前にもちょっと触れたが、マカロニウエスタンには二つの源泉がある(『69.ピエール・ブリース追悼』、『155.不幸の黄色いサンダル』参照)。一つが当時の西ドイツで何作も制作された西部劇で、原作はカール・マイの(軽い)冒険小説。どの映画もヴィネトウという名のネイティブ・アメリカンが主人公でそれをフランス人のピエール・ブリースが務め、その友人の白人役をアメリカ人のレックス・バーカーがやっている。この一連のヴィネトウ映画は未だに年中ドイツのTVで流している。人気ぶりではテレンス・ヒル、スペンサー組の西部劇と肩を並べるだろう。監督もスタッフもドイツ人だが制作にはドイツ、イタリア、あとユーゴスラビアの三国が関与していて、俳優もドイツ(含オーストリア)やアメリカだけでなくイタリアやユーゴスラビアからも参加している。ロケ地もユーゴスラビアだ。例えばシリーズの第一作目1963年の Winnetou 1. Teil(「ヴィネトウ第一部」)にはウォルター・バーンズやマリオ・アドルフなど後のマカロニウエスタンでお馴染みの顔が見える。「ヴィネトウ第二部」Winnetou 2. Teil(1964)にはクラウス・キンスキー、テレンス・ヒルが登場、やはり一連の一つ Unter Geiern(「ハゲタカの下で」、1964)にはジークハルト・ルップ、ウォルター・バーンズ、テレンス・ヒルが勢ぞろいしていてすでにマカロニウエスタン臭プンプンだ。この Unter Geiern という作品は下で改めて述べるが、割とキーポイントになる作品である。しかしまだある。これも一連映画の一つ、1964年の Old Shatterhand(「シャターハンドおじさん」?)の音楽を担当したのはリズ・オルトラーニだ!どうだ参ったか。
この一連のヴィネトウ映画に端役で出演していたゴイコ・ミティッチ Gojko Mitić というセルビア、当時のユーゴスラビアの俳優はその後東ドイツに渡ってスターになった。偶然かそれとも西ドイツに対抗してワザとやったのか、60年代後半ごろには東ドイツでも盛んにネイティブアメリカンを主人公にした映画が作られ、ミティッチがその主人公を引き受けたからだ。
そのイタリアでの第一作『拳銃のバラード』は、アルフィオ・カルタビアーノ Alfio Caltabiano というスタントマン出身の俳優兼監督で、レオーネやコルブッチ、ヴァレリなどと違って「その他大勢の監督」のカテゴリーに入れられがちだが、複数の西部劇を作っている。『拳銃のバラード』が一番出来がいいという評価だ。この映画はストーリーもテーマもまあマカロニウエスタンの定式通りだし、特に派手でもなく物珍しさもないが非常に堅実な作りで結構面白く、好感の持てる作品だ。マルチェロ・ジョンビーニの音楽も良かった。ジョンビーニは『西部悪人伝』のあの耳にやたらとこびりつくスコアを作曲した人だ。
悪漢兄弟が徒党を組んで輸送金を狙う。定番通りこの二人にはたんまり懸賞金がかかっていて、これも定番通り謎めいた若い賞金稼ぎ(イタリア人俳優アンジェロ・インファンティ)がこれを追う。その悪漢ボスの兄の方を監督自らが演じている。その若い賞金稼ぎと同時にもう一人の謎めいたガンマンが登場するが、これがアンソニー・ギドラことボヤニッチだ。こちらも兄弟を追っているが金のためではなく復讐が目的だ。そしてまたまたマカロニウエスタンの法式に従って追うほうの二人が微妙にコンビを組んで協力し最後には悪漢二人を倒すのだが、最後になって実はこちらの方も兄弟だったと(観客に)わかる。アシメトリーな兄弟と言う、これもマカロニウエスタンの定番だ。さらに定番としてボヤニッチの主人公は一度敵方の手に落ちて拷問を受ける。
この『拳銃のバラード』はコルブッチの『グランド・キャニオンの大虐殺』と同じくロケ地がユーゴスラビア。またロケ地ばかりでなく、ギャング団の手下や酒場の客などの小さな役は皆ユーゴスラビア人の俳優が演じている。ロケをするついでに俳優も現地調達したのかもしれない。やはり撮影地がユーゴスラビアだった上述西ドイツのヴィネトウ映画シリーズでも独伊墺俳優に交じってユーゴスラビアの俳優が相当活躍している。そのユーゴスラビア人俳優の名前がヴィネトウ映画と『拳銃のバラード』で結構被っているのが面白い。ボヤニッチもヴィネトウ映画の一つ、上記の Unter Geiern という作品にノンクレジットで出演している。『グランド・キャニオンの大虐殺』でもユーゴスラビアの俳優が小さな役をこなしているが、やはりヴィネトウ映画に出ていた人である。西ドイツの西部劇とマカロニウエスタンの間には浅からぬ繋がりがあるのだ。そもそも『拳銃のバラード』の脚本と製作を担当したのはエルンスト・リッター・フォン・トイマー Ernst Ritter von Theumer というオーストリア人だが、『殺して祈れ』Requiescant の製作もこの人だ。
しかしたとえ本国ですでに名があったとはいえ、そして映画人たちの間に繋がりがあったとはいえ、ドラゴミル・ボヤニッチはなんでマカロニウエスタンなんかに流れて来たのか、ユーゴスラビアの俳優をいきなり主役につけようという発想は誰が出したのか実に気になる。ジャンニ・ガルコはそもそも俳優としての修業をイタリア映画界で開始しているから何もおかしくないが、ユーゴスラビアの奥の方から来てイタリアで主役というのは相当の縁と言うか偶然が働いているはずだ。推測するしかないのだが上で見たように西ドイツの西部劇を通してやって来たとしか思えない。ひょっとしたらヴィネトウ映画を機にしてセルビア人のミティッチが東ドイツで成功していくのを見て、西ドイツ&イタリア側がじゃあ俺たちはこっちのセルビア人だとの対抗意識からボヤニッチに白羽の矢でも立てたか。とにかくマカロニウエスタンの背後にチラチラしている(マフィアの黒幕かよ)西ドイツ映画の影響を感じる。その西ドイツ西部劇とマカロニウエスタンの繋ぎと言う意味で Unter Geiern という作品は興味深い。映画自体は面白くないのが残念だ。
完全にマカロニウエスタンに溶け込んでいるセルビア人ドラゴミル・ボヤニッチ。『拳銃のバラード』から『拳銃のバラード』。ドラゴミル・ボヤニッチ(左)とアンジェロ・インファンティ 『拳銃のバラード』のすぐ後に別の監督で L’ultimo killer(「最後の殺し屋」、ドイツ語タイトル Rocco – Ich leg’ dich um「ロッコ、貴様を殺してやる」)という作品が続いたが、ここではボヤニッチが映画そのものを救っている感があった。『拳銃のバラード』と違ってこれは俳優も(ボヤニッチ以外は)全部イタリア人で、ロケ地もイタリアである。主役はジョージ・イーストマン(本名ルイジ・モンテフィオーリ Luigi Montefiori)だが、いくらなんでもこれはミスキャストだったと思う。どうしてこの人を引っ張り出したりしたのだろう。監督のジュゼッペ・ヴァリ Giuseppe Vari はその直前の Un poker di pistole(ドイツ語タイトル Poker mit Pistolen、「ピストルでポーカー」)という映画でイーストマンを使っているから、その引き続きかもしれない。しかしこの映画でのイーストマンの役は貧乏なメキシコ農民の息子である。身長206cmもある上にあの特異な容貌の者に虐げられたメキシコ人の若者をやらせるのは無理があり過ぎだ。この若者は映画のしょっぱなに悪漢に滅茶苦茶に殴られるが、殴るほうはせいぜい身長180cm、イーストマンの顔をぶん殴るには背伸びするかジャンプしないと届かない。そこを何とか撮影でそれらしく切り抜けているが、イーストマンの方が殴らせてやっている感がぬぐい切れていない。また倒れている息子を父親が見つけて助け起こすが、二人並んで馬車に乗っている後ろ姿を見ると息子の背中の頑丈そうな面積が父親の倍くらいあり、助けたのはどっちだよと思う。イーストマンにはやはりちょっとサイコな役をやってもらった方がいい。バルボーニの Ciakmull (『208.バルボーニのカンフル剤』参照)でのこの人はすごく良かった。とにかくこのキャラがあまりにも浮いているので最初いま一つ映画にのめりこめない上に音楽もサンダル映画調で時々急に画面に不釣り合いなファンファーレがかかる。「なんだこれは」と嫌気がさしかけていたのだが、ボヤニッチが登場したら雰囲気が変わった。引き締まったのである。そのハマりぶりによってイーストマンの浮いている感が緩和された感じだ。
ストーリーはこれもマカロニウエスタンの定番で、メキシコ人の弱小農民の土地をアメリカ人の大牧場主が奪い取ろうと画策する。借金をカタに土地をよこせという日本の時代劇にもよくあるパターンである。メキシコ農民の他にも大企業牧場から嫌がらせを受けている中小規模のアメリカ人たちもいて、その大ボスを始末しようとする。アメリカ人たちはそのメキシコ人親子も誘うが、父親は暴に暴をもって制することを否定して仲間に加わらない。襲撃を受けた大ボスは当然カンカンに怒って生意気な中小企業のやつらに復讐するが、真っ先にその矛先になったのは暴動には加わらなかったメキシコ人の父親で、家を焼かれ父親を殺されたイーストマンが復讐のために立つ。
その大ボスと言うのがまた大タヌキで、自分に従わない共同経営者や部下を消そうとして殺し屋を雇う。この殺し屋がボヤニッチである。イーストマンがひょんなことからこの殺し屋が後ろから撃たれるのを阻止した代わりに自分は大怪我をしたのを殺し屋が拾って(?)傷の手当てをし、銃の撃ち方を伝授する。
言われた目的をすべて殺した殺し屋が引退しようとした矢先に、イーストマンが大ボスの一味を射殺したため、大ボスは殺し屋を引き留めて「もう一回だけ」と仕事を頼む。目的はガンマンに成長したイーストマンである。二人は対決して、ボヤニッチを撃ち殺し自分も傷を受けたたイーストマンが大ボスも殺す。『怒りの荒野』かよ。
身長206mのイーストマンと189cmのボヤニッチ
他にもボヤニッチは何人かの監督の下で何作かマカロニウエスタンを撮った。その一つがやはりジュゼッペ・ヴァリの Un buco in fronte(ドイツ語タイトル Ein Loch in der Stirn「額の穴」、1968)だが、これも全く平均的なマカロニウエスタンである。
大金の在処が3枚のトランプにバラバラに記してある。全部そろわないと判読できないのだがカードをそれぞれ別の人が持っていてそれらが奪い合い、殺し合いをするという実にありがちなストーリーだ。ボヤニッチの役はそのうちの一人の委託を受けたガンマンで、敵側につかまって(定式通り)拷問を受けるがなんとか逃げ出して金の居所をつきとめるというスタンダートと言えばあまりにもスタンダードな展開。もちろんカードの持ち主は全員撃ち殺される。とにかくやたらと人が死ぬ。隠し場所はさる僧院だったが、あおりを食って罪もない僧侶たちもやはり虐殺される。ボヤニッチはその大金を生き残った僧侶たちに与えて去る。
途中でボヤニッチが機関銃をぶっ放すシーンもあるし、とにかく他のマカロニウエスタンの寄せ集めのような感じで、今の時代ならこんな脚本それこそAIで書けるのではないだろうか。無くても別に誰も困らない映画ともいえようが、ただB級ではあっても駄作ではないことは強調しておきたい。定番マカロニウエスタンと言う安定性はあるからつい惰性で見てしまい、見終わっての感想も「ああつまらなかった」とはならない。例えばコルブッチの『グランド・キャニオンの大虐殺』より遥かに面白いことは私が保証する。
相変わらずドスの効いたUn buco in fronteでのボヤニッチの面構え。
機関銃のないマカロニウエスタンなんてクリープを入れないコーヒーのようなもの(若者には通じない)
この一連のヴィネトウ映画に端役で出演していたゴイコ・ミティッチ Gojko Mitić というセルビア、当時のユーゴスラビアの俳優はその後東ドイツに渡ってスターになった。偶然かそれとも西ドイツに対抗してワザとやったのか、60年代後半ごろには東ドイツでも盛んにネイティブアメリカンを主人公にした映画が作られ、ミティッチがその主人公を引き受けたからだ。
さてマカロニウエスタンのもう一つの源泉はイタリアのサンダル映画である。マカロニウエスタンの監督や俳優には元々サンダル映画を取っていた人が実に多い。そもそもレオーネだって監督第一作目はサンダル映画である。ドゥッチョ・テッサリだってそうだ。
西ドイツのヴィネトウ映画とイタリアのサンダル映画、この二つが合流してマカロニウエスタンが生まれたわけだが製作面、つまり資金面で西ドイツがかなり関与していたためかマカロニウエスタンでもユーゴスラビアとの関係が続いた。例えばセルジオ・コルブッチが初めて監督を(一部)引き受けた Massacro al Grande Canyon(「グランド・キャニオンの大虐殺」、ドイツ語タイトル Keinen Cent für Ringos Kopf、「リンゴーの首には一セントも出せない」)という西部劇。残念ながら超つまらない作品だがロケ地はユーゴスラビアである。マカロニウエスタンには俳優でもユーゴスラビア生まれの者が流れ込んだ。最も有名なのはクロアチア出身のジャンニ・ガルコ(『130.サルタナがやって来た』参照)だろうが、ガルコは地理的にはクロアチア出身でも政治的にはイタリアの出だ。出生地のザダル市が当時イタリア領だったからだ。しかもこれも前にも言った通りそもそもユーゴスラビアのアドリア海沿岸は何百年もベネチア共和国領で宗教もカトリックだから文化的にもイタリアに近く、ガルコもまあ半分以上イタリア人のようなものだ。
しかしガルコの他にもう一人、マカロニウエスタンで主役まで行ったユーゴスラビアの出身の俳優がいる。アンソニー・ギドラ Anthony Ghidra という芸名を使っていたドラゴミル・ボヤニッチ Dragomir Bojanić である。『拳銃のバラード』Ballata per un pistolero などの主役を務めた俳優だ。この人はガチのユーゴスラビア人、ギリシャ正教のセルビアのクラグイェヴァツの生まれだ。1933年生まれだから当時は「ユーゴスラビア王国」である。マカロニウエスタンを撮る前からすでにセルビアで俳優としての地位を築いており、主役ではないが出演した1965年の Tri(「3」)という映画は当時のアカデミー外国語映画賞にノミネートされている。最初からイタリアで全キャリアを築いたガルコやそのままドイツで活躍し続けたミティッチと違ってマカロニウエスタン出演のあともイタリアには留まったりせず、セルビアに帰って俳優業を続けた。セルビア側では「イタリアで映画に出ていたこともある」とあくまで軽く冷たく紹介されている。要するに正真正銘のセルビア人俳優なのである。そのイタリアでの第一作『拳銃のバラード』は、アルフィオ・カルタビアーノ Alfio Caltabiano というスタントマン出身の俳優兼監督で、レオーネやコルブッチ、ヴァレリなどと違って「その他大勢の監督」のカテゴリーに入れられがちだが、複数の西部劇を作っている。『拳銃のバラード』が一番出来がいいという評価だ。この映画はストーリーもテーマもまあマカロニウエスタンの定式通りだし、特に派手でもなく物珍しさもないが非常に堅実な作りで結構面白く、好感の持てる作品だ。マルチェロ・ジョンビーニの音楽も良かった。ジョンビーニは『西部悪人伝』のあの耳にやたらとこびりつくスコアを作曲した人だ。
悪漢兄弟が徒党を組んで輸送金を狙う。定番通りこの二人にはたんまり懸賞金がかかっていて、これも定番通り謎めいた若い賞金稼ぎ(イタリア人俳優アンジェロ・インファンティ)がこれを追う。その悪漢ボスの兄の方を監督自らが演じている。その若い賞金稼ぎと同時にもう一人の謎めいたガンマンが登場するが、これがアンソニー・ギドラことボヤニッチだ。こちらも兄弟を追っているが金のためではなく復讐が目的だ。そしてまたまたマカロニウエスタンの法式に従って追うほうの二人が微妙にコンビを組んで協力し最後には悪漢二人を倒すのだが、最後になって実はこちらの方も兄弟だったと(観客に)わかる。アシメトリーな兄弟と言う、これもマカロニウエスタンの定番だ。さらに定番としてボヤニッチの主人公は一度敵方の手に落ちて拷問を受ける。
この『拳銃のバラード』はコルブッチの『グランド・キャニオンの大虐殺』と同じくロケ地がユーゴスラビア。またロケ地ばかりでなく、ギャング団の手下や酒場の客などの小さな役は皆ユーゴスラビア人の俳優が演じている。ロケをするついでに俳優も現地調達したのかもしれない。やはり撮影地がユーゴスラビアだった上述西ドイツのヴィネトウ映画シリーズでも独伊墺俳優に交じってユーゴスラビアの俳優が相当活躍している。そのユーゴスラビア人俳優の名前がヴィネトウ映画と『拳銃のバラード』で結構被っているのが面白い。ボヤニッチもヴィネトウ映画の一つ、上記の Unter Geiern という作品にノンクレジットで出演している。『グランド・キャニオンの大虐殺』でもユーゴスラビアの俳優が小さな役をこなしているが、やはりヴィネトウ映画に出ていた人である。西ドイツの西部劇とマカロニウエスタンの間には浅からぬ繋がりがあるのだ。そもそも『拳銃のバラード』の脚本と製作を担当したのはエルンスト・リッター・フォン・トイマー Ernst Ritter von Theumer というオーストリア人だが、『殺して祈れ』Requiescant の製作もこの人だ。
しかしたとえ本国ですでに名があったとはいえ、そして映画人たちの間に繋がりがあったとはいえ、ドラゴミル・ボヤニッチはなんでマカロニウエスタンなんかに流れて来たのか、ユーゴスラビアの俳優をいきなり主役につけようという発想は誰が出したのか実に気になる。ジャンニ・ガルコはそもそも俳優としての修業をイタリア映画界で開始しているから何もおかしくないが、ユーゴスラビアの奥の方から来てイタリアで主役というのは相当の縁と言うか偶然が働いているはずだ。推測するしかないのだが上で見たように西ドイツの西部劇を通してやって来たとしか思えない。ひょっとしたらヴィネトウ映画を機にしてセルビア人のミティッチが東ドイツで成功していくのを見て、西ドイツ&イタリア側がじゃあ俺たちはこっちのセルビア人だとの対抗意識からボヤニッチに白羽の矢でも立てたか。とにかくマカロニウエスタンの背後にチラチラしている(マフィアの黒幕かよ)西ドイツ映画の影響を感じる。その西ドイツ西部劇とマカロニウエスタンの繋ぎと言う意味で Unter Geiern という作品は興味深い。映画自体は面白くないのが残念だ。
さてそのボヤニッチだが、例えばジャン・マリア・ヴォロンテやジュリアーノ・ジェンマ、あるいはジョージ・ヒルトンのような派手な作りの顔ではないし、クラウス・キンスキー、リー・ヴァン・クリーフのように一度見たら忘れられないような強烈なご面相でもない、かといってまたフランコ・ネロ、テレンス・ヒルのような端正な顔でもないのだが、精悍でドスの効いた面構えで画面を引き締めている。完全にマカロニウエスタンとして絵になっていて違和感が全くない。ヴァレリの『さすらいの一匹狼』のクレイグ・ヒルはその点少しハマりきっていない雰囲気があった(『193.トニーノ・ヴァレリの西部劇』参照)。
完全にマカロニウエスタンに溶け込んでいるセルビア人ドラゴミル・ボヤニッチ。『拳銃のバラード』から『拳銃のバラード』。ドラゴミル・ボヤニッチ(左)とアンジェロ・インファンティ 『拳銃のバラード』のすぐ後に別の監督で L’ultimo killer(「最後の殺し屋」、ドイツ語タイトル Rocco – Ich leg’ dich um「ロッコ、貴様を殺してやる」)という作品が続いたが、ここではボヤニッチが映画そのものを救っている感があった。『拳銃のバラード』と違ってこれは俳優も(ボヤニッチ以外は)全部イタリア人で、ロケ地もイタリアである。主役はジョージ・イーストマン(本名ルイジ・モンテフィオーリ Luigi Montefiori)だが、いくらなんでもこれはミスキャストだったと思う。どうしてこの人を引っ張り出したりしたのだろう。監督のジュゼッペ・ヴァリ Giuseppe Vari はその直前の Un poker di pistole(ドイツ語タイトル Poker mit Pistolen、「ピストルでポーカー」)という映画でイーストマンを使っているから、その引き続きかもしれない。しかしこの映画でのイーストマンの役は貧乏なメキシコ農民の息子である。身長206cmもある上にあの特異な容貌の者に虐げられたメキシコ人の若者をやらせるのは無理があり過ぎだ。この若者は映画のしょっぱなに悪漢に滅茶苦茶に殴られるが、殴るほうはせいぜい身長180cm、イーストマンの顔をぶん殴るには背伸びするかジャンプしないと届かない。そこを何とか撮影でそれらしく切り抜けているが、イーストマンの方が殴らせてやっている感がぬぐい切れていない。また倒れている息子を父親が見つけて助け起こすが、二人並んで馬車に乗っている後ろ姿を見ると息子の背中の頑丈そうな面積が父親の倍くらいあり、助けたのはどっちだよと思う。イーストマンにはやはりちょっとサイコな役をやってもらった方がいい。バルボーニの Ciakmull (『208.バルボーニのカンフル剤』参照)でのこの人はすごく良かった。とにかくこのキャラがあまりにも浮いているので最初いま一つ映画にのめりこめない上に音楽もサンダル映画調で時々急に画面に不釣り合いなファンファーレがかかる。「なんだこれは」と嫌気がさしかけていたのだが、ボヤニッチが登場したら雰囲気が変わった。引き締まったのである。そのハマりぶりによってイーストマンの浮いている感が緩和された感じだ。
ストーリーはこれもマカロニウエスタンの定番で、メキシコ人の弱小農民の土地をアメリカ人の大牧場主が奪い取ろうと画策する。借金をカタに土地をよこせという日本の時代劇にもよくあるパターンである。メキシコ農民の他にも大企業牧場から嫌がらせを受けている中小規模のアメリカ人たちもいて、その大ボスを始末しようとする。アメリカ人たちはそのメキシコ人親子も誘うが、父親は暴に暴をもって制することを否定して仲間に加わらない。襲撃を受けた大ボスは当然カンカンに怒って生意気な中小企業のやつらに復讐するが、真っ先にその矛先になったのは暴動には加わらなかったメキシコ人の父親で、家を焼かれ父親を殺されたイーストマンが復讐のために立つ。
その大ボスと言うのがまた大タヌキで、自分に従わない共同経営者や部下を消そうとして殺し屋を雇う。この殺し屋がボヤニッチである。イーストマンがひょんなことからこの殺し屋が後ろから撃たれるのを阻止した代わりに自分は大怪我をしたのを殺し屋が拾って(?)傷の手当てをし、銃の撃ち方を伝授する。
言われた目的をすべて殺した殺し屋が引退しようとした矢先に、イーストマンが大ボスの一味を射殺したため、大ボスは殺し屋を引き留めて「もう一回だけ」と仕事を頼む。目的はガンマンに成長したイーストマンである。二人は対決して、ボヤニッチを撃ち殺し自分も傷を受けたたイーストマンが大ボスも殺す。『怒りの荒野』かよ。
さて上でついこき下ろしてしまったキャスティングだが、逆に農民の息子役をイーストマンでなく普通の俳優がやっていたらどうなっていただろう。チクハグ感はなくなるかもしれないが客寄せ要素も消える。監督もそこを考えて多少違和感があってもいいからとにかく目立つ人を前面に持ってこようとしたのかもしれない。
身長206mのイーストマンと189cmのボヤニッチ
他にもボヤニッチは何人かの監督の下で何作かマカロニウエスタンを撮った。その一つがやはりジュゼッペ・ヴァリの Un buco in fronte(ドイツ語タイトル Ein Loch in der Stirn「額の穴」、1968)だが、これも全く平均的なマカロニウエスタンである。
大金の在処が3枚のトランプにバラバラに記してある。全部そろわないと判読できないのだがカードをそれぞれ別の人が持っていてそれらが奪い合い、殺し合いをするという実にありがちなストーリーだ。ボヤニッチの役はそのうちの一人の委託を受けたガンマンで、敵側につかまって(定式通り)拷問を受けるがなんとか逃げ出して金の居所をつきとめるというスタンダートと言えばあまりにもスタンダードな展開。もちろんカードの持ち主は全員撃ち殺される。とにかくやたらと人が死ぬ。隠し場所はさる僧院だったが、あおりを食って罪もない僧侶たちもやはり虐殺される。ボヤニッチはその大金を生き残った僧侶たちに与えて去る。
途中でボヤニッチが機関銃をぶっ放すシーンもあるし、とにかく他のマカロニウエスタンの寄せ集めのような感じで、今の時代ならこんな脚本それこそAIで書けるのではないだろうか。無くても別に誰も困らない映画ともいえようが、ただB級ではあっても駄作ではないことは強調しておきたい。定番マカロニウエスタンと言う安定性はあるからつい惰性で見てしまい、見終わっての感想も「ああつまらなかった」とはならない。例えばコルブッチの『グランド・キャニオンの大虐殺』より遥かに面白いことは私が保証する。
相変わらずドスの効いたUn buco in fronteでのボヤニッチの面構え。
機関銃のないマカロニウエスタンなんてクリープを入れないコーヒーのようなもの(若者には通じない)
以上の三作ではボヤニッチは要するにクールな主役キャラだがあとの二つは違う。1968年の…E venne il tempo di uccidere(「殺しの時がやって来た」ドイツ語タイトルEinladung zum Totentanz「死の舞踏への招待」)では落ちぶれたアル中保安官を、同じく1968年のChiedi perdono a Dio… non a me(「俺でなく神に許しを乞え」、ドイツ語タイトルDjango – den Colt an der Kehle「ジャンゴ、コルトを喉に」)では敵役、悪役を演じている。スタッフも俳優もマカロニウエスタンでお馴染みの顔で、例えば前者には後でジュリオ・ペトローニの『復讐無頼・狼たちの荒野』に出ていた子役のルチアーノ・カサモニカ、後者には善玉の相棒役としてペドロ・サンチェスが登場する。さらに前者のスコアはフランチェスコ・デ・マージの作曲で、それを歌うのはもちろんラウールだ。後者では最後にやっぱり機関銃も登場し(ただし撃つのはサンチェス)、ちょっとやり過ぎなんじゃないかと思うくらいバッタバッタと人が死ぬ。しかしどちらも上の3作と同じく「マカロニウエスタンとしてはまあ合格、主役はきちんと渋く役をこなしている作品」である。特に…E venne il tempo di uccidereが印象的で、主役は外からやって来た若い保安官助手、この人がイニシアチブをとって酒飲みのダメ保安官にカツを入れて町の悪漢たちを退治するのだが、金髪碧眼でイケメンの主役俳優をボヤニッチが食ってしまっている。これの英語タイトルは「テキーラ・ジョー」Tequila Joeというのだが、これはボヤニッチ演じたダメ保安官の名前で、つまり主役として把握されてしまっているのだ。そういえば『殺しが静かにやって来る』はドイツでは主演クラウス・キンスキー、助演トランティニャンと把握されているがそれと似たようなものだ。
…E venne il tempo di uccidere。やる気のない飲んだくれ保安官(左)とやる気満々の若い助手
さてボヤニッチは…E venne il tempo di uccidere をとった後セルビアに帰った。当時はまだマカロニウエスタンがまだ勢いを失っていなかったからもう少しイタリアに留まっても良かったんじゃないかとも思うが、まあ1968年が潮時だったのかもしれない。セルビアに帰った後はもうイタリア映画には出たりせずに本国で堅実に地位を築いていった。セルビアのベスト俳優とかいう類のリストにはたいてい入っている。1993年、ユーゴスラビア紛争の真っ最中にベオグラードで60歳で亡くなった。
本国セルビアでのボヤニッチ。当然ながら全部セルビア語。
https://www.youtube.com/watch?v=4zV6gd6ffT8







