アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

Oktober 2022

図表を画像に変更したりして一度記事を全面変更しましたが、その後今更英語にも包含と除外を区別する場合があることを安井稔教授が指摘しているのを見たのでさらに変更しました。再投稿します。言語と言うのは本当に驚くことばかりです。

内容はこの記事と同じです。

 セルジオ・レオーネ監督の代表作に Il Buono, il Brutto, il Cattivo(邦題『続・夕陽のガンマン』)というのがある。「いい奴、悪い奴、嫌な奴」という意味だが、英語ではちゃんと直訳されて The good, the bad and the ugly というタイトルがついている。この映画には主人公が3人いて三つ巴の絡み合い、決闘をするのだが、ドイツ語タイトルではこれがなぜか Zwei glorreiche Hallunken(「華麗なる二人のならず者」)となっていて人が一人消えている。消されたのは誰だ?たぶん最後に決闘で倒れる(あっとネタバレ失礼)リー・ヴァン・クリーフ演じる悪漢ではないかと思うが、ここでなぜ素直にdrei (3)を使って「3人の華麗なならず者」とせず、zwei にして一人減らしたのかわけがわからない。リー・ヴァン・クリーフに何か恨みでもあるのか。
 さらに日本でも I quattro dell’ Ave Maria、「アヴェ・マリアの4人」というタイトルの映画が『荒野の三悪党』になって一人タイトルから消えている。無視されたのは黒人のブロック・ピータースだろうか。だとすると人種差別問題だ。ドイツ語では原題直訳で Vier für ein Ave Maria。

 もっともタイトル上で無視されただけならまだマシかもしれない。映画そのものから消された人もいるからだ。レオーネと同じようにセルジオという名前の監督、セルジオ・ソリーマの作品 La Resa dei Conti(「行いの清算」というような意味だ。邦題は『復讐のガンマン』)は、『アルジェの戦い』を担当した脚本家フランコ・ソリナスが協力しているせいか、マカロニウエスタンなのに(?)普通の映画になっている珍しい作品だが、ここで人が一人削除されている。
 この映画はドイツでの劇場公開時にメッタ切り、ほとんど手足切断的にカットされたそうだ。25分以上短くされ、特に信じられないことに最重要登場人物のひとりフォン・シューレンベルク男爵という人がほとんど完全に存在を抹殺されて画面に出て来なくなっているらしい。「らしい」というのは私が見たのはドイツの劇場公開版ではなく、完全版のDVDだからだ(下記)。劇場版では登場人物を一人消しているのだから当然ストーリーにも穴が開き、この映画の売りの一つであるクライマックスでの男爵の決闘シーンも削除。とにかく映画自体がボロボロになっていた。ドイツ語のタイトルは Der Gehetzte der Sierra Madre でちょっとバッチリ決まった日本語にしにくいのだが、「シエラ・マドレの追われる者」というか「シエラ・マドレの追われたる者」というか(「たる」と語形変化させるとやはり雰囲気が出る)、とにかく主人公があらぬ罪を着せられて逃げシエラ・マドレ山脈で狩の獲物のように追われていく、というストーリーの映画のタイトルにぴったりだ。でもタイトルがいくらキマっていても映画自体がそう切り刻まれたのでは台無しだ。
 私はもちろんこの映画を1960年代のドイツでの劇場公開では見ていないが完全版のDVDを見ればどこでカットされたかがわかる。ドイツ語吹き替えの途中で突然会話がイタリア語になり、勝手にドイツ語の字幕が入ってくる部分が所々あるのだ。これが劇場公開で切られた部分である。件の男爵はドイツ語吹き替え版なのにイタリア語しかしゃべらない。つまり劇場版では全く吹き替えされていない、ということは出てきていないということだ。
 この切断行為も理由がまったくわからない。ソリーマ監督自身がいつだったかインタビューで言っていたのを読んだ記憶があるが、このフォン・シューレンベルクという登場人物は、ドイツ人の俳優エーリヒ・フォン・シュトロハイムへのオマージュだったそうだ。なるほど人物設定から容貌から『大いなる幻影』のラウフェンシュタイン大尉にそっくりだ。背後には『エリーゼのために』をモチーフにしたエンニオ・モリコーネの名曲が流れる。そこまで気を使ってくれているのによりによってドイツ人がそれをカットするとは何事か。
 
 ちょっと話が急カーブしすぎかもしれないがやはり「一人足りない」例に、私も大好きなまどみちおさん作詞の「1年生になったら」という童謡がある。「一年生になったら友達を100人作って100人みんなで富士山に登りたい」というストーリーだ。実は当時から子供心に疑問に思っていたのだが、友達が100人いれば自分と合わせるから富士登山する人数は合計で101人になるはずではないのか。一人足りないのではないか。
 この疑問への答のヒントを与えてくれたのがロシア語の мы с тобой(ムィスタヴォイ)という言い回しだ。これは直訳すると we with you なのだが、意味は「我々とあなた」でなく「あなたを含めた我々」、つまり「あなたと私」で、英語でも you and I と訳す。同様にこの友達100人も「私と君たち友達を含めた我々100人」、つまり合計100人、言語学で言う inclusive(包括的あるいは包含的)な表現と見ていいのではないだろうか。逆に富士山に登ったのが101人である場合、つまり話者と相手がきっちりわかれている表現は exclusive(排除的あるいは除外的)な表現といえる。
 
 言語には複数1人称の人称表現、つまり英語の代名詞 we にあたる表現に際して包含的なものと除外的なものを区別する、言い換えると相手を含める場合と相手は含めない場合と2種類の we を体系的に区別するものが少なからずある。アイヌ語がよく知られているが、シベリアの言語やアメリカ先住民族の言語、あとタミル語、さらにそもそも中国語の方言にもこの区別があるらしい。「少なからず」どころか実はこの区別を持つ言語は世界中に広がっているのだ。南北アメリカやアジアだけでなく環太平洋地域、南インドやアフリカ南部の言語にも見られる。さらに足元琉球語の方言にもある。印欧諸語やセム語にはないが、話者数でなく言語の数でみると包含・除外の区別は決して「珍しい」現象ではない。ちょっと例を挙げてみると以下のような感じ。それぞれ左が inclusive、右が exclusiveの「我々」だ。
Tabelle1-22
あちこちの資料から雑多に集めてきたのでちょっと統一がとれていないが、とにかくアフリカ南部からアジア、アメリカ大陸に広がっていることがわかる。ざっと見るだけで結構面白い。
 ジューホアン語というのが見慣れないが、これがアフリカ南部、ナミビアあたりで話されている言葉だ。
 中国語は体系としてはちょっとこの区別が不完全で、「我們」は基本的に inclusive、exclusive 両方の意味で使われるそうだ。他方の「咱們」が特に inclusive として用いられるのは北京語も含む北方の方言。満州語の影響なのではないかということだ。そう言われてみると、満州語と同じくトゥングース語群のエヴェンキ語にもこの対立がある。満州語とエヴェンキ語は inclusive と exclusive がそれぞれmusə と mit、bə と bū だから形まで近い。
 問題はハワイ語やジューホアン語の双数・複数という分類だ。これらは安易にウィキペディアから持ってきた例だが、双数と言うのはつまり私が一人、あなたも一人の合計二人、複数ではこちら側かあちら側かにさらにもう一人いて3人以上、つまり複数なのかと思うとどうも事情は常にそう簡単ではないらしい。言語によっては双数とやらは実は単数あるいは非複数と解釈するべきで、それを「双数」などと言い出したのは、1.文法には数、人称というカテゴリーがあり、2.人称は一人称、二人称、三人称のきっちり三つであるという思考枠から出られない印欧語頭の犯した誤解釈だというのである。これは松本克己教授の指摘だが(もちろん氏は「印欧語頭」などという下品な言い回しは使っていない)、そもそも「一人称複数で包含と除外を区別」という言い方自体に問題があるそうだ。包含形に単・複両形を持つ言語は消して珍しくない。たとえば松本氏の挙げるニブフ語(ギリヤーク語)の人称代名詞は以下のような体系をなしている。
Tabelle2-22
人称は3つだけではないと考えさえすれば極めてすっきりした体系なのに、パンフィーロフ Панфилов В. З というソ連の学者は「1人称でも2人称でも3人称でもない人称」を見抜くことができず、話し手と聞き手が含まれているのだから単数とは見なせないと考えて、全くニブフ語の言語感覚を逸脱した「双数」という概念を藪から棒に一人称にだけ設定して次のように記述した。思い切りわかりにくくなっている。
Tabelle3-22
包含形を一人称複数の一種とせずに独立した一つの人称カテゴリー(包含人称あるいは一人称+二人称)とみなさざるを得ないのはアイマラ語も同じだ。アイマラ語は数のカテゴリーがないが、後に特殊な形態素を付けて増幅形をつくることができる。
Tabelle4-22
上のように hiwasa と naya-naka を比べても唐突すぎてよくわからないが、こうすれば体系をなしているのがよくわかる。さらに南太平洋のトク・ピシンも同じパターンなのが面白い。
Tabelle5-22
トク・ピシンというのは乱暴に言えばメラネシアの現地語の枠組みの上に英語が被さってできた言語だ。mi というのは英語の me、yu は you である。yumi で包含人称を表わすというのはまことに理にかなっている。トク・ピシンには本当に一人称双数形があるが、パンフィーロフ氏はこれをどうやって図式化するのだろう。不可能としか言いようがない。
 それではこれらの言語での包含人称とやらの本質は何なのか。例えばアイヌ語の(いわゆる)一人称複数包含形には1.一人称の間接表現(引用の一人称)、2.2人称の敬称、3.不特定人称の3つの機能があるそうだ。3番目がポイントで、他の言語とも共通している。つまり包含人称は1・2・3人称の枠から独立したいわば第4の人称なのである。「不特定人称」「汎人称」、これが包含形の本質だ。アメリカの言語学では初め inclusive の代わりに indefinite plural または general plural と呼んでいたそうだ。plural が余計なのではないかとも思うが、とにかく多くの言語で(そうでない言語もあるだろうが)包含対除外の単純な二項対立にはなっていないのである。
 そもそも一口に人称代名詞と言っても独立形か所有形(つまりある意味「語」でなく形態素)か、形の違いは語形変化によるのか膠着かによっても機能・意味合いに差が出てくるからまだまだ議論分析の余地が大ありという事だろう。
 
 ところで私の感覚だと、日本語の「私たち」と「私ども」の間にちょっとこの包含対除外のニュアンスの差が感じられるような気がするのだが。「私ども」というと相手が入っていない、つまり exclusive 寄りの意味が強いのではないだろうか。実はこの点を松本教授も指摘していて、それを読んだとき私は「おおっ、著名な言語学者を同じことを考えてたぞ私!」と万歳三唱してしまった。これは私だけの考えだが、この「私たち」と「私ども」の差は直接 inclusive 対 exclusive の対立というより、むしろ「ども」を謙譲の意味とみなして、謙譲だから相手が入っているわけがないと解釈、言い換えると inclusive 対 exclusive の対立的意味合いは二次的に派生してきたと解釈するほうがいいかもしれない。
 また上述のロシア語 мы с тобой 、つまりある意味では包含表現は単純に ты и я(you and me)やмы(we)というより暖かい響きがあるそうだ。 まどみちおさんも実は一人抜かしたのではなくて、むしろ暖かい友だち感を強調したかったのかも知れない。登場人物を映画やタイトルでぶった切るのとは逆である。
 さらに驚くべきことには安井稔氏が英語にも実は inclusive と exclusive を表現し分ける場合があることを指摘している:
Let's go.
Let us go.
という例だが、前者は単に後者を短く言ったものではない。意味と言うか会話上の機能が違う。前者は Shall we go?(さあ行きましょう)、後者は Let us be free! (私たちを行かせてください、自由にしてください)と同じ、つまり Let's の us は相手が含まれる inclusiv、Let us の us は相手が含まれない exclusive の we である。
 
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前に書いた記事のレイアウトがどうも不安だったので変更しました。いわゆるコピュラ文、A = B、this is a pen という一見簡単な構造ってよく考えるとすごく難しいと思います。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 変な言い方だが、言語にはどれもそれぞれ「売り」というものがある。日本語の売りは何と言っても主題・トピックを明確に表す形態素が存在するということだろう。ロシア語ならアスペクトが動詞のカテゴリーになっていること、タガログ語なら「焦点」をこれもまた形態素で表すこと、アルバニア語なら意外法 admirative の存在(『100.アドリア海の向こう側』参照)、ケルト語群ならVSO,そしてバスク語、タバサラン語、グルジア語なら能格、とまあいろいろある。さらに小泉保氏によればタバサラン語は62もの格があるそうだ。これも相当な売りである。
 スペイン語の売りはコピュラが二つあることなのではないだろうか。AはBである、A is B というのに場合によって ser というコピュラとestar というコピュラを使い分けるのである。どういう場合にどちらを使うかはさるネイティブが言っていたように「極めて微妙で使っているネイティブ本人にも説明できないことがあるから、外国人にはマスターするの無理だろ」。確かにその通りだろうがそれを言っちゃあオシマイという気がする。文法書にも「無理だ」などとは書かれておらず、凡そのガイドラインというか基本的な使い方は説明してあるし、無理だとわかってはいてもここに言語学的なアプローチをかける非ネイティブも大勢いる。

 ごく大雑把に言うとA=Bという構文で、BがAの本質的あるいは恒常的な性質を表す場合は ser、一時的または偶発的な性質・状態を描写する場合は estar を使う。このニュアンスの違いが最も明確に現れるのは述部が形容詞の場合だろう。

La vita es difícil.
the + life + ser.3.sg. + hard
人生はつらい

La vita está difícil (en astos días).
the + life + estar.3.sg. + hard) (in those days)
(ここのところ)生活がキツイ

Miguel es muy orgulloso.
Michael + ser.3.sg + very + proud
ミゲルは誇り高い人だ

Miguel está muy orgulloso de su éxito.
Michael + estar.3.sg + very + proud (of his success)
ミゲルは自分の成功を誇りにしている

Ese truco es sucio.
this + trick + ser.3.sg + dirty
このトリックは汚い

Ese coche está sucio.
this + car + estar.3.sg + dirty
この車は汚い

El señor Garrote es moreno
the + Mr. Garrote + ser.3.sg + brown, dark
ガローテ氏は目と髪が黒い

El señor Garrote está moreno.
the + Mr. Garrote + estar.3.sg + brown, dark
ガローテ氏は日焼けしている

Sus ojos son rojos.
his + eyes + ser.3.pl. + red
彼の目は赤い色だ。(ウサギとか)

Sus ojos están rojos.
his + eyes + estar.3.pl. + red
彼の目は充血している。

Eres joven
ser.2.sg. + young
あなたは若い。

Estás joven
estar.2.sg. + young
あなたは若く見える。

つまりバーのホステスなどがなじみの客に「あ~ら、社長さん若いわね~」と言う場合には estar を使うわけだ。文法を知らないとおちおち水商売もできない。

 これらの例はまだなるほどと思うが、

es nuevo
ser.3.sg + new 
新品だ。

está nuevo
estar.3.sg + new        
新品価格だ。

とかいう例を見せられるとそろそろ「微妙すぎて外国人にはマスターできない」というネイティブ氏の言葉が頭をよぎるようになる。さらに英語の how is she?、クロアチア語(『60.家庭内の言語』も参照)の Kako su? (3.sg.) にあたる表現にも

¿Cómo es Isabel? 
how + ser.3.sg + Isabel?
イサベルはどんな人だ?

¿Cómo está Isabel?
how + estar.3.sg + Isabel?
イサベルはどんな具合だ?

の2バージョンが可能であり、前者には

(Ella) es muy simpática.
(she) + ser.3.sg + very + kind
とても親切な人だ。

後者には

(Ella) está muy simpática últimamente.
(she) + estar.3.sg + very + kind + lately
最近とても親切だよ

あるいは

(Ella) está muy bien.
(she) + estar.3.sg + very + well
とても元気だよ

などと答える。本にはこれより微妙な例が並んでいるがどうせ私には理解できないのでもうやめる。

 さて、この ser か estar かの話になると比較として頻繁に持ち出されるのがロシア語である。似たような区別があるからだ。ただしこちらはコピュラそのものはひとつで述部の形容詞のほうが形を変える。
 ロシア語には形容詞の変化パラダイムが短形、長形の二種あり、後者は付加語としても文の述部としても、つまり A=B の Bの部分としても使えるが、前者は述部としてしか使われない。言い換えると形としては主格しかないのだ。その述部としての短形対長形のニュアンスの差は当該事象が「一時的」か「恒常的」か、あるいは「状態」か「性質」かの違いであると文法書などでは定義してある。例えば、

Мальчик здоров.
boy + (is) + healthy-.m.sg.
Мальчик здоровый.
boy + (is) + healthy-.m.sg.

では、上の短形は今現在、対話の時点で健康だという意味なのに対し、下の長形を使うとこの少年は滅多に病気をしないタイプということになる。コピュラがないじゃないかとお思いになるかもしれないが、ロシア語は現在時称ではゼロコピュラを許す、というよりゼロがデフォだからだ。コピュラが必須になるのは過去形かと未来形のみである。さらにニュアンスというより意味そのものが短形・長形で違ってくることがあって

Он жив.
he + (is) + living-.m.sg. -> alive
Он живой.
he + (is) + living-.m.sg. -> lively

では短形は「彼は生きている」だが、長形は「彼は生き生きとしている」である。また

Китайский язык труден.
Chinese + language + (is) + hard-m.sg.
Китайский язык трудный.
Chinese + language + (is) + hard-m.sg.

だと短形は「自分には難しすぎて中国語ワカンネ」だが、長形は「中国は難しい」という一般的な意味だ。

 この短長二つの形の意味の差が「状態」か「本質」か、あるいは「一時的」か「恒常的」かの対立に帰されることはスペイン語の ser 対 estar と似ているが、Ljudmila Geist という言語学者がこの二つの対立は必ずしもイコールではないことを指摘している。例えば

Пространство бесконечно.
universe +  (is) + endless-.n.sg.
宇宙は無限だ。

で短形を使うのは、これが一時的なことだからではなく、恒常的ではあるが「状態」であるからだそうだ。このように細かく見ていくと違いはあるが、基本的にはロシア語の短形・長形のニュアンスの違いがスペイン語の ser 対 estar と似ているのがわかる。

 ロシア語にはさらに形容詞の長形が述部に立つと、主格をとる場合と造格をとる場合がある。主格しかない短形と違う点だ。ただし長形造格が述部になれるのは過去時称と未来時称。あるいは接続法の場合のみで現在時称では使えない。つまりゼロコピュラと長形造格の組み合わせは不可能なのである。その代わりというと変だが、述語で造核になれるのは形容詞ばかりではなく、名詞も造格に立てる。

名詞による述語
Анна была учительница.
Anna + was + teacher-.sg.
Анна была учительницей.
Anna + was + teacher-.sg.
アンナは教師だった。

形容詞による述語
Ирина была добрая.
Irina + was + good-natured-.f.sg
Ирина была доброй.
Irina + was + good-natured-.f.sg
イリーナはいい奴だった。

この主格と造格の違いもスペイン語の ser 対 estar、ロシア語形容詞の短形対長形の里似ていて、主格だと「アンナは生きている間教師をしていた」「イリーナはいい人でしたねえ」だが、造格では「(今はそうじゃないけど)アンナって昔教師だったんだよね」「(昔は)イリーナもいい奴だったんだけどねえ」である。一時的か恒常的かの差に帰せそうだ。だから時間を区切る表現が文内に来ると主格は使えない。それで * をつける。

* Он несколько лет был директор.
he + several years + was + director-
Он несколько лет был директором.
he + several years + was + director-
彼は何年間か所長だった。

ところが「時間の制限がない」ことを明確に表した場合、主・造どちらもOKになることがあるから、この二つの差は単純に時間制限の有無だけから来るのではないことがわかる。

Пушкин всегда был великий поэт.
Pushkin + was + always +great- + poet-主
Пушкин всегда был великим поэтом.
Pushkin + was + always +great- + poet-造
プーシキンは常に偉大な詩人だった。

その次に主格・造格の差を「本質的なもの」か「偶発的なもの」かと見るやり方がある。例えば上のアンナは「教師だった」という文の場合、主格は「生涯教師」というよりも「アンナは人格から見ても教師にうってつけ。教師こそライフワーク」、つまり教師ということがアンナの本質と見るのに対し、造格だとアンナがいわゆるデモシカ教師ということになる。これもなるほどと思うがやはり説明できない例がある。

Анна была дочерью врача.
Anna +  was + daughter-+ doctor’s
アンナは医者の娘だった。

確かにこれを「子供は両親を選べない。全てのものは流転する、パンタ・レイ」という意味で「偶発的な事象」と無理やり解釈できないこともないが、誰の子供か、どういう生まれか、ということはやはりその人物にとって本質的なことだろう。

 Geist 氏はこの他にも主格造格の意味の差を定義する様々な説をあげ、ひとつひとつそれらについての例外現象を挙げていく。そしてこの二つの違いの本質を詳細に分析しているのだが、まずコピュラ文そのものを二つのタイプに分類して

1.[быть + NP造]はシチュエーション内での対象の特性を描写する(特性は恒常的なものでも一時的なものでもありうる)
2.[быть + NP主]は対象の特性をシチュエーションに関連させずに描写する。
(人食いアヒルの子注:быть というのがロシア語コピュラの不定形である)

と定義している。つまり描かれる対象が特定の状況に結びついているか具体的な状況と結びつかずに漂っているかということで、私などは『95.シェーン、カムバック!』で述べた動詞アスペクトの意味の違いの定義と平行性を明確に感じる。
 語学の文法書だったらこの定義で十分なのだろうが、著者は言語学者なのでここからさらにしつこく分析を続け(『34.言語学と語学の違い』参照)、そのニュアンスの違いがなぜ発生するかをコピュラбытьのシンタクス構造内での違いとして説明している。быть には実は2種あり、シンタクス上の基本位置が違うというのである。

1.造格補語を取る быть-1 は語彙上の動詞で、基本の位置はVPである
(быть-lex)
2.主格補語をとる быть-2 は機能カテゴリーで、基本の位置はTPである。
(быть-ftk)

余計なお世話だが TP というのは Tense Phrase のことで生成文法のXバー・セオリー以降から登場するカテゴリーだ(とおぼろげに記憶している)。前にも言ったように私は生成文法にはせいぜい標準拡大理論レベルまでしか追いついていけていないのでいきなりこんな説明をされてもわからない。まさに短形の труден(私にはワカンネ)である。

 このようにロシア語内部のコピュラ構造を論理学、意味論、シンタクスと全てのレベルで分析・解析するというのも面白いが、これを言語間で比較してみるとさらにスリルが増すだろうと思う。ロシア語では Пространство бесконечно という言い回しが許されるがスペイン語で universo está infinito とかなんとかは可能か(多分不可)、とかそういうツッコミである。またロシア語のこういったコピュラ構造がスペイン語にはどう訳されているか、またはその逆を調べてみたら翻訳学としても有意義な研究になると思う。泉井久之助氏もその著書『ヨーロッパの言語』211ページから212ページにかけて通時的な視点からも露・西のコピュラ構造に言及しているが、氏はこの二つの意味の区別そのものは露・西語に留まらない言語ユニバーサルな現象と考えているようである。そういう意味でもツッコミ甲斐があるのではないだろうか。

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前に書いた記事の図表を画像に変更しました(レイアウトが機種やブラウザによって、特にスマホではグチャグチャになるようなので)。内容も一部不正確だったので直しました。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。


 いつだったかTVでニュースを見ていたら、イタリアの政治家に、名前が -xi で終わっている人がいたのでおやと思った。これはアルバニア語の名前である。-aj で終わっている名前の俳優を一度マカロニウエスタンで見かけたことがあるが、これもアルバニア語だ。どちらも語尾にばかり気をとられて名前そのものは忘れてしまった。メモでもとっておけばよかった。
 『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』の項で述べたようにイタリアは実は多民族国家で、その有力な少数民族の一つが南イタリアのギリシャ人だが、アルバニア人も多い。アルバニア語も少数言語として正式にイタリア政府に承認されている。もっともイタリア人よりも前からイタリア半島に住んでいたギリシャ人と違ってアルバニア人は比較的新しい時代になってから移住してきたのだそうだ。もっとも新しい時代といっても14世紀から15世紀のことだから日本で言えば室町時代、十分古い話ではある。もちろん世界がグローバル化するはるか以前である。
 南イタリアのほかにシチリアにもアルバニア語・アルバニア人地域がある。上述の項で紹介した元マフィアの組員も、自分の家族はギリシャ人、つまりギリシャ語を話すイタリア人だが、近所にはアルバニア人も多くいて両グループ間の抗争が絶えなかったそうだ。地図を見ると確かに両民族の居住地が重なっている。
 アルバニア人はもともとキリスト教徒だった。畢竟ローマ・カトリックのイタリア(当時はイタリアという統一国家はまだなかったが)と精神文化の面で繋がりが強かったらしく、例えばアルバニア語で印刷された最古のテキストは1555年にジョン・ブズク Gjon Buzuku という僧が聖書を訳した188ページのもので、一部破損しているが原本がバチカン図書館に保管されているそうだ。もっともアルバニア語で書かれた、というだけなら1462年の文献が現存しているし、言語についての断片的な記録はさらに古いのがあるから、現存テキスト以前にすでにアルバニア語で書かれた文献自体は存在していたと見られる。しかしそれでも14世紀ごろで、有力な他の印欧語と比べると時代が新しい。
Bozukuによるアルバニア語テキスト。ウィキペディアから。
Buzuku_meshari

 トルコの支配下に入ってからはアルバニアにはイスラム教が広まったが、現在でも人口の20%はギリシャ正教、カトリックも10%ほどいるとのことだ。その10%の中からあの聖女マザー・テレサが出たわけである。
 20世紀になってからもイタリアの皇帝ビットリオ・エマヌエレ3世がアルバニアの皇帝もかねたりしていたから、距離の近いアルバニアからはさらにイタリアへの移住が増えたことだろう。これもいつだったか、ニュースを見ていたら、今日びはイタリアのいわゆる開発の遅れたアプーリア地方の人たちが新天地を求めて逆にアルバニアに渡り、そこで事業を起こしたり工場を建てたりする例が増えているそうだ。人件費が安いからだろう。

 アルバニア語はギリシャ語と同じく一言語で一語派をなしているが、二大方言グループ、ゲグ方言とトスク方言がある。以前にも書いたように(『39.専門家に脱帽』参照)これらの間には音韻的な差があって、トスク方言では r である部分がゲグ方言では n になる。上述の項でも例を挙げたがその他にも「ワイン」という言葉がそれぞれ venë (ゲグ方言)と verë(トスク方言)となっている。さらに元は鼻母音だったâがトスク方言ではシュワーの ë になって、コピュラの âshtë(ゲグ方言)がトスク方言では është。文法にもいろいろ違いがあるそうだ。イタリアのアルバニア語は本来トスク方言に属するが、長く本国を離れていたため独自の発展を遂げた部分も多く、これを第三の方言と見なす人もいる。面白いことに上述のカトリック僧 Buzuku は北アルバニアの出身で訳に使った言語はゲグ方言である。

 また「ギリシャ」という名称がギリシャ本国でなく元来イタリアのギリシャ人を呼ぶものであったのと同様(本国では「ヘラース」、再び『83.ゴッドファーザー・PARTⅠ』参照)、「アルバニア」という名称も実はイタリアやギリシャのアルバニア人のことである。彼らが自分たちをアルバレシュ albëreshë とよんでいたので、イタリアでアドリア海の向こう側の本国まで「アルバニア」と呼び出したのだ。アルバニアではアルバニアのことを「シュキプタール」という。
 アルバニア語はいわゆるバルカン言語連合(『18.バルカン言語連合』『40.バルカン言語連合再び』参照)の中核をなす言語である。早くから言語学者の興味を引いていたようで、1829年にバルカン言語学誕生の発端となった論文を書いたスロベニアの学者コピタルもアルバニア語に言及している。Albanische, walachische und bulgarische Sprache(アルバニア語、ワラキア語、ブルガリア語について)というタイトルの論文だが、すでにバルカン言語連合の中核3言語の相似性を見抜いている。この三言語がシンタクスなどの面で nur eine Sprachform, aber mit dreyerlei Sprachmaterie(言語の形は一つなのに言語素材は三つ)であることを発見したのはコピタル。ついでに言うとこの論文からも判る通り、当時の言語学の論文言語はドイツ語が中心だった。
 そうやって印欧語学者がこの言語をよく知っている、少なくともこれがどういう構造の言語なのかくらいは皆心得ている一方で、アルバニア人やアルバニア文化そのものについての関心は薄く、私も未来系の作り方とか後置定冠詞とかどうでもいいことは授業で教わったがアルバニア人はどういう人たちなのかという肝心なことについては全く無知であった。今でも無知である。この調子だから私はヒューマニストにはなれないのだ(『54.言語学者とヒューマニズム』参照)。
 
 ところが先日、ドイツの大手民放がヴィネトゥ映画3部作(『69.ピエール・ブリース追悼』参照)をこれも3部作のTV映画としてリメイクした。元の映画でオールド・シャターハンドをやったレックス・バーカーもヴィネトゥのピエール・ブリースもすでになくなっていたし、生きていても年をとりすぎていてあのアクション活動は無理だったろうから、現在のドイツの俳優を持ち出してきた。シャターハンドをやったヴォータン・ヴィルケ・メーリング Wotan Wilke Möhring は顔は確かによく見かけるまあ有名俳優なのだろうが、バーカーに比べると容貌がショボすぎる感じで「こんなのがあのシャターハンド?!」と一瞬思ってしまったが(ごめんなさいね)、ヴィネトゥ役をやった人はブリースとはまた違ったカリスマ性があり、若くハンサムで正直驚いた。私はドイツのTV番組は基本的に公営放送のニュースやドキュメンタリー番組と、民放ではマカロニウエスタンしか見ないので、確かに人気俳優などは余り知らない。しかし知らないと言っても顔はどこかで見たことがあるのが普通だったが、このヴィネトゥ役の俳優は全く顔さえ見たことがなかった。どうしてこんなイイ男に気づかなかったんだろうといぶかっていたら、それもそのはず、アルバニアのニク・ジェリライ Nik Xhelilaj という俳優だった。名前に Xh という綴りが入り aj で終わっているあたり、これ以上望めない程アルバニア語である。ジェリライ氏は本国ではスターだそうだ。
リメイク映画「ヴィネトゥ」から。右がドイツの俳優メーリング
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これも「ヴィネトゥ」から
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普通の格好(?)をしたジェリライ氏 http://diepresse.comから
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ニク・ジェリライという俳優は日本ではあまり知られていないだろうからこの際紹介の意味でもう一つオマケの写真
http://media.gettyimages.com
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 氏は顔がイケメンである上に声も涼しげないい声だったが、さらにしゃべるドイツ語がまた良かった。「うまい」というのではない、逆に本物のタドタドしいドイツ語だったのである。それはこういうことだ:
映画などで「外国人」あるいは「当該言語を完全にはしゃべれない」という人物設定にする際、その「不完全な言葉」というのがいかにもワザとらしくなるのがもっぱらである。どう見ても、どう聞いても本当はペラペラなのに意図的にブロークンにしゃべっていることがミエミエなのだ。一番「それはないだろう」と憤慨するのが文法・言い回しなどには取ってつけたような「外国人風の」間違いがあるのに発音は完璧というパターン。あるいは l と r を混同するなどのステレオタイプな発音のクセを 時おり挿入して外国人に見せるという姑息な手段。その際lとrは間違えても CVCC や CCVC のシラブルの方はなぜかきちんと発音が出来、絶対 CVVCVCV や CVCVVCV などにはならない。本当はしゃべれるのにワザとブロークンにやっていることが一目瞭然だ。
 あるいは逆に俳優に訓練を施す余裕がなかったか、俳優に語学のセンスがなくて制作側がサジを投げたか、俳優が大物過ぎて監督が遠慮しデタラメな発音でもOKを出してしまったかして当該言語としてはとうてい受け入れられないような音声の羅列になるとか。そういう場合でもセリフそのものはネイティブの脚本家が書いたものだから発音はク○なのに言い回しは妙にくだけた話し言葉という、目いや耳を覆いたくなるような結果になる。名前は出さないがジェームス・ボンド役として有名なさる俳優がさる映画でしゃべっていたいわゆる日本語なんかも憤死ものだった。
 いずれにせよ、完全な不完全さ、自然な不完全さをかもし出すのは結構難しいのだ。ところが、このジェリライ氏のドイツ語は本当にブロークン、文法も初心者・耳で聞いて言葉を覚えた者がよくやる語順転換、変化語尾の無視などが現れていかにも自然な不完全さなのである。それでいて耳障りではない。顔のハンサムさや声のよさより私はこっちの方に感心した。もっともこれはジェリライ氏の業績・俳優としての技量もさることながら、スタッフの業績でもあるのかもしれないが。
 とにかく「ヴィネトゥ役にアルバニアのスターを起用」ということが珍しかったせいか、結構メディアでも報道されていた。そういえば以前「ヨーロッパで一番ハンサムが多いのは実はバルカン半島」と主張している女性がいたが、このジェリライ氏を見てなるほどと思ったことであった。

 さてそのアルバニア語は、どこかの言語学者も言っていたように、「語学というより言語学的な興味で始める人が多かろう」。印欧語の古いパラダイムをよく残している非常に魅力ある言語である。例として以下に çoj (take away, send) という動詞の変化パラダイムの一部を挙げるが、アオリストや希求法などがカテゴリーとしてしっかり残っており、これと比べるとドイツ語やロシア語などチョロイの一言に尽きる。たかがロシア語の不規則動詞ごときにヒーヒー言っていたり(私のことだ)、変化形を覚えたと言って鼻の穴を膨らませて自慢しているような輩(これも私のことだ)などは、ジェリライ氏に恥じろ。繰り返すが、これは動詞変化のごく一部、動詞部分が直接変化するパラダイムのそのまた一部である。これにまた接続法一連、完了体など助動詞や不変化詞による動詞パラダイム(アオリスト2もそれ)やそもそも受動体(これにもまた直説法現在形、接続法現在形などのパラダイムがオンパレード)などがガンガン加わってくるから、ここに示したのは動詞の変化形全体の10分の一にも満たない。もちろんこれは最も簡単な動詞で、他に不規則動詞も当然ある。ラテン語や現在のロマンス諸語より強烈なのではなかろうか。
Tabelle1-100
Tabelle2-100
Tabelle3-100
「意外法」というのは Admirativ のことである。まだ定訳がないようだが、法(Modus)の一種で、当該事象が愕いたり意外に思うようなことだった場合、この動詞形で表す。アルバニア語はバルカン現象のほかにこの Admirativ を動詞変化のパラダイムとして持っていることでも知られているようだ。
 また現在のロマンス諸語では強烈なのは動詞だけで、名詞の方は語形変化がないに等しいくらい簡略だがアルバニア語は名詞の格変化も思い切り保持している。悪い冗談としか思えない。

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 近所の古本屋でイサク・バーベリ Исаак Бабель の翻訳を見つけた。レクラム版でしかも100ページ足らずの薄い本だったから1€だった。タダみたいなものだ。ところがその後何気なくネット検索してみたらまさにそのレクラム版が39€で売られていたので驚いた。繰り返すが100ページ足らずのレクラム版である。これはいくら何でもボり過ぎではないかと思っていたら数日後7€ほどになった。古本と言うのは値段の上がり下がりが激しいようだ。しかし7€でも高すぎてまだ解せない。
 
私はこれを1€で買った。
Reklam-Babel-bearbeitet
 イサク・バーベリは1894年生まれのロシア・ソ連の作家である。オデッサのユダヤ人の家系だ。代表作に『オデッサ物語』Одесские рассказы(ソ連での出版は1931だが、それ以前、1920年代から個々のエピソードは発表されていた)や『騎兵隊』Конармия(1926年)などがあり、ロシア語の読本などにも取り上げられることがあるので私も『騎兵隊』の中の「塩」Сольというエピソードを露・独二か国語対訳で読んだ。コサックや当地の方言、イディッシュ語などが混じる独特のロシア語だ。
 例えば「七日前に(の)」がсемь дён тому назад となっている。дён は「日」день の複数属格のはずだ。(外国人が習う)ロシア語標準語では дней である。ついでにウクライナ語を調べてみたら複数属格はднів だそうだ。
 複数属格と言えば、生物は対格と属格が同形になるが、на жен наших と書いてあった。「我々の妻たちの方を」で、「妻」が対格だが、標準ロシア語だと жён である。標準形じゃないかと思うかもしれないが、この本は学習者用のリーダーなのでアクセントが入れてあり、普通のテキストでは区別しない е と ё が律儀に書き分けてある。だからこれは標準語のように「ジョーン」と発音せず「ジェーン」になるわけで、やはり方言発音だろう。さらに「ロシア」の対格形が Расею と、アーカニエが思い切り文字化されている。ベラルーシ語の影響でも受けたのかもしれない。ロシア語標準語では Россию だ。それから「あなたの」という所有代名詞の単数対格形が ващу とある。標準系では вашу で、形が似ているから最初誤植かと思ったが、  ващу は2度出てくる。これも本当に当地の発音の癖なのかもしれない。
 また「腕に乳飲み子をかかえて」が  с грудным детём на руках。ということは  детём は「子供」の単数造格だ。標準ロシア語では「子供」の単数(主格)は ребёнок、複数のдети と単語そのものが違う。ребёнок には形としてはребята という複数形があるが、意味が異なり「子供たち」にはならない。дети は形としての単数形そのものがほぼ消滅してしまった。「ほぼ」というのは、古語として、あるいはノン・スタンダードな方言形に дитя あるいは  дитё という形が見られないことはないからである。クロアチア語などの南スラブ語では「子供」の単数形はこれが標準で dete または dijete。дитё の複数造格形 дитями という形も登場するが、これは標準ロシア語では детьми となる。
 もう一つ。с вострой шашкой というのがある。「鋭いサーベルで」だが、形容詞「鋭い」の女性形(「サーベル」は女性名詞)造格は標準語では острой である。つまり prothetic v(「語頭音添加の v 」、『33.サインはV』『37.ソルブ語のV』参照)が現れているのだ。トゥルゲーネフにも見られることは前にも書いたが、この вострый(男性主格)という形は大きな辞書には「地域限定形」として載っている。

 『騎兵隊』(だけでなくバーベリの作品はどれもそうなのだが)は言葉だけでなく構成も独特で、一つ一つの章、エピソードは非常に短い。「塩」もたったの5ページだった。上の1ユーロ本に載っていた『騎兵隊』からの抜粋も皆そのくらいの長さ、中には3ページのエピソードもある。その小さなエピソードを緻密に積み重ねて全体が構成されるが、一つ一つのエピソードに直接のつながりがない。だからこそそのいくつかだけを抜粋して翻訳本にまとめられたのだろうが、とにかくストーリーが「展開していく」という感じがしない。変な譬えだが、一時期のピカソやジョルジュ・ブラックが展開していたキュービズムの絵を見るようだ。一見バラバラな一つ一つのモチーフが全体としては一つの絵になっている。
 上の「塩」は革命兵士が闇で塩を売買しようとした女を撃ち殺す話だが、翻訳のほうにはこんなエピソードもある。「ドルグーショフの死」という題である:主人公が戦場で木の脇に座っている味方の兵を見つける。腹に穴が開いて腸が膝の上に流れ出していた。その兵士は「おい同志、オレのためにちょっと弾を一発使ってくれ。敵が来たらどんな慰み者にされるかわかったもんじゃない。ほれ、ここにオレの書類もあるから持ってってくれ。母に手紙を出してオレがどうやって死んだか報せてやってくれ」と頼むが、主人公にはそれができない。断っていこうとすると瀕死の兵士は「卑怯者、逃げるのか」と呻く。するとそこに退却してきた主人公の知り合いのコサック兵が通りかかる。主人公がその兵士を示すと、コサック兵は一言二言彼と言葉を交わし、手渡されたその軍隊手帳をしまい、その口の中に弾丸を放つ。そして主人公に向かって憎々しげに「失せろ、でないと貴様を殺してやる。貴様には仲間に対する同情というものがないのか」と叫ぶ。戦場での「同情」とはこういうものなのだ。暗然とする主人公に一部始終を見ていた兵士が「まあこれでも食いな」といって林檎を差し出す。

 もう一つの代表作『オデッサ物語』は戦場の話ではないがやはり冷厳な現実描写である。『騎兵隊』もそうだが、バーベリの作品では「ユダヤ人であること」、作者のユダヤ人としてのアイデンティティが色濃く反映されている。『オデッサ物語』も当地のユダヤ人社会の様子が描いたものだ。その一話как это делалось в Одессе(「オデッサの出来事」)はベーニャ・クリークというユダヤ人(裏)社会のドンがいかにして「王様」といわれるまでにのし上がったかが描かれている:
 ベーニャはさるマフィア団のボスのところへ行って自分を売り込む。ボスは「入団試験」としてベーニャにタルタコフスキイという人物の店に強盗に入れと命じる。そのタルタコフスキイには「一人半ユダヤ人」というあだ名がついているのだ。人一倍態度がデカく、誰よりも金持ちで、最も背の高いお巡りよりさらに頭二つ分背が高いからである。縦ばかりでなく横にもデカい。ボスの一味は今までに9回「一人半ユダヤ人」の経営する店に押し入ったことがある。その10回目の押し込み強盗を組織しろと言うのだが、これは新入社員(?)にとっては決して易しい課題ではない。
 ベーニャはその任務を遂行して名を上げるが、押し込みの際、決して殺す気はなかったその店の店員を死に至らせる。ベーニャは嘆き悲しむ年その老いた母親の家へ行き、「おばさん、オレが立派な葬式を出してやる。オデッサ中の者が今までに見たこともないような立派な葬式をあげてやるから堪忍しろ」といって自分の裁量で大葬儀をしてやるのである。以来ベーニャは「王様」と呼ばれるようになる。
 押し込み強盗をする方もされる方も結局皆知り合いというパラレル社会ぶりに驚くが、一人半ユダヤ人のタルタコフスキイは9回(今回で10回)強盗された他に身代金目当てで2回ほど誘拐もされ、さらには「埋葬」されたことさえある。感動するのはその埋葬エピソードだ。原語ではこうなっている。

Слободские громилы били тогда евреев на Большой Арнаутской. Тартаковский убежал от них и встретил похоронную процессию с певчими на Софийской. Он спросил:
- Кого это хоронят с певчими?
  Прохожие ответили, что это хоронят Тартаковского. Процессия дошла до Слободского кладбища. Тогда наши вынули из гроба пулемет и начали сыпать по слободским громилам. Но «полтора жида» этого е предвидел. «Полтора жида» испугался до смерти. И какой хозяин не  испугался бы на его места?

その時スロボダの暴徒がポグロムやって大アルナウタ通りのユダヤ人を襲ったんだよ。タルタコフスキイはそいつらから逃げてな、そいでソフィー通りで歌い手を連れた葬式の行列にでくわした。そこで聞いたのさ;
「歌い手まで連れてこりゃ誰の葬式だい」
行列の者たちはタルタコフスキイの葬式だって答えたのさ。で、行列がスロボダの墓地の入口まで来たと。そこでこっちは棺桶から機関銃を引っ張り出してポグロムに来やがったスロボダの奴らめがけて当たり構わずぶっ放し始めたのよ。「一人半ユダヤ人」もこの展開は予想外でな。死ぬほどぶったまげておった。だがまあそこでたまげない商売人なんていないわな。
(訳:人食いアヒルの子)


死ぬほどたまげたのは一人半ユダヤ人ばかりではない。日本人の私も驚いた。この展開は『続・荒野の用心棒』そのものではないか。偶然にしてはあまりにも共通点が多すぎるし、そもそも「棺桶から機関銃」などという展開はそうそう人がやたらと思いつく代物ではない。映画にはさらに別の箇所で酒場女がフランコ・ネロ演ずるジャンゴの棺桶を見とがめて「誰か中に入ってるの?」と聞く場面がある。主人公はそこで「ジャンゴって奴さ」と自分の名前をいうのだが、このシーンも考えようによれば妙にバーベリのこの部分と平行している。すると何か?映画史上超有名なあのシーンはロシア文学から来ているのか?

世界映画史上あまりにも有名なフランコ・ネロの「棺桶砲」。射撃開始の音より人が倒れだすほうが一瞬早めなところがさすがマカロニウエスタン。
 

実は私は以前の記事でこの武器を安直に「ガトリング砲」または「機関銃」と呼んでしまったが、詳しい知り合いの話によるとそれは間違いだそうだ。ここでフランコ・ネロがぶっ放したのは実は機関銃でもガトリング砲でもない。外見から行けばガトリング砲の前段階である(狭義の)ミトライユーズというタイプだが、それなら撃ち手はハンドルを回して撃つはずなのにそういう撃ち方はしていない。しかもヒキガエルの卵のような弾帯がベロベロくっついていてこれもミトライユーズではありえない。ではガトリング砲なのかというとそうでもない。初期のガトリング砲なら外からでも束ねた銃身が複数確認できるはずだからだ。そしてやはり手回しする。では1880年以降に開発された本当の意味の「機関銃」(マキシム砲)なのかというとこれもあり得ない。だったらああいう風に先っちょにいくつもブサイクな穴が開いているわけがない。機関銃ならば引き金を引けばその間自動的に連続して同じ穴から発射するからだ。
 つまりこれはマカロニウエスタン特有の、実際には存在しないファンタジー砲である。
 原作(?)の『オデッサ物語』のほうは描かれている「オデッサのポグロム」が1905年の出来事だから、ここで棺桶から引っ張り出したのは本当に機関銃 пулемет のはずだ。上述のマキシムかそのコピーの PM1905 に違いない。当時ロシアはマキシムは大量に輸入していたし、ライセンスを取ってから相当手間取った後マキシムそのままの PM1905 重機関銃の自国生産に乗り出したのが奇しくもこの1905年である。

 とにかくこういうシーンをロシア文学から持ち込む可能性のある人が当時『続・荒野の用心棒』のスタッフにいたのかどうか気になったので脚本は誰が書いたか改めて確認してみた。私の記憶では監督セルジオ・コルブッチの弟のブルーノの脚本のはずである。『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』にも書いたようにマカロニウエスタン当時のイタリアの映画界には左側通行の人が多かったからセルジオかブルーノ自身がロシア・ソ連文学を読んでいたのかもしれないと思って確かめてみたら、この映画は共同脚本でコルブッチ兄弟の他にもさらに何人もの人たちが携わっている。フランコ・ロセッティ Franco Rossetti、ホセ・グテッレス・マエッソ José Gutiérrez Maesso、ピエロ・ヴィヴァレッリ Piero Vivarelli、フェリナンド・ディ・レオ Fernando Di Leoなどだが、その中で一番怪しかった(?)のがヴィヴァレッリだ。この人は1949年から1990年までイタリア共産党の党員で、その後なぜかキューバ共産党に鞍替えした。『オデッサ物語』は1946年にイタリア語に翻訳されているから共産党員のヴィヴァレッリがこれを読んでいたかもしれない。
 ピエロの弟はロベルト・ヴィヴァレッリ Roberto Vivarelli といい、ファシズム研究で有名な歴史家として各国の大学教授を務めた人である。そのロベルトが2000年になって著した自伝の中にピエロの話も出てくるが、驚いたことにヴィヴァレッリ兄弟は第二次大戦の終わりにはバドリオ側ではなくイタリア社会共和国側、つまりナチの傀儡政権側の兵士として戦っている。兄弟の父がファシストだったのでそういう教育を受けていたそうだ。しかし1943年当時ピエロは16歳、ロベルトは14歳であるから、これを「黒歴史」扱いすることはできまい。ただ、ロベルトはその自伝の中でイタリア社会共和国を正当化するような発言もしているそうで、一部からは歴史修正主義者と見られているそうだ。それまではロベルトは左派の知識人と見られていたのである。
 残念ながら自伝は翻訳が出ていないので(研究書のほうは英語とドイツ語訳がある)、兄のピエロについてさらに詳しい記述があるかどうか自分で調べることができない。上の引用はドイツ語ウィキペデイアからの孫引きである。ピエロがバーベリの作品を読んでいたのかについても証拠がない。だからあくまで推測の枠は出ないが、家族にインテリ(ロベルト)がいること、自身は共産党員であったことなどから推して、ピエロが棺桶から機関銃シーンをロシア文学の『オデッサ物語』から『続・荒野の用心棒』に持ち込んだ可能性はあると思う。誰かイタリア語のできる西洋史専攻の方がいらっしゃるだろうか。ちょっとロベルトの自伝を覗いてみて何かわかったら報せてほしい。La fine di una stagione という原題である。

 さて話をバーベリに戻すが、1939年3月15日、つまり例の大粛清のときに逮捕され、公式には1941年3月17日に亡くなった(ことになっている)。が、本当にこの日に亡くなったのか疑問だ。おそらく銃殺されたと思われるが、どうやって死んだのかも実はわからない。


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