ロシア語のアスペクトペア(『16.一寸の虫にも五分の魂』、『95.シェーン、カムバック!』参照)には完了体動詞のほうに純粋なアスペクトの意味だけでなく、動作様態の意味合いが加わることがある。動作様態はアクチオンスアルトとドイツ語からの借用語がそのまま使われることがあるが、語彙的アスペクト Lexical aspect とも呼ばれていることを(やっと)先日知った。手元の言語学事典には英語で manner of action だと出ている。ロシア語ではアクチオンスアルトとアスペクトは明確に区別するが、他の言語ではどうもこの二つの観念がごっちゃにされやすいようだ。ロシア語ではそれぞれспособ дейсгвия、вид глагола である。
ではそのアクチオンスアルトとは何なのかというと、これも人によって定義がバラバラで困るのだが、まあ(なんだよその「まあ」というのは?)わかりやすく言うと当該事象をどういうものとして動詞化するか、そのやり方をいくつかのグループにカテゴリー化したものだ。全然わかりやすくないが、例えばドイツ語の entflammen(「燃え上がる」)、einschlafen(「寝入る」)、losrennen(「走り出す」)という動詞を見てほしい。これらはそれぞれ flammen(「燃える」)、schlafen(「眠る」)、rennen(「走る」)という事象が開始されたことを表している。この「開始」という意味的部分がアクチオンスアルトである。接頭辞がつかない動詞でもアクチオンスアルトを表すことがある。例えば sterben(「死ぬ」)は「瞬間的」というアクチオンスアルトだ。
他にどのようなアクチオンスアルトがあるかというと、これもまた学者によって違いがあり、例えばロシア語学ではイサチェンコという学者もロシア語アカデミー文法でも20以上のアクチオンスアルトを区別し、それらのアクチオンスアルトがさらにいくつかのグループに分類されたり逆にグループにまとめられたりしている。命名の仕方にもグループ分けにも両者には細かな差があって律儀に全部検討していくとキリがないので、まあ代表的なものだけ見てみよう。
まず上で述べた起動態(ingressive または inchoative Aktionsart 、ロシア語では начинательный способ дейсгвия)には次のような例があるが、1.異なった接頭辞が起動相を形成できること、2.起動相を帯びた動詞は完了体動詞、帯びない動詞のほうは不完了体であることに注目。

限定態の「ちょっと」は時間的な「ちょっと」だが、事象や行為そのものが弱まる、つまり「ちょっと」になるのが弱化態(attenuative A.、смягчительный с. д.)である。イサチェンコはもとの動詞がすでに完了体である場合のみ弱化態と呼んでいるが、アカデミー文法ではイサチェンコが限定態に分類している動詞をこちらの弱化態に入れている。当然派生元は不完了体動詞だ(表の下部分)。学者によって揺れがあるいい例である。
Он позапирал все двери.
he + shut + all + doors
彼は次々の全てのドアを閉めた。
Она перебила всю посуду.
she + broke + all + crocketies
彼女は全ての食器を次々に割った。
Все сыновья переженились
all + sons + married
息子は皆次々に結婚した。
さて、今まで見てきたのは接頭辞によるアクチオンスアルト形成だが、動詞のど真ん中に形態素をぶち込んで表すアクチオンスアルトもある。まず単発態(semelfaktive A.、одноактный с. д.)だが、事象や行為が一回だけスポンと起ることを示している。単発態の動詞は極めて例が多く、「瞬間動詞」Momentanverb と呼ばれることがあるがこの名称はちょっと誤解を招きやすい。例えば「死ぬ」は瞬間的に一回起る事象なのだから瞬間動詞かと思いそうになるが、ロシア語で言う瞬間動詞とはあくまで「単発態が特定の形態素によって明確にマークされている動詞」のことであって、意味を同じくする単発態を帯びない動詞、ニュートラルな動詞が同時に存在している。そしてここでもニュートラルな動詞は不完了体、単発態は完了体だ。
最後の例では接頭辞も使われている。
残る大物アクチオンスアルトは反復態(iterative A.、многократный с. д.)だ。このアクチオンスアルトも上の結果態のようにいくつかのサブカテゴリーに分類されることがある。比較的純粋な反復態動詞には次のような例があげられるが、ニュートラルなほうの動詞も反復態のほうも共に不完了体であることが特徴だ。
反復態にはいろいろ亜種があるが、二つばかりみてみよう。まず弱化反復態(deminutiv-iterative A.、прерывисто-смягчительный с. д.)は事象または行為の反復が不規則で、その結果行為の程度そのものも弱まる。反復態と上述の弱化態が統合された感じで、形の点でも接頭辞とぶち込み形態素が両方同時に付加される。
Старик вил его и приговоривал.
old man + hit + him + „and spoke“
老人は彼を殴りながら話をした。
最初に警告(?)した通り、これでアクチオンスアルトを全て網羅したわけではない。まだいろいろ種類があるが、すでにゲップが出そうなのでここら辺で羅列は止める。とにかくこういう微妙なニュアンスの差を一つの単語(動詞)で表せるロシア語動詞体系に驚く。しかし本題は実はこれからなのだ。アクチオンスアルトとアスペクトの関係という、学習者は絶対避けて通れないロシア語という言語の核心ポイントである。私がこのアスペクトをロシア語文法最大のセールスポイントを見なしていることは『107.二つのコピュラ』で書いたとおりだ。
まず注意すべきは中立動詞が不完了体、そこから派生されたアクチオンスアルト動詞が完了体であるからといってこの二つをアスペクトのペアと混同してはいけないという点だ。種々の接頭辞を付加することによって一つの中立動詞から複数のアクチオンスアルト動詞が派生できるからだ。もっとも一つの動詞から上記で述べたアクチオンスアルトが全てもれなく派生できるわけではない。動詞が表している事象の性質上、理論的に付加できないアクチオンスアルトだってある。まず петь(「歌う」)という動詞の場合を見てみよう。
петь(不完了体)
запеть(完了体、起動態)
попеть(完了体、限定態)
пропеть(完了体、終了態)
спеть(完了体、単発態)
певать(不完了体、反復態)
反復態は不完了体だから当然ペアにはなれないのでひとまず置いておくが、接頭辞によって異なったアクチオンスアルト動詞が派生されるのがわかる。このうちの限られたアクチオンスアルトだけが(たいていは一つだけ。下記参照)『16.一寸の虫にも五分の魂』で述べたアスペクトペア抽出作業によって петь のペアと見なされるのである。その完了体ペアを黄色で囲っておいたが、петь のペアは二人(二つ)、пропеть と спеть がある。配偶者が複数いる(ある)のは文の成分などの環境の違いによって二つのアクチオンスアルトが抽出テストを通るからだ。しかしこれはむしろ例外で配偶者は1人だけのことが多い。
もう一つ писать(「書く」)という動詞の例。
писать(不完了体)
написать(完了体、真正結果態)
прописать(完了体、持続限界態)
дописать(完了体、完成態)
исписать(完了体、集積態)
пописать(完了体、限定態)
ではそのアクチオンスアルトとは何なのかというと、これも人によって定義がバラバラで困るのだが、まあ(なんだよその「まあ」というのは?)わかりやすく言うと当該事象をどういうものとして動詞化するか、そのやり方をいくつかのグループにカテゴリー化したものだ。全然わかりやすくないが、例えばドイツ語の entflammen(「燃え上がる」)、einschlafen(「寝入る」)、losrennen(「走り出す」)という動詞を見てほしい。これらはそれぞれ flammen(「燃える」)、schlafen(「眠る」)、rennen(「走る」)という事象が開始されたことを表している。この「開始」という意味的部分がアクチオンスアルトである。接頭辞がつかない動詞でもアクチオンスアルトを表すことがある。例えば sterben(「死ぬ」)は「瞬間的」というアクチオンスアルトだ。
他にどのようなアクチオンスアルトがあるかというと、これもまた学者によって違いがあり、例えばロシア語学ではイサチェンコという学者もロシア語アカデミー文法でも20以上のアクチオンスアルトを区別し、それらのアクチオンスアルトがさらにいくつかのグループに分類されたり逆にグループにまとめられたりしている。命名の仕方にもグループ分けにも両者には細かな差があって律儀に全部検討していくとキリがないので、まあ代表的なものだけ見てみよう。
まず上で述べた起動態(ingressive または inchoative Aktionsart 、ロシア語では начинательный способ дейсгвия)には次のような例があるが、1.異なった接頭辞が起動相を形成できること、2.起動相を帯びた動詞は完了体動詞、帯びない動詞のほうは不完了体であることに注目。
次に限定態(delimitative A.、ограничительный с.д.)。当該事象が限られた範囲内で遂行される、あるいは起こることを表す。「ちょっとだけよ」のイメージだ。

限定態の「ちょっと」は時間的な「ちょっと」だが、事象や行為そのものが弱まる、つまり「ちょっと」になるのが弱化態(attenuative A.、смягчительный с. д.)である。イサチェンコはもとの動詞がすでに完了体である場合のみ弱化態と呼んでいるが、アカデミー文法ではイサチェンコが限定態に分類している動詞をこちらの弱化態に入れている。当然派生元は不完了体動詞だ(表の下部分)。学者によって揺れがあるいい例である。
続いて終了態(terminative A.、терминативный с. д.)は、事象の終了を表す。
持続限界態(perdurative A.、длительно-ограничительный с. д.)。特定の長さの時間持続した事象の終了を示す。そろそろアクチオンスアルトつきの動詞の意味が微妙すぎて翻訳がキツくなって来た。
有限態(finitive A.、финитивный または окончательный с. д.)。行為が最後まで遂行されて打ち切られる。
終了、持続限界、有限態など(「など」と書いたのは上述のように本来さらに数多くのアクチオンスアルトがあるからだ)がイサチェンコでは結果態(resultative A.)というアクチオンスアルトの亜種としてまとめられている。確かにこれらは皆事象あるいは行動が終わるという意味だからだ。違うのは終わり方、あるいは当該事象が終わるまでどんな経過をとったかという点だ。イサチェンコはそこで「真正結果態」として次のような例を挙げている。さすがに意味の差が微妙過ぎて双方の動詞を同じ訳にするしかないが、ということは両動詞の意味差がアスペクトの差に近いということである(下記参照)。 分配態(distributive A.、распределительный または дистрибутивный с. д.)。一つ一つの行為または事象が積み重なって最終的に特定量に達することを示す。またこの分配態はすでに接頭辞のついている動詞から形成される、つまり接頭辞がダブルになることがある(下の表の最後の例)。
このアクチオンスアルトの動詞はセンテンス内で最終量(下線)が明示されるのが普通だ。動詞を並べただけではわかりにくいので使用例を挙げる。Он позапирал все двери.
he + shut + all + doors
彼は次々の全てのドアを閉めた。
Она перебила всю посуду.
she + broke + all + crocketies
彼女は全ての食器を次々に割った。
Все сыновья переженились
all + sons + married
息子は皆次々に結婚した。
さて、今まで見てきたのは接頭辞によるアクチオンスアルト形成だが、動詞のど真ん中に形態素をぶち込んで表すアクチオンスアルトもある。まず単発態(semelfaktive A.、одноактный с. д.)だが、事象や行為が一回だけスポンと起ることを示している。単発態の動詞は極めて例が多く、「瞬間動詞」Momentanverb と呼ばれることがあるがこの名称はちょっと誤解を招きやすい。例えば「死ぬ」は瞬間的に一回起る事象なのだから瞬間動詞かと思いそうになるが、ロシア語で言う瞬間動詞とはあくまで「単発態が特定の形態素によって明確にマークされている動詞」のことであって、意味を同じくする単発態を帯びない動詞、ニュートラルな動詞が同時に存在している。そしてここでもニュートラルな動詞は不完了体、単発態は完了体だ。
最後の例では接頭辞も使われている。
残る大物アクチオンスアルトは反復態(iterative A.、многократный с. д.)だ。このアクチオンスアルトも上の結果態のようにいくつかのサブカテゴリーに分類されることがある。比較的純粋な反復態動詞には次のような例があげられるが、ニュートラルなほうの動詞も反復態のほうも共に不完了体であることが特徴だ。
反復態にはいろいろ亜種があるが、二つばかりみてみよう。まず弱化反復態(deminutiv-iterative A.、прерывисто-смягчительный с. д.)は事象または行為の反復が不規則で、その結果行為の程度そのものも弱まる。反復態と上述の弱化態が統合された感じで、形の点でも接頭辞とぶち込み形態素が両方同時に付加される。
付随態(komitative A.、сопроводительный с. д.)。当該事象あるいは行為が他の行為や事象に付随して起ることを示す。
この付随態も上に分配態のように動詞だけではイメージが掴みにくい。例えば「その際話す」は次のような使用例がある。Старик вил его и приговоривал.
old man + hit + him + „and spoke“
老人は彼を殴りながら話をした。
最初に警告(?)した通り、これでアクチオンスアルトを全て網羅したわけではない。まだいろいろ種類があるが、すでにゲップが出そうなのでここら辺で羅列は止める。とにかくこういう微妙なニュアンスの差を一つの単語(動詞)で表せるロシア語動詞体系に驚く。しかし本題は実はこれからなのだ。アクチオンスアルトとアスペクトの関係という、学習者は絶対避けて通れないロシア語という言語の核心ポイントである。私がこのアスペクトをロシア語文法最大のセールスポイントを見なしていることは『107.二つのコピュラ』で書いたとおりだ。
まず注意すべきは中立動詞が不完了体、そこから派生されたアクチオンスアルト動詞が完了体であるからといってこの二つをアスペクトのペアと混同してはいけないという点だ。種々の接頭辞を付加することによって一つの中立動詞から複数のアクチオンスアルト動詞が派生できるからだ。もっとも一つの動詞から上記で述べたアクチオンスアルトが全てもれなく派生できるわけではない。動詞が表している事象の性質上、理論的に付加できないアクチオンスアルトだってある。まず петь(「歌う」)という動詞の場合を見てみよう。
петь(不完了体)
запеть(完了体、起動態)
попеть(完了体、限定態)
пропеть(完了体、終了態)
спеть(完了体、単発態)
певать(不完了体、反復態)
反復態は不完了体だから当然ペアにはなれないのでひとまず置いておくが、接頭辞によって異なったアクチオンスアルト動詞が派生されるのがわかる。このうちの限られたアクチオンスアルトだけが(たいていは一つだけ。下記参照)『16.一寸の虫にも五分の魂』で述べたアスペクトペア抽出作業によって петь のペアと見なされるのである。その完了体ペアを黄色で囲っておいたが、петь のペアは二人(二つ)、пропеть と спеть がある。配偶者が複数いる(ある)のは文の成分などの環境の違いによって二つのアクチオンスアルトが抽出テストを通るからだ。しかしこれはむしろ例外で配偶者は1人だけのことが多い。
もう一つ писать(「書く」)という動詞の例。
писать(不完了体)
написать(完了体、真正結果態)
прописать(完了体、持続限界態)
дописать(完了体、完成態)
исписать(完了体、集積態)
пописать(完了体、限定態)
完成態と集積態というのは上では挙げなかったが、結果態の亜種である。ここでは配偶者は真正結果態一人だ。
接頭辞によるアスペクトペア形成は非常にありふれたパターンで学習者は писать-написать(「書く」)、читать-прочитать(「読む」)、идти-поидти(「行く」)、делать-сделать(「する」)などのペアをお経のように丸暗記させられるが、厳密にいえばこれらは純粋なアスペクトのペアではないということになる。完了体動詞のほうが必ず何かしらのアクチオンスアルトを帯びていて、両者の意味差がアスペクトだけではない、言い換えるとアクチオンスアルトという「不純物」が混じっているからだ。純粋なアスペクトの違いとは話者の視点が当該事象の中にあるか外にあるかというだけの違いで(『178.日本語のアスペクト表現 その2』参照)、それ以上の意味が加わってはいけない。ここで参照したイサチェンコもアカデミー文法でも接頭辞によるアスペクトペアは本物のペアではないと明言している。そういえば同じスラブ語でも言語が違うと別の接頭辞を持った完了体動詞がペアになることがある、つまり結構揺れが大きいのもその「不純物」のせいだろう。この項続きます。