずに泳ぐ事実はよく知られている。
日本語には形式主語がないので、「こと」という普通名詞を使う。上の同格の例と同じく「泳ぐ」と「こと」あるいは「事実」の間に「~という」というフレーズが入れる。冒頭で述べたように動詞の分詞を使って付加語とする場合被修飾語は主語以外の文法格には立てないのはもちろんだが、同格の修飾文をthat なしで付加語にするのはさらに不可能。直訳すれば
The ducks well swimm canning fact is well known
となり、英語が完全に崩壊している。そもそも can の現在分詞などすでに死語になっているからさらに崩壊感が増す。
die Futter fressende Ente
the + feed + eating + duck
ein den Film guckender Mensch
a + the + moovie + watching + man
となるが、そもそもこういう構造がやや堅苦しいのに加えてシンタクス上でも大きな制限があるので日本語の「エサを食べるアヒル」、「その映画を見ている人」とは比べ物にならない。
まず「エサを食べるアヒル」は被修飾語名詞の「アヒル」が修飾文「エサを食べる」の主語、つまりアヒルは文の主格に対応する。「アヒルがエサを食べる」である。二番目の例も同じで被修飾語は修飾文の主語だ。「人がその映画を見る」だ。これらの構造を関係代名詞を使って書き換えてみればさらにはっきりする。
Die Ente, die Futter frisst
the + duck + who(that) + feed + eats
ein Mensch, der den Film guckt
a + man + who + the + moovie + watches
太字にした die、der が関係代名詞で、それぞれ女性単数主格、男性単数主格である。要するに主格だ。
これに対して被修飾名詞が修飾文の主語でない場合、例えば直接目的語(対格)の場合はもとの文は同じ(それぞれ「アヒルがエサを食べる」、「人がその映画を見る」)でも分詞を使った構造は不可能になる。
* die Ente essendes Futter
the + duck + eating + feed
* der ein Mensch guckende Film
the + a + man + watching + moovie
この場合は関係代名詞を使わないといけない。
Futter, das die Ente frisst
feed + that + the + duck eats
der Film, den ein Mensch guckt.
the + moovie + that + a + man + wathes
日本語なら関係代名詞なんてもんは使わずにそのままススッと修飾文を先行させればいい。「そのアヒルが食べるエサ」「人が見るその映画」で問題ない。
主格や対格ばかりではない、基本的には被修飾語名詞は修飾文のあらゆる格に対応できる。
与格
田中さんが鈴木さんにプレゼントをあげる
→田中さんがプレゼントをあげる鈴木さん
存在処格
田中さんが町に住んでいる
→田中さんが住んでいる町
活動処格
田中さんが公園で野球をする
→田中さんが野球をする公園
向格
田中さんが町へ行く
→田中さんが行く町
具格
田中さんが地下鉄で東京へ行く
→田中さんが東京へ行く地下鉄
共格
田中さんが会社の人と会う
→田中さんが会う会社の人
キリがないので具格の例だけ見るが、英語やドイツ語ではこれを表すのに関係代名詞だけでなく前置詞を持ってこなければいけない。
Die U-Bahn, mit der Herr Tanaka nach Tokio fährt
the + subway + with + that + Mr. Tanaka + to + Tokyo + goes
修飾文を被修飾語の前に置くことなど絶対に不可能だ。
* die Herr Tanaka nach Tokio fahrende U-Bahn
the + Mr. Tanaka + to + Tokyo + going + subway
このように日本語の具格はドイツ語では前置詞表現になるわけだが、日本語ですでに前置詞(日本語では前置詞ではなく後置詞だが)を使う表現でまでシンタクス関係が表示されないからさらにわかりにくくなる。例えば「田中さんが話していた映画」という構造で修飾語と被修飾語の関係は~ニツイテである。つまり元の文はこうなる。
田中さんが(その)映画について話していた。
そういえば例の「雨が降る前」と「雨が降らない前」との違いも修飾文と被修飾名詞の格関係の違いに還元できるのではないだろうか。 「雨が降る前」では被修飾語「前」は修飾文「雨が降る」の比較格、「雨が降らない前」では「前」は「雨が降る」の存在処格では?言い換えると前者は「雨が降るより前」、後者は「(その)前に(は)雨が降らない」である。もちろんこの解釈には欠点があって、前者は「田中さんが読んだ本」→「田中さんが本を読んだ」のようにストレートに「元の文」が構築できないし、後者も少し加工しないと同じ意味にならない。また同じく時間関係を表すのに「~間」だと存在処格としか解釈できず、「~後」では比較格しかあり得ないのはなぜかという問題が残る:
「雨が降る間」は「(その)間に雨が降る」であり、「雨が降らない間」は「(その)間に(は)雨が降らない」なので、意味が逆になる。比較格解釈は不可能だ。それは被修飾語の「間」という意味のせいで、意味的に比較格解釈を許さないからだという理屈は確かに成り立つ。「間」は程度を表さないからだ。「私が思ったより馬鹿」はOKだが、「私が思ったより学生」はNGなのと同じ理屈だ。それに対して「~後」は「前」と同じくある意味程度を表しているので比較格解釈ができる。しかし「後」は逆に存在処格の解釈ができない。「雨が降る後」はどうやっても「雨が降るより後」であって、「(その)後に雨が降る」という解釈はできない。これはなぜか、無理やり屁理屈をこねれば「終わりがわかっている時間には存在処格が成り立つが始めだけあって終わりがない時間表現には処格解釈は不可能」という説明も可能だ。「~前」は当該事象が生じることによってその時間・状態は終わりになるが「~後」では事象が起こることによって当該時間。状態が生じる。終わりは見えない。しかしこれはあくまでも屁理屈であって、「どうしてですか?」と聞かれたらイチコロだ。どうもさらなる研究が必要なようだ(自分でやれよ)。
また日本語では修飾文の直接構成要素ではない語まで被修飾語になれるのでさらにシンタクス関係が再構成しにくくなる。言葉で定義するとわかりにくいが例えばこういう構造だ。日本語ネイティブなら誰でも問題なく理解できるだろう。
田中さんが面白いと言っていた映画。
田中さんが読むなと言っていた本
田中さんが私より有能だと思った人
田中さんが自分より有能だと思った人
これらの被修飾語「映画」、「本」、「人」は元の文では主文の構成要素ではなく、主文の動詞の目的語、英語で言えば that節でつまり発言や思考の内容である。元の文はそれぞれこうなる。
田中さんがその映画が面白いと言っていた。
田中さんがその本を読むなと言っていた。
田中さんが(その)人(のこと)を私より有能だと思った。
田中さんが(その)人(のこと)を自分より有能だと思った。
3番目の文では「その人」は話者より有能、4番目では田中さんより有能という意味になる。全部やるとタルいので最初の文だけ構造分析してみよう。周りを色で囲んだのが主文の直接構成要素、文字の色自体を変えたのが主文の目的語の構成要素、言い換えると主文の構成要素のそのまた構成要素である。
田中さんが その映画が面白いと 言っていた。
黄色が主語、緑が動詞の目的語、赤が動詞または形容詞だ。主文目的語もそれ自体文になっているからその構成要素は文字の色を変えて表してある。「その映画が」は主語、「面白い」が形容詞、つまり動詞と同じく述部の核である。つまり「映画」が主文の構成要素ではなく、緑色の構成要素に埋め込まれているのだ。これの名詞表現を色分けするとこうなる。
田中さんが面白いと言っていた 映画
下線部が修飾文だが、つまり主文の目的語が分断されてその中の一要素が被修飾語としてしゃしゃり出て来ているわけで、英文法では「ノードを飛び越えた」と名付ける構造だ。これを上の「田中さんが鈴木さんにプレゼントをあげる」→「田中さんがプレゼントをあげる鈴木さん」と比べてみるとノードの飛び越えがはっきりする。
田中さんが 鈴木さんに プレゼントを あげる
田中さんがプレゼントをあげる 鈴木さん
青はいわゆる間接目的語、与格目的語だが、ここでは主文の構成要素は分断されていない。被修飾名詞のシンタクス位置はあくまで主文内にあるからだ。
主文の直接構成要素にしてもノードジャンプでのし上って来たにしても被修飾名詞と修飾文との核関係は表現されない点は同じだ。前者ならまだどうにかなるが、後者のように被修飾名詞にジャンプされるとややこしい。主文レベルでは対格目的語(の一部)だが、同時に埋め込み文の主格主語でもあるからだ。学習者も大変だが、説明するほうも下手をするとチョムスキーの樹形図などと持ち出さねばならず結構疲れる。もっとも中国語や韓国語は基本日本語と同じようなものだとのことで、確かにこれらが母語の人は単語の意味が分かればそこから解釈してこのようなシンタクス構造もすぐ理解できるが、関係代名詞の助けに頼る癖のついた印欧語母語者はたとえ単語の意味が全部わかっていても文が理解できない。この「語の意味は全部知っているのに文になるとわからない」と言う感覚は日本人だって外国語をやる際頻繁に経験する感覚ではないだろうか。
もう一つ、that 節で思い出したが「田中さんと明日会う約束」というような場合修飾文と被修飾語とのシンタクス関係をどう解釈したらいいのだろう。被修飾語は「約束」、修飾文は「(私が)田中さんと明日会う」である。修飾文の中には被修飾語の場所がない。だから当然格も特定できない。私の考えだが、ここで修飾文と被修飾語は同格関係にあると思う。「同格」という格じゃないかと言われるかもしれないが、これは日本語の訳のせいだ。同格は Apposition といい、本来の「格」Kasus または case とは別物だ。この同格とは一つの指示対象を別の表現で言い換え、それを並べた構造のこと、言い換えると同格と言う格ではなくて格が同じという意味である。よく使われる例は Ich habe Herrn Schmidt, den Freund meiner Schwester, getroffen(I have meet Mr. Schmidt, my sister’s boyfriend)などというもので、「シュミットさん」と「妹の恋人 」は同一人物である。「田中さんと明日会う約束」の場合は「約束」の具体的内容が「山田さんと会う」、つまり同じ指示対象を別の言葉で表している。また日本語では同格である印として「という」というフレーズを差し挟むことができる。「山田さんと明日会うという約束」である。他にも「あさって東京へ行く予定」は「あさって東京へいくという予定」、「なんでも自分でやるつもり」は「なんでも自分でやるというつもり」、「山田さんが帰ってくる噂」は「山田さんが帰ってくるという噂」とそれぞれ言い換えられる。最後の例などは同格マーカー「~という」がついていた方が座りがいい。
英語やドイツ語ではこういう場合いわゆるコンプレメンタイザーの dass(that)を使う。
Die/eine Veranredung, dass ich morgen Herren Yamada treffe
the /a + appointment + that + I + tommorow + Mr. Yamada + meet
もちろん不定詞でもいい。
Die/meine Verabredung, morgen Herrn Tanaka zu treffen
the/my + appointment + tommorow + Mr. Yamada + to + meet
次のような文ではいわゆる形式主語の it と that 節は同格である。文法書などでは「同格」という言葉は使われていないが。
It is well known that ducks can swimm well.
形式主語の代わりに普通名詞が来ることもある。
The fact that ducks can swimm well is well kown.
日本語ではもちろんそれぞれこうなる。
アヒルがじょうずに泳ぐことはよく知られている。
アヒルがじょうずに泳ぐ事実はよく知られている。
日本語には形式主語がないので、「こと」という普通名詞を使う。上の同格の例と同じく「泳ぐ」と「こと」あるいは「事実」の間に「~という」というフレーズが入れる。冒頭で述べたように動詞の分詞を使って付加語とする場合被修飾語は主語以外の文法格には立てないのはもちろんだが、同格の修飾文をthat なしで付加語にするのはさらに不可能。直訳すれば
The ducks well swimm canning fact is well known
となり、英語が完全に崩壊している。そもそも can の現在分詞などすでに死語になっているからさらに崩壊感が増す。