アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

Januar 2023

前に書いた記事の図表を画像に変更しました(レイアウトが機種やブラウザによって、特にスマホではグチャグチャになるようなので)。当然と言えば当然ですが、北ドイツにはデンマーク語の地域があります。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 以前にもちょっと述べたが、ドイツの土着言語はドイツ語だけではない。国レベルの公用語はたしかにドイツ語だけだが、ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章(『130.サルタナがやって来た』『37.ソルブ語のV』『50.ヨーロッパ最大の少数言語』参照)に従って正式に少数民族の言語と認められ保護されている言語が4言語ある。つまりドイツでは5言語が正規言語だ。
 言語事情が特に複雑なのはドイツの最北シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州で、フリースラント語(ドイツ語でFriesisch、フリースラント語でFriisk)、低地ドイツ語(ドイツ語でNiederdeutsch、低地ドイツ語でPlattdüütsch)、デンマーク語(ドイツ語でDänisch、デンマーク語でDansk)、そしてもちろんドイツ語が正規言語であるがロマニ語話者も住んでいるから、つまりソルブ語以外の少数言語をすべて同州が網羅しているわけだ。扱いが難しいのはフリースラント語で、それ自体が小言語であるうえ内部での差が激しく、一言語として安易に一括りするには問題があるそうだ。スイスのレト・ロマン語もそんな感じらしいが、有力な「フリースランド標準語」的な方言がない。話されている地域もシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州ばかりでなく、ニーダーザクセン州にも話者がいる。そこでfriesische Sprachen、フリースラント諸語という複数名称が使われることがよくある。大きく分けて北フリースラント語、西フリースラント語、ザターラント語(または東フリースラント語)に区別されるがそのグループ内でもいろいろ差があり、例えば北フリースラント語についてはちょっと昔のことになるが1975年にNils Århammarというまさに北ゲルマン語的な苗字の学者がシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の言語状況の報告をしている。

北フリースラント(諸)語の状況。
Århammar, Nils. 1975. Historisch-soziolinguistische Aspekte der Nordfriesischen Mehrsprachigkeit: p.130から

nordfriesisch

 さて、デンマーク語はドイツの少数民族でただ一つ「本国」のある民族の言語だが、この言語の保護政策はうまくいっているようだ。まず欧州言語憲章の批准国はどういう保護政策を行ったか、その政策がどのような効果を挙げているか定期的に委員会に報告しなければいけない。批准して「はいそれまでよ」としらばっくれることができず、本当になにがしかの保護措置が求められるのだが、ドイツも結構その「なにがしか」をきちんとやっているらしい。例えば前にデンマークとの国境都市フレンスブルクから来た大学生が高校の第二外国語でデンマーク語をやったと言っていた。こちらの高校の第二外国語といえばフランス語やスペイン語などの大言語をやるのが普通だが、当地ではデンマーク語の授業が提供されているわけである。
 さらに欧州言語憲章のずっと以前、1955年にすでにいわゆる独・丁政府間で交わされた「ボン・コペンハーゲン宣言」Bonn-Kopenhagener Erklärungenというステートメントによってドイツ国内にはデンマーク人が、デンマーク国内にはドイツ人がそれぞれ少数民族として存在すること、両政府はそれらの少数民族のアイデンティティを尊重して無理やり多数民族に同化させないこと、という取り決めをしている。シュレスヴィヒのデンマーク人は国籍はドイツのまま安心してデンマーク人としての文化やアイデンティティを保っていけるのだ。
 シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州には第二次大戦後すぐ作られた南シュレスヴィヒ選挙人同盟という政党(ドイツ語でSüdschleswigscher Wählerverband、デンマーク語でSydslesvigsk Vælgerforening、北フリースラント語でSöödschlaswiksche Wäälerferbånd、略称SSW)があるが、この政党も「ボン・コペンハーゲン宣言」によって特権を与えられた。ドイツでは1953年以来政治政党は選挙時に5%以上の票を取らないと州議会にも連邦議会にも入れないという「5パーセント枠」が設けられているのだが、SSWはその制限を免除されて得票率5%以下でも州議会に参入できることになったのである。

SSWの得票率。なるほど5%に届くことはまれなようだ。ウィキペディアから
SSW_Landtagswahlergebnisse.svg

 こうやって少数言語・少数民族政策がある程度成功していることは基本的に歓迎すべき状況なので、まさにこの成功自体に重大な問題点が潜んでいるなどという発想は普通浮かばないが、Elin Fredstedという人がまさにその点をついている。
 独・丁双方から保護されているのはあくまで標準デンマーク語だ。しかしシュレスヴィヒの本当の土着言語は標準語ではなく、南ユトランド語(ドイツ語でSüdjütisch、デンマーク語でSønderjysk)なのである。このことは上述のÅrhammarもはっきり書いていて、氏はこの地(北フリースラント)で話されている言語は、フリースラント語、低地ドイツ語、デンマーク語南ユトランド方言で、その上に二つの標準語、標準ドイツ語と標準デンマークが書き言葉としてかぶさっている、と描写している。書き言葉のない南ユトランド語と標準デンマーク語とのダイグロシア状態だ、と。言い変えれば標準デンマーク語はあくまで「外から来た」言語なのである。この強力な外来言語に押されて本来の民族言語南ユトランド語が消滅の危機に瀕している、とFredstedは2003年の論文で指摘している。この人は南ユトランド語のネイティブ・スピーカーだ。

 南ユトランド語は13世紀から14世紀の中世デンマーク語から発展してきたもので、波動説の定式通り、中央では失われてしまった古い言語要素を保持している部分があるそうだ。あくまで話し言葉であるが、標準デンマーク語と比べてみるといろいろ面白い違いがある。下の表を見てほしい。まず、標準語でstødと呼ばれる特有の声門閉鎖音が入るところが南ユトランド語では現れない(最初の4例)。また l と n が対応している例もある(最後の1例):
Tabelle-132
 もちろん形態素やシンタクスの面でも差があって、南ユトランド語は語形変化の語尾が消失してしまったおかげで、例えば単数・複数の違いが語尾で表せなくなったため、そのかわりに語幹の音調を変化させて示すようになったりしているそうだ。語彙では低地ドイツ語からの借用が多い。長い間接触していたからである。

 中世、12世紀ごろに当地に成立したシュレスヴィヒ公国の書き言葉は最初(当然)ラテン語だったが、1400年ごろから低地ドイツ語(ハンザ同盟のころだ)になり、さらに1600年ごろからは高地ドイツ語を書き言葉として使い始めた。その間も話し言葉のほうは南ユトランド語だった。これに対してデンマーク王国のほうでは標準語化されたデンマーク語が書き言葉であったため、実際に話されていた方言は吸収されて消えて行ってしまったそうだ。『114.沖縄独立シミュレーション』でも述べたように「似た言語がかぶさると吸収・消滅する危険性が高い」というパターンそのものである。シュレスヴィヒ公国ではかぶさった言語が異質であったため、南ユトランド語は話し言葉として残ったのだ。公国北部ではこれが、公国南部では低地ドイツ語が話されていたという。低地ドイツ語がジワジワと南ユトランド語を浸食していってはいたようだが、19世紀まではまあこの状況はあまり変化がなかった。
 1848年から1864年にかけていわゆるデンマーク戦争の結果、シュレスヴィヒはドイツ(プロイセン)領になった。書き言葉が高地ドイツ語に統一されたわけだが、その時点では住民の多数がバイリンガルであった。例えば上のFredsted氏の祖母は1882年生まれで高等教育は受けていない農民だったというが、母語は南ユトランド語で、家庭内ではこれを使い、学校では高地ドイツ語で授業を受けた。さらに話された低地ドイツ語もよく分かったし、標準デンマーク語でも読み書きができたそうだ。
 第一世界大戦の後、1920年に国民投票が行われ住民の意思で北シュレスヴィヒはデンマークに、南シュレスヴィヒはドイツに帰属することになった。その結果北シュレスヴィヒにはドイツ語話者が、南シュレスヴィヒにはデンマーク語話者がそれぞれ少数民族として残ることになったのである。デンマーク系ドイツ人は約5万人(別の調べでは10万人)、ドイツ系デンマーク人は1万5千人から2万人とのことである。

 南シュレスヴィヒがドイツに帰属して間もないころ、1924の時点ではそこの(デンマーク系の)住民の書いたデンマーク語の文書には南ユトランド語やドイツ語の要素が散見されるが1930年以降になるとこれが混じりけのない標準デンマーク語になっている。南ユトランド語や低地ドイツ語はまだ話されてはいたと思われるが、もう優勢言語ではなくなってしまっていたのである。
 これは本国デンマークからの支援のおかげもあるが、社会構造が変わって、もう閉ざされた言語共同体というものが存続しにくくなってしまったのも大きな原因だ。特に第二次大戦後は東欧からドイツ系の住民が本国、例えばフレンスブルクあたりにもどんどん流れ込んできて人口構成そのものが変化した。南ユトランド語も低地ドイツ語もコミュニケーション機能を失い、「話し言葉」として役に立たなくなったのである。現在はシュレスヴィヒ南東部に50人から70人くらいのわずかな南ユトランド語の話者集団がいるに過ぎない。

 デンマークに帰属した北シュレスヴィヒはもともと住民の大半がこの言語を話していたわけだからドイツ側よりは話者がいて、現在およそ10万から15万人が南ユトランド語を話すという。しかし上でもちょっと述べたように、デンマークは特に17世紀ごろからコペンハーゲンの言語を基礎にしている標準デンマーク語を強力に推進、というか強制する言語政策をとっているため南ユトランド語の未来は明るくない。Fredsted氏も学校で「妙な百姓言葉を学校で使うことは認めない。そういう方言を話しているから標準デンマーク語の読み書き能力が発達しないんだ」とまで言い渡されたそうだ。生徒のほうは外では標準デンマーク語だけ使い、南ユトランド語は家でこっそりしゃべるか、もしくはもう後者を放棄して標準語に完全に言語転換するかしか選択肢がない。南ユトランド語に対するこのネガティブな見方は、この地がデンマーク領となるのがコペンハーゲン周りより遅かったのも一因らしい。そういう地域の言語は「ドイツ語その他に汚染された不純物まじりのデンマーク語」とみなされたりするのだという。つまりナショナリストから「お前本当にデンマーク人か?」とつまはじきされるのである。そうやってここ60年か70年の間に南ユトランド語が著しく衰退してしまった。
 かてて加えてドイツ政府までもが「少数言語の保護」と称して標準デンマーク語を支援するからもうどうしようもない。

 が、その南ユトランド語を堂々としゃべっても文句を言われない集団がデンマーク内に存在する。それは皮肉なことに北シュレスヴィヒの少数民族、つまりドイツ系デンマーク人だ。彼らは民族意識は確かにドイツ人だが、第一言語は南ユトランド語である人が相当数いる。少なくともドイツ語・南ユトランド語のバイリンガルである。彼らの書き言葉はドイツ語なので、話し言葉の南ユトランドが吸収される危険性が低い上、少数民族なので南ユトランド語をしゃべっても許される。「デンマーク人ならデンマーク人らしくまともに標準語をしゃべれ」という命令が成り立たないからだ。また、ボン・コペンハーゲン宣言に加えて2000年に欧州言語憲章を批准し2001年から実施しているデンマークはここでもドイツ人を正式な少数民族として認知しているから、「ここはデンマークだ、郷に入っては郷に従ってデンマーク人のようにふるまえ」と押し付けることもできない。ネイティブ・デンマーク人のFredsted氏はこれらドイツ系デンマーク人たちも貴重なデンマーク語方言を保持していってくれるのではないかと希望を持っているらしい。
 惜しむらくはデンマークで少数言語として認められているのがドイツ語の標準語ということである。独・丁で互いに標準語(だけ)を強化しあっているようなのが残念だ。

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 言語学に中和 Neutralisationという専門用語がある。最初使いだしたのは構造主義の言語学者、ということはつまり音韻論学者だ。『47.下ネタ注意』『141.アレクサンダー大王の馬』にも書いたので繰り返しになるが、ドイツ語には語末音硬化 Auslautverhärtung という(私の嫌いな)言葉で表される現象がある。ソナント以外の有声子音が語末(あるいは形態素末)に来ると対応する無声子音に変化する。「対応する」というのは調音点と調音方法は変わらないという意味だ。前の記事で出した例の他に Land [lant] (「国」単数主格)→ Länder [ˈlɛndɐ](同複数主格)、Landes [ˈlandəs](同単数属格)なども語末音硬化の例だ。この無声化をきちんとやらないとドイツ語の発音がモロ初心者っぽくなる。
 これは「変化する」というより本来弁別性を持っていた有声という素性(そせい)がその機能を失うということだ。「素性が一定の条件下でその弁別機能を失う」という現象、これが言語学で言う中和で、手元の事典では次のように定義してある。

Neutralisation:
Aufhebung semantisch relevanter Oppositionen. Die Unmöglichkeit, in einem bestimmten lautlichen Kontext eine Opposition zu realisieren, die in anderen Kontexten zwischen solchen Phonemen besteht, die ein gemeinsames Merkmal (oder eine Reihe gemeinsamer Merkmale) besitzen; Aufhebung der phonologischen Opposition in bestimmten Positionen (…); die Realisierung des Archiphonems.

中和:
意味の区別に重要な二項対立の無効化。他の文脈でなら共通の素性(そせい)(または共通素性の束)をもつような音素間に存在する二項対立が、測定の音声・音韻環境で実現不可能になること。特定の場所での音韻対立の無効化。原音素の実現形。

専門用語の事典にありがちな石のような文章だが、それに加えて専門用語事典特有の自己矛盾に陥っている。これを理解するには「中和」の何たるかがある程度わかっていなければいけない。でないとこの文章は単なる暗号である。つまり専門用語の事典というものはその言葉を知らないから参照するものではないということになる。入門書と同じで(『43.いわゆる入門書について』参照)、すでに知っている用語の理解に誤解はないか確認するためのもので、全くその語の意味を知らない人がノホホンと引いても役に立たない。告白すると実は私も言語学事典を引くと「何を言っているのかわからない」語解説によくぶつかる。

 さてもうちょっと上の中和の定義を見てみよう。原音素という言葉(太字)については以前に述べたがこれはトゥルベツコイの掲げた用語である。トゥルベツコイは大文字を使い、例えば Dと表していたが、アンドレ・マルティネは / t/d / という風に具体的な双方の現実形音素を並べていた。この原音素という観念には批判も出され、ホケットなどもその批判者の一人だが、大元のプラーグ学派も後にこの用語を放棄している。D という上位観念を設けずに中和を t、d 二音素間の問題として扱うことにしたのだ。私も原音素という用語はあくまで「言語学史上の用語」として習った。

 この事典には中和の具体例としてドイツ語の Rad(「車輪」)と Rat(「アドバイス」) のペアが上がっている。前者では語末の d の有声性が中和されて [ʁaːt] になり、本当に t と発音する「アドバイス」[ʁaːt] と全く同じ発音になる。「車輪」が複数になると Räder となって d が語末に来なくなるから本来の有声音に戻り、 [ˈʁɛːdɐ] と発音される。ちょっとこれを図式化してみよう。
Tabelle-188
[+ alveolar + plosive]という部分(太字)が共通項である。ここでは中和されるのが有声対無声の欠如的対立(『128.敵の敵は友だちか』参照)だが、等価対立が中和されることもある。その事典にはスペイン語では語末で /m/ 対 /n/ 、/m/ 対 /ɲ/、 /n/ 対 /ɲ/ の対立が中和されるとあったが、具体例が載っていなかった。そこでこちらで勝手に考えたのだが、そういえばスペイン語には -n で終わる単語は掃いて捨てるほどあるのに、m や ñ で終わる語はない(一つくらいはあるかもしれないがとにかく極めてまれだ)。これらの対立が中和されるということはつまり例えば abejón の語末を m で発音しても ñ と言っても意味に変わりはないということだ。そういえばスペイン語では(イタリア語も)ラテン語の cum(with)が con になっているがこれは中和が文字化されて固定したということなのだろうか。
 他をちょっと見てみたら Akamatsu Tsutomu という人が /m/ 対 /n/ 対 /ɲ/ の対立が中和される英語の例を挙げていた。氏は m を labial nasal、n を apical nasal、ŋ を dorsal nasal と定義しているがそれを(こちらの個人的な趣味で)調音点による定義に統一し、それぞれ [+ labial + nasal]、[+alveolar + nasal]、[+palatal + nasal] としよう。この3つは語末と母音の前では弁別的に機能する:kin(/n/ [n])対 Kim(/m/ [m])対 king(/ŋ/ [ŋ])、あるいは Hanna(h) (/n/ [n])対 hammer(/m/ [m])対 hangar(/ŋ/ [ŋ])。この等価対立 [+ labial] 対 [+alveolar] 対 [+palatal]  が特定子音の前では中和され、p の前では mに、t の前では n に、k の前では ŋ に統一される: camp、hunt、rank。
 上のスペイン語の /n/ 対 /ɲ/ は非口蓋化と口蓋化という欠如的対立なのでまあ図式が簡単だが、正直言ってこの英語の例を「(等価対立の)中和」はどうもわかりにくい。これあの音素の上に君臨する原音素を大文字一つで表すのは難しいのではないだろうか。ここはやはりマルティネ方式をとったほうがいいかもしれない。音声学でならこれらは単なる同化(『148.同化と異化』参照)である。

 コセリウは中和の観念をさらに語彙レベルにまで広げて論じているそうだが、私は等価対立程度で唸っているくらいだからそこまで手を広げられると理解できないのでここではクラシックに音韻の範囲内に留まることにしてあたりを見回すと、もう一つ中和される欠如的対立がある。日本語の高低アクセントだ。付属語のアクセントがそれが付加された自立語のアクセントにせいで無効になる、つまり中和されるのだ。
 たとえば助動詞の「です」である。この語は本来第一モーラにアクセントがあり、「で˥す」と表す。この語が自立語の「橋」「箸」「端」につくとどうなるか。まず「橋」「箸」「端」のアクセントパターンはそれぞれ「はし˥」、「は˥し」、「はし」だ。「橋」と「端」は語だけを発音する時は「第一モーラと第二モーラの音調は異なっていないといけない」という規則に従って、最初のモーラが低、二モーラ目が高となり(この現象は「異化」と呼ぶこともある、『148.同化と異化』参照)どちらも同じになるが、「橋」は最終モーラにアクセントがあるので後続する助詞で音調が下がる。それで「橋が」は低高低、「端が」は無アクセントで音調が下がらないから低高高となる。「箸が」はもともと第一モーラと第二モーラの高さが違っているから異化する必要がなく、高低低。さてこれらの自立語に「です」がつくと「です」のアクセントが中和される。

橋です:はし˥ + で˥す = はし˥です(低高低低)
箸です: は˥し+ で˥す = は˥しです(高低低低)

「で˥す」の˥が消えてしまい、低低となっている。しかし自立語のほうが無アクセントだと突然附属語のアクセントが復活する。

端です: はし + で˥す = はしで˥す(低高高低)

 助動詞ばかりではない。辞書などではすっ飛ばされていたりするが、一モーラの格助詞も実はアクセントを持っているのではないだろうか。順を追うためにまず一モーラの名詞(自立語)を見ると、アクセントのあるものとないものがある。例えば「死」は有アクセントで「し˥」、「詩」は無アクセントで「し」である。後ろに格助詞をつけるとすぐわかる。高音を黄色、低音を水色で(ウクライナの国旗かよ)表してみよう。

死を見た → ˥ ˥
詩を見た →  ˥

さらに「歯」は有アクセント、「葉」は無アクセントである。

歯が落ちた → ˥ ˥ちた
葉が落ちた →  ˥ちた

次に格助詞のあとに助詞をつけてみると、二番目の助詞では音の高さが下がることがわかる。が、に、を、へ、全てそうなる。つまり格助詞は実は有アクセントなのだ。面倒なので当該部分だけ色をつけてみると次のようになる。

「を」で対格を表す。→ ˥…。
「が」と「は」はどう違うんですか?→ ˥ ˥
地名に「に」をつける→ …˥

「橋が」「箸が」という分節では有アクセントの自立語である「橋」と「箸」が格助詞のアクセントを中和していることになる。「端が」の「が」は確かに先行名詞の「端」によっては中和されないが、「端が」が文の直接構成要素である場合、直後に動詞などの自立語が来るからそれによってアクセントが中和されてしまう。あるいは分節の最後尾に来るから単独で発音された場合と同じく、せっかくのアクセントも実現の場を奪われ宙に浮いてしまう、と言った方がいいか。分節の区切り目を括弧で表してみるとこうなる。

葉が落ちた → [˥][˥ちた
端が浮く→ [しが˥][

「浮く」の第一モーラがなのは上記のように異化作用だが、この異化作用はアクセントとは明らかにメカニズムが違い、発動されないことが頻繁にある。「端が浮く」も[はしが˥][うく]と異化なし発音してもあまり気にならない。アクセントをハズされると非常に神経に障るのと対称的である。いずれにせよ、せっかく「が」にアクセントがあっても後続のモーラが同じ分節内ではないため音調が下がらない、上でも述べたがアクセントが無駄使いされているのだ。
 自立性の弱い格助詞がモロに自立語の先行名詞にアクセントを吸い取られること自体は「さもありなん」で驚くこともないのだが、問題は例外があることだ。付加格というか属格の助詞「の」である。他の格助詞は全て先行名詞によってアクセントが中和されるのに、「の」だけは自分のアクセントを吸い取られないどころか逆に先行名詞のアクセントを中和してしまうことがあるのだ。まず一モーラの名詞だが、ここでは「の」はアクセントを失うので他の助詞と同じだ。

死の恐怖→ [˥˥][きょ˥うふ
詩の恐怖→ [˥][きょ˥うふ
(どんな恐怖よ?)

しかし名詞が二モーラ以上になるとむしろ名詞のほうの最終モーラのアクセントが中和されてしまう。

橋のたもと→ [˥˥][もと
端のたもと→ [しの˥][もと
(どんなたもとよ?)

「橋」のアクセントが中和されて「端」と区別がつかなくなってしまう。私の感覚では「橋」のアクセントを保持して「橋のたもと」を[˥˥][もと]と発音するとむしろおかしい。「の」には二モーラ以上の先行名詞の最終モーラのアクセントを中和する力があるということだ。
 これはなぜだろう?「の」と他の助詞とは何が違うのだろう?でも『152.Noとしか言えない見本』でも述べたが、「の」のつく名詞句は文の直接構成要素にはなれず、必ず第二の名詞が後続する。つまり全体で一つの名詞となるわけで、音声・音韻のメカニズムが「合成語」のそれに近づき「自立語と附属語」のパターンから外れるのかもしれない。「˥」と「いがく」が合体すると「˥ばだいがく」 にはならず、「くばだ˥いがく」となり、単純にその合成語を構成している一つ一つの語のアクセントからは導き出せないのと似たようなことなのだろうか。
 さらに「の」は単なる格助詞としての機能ばかりでなく、名詞の機能を受け持つことができる。「この本は私のです」の「私の」は厳密にいえば「私の∅」で、本来「私のN」であった構造でNが消失し、その機能を「の」が代行している。言い換えると「の」は「附属性」が他の格助詞より弱い、裏返すと自立性が強いのかもしれない。
 しかし一方で、そういう「の」の機能の違いが何らかの影響力、中和効果を持っているとしても、それがなぜ「複数モーラの語の最終モーラ」に対してだけ発動するのか。有アクセントの一モーラ語「死の恐怖」では中和されないのは上で述べたが、先行名詞が複数モーラであってもアクセントが最終モーラに来ない場合はその名詞のアクセントは中和されない。

箸のたもと→ [˥しの˥][もと
(いよいよ意味不明)

いや全く言語と言うのは一筋縄ではいかないものだ。

 ところで、上で名前を出した音韻学者の Akamatsu Tsutomu 氏にやはり日本語アクセントの中和現象を論じた論文がある。アプローチの仕方や用語、また日本語アクセントの記述が私と全く違うのだが、氏も「の」とゼロが後に来ると(繰り返すが氏はそういう言葉を使っていない)、複数モーラ名詞の最終モーラアクセントが中和されることを指摘している。私は上で、分節の最後尾のアクセントは中和されたのではない、実現のきっかけを奪われたのであって、本当の中和とはメカニズムが違う的な意見を述べたが、そう言われてみると確かにこれらをわざわざ区別して考える必要はないかもしれない。定義を見ても「二項対立が測定の音声・音韻環境で実現不可能になること」が中和なのだから、アクセントが分節末でフン詰まりを起こして(もうちょっと上品な表現はできないのか)発動しないのもやはり中和と言えよう。


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