アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

Mai 2022

 「~ている」という助動詞がアスペクト表現であることは知られている。私は今まで大雑把に次のような説明をしていた:「~ている」は正反対のアスペクトを表わす。現在進行体 progressiver Aspekt と完了体 perfektiver Aspekt で、「基本的には」継続動詞、事象が「読む」とか「見る」など当該事象が時間の幅を持つ事象を表わす動詞に「~ている」がついたら現在進行体、瞬間、つまり「死ぬ」「結婚する」など、始まったとたんにすぐ終了するような事象を表わす動詞についたら完了体だと。ただもちろん「その本はもう読んでいます」など、継続動詞でも実は完了体になるので、本当はそうきっぱりとは行かないことは言っておく。さらにうるさく言えば「現在進行体」はアスペクトではなく動作様相Aktionsart なのでロシア語をやっている人から突っ込まれそうだが(下記)、それについては黙っておく。
 しかししばらく以前からこれは安易すぎるのではないかと自分でも不安になってきていたため、先日寺村秀夫氏の『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』を借りだして確認してみた。本来とっくに読んでいなければいけないはずの古典を今頃読んですみません。著者の寺村氏には直接お目にかかっている。大学時代に先生の授業をとっていたのだ。微妙に関西訛のあるダンディな先生で授業も面白かった。

 そもそもアスペクトというのは何なのか?コムリー Comrie という言語学者は「ある事態の内部的な時間構成のいろいろな見方」と定義しているそうだ。それが継続しているのか、完了しているのかいないのか、一回きりのものか繰り返されるのものか、そういった相の違いということで寺村氏も基本的にはこの見方を踏襲し、テンスが事象を点として見るなら、アスペクトは事象は幅として見るものだとしている。プロセスの中の時間のどういう位置にあるのかを表わそうとするものであると。もっともロシア語学者のイサチェンコはこういう違いはあくまで動作様相であってアスペクトではないと強調している。英語や日本語はロシア語のようにきっちり二分割でパラダイム化しテンスと独立したアスペクト体系がないので、アスペクトの観念の把握にいろいろ「不純物」が混入しやすいのかもしれない。でもライヘンバッハ Reichenbach というこれも有名な学者(三たびすみません。まだ原本読んでいません)の図式などはとてもクリアで日本語の説明にも使えそうだ。Reichenbach もテンスとアスペクトをいっしょにして論じているが、その際 Speech time、 Event time、 Reference time を基準として設定している。Speech time は発言が行われた時点、 Event time は当該事象が起こった時点で、この二つはわかりやすいが、これらとReference time を分けたのが非常な慧眼だ。これは当該事象が言語化された時点、観察された時点である。Speech time、 Event time、 Reference time をそれぞれS、E、Rとし、英語のSimple Past、Present Perfect の時系列を図示するとこうなる。< という印は閉じたほうにある事象が開いているほうより時間的に先行するという意味である。

Simple Past
I saw John
E = R < S

Present Perfect
I have seen John.
E < R = S

つまり Simple Past では当該現象が発生時点と同時に観察され、しかる後に発話されているのに対し、Present Perfect だと事象発生の後に観察・言語化されそれと同時に発話されていること、言い換えると完了体の本質は E < R ということだ。S の位置は問わない。この差と対応するドイツ語の構造、Ich sah Hans と Ich habe Hans gesehen はこの微妙な差をほとんど失ってしまい、単なるスタイルの差、あるいは方言差になってしまった。単純過去は「古風な響きで会話にはあまり使わない。それでも北ドイツの方では時々会話でも使っている」とのことである。だからということもないのだろうが、英語のSimple Past と Present Perfect の差が「いくら説明してもらってもよく呑み込めない」と言っていたドイツ人がいた。さてこの図式で現在進行形を表わすと

Sam is working.
E = R = S

で、三つがすべて同時である。では Sam was working はどうなるのか?私は上でも白状したようにReichenbach も Comrie も読んでいないので、勝手に自分で好きなように図式化させてもらうが、これは E = R < S としかやりようがなく、Simple Past といっしょになってしまう。これを防ぐには Simple Past の R をニュートラルにする、つまりSimple Past では Reference time は問わないとして、E (= R) < S とR を括弧にでもいれることだ。問わないわけだから状況によっては Simple Pastで E < (R =) S と事実上 Present Perfect と同じ時系列パターンを表わせることになる。
 これを日本語に当てはめてみると、

太郎に会った。E (= R) < S
太郎に会っている。E < R = S

太郎は結婚した。E (= R) < S
太郎は結婚している。E < R = S

となり、過去形(た形)と「~ている形」の違いが一応それらしく図式化できる。さらに面白いことに「た」が E < (R =) S のほうも表わせることを寺村氏は指摘している。この例は金田一春彦氏も引用しているが、

1.もう昼飯を食べたか。
2.きのう昼飯を食べたか。

の「た」を比べると前者は完了体アスペクト、前者が単純過去である。それが証拠にこの二つの質問に否定で答える場合、形が異なる。

1への答え;いや(まだ)食べていない/食べない。
2への答え:いや、食べなかった。

1に対しては皆本能的に完了アスペクト表現をとり、1の質問に「いや、食べなかった」で答えるとおかしい。もう一つ、

3.彼の話はよくわかったか?
4.私のいいたいのはこれこれだ。どうだ、いい加減にもうわかったか?

では、3に対しては「いや、よくわからなかった」と過去形で答え、4には「いや、まだわからない」と現在形で答えるのが普通だ。皆アスペクトの違いがよくわかっているのだ。図示すると

1と4:E (= R) < S
2と3:E < (R =) S

ということになろう。ここで R の括弧を外したい場合、つまりR を明確に可視化したい場合に「~ている」などの動詞を付加して完了体アスペクト表現をとる。
 その完了体としての「~ている」だが、瞬間動詞だけが完了体になるのではない。継続動詞に「~ている」をつけて完了体を表わすなど皆普通にやっている。

手紙はもう書いている。
その映画は以前見ている。
あの人はロシア語を勉強しているからキリル文字がスラスラ読めるんだよ。

など、いくらでも言える。その際、主語でなく目的語のほうに視点が行くと「~てある」も使える。

手紙はもう書いてある。
宿題はやってあるから、遊びに行っていいでしょ?

だから瞬間動詞であろうが継続動詞であろうが自動詞の完了体表現には「~てある」は使えない。

邪魔者は消している。
邪魔者は消してある。
邪魔者は消えている。
*邪魔者は消えてある。

さて、ここではトピックマーカーを使ってあるので不明瞭になってしまっているが、この「邪魔者」の格はなんだろうか?「~ている」の文では明らかに対格だ。上の「ロシア語を勉強しているから云々」の例でもわかる。他の二つも格構造的には「手紙をもう書いている」、「その映画を以前見ている」だ。対して「~である」の場合は主・対どちらの解釈も成り立つ。

邪魔者が消してある。
邪魔者を消してある。

これは多分シンタクス構造の差で、生成文法もどきにオシャレな図示をするとそれぞれ

NP{邪魔者が}  VP [ V1{消して} V2 {ある}]。
NP {ZERO} VP [VP1 [NP {邪魔者を} V {消して}] VP2{ある}]。

とかなんとかとなる。つまり主格だと「邪魔者」が「消してある」という複合動詞全体にかかり、対格だと邪魔者はまず「消して」のみにかかり、それから両者いっしょに「ある」にかかるということだろう。「寿司が食べたい」と「寿司を食べたい」の差もこれだと私は思っている。ただこの「~てある」では主語にゼロ以外立つことができない。「~たい」では「私が寿司を食べたい」と普通の名詞が主語に立てるのと大きな違いだ。
 また場合によっては目的語に焦点をあてた「~ある」でないと非常に座りの悪い文になる。比較のため目的語を対格にそろえるが、後者は少し変だ。

戸を開けてある。
戸を開けている。

なぜ後者はおかしいのだろう。これは完了体というアスペクトの本質的な意味と関わってくるようだ。またロシア語を引っ張り出すが、ボンダルコという学者によるとロシア語の完了体アスペクトの動詞が共通に持っている意味は「新しい状況の出現」だそうだ。寺村氏も日本語のアスペクト表現を検討してそれに近いことを言っている。「戸を開けてある」では焦点の戸にとって確かに「開いている」という新しい事態が出現している。対して「戸を開けている」だと焦点の主語(ここではゼロ主語になっているので仮に「私」としておこう)にとっては何も新しい事態が発生していない。「手紙を書く」ならまだある意味業績が一つ加わったと解釈もできようが、戸を開けたからといって誰も感心などしてくれない。この点が「私はロシア語をやっている」との違いである。そこでは「私」の語学能力が増している。「私はロシア語をやってある」はどうか。新しい事態は「私」でなくむしろロシア語の方に起こる。ロシア語が「私ができる言語リスト」あるいは「今日やったことのリスト」に付け加わったのだ。

 せっかく引っ張り出したのでもう少しロシア語との比較を続けるが、ロシア語の不完了体動詞にはちょっと面白い機能がある。「結果の取り消し」だ。例えば次の文はどちらも「私は窓を開けた」だが、

Я открыл окно.
I + opened-完了体+ window

Я открывал окно.
I + opened-不完了体 + window

完了体では窓は今開いているニュアンスだが、不完了体だと一度開けた窓が今はまた閉まっている、つまり「開ける」の結果を取り消す意味合いになる。狭い意味の結果ではないが、効果が取り消される、つまり当該行為が無に帰してしまった場合も不完了体を使う。

Утром мы открывали окно, но сейчас в комнате опять душно.
朝窓を開けたが、もう今部屋の中がムンムンする。

それと対応するかのように、日本語でも結果を取り消すような表現が「~ている」の後に続くと少しおかしい。

窓を開けたが、外の音がうるさいんでまたすぐ閉めた。
窓を開けてあるが、外の音がうるさいんでまたすぐ閉めた。
朝窓を開けているが、もう今部屋の中がムンムンする。

さらに

彼は結婚したがすぐ離婚した。
彼は結婚しているがすぐ離婚した。

という比較でも後者、完了体アスペクトを使うと変だ。

上でも述べたように「た」でも完了体を表わせないことはない。ないがここでの「た」は「わかったか→わからない」と違って完了体と解釈することはできない。しかし完了体の助動詞を過去形にしていわば過去完了的意味にすると一応結果が取り消せる。

窓を開けてあったが、外の音がうるさいんで閉めた。
彼は結婚していたが離婚した。

これは結果として生じた状態、「開いている」と「結婚している」が既に過ぎ去ったことなので、取り消しが割り込める隙が生じる。しかしその際ある程度の時間的距離が必要で上でやったように「すぐ」という副詞を使うと許容度が減少する。

窓を開けてあったが、外の音がうるさいんですぐ閉めた。
彼は結婚していたがすぐ離婚した。

 これもロシア語だが、不完了体による結果の取り消し機能の例としてこんな文があった。本がソ連時代のものなので「同志」である。

Товарищ заходил ко мне, но меня не было дома.
comrade + called on-不完了体  + to + me, bur + me + not + was + at home
同志が私の家に立ち寄った。でも私は家にいなかった。

Ко мне зашёл товарищ, и мы смотрели с ним телевизор.
to + me + called on-完了体 + comrade, and + we + watched + with+ him + television
同志が私の家に立ち寄った。それでいっしょにテレビを見た。

不完了体動詞の заходил(不定形は заходить)では立ち寄ったという行為が無駄になり、完了体 зашёл (不定形 зайти)では同志が首尾よく私に会えている。

 私は最初、というよりここでこうやって改めて日本語と比べてみるまでロシア語不完了体動詞の取り消し機能はロシア語のカテゴリー体系、全動詞が完了か不完了かにきれいに2分割されているからだと思っていた。動詞は必ずどちらかに属するのだからこれは欠如的対立(『128.敵の敵は友だちか』参照)ということで、不完了体の本質は「完了体ではない」ところにある。事実ロシア語学者には完了体は有標、不完了体は無標とズバリ定義している人が何人もいる。つまり行為の結果が残っている場合は完了体を使うのだから、そこで敢えて完了体を使わず不完了体を使うということはまさに完了体ではない、とわざわざ表明したいということ、言い換えると完了体ではない→結果が出ていないという暗示だ。不完了体は本来なら別に結果を否定したりしない。「どっちでもいい」はずである。その「どっちでもいい」動詞に取り消しのニュアンスを生じさせたのはロシア語の欠如的対立カテゴリーであると。
 しかし今上で見たように動詞が全然2分割などされていない日本語でも「完了体アスペクトであることが明確でない動詞形は結果の取り消しと親和性が高い」となるとこれは動詞カテゴリーだけが原因でもないようだ。
 実は私は30年くらい前からロシア語不完了体の取り消し機能はロシア語動詞が欠如的対立をなしているからだという主張をどこかのスラブ語学の専門雑誌にでも投稿しようかと思っていたのをどうも面倒くさいので放っておいたのだが、ひょっとしたら私はとんでもなく間違っていたのかもしれない。放っておいてよかった。それにしてもここはだんだんその種の、生まれるに至らなかったいわば「水子論文」の供養ブログと化しつつある。

 (この項まだ続きます。続きはこちら

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 地中海のマルタの言語(『137.マルタの墓』参照)は(話しているネイティブ本人も含めた)そうと知らない人、あるいはそう思いたくない人の意に反して「実はアラビア語」だが、インド洋のアラビア海にあるソコトラ島の言語は逆に「実はアラビア語ではない」。
 ソコトラ島またはソコトラ諸島はソコトラ本島、アブド・アル・クリ島 、サマハ島、ダルサハ島の4島からなる。現在痛ましい内戦の続いているイエメン領だ。統一前までは南イエメンに属していた。アラビア半島本土から350キロ、アフリカの角から230キロほど距離があり、地形や生態系が独特であるためインド洋のガラパゴスと呼ばれている。本家ガラパゴスのように陸から千キロは離れていないが、その代わりこちらは政治的な事情から住民の孤立度が高かった。

ソコトラ(諸)島の場所はここ。ウィキペディアから。
By edited by User:Telim tor - Own work, based on PD map, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8798839

Socotra_Archipelago
本島及び3つの島から成る。ウィキペディアから。
By Oona Räisänen (Mysid) - Self-made in Inkscape.Place names based on a public domain CIA map from 1976 (http://www.lib.utexas.edu/maps/islands_oceans_poles/socotra_76.jpg).Boundaries and opography based on Shuttle Radar Topography Mission data.Bathymetry from NGDC ETOPO2.Roads are from the Open Street Map, by Open Street Map contributors., CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4078428
Topographic_map_of_Socotra-en.svg
 日本では安直に「住民はアラブ人」などという言い方をされているようだが、これはアバウト過ぎる。どうも日本人は(私も含めて)民族とか言語問題には極めて鈍感なようだ。「アラブ人」というのは「アラビア語を母語とする人」ではないのか?しかしソコトラ島の言語はいくらセム語とは言ってもアラビア語ではないのだからそこの住民をアラブ人呼ばわりするのは問題があるのではないだろうか。
 ソコトラ語はまたソコトリとも呼ばれるが、現代南アラビア語(Modern South Arabian、MSA)の一つ。ソコトリの他にメフリ Mehri、シェフリ Shehri(または ジッバーリ Jibbali)、ハルスーシ Harsusi、バトハリ Bathari、ホビョート Hobyot の合わせて6言語がこのグループに属す。ソコトリ以外はイエメン本土や一部オマーンでも話されている。

MSAが話されている地域。ウィキペディアから。
By ArnoldPlaton - Own work, based on this map, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22196014

800px-Modern_South_Arabian_Languages.svg
 この 現代南アラビア語MSA という名称がそもそも非常に誤解を招きやすい。まるでアラビア語の一方言か死語である古代南アラビア諸語 (Old South Arabian, OSA) の直系の子孫でもあるかのように見えるからだ。しかしMSAはそのどちらとも系統を異にする。セム語はまず西セム語と東セム語に別れる。後者にはアッカド語などが含まれる。前者のほうはさらに現代南アラビア諸語、エチオピア諸語、中央セム諸語に別れ、中央セム諸語からアラビア語、古代南アラビア語、北西セム諸語が分離する。北西セム諸語はさらにいくつかに分岐し、その中に死語ウガリト語とカナーン諸語があり、後者を構成する言語の一つがヘブライ語だ。
 そこへ持ってきて、エチオピア諸語とMSAに共通でアラビア語も含む中央セム諸語は違っている共通項があるという。例えば中央セム諸語が持っている直説法形が(yaqtuluという形だそうだ)エチオピア諸語とMSAにはない。逆にエチオピア諸語とMSAは持っている非完了形のパターンが(yVqattVlと表わされるそうだ。セム語学の専門家の方がいたら説明していただけると嬉しい)中央セム諸語では新しい形に置き換わっている。これを譬えるとMSAの娘ソコトラ語と中央セム諸語が親のアラビア語は従妹に過ぎず、しかも双方の親は仲が悪いということだ。

MSA(赤)とアラビア語は直接のつながりがない。一方アラビア語とマルタ語(ともに青)は直系である。Aaron D. Rubin. 2008. The Subgrouping of the Semitic Languages. p.80から
SemitischeSprache
ではそのMSA内部の言語関係はどうなっているのかと言うとメフリ、ハルスーシ、バトハリ、ホビョートが西MSAとしてまとまり、ジッバーリとソコトリが東グループということになるらしい。後者二言語は特定の動詞形で前綴りの t- が消失し、女性形を作るのに -i をよく使うという共通の特色がある。
 もちろんこれらの「系図」は暫定的なもので、どんな等語線にどういう重みを置くかによって違ってくる上、等語線でくくられている特徴が同じ祖語から来たためか、言語接触によるのか、はたまた単なる偶然かよほど慎重に検討しないと危ないから生物のDNA検査のようにはビシッといかない。それでも上の系図はそれほど間違っているとは思えない。
 
 面白いからちょっとセム語族全体を比べてみよう。ルビンAaron Rubinという人はセム語族の諸言語の人称代名詞(自立形)の3人称単数形を比べている。
Tabelle1-elsas172
サバ語は古代南アラビア諸語の一つである。ルビンはソコトリの例を挙げていないが、幸いナウムキンВиталий Наумкинというソ連・ロシアの学者(下記)が次のような調査報告をしてくれている。
Tabelle2-elsas172
MSAでは女性形と男性形間で語頭の子音が違っている(太字)。セム語祖語は所詮再構した形なのでふれないでおくが、他の言語は皆この部分が同じ子音である。これはセム諸語を分ける際の重要な等語線のひとつだそうだ。
 一方アラビア語などと共通した部分もある。アラビア語はBroken Pluralまたはinternal pluralと呼ばれる複数形が非常にさかんだ。これはドイツ語のVogel(単数)→ Vögel(複数)のように語内部の母音交代によって複数形を作るやり方で、他のセム語にも散見される。コーガン Леонид Коган (同名のバイオリニストがいるがそれとは別人)という研究者が挙げているソコトリの例をいくつか見てみよう。比較のためにアラビア語の語を並べておいたが、これは私が勝手に同源っぽいと判断した語を列挙してみただけで、いろいろハズしているかもしれない。本当に言語学的な意味での「比較」にはなっていないから話のタネ程度の軽い参照にとどめてほしい。いい加減ですみません。さらに自分で挙げておきながら「いくらなんでもこれは違うだろ」と自分でも思う(じゃあ出すなよ)ものについては?マークをつけておいた。
Tabelle-3-elsas172
しかしこれら「アラビア語と似ているっぽい」単語はそもそも少数で、大多数の他の語は全く形が違う。多分アラビア語と同源の語は意味が大幅にズレてしまっていて私には見つけられなかったのだと思うが、それにしてもソコトリとアラビア語との距離をヒシヒシと感じた。音韻組織にしてもソコトリの母音音素がa、e、o、i、u の5つ(長短に弁別機能はない)なのに対しアラビア語は3音素である(e や o はアロフォン)。
 この「折れた複数形」はアッカド語など東セム語にもないことはないが、頻度から見て西セム語の特徴といえるそうだ、母音交代にはいろいろなパターンがあり、ラトクリフ Robert Ratcliffe などによる詳しい研究がある。broken plural があるのならブロークンでない複数形があるだろうと思ったら案の定で sound plural または external plural(「完全な(健全な?)複数形」または「外部複数形」)という複数形がそれで、膠着語のように後綴りをつけて作る。例えばアラビア語の ʾaʿjamī(「非アラブ人=外人」)の複数形には ʾaʿjamiyyīn‎ と ʾaʿājim の両形あるが、前者が「健全形」、後者が「折れた形」である。健全形では母音交代がない。なるほど external plural である。上のソコトリの例、「父」、「兄弟姉妹」は健全形なのではないかと思うがラトクリフは「折れた複数形の n-拡張パターン」としているそうだ。「耳」、「目」、「舌」も後綴りが来ているがこれらのほうは内部でしっかり母音交代を起こしているので「拡張型ブロークン」だと素人でも納得が行く。
 
 さて、ソコトリは文字のない言語である。しかし文字はなくても豊かな口承の文学があった。詩歌が発達し、住民はことあるごとにそれらを口ずさみながら生活していたそうだ。羊を追いながら歌い、家事をしながら歌い、意中の人には歌でその意を伝えた。日本でも昔はいちいち歌詠みをして意中の人と「会話」したが、ソコトリでは伝承文学を単に引用したり歌を詠んだりするのではなくそれに曲を付けて歌ったらしい。
 1970年半ばごろからソ連の学者ナウムキン(上述)を中心とする研究グループがソコトラ島の言語を記録収集したが、その資料の分析成果がやっと2012年に発表されたりしている。そんなに時間がかかった理由の一つが、伝承文学を口ずさんでいるネイティブ本人にもその解釈が困難だったことだ。これはつまり口承文学の言葉が日常のそれと乖離していたということではないか。言い換えると文字はなくてもソコトリ言語社会はダイグロシアの態をなしていたのであろう。ダイグロシア社会でのHバリアントが必ずしも文字言語であるとは限らないことはファーガソン自身も指摘している(『162.書き言語と話し言語』参照)。しかしこのソコトリHバリアントはやや機能領域が限られていたようで、言語社会全体に共通するコイネーとして働ける機能はなかった。
 そこにアラビア語が入り、ソコトリダイグロシア社会にはスッポリ欠けていた文字言語と共通語の機能を担うことになった。ではソコトリ社会はアラビア語とソコトリの外ダイグロシアなのか?否である。第一にソコトラ人はアラビア語を明確に「自分たちのとは違う言語」と意識しているし、第二に文語と同時にアラビア語の口語も入ってきた、つまり言語生活の全機能をアラビア語で賄える状態になったからである。つまりアラビア語とソコトリの関係はダイグロシアではない、バイリンガルだ。このバイリンガルになると一方の言語がもう一方に押し切られてしまう危険が発生する(『154.そして誰もいなくなった』参照)。心配になって調べてみたら危惧した通りソコトリはUNESCOの危機言語のカテゴリーに入っていた。
 
 さて、上で名前を出しているナウムキンだが、他の言語学者とともに1983年から1987にかけて「ソ連・イエメン学術調査」を組織して大掛かりなソコトリの言語調査を行っている。どうしてソコトラ島に急にソ連が出てくるのか一瞬首をかしげたが、当時のソコトラ島は南イエメン領、つまり社会主義国の領土で当然ソ連の「保護」を受けていたから学術交流もさかんだったのだろう。
 そのナウムキンがソコトリのフォルクローレテキストを調査して色彩名称について報告してくれているが、面白いのが šaẓ̂riher という色称だ。男性単数 šaẓ̂riher、女性単数 šaẓ̂rihir、男性双数 šiẓ̂rēri、女性双数 šiẓ̂rīri 、男性複数 šiẓ̂rírhon、女性複数 šiẓ̂rárhir という変化をするが(しっかり双数がある…)、まず山地で山羊や羊を飼って生活している山地のネイティブはこの語の意味を「赤」「レンガ色(つまり赤の一種)」と説明した。家畜の毛の色を形容するのに使う語だそうだ。日本で犬を「しろ」などと名付けるのと同じ感覚か。さらにソコトリでは「赤」と「黄色」を厳密に区別しないらしい。他にこの語を「ダークグレイ」というネイティブもいたが、この語を主に山羊や羊の毛の色を形容するのに使っているという点は変わらない。「赤」「黄」「ダークグレイ」が一緒になっているのですでに驚くが、1938年に出た W. Leslau という人の語彙集では、この語の意味を「緑」「水色」と定義してある。レスローによればソコトリでは緑と水色、つまり青を区別しないそうで非常に興味深いが(『166.青と緑』参照)、「赤」と「緑」が一つの単語でくくられているというのが強烈すぎて青緑問題をそれ以上詮索しよう気が失せる。レスローはさらにそこでこのソコトリの語 šaẓ̂riher をメフリの ḫad̮or 「緑」、アラビア語の ʼaḫḍar「緑」、 ヘブライ語の  ḫåṣīr「草」と比べている。ナウムキンはそこにさらに他の学者の挙げたハルスーシの hezor「黄、青、緑」、アッカド語の ḫasa 「草木」、後期バビロニア語の ḫaṣaštu「鼻汁の色、つまり緑」に言及している。
 ということでこの語は元々のセム語としては「緑」(「黄」もだそうだ)を表わしていたようだが、実はソコトリでも山地でなく海岸沿いの住民は šaẓ̂riher を「緑」だと言っているそうだ。これらの住民は家畜は飼っていない。従って šaẓ̂riher を毛皮の色の形容には使わない。
 そこでアラビア語の ʼaḫḍar を派生させた語根 ḫḍr を見てみよう。この語根からは多くの単語が派生されるそうだが、元々の意味は3つ、「緑色」、「暗さ、黒さ」、「美しさ、快適さ」である。二番目の意味は「黒」や「ダークグレイ」という意味で駱駝や馬の毛皮の色を形容するのに使われている。アラビア語以外のアフロ・アジア諸語でも「緑」と「黒」が一緒になっている例が散見されるそうだ。
 第三の「美」だが、アラビア語(現在ばかりでなく古典時代からからすでにそうだった)では草木の色「緑」や空と水の色が「美しい」という観念と結びついていた。それはそうだろう。乾ききった大地のど真ん中で水をたたえ、草木を茂らせているオアシスの色は砂漠の民にとっては「美しい」以外の何物でもなかろう。それに対してロシア語では「赤」が「美」と結びついている。後期バビロニア語(上述)で「緑」と「美」が今一つ結びついていないのは東セム語ではこの語が純粋に色だけ表わし、「美」という連想は主に西セム語が発達させたからだろうか。そういえばアッカド人もバビロニア人もチグリス・ユーフラテス周辺の肥沃な土地が本拠で砂漠の民ではない。
 つまり色彩名称というのは単に色のスペクトラムを表わすだけでなく、その色から誘発されるイメージ、連想も意味に含んでいるということだ。連想「も」というより、むしろそちらの方が物理的なスペクトラムを押しのけて意味の前面に出てくることもある。アラビア語の ḫḍr やそれに対応するセム語の単語にはポジティブイメージがあるが、山地のソコトラ人が赤っぽい毛の家畜の色を šaẓ̂riher という時、そこには何かポジティブなイメージがあるのかも知れない。

 ソコトリはアラビア語とも他のアフロ・アジア諸語とも「妙に」繋がっている。だが、このつながりが共通祖語から直接引き継いだものか言語接触によって得られたものかはもっと詳細にデータを調べて見なければわからない。


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